本部

ラスト・レッスン

和倉眞吹

形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
6人 / 4~8人
英雄
6人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/07/25 20:50

掲示板

オープニング

「素敵ね。素晴らしいわ」
 コンサートホールに満ちる、伸びやかな歌声にうっとりしながら言う女の身体は、微かな光を放っている。
 しかし、極上の歌声の主は、それには気付いていない。苦しげな顔をしながらも、女の言葉通りの類稀な歌声をホール一杯に響かせているのは、十代半ばに見える少女だ。
 そして、その声は徐々にトーンダウンしていく。
 曲が終盤に近付いているのではない。少女の体力が、底を突こうとしているのだ。
 ただ一人の観客だった女は、満足げな顔で立ち上がり、クスクスと楽しげな笑いを零しながら、壇上へ歩を進める。
 やがて歌声が途切れ、力尽きた少女は近距離へ歩んできた女に凭れ掛かるようにして体勢を崩した。
 それを抱き留めた女は、優しく少女の耳許へ囁く。
「いい子ね。後少し、私の言う事を聞いて?」
「後……少し?」
 女の言葉を苦しげに反芻した少女に、女は妖艶な笑みを浮かべる。
「そう。これが“最期”のレッスンだから。一人でお部屋まで帰れるわよね?」
 目を合わせて歌うように言うと、少女は恍惚とした表情でコクリと頷く。
 やがて、女の腕から解放された少女は、覚束ない足取りながらも、ホールを後にした。

「助けて、欲しいんです」
 神原優と名乗る少女が、HOPEの支部を訪れたのは、もう少しで一般的な学校は夏休みに入ろうかという暑い日の事だった。
「学校も……警察も宛にならない。このままじゃ、次は私が死ぬ番なんです」
 思い詰めた顔をした優を、取り敢えず応接室に通した女性オペレーターは、彼女の前に冷たい麦茶を置いて先を促した。
「それはどういう事?」
「ニュースとかになってないからご存知ないと思うんですけど……私の高校では、もう四人も生徒が死んでるんです」
 優の話によると、三日程前、彼女の通う高校の同級生が、急死したという。
「亡くなったのは、南條歌苗さんと言って、私のルームメイトでした。私も彼女も、全寮制音大付属高校の二年生です」
 沈鬱な面もちを伏せ、優は続ける。
「さっきも言った通り、ウチの学校でこういった事件が起きたのは、初めてじゃありません。南條さん……歌苗で四人目なんです」
「と言うと?」
「ここ一ヶ月、ウチの学校では、声楽科専攻の生徒だけが、次々に衰弱死してるんです。特に命に関わるような持病はなくて元気に過ごしてたのに、ある日を境に見る見る憔悴してって、大体一週間くらいで、寮の自室で亡くなってるのを発見されるんです」
 それは確かにおかしい。
「じゃあ、貴方がさっき言ってた、『次は自分が殺される番』っていうのは、どういう意味?」
 それが核心を突く質問だったのか、優はビクリと身体を震わせた。心なしか顔色も、駆け込んできた時より青ざめているように見える。
 何に怯えているのだろうか。
 オペレーターは息を吐くと、テーブルを回り込んで彼女の隣に腰を下ろした。
「落ち着いて」
 そっと手を握ると、優は弾かれたように顔を上げて、オペレーターを見た。
「大丈夫よ。何があっても守るから、話してくれる?」
 本来、従魔愚神が関わっているとはっきりしない内にこういう事を言うのは、オペレーターの職務ではない。けれど、目の前で怯え切っている少女に、何もしないという選択も、オペレーターにはできなかった。
 少なくとも、こちらが心から言っているのは分かったのだろう。優は、目を伏せて小さく頷くと、口を開いた。
「じ、実は……亡くなった四人には、ある共通点があるんです」
「どんな?」
「最近……来校した特別講師の個人授業を受けていた事です」
「特別講師の、個人授業?」
 鸚鵡返しに言うと、優は頷いて言葉を継ぐ。
「ガイア=ランテ先生と言って、世界的なオペラ歌手だそうです。と言われても、私達は誰も知りませんでした。世界で活躍する方なら、それでもインターネットで検索すれば載っていてもおかしくないのに、全然検索でヒットしませんし……でも、校長先生は全校集会でそう言って、ランテ先生を紹介しました」
 実際、ランテも歌唱力は高いようだ。優も一度、彼女の歌声を聴いて、そう感じたという。
「でも、指導力は分かりません。歌が巧い事と、教えるのが巧いのは、イコールじゃありませんから」
 しかし、ランテは就任後、すぐに指名した生徒の個人レッスンに当たるようになったらしい。
「そして、最初の死亡者が出たんです……」
 それが、一ヶ月前の事だそうだ。
「それと、貴方が殺されるかも知れないという主張が、どう繋がるのかしら?」
「そ、それが……歌苗の遺体が彼女のご両親に引き取られてすぐ、ランテ先生は、私に個人レッスンへ来るように言ったんです」
「一つ確認したいんだけど、歌苗さんが亡くなるまでに、三人の生徒さんが、ミズ・ランテの個人授業に参加したのをきっかけに衰弱して、亡くなったのよね? それまでに、誰か疑問を呈したり、個人授業を拒否する子はいなかったの?」
 優は、益々眉間に眉根を寄せ、泣きそうになりながら俯いた。
「それは……一人目は、たまたま、その時に具合が悪くなったのかも知れないって。二人目の時は、『また?』っていう空気は校内に流れたけど、先生方は特に何かの対策を打ち出す訳でもなくて……三人目になると、何か縁起が悪いって言う生徒もいたけど、『騒ぎ立てると退学処分にしますよ』って先生に一喝されて……最後に指名された歌苗も、一日目のレッスンを終えて戻った時は、とても疲れているように見えました。もう行くのは止めた方がいいんじゃ、って言ったけど、『どうしても行きたい』って聞く耳を持ってくれなくて……初めは、気乗りしない風だったのに」
 一週間、彼女もランテの個人授業に足を運び続け、他の三人と同じように衰弱死してしまったらしい。
「私が……もっと強く止めていたら……」
 亡くなったばかりの友を思い出したのか、優は顔を泣き出しそうに歪め、膝に置いた手でスカートを握り締める。
「貴方は、その授業を拒否する事はできないの?」
「だから、ここへ来たんです。連続で人が亡くなってるけど、殺人事件て訳じゃないから警察は動いてくれないし、私は母子家庭で、奨学金で学んでます。そんな曖昧な理由だけじゃ、授業の一環なのに拒否はできません。でも……」
 行けば、自分も四人の生徒と同じ運命を辿る気がしている。
「歌苗が亡くなったばかりで、まだそんな気分じゃないって、今は保留にして貰ってます。勿論それも本当だけど、私……」
 まだ死にたくない。
 死んでしまった友人に申し訳なくて、口には乗せられずとも、オペレーターにはそれがよく分かった。

