本部

Even if...

山川山名

形態
ショートEX
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 6~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/08/16 13:17

掲示板

オープニング


 脅かされている人々の、命を護る。


 平日昼間の駅前は、異様とも思える悲鳴と怒号の嵐に包まれていた。
「愚神が、愚神が出たぞォオオおおっ!!」
「早く逃げろ、殺されるぞ!」
「どうしてこんな、ところに愚神が!?」
 決して大きくはない駅前のロータリーに現れたのは、長い黒のローブをまとったやせぎすの男だった。ふらりふらりと酒に酔っているかのような足取りで怯える群衆のもとに向かう男の右手は、廃材を継ぎ合わせたかのように歪で細長い形状をしていた。
 逃げる方向を間違え、行き止まりに追いやられた人々は十数人程度。スーツ姿の男性も、子供連れの女性も学生も、皆一様に恐怖と脅えが入り混じった表情を浮かべていた。
 男はゆっくりと、まるでその表情を見渡して楽しんでいるかのように右手を揺らしながら彼らに近付いていく。ニヤリ、と不健康そうな男の口が割れる。
「いやあ、お前さん方も不運なこった。まさかこの俺に目を付けられちまうとは、なあ!」
 ゴガン! と、群衆のすぐ真横の壁を右腕で打ち壊す。発泡スチロールで出来ているかのようにあっさりと崩れていくそれに、群衆の何人かが息をのむ。小学生程度だろうか、子供に至っては完全に泣き出していた。
 男は意地汚く唇を舐め、一歩彼らに足を進めた。
「でもまあ、仕方ねえだろう? 俺は愚神で、お前さん方は人間だ。俺たちは決して相容れるものじゃあねえ。俺は今からお前さん方を殺して、ライヴスを奪う。でもそれはなにも怯えるようなものなんかじゃねえぜ? これはそう、ありふれた食物連鎖なんだからよ」
 だからまあ、と男は悪魔から譲渡されたかのような腕を天高く持ち上げた。
「仕方ねえことだと思って、諦めな」
 ぐちゃぐちゃの腕が、殺意をもって振り下ろされる。それは普通の人間にはどうしようもないほどの威力をはらんでいて、かすりでもすれば確実に命はないはずだった。
 だから、群衆の一人が震えた声で何もない空間に叫んだのだ。
「誰か。誰か、助けてえっ!!」
『――任せろ』
 その、つむじ風のような声とともに。
 振り下ろされた悪魔の腕が、群衆に届くあと一歩というところで押しとどめられた。
「何!?」
 男の右腕の真下に姿を現したのは、身の丈ほどもある両手剣を立てに悪魔の右腕を押しとどめた、色黒で背の高い青年だった。どことなく目に光が失われている以外は、その服装――ブレザーの上に白衣――を含め、おかしな点は見当たらなかった。
「リンカー……?」
「リンカーだ!」
「助けが来たんだ!」
 群衆が歓喜の声をあげる。だがそれ自体を不快なものとするかのように男が吐き捨てた。
「リンカー、だと? 馬鹿を言うな。こいつがリンカー、ましてや人間のはずがない。お前、一体何の真似だ? こいつらはこの俺の得物だ、邪魔するんじゃねえよ。おなじ愚神のよしみだ、仲良くしようぜえ?」
 愚神。
 確かにこの男はそういった。群衆の中で混乱とざわめきが波及する。
 自分たちを護っているのが、自分たちをさっきまで脅かしていた愚神だって?
『……図に乗るな、愚神。俺は貴様を殺す。その為に彼らの声を聞いてやってきた』
「ハッ! 図に乗ってんのはそっちだろ。愚神が人間を護るとか、滑稽以外の何物でもねえっての!」
 男がその右腕に力を込める。金属の塊を押し付け潰すような音が辺りに響き渡るも、青年はそれでも無表情に、言葉に力を込めた。
『……ふっ!!』
 ガオン!! という轟音とともに、駅前ロータリーの隅がすり鉢状に抉り取られた。一度として剣を振らずに目の前の男に致命的な一撃を与えた青年は、無表情に男の目の前に剣先を突き付けた。
『形勢逆転だ。お前が殺される番だぞ』
「がふっ……へっ、そうかよ。だがさっきの一撃のせいで、あいつらはもう動けなくなったみてえだぞ。それでよかったのかよ、ああ?」
『当然だ』
 青年は迷わず言い切り、両手剣を振り上げた。その表情は一点たりとも変わることなく、まるで機械か人形のようだった。
『俺の使命は、人々の命を貴様らのような愚神から護ることだ。命さえ守れれば、俺は何でもしてやろう。目の前で失うよりは、ずっと楽なことだからな』
 そして、ためらうことなく大きすぎる刃が振り下ろされた。


「数週間前に姿をくらました東京海上支部所属のリンカーが、ここにきて姿を現した。そいつの名前は……今はいいだろう。それよりも状況のほうだ。
 現在奴は、とある駅前のロータリーで別の愚神と交戦している。だが見る限り圧倒的に奴のほうが有利だな。別の愚神は君たちが向かう頃には消滅しているだろう。あまりそちらは気にしなくていい。
 格下であるだろうが、愚神を圧倒しているのは違いない。十分な作戦と準備をして戦闘に望んでほしい。忘れるなよ、姿かたちはリンカーでも、あれはもはや愚神そのものだ。――どこで乗っ取られたのかはわからんが、厄介なこと限りない。何としても倒してくれ。
 敵性呼称名は『ボーダー』。頼んだぞ」

解説

目的:デクリオ級愚神『ボーダー』の撃破

登場人物
 『ボーダー』
・とある駅前のバスロータリーに現れた愚神。高校生程度の色黒の男性の姿。
・命中敵性持ちの元能力者。英雄はカオティックブレイドのクラスであったが、現在反応が確認されていない。
・数週間前に行方不明になっていた。この間に何らかの理由で愚神となったと思われるが、詳しい経緯は不明。現在、恐らくは一般人を防衛して愚神と交戦しているようだが、一般人は全員重傷を負って動けない状態にある。
・以下、戦闘データを記す。

