本部

【屍国】連動シナリオ

【屍国】手招きの橋

雪虫

形態
ショート
難易度
易しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
6人 / 4~6人
英雄
6人 / 0~6人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/10/02 14:34

掲示板

オープニング


 来島海峡第三大橋。
 愚神による一連の事件によって破壊されたこの橋の、復旧の目途が立ったのは神門が撃破されてからひと月経っての事であった。破壊された建造物・交通機関があまりにも多く、かつ、この橋が物流ルートとしてはそれほど重要ではなかった、というのが後回しにされた理由だ。
 とは言え近隣住民にとっては大事な橋。ようやく復旧出来るとあって作業員達は意気揚々現場へと乗り出した。落ちた吊り橋の間に急に白い霧が立ち込め、そのただ中に奇妙な影が立っている事に気付くまでは。
「……おい、なんだこの霧」
「誰か向こうに立っているぞ」
「あ、あれは……」
「智子!」
「久志!」
「父さん、母さん!」
 作業員達は霧の向こう、うっすらと見える影達にそれぞれ違う名を呼んだ。亡くなった妻、亡くなった息子、亡くなった父と母……あの事件によってゾンビと化し、そして二度と戻ってくる事のなかった者達の名を。
 霧の中の影達は右手を上下に動かしていた。手招いている。作業員達はその手招きに誘われるように歩き出した。誰も疑問を抱かなかった。霧の中に死者がいる事を当たり前としか感じなかった。早く彼らの元にいかなければ……そんな風に思っていた。
『ダメよ……ダメ』
『お父さん、そっちじゃないよ』
『そいつらは私達じゃない』
『行くんじゃない、止まりなさい!』
 頭に急に声が響き、作業員達はハッと足を止めた。今、誰かに呼び止められたような……作業員達は足下に視線を落とし、「うわっ!」と悲鳴を上げて後ずさった。そこは断たれた橋だった。あと一歩踏み出していたら、数十メートル下の海に真っ逆さまに落ちていた。急な寒気が身体を襲う。今、俺達は何を見た? どうして向こうに行こうとした? どうして踏み止まる事が出来た? 一体何があったんだ?
 ばしゃん、と大きな音が聞こえ、作業員達は橋の下の海面を覗き見た。一瞬、やけに大きな魚が見えた気がしたが……幻覚かという程にあっという間に姿を消した。
 

 神門が倒されてからひと月の間、四国は落ち着いた状態であった。もちろんウィルス型従魔やゾンビ共が残っていないか調査したり、患者や避難住民達への対応を行ったりなど、するべき事は山程あったが、従魔や愚神による事件はほとんどなかったと言っていい。せいぜいイマーゴ級従魔が現れ、ポルタ―ガイスト程度の騒ぎを起こして……それで終わり。
「だが、ひと月経った今、徐々に従魔や愚神による事件が増え始めてきている。連中に理由は聞けないからあくまで推測になってしまうが、ある程度知能のある従魔や愚神なら様子見をしていた可能性がある。神門が本当に倒されたのか……また、このひと月の間、多数のリンカー達が四国の調査を行っていたからな。それらが抑止力になっていたと思われる。
 しかし、ひと月経ってリンカー達が撤退し始め、かつ神門が倒れたと確証が持てた、故に従魔や愚神達は行動を開始したのだろう。そしてこれも、恐らく従魔か愚神の仕業だと考えられる」
 オペレーターは地図と写真を取り出した。爆破でもされたのか、中程が断ち切られた海上の吊り橋が一つ。
「場所は来島海峡第三大橋。神門勢の襲撃により一部が落とされ、現在は使用不可。その修理に当たろうとした所霧が発生、作業員達はその霧の中に死者の姿を見たという。そして意識が朦朧とし、死者達に手招かれるまま落ちた橋に足を踏み出そうとしていた……。
 だが、頭に声が響き、作業員達は海に落下する前に意識を取り戻したという。それと海の中に巨大な魚を見たという証言もあるが……」
 霧の中の死者。呼び止めた謎の声。海中の巨大な魚……いずれにしろ調査の必要がある。エージェント達は各自準備を整えると、ヘリに乗って現場へと赴いた。 


