本部
【ドミネーター】悲劇
掲示板
-
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2017/06/28 17:44:31 -
相談卓
最終発言2017/06/28 17:08:15
オープニング
●
朝の十時頃に電話が鳴った。昨日、坂山は眠れない夜を過ごしたが目は最高に冴えていた。この電話はH.O.P.Eの通信室に置かれている公式の機械にかかってきていた。
受話器を取る手がたじろいだ。コール音が耳障りで、数を重ねるごとに心臓の鼓動を速めた。
「もしもし……」
相手が誰だかは分かっていた。
「答えを聞かせてもらおう」
昨日散々考えてきた言葉を、今言う時だ。何度も何度も頭の中で復唱してきた言葉。
あの取引を、自ら引き受けようとしてくれたエージェントもいた。坂山はその気持ちだけ受け取ることにした。もしドミネーターの要求を飲めば、事実上の敗北を意味する。ドミネーターが調子に乗らないためにも、仲間の情報を与える訳にはいかなかった。
「いいわ。私を狙いなさいよ」
相応の覚悟はしていた。今まで散々な目に遭ってきた連中だ。今さら何をされたところで驚きはしない。
「ほお、強気に出たね。以前通信機にかけた時は弱っているように見えたが」
「あんたが間抜けなのよ。半月以上も間をあければ、その間に精神なんて簡単に回復するわ。残念だったわね」
「そうか。じゃあシナリオはこう動く訳だな」
「言っておくけど、今更どんな手で攻めてきたとしても怯まないわよ。今度は私の故郷でも襲うのかしら? それともまた偽りの恋人でも送る? 残念だけど二番煎じは通用しないわよ」
決して弱い所を見せてはいけない。坂山はしかし――どこかに不安があった、それを悟られないように一生懸命に、声が震えないように強がってみせた。電話だから好都合だ。
相手には顔が見えない。
「へえ」
坂山にも、相手の顔は見えていない。
「ありがとう、僕を煽ってくれて。あんたを壊す時の楽しみが増したよ。試合を諦めた奴を屈服、殺した所で意味なんかあるものか」
電話の向こう側から、気色悪い音が聞こえた。
「私を殺しにくるんでしょ?」
嫌な予感がした。
「勿論だ。最終的に君を殺すが、その過程で誰を殺そうがそれは僕の勝手だね」
「ああ、分かったわ。私の家族を今度は狙う訳ね。でもやめといた方がいいわ、私の家族は警察とよく繋がっているの。あんな大きな組織を相手にしたら痛い目を見るわよ。それとも私の友達を狙うのかしら? また高梨を狙う?」
心の中に蔓延していく嫌な予感を振り払うために、饒舌になるしかなかった。
「これはどうかな」
今度は端末が鳴った。端末はノボルが持っていて、強引にその手から奪うとメッセージが届いていた。数十枚の写真が添付されている。そこに写っていた被写体に、坂山は受話器を落とした。
「待ってよ……」
受話器から、甲高いフランメスの笑い声が聞こえてきた。
「坂山、これは何……?」
ノボルの質問に答える前に、坂山は受話器に向かって怒鳴った。
「ルール違反よ! 私を狙うんでしょうが!」
「言っただろう? その過程で誰を殺そうがそれは僕の勝手だって」
「……絶対アンタを地獄送りにしてやるわよッ! 地獄なんて生温いかしら。生まれてきた事を後悔させてやる!」
「おお、怖いね。怖いねえ」
坂山が吠える度フランメスの調子が上がっていった。
「今から二十分以内に、これから送る場所に来れば人質は無事だ。だが遅刻すると五分毎に一人ずつ死んでいく。今からスタートだよ、準備はできたかな」
受話器を叩きつけるように机の上に放り投げて、鞄も持たずに扉から出ていった。手に端末を握り締めて一人、目的地へと駆ける。
「坂山待て!」
スチャースの声を聞こうともしなかった。
「ノボル、一刻も早くエージェント達に伝えろ。どう見てもこれは坂山を誘き出すための罠だ」
「わ、分かった。スチャースはどうするの?」
「私にはGPS機能がついている。坂山を追うから、私の後を追ってきてくれればいい」
「うん……。さっきの写真、誰だったのかな」
写真にはノボルと変わらないくらいの年齢の子供たちが写っていた。卒業アルバムに掲載するための写真に似ていて、皆がそれぞれの笑顔だった。
「おそらく坂山の生徒だ」
ノボルは乾いた喉を潤すように水を飲んでから、スチャースが坂山を追いかけた後にエージェント達を招集した。
――
さあ、エージェント諸君。
君達は半ば賢い選択をしたとも言えるだろうね。実際、坂山という女は足手まといだっただろう。
戦闘力なんて皆無、それで全く経験のないテロ対策のリーダーをして、いつも我々に先手を取られる。その度に尊い命が犠牲になっているね。
坂山がいなくなれば自動的に誰かがリベレーターのリーダーになる。
その方が、君達にとってはいいだろうね? 無能の足手まとい女を差し出すことで我々とようやく互角の戦いになるのだから。
これは君達の為を思って言っているよ。今回は見捨てた方がいい。
それでも助けに来るというなら、君達は愚か者だ。
――
解説
●目的
人質達の解放、エネミーの撃破。
●拠点
今回舞台となるのはドミネーターの拠点の一つ。ビルの五階にあって、その階層を借りている会社の取締役を脅迫して強引に五階を占領していた。
広いオフィスに二つの空間がある。五階に止まるエレベーターを降りると左右に扉があり、右側は拷問部屋で、悪臭が漂う。左側は会議室などに使われる。
坂山の生徒達は拷問部屋に捕えられていて、十九歳の元生徒が椅子に縛られている。カーテンと窓は完全に閉めきられている。
●死の予兆
坂山はタクシーを使って現地まで急行するが、到着すると現地で待機していたドミネーターの隊員数名に身柄を拘束されビルの中に連れ込まれる。スチャースはビルの中に入らず、出入り口付近でエージェントを待つ。
坂山を探すが、ビルのどこを探しても彼女の姿は見当たらない。フランメスは別の場所に監禁しているエージェント達に告げる。
まるでエージェント達を挑発するようにフランメスは監禁した場所を言う。
監禁先では坂山は幻覚の薬剤を注射されており、仲間が従魔に見える効果を受けている。
●監禁先
下水道の中に拠点を作っている彼らは坂山をそこに監禁している。武器や端末は奪われている。
身体の自由はあるため自分で脱走を図ろうとするが、一人で脱出しようとすれば死は免れないだろう。
●敵
リユーゼ、クノウ、ブラック・ディラーの登場。
他に、拳銃を使う一般隊員が二人エージェント達を襲う。
新たな愚神「ジェシー・リン」も登場。女性の姿をするこの愚神は、他の愚神の体組織一部でも発見ができれば瞬時に能力をコピーする能力を持っている。ジェシーは戦闘になるようならば逃亡を真っ先に企てる。
●第二の取引
フランメスは、チャールズを差し出せば坂山の命は保証するとエージェントに取引を持ちかける。
同時に斎藤を解放すればクノウ、ブラックディラー、リユーゼの内一人を殺害するという。
リプレイ
悲劇を止めることができるか。
H.O.P.E本部とは離れた場所の監視下で過ごしているチャールズを訪ねたのは氷鏡 六花(aa4969)と彼女の英雄アルヴィナ・ヴェラスネーシュカ(aa4969hero001)だ。ノボルから通信を受けて真っ先に向かった場所だった。
いつもは二人だけがこの場所に訪れているが、今日はエスティア ヘレスティス(aa0780hero001)も同行している。
「何かあったのか」
彼女を保護してから頻繁に面会している氷鏡の今日の表情は穏やかとは言えない。緊張を宿している。
「坂山さんが……誘拐されて……」
何が起きたのかを知るのには氷鏡のその二言で十分だった。フランメスの考えは手に取るように分かる。
「大丈夫だ。アイツは坂山のようなリーダー気質、強気な人間はすぐには殺さない。少なくとも今日中には」
「でも、不安……です」
「いいか、焦って油断するのが一番危険だ。坂山がどこに連れ去られたのか分かれば私からも助言ができる。場所は分かるか?」
ノボルは坂山の端末に送られてきた地図情報を全員に共有していた。エスティアは地図をチャールズに見せた。
「このビルか」
訝しんむように腕を組んで唸る。元々細い目が完全に閉じられて、人差し指を顎に当てた。
「ここはドミネーターの拠点の一つだが、ここに連れてこられる人物は一般人が多い。要するに、どうでもいい人間達をここに誘拐して遊ぶだけ……玩具箱のような場所だ」
「それは、どういう意味なのでしょうか」
エスティアは丁寧に訊いた。
「私の推測だが、坂山にとって重要な存在となる物か人がビルの中にいるはずだ。フランメスは餌に釣られてきた坂山を入手したら、別の場所に誘拐したと考えられる」
「別の場所……?」
「本格的な遊びをする場所だ」
南極よりも鋭い寒気が氷鏡の鳥肌を起こした。アルヴィナは彼女の肩に優しく掌を乗せた。
