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暴走フェンリル・ガール!
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依頼前の挨拶スレッド
最終発言2016/06/13 00:01:32 -
相談用
最終発言2016/06/16 14:08:28
オープニング
●都会の猛獣
男は声すら出せずに、目を見開いた状態で固まった。背筋が冷たくなったのも、体が震えるのも、冷凍庫の寒さのせいではない。隠居した父から受け継いだ精肉店。大きくするという野望もなければ、経営が傾くという危機もなかった。
解体前の肉を吊るした冷凍庫は、先日よりもがらんとしていた。当然だ。肉が減っていたのだから。
(泥棒? いや、それにしてはおかしい)
天井からいくつも吊られた肉の塊たちは、ところどころ引きちぎられ、あるいは食いちぎられ、見るも無残な姿になっていた。
(食いちぎるって……誰がそんなことをする?)
下町とはいえ、都会の真ん中でこれはないだろう。山登りをしたければ、小旅行を覚悟しなければならない土地だ。
(おかしいじゃないか。まるで肉食獣にでも襲われたような……)
男はもう一度ぶるりと震えた。氷点下の世界で、背中を汗が伝った。
肉屋の主人は、冷静さを取り戻したあと、警察に通報した。そのころには、動物園からの脱走動物の仕業だとか、現実的な説明も思いつくようになっていた。ところがそのような事実はなかった。そして、同業者を中心に似たような被害が連続した。マスコミは「切り裂きジャック」ならぬ「肉裂きジャック」などとふざけた名前を付け、センセーショナルに報道したが、被害者たちは揃ってこう思っていた。
――あれは『食った』んだ。食うために裂いたに過ぎないのだ。
●灰色狼の少女
「私、ホラーって結構好きですけどね」
若い女性職員はその言葉を最後に雑談を終え、依頼の説明に入った。
「全員そろったみたいなので、始めさせていただきます。最近、巷を騒がせてる『肉裂きジャック』。警察の捜査が実を結んで、犯人が判明しました。こうして私が説明してることからお察しでしょうが、犯人は能力者でした。捜査に当たった方々は、自分の手で逮捕できず無念でしょうね」
刑事ドラマ好きを公言する彼女は、少し眉尻を下げた。ここからはHOPEの調査結果を報告するらしい。
「ヴィラン組織に入っている事実はなし。単独犯。それどころか能力者は女子高生です」
スクリーンにあどけない少女の写真が写る。「赤須 まこと(あかず まこと)」と名前が表示された。黒髪のボブカット。童顔で、中学生にも見える。
「こっちが英雄の呉 亮次(くれ りょうじ)。そして、これが共鳴時の姿ですね」
英雄という男は、鋭い目をした無精ひげの男だ。殺伐とした世界の気配をまとっている。
最後の写真は「ちょっと画質悪いです」の言葉と共に表示された。監視カメラの映像を切り取ったものだ。頭には灰色の耳がある。犬? 狼だろうか?
「耳が生えるくらいは、そんなに珍しいことじゃないですよね。ただちょっと変なのは……」
彼女は動画を再生した。先ほどの監視カメラの映像だろう。
「生肉をがつがつ食べちゃってます。しかも床にお肉を転がして、犬みたいに」
見た目のベースは、まことに近いだろう。少し身長が伸び、大人びてはいるが。動物のそのもののような行動との乖離が際立つ。
「みなさんには彼女の捕獲を行っていただきます」
例え罪を犯した者相手でも、過度の暴力は推奨されない。そこは警察もHOPEも同じだ。リンカーになって日が浅いようだから、混乱しているのかもしれない。あるいは――メカニズムはわからないが――ライブスが暴走した結果なのかもしれない。更生は十分期待できるだろう。ここまでは想定内。
「上は、彼女をHOPEへ勧誘しようと考えています」
そしてここからは想定外だった。
「もちろん、捕獲後、彼女が危険ではないとの判断が下されればです。どこかの施設で教育を施してから、実務に入ることになりますね」
職員はてきぱきと説明を進める。
「皆さんには、リンク状態の『彼女』に『自分は人間である』と自覚させてほしい、とのことです。戦闘中か、あるいはその後に」
たしかに、今後エージェントとしてやっていくためには、自分を『狼』と認識したままでは不便だろう。しかし、自分たちに務まるだろうか?
