本部
【消えた独生子女たち】黒牛の夜
掲示板
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追跡作戦本部
最終発言2018/02/21 01:01:35 -
質問掲示板
最終発言2018/02/20 01:04:42 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2018/02/16 22:51:39
オープニング
●独生子女政策下の子供たち
「お願い! あの子を返して!!」
警察署の前で中年の母親が、半狂乱になって声を上げる。
「うちの露芳は心臓に持病があったの! あの歳で機械の心臓を入れているのよ! どこでだって高くは売れないわ! 一番高くお金を出してあげられるのは、うちなのよ……」
独生子女政策――日本では一人っ子政策と訳される。中国における独特な人口抑制政策で、とある世界的な研究所に「中国はこの政策にて壮大な実験中である」と評された、賛否の分かれる政策だ。
近年になってようやく緩和されたが、都市部では一人っ子の習慣が深く根付いていて、あえて二人目をもうけようという夫婦は少ない。
よって、ほとんどの夫婦にとって、我が子は一人だけ。
夫婦の親、つまり四人いる祖父母にとっても、孫はただ一人だけ。
千祥幼児園では、通っていた子供のうち五歳児クラスを中心におよそ40名の児童が謎の失踪を遂げた。
直前に園庭に落ちてきた『血鉤』の死骸が原因だと信じる人もいる。
この地方の伝承で、災いを呼ぶ獣とされる『血鉤』。伝説では鼠の体に鳥の爪、蛇の尾を持つという。
実際に現われたのは動物を食べることによってその姿を取り込むキメラ従魔だったが、中国における民間伝承はいまだ不思議な命脈を保っている。
警察の調査によれば、子供たちは夜遅くに自分でベッドから起き上がり、上着を着て靴を履き、自分で玄関の鍵を開け出て行ったものらしい。失踪事件のあったどの家にも、第三者の痕跡は皆無だった。
そして現在に至るまで、身代金等の要求は皆無。
この失踪事件にいかなる背景があるのか、組織的なものなのかすら不明だが、身代金目的ではないと見られている。
中国では近年、子供を標的にした誘拐事件が多発している。
身代金目的の場合もあるが、その多くは人身売買のためである。
地方ではいまだ、『氏姓の存続』に強く縛られている。
家を存続させるため、確実に『男の子』が欲しい。
そのためなら、いくらでも払うという家は多く存在するのだ。
また、たった一人の子供なら、家を継いでくれる男児をと願うあまり、女児を選択的に堕胎するといったことも広く行われている。これを防ぐため出生前の性別診断は法律で禁止されているが、すでに男女の人口比が不自然に男側に傾くという現象がある。
伝統的に中国では『売買婚』と揶揄されるほど婚約時の結納金が高額だが、いまはそれが天井知らずとなっている。女の子もまた『高く売れる』。
●残された手がかり
「……という背景をふまえてじゃな、H.O.P.E.に依頼が来ておる」
香港支部内にあるブリーフィングルームで、風 寿神(az0036)はホログラムを操作しながら言った。
そのかたわらにはソロ デラクルス(az0036hero001)が、椅子の上にちょこんと座っている。
「子供たちはどうやって失踪したのか? 何処へ行ったのか? ……それを探る為に重要な人物がおる。一人だけ、失踪を阻止できた子がおるのじゃ。高航という」
ホログラム上に、一枚の顔写真が映し出される。
学齢期前の、あどけない表情で笑う男の子の写真。
「この子が起き出したところで、母親が気づいた。やはり自分で上着を羽織り、外に出ようとしていた。声を掛けてもぼんやりとして返事をしないので、最初は夢遊病かと思ったそうじゃ」
外に出ようとしたので母親が止めたところ、男の子は酷く暴れた。
しかし所詮は子供の体力。三十分も揉みあえば、疲れたのか糸が切れたように再び寝入ってしまった。
そして翌朝は、なにひとつ憶えていなかった。
病院で検査したところ、各種項目に異常は無し。
なんらかの暗示のようなものに罹っているのでは、と見られている。
「それから毎晩、ふいに起きては出てゆこうと暴れるそうなのじゃ。両親は扉と窓のすべてに、子供には開けられない錠をつけたが、状況が改善しないのに疲れ果て、警察を通じてH.O.P.E.に依頼したのじゃ。この子の行く先を見届け、必ず連れ帰って欲しいと」
それからテーブルの上にあった透明プラスチック製のトレーを持ち上げて見せる。
そこには服用のボタンがひとつ転がっていた。
「これはボタン型の発信機じゃ。母親の手によって子供の寝間着の裏側にひとつ、下着にひとつ縫い付けられておる。GPSによって追跡が可能じゃ」
GPS情報はエージェント各自の端末に転送される。
この事件にはヴィランが関わっている可能性が高く、警察だけでは対処しきれない可能性があるためH.O.P.E.への依頼となったが、地元警察も待機中であり、要請に応じて、あるいは状況に応じて出動予定である。
「医者の見解としても、この子の夜中の奇行をやめさせるには、一度目的を遂げさせるのが有効だという見解じゃ。確証はないがの」
何処へ行くのか? そこには何が待ち構えているのか?