「別の場所は想像がつかんが、殺し方は残忍だろう。ここまで手が込んでいる」
「ど、どうすれば……助けられ、ますか」
純粋な質問を前にしてチャールズは首を横に振るしかなかった。
「仲間と手を取り合って……仲間を信じれば、助かるはずだ。役に立てなくて申し訳ない……」
チャールズは何度も面会に来てくれる氷鏡に恩義を感じていた。
ドミネーターも、監視されるこの場所も大した違いはなかった。いつも孤独を感じていて人間の暖かさに触れることがなかった。氷鏡が来ると孤独を忘れられる。
恩義を感じているから役に立ちたかった。
――透明なアクリル板がチャールズとの間に挟まっている。いつかこの板が取れる日が来ると良いのに。
●
都会に近い分だけ交通量は増す。フランメスが坂山宛に送ったメールに添付されていたビルは緑がかったコンクリートの建築で、堂々と平凡さを露呈させている。今、平気でビルの出入り口を若いカップルが通りかかった。
アスファルトが焼けて熱気が人々を襲う。
ビルはガラスで出来た自動ドアで、ドアが反応しない位置を計ってスチャースがエージェント達を待っていた。
今日に招集されたのは十五人のメンバーだ。全員がビル前に集まれば不自然だからと、ノボルは各員の場所を調整して指令を出した。坂山の見よう見真似だ。
「……言い出しにくいが」
彼の一言目は重かった。
「坂山はタクシーでここまで駆けつけようとしたが、乗ったタクシーの運転手がドミネーターの隊員だった。ビルに着いた途端坂山を拘束し、ビルの中へ誘拐した。その先は……まだ掴めていない」
「そんな……」
詩乃(aa2951hero001)は血の気が引いた。熱さすら忘れた。今までドミネーターが行ってきた血のアルバムが捲られる。
今回は本当に死んでしまうかもしれない。不安が押し寄せた。
「大丈夫、そんな事はさせない」
黒金 蛍丸(aa2951)は詩乃の肩を叩いて言う。自分の心にも言い聞かせて。
「その通り。黒金の言う通り今回の悲劇は決して完遂させてはならない。皆、頼む」
任務が開始された。今度はビルの目の前を主婦が自転車で通りかかった。
一階からビルの中に入った九字原 昂(aa0919)は、罠の有無を執拗に警戒したが、目立った脅威物はない。天井からぶら下がる監視カメラが機械的に一点を見つめている。
「今の所大丈夫そうだが」
ベルフ(aa0919hero001)も同様に不自然な凸凹や物を観察したが見当たらない。
「メールは虚構、人質も何もなく本当は坂山さんだけを狙いにきただけ……なのかな」
「ならまだ仕事は簡単だが、今までの破壊活動から見るにそれはないだろうな。人間に対する恨みを持ってる分、嘘だと断定するにはもっと調べないとな」
少なくとも出入り口付近の安全が確認されると、後ろから伏野 杏(aa1659)が続いた。
「日本の、普通のビルですよね。本当にここにいるのか疑いたくなってしまうほど……」
廊下を進むと左側に管理人室の扉と小窓があった。中に視線を通してみると、初老を迎えで少し経っただろうか、男が椅子に座っていた。
「すみません」
九字原が率先して管理人に声をかけた。
「おお? ●●株式外会社の人ですか?」
「いえ、違います」
ビルの三階にある会社名だ。
「ありゃあ、違いますか。私になんか御用ですかな?」
「女性を拘束した男達がここを通りませんでしたか」
九字原がそう言った途端、管理人の表情が驚きに変わった。そして左右に二回ずつ首を振って自分が監視されていないことを確認すると、窓に顔を近づけて小声で言った。
「エージェントさん達?」
「ええ」
「助けて欲しいんですわ……」
円な瞳だ。管理人は真剣な眼差しを九字原と伏野、交互に向けながら言葉を続けた。
「二年前ね、五階を買い取った会社の取締役の人がきて突然防音工事をしてほしいと言われたんですね。で、別に大きい音を出すような会社じゃなかったからちょいと気になって、工事が終わって中を覗いたら、そりゃもう……あれは地獄だ」
「何を見たんですか?」
伏野が訊ねた。
「分からんのよそれが。でもな、ありゃ……死体だった。ちょっと覗いただけだからなんか見た訳じゃないけど、確実に死んでたんです。それからもう毎日、私、怖くてね。たまに意識のない人が運ばれてくるんです。ああ、もう恐ろしくて……警察に電話しようとしても、盗聴器があるんじゃないかと思うと」
「ありがとうございます、もしよければ内部構造がよく分かる物……地図があれば頂戴したいのですが」
「なら、これを」
管理人はキャビネットの中から折り畳まれた見取り図を窓の隙間から渡した。
「中に鍵も入っとります。それがあれば外側から中に入ることができる」
最後に管理人は本当にお願いします、と頭を下げた。
「伏野さん、黒金さん達を呼んで――」
――きてください。最後まで言えなかったのは、横を見た時に不吉な影が目に入り込んだからだった。硬い金属が側頭部に当たる。
「待ってたよ」
誰もが聞き覚えのある声だった。そして、まさかフランメス自身が罠の代わりになるとは。
九字原は英雄と瞬時に共鳴した。管理人の悲鳴が個室内で鳴った。
「長が直々にお出迎えとは、手が込んでますね……」
「そうだろう。我ながら見事な登場だと思ってるよ」
フランメスは管理人室の扉を蹴り飛ばして強引に開けた、中には入らずに管理人の声を聞いて楽しげに微笑むだけだった。
「正解を言わしてもらうと、坂山君はここにはいない」
「それはありませんね。管理人さんがここで視認しています。そのような嘘に安々と騙される訳にはいきません」
「果たしてどうだろう? じゃあビルの中を延々と探し続けるといいよ。その間に僕は坂山君とお愉しみタイムといこう。彼女が良い啼き声が聞かせてくれるといいんだが」
挑発だけして、フランメスは攻撃する素振りも見せなかった。
拮抗する沈黙の時間だったが、フランメスは床を強く押した。タイル張りの床が押されて沈み、左右からスモークが放射された。
「待ってください!」
伏野はスモークの中に飛び込んだが、既にフランメスの姿はなかった。九字原はすぐに一連の事実を仲間達に伝えた後に突入の合図を通信機で行った。
●
ビルの中にはエレベーターがあったが、リィェン・ユー(aa0208)は階段で五階まで登った。一階からエージェント達は坂山を探している間に、先に五階の様子を偵察するのだ。
「不自然なほどに静かじゃな。それに無機質じゃ」
イン・シェン(aa0208hero001)も同様に気付いている。
銀色のドアノブがついていて、鉄製の両扉は倉庫を彷彿とさせた。扉には赤い文字で「関係者以外立入禁止」と書かれている。警告のようなものだった。
「どんなのが飛び出してくるのか楽しみじゃのう。ドミネーター、その手腕を試させてもらおう」
二人の目標は邪魔者の排除。ドミネーターというテロ組織に関わるのは今回が初めてだった。遊撃隊として敵を一人でも多く注意を引きつけるのが役割だ。最悪、倒す必要はない。
罠に警戒しながら扉を開く。
「まずい……!」
人間が通れる隙間ができた時、奇妙な赤いランプが向こう側の扉に確認できた。インに隙間を維持してもらいながら慎重に小型の爆発装置を取り外した。
「小回りが利く奴らだな。人の心理を利用するだけあるか」
「安心するのはまだ早いかもしれん。反対側の扉も確認してみるのじゃ」
同じように反対側の扉の隙間も作ってみれば、当たり前のように爆発装置が取り付けられていた。
「面倒な奴らだ……」
左右で別々の爆発装置を用意していたおかげで、解除に手間取った。
「よし、入るぞ」
扉をくぐるとすぐ左にエレベーターの扉があった。罠に気をつけながらリィェンは右側に見えた扉を目指して進んだ。罠と足音に最大の意識を向けて、忍び足。ドアを少しだけ開いて、中を覗いた。
僅かな扉から酷い臭いが漂って、思わず顔を顰める羽目になった。
椅子に座った若い人々が口に布を押し込まれて座らせられていた。椅子の前には机があって、学校にある教室のレプリカを見ているようだった。
「授業をしよう」
中から男の声が聞こえた。
「残念ながら君達は間抜けな教師が我々に歯向かったものだからその犠牲となった。君達はなんの罪もないんだよ。ただ坂山という教師の元生徒というだけでこんな仕打ちを受ける。まったく理不尽なこともあるものだ」
教師役の男はくぐもった声だ。マスクを被っているのだろうか。
「これから拷問の授業を行う。苦痛の梨というのを知っているかな? 昔実在した拷問方法なんだ。これから一人ずつ実演してもらう前にどうなるのか説明しよう」
苦痛の梨、その拷問器具の説明が始まった。用途を耳にする生徒は涙目になって、中には泣き出した生徒もいた。強引に椅子を捻って逃げ出そうとする生徒もいた。
「煩いなあ! これじゃあ授業ができないじゃないか。仕方ないだろう、坂山が来なかったんだから。あの教師はね、君達を見捨てたんだ。諦めてさ! 僕の玩具になってよ!」
