本部

レティとの仲直り協力者・急募

一 一

形態
ショートEX
難易度
易しい
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
6人 / 4~10人
英雄
6人 / 0~10人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/03/15 19:28

掲示板

オープニング

●閉ざされた心
「じゃあ、今日も?」
「はい。レティは留守番をしています」
 H.O.P.E.東京海上支部の談話室で、2人の職員が重い空気を漂わせていた。
 1人は、どこにでもいそうな容貌の男性職員・佐藤 信一。真面目さと地味さだけが取り柄のように見えて、恐ろしいまでの広い人脈と事務処理能力を有する優秀なオペレーターだ。
 もう1人は、雪の女王と呼べるほど美しい女性職員・碓氷 静香。雪のように白い肌と凍り付いた無表情が常だが、実際はとても感情豊かで対人関係が苦手な筋トレマニアという、外見と内面のギャップが著しいオペレーターである。
 そして、話題に上がったレティとは、静香と『誓約』を交わした英雄だ。とても快活で明るい性格であり、コミュ症の静香をサポートするため日常的に共鳴するほど、静香を大切に思っている少女だった。
 が、現在の静香はレティと共鳴しておらず、家での会話もずいぶん減ったという。
「……やっぱり、バレンタインのことをまだ怒ってるのかな?」
 かなり深刻な様子に、信一がため息をこぼす。
 実は先月のバレンタインで、信一は姉や妹との買い物を目撃され、浮気と勘違いしたレティを激怒させていた。何とか容疑は晴れたが、それ以降レティは信一に対してかなり距離を置くようになったのだ。
「それも気にしてはいるようですが、どうも本質は別にあるようです」
「どういうこと?」
「バレンタインの数日後、私はレティに『信一と幸せになってね』と言われました。おかしな様子の原因が佐藤さんへの怒りだけなら、佐藤さんとの仲を応援するようなことを言うとは思えません」
「……確かに、そうだね」
 それとは別に、静香が個人的に気になっている部分もあると信一へ告白する。
「あの騒動の中で一度、私とレティとの『誓約』について話題が上ったのですが、レティに聞いても何も教えてくれないのです。私はその頃の記憶が曖昧で、『誓約』の内容を覚えていないため、何度か聞いてみたのですが……」
「何も話してくれない、ってこと?」
「……はい」
 また、静香が『誓約』について尋ねてから、レティは静香との会話を避けるようになっていた。日増しにその傾向は強くなり、今では雑談もろくに出来ないほどだった。
「僕を避けるのはまだわかるけど、碓氷さんも避けるのは変だね」
「このままでは、レティが私に黙ってどこかへ消えてしまいそうで、とても、心配なんです……」
 無表情ながらも声を沈ませうつむいた静香に、信一は唇を引き結んで拳を強く握りしめた。

●仲直りに協力して!
「――というわけなんです」
 とても深刻な雰囲気でことのあらましを明かした信一は、盛大にため息を吐き出した。隣には表情こそ変えないものの、黙して視線を伏せる静香の姿もある。
 あれからまた仕事に戻った信一と静香だったが、やはりレティのことが頭から離れなかった。
 仕事におけるミスなどはまだ犯していないものの、このまま集中力を欠く状態が続けばわからない。
 そう考えた信一は、たまたま通りかかったエージェントたちに声をかけ、協力を求めることに決めたのだった。
「本来であれば自力で解決すべき問題なのは重々承知していますが、僕たちがレティちゃんから避けられてしまっていては、どうにも打つ手が少なくて……」
「ですが、エージェントの皆さんであれば、事情を話してくれるかもしれません。レティが何に悩んでいるのか、そして何で私たちを避けるのかが知りたいのです」
 信一にとってレティは静香の一番の理解者であり、新しく出来た妹のような存在だ。仲違いしたままでは、自分たちが幸せになることは出来ないと確信していた。
 静香にとってレティは大切な家族であり、いつも傍にいてくれた姉のような存在だ。疎遠となったままでは、自分だけが幸せになることを許せるはずがなかった。
 されど、信一も静香もレティのことを大切に想うからこそ、自分たちではレティの本音を引き出せないとも感じていた。
 記憶に新しいバレンタインの浮気騒動を経て、親しいからこそ言えない思いもあるのだと、気づかされたのだから。
「これは僕たちから皆さんへの個人的な依頼であり、報酬もきちんとお支払いします」
「どうか私たちを……いえ、レティを救ってください」
 ――お願いします。
 信一と静香は、声をそろえて深々と頭を下げた。

解説

●目標
 2人とレティの関係改善。

●登場
 佐藤 信一(さとう しんいち)…24歳。H.O.P.E.東京海上支部にて、オペレーター業務に携わる男性職員兼静香の恋人。外見は地味だが、変態的な社交性や事務能力を持つ。浮気騒動以降、レティとの関係悪化に頭を悩ませる。

 碓氷 静香(うすい しずか)…20歳。H.O.P.E.東京海上支部にて、オペレーター業務に携わる女性職員兼能力者。モデル体型の美人だが、かなりのコミュ障かつ鍛錬マニア。浮気騒動以降、記憶が曖昧なレティとの『誓約』を強く意識するように。

 レティ…外見年齢16歳。静香と誓約した女性ドレッドノート。以前は対人関係に臆病な静香のため、日常的に共鳴していた。浮気騒動以降、信一だけでなく静香とも距離を置くようになった。

●状況
 バレンタインに起きた事件後、レティが露骨に信一や静香を避けるようになる。
 レティが信一や静香へ悪感情を抱いているわけではないらしいが、原因は不明。
 信一とは事件から1度も口を利いておらず、静香とは徐々に会話が減っている。
 このままでは関係悪化が致命的になると感じ、エージェントたちに助けを求めた。

