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そして悪夢は魅了する
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相談卓
最終発言2015/11/04 05:53:49 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2015/11/03 20:09:08
オープニング
●それはまるで甘美な罠のよう
この山のどこかでドロップゾーンが展開されたらしい、という話を男が聞いたのは三日前のことだった。
らしい、と曖昧なのは東京海上支部のほうでも断定ができないほど力が微弱だからだそうだが、どんな理由があろうとドロップゾーンは形成初期に叩かなければならない。ドロップゾーンの影響で周囲の一般人が被害にあうのみならず、ゾーンルーラーたる愚神の力を強めることにつながるからだ。さらに、今回は特に事態の鎮圧を急がなければならない理由がある。
それは――
「あの、巻下さん? 俺の話聞いてます?」
と、思考に水を差すようにやや高い男の声が耳に届いた。巻下と呼ばれた男は、慌てて顔を上げて声がした方向を向いた。
「……あ? ああ、いや、まったく聞いてなかった。なんか言ってたか?」
「はー……今回の作戦内容、俺まだ何も知らされてないんですけど、どうなってるんすか」
「そうか、須崎は急遽駆り出されたせいで本部から説明をもらってなかったんだな」
巻下の子供ぐらいの年に見える須崎は、年不相応に快活そうな顔を不満げな色に染めながらこくりとうなずいた。こうしてみると、本当に親子に見えるから不思議である。
巻下はしばし腕を組んで考え込んだが、やがて、
「俺もよくわかってねえ」
「はい?」
ますます意味が分からない、という顔で訊き返す須崎。
「宝さがしみてえなもんだ。地図の上にでかいバツ印がつけてあって、その上をしらみつぶしに歩き回ってるのが今の状況。この任務中に見つけられればラッキー、ってことだ」
「アバウトにもほどがありませんか? 何のためのHOPEですか」
「そんなもんだよ。上もまだ状況を把握できてねえらしいからな」
そんなもんだ。その言葉を、巻下は心の中で反芻した。
巻下たちがドロップゾーン攻略にあたるのは、突き詰めれば『市民のため』だ。要は市民に何の被害が出ないことが確認できればいい。従魔退治も愚神討伐も、すべてはその理念にのっとっている、と巻下は考えている。
平和が一番だ。何もなければ、それはそれで十分なのである。
腕時計に目をやると、すでに午後五時を回ろうとしていた。捜索終了時間を過ぎている。
「そろそろ帰るか。俺からここには何もないって上に報告しておくから――」
のんびりとした声で隣にいるはずの須崎に呼びかけ、そこで気づいた。
須崎の姿がどこにもなく、そしていつの間にか広大な草むらに迷い込んでしまったことに。
「……どういうことだ」
視界いっぱいに広がる緑。ちょっとした集会さえ開けそうなその空間に、しかし生物の気配は何一つない。不気味なまでの静寂が一帯を包み込んでいた。
周囲を見渡しても、先ほどまで歩いていたはずの道はどこにもない。考え事をしていて道をそれたのかとも思ったが、それならこんなところに来る前に須崎が声をかけるはずだ。人の行動を面白がって放置するタイプではないし、そもそも須崎は何も知らされていないのだ。情報源をなくすような真似はしないだろう。
つまり、予想される事態は一つ。
「……愚神の能力、ってやつかね」
全く気付かなかった。ここまで誘導されたのなら、この草むらは愚神のホームグラウンドだ。まともに戦って勝てるとは思えない。
このことを報告する。そのためにも今は逃げなければ。
そう思い踵を返しかけたその時、視界に突如として人影が立ち上った。
まるで地縛霊のように沸き上がったその姿は、一つではない。確認できるだけでも五人いる。そして、その中の一つはどこか見知った顔をしていて――
「……須崎、か?」
影は答えない。何も視界に入っていないような瞳で、巻下をじっと見据えるだけだ。
再び声をかけようとしたその時、両肩に柔らかな重みがかけられた。
「……コッチニ、オイデヨ……」
「ッ!!」
即座に共鳴して背後の何者かに裏拳をかます巻下。だが攻撃が当たった感触はない。振り返っても何もいなかった。
冷や汗が頬を流れる。これは非常にまずい。もうすでに相手の術中にはまっている。急いでこの場を離脱しなければ――!
