本部

女神よミロスへ還れ ~美術館で躍れ~

ケーフェイ

形態
シリーズ(続編)
難易度
普通
オプション
参加費
1,300
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2018/07/17 20:26

掲示板

オープニング

●閑散とした美術館

 女は気にした風もなく、美術品を眺めている。本当に立場を分かっているのかと疑いたくなるほど無邪気な様子だ。リンカーたちが施してくれた化粧も素晴らしい出来で、腕がないのも義手と厚着でうまくごまかしている。
 ミロのヴィーナス像に憑りついた従魔がヴィーナスの腕の在処について当てがあるということで行動を共にしているキターブだが、今はギリシアのイオアニアという田舎町にある小さな美術館にいた。
 ヴィーナスの腕など見つかれば考古学的・美術的な価値は法外なものになる。必ずやそれを手に入れるべく候補地を巡る予定だったが、その前にどうしてもここに寄っておきたかった。
『これは何です? キターブ』
「日本で見つかった青銅鏡のレプリカ。それはジブラルタルにあったタルテッソス文明の青銅器……のレプリカ」
『レプリカばかりですね』
「片田舎の個人美術館だからな。本物はないよ」
『これもですか』
 女神が透徹した顔つきで女神像を眺めている。彼女が見ているのはクニドスのアフロディーテ。古代ギリシア彫刻の最高峰だが、この美術館にあるのはあくまでレプリカだ。
 しかしそれを言えば、ミロのヴィーナスもまたレプリカと言える。クニドスのアフロディーテはミロのヴィーナスより二百年ほど古い作品で、ミロのヴィーナスはこのアフロディーテから着想を得たものとも言われている。
 彼女がミロのヴィーナスであり、従魔としての本能を抑え込むほどの影響を受けているのならば、こうしたものに反応するはずだ。
「何か思い出すことは? 腕の在処とか」
 ぷるぷると首を横に振る女神像。その様はあくまで素っ気ない。他にも道すがらギリシア神話を読み聞かせたりと、ヴィーナスとしてアイデンティティに訴えるようなやり方で情報を得ようとしたが、かの女神から如何せん返るものがない。
 やはり縁の強い土地――ミロス島へ行かねば何も起きないのか。
「いい美術館ですね。揃えてる品はともかく、場所がいい」
 設えの良いスーツを着つけた男がさりげなく話しかけてくる。キターブもまるで旧知の友人にでも会ったかのように気安く応じる。
「静かな森の奥ですからね。おかげで客足はあまり伸びません。平日の昼間だと誰もいない」
 そうして話していた二人は申し合わせたように背中合わせでベンチに腰掛けた。
「それにしても……よく来てくれた。ヴィランの方」
「こんなに堂々としているとは思わなかった」
「俺もだ。だがどうしても彼女に見せておきたくてね。クニドスのアフロディーテを」
「レプリカだろ。ローマ時代のものの、さらに写しだな」
「悪く言うなよ。これでも一応美術館の目玉なんだ」
「それで、見返りはあったかな」
 キターブは首を振る。ここまで腕に関する情報は女神像から何一つ得られていない。
「手を引け。H.O.P.E.と敵対するのは本意ではない」