「大丈夫です。同じ能力者なんですから、いきなり力を得て戸惑う気持ちはわかるでしょう?」
自分を狼だと思い込む気持ちはわからないが。
「みなさんに感謝や親しみの感情を持ってくれれば、勧誘も成功しやすそうですしね」
……とにかく、それが指令ならできる限りやってみるしかない。
「区別のために、共鳴状態の姿を『フェンリラ』と呼ぶことにしました。みなさんはオーディンになるわけですね」
縁起でもない。どこで勘違いしたのか知らないが、北欧神話の最高神オーディンはフェンリルに飲み込まれる役どころだ。
自分たちが担うのは灰色の狼を『縛り付ける』役目。例えるなら、魔法の紐『グレイプニル』だ。
解説
【目的】
暴走状態にある能力者の捕獲、および説得
【場所】
自宅住所は調査済み。夜な夜な、生肉の匂いに惹かれて精肉店などに忍び込むために外出。
【対象】
仮称:『フェンリラ』
下記の二人がリンクした状態。便宜上HOPEがつけた仮称のため、本人はそう呼ばれていることを知らない。なぜか自分を狼だと強く思い込んでいる(能力に目覚めたショックによる混乱状態と思われる)。『狼』として行動すればするほど、なりきり度は上がるため、放置は厳禁。
見た目は、少々大人っぽくなったまことをベースに、灰色の耳が生え、歯や爪は狼のように鋭くなる(プレイヤー情報:AGWに太刀打ちできるほどの強度は持たない。噛まれたり、引っかかれたりしたら痛い)。二足歩行だが、床を這ったりすることに抵抗はない。
現状、人間の言葉は通じないが、段階的に相手の言葉を理解するようになる可能性は十分ある。
能力者:赤須 まこと(あかず まこと)
ごく普通の女子高生。帰宅部。『特別』になることに憧れており、怖がりながらも共鳴を受け入れる。両親には能力者になったことは秘密。
共鳴中は半覚醒のような状態。自分の意思で体を動かすのは難しいが、周囲の声はぼんやり聴こえる。方法によっては、まことの意識を揺り起こすことも可能。現在は怯えていて、起きないよう努めている節がある。
「肉裂きジャック事件」については、自分の関与にうすうす勘付いている。幻想蝶は赤いスカーフで、まことが身に着けている。
英雄:呉 亮次(くれ りょうじ)
どことなく猟師を思わせる無精ひげの男。サバイバル知識が豊富。格闘や銃の扱いに慣れている。共鳴中も意識があるが、なぜか自分を狼と思ってしまうのは止められず、本能のままに動いてしまう。けれど、あまり気にしていない。面白いことや刺激を求める性格。
非共鳴時は、まことが登校中は家に潜伏、夜には両親が帰ってくるため外で時間を潰している。
リプレイ
●バッドエンド
銃声。地面に広がる赤い色。赤い頭巾の少女は泣き叫んだ。
「酷いわ猟師さん! この子は私のお友達なのよ!」
少女に飛びかかった狼を射殺した。あの世界での最後の記憶だ。
(俺はなんてことを……。あの狼は『友達』にじゃれついただけだった。噛みつくのも組み合うのも、あいつらにとっては愛情表現じぇねえか)
気づけば目の前に別の少女がいた。大きな襟の服、胸元には赤いスカーフ。
「あなた犬を飼ってるんですか? 叱ってしまったんですか?」
「……ああ。酷く、叱っちまったんだ。あいつは許してくれねぇだろうな」
「仲直りできますよ。今度は優しくしてあげましょ?」
『犬を大切にすること』。実に無害で平和な誓約だったが、彼らの認識は間違っていた。こうして理性にすら縛られない灰色の狼は誕生したのだ。
●チーム・グレイプニル
HOPEの備品に目的の品がないことを確認した片桐・良咲(aa1000)はホームセンターに出かけた。相棒は彼女の忠告に耳を貸さず、英雄・呉の説得へと向かってしまったのだ。
(やめてあげなよ、って言ったのになぁ……説教、長くなってないといいけど)
やけにご機嫌なキィ(aa4016hero001)と苦い表情のレフティ(aa4016)も買い物に同行している。
「きっきっき、子猫ちゃんの捕獲かい」
「いや子猫ってか狼だから。……ちょ、何する気だ」
不埒な動きをするキィの手を掴んで下ろしながら、レフティが突っ込んだ。主婦が冷たい目をして隣を通り過ぎていく。
「『漁業用投網トアミーゴ』『丈夫で長持ち』?……これでいいかな」
