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依頼前の挨拶スレッド
最終発言2017/02/15 22:44:36 -
【相談卓】連鎖を止める
最終発言2017/02/17 21:24:17
オープニング
●絶望の侵蝕
もしも明日死ぬとしたら、何をする?
最近はそんなことを考えながら、目覚めるようになった。
起きて肺いっぱいに、空気を吸い込む。
この空気にも、きっと毒が混じっている。
少しずつ吸い込んだ毒が体中に回り、命を侵蝕してゆく。
私達は死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬみんな死ぬ。
なのに今日も、いつもと変わらないような顔をして世界は動いてゆく。
ああ、なんて……気味が悪いんだろう。
●重くのしかかる声
主婦の万梨絵は一人きりで目覚めた。生憎、夫は四国外に出張中で、この家には万梨絵ひとりきりだ。
パートの仕事が始まるまでの時間、午前の澄んだ空の下を歩いてみても、気分は晴れない。
『あなた達はこのままだとみんなみーんな、ミチのビョーキにかかってゾンビになって死んじゃうわけ』
偶然、テレビのニュース番組を見て聞いた言葉が、耳に残って離れない。
ひとりで黙っていると、もうとっくに誰もが死んでしまっていて、亡霊として漂っているだけなのではないかという妄想に襲われる。
誰かと話したい。
あなたは亡霊ではないと、ちゃんと生きているよと、誰かに言って欲しい。
「――あ」
住宅街の細い路地のなかに、見知った顔を見つける。
いつか料理教室で一緒になった、若い主婦だ。
「……しおりん?」
かろうじて、そのとき呼ばれていた愛称だけは思い出した。
ほっそりとした姿が振り返る。万梨絵の姿を認めたその顔に、笑顔が浮かぶ。
(ああよかった、この人は私を知っている。私もこの人を知っている)
そう万梨絵は安堵する。
「最近見かけなかったけど、元気?」
「ええ、私は元気よ。けど主人が入院しててね、今日も見舞いに行かなければならないの」
「まあ、悪いの?」
「命に別状はないのよ。心配ないわ」
他愛ない世間話にも、不吉の香りがする。
この人の夫は、何の仕事をしているんだっけ?
宿舎に住んでいた気がする。公務員?
「ここで会えてよかったわ。私はもう行かなきゃならないけど」
立ち話を切り上げようとする相手に、じゃあ私も行くわと手を振ろうとして、カッと熱いものを感じる。
手首からぬるい血液が噴き出して、それが痛みだと分かるのに、数秒かかった。
「……え……っ……?」
状況を判断するのに、更にしばらくかかる。
目の前のほっそりとした主婦の手には、血で真っ赤に染まった果物ナイフが握られていた。
彼女はほがらかに笑う。
「私は、元気よ。なにも変わらない」
雲が冬の陽射しを遮るように、その顔が見る間に様相を変えて行く。
普通だった彼女の皮膚が変色して剥がれ落ち、肉が削げ、眼球までもが露出した死人の顔へと変化する。
「だからね、貴女もきっと変わらないわ。安心して?」
その声はもう、地の底から響くように重かった。
まるでホラー映画館に突然迷い込んだような驚愕の光景に、立っていられなくなり、思わずその場に膝をつく。
死人の顔をした女が軽やかな足取りで去ったあとも、万梨絵は動けなかった。
偶然通りかかった人が救急車をよんでくれ、そこで万梨絵は様々なことを知る。
万梨絵を切りつけた相手の名は飯塚詩織。ある事件に関わった感染者として指名手配中。
切りつけられたのは万梨絵だけではなく、何名もいること。
そして翌日には、万梨絵の新型感染症への感染が、病院で確認された。
●刃の連鎖
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬみんな死ぬ……ッ!」
感染の宣告を受けて、万梨絵はまず絶望に打ちひしがれた。
この四国では、正体不明の新型感染症で多くの人が無惨に亡くなった。
治療薬が出来たなんて嘘だ。だって治った人なんて、見たことがないのだから。
だが一方で、妙な心の軽さも感じていた。
(これで、いつ死ぬかを心配する必要はなくなった。だって私はもうじき死ぬのだから!)
