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女神よミロスへ還れ ~寓意画の女~
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保護・救出戦
最終発言2018/06/13 08:17:55 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2018/06/09 23:32:39
オープニング
●盗まれたヴィーナス
ある夜、キターブは自宅で電話を受け取ると、最近知り合った男が挨拶してきた。
「これはこれは。ご無沙汰しています。レイネス教授」
以前、不審なミイラの鑑定を依頼してきたエジプト考古学の権威であるレイネス教授は、その後何かとキターブに目をかけてくれている。
「その節は世話になったね。ところでルーヴル美術館で盗難があったというニュース、知っているか」
「いいえ、全く。またモナリザですか?」
「……ミロのヴィーナス」
思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「まさか。どうやって……」
「それがな、ある夜、警備員が園内を歩くヴィーナス像を目撃し、それを境に無くなったらしい」
「はあ? 馬鹿馬鹿し……まさか!?」
受話器の向こうで頷く気配がする。
「従魔による憑依現象。まずそれが思いつく」
「しかしそんなニュースは出ていませんよ。H.O.P.E.にも報告は来ていない」
「正直に申し出るはずもあるまい。本物が盗まれたとあっては尚更な」
ならば今展示されているのは――。ぞわりと、怖気がキターブの背を一撫でしていく。
「そういうものがあるとは聞いていましたが、本当に贋作も収蔵しているのですね」
「収蔵……収蔵ね。まあ、そういうことにしておこう。本題はここからだ。ミロのヴィーナスを回収してほしい。無論、無傷でだ」
やはりそういう話になるかとキターブは納得した。ルーヴル美術館がその事実をひた隠しにしている以上、表立った活動はできない。そのために教授は個人的にキターブを頼ってきたのだ。
問題は、教授が誰の意図を受けているのかだ。
「報酬の方は?」
「問題ない。私のスポンサーには十分な額を用意してもらっている」
スポンサー。教授もあくまで仲介ということか。恐らくアテネ国立考古学博物館辺りだろうか。あそこにもヴィーナス像のレプリカが展示されている。
美術品や発掘品は原産国での収蔵・展示が基本である。しかし大英博物館がエジプトからロゼッタストーンの返還を再三受けても一向に返さないように、守られることの少ない建前ではある。
同じように、ギリシャ側もこれを奇貨としてミロのヴィーナス像を取り戻したいのだろう。
「分かりました。依頼を策定してみます。あくまで無傷での回収ということで」
「ああ、頼む。だが、戦闘の備えは怠らないでくれ」
「勿論です。相手は従魔ですので」
「いや、それがな、どうも噂ではヴィランが暗躍しているというのがあってね」
「ヴィランですか? まさか窃盗団か何かですかね」
「多分その類いだろう。そんな奴らに奪われるわけにはいかん」
「好都合ですよ。それこそH.O.P.E.の領分ですので」
●女神とヴィラン
この幸運をどう解釈するべきか、キターブは随分悩まされた。
目の前で蹲る大理石の塊は、なるほど女神と呼んで差し支えない様相をしていた。女性にしては大柄な、二メートル近い体を地面に埋めるように丸まっている。
直接ルーヴル美術館のあるパリではなくスイスに降りたのは手掛かりを探すためだった。従魔に憑依された女神像が人間社会をうろつけば、嫌でもその痕跡は残る。SNSや噂を頼りに探してみれば、一日もかからず特定に至った。