 偽・レプリケイショット
・自身の得物である両手剣を対象一体の周囲に展開し攻撃する。大ダメージと減退(1)付与。

 偽・ストームエッジ
・両手剣を上空に複製し、剣の雨を降らせる。対象三体に中ダメージ。

 偽・デストロイクラッシュ
・両手剣が自壊するほどの一撃を対象一体に加える。極大ダメージに加え確率で気絶(2)付与。この技を使った後は素手での戦闘を行う。

・なぜ一般人を庇うような行動をとったのか、また愚神に戦闘を挑んだ動機は不明。『ボーダー』独自のルールがあると推測される。

 長い腕のデクリオ級愚神
・瀕死。無視して構わない。

 一般人
・十二人おり、そのすべてが愚神同士の戦闘の余波で重傷を負っている。『ボーダー』の背後にいるため、救急隊員も手出しができない。


 バスロータリー
・とある駅の前にあるが、『ボーダー』による攻撃の影響でところどころ陥没している。周囲一帯の民間人は避難した後であり、近づく様子もない。
・周囲は四階建て程度のビルに囲まれ、大きな道に続く小道が一本ロータリーから延びている。ビルは主に居住用ではないうえ、ところどころ空き部屋もある。
・天候は曇り、時刻は朝八時を過ぎたころ。

リプレイ


 ……錆び付いた優しい声が、聞こえる。
 もう何度も何度も頭の奥底から鳴り響いて、その都度に鼓舞させられてきた声が。
 そうだ。俺はこうしてここに立っている。愚神を殺し、目の前の誰かを助けるために。
 その力は手に入れた。もう本願は叶っているはずだ、それなのに。
 どうして、この声は止まないんだ。


『円城寺龍。ロシア復興にも携わったリンカーの一人で、当時高校三年生だった。相棒のクレマチス=グッドウェイとともに多くの事件を解決してきたが、いつの間にかこんな姿になっていた。ヴィランに拉致されていたのかどうかは不明だがな』
「分かった。それで、救急隊員の方々への連絡は?」
『ああ。すでに戦闘区域ギリギリに待機しているとの情報が入っている。遠慮なくやってくれ。……ああそれと』
「?」
 怪訝な顔をした迫間 央(aa1445)の耳に、苦笑気味のオペレーターの声が届いた。
『彼らから伝言だ。あの愚神は確かに恐ろしいが、どうも見てられない。早急に静かにさせてやってほしい、とのことだ』
「……ああ」
『頼んだぞ』
 通信が途切れ、あたりに静寂が戻る。近郊の住民が皆避難してしまった住宅街はひっそりと息をひそめていて、彼方で聞こえる爆発のような音以外は何もない。
『央、他の人にさっきのことを伝えないと』
「分かってる。ちょっと待ってろ」
 マイヤ サーア(aa1445hero001)の声だけの催促に、迫間は改めて通信機を取り出してそこに呼びかける。
「迫間だ。救急隊員の準備は整っているという情報が入った、手はず通りに負傷者の救護をまずは優先して動こう」
『分かった。できるだけ迅速に済ませよう』
 共鳴を終えたらしいアークトゥルス(aa4682hero001)の落ち着き払った声。彼だけではなく、多くのリンカーが救助の助けになるために動いている。その証拠に、間髪入れずに久兼 征人(aa1690)のからからとした声が届く。
「りょーかい。それで、もうやっちゃっていい感じ?」
「いや、待て……付近にほかの愚神の影はないな。ああ、いつでもいい。みんなはどうだ?」
「私は問題ありません。いつでも」
「俺も大丈夫だ。というより急いだほうがいいかもしれない、そろそろあの長い腕の愚神がやられる」
 海神 藍(aa2518)と紀伊 龍華(aa5198)の頼もしい声に、迫間は少しだけ息を大きく吸い込んでいった。
「分かった。なら始めよう。作戦開始だ」
 ざわ、と受信モードにした通信機から場が動く音が響く。迫間はそれを幻想蝶にしまい込んでから、戦場に向かって駆け出した。
「リンカーが愚神に……なろうとしてなれるものなのか?」
『裏で糸を引いた愚神がいたのかもしれないわね』
「鷹の目で見た限りでは黒幕の影はなかった。戦っていれば姿を現すかもな」
 轟音がより一層近くなる。
 ほどなくして到着したそこは、戦場と呼ぶにはあまりにも凄惨な破壊のるつぼであった。
 アスファルトがめくれ上がり、自動販売機が吹き飛ばされ、ビルの壁面が砕かれているその中心に仁王立ちしているのは、どこにでもいそうな男子高校生だった。その肩に身の丈ほどもある大剣を担ぎ、通常の倍以上もある右腕をだらりと放り出した男を踏みつけにし、背後に身を寄せ合って塊になった負傷者を置いていることを除けばだが。
「が……あ……」
『……』
 ぐっ、と力を籠め、足元の愚神をとうとう粉々にふみ砕いた。粒子となって舞い散ったそれには何の感慨も抱かず、少年は集まった迫間たちを見渡した。
『リンカーか』
 流れた旋律は大仰な見た目に反して涼やかだった。大剣を肩から降ろして呟く。
『なぜここに来た。すでに彼らは俺が守った。今更他人が出る幕などないぞ』
「いいえ。その方々を守ることもそうですが、私たちは貴方を止めに来ました。『ボーダー』」
 月鏡 由利菜(aa0873)が答えると、『ボーダー』は少し眉を吊り上げた。
『俺の名前か。なるほど、そちらでも俺の現状は把握しているようだな』
 いいだろう、とかつてリンカーだった少年はゆっくりと刃を持ち上げ、その切っ先をリンカーたちに突き付ける。その瞳は黒く塗りつぶされ、敵対者どころか目の前すら見えているか怪しかった。
『ならば止めて見せろ。言っておくが、俺もそれなりに鍛えている。ただでは帰さないと思え』
「ッ!!」
 迫間が思いきり地面を蹴り、『ボーダー』との距離を詰める。抜き放たれた刀と土煙に汚れた傷だらけの刀身がせめぎあう。鋼が火花を散らす中で迫間が口を開く。
「……お前、自分の英雄はどうした?」
『知ってどうする?』
「お前の英雄が生存しているのなら、まだ人に戻れる道もあるかもしれない。……自分から切り捨てたのなら討つだけだが」
 愚神はほんのわずかに息を漏らすと、直後に鬼の如き形相になって大剣に体重を乗せた。
『自分で確かめろ。俺が哀れな被害者なのか、望んで地獄に堕ちた鬼なのか』

