本部

【幻灯】胡蝶の夢

電気石八生

形態
シリーズEX(続編)
難易度
普通
オプション
参加費
1,800
参加制限
-
参加人数
能力者
10人 / 4~10人
英雄
10人 / 0~10人
報酬
普通
相談期間
6日
完成日
2017/07/25 15:02

掲示板

オープニング

●別離
 人工呼吸器、バルーンパンピング、血液透析器――意志の宿らぬ命を肉に繋ぐための機械が、彼を今日まで生かしてきた。
 いや、生かされてきただけなのだ。
 置いて行かれたくない。ただそれだけを願った自分の我が儘のせいで。
「もういいから……もう、眠っていいから」
 震える指でひとつひとつ、機器のスイッチを切った。
 その度に少しずつ彼が死んでいくのを確かめながら――それによって自分の心が少しずつ壊れていくことこそが償いなのだと、そう信じて。
 この日、H.O.P.E.東京海上支部の所属エージェントだった伊藤哲は、契約英雄ジュリア・イトウの手で殺された。
 しかし彼女の罪を問う者はなかった。だから。
 彼女は自らを幻想蝶に封じたのだ。
 哲の残したライヴスがその体から消え失せる日まで。

●H.O.P.E.東京海上支部・ブランコ岬対策本部
 対策本部では、ニューヨーク本部及びジョアンペソア本部と同時中継を繋いでの会議が行われていた。
「……以上、エージェントのしかけてくれた観測機器からのデータを検証した結果、鏡面体が一種のドロップゾーンであることは確定した」
 本部長が取りまとめた言葉をニューヨークの幹部が継いで。
『ゾーンルールは内に引き込んだ者の心象世界を再現すること。まちがいはないね、Ms.礼元堂』
「はい。報告では、鏡面体の内側で自分の過去――命の危機に際した場面を再現されたとのことです。そして過去のその場面にいなかったはずの女の姿を見、声を聞いたと」
 礼元堂深澪(az0016)の返答に一同はうなずき、資料に目を落とした。
「褐色の肌をした女。ゾーンルーラーか」
 うそぶく本部長へジョアンペソア支部長が。
『現在この女についての調査を行っております。東京海上支部には引き続き鏡面体の調査をお願いしたく』
 幹部は画面の向こうで眉をひそめたが、言い返さず。
『東京海上支部はどうだろう? 継続調査は実施できるかね?』
「やりますよ。古傷引っかかれて逃げ出すような奴、ウチにゃ一匹だっていませんぜ」
 本性をちらりと剝き出した本部長に、深澪はひと言。
「押忍」

●引きこもりのおしるこ姫
「ってぇ~。あそこにもっかい行け? 言いづらすぎだぜぇ~」
 深澪はため息をつき、事務机の隅のドール用座布団に据えられたファンシーシェイプカットのアクアマリン――銀鎖につながれたペンダントトップを見た。
 対策本部が立ち上げられると同時に本部長から託されたそれは、ジョアンペソア支部長からの要望でもあったらしい。あの人もなんか企んでるよねぇ。
「元気ですかぁ~」
 とりあえず声をかけてみると、コン。小さな音がしてアクアマリンが揺れる。
「中にいたらわかんないと思うけど、外はあっついよぉ」
 そのアクアマリンは幻想蝶。内には、ひと月以上も引きこもったきりの女性英雄がいる。
「ちょっと出てきてみたりしない? ボク、下の自販機でなにか買ってきちゃうよぉ」
『……おしるこは嫌い』
 幻想蝶から漏れ出した細いメゾソプラノ。頑なに契約主殺しの罪で自らを縛り続けるジュリア・イトウの声だ。
「おしるこ?」
 首を傾げる深澪だったが、思い出した。託されたときに本部長から聞いた話。
 ジュリアのパートナーだった伊藤哲は、缶ジュースの自販機のどのボタンを押しても缶おしるこを出す奇特な才能の持ち主だった。おかげでふたりは、冬はあたたかいおしるこを、それ以外の季節は冷たいおしるこを、実に渋い顔ですすっていたという。
 が、とにかく。
「いっしょに行こうよ! ボクのゴールデンフィンガーでオレンジジュースとか出しちゃうよぉ!」
 これまでまったく反応しなかったジュリアが返事をした。もしかすれば彼女の心の傷が癒え始めているのかも。深澪は願いを込めて立ち上がったが。
『あそこに行きたい』
 あそこ? ロビー? ちがう。自販機へ行くなら「うん」と言えばいいだけだ。
「……あそこって、どこ?」
『ブランコ岬』
「ブラジルの?」
 コン。幻想蝶がまた揺れた。これは肯定。
 ブランコ岬は例の鏡面体の出現場所であり、3年前、海から攻め寄せた愚神と従魔群を相手に100人のエージェントが死闘を繰り広げた『ブランコ岬防衛戦』の舞台でもある。
 哲が3年近くの昏睡状態を経て死亡する原因となった、あの防衛戦の……。
『黒い鏡が見たいの』
「え、なんでそんな情報知ってるのぉ!? って、だめだってば! 中に愚神がいるんだからね!?」
 英雄はライヴスリンカーと契約することで超常の力を発揮する。しかし、契約者が残したライヴスを消費して存在を保っているばかりのジュリアには、愚神どころか従魔と対する力さえないのだ。
 いや、それよりも。鏡面体をのぞきこんだ者は、否応なく過去の危機的状況へと引きずり込まれる。ジュリアはしているはずだ。なのにそこへ行きたいということは、つまり。
 もしかしてジュリアちゃん、最期を思い出の中で――とか、考えてない?
 言いかけた言葉を飲み下し、深澪は「うあ~」とうめいた。
 正直、ジュリアを鏡面体に近づけたくない。
 しかし、どんな理由であれ、彼女は外に出ようとしている。もしかしたら、これが彼女を苛み続ける過去を打ち払う唯一の機会になるかもしれない。エージェントがそれをしてみせたように。
『ジョアンペソア支部に連絡して。早く』
 ジュリアが深澪を急かす。
 悩む時間すら与えられず、深澪は「あ~も~!」とぐるぐるしながら内線1番をコールした。
『どこに電話してるの? ブラジルじゃないでしょ』
「上に許可取る! 報告・連絡・相談はサラリーマンの基本だから!」

●祈り
「ウチの支部でブランコ岬の鏡面体調査、続行することが決定しましたごめんなさい!」
 わーっと手を叩いて頭を下げた深澪ががばーっと顔を上げ。
「で。もひとつごめんなさいなんだけど。ボクといっしょにこの子、いっしょに連れてって」
 深澪が両掌に乗せたアクアマリンを示した。
「英雄のジュリアちゃん」
 ここで深澪はアクアマリンを両手でぎゅうっと包み込み、音が中に聞こえないよう細工をして。
「いろいろあるってことで説明不可なのごめんなさい! 缶ジュースおごるからその、ひとつ……ごめんなさい」
 ずずいとブリーフィングルームの卓上へ深澪が押し出したのは、人数分のつめた~い缶おしるこだった。
「今回もやばい過去に引きずり込まれるのは絶対だと思う。ボクは近くでオペレートするけど、多分通信は繋がんない。ごめんなさいばっかりでごめんなさいだけど、とにかく絶対帰ってきて。できればいっこでもゾーンルーラーの情報、増やしてきて」
 幻想蝶を首にかけ、深澪がぐっと拳を突き出した。
「行こう!」

解説

●依頼
 ブランコ岬の鏡面体(ドロップゾーン)を調査してください。

●ジュリア・イトウ(14歳/ソフィスビショップ)
・表情豊かで元気な少女でしたが、今は無表情で頑なです。
・あなたはジュリアや哲と「知り合い」であることも「見知らぬ同僚」であることもできます(知り合いの場合は関係や過去エピソードを自由に設定可)。
・哲との誓約は「楽しく生きる」。

