本部

黒い海のセイレーン

高庭ぺん銀

形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/06/14 20:03

掲示板

オープニング

●黒の行進曲
 男はベランダに出てタバコを吸っていた。空が暗い。今日は一日、すっきりとしない天気だった。
(憂鬱なのは曇り空のせいだ)
 男の妻は先月、5歳になる娘を連れて出て行った。関係は冷え切っていた。時間の問題だとは思っていたが、やはり堪えた。
「……歌? 女、か」
 男の住むマンションは、駅からほど近かった。駅前で歌うストリートミュージシャンの声かもしれない。男自身も何人か贔屓にしている歌手がいる。姿を見たら立ち止まり、心ばかりのカンパをする。それは、この街ではさほど珍しいことではなかった。ストリートミュージシャンの数も他にないくらい多いし、わざわざ電車に乗って歌いに来る者もいるらしい。いわゆる『聖地』なのだ。
(こりゃ、素人じゃねぇな)
 風に乗って届いたソプラノに、一瞬別れた妻の顔がよぎったが、よく聞けばさほど似ていない。それにしても、美しい歌声だ。優しくて、優しすぎて、胸が痛んだ。
「痛……」
 片頭痛か。ぐずついていた空は、ようやく覚悟を決めて雨を降らす気らしい。
(今日は一段と痛いな)
 もしかしたら、精神的なことも原因かもしれない。男は自嘲の笑みを浮かべた。
 そのときだった。真っ黒な水たまりがこちらに向かって、地面を這いずって来るのに気付いたのは。
(生きてる、のか? ……化け物だ!)
 『化け物』は、歌のリズムに乗って行進してくるようにも見えた。だがすぐに気のせいだろう、と打ち消した。あんなものたちに我々と同じような芸術的センスが備わっているとは信じたくない。
 黒い異形たちは、ナメクジのように壁に張り付いて登ってきた。下の階のベランダに出ていた主婦が、室内に逃げ込み窓を閉めた。1匹が水の滴る曖昧な人型になって激しく扉を叩く。しかし、やがて諦めて上階への進軍を再開した。
 男はそれを見ていた。情けないことに、恐ろしくて体が動かないのだ。
(ああ、やっぱ女は逞しいよなぁ)
 そんなことを思った。澄んだ歌声は相変わらず聴こえた。柔らかな羽根布団に包み込まれているかのようだ。赤ん坊の匂いがする。幻覚にしたって、不思議だ。娘が赤ん坊だったのなんて、ずいぶん前なのに。
 自分は死ぬのだろう。別に構わないと思った。
 
 男は、死ななかった。あの悪夢のような体験のあと、普通に夕飯を食べて、風呂に入って、次の日には出勤した。体験のことは誰にも話さなかったが、家に帰ると訪問者があった。HOPEの職員だった。
「……もう終わりだ、と思ったとき、激しい夕立が降ってきた。すると、化け物たちが急に勢いをなくしちまったんだよ。しばらく呆然としててね、気づいたら雨が止んでいた。奴らの姿もなかった。よくわからんが、命拾いしたんだな」
 男は能力者ではないが、彼らに悪印象を持っている訳でもなかった。素直に見たままを話した。
「そういえば……夕立の音が消えれば、またあの歌が聞こえてくるかと思ったんだが、彼女も帰っちまったんだな。残念だった」
 男ははっとして、事件に関係ない話をしたことを詫びた。