口元からは自然と笑みが零れる。
「ふふ……ふ……ふふふふふふふ……っ……」
もうこれ以上、いつ死ぬか分からない不安に苛まれることはない。
すぐに、この絶望からも解放される。この肉体の死をもって。
「ねえ、明日死ぬなら何がしたい? 私は人の役に立つことがしたいわ!」
病室は大部屋だった。
同じ部屋に、同じように飯塚詩織に襲われて発症した女性たちが集められている。彼女たちに、万梨絵は話しかける。
「私ね、嘘みたいに心が軽くなったの。いつ死ぬか分からないから不安なのよ。いつ死ぬか分かってしまえば、もう悩む必要はない!」
ベッドに横たわる女性たちは物憂げに顔を背ける者もいるが、幾人かは耳を傾けてくれた。
必要なのは、外出着。そして刃物。小振りなものでいい。
どちらもすぐに手に入った。
「すぐに行きましょう。私達に残された時間は少ない」
腕に繋がれたチューブを引き抜いて、万梨絵とそれに続く数人は、久方ぶりの明るい気分で病院を後にする。
絶望に心を閉ざされた人々に、救いを。
ポケットに入れたカッターナイフを取り出す。それには既に万梨絵の血がべっとりと塗りつけられている。
「ふふ……ふふふ……あははははははっ!」
ずっと心を覆っていた重苦しい霧が晴れたような感覚に、万梨絵は哄笑した。
解説
●依頼内容
切り裂き魔と化した5名の感染症患者を確保し、彼女達を絶望の淵から救い出すこと。
●確保対象
万梨絵、ユカ、チアキ、カヨ、マキ、以上5名。全員が20代~30代女性。身体能力は普通。顔写真は配布済み。
新型感染症の初期患者だが、同時にテレビ電波を通じて芽衣沙の洗脳を受け、『四国の住民は遅かれ早かれ皆死ぬ』という観念に支配されている。これは元々本人達が持つ絶望や疑念の変化したものであり、BS解除系のスキルは無効。また同じく洗脳を受けた人間には絶望が伝播する危険性がある。
この洗脳は、強い説得によって心を動かすことができれば解除される。
各人がカッターナイフを所持している。これは普通の文房具であり能力者を傷つけることはできないが、一般人が切りつけられれば高い確率で感染する。
●周辺状況
徳島県A市にある新型感染症収容施設からの患者脱走が発覚したのは午後1時。
同室の患者たちによれば万梨絵達が病室をあとにしたのは正午ごろ。
即時に警察は病院の1時間徒歩圏内5kmを交通規制し、自家用車及び公共交通機関、タクシー等には検問を行っている。捜索は警察に任せてよい。
ただし感染者の拘束にはAGWが必要であり、発見次第、誰かが現場に向かうことになる。拘束具(手錠)は必要なだけ用意されている。
交通規制中の為、パトカーに同乗して移動する。
元凶となった飯塚詩織については、依然捜索中。
また、感染者があまりに容易に脱走したので、誰かが手引きした可能性が示唆されている。
●PL情報
5名の感染者は順に発見される。包囲網の外に脱出した者はいない。一人ずつ、あるいはまとめてなど、説得方法は自由。
芽衣沙の洗脳は放送を視聴していた人々に見えない形で広がっている。警察も例外ではない。
不安を掻き立てる事件(切り裂き魔)によって次のパニックが広がる可能性がある。
リプレイ
●広がる絶望
『KEEP OUT』と書かれた黄色いテープが、何本も風にはためいている。
感染患者が脱走した病院付近は、交通規制が行われており一般人の通行は出来ない。
テープの前には行く手を阻まれた人々が群がり、野次馬と化している。
誰もが眉を寄せて不安げな表情を浮かべ、不吉な情報ばかりを交換し合う。
そんな中、芦屋 璃凛(aa4768hero001)は太極拳に似た動きで、舞い始める。
ゆっくりと円を描くように手足を動かし、一人演舞を舞う。
普段赤褐色な肌をカバーメイクで普通っぽく見せると、チャイナドレスを着た拳法美女の出来上がりである。