 一方。
「情報通り、か」
 激突の少し前、海神 藍(aa2518)は負傷者たちが身を寄せるビルの屋上から『ボーダー』のいるロータリーを観察していた。
 激戦の跡である陥没を眺めてそう言うと、隣のサーフィ アズリエル(aa2518hero002)も静かにうなずいた。
『ずいぶん暴れたのですね、ひどい有様です』
「その割には死者が出ていない……偶然か、それとも……いや、詮索は後だ」
 真下では仲間たちが集結し、愚神を片付けた『ボーダー』に宣戦布告をしていたところだった。すぐにでも衝突が始まるだろう。
 海神はサーフィに右手を差し出すと、小さく微笑んだ。
「仕掛けようか、サフィ」
『はい。参りましょう、にいさま』
 サーフィがその手を取ると同時、海神の衣装が白を基調とした祭礼服に変質した。接敵が始まった戦場に向け、彼は躊躇なく飛び降りる。
 そこは負傷者のほぼ真上、『ボーダー』にとっては完全なる背後だ。真後ろから『ボーダー』をはじき出し、負傷者救護のための空白地帯を作るのが狙いだ。
『突貫します』
 空中で姿勢を変え、ビルの壁面に足をつくと流れ星のように斜め下に跳躍する。ますます加速がついた状態でさらに大剣にライヴスをまとわせると、無防備な背中に向けて剣先を突き出した。
「悪いね、後ろから失礼する」
『もう少し、お下がりください』
『ッ!?』
 迫間を振り払って『ボーダー』が海神の大剣を受け止める。猛烈な衝撃波とともに『ボーダー』が吹き飛ばされ、姿勢を入れ替えて着地する。
『チッ……!』
「はああああっ!!」
 ガゴン!! という金属の衝突音がロータリーに木霊する。月鏡の大振りな剣が対応に遅れた『ボーダー』の防御を食い破り、その左肩を切り裂いたのだ。痛みに顔をしかめるというよりはむしろうっとうしいハエを見るかのような目つきで、『ボーダー』は月鏡から距離をとろうとするが。
「……逃がさない」
 茨稀(aa4720)のそんな声とともに『ボーダー』の死角から噴射されたのは、
『消火器!?』
 真っ白な消火剤入りの煙が彼の視界を一瞬で覆いつくした。ただの霧でも煙でもないそれは透明度が極端に低い。そのせいで、直後に茨稀の周囲に展開された大剣の群れにもわずかながらムラが見えていた。悠々と回避しながら茨稀とファルク(aa4720hero001)が言葉を紡ぐ。
「……リンカーの戦い方が、通用しないのなら」
『人間らしくタイマン張ってやればいいってことだ!』
『腹の立つ真似を、ッ!?』
 舌打ち交じりに剣を振り抜こうとした『ボーダー』の横合いから大剣が襲いかかる。何とかそれを抑え込むと、クレア・マクミラン(aa1631)が感情を抑え込んだ瞳を彼に向けた。
「注意散漫。戦場では命とりだな」
『……ただのリンカーではないな。失せろ』
 せめぎあう刃を強引に押しのけると、クレアはすぐさま真後ろに跳躍した。
 だが、そこで気づく。クレアが単純に場を仕切り直すにはあまりにも距離をとりすぎている。それもそのはず、彼女が見ているのは『ボーダー』などではなく、もっと彼女にとって重要度が高い対象だ。
 つまり、今も身を寄せ合う負傷者。
『ま、て!!』
『行かせるものか』
 がづん!! とクレアを追おうとした『ボーダー』の前にアークトゥルスが割り込んで剣を振り下ろした。『ボーダー』も応じて数合打ち合うも、やがて決着をつける前にアークトゥルスの真横をすり抜けるように走り抜けていった。
 行かせて、なるものか。
 あの女に、彼らを保護されてなるものか――!!
「おっと。ここから先は通行止めだぜ」
『なっ』
 いつの間にか進路上に現れた久兼が、『ボーダー』の腰の横に二本の槍をねじ込んでさすまたで捕らえるかのように動きを封じたのだ。穂先が中途半端にわき腹に刺さっており、『ボーダー』は眉根にしわを寄せてクレアの動向を見送るしかなくなった。
「聞きたいことがあるんだがな、愚神を殺すのはなぜだ。あんたも今は愚神なんだろ? 愚神同士で派閥争いでもあんの?」
『……何を言うかと思えば、そんなことか。知れたことだ、「俺は今でもリンカーだから」だよ』
「……何だと?」
『ボーダー』は悪魔のように口を引き裂くと、槍の穂先を握りしめて徐々に体から離して自由を獲得していく。兼久が力を込めてもその流れは止まらない。
『俺はリンカーだ。過去形だろうが何だろうがな。守るべき人々がいるんだ、何を捨ててでも助けるのは至極当然だろう?』