●黒い鏡面体
・日曜日の22時、灯台のライトの表面がドロップゾーン化します。

●鏡に映る情景
・今回は「英雄がもっとも忘れがたい、あたたかな/哀しい情景」が映し出されます。どんな過去が見えるかを指定してください(本当の過去ではない、英雄の心が作りだした嘘の情景でも大丈夫)。
・情景(人物等)は英雄を内に引き留めようとします。この甘い罠をなんとか振り切ってください。
・共鳴はできません。よってAGWやスキルは使用不能。
・能力者は英雄の近くに幽霊的な存在となって存在します。が、その声が届くかどうか、定かではありません。
・状況をクリアすると現実世界へ戻ります。
・情景内ではすべての通信手段が使用不能。

●女
・どのような情景を指定しても、かならずその中に褐色の肌の女が登場します。
・女はあなたの情景に登場する人物に成り代わることもありますし、そのままの姿で唐突に割り込んでくることもあります(女がなにになるかは指定どおりに行かないものと考えてください)。
・会話は自由。
・攻撃に関しては、無手攻撃のほか、情景の中にある物品での攻撃およびトラップ等を仕様できます。

●備考
・ここで見た情景は、英雄と能力者、共に記憶しておくことはできません。記憶できるのは“女”のことだけです。
・過去の情景で他の能力者・英雄とからむことは不可能。
・心情メインでのプレイングをいただけましたら倖いです。
・情景内で受けたダメージは現実世界に戻れば全回復します。

リプレイ

●香り
 とある日曜日、21時30分のブランコ岬。
『今夜、黒髪のジーヤちゃんにまた会えるかしらぁ?』
 先日セットしたままになっていた観測機器の確認とバッテリー交換を行うGーYA(aa2289)の内、まほらま(aa2289hero001)が横目でじっとり。
「ちゃん呼びするなよ!」
 GーYAの抗議に、まほらまは含みのある笑みを返すだけだ。
『またあのドロップゾーン……今回はなにが出るのかしら?』
 灯台の根元から上まで、ジョアンペソア支部の面々が通してくれたワイヤー式エレベーターに車椅子を固定したレイラ クロスロード(aa4236)に、内よりN.N.(aa4236hero002)が問いかける。
「なにが出ても大丈夫だよ。ふたりなら、なにがあっても乗り越えられるから」
 レイラを支えるベルトを確かめていたシェオル・アディシェス(aa4057)が星空を仰ぎ。
「主の御手が、かならずあなたがたをお導きくださるでしょう」
『己を救いたくば己にすがれ。手を伸べる力があるうちに』
 シェオルの内で乾いた声音を響かせたのはゲヘナ(aa4057hero001)。
 一方、礼元堂深澪(az0016)の胸元に光るアクアマリンへ不知火あけび(aa4519hero001)が声をかける。
『ジュリア、はじめまして! 私があけびで、今見えてるのが仙寿様だよ!』
 アクアマリンからの応えはない。それを見やり、日暮仙寿(aa4519)は小さく息をついた。
 楽しく生きるって、誓約する前は楽しくなかったのか? だとしたら――
「日暮殿。考え事は戻った後に。疑問は思わぬところで顔を出し、手を鈍らせることがあるゆえに」
 これはソーニャ・デグチャレフ(aa4829)の声。60センチという幼女さながらの身の丈しかない彼女だが、今はラストシルバーバタリオン(aa4829hero002)との共鳴により、250センチの人型戦車と化している。
 加賀谷 亮馬(aa0026)と並ぶ加賀谷 ゆら(aa0651)。その手が夫の手を取り、指に指を絡めて。
「乗り越えて、還る。それだけのことだ」
「ああ。でも無理すんなよ。中に入っちまったら助けに行けねぇ」
『助けに来てもらえぬ、のまちがいであろう』
 亮馬の内でEbony Knightaa(0026hero001)であきれた言葉を発し。
『そういうことだな』
 ゆらの内のシド(aa0651hero001)もまたうなずいた。
「今回はちょっとだけでも反撃したいよね」
 同じ【戦狼】小隊の同僚である加賀谷夫妻から淑女のたしなみとして目を逸らしつつ、志賀谷 京子(aa0150)は内のアリッサ ラウティオラ(aa0150hero001)へ語りかけた。
『ゾーンルーラーの正体に繋がる糸口くらいは掴みたいところですが……』
『さて、此度は鬼が出るか蛇が出るか。楽しみじゃなぁ』
 橘 由香里(aa1855)の内より飯綱比売命(aa1855hero001)がのんびりと言った。
「なに言ってるのよ。あのドロップゾーンは――」
 由香里は発しかけた言葉を切ったた。
 あの夜に見た“あのとき”をここで語る気にはなれなかったから。
「もうすぐだね」
 灯台を見上げてつぶやくハーメル(aa0958)。
『力は抜いておけ。肚が決まってさえいれば、それでいい』
 墓守(aa0958hero001)が淡々と語り、沈黙。
 と。
「みんな、そろそろ上に移動するよぉ! ボクは吸い込まれないようにちょっとだけ離れとくけど、すぐ近くにいるからね!」
 深澪の合図で、一同が移動を開始する。

 かくて22時。灯台のライトの表面を鏡面体が覆い。
 やさしい、あるいは哀しい黒の内に、エージェントたちは引き込まれていった。

●墓守
 守る。
 ただそれだけのために武器を取り、命を投げ出し、生きているその時間のすべてをもって、戦い続けた。
 贖いはいらない。慰めも安らぎも求めはしない。
 振り向けばそこにいる、ただひとりの親友……その笑みがあればそれでよかった。
「わたしの刃は、きみを救えているか?」
 彼女の問いに親友はうなずき、褐色の頬に笑みを湛えて応える。
「もちろん。でも、今はそれを問うべきときじゃないわ。敵はすぐそこまで迫ってるんだから」
 彼女は彼女と親友へ殺到する“世界”へと駆けた。一閃して駆け抜け、跳び込んで突き立て、転がって離れて、滑り込んで断ち斬る。刃が折れれば敵の刃を奪い、刃が尽きれば石でも木切れでも使い、敵を殺し続けた。
“世界”は消去されるべき身でありながら一向に消えることなく、逆に自らを侵し続ける彼女と親友への怒りと恨みとを募らせ、さらに多数の手を伸べて追い詰めにかかる。
 彼女は悟らずにいられない。
 もうすぐ自分たちは“世界”に殺され、存在した証のことごとくを消し去られるのだと。