 その日は晴天だった。時刻は昼。とりあえず霧は出ておらず、分断された橋とその向こうの景色がよく見えていた。
 だが、エージェント達が分断箇所に近付くと、徐々に白い霧が立ち込め、あっという間に落ちた橋まで白の中に隠してしまった。臨戦態勢を整えつつ、視線を周囲に合わせてみれば……エージェント達は目を見張った。霧の中、落ちたはずの橋の上に、いつの間にか影が立っていた。それはエージェント達にとって「最も逢いたい者」の姿をしていた。
 最も逢いたい者が死者であれば死者の姿を。最も逢いたい者が生者であれば生者の姿を。だが、その事をエージェント達が話し合う事は既に出来ない。エージェント達の思考は鈍り、どうして自分達がここにいるのかさえ分からない。最も逢いたい者がここにいる不可思議さに疑問も持てない。
 影はエージェント達を手招いている。エージェント達は歩き出す。早く彼らの元にいかなければ……それだけしか考えられない。
 エージェント達が立つ落ちた橋……その下に、巨大な魚のような影が浮かんだ。だが、エージェント達の誰一人として、その事には気付けない。

○霧の中の影
・霧の中の影はPCにとって「最も逢いたい者」の姿をしている
・最も逢いたい者が死者の場合は死者の、生者の場合は生者の、非実在人物の場合は非実在人物の姿をしている(作業員達が見た影が全て死者だったのは、彼らの逢いたい者達が全て死者だったから)
・霧の中の影は手招きをし、PCに呼び掛ける。その誘いは自然かつ蠱惑的で、通常であれば逆らう理由はない。PC達は自然に影の方に歩いていく
・PCの頭の中には「そっちに行ってはいけない」「ここにこの人がいるはずがない」という意識がぼんやりとあるが、理由は分からない
・周囲にいる人間と会話をする事は不可能
・非共鳴状態の場合は能力者/英雄それぞれ別々に「最も逢いたい者」の影が見える。この場合能力者/英雄間でも会話をする事は不可能
・共鳴している場合は能力者/英雄のどちらかの「最も逢いたい者」の影が見える(どちらか一方だけが影に魅入られる)。影に魅入られていない者はパートナーが見ているものを認識し、「橋が落ちている」「影は幻覚である」事を理解でき、パートナーに声を掛ける事が可能。だが、その声は酷く不鮮明に聞こえる(「共鳴すると能力者/英雄の意識が混じり合う」という場合は、今回のみ意識が分離した状態になる)
・霧が発生し、影に魅入られた後は共鳴する事も共鳴解除する事も出来ない(共鳴しているなら共鳴したまま、非共鳴なら非共鳴のまま)

解説

●目標
 従魔討伐

●海中の巨大な魚(PL情報)
・巨大な魚型の従魔
・霧を発生させ、その中に「獲物の最も逢いたい者」の幻覚を映し出す
・幻覚から覚めないと橋から落下し、海中の従魔に丸飲みにされる
・幻覚から覚めるには影の誘いを断るか、「橋から落下して巨大な魚に食べられる」レベルの衝撃を受けるしかない
・従魔は体こそ巨大だが、ステータスは並のデクリオ級

●その他
・「様子見のため仲間を先行させ、自分は分断箇所から離れた所にいた」というのは可能だが、PCの誰かが分断箇所に近付いた段階で霧が発生するので(従魔が幻覚を発生させるので)、全員例外なく幻覚に陥る
・どのようなRPをしようとも、幻覚から覚めるには実質6ラウンドかかり、幻覚から覚めなければ6ラウンド終了時に海に落ちる(幻覚から覚めたら他のPCを止めるというのは不可能)
・英雄不参加の場合は「能力者が影に魅入られる」「自力で幻覚を解く必要がある(英雄のサポート不可)」となる
・PC達が幻覚に陥っている最中、作業員達を呼び止めた謎の声は聞こえない
・謎の声は従魔でも愚神でも英雄でもない
・PL情報は「PCは使えない情報」。PC情報にするには落とし込みが必要であり、落とし込み不十分の場合はPC情報としては使えない
・非共鳴状態で従魔に飲み込まれた場合は、大ダメージを負う可能性もある
・プレイングの出し忘れ、英雄の変更忘れにご注意下さい

