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最終発言2016/01/07 03:32:40 -
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最終発言2016/01/04 22:18:21
オープニング
●色のない景色の命
空も大地も降る雪も吐く息も何もかもどこまでも真っ白な、ともすると空と地表の境も失せる、一見すると何もない、静かな世界。
こんな凍土にさえ人は住み、生を営む。
「あははっ、待てシェースチ!」
「やだよ! アジーン強いんだもん」
とりわけ子供達は元気だ。鼻息も凍てつくような寒波をものともせず、雪原を駆け回って雪遊びに興じ、笑顔を忘れない。ライヴスに満ち溢れている。
うまそうだ。
「ちょっとあんた達! 早く来ないと全部食べちゃうわよ! ほらシェースチ、アジーンなんかに付き合ってないで!」
「で、でも……」
雪合戦――と言っても戦況は一方的だが――に勤しむ二人の男の子へ、彼らよりも少し背の高い少女が彼女なりの言い方で食事の時間を告げる。
どこにでもある風景、だけどここも随分閑散としたものだ。
多い時は三十人近くも居た子供達が、今やたったの四人。新しいのを穫りに行った“ジェド・マロース”は戻る気配もないし、それどころか連絡ひとつ寄越さない。
今までこんな事はなかった。もしや――
「どうしたの? アル婆」
少女、セーミが私の顔を心配そうに窺った。気は強いが心根の優しい子だ。
「――なんでもありませんよ。さ、食事が冷めてしまう前に皆を連れておいで」
「うん……――きゃあ!」
そこへアジーンと呼ばれた少年が雪玉を投げつけ、それは少女のおでこで弾けた。
「へへーん、セーミのばーか。悔しかったらここまでおいで~」
「よくもやったわね……! 待ちなさい!」
セーミの闘志に火がついたらしい、彼女はアジーンの挑発に乗り、彼を追い駆け始めた。
「おやおや、しょうがないねえ」
あまり遅くなりそうならおしおきしなくては。子供達も――あいつらも。
私はいつしか三つ巴へと発展した雪合戦に背を向け、一旦家に戻る事にした。
万が一に備え、次の手も考えておくとしよう。
●白いほど鮮やかに
「ノーリ!」
全身雪にまみれた少女が、なお雪の降りしきる中、一頭の獣と向かい合ってぼんやりしている少年に声をかけた。
「あ…………ああ、セーミか」
ノーリと呼ばれた色白な少年は、よく見知った筈の少女に気がついてもまだ少し呆けた調子で、額を押さえたり首を振ったりしている。
「またルドルフと一緒に居たのね。もうお昼よ」
「ごめん、すぐ行くよ」
「変なノーリ」
誤魔化すように小首を傾げてから、ノーリはセーミを追い抜いて家へと歩き出した。彼女も怪訝そうにその後を追う。
「…………」
二人の少年少女が立ち去るのを、獣――ルドルフはじっと見詰めていた。
その口に大人の男性のものと思しき指をくわえたまま。
その顎に食事の後の血を滴らせたまま。
●彼の居ない彼の話
「年の瀬にお呼び立てして申し訳ありません。……これを」
謝罪もそこそこにオペレーターが卓上へ置いたのは、一枚の写真だった。
草原に建つ煉瓦造りの一軒家の前、最初に目に付くのはロッキングチェアに座る人の良さそうな老婆と、その隣に棒立ちしている仏頂面の男性。
そして、二人を囲むようにして二十八人もの子供達が並んでおり、そのうちの男の子三人と、女の子一人の顔が赤いペンで囲まれている。
更に、隅の方で犬とも狼ともつかぬ獣が行儀よく座っていた。
総じて彩度に乏しい身なりをしているせいか、あるいは草原が色褪せて見えるからなのか、やけに古ぼけた印象だ。
「まず、このお婆さんの名前はアル、愚神だそうです」
彼女は棲家を中心に展開するドロップゾーンのゾーンルーラーだ。
そこでは、子供達がゾーンルールに支配されて本来の記憶を失い、アルを実の祖母、育ての親だと思い込んで暮らしている。無論、少しずつライヴスを吸い上げられながらだ。