「……コッチニ、オイデヨ……」
目を見開いて振り向くと、そこには須崎がいた。柔らかく両肩に手を置く彼の顔は、何の色も持っていない。不健康なまでの無がそこにあった。
「離せ!」
力任せに押しのけると、その体は簡単に遠ざかった。しかし、今度はまた別の若い男が肩をつかむ。
振りほどくと、今度は小さな少女が。引きはがすと、今度は年配の女性が。それもどかすと、三十代ほどの女性が。入れ代わり立ち代わり巻下の肩をつかんでいく。しかもその力はだんだんと強くなっていき、万力のような圧力が両肩にかけられる。
徐々に体力が奪われる。奪われた体力が、巻下の心を圧迫していく。
「こいつ、ら……」
瞬間、背中にまた別の圧力を感じた。肩越しに見やると、それは天の果てまで続くのではないかと見まがうほど巨大な崖だった。
(……しまっ、後ずさりしてたから、もう後ろが……!)
巻下が目をむくと同時、一斉に五人が襲いかかった。もう押し返せない。重みに押しつぶされ、息も満足にできなくなってしまう。
(ま、ず……)
薄れゆく意識の中で、巻下は確かにその『声』を聴いた。
「……コッチニ、オイデヨ……」
そう、確かに巻下は知らされていたのだ。
今までこのドロップゾーンを偵察しに向かった能力者のすべてと連絡が取れなくなっており、どれほどの熟練者を向かわせても同じだった、という事実を。
解説
●目標
愚神一体の討伐、あるいは能力者の救出
●登場
ケントゥリオ級愚神『ナイトメア』
都心郊外の山麓にドロップゾーンを展開する愚神。今まで複数の能力者が偵察及び討伐に向かったものの、そのすべてと連絡がつかなくなっている。
断片的な情報から、本体は一人の人間に憑依するのではなく、極めて速いスピードで周囲の人間に憑依を繰り返すことで、はた目には複数の人間に同時に憑依して操っているように見せかけているものと思われる。これによって愚神本体への連続した攻撃は非常に困難になるが、愚神も一定量のダメージを与えるごとに消耗し、憑依できる人間の量は減ると考えられる。また、憑依する人間の物理的な距離が遠くなれば移動する時間も消費するので、ひとところにとどまりやすくなると思われる。
憑依の対象にされた場合、バッドステータス洗脳が付与される。
HOPE能力者
『ナイトメア』によって洗脳、支配下に置かれた能力者たち。偵察に向かった者たちと同一人物である。
攻撃は基本的に素手。低い確率で拘束することもある。また、攻撃するごとに攻撃力が増加するという情報もある。全員強制的に共鳴状態にさせられている。
『ナイトメア』に関する情報を持っていると考えられるため、仮に『ナイトメア』を討伐できなかった場合でも彼らを連れ帰ることで任務を達成したとみなす。
なお、憑依されている間も愚神にライヴスを吸い取られ続けているため、一定ターンが経過するとライヴスが枯渇して死亡する。
能力者は、全六名である。
●状況
時刻は正午、雲が多いため光量は少ない。
山道を大きくそれたところにある広い草むらが『ナイトメア』のテリトリーとされる。
周囲は崖になっており、草むらの中には少数ながら広葉樹が生えているようだ。
リプレイ
●悪夢の誘惑者
まるでそこだけ地面が陥没したかのような、異質な地形。背の低い草花とわずかな広葉樹が寒々しくそびえる地の中心に、『それら』はいた。
彼らは自らの領域に侵入してきた存在を認めると、示し合わせたかのようにそちらを振り向いて口を開く。
『……コッチニ、オイデヨ』
異口同音に呟かれる誘惑の言葉に、ガルー・A・A(aa0076hero001)は荒々しく吐き捨てた。
『胸糞悪ぃな。いけるか?』
「当然ですよ。怖がっていては何も助からない」
紫 征四郎(aa0076)は目の前をまっすぐに見据えると、毅然とした表情で言った。
「今回は結構気合必要系?」
『今回もだ。いつも注意しておけ』
白虎丸(aa0123hero001)の言葉に、虎噛 千颯(aa0123)はやや苦笑しながら大鎌を構えなおす。
『どうも、憑依以外に識見当を狂わす能力も持っておる様だ。油断するなよ』