男は授業を放棄して手に持った道具を一人の女性生徒に近づけた。生徒の口に入っていた布を強引に抜いた。
言語のない悲鳴が女性の口から飛び出した。
「待て!」
リィェンは扉を勢いよく開けて、ネビロスの操糸で男の頭部を狙った。糸は男のガスマスクごと頭部を貫いた。
貫いてそして、後ろ向きに体制を崩して地面に背中がついた。
「今の内に人質を救出じゃ!」
不意打ちに成功したリィェンは男が倒れている間に生徒達を拘束から逃がそうとしたが、椅子を見た途端目を瞠った。
生徒達は既に痛みを味わっていた。膝と腕に大きな釘を刺されて固定させられていたのだ。強引に引き抜こうとすれば血が飛び出して命に危険が生じる。だから慎重に引き抜けば男が起き上がるだろう。
頭部を射抜いても男は息をしている。
「痛い……痛い……気持ちいいねェ」
笑いながら糸を引き抜く。
「一旦部屋の外にこいつを持ってくのじゃ!」
リィェンは共鳴して男の足を掴んで勢いよく外に飛ばした。後を追ってマウントを取ると、神斬を頭部に叩き込んで瞬時に退いた。
二度も人間の弱点を突いたはずが、男はまだ動いていた。ただのリンカーなら既に息を止めているだろう。
「ああ、素晴らしい素晴らしい。その痛みをもっとよこせ」
「なんだこいつ……ッ」
階段に続く両扉が開いて、四階で坂山を探していたベネトナシュ(aa4612hero001)が訪れて、後ろにアークトゥルス(aa4682hero001)が続いた。
「リィェン殿! 今助太刀する!」
今までタイマンを張っていた所が、突然の三体だ。自分に勝ち目がないと分かった男は、不意に天井を見上げて笑った。
「久しぶりだねぇ二人とも。そして君はリィェンというのか。今後ともよろしく頼むよ」
ベネトナシュとアークトゥルスはこの男に見覚えがある。あの時、火炎放射器を使って火炎をばらまいてきたのは、そう。ブラック・ディラー。
それでいて、三対一というのは間違いだとすぐに分かった。ディラーがいるという事は大体の場合……。
「しつこい奴らだ」
ベネトナシュが溜息を漏らした。
「今度こそケリをつけてやる」
そう、クノウとリユーゼもセットでついてくる。今なら特別サービスで無名の隊員が二人も来たもんだ。
ベネトナシュはアークトゥルスとリィェンに他二人の対応を任せて、ディラーと顔を合わせた。
「そろそろ朽ちるか? 小僧」
「言ってくれるねえ。言っとくけど僕は、強いよ!」
ディラーは腰から刀を抜いた。腰に火炎放射器を背負っているからいつ使われてもいいように油断はできない。ベネトナシュは集中を崩さずベグラーベンハルバードを構えた。
刀と斧が交差する。二人は真正面から対立し、何度も刃に火花を咲かせる。ハルバードがディラーの首を狙って横に振られるが、簡単には喰らわない、ディラーはしゃがんで頭上に風を感じ、足でベネトナシュの腹を蹴った。
隙を作ったディラーは腹部を貫通させようと刀を伸ばすが、相手は騎士で自分は兵士。刃の扱いはどちらの方が上だろう。
ベネトナシュは叛逆の騎士だということを忘れてはならない。
ハルバートから片手を離して、アックスチャージャーを即座に取り出して剣を弾いた。
「バカな! なんだこの速さッ」
「残念だったな、私は負けんぞ」
怯んだディラーの胴体を左右から斧が迫る。剣で片方を防いだが、もう一方のハルバードは体に突き刺さった。ベネトナシュは更に深く体に食い込ませて回転し、最後に上に持ち上げるとディラーを下にして強く地面に振り下ろした。
●
建物は一階から六階まであって、その全てを探したが坂山はどこにもいなかった。隠し通路の類も一切ない。
カグヤ・アトラクア(aa0535)はスチャースの所まで戻っていた。
「純子の姿が見当たらないのじゃ」
「……フランメスの言っていた事に嘘はないと」
「うむ。本当に奴はゲーム感覚で楽しんでいるのじゃろうな」
本気で坂山を殺すならエージェントには何も手がかりを与えずに事は済む。それを、自ら情報を与えて来るのだ。
「何か思惑があるのだろうか」
ただ楽しみたいだけ……?
「スチャースよ、今度純子にも居場所のわかるバイオチップ埋め込むから、バレぬように手伝うのじゃぞ」
「埋め込む? 体内にか」
「無論じゃ」
「バレぬように……とはいうが、どうやってするのか検討もつかない。しかし、バイオチップを埋め込むのには賛成だ」
「睡眠薬からの全身麻酔のコンボで何とかなるじゃろ。まあ細かい事はわらわに任せるのじゃ」
カグヤの端末機が鳴った。メッセージが届いている、それは坂山からだった。
急いで内容を見るが、文字は一切なく地図が送られてきただけだった――いや、その下にもう一つ画像が添付されている。
悪意の写真だ。そこには数え切れない程の悪意が映し出されていた。坂山とフランメスが写っていて――
「カグヤ、急ぐしかないだろう。最悪だ」
「そうじゃな。喧嘩の押し売りをされたなら買ってやるのじゃ。場所はここからさほど遠くないのう。走れば五分くらいでつきそうじゃ」
先程から会話には参加していなかったクー・ナンナ(aa0535hero001)は、ゆっくり反対した。
「走るのは嫌だからタクシーを呼べばいいと思う」
「安心せい。共鳴すれば走らなくて済む。時間はあまりなさそうじゃ、さっさと行くとしようかのう」
坂山の端末から送られてきたメッセージは全員にも届いていた。咄嗟に坂山救出班と人質救出班で別れる事となった。
●
地図で送られてきた場所は下水道だ。エージェントはそれぞれ別のマンホールから降りて坂山の救助へ向かった。シエロ レミプリク(aa0575)は体が大きく、大きめのマンホールを探して少し遅れて下水道の道に立った。
近い場所から侵入した晴海 嘉久也(aa0780)とすぐに合流する。
「どうもッス。坂山さんは見つかったッスか?」
「いえ、まだです」
まだ探し始めたばかりだ。シエロは今すぐにでも坂山を見つけ出して抱きつきたい気分だった。こんなジメジメした場所は似合わないし、死と隣合わせの場所に彼女はいると考えるだけで恐ろしいのだ。
「必ず罠が仕掛けられてます。足元と天井、空中にも気をつけてください。薄暗い分視覚情報を気にするのでなく、聴覚や危機感を頼りにしましょう」
「もちろんッス。ミイラ捕りがミイラになる訳には行かないッスからね」
暗がりに目が慣れてきて、二人は別行動を開始した。
「よし、リーダーを迎えに行くぞ!」
「了解です、主様!」
少し離れた場所で氷鏡はアルヴィナと二人でゆっくり歩を進めていた。左右に設置されている歩道を壁伝いに歩いて坂山を探すが、気配はまるで感じられなかった。曲道、丁字路のある大きな下水道だから時間がかかるのは否めないが……。彼女も、シエロと同じく早く発見して不安を取り除きたかった。
「気をつけて六花、そこの壁に丸い穴があるわ」
今にも獲物を仕留める眼光が覗いてきそうな穴が一つだけ開いていた。確実に罠だと氷鏡は警戒した。
「どこにトリガーがあるのかしら……。六花、しゃがんで穴より下に自分の体が来るように移動して」
「わ……分かった……」
氷鏡は四つん這いの姿勢で進んだ。穴より下の位置に体があるから罠に引っかかっても怪我を負うことはないが、それでも罠を起動させてしまわないか怯えながら進む。
「え……?」
動きが止まった。後ろから見ていたアルヴィナが様子を窺う。
「う、動けない……の。体が……くっつい……ちゃった?」
「嘘でしょ……。今助けるから、ちょっとまって!」
動きが止まってしまった氷鏡の手を引っ張って地面から引き剥がそうとするが、接着されてビクともしなかった。
「可愛い獲物がかかったみたい」
前方から声が聞こえた。
水色のドレスを羽織った黒髪の女性が立っていた。綺麗なサイドテールで女王様の佇まいである彼女は、上気した眼で氷鏡を見下ろしている。
「あ、あなたは……!」
「お初にお目にかかるわね。ジェシーは光栄よ、人間の中なら女性が好きなの。だって綺麗じゃない。だから最初フランメスに協力しろって言われた時は殺してやろうかと思ったわ。だけど、協力する報酬で綺麗な女性をジェシーに差し出してくれると約束した。だから……」
薄気味悪い笑みが漏れ出した。ジェシーの眼は氷鏡からアルヴィナに移動した。
「ジェシーは戦いが嫌いなの。嫌々あいつと手を結んでるジェシーを労ってこの子のライヴスを頂けないかしら」
「お断りよ。話になってないから」
「……残念」
ジェシーが手を上に掲げた途端、すぐに異変が起き始めた。地響きの音が鳴り始めたと思えば、氷鏡の左右にある壁が段々と迫ってきた。
「六花!」
アルヴィナは今度は足を引っ張った。くっついているのは手だけだ。
「痛い……痛い……!」
ジェシーの姿はなくなっていた。アルヴィナは必死で助け出そうとしているのに、どうしてビクともしない……!