『人々を助ける愚神ですか、妙な輩もいるものですね』
 他人事のようなノア ノット ハウンド(aa5198hero001)の声を頭の奥で聞きながら、盾を構える紀伊は抵抗を見せる『ボーダー』を見つめながらつぶやいた。
「……なぜ、愚神になったんだ? 一体、何が彼をそうさせた?」
 どこまでいってもあれは愚神だ。経緯はどうあれ少なくともそうなっている。だというのに怨敵であるはずの人間を助け、同胞であるだろう愚神を殺すさまは尋常ではない。紀伊自身は、人々を無傷で助けることなどできないと考えているがゆえに『ボーダー』の思想に多少なりとも共感を覚えているのだが、それでも彼はどこかがズレていた。
 命を守ること、『それだけ』に固執している気がしてならないのだ。
『さあ? まあ気を付けるですよボンクラ、あの愚神こっちに向かってくるですよ』
「っ、クレアさん」
「すまない、少しだけ時間を稼いでくれ。人が多すぎてすぐには間に合わない」
 背後のスコットランド人衛生兵の要請に、紀伊は大きく息を吸い込んで全身にライヴスをまとわせる。そのライヴスはまるでフェロモンのように愚神の注意を強制的にそらさせ、己を己以外のすべてを守る盾とさせる。
「分かりました」
 そして、爆音とともに激突が起こった。
 理想郷の前に切っ先を阻まれた『ボーダー』は、血走った瞳で紀伊を見下ろした。あちこちから血を吹き出しているものの、その勢いは収まるところを知らない。
『そこを退け、女』
「男だよ。……退くものか。あなたには興味があるけれど、放っておいたら確実にまずいってことはわかるから。ここで止める」
『なるほど。では強引にでも押しとおるとしよう!』
 盾を持つ手に膨大な負荷がかかる。骨が悲鳴を上げ、腕の筋肉が抗議に叫ぶ。だがそれでも、紀伊はただの一歩も後ずさることはしなかった。
 だから、何とか間に合った。
「悪い、遅くなった。後は俺たちに任せろ」
 そんな、尊大でもこの場においては何よりも心強い声が『ボーダー』の頭を飛び越えて聞こえてきたのだ。
『お、まえは……ッ!!』
 大剣を紀伊の盾から離して迫間の刀を受け止めようとする『ボーダー』。だが彼はそれを振り下ろしこそしたものの、その狙いは紙一重でそれていた。
「……なんちゃって」
『ッ!』
 もう遅い。一度全身の筋肉に力を込めてしまったなら、戦場において大きすぎるほどの硬直を生む。その隙を逃す二人ではない。
『ユリナ、突き崩すぞ!』
「ええ!」
 リーヴスラシル(aa0873hero001)と月鏡が叫ぶ。今度こそ無防備になった脇腹めがけ、距離を詰めた月鏡が大剣を弓にかけた矢のように引き絞る。
『周囲を顧みず突き進むこと……それは妄執であり、信念ではない!』
「人の心の残滓、揺り起こせ! 『ヴァニティ・ファイル』!!」
 ボクサーのストレートに近い動作で突き出された大剣は、どうしようもないほどに『ボーダー』の体を抉り取った。だがそれだけではなく、剣にまとわせた二人のライヴスは『ボーダー』のライヴスを混線させ、暴走させ、制御のリミッターを無理やりに吹き飛ばした。
 行きつく先は明白。彼の意識の簒奪だ。
 悲鳴を上げることすらかなわずに吹き飛ばされた『ボーダー』を一瞥すると、月鏡はあっけにとられていた救急隊員たちに向き直った。
「急いでください。気絶はしていても長くはもちません、今のうちに、早く!」
『奴は私たちが見張っておく。急げ!』
 その声で我に返った隊員たちは、一時的に共鳴を解いたクレアとリリアン・レッドフォード(aa1631hero001)の助けも借りて負傷者たちを搬送していく。
『クレアちゃん、対応はいつも通りね』
「了解。最善にして最高を、だろう?」
 そして、月鏡は未だ沈黙する『ボーダー』を監視しつつも疲れたように息を吐いた。
「どう思いますか、ラシル」
『……私には、奴は迷走しているように見える』
 リーヴスラシルの戸惑ったような判断しかねている声が聞こえた。
『愚神であれば、憑依先のリンカーの都合などお構いなしに行動するはずだ。奴がかつての誓約に縛られているのか……』
「いろいろ仮説は立てられますが、根拠に乏しいですね。……とにかく、救助活動はうまくいきました。答えは本人の口から聞いた方がいいでしょう」
 もう救急隊員も負傷者も、リンカー以外の姿は戦場のどこにもない。正真正銘、愚神とリンカーの戦闘が幕を開ける。


