本部

救いなどない。ただ認めるのみ

山川山名

形態
ショートEX
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 7~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/07/18 13:51

掲示板

オープニング


 この世は無関心に満ちている。
 それが、私がこの世界に訪れて最初に抱いた感想である。
 この世界の人々は、どこを見渡しても無関心だ。人が死んで電車が止まろうと、そこに哀惜の情は抱かない。誰かが苦しみ助けを求めようと、場違いな精神論で押さえつけ見向きもしない。誰もが苦しんでいるにもかかわらず、それらへの同情の念は欠片も持たない。
 この世界は、無関心という名の怠惰に塗れている。
 だから、私はそれを少しでも減らそうと、決めたのだ。


 遠くの高架線から、電車が通り過ぎていく音が鐘のように聞こえてきた。それに反応して、僕はうつむいていた顔を上げたが、その瞬間に耐えがたい激痛に苛まれてまた下を向いた。
 両手で握りしめていたのは、黒い革の長財布。父親から高校進学祝いにもらったものだ。妖しい輝きが夕日に照り映えるはずのそれは、しかし砂と泥にまみれてその面影もない。あちこちに赤いものが混じっているが、これは僕が鼻から噴き出したものだ。
「はぁ……」
 一人で座るには広すぎるベンチの隅に、僕は背中を丸めて腰掛けていた。傍目からみれば何か黒い影みたいにしか見えていないだろうけれど、それでもかまわない。僕のことを少しでも放っておいてほしかった。
 あまり思い出したくもないけれど、どうしてこんなことになったのか少しだけ思い返してみた。今日の昼、高校の不良連中から、放課後この公園にありったけの金を持って来いと言われた。来なかったらお前を殺すとも言われた。僕はもうそんな脅しを受けるのは十二回目だったから、おとなしく従った。
 実際のところ、連中が約束というものを覚えていることは不可能だったらしいので、全財産を引き渡したらその瞬間に腹に膝蹴りを見舞われた。ニヤニヤニタニタと、下卑た笑いを浮かべながらうずくまる僕をボールか何かのように蹴り飛ばす彼らは、やっぱり人間じゃあなかったんじゃないだろうか。
 散々僕につま先を入れて満足した連中は、僕のことなんて始めからいなかったかのように、今日の夜どこで遊ぼうかという相談を楽しそうにしながらここを去った。僕が起き上がれたのはそれからしばらくしてのことで、助けにくる人は誰もいなかった。
 ――。
 もう、嫌だ。
 取り繕ったところで、あの痛みを、苦しさを紛らわすことなんてできやしない。自分はあいつらなんかよりもずっと努力した。努力して努力して、学校のテストで一位を取り続けた。なのに褒めてくれる人は誰もいない。人間同じことが続くとどんなことでも慣れてしまうのか、先生も友達も両親さえも、僕の頑張りを認めてはくれなかった。
 僕だって、誰かに褒められたい。
 なのに――
「隣、いいか?」
「へっ……?」
 不意に声をかけられて、僕は痛みにも構わず上を見た。そこにいたのは、全身を黒いぼろぼろの布で覆った、旅人のような人だった。フードを目深にかぶっていたし、夜も近いせいで光量もなかったので表情は見えない。けれど、悪い人ではなさそうだった。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
 その人は低いけど良く通る声でそう言ってから、僕と体半分離れたところに腰を落ち着けた。その人は特に何をするでもなく、ぼうっと住宅街の屋根を眺めていた。
 言うまでもなく知り合いではない。わざわざ僕の隣に座ってきたということは、僕が弱っているのを見て何かたかりに来たか、勧誘しに来たのだろうか。いずれにせよいい話は持っていそうにない。
「少年」
「……」
「君のことだ、少年」
「え、はい? 僕ですか?」少年なんて呼ばれたのは初めてだった。
「君しかいないだろう。物言わぬ岩のようにずっといただろう。何かあったのか」
「……あなたには、関係のない事です」
 こうして事情を聞かれることだけでももう涙が出そうだった。だけど言ったところで何か変わるわけでもない。本当に、放っておいてほしい。首を突っ込まれたくはない。
「そうだな。関係のないことだ。君の事情を聞いても私には何もできないし、その資格もない。だが、話を聞いて君の気を楽にすることだけはできる。かの哲学者は対話を用いて人の無知を暴いたらしいが、それと同じ事が出来るのではないか?」
「……話すだけで、いいんですね?」
「それで君が楽になれるのなら」
 優しい声だった。穏やかな声だった。僕はあふれる涙を抑えられなかったけれど、それでも少しづつこの不思議な人にいままでのことを語った。語っているうちにも涙が僕の手の甲に落ちた。
「……ってことです」
「成程。それは、やはり私の力ではどうにもできないな」
「そう、ですよね」
 期待していなかったわけじゃない。この人が漫画の中のスーパーヒーローで、弱い僕を鮮やかに救い出してくれるなどと。だけどその願望は当の本人にあっさり否定され、むしろすっきりした。
「だが」
「?」
 すると、その人は腕をにゅっと伸ばしてきて、温かい大きな手を僕の頭の上に置いた。
「君が、今日この時まで彼らの仕打ちに対して耐え忍んできた気高い男だということは、私にも理解できた。君は、強い。――よくがんばったな」
 そう言って、父親のように頭を撫でてきた。
 胸の奥に、すとんと温かいものがしみ込んだ気がした。
 ああ。ようやく、その言葉を言ってもらえた。それだけでもう満足できた。自分の人生をこの人に保証してもらえた気がした。
「ありがとう、ございます」
 不思議なことに、脚の先から僕の体は徐々に原子が離れていくように消えていっていた。僕は一抹の不安を覚えたけれど、あの人の手は変わらず暖かかった。大丈夫だ、何も心配しなくていい、と言外に伝えていた。
 粒子が迫る。もう足の付け根まで僕の体は消えていた。それまでに、僕は伝えなくてはならない。
「ありがとうございます。こんな僕を、認めてくれて。何もできずにうずくまっていただけの僕を拾い上げてくれて。これ以上なんて言ったらいいのかわからないけれど」
「そう卑下するな。誇っていい。君は私が出会ってきた中で誰よりも強い。ほかならぬこの私が、君の人生の証人となろう」
 芝居じみた言い回し。けれどこれぐらいのほうが、こんな非日常にはふさわしい。
 僕はもう胸の下しか残っていない体で、最後に一つだけ聞いてみた。
「あなたの名前、まだ聞いていませんでしたよね。教えていただけますか」
「名乗るほどでもないが……そうだな。強いて言えば、私の名は『レイズ』。君を引き上げる男のつまらない名前だよ」
「レイズ、さん。はい。本当に、ありがとうございました――」
 そして、僕は、この地上から姿を消した。