良咲の押すカートにキィが奇妙なものを投げ入れる。
「消臭剤、メジャー、わさびチューブ? 何に使うの?」
「とびっきりの作戦だぜ?」
「誰にとってのとびっきりだよ……」
相棒の言葉を無視して、彼女はやはり嬉しそうに次の売り場へ向かう。
「デザインはやっぱ犬だな!」
キィはパペットを手にはめてパクパクと動かした。
「こんなところで何をしている」
髭面の厳つい男が、髭面の厳つい男に話しかけた。真昼の公園。いかにも堅気ではないオーラを放つ彼らに、近づこうとする者はいない。
「お前は英雄だろう? 俺は尾形。お前と同じ英雄だ。最近ここらで見かけるが、能力者と一緒にいるのか?」
黒い髭の男はしゃがんだまま、白い髭の男――尾形・花道(aa1000hero001)を一瞥した。退屈そうな表情だ、と花道は思った。
「HOPEには登録しているのか?」
「関係ねぇだろ、オッサン」
言われてみると呉 亮次は意外と若い。30歳前後だろうか。しかし花道もそれほど歳は変わらない。オッサン呼ばわりは干渉されることへの当てつけらしい。態度の悪さに、ますます説教へのモチベーションが上がっていく。
「おい、まずはこちらを向け。話をするときは人の目を見ろと教わらなかったのか?」
亮次は花道に背を向けたまま立ち上がり、足早に去っていく。
「おい! 待て、お前は……ん?」
花道は彼が見ていたものに気づいて眼を見開いた。
「野良犬?」
犬は警戒した様子もなく尻尾を振った。
「では失礼いたします」
電話を切った千冬(aa3796hero001)は首を横に振った。
「対象をおびき寄せるための建物ですが、HOPEには心当たりがないようです」
作戦に使う生肉の購入に行こうとしていたガイ・フィールグッド(aa4056hero001)、須河 真里亞(aa3167)、愛宕 敏成(aa3167hero001)は一様に困り顔をした。
「あ、そうだ。いっそのこと肉屋の倉庫を貸してもらったらどうだ? フェンリラのターゲットってもともと肉屋だろ?」
沈黙を破ってガイが言う。
「ご承諾をいただけるでしょうか?」
慎重な姿勢の千冬を仲間に引き入れ、肉屋へと出発する。何件か空振りが続いたが、フェンリラの被害を受けた店が協力を申し出てくれた。
「この通りまだ片付いてないんだ。犯人が捕まったら掃除させてやりたいね」
現在は2号店の倉庫を使っているが遠くて不便だと愚痴を漏らす。
「まあまあ。掃除だったらオレたちが協力するっす。よっと……これは捨てるモンっすか?」
「きみ、すごい怪力だなあ。うちで働かんか?」
「いや、オレには正義を守るという使命が……」
きびきびと働くガイは店長に気に入られたらしい。時折、雑談に付き合いながら準備を進める。
「気合だ! 根性だ! 燃えるぜ! ファイヤーッ!!」
ガイが大きな牛骨を持ち上げる。この店では一頭を丸ごと購入して加工するらしい。まだところどころ肉がこびりついている。
「おいしそう!」
真里亞がうっとりとした。それを見て千冬は閃いた。
「これは……! 作戦に使えそうですね。ご主人、こちらも処分してよろしいのでしょうか?」
店長は肯定した。
「では遠慮なく拝借いたします。同じようなものがまだあったら、お譲り頂きたいのですが」
骨に加えて、商品にならない切れ端などももらい受ける。血の滴る肉片は狼の気を引くのに申し分ないだろう。生肉の塊もいくつか購入し、吊り下げる。舞台は整った。
真里亞はまことに親近感を覚えるらしく、やる気満々だ。
「オヤジの扱い方よく教えて上げないと!」
「お前の扱い方は完全に間違っているからな? 年上にはもっと敬意をだな……」
敏成は英雄のことを思う。年下の少女と上手く関係を築けているのだろうか。
「彼女たちの誓約って何だろ?」
「はあ、人の話を……。うーん、生肉食い荒らしても問題ないんだから、限界を突破しろとか、欲望を解き放て的な?」
真里亞は妄想の中で生肉にむしゃぶりついたが、首を振って思考を元に戻した。
「生肉なんかじゃなくもっと違う事で発散させないと! 従魔引っ掻いたりとか、ヴィランに噛み付いたりとか」
「野生に戻るのはやめろよな……。フェンリラと間違われて捕まっても知らんぞ?」