 守るものを奪われた。二度も。
 目覚めてすぐに『ボーダー』が思い至ったのは、愚神にしてはあまりにも筋違いなことだった。
 そもそも守るべき人間など存在しない愚神である彼が次に理解したのは、自分の体に不快な網が覆いかぶさっていることだった。元リンカーの彼はすぐに、これが女郎蜘蛛の網――愚神を拘束し、回避行動他の誓約を押し付けるものだと把握した。
 リンカーたちは一様に武器を構え、『ボーダー』の覚醒を警戒していた。すさまじい圧であったはずなのだが、彼は昼寝から覚めた後のように何気なく口を開いた。
『誰がこれを使った?』
「俺だ。お前が目を覚めてすぐに余計な行動をしないようにな」
『成程。いや全く定石通りだと言っておこう。敵である俺を封じ込め、その間に負傷者の救助を敢行する。戦闘範囲の外に敵が出るといけないから、鳥籠に押し込めるように微妙な距離感を保つ……俺がお前たちの立場であっても、同じことを思っただろうな』
 茨稀にくつくつと笑みをこぼしながら、『ボーダー』はゆらりと立ち上がる。網は彼が体を起こすことは認めても、それ以上は許容しない。一歩だって動けやしないだろう。
『後は残ったこの俺だけ。いいだろう。どうせもう俺の言葉を聞く奴などお前たちしかいない。聞かれたことになら答えよう、出来る範囲でな。ただし攻撃の手は緩めるなよ。この網は俺が全力を出せば剥がれる程度のものでしかない、それだけの隙は与えないことだ』
 まるで倒しに来たリンカーを指導する教官のような言葉を吐く『ボーダー』に、リンカーたちは訝しげに思いながらも腰を落とす。愚神である彼もそれに合わせ、犬歯をむき出しにして応じる。
『来い。俺を殺す者たちよ』
 真っ先に大地を蹴って『ボーダー』のもとに向かった海神は、アスファルトを舐めるような挙動で大剣を下から振り上げた。それを抑え込まれる前に海神は切っ先を止め、柄を持ち替えて石突で『ボーダー』の手の甲を狙う。
 敵の目が見開かれる。それを回避しようと体で『ボーダー』が防御しようとするも、海神はそれすらブラフに彼の足を払った。
『なっ……!』
 体勢が崩れる。後ろに倒れる『ボーダー』を見逃すこともなく、海神は思いきりライヴスをまとわせた大剣の石突を『ボーダー』の脇腹に打ち込んだ。小石のように吹き飛ばされていく敵に、しかし海神の表情は晴れない。
 感触が硬い。防がれたのだ。
『攻撃の手は、まだ緩まってなどいないぞ』
『そのようだ、な!』
 先回りしていたアークトゥルスの一撃を大剣で受け止め、さらに連撃をしのいでいく。アークトゥルスは静かな殺意をその黒い瞳ににじませる。
『この状況でよく守るなどと口にできるな。詭弁にもほどがある』
『詭弁か? 俺は愚神に襲われていた彼らの呼び声に応じただけだ。他に何とするつもりだ?』
『愚神が人を傷つけた。それ以外にこの状況を説明する言葉などない』
 剣を振るうことに慣れている者の動きで、アークトゥルスは強烈な一撃を『ボーダー』の胴体に叩きこんだ。ガードされていながらもピンボールのように『ボーダー』を突き放す。
 そこへ、身の丈をはるかに超える大剣を引き絞ったクレアが迫る。
「このザマで命を守るとは滑稽だ。何が原因でそう歪になったか知らんが、教えてやろう」
『命を守るとは、今を救い、その先を紡ぐこと。……今のあなたには届かないでしょうけど』
 迫るクレアに、愚神は口元を吊り上げる。振り抜かれた彼女の一閃に『ボーダー』は大剣をそっと這わせると、するり……と音がするかのような滑らかさで剣の動きを誘導したのだ。
 網の目が、破かれる。
「これは……!?」
『あまり運の力を舐めないでもらおうか。……これで、用意はすべて整ったぞ』
 驚愕するクレアを尻目に『ボーダー』は真後ろに跳躍して距離をとると、大剣をおもむろに真上に放り投げた。くるくると回転するそれは瞬きする間に増殖し、一瞬で戦域上空を刃で覆いつくした。
「まずい!」
 すぐさま意識を自分に向けさせるライヴスをまとった紀伊だったが、『ボーダー』はもうそちらなど見ていない。ただ、歌うように口を動かした。
『「偽・ストームエッジ」』
 銀色の流星雨が、降り注いだ。
「くっ……!」
「がああああッ!?」
 紀伊に向けられるはずだったそれは、月鏡と久兼にも牙をむいた。月鏡はとっさに盾を展開して事なきを得たが、久兼はもろにその体を剣の雨にさらしてしまった。ほんの数瞬の間に彼の周りが薄黒い赤色に沈む。
 それを目にして、『ボーダー』はなおも笑っていた。
「あんなことが、あなたのしたい事なのですか?」
 だから、月鏡は抑えきれなくなったというように言った。
「人を守りたい。それはあなた自身の意志なのでしょう。しかし、そのためなら守るべき人々を『殺さなければ』いくら傷つけても構わないのですか?」
『何が言いたい』
「このまま時が過ぎるほど、あなたの愚神としての性質が強まっていくのは明らか。ライヴス吸収欲求をいつまでも押さえ込めるとは思えません」
『ああ。確かに俺はもう愚神なのだろうよ。現に今も、こうして血を流したあいつの体から漏れ出たライヴスを吸いこんで悦に入っていたのだから』
 彼は自嘲するように凶悪な笑みを見せびらかした。絵画に描かれる悪魔か鬼を意識しているかのようでもあった。
 円城寺龍。かつて存在したリンカーの体を持つ愚神は、小気味よく首の骨を鳴らした。
『ちょうどいい。そこの軍医があの男を治している間、質問に答えてやろう。……俺の英雄はどうした、だったか。消えたよ。俺が愚神として覚醒した三秒前に』
『ボーダー』の周囲で、何かが脈動した。
『いい奴だった……と思う。俺にはもうこの姿になる前の記憶がほとんどないからな。こうなるよりずっとずっと長く一緒にいたはずだが、どうにも思い出せない。声も、姿も、性格も、何もかも消え果たが、一つだけ残っている言葉がある。どんな声音でかけられたのかもわからない言葉が』
 唐突に落ちてきた大剣を掴み、両手で持ち直すと、今度こそ彼は殺意を膨張させていく。ここにいない誰かに対して向けているような殺意を。
『壊れたレコードみたいに何度も何度も頭に鳴り響くんだ。寝ても覚めても、殺しても守っても。――もう、飽きた。お前たちがこれを終わらせられるのなら、全力を持って俺を殺してみせろ』
「……死にたいのか? この状況で」
 なおも戦闘態勢を取る『ボーダー』を見て発した海神の呆然とした声に、サーフィはゆっくりと言葉を紡いだ。
『或いは、理解しているのかもしれません。死ぬことを……いえ、殺されることを』
「そうか……もはや語るまい」
 そして、月鏡は剣を持ち上げてまっすぐに『ボーダー』へ突き付けた。その表情に迷いはない。あるいはあったかもしれないが、とうに振り払われていた。
「私は愚神を浄化する者。人を殺めるためにこの剣を振るっているわけではありません」
 ですが、と彼女は毅然とした声で告げる。
「あなたが助かる見込みが既にないのであれば、滅するに躊躇はしません」
死闘をこれから演じるはずの『ボーダー』は、まるで絞首台の床を開くボタンを自分で押す囚人のような寂しげな笑みで、ただこう言ったのだった。
『それでいい』