 一人残された公園で、『レイズ』は長財布を拾い上げると、苦々しい表情でポケットにしまい込んだ。

解説

目的:デクリオ級愚神『レイズ』の撃破

登場人物
 『レイズ』
・デクリオ級愚神。一枚の黒い布を着込んだ背の高い男の姿。数か月前から活動が観測された。
・以下、戦闘データを記す。

 昇華
・対象一体の体に触れ、そのライヴスを空中に霧散させる。対象にダメージと劣化(物理攻撃+1)付与。

 承認
・認識した対象一体の在り方を肯定する。特殊抵抗判定に失敗した場合その対象に翻弄を付与。

 解放
・対象一体に触れ、体内ライヴスごと対象の体を破壊する一撃を放つ。対象に大ダメージと拘束、極低確率で気絶(2)付与。

・詳細がほぼ不明な謎の愚神。攻撃対象になった一般人が強い精神的疲弊、人間関係などに多大な精神的損耗を負った者ばかりであるため、そのような人間を選んでいると思われる。
・被害に遭った一般人はそのすべてが「満足した表情で」「肉体を残さず消滅」している。また、被害者の映像が音声付きで入手できたため、エージェントに公開する。参考にすること(PL情報:オープニングのこと。ただしあくまで映像と音声だけ)。

戦場
 公園
・ごく一般的な公園。ブランコ、砂場、滑り台が置かれている。プリセンサーによると、夕暮れにベンチに座っている一般人を狙って『レイズ』が訪れるとのこと。
・周囲は住宅街。だがある程度公園との距離は離れている。

 試練
・『レイズ』は被害者のすべてを認めたうえで殺した。被害者は一切そこに恐怖を抱かず、満足のうちに死亡した。『レイズ』は善か、悪か。

リプレイ


 本当なら、自分ごときがこんな役割を負うはずはないのだろう。
 多くの人間と出会い、そのどれもが悩み苦しんでいた。幸いなことに彼ら以外の人間を見ることはない環境にいたから、私はまだこの世界を憎んでいられる。
 ……それでいい。私はこの世界に関心を持ってはいけない。どこまでも憎み、嘲り、排斥し、破壊する存在でなければならない。そうでなければ私という存在が壊れてしまう。
 本当に、彼らは苦しんでいた。
 私に気づかれなければよかったのに、と思えるくらいに。