●悪夢を流れる小夜曲
 小夜霧(さよぎり)音楽大学。古くから名だたる音楽家を輩出してきた名門校。
 周りの地域でも音楽が盛んで、日本のウィーンと呼ぶ者もいるという。この明るく平和な街で、恐ろしい事件が起こっている。HOPEの事前調査によって、愚神の関与が確定されている。
「では、説明を始めます」
 職員が言った。普段は朗らかな男だが、今日は表情が硬い。
 1件目の現場は大学の敷地内。レッスン中の教室に『化け物』が侵入し、多数の未来ある若者が犠牲になった。生き残った関係者に聞いたところ、不審な人物の目撃証言はなかったようだ。ただ、普段から卒業生やスカウトマンなど外部の者が訪れることは多いという。
 2件目は、響ヶ丘公園だ。普段は、ところどころで住人の歌声が聞こえる憩いの場である。凶行は白昼堂々行われ、歌声は悲鳴に変わった。
 襲ってきた『化け物』は、1件目と同じような姿であるという証言が取れている。というのも、この公園は先述した音大の学生たちが、歌や楽器の練習をするためによく利用しているのだ。そのため、不運にも再び現場に居合わせた学生たちがいたのである。彼らには気の毒だが、1件目と2件目のつながりが確信できたことは大きな進歩だった。
 目撃者によると『化け物』は真っ黒な粘液に覆われた人間のような姿をしており、足元は黒い水たまりになっている。まるでタールから生まれた泥水人形だという。被害者たちは、ドロドロの手のような部分で首を絞められたり、『化け物』の体内に取り込まれたりして、いずれもむごたらしい最期を迎えている。
 3件目の現場は、大学の最寄り駅近くのマンションだ。たまたまベランダに出ていた数人が襲われたが、大きな被害は出なかった。。激しい夕立を忌むかのように『化け物』たちが撤退したのだ。
「以上が、現在集まっているデータです」
 職員はスクリーン上の資料を閉じた。すでに犠牲者がいることに、心を痛めているのかもしれない。
 愛を歌う小夜曲の町は、今や魔性のものが棲む暗黒の海原だった。
「何か質問は……ないみたいですね。それでは、いってらっしゃい。お気をつけて」

解説

【目的】 
愚神の討伐

【場所】
小夜霧(さよぎり)音楽大学周辺
 都心へは電車で1時間強。歌手や演奏家を目指して上京し、ここに住む若者も多い。レンガ造りの建物や石畳など、異国めいた景色が楽しめるのも魅力の一つ。
 楽器店やレコーディングスタジオ、コンサートホールなど音楽関係の施設が多いのは言わずもがな、公園やショッピングモールなどでもしばしばミニライブが行われる。駅前のストリートミュージシャンたちは皆ハイレベルであると評判。

【敵】※プレイヤー情報
愚神(ケントゥリオ級×1)
・外見は人間の女性に近いが、腕がない。また全身がどろどろとしたタール状のものに覆われている。
・歌で従魔たちの行動を操っている。
・従魔がいなくなると、攻撃手段がなくなる。ライブスの吸収、新しい従魔の作成は可能。耐久力も相応にある。
・非能力者は、歌に聴き惚れている間にライブスを奪われてしまう。洗脳ではなく、純粋に愚神の歌声が美しいため。自ら愚神(歌声)の方へ行く者すらいるが、正気なので説得は可能。
・ドロップゾーンなし。神出鬼没。音楽の聞こえる場所に現れると見られている。
・依代は、ストリートミュージシャンの女性。歌手デビューが決まらず、落ち込んでいたところ、行方不明に。死亡済み。

従魔(デクリオ級×10前後)
・『化け物』の正体
・不定形の人間型。どろどろとした黒い水でできている。
・首絞めや、体の中への取り込みを行う。ライブスを奪われると同時に窒息死の可能性もある。
・愚神の歌によって、行動を支配されている。

リプレイ

●調律(チューニング)
 作戦会議が始まった。
「学校とかマンションとか、神出鬼没だよね。でも歌……」
 楠葉 悠登(aa1592)の言葉にナイン(aa1592hero001)が反応した。
「全ての場所に音楽が関係している?」
「そう。理由は分からないけど、音楽のある所に現れてるように見える」
 月影 飛翔(aa0224)とルビナス フローリア(aa0224hero001)が見解を述べる。
「従魔の姿からして、集団で目的を持って行動するようには見えないよな」
「その上の愚神の意志を感じますね」
 仮説がひとつ生まれた。愚神は歌を介して従魔を操っているのではないか。意義を唱える者はいなかった。
「歌の力がこんな風に利用されるのは……何だか嫌だな」
「人々も、この歌も、両方救いましょ?」
 憂うアル(aa1730)の肩に雅・マルシア・丹菊(aa1730hero001)が優しく手を置いた。バルタサール・デル・レイ(aa4199)は、髭の生えた顎をさすりながら言う。
「歌が聞こえるところに現れるっていうのは、自分の歌の方が上だっていう主張なのかねぇ」
 愚神が標的としたものは『歌』なのか、それとも特定の誰かか。飛翔も考えていた。指示されるより早くルビナスが資料を参照する。
「大学と公園の2か所で襲われた大学生はいましたが、事件現場すべてに居合わせた方はゼロです」
「音楽で売れ出している人物は?」
「それも無しです」
 演奏は高レベルながら、ストリートミュージシャン止まりでくすぶっている者は多いらしい。
「芸能界で成功するには、技術以外の何かが必要と聞きます。彼らにはそれが足りない、ということでしょう」
 議論が行き詰まる。沈黙の中、宇津木 明珠(aa0086)が口を開いた。
「特定の誰かというよりは、音楽自体に執着しているのではないでしょうか。現場には演奏者と『聴衆』がいた。注目すべきはその点かと拝察いたします」
 その言葉を皮切りに、彼らは具体的な作戦の立案に移った。