光が見えた。何度も引っ張っている内に指の先端部分が地面から逃れた。
壁はもうすぐそこまで迫っている。半ば絶望感に駆られながらも、アルヴィナは唇を噛み締めた。氷鏡の背中を抱きかかえて、全体重をかけて後ろに引っ張る。
「氷鏡!」
大きな音を聞きつけて、赤城 龍哉(aa0090)が駆けつけた。ヴァルトラウテ(aa0090hero001)と共鳴していた彼はブレイブザンバーを両手で握り締めて氷鏡の真横に立ち、壁を押し返した。
「赤城さん……!」
「急げ! あんま長く持たねえぞ……ッ!」
赤城の力を使っても、壁は少しずつ人を押しつぶそうとにじり寄ってくる。赤城は気合の声を上げて、力を緩めることなく反抗した。
「急げぇ……ッ!」
片手が地面から剥がれた。
「六花、もうちょっとよ! 頑張って!」
片手が剥がれると、反対側の手もすぐに接着から逃れた。氷鏡はアルヴィナに凭れかかって、二人は勢いよく仰向けに倒れた。
氷鏡が助かったのを確認して、赤城も剣を壁から抜いて二人の方向へ避難した。
「危ねえ、こんなモンが潜んでたのかよ」
仰向けに寝転んでいた二人は肩で息をしながら、落ち着くのを待っていた。
「大丈夫か、二人とも。立てるか?」
「六花は、大丈夫……です」
「私も、大丈夫よ。助けに来てくれてありがとう、二人だけじゃ乗り越えられなかったわ……」
頭が冷静になり始めて、氷鏡は冷や汗が出始めた。もしあのまま押しつぶされていたら? 運が悪く誰にも気付いてもらえていなかったら。
「とりあえず、しばらく一緒に行動しようぜ。皆にもこの事は伝えとく。絶対にここで単独行動はやめとけってな」
●
人質の救助を他のエージェントに任せて、防人 正護(aa2336)はリユーゼと隊員の一人を誘導していた。拷問部屋の反対側にある会議室は戦闘をするには適した広さであり、中央廊下で戦う仲間達と離れさせるには十分であった。
「ああああッ!」
リユーゼは怒りが最高潮に達していた。
「うざいうざいうざいッ! なんだよリベレーターって。僕の大好きなミユちゃんも殺して、邪魔ばっかりしやがって! ふざけんなぼけェ!」
「ここまで怒り狂うと、最早滑稽だな。貴様の人生も、今日で一段落させよう」
「ころすぞォ!」
怒り狂ったリユーゼはありとあらゆる物を武器にして防人に襲いかかる。手始めに資料が詰め込まれた大きな棚を両手で振り回して破壊衝動に駆られた肉食動物の如く防人に仕掛けた。戦闘の作法等何もないぶっきらぼうな攻撃だが、怒りがパワーを増幅させている。
元々リユーゼ自身の馬鹿力も侮れないのだ。岩石で出来た拳を一度でも喰らえば大きなダメージは間違いない。防人は慎重に動作を観察した。
腰を屈めて、リユーゼの足を狙って誓いの剣を叩きつけた。アッサリと転んだ彼は棚の下敷きになって短く呻いた。
呻いた後は怒りの雄叫びを上げて棚を吹き飛ばし、自分の体で防人に襲いかかる。その姿は本当に肉食獣だった。
「ああァッ! 殺す殺す。殺すぜええェェッ! バラバラにしてやる! すり潰してやる! お前のミンチハンバーグを食わせろよおおォォッ!」
半狂乱だ。剣を前に突き出して必死にガードしたが、あまりにも力が強すぎる、剣越しに吹き飛ばされた。
――お爺上様……、とても力で敵うような相手ではありません……! 剣で防御するのは無謀だと思われますッ。
Rudy・S・B,phon(aa2336hero002)の声が流れる。
「そのようだな……。どうやって切り抜ける……」
考える暇もなく相手は強引に自分の手番を奪い取った。リユーゼは腕を振り回して回転しながら独楽のように暴走した。机や椅子が吹き飛ばされて、破壊したときの破片が防人の腕や足に当たる。
リユーゼの助っ人として一人の隊員がついてきたが、隊員は防人に手を出す暇がなかった。
「おいリユーゼ! お前、俺を巻き込むんじゃねえぞ!」
防人には攻撃をする隙すら与えられなかった。剣で攻撃しようと近づけば返り討ちにあうだろう。
――お爺上様、盾を!