『レイズ、さん。はい。本当に、ありがとう、ございました――』
 映像が流れ終わると、室内の少なくない人数がため息を漏らした。
『レイズ』撃破という依頼を請け負った十六人は、敵となる相手の情報を集めるためにそれぞれの方法で動いていた。そのうちの大部分である十四人は長テーブルを囲み、H.O.P.E.東京海上支部の一室に集ってスクリーンに映された『レイズ』の映像を確認していた。
 たった一回見てみただけでも、多くの謎が浮かび上がる。特にこの愚神に対しては顕著だったのか、紀伊 龍華(aa5198)が真剣な面持ちで言った。
「……今回の愚神はなぜ、こんな回りくどい真似をしたんだろうね」
『ノアに訊くのです? さあ……ライヴスを回収しやすいからじゃないです? 無抵抗ならそれだけ御しやすいのです』
「本当にそれだけなのかな……いいや、今迷ってても仕方がない。奴を倒すこと、それが今回の任務なのだから」
 ノア ノット ハウンド(aa5198hero001)が首をかしげてそれに答えると、龍華と正対して座っていた雪室 チルル(aa5177)がスネグラチカ(aa5177hero001)に向けて口を開いた。
「ところでさ、なんでこの人たちって満足した感じなんだろう?」
『さあ……生き方を肯定されたらそうなるのかな?』
「生き方がどうとか言われても、それでも生きるほうが大事だと思うんだけど」
『それは人それぞれなんじゃない? どちらにしても、放置しておくわけにはいかないよ』
「……それもそうね! あいつはあたいがやっつけるよ!」
 もっともこの事件で不可解なことは、なぜ愚神が直接的な手段を使わずに遠回りをするようなことをしたのか、そしてなぜ、肉体を消し去られたにもかかわらず被害者が満足したような表情を浮かべていたのかだった。もちろん、こんな行動をとった愚神はゼロといっていい。なるほど『常識』を外れている愚神だった。
『相手のあり方を認めて殺すなんて、なんてつまらない』
「つまらないとか関係ないよ。命は命だから」
 そう相棒をたしなめる沢木美里(aa5126)に、浅野大希(aa5126hero001)は澄ました顔で答える。
『そう?相手は生きたくなった人を殺してあげてるだけかもしれないじゃない』
「そうかもしれない。でも、だからって人を殺すことをいいことだって、認めたくはないから」
 他者の在り方を認めるということ。
 人間同士でさえ難しいかも知れないそれを、『レイズ』はいともたやすく達成して見せた。それだけであれば聖人になれたかもしれないのに、次の瞬間すべてを台無しにしていく。認められた人間を存在ごとかき消すという非道なやり口で。
 だからこその矛盾。しかしその矛盾によって、ここに集う者たちの目的は統一されていった。
「随分と変わった奴も居るもンだな」
 溜息交じりに吐き捨てたヴィーヴィル(aa4895)の傍らで立っていたカルディア(aa4895hero001)は、眉ひとつ動かさずに淡々と返答した。
『私の肯定は、マスターによってなされています。ただ、誰もがそれを持つわけではない。そう、理解します』
「満足に消える、か。救いの形もそれぞれ、ってトコか……」
 いよいよその方針がまとまりそうだ、というときに『レイズ』の映像をプロジェクターに贈っていたパソコンに通信が入った。パソコンの前に陣取っていたフィー(aa4205)が応答のボタンをクリックすると、茨稀の音声が流れた。
「……まずは、そちらに行く事が出来なくてすみません。別のことをしていました」
「茨稀さん、今までどこで何してたんですか」
「……現場になる公園までの道を、警察にお願いして封鎖してもらいました。それと、周辺の写真も撮りましたので、確認してください」
 映像に覆いかぶさる形で、スクリーンにいくつかの写真が出現した。住宅街から半ば隔離された形で位置する公園の全景、そしてその少し遠くにある背の高い建物。フィーが小さく口笛を吹き、部屋の隅に立っていた六花のほうを向いた。
「だそうです。これで一般人は入ってこれないでしょうから、作戦通りおっぱじめることにしましょう」
「……ん。わかりました」
『あー、ファルクだ。追加しておくと、『レイズ』の情報を被害者から手に入れることは不可能だった。全員もれなく消滅させられていて、遺留品一つ残っていないらしい。だからあの映像だけが情報源だ』
「……俺たちはここで待機しています。作戦開始時に、また落ち合いましょう」
 茨稀(aa4720)からの通信が途切れる。リンカーたちはお互いの相棒と、どこに隠れどのように行動するかの対策を話し合い始めた。基本的に個人での行動計画を全体の作戦に組み込み統合する形になるので、あまり相棒以外と会話をすることはなかった。
 その中で、虎噛 千颯(aa0123)は頬杖をついてスクリーンをじっと見つめていた。そこには画像で右半分の顔が隠れた『レイズ』が映っている。
「満足した表情で……ねぇ……」
『千颯、どうかしたでござるか?』
「んーちょっちねー。……白虎ちゃんさ、あいつのこと、どう思う?」
『どう、と言われても困るのでござるが……死んだ者が満足したなら、奴の行いもあながち間違いではないのではないでござろう?』
 だが、千颯はただ首を振ってそれを否定する。頬杖を外すと、きちんと白虎丸(aa0123hero001)と向き合った。
「白虎ちゃん、それは間違いなんだぜ。共感し認めるならそれだけでよかったんだ。その後の殺すっていうのは余計なことだ、愚神ならではの考えなのかもしれないがな……殺して糧にしてる段階でその行為はただの人狩りと変わらないんだぜ。血肉にしようって段階でもうただのエゴだ」
『ふむ……』
 白虎丸はそこでふさふさの顎に手を当てる。その得物を見定めるような視線はまっすぐスクリーンに向けられている。
 そして、それらの輪の中にも入らずに隅で立ち尽くしていた氷鏡 六花(aa4969)もまた、スクリーンを睨みつけていた。不純物だらけでも確かな憎悪をもって、苦虫を噛み潰したような表情の愚神を見据えている。
「……」
『……六花』
「……ん。大丈夫。六花は大丈夫だから」
 アルヴィナ・ヴェラスネーシュカ(aa4969hero001)を見上げてそう呟いた六花に、冬の女神は穏やかに微笑んだ。
 実際のところ、彼女が大丈夫などではないことぐらいアルヴィナも理解している。それでも、六花が抱えるものは六花にしか解決できない。たとえそこにどれだけの苦闘や葛藤があったとしても、六花は少なくとも『レイズ』への向き合い方は心得ているのだろう。
 ほかならぬアルヴィナが、そう信じていた。
 そのうち作戦がまとまったのか、席を立つものが増えていった。

 通信を終えた茨稀は、公園の中に足を踏み入れて周囲に視線を向けた。外周を覆うように木々が植えられ、植え込みが生い茂っていることから見るに、少なくとも潜伏場所には困らないだろう。件のベンチは入り口から見て右奥の隅、砂場の奥にぽつんと鎮座していた。
 茨稀は確かにそこで一人の人間が命を落とした場所を見つめ、小さく言葉を漏らした。
「最後の夢を見て……散っていく」
『ああ、それは甘美な夢なのかもしれねーな』
 茨稀の後ろからやってきたファルク(aa4720hero001)は彼の横に立ち、彼と同じ方向を険しい面持ちで見つめる。まるでファルクにだけ、愚神に温かい言葉をかけられ笑みを見せる誰かが見えているかのように。
『だが、それを。その結末を。被害者たちは望んでいたのか……?』
「……」
 茨稀は何も言わず、ただじっと立っていたままでいた。
 太陽はにわかに、その輝きを変えつつあった。