リプレイ

●霧の中
「作業員たちは其々、霧の中に違う姿を見た。吸い寄せられそうになったが、頭に声が響き、踏みとどまった。そして海の中に巨大な魚を見た、という情報だが……」
 バルタサール・デル・レイ(aa4199)は顎髭を指でざらりとなぞった。視線の先には崩落した橋。今は霧も出ておらず、橋の向こうの景色さえくっきりとよく見えている。
「巨大な魚が、海の中に獲物を誘き寄せるために幻影を見せたのかもしれないが。頭の中の声というのは、何なのか分からんな」
『セイレーンみたいなものかな? 空海の力で、死者の魂が呼び止めたのかもしれないね』
 共鳴した紫苑(aa4199hero001)の声がバルタサールの脳に響く。狐杜(aa4909)は共鳴する前に、傍らに立つ蒼(aa4909hero001)に問う。
「きい(霧)の中に死者か。アオイ、どう見る?」
『呼び掛けた従魔と別の存在がいる可能性はある、が……。声を覚えておけ』
「ああ、構わないよ」
 狐杜は頷き、そして共鳴。黒い狐耳が生え、狩衣に近い和装姿が風に鳴る。ヨハン・リントヴルム(aa1933)は赤に変じた瞳で橋の向こうを静かに眺め、ふと、腰に動画用ハンディカメラを固定するCERISIER 白花(aa1660)へと視線を移した。
「それは?」
「身内からの頼まれ事ですの」
 ヨハンからの問い掛けに、白花は淑やかな笑みで答えた。プルミエ クルール(aa1660hero001)と共鳴し、20代の頃まで若返った姿で橋を見つめる。
「……ふふ、楽しみね」
『白花様のご随意のままにですわ!』
 虎噛 千颯(aa0123)とリリィ(aa4924)も共鳴を済ませ、リンカー達はそれぞれ橋へと足を踏み出した。徐々に白い霧が立ち込め、リンカー達が顔を上げる。
 その先には。


 少女が一人立っていた。
 カノン(aa4924hero001)は一瞬で意識を奪われ、呆然と少女の姿を見つめた。
 ハイティーンと見える少女。誰だかは鮮明に思い出せない。だが、大切な人。カノンはそう認識した。その手が、その少女の姿が懐かしい。渇望さえするように、カノンは自らそちらへ向かって歩き出す。
 少女は歌を歌っていた。美しい声だ。その声は、様子は、姿は、甘美とも言える程の誘惑をカノンに訴えかける。カノンの心を、両脚を、一層少女に惹き付ける。
「■■■■■■■」
 不鮮明な声が聞こえる。一体誰の声だろうか。霧の少女の声ではない。そして自分の声でもない。もっと幼い、そして悲痛の滲む声。聞き覚えがあるような気もするけれど、誰の声かは思い出せない。
 カノンは謎の声を振り切り、霧へとさらに足を進める。そう言えば、少女の面差しは誰かに似ている気もするが……その「誰か」が「誰」なのか、それさえも。
 思い出せない。


「『イ』ツキ」
 狐杜の喉は知らず音を零していた。霧の中に見えるのは、狐杜の外見年齢と同じ年くらいの少女。最愛の妹。正しく名前を呼べなくなってしまった妹。今はもうこの世にいない。故郷を襲撃された際、一度逃し、だが結局、己の目の前で殺されてしまった妹。
【コトリ】
 自身でさえ正しく呼べなくなった名前を呼び、最愛の妹が狐杜を霧の方へと招く。逢いたかった、会いたかった、あいたかった。『リツキ』。狐杜の想いに応えるように、少女が懐かしい声で囁く。
【私もあいたかった】
 その声が嬉しかった。その姿が遠かった。狐杜の足はふらりふらりと霧の中を進んでいく。