人気のない夜半、人間のように服を着込み、変装していた彼女を見つけたキターブが追いつめたのはベルン郊外の自然公園だった。従魔を追うなどという蛮行を行なうことになったのは既に要請した応援に正確な場所を伝えるためだが、それ以上に相手の行動が気になったのだ。
人が追いかけるなり必死に逃げ出す従魔など聞いたことがない。ライヴスが向こうからやってきたと舌なめずりしそうなものだが――
「従魔のくせに人も殺さず逃げるばかり。しかも人に紛れる。一体何が目的だか」
「目的、ですか。人間」
キターブが身構える。まさか返答があるとは思わなかった。従魔の多くは自我を持たない。知性らしきものを備えている場合もあると話には聞いていたが、実際に遭遇するのは初めてだった。
「取引をしましょう。人間」
「……取引ときたか。従魔が」
そのうえ交渉を持ち出す。キターブの興味はこのとき最大に高ぶっていた。
「腕、腕を。私の腕を、探してください」
「取引の意味を取り違えとりゃあせんかね」
「見たくはないのですか。私の腕を」
ぞくりと大きな怖気がキターブの背を過ぎる。なるほど、そうきたか。
発見以来、人々を魅了し続けてきたミロのヴィーナス。これまで何人もの人間が腕の在処を探し求めてきたが、未だ発見には至っていない。
「……どこにあるのか分かるのか」
「おぼろげには。ですが近づけば――」
「正確に感じ取れる、と」
昂っていた興味がベクトルを持つ。功名心か、いや違う。見たい、ただ純粋に。
キターブはおもむろに上着を脱ぎ、女神にかけてやる。
「取引は成立だ。女神さま。あんたの腕を見せてみろ」
「必ず」
従魔はライヴスを狙って人を襲うが、稀にそれ以上の目的意識を見せる個体がいるのも事実だ。しかし油断は出来ない。こちらを罠にはめるつもりではないと、誰にも保証できない。
だがそれはこちらも同じだ。搦め手で来るなら利用してやればいい。
「いかんなあ。異世界の化け物なんかと取引しちゃあ」
突如割り込んだ声のほうへキターブが銃を向ける。銃口を向けられていることなど気にも留めず、長い金髪を生やした男がこちらへ歩いてくる。
長躯だが線の細い印象である。しかしキターブが注目したのはそこではない。幽霊のようにたゆたい、男に付き従う様子の女がいる。
十中八九、この男についた英雄だろう。頭蓋骨に砂時計、マンドリンを携えた美女は、自然な目つきでキターブを見下す。
「従魔や愚神を殺すのがH.O.P.E.じゃないのかね」
「その通り。お前のようなヴィランをな」
キターブは遠慮なく引き金を絞る。ある意味、相手がヴィランでよかった。人間なら銃で殺せる可能性がある。
『――メメント・モリ』
女が呟くと、銃弾がその途上で蒸発した。物理現象ではない。魔術、それもライヴスを介したもの。
ヴィランと英雄。それもとびきりの上物だ。
「……まるで寓意画だな」
『ヴァニタス・ヴァニタトゥムよ。よろしく』
「虚無の虚無だと? ふざけた名前を」
「そのふざけた女に殺されるのはどんな気分?」
ヴァニタスと名乗った英雄は頭蓋骨に頬ずりし、艶めかしい手つきでマンドリンを奏でる。
「甚だ御免被るね」
もはやキターブに闘う意思はなかった。英雄と契約した者に拳銃で立ち向かうなど蛮勇では済まされない。
ともかく逃げ回り、時間を稼ぐ。要請した応援が到着するまで。
解説
・目的
キターブの救助。美術品の保護。
・敵
ヴィラン:金髪の長身の男。
英雄:ヴァニタス・ヴァニタトゥム。頭蓋骨と砂時計、マンドリンを携えた女。
・場所
スイス首都ベルンの郊外にある公園。真夜中であるため人気はない。
・状況
キターブは美術品『ミロのヴィーナス』を保護しており、彼と彼の保護する美術品の安全確保が最優先となる。