「このまま死んでもいい、なんて歌を聞けるだなんて、ラッキーかもね」
「男は誘惑に弱い生き物だからな。ま、俺だったら、そんなヌルい最期は迎えたくはないがね」
 バルタサールと紫苑(aa4199hero001)は、町中の施設に働きかけライブの延期を約束させた。公園や駅は大学から歩けるくらいの距離にあるので、ストリートミュージシャンや練習中の音楽家たちには避難を求めることにした。しかし「化け物に襲われるかもしれないから、歌うな」では、冷笑されるか、信じてくれたとしても大パニックとなる可能性がある。
「演奏、今日はやめたほうがいいよ」
 ギターを担いだ女性が首をかしげる。突然現れた美男が占い師のようなことを宣うのだから仕方ない。
「大雨警報と波浪警報が出てる。客も来ないだろうぜ」
「危ないからきみも早く帰ったら?」
 空は今にも泣きだしそうに暗かったから、信憑性はあった。女性は礼を言ってそそくさと去って言った。混乱を避けるための口実だったが信じてくれたようだ。出発前に話をした『破壊神?』シリウス(aa2842hero001)の言葉がヒントだった。
「権限? 行政指導が入ったとか適当にいっとけ! 災害への備えなのは嘘じゃねーんだ、全部話す必要なんかないんだぜ?」
 まるで汚い大人のような言い草に、新星 魅流沙(aa2842)は少し呆れていたが。当の彼女たちは、災害時の避難マニュアルを片手に、学生や来客たちへの案内を行っている。大学の雰囲気を懐かし気に味わっていた魅流沙だったが、心には憂いがあった。
「敵は、美しい声を何処から手に入れたのでしょう」
「さあな。従魔でも愚神でも歌うって奴は珍しい。もしかしたら……」
 美しいという愚神の歌声とは、依代となった誰か――歌を愛する町の住人――の声なのかもしれない。
「だとしたら、絶対に許せません……!」
「だな。声は綺麗と見せかけて……ってハーピー、セイレーン……妖鳥とか言うの? アレ、思い出すよな。音楽をエサに人殺し……なんてのは許せやしねぇぜ」
 大学周辺を歩いていた者にも声をかけ、避難をさせる。悠登は散歩をしていた婦人に声をかけた。
「大雨? 親切にありがとう。すぐに帰るわ」
「あのね、おばーちゃん。大学方面から綺麗な歌声が聞こえても、絶対戻って来ないで」
 老婦人は「なぜ?」という顔をしたが、悠登が言うのを躊躇っているのを見て笑った。
「お兄さんの顔に免じて聞かないでおくわね。それじゃあ」
 悠登は眉尻を下げた。
「事件絡みっていうの、バレちゃったかな」
「わからないが、そうだとしても危険と気づかずに戻って来るよりはずっといい。……皆を守るんだろう? 悠登」
「うん。これ以上被害を出さないようにね」