 現在、レティはほとんどの時間を静香の家で過ごし、外出などもあまりしていない。
 以前までの外出時はほぼ静香との共鳴状態であるため、知り合いはほとんどいない。
 情緒は安定しており、時折どこか遠くを見るように思案に耽ることが増えている。
 表面上は普段と同じ様子に見えるが、信一や静香に対してはどこかよそよそしい。

 依頼解決のためならば、信一も静香も可能な限り協力する姿勢。
 時期的にホワイトデーが近く、信一と静香はお互いにお返しを行う予定。

リプレイ

●真意はどこに?
「しっかし、困窮具合は伝わりましたが……何も俺らにまで声を掛けなくても」
 信一と静香から相談を受けたエージェントの内、阪須賀 誄(aa4862hero001)が呆れた様子で信一に視線を送った。ちなみに、兄の阪須賀 槇(aa4862)は誄の影に隠れ縮こまっている。
「? 彼らと何かあったのですか?」
「え、っと、ちょっと前に、喧嘩しちゃって、ね?」
 阪須賀兄弟に声をかけたのは静香であり、前回の事件の裏であった信一の脅しを知らない。詳細を問う静香だったが、信一も正直には言えず言葉を濁す。
 気を取り直してレティの異変について話した後、信一と静香は深々と頭を下げた。
「おぉ、弟者、全力で応援しよう。……消される」
「……完全にトラウマだな。まぁ仕事と言うならやりますが。時に、俺らマジで人間出来てません。それでもOK?」
 背後で萎縮しきった槇にため息をこぼし、誄が2人へ確認を取ると即座に首肯が返される。そこで仕事の途中だった信一と静香は席を立った。
「悪い予感ほど、よく当たるもんだな」
『……』
 佐藤 鷹輔(aa4173)は前回までの依頼を通じ、信一と静香を見守っている。だから、声がかかる前から不穏な空気は感じていた。共鳴した語り屋(aa4173hero001)もまた、表には出ずとも3人のことは見て知っている。
「前の事件が原因なら、信一さんを避けるのは、わからないでもないけど……」
「レティが静香も避ける、というのは考えづらいな」
 五十嵐 七海(aa3694)とジェフ 立川(aa3694hero001)もまた、鷹輔たちと同じく信一たちとはそれなりに付き合いがあった。レティが静香のことになると激しやすい性格なのも理解しているが、それだと静香との距離に説明がつかない。
「俺が七海の前から急に消えたらどう感じる? 嫌って消えたと思うか?」
「思わないよ。ジェフは絶対に私を嫌わない。ジェフに大変な事が有ったと思うから探すよ」
「その気持ちを忘れず居れば大丈夫だ」
 自分たちに置き換えたジェフの質問に、七海は一瞬の間も作らず断言した。その反応にジェフは嬉しそうに微笑むが、静香も七海と同じ気持ちなのだとも容易に想像出来る。
「イガラシ殿、前回の依頼の件は私も聞いている。おおよその事情は理解しているつもりだ」
「おそらく、静香さんとレティさんの『誓約』に何かあるのだと思います」
「難しそうな依頼だけど、七海も月鏡さんも心強いよ!」
「ジェフ、頼りにしている」
 七海の隣でリーヴスラシル(aa0873hero001)と月鏡 由利菜(aa0873)が神妙に頷き、ルー・マクシー(aa3681hero001)とテジュ・シングレット(aa3681)は事情に明るい仲間を頼もしく感じていた。
「『誓約』が原因か。あり得ない話じゃないな」
「例えば、『静香さんが幸せになるまで傍に居る』みたいな内容だと、今の状況にも繋がりそうね」
 由利菜の言葉を聞いた荒木 拓海(aa1049)とメリッサ インガルズ(aa1049hero001)も、『誓約』に何かあると考える。静香とレティの関係が悪化しそうな理由が、他に思い浮かばないからだ。
「ともかく、当人同士が話し合わなきゃ何も進まねえ」
 鷹輔の言葉を受け、エージェントたちはそれぞれに出来ることを模索する。
「俺で、話せる事がある……か?」
「テジュは記憶じゃなくて心に刻んできたよ」
 その中、一定周期で記憶が欠落するテジュは小さく不安を漏らした。しかし、隣のルーが真っ直ぐな視線をテジュへぶつける。
「……そうか」
「うん!」
 どこか元気がないルーに何かを感じ取り、テジュはルーの頭を撫でた。すると、ルーも笑顔を返して胸をなで下ろす。
「あのレティちゃんが、ねぇ? ふーむ」
「…………」
 いつもの調子を取り戻した槇も考え込むが、前回の依頼でレティにぶん殴られたことを思い出し、背中がぶるっと震える。一方誄は沈黙を守り、成り行きを見守っていた。