 その時間が来るまで、『レイズ』はひどく安堵した心持ちで住宅街を歩いていた。
 何を隠そう、この日は一日として悩んでいそうな人間を見かけなかったのだ。基本的に『レイズ』はそういう人間を見ないようにするために外出は最小限にしているのだが、それでもとうとう見かけなかった。これは非常に大きな――『レイズ』の精神衛生的な意味で――変化であったと言える。
 少なくとも自分の前でだけは、苦しむ人間がいなくなったのだ、と『レイズ』は誰にはばかることなく大きなため息をついて、わずかな荷物を手に寝床にしている空き家へと歩いていた。
 管理者に見つかるといけないので、その空き家には必要最小限の物しかない。『レイズ』も愚神なので食料は必要ないのだが、このかさかさと音を立てるビニール袋の中のものは、どうしても欲しいものだった。
 視界の奥に、あの公園が近づいてくる。『レイズ』はわずかに身を強張らせた。そうだ。あの時もこんな心持ちで、彼と出会っていたのだった。
 誰もいないでほしい、という思いと、誰かいてほしい、と相反する感情が胸の中で渦を巻く。木々で遮られた内部が、入り口のあたりを通り過ぎる間際に見えるようになった。思わず、そちらに目が向いてしまった。
「……」
『……』
 白雪のような少女が一人、ベンチに座っていた。ひどく悲しげな表情を浮かべて。
(……)
 もう一瞬だけ長く、その少女を観察する。寒さに耐えることを目的としたような服装をした黒髪の小柄な少女が一人、まるであの時の彼と同じようにしてうつむいている。その後ろには、オーロラそのもののような薄い布だけを身にまとった銀髪の女性が少女に寄り添うようにして立っていた。
 ……気が付けば『レイズ』は、ビニール袋を茂みの中にそっと隠し、フードを目深にかぶって浮浪者の風を装っていた。そして何の迷いもなく、ベンチに向けて歩を進めた。
 馬鹿らしい、と『レイズ』はひそかに自嘲した。まるで本能に従うかのように「彼女を助けたい」と思ってしまった。これが本能だとしたら自分は聖人君子になれるだろう。そんなわけがないのに。
「こんばんは」
 そう声をかけられ、少女が顔をあげた。何かいろいろな色がかき混ぜられた果てのような黒い瞳をもつ以外は変わった様子がない。当然、表情の悲しみは除外している。
「隣、座ってもいいかな」
 少女が頷く。「ありがとう」と感謝を述べてから、『レイズ』は少女と体一つ分離れた場所に腰を下ろした。これぐらい離れたほうが人間にとってはちょうどよいらしい。

『……「レイズ」と思しき愚神が六花と接触したわ』
「こっちも確認したんだぜ。十分気を付けて」

「君」
「……ん」
「君はどうしてこんなところにいるんだ? もう陽が落ちる。君の両親のもとへ帰らなくていいのか?」
 ある程度の予想を自分の中でつけてから『レイズ』が声をかける。少女はちょっとその幼い顔をあげてから、ぽつぽつと答えた。
「……ん。六花の、パパとママね……愚神に……殺されちゃったの。仇の、愚神を……探してるんだけど……見つからなくて」
「……!」
 うつむいた口から紡がれた言葉に硬直する。この少女は、自分と同じような存在にこの悲しみを植えつけられたのだ。どこか周囲の音が遠くに感じられる。
 責任を感じないわけではない。しかしそれは自分ではなくまったく別個の存在なのだ、と『レイズ』は思い直す。自分が責任を感じることはない、と思考のレールを切り替えた。
「復讐がしたい、と?」
「……ん」
「そうか。それは確かに私ではどうにもできないな。復讐という言葉は、私には重過ぎる」
 だが、と『レイズ』は一拍おいて、六花の重黒い瞳をまっすぐ捉えた。
「それは、君にとっても同じではないのか?」
「……」
「君を見ればすぐにわかることだ。私にも重いと思えるものを、君はずっと背負い続けてきたのだろう。……それは、とても尊い。その果てにこうした理解者に出会えたのであれば、なおさらな」
 ちらりと、六花の後ろでうつむきがちに立つ女性を見やる。何の考えも力もなしに愚神を追い求めているわけではないだろう。おそらく彼女は六花に力を与えている存在のはずだ。
 ……初めてリンカーに出会ったかもしれない、と『レイズ』は六花の小柄な体躯を眺めて思う。同胞を憎むことはさすがにないが、世界というのはとことん理不尽だ。
 なら、自分がすべきことはいつだってひとつだ。
「私には君の気持ちのすべてを知ることはかなわない。そして、それを想像することも、おそらくはおこがましいことだ。だが私は、これだけははっきりと伝えることができる」

『……クロね』
「りょーかいです。一撃目をブチかますのは頼みましたよ」

「私は、君のこれまでの旅路を、そして君の誇り高い魂を認めよう。……よく頑張った。君が肉親を失ってなおも輝いていることを、私は確かに保障しよう」
 だから、もう眠ってくれ。
 君に生きていてもらうには、この世界はあまりにも腐っているから。
 六花の頭の上に伸ばされた『レイズ』の腕が、すべてを消し去る悪魔の腕が、迫る――!