皆、普段はどこにでも居る子供と同じように振る舞うが、実際はほとんどの物事に興味が薄く頓着しない。たとえば誰かが居なくなっても気に留めず、すぐ忘れてしまうといった具合に。
例外はアルに関する事。
子供達は『アルの事が大好きで、彼女の為だけに生を謳歌する都合の良い存在』と成り果てている。挙句、声変わりや初潮など肉体的な性差が顕著になると、ほぼ全てのライヴスをアルに奪われ、殺される。
遺体は野晒しにされ、“ルドルフ”と名づけられた従魔――写真の隅に居る獣――が、ライヴスの残りかすを求めてそれを食らう。
「そうして子供の数が減ると、アルの隣に居るこの男……指名手配中のヴィラン“ジェド・マロース”が、またどこからか子供を誘拐しては連れ込んでいたのだそうです。……これまでは」
ところが、つい先日このジェド・マロースの方からH.O.P.E.サンクトペテルブルク支部宛に、クリスマスカードが届いた。
「前述の情報は、全てこのカードからもたらされたものです。ご丁寧に写真を添えてね。また、これまで二十三人がアルの犠牲となり、今も赤ペンで囲まれているこの子達がドロップゾーンに囚われている事などが併記されていました」
更に彼は、イブの晩に会って話がしたいと待ち合わせ場所を指定してきた。
支部の担当官は罠の可能性を考慮して警戒網を敷きながら赴いたが、幾ら待ち続けても、ついに彼が姿を見せる事はなかった。
警戒網が察知されたのか、第三者のいたずらか――そう思っていた矢先、今度は、あろう事かアル自身がグリーディングカードを送って寄越した。
「こちらになります」
オペレーターは先ほどの写真の隣に、子供が手ずからこしらえたような、狼を模したカードを並べた。
* * *
H.O.P.E.の皆さんへ
この年越しは子供達と一緒にいかが?
マロースおじさんの事でも語らいながら新たな年を祝いましょう。
ご馳走を用意してお待ちしております。
アル婆より
* * *
書かれているのはたったそれだけ。一体何のつもりなのか。
「彼女の目的は判りませんが……このカードが届いた後、プリセンサーが居場所を割り出す事に成功しました。ロシア東部の、ちょうどこの時期は見渡す限り雪原の……本当に何もない場所です。主要な道路から離れているせいもあって、今まで気づかれなかったようですね」
では、招待にあずかり、愚神を退治して子供達を救い出して来れば良いのか。
だが、オペレーターは首を横に振る。
「ここは子供達の保護を最低ラインとしましょう。もちろん、できる事ならアルの打倒までと言いたいところですが……」
相手はゾーンルーラー、という事は甘く見積もってもケントゥリオ級。無理な深追いは避け、人命を優先して欲しいとの事だ。それに、いかな愚神もライヴスの供給源を断てば、以降の行動が活発となるは必定。H.O.P.E.としても捕捉し易く、早期に次の手を打てる筈。
「ジェド・マロースの足取り、わざわざ我々を招くアルの意図、彼女の能力など、懸念事項の多い案件です。どうか無事に――いいえ、あえてこう言います」
良いお年を。
解説
【目的】
子供達を生きたままドロップゾーンから解放する事。
(愚神アル撃破との両立は難易度「難しい」)
【舞台】
ロシア東部、雪原の中のドロップゾーン。
中心には煉瓦造りの一軒家。
【ヴィラン:ジェド・マロース】
本名不詳の能力犯罪者。連続児童誘拐の容疑で指名手配中。
自身の所業を霜の精になぞらえ、この名を自称。
アルの協力者だったが、なぜか彼女の情報をH.O.P.E.へ密告。
現在の足取りは不明。
【愚神:アル】
推定ケントゥリオ級ゾーンルーラー。
ドロップゾーンから出歩いた事は一度もない。
子供とそのライヴスを異常なまでに好む。
能力は様々な銃火器を使い分ける事以外不明。
自分に不都合がない限り仕掛けてこない。
【子供達四名】
事実上の人質。八歳~十一歳。
記憶を失い、アルの忠実な孫と化している模様。
アルの危急時には身を呈する可能性あり。
・アジーン:男。元気いっぱい。屋外を好む。
・シェースチ:男。弱気でアジーンとセーミの板挟み。
・セーミ:女。男勝り。家事をよく手伝う。
・ノーリ:男。無口で内向的。ルドルフと仲良し。
(※全員本名ではない)