 説明を終えたオペレーターは、ミーティングルームに集ったエージェントを見渡して、話を結んだ。
「今のところ、プリセンサーの報告はありませんが、神原優さんの話が事実なら、放っておく訳にもいきません。新たな犠牲が出る前に、事態の解決をお願いします」

解説

〈〉内…PL情報=PCは知り得ない情報。PCがそれを知る為には、何らかのアクションが必要となります。
▼目標
生徒の連続不審死の原因を突き止め、その除去に当たる。

▼登場
■ガイア=ランテ…表向きは音大付属高校の特別講師。容姿は華やかで端麗。
〈デクリオ級愚神。
・高い歌唱力の相手に歌わせてライヴスを奪い取る。「上手な歌でないと食べる気がしない」らしく、歌を歌う人間からでないとライヴスを奪えない。
・歌う事で衝撃波を生じさせ、敵を攻撃。命中すれば、身体はなます斬りに。有効射程:3スクエア。ライヴス、もしくはAGWで防御すれば、相殺は可能。
・同じく歌で敵の攻撃を防御、もしくは無効化させる。
歌えなければ、攻撃・防御共にできない。いつも歌う事で相手を退けて来た為、接近戦・格闘は苦手。
武器らしい武器は特に持っていない。とにかく歌わせなければ勝機はある。歌っていない状態から新たに歌う為に、必要な溜めの時間は十秒程。
上手な歌を聴くのが好きな為、音痴な歌を聴かせて弱らせる方法も有り。〉

