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もう大丈夫
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相談卓
最終発言2016/04/30 20:19:44 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2016/05/02 20:29:50
オープニング
●いつかの影
北東北の小さな町――その外れにある山中の墓所に、ごく小規模なドロップポイントが生じた事がある。
と言っても、エージェント達の報告によると、気候が秋のそれに保たれ一部の植物に生態異常をきたしていた他は、ミーレス級の従魔が若干徘徊していたのみ。
危険らしい危険も見当たらず、程なくしてドロップポイントは浄化された。
なぜ発生したのかは不明だが、一般にドロップゾーンやドロップポイントが生じる原因は、愚神が展開するか、ライヴス異状による自然発生のいずれかである。
もしも前者ならば主たる愚神が姿を見せる可能性も否めない――そう考えたH.O.P.E.は現地を封鎖、観察を続けてきたものの、結局何も起こらず終いだった。
やがて、墓所の管理をH.O.P.E.から万来不動産に譲渡移管する話が持ち上がったのは、すっかり雪も解けて久しい、穀雨の時節に差し掛かる頃の事。
ついては最終確認も兼ねた立会いをすべく、四名以上のエージェントが現地に赴く事となった。
「せっかくですしお墓に手を合わせて……少し、ゆっくりしてきましょうか」
ひと通りの説明を終えた担当オペレーターこと鬼丸 鞘花(az0047)は、その言葉を以って同行の意思を一同に示した。
●忘れ得ぬ忘却
山道が緩やかになる頃、生い茂る――春だと言うのに花の咲いた――萩の狭間から地蔵が顔を覗かせているのが見えた。
歩み寄れば、幼子にも似た安らかな面、その足元には風車が回る。
風の流れを目で遡ると、牡丹の花と更に多くの風車、そしてぽつぽつと狂い咲く彼岸花、更に名も知らぬ――恐らく最近植えられたものなのだろう――花が揺れるのに囲まれて。
暖かな春の日差しを浴びながら、不恰好に細長い墓石が、幾つか立ち並ぶ。
中でも一際手入れの行き届いているのは、幾ばくか風化して薄れかけた“南家”の刻銘が認められたもの。
「――……、」
その前で、鞘花は目を細める。
この冬に急遽出版された小説に、また前任のオペレーターより引き継いだ報告書に目を通して、ここに眠る母子とその一族の数奇な運命を、知っていたから。
『ふん――たまに出歩くのを許したかと思えば、まァた斯様に辛気臭い場所を』
だが、今まさに馳せんとしていた想いは、隣からかけられたさもつまらなさそうな声に阻まれた。
「……まあ、人聞きの悪い」
小さく息を吐いて声の主――静(az0047hero001)を見遣れば、彼女はどこかから失敬した風車をくるくると弄んでいる。
「元より幻想蝶に縛り付けているつもりは、ないのだけれど」
『同じ事だ! 少しの事でいちいち説教垂れられたのでは遊ぶ気も失せる。尼かお前は……ッ!』
「他の人の迷惑になりさえしなければ、何も言いませんとも。簡単な事でしょうに」
『四六時中他人の顔色ばかり窺ってられるか! 気が滅入って終いには身をわずらうわ!』
「でも、私の顔色を窺っているのではなくて? 四六時中」
『……言ってろ!』
「あらあら。――静、あまり遠くへ行ってはいけませんよ」
分が悪いと見たか、捨て台詞を吐いて大股で藪の中へ分け入る英雄に鞘花が注意喚起すると、『童扱いするな!』と子供じみた応えがあった。
「あのう」
一部始終を見ていた気弱そうな男――万来不動産の担当者が、心配そうに藪と鞘花とを交互に見て、口ごもる。
「どうかお気になさらず。お腹が空いたら戻ってきますから」
「はあ……」
彼は、悪びれもせず微笑むオペレーターに曖昧な反応をして、それから彼女と共に立会いに訪れたエージェント達をちらりと見た。
●名残
『まったく腹の立つッ……いつまで経っても上から目線だッ……』
ぶつぶつと相棒に対する不平不満を垂れ流しながら、静は彼岸花の園を往く。
狂い咲きも不自然なら、山中に突然このような開けた場所があるのも不自然だが、今の彼女にはどうでも良い事だ。
『……おお?』
やがて無数の花の途切れ目に、著しく傾いて瓦解したほとんど用を成さない屋根と、それに押し潰されるようにして辛うじて口を広げた堂と思しき建物が見えた。
『ふん』
廃寺の周囲に視線を巡らせれば、草の隙間のそこかしこに地蔵らしき石頭がほつほつと顔を覗かせ。
ある場所に、木と木の狭間に隠れるようにして、腐りかけた小さな祠が目につく。
『つくづくしけたところよ』
少しだけ物憂げに目を細めてから、静は恐らく何もない寺の方へ歩き出した。