【従魔:ルドルフ】
デクリオ級の巨獣。
人を襲う主な基準は「主にとって望ましくない事態」と「自分への害意」。
普段は狼に擬態し、子供達と遊びつつ人の出入りを監視。
※以上タレコミ、以下PL情報※
【スケジュール例】
・~夕方:
十二月三十一日、最速で午後三時頃到着。
アルはエージェント来訪を歓迎後、ご馳走の支度。
子供達は雪原や家の中で思い思いに過ごす。
・~夜:
子供達と共に晩餐(無害なロシア料理)。
座興としてアルはエージェントの考えを聞いてみたいと下記を問う。
「マロースおじさんはどこへ?」
あまりにも的外れだったり、つまらない内容だと……。
・~年明け:
子供達就寝。アルは夜通し編み物。ルドルフは外で哨戒。
【他】
・重体・邪英化判定の可能性あり。
リプレイ
●白魔
一面の白――恐らくそれだけなら、日本でも触れる機会はあるだろうけれど。
かくも広く雪に覆われ、空は雲に覆われ、自分達以外の何者も行き交う事のない状況ならば、どうか。
闇の漆黒と最早違わぬ白魔の情景は、きっと珍しい。
「閉ざされた色のない凍土で」
『ユカリ?』
「記憶も未来も奪われ、ただ生かされるだけ……」
バスに乗って以来車窓ばかり眺めている榛名 縁(aa1575)を慮るように、ウィンクルム(aa1575hero001)がその名を、心の所在を、確かめる。
『良心が働いたと?』
「……解らない。けど、きっと“彼”の心も凍っていて、それが……溶けた」
『なぜ溶けたのか……何が溶かしたのか』
「気になるなあ、それ」
『考え過ぎじゃないのか?』
縁とウィンクルムの後ろの席から、大宮 朝霞(aa0476)が思案げに口を挟めば、その隣のニクノイーサ(aa0476hero001)は対照的に気のない調子だ。
「ニック! 真面目に考えてよ。なんでマロースが愚神を裏切ったりしたのか、そもそも、なんで愚神に協力してたのか、とか」
『考えてるさ』
溜め息混じりに背中を椅子に預け、しかし自分の考えを明かす事はなく。
「マロースってロシアのサンタだよな」
朝霞達とは通路を挟んで横の席の雁間 恭一(aa1168)も会話に加わる。
「人攫いの名前にしては気が利いてるぜ」
『まあ、光るガラクタで釣るのは奴隷商人の十八番だからな』
『奴隷商――人質でも取られていたんじゃないか? それが愚神に喰われて従う理由がなくなった、とかな』
皮肉を込めたマリオン(aa1168hero001)の所感に、ニクノイーサはふとした思い付きを添える。
『そして直接会う事を要求。……H.O.P.E.の力を必要とする事情が?』
『自身の安全の確保か、さもなくば……』
仮説を引き継いだウィンクルムが疑問符を投げかけるのを、マリオンが彩り、しばし考えてから人の悪い笑みを浮かべた。
『……なるほど。子供らに情が湧いたか?』
「さあな? 人数も勘定が合わねえし、めんどくせえ仕掛けがあるかも知れん。そこら辺の事情には深入りしねえでさっさと生き残りを連れ帰った方が利口だな」
『謎の手紙に魔人の招待状だぞ? これで興が乗ってこぬとは貴様も相当詰まらぬ奴だな、雁間。不愉快なのは顔だけにしたらどうだ』
「そりゃすいませんでしたね、愉快なお顔のマリオン様」
後ろから聞こえるマリオンと恭一の言葉の売買に、志賀谷 京子(aa0150)は浮かない顔をした。
「物騒なお誘いね」
『京子はどう思っているんです?』
アリッサ ラウティオラ(aa0150hero001)がパートナーに問うたのは皆が盛り上がる誘拐犯についてではなく、マリオン曰く招待状を寄越した魔人の事。
「リスクを侵すくらい追いつめられてる。でも自信はある――かな」
『なのに、わざわざ乗ると』
「子供達は助けなきゃ。無視できないし、向こうもそれを判ってる」
『……厄介な相手ですね』
「そうだね、ほんとそう」
アリッサに首肯し、京子は愚神との駆け引きが既に始まっている事を、改めて実感した。
伏兵が潜んでいると決めてかかるくらいで丁度いいかも知れない。
「……会えば判るのかな、全部」
朝霞がぽつりと呟く。
愚神アル、従魔ルドルフ、四人の子供――ジェド・マロースと関わった数少ない者達。