 ヨハンは目を見開いた。視線の先に祖父がいる。幼い頃生き別れ、そして死んでしまった祖父が。幼いヨハンをとても可愛がってくれた。だが再会する事はなかった。ヨハンが古龍幇の末端組織に拉致されている間に、病気に罹って亡くなった。最期までヨハンの事を心配していたと、そう聞かされた。
「……お祖父ちゃん」
【ヘンゼル……大きくなったね】
 幼少期の愛称を呼ばれ、ヨハンの顔がくしゃりと歪んだ。祖父への愛情以外にも、様々な感情が入り混じる。ヨハンは知らず視線を落とし、懺悔するように声を出す。
「……ごめんなさい。僕は、お祖父ちゃんに教えてもらった通りの、良い子にはなれなかった。大切にしてもらった恩も、ひとつも返せなかった」
【そんな事はいいんだ。私はヘンゼルが元気に育ってくれただけで……】
「……。お祖父ちゃん。僕は、お祖父ちゃんのいる所へは行けそうにないんだ」
【分かってる。でも大丈夫、お祖父ちゃんが神様に頼んでおくよ。神様は全てご存知なんだ、きっと悪いようにはしないさ】
「そっちに……天国があるの? 僕もそっちに行っても良いの?」
 ヨハンはすがるように祖父を見つめた。祖父は昔のままの瞳で、優しくヨハンを見つめ返す。ヨハンの足が祖父を求めて霧の方へと動き出す。
「このまま生きて死んだって、どうせ復讐も満足に遂げられないまま地獄に堕ちるんだ。それならもう……。
 このまま……」
 

 バルタサールが見たものは、全体的にぼやけた、影をまとったものだった。それだけなら取るに足らない従魔の集まり、そのように見えた事だろう。
 だが、目がある。見間違う筈もない、その昏い瞳は記憶に確と焼き付いている。バルタサールが能力者になったきっかけである、愚神の姿。そこだけははっきりとしている愚神の瞳へ、バルタサールはふっと笑った。
「見つけたぜ」
 薄い笑みを面と貼り付け、遠慮容赦なく銃を抜いた。霧の中に銃の雨を、ただ淡々と降らせていく。
 淡々。一見、そのようにも見えた。特に冷静さを失うでもなく、怒りに飲まれる風でもなく。
 だが、周囲が見えていない。愚神の影に魅入られている。その事に気付けないままバルタサールは引き金を引く。


「た……け……る?」
 千颯が音に変えたのは、千颯が最も逢いたかった人物の名前だった。高校一年生の時に、突然自殺した千颯の恋人。あの時の姿そのままで、優しく微笑んで彼は千颯に呼びかける。
【千颯】
「暁輝!」
 その声に、暁輝の姿に、色んな感情が溢れ出した。気付けば何もかもを忘れ、千颯はただ叫んでいた。
「暁輝……なぁ……お前にとって俺は何だったんだ? 恋人じゃなかったのかよ?」
「疲れたって……どういう事だよ……なぁ! 暁輝教えてくれよ!」
 長年心の奥に仕舞い込んでいた思いや疑問をぶつけるが、暁輝は答えようとはしない。ただ微笑むだけで、その姿が、千颯の胸の奥をざりざりと削り傷付けていく。
 溢れ出す感情を止める事が出来ない。
 自分に何も言わず旅立ってしまった恋人の本当の気持ちが知りたい。
 どうして何も言ってくれなかったのか。
 それを聞きたくて叫ぶのに、暁輝は答えようとはしない。
 