■神原優(かんばら ゆう)…全寮制の音大付属高校一年生。声楽科専攻。四人目に亡くなった生徒・南條歌苗(なんじょう かなえ)のルームメイト。
 
〈備考
・校長は洗脳されており、ランテを「世界的オペラ歌手」と思い込まされている。
・ランテの本拠は、学校敷地内にある第一ホール。個人レッスンは、例外的ではあるが、そこで行われる。
ホールは、全体面積三百平方メートル。内、舞台は百平方メートル程。座席三百席。〉

リプレイ

「何て卑劣な行いなんだ!」
 説明が終わるなり、片桐・良咲(aa1000)が立ち上がる。
「確かにそうだが、愚神が策を弄するのは珍しい話ではないだろう?」
 尾形・花道(aa1000hero001)は、冷めた視線で宥めるように言うが、彼女は聞いていない。
「個人レッスンなんて、ありそうであり得ない状況を作り出しておいて、おいしい思いをする愚神が許せない!」
 拳を握った良咲が展開する謎の理論に、相棒は呆れた目を向けている。
「同感です」
 そんな花道を余所に、紫 征四郎(aa0076)が、良咲の怒りに頷いた。
「歌はもっと楽しいもの。歌えば歌うほど命が削られてしまうなんて、あってはならないことなのです……」
「そうだね」
 眉尻を下げた征四郎の頭を撫でながら、木霊・C・リュカ(aa0068)も首肯する。
 彼にとって、歌を聴くことは大切な娯楽の一つだ。優秀な新芽が摘み取られてしまうのは、何より哀しい。
 彼の相棒であるオリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)は、職員にこの場へ招じ入れられ、所在なげに俯いている神原優に、無言で気遣わしげな視線を向けた。オリヴィエ自身、歌の鑑賞は嫌いではない。
『確かに、愚神の仕業なら上手いことやりやがったな。優ちゃんは何とか助けてやりてぇが』
 ガルー・A・A(aa0076hero001)も、顎先に手を当てて呟いた。
「確定じゃないけど、黒に近いグレーよね」
 榊原・沙耶(aa1188)も、ガルーに同意する。
 神原優の証言を全部信じるならだけど、と内心で付け加えるが、それは口には乗せない。
「名前がネットで検索出来ない世界的オペラ歌手なんて、この情報化社会じゃあり得ないわ」
「でも、歌上手い子ばっかり狙うとか、理由があんのかな?」
 椅子の背凭れに背を押しつけるようにして伸びをしながら、会津 灯影(aa0273)が疑問を呈する。
「何らかの好みはある筈だよね。優ちゃんの話によると、個人レッスンて指名制なんでしょ?」
 無差別でなさそうな辺りは、リュカも気になっていた。
 彼の隣に座っていた征四郎は、ポンと椅子から飛び降りると、優の傍に歩を進め、その腕にそっと手を添えた。
「カンバラ。もう少し詳しくお話聞かせて頂けますか?」
「え?」
 詳しくって何を、と戸惑う優に、リュカが視線を向ける。
「亡くなった四人の実技成績や評判が知りたいな」
「共通点などがあれば、それも。歌がとりわけ上手いとか……ええと」
『傾向があるのか、とかな』
 言葉を探す征四郎を助けるようにガルーが付け加えると、優は口元に拳を当てて俯いた。
「そう……ですね。亡くなった四人は、いつも実技試験で五位以内に食い込んでましたけど……」
 へえ、という空気がその場に満ちる。
「私も個人的には、彼女達は上手かったと思います。特に、歌苗は」
 言い止して、優は一瞬唇を引き結んだ。亡くなった友の名をつい口に乗せて、悲しみが思い出された、という表情だ。
「亡くなったのは、女性だけですか?」
 痛ましげに眉根を寄せながらも征四郎が先を促すと、優は首を振る。
「……ううん。男子も一人……」
「とにかく、綺麗な歌声が好きなら、きっとわたしの美声でイチコロよね」
 レミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001)は自信満々に言うと、腕組みしたまま優に目を向けた。
「話は良く分かったわ。安心なさい、あなたを死なせたりしないわ」
「しかし、高校か……潜入捜査は俺には厳しそうだな」
 狒村 緋十郎(aa3678)が難しい顔をして零す。
「そっちはレミア、任せるぞ」
「えぇ。女子高生にしてはちょっと幼く見えるかも知れないけど……まぁ、髭面のおっさんよりマシでしょうね」
 と言いつつ、チラと緋十郎に視線を投げた。彼と同年代の男性諸氏が聞いたら、「誰がおっさんだ!」とこぞって怒り出しそうだが、当の緋十郎は無反応だ。
「では、我は音大声楽科のわいるどぶらっど編入生という体で行くか」
 楓(aa0273hero001)が、楽しげに言う。
「情報からすると、特別講師とやらが人でないのは確かであろう。歌唄いばかり狙うとは、中々の美食家のようだな」
「その先生についても、もうちょっと情報が欲しいよね。潜入するなら、他の先生方に協力を要請した方がいいだろうし」
「その役は私が引き受けるわ」
 リュカの言葉に、沙耶が眼鏡を押し上げながら答えた。
「私は敢えてHOPEの捜査員として動くから。皆の潜入に関して、HOPEにも頼んで根回ししておくわ」