いずれ感じ取り、知り得るには、彼らを通じるより他に方法がない。
それと同じように、仲間達の言葉と、想いに触れて。
「解き明かしに行こう――彼の物語を」
縁は居住まいを正す。未だ見ぬ無色の庭を遠く、見据えるように――、
●無色
正午過ぎ、バスはあるポイントで停まり、そこからはスノーモービルキットを取り付けた車両二台での移動となった。
更に時が流れ、僅かに晴れ間が見え隠れした頃。
天候に反して不自然に吹雪の渦巻く“壁”がその場所を囲っているのを、一同はやっと見出す事ができた。
「親鳥を待つ雛鳥気取りか、お粗末な愚神も居たものだ」
エージェント達が次々とドロップゾーンへ足を踏み入れる中、ダグラス=R=ハワード(aa0757)は、しばし境界線を眺めていた。
「一緒に行かないの?」
R(aa0274hero001)と共に降車した橘 伊万里(aa0274)が、不遜な男の背へ声をかける。
「餓鬼の救出や顛末はどうでもいい」
返って来たのは任務に対し心底興味がないとばかりの言い草。
「やりたい者に任せた方が良かろう、適材適所だな」
「適材……ね。貴方は何を?」
「知れた事、試すだけだ」
そうして吐き捨て、冷笑を浮かべ、男は歩き出す。
「愚神(奴)の間抜けぶりがどれ程のものかを――な」
己が目的、その欲望を満たす為だけに訪れた事を見せつけて。
「……忙しくなりそうね、R?」
風雪を抜けると、そこはひたすら何もない空間が広がっていた。
すぐにどこからか何度も吼えては唸る獰猛そうな声がして、次いで「静かにおしよ」と誰かが嗜めて――程なく。
坂道をえっちらおっちら登る老婆――愚神アルと、それを急かすように忙しなく行ったり来たりする狼の姿が、一同の目に入った。
「ようこそH.O.P.E.さん、来る頃だと思っていましたよ。つもる話もあるだろうが、丁度夕飯を仕込んでる最中でね。しばらく適当に……そうだね、――セーミ」
「はーい!」
遠目に窺っていたのだろう、老婆に呼ばれるなり十歳ほどの少女が軽やかに駆けて来る。
「皆さんを案内しておやり」
●忘却
「“七人”で暮らしているの?」
家の中に案内されるなりアリッサが子供達に色とりどりのロックチョコレートを配る中、その一人一人の顔が写真で印の付いていた人物と一致するのを確かめながら、京子はそれとなく尋ねてみた。
「五人だけど?」
「あたし達四人とアル婆だけよ?」
「……?」
「もしかしてルドルフの事?」
嬉しそうに菓子を頬張りながら口々にその人数を語る子供達を前に、京子と拓海は顔を見合わせる。
人数が多いのは承知の上だ。もう一人潜んでいる事を前提に、京子はわざとそう言ったのだが、これでは。
「あの、マロースおじさんは? お出かけしてるのかな?」
今度は荒木 拓海(aa1049)が訊く。
「マロースって……誰?」
「知らないのシェースチ? 霜の精じゃない!」
「セーミだって本の受け売りだろ!」
「何よ馬鹿アジーン! あんたも少しぐらい勉強しなさい!」
「お前こそ悔しかったらかけっこで僕に勝ってみろよ!」
「や、やめなよ二人とも」
客の前だという事も構わず口汚く罵り合うアジーンとセーミを、シェースチがおろおろと止めに入る。
いたって自然体の子供達に、京子も拓海も異様さを禁じ得なかった。
誰かが居なくなってもすぐに忘れてしまう旨は、オペレーターから聞かされてはいた。
だが、僅か数日外しただけで一切の記憶が抜け落ちたというのだろうか。
●証拠
『もういいかい』
柱に目を伏せて目隠しをするユリア シルバースタイン(aa1161hero001)が歌うように問えば、どこかでアジーンが「まーだだよ!」と応える。
何もかもが煉瓦や石で作られていて飾り気に乏しく、牢獄のように息が詰まりそうな居心地の悪い家で子供達もエージェントも思い思いに散り、それにかこつけて朝霞と縁は内外の間取りと地形を把握すべく歩き回っていた。
セーミのみアルを手伝うというので、これにはメリッサ インガルズ(aa1049hero001)がついて、その様子を窺うとの事だった。