「手強いということは情報を持っている可能性も高いということです。この瞳、或いはグリスプという名、引き出したいものです」
警戒の言葉を呟くテミス(aa0866hero001)に、石井 菊次郎(aa0866)はサングラスをわずかに傾けて彼らを見渡した。
「惑わして引き寄せる……思考の迷宮に忍び寄るタイプの愚神です。ディタのよくする瞑想で何とかならないですか?」
『阿羅漢には日常を過ごしながら禅定を行える方も居るらしいけど……私には無理ね』
エステル バルヴィノヴァ(aa1165)の問いに、泥眼(aa1165hero001)は溜息交じりに答えた。
「同士討ちを誘発させるタイプか、怪我を負う事は避けられんな」
『憑き物が荒魂だったら言霊で祓う事も出来るんだけど、愚神相手だと無理かな?』
冷静な御神 恭也(aa0127)の言葉を受けて、自称・神代七代の一柱、伊邪那美(aa0127hero001)は別のアプローチを提案した。
「取り憑かれるんですか? ちょっと怖すぎですよね」
『ちゃんとするのじゃ。男の子であろう?』
母親のようなことを言うタイタニア(aa1364hero001)に、都呂々 俊介(aa1364)は激しくかぶりを振った。
「洗脳、ねえ。洗脳がこんなに早く出来るんなら、脳科学者も世話ないわよねえ……」
『いや、脳科学者の仕事じゃないでしょそれ』
榊原・沙耶(aa1188)が頬に手を当てて呟いたところに、小鳥遊・沙羅(aa1188hero001)の突っ込みが飛んだ。
「面白そうな依頼じゃねーか。ぐずぐずしてんなよ、行くぜ」
『待ってください、情報がまだ……!』
口角を吊り上げた黒塚 柴(aa0903)が、フェルトシア リトゥス(aa0903hero001)の制止も聞かず走り出す。そして、それに触発されるように全員が彼らを取り囲むように展開する。
「とりあえず、これ使ってみるか―!」
虎噛がそう言って大鎌を掲げると、その先から青白いライヴスが放出された。それらは虎噛たちの目元を眼鏡のように覆うと、彼らの目にライヴスの流れを映し出した。彼の後ろにいる都呂々が訊いた。
「ライトアイ、もともとは暗闇で使うものですよね」
「そそ。ダメもとだったんだけど、うまくいった系だね」
言葉通り、全員の目にはライヴスが視覚化されていた。囲まれている能力者たちを見ると、彼らをつなぎとめるかのようにほうき星の尾のようなライヴスがとめどなく流れていた。
それは一人の能力者の体に留まると、勢いよく駆けだした。狙いは、その先にいる御神だ。
「ふっ!」
能力者が持つ太刀と、御神のコンユンクシオが激突する。火花散らす鍔迫り合いを制し、押し切った御神はそのまま上段から斬りつけようとする。
だが、愚神は能力者の体から離れ移動を開始する。あまりの速さに、御神の目にはライヴスの残像しか視認できなかった。ぎりぎりで能力者に当てずに剣を止めた御神は苦々しげにこぼした。
「目で追いきれない以上は、音か痕跡から相手の動きを計るしかないか……」
『手当たり次第に武器を振り回すのは? 下手な鉄砲でも数を撃てば当たるかもしれないよ』
「悪いが却下だ。洗脳されてやっているのか自発的にやっているのか判らないからな」
残像は、紫の近くの能力者で留まった。感情のない瞳で斬りかかろうとする自分と同じぐらいの年の少女に、紫は血みどろの槍を構えた。
「殺しはしません。少し痛いと思いますがご容赦を……参ります!」
紫は地を這うように穂先を少女の体と交差させると、一気に槍を外側に大きく振った。バットに打たれたボールのように少女の体は吹き飛ばされ、能力者たちから引き離される。
「ガルー、視えていますか?」
『ああ。あの嬢ちゃんは問題ねえが、あいつはもう移動した後だ。お前さんの後ろに行った』
紫が急いでそちらを振り向くと、かすれた青白い帯が草原を横断していた。
「千颯、そちらへ行きました!」
「おっけー! 俊介ちゃん観察よろしく!」
「は、はい!」