「蜥蜴市場のこれまでの用心深さを鑑みれば、この子の行く先を追っただけですべての子供が見つかるとは思えぬ。しかし重要な手掛かりであることは間違いない。まずは高航を失わないこと。そして微かでもよい、次の捜査の糸口を掴むこと。それが我らの使命じゃ。よろしく頼む」
寿神はあなたがたに向かって一礼した。
解説
【目標】
主目標;高航が暗示によって出かけようとしている行く先を見届け、失踪を防ぐ
副目標;子供たちの失踪事件について捜査の糸口を掴む
【登場】
・高航(カオハン)
姓は高、名は航。千祥幼児園の五歳児クラスに所属する男児。この子のいるクラスは、この子以外全員が失踪している。
夜のことは憶えていないし、何処へ行きたいかも知らない。ただ毎晩起きては暴れているので、疲弊している。
・李露芳
姓は李、名は露芳。高航と同じ五歳児クラスの女児。心臓に持病があり、五歳にしてアイアンパンク。成長に応じて人工心臓を入れ替えねばならず、今後も多額の医療費がかかるため、人身売買の場では大変不利。警察も特に安否を心配している。
両親は共にそこそこの官僚で、身代金なら用意できるらしい。
・風寿神&ソロ デラクルス
追跡に同行し、警察の連絡等を担当する。
・地元警察
待機中。要請または状況に応じて出動あり。
『蜥蜴市場』の関与を疑ってはいるが、確証が持てていない。
【貸与品】
GPS情報はスマホに転送されるが、スマホがなければ代わりの端末を貸与可(プレイングに書いてください)。
【PL情報】
・基本的に高航が家を出た時点から追跡スタート。事前行動は可。
・遭遇する敵には充分に注意を払うべきだが、遭遇するまでは以下の情報はPC情報とならない。
・高航の行く先は市内常設食品市場の周囲にある廃墟。おおむね、下記の従魔が出てこれるような構造の建物。二階建て。
・出現敵
《黒牛(ヘイニウ)》
ツギハギの黒い毛皮に三つ目の牛型従魔。角は闘牛のように鋭い。出現数不明。
突進;大きな体と体重を生かして体当たり攻撃をする。
突き上げ;角で突いて空中に放り上げる。
咆哮;大きな鳴き声によりBS狼狽を与える。
《狙撃手》
どこかから狙撃を行う。武器はAGWでありエージェントにもダメージがある。人数は一人。
リプレイ
●
「おじさん、今回はキリキリ働いてもらうですぞ!」
重苦しい空気を払拭するように、ベネトナシュ(aa4612hero001)は明るく声をあげた。
騎士であった彼は、親子を引き裂く非道な行為に怒りを覚えている。
「……ガキばかり失踪、なぁ……」
一方、薫 秦乎(aa4612)は、酷く苦い表情をしている。
「……言ったこと、あったか……? 実は俺も、かつては……売られてたことがある……」
秦乎はアジア圏出身としか周囲に明かしていないが、おそらくは中国籍。
「育ての親御殿がおるのは知っておりますが」
「……結局は……売れ残って……逃げ出したんだけどな……」
男の子のほうが売れるとは言っても、秦乎は黒毒蛇のワイルドブラッドである。買い手からは容姿を理由に敬遠された。その後様々な過程を経て、育ての親に引き取られた。
『商品』だった頃のことを思い出すと、今でも身震いがする。
「そうだと知ってはいたけれど……、やはり、日本とは違う、のよね……」
福建省の片隅のこの街に蜥蜴市場が出現して以降、事件を追い続けている鬼灯 佐千子(aa2526)も眉を顰めて思案顔だ。
治安の悪さ、子供の売買。
どれも日本の常識とはかけ離れている。
「我々はもっと情報を集めるべきだな」
リタ(aa2526hero001)も冷静な声で佐千子の発言を肯定する。
蜥蜴市場の本体に辿りつくためには、まだなにかが足りない。
まずは現地の地理と治安、裏社会の勢力図を調べる。
一度は蜥蜴市場も活動した、ならば何かの痕跡が残っているはず。
ベネトナシュは警察の協力の元失踪児童の自宅付近の防犯カメラ映像を集め、解析を試みる。
防犯カメラの数は日本とは比べ物にならないほど少なく、解像度もよくはないが、航少年が行動を開始している深夜時間帯に重点を置き、警察にも助力を頼んで可能な限り調べる。
「その幼児園、血鉤事件意外になんか変わったことはなかったのか」