 小夜霧音大のホールへ観客が集まる。黒い人型たちをおびき寄せるための『演奏会』が始まる。海神 藍(aa2518)と禮(aa2518hero001)は舞台袖に居た。
「……美しくも悲しき調べ、死へと誘う歌声」
「禮?」
 彼女の頭を満たしていたのは人魚のイメージ。優しく可憐なおとぎ話の人魚とは真逆の、魔物の姿。
「……行きましょう」
 黒い鱗の人魚だった少女は、幕引きを誓う。
 すでに共鳴を済ませてホールの周りを見回るのは、『演奏会』の発案者である明珠だ。金獅(aa0086hero001)が疑問を呈すのに答えながら歩く。
(何で人払いしねーの?)
(大学側や皆様にも説明済みですが、3件とも比較的人の多い所で事件が起きています。そしてそこでは音楽が流れていた。その為、ただ音楽を流すだけではなく聴衆が必要ではないかという推論に辿り着きました)
(で、餌を撒いたっつーワケか)
 観客役として協力してくれるのは、事件で友を亡くした学生たちだ。偽の観客たちは客席を素通りして、舞台の裏手にある楽器搬入口付近に隠れている。危険が迫れば搬入口から逃げ出す手筈だ。警護は魅流沙と飛翔が務める。
(音楽ホールに多くの人が入っていけば演奏会と考えるのが一般的でしょう。通常、愚神には思考能力があります)
(歌うならステージへ。か)
 音響テストの声が、ホールから漏れ聞こえていた。

●『英雄』交響曲
「バイオリンなんて、久々に触るな……」
「! 弾けるんですか? 兄さん」
「学生のころロックバイオリンに憧れてね」
 共鳴した藍はバイオリン型のAGWを手にする。演奏による誘い出しと攻撃手段を兼ねているのだ。
「おふたりさ~ん、準備OKかしら~?」
 隣のアルが両手で丸を作ると、舞台袖の雅が音響機器を操作する。明るいアイドルソングが無人の客席に響く。雅の耳に手拍子の音が届いた。舞台裏の学生たちだ。
(そうよ、歌は人を元気にするものなんだから)

 赤谷 鴇(aa1578)とアイザック ベルシュタイン(aa1578hero001)は、ホールの周囲を警戒していた。
「人来ないんじゃね? ここホールまで遠いし、声なんて届かないだろ」
「いざ戦うなら僕らより強い人が殆どだし、戦いやすい様にするのが役割だと思うよ」
 格子状の蓋がついた側溝を覗き込む。従魔と思われる半液体状の敵。神出鬼没だそうだが、例えば下水道という移動ルートはどうだろう?
 遠くから歌声が聞こえた。鴇の肩がぴくりと動く。
「アルさんの声じゃない……!」
「来やがったな。鴇、共鳴するぞ」
 どこから聞こえているのだろう。神経を集中した耳が鈍い金属音を拾った。マンホールを跳ね上げて黒い影が飛び出した。
(距離をとらなきゃ!)
 ホールの雅に連絡を取る。その間も敵から視線は切らない。
「マンホールから愚神が現れました。戦闘開始します!」

――暗い海 太陽を今飲み込んだ
 歌声が聞こえた。入口近くに陣取っていた明珠は心中で呟く。
(確かに良い声ですね。高くてよく通る。ですが……)
 金獅の声が重なる。
(このキー嫌いだわ)
(この音程嫌いです)
――黒い海 あたしに手を差し伸べた
 ホールの入口ドアの隙間から黒い液体が浸み出した。黒い粘液が蠢いて人の形をとる。愚神の姿はなく歌だけが聞こえる。
 明珠はウレタン噴射機の中身を勢いよくぶちまける。それは従魔の体に張りついたかに見えたが、動きを奪うまでには至らなかった。従魔が身をよじると、ウレタンの残骸がポロポロと剥がれ落ちる。まずはその1体を、続いて腕を伸ばしてやって来るもう1体を切り伏せた。
「こやつら不定形ではあるが、水で出来ているのではない。何やら粘度も高いようだぞ」
 情報は雅を介して外の者たちにも共有された。舞台裏から敵の姿を観察する彼女は顔を顰めていた。
「話通りの姿ね……不気味だわ」
 雅とは反対側の舞台袖に立ち、門番よろしく舞台裏への道を塞ぐのは悠登だ。
「こんなのが這い寄ってくるなんて、ちょっとしたホラーじゃないか?」
「水にまつわるホラーはニホンのお家芸なんだろう? ウラミツラミ、だったか? ねちっこいのは勘弁してほしいね」
 ステージ前に居たバルサタールは悠登の言葉に軽口を返し、従魔に風穴を開けた。