リプレイ
●ベルンへと
眼下ではスイスの夜景が飛ぶように過ぎていく。低空飛行に入ったティルトローターの窓から、希月(aa5670)は食い入るように外を眺めていた。
「今回の任務はH.O.P.Eのオペレーター様を護ることですね」
『美術品もですぜ、希月様』
ザラディア・エルドガッシュ(aa5670hero001)の言葉に、そうねえと思案気に唸る希月。従魔が憑りついた美術品を保護するオペレーターがヴィランに追われているため、その救出が今回の任務となる。随分と込み入っていそうな状況だが、任務となれば是非はない。
荒木 拓海(aa1049)も少々浮ついた心地でいた。オペレーターのキターブが保護しているという美術品。報告が正確なら驚くべき品だ。
『本当なのかしら。キターブさんが保護してるっていう……』
「本当だったらすごいことだよ!」
メリッサ インガルズ(aa1049hero001)の独り言に思いっきり食いつく拓海。彼女も呆れるように笑ってしまう。
『食い付いたわね』
「だってミロのヴィーナスだよ!? 奪われたり、破壊されたら歴史的損失&HOPEの責任問題!」
『二択なら人命第一、キターブさん優先よ』
「判ってるさ」
リサに諌められても、拓海のテンションは高いままだった。
石井 菊次郎(aa0866)もミロのヴィーナスが気になっていた。とはいえ美術品としての価値よりも、人間と意思の疎通ができるほどの知能を有する従魔としてだ。
「なるほど、意思と知能を持つ従魔ですか」
『……本当にそうかどうかは分からんがな。誰かが操っているやも知れんし、ライブスを誤魔化した愚神とも……』
テミス(aa0866hero001)の言葉に菊次郎も頷く。その可能性も否定はできない。つまりこの瞳に関する何かを知っているかもしれない。サングラスから覗く紫の瞳は、期待に歪んでいた。
「やれやれ、相変わらず危機的な状態だな」
『……ん、ミイラの人に……言われるまでもなく、何時もの事だねぇ』
諦めたように嘆息する麻生 遊夜(aa0452)。同じくユフォアリーヤ(aa0452hero001)もどこか呆れ顔だ。
キターブとは何回か作戦で一緒になっているが、こう言う事以上の大惨事に巻き込まれるのが確定してる気がする。展開が目に見えてるのに止められない止まらない、そんな運命なのかねと麻生は覚悟だけは決めていた。
「ま、その時に出来ることをやる……それ以外ないか」
『……ん、今はただ……仕事の事だけ、考える』
『あらあらキターブさんはまた危ない事に首を突っ込んでいるのですか? 以前死にかけたのに懲りない方ですね?』
言いながら嬉しそうに微笑むエリズバーク・ウェンジェンス(aa5611hero001)。
『ミロのヴィーナスの腕の発見……そんな偉業を成し遂げれば目が飛び出すような報酬頂けますわよね?』
「楽しみですね、母様」
アトルラーゼ・ウェンジェンス(aa5611)も楽しそうにしている。屈託なく笑う彼の頬を優しく撫でる。
『報酬のほうはキターブさんに期待しましょう。俄然やる気が湧いてきましたわ!」
歴史的発見を成し遂げた報酬に口止め料もかしら? などとすっかり報酬を貰える気でいるエリーであった。
「また一人で先行して窮地に陥っているのか、あの男は」
やれやれと言った感じで呟くマルコ・マカーリオ(aa0121hero001)。
「まぁ、キターブさんだからねぇ」
あははと笑いながら返すアンジェリカ・カノーヴァ(aa0121)。とはいえ状況的には笑っていられる余裕は少ない。
「まずはキターブの保護を優先だな」
『でもあの人なら、ヴィーナスの方を優先したがるかも』
犬尉 善戎狼(aa5610)の呟きに、戌本 涙子(aa5610hero001)が返す。確かにキターブならそう言いかねない。本物ならば美術的・考古学的価値は計り知れない。