建物は主に六つの子供部屋と二つの寝室、食堂とキッチンで構成されており、そのうちの子供部屋四つと寝室の片方は現在使われていないという。
――もーいーかい。
「まーだだよ……と」
マックス ボネット(aa1161)は早速マロースのものと思しき空いた寝室へ忍び込み、後ろ手にそっと扉を閉めて素早く室内へ視線を巡らせた。
大人用のベッドと机以外に目立った家財道具はなく、他にはひとつしかない窓辺に、枯れてお辞儀をする花の差された瓶がある程度か。
「――!」
だが、壁には夥しい数の写真が貼られている。
一枚一枚に日付と数字が書かれており、そのほとんどは丁度顔にかかるように赤い斜線が引かれ。
全て、子供の笑顔を撮ったバストショット。証拠過剰もいいところだ。
「なんてこった……」
気分が悪くなるのを堪えながら未だ斜線のないものを探すと、やがてそれに該当するアジーン、シェースチ、セーミ、ノーリの写真を見つけた。
それぞれ“1”“6”“7”“0”と記されている。
他にはないかと視線を移そうとした矢先、ふと、ノーリの写真だけ複数枚重ねられている事に気づき、マックスは眉をひそめた。
「なんだ?」
めくってみると、またしてもノーリのものと思しき無記名の写真と、もう一枚。 色素の薄い人形のような碧眼の少女のそれが挟み込まれていた。
見間違えようのない、美しい目鼻立ちだった。
●業
「私、ロシア料理って初めてかも……。いただきまーす」
『朝霞、少しは警戒しろ……』
メリッサとセーミが代わる代わる食卓へ並べたのはボルシチ、プロフ、ラグマンなどロシア料理に馴染みの薄い者にとっても比較的オーソドックスなメニューだった。
朝霞のようにすぐ手をつける者、他の者の様子を見てからスプーンを取る者などエージェント達の反応は様々だったが、この場で自ら会話を持ち出さないという点でのみ、皆一貫していた。
やがて――。
「いつも年越しは決まってこのアル婆と子供達、ルドルフ、そしてマロースが揃って迎えた。でも今年は彼が居ない。代わりにあんた達が居る」
空の器が目立ち始めた頃、アルがおもむろに話し始めた。
「せっかくだ、訊いてみるのも面白いかも知れないね。ねえH.O.P.E.さんや、『マロースおじさんはどこへ消えた』と思う……?」
この問いにある者は顔を見合わせ、またある者は片眉を吊り上げ。子供達は不思議そうに瞬きをしたり――そこへ、革靴の踵が二足分卓上にがちゃんと叩きつけられた。
「ものを尋ねる前に自分の考えを言ったらどうだ、愚神ならぬ駄神」
手付かずのボルシチを器後とぶちまけるのも厭わず、ダグラスは足を投げ出したままの姿勢で腕を組み、老婆を見下す。
「それとも餌を貰うだけの塵ゆえ自ら思惟できぬほど耄碌――』
だが、嘲笑がひとしきりの侮蔑を並べ立てた刹那――何者かが不遜な男に飛び掛かり、床へと叩き伏せた。
「っ!?」
それはたちまち巨大化し、食堂の一角を天井まで埋め尽くすほどの巨躯を以って狼藉者に圧しかかると、頭部目掛け大顎門を開く。
「くっ……!」
咄嗟に眼前へ右腕を差し出して噛ませると、すぐに血が噴き出し、ゴキリと固く生々しい音が体内と室内とへ鳴り響いた。
「おやめルドルフ。床が抜けちまうだろう」
アルの制止に巨獣のみならず皆が一瞬身を固くし、エージェント達が席を立とうとする――
「動くんじゃない」
――が、これもまた老婆が制した。
「行儀の悪い子は嫌いだよ」
子供達は気にならないらしく、依然として食に勤しんでいるのが薄気味悪い。
「やれやれ、愚神より馬鹿な生き物は居ないと思ってたんだけどねえ。ああ、駄神だったかい? それで……そうそう、マロースの話だったね」
●物語
躊躇いがちに口火を切ったのは拓海だった。
「――男は、心に苦しむ人々を見て辛く思いながら、けれど我慢して役目を、」
「誰の話だい?」
「えっ……その、」
「やがて」
怪訝な顔をされ拓海が口ごもったところへ、縁が助け舟をやる。
「やがて“雪娘”と出会って救われ、サンタクロースになった彼は、娘と共に色のある世界へ旅立った。色のない世界で生きる子供達に、鮮やかな色を贈る為に……」
「それからどうなったのかが知りたいとこだね」