演舞によって何かを伝えようとするように、真剣に舞う。
そこへ赤茶の長い髪を靡かせて、ナイチンゲール(aa4840)が呼びに来た。
「一人目が見つかったんだって。行こう」
切り裂き魔と化した脱走患者が見つかった場合、二人一組で行動する約束だ。
「刑事はん、最近どうでっかー?」
現場へと向かうパトカーの中で、小野寺 晴久(aa4768)は気軽に若い警官に話しかける。
先だってのテレビジャック事件で芽衣沙の洗脳により、四国住民には薄く広く、重苦しい雰囲気が流れている。それをどうにかしたかった。
そうこうするうちに、発見現場に到着した。
人のいない道に、ふらふらと女が一人、歩いている。
冬物の上着に地味な色のスカート、そして手には、赤黒く血の色に染まったカッターナイフ。
「貴女は、何がしたいの。話してみてよ」
人の役に立ちたい、という気持ちは、ナイチンゲールも同じ。
でも、刃物を振り回して感染者を増やすという行動は、違うと思う。
「死にたい」
女はマキと名乗った。表情の消えた顔で、淡々と話す。
「貴女には覚悟があるの? 旦那さんや家族や、友達も捨てて死ぬ覚悟が」
「覚悟なんてない。これ以上生きているのが辛いだけ」
ナイチンゲールの問いに、マキは静かに答える。
「頭の中で、嫌な声が聞こえるの。『死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……』って。これが消えるなら、死ぬのだって悪くない。それを誰かに、伝えたくて」
マキは手に持ったカッターを弄ぶが、攻撃してこようとはしない。
「折角外まで出てきて、おもろないことせんでもええんや無いですか?」
晴久の言葉に、マキはきょとんとする。
「面白いなんて、このひと月一度も感じたこともない」
「なんでです? 天気もええし、風も気持ちええですし、歌でも歌うたろか、って気になるですやん?」
『歌うてどうするねん。うちの演舞のほうがよっぱどましや』
璃凛がすかさずツッコむ。
「演舞なんぞして、どうすんねん」
『真剣にやれば伝わるわ!』
ガチムチ系のおっさんとキョンシー系美女のやりとりは、そのままでほぼどつき漫才である。
「……あ、笑った」
マキの表情の変化に、ナイチンゲールが気づく。
「あら、そうかしら」
意外そうなマキに近づいて、ナイチンゲールがその体をぎゅっと抱擁した。
カラン、と音を立ててカッターが地に落ちる。
「大丈夫、貴女が辛くなくなる方法を、私達みんなで考えるから……!」
「不思議ね、いまだけは、あの声が聞こえないわ……なぜかしら?」
マキはそれ以上抵抗することもなく、パトカーに保護された。
●切り裂き魔の本当の望み
リコリス・S(aa4616)とまほらま(aa2289hero001) は、患者が脱走したという病院に向かった。
「外出着も、刃物も……こんな、新型感染症で収容されている状況で、持たせられるはずがない」
『誰かが手引きした可能性があるわよね』
二人が捜査を開始すると、意外なほどあっさりと証言者が見つかった。
同室の患者たちである。彼女たちは、すべてを見ていた。
「看護師さんが、着替えを持って来てくれたの」
ひどく億劫そうに、ベッドの上の患者は語る。
「出て行った人たちは、ここに来る前から、おかしかったんだと思うわ。治療を受けていれば、薬が届いて直るって説明を受けたのに」
直るのだという説得は、残った患者たちには不要だった。
医師の説明どおり、延命治療を受けつつ治療薬の順番を待っているのだ。
「私達みんな変だと思ったけれど、酷くだるくて、動けなかったの。……ごめんなさいね」
証言の途中で何度も息をつき、顔色も悪く途切れ途切れに話す。
脱走者たちは、これと同じ症状を持ちながら、脱走して見せたのだろうか?