「ヴィーナスを分捕ろうなんて生意気なヴィランだぜぇ」
火蛾魅 塵(aa5095)が心底楽しそうに呟く。報告によれば銃弾を無効化する魔術を使っているという。隣にいる人造天使壱拾壱号(aa5095hero001)と共にそんなヴィランを相手取り、存分に互いの魔術を競わせる。火蛾魅としては心躍らずにはいられないシチュエーションであった。
●死を思うと願えば
「ったく、楽に仕事させてくれないもんだ」
木の影で拳銃に弾を補充しながら、キターブは隣にいる従魔に毒づく。マガジン一個分を使い果たしたが、一発とて相手には届いていない。
リンカーに通常兵器は通用しないとはいえ、届きもしないで消えるのはどう考えても彼ら魔術――メメント・モリと呟いて発動したものによる効果だ。
「まったく、あんたも何か能力とかないのか」
『知りませんよ、そんなの』
隣にいるミロのヴィーナス――女神像に憑りついた従魔が首を振って答える。落胆した半面、いま従魔としての力を使われるとそれを真っ先に被るのはキターブ自身なわけで、そう文句の言える筋合いでもない。
幹から顔を出して周りを窺う。ヴィランの姿は見えない。こちらを見失ったのか、あるいは――
「どこ見てるんだ。H.O.P.E.の」
言葉の直後、キターブが寄り掛かっていた幹が音を立てて吹き飛んだ。
驚いて振り向けば、ヴィランの男が足を振り抜く形で立っていた。一撃で大木を蹴り折るなど、リンカーという存在の法外さを嫌でも分からせてくる。
「そろそろ諦めてくれないか。普通の人間を相手にするのはなんというかこう……申し訳がない」
「なら君こそ帰った方がいい。そうしてくれれば俺は、白紙の小切手を束で渡してやりたい気分なる」
『命乞いの台詞じゃないわね』
ヴィランの男に絡みつくように揺蕩う女。ヴァニタスと名乗った英雄だ。
「小切手を貰ってからお前をどうにかすれば、なおさらお得だな」
「……そんな悪ぶることないだろうに」
「俺みたいなのをヴィランと呼んでいるのは、あんたらのほうだろう」
ヴィランが一気に踏み込む。思わず身構えたキターブだったが、それで何とかなる威力でないことは脳裏で分かっていた。
つまり死の気配を背筋に強く感じたが、ヴィランの放った回し蹴りが突き刺さったのは、彼の隣にいた従魔のほうだった。
「――え?」
従魔は呻き声すら上げずに森の中を転がっていき、公園の通路に出たところで止まった。大理石とアスファルトのぶつかる固い音がいっそ痛々しく聞こえる。
「あらま、外れちった」
悪びれもせず嘯くヴィラン。外したなどと言える間合いではなかった。確実に彼は今、従魔のほうを狙い打った。
「……お前、まさか」
嫌な考えが頭を過ぎる。てっきり女神像を横取りするのが目的だと思っていたが、ヴィランの思惑は違うのかもしれない。
「お下りなさい、キターブ様ッ!」
咄嗟に投げかけられた希月の叫びに応じてキターブが低く飛ぶ。それに気を取られたヴィランの横っ面に、銃弾と雷電が投げつけられた。
「ともかく敵を引き剥がすぞ、テミス!」
『了解だ』
ラジエルの書を開き、頁の隙間から溢れ出るライヴスを菊次郎が留め、燃え盛る火炎を成す。
魔導銃50AEを取り出して構えるエリー。マガジン内に充填したライヴスを弾丸状に形成し、装填を完了する。
その隣で火蛾魅はトオイとリンクし、腕に黒蠅を雷雲の如く集らせ、そこに黒い雷電を這わせる。五月蠅為す雷槍が解き放たれる瞬間を待つように蠢動している。
「……ブチ抜きなぁ! 《魔蠅槍》ッ!」
火蛾魅の放ったサンダーランスに合わせて、菊次郎もブルームフレアを炸裂させた。その間を縫うように魔導銃の弾丸がヴィランへと殺到する。