「やめて」

 気がつけば、六花の姿はまったく別の少女に変わっていた。
 そして右腕の中で開かれた魔導書がひとりでに開放され、急速にライヴスが濃縮される。
「なっ!?」
 あわてて両腕で体を庇うが、もう遅い。『レイズ』の胴体をリーサルダークの一撃が飲み込み、そのまま思い切り吹き飛ばす。
 それだけではない。背中側からも雑菌だけを殺す抗菌剤じみた一撃がぶつけられてきた。それのダメージは前から襲ってくる一撃に比べれば微々たる物だが、何か明確なマーキングがされたように思えた。
 全身に重苦しい痛みが響く。一番前で防御していた左腕がおそらく使い物にならなくなっている。そのすべてを行った少女は今、足元に『レイズ』を拒むかのような風を展開し、背後に立っていた女性と融合したかのような姿でこちらをにらみつけていた。
 倒された上半身を無理やり起き上がらせ、『レイズ』がうめいた。
「……どうして」
「苦しまず安らかに死なせてるのは、他の愚神と比べればまだマシなのかもしれないけど。あなたに殺された人は、誰かに認めてもらえたことで、救われたと感じながら死んでいったのかもしれないけれど」
 少女の瞳は、もう悲嘆にくれる色などしていなかった。
『レイズ』が真実両親の敵だといわんばかりに、暗い恩讐の焔を宿していた。
「それでも、あなたがライヴスを奪うために人を殺してることには変わらないわ!」
「……ッ」
 ――六花には、犠牲者の気持ちが痛いほどよくわかる。
 あの日、両親が死んでしまって、たった一人で残された。寂しかったし、悲しかった。
 もし――あの時自分の前にアルヴィナではなくこの愚神が現れていたなら。優しい言葉をかけられていたなら。
 孤独に耐えている自分を認めてもらえていたら。きっと、自分も喜んで殺されていたと思う。
 でも、だからこそ。
「……あなたは許せない」
 その行いを「善」だと認めることなんてできない。
「……あなたは愚神。パパとママを殺したやつと同じ、愚神。どうせほんとはライヴスを食べたいだけなくせに、分かったようなことを言わないで!
 六花は……絶対に、愚神の言葉になんて、耳を貸さない!」
 ……ああ。
 結局、すべてはその言葉に行き着いてしまうのか。
 うすうす分かっていたことだ。どこまで行こうと自分はライヴスを食らうためだけに甘言をささやいていただけの悪魔なのだと。己の糧を得るために檻の中に肉を置く猟師と変わらないのだと。
 それを認めることが怖かった。自分がどうしようもない悪魔だと保証してしまうことが耐えられなかった。
 公園のあちこちで、目の前の彼女と同じような力を宿した者たちが近づいてくる。どうやら自分はまんまと罠に嵌められてしまったらしい、と『レイズ』は自虐気味に状況を精査した。
 ならば、社会悪たる自分がとる行動はひとつだけだ。
『レイズ』はおもむろに立ち上がると、外套についた砂を払ってから、フードを取り払った。燃えるような色のぼさぼさの髪と、澱んだ瞳が夕べの光にさらされた。
「君は、私の承認を拒んだ。それは君がこれからもその復讐に突き動かされて生きることを意味する。……たとえ復讐を果たした先に何もないと分かっていても、その道を選ぶのか?」
「今はアルヴィナがいる。あなたの承認なんて、いらない」
「そうか。なら、ここで戦うとしよう。君たちが勝つか、私が勝つか。単純でどうしようもない争いに、すべてを委ねるとしようじゃないか」

「そのライヴス、霧散させろ!」
「されてやるかよ!」
『レイズ』の右腕と千颯の盾が衝突する。魔法攻撃を軽減する盾は確実に『レイズ』の一撃を崩し減衰させた。その背後から、刀剣を構えた茨稀が音もなく接近する。
「それで身を潜めてるつもりか!」
「……!」
 毒が仕込まれた一閃は『レイズ』がとっさに身をかがめる事で回避した。その一撃はしのいでも、根本的に数の差が違いすぎた。
『はーいオッケー、いったれ』
「わかってますよ、っと」
 ポイントマン代わりのヒルフェの気楽な声とともに放たれた、公園のはるか外部からのフィーの狙撃は、狙い通りに『レイズ』の脇腹を食い破った。『レイズ』が滑り台の柱の前まで吹き飛ばされる。
「よしオッケー、あたしらも移動するとしましょうか」
「了解。
「まだまだ!」
 千颯の攻撃がまっすぐに、倒れたままの『レイズ』へ打ち出された。だが愚神はこの勢いを逆に利用して、吹き飛ばされながら体勢を整え着地する。
 そのわずかな隙を狙い、距離をとった六花が銀色のライヴスの塊を練成して打ち出すも、自らの外套を使って攻撃を受け流す。
「なるほど。言っては悪いが殺意に満ちている」
「……」
 六花は答えない。変わりにその線上に割り込む形でチルルが身の丈近くはあろうかという大剣を思い切りよく振り下ろした。
「でやあっ!」
「ぐっ……ずいぶんと乱暴だな。まだ話している途中だというのに……ん?」
 そこで気がついた。チルルの両耳から何か白い糸のようなものが垂れ下がっている。チルルの動きに合わせてゆれるそれに、『レイズ』はすぐ目星がついた。
「イヤフォンか!」
「まったく聞こえないけど表情から察したわ! そのとおり、これであんたの声は聞こえないよ!」
『これネタバレしてよかったのかなー?』
「乱暴にもほどがある……な!」
 刹那、『レイズ』の姿がチルルの前から掻き消えた。実はチルルの背後へと無理やり体を入れ込ませただけに過ぎないのだが、音楽に気を取られてしまったせいでチルルの反応が一瞬遅れた。美里が駆け寄りながら叫ぶ。
「チルルさん、後ろ!」
「……遅い」
 とん、とチルルの肩に『レイズ』が右手を置いた。次の瞬間、右半身のライヴスが風船に穴を開けたように無為に放出される。猛烈な痛みを伴って。
「うあああああっ!?」
『チルル!』
「チルルさん、こっちへ!」
 美里が何とかチルルを安全圏に連れ出そうとその手をとる。だがその前には当然『レイズ』がいる。
「逃がすと思うか?」
「それはこっちの台詞だ」
「ッ!!」
『レイズ』が右手を美里に伸ばす前に、茨稀の刺突がその手を弾く。『レイズ』が気がついたころには、その姿は三人にも四人にもなっていた。
「同時攻撃……!」
「逃がさない。全部耐えしのいで見せろ」
 上段、下段、中段、刺突。そのすべてを『レイズ』は果たして耐えしのいだ。無傷とはいかないまでも。
 だがそれでいい。ダメージはなくとも、愚神をそのままつなぎとめることこそが目的だったのだから。
「一度でだめなら二度。それでもだめなら、何度でもやるだけ!!」
 ドッ!! という轟音とともに、先ほどよりも威力が増した雹弾の一撃が『レイズ』を貫いた。左腰の辺りに着弾したそれは、砂場のほうまで無理やりに『レイズ』を押し返す。
 だが――『レイズ』は即座に立ち上がった。ふらつきよろめきながらも、一瞬で。
 チルルの治療を完了させた美里は、そのぼろぼろになった姿に向き直り言った。
「どうして、あんなことをしたんですか」
「どうして? ……どうしてだろうな。愚神だから、じゃないのか。でなければわざわざ人間を殺したりなどしない」
 だが、美里はすぐに首を横に振った。
「あなたはたぶん、人を助けようとした。私も、人を助けたいですから、気持ちが分からないわけじゃない。それでも人殺しを認めるつもりはありません」
「だろうな」
「私はあなたが正しいとか、間違ってるとかは分かりません。それでも、人の命を奪うことを認めちゃいけないんです。私は、すべての人に生きることを素晴らしいと思ってほしい。それが不可能でも、そう願っています」
「……私がかつて出会った女性は、もう生きたくないと言っていたがね」
 自虐的に笑って見せた『レイズ』に、美里は表情を硬くした。まるで彼女にそういう顔をさせるために言っているように聞こえたからだ。
「……君たちの援軍もご到着か」
 その言葉通り、公園の入り口にはフィー、ヴィーヴィル、龍華が各々の武器を手に立っていた。もう『レイズ』は完全に包囲されている。それでもそこに浮かんだ笑みが消え去ることは決してない。
 嘲笑でも狂笑でもない、自虐に満ちた笑みを。
「仕舞いにしようじゃないか。もう少しだけ、私と踊ってくれよ」