 夜闇を押し返す小さな炎。
 そこにかけたコッヘルの内で、湯がふつふつと沸き立っている。
「緊圧茶(圧縮成形した塊状の茶)しかないけどいい?」
 彼女がうなずくと、親友は丸く固めた茶をコッヘルへ投げ入れた。次第に解けていく茶葉を見やり、親友は眉根をひそめ。
「ここももう、“世界”の監視下よ。夜の内に影へ紛れたいところね」
「ああ」
 土臭い茶をすすり、彼女は目線を闇へと向けた。
 先の見えない、黒。
 しかし逆に考えれば、“世界”の光届かぬアルカディアか。
「ずっと」
 親友が言葉を切った。
 言われずともわかる。なぜなら彼女も同じことを考えていたから。
 ずっとこのまま、ふたりで行けたら――
 彼女はその思いを胸の奥へ押し込み、淡々と言葉を紡ぐ。
「ここからどこへ行くか」
「どこでも同じだわ。なら、足が続く限り行ってみるのも悪くないんじゃない? たとえばそうね、東の島にでも」
 褐色の肌に炎の赤を映す親友。
 あいかわらず美しい女だ――褐色? 女?
 ――はかもりさーん! はーかーもーりーさーんっ!!
 ハカモリ? 誰だそれは?
 彼女は頭を振り、どこからか聞こえる音を追い出した。世界に追い詰められている緊張が、ついに幻聴を生み出したらしい。
「話は決まったわね。急ぎましょう」
 親友が立ち上がり、彼女を急かす。
「そうだな」
 踏み出しかけた、彼女の足。
 それがやけに重くて……まるでなにかにしがみつかれているかのように……
 ――はかもりさん! 僕ここにいるんだけどはかもりさーん! ってか逃げんなーっ!!
 逃、げる?
 彼女の足が止まった。
 なぜわたしが逃げなければならない?
 わたしは逃げることなく戦ってきた。わたしは、親友とふたりきりで、“世界”を相手取って戦い抜いた。友が死した後も――
 親友が彼女へ手を伸べる。
 親友だと信じていたものが。親友のような顔をして。親友めいたしぐさで。彼女を闇へと誘う。
 そういう、ことか。
 彼女は足にすがりつく重さを無慈悲に蹴り離し、刃を抜き放った。
「どうしたの? “世界”はすぐそこまで迫ってるのに。早く逃げなきゃ」
「わたしは戦う。これまでと同じように。これからも同じように」
 戦い抜くと友に誓った。
 戦い抜くと友の墓に誓った。
 その誓いを自らに封じ、“世界”から守るため、仮面をつけた。
 今一度誓う。きみが死してなお残した約束を守るために戦うと。
 彼女はここに、一人の為の英雄たる「墓守」の名を取り戻した。
「これがあなたのFilme」
 褐色の女が肩をすくめてつぶやくと、闇のそこかしこから“世界”が押し寄せた。
 ――墓守さん! なにこれなに!?
「“世界”を模した幻影だ。気が散る、騒ぐな。反省会を延長するぞ」
 墓守は“世界”を置き去り、褐色の女に刃を繰り出した。
「……わたしは友を守る。その意志を、遺志を、刃をもって」
 裂かれた女がかき消え、“世界”もまた崩れ落ちて、墓守は闇へ落ちていく。
「墓守さん落ちてる! 落ちてるんだけど!」
「怖いか?」
「怖い!」
「わたしは――」
 怖くない。きみがいるから、な。

●ゲヘナ
 闇。
 どれほど目線を巡らせようとそればかりが満ちる黒の内、ただひとつ玉座が見えた。
 なにも見ず、なにを識ることもないはずの彼は、それが自らの座であることを知っていた。
『初なる死者よ。汝、其の死の咎をもって死の国を治むるべし』
 死とは咎か。ならば咎を赦されるまで、務めねばなるまい。
 たとえ死を忌み、自ら触れることを拒んだ神とやらに押しつけられた咎であろうとも。

 座して後。
 彼の前にひとつの魂が引き出された。
 彼は魂の功と咎を計り、定めた。天へ上げるか、獄へ落とすかを。
 以来、彼は引き出されし魂の裁定を繰り返すことになる。厳粛に、淡々と、ひたむきに。
 しかし、どれほど繰り返そうと彼の咎は赦されず、ゆえに彼はまた繰り返すよりなかった。
 ――かつて我は何者であったのか? なにゆえにこれほどの咎を負った? そして我は、いつ赦される?
 答える者はない。ゆえに彼は闇のただ中に座し、自問と裁定を繰り返す。

 かくてどれほどの時が流れたものか。
 いつものように彼の前に魂が引き出されたが……
「魂の色がちがう。汝、何処より迷い込んできた?」
 彼が裁くべきものとは色の異なる、獣と人の色が交わる魂。
「わかりません。ただ逃げたいと、そればかりを念じて――ここに」
 彼はしばし思いに沈む。
 これ以上、どこから逃げてきたのかを問うても意味はあるまい。そして。どのような理由をもってここに来たのだとしても、自分の前にある魂が受けるべきは裁定であろう。
 この場においてそれ以外を選ぶことなどできようはずがないのだ。王たる自分ですら、選ぶことなど許されなかったのだから。
 彼は魂に問う。
「聞こう。汝の魂を曇らせる咎はなにか?」
「我が子を、捨てました――どうしてあんなことをしてしまったのか――私は」
「嘆いたとて咎は消えぬ。贖えぬまま汝は死し、この場へ引き出された。あとは命じられるまま天へ昇るか、獄へ落ちるかよ」
「お待ちください! この身は獄へ参りましょう――その前に、せめてあの子の末を、ひと目だけでも」
「死した後に悔いたとて遅い。死者は生者とまみえることかなわぬもの」
 と。彼は思い知る。
 死者に咎を贖う術はないのだ。
 死者は生者になにものをも及ぼすことはできない。……生きていたころの自分にも、なにひとつ。
 我は永にこの場へ縛られた、贖えぬ咎を負わされたまま、裁き続けるばかり。
「王は裁きの座に据えられたまま、魂を左右するばかり。永遠に、その座からは逃れられますまい」
 魂がささやく。それは呪いであり、ただの事実であった。
 ああ。我に赦しは与えられぬ。永遠に。永遠に。永遠に。
 絶望の中、彼は魂へ骨の指で掴みかかった。
「我が意をもって汝を天へ押し上げてやろう! 代わり、汝が娘の魂を我に捧げ、この永の無聊に贖え!」
 魂は嘲笑を浮かべて彼の指をすり抜ける。
「救われぬご自身が救われた気になるため、我が子を差し出せと? 私は獄に参りますと申しました。王は救われることも贖うこともなく、闇の内にてお過ごしくださいませ」
 魂が獄へ落ちていく。
 贖うことすらも許されぬ彼を置いて、贖いの場へ向けて、行く。
「あ、あああ」
 彼は闇の内に骨の足をさまよわせ、骨の指でもがき、骨の喉を震わせた。しかし。どこへ向こうと、どこまで行こうと、その背後には変わらず玉座が在る。
 我は――我は――
 神がいるのだろう天の座を振り仰いだ彼が見たものは。
 獣の血を持つ少女。
 どれほど穢れてもなお聖性を失うことなく輝く、光。
 少女は一心に祈り続けている。天にまします我らの父よ、すべてをお赦しください。すべてをお救いください。
 ちがう。神は赦さぬ。神は救わぬ。あれほどの責め苦を負って、なぜそれを思い知らぬのだ!?
 少女があの魂の残した咎なのか……いや、そんなことはどうでもよかった。彼は骨なる手を掲げ、声の限りに叫んだ。
「裁定者なる我は、汝なる咎を救わん! 咎なる汝は、我なる裁定者を赦せ! 手を伸べよ――初なる死に縛られし我を、汝がもとへ!」
 闇の内に、小さな声音がよぎる。
「これがあなたのFilme」

●飯綱比売命
 そこはまさにおとぎの里山だった。
 動物たちはもちろん、植物ですらも顔を持ち、歩けるものは歩き、飛べるものは飛び、動けぬものは声をあげて己を主張する。
 その中で。
「ひゃっはー! たけのこは殲滅じゃーっ!」
 手足の生えたきのこ(陣笠つき)をその両手に掴んで振り回し、竹槍を構えたたけのこどもへ突撃する“女神”がいた。
「うわー」、「やーられたー」などと言い残し、残骸と化すたけのこだが、この戦いに見た目ほどの牧歌的要素はない。両者の戦いが生存域を賭けてのものだからだ。
 たけのこはこれと定めた土地に根を張り、互いに根を結ぶ。そのネットワークに支配された土地は滋養を吸い尽くされ、きのこを含む多くの植物の共存を阻む。
 ゆえに彼女は生命の均衡を保つため、そして好物たるきのこを栽培するがため、たけのこの侵食と戦い続けているのだった。
「――皆勝ち鬨をあげよ!」
 えいえい、おー。
 糸のような両手を振り上げるきこのたち。彼らはたけのこの残骸には目もくれず、それぞれ顔のついた木々の根元へ腰をおろした。
「うむうむ。できる限り松の根を狙うのじゃぞ?」
 今まで棍棒代わりに使っていたきのこを火で炙りつつ、女神が言う。
 きのこの目的はほどよい日陰に立つ木の根を宿とし、“きのこ”という繁殖用コロニーを打ち建てること。
 それなりに平和で、それなりにバイオレンス。
 女神はそんな世界を愛し、楽しんでいた。
 世界蝕が起きるまでは。