ヴィランのいた場所が爆炎に包まれ、周辺の木々や地面が吹き飛ばされる。しかし砂煙が納まったあとには、魔術の影響など微塵も見られないヴィランの姿があった。
「素晴らしい。自身から二メートルほどの範囲で銃弾も炎熱を遮断している。つまりはその範囲の攻撃を殺している、と――」
『メメント・モリ……自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな、ですか。ヴィランという人間のクズの英雄の分際で、随分と偉そうな事を言うのですね。とはいえ、それなりに魔導に通じているらしい』
エリーが意味深に微笑む。魔導銃の弾丸もまるで届いた様子はない。火炎も雷電も弾丸も区別なく無効化する効果は確かに凄まじい。
『殺すという概念であらゆる攻撃を拒む。魔術師らしい我儘な術ですね。しかし――』
「んな便利な技なんてそうそうありゃしねえ。どっかに穴ぁあるもんだ」
エリーの言葉を火蛾魅が繋ぐ。魔術とて万能ではない。高い性能の裏にはどこかに綻びが存在する。
「そうだな。色々試してみよう」
麻生は頷くと、構えていた17式20ミリ自動小銃をしまってフラッシュバンを取り出す。
「さぁて、いまさらながら開戦の狼煙と行こうか!」
『……ん、派手にいく……眩しいから、気を付けて……ね?』
投げ込まれたフラッシュバンがヴィランの至近で炸裂する。閃光が夜の公園を一瞬照らし、そこへ犬尉と拓海、アンジェリカが走り込んだ。
遠距離攻撃に甲斐がないなら、近距離攻撃に切り替えればいい。
「でりゃあ!」
アンジェリカが大剣グランドールを振り下ろす。しかしヴィランはそれを回避した。どうやら手をかざして閃光が目に直撃するのを避けたらしい。だが目線はまだ定まっていない。
斬撃を避けられたアンジェリカだったが、彼女はそこから大剣を軸にしてぐるりと回り、器用に後ろ蹴りをかます。
その踵が、ヴィランの右膝で見事に受けられる。その頃にはヴィランの目線はアンジェリカと、横合いから突進してくる拓海を捉えていた。
「せいっ!」
腰溜めに構えたダーインスレイブを真っ直ぐに放つ。だが事前に捉えていたヴィランは器用に足を入れ替え、回し蹴りをダーインスレイブの横腹に叩きこんで無理やりずらした。
蹴りの勢いを殺さずそのまま倒れ込むように側転して逃げるヴィラン。さらに追って大剣を振り下ろす拓海。翻る切先が髑髏を狙い打つ。
『ッ!?』
咄嗟にヴァニタスが髑髏を抱え、その肩口をダーインスレイブの切先が抉った。無理をして守りにいったということは、やはりその髑髏が魔術の発動に関係しているらしい。
血を噴いて下るヴィランと英雄。しかしその方向は、既に犬尉が押さえていた。
リヴァールB2から風魔の小太刀に持ち替えた犬尉が、後方から一気に間合いを潰しに掛かる。
「シィッ」
鋭い呼気と共に振り抜かれる小太刀。それを受け止めたのは、蛇のようにうねって顔面の横まで昇ってきた靴裏だった。
運動する刃を足の裏で防ぐ。その柔軟性と反射神経に驚きはしたが、そのようなことはおくびにも出さない。犬尉は小太刀を戻さず空いた左手でヴィランの腰を抱えにいく。
その動きに反応してヴィランが残った右足で飛び膝をかます。犬尉の脇下を痛撃しながら小太刀を押さえた左足を押し込んで離れていった。
逃がさんとばかりに低く飛び込んでいく犬尉。しかし間合いを整えたヴィランはその顔面に下段横蹴りを繰り出す。犬尉が仰け反って開始するが、蹴り足は戻らずそのまま上段踵蹴り、さらに腹を狙う中段前蹴りへと流麗に繋がっていく。
突進を止められた犬尉が反撃に振り抜いた小太刀を、ヴィランの男は上体を反らしてやり過ごしながら交換とばかりに犬尉の膝に横蹴りを食らわせていた。
「んぐっ!」