 そうは言っても、『レイズ』の肉体はとうの昔に限界を迎えていた。リンカーたちの攻撃にさらされ、徐々にその動きは鈍り精彩を欠いていく。
 それでも、聞かれることがあるのならば口を開いた。どのみちそれぐらいしかできることはなかったから。
「なぜこンな事を始めた?」
 ヴィーヴィルが銃口を油断なく『レイズ』に差し向けながら言った。
「目的はライヴスだろ。だが効率がイイ方法ならもっと他にもあるだろう。回りくどいだけだ。
 アンタは何がしたいンだ? 被害者を満足のまま消すことに意味はあるのか? 俺はアンタが善か悪かには興味ないが、アンタには興味がある。消える前に充足させるのは、ただの気紛れか? 結局消すなら同じことだろ」
 消される身にとっては大きく違うだろうがな、とつぶやいたヴィーヴィルに、『レイズ』は右腕をだらりと下げて言った。
「私の気紛れにすぎんよ。それとも、このやり口は不満だったか?」
「いや。アンタのやり方に別段不満がある訳じゃない。善悪がどうかなんて人の数だけあるだろうしな。
 ただ、俺には要らねェ。アンタが何者だろうが俺には……不要だ。善も、悪も、関係ねェよ」
『レイズ』はくつくつと笑みをこぼし、ヴィーヴィルに吐き捨てた。
「だろうな。私も君のような者に甘言が通じるとは思っていないさ。自分自身で立っていると本気で思えている者に私の言葉は届かない。分かっているからこうして弱い者いじめじみた罪を重ねてきたんじゃないか」
「フン」
 ヴィーヴィルがつまらなそうに鼻を鳴らす。その後に火を噴くかと思われた銃口は『レイズ』の予想を裏切った。代わりに口火を切ったのは、その反対側に立っていた龍華だった。
「貴方は、貴方のしてきたことを正しいと思って行動していたのか」
「当然、と言ったら?」
 龍華は美里の前で盾を構え、問いかけに即答した『レイズ』を見据えた。
「分かったよ。……善悪は関係ないし、貴方が愚神ということも問題じゃない。これが正しいと思っているのならその意志は認めるよ。でも、それを決して肯定なんてしない……だって、俺が気に入らないから」
「ほう?」
「意見の反発が起こるのは相手のそれが自分の意志とそりが合わないからだ。人を殺すことはいけないからなんて言えるほど俺は善人じゃない。単に、認めるだけであたかも悔いのないように感じさせる貴方が気に食わないんだ」
 龍華の纏うライヴスがどんどんと活性化していく。それはミツバチを誘う香りのように、『レイズ』の注意を自分へと引き寄せていく。
「善も悪も知ったことか、俺は貴方の意志を否定する! その為に倒すんだ!」
「いい答えだ。模範的と言ってもいい。感情的にすべてを拒めば安全圏に逃げ込める。それが人間の長所でもあり短所だ――が、この場合には長所に働く」
『レイズ』が砂の大地を蹴って龍華のもとに迫る。彼女の盾と右手がせめぎあうが、徐々に血まみれの右手がその障壁を食い破っていく。反射の呪いに苛まれてもなお、その口は語ることをやめはしない。
「私は君のことを何も知らない。だがそれは、私が命を奪った彼らに対しても同じことだ。私は彼らのことを何も知らなかったし、だからこそ彼らの行いを知り、認めるだけにとどめた。……それだけのことだ。それだけのことで涙を流された男の心中を考えたことがあるか? たったこれだけのことで感謝を告げられ、その顔に恐怖も浮かべずに存在を消し去られた人々の前にいた男のことを! そして彼らをここまでにしてしまった世界の虚しさを! 『考えてしまった』男の気持ちがわかるのか!?」
 とうとう呪いに耐えきれず、『レイズ』の体が龍華の前から引きはがされた。苦しそうに肩を上下させ、四方八方をリンカーに囲まれた一人の愚神は、そんなことを気にもしないかのように叫んだ。
「愚神は君たちの世界のことなど考えない! 我々は敵で、君たちの文明を破壊するものだからな! そして、そこに住まう人々もまた同様に! ――だがな。一度知ってしまったら、もう止まれない。まるで呪いのように彼らを蝕む悲惨と、それを路傍の石かの如く無視をする者どものことを知ればな。確かに私に正義などないだろうさ。善も悪も。ただ、私がそうしたいからするだけだ」
 ……『レイズ』は、もう自分が何を口走っているのかも理解していなかった。ライヴスがあまりにたりない。考えることなどもうできなくなっていたから、ただ感情の任せるままに紡いでいた。