 異世界との会合が、この里山に過ぎた“情”をもたらした。
 住まいし者たちは過剰の愛と憎悪をたぎらせ、殺し、殺され、報復を拡大させ、ついには愚神をも呼び込んでの殲滅戦を巻き起こす。

 撃ち出された爆裂竹が、突撃陣形を組んで駆けるきのこのただ中へ突き立ち、炎と塩をまき散らした。ほとんどの植物にとって塩は天敵だ。これが多量に混じった土に根付くことはできない。
 きのこは、陣笠の下から死毒の胞子をまき散らして報復。
「哀しいな。うむ、実に哀しく、美しい光景よ。此ぞ生ける者のあるべき姿」
 両軍の殺し合いを見やり、四尾狐が笑顔をうなずかせた。たけのこの守護者であり、きのこの守護者たる女神と永きに渡ってなかよくケンカしてきたはずの相手――今は愚神に侵され、邪に堕ちた敵。
「きのこたけのこの死闘など笑えぬわ! 食うために、生きるために必要なだけを獲り合えばよかろうに――」
 狐は褐色の頬を歪めてみせ。
「その言の葉、聞く者はおらぬよ。殺し合いは続く。より一層殺し合うがため」
 女神は目を塞ぎ、耳を覆い、その場から逃げ出すことしかできなかった。
 暗転。
 たけのこに押し込まれたきのこはついに極みたる毒を生成するに至る。守護者たる女神を返り見るものは、ひとりとしてなかった。
「逃げよ逃げよ」
 暗転。
 塩炎と腐毒が世界を殺す。
「世界は果てなく広い。ぬしが巡りきれぬほど」
 暗転。
 一歩を踏み出すごとに死にながら、きのことたけのこはなお殺し合い、死に合った。
「行くがよい、どこまでも」
 暗転。
 逃げる女神の背に、ふと声が投げかけられた。
 ねぇ、あなたの望みはなに?
 わらわは――哀しい思いをしたくない。させたくもない。それだけじゃ。じゃが、わらわはそんなことをすら成せなんだ。
 沈み込んでいく女神の声。その語尾に、声音が重ねられる。まるで包むように。抱きしめるように。
 私はあなたに逢ったおかげで哀しんでるひまがなくなったわ。そういうお節介も、少しは悪くないんじゃない?
 女神はその言葉に耳目を開く。そうか。わらわにも、成せたか。
 黒が色づき、彼女の前に四尾狐の姿が現われた。
「……わらわは弱虫じゃった。狭き世界を逃げまわり、嘆くばかりのな」
 女神は狐の懐へ跳び込み、その体を強く押し退ける。死んだ竹林の内に倒れ込んだ狐を跳び越え、駆ける。
「今こそ逃げ出そうぞ。なけなしの勇気を振り絞り、死せる此岸より生ける彼岸へ」
 気がつけばとなりに由香里がいて。
 女神――飯綱比売命は薄笑んだ。
 そして取り残された狐が褐色の面をもたげてつぶやく。
「これがあなたのFilme」

●ラストシルバーバタリオン
 今夜は飲もう。
 そう言い出したのは一体誰だったか――思い出せない。なにせ47人もいるのだ。誰が言い出したっておかしくなかったし、誰もが思いを同じくしてもいたし。
 明日に障らぬよう、気づかって飲んだ。
「ただし靴用のクリームを食っちまわずにすむよう、適度に飲めよ!」
「私の適量はビール5リットルだから、4・999リットルってことね」
「自分は下戸なんで、一滴も飲めないんですけどね……」
 飲めぬ代わり、大いに語った。
「そろそろ故郷の祭りだ。みんな怒ってるだろうな、準備手伝わなくて」
「俺、明日の戦いが終わったらあの娘に告白するんだ」
「あ、部屋の鍵ちゃんと締めてきたっけ?」
 47人が輪を成すは、分厚いコンクリート。彼らの後方に座す、全長50メートルの巨大人型戦車“ラストシルバーバタリオン”を収めておくためのパドックの片隅だった。
 明日。彼らは祖国を滅ぼしつつあるレガトゥス級愚神へ向かう。47人がかりで機動する“守護神”を駆って。
 この場にいる誰もが知っていた。
 守護神が――47にして1なる最後の軍団が、あのレガトゥス級に敵わないことを。
 そもそも無理矢理なのだ。こんな馬鹿げた兵器を造り出すなど。製造に関わった者たちは意地だけで、それを起動するところまで持っていった。
 あとは我々の仕事だ。愚神野郎に一発喰らわせて、祖国の意地ってやつを思い知らせてやる。
 その決意を、彼女の隻眼はただ見下ろすことしかできなかった。
 暗転。
 47人の特殊戦車小隊を率いる女指揮官は、“ラストシルバーバタリオン”を収容した倉庫の奥にある名ばかりの司令室で深く息をつく。
 あの人型戦車は問題なく動くだろう。しかし、だからといって愚神に敵うはずはない。彼女の部下どもはそれを知っている。知りながら、行く。
 共に行き、共に逝くつもりであった。
 が、どれほど内部構造を詰めても彼女を収める空間は確保できず、さらには部下どもも彼女の同乗を認めようとせず、むしろ罵ったものだ。現場の邪魔をするなよ少佐殿!
 気づかぬはずがない。それが彼女への気づかいであり、彼女を残していく後ろめたさなのだと。だからこそ、なにも言えない。
 明日が来なければ――このまま、夜が続いてくれるなら――
 しかし。どれほど祈ろうとも、日は昇る。

 起動した“ラストシルバーバタリオン”が、残り少ない国土を踏みしめ、愚神へと向かう。見送る者はなく、随伴する兵もなく、ただ一機、いや、孤軍で。
 その危うげに重い足取りを嗤い、愚神が半歩遠ざかる。
 それを追って人型戦車が踏み出す。
 愚神が退く。
 戦車が追う。
 焦燥はいつしかすり切れ、47人は霞む頭に同じ思いを浮かべた。このままどこまでも。最期にたどりつくことなく、ずっと。
 不完全な戦車の各所がきしみを上げ始め、配線が弾け飛び始めた。程なく人型戦車は動きを止めるだろう……
 そのときだ。
 砂粒のごとき銃弾を撃ち込みながら、愚神の褐色の足へ迫る人影が見えたのは。
 愚神の足がわずらわしげに振り上げられる。
 人影は蹴散らされ、ちぎれ飛んだ。
 駆けよ。撃て。それだけの言葉を唇に刻んで。
 47人は思い出す。あのとき我々は、同じように失った。駆けることも撃つこともできず、崩れ落ちたのだ――
 頭部カノン、展開!
 空白に支配された彼らの頭の奥に鳴り響く、声。
 脚部全力機動! 腕部前伸、愚神を固定せよ!
 彼らは声に従い、戦車を繰る。まるで少佐殿とちがうはずなのに、少佐殿のような声。
 加速した人型戦車は愚神へ組みつき、両足を踏み止めた。
 愚神がもがき、戦車の腕部がちぎれ落ちていくが……
 たとえなにを失おうと、貴様らの為すべきを為せ!
 ああ、そうだ。我々の為すべきはひとつ。
 かくて頭部に据え付けられた超大型カノンが火を噴き、愚神の頭部を引きちぎった。
「これがあなたのFilme」
 落ちていく褐色の頭がセリフを刻む。
 残された体が、戦車を引き裂いて。
 死んでいく47人は不敵な笑みを浮かべて誓う。
 次は本物の砲弾をごちそうしてやりましょう、“少佐殿”!