 実に魅力的な提案だ。キターブは喉の奥で頷いた。彼のように手練れのヴィランがこれまで仕事をしてこれたのは、H.O.P.E.と積極的に敵対してこなかったためだ。無論そのように立ち回っていたのだろう。H.O.P.E.側としてもそんな厄介なものを今さら敵に回す必要はない。
「我々としてもヴィランには改心して、協力を仰ぎたい。そういう意味では同じだ」
「俺を指名手配しなかったのはそのためだろ」
 身分の割り出しから指名手配まですぐに行えるところを、キターブはあえてその作業を怠っていた。
 ヴィランの男としてはリンカーたちと大っぴらに戦闘してしまった時点で詰みだった。しかし自分を捕まえに来るH.O.P.E.のエージェントが来ない以上、彼も依頼人からの仕事を完遂せねばならない。
「俺からの心付けとでも思って受け取ってくれ。とはいえそれは一面に過ぎない。むしろミロス島へ行く前に確かめたいことがあった。君を呼んだのはそのためだ」
「招待状を貰った覚えはないな」
「公共機関を使ったんだ。追ってきてもらわないと張り合いすらない」
『その人を食った態度、気に入らないわ』
 背中に妙な感触を感じる。男の背中からゆるりとした女の影が現れる。
『あんたみたいな輩の処し方は昔から決まっているわ。そのよく回る口を問答無用で引き千切ってやればいいのよ』
「……そりゃ俺に限らんだろ」
 疲れたように溜息をつくキターブ。ヴァニタスを見ることすらせず膝に置いた肘で頬杖をついている。そして目の前で女神像を眺めている従魔を顎で指し示す。
「あれは本当にミロのヴィーナスなのか。ルーヴル側が事を公にしない理由は何だ。女神像に従魔が憑りついたのは偶然なのか」
 キターブの立て続けの質問にヴァニタスは意味ありげに微笑み、アレグはただ向かいの絵を見つめていた。取り合う気すらないらしい。
「答えないなら交渉決裂だ。君たちを拘束する」
『あなたが? 面白い冗談ね』
「そうだろ。俺もそう思ってんだよ」
 さりげなく取り出したスマホにフリック入力すると、ピロンと軽やかな電子音が鳴る。途端、美術館の気配が一変した。
 抽象的なものではない。いたる箇所から濃密なライヴスの気配が立ちのぼり、膨れ上がっていく。
「……ここでやるってのか。美術館の中だぞ、どうかしてる」
「別に。どう扱おうが家主の勝手だろ」
「家主って……」
「ここは俺の個人美術館だ。まあ、名義は借り物だし、いくつか会社を挟んじゃいるがな」
 立ち上がったアレグが顔をしかめる。何か嫌悪すべきものを咄嗟に見つけたように露骨な態度だった。
「美術品の資金洗浄用だな。H.O.P.E.のくせにふざけた野郎だ」
「おいおい、滅多なこと言うなよ」
 立ち上がったキターブが人差指を口に立てる。そうしてさりげなく女神像のほうへと近づいていく。
「さあ。洗いざらい吐くか、打ちのめされるか。どっちかだぜ、アレグくん」
 H.O.P.E.に対して一般的に抱かれているイメージを覆して余りある笑顔を見て、アレグとヴァニタスは共鳴を果たす。
 バックヤードに隠れていたリンカーたちも次々と飛び出る。衝撃で石膏像や彫刻が割れ砕け、美術館は早速戦場らしい様相を呈し始めていた。