『彼が……千颯の逢いたい人でござるか』
 白虎丸(aa0123hero001)は千颯の取り乱し様に驚きながら、内から様子を見つめていた。白虎丸にも暁輝の姿が見えている。だが、幻覚だと分かる。しかし千颯はそうではないらしく、落ちた橋の縁へとふらふらと近寄っていく。
『千颯! そっちに行っては駄目でござる! 目を覚ますでござる!』
【千颯】
 止めようとする白虎丸の声に被さるように、少年の声が聞こえてきた。白虎丸が視線を向けると、暁輝と呼ばれる少年の口が微かに動いている。
【千颯、愛してるよ】
【こっちに来て、いつものように抱きしめて】
 白虎丸にはそのように聞こえた。だが、千颯には聞こえていないようだ。暁輝が千颯に語る言葉も、白虎丸が千颯を呼ぶ声も。落ちた橋に刻一刻と近付きながら、千颯は幻影へと叫ぶ。
「俺は……俺はちゃんとお前の事好きだったんだ! 好きだったんだよ!」
 

 白花は最初から確信していた。過去の仕事と同じ様に、今回も「誰」の幻覚を見るのか。
 霧の中には男性が一人立っていた。予想通りのその姿。今は亡き夫の姿。亡夫との「再会」に白花は穏やかな微笑を浮かべ――幻想蝶から銃を取り出し、躊躇わずに引き金を引いた。
 即座射撃の先制から、狙い定めた鋭い一射。通常攻撃も交えながら、しかし白花の微笑は穏やかなまま。
 亡夫の幻影は何かを語りかけようとするも、口を開く隙さえ与えず何度も何度も何度でも。攻撃を浴びながら、白花に伸ばされている手だけが手招きしようと上下に揺れる。だが、白花が伸ばすのは、手を取るための指先ではない。
 今でも愛しているが故に。
 ――愛して“いる”
 と“今”は桜の下の貴方へ。
「言い訳も、謝罪も、誤魔化す為の愛の言葉もいらないわ。“あの時”約束した通り。
 私がきちんと“そちら”にいった時に、また、語り合いましょう?」
 激しい攻撃とは裏腹に、白花の微笑は終始穏やかさを保っていた。やはり笑顔を湛えたままで、白花は小さな声で囁く。
「それに、貴方の最期は私だけのものよ?」
 幻影が掻き消えた、と同時に『白花様』と呼び掛けるプルミエの声が聞こえた気がした。「逢瀬」を邪魔しないよう静かに控えていたプルミエは、主に静かに進言する。
『お足元が危のうございます』
 あと一歩踏み出せば橋の下に落ちていた、その位置に白花は立っていた。白花は変わらず微笑んだまま、淑やかな動作で武器を握った腕を下ろす。
「それでは、後はよろしくお願い致しますね、プルミエ」
『白花様のご随意のままに』


「俺は……俺はちゃんとお前の事好きだったんだ! 好きだったんだよ!」
 千颯が暁輝に放った言葉に……「好き」とは言うが、「愛してる」とは言わない千颯の言葉に、幻影が浮かべたのは悲し気な表情だった。その表情がただの幻覚なのか、それとも本物の暁輝のものなのか、白虎丸には判断がつかなかった。幻覚と言うにはあまりにも悲しい顔をして、霧の中の暁輝は千颯へと語り掛ける。
【千颯の笑顔が好きだった……千颯の全部をずっと愛してる……ごめん……】
 その言葉が、千颯の耳に届いたかどうかは分からない。幻影は霧の中に立ち消え、千颯は一歩を踏み出した。触れようと手を伸ばしても、触れるものは何もない。
「暁輝!」
『千颯!』
 千颯が足を踏み外す直前、白虎丸は主導権を相棒から奪い取った。壮年の千颯の姿となり、鋭さを増した目元を伏せる。
『少し休んでいるでござる。この始末はお前に代わり、俺がきちんとつけるでござるよ……』 