 避難に備え、学生たちの側には飛翔が待機していた。楽器搬入扉の向こう側、屋外には魅流沙が控える。学生たちはアルの歌に集中する。フレーズを記憶し始めた者が、所々一緒に歌っている。さすがは音大生というところか。
「外に従魔が! とりあえず一人で対応できそうです」
「了解。危険そうなら連絡してくれ」
 扉越しに会話をする飛翔の耳に悠登の声が届いた。
「すまない、扉を開けられた! 一体そちらに行く!」
 飛翔は踵を返す。
――きっと報われぬ恋だった でも心から愛してた
「綺麗だ……この歌が悪いモノ? 嘘だろ」
 従魔が近づくのにもかまわず、男子学生が呆然と立ちつくしていた。
「くっ」
 男子学生と従魔の間に割り込んだ飛翔を従魔が抱擁する。
「未来の音楽家として音楽をこんな風に使われていいのか? お前たちの音楽は人を楽しませるものだろうっ」
 何とか腕だけを戒めから引き抜いてメイスを片手で持つと、従魔に突き刺した。苦しむ従魔を跳ね除け、宙に浮かせ、すかさず地面に叩きつけた。
「すいません、俺……」
「気をしっかり持て。一応ヘッドフォンも付けておくといい」
 バルサタールの案で、学生たちは全員音楽プレイヤーを持参している。飛翔の言葉を聞いて自主的に装着する者もいた。男子学生の背中を友人が叩いた。
「ほら、何か再生しよう? 私? 私はさっきのアルちゃんの歌! ICレコーダーで録音したんだ」
「なら、俺は……」
 ベートーヴェンの英雄交響曲。奇しくも英雄(リライヴァー)と同じ名を持つ曲を彼は直感的に選んだ。エージェントたちの姿が英雄(ヒーロー)という言葉を連想させたのに違いなかった。

 魅流沙の周りを従魔が取り囲む。きらめく翼を持つ妖精のような魅流沙と不気味な怪物の姿は対照的だ。
「この黒い液体が水じゃないのなら、火も効くでしょうか?」
(やってみようぜ。もたもたしてらんねぇ!)
(そうですね。攻撃は最大の防御!)
 魅流沙は広範囲の火炎攻撃を放った。従魔の体が爆音と共に弾け、周りの個体にも燃え広がる。従魔が纏った黒い水は油に近い性質を持つようだ。魅流沙は教科書で見た写真を思い出していた。座礁したタンカーと真っ黒な重油に侵されて死んだ海鳥。あれもまた海の魔物、か。
(ははっ、爽快だぜ)
「とはいえこれは……ホール内では無理ですね」

 魅流沙からの通信が入る。武器を振る手は止めずに悠登が推理する。
「油に近い性質なら、従魔の弱点が水という可能性は低い。第3の現場から従魔が後退した理由は、雨そのものじゃないだろう。となれば残る要素は、歌か。雨音に歌を遮られたから従魔は進軍できなかった、というのはどうだ?」
 藍が同意する。
「おそらく決まりだ。愚神はこの歌で従魔を操っているんだろう」
 事前に話し合って決めていた作戦を実行する。アル、雅、藍がアイコンタクトをとる。
「確かめてみよう。みんな注意してくれ」
 曲の音量がにわかに下がる。代わりに愚神の歌が大きく聞こえる。
――人魚姫みたいに綺麗には消えられないの みにくいあたし
 従魔たちが吠える。歌への声援にしてはあまりに醜悪だ。そもそも従魔は音楽に感動することなどできないが。
「この野郎、目に見えて機敏になったじゃないか」
 3連撃を避けられ、バルサタールが舌打ちする。
「やあっ!」
 明珠の刃が従魔の脳天を割る。が、別の従魔に腕を取られる。攻撃の射程が明らかに伸びている。黒い体を蹴りつけ、難を逃れる。靴の裏に黒い粘液がこびりつく。
――砂の階段降りて行って 美しい海の魔物になるの
「十分だな」
 藍の言葉にアルが頷いた。彼女はあくまでも笑顔で歌い続ける。可愛らしくもパワフルな歌は仲間たちを鼓舞し、恐怖に立ち向かう学生たちを勇気づける。一方、愚神は淋し気な声に乗せて、失恋した女性の物語を紡ぐ。
「雨の音も用意してたんだけど、歌の方が有効な気がするわね」
 雅はマイクの音量を上げた。