●シド
 青草の先をそよ風が梳いていく。
 名も知らぬ花が、日ざしを白く照り返す。
 ここはとある国境の丘。そうだ。俺はいつもここで――
 澄んだ声音が彼の背に弾む。
 振り返った彼の胸に飛び込んできたものは黄金だった。
 髪。俺がただひとり愛する女の、黄金の髪だ。
 なぜだろう。彼女の名前を呼びたいのに声が出てこなくて。彼は胸の奥からあふれ出る愛しさを両腕に込めて、彼女をやさしく抱きしめた。
 へぇ。この人がシドの恋人かー。
 どこからか聞こえる、おっとりとかわいらしい声。彼は自分が「シド」であることを知る。
 そかー。シドの幸せは、この人なんだね。
「……オレの、幸せ?」
 声が言うとおり、オレは幸せだ。この世界の中で誰よりも。
 そのはずなのに。
 彼女を抱く腕が震えていた。眉根が苦渋にしかめられ、奥歯は割れるほどの力を込めて食いしばられ……オレは本当に幸せなのか? 彼女の顔を見なくてすむように、彼女を抱きしめていなければならないオレは。
 抱きしめられたまま、彼女は黄金の髪の下から細い声音を発した。
「私、あなたとまた逢えて幸せよ? だって、私のものになるはずだった幸せは全部、あなたのせいで消えてなくなってしまったのだもの」
 シドはびくりと彼女を引き離すが。彼の胸に顔を埋めたまま、彼の背へまわした手に力を込めて、離れない。
「逃げるの? あのときのように、私を置いてひとりで」
 ちがう、オレは逃げたんじゃない。オレは――

 祖国へ攻め入った愚神群は、すさまじい勢いでもって国土を穢し、民を殺し、王都へ向かっていた。
 若くして国内最高と謳われた魔法の使い手たるシドはこれを迎え討つべく、自ら志願して国王軍を預かった。
「あなたはこの国にとってかけがえのない人。なのに先陣に立つなど」
 彼女は彼を必死で引き留めた。姫であるからこそ、本当に言いたかった言葉を隠して。
「この卑小なる身に与えられし過ぎたる名声、それに恥じぬ成果を掲げて戻りましょう。そのときには姫の祝福を」
 聞き耳を立てている者どもに聞かせるため、シドは言葉を紡ぐ。
 王から厚遇を受け、さらには姫の寵愛をも独占する彼は、常に内より狙われる存在である。奴らに見せてやらなければならなかった。足元をすくう気を失わせるだけの実績を。
 そして彼女に報いなければならなかった。あの丘で、人目を避けて逢瀬を重ねることしかできずにいる現状を打ち壊し、堂々と並び立てるだけの栄誉を得て。
 正直、焦っていたのだろう。
 先陣に立って愚神群と対し、他愛のない手に引っかかって、誰よりも先に崩れ落ちて――

「あなたが死ぬとき、国の行く末を嘆いてくれたかしら? 私のことを思い出してくれた? きっとなにも考えなかったでしょう? 欲しかった名誉を惜しんで、消えていく自分の命を惜しんで……。それとも、そんなことはないと言えるの?」
 ちがう。そう言いたいのに、どうしてオレは思い出せない? あれほど強く悔いたはずのあのときを、オレはなぜ!
 彼女の白磁たる肌が褐色に色づく。まるでそう、彼の罪を映したかのように。
「あなたは幸せね。あなただけの夢を追う途中で死ねたのだもの。国も私もほかのものも全部、あなたの幸せを引き立てる道具だった」
 オレは彼女の幸せのために力を尽くそうと――本当に? 本当にオレは、それだけを考えていたのか……?
 私ね、シドのおかげですごく幸せだよ。
 彼は顔を上げた。これは先ほど聞こえた声。オレのおかげで、幸せ?
 うん。なんだかいろいろあったけど、すっごく幸せ。シドが私のこと、幸せにしてくれたんだよ。
 そうか。オレは――
 シドは彼女を引き離し、その顔をまっすぐ見据えた。
「愚神。俺は俺の罪を消し去りたいなどとは思わんのだよ」
 愛する者を幸せにできず、置き去りにした。その罪をこの後で思い出すことはできないかもしれない。だがな、それでも罪はオレの胸にあり続ける。オレとゆらの誓約が続くかぎり、オレはオレを尽くして贖い続ける。
 丘が、彼女が、鏡のごとくに砕け落ちた。
 そして。
「これがあなたのFilme」

●Ebony Knight
 彼女は駆ける。
 アスファルトにローファーのつま先を突き立て、一気に、跳んだ。
「遅刻だ遅刻! このままでは教師殿に叱責されるのだ!」
 夏用セーラー服の袖と裾から伸び出した四肢は抜けるように白く、ポニーテールに結った白銀の髪は日に透けてきらきらと輝く。
「おいチビ、そんなたらたらしてっと置いてくぞー!」
 横から彼女を追い抜きざま、彼がおどけた声音を投げた。
 茶髪と金瞳を持つ少年。目の前にいるのになぜかなつかしい、彼女の兄。……少年と言うには少々無理のある感は否めないが。
「兄殿! 我はチビなどではない! 訂正して陳謝せよ!」
「はいはい俺が悪うございましたー。前向きに善処しますー」
「待て! こうなれば我が鉄拳をもって兄殿を教育してくれるわ!」
 にぎやかに言い合いながら、彼女と兄は学園へ駆け込んでいった。

 教室で気だるく授業を受け、昼休みに復活し、また気だるく授業を受けて、帰る。
 どこかで見たような――いや、それはあたりまえか。この家は自分の家なのだから。
「おー、妹よ。今日は学校どうだった?」
「なにを語ることもない。常と変わらぬ1日を過ごすばかりだった」
 兄と差し向かいでダイニングキッチンのテーブルにつき、夕食を食べる。兄が作ったのだろうか、目玉焼きハンバーグ、サラダ、味噌汁、そして白米が並んでいて、どれも美味だった。彼女が思いつく「美味」そのままに。
「寝る前にちゃんとストレッチしとけよー? 人間、日々の努力ってやつが大事だからな」
 人間? 苦笑しかけた彼女はあわててかぶりを振り、「わかっておる!」とうなずいた。
 我は人間で、育ち盛りにある。今は五尺に満たぬ身の丈なれど、すぐに兄殿など追い越してみせるのだ。

 洗い物をすませた彼女はリビングで手足を伸ばす。伸ばしすぎれば痛みがはしり、縮めすぎればやはり痛む体。生身とは不便なものだ。壊れるまで酷使しても交換できないのだから。
 ぽたん。剥き出しの膝に“冷たい”がこぼれ落ちた。
 なんだこれは?
 水、か。
 まさか我は、泣いている、のか?
 彼女はなんとも言い様のない寒気に襲われ、自分の体を抱え込んだ。
 この腕は、我の腕。この脚は、我の脚。そのことがうれしくて、そのことが怖くて、彼女は一層我が身を抱きすくめる。
 なぜうれしいのか、なぜ怖いのか、まるでわからない。でも。
 今、惜しんでおかなければならない。そんな気がしてならなかった。
「これがあなたのFilme」
 暗転。