わざわざ攻撃をする必要なんてないのだ。防人はリフューザルシールドを前に掲げて独楽が来るのを待った。
「舐めんなあァ!」
防人が立ち止まった途端、一直線に超突進してきた。リユーゼはこの一撃で決める予定だったのだろうか、最高の力を出してくれた。
「お前は言ってなかったな。こいつは普通の盾とは違うことを!」
岩石の腕が当たった。弾き飛ばされたのはリユーゼの方だった。
隊員の一人が拳銃を取り出して防人に瞬時に狙いを定めて引き金を引いた。
「甘いぞ!」
盾で弾丸を弾いてそのまま隊員の腕に垂直になるよう投げると、腕から拳銃が落ちた。すぐに隊員の足の骨に罅を入れて戦意を喪失させた。
「死にたくなければこのビルから自力で逃げろ、奴の攻撃に巻き込まれるぞ」
敵の言うことを聞く、隊員にとっては屈辱だったがプライドよりも命を優先して、足を引きずって会議室から外へ出ていった。外でも戦闘が行われているだろうから、階段を使って逃げるだろう。
静かに、リユーゼが地面に立った。
「初めてだ……。僕をこんなに熱くしたのは。すごいよ。体中に、何かが来てる。ああ……ッ! なんだこれ!」
見たことのない出来事だった。あまりにも変わった時間が流れて、防人は困惑の声をあげた。
「何だ……?」
リユーゼが、溶けていく。
足から順々に黒い液体となって溶けていく。
「気持ちいいぜ……。アハハッ! こんなの、ハハハ!」
液体は会議室の扉の隙間を通って外へ流れ始めた。
●
拷問部屋に捕えられている生徒達の救出には時間がかけられていた。橘 由香里(aa1855)と黒金、キャルディアナ・ランドグリーズ(aa5037)と伏野の四人が協力して一階に一人ずつ運び出していた。釘から外さずに椅子ごとだった。
「橘、朗報だ」
セーフティガスで眠っている生徒を連れて降りてきた橘に、スチャースが語りかけた。
「朗報って、何かあったの?」
「今こちらに多くの救急車が出動しているとノボルから情報が入った」
「そう。じゃあ尚更敵を五階から外に連れ出す訳にはいかなくなったわね。救急車を呼んだのはスチャース? それともノボルかしら」
「呼んだのは坂山だ。ドミネーターに連れ去られる数分前に病院に電話して状況を説明、時間を指定してここに来るようお願いしていた」
以前、病院に運ばれた坂山を狙ってドミネーターが潜んでいた日があった。
救急車に橘が一緒に同乗して安全を確認する、という方法もあったが難しい話だ。黒金が心配だ。自分が止めないと受ける必要のない傷を自ら受けにいく少年だ。
「一度伏野さんに一緒についていってもらうわ。そして安全なら帰ってきてもらう。やっぱり油断は禁物よ、全てが安心だと分かるまで気を抜かないようにしないと」
「賛成だ。伏野には私から話させてもらう。橘は引き続き人質をここまで連れて来るのだ」
エレベーターを使わず、一階から五階までを何度も往復するのは大変だ。橘は手すりに捕まって、息を切らしながら五階まで登った。
「由香里さん、疲れたなら休憩してください、後は僕達が頑張りますから!」
「気にしないで。疲れてるのは皆も同じよ、自分だけ休憩なんてしてられないわ」
彼女は強がってまた一つ生徒を背負った。
――彼氏に甘えるのも女の役目みたいなものじゃよ。
橘の脳に飯綱比売命(aa1855hero001)の淑やかな声が聞こえてきた。
「何が言いたいのかは分かるけれど、甘えるのにもタイミングがあるでしょ。今は人命救助が優先」
――じゃ、終わったらあまあまになるのじゃな?
「……それは分からないけど」
――大丈夫じゃよ~、わらわとて二人きりの濃密な時間を邪魔はせんいうてのっ。
「任務に集中! 余計な話はしない」
――息抜きじゃ息抜き。ずうっと集中してたら疲れるじゃろ~。
アークトゥルス達が愚神を抑えているおかげで拷問部屋から救助が出来ているが、早めに終わらした方がいいだろう。相手はクノウとディラーだ。今まで散々苦労させられてきた相手だ。
残る人質は後五人だ。伏野が救急車に同乗して救助の人数は三人、後二往復で終わる。
階段でキャルディアナと交差した。
「さっき救急車が三台止まってたぜ、一人ずつ運んでる。ひとまず人質は安全か?」
「まだ安心だと断定するのは早いわ。たとえ救急隊員がドミネーターの隊員じゃなかったとしても、病院先に潜んでる可能性もあるの。伏野さんに向かってもらってるけど……正直、不安要素しかないわ」
「確かにそうだよな……。くそ、本当に面倒くせえ」
フランメスが坂山の携帯端末を使って中央病院から救急車を出動させて、中央病院には隊員が潜んでいる……。そんな未来もあった。
急いで救出作業を終えて、一度病院まで向かって安全が確認されてからここに戻ってくる。七面倒な行程だが、今はそれでしか人質の安全を確保する方法がない。
橘は大急ぎで階段をかけたが、三階から二階の階段を降りている途中、背後から拳銃で足を撃たれ、階段を転げ落ちた。
「ヒュウ、女を仕留めたぜ。大人しくしてろよ、こいつを持ってリーダーのとこに帰れば昇級待ったなしだな!」
「ちっ、待ち伏せされてたなんてね……!」
「動くんじゃねえぜ」
橘は自分が下敷きになって生徒を守った。隊員は階段を駆け下りて邪魔な生徒を退かすと橘の背中に馬乗りになった。まだ小柄な橘は、マウントを取られると抵抗が難しかった。うつ伏せだから息も辛いのだ。
「由香里さん!」
橘の手伝いをしに急いで登ってきていた黒金は、雷上動で隊員の腹を撃ち抜いた。
「邪魔すんなガキが!」
矢を避けた隊員は黒金の腕を目掛けて再び発泡するが、黒金の方が小柄な分スピードが早かった。すぐに懐まで攻め寄られ、橘を解放する。
「おい、いいのかよ。この人質がどうなっても!」
隊員はそこらのゴロツキと同じように、人質に銃を向けた。
黒金の手が止まった。今目の前で人が殺されようとしている。それは最悪な事件であり、阻止するためには隊員を殺す必要がある。
自分がこれからしようとする事も、隊員がしようとする事も代わりはないことだ。命を奪うという、残虐な行為に代わりはない。苦悩する黒金を見て、橘が雷上動を構えた。
「待ってください……!」
隊員の顔面に矢が放たれた。それは橘の持っていた弓矢ではなく、黒金が手にした物からだった。
●
迫間 央(aa1445)はカグヤの手伝いを借りて二人で罠を解除していた。そこかしこに糸やスイッチが設置されている。
「今までよりも罠の完成度が上がっている上に、数も多い。今までのと種類も違うところから、トラップが得意な人間でも用意したのだろうか」
「おお、新たな脅威の登場か。楽しみじゃの、どんなんがおるのか」
気配というのは、周囲が暗ければ暗いほど勘付くのが早まるものだ。カグヤも迫間もすぐに立ち止まった。目の前から何者かが歩いてきている。
第二の直感は、その何者かは敵であるということ。
「大丈夫、まだ死んではいないよ」
フランメスは坂山を姫様抱っこをしながら、二人の前に現れた。
「単刀直入に言うのじゃ。純子を、今すぐ、返すのじゃ」
カグヤの言葉を聞いた途端、フランメスは微笑を浮かべながら溜息を吐いた。
「愚か者だな。坂山純子が足手まといなのは明白、君達の足を引っ張ってしかない。なのにどうして助ける? ここで死んだ方が君達の為になるというのがどうして分からないのだろう」
「純子は確かに馬鹿じゃ。今回の取引、天涯孤独のエージェントにぶん投げておけばいいのじゃが自ら飛び込んでいきおった。まだまだヒヨッコで弱くて、通信士とリーダーという大事な仕事を担っておるというのに」
薫 秦乎(aa4612)や黒金、氷鏡までもが自分の情報を与えていいと言ってくれたのだ。それらの提案を全て受け取って、尚且つ悲劇を選んだ。お人好しを通り越して馬鹿者だ。
「じゃけど、わらわはそんな純子が好きでの。だから返して欲しいと言っておる」
「訳がわからないな、この愚か者の処分をしてやると、これは善意なんだが」
フランメスにそれ以上何も言わせない。迫間は声を強くしてこう言った。
「坂山が自分をお前達に晒したのは、お前達を叩くという意思表示だ。そんな意図も読み取れんのか?」
会話に間ができた。
フランメスは持っていた坂山をぞんざいに地面に落とした。
「二つ目の取引をしよう」
沈黙を破る声には奥行きがあった。
「そっちにいるチャールズを僕に差し出せば坂山を返そう。更に斎藤も解放するならリユーゼ、クノウ、ディラーの内一人を殺そう」
余計な一言は加えずに二人の反応を待った。
迫間はその取引を拒絶した。すぐに否定した。坂山は命をかけてドミネーターに屈しない選択をしたからだ。
「お前等にとって、チャールズがまだ重要な存在であるという確信が持てたな。尚更渡す訳にはいかん」
「同感じゃな。お主はもうちっと、交渉技術を磨いた方が良いな?」
「そもそも――お前に愚神が殺せるのか?」
二人の返答は、フランメスにとって期待通りだったに違いない。その返答を聞いて大口を開けて笑ったからだ。
「面白い、そうこないとなあ。」
不必要な銃声が突然鳴った。目もくれぬ程の抜き撃ちで、銃弾は坂山の肩を貫通して彼女は眼を開けて痛みの声を出した。