 飛翔は扉の外の魅流沙を呼んだ。
「外の様子はどうだ?」
「動きが鈍くなりました。さっきの攻撃で数も大分減りましたし、今すぐ避難を始めたいくらいですね」
「そうだな……」
 飛翔は学生たちを見遣る。
「せっかく協力してもらったんだ。形勢不利と判断して愚神が撤退する、なんてことがないといいんだが」
 サビを歌い終えたらしい愚神の歌が途切れている。それを追うようにアルの歌も間奏に入った。藍の奏でるバイオリンの音色が心地良い。ただし、従魔にとってその音は衝撃波による攻撃である。ステージに近づこうとする者はすべて、バルサタールの無慈悲な銃弾に倒れるか、藍の慈悲深き音色に駆逐されるか、どちらかの運命を辿るのだ。

●海に消える哀歌
「私の獲物……横取りしないで」
 その声は不気味なほどに良く広がり、飛翔や魅流沙、鴇にも聞こえた。暴力的なセリフはなぜか、悲しみの色を帯びていた。
 アルは思う、「私のお客さんを取らないで」と言っているようだと。聴衆が自分ではなくアルの歌に夢中になっている、それが耐えられないみたいだと。
――広い海 歌声は広がるでしょう 遠い陸 あなたまで届くことでしょう
 黒い粘液を纏った人型が、ホール入口に立っていた。ホールに居た者は、音もなく表れた人影に戦慄した。女性らしい曲線を描いた体には、なぜか腕がない。人間であれば耳まで裂けているかと思われる口が、大きく開閉する。
 これが歌の主。セイレーンの歌を奏でる愚神だ。
「よし、では激しく行こうか……付いてこれるかな、愚神さん?」
 目の覚めるような鮮やかさを持つ旋律。藍がアドリブ演奏をする。音が波となり、愚神に叩きつけられる。自分に向けられた悪意に心を乱されかけたアルは、我に返った。
(この歌、きみにも届けたい)
 愚神に捕らわれた依代に思いを馳せながら、歌い始める。

――絶対叶わない恋ならば これ以上好きになりたくない
 失恋をテーマにした愚神の歌に、鴇は不思議と同情の念を芽生えさせていた。素直で優しい彼の性格がそうさせたのかもしれないし、死の気配を漂わせる歌声が哀しい記憶を揺り起こしたからかもしれなかった。
「くどくどと辛気臭い女だな!」
 鴇の人格が昴に入れ替わった。忌々しそうに毒づき、従魔を頭ごなしに切り捨てる。
(こいつの意見に賛成するわけじゃねーけど、ま、恋も生きることも諦める歌に共感はできねーな)
 アイザックは思った。黒電話の音を警告音のように轟かせながら従魔を狩る。幸い、愚神の歌に惹かれてやって来る者はいない。
「どうした、逃げるのか?」
 従魔が後退していく。アジトへ戻るのだとしたら、場所を突き止めなくては。追いかけた昴は違和感を持つ。
「なぜホールに向かうんだ?」

「皆さんは私たちが守ります!慌てず、焦らず避難口へ!」
 魅流沙は楽器搬入口を開け放った。アルたちが大音量で演奏を再開した直後だ。扉のせいで届きにくかった明るいアイドルソングが外の従魔たちを脅かす。動きが遅くなった。一般人の足でも振り切れそうだ。
 魅流沙に守られながら、一団は大学構内を駆け抜けていった。飛翔は扉近くに残り、従魔を叩き潰していく。学生たちを追おうとする者は少なく、むしろホール内へ戻る流れが目立つ。飛翔は訝しんだが、お陰で学生たちを無傷で逃がすことができたようだ。ホールへ走り、飛翔は愚神討伐に合流した。