 朝が来て、彼女はまた兄と向き合って食卓についている。
 スクランブルエッグ、トースト、コーヒー。彼女が「無難に美味」と思う味の朝食だったが……砂を噛むような味がした。
「今日はどんなふうにやってくんだ?」
「どんなもこんなもない。常と変わらぬ1日を過ごすばかりだ」
 常と変わらぬ1日だと? 我の常なる1日は……
 世界から色が消える。白いばかりの壁と床とが彼女を押し包み、腕に、脚に、キシキシと割れ目がはしる。
 ここは、生み出されし我のいた、あの――だとすればこの情景は――情景?
 厚みを失くしていく兄の笑顔が問う。
「お願いすりゃいいんだよ。いつもどおりの1日が過ごせますようにって。だってこんな1日が夢だったんだろ?」
 ああ、夢だった。幾度となく夢に見て、願った。普通の人間として、つまらないほど普通の暮らしができたならと。
「このままじゃ楽しい1日が終わっちまう。戻ろうぜ、なんでもない朝にさ」
 兄のやさしげな声が彼女を急かす。我が望むだけで、我の夢がかなう――
 それでも踏み出さなきゃいけないんだよ。俺も、エボちゃんもさ。
 兄の声を押し退けて響く声音。まったく、ここぞとばかりに説教とは、貴殿もすっかり兄っぷりが板についたものだ。
「……思い出したい情景が、過去に思い描いた夢だったとは笑えぬ話だが、話は単純だ」
 Ebonyは今まで兄だった褐色の女へ告げた。
「夢は覚める。我は踏み出し、真の1日へ還る。礼は近く刃で返すぞ、愚神よ」
 彼女は声の主たる亮馬と共に、黒の外へと義足を踏み出した。

●まほらま
 死闘の末、彼女は魔王の心臓に切っ先を突き立てた。
「これで終わりよぉ!」
 彼女の声に、魔王が嗤う。否、これは始まりだ。
 魔王の心臓から呪いが溢れ出し、彼女の剣を、腕を這い上った。
「!?」
 速やかに彼女の心臓へ至った呪いは、彼女を巡る血を侵し、そして。
 新たな魔王を生誕させた。

 戦場に在るものは、魔王討伐のためその命を投げ打った兵士たち。しかし。
 殺到する兵士の剣は魔王へ食らいつくより早く、彼女の魔剣に命ごと刈り取られて落ちた。
 魔王はただひとり、万の断末魔を啜る。
 彼女は物足りない顔で辺りを見渡したが。地平の果てまで探しても、狩るべき命は見つからなかった。
 彼女は最後に殺した誰かを無造作に放り捨てた。勇者と呼ばれていた骸を。

 彼女は凄絶なまでの自責と悲哀とに苛まれながら、世界へ探索の手を伸ばす。
 この呪いを滅する方法を求め、この命を終わらせてくれる誰かを求め、必死で。
 そしてついにその術を得たのだ。
 億に届くほどの死を積んだ代償に得た正気をもって、“魔王殺しの剣”を完成させた。
 そして千の勇者を屠る中で、その剣を振るうに足る者を見いだした。

 髪の黒い、やさしげな少年。
 弱いくせに妙なしぶとさを持つ彼は、数多の魔物との戦いをくぐり抜け、一時の正気を取り戻し、“師”として姿を垣間見せる彼女の教えを不器用に繰り返して我が物として――“魔王殺しの剣”をその手に掴んだ。
 強くなりなさい。あたしの心臓をその剣で突き刺せるくらい。
 それだけが今や彼女の支えであった。正気の夜が訪れるのを待ち焦がれてしまうほどに。

 果たしてそのときが来た。
 今ややさしげな美丈夫に育った“勇者”が彼女の――魔王の前に立つ。
「仲間はみんな死んだ。俺を、ここへ送ってくれるために」
 勇者は剣を構え、一歩踏み出した。
 それでいい。あたしのクセは全部教え込んだから、あたしがどれだけ抗っても彼はそれを越えられる。だから、その剣をあたしの心臓に突き立てて。あたしの血と魔力で練り上げたその刃は、あたしの呪いを弾く絶縁体だから。もう、終わりにできる。呪いもあたしの罪も全部。
 なのに。
 勇者は薄笑みを湛え、剣を床に落としたのだ。
「あなたを殺すなんてできない。あなたは俺の大事な人だから」
 声音が彼女の耳をくすぐって。その体がそっと抱きすくめられた。
 いつの間に、これほど強く、大きくなったものか。
 彼女を奥底より突き上げる餓えが、甘やかななにかに塗り潰されていく。
 ずっとこうして、きみといられるの?
「そうだよ。あなたが望む限り続くんだ。ずっと変わらずに。さあ、昔歌ってくれた歌、聞かせてくれないか?」
 褐色の頬に笑みを湛えた勇者がねだる。
 そういうところは変わってないのねぇ。――あのころ、どんな歌を歌ったかしら? きみが教えてくれなきゃ、思い出せない。
 いやいや。俺、歌なんか聞いたことないんですけど!?
 それはそうよ。きみに歌ってあげたことなんか、多分ないわよねぇ?
 っていうかなにあの魔王っぷり! 吐いたよ俺は! ゲロゲロピーってさ!
 最後のピーはちょっと不穏ねぇ。ってあたし、誰とおしゃべりしてるわけ?
 俺だよ俺俺! ……知らなかった。まほらまが世界と戦ってたなんて。
 戦ってなんかなかった。殺してただけ。でもあたしが死んだら次の誰かが魔王になって……あたしはそれを止めたかった。止めて欲しくて、あの子に。
 俺はあの子なんて子知らないけど、そいつがあの子じゃないってのはわかるよ。だってそいつ、ずっと嗤ってる。
 彼女は我に返り、自分を抱く勇者を突き放した。
 嗤っていた。褐色の面を歪めて……勇者とは似ても似つかぬ顔で。
 彼女は悟った。この情景が幻であることを。あのとき叶えられなかった願いを映しただけのものであることを。
「この情景を終わらせて!」
 勇者をすり抜けた影が剣を拾い上げた。
 そのまま彼女へと駆け、そして切っ先をその胸へと突き立てる。
 還ろう。まほらまのとなりにはいつだって俺がいるから。
 勇者とよく似た少年が笑んだ。
 今は茶髪で、かつては黒髪だった少年が。
 だからあたしは――

●不知火あけび
 少女は古き忍の一族、その長たる男の娘。ゆえにその跡を継ぐべく修行に明け暮れてきたのだが。
 ある日、ひとりの男が現われる。
 父の補佐役だと紹介された銀の髪の美丈夫。
 父はその男を指し。いずれおまえも剣士と相対するだろう。こいつの剣を学んでおけ。
 彼女と剣士との出逢いは、かくも他愛のないものだったのだ。

 忍術を学ぶ傍ら、少女は父の言いつけを渋々守って剣術を習う。しかし、なんでもありの忍術とちがい、ひと振りの刀に縛られた剣術はなんのおもしろみもなく。
「なんで火薬弾投げちゃいけないの?」
「山彦で居場所ごまかして裏取っちゃえばいいのに」
 唇を尖らせた少女に剣士は。
「好きにやってみろ」
 少女の仕掛けをことごとく刃で斬り払い、その喉元に切っ先を突きつけてみせたのだ。
「忍が技を尽くすように、侍は剣を尽くす。刃に縛られるのではなく、すべてを託すのだ。この命と、この心とを」
 正直、剣士がなにを言っているのかわからなかったのだが。
“お師匠様”が言ってること、ちゃんと知りたい――そう思ってしまった。
 この日、剣士は少女がもっとも敬愛してやまない「お師匠様」となったのだった。