「……この距離では振り抜けまい」
『ハ。だがお前に振り抜かせもしない』
 ギギギギザザザザザザザザザ!! と、迫間と『ボーダー』が剣戟を交わす。懐にもぐりこんだ迫間に対し『ボーダー』は防戦一方であるのだが、相手に決定的な隙を与えないように剣を扱っていた。
 つまりは、互角。
 だがそれでも、迫間はほんのわずかな間に刀を真下に落とし、代わりに幻想蝶から金属の筒を取り出した。それあはひとりでに彼の手から離れると、突如として猛烈な光をゼロ距離で『ボーダー』にぶつけた。
『ぐっ!?』
 狼狽した『ボーダー』が思いきり迫間の体めがけて大剣を振り抜く。確かに斬った感触はしたはずなのだが、人間にしてはあまりに軽い。まるで霞を斬ったかのような……。
『貴方、眼が良すぎるのよ』
『まさか……ッ!!』
 詠うようなマイヤの声。本物の迫間が、たった今分身を斬り払った『ボーダー』の真後ろに立ち、重い一撃を喰らわせた。
 よろめいた『ボーダー』だが、安息が訪れることは決してない。覚悟を完全に固めた月鏡が、こちらを目指して突き進んできていたからだ。慌てて対応して刃を大剣で受け止めるものの、その衝撃はなおも強く彼の体を押しつぶす。
「はああああああっ!!」
『ぐ、おお……ッ!!』
『ボーダー』の意識が弾き飛ばされる。ボロ雑巾のように地べたを転がる彼に、アークトゥルスが見逃すこともなく進行方向に回り込んで刃にライヴスをまとわせる。
『これで終わりにする。眠ったままで終われ』
 ぞぶり、と。『ボーダー』の体がアークトゥルスの大剣に突き刺さり、腹からその切っ先をのぞかせた。
 清廉そのものの騎士から放たれた一撃は、愚神の体を確かに刺し貫いた。赤黒い血が銀の剣先から垂れ落ち、真下に鉄臭い池を形作る。どのような存在であろうと、まず絶命するはずだった。
 だが。
『……目覚ましにしては、少し過激すぎだろう』
 血で息がこもった声でそう呟いた『ボーダー』は、アークトゥルスの体を蹴りつけて無理やりに彼の剣から自由になった。背中から失血死してもおかしくないほどの血液をこぼした愚神は、青白い顔になりながらなおも哄笑する。
『まだだ。俺はまだここにいる! 血をどれだけ流そうと、肉がどれだけもがれようと、まだ俺はここに立っているぞ! 殺してみせろ、リンカー、俺を殺してみろ。お前たちの本懐を果たし、真に無辜なる人々を護るために!!』
「しぶとい奴……」
 対照的に冷え切った声でぼそりとつぶやき、『ボーダー』へ疾駆する茨稀の手には再び女郎蜘蛛の網が握られている。どれだけ哄笑していても『ボーダー』が虫の息であることは確かであり、これが決まればもう確実に倒せるだろう。
『やらせるか』
 それをひらりとかわすと、『ボーダー』は逆に茨城へ蹴りをたたき込みどちらともしれぬ血しぶきとともに彼を押し戻した。一方それを冷静に見ていた久兼は、治療にあたっていたクレアの手をそっとおしやった。
「もう大丈夫だ。世話になった」
「あまり無理をしないほうがいい。まだ傷口が満足にふさがっているわけではない」
「もう動ける。……あんた、俺に合わせられるか? あいつを挟み撃ちにしたい」
 声をかけられた海神は、久兼の体を見てわずかに眉を下げた。
「久兼さんが問題ないのなら。私はいつでも行ける」
「助ける。……いつつ」
『……本当に、動けるの?』
 ミーシャ(aa1690hero001)の一見素っ気ない質問に、久兼は共鳴前のような笑みを浮かべて答えた。
「当然。ってか、あいつはどうも目的が見えないから怖いのよ。危険な目は早く潰す、それだけだよ」
『……そう』
 海神は身を起こした久兼の横に並び、剣を構えながら声をかける。
「私は右から仕掛けます。久兼さんは」
「時間差で左から仕掛ける。タイミングはあんたに任せる」
「分かった。では……行くぞ!」
 ほぼ同時に飛び出した海神と久兼は対称に弧を描き、『ボーダー』を両側から挟み潰すように疾走した。その動きを察知した『ボーダー』は口角を吊り上げると、おもむろに大剣を真下に落として両腕を広げた。
 海神の一閃が、久兼の双槍が微妙にタイミングをずらして襲いかかる。どちらかに気を取られればその時点で致命的な一撃を追い、そうでなくても対応が遅れてダメージを加える……はずなのだが。
 それらすべてを素手で抑えた『ボーダー』は、両手と同じように口から血を吐いて壮絶な笑みを浮かべる。
『いいセンスだ。急造のチームワークにしては悪くない。だが、それで倒せると思うなッ!!』
 叫ぶと、『ボーダー』はそのまま二人を武器ごと振り回し、空白地帯に向けて思い切り放り投げた。全身疲弊していながらなおもすさまじい膂力を見せつけた『ボーダー』は間髪入れずに足元に落ちていた大剣を斜め前に蹴り上げ、それを追うように飛び出した。
 向かう先は、言うまでもない。盾を構え意識を向けさせていた紀伊だ。
『終わりにしよう。お前たちも、俺も。どちらが倒れるとしてもこれで最後だ!!』
 空中に浮きあがった剣を掴むと、『ボーダー』はますます加速して紀伊に襲いかかる。文字通りの全身全霊の一撃が、大地を揺らすほどの衝撃とともに紀伊の体に叩き込まれた。
「ぐ、うううっ……!」
『耐えるか。だがまだだ。この一撃は俺の剣が折れるほどのもの、「耐えられては俺が困る」』
 さらに、加圧。紀伊の足元がプラスチックのようにひしゃげるも、紀伊は歯を食いしばりながら必死に言葉を紡ぐ。
「……あなたの、頭に響く声って、何」
『聞いてどうする』
「人を助ける愚神なんて、奇妙だ。だから、あなたをそうさせた原因を、聞いておきたい。あなたのことを、知るために」
 いまだ眼前で剣と盾が火花を散らす中、『ボーダー』は凶悪な笑みをほんのわずかに緩めた。意図的に封じていたそれを、彼がこぼす。
『教えられないな』
「……?」
『これは俺の財産だ。俺の宝だ。……もう思い出せなくとも、これは間違いなく「かつての俺」にとっての希望そのものだ。今はこんな愚神ごときの生きる糧になってはいるがな。だから、教えない』
「……そうか」
 そう言って、紀伊は盾を握る手の力を落とした。勢い、『ボーダー』の剣が紀伊の肩を浅く切り裂く。だがそれは決して降伏の意味ではなく、有り余った『ボーダー』の力を前方に逃がし、決定的な隙を作る為のものだ!
「なら、俺は貴方を倒す。貴方とは違う形で、人を助けるために!」
『お前ッ……!』
 そして、完全に体勢を崩した彼の真後ろで剣を振りかぶった月鏡は高らかに、最上の相棒に向けて声を張り上げる。
「ラシル、誓約術のリミッターを解除してください!」
『分かった、私のかつての姿をユリナに託す!』
「いきます――『ボーダー』、あなたを浄化します!」
『お、あああああああああああああああッ!!』
 そして。
「『ディバイン・キャリバー!!』」
 月鏡の剣閃が実に五回、『ボーダー』の無防備な背中を一分の油断もなく切り穿った。
 体を吹き飛ばすための力すら内部の破壊に使われたのか、『ボーダー』の体はただの肉塊のようにそのまま地べたにくずおれた。愛用の大剣はすでに剣身に深い亀裂が入り、地面に接触した瞬間ガラス細工かのように割れて砕けてしまった。
 もう一片の力も『ボーダー』の中には残っていなかった。全身からライヴスが大気に拡散していき、人間でなくなった彼の体は末端から徐々に消え失せていく。彼を証明する物理的な証拠はなにもかもなくなり、ただ『ボーダー』である彼と剣を交えた彼らの記憶しかなくなる。
 ――だが、それでいいだろう? クレマチス。俺は……僕は、あまりに罪を重ねすぎてしまったから。