「すみません。編入志望の紫です」
 ガルーと共鳴し、十八歳の青年の姿に変じた征四郎は、優の通う高校の受付口で典雅に頭を下げた。その身には、HOPEを通じて調達した他校の制服を纏っている。
「同じく、編入志望のレミア・ヴォルクシュタインよ」
 ふんぞり返ったレミアも、編入生を装う為、セーラー服を着ていた。
「同じく、小鳥遊です」
 同様に他校の制服を着た小鳥遊・沙羅(aa1188hero001)が、ペコリとお辞儀をする。
「俺達は保護者で付き添いです」
 仕上げに、リュカがきっぱりと笑顔で締めた。明らかに十代前半にしか見えないオリヴィエを連れて、保護者で付き添いもないものだ。と通常ならツッコまれそうだが、沙耶が言葉通り根回ししてくれていたので、五人は特に咎められる事なく応接室へ案内された。
 HOPEのエージェントだと知らされていた所為か、今日の所は自由に見学を、という許可を得て、レミアと沙羅はそれぞれ校内へ散って行く。
 予め、教師陣に話を聞きたいと申し入れておいたリュカ、オリヴィエ、征四郎(とガルー)はその場に残り、更に奥の間へと通された。

「本当に先輩なんですかぁ?」
「何か見た事ない感じだけど」
「高校はちょっといただけで、他の学校行ってたんだ。大学はここの付属だよ」
 一方、校内へ入るなり女子高生に取り囲まれた灯影は、しれっと笑顔で受け答えしている。
「専攻は?」
「ピアノ科。友達は声楽科なんだ。今度編入するんで、別に校内回ってるけど、編入早々主席らしくてさー」
 しかし、『声楽科』という単語が出た途端、黄色い声で彼を囲んでいた少女達は、急に静かになった。
 だが、灯影は構わず言葉を継ぐ。
「そう言えば、高校の声楽科に特別講師が来てるんだって? 友達がすっげぇ興味あるって言ってたんだ。個人授業って、大学生でも受けられるのかな」
「先輩! ちょっと」
 すると、すぐ傍にいた少女が灯影の腕を引っ張った。
 少女に導かれるままについて行くと、やがて彼女は人影が疎らになった通路で足を止めた。更に用心深く、誰も聞き耳を立てていない事を確認すると、声を潜めて言う。
「マズいですよ」
「何が?」
 わざと目を瞠って見せると、付いて来た別の少女も口を開く。
「今、私達の間じゃ、あの先生の事はタブーなんです」
「タブー?」
「私達から聞いたって言わないで欲しいんですけど、あの先生、呪われてるんです」
「どういう事?」

「あの先生の授業受けた人、皆一週間くらいで死んでくんすよ」
「四人も続いたら、もう偶然じゃねーし」
 臨時のスクールカウンセラーという名目で、その日一日保健室を譲って貰った良咲と花道も、早速核心にぶつかっていた。
 男子生徒が集るテーブルの中心には、メイクとスーツで、外見より年上に見えるように工夫を凝らした良咲がいる。
 その脇で、花道も書類整理をする振りをしながら、テーブルでの世間話に耳を傾けた。
「それで、学校側は何もしないの?」
 頬杖を突いた良咲は、さり気なく先を促す。
「うーん……先生達は分からないけど、校長先生は何も」
「じゃあ、被害者のご両親とかは?」
「それは――」