 夜の道場。木刀を手に型をなぞっていた師が動きを止めて。
「なにをいじけている?」
 闇の内より姿を現わす少女。その顔は、暗く曇っていた。
「おまえの術には工夫がないって。サムライかぶれの剣にこだわりすぎててぜんぜん怖くないって! 忍の、心がないって……」
 師は応えず、ふと木刀を正眼に構え、少女に打ちかかった。
 少女はとっさに腰の剣を抜き打ち、師の木刀を跳ね上げた。そのまま一歩踏み込み、刃を返して斬り下ろす。
「――火薬弾は投げんのか?」
 少女の一閃を木刀で絡め取り、師が静かに問うた。
「私の命も心も、この剣に託しています。あのとき教えてもらいましたから」
 師は深く木刀へ食い込んだ少女の刃を傷つけぬよう放した。
「おまえが剣に生きるのならば、己を確と持て。揺らがず、恥じず、貫け」
「はい、お師匠様!」
 師は薄笑み、うなずいた。

 剣ひとすじの日々は少女にとり、至福だった。至福だった、はずだった。
「今夜は祭があるそうだ。おまえの兄貴分も誘って行くか。道着のままでは趣もあるまい、確か奴がおまえに買い与えた浴衣があっただろう。着替えてくるといい」
 お祭りなんて初めて! どんな感じなんだろう!? 心浮き立つのに。
「あの浴衣は俺がやった簪にもよく合うだろう。明日からはまた稽古漬けになる。俺がこんなことを言ってやるのも今夜限りだぞ」
 幸せの中にこぼされた「今夜限り」の特別。悩んでないで思いっきり楽しもう! 心弾むのに。
 少女の足は動かない。
 この場に踏み入る直前、聞こえたあの声が彼女を留めていたから。
 おまえが本当に叶えたい願い、ここにあるのか?
 師に導かれ、守られるばかりの甘い時間。ずっと浸っていたいと思う。しかし。
「……おまえが剣に生きるのならば、己を確と持て。揺らがず、恥じず、貫け。士道とはそれをして己を捨て、人を生かす道だ。ゆえに誰かを救う刃となれ。誰かを救う刃であれ。私はあのとき、そう教わったんです」
 気づいてしまったから。意図的に教えを削り落とした師がまがい物であることに。
 構えた木刀は正眼。剣術における基礎中の基礎であり、最初に師から授けられた構え。
「あけび」
 師の声に心が跳ねる。しかし、体は自動的に叩き込まれた挙動をなぞる。
 師の幻像を、虚構たる世界を斬り裂いた木刀は、いつしかあけびの愛刀たる小烏丸へと変じていた。
 私はお師匠様には託されたこの刃にかけて、誰かを護れる強さを目ざし続ける。
「これがあなたのFilme」
 今や師から褐色の女となったそれに、あけびは問いを返した。
「私は不知火あけび! あなたも名乗りなさい!」
「死人に名前はない。強いて言うなら“演者”かしら」
「私たちになにをさせたいの!?」
「Filmeを見せて。“わたし”と“己”は知らなくちゃいけない。あなたたちの弱さを」
 そして世界が壊れ、暗転。

●アリッサ ラウティオラ
 戦士たる彼女は自らの武装に怪訝な目を落とす。
 あの戦いは終わり、世界に平和が訪れた。そのはずなのになぜ自分は防具で身を固めている? いや、それよりも「あの戦い」とは――
 と。横合いから親しげな声が投げかけられた。
「狩りの支度はできた? 早くしないと日が落ちるわよ」
 そうだった。これから彼女は、気の置けない友と連れ立ち、狩りに向かう。狩るのはもちろん、世を侵す怪物ではない。今夜食卓のメインを飾る獣だ。
「魔法も科学も戦いの中で発展するそうだけどね。それなら発展しなくていい世界のほうがいい。……あなたも言ってたわね。なにもないのが一番だって」
 友の言葉に彼女はうなずいた。
 怪物との戦いはすでに過去のこと。これからはそう、戦うための魔法も科学も必要ない、なんでもない毎日が続くのだ。
「なにもなくても、今夜のことを考えないわけにはいきませんけどね。どうせなら少しでもおいしい肉がいただきたいですし」

 そして彼女は森へと踏み入った。
 風の匂い。土の匂い。木々の匂い。満ち満ちる生命の匂いを吸い込んで、彼女は歩く。そういえばここも、少し前までは瘴気に侵蝕された死の森だったのだ。
「怪物はもういない。この平和はあなたがもたらしたのよ」
 友が笑顔を振り向けて手を伸べた。
「もっと奥に。丸々と太った猪がいるかもしれない」
 腕を引かれ、彼女は足を速める。
 ふーん。――って、わたしじゃない友だちがいたんだね。だからわたしがいなくても平気なのかー。
 からかうような声が耳元で紡がれた気がしたが……友に急かされるうち、忘れてしまった。

 今日に限って獲物はなかなか見つからない。
 木々の隙間に湧き出る泉のそばに座した彼女は、自分が弓を携えていなかったことに気づいた。
「狩りに来たはずなのに……」
「いいじゃない。だって世界はこんなに平和で、静かなんだもの。弓を使えば思い出してしまうでしょう? あの戦いのこと」
 確かにそうかもしれない。自分もまたそれを思い出したくなくて、無意識の内に弓を老いてきたのかも。
 戦いながらずっと考えていた。
 少しでも早く、自分の技が無用になる世界をつくりたい。
「もう戦う必要なんてないわ。弓を射ることもね。ここはあなたが望み続けたなにもない世界よ」
 ああ。だとすれば、これでいいのか。自分が望んだ世界の中で、退屈なくらいの平和を感じながら、ずっと。
 アリ――は満足できないよ。自分だけ平和ならいいなんて。
 また声がした。確信と信頼に満ちた、少女の声。
 そうですね。
 あの戦いがなにかを思い出すことはできないが、ただひとつ、わかったことがある。
「……わたしは自分に嘘をつけるほど器用な性格ではありません。ですから自分を騙すこともできないんですよ。わたしの望みはまだ叶っていない。わたしの戦いも、京子の戦いも、まだ終わっていないんですから」
 彼女――アリッサは友の顔をしたなにかへ鋭い視線を据え。
「わたしたちにFilmeとやらを見せ続ける理由はなんです? 手間も時間もかかるでしょうに」
 友であることをやめ、褐色の面を晒した女は小さくかぶりを振って。
「リサーチよ。“己”のためのね」
 アリッサは泉の縁から拾い上げた小石を親指の爪に乗せ、人差し指にあてがった。
「なにを企んでも無駄ですよ。わたしは戦いを投げ出したりしない。そうでなければわたしがわたしでいられなくなることを、わたしは知っているのだから」
 さっきまで忘れてたくせに。それにそういう自分かっこいいみたいなことしれっと言っちゃうのもどうかなー?
「臆面もなく「わたしかわいい!」とか主張する京子にだけは言われたくありませんね」
 だって事実だし?
「……」
 無言でアリッサは指弾を弾いた。
 眉間を撃ち抜かれた女が、世界と共に砕け落ちていく。
「リサーチ……人と英雄の有り様を知るためではないのでしょうね」
『ま、イヤなことしようとしてるって情報は掴んだってことで』
 京子のかるい口調に苦笑を返し、アリッサは黒の内を落ちていった。