●向き合うということ
 翌日。エージェントたちは再び東京海上支部へと集まり、他の職員に依頼だと断ってから信一と静香を連れ出した。人目がある場所を避けて空いている会議室を借り、各々着席する。
「好きな人に言葉を貰えないの……辛いよね、元気出して?」
「…………はい」
「気負うと視野は狭まる。大丈夫だ、道は見つかる」
「そう、ですね。ありがとうございます」
 口数が減った静香に、ルーが気遣うように寄り添う。静香につられて表情が暗い信一へも、テジュが励ましの言葉をかけた。
「……思い出すな兄者よ」
「うむ」
 そんな中で話し出した誄と槇へ、全員の視線が集中する。
「昔、俺に彼女が出来た時も兄者との関係がギクって。兄者が俺をメッチャ避けたんですよ」
「状況は違うけど、ちょっとダブるよな。でも、本当に絶縁仕掛けたな弟者よ」
 当時のことを思い出してか、誄はわかりやすい苦笑を浮かべ、槇はどこか懐かしむように腕組みをしてうんうん頷く。
「レティちゃんの考えはさておき、どんな理由にしたって、離れよっかなって思う切欠になりますよ。だって、端から見たら恋人って2人で完成系ですしおすし」
 さらに槇が実体験から漏らした言葉に、信一と静香が大きく反応した。
「それじゃあ、レティちゃんは僕たちに遠慮してる、ってことですか?」
「『信一と幸せになってね』なんて言ったのも、黙っていなくなるつもりで……?」
 レティが強い疎外感を覚えている可能性に至り、信一と静香はネガティブな方へと思考を加速させる。
「あ、あれ? 時に俺、やらかした?」
 まさか空気が悪化するとは思わず、槇は口角がひきつり冷や汗を流す。
「お2人とも、落ち着いてください。今までの価値観を否定された上で、提示された新しい価値観を受け入れることは、時間がかかるものです」
「その過程で必ず迷いが生じる。英雄も例外ではなく、決して特別なケースではない。能力者と英雄のコミュニケーションにおいて、互いの関係を試される状況は幾度となく訪れる。拒絶を恐れてはならない」
 すかさず、由利菜とリーヴスラシルがフォローに回り、後ろ向きな思考に引きずられつつあった信一と静香を宥める。
「……皆さん、優しいですね。でも俺は、信一さんたちの問題に俺らが間に立つのは、ただの《その場凌ぎ》だと思ってます」
「お、弟者!?」
 その後も2人を慰める言葉がかけられる中、唯一厳しい口調だったのは誄。失言をした上、弟から放たれた剣呑な空気に、兄の槇は凍り付く。
「ついでに言うと、前回も人のお陰で何とかなっただけ。その上今回も人の手を借りて、次は何で助けを呼ぶんです? その度に誰か他人が《間》に居なきゃダメなんですか?」
「そ、れは……」
 誄の容赦ない追求に、信一は黙ることしかできない。思えば、静香との交際も前回の事件も、信一は大きな問題はエージェントたちの手を借りて――他人の力に甘えて解決してきた。故に、誄の辛辣な言葉にも拳を強く握りしめるだけで、反論出来ない。
「……やっぱ俺ら呼んだのは間違いでしたね。俺は兄者と違ってあの電話はムカ付きました。あんたら、そんなんで上手くいく訳ないじゃん。レティが消える前に別れたら? これ、俺の本心です」
 落胆のため息をこぼし、誄はさらに畳みかける。ちなみに『あの電話』というのが、槇が信一に怯える原因だ。でも誄からすれば、関係改善に協力した結果がそれでは、納得出来なかった。信一を突き放す態度からも、誄の言葉に偽りがないと感じられる。
「ば、バカ弟者! あわわわあのそのこれはですね……」
「僕だってわかってますよ!!」
「ひいっ!?」
 もう顔が真っ青な槇は弁解しようとしたが、信一が声を荒らげて立ち上がった瞬間に頭を抱え、身を竦ませる。
「碓氷さんは初めて自分より大切だと思えた人で、彼女をずっと支えてきたレティちゃんも同じくらい大切にしたい人だ!! 今回のことだって、誰かに頼るべきじゃないこともわかってる!! でも、下手に踏み込んで状況が悪化して、取り返しのつかないことになったらと思うと、怖くてたまらないんだ!!」
 信一がずっと秘めてきた激情を伴う悲鳴が室内に消え、しばし静寂が訪れる。
「……信一さん。《それ》ですよ。何でもっとブツかってかないんですか」
「! あー弟者、OK把握、そういう事か!」
「え……?」
 すると、不意に誄が相好を崩して緊張感が霧散する。それで弟の意図を理解した槇は得心して手を叩くが、信一は呆然としたまま。
「俺らの関係が直った方法ですけどね。《殴り合い》したんです、好き放題言い合って」
「別に同じ事しろってワケじゃないです。でもね、レティちゃんは今回《黙る》って強硬手段に出た。じゃあ信一さんも静香さんもやりゃ良いじゃん。《強引にでも喋らせる》、《一緒に居させる》って、徹底的に」