解説
【はじめに】
こちらはシナリオ『影のわずらい、その後』および『だから、白紙』に縁ある土地が舞台となります。
(原則、過去の参加既読は問いません)
【舞台】
北東北、とある山中にある古びた墓所。日中。晴天。
かつては鬱蒼と荒れ果てていましたが、エージェント達によってよく手入れされ、現在はこじんまりとしながらも趣き深い場所となっています。
日当たりがよく、墓の周りに植えられた花が咲き始めた他、墓所の随所に生えた牡丹の花が見頃です。
一方でドロップポイント化の後遺症なのか、若干の生態異常が散見されますが、自然に元通りとなっていくようなので気にしないでください。
近辺の林には廃棄されたお寺や小さな祠、季節外れの彼岸花が咲き乱れる妙に開けた場所があります。
【主にできる事】
OPの状況からスタートとなりますが、事前準備も可能です。
・お墓参り:
お煤払いや周辺のお手入れなども含みます。
・散策:
よろしければ見納めのつもりでどうぞ。
・懇親会:
お供えを兼ねたお茶とぼたもちをご用意しております。
更に持ち込んでいただいても構いません。
【NPC】
・鬼丸鞘花:
のんびり散策したりまったりお茶を飲んだり。
話し相手に困った時などはお気軽にどうぞ。
そうそう、どこかで小角が生えた白髪鬼と鉢合わせるかも知れませんが、なまじ相手をするとご面倒をおかけするかも知れませんのでお気をつけくださいね。
(いずれも特にご用がなければ、どうかお気遣いなく)
・万来不動産の担当者:
便宜上居ますが、必要がない限り描写しません。
【その他】
夕方は雨マークなので、その頃に事務手続きをしてお開きとなります。
リプレイ
●涙――ナガルの場合
報告書を二つ、読み終えた。
涙が、止まらなかった。
だから、私は行く。
傷を負わせ、傷を負った、優しい人達の話を聞く為に。
その土地を、この目で確かめる為に。
●初めての、あるいは二度目の三度
「――こんにちは、」
「お久しぶり、ですね」
微笑を伴って墓前へ向かい、九十九 サヤ(aa0057)と紫 征四郎(aa0076)が交互に声をかけた。
「……?」
「……!」
互いに驚いて顔を見合わせ、また少しだけ笑う。
「お元気ですか?」
「ハル子の書いた小説、本になったのですよ!」
『サーヤ……、征四郎様まで』
一花 美鶴(aa0057hero001)は、そんな二人を不思議そうに見詰めた。
彼女にとり、それは“無”にかけた言葉だったから。
「すごいね、花の香りがする」
穀雨――春の終わりの山中を訪れて。
木霊・C・リュカ(aa0068)はそれを気取り、見上げるようにして、湿り気を帯びた呼気を微笑ましげに呑む。
視覚が不確かな分、殊更に敏いのかも知れない。
『……秋の花も、咲いてるから』
「うん」
だが、彼の手を引くオリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)もまた、程なく感じた。
見渡せば、春と秋の彼岸を飾る花王花妻が、そこかしこで寄り添う。
『金木犀もどこかに咲いてるかもしれないな――』
「ハロハローリュカちゃんご機嫌いかが~?」
不意に虎噛 千颯(aa0123)が視界を埋め尽くす。
『……』
「あはは、ちーちゃんには負けるよ~」
「やっりー俺ちゃん早速一勝~!」
『……ん?』
「えっ?」
それとなく墓所を歩いていた千冬(aa3796hero001)とナガル・クロッソニア(aa3796)が、リュカの声に振り向いた。
「……ふふ、“ちーちゃん”だって」
くるりと子猫じみた目でもう一人の“ちーちゃん”を見遣れば。
『……なぜ、ここに来ようと思ったんですか? マスター』
「そんなの、笑顔の元を作れるのはエージェントしかいないからだよ!」
『――……そうですか』
「あとでお話できたら嬉しいなあ」
年甲斐もなくじゃれ合う男達、そして、彼らに影を踏まれた者達の事を、日差しを受けた猫のように眩しげに目を細めて。
『オリヴィエ殿はお墓参りをされるでござるか?』
『……うん』
白虎丸(aa0123hero001)に問われ、オリヴィエは小さく頷く。
それからガルー・A・A(aa0076hero001)の元へ戻った征四郎に視線を送る。
さ――と風が吹き、鳥兜の花のような長い髪が流れて。
その主たる少女の面の傷も確かめず、ガルーはおもむろに言った。
『なに辛気臭ぇ面してんだ、征四郎』
「ガルー……」
『笑っておけ。あいつらは空の向こうで楽しくやってるんだろ?』
男は墓の方を、その足元を顎で示す。
一度はハル子に預けた種――再び征四郎に託され、皆で植えた種は芽吹き。
花を連ねて、紛う事なき道を成す。
美しく。
(よかった……きっとハル子達、迷わず出会えたでしょうね)
『な』
「……ん。大丈夫、なのですよ」
「もう愚神の心配はないって事ね。……よかった」