『たとえわたしが死んでも、貴方だけは目の前の誰かを、死にゆこうとする誰かを力の限り救いなさい』

『……は』
 そして、『ボーダー』は最後の最後、今まで鳴り響いていたその言葉をはっきりと耳にして力なく笑った。
「まさか、僕が死ぬことでそれが達成できたなんて、考えもしなかったな……」
 大気に溶け消えた『ボーダー』の言葉は誰に届くともなく、その体のすべてはそのすべてが亡霊だったかのようにどこにも見えなくなってしまった。


 以上をもって、とある奇特な愚神の撃破作戦は完遂された。
 事後報告としては、『ボーダー』の被害に遭った一般人十二人の命に別状はない。一部傷が深いものもいるが、おおむね一月も経てば全員が退院できるとのことだ。
 そして、クレアは依頼完遂後もしばらく現場に残り、破壊されたバスロータリーをくまなく調べていた。どこかに見落とされている負傷者がいないか念のための確認だ。
「まあ、大丈夫そうか。ドクター、そっちは?」
 そばでがれきの下を覗いていたリリアンは頭をあげると、少しすすけた顔を横に振って答えた。
『こっちも特にないわ。そろそろ帰りましょうか、アルラヤちゃんがご飯作ってくれてるでしょうし』
「そうだな。そこらへんでウォッカでも買っていってやるか」
 彼女たちの使命は、人の命を守ること。その為にはたとえ銃火の前に立ってでも死にゆく命をつなぎとめる。
 そういう意味では、彼女たちの行いはいつも通り、日常の一部に過ぎないのだ。