「ほら、仲間があっちにいるぜ。行ってこいよ」
迫間は天叢雲剣を構えて規格外の速度でフランメスの懐に入り込んで剣を振り、坂山とフランメスの距離を開けた。迫間が作ってくれた間をカグヤは無駄にせず、坂山の所へ駆け寄って、すぐに傷を治療した。
至るところから出血している。肩だけでなく、足や腰、腹には打撲の後があった。唇を噛み締めた後に出来たのだろう切り傷も見えた。
「もう大丈夫じゃ。純子、助けにきたのじゃ」
カグヤは両腕で抱えながら寝ぼけた顔をした彼女の顎を掌で包んで自分の顔に向けた。
おかしいとは思っていた。あれだけ坂山を殺そうとしたフランメスが簡単に自分たちの手に渡すのは、あからさまな罠ではないかと。違和感の塊だった。
カグヤに抱えてもらっていた坂山は「うわッ」と驚いて親愛なる隊員の体を両腕で強く押して転ばせた。
「嘘でしょ……、なんで従魔が来てるのよ!」
坂山の言葉が耳に入った。
「落ち着くのじゃ、わらわは従魔ではない。よく見よ、正真正銘のカグヤじゃ」
しかし、カグヤの言葉は聴けなかった。坂山は大急ぎで通路を抜けて、どこかへ走り去ってしまった。
「貴様、坂山に何を施した?」
「なあに、ちょっと遊んでみただけさ。例えば自分の仲間が従魔になるように幻覚を見せるとかね。自分を信頼してくれてる仲間を傷つけるっていうのが、果たして坂山君に耐えられるかな」
「この……ッ! カグヤ、坂山を追え! 今あんな状態で走り回られると罠にかかる可能性がある、そうなれば死ぬ! 頼んだぞ!」
一つの返事でカグヤは了承して仲間に通信機で現状を伝えながら坂山の後を追いかけた。
ここの罠は敵を捕えて拷問するだとか、まだ生の余地がある罠じゃない。処刑に等しい殺意だけが秘められた罠だ。
●
ディラーと一般隊員の標的を引いていたのは九字原だ。今は左右から挟撃されているが、人質の避難を終えたキャルディアナと黒金、橘の三人が加わって数的有利を生み出した。
「面倒なことになったなあ……。クノウ、そろそろとっておきを見せる時間じゃないかね?」
アークトゥルスの盾に剣を押し付けていたクノウはディラーの叫び声を聞くと、足で盾を蹴り飛ばして距離を取った。
「そうだな……。もはやここまで来ると面倒だ……」
クノウは剣の鋭利な切っ先を地面に向けて刺した。すると片手で指揮者のように空に模様を描くと光の跡が残った。光の跡は文字になって左右に浮遊移動して、ディラーの体内に入り込んだ。
ディラーはまたたく間に黒い液体になって溶けた。
「何だ……?」
アークトゥルスは盾を構えたまま警戒した。
黒い水は会議室の扉からも現れ、クノウの足元を濡らし――吸収された。
武器が斧から双剣に、鎧が更に黒く、羽織っていたマントは塵と消えて代わりに尻尾が生えた。一本の長い尻尾の先には斧が付属していた。
「私の本気を見せてやる。誰からでもいい――来い」
怯んだら向こうの思う壺だ。九字原は雪村を構えて一歩踏み出し、そのまま腰を低くして接近戦の間合いにまで入った。雪村の刃はクノウの胴体を狙っていた。
強大な二つの剣が雪村の攻撃を防いだ。九字原はクノウの後手を読んでいた。胴体に気を取られて疎かになっている足に向けてハングドマンを投擲する。二本の糸が足を絡めた。
「フン」
クノウはハングドマンに構わず九字原の頭を目掛けてもう一つの剣を上げた。
「こっちです!」
後ろに回り込んでいた勇気ある少年は黒金だった。鬼若子御槍は尻尾を狙ったが、斧の一振りが命中の精度を落とした。槍は尻尾に当たらずに宙を振り、自由意志を持ち始めた尻尾が黒金の首を狙った。
陰陽玉が咄嗟に黒金を守り、彼は退避した。
黒金に気を取られて九字原への反撃が疎かになって、バックステップする猶予を与えてしまった。背後に回っていた黒金も前にいる仲間と合流し戦いは振り出しに戻った。
「貴様がいくら力をつけようが、私らには勝てん。諦めろ!」
聖十字の盾を握り締めたアークトゥルスは走り出して、クノウの胴体に全力でぶつかった。ディラーとリユーゼを吸収したクノウの力は恐ろしく硬い。
だが、アークトゥルスは諦めずに押し続けた。壁際に押し付ければ、全員による連携攻撃で一気に畳み掛けられる。尻尾の邪魔も入りづらい。
クノウの二つの剣がアークトゥルスに目掛けて振り下ろされそうだ。
「蛍丸、止めるわよ!」
橘のフリーレンサーベルと鬼若子御槍が剣の軌道を途中で止めた。
「出番だぜ!」
双頭―アンフィス―、侵攻―バイネイン―。二つのトリガーが連射される。弾丸はアークトゥルスの横を通り過ぎて硬いクノウの胴体を押していく。
尻尾は雪村の刃が抑えていた。九字原は側面に立ってMスカバード二つの力を全て注ぎ込んでいた。
「次から次へと、邪魔な……!」
橘と黒金に掛かる力が強くなり始める。クノウも焦っているのだろう、焦っているということは最大のチャンスが訪れるという話だ。ここで耐えれば、ここで耐えれば。
押せ! アークトゥルスは力に負けないように最大の力を込めた。雄叫びを上げた
背中が壁についた。ハングドマンは足についたまま取れる気配がない。
「今だ、一気に畳み掛けろ!」
「よっしゃいっくぜぇえッ!」
武器をLSR-M110に持ち替えたキャルディアナは、狙撃スコープを覗かずに我武者羅に連射した。弾丸は全て味方を避けてクノウの胴体、頭部、腕、足に連続して命中した。腕の攻撃は力を弱めて、黒金と橘の負担を軽減させた。
尻尾を抑えていた九字原は雪村を両手で握り締めて、壁を蹴って天井に両足をくっつけた。丁度クノウの頭上だ。真上だ。
真下に向かって剣を突き刺して頭部を貫いた。
「ク……くそメ……!」
アークトゥルスは盾を何度もクノウに叩きつけた後、右腕に力を入れて顔面を、思い切り叩いた。
鎧に罅が入り、黒い液体が溢れてディラーが元の位置に姿を現した。火炎放射器を両手で握り締めて、広範囲に及ぶ炎をエージェント達に撒き散らした。
「こんな戦い方もあるんだよォ! 燃えて灰になってしまえよ!」
「吸収を解除したのね……! 厄介なやり方、皆避難を――」
炎が撒き散らされる時間は一秒で終わった。恐らくディラーは忘れていた、エージェントの数を。目の前の獲物達に夢中になって背後が疎かになっていた。あまりにも興奮しすぎて。
ディラーは自分が空中に浮き上がっている事に気付かなかった。あり得ない現象だったからだ。何の作用が働いて自分は空を飛んでいるのか。
「防人流……雷堕脚、閃光の型!!」
防人は飛び上がって雷を纏う足でディラーの体を射抜いた。
戦いはまだ終わらない。ディラーがやられたことで力を失ったクノウの頭部をキャルディアナはしっかりと狙っていた。
「お前との長い戦いもこれで最後だぜ! 沈めよッ!」
鋭いグングニルが頭部に向かって投げ飛ばされる。動けなくなったクノウの頭部を射抜いて完全に壁に縫い付けた。
「もう一回だ!」
頭部に突き刺さったグングニルをアークトゥルスは一度抜いて、再び突き刺した。クノウの頭部が落ち、黒い水となって溶け始めてすぐに蒸発した。硬い鎧だけがその場に残っていた。
●
下水道は見えない罠がそこかしこに仕掛けられていた。氷鏡と一緒に行動している赤城は自分が先頭に立って進んでいるが、坂山と罠両方に意識が傾いてスピードが落ちていた。
「あらあら」
艶やかな声が前から聞こえた。
「早くリーダーを探さないとだめなんじゃないの? 割と本当に死んじゃうかもしれないというのに」
「誰だてめえ」
赤城はジェシーと顔を合わせるのは初めてだった。
「ジェシーよ。ねえねえすごいと思わない? この罠全部自分で作ったのよ。三日もかけて! 褒めてほしいわね」
「そいつはすげえが、別の事に労力を使いやがれ! って、もしかしてお前愚神か?」
「大正解、どうして分かったの?」
「何年エージェントやってると思ってんだよ」
罠を設置したジェシーは気楽に道を歩くことができる。罠のある場所、ない場所が明確に分かっているからだ。
そしてジェシーの瞳は共鳴している氷鏡に向けられていた。
「その子、私のお気に入り」
赤城はブレイブザンバーを持って、氷鏡の前に立った。危険な香りがする。
「可愛い物には眼がないの、私。人間でもぬいぐるみでも動物でも。今はあなた達が邪魔だから手は出せないけれど、その内奪っちゃおうかしら」
艶に磨きがかかって、色気のある声をジェシーは出した。
「難しいと思うけれどっ」
氷鏡は反論して、するとジェシーは腰に手を当てて含み笑いを漏らした。
「くっくっく、いいわねその強気な感じ。唆るわね。せっかくだから……暫く遊んであげるわ。本当は戦わないつもりだったんだけれど、ちょっとだけね?」
ジェシーは足で軽く床をトンと叩いた。すると、赤城と氷鏡の左右から大きなノコギリが登場して二人を斬りつけるために無尽に振られた。
終焉之書絶零断章はすぐにノコギリを氷漬けにした。
「まだまだよ!」
今度はリモコンのスイッチを取り出して、青いボタンを押すと天井から幾つもの槍が降り注いだ。赤城は剣を傘代わりに氷鏡を守る。
「特別サービスゥ」
まるで踊り子、ジェシーは小さく飛んで地面に着地した。地面は凹んで、二人の背後の壁から円筒状の武器が飛び出してきた。砲撃だ!