例えば新しい保育士が入ったとか、とヴィーヴィル(aa4895)は疑問を呈する。
「私は防犯カメラを調べるお手伝いをすると共に、警察の皆様にこれまでの事件の情報をもう一度聞いてみたいと思います、マスター」
機械のように平坦な口調で、カルディア(aa4895hero001)は告げる。
調査行動は手数を増やすため、ヴィーヴィルとは分かれて行う。
「蜥蜴の情報は必ず掴む、コッチの情報は一切渡さねェ。そういうモンだろ」
ヤナギ・エヴァンス(aa5226)は囮となる航少年の両親をはじめとして、聞き込みをする児童の親、あるいは職員など、およそ警察とH.O.P.E.の動きを知りうるすべての関係者に緘口令を敷くことを提案した。
加えて、心臓に疾患を持つ露芳については母親の言うとおり、最大の値段をつけられるのは両親だろう。
要求される対価は、金だけとは限らない。
露芳の親が内通者になることがないよう、捜査の状況は知らせないでおく。
少しでも様子がおかしければ、警察の配備を手配する。
「我々や警察が動くのも、カバーできればよいのですが……」
静瑠(aa5226hero001)の懸念に、九龍 蓮(aa3949)が応える。
「……偽情報とか、流すの、どう……かな。リンカー犯罪者が逃げてて、捜査中、とか……」
そうであれば、H.O.P.E.と警察があわせて動いていても辻褄が合う。
聞き込みの際にも偽の犯罪者の情報を流しておけば、どうだろう?
「妾は稲荷姫と共に、子供たちの親から話を聞かせて貰いましょうかの」
天城 初春(aa5268)は情報を集めるつもりだ。
小羊路市場の続報も、出来うる限り欲しい。
「子供たちが暗示によって動いたのであれば、犯人は現場に顔を出したと思われます。ボクも園内を調べようかと」
キース=ロロッカ(aa3593)はそう言いつつ今までの事件の書類に目を通す。
どうやら、隠蔽工作が得意な組織のようだ、と思う。用心が必要だ。
「ハーメルンみたいなもんだな」
鋼野 明斗(aa0553)は人の輪から少し離れたところで、そう呟いた。
鼠に笛、子供の失踪。ドイツが舞台の童話に、どこか似ている。
相棒のドロシー ジャスティス(aa0553hero001)は、エージェント達が打ち合わせをする傍らのソファですやすやと昼寝していた。
『考える、任せた』
そう殴り書いたスケッチブックを抱いて、伝えるべきことは伝えたかのような満足げな寝顔で。
明斗は考えることが嫌いな性質ではないが、この事件はピースのほとんどが欠けたままのパズルのようで、いくらやっても像が浮かび上がらない。
当面やるべきことは、残った航少年の保護と、子供たちの失踪先の捜索。
これで次に繋がれば、大幅にピースは埋まるはず。
●
「お疲れ様です。古龍幇の情報網と組織力を見込んで教えて戴きたいことが。最近、愚神の関与が疑われる集団誘拐が発生しているようですが、似たような事例や噂はありませんか」
香港協定に基づき、H.O.P.E.と古龍幇のあいだには合同部局が創設されている。キースが連絡を入れたのはそこだ。
既に先の血鉤事件の際に『愚神と関わるヴィラン組織』についての連絡はしてあるが、古龍幇が非合法活動から手を引いたことが、かえってその手の事件への初動を遅くしている。
取り急ぎの回答としては、『愚神の関与が疑われる』、『集団誘拐』の報告は勢力圏内では初。
ただし中国において、売買目的の子供の誘拐は頻発しており、『人販子』と俗称される。
子供は高額で取引されるが、誘拐の罪自体は他の犯罪と比べてあまりに軽い。
それが多くの誘拐事件を引き起こし、保護者の警戒の高まりとともに手口も巧妙化している。
誘拐事例はあまりに多く、すべては精査できないことを前置きとして伝えられた。
「うええ、誘拐なんて、日本では滅多に成功しないものなんだよう……」
匂坂 紙姫(aa3593hero001)は日本とのお国事情の違いに愕然とする。
エージェント達は風寿神の協力も得て、これまでの事件についても調べなおした。
小羊路の胡蝶を集めていた鞄は東小寒路で放り投げられたあと、いまに至るまで発見されていない。何者かが持ち去ったものと思われる。
千祥公園南路で起こった鼠従魔事件の最中、誰かが近くにいたのでは?