一瞬、膝が砕けたかと思うほどの衝撃が走り、犬尉の脚が止まった。小太刀が防がれた時点で分かっていたが、ヴィランの靴は明らかに金属製だ。それをリンカーの脚力で振るわれれば無事では済まない。
それに驚くほど体が効く。剣の間合いに負けない長い蹴り。元々の重心を後ろに置く防御に優れた構え。そして多彩で素早い足技。犬尉にはそれらの特徴に覚えがあった。
「あんた、フランス人か?」
「……頷くと思ってるのか、それ」
ヴィランが薄く笑う。犬尉も答えを期待して訊ねたのではない。彼の中で凡その答えは出ていた。
「……サバットだな。その技」
フランスを起源とする足技を主体とした護身術であるサバットは、フランス外国人部隊などで活躍する傭兵にも使い手が多い。その最大の特徴は靴の着用を前提とした技術体系であるということだ。靴の重さ長さを存分に活かす技は、現代の社会でも大いに力を発揮する。
遠距離攻撃はメメント・モリという魔術で防ぎ、近接すればヴィラン自身の武術――サバットで迎撃する。
よくできた戦法だ。しかし崩せないわけではない。実際、メメント・モリは近接攻撃に対して発動した形跡はない。
『ほう? こんな所で君のような美女に出会えるとは思わなかった。よかったら今度一杯どうかね……』
『あら、こんな鉄火場でお誘いなんて洒落てるのね』
「まったく、何言ってんのこのエロ坊主!」
マルコがヴァニタスを見て砕けた調子で話しかける。その間に拓海はつつっと犬尉のほうへ駆け寄った。
「犬尉さん、今のうちに……」
拓海が指差したほうには、攻撃の余波だけで気絶してしまったキターブが転がっていた。さらにその奥には保護対象である女神像が倒れている。
「僕は従魔のほうを。犬尉さんはキターブさんをお願いします」
「よし、わかった」
素早く頷き合い、二人は行動を開始した。犬尉はだらりと寝そべるキターブを肩に担ぎ、拓海は女神像に駆け寄る。
「う、うあ……」
まるで人間のように呻く女神像を見て、思わず拓海は見惚れてしまう。
「……長身美人だ」
『拓海。考え漏れてる』
「おっと失礼! 従魔でも意思があるなら是非に話をしてみたいね」
女神像を抱えると、拓海は犬尉と一緒に現場を離れる。とりあえずオペレーターと美術品は確保。あとは脅威を排除すれば任務は完了する。
救助者二人を抱える犬尉と拓海をカバーするように希月が後ろにつく。二人の護衛が必要であるのもさることながら、女神像に憑りついている従魔が万が一逃げたり、暴れるようなことがないよう見張る意味もある。
『ま、能力者じゃねぇキターブの旦那じゃ従魔を抑えるのは難しそうだし、希月様が見張るのはしょうがねぇと諦めてくれ』
『ええ、まあ。理解している、つもりです』
女神像がゆっくりと頷く。知性があるというか、十分に理性的だ。これならば協力関係の構築はそう難しくないかもしれない。
「ところで、何で腕を求めるの?」
「分かりません。ただ、欲しいとだけ」
ライヴスを求めて暴れる以上の強烈な目的意識。それが間接的に彼女に知性を与えているのだろう。それが満たされる限りにおいて、彼女は協力してくれるはずだ。
●どこへ行くのかと問う
肩口の傷を押さえるヴァニタスを見て、痛ましげに眉を顰めるヴィラン。
「もうメメント・モリが通用しないのか。さすがはH.O.P.E.のリンカーだな」
『……そもそも死を操る技なんて傲慢過ぎますわ。私だって……よく分かっていますよ』
どこか悲し気に呟くエリー。しかし次の瞬間には喜悦に口元を歪ませていた。
『カルペ・ディエム、楽しみましょう。今この瞬間の殺し合いをね』
「まだやるというのか。好きだね、あんたら」
『いいじゃない、アレグ。この人たち、まだ踊り足りないのよ』
ヴァニタスが髑髏をしまい、新たに砂時計を取り出す。それをからからと振るい、ライヴスの光を優しく込める。