その頃もうひと組が、2人目のチアキ発見の報に現場へと向かっていた。
「一体、逃げ出した人たちは、何を思っているんだろう……」
車の中で、GーYA(aa2289)は誰に聞かせるともなく呟いた。
「絶望が他人まで巻き込む……まるで絶望も感染してるみてーだな」
日暮仙寿(aa4519)はそう考察する。首謀者の万梨絵に賛同して残り4人も脱走した。
『貴方も必ず守ります。何かあれば大声で呼んで下さい!』
不知火あけび(aa4519hero001)は運転席にいる警察官を、しきりに励ます。
交通規制中の道路に車は少なく、通行人はほとんどいない。
現場の道路には、ぽつりと女が一人。
右手に血のついたカッターと持っているのを見て、ジーヤが早速ダッシュして、飛びつくようにして押さえ込んだ。
「あなたたち、リンカーなの?」
引き倒されても、チアキはぼんやりとしている。
「そうだよ、あなたの本当の気持ちを、聞かせてよ!」
凶器と呼ぶには頼りなさ過ぎるカッターナイフを奪い、少し照れつつ飛びのく。
髪と服の乱れを直しながら、チアキは起き上がった。
「そうね、苦しまずに死にたいわ。あなたたちがリンカーなら、私の首を落として欲しいの。すぱっとね」
チアキの言葉は、ジーヤにはやや酷だったようだ。泣きそうになりながら、チアキの肩を掴む。
「貴女は絶望するにはまだ、早すぎるじゃないか!」
「早くなんてない、もうひと月も耐えたの、充分だと思う」
「貴方が死んだら、俺は悲しいよ! だってまだ、心臓も動いてる……生きてるし、治るのに!」
「治りたいんじゃないの。この苦痛を終わらせたい」
溜息をつくように、チアキは言う。
『生きてる人が死ぬのを望むなんて悲しいよ。もっと楽しい事を考えようよ!』
あけびがポケットからチョコを取り出す。
『バレンタインは過ぎちゃったけどプレゼント! 甘いの好き?』
「そうね、好きだったかも。ひとくち、食べてもいい?」
笑顔のあけびがチョコの包装を解き、チアキがひとかけら割り取る。
「甘い……」
チアキはそれをゆっくりと舌の上で転がして味わう。ジーヤが言った。
「能力者だって風邪も引くし病気で死ぬ事もある、不安なのは同じなんだよ」
「貴方と私は違う。貴方、私以外の感染者に会ったこと、ある?」
チアキはジーヤに問う。
「あるよ」
「ゾンビみたいな化け物と闘ったことは?」
「あるよ」
「それで、感染した? 一緒に闘った、貴方の仲間はどう?」
「…………」
ジーヤには答えられなかった。
エージェントの感染の有無――そんなこと、考えてもいなかった。
「服をくれた看護師さんが、教えてくれたの。貴方たちは感染しない。切りつけても無駄だって。はじめから、立ってる場所が、違うのよ」
ごほごほと、突然咳き込んだかと思うと、チアキは大量の鮮血を吐く。
「大丈夫か?!」
仙寿は慌てて背中をさする。
チアキの胸元には、蓋が開いたままのロケットペンダントが揺れていた。
『まさか……何か飲んだの?!』
ひとかけらのチョコ。
その陰に隠して、なにかを口に運んでいた……?