「被害届が出てない?」
 外務省の入国管理局を出た緋十郎は、所轄の警察署に調査に出ていた沙耶からの電話を受けて、鸚鵡返しに言った。
〈正確には一度出された被害届を、校長が取り下げに来たそうなの〉
 沙耶の話によると、被害者の両親は、学校側から碌に説明も受けられなかった為、何か事件性がないかを調べて欲しい旨を警察に届け出ていた。
 しかし、三人目迄が、その都度校長が一々両親代理を名乗って被害届の取り下げに来たと言う。
〈それを踏まえて、四人目の被害届は受理しなかったらしいわ。その後、ご両親がどうされたか迄は、警察では判らなかったけど〉
 吐息を挟んで沙耶が続ける。
〈この短期間に同じ学園内で四人も亡くなるなんて異常だし、警察が動かない訳がないと思ってたんだけど……被害届を取り下げられるとどうしようもない、の一点張りよ。で、そっちはどうなの?〉
「ああ。レミアにも連絡したが、やはり、この二ヶ月の入国者の中に、ガイア=ランテという人物はいないそうだ。外国のオペラ座への問い合わせは、HOPEに頼んである。俺はこれから役所に帰化人の記録を照会に行く」
〈了解。私はこれから学校へ行って、校長と面会するわ〉

 中庭には、至高の美声が響いていた。時に甘く包み囁く様な、繊細に蕩かす様な歌声に、男女を問わず生徒達が引き寄せられるように集まり始めている。
 何も知らない人間には、楓の姿はワイルドブラッドと映るだろう。
 その存在は世に知られ始めているが、この地元ではそう目にする機会もない。それが、練習室でもない中庭で類稀なる歌声を響かせていては、嫌でも耳目を惹く。
 楓には、それが狙いだった。餌を釣り上げる為なら、これ位はサービスしなくては。
 人だかりが出来た広間を見渡して、楓は一人ほくそ笑む。
 さあ、精々愉しませて貰おうか。

 聞き込みを一通りして回った沙羅は、最後に空いた教室がないか優に訊ねた。
 出来ればピアノがある場所がいい、と言うと、優は音楽室が並ぶ場所へと沙羅を誘う。空き室はなかったが、ピアノは空いていた為、沙羅はその前へ腰を下ろすと、鍵盤に指を滑らせた。
 教室にいた生徒が一斉に沙羅を注目する。
 弾き語りの曲は、以前PVに出演した時に覚えた『氷の鯨』だ。
 ランテに対する撒き餌の目的もあるが、友を失った優にも聴かせたい歌である。
 最後の一音を歌い上げると、その場にいた生徒達から拍手が沸き起こった。が、不意にその拍手が止んだ。代わりに上がった、一際大きな拍手に視線を向ければ、そこには華やかな美貌の女性が佇んでいる。
「ランテ先生」
「知らなかったわ。神原さんにまだこんな素敵なお友達がいたなんてね」
 沙羅も会釈して、女性を見上げた。これが、例の――
「お友達の歌を鑑賞している位ですもの。そろそろ、元気も戻ったのじゃなくて?」
「あ、あの――」
「先生!」
 沙羅は、言い淀む優の手首を、ランテの死角で握って立ち上がる。
「何か?」
「あの……もし、神原さんの稽古の延期中お時間があったら、是非先生のレッスンを受けたいんですけど」
 ランテは、沙羅を面白そうに見つめた。沙羅も、警戒されないように気を付けて彼女を見つめ返す。
 数瞬の後、彼女はふっと笑った。
「貴女はここの生徒じゃないでしょう?」
「ええ、まあ」
 今日は見学で、と尻窄むように言うと、ランテは笑顔という名の無表情で続ける。
「正式に編入したら、いらっしゃいな。その時は歓迎するわ」