「君たちだけにこんなことを言ってしまうのは不本意だとわかっている。わかっているよ。だけど、考えてほしい。考えてほしいんだ。――こんな世界を、君たちが守る理由なんてあるのか? 人類の敵が人々を歪んだ形で助けてしまうようなこの世界を。それを易々と受け入れてしまうほど荒んでしまった人々が住むこの世界を。守る価値なんてあるのか?」
 もうぐらぐらになってしまった足を引きずり、『レイズ』は公園の隅に駆け出した。千颯の攻撃をかいくぐり、絶対不利の戦場からの逃亡を図る。
 生き汚く。人間ともなれない虫けらのように。
「ぐっ!!」
 だが、ロケットアンカー砲から放たれた鉤爪が、『レイズ』の右腕に噛み付いた。フィーが糸を引っ張ると、とたんに彼の弱った体は地面に引きずり落とされる。ゆっくりと近づいたフィーが、右腕を足で押さえて動けなくさせた。
「なるほど? まぁ認めましょーか」
『今この瞬間から君はレイヴぐべふぁ!?」
「あんたはちょっと黙ってろっての」
 黒い霊魂状態のヒルフェを裏拳で黙らせてから、フィーが続ける。
「確かにあんたは純粋な悪性じゃなさそーですわ。たとえ死んだとしても、幸福のうちに死ねたのなら、救われたもんは確かにあったんでしょーよ」
「……」
「ま、それはそれとして殺すんですがな。ケントゥリオ以上に成長されたら面倒なんで」
「純粋な悪じゃないと、しても、か」
「害虫がいたら駆除すんのは当然でしょー? それと同じですわ」
 すがすがしく害虫と断じるフィーに、しかし『レイズ』は怒ることはしなかった。今までの戦闘を、何より六花の態度を鑑みれば自分がどう思われているのかぐらいは容易に理解できる。
 だから、『レイズ』はただ笑って答えた。
「そうか、害虫か。……ああ、だったら、私は胸を張ってこういってやることができる。私の生に、嘘はなかったとな」
「……あんた、何を言ってるんです?」
「言葉通りの意味さ。私は愚神として、人類に仇なす害悪として、まっとうに人間を殺してきた。少なくともそれは、私が君たちの敵の愚神であるという証拠足り得る。似合わぬことをしてきた私への卒業証書のようにさ」
 怒りがなかったと言えば嘘だ。しかしそれで激昂するほどでもなかったのだ。身の程をわきまえろ、と諭されたように不可思議な無力感と清涼感が、彼の中を満たしていたからだ。
 世界はいつだって無関心だ。その思いは、少なくとも『レイズ』の中で変わることはない。
 それでも、自分の悪行によってそれがわずかでも変わるのであれば、これほどに喜ばしいことはないだろう。誰もがまっとうに認められる世界が来るのであれば、害虫たる自分には過ぎた褒賞に違いない。
「……そろそろ時間か。その前に、これを渡しておく。受け取れ」
 最初の六花の一撃で利かなくなっていた左腕を何とか動かし、外套の内側に手を差し込む。痙攣しながらやっとのことで取り出したそれは、汚れてもとの色がなんだかも分からなくなった革の長財布だった。
 それを自分とは離れた場所になんとかおいて、『レイズ』は声を絞り出す。もう足の先から徐々にだが消えつつあった。
「……ついこの前、私によって消し去られた少年のものだ。彼にも親がいるはずだろう。届けてやって、くれないか」
「ずっと、それを持ってたって言うのか?」
 千颯が驚いた声をあげる。『レイズ』は薄く笑って、
「これだけじゃない。この先に空き家がある。もう何年も使われていない小さな一軒家だ。そこに私に消されてきた人々の遺留品がある。どうか役立ててほしい。彼らの帰りを待っている人がいるだろうから」
 結局こんなことは、泥棒が自分の戦利品を誇ることと変わらない。浅ましく醜い男の戯言だ。
 だから浅ましく、ここで死ぬことにしようじゃないか。
「……六花、と、言ったかな。最後に君に会えてよかった。支えられる大切さを知っている君を知れたから、私は後腐れなく死ねる」
 もう顔を見ることはかなわないけれど。
 それでも、最後に彼女に出会えたことは紛れもない奇跡だと誇れる。愚神である自分の言葉を受け入れてなお己を保てる――否。保てるようになった彼女のような人間がいる限り、救われる人間がどこかで現れるはずだ。
 頭がぼんやりとする。視界がにじみ、目の前の距離感があいまいになっていく。
「……私はまもなく死ぬ。だから、私に殺されるだけだった人々を、君たちが救ってくれ。私のような男に間違った安堵とともに抹消される人々を助けてくれ」
 この世界が、本当に君たちのような気高い人々に守られる意味があるのならば。
「それが、私の、望み――」