「お守りよ」
口を開くたびに、ごぼりと血が溢れてくる。
「看護師さんが、くれたわ」
感染者を殺す、即効性の毒。そんなものを、看護師が一体どこから……?
「吐いて! いますぐ吐いて!!」
「もう遅いわ。……それより」
チアキの顔は、毒薬で血の気を失い、どす黒く変化していた。
「私が死んだら……ちゃんと殺してね?」
「だめだ! そんなのだめだ!」
取りすがるジーヤの腕の中で、チアキは何度も血を吐き……。
そして、変化した。
死した感染者は、人を襲うゾンビに生まれ変わる。
皮膚が変色してぼろぼろと砕け落ち、生前とはまったく違った化け物じみた姿で立ち上がる。
「こんなの……こんなのだめだよ!」
それでも助ける方法がどこかにあるのでは、と手を伸ばすジーヤをよそに、仙寿は共鳴し、雷切を抜く。
「どいてろ!」
せめて彼女が願った通りにと、一撃でその首を落とした。
ほぼ同じときに、三組目は脱走者、カヨと向き合っていた。
「あら、見つかっちゃったのね」
カヨは鬼ごっこで見つかったときのように、気軽に言った。
持っていたカッターナイフも、軽くぽいと地面に投げ出す。
「私って、何をやっても駄目ね。最期の福音を、誰にも伝えられないなんて」
その顔はぼんやりとして、残念がっているのかそうでないのか、曖昧だ。
「死ぬことで開放なんてない。あんたが死ねは家族が悲しむし、自由になるんじゃなくて終わるんだよ?」
逢見仙也(aa4472)は、誰にでも大切な人がいることを思い出して欲しかった。もうすぐ死ぬから死に怯えなくて良いなんて、全員が考えることじゃない。
同じ病室の患者ですら一部しか同調しなかったことに、すべての人間が賛同するかの如くの考えは、納得がいかないのだ。
クリストハルト クロフォード(aa4472hero002)はそんな仙也の側で、沈黙を保っていた。
千桜 姫癒(aa4767)がスマホを差し出す。
スマホには、以前愛媛に芽衣沙が出現した際、エージェントが力強く人々を説得したシーンが録画され、再生されている。
「これを見て、聞く事が出来ているならあなたは大丈夫。まずは深呼吸をしましょう」
姫癒は大きく息を吸って、吐いた。カヨも素直にそれに同調する。
「大切なものを思い浮かべましょう。家族やペット、友達、恋人……かけがえのないものではないですか?」
姫癒にとって最もかけがえのない相手は、相棒の日向 和輝(aa4767hero001)だ。
「家族や友人は、今でもとても大切よ」
「それがあなたの一番の力の源です。大切なものの事を考える事ができるなら大丈夫」
ふふ、とカヨは笑った。
「あなたたち、健康なのね。想像すら出来ないのかしら? 間断なく頭の中で死ぬって囁かれる苦痛が。大切な人がいても、それが髪の毛一本分ほどの助けにもならないという絶望が」
「待てよ。死にたくなくても死んだ奴だって沢山いたんだぞ! あんたはまだ生きてる」
生きたいのに、助けられなかった沢山の人々。
仙也としては、自分を殺すのも、他人を死に至らしめることも、彼らへの冒涜でしかなかった。
「私だって、死にたいわけじゃない」
能面の表情で、カヨはポケットから小型の果物ナイフを取り出す。
「ただ、これ以上生きることが苦痛なの」
カヨはそれをエージェント達に向け、威嚇する低い声を出す。
「来ないで」
攻撃するのか――?