「お婆さんと子供達を置いていったジェド・マロースは、その代償に……」
間を置かず、今度は京子が思案げに巨獣を一瞥してから老婆と目を合わせた。
「代償に?」
「……食べられてしまったのかな」
「なぜ? 愛しい“雪娘”と旅に出た筈なのに『なぜ食べられた』?」
京子と縁は顔を見合わせた。
出題者の方は興が乗って来たらしく、にこにこしている。
『その口ぶりだとアンタが一番よく知ってるんじゃないか? 婆さんよ』
「え? 何? どういう事?」
おもむろにニクノイーサが口を挟み、朝霞はびっくりしてしまった。
アルはと言えば「だったらこんな事訊きゃしないよ」と声を上げて笑っている。
『……』
果たしてそうだろうか――ニクノイーサは整理がてら頭の中で自問した。
長年連れ添ったマロースの人となりを熟知しているであろう彼女の事、やはりその顛末もおおよその見当はついているのではないか。
「あ――」
しばし沈思していた京子が声を上げる。
「言ってごらん」
促され、今一度縁と視線を交わす。彼は頷き、まずは自ら口を開いた。
「マロースは、自分の凍てついた心を溶かしてくれた“雪娘”を愛していた……」
「けど、“雪娘”の方は、彼を愛していなかった?」
そして京子が補完すると、老婆は満足げな笑みを浮かべた。
●キッドナップネゴシエーション
『まあ、机上で何を語らったとて所詮は遊び。だが、遊びが役に立つ事もある』
突然、マリオンが尊大な態度で、わざと知った風な事を口走った。
「何が言いたいんだい?」
『重要な事は結果であろう。貴公は確認しようとした。どこまで知られたのか、』
「そしてH.O.P.E.(俺達)が取引可能な相手かどうかだ」
『だが断る! 貴様がのたうち――』
せっかくの合いの手をぶち壊そうとした相棒の顔を、すかさず恭一がボルシチに叩き付け、子供達から笑い声が上がる。
『…………』
「悪いな、躾がなってなくて」
「構わないよ。続けな」
アルは気にした様子もなく、先を促す。
「俺達の任務は四人を連れ帰れば達成だ。余計な仕事はしたくない。あんただって手下の数は減らしたくないだろ」
「そうだとも。けどあんたもそこで這いつくばってる男と同じ思い違いをしているね」
「…………!」
人の好い笑みを浮かべるアルの脅迫を、恭一は即座に理解した。
それはここへ向かう途中、京子が言っていた事に通ずる。
対等な交渉を持ちかけるには、『子供達と等価』となる条件を提示しなくてはならない。
なぜならアルは子供達――即ち人質をどうとでもできるのだから。
「そっちの条件は?」
「――隣のあんた」
慎重な質問を無視して、アルは恭一の隣でずっと大人しくしていたマックスに声をかけた。
「まだ話を聞いてないね」
「と言うと? オヂさんの行方の事?」
おどけ気味に確かめれば、老婆は無言で頷く。
「さて……こいつは難しい」
頬を掻いて更に隣のユリアに目配せしてから、一度咳払いを挟んで、マックスは語り始めた。
「その人が本物のジェド・マロースなら例の謎かけをする筈だ、『寒いか?』とね。答えを知ってりゃプレゼントが待っていたんだろうが……そうだな、たとえば――“正しく答えられなかった子供”が居たんじゃないかね?」
「ほう?」
「そしてオヂさんはその子を“親”の下から『どこかに連れ去って』しまって……だから帰ってこない」
ここでの“親”はアルを、“正しく答えられなかった子供”とは二十八人目を示す隠語だ。
そして、マックスの意図を、どうやらアルは汲んだらしかった。
「連れ去られたのは『どんな子』だい?」
「どんな子かな。もしかするとあまり親に好かれていなかったり、元々身寄りのない……寂しい子供だったのかも」
「じゃああんたがジェド・マロースだ」
「…………。は?」
口を滑らせたというのか――単なる思いつきなのかは自分でもよく判らないが、とにかくそれを受けたアルがさらりととんでもない事を言い出したので、皆はもちろん、誰よりもマックス自身が一番目を丸くした。
そうして、大晦の晩餐は幕を閉じた。
ルドルフから解放されたダグラスは、朝霞と縁の治療を受けてなんとか立てるようになったが、骨折など一部の重傷までは癒えなかった。