 紫苑は興味深げにバルタサールを観察していた。
 一見淡々とした様子だが、目の前の愚神が幻覚とは気付いておらず、本物と対峙したように銃弾を撃ち続けている。常とは違う精神状態であるバルタサールは、紫苑にとってはなかなかの見世物だったが、足元が危なくなっているというなら話は別だ。
『ちょっと、海の中にドボンはごめんだからね。いい加減、目を覚ましなよ』
『獲物を誘き寄せるための幻影だって、さっき話したばっかだよね? バカなの?』
『探してる相手がそんな簡単に目の前に現れてくれると思ってるの? お目出度くない?』
 目を覚ます気配のない相棒に紫苑はようやく声を掛けたが、バルタサールは足を止めない。完全に囚われている。仕方なしと判断し、紫苑は実力行使に出る事にした。即ちバルタサールの身体の一部の主導を奪い、その手で頬にビンタした。現実に引き戻されたバルタサールに、紫苑は苦言で畳み掛ける。
『こんな雑魚従魔にやられる程度じゃ、探し人は永遠に出会えないよ』
 脳に響いた紫苑の声に、バルタサールは橋を踏み締め引き金から指を外した。表情は然程変えないまま、しかし小さく舌を打つ。
「……チッ」


『おい、それは誰だ』
 蒼が放った問い掛けに、しかし狐杜は声を返しはしなかった。幻覚の姿が誰かは知らない。だが、狐杜に似ている事から身内である事は想像に容易い。狐杜に似ている幻覚の他には何も見えない。狐杜が見ている幻覚の声らしきものは聞こえるが、作業員たちを呼び止めたという謎の声は聞こえない。恐らく今の状態で分かる事はもうないだろう。何より……狐杜はあと数歩で橋から転落しようとしている。
『踏み出すな。最愛とやらは貴様を堕とすのが趣味なのか』
 蒼の声に、狐杜の足がわずかに鈍った。『死なば諸共』。二人はそのように誓約を交わした。死ぬ時は共に。片割れが残る事は許されない。生きたくば互いを生かせ。
 だが、その誓約は交わして間もなく反古にされかけた。蒼はその事を忘れていない。そして狐杜を嫌っている。嫌いながら、共にいる。
『……貴様は、また堕ちるか』
 蒼の声が、声に含まれた戒めが、幻覚に溺れていた狐杜の耳の奥に響いた。急に現実に引き戻され、狐杜ははっと顔を上げる。その先に既に霧はなく、愛しい妹の姿もない。


「カノンねーさま……カノンねーさま!」
 リリィは一生懸命にカノンへと呼び掛けていた。子供らしく、可愛らしいその声は悲痛な程だが、カノンには聞こえていない。リリィにはそのように思えた。
 リリィには敬愛する存在。大好きな憧れの人。そんなカノンを助けたい一心でリリィは考えを巡らせる。必死にカノンを呼びながら漸く思い付いたのは、いつかカノンがリリィの前で歌ってくれたとある歌。
 歌う事が苦手なリリィは、別の手段でカノンに伝えようとした。声は届かず、足を動かす事も叶わないが、腕だけならどうにか動く。ヴァイオリンを出現させ、カノンの腕を通してあの日のカノンの歌を奏でる。霧の中の少女の歌にヴァイオリンの調べが重なる。
 カノンは己の腕を見つめた。自分の腕を使って、ヴァイオリンを演奏しているのは誰だろう。一人の少女の顔が、ふっとカノンの脳裏を過ぎる。
 霧の先にいる少女の事は今でもとても懐かしい。
 けれど、今自分の傍にいるのは。妹のようであり、護るべき絶対の存在。
「カノンねーさま!」

●霧の外
 カノンが目を見開くと、寸断された橋があった。霧はなく、少女の幻影もない。内側からリリィの声がカノンの名を呼ぶ。
「よかったですの、カノンねーさま」
『ここは……』
 カノンはそこで、自分が幻影に囚われていた事に気が付いた。あの少女は元の武器としてのカノンを持っていた少女。敵はカノンの意識を、心を、霧に投影させる事で惑わせていたのだろう。
 狐杜は両手で顔を覆い細い肩を震わせていた。蒼の声に助けられ、幻覚からは自力で覚めた。だが、妹がいない事に、声が聞こえない事に嘆き、悲しみ、慟哭する。
「わたしは許さない……幻を魅せた者も、惑わされた己もだ……!!」
 悲しみは怒りに変わり、狐杜は和弓「賀正」をその手に出現させた。蒼が狐杜の目も借りて周辺を観察する。そこに、橋の下の海に巨大な魚影を発見し、狐杜は弓を引き絞る。
「そこかっ!」
 狐杜が怒りと共に矢を放とうとした、その時、黒い影が魚影へ向かい落下している事に気が付いた。橋の上に一人足りない。ヨハンの姿が見当たらない。リンカー達の視線の先で、魚影は落ちてきた影へ口を開き――ヨハンの身体をばくりと一口に呑み込んだ。