そう身構えたこと自体が、判断ミスだった。
常人とは思えない素早さで、カヨは自分の首筋を切り裂く。
躊躇ひとつない、一瞬の出来事。
裂かれた頚動脈から血飛沫が高く上がり、近くにいた姫癒たちをも濡らす。
「待って、こんな――!」
駆け寄った姫癒が、くずおれるカヨを助け起こす。
気管も切り裂かれて、言葉ではなくヒューヒューと空気の漏れる音しか聞こえない。
それでも、唇は確かに、言葉を紡いだ。
――こ・ろ・し・て――
それは、介錯を求める言葉ではなかった。カヨの呼吸は弱く、やがて消える。
皮膚が腐ったように変化し、呼吸の止まった体が操り人形のように立ち上がる。
「どうして!」
仙也はクリストハルトと共鳴し、曲刀を構える。
さきほどまでカヨだったものが、襲いかかろうとしたところを袈裟斬りにした。
胴を裂き、腕を落とし、脚を切り落としてもまだ蠢く異形の存在。
「どうして、分かってくれなかった……!」
怒りと悲しみに、仙也は肩を震わせた。
●心の傷は誰にも見えない
「それは私じゃありません!」
リコリスとまほらまは、病院で脱走を手引きした人物を捜索中だった。
同室の患者が見た看護師は突き止め、目撃者の確認も取ったのだが、本人は頑なに否定する。
「その頃私は、別の病室を巡回中でした。記録もちゃんとあります」
看護師は定期的に担当患者の元を訪れ、血圧を測ったり備品を交換したりと忙しい。
そしてその巡回時間は完全に日誌に記録され、本人の言うとおり正午近くには遠く離れた病室にいたことになっていた。巡回を受けた患者達も、確かに本人がその時間に来たと証言している。
「どういうこと……?」
リコリスは白藍色の髪を揺らして考え込んだ。同時刻に同一人物が二人……?
『監視カメラの映像が、見られることになったわ』
まほらまは警察の協力を得て、病院内監視カメラの再生の準備をしていた。
手書きの巡回記録は、難しいが改竄される可能性もある。
しかし、監視カメラならどうだろう。
結果、二人は、更に混乱することとなった。
「同じ人が、同時刻に二人……?」
「二人、死んだ?」
鋼野 明斗(aa0553)は、待機中にスマホでその報を受けた。
二人目のチアキと、三人目のカヨはほぼ同時で、連絡を取り合う猶予もなかった。
感染者は特殊なライヴスにより、能力者と同じように通常武器では傷つかないはずだ。
それを殺す毒薬と刃物。普通の人間には、なかなか手に入るものではない。
(迷える子羊を助けるのです!)
ドロシー ジャスティス(aa0553hero001)はスケッチブックにそう書いた。
「子では無いと思うが……まあ、迷えてはいるのかな? はた迷惑な方向で」
あたりでは、『切り裂き魔』の不安に煽られる野次馬が出ないよう、芽衣沙事件時の説得音声を拡声器で流している。
洗脳後すぐの人々に通じた手が、一ヶ月も経った被洗脳者に通じるかは分からないが、まあ、やらないよりましだ。
間を置かず、四人目であるユカが発見された。
(導くのも正義!)