大宮 朝霞(aa0476)は帽子のつばを少しあげて、口元を綻ばせる。
『その最終確認を、これから俺達がするのだろう?」
「!」
……が、ニクノイーサ(aa0476hero001)が気を抜こうとした相棒をすかさず窘めた。
『油断するなよ』
「わわわわかってるわよ! ヒーローに油断なんて!」
『そうか? ならいいんだがな』
『まあまあニクノイーサ殿、そう気張らずとも大丈夫でござる』
そこへ白虎丸が和やかに間へ入る。
朝霞は、別段許可も取らずその喉元のたわわな毛並みをもふもふし始めた。
「もう5月ですね」
『うむ、いい季節になったでござるな』
「これから暑くて大変じゃないですか? 大丈夫?」
『心配ご無用でござる。ちゃんと夏毛仕様もあるでござるよ』
「え? あるの? 初めて聞いたんだけど……」
相棒の何気ない言葉に、千颯は思わず振り向いた。
『千颯も着てみるでござるか?』
「…………」
●遺書――芽衣の場合
いつか。
もし、私が死んだとしても。
きっと……私の遺したものや、言葉や気持ち。
思い出が、誰かの中に残りますから。
それが、私の遺書です。
●一度きり
「すみません。お忙しい中、付き合せてしまって」
「とんでもない、美人とご一緒する折角の機――」
「え?」
「――いや、こっちの話で。時に、本日のご予定は?」
「そうですね。少し、歩いてみようかと思います」
鞘花を前に、マックス ボネット(aa1161)がいつになく屈託のない――ゆえにいっそ胡散臭いまでの愛想を振り撒いている。
美人の前だといつもこう――ユリア シルバースタイン(aa1161hero001)は、ただ白い目で軽薄な従者を眺めていた。
口を挟む筋ではない……が、やっぱり微妙に面白くない。
「そういう事なら――何が起こるか分かりませんからね――このマックス、お供いたします」
「ふふ、では、よろしくお願いしますね」
「お任せを」
『オヂ様……分かりやす……』
「ユリアさんも、是非ご一緒に」
『え? あ、もちろんですっ、参りましょう』
あくまで万民向けの態度を崩さない鞘花に、今度は少しだけほっとした。
「鬼丸さん」
そこへ、石井 菊次郎(aa0866)とテミス(aa0866hero001)が歩み寄る。
「お墓参りに便乗するようで申し訳ないのですが、レポートにあった陰陽師の謂われが気になりまして」
『主が申し訳ないなどと本気で思った事はあるまいに』
「構いませんよ」
「助かります。まあ、今回も無駄足でしょうが……――しかし、ここは中々良い景色だ。入院で鈍った身体に芯を戻すには丁度良いでしょう」
「ふふ、リハビリを兼ねたフィールドワークというわけですね」
「そんなところです」
『忠告しておくが、あまり主を甘やかさぬ方が良い。いつも慇懃無礼にぶち壊した挙句、大概は……誰の為にもならぬ』
「……酷い言われようですね。これでも反省はしているのですが」
さておき、墓石も確認はしておきたいが――菊次郎の視線は、手入れ用具を支度する邦衛 八宏(aa0046)と稍乃 チカ(aa0046hero001)に注がれた。
二人の元に愛らしくも上品な喪服で身を包んだ少女が歩み寄る。
「あ、その、葬儀屋さん。お久しぶりです」
北里芽衣(aa1416)に家業そのままの二つ名で呼ばれ、八宏は「…………北里様」と少なくない間を置いて呼び返した。
「いらしてたんですね……」
「はい。一度、ちゃんとお礼をしたかったから。お会いできて、良かったです」
「お礼…………ああ」
すぐに八宏にも合点がゆく。
以前、大きな戦いに赴く際にこの少女から遺書を預かっていたのだ。
「あの――あの時は本当に、ありがとうございました」
「どう、いたしまして…………ご無事でなによりでした」
深々とお辞儀をする芽衣に、たどたどしくも優しい言葉で応える。
「その後は……?」
「その。今はあの時より、ずっと幸せになれました。私は――」
もう大丈夫です。
喪服の少女は、言い切った。
それだけで、八宏には充分だった。
「遺書は燃やしてくださって、構いません。それはそれと、これを」
「…………?」
おもむろに芽衣が差し出した包みを八宏は不思議そうに受けた。
「あ、その。お萩を、握ってきたので。お口に合えば、いいのですけど」
「…………これは、ご丁寧に。後ほど…………いただきます」
春は牡丹、秋ならば萩。
いずれ彼岸に供えるものが時節に応じた呼称となる。
ならば双方交じり合うここでは、ぼた餅であると同時に、おはぎでもある。
『さてっと』
チカが、程好い間で湿っぽい空気を払うように面を上げた。
「ええ。………お仕事を、始めましょう」
『どっから始めるかな』
「私も、お手伝いします」
『じゃ、草むしり頼むか。餅は餅屋じゃねーけど、墓石はこいつの専門だしな』
●守り神――サヤの場合
美鶴ちゃん知ってる?