 かくして、この不可思議な愚神――『レイズ』による一連の事件は終結した。
 そして『レイズ』の指定どおり、公園からそう遠くない地点にもう十年近く入居者がいない空き家が発見された。千颯たちが捜索に赴くと、そこには確かに今までの『レイズ』被害にあった人々の遺品が大量に見つかった。
 閑散とした空き家の中にはそれしか物らしい物はない。それでもそれらの前に丁寧に線香が立てられていたところを見るに、『レイズ』がどうしていたのかを想像することは容易だった。
 千颯はそんなかつて救われたかもしれない人々の亡骸の前に立ち、小さく唇を噛んだ。
「あんな愚神が出てくるほどに、今の社会は他人に対して無頓着になっちまったのかな……」
『皆が皆そうではないと信じているでござる。きっと皆、心に余裕がないだけなのでござるよ……』
「その余裕を作るのが難しいんだけどな」
 いずれこの遺品も持ち主の遺族に返される。そしていずれ、『レイズ』のことも忘れられていくのかもしれない。
 千颯と白虎丸は公園の入り口近くに置かれていたビニール袋から線香を取り出すと、火をつけてそれぞれの遺品の前に立てて手を合わせた。

『肯定とはヒトに必要なものなのでしょうか』
「いきなりどォした」
 帰り際、ヴィーヴィルの隣を歩くカルディアが静かにそう問うた。
『気になったのです。少なくともあの愚神は、多少の警戒こそあれど最終的には被害者に受け入れられた。あの愚神が掲げた他者の肯定とは、それほどにヒトが欲するものなのか、と」
 すい、と翡翠色のガラス玉のような瞳がヴィーヴィルに向けられる。マスターはどう思われますか、と無言で尋ねるように。
 ヴィーヴィルは紫煙を吐くかのようにため息をついて、なんでもないことのように答えた。
「俺にしてみれば、在り方の肯定なんて必要ねェ。俺が俺を肯定する。そこに揺らぎなんざ存在しねェ。……だが、要る奴には要る。要らねェ奴には要らねェ。それだけの事なンだろォよ」
『なるほど』
 自分自身で己を肯定する男にかつて認められた少女はただうなずき、その会話自体が存在しなかったかのように歩き続けた。

「誰にも認められない。生きながらにして存在を否定される……そんな人にとっての『レイズ』の行為。善とは……悪とは……何だろう」
 いまだ戦いのあとが残る公園のブランコに腰掛け、ぽつりぽつりとつぶやく茨稀。隣のブランコに腰を下ろしていたファルクはそんな少年の横顔に目を向けていった。
『自分と重ねてるのか?』
「……」
『……「レイズ」のしていたことは、伸ばされた手を「本当に存在しなくさせること」だ。そうなっちまったら……何も残らねェ。それは……悪とは言えねーか?』
 茨稀は静かに息を吐くと、誰かが救われ、誰かに思いを託された、砂が広がる地面を見やった。
「やっと存在を認められた……その瞬間は、その人は生きている」
 夜空を見上げる。人工灯のせいで満天の星空とはいかなかったが、それでも多くの星々が輝きも大きさもさまざまにきらめいていた。
 古代の神は死ぬと天に引き上げられ星座となった。あるいはあの輝きが、死した人々の瞬きだとしたら。
「『レイズ』の行為の本当の意味での善悪は……きっと俺達には決められない」
 星をつかむように伸ばした左腕をじっと見つめ、茨稀は何かを振り切るようにつぶやいた。
「決められるのは……きっと……被害者たちだけ……」

「……」
『どうかしたのです?』
「いや、ちょっとね……」
 あの戦いの中で、龍華は『レイズ』の意志を認めこそすれ、存在は否定した。彼がしてきたことについても、彼が抱いた意志についても、『レイズ』のあり方そのものを否定して武器を握った。
 善も悪も、問題ではないと叫んで戦ってきた。
 それなのに、こんなにもやもやした感情になっているのはなぜなのだろう。
『なんだか難しい顔してるです』
「え、そう見えた?」
『です。こう、眉間にしわが、むーって』
 そういって自分の眉間に皮を寄せるノアの顔は確かに怖そう(ふわついた顔つきなのでそうでもなかったが)に見えた。思わずフードを深くかぶりそうになったとき、ノアがひょいと彼の前に躍り出た。
『難しいこと考えてるです?』
「……分からない。考え事してたのは、事実だけど」
『なら今思ってること、全部素直に言っちゃえばいいです。変な顔してるとこそんな見たくないです』
「思ってること……」
 ――今でもこの感情を整理することはできない。けれど、ただひとつだけはっきりといえることぐらいはあった。あのときの自分の言葉を否定することにつながるのであまり口に出したくはなかったが。
 龍華は少し立ち止まり後ろを振り向いた。その視線の先に、もう見えなくなってしまったあの公園が見えるはずだった。
「……承認はしないけれど、貴方の存在は認知するよ。『レイズ』」
 少なくともその在り方は確かにそこにあったはずだから。

 そして、一人の愚神を図らずも救ってしまった北国生まれの少女は、何も口に出すことなく帰途についていた。
 振り返ることすらせずに。いつもと変わらず、その瞳に暗い復讐の炎を宿して。


 これは、善と悪の戦いではない。善と善の戦いですらない。
 正義と正義の戦い。互いに譲れぬもののために衝突した、ひとつの名もない戦いである。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
    人間|24才|男性|生命
  • ゆるキャラ白虎ちゃん
    白虎丸aa0123hero001
    英雄|45才|男性|バト
  • Dirty
    フィーaa4205
    人間|20才|女性|攻撃
  • ボランティア亡霊
    ヒルフェaa4205hero001
    英雄|14才|?|ドレ
  • ひとひらの想い
    茨稀aa4720
    機械|17才|男性|回避
  • 一つの漂着点を見た者
    ファルクaa4720hero001
    英雄|27才|男性|シャド
  • 捻れた救いを拒む者
    ヴィーヴィルaa4895
    機械|22才|男性|命中
  • ただ想いのみがそこにある
    カルディアaa4895hero001
    英雄|14才|女性|カオ
  • 絶対零度の氷雪華
    氷鏡 六花aa4969
    獣人|11才|女性|攻撃
  • シベリアの女神
    アルヴィナ・ヴェラスネーシュカaa4969hero001
    英雄|18才|女性|ソフィ
  • オーバーテンション
    沢木美里aa5126
    人間|17才|女性|生命
  • 一つの漂着点を見た者
    浅野大希aa5126hero001
    英雄|17才|女性|バト
  • さいきょーガール
    雪室 チルルaa5177
    人間|12才|女性|攻撃
  • 冬になれ!
    スネグラチカaa5177hero001
    英雄|12才|女性|ブレ
  • 閉じたゆりかごの破壊者
    紀伊 龍華aa5198
    人間|20才|男性|防御
  • 一つの漂着点を見た者
    ノア ノット ハウンドaa5198hero001
    英雄|15才|女性|ブレ
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