 バルサタールは舌打ちした。愚神の頭めがけて撃ちまくるが、従魔が身を挺して妨害するのだ。
「フン、美声の歌姫と醜い取り巻きたちってとこか」
 学生たちが無事避難したという報告を受け、悠登はステージから飛び降りた。音を利用した藍の攻撃は愚神に届いているが、それ以外は従魔が邪魔するせいで十分に成果を上げられない。愚神は自分の力が分散することに構わず、ひたすら従魔を増やしているように見える。従魔を作る以外に攻撃手段がないのだ。
――セイレーンは心奪う歌声で 男たちを海に沈ませるの
 従魔が一気に距離を詰め、悠登の足を掴もうとする。
「……っと、これ以上は近づかないでもらおうか。取り込まれたくはないんでね」
 ドアを開け放ち、鴇――昴が入って来る。従魔が軒並みホールに結集しているというのは予測していたが、正確にはもっとピンポイントだった。ホール全体を俯瞰で見た彼には一目瞭然だった。
「従魔たちは全部、ステージに向かって進んでる……!」
 作戦会議の際にバルサタールが言った言葉を思い出す。「自分の歌の方が上だっていう主張なのか」。そのために邪悪な歌姫は、ステージの上のアイドルを排除しようとしている。
 雅の携帯に着信が入った。避難誘導中の魅流沙からだ。
「通話状態のまま、スマホをスピーカーに繋いでください。なるべく大きな音でホールに流れるように」
「了解よ」
 ステージ上の二人は音量を絞る。せーの、という魅流沙の声が会場に響いた。
――君は光、闇なんて振り払っちゃえ 背筋のばして、手をとって前へ進もう、世界はこんなにキラキラだ
 大勢が歌う声が聞こえた。魅流沙と学生たちだ。
「みんな、ありがとう……!」
 応援に力をもらって歌うアルに、愚神は従魔をけしかけ続ける。常識的に考えれば、ライブス補給を邪魔する相手を排除したいだけなのだろう。しかし、まるで愚神の原動力は、声援を受けるアルへの嫉妬心にも見えるのだった。
――波の階段降りて来てよ あなたと海の底で暮らすの
 禮が心の中で愚神に語り掛ける。
(素敵な歌声です、でも、あなたは……)
 そして、愚神の中に残る依代の残滓に語り掛ける。
(あなたの『うた』は、もう、終わっているんですよ……?)
 人を傷つけ、命を奪うための歌。そんな音楽があって良いはずがない。
「嫌だ!イヤダ……!」
 愚神が声を張り上げる。高音から伸びやかさが消え、喉を傷めそうな金切り声になる。
――あたしは魔法の歌声で あなたをこの海に沈ませるの
 明珠が冷たい目で愚神を見たが、すぐに興味を失ったように視線を外した。大剣の攻撃で従魔が崩れ落ちる。
――あたしのキスを受け入れなきゃ あなたはここじゃ息もできない
「冗談じゃないな」
 悠登が言い放った。
「そろそろ終わりだ、覚悟をしてくれよ」
 残り少ない従魔の腕をすり抜け、ライブスの刃で愚神を貫く。クリーンヒットだ。愚神は怪鳥のような悲鳴を上げたが倒れはしない。
「歌のお代を受け取ってくれや。はずんでおくぜ」
 バルサタールの銃弾がついに的を捉えた。大きく開いた口の中――彼が真に狙っていたのは非常に狭い部位、愚神ご自慢の喉だったのだ。セイレーンは、盾であり矛でもある声を失うことになる。
――君は光、闇なんて振り払っちゃえ
 アルは手を伸ばす。愚神に救いを与えるように。
――背筋のばして、手をとって前へ進もう、
 腕を持たない魔物は温かい手を拒む。ノイズ交じりの醜い声で無理やり歌う。
――……あたしの……元に来て……光届かない海の底……
(違う!)
――世界はこんなにキラキラだ
 セイレーンは沈黙した。従魔を作り出す力はもうない。飛翔が愚神の胸部へ突きを放ち、バンカーを撃ち込む。愚神の体が固定される。
 藍がバイオリンを経典型の武器に持ち替えた。ばらけた経典が藍の周りに漂ったかと思うと、一斉に従魔に突き刺さった。
 愚神は黒い泡になって消えた。その足元、濁った色の水たまりの中に女が倒れていた。明珠が駆け寄って脈をとるが、やがて静かに首を振った。死体の指先の皮は固くなっていた。それはギターを弾く者の特徴だった。