「何よ、あいつ……! わたしの歌声に見向きもしないなんて、よっぽど見る目が……いや、聞く耳がないのね!」
 一通り調査を終えたその夜、学内の講堂を借りて集まった中で、レミアはお冠だった。
 その辺の生徒に、ランテの通りそうな場所を聞き出し、記憶にある古いドイツの鎮魂歌をしっとりと歌い上げて回ったというのに、肝心のランテは引っ掛からなかったのだ。
「にしても美人さんだねぇ、彼女」
 ランテの履歴書の写真を見て言うリュカに、オリヴィエが透かさず『鼻の下は伸ばすなよ』と釘を刺す。
 聞き込みと、事件解決迄の協力を教師陣に要請し終えたリュカ達は、あの後、校長室に向かい、同じく校長に面会に来た沙耶と合流した。共に面接し、やはり洗脳されていると判断した為、征四郎がその場でクリアレイを行い、既に校長の洗脳は解除されている。
 履歴書やその他諸々は、校長から借りたものだ。コピーはHOPEに送り、調査班で照合済みである。
「緋十郎の調査からも、こんな人物は実在しないのは判明済み」
『どう見ても真っ黒だな』
 気を取り直したらしいレミアの呟きに、ガルーも頷く。
「それに、隠蔽体質も徹底してるよね」
 唯一ランテと接触した沙羅の話に、良咲は唇を尖らせる。
 出来ればエージェントの誰かが立候補して、個人レッスンを受けられればと思っていたのだが、難しいらしい。同じ目的を持って潜入していたレミア、楓も落胆の色を隠せなかった。
 一拍の間の後、エージェント全員の視線が優に向く。
「え?」
「……あのさ、優ちゃん」
 注目されて戸惑う優に、良咲は思い切って口を開く。
「一度だけ、レッスンを受けてくれないかい」
 すると、優はあからさまに怯えた表情で体を震わせる。そんな彼女の隣に立った征四郎が、その手をそっと握って優を見上げた。
「大丈夫です。カンバラには征四郎達が付いてます」
「そう、キミの安全は必ず守る、約束するから」
 征四郎と良咲を順に見、顔を上げた優に、エージェント達は各々力強く頷いて見せる。
 やがて意を決したのか、青い顔をしながらも、優は頷き返した。