解説

・目的
 ヴィランの捕獲あるいは情報の取得。

・敵
 ヴィラン:金髪の長身の男。英雄からはアレグと呼ばれていた。サバットの使い手で、金属製の靴から強力な蹴り技を放つ。

 英雄:頭蓋骨と砂時計、マンドリン携えた女。ヴァニタス・ヴァニタトゥムと名乗る。敵を妨害する魔術を用いる。

・場所
 ギリシアはイオアニアの山奥にある美術館。

・状況
 リンカーは既に美術館のバックヤードに待機しており、美術館内は民間人はおらず、美術品もレプリカしかないので被害を考慮する必要はない。

リプレイ

●楽屋裏ではお静かに

「なんかもう、どっちが悪人か解らなくなるね」
『大人の世界は綺麗事だけじゃないって事だな。一つ賢くなっただろう?』
 キターブとアレグの会話を盗み聞きしていたアンジェリカ・カノーヴァ(aa0121)が苦笑しながら呟き、それに頷くマルコ・マカーリオ(aa0121hero001)。聖職者だというのに肝要過ぎないかとも思うが、よく考えれみれば世の悪徳に最も通じているのはある意味で聖職者であるとも言える。
 こちらも同じくバックヤードに控えている麻生 遊夜(aa0452)とユフォアリーヤ(aa0452hero001)も、似たような感想を抱いていた。
「まったく、どっちが悪党か分からねぇな」
『……ん、あの笑顔は……うん、ダメだねぇ』
 依頼の際、美術品は壊しても問題ないと言っていたのを不思議に思っていたが、まさか美術館が彼の所有とは思わなかった。H.O.P.E.のエージェント以外にも、というよりはそれを利用して手広くやっているようだ。
 バックヤードの扉を少し開けて周りを確認する荒木 拓海(aa1049)。そこには美術品が白い壁の前に等間隔で並べられている。
「レプリカでもこれだけの美術品、壊したくは……ぁ、ラトゥールのマリアが! 持ち帰って部屋に飾りたかった……」
 ジョルジュ・ド・ラトゥールの悔い改めるマグダラのマリア。暗い部屋の中に点る蝋燭を見つめる女性を描いている。『夜の画家』と評されるラトゥールの描く明暗の対比に込められた神秘的な静謐さは、構図がシンプルで美術館だけではなく部屋の中でも映えるだろう。
 メリッサ インガルズ(aa1049hero001)が溜息をつく。もう拓海は美術品が飾られている自分の部屋を想像していることがありありと分かってしまう。
『それ、窃盗よ……」
「しません、そんなこと!」
『私も壊したくないわ……レプリカとは言え今をヴィーナスはどんな気持ちで見てるのかしら……』
「気になるなら様子が見える位置で戦闘……ん? キタープは刺激を与える目的でこの場を?」
 そう言えばアレグと話しているときにそのようなことを言っていたような気がする。腕の手掛かりを得るためにその記憶を呼び起こしたかったのだろう。
 これから美術品を壊すことになるわけだが、果たしてそれが彼女にどう影響するのか。場合によっては彼女を押さえることも必要になる。
「母様、これ全部壊していいんですか?」
 拓海たちと同じところに潜んでいたアトルラーゼ・ウェンジェンス(aa5611)が、きらきらとした顔で館内を眺めている。
『えぇ、思いっきりいきましょうね』
 そして同じくらい満面の笑みを浮かべているエリズバーク・ウェンジェンス(aa5611hero001)。
 そこから少し離れ、バックヤードではなく銅像の台座自体に潜む犬尉 善戎狼(aa5610)と戌本 涙子(aa5610hero001)。ネームプレートをずらして周囲を窺う。今回の戦闘の肝はアンブッシュになるだろう。バックヤードに潜んで相手の出方を窺って取り囲み、逃げるようなら先々に潜伏したリンカーによる奇襲で致命打を与える。
 スマホを確認しながらバックヤードの壁にもたれる希月(aa5670)。今回の任務はヴィランの捕獲、もしくは情報の取得となるが、しかし彼女にはどこか腑に落ちなかった。
『どうもヴィランがただの悪党にゃ見えないのは何なんですかねぇ』
 ザラディア・エルドガッシュ(aa5670hero001)の呟きに頷く希月。少なくともアレグは享楽的に犯行に及んでいるようには見えなかった。襲撃が失敗となればすぐに逃走に切り替えて戦いを組み立てていたところをみると、あくまでヴィランを仕事として割り切っているように思える。
 サングラスを直しつつ、バックヤードの扉を少し開ける石井 菊次郎(aa0866)。
『まだ話しているのか、あの男は』
 テミス(aa0866hero001)が呆れ気味に話す。エージェントとはいえ一般人に過ぎないというのに、ヴィランとその英雄を誘き寄せてあまつさえ尋問じみたことをしてみせる神経が分からない。マゾヒストというより命を気軽に賭けて楽しんでいる節が見える。
「そろそろ終わりそうだな」
 言った矢先、スマホに通知が入った。出動の合図だ。
 菊次郎がさりげなく手を差し出し、テミスがそれを当然のように受け取った。
 光に包まれたテミスが解け、菊次郎の武具に十字の光が浮かび上がる。リンクは完了した。
 火蛾魅 塵(aa5095)と人造天使壱拾壱号(aa5095hero001)が我先にと壁をぶち割りって飛び出した。
「クク……わりーなぁキターブぅ……もしかしたら殺っちまうかもしんねーわ、楽しくってヨ?」
 トオイとリンクを完了し、彼の体を赤黒い鱗が覆い始める。
「俺ら人間はいつかくたばる。それが今か、明日か。だったら『今この瞬間』を楽しむしかねーよナァ!?」