大鎌の先からクリアレイを放つと同時に能力者の下に疾走する虎噛。光線が当たり、能面のような顔がこちらを向くや否や、湾曲した部分に能力者の体をひっかけて手元に勢いよく引き寄せた。衝撃で能力者が地面に叩きつけられる。
「お互い能力者だから多少の無茶はご愛嬌ってね!」
『とはいえ操られているのだ、なるべく気をつけろよ……あ、ござる』
淡々としている白虎丸だが、悲鳴を上げる少年が一人。
「表情ゼロがこんなに怖いなんて! 帰っていいですか?」
『一人になれば俊介、次はお前じゃぞ』
呆れて叱咤するタイタニア。だが、都呂々は怯えながらでもしっかりと状況は見ていた。必死さのなせる業である。
連携はできている。愚神はお手玉をされるように移動するのみ。タイミングさえ間違えなければ能力者の救出はおろか、『ナイトメア』さえも討伐できるかもしれない。
そう思えてしまっていた。
まだ戦いは始まったばかりだというのに。
●コッチニオイデヨ
「エステル、そっちに行った!」
都呂々の声に、エステルはクリスタルファンを構えて機を窺った。一定の距離を保ち、能力者に均等にダメージを与えることが現状での彼女の役割だ。愚神がとどまったところを狙い、落ち着いて攻撃すればそう難しいことではない。
『……ちょっと待って、何かおかしいわ』
泥眼の警戒の理由はすぐにわかった。エステルの近くの能力者に近づいた青白い流れは、その若い男性に留まることなく通過したのだ。
「まさか、本命が別に……!?」
慌てて残像を目で追うエステル。確かにそこにいた中年の男性に青白い影はいた。
『エステル、構えて!』
泥眼が叫ぶと同時、エステルの真横から鈍い痛みがした。目を見開いてそちらを見ると、そこには愚神が通過した時にいた男性が短刀を彼女の脇腹に突き刺していた。
「あ、ああッ!?」
悲鳴を上げるエステルは、確かに見た。
愚神がとどまる中年男性が、彼女に向けて狙撃銃を向けていることを。
(……まさか、挟撃……! このままじゃ……!)
だが、銃口から弾丸が放たれる前に男性の体は横なぎに吹き飛ばされた。何が何だかわからぬまま、エステルは男性をクリスタルファンで引き剥がして距離を取る。
「……憑依されただけで洗脳される、それは愚神本体が離れても同じってか。なかなか厄介な『悪夢』じゃねーの」
中年男性をそのスナイパーライフルで弾き飛ばした黒塚は、広葉樹の陰で排莢を行いながら薄く嗤う。フェルトシアが小さく唸った。
『そうなると、愚神の手数は今まで見たもの以上に多くなるということですね。もっと注意をしないと』
「まーどーでもいいだろ。それに、それぐらいがずっとオモシロイ」
そう、これでいい。黒塚は粘着質な笑みをさらに引き延ばす。
いまだ中年男性に憑依をつづける愚神が新たな攻撃対象を探すために振り向くと、そこにはサングラスを外した石井が何気なく立っていた。敵対する意思を感じさせないその姿に、愚神はわずかに首をかしげる。
「今日は、ナイトメアさん」
『……コッチニ、オイデヨ』
「失礼ながら今回は時間が御座いません。次回の検討案件ということでよろしくお願いします。それとは別に――この瞳を持つ愚神、或いはグリスプという名をご存知ではありませんか? ずっと探しているのです」
しかし、愚神は折れんばかりに首をかしげるばかり。その態度に、テミスが警告を飛ばす。
『聞き込みはそこまでだ。来るぞ』
「ええ。どうやらこの方もご存知ではないようです」
手に持つ魔術所のページが勢いよくめくられていく。そのたびに、分離するかのように白魔術的な剣が石井の周りに展開された。
「寂しがり屋の御身には温もりを与えるマフラーを、ここにはありませんが。おっと、首は御座いますか」
開いた手でサングラスをかけなおすと同時、澱んだ風と共に無数の剣が愚神に殺到した。大小様々な傷を能力者に作らせると、愚神は憑依を解除した。
そして、それをじっと観察していた御神は背後に問いかける。
「榊原さん、どう診る?」
「そうねえ、憑依された人間には目に見える特徴は現れないっぽいわねえ。虎噛ちゃんの戦法を見る限りだと、クリアレイを使っても憑依されたままだと意味はなさそうだし」