 翌日の午後。
 通常の授業を終えた優は、緊張の面持ちでレッスン場である第一ホールの前に立った。
 延期していた個人レッスンを始めたい旨は、今日の朝一でランテに伝達済みだ。
 縋るように抱えたバッグに回した腕に、力が籠もる。その腕に、征四郎と共鳴し、今日は表に出ているガルーが優しく手を触れた。
『大丈夫だ、落ち着け』
「あ、の」
 雰囲気の違いに戸惑ったらしい優に、ガルーは肩を竦めた。
『チビは曲のレパートリーが乏しいからよ。それより、深呼吸しろ』
 言われた通り一つ深呼吸した優の背後から、同じく相棒と共鳴を済ませた黒衣のレミアが軽く肩を叩く。
「言った筈よ。あなたを死なせたりしないわ」
 他のメンバーは、教師陣に要請し、ランテが不在の間にこっそり会場入りしている筈だ。
 特にリュカは、何らかの策があるらしく、「ちょっと音響設備に細工しにね」等とそれこそ歌うように言って一足先に出発している。
『全員、配置に付いてるか』
 事前に準備したイヤーカフ型の通信機に、ガルーが声を掛ける。各々から「是」の意が返るのを確認すると、ガルーはレミアと目で頷き合い、次いで優を促した。
 頷いた優がホール後方の扉を押し開けると、ホールの席で待っていたらしいランテが立ち上がって振り返り、優を迎えた。
 扉の死角に張り付いたレミアとガルーは、優が客席の間の通路を舞台に歩いて行くのを見守る。それを視線で追うランテの注意が、扉から完全に逸れた隙を狙ってホールに滑り込んだ。
 最後列の席の後ろに身を潜め、ガルーはライヴスゴーグルを装着する。
 舞台でランテと短くやり取りした優は、舞台に備え付けのピアノの蓋を開けた。ランテは客席に戻り、腰を下ろす。
 優の指先が奏でる簡単な音階に合わせて、澄んだ声がホールに響いた。単純な発声練習でさえ聴き惚れるような声だ。それが、ライヴスゴーグルを通すと、明らかに一つの場所に吸われていくのが見える。その先にはランテがいた。彼女の体は、ゴーグルを通さない状態で見ても、淡い光を放っているのが判っただろう。
 直後、鋭い光がランテを直撃する。衝撃音に驚いた優は発声練習を中断し、悲鳴と共に通路へ転がったランテは、周囲を見回す。
〈正体確定、彼女は愚神だわ〉
 通信機から、パニッシュメントを放った沙耶が告げる。
〈皆、耳を塞げ!〉
 次いでオリヴィエの声が叫んだ瞬間、下手としか言い様のない歌が大音量でホールに満ちた。
「きゃあぁああ!!」
 ランテは悲鳴を上げて耳を塞ぐ。
 前日の調査結果から、下手な歌が苦手なのでは、と推測したリュカが、昨日の内にネット上から掻き集めた「下手な歌」が、傍迷惑な不協和音を奏でてホール一杯に広がる。効果は覿面だ。ランテは背を丸めて通路に蹲った。
 優も耳を塞ぎながら、チラと舞台の袖に目を向けた。舞台袖で音響を操作しているオリヴィエと視線が合うと、彼は不敵に笑って手招きする。
 しかし、ランテも音響設備の存在は知っていたらしい。
 優がオリヴィエの方へ足を踏み出すのと同時に、ランテは素早く起き上がると、耳を塞いだまま口を開けた。
「させるか!」
 証拠映像を撮る為、設置していたカメラの傍にいた良咲が、素早く弓を構え、ファストショットを放つ。しかし、構わず歌い始めたランテの前に、放った矢は消し飛んだ。
 不協和音をどうにかしようと、ランテは苦悶の表情で足を踏み出す。良咲とオリヴィエが優を庇う様に彼女の前に飛び出し、他のメンバーは隠れ場所から一斉にランテに襲い掛かった。
 沙耶だけは、味方のダメージコントロールの為に、後方の席で油断なく身構える。
「我が力、喰らえるものなら喰ってみろ! 行くぞ、灯影!」
 拒絶の風を纏った楓が高らかに宣言する。
『痛くない感じで頼む!』
 共鳴した灯影は、楓の中で気持ち身を縮めて答えた。善処はしてやろう、と言いながら、楓がランテの放つ衝撃波を避ける。
 ガルーも槍で衝撃波を凪ぐように相殺しながら近接戦を試みるが、相手も中々接近を許してくれない。ランテは音響設備の方へ歩を進めると、目をカッと見開いた。彼女の声が増幅する。
 良咲は咄嗟に優を抱えて床を蹴り、オリヴィエもその場を飛び退く。直後には、三人が立っていた場所が舞台ごと抉れていた。ピアノも音響設備も破壊され、ホールを包んでいた不協和音が止む。
 オリヴィエは透かさず弱点看破を発動するが、特にこれと言った部位は見当たらない。
『となると、やはり喉……声帯狙いか』
『校長先生も歌で洗脳されてたっぽいもんね』
 通信機からオリヴィエの呟きを拾ったのか、灯影が言う。
「ならば、喉を潰してやれば良い事よ。絶望を与えてやるのは実に心地いいものだ」
 扇を手に、楽しそうに舞う楓に、灯影は『傾国と書いて外道と読むのか』とツッコむが、楓は頓着しない。
 攻撃を防御しようと歌い始めたランテに合わせて、ガルーも歌いながら槍を振るう。眉根を寄せてこちらを見たランテに不敵な笑みを浮かべて見せ、同コード上で唐突に半音ずらしたり、拍を切り替えてその瞬間に槍を突き出したりして翻弄する。
 不快げに歪んだ美貌が、一瞬歌を途切れさせた。刹那、レミアの放った蛇龍剣が鞭のようにしなって電光石火で襲い掛かる。ランテはそれをどうにか躱すが、透かさずガルーの槍が喉を狙う。
 ランテは何とか能力者達と距離を取ろうと足掻いた。歌い出す隙さえ得られれば――しかし、彼女が目的を達して油断した瞬間をオリヴィエは見逃さない。
 直後、フラッシュバンが炸裂し、ランテは悲鳴と共に目を押さえた。
 蹲るランテに、楓がブルームフレアを放つ。
「我の狐火はどうだ? 感想を歌って教えてくれ」
 急な無茶振りに節を付ける事はできず、灯影は単純に『熱そう』と答えた。
「貴様の語彙力不足にはほとほと呆れるわ」
 言いながら腕組みした楓は、ライヴスの炎が掻き消されたのに目を瞬く。ランテは視力を奪われながらも、歌う事で辛うじて防御を果たしていた。楓は舌打ちと共に身構え直す。
 だが、その歌声にはもう張りがない。ダメージは免れていないようだ。
 目を押さえていた両手を膝に突いて、立ち上がろうとするランテの足下を良咲の放った威嚇射撃が牽制する。
『ランテ!』
 名を呼ばれたランテが顔を上げ、声の方へ意識を向けた瞬間、オリヴィエが銃の引き金を絞った。放たれたライヴスの弾が彼女の視界から消える。
 瞠目し、弾を探すように視線を泳がせる彼女の後方に現れたそれが、うなじを捕らえた。
 再度膝を突くランテに、レミアが疾風怒濤と一気呵成の連続攻撃で、楓がリーサルダークで畳み掛ける。倒れ込んだランテの喉笛を狙って、レミアが玄武の籠手を振るい、止めとばかりにガルーの持った槍が同じ場所を突き刺した。
『喉をかっ捌けば歌なんか歌えねぇだろ。歌を散々食い物にしてきたお前に歌う資格はねぇよ』
 これで終いだ。
 呟いたガルーの声には、犠牲者へのやり切れない哀悼の意が込められている。
 まだ良咲と優が残る舞台に歩を進めたレミアは、息を吸う。吐息に乗った鎮魂歌が、ガルーのみならず、皆の意を代弁するように哀愁を纏って、伸びやかにホールを満たした。