 槇はシャドーで空気を殴り、誄は肩をすくめて解決策の一例を信一と静香へ示す。
「俺らの場合も《間》が居る内は良いけど、その後再発しました。信一さん、本気で解決したいなら喧嘩の一つもしなきゃ」
「もちろん静香さんもですよっと」
 そう言った誄も槇も、自身の過去を笑い飛ばして応援した。
 隔意を取り払った兄弟の姿は、言葉以上に信一と静香の心を揺さぶる。
「さて、そんなトコで悪役は黙りますよっと」
 再び黙り込んだ信一と静香を一瞥し、誄は椅子の背もたれに身を預けた。
 また室内から音が消えたが、見えない息苦しさはなくなっている。
 手段は何でもいい。
 相互理解に必要なのは、相手に対する想いと覚悟だと。
 厳しくも優しい悪役が、糸口を教えてくれたから。
「……少し、頭がこんがらがってきました」
「すぐに答えが出る問題じゃないしね。気分転換に、少し走らない?」
 が、しばらくして静香が頭を抱えだしたところで、ルーが静香を外へ誘った。会議室にこもるよりも気持ちを整理しやすいとした提案に、静香も了承する。
「そういうわけで、鷹輔、語り、他のみんなも、また後でね!」
「私たちも付き合おう」
「ストッパー役は必要でしょうから」
「それじゃあ、行ってくるね!」
 席を立ったルーが鷹輔たちへ手を振り静香を連れ出した。次にリーヴスラシルと由利菜も、放っておけば軽いランニングが鍛錬に変わる静香に無茶をさせないようにと立ち上がり、最後に七海も静香に付き合うために後に続く。
「オレ達も席を外させてもらうよ」
「何かあったら連絡してね」
「ついでに俺もな。信一、レティを落とす口説き文句、ちゃんと考えとけよ?」
 そして、拓海とメリッサも所用があるとして退室していき、鷹輔も冗談混じりのエールを残して会議室を後にした。
「これは単なる確認だが、静香、静香と持ち上げてレティへ配慮しなかった、とかは無いだろう?」
「それはもちろん。レティちゃんも、僕にとって大切な人ですから」
「だろうな。仕事柄、エージェントと英雄が特別な関係なのは詳しいだろうし、信一がその辺りを抜かるとは思っていない。だから、俺から言える事は無いな」
 室内に残ったメンバーの内、おもむろに口を開いたのはジェフ。信一の考えをまとめさせるため、またほんの少しでも前へと促してやるために、助言を添える。
「静香へお返しを贈るらしいが、レティにも考えてるか? 信一と静香、二人からでも良い。出来たら形に残る品だと、その時を忘れなくなるものだ」
「碓氷さんとも相談して、用意しようとは話していました。けど、まだ何も」
 自然と話は日付が近づくホワイトデーへと移行し、ジェフがレティについて言及すると、信一から力のない返事がこぼれる。プレゼントに気が回らないほど、2人ともレティへの心配で頭がいっぱいだったらしい。
「その時を忘れなくなる、か」
 すると、ジェフと信一の会話を聞いていたテジュが、ぽつりと呟く。
「ルーは……気丈でな。もはやジェフや七海の方が、ルーを知っている」
 そう前置きし、テジュが信一へ語ったのは己の異質。ワイルドブラッドとして身に宿す獣が、自身の記憶を喰らい自己を削っていくという理不尽。そのせいで、テジュはもう、ルーとの出会いさえ『伝え聞く記憶』でしかないことも伝えた。
 これがそうだと、テジュは禍々しい獣化を果たし信一と視線を交差させる。
「だが、獣が喰った記憶に負けない程、ルーは多くの言葉をくれる。お陰で、俺は俺で居られる」
 すぐに獣化を解いたテジュは、レティの気持ちを想像した考えを伝えた。
「今の静香殿を作ったのも、レティ殿なのだろう。信一殿は以前の事件から関係が悪化したと言うが、信頼を得たのではないか? 静香殿の今を託し、レティ殿は過去に消えようとしていないか?」
「レティちゃんが? 碓氷さんを、僕に……?」
 テジュの言葉は信一も想像していなかったらしく、目を見開いてテジュを見返す。
「そこしか居場所のない英雄に、任せていいと思って貰えた事、自信を持っていい。そして考えてくれ。独りでなく、3人で。支え、分け合う在り方の一翼を、卿は担っている筈だ」
「テジュの考えは、俺もそう間違ってはいないと思っている。堂々と受け入れて、二人にとっての王子様で居てやれ。信一がキーパーソンだ」
「……はいっ!」
 テジュは言う。己の記憶と居場所を繋ぎ止めてくれるルーがいるから今の自分があるように、信一もまた静香とレティにとって重要な楔であるはずだと。
 ジェフは言う。それだけの信頼を信一に預けたのなら、すでに信一はレティにとっても大切な人になっているはずだと。
 後は、信一がレティの信頼に、どう応えるか。
 ずっと目の前にあった靄が晴れたような気持ちで、信一は力強く頷いた。