●砂時計から流れ落ちる

 立ち上がりは意外にも静かなものだった。多少の美術品が砕けはしたが、真っ先に飛び出した希月がアレグと対峙していた。
「又お会いしましたね、アレグ様とヴァニタス様。私は希月と申します」
 アレグとその英雄ヴァニタスからの返事はない。サバットの基本に忠実な重心を後ろに置く斜構えに、地縛霊のように彼にまとわりつくヴァニタス。これが彼らのリンクした姿なのだろう。
「あの……お二人はあの従魔様について何かご存知なのですか?」
 牽牛の戦斧を構えながら、希月が訊ねる。彼女にはアレグとヴァニタスがどうにも根っからの悪党には思えなかった。説得でどうにかなるなら、その余地は残しておきたかったのだ。
「……あの従魔様はそれほど危険な方とは思えません。貴方方が従魔様に固執するのはあの方が危険だから、以外の理由なのですか?」
 話しかけられたアレグをつぶさに観察するザラディア。そんな彼女に顎を引いて鋭い眼差しを向けるアレグ。そこに読み取れる何かはない。戦いとなればしっかりと己を抑える。良き戦士だ。しかしやりようはある。
「シィッ!」
 僅かな踏み込みから鋭く戦斧を突き出す。角のような刃がアレグの胸先で停止する。こちらが踏み込んだ分と同じだけ退いた。長物や飛び道具がない分、間合いは譲らないらしい。だが完全に注意がこちらに向いた証拠だ。
『ほら。ここはすぐに鉄火場ですよ。向こうへお下りなさい』
 キターブと女神像に目顔で示すエリズバーグ。
「そんじゃ頼みます。無茶はせんでください」
 キターブの言葉にエリズバーグが上品に笑ってみせる。
『吐くか、打ちのめされるか、選ばせてあげるなんてキターブ様はお優しいですね?』
「え、どういうこと?」
 さっそく魔導銃50AEを周囲に召喚し、くるくると指で弄うように浮かべて遊ぶエリズバーグ。
『吐きたくなるまで打ちのめす、が基本でしょう。うっかり殺してしまったらごめんなさいね?』
 キターブとしては引きつった笑みを返すので精一杯だった。エリズバーグのような強力な魔術師に吐くまで打ちのめされるなど考えたくもない。
 エリズバーグは他の部屋へ避難するキターブと女神像を見送ると、アレグへ向き直る。
 改めて考えれば、こういう時にキターブの存在は便利なことこの上ない。一般人の命の危機ならば殺してもしょうがないと規則にあるので、彼の命を盾にすればヴィランへの攻撃に正統性が保証される。
『ではさっそく死んでくださいませ。えっと……アレグさん』
 魔導授50AEを構えたエリズバーグが矢鱈滅法に銃撃する。そこに薄ら笑いを浮かべた火蛾魅が加わった。
「ほらほら、さっさとメメント・モリとやらを出せよ。じゃねえと灰になっちまうぜえ!」
 火蛾魅の掌から火炎が躍り出る。応じるようにヴァニタスが素早く髑髏をかざした。
「殺しきれ――メメント・モリ!」
 炎熱と銃撃がアレグを中心とした二メートルほどの球形に遮断される。まるで呑み込むように炎がうねろうとも、遮断領域は一切の妥協を見せない。
 バックヤードから歩み出たマルコは、シャンパンの瓶を振りながら近づいていく。
『また会ったなお嬢さん。これはもう運命としか思えん。野蛮な斬り合いなど止めて美術品を鑑賞しながら乾杯しないか。ほら』
 コルクを親指で弾くと中身の液が勢いよく噴き出した。髑髏を掲げていたアレグとヴァニタスが思いきり被ってしまう。
『おっとっと。いやあ、すまんすまん。せっかく飲もうと思ってたのになあ』
 悪びれもなく言ってのけるマルコ。頭から被ったシャンパンを鬱陶しげに払いながらヴァニタスがマルコを睨みつける。
『妙なことをするわね。何かの儀式かしら』
『申し訳ない。よほどシャンパンがお気に召さなかったのかな』
「当たり前だ。こんな安物を俺の女にぶちまけるとは、貴様が来た世界の風習はよほど珍しいと見える」
『酒はどこの世界でも縁起物だってのになあ』
 リンクしているアンジェリカにはマルコの引きつる顔が容易に思い浮かんだ。お互い言いも言ったりだが、それでこそこちらに注意が惹くことが出来る。
 おもむろにシャンパンの瓶を放り投げるマルコ。そこから抜き打ちに繰り出したグランドールが瓶を叩き割る。