 夢は無惨に破られた。
 両腕の先に優しく微笑む祖父はなく、ねっとりと重く暗い闇だけが広がっている。
 魚型従魔に食べられた。ヨハンはすぐに気が付いた。その事実に、無惨な現実に、ヨハンは従魔の舌の上で哄笑する。
「……ああ、そうか。やっぱりまたキミたちか。あのヴィジョンもすべて、罠だった……ということだね。アハハハ、ハハハ! キミたちは……愚神や従魔はいつも僕に幸せな夢を見せてくれる、その点は感謝してるよ!
 それじゃあ……たっぷりとお礼をあげなくちゃね!」
 ヨハンは飛迅剣「リンドブルム」に毒のごときライヴスを纏わせて、今正に背後にある従魔の舌へと突き立てた。従魔は呻き、ヨハンを剣ごと海上へと放り出す。そこに狐杜の射った矢が、バルタサールのアンチマテリアルライフルとリリィのAK-13の弾丸が、飛来して従魔の巨大な体躯を撃ち叩く。
『逃さぬでござる!』
 従魔が身を翻そうとした、瞬前、白虎丸が橋の上からグングニルを投げ打った。聖槍は従魔に突き刺さり、ヨハンを追ったプルミエがトラブルシューターを魚影に向ける。
『白花様のご命令、完璧に遂行致しますわ』
 意気込みは強く、しかし振る舞いはあくまでも白花に相応しく完璧に。プルミエの光線銃は魚影の肉を直線に焼き、従魔は敵を排除しようと巨大な尾びれを振りかざす。しかしヨハンが立ちはだかり、素早い動きで攪乱して従魔の狙いを誤らせる。
「許さない……お前の事は決して……」
『おい、落ちるぞ』
「わたしは……!」
 狐杜が橋から身を乗り出し、足が宙を踏む直前、蒼は狐杜から主導を奪い意識を眠りに沈ませた。不安定なまま戦わせれば何が起こるか分からない。狐杜の情よりも任務の達成。それが最優先事項。
『とは言え、俺達も降りた方が良さそうか』
「ああ、魚が逃げそうだ」
 蒼にバルタサールが同意を示し、二人はアサルトユニットとALBをそれぞれ足にし飛び降りた。白虎丸もブレイジングランスに替え、海へと身を翻す。


 セイレーンで足場を確保しながら、プルミエは光線を従魔へと撃ち放った。プルミエを呑み込もうと従魔が巨大な口を開くが、降ってきた白虎丸が従魔の頭頂へランスを突き刺す。
 バルタサールがテレポートショットで従魔の口内の肉を抉り、蒼の苦無「狐火」が反対側の肌を裂く。リリィが大量に複製したAK-13を展開し、命中力と数の暴力でライフルの嵐を魚影に降らせた。その隙にヨハンと白虎丸が同時に敵へと距離を詰める。
「ハハハハハ、お菓子の家の主には、壮絶な最期がよく似合う!」
『千颯の大事な部分を悪戯に掻き乱した、お前の事は許さないでござる!』
 接近してきた二人に対し、従魔は鋭い歯を剥いて噛み千切ろうと試みたが、二人はわざと口内に呑み込まれ――内側から従魔を真っ二つに切り裂いた。巨大魚は真っ黒な影に変わり、そのまま海の中へと溶けていった。