●英雄という存在
 静香を連れ出したエージェントたちは、東京海上支部の周辺を緩やかにランニングしていた。ゴールなどは特に設定せず、また雑多な人混みを避けるようなルートを選んでいる。
 暖かい日差しの太陽、蕾が開いてきた桜、少し強めに吹いてくる潮風。春の訪れは、すぐそこまで迫っている。
「静香さん、またペースが上がってきていますよ」
「すみません」
 ただ、静香の心はさわやかとはいかない。都合5度目になる由利菜の指摘に、静香はエージェントたちを振り返って速度を合わせる。対人関係が薄い静香は他人と歩調を合わせることが苦手なのもあるが、レティのことを考えている内に焦燥が増すのも一因だった。
「少し休憩する?」
 それからしばらく、タイミングを見計らったルーが近くの公園を指さした。空いているベンチに腰掛け、全員が適度な疲労感に身をゆだねる。
「静香さん、今、とっても不安だよね?」
 さざ波が立つ東京湾を正面に見据え、七海が静香へ問うと小さな首肯が返された。
「あのね、私が知ってるレティさんは静香さんの事だけ考えてて、他の事は考えられなくて、全部、全部、静香さんで……。レティさんが何を悩んでるかは判らないけど、静香さんへの気持ちは変わらないと思うんだ」
 次に語られたのは、七海から見たレティの姿。
 静香のことを心配し、静香を何度も励まし、静香のために怒れる、過保護なまでに静香とともにあった英雄の少女。
 そんなレティが、理由もなく静香を悲しませることはしないと、七海は断言できた。
「だから、静香さんはレティさんに『私は貴女から離れない、ずっと大切な英雄よ』って力強く伝えてあげて欲しいよ。そうしたらレティさんから話してくれると思う」
 必要なのは、レティとの間に出来た溝を越える、一歩分の勇気だけ。
 そのことは七海はもちろん、静香もまた理解していた。
「レティは、ずっと私に寄り添ってくれた姉みたいな存在です。離ればなれになるなんて、考えられないくらい大事な家族です。でも、『誓約』を教えてくれないことが気がかりで……」
「……私とユリナとの誓約も気軽に明かせる内容ではないため、誓約を他言できないレティ殿の気持ちも分からなくはない。だが、契約者にまで言わないのは問題だ」
「ええ。二人が何をしたら誓約違反なのか、分からないと言うことですからね……」
 静香が『誓約』に引っかかりを覚えていると告げると、リーヴスラシルと由利菜も同様の疑念を抱いていた。
『誓約』は英雄をこの世界に留める『破ってはならない約束』だ。レティも覚えてないならまだしも、知っていて口を噤むのは奇妙と言える。
「大丈夫。『誓約』はきっと、静香さんをずっと守ってくれた、優しい言葉だよ。僕達英雄にとって『誓約』は、この世界に居てもいいよっていう、最初の居場所だと思うんだ」
 また言葉をなくした静香へ、今度はルーが笑いかける。
 自分はレティではないけれど、1人の英雄として自分が信じていることを、静香に知ってもらうために。
「僕さ、頼って貰えるから、ここが居場所って思えててね。テジュに、記憶の問題なくなったら、……いてもいいのか迷ってしまうかも。レティさんもそうじゃないかな? 居場所にしてた所、信一さんに譲る気じゃない?」
「ぇ、っ……?」
 それは奇しくも、テジュが信一へ伝えた考えと一致する。
 そして、静香もまた、信一を『レティの代わり』だなどと考えもしなかったため、絶句した。
「どれだけ長く付き合っていても、能力者と英雄の間には誤解やすれ違いはあります。最初は小さな傷でも、放置すればいずれ手遅れになってしまうものです」
 動揺しているように見えた静香の背中をさする由利菜。そして参考になればと、自分とリーヴスラシルの経緯を語り出した。
「私はラシルに命を救われて契約を結んだのですが、その時の死の恐怖から暫く情緒不安定になり、家族とも離れることになって……ラシルを憎んだことも何度もありました。そんな私達を引き取ってくれたのが、H.O.P.E.の施設でした」
「主の療養中に職員達の助けも借りて、私はこの世界でユリナの為にできること、導く教師になる目的を見いだした」
 記憶に刻まれた死の恐怖と『誓約』の呪縛により、心が軋み続けた由利菜。
 由利菜を助けるためとはいえ、残酷な『誓約』を強いた形となったリーヴスラシル。
 お互いに抱くのは憎悪と罪悪感による繋がりだったが、いつしか変化が起こった。
「心の病を治したのは、H.O.P.E.指導の栄養療法と、慣れない環境で一生懸命私の為に尽くしてくれるラシルの思いでした」
「周囲の助けは心を楽にする。だが最後に試されるのは、何よりも当事者達の意志だ。私とユリナもその過程を経ている」
 言葉以上に行動で誠意を示し続けた英雄がいた。
 決別した人たちに変わって、助けてくれる人たちがいた。
 色んな人の支えがあって、色んな想いに気づいて、今の由利菜とリーヴスラシルの『絆』がある。
「例えどんな『誓約』を結んだとしても、ずっと共に在ることはできます」
 だから、由利菜は静香にも知って欲しかった。
 静香とレティが築いてきた『絆』が確かに存在して、『誓約』以上に2人を繋いでいるのだと。
「もし『誓約』が辛い話でも、信一さんが居てくれる。3人で考えたら、きっと、変わるよ」
 それでも静香がレティと向き合う勇気を持てず、躊躇してしまっても、隣には必ず信一がいると、七海は力強く頷いた。
「――はい」
 エージェントたちの言葉をかみしめ、静香はようやく顔を上げた。
 短い返事に込められたのは、決然。
 すると、七海のスマホから着信が。
『信一は持ち直した。静香は?』
「こっちも大丈夫だよ」
 声の主はジェフ。槇のスマホを借りて電話したらしい。
『これから買い出しに行くんだが、一度合流するか?』
 続くジェフの提案に七海がすぐさま了承を返した。