●N.N.
「浮かない顔だね、レイラ」
 ふと話しかけられて、顔を上げた。
 コンテナの中にはいつもどおりに女たちが押し詰まっていて、極々限られた空間を活用しつつ、それぞれに過ごしていた。
 遠慮も慎みもない、化け物を叩き殺すためだけに生きる女戦士の姿――この間初めて顔を合わせた整備士の男が「たった今、女って夢から覚めた」と言っていたか。
「化け物は全部ぶっ殺したんですから。今夜は思いっきり騒ぎましょうよ、隊長!」
 先ほど語りかけてきた副長のとなりから隊員が顔を突き出した。
「そうそう。どうせ明日にゃまたどっからともなく這い出してくんだろうけど、今日のところはね。だろ、レイラ?」
 古参も後ろから声を投げてくる。
 レイラと呼ばれた彼女は今、異形の敵を討ち終え、ベースへの帰途にある。ここに詰まっているのは彼女が隊長として率いる傭兵部隊の面々で、誰もがかけがえのない仲間だった。
「じゃ、前夜祭ってことで」
 隊員のひとりが座席の下を探り、クーラーボックスを抜き出す。
「って! グレネードじゃなくて酒缶かよ!」
 ゲラゲラと笑いながら、女たちはボックスから取り出した缶ビールを投げ合い、タブ(飲み口を開けるステイオンタブ)を切っては泡を噴き出させた。
「ほら、あんたはソーダ水な」
 すばやく確保してくれたらしいソーダ水の缶を彼女に渡しながら、副長が片目をつむってみせた。
「いつも以上にはしゃいでるわね、みんな」
 甘い炭酸水で喉を冷まし、彼女は息をついた。
 今日は誰ひとり欠けることなく、護送される必要もなく、そろってこの場にいる。だから、はしゃぎたくなる気持ちはよくわかるのだが。
「あたしら、このままやってけるよな、レイラ」
 バカ騒ぎを前に、褐色の面を苦笑させた副長がぽつりと漏らした言葉。
 彼女は応えず、家族同然の仲間たちの顔を今一度見渡し、笑んだ。

 黒の内、独り浮かぶ少女は幾度となく声をあげる。
 届かない。届かない。届かない。それでもなお声をあげて彼女を呼ぶが、届かない。
 少女のもののはずの名で呼ばれた彼女が、自然にそれを受け入れていることに苛立っていた。彼女だけのものだったはずの笑顔が他の誰かへ向けられていることに憤っていた。その気持ちを耳元でがなりたててやろうかと思った。しかし。
 彼女を包む騒々しくもやさしい空気に気圧されて、動けなかった。せっかく車椅子に乗らずとも移動できるのに。
 N.N.。
 No Name。少女は小さな声で、自らの名を忘れ果てた彼女を呼んだ。
「聞こえているわ、レイラ」
 彼女は缶を持ったまま副長を見据えた。
「これだけは思い出せるのよ。あのときの戦い……私たちは誰ひとり、この輸送車へ還ってこれなかった」
 缶が、彼女の手の内から消えた。
「だからこれが、あのときを合成した情景だってことはわかるわ、ゾーンルーラー」
 次いで、なつかしい顔がひとつひとつ消えていく。
 N.N.はそれを静かに見送り、少女を――レイラを招き寄せた。
「これがあなたのFilme。――“わたし”には、あなたたちの1シーンを切り取ることしかできないから」
 副長であった名残のビール缶を闇へ放り捨て、褐色の女は肩をすくめてみせた。
「Filme?」
「映画のことよ。“わたし”が昔使ってた……ポルトガル語? で、いいんだったかしら?」
 N.N.は姿の見えないレイラを背にかばい、首を傾げる女との間合を計る。ルール不明のゾーン内で戦いを挑むほど無謀ではないし、なによりレイラを守り切れる自信がない。
「なにがしたくてこんなことを?」
「あなたたちは同じことを訊くのね。これは“己”と“わたし”のためのリサーチよ。還るための、ね」
 女は闇の奥へと姿を消し、後にはN.N.とレイラだけが取り残された。
 ……いいの? 私といっしょにいて。
 恐る恐るたずねるレイラに、N.N.は静かにうなずいた。
「今、私がいるべき場所はレイラのとなりよ。誰もいないあたたかな過去じゃなくてね」
 踏み出したN.N.が一度、振り返る。
 またね、みんな。この馬鹿騒ぎの続きは、私がいつか追いついた後に。

●ジュリア・イトウ
“黒”に映された10のFilmeを消し、褐色の女はかぶりを振った。
 またも踏み越えられた。
 しかし当然と言えば当然か。結局は演者にとって、置き去りにしてきた程度のものなのだから。
 リサーチを円滑に進めるためにもさらなるサンプルを得たいところだが、“己”の力は予想以上に小さく、有効範囲が狭い。さて、どうするか。
 思い悩む“わたし”に“己”が語りかける。
 捕らわれに者が幻灯で。
 天啓と言うには少々足りなかったが、閃いた。
 なるほどね。1シーンに捕らわれてる誰かのFilmeを使う……
 感じる。世界に触れさせた“黒”の外にある、悲哀に彩づいた1シーンを。
 そんなところにいないでCinema(映画館)へいらっしゃい。見たいんでしょう? あなたがその胸に閉じ込めたまま、忘れてしまうことも燃やしてしまうこともできずにいるFilmeを。

「え!?」
 深澪の胸元にかかっていたアクアマリンから青光がこぼれ落ち、ひとりの少女を成した。
 浅黒い肌に波打つ赤毛を持つ少女は、鏡面体から吐き出されてきたエージェントたちの間をすり抜け、崩壊しつつある“黒”へ叫ぶ。
「あたしを連れてって――あのとき、あの場所に!」
 エージェントたちは誰ひとりその顔も声も知らなかったがゆえに、反応が遅れた。
 だから。
『あれってまさか、ジュリア――だめだよ、それは!!』
 あけびがあげた声は届かず、少女を飲み込んだ“黒”は光を取り戻したライトに吹き散らされ、消えた。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • きみのとなり
    加賀谷 亮馬aa0026
    機械|24才|男性|命中
  • 守護の決意
    Ebony Knightaa0026hero001
    英雄|8才|?|ドレ
  • 双頭の鶇
    志賀谷 京子aa0150
    人間|18才|女性|命中
  • アストレア
    アリッサ ラウティオラaa0150hero001
    英雄|21才|女性|ジャ
  • 乱狼
    加賀谷 ゆらaa0651
    人間|24才|女性|命中
  • 切れ者
    シド aa0651hero001
    英雄|25才|男性|ソフィ
  • 神月の智将
    ハーメルaa0958
    人間|16才|男性|防御
  • 一人の為の英雄
    墓守aa0958hero001
    英雄|19才|女性|シャド
  • 終極に挑む
    橘 由香里aa1855
    人間|18才|女性|攻撃
  • 狐は見守る、その行く先を
    飯綱比売命aa1855hero001
    英雄|27才|女性|バト
  • ハートを君に
    GーYAaa2289
    機械|18才|男性|攻撃
  • ハートを貴方に
    まほらまaa2289hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 救いの光
    シェオル・アディシェスaa4057
    獣人|14才|女性|生命
  • 救いの闇
    ゲヘナaa4057hero001
    英雄|25才|?|バト
  • 今から先へ
    レイラ クロスロードaa4236
    人間|14才|女性|攻撃
  • 先から今へ
    N.N.aa4236hero002
    英雄|15才|女性|カオ
  • かわたれどきから共に居て
    日暮仙寿aa4519
    人間|18才|男性|回避
  • たそがれどきにも離れない
    不知火あけびaa4519hero001
    英雄|20才|女性|シャド
  • 我らが守るべき誓い
    ソーニャ・デグチャレフaa4829
    獣人|13才|女性|攻撃
  • 我らが守るべき誓い
    ラストシルバーバタリオンaa4829hero002
    英雄|27才|?|ブレ
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