大丈夫、と満面の笑みでいう真里亞。敏成はため息をついた。
「何を企んでるんだ?」
上質なスーツに身を包んだ飛岡 豪(aa4056)と女の子らしい私服のナガル・クロッソニア(aa3796)。凸凹コンビが意気揚々と出発した。事件の調査をしている探偵を装って、赤須 まことに接触するのだ。
家の近くで張り込み、まことが帰宅すると、家に入る前に話しかけた。もちろん彼女を選んだのは偶然、という体で。
「この辺りで多発している『肉裂きジャック事件』について調べているんだ。何か目撃したことはないか?」
まことはビクリと肩を弾ませた。自分の関連に気づいているのかもしれない。
「え! ええと……ない、かな」
疑念を抱かせないよう当たり障りのない質問を繰り返していく。助手役としてメモをとるナガルが間に雑談を挟む。
「その犬のマスコット可愛いですね! 犬が好きなんですか?」
「大好き!」
勢いよく言うまことを見てナガルは微笑んだ。赤須家の庭に目を移して言う。
「でも、飼ってはいないみたいですね?」
「お母さんが動物が苦手で……だからネットで動画を見て我慢してるの」
まことが苦笑した。最初は警戒していた彼女も、同年代のナガルと紳士的な態度の豪に安心したようだった。
「あの、二人はもしかして探偵さんなのかな?」
まことは眼を輝かせている。尊敬と好奇心のたっぷりこもった熱視線。豪はナガルを見る。ナガルは頷いた。
「HOPEって組織を聞いたことがあるか? 俺たちはそこで働いているんだ」
「な、名前くらいは知ってるけど……」
まことは能力者であることを隠したいようだ。自分の正体について悪い予感がしているからだろう。逮捕されることを恐れているのかもしれない。
「格好良いな~! そういうのって”特別”って感じ。映画や漫画みたい。私は……普通だから」
わざとらしいくらい高いテンションで、彼女なりにごまかそうとしている。嘘が下手なのだ。『普通』という言葉を発するときに痛そうに顔を歪めたのは、それが彼女のコンプレックスだったからだ。
「困った事があったら、話してくれ。必ず力になる」
それは能力について悩む彼女に向けての言葉だったが、事件に怯える一般人への言葉としてもおかしくはなかっただろう。彼女の不安を少しでも減らせたら良いと豪は思っていた。
●フェンリルを縛るのは
時刻はまもなく12時。三日月が頼りなく照らす中、赤須家の側に身を潜めて待機する。共鳴したレフティが豪から肉を受け取っていた。ナガルと千冬はその横で一言交わし合う。
「大丈夫だよって、その心はきっと伝わる……そうだよね?」
「ええ。……最初は危険な事からになりますが、どうぞお気をつけて」
千冬の姿が消え、ナガルの髪と目の色が変わる。彼女は昼間のまことの様子を思い出しながら、生肉を布製の袋に詰めた。袋からピンク色の汁が浸み出す。
数分後、フェンリラが現れた。鼻をひくひく動かしたかと思うと、こちらに向かって駆けてきた。
「…赤須さん。私、あなたの事絶対に助けてみせますから!」
ナガルは走り出した。軽やかなステップで爪や牙から逃れる。猫と狼の追いかけっこが始まった。
誘導役以外のメンバーは倉庫に居た。小声で話すのは真里亞と敏成だ。
「ちょっと”狼遊び”一緒にしたいかな?」
「いや、狼に成らん様にするのが依頼だろ?」
「どっちにしろリンクしたら狼っぽくなるんだから、全否定したらHOPEで仕事できなくなっちゃうよ。だから一緒に遊んでコントロールの仕方を勉強するんだよ」
「……珍しく真里亞が正論を言っている」
天変地異の前触れか、敏成は思った。
「彼女が真里亞に懐いてくれるといいよね。暴れるようならボクたちがサポートするよ」
良咲が言う。倉庫には生肉や骨が吊るされ入口は開け放たれている。あとは到着を待つだけだ。
狼から逃げるエージェントたちは、走りながら幻想蝶の中に肉を入れる。レフティ立案の作戦だ。ホームセンターで買った消臭剤はそれぞれの幻想蝶の中にある。匂いが消え、フェンリラが不思議そうに鼻をひくつかせる。少し移動して肉を取り出すとフェンリラが匂いを辿って追って来る。捕まりそうで捕まらない獲物。狩りに夢中になってくれているようだ。
(もう少しだ!)