●『誓約』の在り方
 同時刻。静香の家にはレティの他に、拓海、メリッサ、鷹輔がいる。
 3人は事前に確認した情報を頼りに、レティに会うため訪問したのだ。
「それで? 何の用?」
「信一と静香から話を聞いた」
「なるほど、ね」
 鷹輔の言葉を受けても、レティはさして動じずお茶を一口。前回の依頼で見せた苛烈さは微塵もない。
「レティ、お前は信一と自分を比べようとしてないか?」
 前置きは不要と判断し、鷹輔はレティの真意を問いただす。
「俺は『一番好き』って薄っぺらい言葉だと思ってる。それは相対的評価なんだよ。その中には『一番マシ』も含まれてるし、『もっと好き』が現れたら二番目になっちまう」
 鷹輔が推測したレティの心情は、テジュとルーのそれに近い。
「家族の好き、友達の好き、恋人の好き。想いの形は色々ある。比較して序列をつけるもんじゃねえ。一番とか二番とか要らねえんだよ。静香が抱えている信一への想い、レティへの想い。形は違えど、どちらが強いとかはないと思ってる」
 レティはずっと、静香にとって『一番』だった。
 でも、今の静香には恋人である信一が『一番』なのでは?
 多くの人は好きに優先順位をつけたがるが、鷹輔からすると無意味でしかない。
 もしレティもそう考えていたら、鷹輔は真っ向から否定する気でいた。
「恋人と家族、片方しか救えないならどちらを選ぶか? よくある禅問答だ。人には決断を迫られるときは、いつか来る。だけど、それはそれだ。今選ぶ必要はねえだろう?」
「そうだね。静香が信一を好きな気持ちと、静香が私を好きな気持ち。それは比べられる物じゃないし、比べるつもりもない。むしろ、静香に私以外の大切な人が出来たことは、歓迎してるよ」
 しかし、レティは鷹輔の考えをすべて肯定した上で、静香と信一の仲を祝福した。
 いっそ透明すぎるほどの、儚い笑みを浮かべて。
「……レティ、お前は何を恐れている? それは『誓約』の内容と関係しているのか?」
 それが、鷹輔にはとても危うく映った。
『誓約』に触れてみても、レティの表情が少しも変わらなかったのだから、余計に。
「初めまして、突然ごめんなさい。静香さんとの『誓約』が中学生の頃と伺って、私たちの事を聞いて貰いたいなって来ちゃった」
 レティからの反応がなく、次に口を開いたのはメリッサ。
「私達が知り合った時、拓海の身長は私より10cmも低くてね。お姉さん……ん、母の立場だったかも」
 メリッサは当時のことを思い出し、顔には自然と笑顔が浮かぶ。
「拓海は凄くやんちゃで、する事を止めてばかり。だからかな。【己の欲のために他者を犠牲にしない】。そう誓約して、見守ってきたの」
 それだけ、拓海が無鉄砲に見えたのだろう。メリッサが結んだ『誓約』が親の目線に近いのもそのためだ。
「私は人を信じ切れないところがあったから、他者と深入りせず誓約のままに来れた。けど、拓海と知り合って12年。一緒に多くの人と出会い感じたのは、……世の大体の人は善人だ、ってこと。そして、そう信じるかの基準は自分の中にあったの」
 一度言葉を切り、メリッサは『誓約』との向き合い方について思いを馳せる。
「欲と犠牲って線引きが曖昧で、誰かを助けたいって思いは、もしかしたら『保護欲』かも知れないと感じて……。そんな曖昧さで二人の繋がりを壊す前に、改めて誓約を選び変えられないかな? って、ね」
 その時は正しいと交わした『誓約』でも、ずっと信じられるわけではない。時間が経って様々な人と出会い、様々な経験をして、ものの見方や価値観は変わっていく。
 メリッサの場合、『誰かを助けたい』思いも『己の欲』と感じるようになった。
 そして、『誓約』に込められた思いの中にある、『言葉』の曖昧さに気づいた。
 もし、レティと静香の『誓約』もまた、そんな破綻を生んでいるのだとしたら?
『今』のメリッサが示すのは、破綻を逃れる1つの選択肢。
「お互いに成長した、なら良いな。リサがオレの判断を信頼してくれるなら、そうしたい」
 メリッサから差し伸べられた手を、拓海は笑みをこぼして右手で取る。
 当時の『誓約』を変えられるのは、メリッサの変化だけではない。
 メリッサが別の『誓約』を考えられるほど、拓海もまた成長している。
 だからこそ、『今』の拓海とメリッサにしか紡げない繋がりへと、変われる。
「【守るべきものを決めたら迷わない】」
 拓海から告げられた誓いは、メリッサの同意を受けて『絆』となり、2人の魂が再びリンクする。
 破棄された『誓約』の上から、新たな『誓約』が上書きされ、幻想蝶のモルダバイトが色合いを深めた。
「――静香さんも中学生のままじゃないわ。今なら厳しい内容であっても受け止めれると思う。それに、誓約は互いに納得して欲しい。二人を縛るのではなく、守る為の誓約を考えても良いんじゃないかしら」
 新たな『誓約』を無事終え、メリッサは改めてレティに勇気を促す。
『誓約』は『呪縛』ではなく、『絆』なのだから、と。
「……そう、だね。そうだったら、いいね」
 レティが初めて表情を崩したが、それは痛みをこらえるような苦しそうなもの。
 そこには確かな怯えがあり、恐れがあった。
「レティ嬢、お初にお目に掛かる。我は語り屋。佐藤鷹輔の英雄、主の影に潜む者。少し時間を頂けるだろうか? 人払いのできる場所で」
 するとここで、語り屋は鷹輔と共鳴を解いて姿を現す。
「え、っと……」
 ただ、レティは鷹輔や拓海たちへ視線を向ける。家はさほど広くないため難しいと考えたからだが、意図を察した鷹輔たちは自ら席を外していった。
「改めて初めまして、かな。もう一人の佐藤鷹輔です」
 すると、仮面とマスクを取った語り屋の素顔が鷹輔と同じと気づき、レティは驚く。違うのは自信なさげな瞳とボサボサに伸びた髪だけで、ほとんど区別がつかない。
「クリスマスのデートの時、ずっと共鳴してた。僕らは同じ記憶を共有する為に共鳴するんだ。せっかくのデートなんだから一人で独占しても良いのに、共鳴して一緒に行くぞって誘ってくれたんだ。僕らは表裏一体だからって、本当に律儀だよね。凄く、楽しかったな」
 まず語り屋は、最初の依頼を回想する。
「レティさんもずっと静香さんと共鳴して、見守っていたよね。良い関係だなって思ってた。影に隠れて望みを叶えてもらうだけの僕とは大違い」
 その時、語り屋は見ているだけだったが、レティがたびたび静香へ助言する姿から仲の良さを感じ取っていた。
「レティさんが静香さんと共鳴するのは何故? リンカーとしての能力を行使する以外の意図がある筈だよね? そして今、距離を置こうとしているのは、何故?」
「それ、は…………」
「――対するは貌無き影。心情を吐露するのに何を憚る事があろうか」
 レティの揺れる心を察し、語り屋はふと仮面で顔を隠し、仰々しい口調に戻る。
「――なんてね。僕で力になれるか分からないけど、良かったら話してくれないかな?」
 が、すぐに仮面は外され語り屋は笑みを浮かべた。
 レティが前にしているのは、誰でもない影。
 そう自身の性質を揶揄し、レティの緊張を解きほぐす。
「……そうだね。どっちみち、はっきりさせないといけないことだもんね」
 すると、レティは小さく笑みをこぼし、顔を上げる。
「聞いてくれる、語り屋? 静香たちに伝える前に、少しだけ、楽になりたいから」
 その表情は、今にも壊れそうなほどの、泣き笑いで歪んでいた。