お地蔵様って子供の守り神なんだって。
でも、草に隠れていたらちゃんとお仕事できないかも。
祠の神様も、荒れたままじゃかわいそう。
だから、ね。
●畏敬
「水が……足りません……か」
墓石を磨きながら、八宏がぼそぼそと呟く。
その手際を眺めていた朝霞と征四郎が頷き合い、直ちに段取りを組んだ。
「征四郎さん、私、水を汲んでくるから!」
「任せたのです。征四郎はその間、掃き掃除してるのです」
「…………すみません」
朝霞は桶を片手に水源を求め、征四郎はほうきで仕切りの中の塵を纏め出す。
その邪魔にならぬよう気を配りながら、リュカは煤払いを担当していた。
「ガルーちゃん、これ動かせる?」
『任せろ。おぅ、千颯も――』
「俺ちゃん猛烈にトイレにいき……いたぃ!」
『征四郎殿も居るのにはしたない事を言うでない! でござる!』
ガルーの要請を子供じみた訴えで上書きした千颯が白虎丸にはたかれ、その様を皆が笑う。
『まったく……征四郎殿、バカは放っておいて掃除をするでござる』
「了解したのです!」
「せーちゃんフォローなし!?」
「世の中そんなに甘くないのです」
「厳しい!」
『……』
大仰に絶望する千颯をオリヴィエが溜め息混じりに一瞥し、草をむしる。
チカや芽衣も加わっており、手際よく済みそうだ。
「ここに眠る人達の事も、皆さんは覚えてるんですよね」
『ん? ……そりゃな』
「どんな人が眠っているのか、私は知らないけど……覚えている人が居てくれるなら、きっと、少しだけ嬉しいです」
『サーヤ?』
皆に混ざらず外れの方へ向かうサヤの後を、美鶴が小走りに追う。
「――うん、今日はこっちもやりましょう」
やはり。
見ればなるほど、随所にある地蔵の周囲は鬱蒼としている。
供わる風車も回らぬほどに。
『……ええ予感はしてましたから。本日は花柄のゴム手袋をばっちり用意してきました!』
「どうして花柄?」
『楽しくお手入れできるように!』
きょとんとするサヤへ、美鶴は得意げに答えた。
早速作業を開始した姉妹のような二人の元を、折りしも水汲みから戻って来た朝霞とニクノイーサがすれ違う。
「ニック、どこに行くの?」
『いや、さっきの――静と呼ばれていたか。ちょっと気になってな』
「手伝わないの?」
『間に合ってるさ』
「あ、ちょっと!」
朝霞の制止も空しく、ニクノイーサはさっさと奥へ向かった。
その少し先では、ナガルと千冬が(迷子防止の為に)地図を片手に時折指差し歩いていた。
程なく祠と廃寺を認めると、その荒廃ぶりに目を瞬かせる。
「”どんなに小さな祠でもその土地を守る大事な神様である”」
『……マスター?』
「私は日本人じゃないけど、本でみた事あるの」
祠も寺も大切にすべき土地の守り神。
「どんなに小さくても、どんなに廃れてしまってても、それは変わらない!」
『つまり』
「ちーちゃんお願い! 手を貸して! ちょっとでも直してあげたいの!」
『……。わかりました』
マスターと仰ぐこの娘は、言い始めると聞かないのだ。
ならば何事も付き合うのみ。
『それで、どこから手を付けますか?』
「まずは祠の屋根を――」
「――手伝おうか」
声に振り向くと、花柄のゴム手袋を装着したサヤと美鶴、それに芽衣が祠を覗き込むようにこちらを見ている。
各々草むしりは済ませてきたらしい。
「いいの? ありがとう!」
「あの、雨漏りしそうですよね」
『手頃な板でもあればいいのだけれど……』
『寺の周囲を探してみましょうか? 何か残っているかも知れない』
「私、不動産屋さんに相談してみる!」
かくして四人は祠の修繕に乗り出した。
●決断――ユリアの場合
私ならどうしていたんだろう。
彼女が亡くなるまで待つ?