咄嗟の判断が早かった。赤城はロケットアンカー砲を射出し、遠くで爆発させた。熱風が二人の服を揺らした。
「楽しいわね、楽しいわねっ。もっと欲しいでしょ?」
ジェシーは完全に油断していた。赤城はアンカー砲をすぐにジェシーに向けて放った。自分が攻撃されるとは思ってもみなかったのだろう、ジェシーは叫びながら吹き飛んだ。
「今の内にいくぜ、氷鏡!」
「うん!」
うつ伏せに倒されたジェシーはすぐに起きて顔についたホコリを両手で叩いたが、既に氷鏡の姿はなかった。
●
シエロはジスプ トゥルーパー(aa0575hero002)の意識の手伝いも借りて坂山を必死に探していた。罠だらけの下水道を無防備で走り回っているのは危険すぎる。すぐ後ろに晴海も続いている。
「主様、そこの壁に長方形の凹みがあります、罠の香りが……!」
「さんきゅッ!」
シエロは高く飛んで、穴よりも真上を飛んで危険を根本から回避した。
「脱出口付近の安全確保は既に済んでいます、後は坂山さんを見つけ出し、避難させましょう」
「もちろんッス! リーダーを助けに!」
今まで罠を避け続けていたシエロだったが、不意に脚が沈んだ。地面が凹んだのだ。
「マズイかも……?!」
罠はすぐに発動した。
地面からガスが勢いよく噴出し、またたく間に周囲を取り囲んだ。
「毒ガスです! 急いで退避を……!」
晴海は体の麻痺に気付いた。動きが鈍くなったのだ、足を動かそうとすると反作用の力が入って、前に進みにくくなる。
「申し訳ないッス! 嘉久也さん、ウチにしがみついて!」
「頼みます……!」
シエロは義足であり、麻痺の影響は受けていない。腕は少しずつ鈍くなってはいるが……。
毒ガスは広範囲に渡っていた。走って一分して漸く抜け出した。シエロは晴海の麻痺を取り除いて、「大丈夫ッスか!」と肩を叩いた。
「大丈夫です、助かりました。……毒ガスの予想はしていたのですが、麻痺ですか……。あれだけ即効力があるという事は、非常に強力な物を使っていたのでしょう。動けなくなっている所に留めをさすつもりだったのでしょうか……」
「巻き込まれたのがウチだったからよかったもんッスね。……坂山さん、無事ッスよね……?」
「ここまで手が込んだ罠ばかりだと不安ですね――」
晴海は唇に人差し指を当てて「静かに」の合図を出すと耳を澄ました。自分たちに向かってくる足音――走っているのだろうか――と、今にも途切れそうな吐息が響いて聞こえる。靴は吐いておらず、裸足で地面を蹴る音だ。
「坂山さん!」
走ってくる音は坂山の物だった。遠くに見える影が少しずつ近づいてくる。
「坂山さん、ウチッス! 助けに来たッスよ!」
シエロと晴海の姿を見た彼女は途中で立ち止まった。そして反対側に逃げ出そうとしたが、その方角にはリィェンとインがいた。二人は坂山を追ってくれていたのだ。
「坂山は幻覚を見させられている! 俺達の姿が従魔に見えるんだ!」
「従魔……! 前、あの愚神が使ってきた技と全く同じモノッスね……! 坂山さん、ウチは従魔じゃないッスー!」
素早い速度で坂山を追って背中から抱きしめた。坂山は振りほどこうとシエロの頭や腕を強引に殴る。
「一人にはしないッスよ! ウチらの側にいてくださいッス!」
「無茶だ。どんなに説得しようとしても声は届いていない……! やむを得ん、気絶させるしかない!」
「待ってくださいッス! 強引に眠らせるよりも何か方法があるはずッス。何か……!」
もう一つの足音が聞こえた。晴海の背後からだ。他のエージェントが到着したのか、もしくは……。また、新たな敵か?
「スチャースさん、あちらに!」
駆けつけたのはルディとスチャースだった。
赤城は防人に、スチャースを下水道に連れてくるように言っていた。人間の声が幻覚に変わってしまうなら、機械の声はどうなのだろうか。スチャースの声帯は機械で出来ている。愚神の効果はどこまでの物か?
「坂山、お前は幻覚にかかっている。今お前が殴っているのはシエロだ、落ち着け」
――。
ピタリと坂山の動きが止まって、スチャースを振り向いた。
「何……?」
「今殴っているのはシエロだ。幻覚を見させられている、この下水道に従魔なんかいない」
「嘘……、私を、助けにきてくれたの?」
「世話のやけるリーダーだ、本当に」
その証拠に、従魔は坂山を攻撃しようとしない。坂山は従魔の眼をよく見てみた。確かに怖い顔をしているが、どこか懐かしい記憶を呼び覚ます暖かさが存在した。
「色んな所を怪我してるッス。早く病院に連れていきましょうッス!」
「そうだな。だが……迫間と薫がフランメスに二人で対応している。私とシエロが坂山を送り届けるから、皆はフランメスの対応に回ってほしい。場所はこの道を真っ直ぐいった場所にある通路を二回右に曲がった所だ。急げ」
シエロは坂山を抱きかかえたまま出口へと急いだ。晴海が出口付近のクリアリングをしてくれたおかげで、下水道から外に出るまでは楽勝だ。
●
アックスチャージャーがフランメスの胴体を切り裂く寸前で、バック転で回避された。
「興が醒めたなどほざいてくれるなよ、蹂躙者。このような溝臭い場で果てるのは本望ではないだろう?」
「あまり僕に勝負を挑まない方がいいよ。なんせここは、僕の秘密基地なのだからね」
「……お前が本当にぶっ潰しとかなきゃならん連中もいることだしな」
本当にぶっ潰しとかなきゃならん連中。フランメスは眉をしかめた。
「何の話だ?」
「その反応だけで十分だ」
余裕綽々の素振りを見せていたフランメスが手にしていた拳銃をベネトナシュの足に目掛けて放った。わざと外したのか、痛みはない。
「何の話だと聞いている。デタラメを言ってるのか?」
「お前に言う義理はない」
「なら意地でも言わせてやるよ。僕はそうやって隠されるのが、一番嫌いなんだよ」
今度は銃口を胴体に向けて、躊躇なくトリガーを引いた。人を殺す事に戸惑いは何もないのだ。その形相は愚神と大差なかった。
迫間がベネトナシュの前に出て、剣で銃弾を弾いた。
「お前もしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないだろうな?」
――それとも、それがわかっているから今回も逃げるのかしら。マイヤ サーア(aa1445hero001)が挑発気味に言った。
「お前ら……。いつまでもぬるま湯に浸かっていられると思うなよ」
迫間の後ろからリィェン、ルディ、赤城達が集合し、フランメスの背後を晴海が取った。
「リベレーター、お前らは絶対潰す。取引という甘い提案をしたのが僕の最大の過ちだったな。覚悟しろよ、次はお前たち一人ずつ殺害してやる」
「口だけは達者な奴だ。なら今すぐ殺してみろ。それができなきゃ、お前はただの小蝿だ」
フランメスは迫間を睨みつけた。初めて余裕を失った表情だった。
どこからともなく音が聞こえた。小さな音で、どこにでも耳にするような音。何かが押される音だ。小型の何かが。
そして、どこからともなくスモークが発生した。周囲を包み込むのだ。
「お前たちは僕を怒らせた、覚悟しろよ」
「逃さねえよ!」
赤城は決してフランメスから眼を離さず、一人で全速力で追いかけた。だが途中でトラバサミに足が引っかかり、フランメスの逃亡を許した。
トラバサミを解除している赤城に、スモークから近づいた影がこう言う。
「ジェシーが特別なヒントを教えてあげる。ジェシーは私のお気に入りの子をいつまでも追いかける習性があるの。次の標的はだから、そうかもね?」