「……オレ達で良いなら付き合うよ、会いに行こう」
 しばらくして、家の外に出てきた語り屋とレティ。先ほどよりも目が赤いことには触れず、拓海は改めてレティへ手を差し伸べた。
(何があった?)
『……うん』
 移動中、鷹輔は共鳴した語り屋に密かに確認を取る。
『優しいのに、悲しい約束、かな。ずっと一人で抱え込んできたのも、どこまでも、静香さんのためだったよ』
 そう前置きし、語り屋は鷹輔にレティの『誓約』を話した。

●『大切な人』
 拓海からの連絡で、エージェントたちは3人を引き合わせて合流する。
「立ち話だと落ち着かないし、腰が落ち着けるところに行こう」
 最初に拓海が場を取りなし、近くの喫茶店へ一同を誘った。
「(静香さんに勇気をあげるのは信一さんの仕事だよ)」
「(レティさんにここに居て! って。必要だって、言ってあげて欲しいな)」
 その間、七海は信一に、ルーは2人に、それぞれ小声でエールを送る。信一も静香もしっかりと頷き、前を歩くレティの背を見つめた。
 喫茶店に入店してすぐ、鷹輔はエージェント登録証を店主へ示し、自分たちがいる間だけ店を閉店にしてくれるよう要請する。また拓海が全員分の支払いを引き受け、席へ着いた。
 レティと向かい合う信一と静香は、言葉を選んで話しかける。周囲の席はエージェントたちが押さえ、3人の様子を見守るが、レティの口が重く話が進まない。時間だけが過ぎ、先客もいなくなったところで、ようやくレティが顔を上げた。
「話すよ。全部」
 冷めたコーヒーで喉を潤し、レティは口を開く。
「私が2人を避けているのは『誓約』が関係している。私が静香と出会ったのは、中学校の屋上だった。そこで静香は――自殺しようとしていた」
『え、っ?』
 あまりに突拍子もない話に、信一も静香も言葉に詰まった。
「あの時の静香は、深刻な抑鬱状態だった。他人や両親から邪険にされる孤独に、耐えかねてたんだと思う。私は慌てて助けたよ。私にある最後の記憶が、『大切な人』を目の前で愚神に殺された光景だったから」
 レティはそれが誰かを覚えていない。『大切な人』を守れず、失ってしまった悲しみだけが強く残っていた。
 だからこそ、許せなかった。
「その時の言葉が、静香との『誓約』になった。【そんなに死にたいなら、私が最後に殺してやる! だから、それまで生きろ!!】って」
『っ!?』
 鷹輔と語り屋を除く全員が息をのむ。
「それからずっと、静香と共鳴して監視してきた。また自殺を考えないように、運動させたりもした。静香がここまでハマるなんて、思わなかったけど」
 微笑を浮かべるレティだが、すぐに表情は愁いを帯びる。
「静香が『誓約』を忘れていて、正直ホッとした。一緒に過ごす内、私からは言えなくなってたから」
 言えば、味方がいない静香を深く傷つける。
 最悪の場合、死を望むかもしれない。
 そうなればレティは静香を、『大切な人』を殺さなければならない。
「私は静香の『死ぬ理由』であり続け、静香を生かし続けた。でも、今は『生きる理由』、信一がいる。だから、私はもう、『いらない』んだよ」
 瞬間。
 乾いた破裂音が、店内に大きく響きわたった。
「……え?」
 呆然とため息を漏らしたのは、レティ。
 じんじんと頬が熱くなるのを感じ、視線を前へ戻すと。
 無表情で平手を振り切った、静香の姿があった。
「……レティ。貴女は自分で何を言ったか、わかっていますか?」
 淡々と、抑揚のない、どこか冷たい無表情の静香の声に、レティは酷く動揺する。
「静香……? なんで、泣いてる、の?」
 言葉に詰まるレティは、静香から目を離せない。
 レティには、滂沱の涙で顔を歪ませる静香が、見えていた。
「『大切な人』を失う悲しみを知る貴女が、私に『大切な人』を失う悲しみを与えないでください」
 静香はすっと立ち上がり、戸惑うレティに近づいて、強く、抱きしめた。
「レティは、私の『死』なんかじゃありません。ずっと、私の生きる『希望』で、『家族』です。『いらない』だなんて、二度と言わないでください」
「静、香、っ……」
 静香が長年をかけて鍛え上げた肉体が、容赦なくレティを締め付ける。
 そこに、レティが知っている静香の脆さは感じられない。
 レティの支えがあって、体も心も成長した静香の力強さしか、感じられない。
「レティちゃんは正しいよ。そして、碓氷さんも正しい。『大切な人』を失うことは、それくらい悲しいから」
 そんな2人を見守り、信一はレティへ語りかける。
「僕は、家族以外に『大切な人』はいなかった。気がつけば、自分の本心を見せられるような相手がいないって、気づいたんだ」
 信一は人前で強い感情を滅多に出さない。他人への配慮を優先し続けてきた代償に、他人に『本音』をさらけ出せなくなっていたからだ。
「だからかな。友人はいても、親友はいない。異性と親しくなっても、恋人にはなれない。そんな空っぽな人間だって、思うようになってた」
 人間関係は鏡に似ている。
 自分が心を閉ざせば、相手もまた心を閉ざしてしまう。
 信一はそれに気づいていながら、放置してきた。
 静香に出会うまでは。
「でも、今は違う。初めて『本心』を言えた自分がいる。変われるきっかけをくれた『大切な人』がいる。そんな『大切な人』を、ずっと『守り続けてくれていた人』がいる」
 涙のたまった瞳を向けてきたレティに、信一は微笑んだ。
「レティちゃんがいなかったら、碓氷さんは僕と出会う前にいなくなってたかもしれない。僕たちは、レティちゃんがいたから、出会えたんだ。だから、ありがとう。『大切な人』を、僕たちを守ってくれて。ずっといてくれて。本当に、ありがとう」
「……っ!」
 信一の心からの感謝を受けたレティの頬に、一筋の滴が伝う。
『いらない』と思っていた。
『消えなければ』と思っていた。
 でも、そうじゃなかった。
「……ぅ、……ぁ、っ!」
 静香は『家族』だと言ってくれた。
 信一は『必要』だと言ってくれた。
 自分は、『大切な人』の『死』じゃ、なかった。
「ああ……っ、うわあああああっ!!!!」
 色んな思いがあふれ出したレティは、声を上げて泣きじゃくった。
 静香の力に負けない力で、愛おしい温もりをぎゅっと抱きしめて。
 信一の慈愛に満ちた視線に、表に出せなかった感謝を溢れさせて。
 レティは、自ら閉ざした心をすべて解放した。
 信一も静香もレティも、互いの心をさらけ出すことができた。
 そして、そこには。
『誓約』にも劣らない『絆』が、確かに存在していた。