●霧が晴れた先
「こうして、悪い従魔はやっつけられました。めでたしめでたし、と。ああ、可笑しい。子供騙しもいいところだ」
 うっすらと笑みさえ浮かべ、吐き捨てるヨハンの背中を、パトリツィア・リントヴルム(aa1933hero001)はただ静かに見守っていた。もちろん幻である事は分かっている。だが、祖父と会えないままだった事をヨハンが悔やんでいたのも知っている。
 故に、満足行くまで対面させた。その結果が、従魔の見せた一時の幻だったとしても。
『……私は、あながちただの夢幻でもなく……お祖父様は、そう思って下さってると思いますよ』
 パトリツィアはそう言った。ヨハンは皮肉めいた笑みを引き、瞼を伏せて項垂れた。その寂し気な、夫の肩に、パトリツィアは口を閉ざしてただ静かに寄り添っていた。

 仲間に回復スキルを使い共鳴を解いた後、千颯は仲間達から離れ橋の縁に座り込んだ。いくら視線を彷徨わせても、求める人の姿は見えない。
「答えてくれよ……暁輝……頼むよ……教えてくれよ……俺はどうすれば良かったんだよ……」
 幻影の暁輝が述べた言葉を、白虎丸は千颯に伝えない事にした。今の状態の千颯に伝えても無理だと判断した。もし伝えるべき言葉であると言うのなら、いずれその時は来るだろう。
『千颯……帰ろうでござる』
 千颯は白虎丸の言葉に振り返りはしなかった。しばらくして、「もう少し待ってくれ」、千颯がそう呟いたから、白虎丸は待つ事にした。千颯が家に帰ろうと立ち上がる、せめてその間までは。

「どなたか、作業員の方々を呼び止めたと思しき声をお聞きになりました?」
 白花からの質問に、リンカー達の中に頷く者はいなかった。バルタサールや狐杜達と周辺の調査にまわり、作業員達からも話を聞いた結果、近くに古くからの地蔵がある事が分かったが。
『俺達に聞こえなかったのなら、案外死者が作業員たちを呼び止めたのかもしれないな』
 蒼がそう言葉を添えて、地蔵達に手を合わせる。同じような推測をしていた紫苑は周辺の調査に区切りをつけ、仏頂面で腕を組むバルタサールを覗き込んだ。
『どうしたの? 少し機嫌が悪そうだけど』
「……うるさい」
 バルタサールはぶっきらぼうに、しかし歯切れ悪く呟いた。雑魚従魔ごときに弄ばれ、少々ばつが悪いようだ。珍しい相棒の姿に、紫苑は蠱惑的で悪戯っぽい笑みをもらした。
 
 白花もまた地蔵に手を合わせた後、カメラの映像を検めた。残念ながら従魔の遺骸は溶けて消え、回収は出来なかったので、H.O.P.E.に提出するのは映像のコピーデータのみ。作業員達の能力者適性の確認を依頼してもいいかもしれないが……仲間達が言うように地蔵や空海が、死者達の声を作業員達に届けていたのかもしれない。
「白花さまは、どなたにお会いになられましたの?」
 白花の穏やかな微笑が気になったらしく、リリィが白花にそう尋ねた。白花は柔く微笑んだまま、端的に言葉を返す。
「懐かしい顔でしたよ」
 あの人は“今”は桜の下。それを理解していても。
「また、こういう機会があると良いのだけれど」
『きっとございますわ!』
 白花の声に、プルミエは明るく完璧に同意を示した。

 狐杜はサングラス越しに橋下の海を眺めていた。胸を焦がすような激情も今はやや落ち着きを見せ、狐杜は凪いだ瞳のまま傍らの相棒に問い掛ける。
「アオイ、きみには逢いたい者はいるのかな?」
『……あいにく、記憶が無いものでね』
 狐杜の問いに、蒼は淡々とそう返した。狐杜は瞳を海の方へ向けたまま、言葉だけを相棒へ渡す。
「そうかい。わたしを止めてくれてあいがとうね、アオイ」
 それに対し、蒼はやはり淡々とこう返した。
『何の事だか』

結果

シナリオ成功度 大成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
    人間|24才|男性|生命
  • ゆるキャラ白虎ちゃん
    白虎丸aa0123hero001
    英雄|45才|男性|バト
  • 龍の算命士
    CERISIER 白花aa1660
    人間|47才|女性|回避

  • プルミエ クルールaa1660hero001
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