豪は拾った小石を投げてフェンリラの気を引きながら走る。誘導という行為の特性上、あまり敵から離れるわけにはいかない。すると追いつかれて攻撃される可能性も高くなる。相手の気を散らせれば十分だ。味方のダメージは少ない方が良い。ちらりと見た程度だが、ナガルもレフティも怪我はない様子で豪は安心した。
倉庫が見えてきた。フェンリラの鼻が新たな獲物を発見した。さっきまでとは比べ物にならない濃厚な肉の匂いが灰色の狼を誘っていた。
倉庫内。夢中で特大の骨にかぶり付くフェンリラに、大きな影が近づいた。二足歩行の大狼は彼女の隣で別の骨についた肉を食べ始める。フェンリラは驚いた様子で、肉を置いて隅に逃げた。大きな狼――今の主人格は真里亞だ――はもう少し肉をかじると後輩狼に餌を勧めた。フェンリラはそれを主従関係の成立と受け取ったらしく、走り出す真里亞の後をついてくる。
「こういう風に駆け回るのって気持ちいよね! でも、止める所は止めないとダメだよ?」
フェンリラは了解、というように吠えた。まことの声のようだが人格は彼女のものではなさそうだ。どうしたものか。見るとフェンリラは高い位置に吊るされたブロック肉に見とれている。
「こうやってジャンプして取るの!」
彼女はますます喜ぶ。しかしいつまでも狼遊びに興じている場合ではない。狼としては彼女の尊敬を得られたようだが、今回の仕事は彼女を人間に戻すことだ。ひとしきり走り回って満足したところで、真里亞は足を止める。
「まこと、出てきて私と話をしよう?」
「グ……俺は……」
苦悩している様子でフェンリラが言う。
「良い奴だと思ったのに! 俺を叱るのか!」
不意打ちで突き飛ばされ、真里亞は壁に背を打ち付けた。歯を剥いて真里亞に対峙するフェンリラを、上から落ちてきた何かが包んだ。良咲が投げた投網だ。心証はともかく彼女は人間の言葉を話した。説得ができるかもしれない。
「きみは今、完全に包囲されている!」
なぜか刑事のようなセリフで説得を始める。倉庫の窓や扉はフェンリラを招き入れた後こっそり良咲が閉めていた。周りにはエージェントたち。包囲されているのは事実だ。
「これ以上罪を重ねるんじゃない! お母さんは泣いているぞ!」
共鳴して逞しくなった体とキリリとした表情は敏腕女刑事に見えなくもないが、シュールな画には違いない。
「お前も俺をいじめるのか! 犬には優しくしないといけないんだぞ!」
犯人の方もこの調子である。
「呉! お前は何をしてる! こんなことをしていたらお前だけではなく能力者まで処罰されてしまうかもしれないんだぞ」
これは呉に接触した花道の精神が言わせた言葉だろう。
「またアンタか! まことは俺の考えに賛成なんだ!」
狼の皮を被ったフェンリラの心、その隙間から亮次が顔を出す。自由を奪う網から逃れようとフェンリラがもがく。能力者だけあって網にはすぐ穴が開くが、絡まってしまって逃れることができない。
「出番だな」
すでに帰って待機していたレフティがフェンリラの前に立つ。右手が彼女の腹をつまんだ。「ふうん?」と妖しく笑ってメジャーを彼女の腰に巻き付ける。
(きっきっき、ちょいとは成長しているみたいだねぇ?)