 破片がアレグを襲い、悉く掻き消える。こんな瓶の破片すら侵入を許さない潔癖さに感嘆しつつ、駆け抜け様に背後へ回り込んで一撃を放つ。
「くおっ!」
 気を取られていたアレグが殆ど後ろを見ずに行なった掛け蹴りが大剣の先端に命中し、大剣があえなく横へ泳ぐ。
「そんな!?」
『続けろ、アンジェリカ! 当てずっぽうだ。次はない』
 気落ちしかけたアンジェリカをマルコが叱咤する。先の戦いでもアレグは蹴りで刃物を打ち落としていたが、後方からの攻撃を全く見ずに防いでみせる曲芸がそう長く続くわけがない。弱気になって攻撃の手を緩めればそれこそ相手に立ち直る隙を与えかねない。
 足削ぎからの胴袈裟。素直に下がったアレグが跳ね返るような前蹴りを放つ。鉄のつま先をグランドールの刀身で防ぐ。
 一進一退の攻防に割り込む影。火蛾魅の放つ火炎を縫うように滑り込んだ拓海がダーインスレイヴで切り上げる。コートの裾を裂くに留まったが、バランスを崩したアレグが転がって逃げる。
 それを見て火蛾魅がかざした手の方向を変える。ライヴスによって制御された炎が生き物のようにうねって再びアレグをつけ狙う。
「踊れ――クォ・ヴァデス」
 取り出された砂時計がほのかなライヴス光を宿す。途端、火炎が狂ったように巻き上がって八方に散ってしまった。
 隣のフロアで17式20ミリ自動小銃を構えていた麻生が喉の奥で唸る。
「発動したな。クォ・ヴァデスだっけか」
『うん。前と同じだね』
 遠距離攻撃を遮断するメメント・モリ。あらゆる攻勢の方向を見失わせるクォ・ヴァデス。ここまでは先の戦いで見たものだ。
「前回と同じようには行かないぜ?」
『……ん、頑張って……対策してきた、よ』
 接近戦を挑んでいたアンジェリカや拓海が間合いを取ってアレグを牽制する。その間に麻生は小銃のストックをしっかりと保持する。スコープは覗かない。そもそも射線を確保する必要がない。相手の位置をこちらが把握していれば済む。
 小銃の引き金を引く。つつましいハレーションが上がったものの、弾丸は銃口から出てこない。既にその弾丸はアレグの死角へと転送されていた。
 後方斜め上から撃ち降ろす軌道が、アレグの左脇を突き抜ける。そこには丁度ヴァニタスがいて、その手に握られていた砂時計が中身の砂をぶちまけていた。
 排出口から飛び出した薬莢を床に落ちるより早く飛び出す。セレクターレバーを指で弾き、サイトで狙いをつけて引き金を引くのに半秒もあれば十分だ。
 フルオートで銃撃が掻き消える。砕けた砂時計を捨てて髑髏を持っている。すぐにメメント・モリに切り替えたのはさすがだが、もうクォ・ヴァデスが使えないと吐露したも同然だ。
 メメント・モリには接近戦。クォ・ヴァデスには意識外からの無音狙撃。手筈通りに皆が動いてくれたからこその成功だ。
 しかし安心はできない。まだ未知の魔術を持っているはずだから。
「ほら、出せよ。まだあんだろ、とっておきがよぉ」
 砂時計のガラスを踏み割る火蛾魅。壮絶に歯を剥いて笑いかける。どうやら相手の魔術を出させて真っ向から潰す腹積もりらしい。
『そんなに見たいのかしら? これを』
 マンドリンを撫でるヴァニタス。その様の似合い様に火蛾魅は笑みを増していく。マンドリンはかき鳴らし音を響かせることから、寓意画では聴覚の象徴とされている。そして一方で女性が使うことが多い楽器であるため、女性そのものを表す場合もある。
「勿体つけてんじゃねえよ。幽霊女」
『そんなことないわよ。だって……もう発動してるもの。ほら』
 皆の背筋に怖気が走ったそのとき、ついとヴァニタスが上を指差す。抗いきれず、釣られて全員がそちらを向いてしまった。
 目を切ったのは一瞬。だが相手にはそれで十分だった。指差した先には何もない。そして視線を戻せばアレグはいなくなっている。
『……狡い手ぇ使いやがって。アレゴリー被れがぁ』
 地の底からにじり出るような声を出す火蛾魅。こんなものは魔術ですらない。よそ見した隙に逃げるとは随分古典的な手を使う。だがそれだけ追いつめられているとも言える。