●誘拐
子供達が就寝し、室外に居てさえ、耳を澄ませばその安らかな寝息が聞こえる頃。
マックスと伊万里が廊下を見張る中、恭一――今は青年期のマリオンの姿をしている――が自身の周囲を清浄なライヴスで満たし、仲間達にハンドサインを出す。
(残念だけど今夜は変身ポーズと掛け声はなしよ)
(賢明な判断だ)
短い思念を交わしたウラワンダーこと朝霞に続き、拓海、縁、京子が足音を忍ばせて侵入し、今度はすぐに朝霞と縁がセーフティガスを発生させ、子供達をより深い眠りへと誘った。
「彼の代わりに一晩だけ――悪い魔法使いを演じよう」
縁は大きな袋を広げ――それは日中ノーリに案内された場所で見つけたものだった――アジーンとセーミを毛布に包んで中へ入れる。
一方拓海はノーリを用心深く眺め、そっとその手に触れた。
冷たい。
だが、寝息をしているし、脈もある。
とりあえずほっと胸を撫で下ろしたものの、京子に「気をつけて」と目配せをされ、毛布ごと簀巻きのようにロープで縛って『万が一』に備え、更にシェースチをも抱える。
次いで恭一が窓を開けた途端――狼の咆哮が木霊した。
「ちっ、だよな!」
擬態とは言え狼を下地としているなら、その特性――たとえば鋭敏な嗅覚――まで再現しているのだろう。
●飢餓
「……始まったかい」
食堂の暖炉の前で編み物をしていたアルは従魔の声に時計を確かめ、あと三十分ほどで日付が変わるのを知ると、毛玉が転がるのも厭わず立ち上がった。
「どこへ行く」
そこへ紅焔寺 静希(aa0757hero001)との共鳴を果たしたダグラスが立ちはだかる。
右腕は当て木で固定してあるものの、吊らずにぶら下げて。
息は荒く、けれど冷たくも獰猛な笑みを浮かべて。
「懲りない男だ」
アルが口を開いた瞬間、手負いの獣に等しい男はテーブルを蹴り飛ばし、その角度から顔を出すであろう位置目掛け短剣を放つ。
更に老婆が刺さるのも厭わずそれを掌で受ける頃には大きく踏み込み、纏絲の掌打を腹部に抉り込みに掛かる。
だが――
「腕は立つみたいだけど」
先にアルの袖口が火を噴き、抉れたのはダグラスの脇腹の方だった。
「がっ――は!?」
「スタイルを気にしすぎだね」
「抜かせっ」
ダグラスは堪えがてら更に踏み込むついでにアルの足を踏み締め、即座に自らの足の甲目掛け今一度短剣を放ち、両者の足を串刺しにした。
「さて殴り合いだ、貴様に俺の渇きを満たせるか――」
「相手を見て物を言いな――坊や」
●機
落雷か、さもなくば――大砲の轟音。
雪も吸い込みきれぬほどの音響が晴れた夜空に木霊し、一瞬、巨大化したルドルフが家の方を振り向いた。
「今よ、みんな備えて!」
その刹那を見逃さず京子が矢を撃ち、辺りは月明かりをかき消すほど閃光に満ちる――巨獣が苦しげな悲鳴を上げのたうつ中、朝霞とマックスは家の方へ戻り、残りの者はドロップゾーンの外を目指して走り出した。
「さっきの音……」
「やべえかもな」
しんがりを駆ける京子と恭一が、煙突の他にもう一筋煙の上る屋敷を少しだけ振り返る。
「だが」
コンディションを持ち直したルドルフが迫るのに備え、恭一が半身に構え迎え撃つ姿勢を取る。
「こっちはこっちで暇じゃねえ!」
「確かに――」
京子が恭一の肩の上――その直線状にある従魔の目を狙って、渾身の矢を放つ。
(追っ手だけとも限らないしね)
後ろで子供達を運び続ける仲間達の身を案じながら。
だが、皆もう『判っている』筈だし、恐らく大事には至るまい。
ならばせめて彼らが動きやすいように、今は目の前の敵へ弓を引くのみ。
恭一がルドルフへ斬撃を浴びせたのを気に、京子も狙いをつけたまま更に後退した。
●晦と朔と
朝霞とマックスが駆けつけた時、食堂には外気が吹き込んでいた。
薄れゆく煙の中、辛うじて視認できたのは壁に空いた風穴と、瓦礫に埋もれ腹部から背中にかけて血にまみれたダグラス、そして事も無げに立ち尽くすアル。
(朝霞、気をつけろよ)
「判ってる! ……けどこの剣、大きい。お、重い」
(すぐに慣れる)
「おや、ふらふらだねえ」
暢気な声とは裏腹に、その右手の袖から銃口が向けられている。
(先手を取れ!)