ドロシーが、スケッチブックの言葉をぐいぐい押し付けてくる。
「ま、正義かどうかは置いておくとして……給与分は働くとするか」
同行者はカメル(aa4616hero001)。能力者のリコリスは病院で調査中だ。
明斗は現場につくなり共鳴し、身体能力をフル活用して速攻でユカに手錠を掛けた。
この手錠もAGWであり、能力者の同行していないカメルが使えないので明斗が預かっていたのだ。
「申し訳ないけど、妙なことされたら面倒なんでな」
ポケットを探り、首筋を調べると、銀色の鎖の下にロケットペンダントが隠れていた。
しばらくアクセサリーの謎金具に苦戦したあと、共鳴を解除してドロシーにやらせることにする。
以前のことを碌に憶えてもいない割に、ドロシーはあっさりとペンダントの金具を外した。
「あら、それ、お守りなのに」
『物騒なお守りなんて、いらないんだ!』
カメルが手錠で拘束されたユカにぎゅっと抱きつく。
不穏な動きを制限する目的もあるけれど、言葉では伝わらない温かさを伝えたい。
彼女たちは苦しんで、だからこそ、最期の力で他人に救済をと考えた。
行動は理解できなくとも、その意思は優しい。
そこだけは、絶対に否定しない。
『誰かの為に、なんて考えられる人に、まだ死んで欲しくない!』
一方ドロシーは、もう安心とばかりに、隠し持ってきた駄菓子を満面の笑みでバリバリ食べ始める。
明斗は相棒をちらっと見やりながら溜息をついた。
「俺の場合はこの相棒のせいで、栄養失調で死ぬかもしれないんだぞ? 助けるならせめて俺を助けてくれ」
「……ふふ、この日本で、栄養失調で死ぬなんて大変よ? 骨と皮だけになってふらふら歩いてたら、誰かが何か恵んでくれちゃうもの。本当に死んでしまうまで、断固として断り続ける強い意思がないと実現しないのよ?」
ユカは軽く声を立てて笑う。
気がつくとドロシーが、自分の分の駄菓子を差し出していた。
日本人なら誰でも知っている、味つき麩菓子。
それをユカは、手を拘束され、カメルに抱きつかれつつも、口をあけて差し出されるままに食べた。
「このお菓子、懐かしいわね」
「茶飲むか? 落ち着くぞ? ……こら、なんで先に飲んでる」
水筒に温かい緑茶を入れてきたはずだと思ったら、ドロシーがごくごく飲んで幸せそうにぷはー、とやっているところだった。
もう一仕事終えたと思っているのか。仕事のあとのオヤツはうまいのか。
「いただくわ」
ユカは前に拘束された手で、器用に水筒のカップを支えて飲む。
その顔には、わずかながら笑顔が浮かんでいた。
「……つまりあんたも、骨と皮だけになってふらふら歩いてたわけだ、心のほうが」
明斗の言葉に、弾かれたようにユカは顔を上げる。
黙したままの眦に、涙がじわっと浮かんだ。
「そう、なの……かしら」
『体の傷は見えても、心の傷は見えないから。教えてよ、あんたみたいに優しい人が、何をそんなに苦しんでるのか』
やっぱりユカは優しい人なんだ、とカメルは思った。
「大したことじゃないのよ? ただ――」
そこでふいにユカは言葉を切った。
驚いたように、何かを探るように視線を彷徨わせる。
「頭の中でずっと聞こえていた声が、聞こえない……」
●あなたたちは守られている
「歩き方が全然違う! 私じゃない!」
脱走幇助の容疑を掛けられた看護師は、そう主張した。
言われて見れば、本人だというほうはきびきびと早足で歩いているが、感染者の病室へ向かった方は、ゆっくりと、まるで足音を殺すように歩いている。大きな紙袋をいくつも持って。
そして感染者のいる病室へと入っていった。
「どういうこと? 偶然同じ背格好の人がいて、変装した?」
リコリスが頭を抱える。
『あるいは、姿を変えることができる……とか?』
まほらまが何気なく発した言葉に、その場の誰もが凍りついた。
最後の万梨絵は、目立たない公園でベンチに座っているところを発見された。
苦い思いを抱えた仙也が、縫止でその動きを縛る。
共鳴した仙寿が、確実にその手を手錠で拘束した。
「私、何の悪いことをした……?」
万梨絵は抵抗らしい抵抗はせず、茫洋と問う。
「しただろ。一体何人感染させたんだ」