でも、愚神はすぐに別の隠れ蓑を見つけて、逃げ果せていたかも知れない。
それは、より多くの死を招いていただろう。
だから、もしも今、彼女の眠りが安らかなものなのだとしたら。
きっと――。
●不思議な場所
「ふふーふ、それではエスコートお願いします!」
「了解なのです!」
『アルバムにするから、しっかり撮ってこいよ』
『……ああ』
ガルーに肩を叩かれ、オリヴィエは少し重い足を踏み出す。
リュカを引いて鮮烈な園を往く征四郎も、逆手にインスタントカメラを構えて、既に何度も撮っているようだった。
無意識に、その様にファインダーを向ける。
続けて、他の者達が思い思いに歩む様をも、他に狂い咲く春秋の草花をも。
『……』
――と、不意に視線を感じて振り向くと、
「隙ありなのです」
『!』
その刹那に征四郎がシャッターを切った。
「はは、一本ならぬ一枚。撮られちゃったねー」
「オリヴィエ、交代しましょう」
むっとして足早に離れようとしたのを征四郎に呼び止められた。
『交代?』
「はい、征四郎もちゃんと撮りたいのですよ」
「えぇー、せーちゃん離れちゃうの? お兄さん寂しいぃー」
「だって、片手だときちんと押せなくて。……――ここは不思議な場所だから。帰ってから、もし写真が写ってなかったりしたら、きっとがっかりするのです。それに――」
征四郎はリュカの目元を覆う黒眼鏡と、オリヴィエの瞳を意味ありげに見比べて、「ね」と笑う。
『……別に。構わない』
顔を背けながらリュカを盗み見ると。
彼は、少し思い切った笑みを讃えて「オリヴィエ」と名を呼んだ。
それで充分だ。
ガルーはそんな彼らを見て、人の悪い笑みを浮かべている。
程なく二人が幻想蝶に触れようと手を伸ばした瞬間――その絶好のシャッターチャンスを、征四郎は逃さなかった。
ひとつひとつしっかり見て、心の中に刻みつけておきたい。
同じ景色を、同じ場所で、この胸に焼き付けて。
「……白虎ちゃん」
少し離れた場所で蝶の残滓を見送りながら、千颯は無二の相棒の名を呼んだ。
「あれからさ。あの小説、何度も読み返してるんだぜ」
『……』
知っている。
恐らく彼の妻子よりも、他の誰よりも。
「俺の言葉は間違いだったんじゃないかって思う事があるんだ」
千颯がハル子に小説の執筆を提案したのは、彼女が娘と、娘だと思い込んでいた存在を同時に失った直後だったから。
「なあ、白虎ちゃん。子供に先立たれた気持ちって……どんなだろう?」
『……』
白虎丸はなお口を閉ざす。
己の言葉は無意味――ならば、ただ、黙して受け止めるのみ。
それが自分の役目であり、自分にしかできない事。
「いくら考えたって駄目なんだ、どうしてもわかんねぇんだ。でも……ここに来るたび考えちゃってさ」
少し先を歩く千颯の顔は窺えない。
「だって俺ちゃん子供いるから、幸せ者だから。だから、わからない。あの時のハル子の気持ちが、小説の空白の部分が」
――判んないでしょ? ざまー見ろこの幸せ者!