『飽くまで踊れ――クォ・ヴァデス』
シェイクされた砂時計の砂が、下に落ちず瓶の中を方々に散っていく。一見して何も起きてはいない。だが、新たな魔術を発動させているのは明らかだ。
アレグと呼ばれたヴィランは完全に逃げの体勢だ。恐らくメメント・モリと同じく防御や妨害を目的とした術なのだろう。
「だったらどうしたよぉ!」
いつのまに移動したのか、後ろから近づいた火蛾魅がヴィランの頭を掴もうと手を伸ばす。それに合わせてアンジェリカが胴体を薙ぐようにグランドールを振るう。
ヴィランはまだ動こうとしない。前後からの挟み撃ち。絶妙のタイミング。
「ガハッ!?」
しかしそれらが功を奏することはなかった。火蛾魅の手は地面を掴み、グランドールの切先は火蛾魅の背中に打ちつけられていた。
「え!? あれ? ご、ごめん、火蛾魅さん!」
「俺のこたぁいい! こいつを逃がしちゃならねえッ」
まさかアンジェリカがわざと同士討ちをするはずがない。ならばこれは敵の魔術。それは火蛾魅も了解している。だからこそ脅威と判断したのだ。
火蛾魅が至近でリーサルダークを振るう。アンジェリカの大剣が素早く振るわれる。しかしそれらはまるで目標を見失ったように空を切る。一番驚いているのは当の本人たちだった。
遠目で見ていた麻生や菊次郎、エリーには瞭然だった。攻撃の直前、各々が見当違いのほうを向いてしまっている。どうやらそれがヴィランの新たなる魔術らしい。
火蛾魅とアンジェリカが諦めずに仕掛けるが届いていない。惜しいところを掠めることは何度かあったが、ヴィランがただ後ろに下がることすら止め得ない。
「さっきのメメント・モリもそうだが、不可思議な術だな」
『恐らく妨害に特化しているのでしょうね。ですがこのクォ・ヴァデスとやらもメメント・モリと同様――』
「ああ。無論、万能であるはずがない」
菊次郎はおもむろにラジエルの書を再び取り出す。同じようなことを麻生も考えていたらしく、幻想蝶からアンチマテリアルライフルを取り出し、二脚を地面に打ちつけるように展開する。
エリーも自身の周囲にライヴスによる領域を展開し、手の持つ魔導銃50AEを複製する。
それを見たアンジェリカと火蛾魅が一飛びに下がる。それが合図となった。
「サンダーランスッ!」
菊次郎が雷電の槍を放ち、アンチマテリアルライフルが火を噴く。多重召喚された魔導銃50AEが薙ぎ払うように銃口炎を吐く。
さらに一拍遅れた形で火蛾魅とアンジェリカがライヴスを振るう。
「烈風波!」
「魔蠅槍ッ!」
雷槍と弾丸、剣風と黒雷がヴィランへ吸い込まれていき――全てが、見当違いに飛んでいった。
アンチマテリアルライフルは遠く公園の端にあるビルの窓に命中し、サンダーランスは菊次郎たちの真横に命中した。烈風波はアンジェリカと行き違うように地面を抉り、黒雷は麻生と菊次郎の目の前に着弾した。
軌道を曲げられた魔導銃の弾丸がキターブたちに殺到する。殿を勤めていた希月が踵を返し、幻想蝶から愚者の大剣と魔剣『トライゾン』を抜き払う。
「せやっ!」
盾のように掲げた二振りの剣を矢鱈滅法に振るう。愚者の大剣が持つ波打つ刀身が弾丸を逸らし、魔剣『トライゾンの』黒い剣風がライヴスごと押し潰すように弾丸を消し去る。
けたたましい鉦音が止むと、希月は安心したように大きく息を吐いた。
「お怪我はありませんか、皆さん」
「大事ない。ありがとう」
「大丈夫ですよ。それにしても派手な流れ弾でしたね」
拓海の言葉に犬尉は頷く。果たして単に狙いが損じただけなのか、それとも敵の能力か何かか、彼らには判然としなかった。
やがてヴィランのいた場所を覆っていた砂埃が消えると、そこにヴィランの姿はなかった。どうやら一斉攻撃の爆発に紛れて脱出したらしい。
「一目散って感じだな。潔い野郎だぜぇ」