●セイレーンへの鎮魂歌
 後片付けが始まった。愚神の依代は鳴瀬 夕(なりせ ゆう)という女性だった。この大学を卒業した後、デビューを夢見てストリートで歌っていた。叶わない恋を歌った愚神の歌は『夢』に愛されなかった夕の境遇と奇妙に重なった。努力が報われる日を信じ、雨の日も風の日も歌い続けた夕。しかし限界を迎えたのだろう。愚神に取り込まれたのは「田舎に帰る」と両親に電話した直後だった。
 アイザックが運び出される遺体に手を合わせ、ひとりごちる。
「たくさんの聴衆の前で歌いたかったのかねえ? それとも自分の歌を評価してほしかったのかねえ?」
「歌で人を殺す時点でどちらにしてもお終いだけどね」
 そう言って歩き出す鴇にアイザックは言葉を返せなかった。悠登とナインも彼らに続く。
「愚神の歌声、綺麗だけどなんだか悲しい感じだったね」
「もっと音楽をやりたかったのかもしれないな」。
「依り代になった人が……?」
 悠登は悲痛な表情をした。
「ただの想像だが」
 どこか遠くを見つめるようにして言うナイン。悠登も彼の横顔から視線を外して前を向いた。
「愚神じゃなかったら、もっと聞いていたかったね」

 魅流沙とシリウスは学生たちに感謝を伝えていた。
「協力してくれてありがとうな!」
「皆さんの勇気のお陰で、彼女を止めることができました」
 解散を告げると学生たちが去っていく。事件によって大切な友を失った者たちであり、鳴瀬 夕の後輩でもあった彼ら。それでも彼らには未来がある。夕や事件の犠牲者たちが叶えられなかった、音楽家になるという夢がある。飛翔とルビナスは彼らの背を見つめた。
「今度はゆっくりと聴きに来たいな」
「はい、きっと素晴らしい音楽が聴けるでしょう」

 死体を運び去るHOPEの車を見送りながら、禮が言った。
「やっぱりヒト、でしたか……なんとなくそんな気がしたんです」
 禮は切なげな表情をする。――異形になり果てて、それでもなお歌いたかったのだろうか?
「少し、歌ってきます」
「禮……私も行く」
「……はい、では一緒に。」
 大ホールは無人だった。響き渡るのは、本物の人魚が奏でるレクイエム。バイオリンの音がそっと寄り添った。すすり泣いているようにも聞こえる音色で。
 
 数日後、アルは夕の両親に電話を掛けた。彼女の歌を引き継いで歌う許可をもらうためだ。
「お願いします! このまま愚神の歌として汚されて消えてしまうのは、あまりにも勿体なくて悔しいから」
 彼女の『魂の音』を世界に広めたい。それが自分にできる唯一のことだ。両親は承諾してくれた。父親が声を詰まらせながら礼を言う。母親の嗚咽も聞こえる。
(そう言えば。曲名は何かな?)
 アルは、両親が落ち着くのを待って尋ねた。
 夕の作曲ノートにはこう記されていたという。――黒い海のセイレーン。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 銀光水晶の歌姫
    アルaa1730
  • マーメイドナイト
    海神 藍aa2518
  • Trifolium
    バルタサール・デル・レイaa4199

重体一覧

参加者

  • Analyst
    宇津木 明珠aa0086
    機械|20才|女性|防御
  • ワイルドファイター
    金獅aa0086hero001
    英雄|19才|男性|ドレ
  • 『星』を追う者
    月影 飛翔aa0224
    人間|20才|男性|攻撃
  • 『星』を追う者
    ルビナス フローリアaa0224hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 馬車泣かせ
    赤谷 鴇aa1578
    人間|13才|男性|攻撃
  • 馬車泣かせ
    アイザック ベルシュタインaa1578hero001
    英雄|18才|男性|ドレ
  • 薩摩芋を堪能する者
    楠葉 悠登aa1592
    人間|16才|男性|防御
  • もふりすたー
    ナインaa1592hero001
    英雄|25才|男性|バト
  • 銀光水晶の歌姫
    アルaa1730
    機械|13才|女性|命中
  • プロカメラマン
    雅・マルシア・丹菊aa1730hero001
    英雄|28才|?|シャド
  • マーメイドナイト
    海神 藍aa2518
    人間|22才|男性|防御
  • 白い渚のローレライ
    aa2518hero001
    英雄|11才|女性|ソフィ
  • 魅惑の踊り子
    新星 魅流沙aa2842
    人間|20才|女性|生命
  • 疾風迅雷
    『破壊神?』シリウスaa2842hero001
    英雄|21才|女性|ソフィ
  • Trifolium
    バルタサール・デル・レイaa4199
    人間|48才|男性|攻撃
  • Aster
    紫苑aa4199hero001
    英雄|24才|男性|ジャ
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