「ハル子は幸せだったのか――……とかな。まだ引きずってんだ」
『千颯――』
「情けないよな……」
肩を落とす背中が、手を差し伸べるのが戸惑われるほど小さくて。
さっ――と、冷や水のような風が吹く。
「掛け替えのない存在を失う痛みにそれほどの違いはないと、私は思います」
祝詞の如くそう言ったのは、いつしか傍に来ていたオペレーターだった。
「……千颯さん。あなたにとって、南ハル子さんはどんな方ですか?」
「どんな……?」
神妙な面持ちとなる千颯に、鞘花はなおも問う。
「そして、ハル子さんにとっての千颯さんは――皆さんは――……」
どのような存在だったのでしょうね。
微笑み、答えを待たずして、鞘花は千颯達を抜いていった。
「よく知らないがね」
それに追従するマックスが、すれ違い際に零した。
「精一杯の生を終えた人間が、ここに眠ってる。その事を覚えてる連中が少なからずいる――あんた達みたいにね。それ以上に、人間なにか必要なのかねぇ……」
『オヂ様、失礼ですよ……!』
肩をすくめるマックスの後を追いながら、ユリアが二人に頭を下げて通り過ぎていった。
『……』
「……あーあ! ほんと、俺ちゃんらしくないっ!!」
三人の背中が遠ざかってから、突然千颯が伸びをするように諸手を挙げた。
『千颯』
「来いよ白虎ちゃん、撮影会混ぜて貰おうぜ!」
●看過ー―鞘花の場合
彼らが人々を――世界を蝕む限り。
H.O.P.E.がその存在を看過する事は、決してないでしょう。
私に言えるのは、それだけです。
●涅槃
何かがおかしい――マックスは拭えない違和感に苛んでいた。
『オヂ様?』
「なんでもない山奥の筈なんだが」
「そういえば、この先に祠とお堂があると窺っております」
――祠?
その語感に総毛立った。
『小さな神の家の事ですね』
「ええ」
ユリアと鞘花の何気ない会話にさえ焦燥感を覚える。
(いかんいかん、落ち着くんだマックス。良く分からない物を壊してしまったがために、トンデモナイ目に会うなんてストーリーの主人公にお前はなるつもりかい?)
昔観たホラー映画そのままの状況を浮かべ、己を笑い飛ばそうとする。
が、動悸は激しくなるばかり。
(だから落ち着け! レディとご一緒なんだ、間違いがあっちゃ――)
『あちらに見えるのが?』
「そのようですね」
「!?」
あろう事か。
そこではナガル達が今にも神体を丸裸にせしめんと手ずから屋根を解体し、扉を外し、あまつさえ談笑すらしているではないか。
「いかん!」
マックスは――もちろん甚だしい勘違いをして――矢も立ても堪らず駆け出していた。
「……? 騒がしいですね」
堂へ向かう途中、菊次郎が振り向くと、女性陣のひんしゅくを買った英国人がばつの悪い笑みを浮かべている。
罪滅ぼしなのか、廃材らしき木屑を山ほど持たされて。
「ふむ」
ふと空気の冷たさを感じ、かと思えば眼下に望む薄紅に気がつく。
「……遅い春と言うのもなかなか」
彼なりにこの小旅行を楽しんではいるのだろう。
『従魔ぐらい出ても罰は当たるまいに』
テミスは物足りないようだが。
そんな二人が堂に踏み入ると、空の台座の上で白髪の鬼が右手を枕に寝転んでいた。
「……少しお邪魔しても?」
『好きにせい』
「では、失礼いたします。私の事はどうかお構いなく」
菊次郎は既にノートを開き、しきりに筆を走らせている。
『……あのスマホなるもので撮影すれば良いのではないか?』
「比較検討して記憶を呼び覚まし洞察を得るには、手描きが一番です」
『その姿勢だけは主の美徳だな』
「時間にもよりますが」
そこに、ニクノイーサが入ってくる。
彼は菊次郎と片眉を上げるテミスを順に見てから、鬼の娘の下へ歩み寄った。
『――よう、俺はニクノイーサ。さっきのそばかす娘の英雄だ』
『……美男子ッ!!!』
『!?』
『あ、いや。……してその賽の国が何用だ』
誰がサイノクニだ――と思いながら、クッキーの入った包みを差し出す。
『腹が減ってるんじゃないかと思ってな、よかったらどう――』
皆まで言う間もなくひったくられ、次の瞬間には静かはもう食べ始めていた。
『…………。聞こえていたぜ、さっきの』
『さっき? ……ああ』
『お前さんの気持ちもわかる。ずっと幻想蝶の中じゃ息が詰まるよな』
『当然だッ! くそッ……誓約さえなければ! 今頃はこの地を踏みしだき貪り尽くして誰一人逆らえぬよう……』
云々。
『……この世界には”郷に入っては郷に従え”という言葉があるそうだ。とりあえず鬼丸の顔を立ててやったらどうだ』
『断る』
『その上で幻想蝶に引きこもっ……――まあそう言うな。いろいろ見て回るといい。この世界もなかなか興味深いぞ』
『はン、何を言うかと思えば鞘花と同じような事を』
『わかってはいるんだろう?』
『わからいでか。だが我は奪い盗む以外に得る術を知らぬ。ゆえ、あれの術を盗んでおる最中だ』
『……なるほど』
「――では、盗むついでに」
いつから居たのか、リュカが柱の影からひょっこりと顔を出した。
「どうですお嬢さん、一杯ご一緒に。もちろん鞘花さんもお誘い済み」
『酒』
「一人静は実は群生なんですよ」
『手の込んだ口説き文句だ』
ふふっと笑う優男にしれっと応え、静は彩乃国の方を一瞥する。
『戻ろうぜ。きっと連中、酒以外にもうまいもんを持ってきているだろうさ』
●綺麗――美鶴の場合
死ぬのは綺麗じゃない、無になるだけ――それが私の認識。
でも、皆さんの話を聞いていると、居ないのに、居るような気がしてくる。
ハル子さんが、浮かんでくる。
サーヤも……?