「有難う、ございました」
 戦いまで目の当たりにしてしまった優が、やっと気を取り直す頃には、陽が暮れかけていた。
「これでもう大丈夫だよ」
 良咲が、能力者達を代表するように優に声を掛ける。
「友達の事は残念だったけど……でも、良かったね!」
 差し出された手を握った優は、微笑で答えたが、その笑顔はどこか悲しみを含んでいる。良咲の言う通り、友の事がまだ引っ掛かっているのだろう。
 それを見兼ねたのか、普段無愛想なオリヴィエが珍しく口を開いた。
『今、生きれて良かったと素直に思うのは難しいかも知れない、が……』
 良咲と手を離した優に、首を傾げるように見つめられて、『いや、その』と焦るように言葉を探す。
『何を言うより、あれだ』
 優から微妙に視線を逸らしながら、オリヴィエは辿々しく言葉を紡いだ。
『あんたの歌を、いつか街角かテレビか、どこかでまた聴けるのを、凄く、望む』
 これがオリヴィエの精一杯の励ましだったが、その心情は、他の者にも理解できた。
「そうだね。発声だけでも凄く綺麗だった」
「今度はちゃんと歌で聴かせて下さいね」
「私も聴きたいわ。学内発表会みたいなものがあれば、誘って欲しいわね」
 リュカ、征四郎、沙耶が口々に言う。ガルー、沙羅、花道、緋十郎は勿論、レミアまでもが、無言で同意を示すように頷いている。
「我も同感だ。貴様、修練次第では傾国の歌声になれるぞ」
「あ、今のは聞かなかった事にした方がいいよ。下手するとこの人みたいに外道になっちゃうから」
 楓の感想を遮った灯影のツッコみに、爆笑が響く。
 エージェント達の笑いに釣られて吹き出した優の目には、何の感情からとも付かない涙が滲んでいた。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
    人間|31才|男性|攻撃
  • 仄かに咲く『桂花』
    オリヴィエ・オドランaa0068hero001
    英雄|13才|男性|ジャ
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
    人間|10才|女性|攻撃
  • 優しき『毒』
    ガルー・A・Aaa0076hero001
    英雄|33才|男性|バト
  • 美食を捧げし主夫
    会津 灯影aa0273
    人間|24才|男性|回避
  • 極上もふもふ
    aa0273hero001
    英雄|24才|?|ソフィ
  • 楽天家
    片桐・良咲aa1000
    人間|21才|女性|回避
  • ゴーストバスター
    尾形・花道aa1000hero001
    英雄|34才|男性|ジャ
  • 未来へ手向ける守護の意志
    榊原・沙耶aa1188
    機械|27才|?|生命
  • 今、流行のアイドル
    小鳥遊・沙羅aa1188hero001
    英雄|15才|女性|バト
  • 緋色の猿王
    狒村 緋十郎aa3678
    獣人|37才|男性|防御
  • 血華の吸血姫 
    レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001
    英雄|13才|女性|ドレ
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