『何か見分ける方法があればわかりやすくなるかな?』
伊邪那美の言葉に榊原は一つうなずいた。
「例えば、攻撃の時に強く足を踏み込んで大きな音を出す、とかかしらねえ。もっとも、展開後の今だと皆には伝わらないと思うけど」
『沙羅が共鳴解除してみんなに伝えに行くっていうのはどうよ?』
「もしその時に彼が憑依されたりしたらどうするの? 洗脳を解けないとお話にならないわよお」
『……それもそうね』
その間にも、愚神はますます動きを速めてリンカーたちに迫る。紫は少女に取り付いた愚神と一進一退の攻防を繰り広げていた。
「はああ!!」
押し通すように放った一撃は、少女もろとも愚神を捕らえた。たまらず飛び出した愚神は、御神の方へと移動する。
「……黒塚さん、万一憑依されたときは頼む」
『恭也?』
その言葉に不穏な気配を感じ取ったか、伊邪那美が訊き返す。しかし、御神は応じず代わりに黒塚の軽い声が届いた。
「おー、任せとけー」
愚神に取り付かれた能力者が再び迫る。
(……このままではいずれ愚神を取り逃すだろう。だったら、こうするしかない)
『恭也、来る!』
伊邪那美の悲鳴にも似た声は、目の前の三十代程度の女性の能力者に対してではない。彼女の背後に悠然と佇む青白い影に向けられていた。
影はささやく。自らに計略を巡らせる能力者を悪夢へ誘うために。
『コッチニ、オイデヨ』
「……!」
驚くほど優しく影に両肩を抱き寄せられたと御神が認識した瞬間、彼の意識は途絶えた。
「憑かれたわねえ、彼」
『言ってる場合?』
それが無駄だと悟りつつも、榊原はクリアレイを放つ。御神の胸あたりに光線が当たると、瞬時に彼の目に生気が戻った。しかし、それに反して御神はコンユンクシオを高く掲げた。
「……逃げ、ろ……」
御神が呻いた後、音もなくその体が迫った。榊原に肉薄すると、大剣を勢いよく振り下ろす。
「いやあっ!?」
重い一撃に耐えきれず地面に叩きつけられた榊原。それを見計らったかのように、御神の強制的に動かされている体にいくつもの銃弾が叩き込まれた。銃口にわざとらしく息を吹きかける黒塚は、崩れ落ちた御神に声をかけた。
「ちょーっとやりすぎたかー?」
「……いや、問題ない。助かった」
「どーも」
血が絡まった痰を吐いて立ち上がった御神は、榊原を守るように剣を構えた。
「すまない。怪我をさせるような真似をして」
「いつつ・・・・・平気よお。それより、傷を治すまでの間ちゃあんと守ってねえ?」
「承知した」
御神の頭の中に非難するような声が響く。
『何も自分を利用させることはなかったと思うけど』
「……動きが素早く、捉えられないなら憑依する瞬間か憑依中を狙うしかない」
『でも、それだと恭也が怪我を負う事になっちゃうよ。恭也だけじゃない、さっきみたいに他の人も』
「回復できる人は多い。重傷を負う事はないはずだ」
『……恭也の自分を顧みないところは好きじゃないよ、ボクは』
「死に急いでるわけじゃない。最も効率的なことを選んでるだけだ」
エステルに呼びかけ、榊原自身の治療と並行して彼女の援護を受けてもらうことにした御神。その様子を、黒塚はのんびりと眺めていた。
「取り憑かれて仲間を攻撃するとか、ゾンビ映画か何かかよ」
『シバ、不謹慎ですよ』
「かてーこというなよ。これぐらいじゃねえと面白くねえだろ」
愚神は五十代程度の女性の能力者に取り憑き、虎噛に襲いかかる。だが、虎噛が接敵する前に愚神の青白い帯は女性の体を離れた。
『エステル殿にしたことと同じことをする気か!』
白虎丸の読みは正しく、少し離れたところにいる若い男性がこちらにリボルバーを向けようとしていた。しかしその銃口は虎噛ではなく、その後ろ、必死に状況を分析しようとしている都呂々に向けられていた。そのことに彼はまだ気づいていない。
「伏せろ俊也ちゃん!」
「え、うわっ!?」
弾かれたように身を丸めた都呂々の頭上を弾丸が通過する。ひとまず危険を回避したと安堵した瞬間、目の前で競り合いを続けていた能力者の勢いが急に増した。
(……まず、油断した!)