仙也は苦虫を噛み潰すように言う。
警察が事態に気づくまでに、数名の犠牲者が出ていた。
いずれも傷自体は軽症だが、感染の有無は明日まで分からない。
「そうじゃなくて」
万梨絵はどこか遠くを見る目つきをしたいた。
「お遍路さんは、同行二人だって。お大師様が一緒にいらっしゃるんだって、おばあちゃんが言ってた……。お大師様にいいことをすればいいことが、悪いことをすれば悪いことが返ってくるって、いつも言ってたのに……!」
お大師様とは、すなわち空海。
四国に生まれ、唐に渡ったあと故郷へと戻り、四国を巡り、お遍路信仰の元となった人物。
お遍路をゆく人々は、『同行二人』と言われ、それぞれが空海とともに旅をするのだと言われている。
「お母さんも、お遍路さんへのお接待を欠かさなかった。私だって。なのに、何故真っ先に死んだの――?」
『お接待』とは、お遍路さんへ食事やお金などを振舞うことだ。
それはすなわちお大師様への振る舞いであるとされ、ご利益があると信じられている。
警察に調査を依頼したところ、万梨絵の実家は高知。
初期のゾンビ事件で、両親共に亡くなっていた。
「お母さんも、おばあちゃんも、そのまたずうっと昔のご先祖様だって、みんなお大師様を信じていたのに! なぜいま、この四国を守ってくれないの?!」
四国では、お大師様、つまり空海と、お遍路さんが特別な信仰を集めている。
それは他の地域の者には、推し量れないほどの深さと歴史を持った信仰なのだ。
「それは違う」
仙寿は、いつかH.O.P.E.東京海上支部で聞いた話を思い出していた。
かつて四国の地に愚神が出現し、空海がそれを封じた、とされる説。
「『お大師様』は、四国とそこに住む人たちを、ずっと守っていた。1200年もだ。それってすごいじゃないか?」
いまはまだ仮定の話に過ぎないが、もし東京支部で聞いたことが本当だとしたら。
「お大師様を信じていたお前たちも、また四国を守っていた。いまの混乱は一時的なもの」
万梨絵の目の焦点が次第に揃って、仙寿を見る。
「俺達がお大師様の遺志を継ぐ。お前のことも四国も守る。だからお前も早く良くなって、四国を守ってくれよ」
空海が愚神と戦い、四国を永きに渡って守り続けたのだとすれば、その遺志を継ぐべきはH.O.P.E.だ。自分であり、ここにいる皆であり、H.O.P.E.に属するすべてのエージェントの責任だ。
「でも私、じきに死ぬわ……そう誰かが言うの。頭の中で」
「もう聞こえないさ。俺達が来たから。お大師様が、お前を守ってくれる。信心してきたんだろ?」
見開いたままの万梨絵の目から、ほろほろと大粒の涙が零れた。
病院では、リコリス達が何度も映像を検証していた。
容姿は同じでも、歩き方だけではなく、細かな癖まで色々と違う。
「もしも姿を変えられるのなら、偽の看護師が飯塚詩織だった可能性は――?」
被害者の証言では、飯塚詩織は普通の主婦から、皮膚の崩れ落ちたゾンビへと外見を変えて見せたという。
そして、カヨが持っていた果物ナイフ。
飯塚詩織の使用したものと、類似性がある。
その後警察の調べで、飯塚詩織の夫は自衛隊駐屯地で演習中に隊員を殺害した容疑者として拘束中、意識は感染症により混濁したままであり、親族であっても面会は許可されていない、ということが判明した。
●絶望への反撃
「【Re-Birth】による治癒患者へのインタビューデスカ。難しいデスネ」
事件のあと、仙也により『治療薬の効果についてインパクトのある情報を流してはどうか』という提案がなされた。
その話はまず治療薬を製造しているグロリア社へ持ち込まれ、開発チーム主任であるアニー医師へと打診されたところである。
「製造ラインは動いていマスガ、マダ数が足りマセン。末期患者には数回の投与が必要デアリ、完全回復は少数。アンフェアーだと反発が起きるのデハ?」
電話先の相手はしばし返答に詰まった様子だ。
「ただ、治癒者ならば、よい心当たりが居ますヨ。ティーンエイジャーで元気、そしてキュート」
相手の反応に満足して、アニー医師はにっこり笑った。
「アサスズ・ノゾミ――最初の治癒者デス」