(そりゃ肉ばっかり食ってりゃ……な?)
しかもこんな深夜に。ゆっくりと数値を読み上げるレフティ。フェンリラがそれを掻き消すように吠え、抵抗が心なしか激しくなる。
「逃げるなよ。お楽しみはまだまだこれからだぜ、子猫ちゃん?」
髪を撫で、息をたっぷり含んだ声で囁く。
「痛ッ!」
鋭い爪でのひっかき攻撃。腕に少し血がにじんだ。
「お、俺に触るな!」
フェンリラは怒りに任せて網を引きちぎる。後ずさりしながらレフティを睨み付ける。彼女は人間の心を思い出しかけている。勝利を確信してほくそ笑んだ。
網に足を取られて転びそうになるフェンリラ。それを後ろからやってきた者が支えた。豪だ。
「いきなり力を得て戸惑っているんだな? もう大丈夫だ、俺たちがついている!」
正面に回って目を合わせ、彼女の肩を掴む。そして情熱が赴くままに抱き締める。青春だ。三日月を真っ赤な夕日に、生臭い倉庫を河原に差し替えられないのが残念である。
「思い出せ! 君は人間だ! 家族を、友を、そして俺達を思い出すんだ!」
フェンリラは抵抗しない。というより硬直している。
「しまった。きつくしすぎたか?」
腕を緩める。絞め技や窒息では死なないリンカーだが痛みの感覚はある。
――バチン!
平手打ちに豪はよろめいた。乾いた音が倉庫内に反響する。野生を感じない、いかにも人間らしい攻撃であった。フェンリラは自分の身を抱くようにして逃げた。
「なんか反応が乙女じゃないかい?」
レフティの言い分はもっともである。自分は完全にセクハラ魔扱いだったが、今回はちょっとだけラブコメの香りがした。豪はあくまで友情のハグのつもりだったのだが。いや、むしろそのすれ違いこそがラブコメなのか。
レフティは右手に新たな武器を装着した。素早く飛び出してフェンリラの顔面を狙う。はっとした豪が彼女を庇おうとするが、攻撃が顔面に届く方が速かった。鋭い、顎へのパンチ。
……と見せかけて、彼は武器――犬のパペットの口をフェンリラの口に押し当てた。
「ヴ? ……グオオオオ!」
キッスはわさび味。パペットにはチューブわさびが塗りたくられていたのである。可愛らしい犬は緑色の口紅を差しているようでちょっと怖い。
(きっきっき、いやねぇ、お姫様の目覚めといったらやっぱり王子様のキスだろう?)
(ひでぇな)
痛みに吠えるフェンリラ。錯乱した彼女の攻撃を受け流しながらナガルが近づく。狙いは甘くなっていた。しかし、至近距離に入ればさすがに回避が間に合わない。それでも彼女はまっすぐ進んだ。
「くっ」
肩口に噛みつかれながら、同じくらいの体格の少女をしっかりと抱き締める。
「……赤須さん、聞こえますか」
唸り声。自分は狼だと主張している。
「どうか、耳を閉じないで……目を閉じないでください。……あなたは、その力を制御出来るんです」
「無理……だ」
できますよ、と重ねて言う。
「だって、あなたは"特別"なんですもの。特別な……私達の、仲間なんですから!」
「特、別……? ……だめ、私は悪い子だから」
聞こえたのはまことの言葉だった。良咲が叫ぶ。
「そんなことはない! まだやりなおせる!」
「最初の内っていろいろ考えちゃうと思いますけど、大丈夫です。あなたはひとりじゃありません」
フェンリラの目から涙が零れ落ちた。次の瞬間、ナガルの腕の中には泣きじゃくるまことが残り、亮次はその側にへたりこんだ。共鳴が解けたのだ。
暴走は終わった。フェンリルを縛ったのは、ひどく優しい魔法の紐だった。
●肉パーティーは賑やかに
早朝の河原からは食欲をそそる匂いが立ち上っていた。
「うんめぇ~!」
他の人の分まで食べつくしそうな勢いで食べるガイを豪がいさめる。しかし彼のペースもなかなかである。戦いの後のBBQはうまい。朝から肉? 上等じゃないか! 最初は遠慮していたまことも、彼らに促されて一口食べると笑顔になる。
レフティは気まずそうにまことに近づき、頭を下げた。