それを悟った瞬間、滑らかな剣身が虎噛を袈裟懸けに斬り払った。くずおれる虎噛に都呂々が慌てて駆けつけて抱きかかえ、その場を離れる。
「大丈夫ですか!? すみません、僕のせいで……すぐ治療しますから待っててください!」
「いやー……だいじょぶだいじょぶ。ほら、今回は癒し系多いけど俺ちゃんが一番の癒し系ですから☆」
『一番癒されない系の癒し系か?』
「それ癒し系じゃないじゃん……」
はは、と笑う虎噛の唇は徐々に紫色にに変わりつつあった。
「虎噛さん! ……きゃっ!」
回復に向かおうとしたエステルに洗脳された中年男性が襲いかかる。突き倒され、何とか距離を取ろうとする彼女は、もう一人遠距離から狙う者がいることに気づいていない。
だが、その体はまたしてもに方向からの狙撃に阻まれる。
「学習しねえ奴らだな? 映画の演出にしてもチープすぎるぜ」
「女性を挟み撃ちなど、程度が知れますよ『白昼夢』さん」
石井の方向にゆらりと顔を向けた愚神は、彼の顔を見てわずかに口元をゆがめた。
正確には、彼の瞳を見て。
『……オイデヨ』
『……まずい、何か様子がおかしいぞ!』
テミスが叫んだ直後、石井の体を何かおぞましいものが埋め尽くした。
最後に彼が見たものは、自分に向けてクリアレイを放とうとする紫の姿、そして。
自らの水晶の扇から放たれた煉獄の炎だった。
『なに、が……あったの……?』
泥眼の声で、エステルは固く閉じられていた瞳をゆっくりと開いた。その時になって初めて、自分が草むらに倒れていることに気づいた。
「ううん……」
頭が混乱する中、焦げ付いた匂いが鼻腔を満たした。
(……焦げ付いた?)
その感想に驚き、エステルがあたりを見回す。
視界の中には、焦土が広がっていた。戦闘域の半分が、燃やされた空気が満ちるエリアに変貌していたのである。
『しっかりするのじゃ、俊介! 倒れている時間はないぞ!』
声のする方向に目を向けると、そこでは幻影となって都呂々に呼びかけるタイタニアと、彼のそばでうつ伏せになってぴくりともしない虎噛がいた。
「……石井さんの、攻撃……?」
『正確には石井さんに取り付いた愚神の、よ。行きましょう、特に虎噛さんは危ない』
脚に無理やり力を込めて立ち上がる。この状態で治療に少しでも専念できるのはわたしなのだから。
そして、被害を受けなかったもう半分の領域では。
「……っぐ!」
『しっかりしろ、征四郎!』
反応が遅れた。あの一撃に気をとられている隙に、敵はもう次の攻撃に移っていた。いま自分は、征四郎は、同じぐらいの年の子に上から首を絞められている。
声帯が締め付けられる。脳に酸素が届かない。自分を絞める少女の顔すらも不鮮明になってゆく。
「……か……ぁ……」
『おい征四郎! お前さんの想いはその程度かよ! こいつらを助けるんじゃねえのか!?』
この英雄は、自分を一人にさせないでくれている。
まだだ。この程度で倒れるわけには、いかない。
「……目を、覚ましてください!」
クリアレイを放ち、目の前の少女の目に生気が戻ったことを確認して紫は叫ぶ。
「あなた達もまた、守るべきもののために、ここまで来たのでしょう!? どうか、どうか届いて! 私たちは、征四郎は、あなた達に、手をかけたくないのですよ!」
無謀だ、と思う。
彼らが愚神に憑依されている間は、どんなに拒もうとも愚神の身勝手によって拳を振り下ろさせられる。それは分っている。
それでも、届いて――!!