●女神のお目覚め

 菊次郎とテミスはキターブと女神像の護衛についていた。
「向こうは派手に壊してるみたいだぞ」
「構わんよ。そろそろ資産を整理したかったし。どうせなら派手にやってくれ」
『それにしても美術館をぶっ壊せとは、妙な依頼をする』
「依頼じゃないよ。舞台に使っていいと言っただけ――」
 台詞の途中、背後の壁が音を立てて吹き飛ぶ。そこから現れたのはアレグだった。
「んなっ!?」
 キターブが驚いている間に菊次郎がグランガチシールドを掲げて間に入る。普通人である彼に万が一のことがあってはならない。
 飛びかかるアレグの蹴りがキターブに向けられ、菊次郎が盾にライヴスを込めた。
 その表面に、ふわりと着地するアレグ。菊次郎の背に嫌な怖気が走る。盾を足場にされた。ならば次の手は、そもそも目的は――
 盾を弾いて跳躍。そこから繰り出された横蹴りが、女神像の首を薙ぎ払った。
 吹き飛んだ女神像は銅像や油絵を巻き込み、派手に土煙を上げて壁にめり込んだ。
「くそっ。硬いな、従魔ってのは」
 着地したアレグが苦々しく呟く。
「女神像を盗むのなら、やり過ぎじゃないのか」
 アレグの跳躍の勢いで倒れていた菊次郎が立ち上がる。
「盗む? そんなこと、俺は一言も言ってないよ」
 不敵に吐き捨てて飛び出すアレグ。女神像に追い討ちをかけるつもりだ。
 咄嗟にキターブを庇ったことに後悔はない。H.O.P.E.のエージェントと従魔では優先順位は明らかだ。だから恐れているのはそこではない。
 鉄の靴で床を踏み割り、アレグの体が飛び出す。踏み下ろすような蹴りの体勢に入った瞬間、その姿が何者かに撃ち落とされた。
 今度はアレグの体が木偶のように吹き飛んでいく。展開の目まぐるしさに唖然としているキターブをよそに、菊次郎は苦い顔で舌打ちした。
 アレグを撃ち落としたそれは、カンバスや石膏像などをこねくりまわした粘土細工の腕のような形をしている。その付け根には、あの女神像がいた。
 理性的とはいえ彼女も従魔でしかない。人間のライヴスを貪る存在であることを忘れてはならないのだ。その本性がここへきて発露されたということだ。
『あ、あう……』
 事切れたように倒れる女神像。これ以上動く様子はない。キターブたちが恐る恐る様子を窺っていると、部屋に入ってきた拓海は一目散に女神像へ駆け寄った。
 ともかく抱き寄せて体の調子を確かめる。人間ではなくただの像であり従魔でしかないが、ともかく今は反応がない。人間で言えば気絶している状態だろうか。
「キターブさん。この子、外に出しとくよ」
 返事を待たず女神像を抱きかかえた拓海は出口へと走っていった。キターブとしても異存はない。むしろ判断が早くて助かった。ヴィランに加えて従魔まで相手にするのはぞっとしない話だ。
『そろそろネタも尽きたかしら。あらかた吐きたくなったら言ってくださいね』
 立ち上がりかけていたアレグを見下ろすエリズバーグ。
『吐いた後はどうなるの……って、聞くまでもないわね』
 ヴァニタスが首を振るって一人ごちる。ひらひらと揺れる裾から、マンドリンを引っ掴んで臍の前に置いた。
『そんなに聞きたいのなら聞かせてやるわ。もうこれ以外聞こえなくなるわよ』
 少しの溜めを作ってから、八本の弦を引き千切るように指を叩きつけた。
『響き渡れ――リンガ・イグノタ』
 ヴァニタスが大きくマンドリンをかき鳴らし、美術館に弦の音が響き渡った。
 見た目には何も起こらない。この辺りは先の二つの魔術を似ている。ならばまた妨害を目的としているのだろう。
 ライヴスキャスターを唱えようとして――エリズバーグは愕然とした。
 口から言葉が出てこない。というよりマンドリンの音が耳に張り付いている。いや、聞こえる音、自分が発した声さえも、マンドリンの弦楽にしか聞こえない。
 周りを見れば、皆も驚いた顔をしている。範囲なのか多目標なのか、いずれにしても場にいる人間全てが影響下にあると見ていい。
『ッ!?』
 回り込んだアレグが放ってきた回し蹴りをカズブハックシールドで防ぐ。打撃音もマンドリンの音楽になってしまっていて非常に気持ちが悪い。