●酒宴
「お墓参りだ! 飲もう!」
『花見であれ墓参りであれ、酒がないと、気が済まないのか』
「オリヴィエも今にわかるよ。ねーハル子さん」
『……』
リュカは供物の横の杯にとくとくと酒を注ぐ。
「飲める口かは判りませんが!」
たとえば病中に断酒を余儀なくされたのなら、きっと恋しいだろうと。
「後悔も、正しい事です」
敷物に皆が座し、互いに飲み物を注ぐ中、八宏がほつりと言った。
「……けれど、それは残された人間を、救いません。別れは、悲しいだけのものであってはならないと……僕は、思います。――ですから、その……話を、しませんか」
彼女達が、生きていた時の話を。
「と言うわけでお嬢さん方、お兄さん達と一緒にお話しませんか!」
きりっと渋めの声で、リュカは女性陣をいざなう。
「ハル子さんのお話聞かせて」
『サーヤったら……』
「私も聞きたい!」
『……マスター』
「きっと、また泣いちゃうけどね」
果たして語られた内容は、報告書やあの小説とほとんど同じ。
でも、ナガルに言わせれば、もっと、ずっと生々しくて、苦しくて、哀しくて。
彼女は早々にサヤの肩を借り、宣告どおり泣いてしまっていた。
それは千冬にはよく分からない、人の情。
しかし、今は確かに湧き起こるものがある。
(これが……きっと”悲しい”という感情なのでしょうね)
良いものなのかどうかは、やはり判らないけれど。
「本当にゆう子さんの事が大好きだったんですね……会ってみたかったなぁ」
サヤはナガルを落ち着けながら、しみじみと言った。
「……もし私がいつか亡くなったとしても」
『サーヤ! 縁起でも無い事言わないで! そんなの……考えただけで辛い』
慌てて制した美鶴に、彼女は優しく微笑む。
「ごめんね。でも、たとえば美鶴ちゃんが今日の事を思い出す事があれば、そこで私は生きていると思うの」
「あ……」
「……」
『へへっ』
自身と同じ言葉に芽衣がはっとし、八宏とチカが少し笑う。
『…………』
美鶴の胸に去来するのは、他愛もないサヤとの日々。
交わした言葉の数々――その笑顔。
『少しだけ、分かったのかもしれません』
それは、いつも胸にある宝物。
もし、辛い事があっても、残り続けるに違いないもの。
『……ん、オリヴィエ』
ガルーが鞘花と静に酒を注いでいた隣へ、オリヴィエが腰掛けた。
それまで他の者に飲み物を回していたようだが。
『疲れたか?』
『……』
応えがなくとも、それはそれで、なんだか悪くないとガルーは思った。
側に来たという事は“そういう事”なのだろう。
『……あんたも、名に花がつくのか』
「ええ」
『それはなんの?』
「霜柱」
『……?』
「または雪寄草――母より、そのように聞かされております」
「その花の事は知らないけど、鬼丸さんって美人ですよねぇ。元モデルだとか……」
『少しは見習ったらどうだ? 化粧とかな』
「あら、お化粧なんてしなくても、朝霞さんは魅力的ですよ。それにお若いし……はつらつとしていて、羨ましいくらい」
「そそ、そんな!」
『社交辞令がうまいな』
「ニック! さっきからうるさい!」
『いやいや、お二人をはじめ、ここにいるレディは皆お美しいですよ』
「ガルー……。また始まったのです」
『オヂ様と言い、殿方ってどうしてこう……』
「おいおい、私はなにも手当たり次第ってわけじゃあ」
「俺ちゃんも例外。愛妻家で子煩悩だし」
『的が絞られただけでござろう』
「そう言う白虎丸さんは? ちーちゃんもそうなの?」
『え?』
「え?」
『え?』
「あっ……ごめんなさい虎噛さん。うちの千冬の事ちーちゃんって呼んでるんだ」
「マジで? よし! 一緒に飲もうぜちーちゃん!」
『では……せっかくの機会ですし』
『くくく、大の男が雁首揃えて可愛らしい事だ』
「静」
『霊前だってのに賑やかだねぇ』
「そういった、ものでしょう……」
「お酒組はほっとけばいいのです!」
「朝霞さん、征四郎さん、ユリアさん、ナガルさん、芽衣さんも。一緒にぼた餅食べよ」
「わっいただきます!」