「いろいろ悪かった! これは反省の印だ」
ソフトクリーム型に絞ったわさびを肉に載せて食べたレフティに、まことが焦ったように水を差しだした。
「いいの! こっちこそひっかいてごめんね!……そ、それに……」
側にいた真里亞の背に隠れ、怯えた目でキィを見る。
「どうしたんだい子猫ちゃん? ほぅら怖くないよ~、きっきっき」
「その手をやめろ。怖がってるだろ……」
たれ皿に通常のわさびソースを注ぎながらレフティが言う。反省しているのは彼だけらしい。
一方、真里亞には気になっていたことがあった。
「まこと達の誓いってなんなの? あたしたちは”血の源を知れ”って不思議な声がしたんだけど……」
「誓い?」
まことは不思議そうに言葉を繰り返す。
「もしかしてあれかな、亮次さん? 『犬を大切にすること』」
皆は面食らった。亮次はきまり悪そうに前の世界での悲劇を語った。それが誓約を歪んだ形に変え、フェンリラは暴走したのだ。しかも亮次自身はあまり危機感を持っていなかったらしい。
「盗みくらいでそんなに重い罪になるなんて……ここは恐ろしい世界なんだな」
というのが彼の供述だ。
「私にはそういう事情は無いの。ただ、しつけの動画とかは苦手だった。犬を叱るなんて可哀想って」
彼女の言葉が過去形であることに安心しながら、花道が言う。
「だがそれで犬が人に迷惑をかけてしまったら、犬も飼い主も不幸だからな」
「うん、大切にするのと、甘やかすのって違うんだよね」
花道の説教モードを警戒した良咲だったが、先にまことが話し始めた。
「皆さん、叱ってくれてありがとう。私ね、ずっと特別になりたかった。だから契約したの。だけど、そのせいでこんなことに……」
「バカ、お前は俺に巻き込まれただけだろうが。なあアンタら、捕まえるなら俺だけにしてくれよ」
「待て。確かに泥棒は正義に反するけど、ふたりとも混乱してたんだろ?」
「情状酌量の余地はある。それに提案があってな」
豪とガイが亮次を止めると、真里亞が俯いたまことの肩を叩いた。
「HOPEに来なよ! 本当の”特別”になれるよ……街の人たちを守って……ちょっと危ないけどね」
「呉も、罪滅ぼしをするつもりならちょうどいいだろう?」
花道が言う。ふたりは喜んでその申し出を受けた。
「呉、お前がしっかり能力者を支えてやらなければいけないんだぞ。そうだな、まず俺の場合は……」
そして、案の定説教を始めようとする花道の口に、良咲が骨付き肉を突っ込んだ。
「頑張ってね。ボクも初めてのことだらけで大変だったけど、今はなんだかんだで楽しくやってるからさ」
「最初はどうしたらいいのかわからなくて、かなり右往左往しましたよ。ね、ちーちゃん?」
「ええ、そうでしたね」
安心させるようにナガルが言う。千冬は彼なりに柔らかい表情で頷いて、お湯が沸いたヤカンの方へ向かった。良咲が話を続ける。
「HOPEならまことと似た悩みを持ってる人も見つかるかもしれないね」
「ええ。私も共鳴時ではないけれど、獣としての力があることは同じですし。だから、何時でも先輩を頼ってくださいね!」
「あたしも未だに野生に戻りかけちゃうときとかあるからさ、一緒に頑張ろうよ!」
「真里亞……そこは胸張って言うことじゃない」
敏成の言葉にまことが噴き出した。箸が転んでもおかしい年ごろの少女たちは楽しそうに笑っている。千冬はお茶を入れながら、遠巻きにそれを見守っていた。一方亮次は、豪やガイ、レフティとキィに交じって大食い大会をしている。
HOPEには新たなエージェントの加入という良い知らせも舞い込むことになる。これで万事解決だ。暴走狼を『正義の番犬』にするための訓練がこれから始まる。『フェンリラ』という名前も、お役御免だろうか。
「嫌ぁ~!」
河原から絹を裂くような悲鳴が上がった。キィがまことに何かやらかしたらしい。ともあれ、楽しい肉パーティはまだまだ続きそうだった。