 打撃をいなして素直に下がったエリズバーグは冷静に分析する。恐らくマンドリンの音を聞いた人間の、音に対する認識を操るのだろう。直接的な効果はないが非常に厄介だ。相手が近づいてきても音では分からない。仲間とのコミュニケーションも取れない。
 そしてなにより魔術師であるエリズバーグにとって、自分の言葉が自分で聞き取れないのが致命的だった。詠唱を間違ってしまった場合、それを確かめられないのだ。
 エリズバーグは魔導銃50AEに持ち替えて応戦する。ライヴス弾で足元を狙うようにして牽制し、執拗に追ってくるアレグを突き放す。
 今はこれでいい。無理をする必要などない。既にアレグの背後へ位置取りしている火蛾魅が何とかしてくれるはずだ。
 リンガ・イグノタの影響は火蛾魅も被っていた。音の全てを弦楽に変換するのは大したものだが、攻撃を直接防ぐわけではない時点で彼はそれほど脅威には感じていなかった。
「さぁて、ブチ破るとすっかねぇ」
 間合いを見計らうと、火蛾魅は目覚まし時計『デスソニック』を持ったまま突撃する。既に鳴り響いているアラームを一度止め、デスソニックと手りゅう弾をアレグに叩きつけた。
 手りゅう弾の爆発を掻き消すほどの殺人的な大音響に、アレグが吹き飛んでいく。デスソニックの大音響に巻き込まれた火蛾魅も脳内がかき回されたような気分だったが、ヴァニタスが取り落としたマンドリンの指板を引っ掴むと、それを床に叩きつけてぶち折った。
「……なんだ。今回のはたいしたことなかったなぁ」
 マンドリンが壊れると同時に、もう弦楽は聞こえなくなった。
 首を振るってアレグが何とか立ち上がる。手りゅう弾の爆風よりも目覚まし時計の音量が堪えた。おかげでマンドリンを取り落としてしまった。
 壁に寄り掛かってともかくこの場から離れる。マンドリンも砂時計も壊された。これ以上はもう――
「どこへ行くんだ。ヴィラン」
 どこからともなく聞こえた声を受けてアレグが転がるように逃げる。それを追い打つように犬尉が足を振り上げた。
 大きく弧を描いて視界の外から薙ぎ払うような上段蹴りが、アレグの額を擦過した。さらに腹を狙う中段蹴りを下がって避ける。しかし犬尉は軸足で跳んで中段蹴りを命中させる。
「ぐっ!?」
 蹴りの途中に軸足で跳んで追撃する、ムエタイの高等技術だ。
 さらに下段から上段へ繋ぐ蹴りを前腕で弾きながら、アレグが足を入れ替えて間合いを整えた。前に出る犬尉を迎え撃つようにアレグがくるりと体を反転させた。
 そこから繰り出される靴裏で押し蹴るシャッセ。さらに勢いを落とさず上段回し蹴りのフィッテ・フィギュア。
 二連の蹴撃は、犬尉の体を掠めただけに留まった。
 蹴りの大技で来るのは犬尉には分かっていた。蹴り技の使い手なら、蹴り技の高等技術で来られれば無意識に蹴り技で上回ろうとする。そう来ると分かっているのなら、捌くのに苦労はない。
 渾身の連携技を外されて完全に体が泳いでいるアレグへ風魔の小太刀を抜き打ちで放つ。
『ッ!?』
 狙いはアレグではなくヴァニタス。それも懐に忍ばせていた髑髏へと切先が見事に突き刺さった。
 払うように振るった風魔の小太刀からすっぽ抜けた髑髏が、壁に当たって粉々に砕け散る。
「……お優しいな。腹を抉られてたら終わってた」
「心配するな。どっちにしろ終わっている」
 犬尉が冷静に言う。実際、魔術による妨害がなければアレグはそれほどの脅威ではない。
「くそが。舐めやがって……いや、まだ俺にもツキがあるかな」
「まだあるなら早くした方がいいんじゃないか」
「あんたも早くした方がいいかもよ」
 アレグが不敵に笑ってみせる。既に周囲からはミシミシと地鳴りのような不穏な音が館内に響いていた。犬尉が僅かに気を取られた一瞬、アレグは踵を返して走り出した。
「待てっ! アレグ――」
 言い差し、犬尉の目の前に天井の破片が落ちてくる。もう少し前に出ていたら首ごと持っていかれていたかもしれない。
『叔父者、これって……』
「ああ。崩れるな、この美術館」
 他の皆も危険を察知したのか、急いで外へ飛び出していく。少々派手に暴れすぎたかもしれない。
 一カ所崩れればあとは連鎖的に壁や柱が折れ砕け、美術館は盛大な音を立てて崩れ落ちていった。