●『絆』の形
 レティの感情が落ち着いてから、エージェントたちは喫茶店を後にした。
「打ち解けることが出来てよかったですね、ラシル」
「ああ。今の彼らなら、もはや私たちの助力は必要ないだろう」
 まるで昔の自分たちを見るような心境だった由利菜の安堵に、リーヴスラシルも感慨を込めて同意する。強固な『絆』で繋がった信一たちなら、もう《間》はいらないと確信して。
「『大切な人』、か。……守るべき人に、私も含めておいてね」
「トップに置く。居なくなるのは有り得ない」
 新たな『絆』を結んだメリッサと拓海も、お互いの気持ちを確かめ合う。少し悪戯っぽい笑みのメリッサへ、拓海は微笑を浮かべてしっかりと応えた。
「今の俺があるのも、ルーのおかげだ。……感謝している」
「僕もテジュと一緒に居られて、いっぱい楽しい事を知ったんだ。こちらこそ、ありがとうね!」
 テジュとルーは、信一たちの在り方をまぶしく感じ、改めてお互いの感謝を告げる。たとえ記憶を奪われようと、『絆』までは奪わせないと、心に刻んで。
「レティが心を開けたのは、お前のお手柄だな」
『そうかな? ……そうだと、いいな』
 影の功労者として、鷹輔は語り屋を高く評価した。望みを叶えてもらうだけの影ではなく、誰かの望みを叶える力になれた語り屋は、小さく笑む。
「これで消されないよな、弟者!?」
「兄者……」
 ただ、信一とレティへの恐怖が消えない槇は、誄にしつこく詰め寄っている。これには流石に、誄も呆れて閉口した。トラウマは根深い。
「そういえば、信一さんの買い出しって……」
「今となっては、ちょっとしたお節介、といったところだな」
 ふと、レティと会う前にした買い物に触れた七海。それにジェフは、静香と悩む信一の姿や助言を思い返しつつ、薄く微笑んだ。

 その後、以前よりも親密な関係となった信一と静香とレティは、3人でホワイトデーを過ごした。
 信一は静香へ、新しいスポーツタオルを送る。高価な物より実用的な物を好む静香には好評で、しばらくタオルを胸に抱いていた。
 静香は信一へ、ゴツいダンベルを送る。『これで一緒に鍛えましょう』という静香に、信一は苦笑しつつ『がんばるよ』と受け取った。
「静香も信一も、これからもよろしくね」
 レティはこれまでの反省と感謝、そしてバレンタインの分も込めて、静香と信一にチョコレートを渡した。
「ありがとう、レティ」
「それじゃあ、僕たちからはこれをお返しするね」
 静香と信一が嬉しそうに受け取った後、2人はレティにある物を差し出す。
「これ、腕時計?」
 それは、赤色の腕時計。
 首を傾げるレティだったが、よく見ると静香はピンク色の、信一は緑色の、全く同じデザインの時計をつけていた。
「碓氷さんと相談して、選んだんだ。これからは何があっても、一緒の時間を『3人で』歩んでいこう、って」
 自分たちは、誰か1人が欠けてもダメだと、同じ時間を同じ速度で歩いているということを、思い出すための『絆』。それが、この腕時計に込められた願いだ。
 レティは腕時計を大事そうに受け取ると、すぐに身につける。
 そして、満面の笑みで信一と静香へ思いっきり抱きついた。
「――ありがとうっ! 2人とも、大好きっ!!」
 静香と結び直した【『大切な人』の傍にいる】という新たな『誓約』とともに、ここにいる『大切な人』たちを、絶対に守ると決意して。

結果

シナリオ成功度 大成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 永遠に共に
    月鏡 由利菜aa0873
    人間|18才|女性|攻撃
  • 永遠に共に
    リーヴスラシルaa0873hero001
    英雄|24才|女性|ブレ
  • 苦悩と覚悟に寄り添い前へ
    荒木 拓海aa1049
    人間|28才|男性|防御
  • 未来を導き得る者
    メリッサ インガルズaa1049hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 絆を胸に
    テジュ・シングレットaa3681
    獣人|27才|男性|回避
  • 絆を胸に
    ルー・マクシーaa3681hero001
    英雄|17才|女性|シャド
  • 絆を胸に
    五十嵐 七海aa3694
    獣人|18才|女性|命中
  • 絆を胸に
    ジェフ 立川aa3694hero001
    英雄|27才|男性|ジャ
  • 葛藤をほぐし欠落を埋めて
    佐藤 鷹輔aa4173
    人間|20才|男性|防御
  • 秘めたる思いを映す影
    語り屋aa4173hero001
    英雄|20才|男性|ソフィ
  • その背に【暁】を刻みて
    阪須賀 槇aa4862
    獣人|21才|男性|命中
  • その背に【暁】を刻みて
    阪須賀 誄aa4862hero001
    英雄|19才|男性|ジャ
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