「虎噛さん!?」
朦朧とする頭に遠くで誰かを呼ぶ声が聞こえたと思ったその時。
「てめえ!! 子供使って何してやがんだア!!」
おおよそ『彼』らしくない怒声とともに、少女の体が大きく投げ飛ばされた。
少女を焼け焦げた大地の方に吹き飛ばした彼の名を、紫は知っている。
「……千颯……」
「俊介、その子眠らせて縛っておいて! ……あつつ、ごめん、我慢できなかった」
差し出された虎噛の手を取って立ち上がった紫は、その瞳に憧憬の光さえ滲ませて呟いた。
「千颯らしいです」
「ケアレイ、使えなくなりました!」
エステルが叫ぶと同時に、別の方面でため息交じりに同じことを呟く女性が一人。
「こっちもよお。奮発しすぎたかしらあ」
彼女だけではない。紫も、都呂々も、虎噛も回復手段は尽きかけていた。
消耗戦。どちらかが倒れるまで続くデスレース。
「まずいですね。もう皆さん消耗していますから、どこかで決定的な一打を与えないと」
エステルのカバーのために行動を開始した石井もまた、ひびが入ったサングラスを直しながら言う。
そして、御神もまた同じような思いを抱いていた。
「憑依した人間のスキルが使えるとなると、より慎重にならざるを得ないな」
『あの時に使われなくてよかったね』
「ああ」
御神の前に立っていた三十代程度の女性に愚神が憑依したのを確認すると、最短距離で突き進む。一撃を与えて離脱する。憑依する隙を与えないように。
「はっ!!」
捕らえた。しかし、それを意にも介さないかのように愚神は御神を超えて移動を開始する。彼の後ろには榊原と、もう一人いたはずだ。
『あの愚神、今度はフェルちゃんのところに行くつもりだよ!』
「黒塚さんは範囲攻撃ができる……まずい、そこから離れろ!」
だがその声に黒塚が反応する一歩前に、愚神は憑依を完了させていた。そして、あの時と同じように黒塚が愛銃の方向を天に向けた。
「みんな、離れ――」
すでにクリアレイを放っていた榊原が叫ぶも、遅い。
再び業火が草原に降り注ぐ。今度は、使用者たる黒塚さえも巻き込んで。
「治療を急いでください! やれることは全部やらないと!」
都呂々が絞り出すような声を出し、炎燻る地に向けてケアレイを放つ。それに呼応し、紫と虎噛も残り全てのケアレイを撃って回復を促した。
「もう後はない系だね」
『今更後などない。気を引き締めろ、千颯』
焦土の中から、よろよろと起き上がってくる影が見えた。しかしその体は、愚神が憑依した能力者による狙撃で容易に吹き飛ばされる。フェルトシアが悲痛に呻く。
『シバ、足が……!』
「……ちょーっと、やべえな。けどまあ、これもこれで面白いが」
吹き飛ばされた時の衝撃によるものか、彼の足は本来ありえない方向に折れ曲がっていた。歩くどころか、立つことさえ今はままならない。
「今なら、一人ぐらいはいけるかも知れないわねえ……」
『無理すんじゃないわよこのイカレ脳科学者! おとなしくしてなさいっての!』
「ごめんねえ、小鳥遊ちゃん。愚神に憑依されたサンプルを取り逃がすことは、私の科学者生命が許さないのよお」
震える手で膝を押して立ち上がった榊原は、その手を都呂々に向けた。
「セイフティガス、お願いできるかしらあ? 多分あの女(ひと)、『落ちそう』だから」
「は、はい!」
都呂々がガスを放つと、言ったとおりに先ほど御神と交戦していた女性が眠りについた。榊原はその女性を引きずって戦場の中心から遠ざけさせる。
「もう私にはこれぐらいしかできないからあ、あとはよろしくねえ?」
『……コッチニ、コナイ……』
自身の配下が次々と倒されていく中で、愚神は初めて惑うような声を出した。