●女神への手掛かり

「いやはや、安普請が祟ったなあ、こりゃ」
 廃墟と化した美術館を眺めながら開けっ広げに笑うキターブ。とはいえ笑顔が盛大に引きつってしまっている。
「すまん。取り逃がした」
 犬尉が表情もなく謝る。アレグに最後に接触したのが自分であるため、多少の責任を感じているらしい。
「あんたのせいじゃない。謝らんでくれ」
「アレグは追わなくていいのか」
 言われて少し思案するキターブ。既にヴァニタスの発動具は三つとも破壊している。もはや脅威としては評価が低い。それよりも――
「いや、待機しててくれ。あの女神さまを見張ってないと」
「……暴走。いや、従魔としての本性が出たのか」
「一瞬だけな。それから気絶しちまってる。拓海さん、どんな様子だい?」
 先に女神像と美術館を出ていた拓海が頷く。
「大丈夫みたい。一応リサと希月さんが救急医療キットで処置してくれてる」
 女神像の傍らにはリサと希月が控えており、彼女に包帯を巻いているところだった。果たして石像に医療キットがどれだけ効果を発揮するか分からないが、見たところ容体は安定しているようだ。
 ヴィランの攻撃手段は潰したし、女神像にも新たなリアクションが見られた。十分な収穫だ。これで敵を気にせず彼女の正体を探ることが出来る。その後で教授にこの女神像を届けてやればいい。

結果

シナリオ成功度 普通

MVP一覧

  • 愚神を追う者
    石井 菊次郎aa0866
  • 悪性敵性者
    火蛾魅 塵aa5095
  • 光明の月
    希月aa5670

重体一覧

参加者

  • 希望を胸に
    アンジェリカ・カノーヴァaa0121
    人間|11才|女性|命中
  • コンメディア・デラルテ
    マルコ・マカーリオaa0121hero001
    英雄|38才|男性|ドレ
  • 来世でも誓う“愛”
    麻生 遊夜aa0452
    機械|34才|男性|命中
  • 来世でも誓う“愛”
    ユフォアリーヤaa0452hero001
    英雄|18才|女性|ジャ
  • 愚神を追う者
    石井 菊次郎aa0866
    人間|25才|男性|命中
  • パスファインダー
    テミスaa0866hero001
    英雄|18才|女性|ソフィ
  • 苦悩と覚悟に寄り添い前へ
    荒木 拓海aa1049
    人間|28才|男性|防御
  • 未来を導き得る者
    メリッサ インガルズaa1049hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 悪性敵性者
    火蛾魅 塵aa5095
    人間|22才|男性|命中
  • 怨嗟連ねる失楽天使
    人造天使壱拾壱号aa5095hero001
    英雄|11才|?|ソフィ
  • エージェント
    犬尉 善戎狼aa5610
    獣人|34才|男性|命中
  • エージェント
    戌本 涙子aa5610hero001
    英雄|13才|女性|シャド
  • …すでに違えて復讐を歩む
    アトルラーゼ・ウェンジェンスaa5611
    人間|10才|男性|命中
  • 愛する人と描いた未来は…
    エリズバーク・ウェンジェンスaa5611hero001
    英雄|22才|女性|カオ
  • 光明の月
    希月aa5670
    人間|19才|女性|生命
  • エージェント
    ザラディア・エルドガッシュaa5670hero001
    英雄|25才|女性|ドレ
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