「はいなのです!」
「おいしそうですね」
「もっちろん!」
「あ、えと、あの、それじゃ、いただきます」
「お団子もあるんだよ!」
「やった!」
『サーヤ、あまり甘いものばかり食べ過ぎると……』
『朝霞もな。今に見習うどころじゃなくなるぞ』
「言ったわね、ニックの分も食べてやるんだから!」
『……』
「美鶴ちゃんは要らないのかなー?」
『要りますっ!』
「イシイとテミスもどうですか?」
「そうですね、ご厚意に与るとしましょう」
『なんと純粋な……。主の如き無粋な輩をよく招いたものだ』
「あれれー? 綺麗どころがこっちに固まっちゃってる。お兄さんつまんないー!」
『はいはい酒臭いお兄さんはあっちな。お嬢さん方、紅茶とクッキーなんていかがです?』
賑わう宴の最中、金木犀の少年は、微笑を絶やさず密かに酒ばかり飲んでいる雪寄草の女に、ふと声をかけた。
『あんたも。リュカみたいに、何かが見たいか、知りたくて、ここに?』
「ええ。ですが、他の皆さんもそうなのでしょう」
『……そうか』
墓に目を遣る。
しきみや菊などの献花と、ぼた餅。
お茶に、缶ジュースに、酒。
そして報告書の挟み込まれた書物が供えられたそこで、線香が尽きる。
日が西に傾ぎ、空には雲が目立ち始めていた。
●成長――征四郎の場合
知ろうとした。
沢山聞いて、心を知ろうとした。
彼女や彼女にかける言葉は、最後まで出てこなかった。
なにが正解だったのか、今もわからなくて。
思っていたよりずっと無力で……子供で。
あの日から――征四郎は成長する事が、できたでしょうか。
ほんの少しでも。
●もう大丈夫
誰からともなく墓前に集う。
香と湿り気を帯びた墓所に、八宏の唱える経が響く。
ユリアも参列する中、マックスは周辺警戒を名目に、離れて見守っていた。
すぐ傍では鞘花と菊次郎が、何事か話し込んでいる。
「わざわざご報告ありがとうございます」
「いいえ、何も判らなかったに等しいですから。ところで世界蝕前のこうした――異界との接触を窺わせる事例は他にも?」
「ええ。大半は“そのもの”だと証明する事が困難なようですが」
「でしょうね。……もうひとつ。この瞳を他で見掛けた事はありませんか?」
菊次郎の十字が刻まれた瞳を真正面から見て、鞘花は「いいえ、一度も」と首を振った。
やがて、経が止んだ。
ここに終わる物語は、当事者達の中に織り込まれて続く。
無論、征四郎もその一人だ。
(でも)
「これでさようならになってしまうのでしょうか」
『……征四郎』
ガルーは誤魔化そうかと少し思ったが、止した。
別れの時は、必ず訪れる。
もうこの地を訪れる事がないのなら、今がその時なのだろう。
征四郎はまだ幼いが、ヘタな大人よりもその事を身を以って理解している。
ならば、と。
「いつか、ここがすっかりなくなってしまっても」
皆、一様に南家の墓を見詰める中、少女はなお言葉を紡いで。
「あの日の後悔、悔しさ、征四郎はずっと憶えてます。この優しい場所の事、――忘れませんから」
そうして、一筋零れた涙を拭い、ガルーと顔を見合わせる。
ナガルも顔を覆い、千冬がそれを支えた。
千颯が、サヤが――誰もが。
その面に影を落として。
「貴女方に会えて良かった」
今度は、リュカが言った。
「……では、また会う日まで」
征四郎への気遣いか、自らの願いか。
なお、再会の言葉を添えて。
「青は春、白は秋を顕すものです。よろしければお持ちください」
折を見て、鞘花が皆に青と白の爽やかな取り合わせの風車を差し出す。
万来不動産の者が、南家の由来に因んで用立てたものらしい。
「……ナガルさん達はどちらへ?」
「今まで放っておいてごめんなさい、神様」
その頃、ナガルは綺麗になった祠と廃寺に、手を合わせていた。
あの人達も、この場所の事も、きっと守っていて欲しくて。
心からの祈りを、捧げた。
『さあ、帰りますよマスター。雨が降ってくると困ります』
「……うん」
急かす千冬の元へ歩み寄り、今一度を振り返って、思うのは。
もう大丈夫。