「了解!」
ニクノイーサの思念に従い朝霞が鉄塊の如き一振りを力任せに斬り上げると、それは存外に迅く軌跡を描き、アルの右手は腕を離れ、宙へと放り出された。
「おいたが過ぎるね……――“おしおき”だ」
痛がりもせず愚神は朝霞の目を凝視する――その瞬間、朝霞の四肢に凄まじい激痛が走った。
「っ!!」
見下ろすと太い杭でも打ち込まれたように大穴が開き、鮮血が迸っている。
「そん、な……!」
立っている事さえままならず崩れ落ちる最中に腹、胸――そして額に何かが穿たれ――
(朝霞、どうした! 朝霞!)
ニクノイーサがいくら呼び掛けても、朝霞は“無傷”にも関わらず、へたり込んでがたがたと震え、涙を流すばかりで。
「そろそろお開きにしようか」
アルが彼女の額に掌を押し当てた、その時。
「……なんだい?」
突然、袖口の銃口が引っ込んだ。
いつの間にか食堂には蝶が舞う。
マックスの放った、全てを封じるライヴスで生成された幻の蝶だ。
「あんたの仕業か、“晦のジェドマロース”」
「そういう事になるかね」
能力を封じてなお分の悪さに冷や汗をかきながら、しかしマックスは笑みさえ浮かべて場を持ち堪える。
「しょうがないねえ。まあ『厄介払い』も済んだ事だ、退くとするか」
「どういう意味だ?」
「せいぜい仲間の無事を祈るんだね。“朔のヴェスナクラスナ”にもよろしく」
「……なんだと?」
踵を返し風穴からさっさと出て行くアルを見送る事しかできず、マックスはしばし立ち尽くした。
●雪娘
誰もが疑っていた、恭一や京子、縁も、もちろん拓海も。
マックスがマロースの部屋で知り得た、写真の二十八人目と一致する少女。
それがノーリの身に潜んでいる事は最早確信に等しく、あえて拓海はその運搬を引き受けた。
身の危険を覚悟して。
そして、車両へ辿り着くもう少しのところで――
「うあっ!」
少年を抱えていた右手に、突如突き刺すような痛みが走った。
すぐに感覚が失せ、堪らず手を放すと、雪上に落ちた毛布の塊は縛っていたロープごと凍りつき、粉々に砕け散る。
「拓海!」
縁がすかさず槍を投げ放つとノーリはふわりと飛ぶように宙返りをして身をかわし、そのまま雪に足跡をつける事なく宙へ浮いていた。
「――ご苦労様、H.O.P.E.の皆さん。おかげでやっとあのペド婆から解放されたわ」
ノーリの口を借りてはいるが、その声は明らかに少女のものだ。
同時にあれほど追い縋って来たルドルフが牙を納め、恭一と京子を飛び越えて彼、あるいは彼女の元へ腰を下ろす。
「何者なの?」
「もう知ってる筈よ、京子」
京子の問いにそれはけらけらと笑い、凍気を帯びる。
「……雪娘(スネグーラチカ)」
「さすが縁!」
「その子を……ノーリを放してくれないか!」
「駄目よ、この子の事気に入ったんだもの。あーげない」
拓海に舌を出すなり、ノーリ――雪娘はルドルフの背に飛び乗る。
「そろそろ行くわ、ごめんあそばせ!」
「待ちなさい!」
京子が放った矢は、しかし彼方へと消えた雪娘にも、従魔にも、当たらなかった。
あとにははしゃぐような笑い声が響くのみで。
「ったく、なんだってんだ……」
恭一のぼやきに答えられる者は居ない。
愚神は二人居て、どうやらどちらも討ち取れず、そのうちの片方にノーリが再誘拐されて。
「……」
縁が思い出したように袋を開けて、残された子供達の無事を確かめ、目を細める。
「今は勿論だけど、記憶を取り戻したらもっと辛くなるんだろうね。この子達も、ノーリも」
「……縁」
「それでも」
現実を前に友の名を呼ぶしかできなかった拓海へ、あるいは自身へ。
縁はなおも言った。
「開かれた、色に溢れた世界で生きる事の喜びを、いつか感じてくれたら……」
「その手伝いができたらいいね」
「……そうだね」
ジェド・マロースの物語は、即ち彼と共に在ったスネグーラチカの物語。
ノーリを取り戻す日まで、それは続くのだろう。
* * *
ノーリに関してはまだ存命しており、H.O.P.E.側としても想定外の事態となった為、報酬は通常通り支払われた。
ただし、ダグラス=R=ハワードのみ、任務へ臨む姿勢に著しい問題が認められた事、明らかな危険行為に及んだ事などから、減額措置となった。
また、出発前、マックス・ボネットがオペレーターに『ここ最近発見された元行方不明者と例の写真との照合』を要請していたが、これに一名、ノーリが該当した。