「氷鏡を狙う気かてめえら!」
「ジェシーのお気に入りになった方が悪いわ。だけど、フランメスはリベレーターという存在に怒ってる。今回は親玉を狙ったみたいだけど、次はあなた達の誰かが選ばれるはずよ。人間の考えなんか手に取るように分かるわ」
「お前、フランメスとどういう関係なんだよ。どうして俺にヒントなんて教える?」
「ええ? ジェシーの気紛れよ。今日は機嫌がいいから、機嫌がいいと人間相手でもいいことを教えてあげたくなるの。ちなみにフランメスとは協力関係。どっちが上とかそういうのないから、どちらかがどちらかを裏切るのは簡単。でも、ジェシーは約束を破らない限りフランメスを殺すことはないわ」
「へえ、そうかよ。ちなみに、目の前でトラバサミに苦戦してるリンカーを助けるのもいいことに含まれるぜ」
「面倒だから遠慮しとくわ。頑張って」
背後からリィェンが赤城の後を追ってきていた。
「龍哉、大丈夫か!」
「悪ぃ逃しちまった。こんなのさえ無けりゃよかったんだが」
「気にするな、まだ次がある」
フランメスとジェシーの姿が確認できなくなって、晴海を筆頭にして下水道に設置された罠の後片付けを開始した。おびただしい数の罠を解除するには半日かけなければならかったが、そのかわり罠に使われた材料を持ち帰られたのは成果だろう。
クノウ等の三体はいなくなったが、厄介な愚神がまた新たに登場した。分かっているのは罠を設置するということだけ、新たな敵の存在は脅威となるだろう。
●
病院につく頃には幻覚が解けていた。運んできてくれたシエロの姿が見えて、坂山はシエロの名前を呼んだ。
「無茶じずぎないで欲じいッス~!」
感極まって正面から坂山を抱きついて頭を何度も撫で回した。坂山は少し恥ずかしそうにしたが、彼女も両手をシエロの背中に回した。
「ごめんなさい、オペレーターとして悪い事をしたと思っているわ。感情に任せて行動しすぎた、反省ね……」
病室には伏野と九字原、ヴァルトラウテや、多くのエージェント達が御見舞に来てくれていた。
同室していた君島 耿太郎(aa4682)は坂山の精神的ダメージを気にしていた。大事な生徒を巻き込んで、笑顔にはなれないだろう。
「坂山さん、あの……生徒さん達は皆大丈夫なので、心配しないでほしいっす。皆もうピンピンっすよ」
「さっきスチャースから聞いたわ、皆で助けてくれたのよね。ありがとう、本当にありがとう」
生徒の話を持ち出すと、君島の考えていた通り坂山の顔が翳った。
「無事に帰ってきてくれたのは良いのですが、自分がオペレーターであり、情報を提供する役割ということは自覚して欲しい……と晴海さんからの伝言ですわ。私も、気持ちは分からなくはないですけれど、もう少し落ち着いて行動すべきだと思いましたわ」
「大の大人がね……」
危機感が過ぎ去ると、次に訪れるのは自責だった。
「もっと、自分を大事にしてください……。坂山さんに護りたい人がいるように、坂山さんを護ってあげたい人がいるんですから」
伏野は生徒達の言葉を受けて、坂山に言いたかった事を喉から表に出した。
――羽土(aa1659hero001)は救急車で病院にいって安全を確認した後、その場に残って安全に椅子から取り外された生徒達一人一人から話を聞いていた。
「坂山先生、H.O.P.Eの人になってたんだなー」
その男子生徒は懐かしむように言った。
「今思えば俺も糞ガキだったんだけど、だいぶお世話になったよ。もしかしたら他の連中はさ、坂山先生のせいで自分たちは不幸な目にあったからって、恨む奴もいるかもしらんけど、俺はそうは思わないな。スゲー怖かったけど」
「それはどうしてかな」
「良い先生だったんだもんよ。卒業式の日なんか生徒一人一人に手紙渡したんだぜ、今でも持ってるし。ちょっと茶目っ気のある所もあったし。なんてーか、他の先生よりも子供に寄り添ってくれてるなーって感じがあった。そりゃーさ、今になって思うことで、昔はそうは思わなかったけど」
良い人だからこそのデメリットもある。行動力があるのは褒められるところなのだろうが、自分の立場を自覚できなかったのが今回の最大の問題だった。
「気を悪くしてほしくはないんだけれど、坂山さんは戦闘能力に関しては皆無だわ。だから自分の弱さを認めるのも必要で、認めた上でできる事をすればいいと思ってるわ」
橘はなるべく優しく言った。溜息と一緒に。
「十分に、反省させてもらうわ」
羽土は病室のベッドのすぐ近くにあった壁にもたれて、最初から置かれていた花瓶を見ていた。
「ドミネーターに屈しない、その心意気は見事だと思う。ただ、もっと隊員を頼った方がいい。誰も頼りすぎてるなんて思ってないだろうしね」
任務にいってくれるのは基本的にエージェントだった。坂山は今までの人生で人を頼ったことが少ない。全部一人で解決をしようと努力はしていた。
しかし、もう限界だろうか。目の前に立ちはだかる壁は、あまりにも大きすぎる。
「でも帰っでぎでぐれて良かっだッズ~~!」
「主様、坂山様が暑そうです……」
「え、ええ気にしないで」
仲間たちとじゃれ合う様子を、スチャースはカグヤと一緒に外から見ていた。クーは椅子に座ってイチゴミルクを飲んでいる。
「ま、一安心じゃな。純子の行動が正解か間違いかは分からんが、まあこれで純子も懲りたじゃろ、確か前も現地に突然来たことあったじゃろ」
「ディラーの手から救うために、竹刀一つでな」
スチャースの通信機にツヴァイ・アルクス(aa5037hero001)から連絡があった。彼はキャルディアナと一緒にビルに残ってもらって、二人で捜索をしてもらっていた。五階以外に不自然な場所がないか、ドミネーターに関連する情報はないか。
見つかったという。
「面白いものを見つけた。ドミネーターと深い関わりを持つ人間に関する情報だと思う」
「その人物の名前は?」
「アーガルズ……資料の一部分から察するに、武具をドミネーターに提供しているらしい。チャールズ、彼女にこの事を尋ねてみればいいんじゃないか」
ツヴァイが横でスチャースと通信している傍ら、キャルディアナは倒れているリユーゼが起き上がらないよう強い眼差しを飛ばしていた。
「こいつ、起き上がんないよなぁ?」
つま先で突いてみるが、起き上がる気配はない。それにしても暴走していた時と比べると静かな顔で眠っている。
「ん?」
街の明かりが入ってくる窓に目を送ったキャルディアナは、ベンチに座っている男と目が合った。若くて、頭に包帯を巻いている。ずうっとキャルディアナを見つめていた。
「なんだよ、気味悪ィ」
男の口が歪んだ。少し斜めに。
ツヴァイの方を見ると、まだスチャースと通信していた。
「リユーゼという男は元々H.O.P.Eに捕えられていて、ドミネーターによって連れ出された男の一人みたいで――以前そんな事件があったんだな――分かった、何かあったらまた」
通信が終わると、キャルディアナはすぐにツヴァイを呼んでベンチの男を指した。しかし、二回目見た時に男の姿はなかった。
「おい、どこいったんだ?」
二人はすぐに降りて、ベンチの所まで急いだ。周りを見渡しても何も見えない……男の姿はない。
その代わりにメッセージが地面に掘られていた。鋭い何かで掘られたような跡がアスファルトにかかれている。
憎しみを込められた文字。
『ただいま――Kより』
結果
シナリオ成功度 | 大成功 |
---|