『……そうか。ありがとう、感謝する』
「どーでした?」
『あの愚神……いや、円城寺、だったか。彼の情報は何も得られなかった。ロシアから帰国してすぐに行方不明になったらしいが、それ以外の足取りはつかめなかったようだ』
「そうっすか」
 近所の公園のベンチで脚をぶらぶらさせながら答えた君島 耿太郎(aa4682)の隣に座ると、アークトゥルスは自動販売機で買ってきた缶コーヒーを彼に手渡した。
「にしても不思議っすね」
『何がだ』
「王さん、そんなにあの愚神に興味があったんすか? そういう風にはなかなか見えなかったんすけど」
『ああ……まあな。愚神にあの元リンカーはなって、人々を護るという理想のために真逆の行為に結果的に手を染めた。それは許せることではないし、共鳴した俺も苛烈であったことだろう。自覚はないが』
 けれど、とアークトゥルスは缶を両手で握った。
『たとえ最悪な最期を遂げたものがいたとして、それがその者のすべてを物語るとは限らないだろう?』
「……そういうものっすか」
『おそらくね』
 君島は憮然とした表情でプルタブを開けると、コーヒーを喉に流し込む。安っぽい苦みを残すそれを飲み干しても君島は表情が変わることなく、ただぽつりとつぶやいた。
「王さん、守るってどういうことなんすかね」
 思い出して楽しくないような過去を背負う君島にとって『ボーダー』の命さえあれば、という理論は否定しきれるものではない。命あっての物種という言葉もあるぐらいなのだ、きっとある種においては真実なのだろう。
 だが、誓約に同じく『守る』とおいている彼にとってその疑問は決して安いものではない。誓約の意味そのものが変わる以上、君島にとってこの疑問は、少なくとも缶コーヒーを飲み切る以上には重要だった。
『……どうかな』
 そして、この疑問こそが早くも波乱に満ちた人生を送ってきた少年にとっての前進なのだろう、とアークトゥルスは考えて自身もプルタブを開けるのだった。

 存在はどこにも見えなくなってしまったけれど、『ボーダー』が使い、砕けてしまった剣の欠片だけは残っていた。
 紀伊はそんな欠片の一つを拾い上げると、そっと胸の前に引き寄せた。これはただの精錬された鉄だけの重みではない、と紀伊は静かに思案した。
 彼らと剣を交えた『ボーダー』の存在は、確かに多くの人間にとっては迷惑だったことだろう。身勝手な正義を振りかざして自分たちを危険にさらした存在なのだ、罵倒を受けてもおそらくは仕方ないのかもしれない。
 けれど、それでも。もしも『ボーダー』の行為を馬鹿にしたり迷惑がる声を実際に聞いてしまったなら、紀伊はらしくない激情に駆られてしまうかもしれない。なぜなら、その過程や結果はどうであれ、人の命を守りたいと願う彼の心は本物だったのだから。
 自分の死が人の命を守ることになる、と寂しげな笑みでつぶやいた男が。
擦り切れた想い出で最後に残った言葉を守り抜いた男の動機が、決して軽いものでないことは最後に剣を受けた彼がよく知っているのだから。
「……馬鹿にすることだけは許さない。誰であっても」
『はーい、そこまでです』
「わっ……ノア?」
 いつの間にか左肩に手を置いていたノアは、紀伊に向けて感情の読めない笑みを見せた。
『感傷に浸るのも結構ですが、ボンクラも怪我してるんですから病院行きますよ。どうせボンクラのことだから大丈夫とは思いますが』
「ちょ、ちょっと待って。そこどう考えても傷口って痛い! 掴まないで力入れないで!」
『はいはい病人一名ご案内でーす』
 そうして、二人もまた戦場を騒々しいながらも離れていった。
 最後に残されたのは、海神とサーフィの二人だけとなった。海神は負傷者たちが身を寄せ合っていた場所の近くにあったがれきに腰を下ろし、戦場の風景を眺めていた。
 スキットルから酒を注ぎ、一杯呷る。喉がアルコールでひりつくのも忘れて海神は前を向く。ここから『ボーダー』を――愚神から自分たちを守る為に現れ、自分たちをも傷つけた愚神を彼らはどう見たのだろう。
「たとえ、愚神に成り果てたとしても、か……」
 自分はそんな生き方ができるだろうか、と何とはなしに思っていると、傍らで何かを呟く声が聞こえてきた。そちらを振り向くと、教会で懺悔をするときのように膝をついて胸の前で手を組むサーフィの姿があった。静かにうなだれて言葉を紡ぐところによると、
『……多くを守りし者に謳われぬ神の加護を。平等で静かな、安らかなる眠りを』
 メイド服姿なのに、こうしてみるとなぜか修道服のように思えるのはきっと酒が速く回りすぎたせいだろう、と海神は思ってもう一杯飲み干した。サーフィと一緒に祈ってもよかったが、こっちのほうがずっと自分らしい。
 身の丈ほどの大剣を担いだぼんやりとした背中は、正対した時よりは幾何か優しげだった。


 少年が変質する直前に何を思ったかはもう遠い過去のことだ。
 だが、それでいい。それを詮索されることは、『彼』も『彼女』もおそらく望んではいないだろう。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 永遠に共に
    月鏡 由利菜aa0873
    人間|18才|女性|攻撃
  • 永遠に共に
    リーヴスラシルaa0873hero001
    英雄|24才|女性|ブレ
  • 素戔嗚尊
    迫間 央aa1445
    人間|25才|男性|回避
  • 奇稲田姫
    マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001
    英雄|26才|女性|シャド
  • 死を殺す者
    クレア・マクミランaa1631
    人間|28才|女性|生命
  • ドクターノーブル
    リリアン・レッドフォードaa1631hero001
    英雄|29才|女性|バト
  • 難局を覆す者
    久兼 征人aa1690
    人間|25才|男性|回避
  • 癒すための手
    ミーシャaa1690hero001
    英雄|19才|女性|バト
  • マーメイドナイト
    海神 藍aa2518
    人間|22才|男性|防御
  • 難局を覆す者
    サーフィ アズリエルaa2518hero002
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 希望の格率
    君島 耿太郎aa4682
    人間|17才|男性|防御
  • 革命の意志
    アークトゥルスaa4682hero001
    英雄|22才|男性|ブレ
  • ひとひらの想い
    茨稀aa4720
    機械|17才|男性|回避
  • 一つの漂着点を見た者
    ファルクaa4720hero001
    英雄|27才|男性|シャド
  • 閉じたゆりかごの破壊者
    紀伊 龍華aa5198
    人間|20才|男性|防御
  • 一つの漂着点を見た者
    ノア ノット ハウンドaa5198hero001
    英雄|15才|女性|ブレ
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