いいや、正確には惑うという感情はない。ただ、『この時はこうするべきだ』とインプットされたプログラムを忠実に実行しているだけだ。
そして、それをわかったうえで能力者たちは愚神につきつける。
「ナイトメアさん、あなたの手駒は残り四人。私たちが黙っていてもあなた自身の手によって彼らは消耗し、私たちが保護できる環境が整います」
「そうすれば、あなたの負け。逃げ場なんて作らせないから!」
「ぼ、僕は能力者さんを保護するだけですけど、それでもナイトメアに渡さないぐらいのことはできます!」
「征四郎は、あなたを倒す。そして、あなたが支配する人たちを返してもらいます」
「お前に用はない。おとなしく消えてもらおうか」
「もう諦めたら? オレちゃんたちは、ナイトメアちゃんのところにはいかないよ」
『……コッチニ、コナイ……? コナイ、ナラ……』
ぶつぶつとつぶやき、身をよじる愚神は、最後に爆発したかのような声で咆哮する。
『コッチニ、ツレテイクウゥゥゥゥ!!』
『構えろ主!』
『ここが正念場……! エステル!』
『俊介、絶対に引き離されるでないぞ!』
『これでしまいだ、征四郎! 一気に決めろ!』
『絶対負けないで、恭也!』
『千颯。悪夢から、人々を醒めさせる時だ!』
全員が武器を構え、戦闘態勢を整えた瞬間、愚神が今までと比べ物にならないスピードで疾走した。一瞬だけ憑依し、すぐさま次に乗り移ることで実現させた多重攻撃。それを今度こそ、惜しみなく発揮する。
黒い暴風が戦場を覆い尽くす。もうライトアイの効果は切れていたが、その影ははっきり見えた。
山を揺るがすほどの大攻勢の後に立っていたのは、わずかに五人。リンカーはその半数が行動不能に陥り、残る四人も全身から血を流しながらかろうじてそこに立っていた。そして愚神は、ただ一人中年の男性に憑依したまま動けずにいた。ほかの能力者はすべて、リンカーの手によって捕縛されたからだ。
愚神は何も言わずに周囲を緩慢な動きで見渡すと、リンカーに背を向けて立ち去ろうとする。
「……待って……!」
都呂々が血痰を吐きながら叫ぶも、それは止まることなく何処かへ歩んでいき。
そして、消えた。
同時に、周囲は威圧感漂う戦場から穏やかな風が吹き抜ける草原へと姿を変えた。
『彼』がどこへ行ったのかを知る術はない。愚神に連れられたのだ、と結論付けるしか彼らに道は残されていなかった。
傷ついた者たち、憑依されていた者たちを耐え残った者たちが支え、山道を下る。
「都呂々さん、HOPEへの回収依頼は済みましたか?」
「はい。下で待っているそうです」
石井の問いに、黒塚を背負う都呂々が応じた。意識があれば煙草でも吸っていそうなものだが、この状態ではどうしようもなさそうだ。
「……なんだかあそこが、家みたいに感じられました。よく分からないんですけど」
「ホームシックかしらあ? 後で私の病院来るう?」
「あはは……帰って起きていられたら、お願いします」
榊原に笑みを見せて答えるエステルの顔には、色濃く疲れが残っていた。全員、まだ多少力が残っているだけで今すぐ倒れてもおかしくないのである。
テミスがやや苦々しげにこぼす。
『悪夢は去った、か』
「これで魅了される人はいなくなるでしょう。少なくとも、今は」
彼らに笑顔はなく、傷跡だけが痛々しく刻まれている。
HOPE職員が待つふもとは、もうすぐ目の前に迫っていた。
結果
シナリオ成功度 | 普通 |
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