「火蛾魅さん、大丈夫ですか。思いっきり当てちゃいましたけど……」
アンジェリカが心配そうに近づくが、火蛾魅は軽く手を振るった。
「ま、こんくらい大したこたぁねえさ」
事も無げに言ってのける火蛾魅。痛む背中を、どこか楽しそうに撫でつけている。
「魔術はどれも地味な妨害系。攻撃は殆ど格闘だけ。どうせ残ってるマンドリン? だったか。あれもそんな感じのもんだろうよぉ」
「そうだといいのですけどね」
エリーが意味深に返す。概ね火蛾魅と同じ意見ではあったが、どうにもそれだけとは思えなかった。
クォ・ヴァデスが行なわれた後、攻撃は尽く外れていた。遠距離も近距離も関係ない効果はメメント・モリより高性能とも思える。
ならば何故最初から使わなかったのか。なにより攻撃してこなかった理由はなにか。
「あの手の輩はどうせまた来る。全部録画してあるから、分析の足しになるだろう」
肩につけていたハンディカメラを手に取る麻生。ヴィランの戦いは映像に残っている。これを使えば、少しは彼の不可解な魔術が解析できるだろう。
●女神を助けた後
「おいキターブぅ、生きてっか?」
「……あ、おお。まあな」
気絶から回復したばかりのキターブが胡乱気に応じる。ヴィランの退散を確認し、ともかく任務は完了したので皆は一旦合流していた。
「テメー金の匂いのする話で何でハナから俺ちゃん誘わねぇ。あとで覚えてろよナァ~」
「ああ? んなことしたら分け前が減るだろうが」
「クハッ! 違いねえや。だがもう噛んじまったんだ。抜け駆けはなしだぜぇ」
「ミロのヴィーナスの腕は、本物が存在すれば価格は数千億を超える」
犬尉が落ち着いた調子で話す。ミロのヴィーナスの腕。本当に存在するならば価値などつけられないかもしれない。
「あれは腕が無いからこその名作だが、腕は腕でまた需要がある。不完全性もまた魅力だが、考古学的価値はとんでもないことになるだろうな」
「ま、教科書は書き換えられるだろうな」
「……HOPEを介さずとも、請け負ってもいいぞ。ピンはねを受けないしな」
「ありがたい。是非頼むよ」
素直に言うキターブ。味方は多いほうがいいし、そのくらいの報酬はポケットマネーで用意できる。
「んで? 目星くらいは付いてんだろーなぁ?」
『何のです?』
「てめぇの腕に決まってんだろうが」
『さあ?』
屈託なく首を傾げる女神像。そんな仕草の一つ一つが様にはなっているが、それだけに心許ない。
「おいおいキターブ。これでホントに大丈夫なのかよ」
「それはこっちで何とかする。とりあえず見つかるまで候補地巡りの旅だな」
キターブの言葉に、麻生は露骨に嫌そうな顔をする。
「……ちょっと待て。ということは、この従魔を連れて練り歩くのか」
「ヘパイストスってほど俺も不細工じゃないからなあ。キューピッドってことにしとくか」
どこまで本気か分からない口調に、皆呆れるしかなかった。
「ボク、時々実はキターブさんてマゾなんじゃないかって思う時があるよ」
『とにかく! この先、同行なら服を着ましょう。女性がその格好は無しよ』
リサが手を叩いて注目を集める。相談も結構だが女神像は殆ど裸の姿で放置されており、このままでは話が進まない。
『流石モデル級、格好良いわ~拓海、払いはお願いね』
「ちょっ! キターブさん……経費で落ちたりしない?」
「俺っ!? ……必要経費ってことで申請しとくか」
無駄遣いするなよと言ってキャッシュカードを投げ渡す。服装に化粧道具、その他旅行に必要そうなものを買ってきてくれとリサたちに頼んだ。
その間にキターブはスマホを取り出した。事の経緯をスポンサーであるレイネス教授に伝えておかねばならない。とはいえ答えは分かっている。ヴィーナスの腕という価値は、誰であれ無視することは出来ない。