これは佐千子とヴィーヴィル、風寿神が検証したが、すべてに目が届かない以上、いなかったとは言い切れない。
ただ、いたとも言い切れない。警察も事件後、ひととおりの捜査は行っていたが、痕跡は発見されなかった。
幼児園の内部や、人員についてはどうか?
少なくともここ数ヶ月は職員の入れ替わりはなかったし、子供たちにも変わった様子はなかった。
事件は幼児園のすぐ側で起こったが、子供たちが動揺しないよう、当時の教育活動は窓を閉め、カーテンを引いて行われていた。子供たちはほぼ何も聞かなかったし、見なかった。
むしろ緊急連絡を受けた親たちのほうが動揺し、大慌てでやってきて、『災いの獣』の厄を避けようとした。
幼児園の送迎のほとんどは車によるものであり、次に自転車、稀に徒歩であった。
従魔の残した毛、牙、爪、あるいは肉の欠片などを拾った子供はいたか?
子供の親たちも、幼児園の職員も、『災いの獣』には過敏になっていて、「絶対にそんなことはさせない」と口を揃えた。
成果が上がったのは、ベネトナシュとカルディア、それに地元警察が協力して行った、付近の監視カメラの精査。
日本ほど街中の監視カメラは多くないし、カメラ撮影に適するほど夜間の照明も強くはないが、三箇所ほどのカメラに、大人より明らかに小さな影が歩くのが映っていた。
解像度が悪く、どの子供かも判然としない。ただ、小羊路や東小寒路のあるのと同じ、街の中心部へと向かっている。
これを元に、『子供が向かった場所』の炙り出しが始まる。
蓮と聖陽(aa3949hero002)、秦乎が警察の協力も得て、実際に現地を歩いて見て回った。
「リンカー犯罪者が逃亡中」の偽の情報つきで。
子供の足で辿りつける場所。
一時的にでも、四十人あまりの子供を隠しやすい場所。
そして子供たちの家から、人目につかずに行ける場所。
これらの条件から、市内中心部のどこかだと予想された。
無人施設であるか否か、子供たちは声を発したか否かが不明で、候補は範囲内に無数に存在したが。
それらのすべては位置情報として、各自のスマホ端末に送信された。
●
「さて、性根の腐った蜥蜴のねぐら、どこまで探れることやら」
初春は航少年の住むマンションの屋上から夜の街を見下ろした。
良い子はとっくに寝る時間、しかし暗示にかかっている航少年は、間もなく起き出す時間である。
『奴らが関与しておったら……徹底的に擂り潰すのみじゃな』
辰宮 稲荷姫(aa5268hero002)もその隣りに佇む。
古龍幇から届いた情報によれば、この街を以前から縄張りとする黒社会の構成員は、小羊路市場には一切関わっていないと断言しているそうだ。
蜥蜴は知らないうちに来て、知らないうちに出て行った、と言う。
市が立ったのもほんの数日のこと。
小羊路市場に軒を連ねた一般業者を誘ったのは、架空の会社だった。そして登録は抹消されている。
それでもこの街に、蜥蜴の這い回った痕跡は残されているはず。
夜毎に起きる航少年も、そのひとり。
少年は時間をどう判別し、『深夜』に起き出しているのか?
念のため、ヤナギと静瑠が暗くした部屋で寝かせてみたり、夜も明るくしたままの部屋で寝かせてみたが、行動を開始する時間は午前零時から午前三時のあいだに限られた。おそらくは誰もが持つ体内時計のようなものが関係している。
より安全な昼間のうちに歩かせることは断念したが、緘口令については徹底した。
今宵、航少年が『目的地』へと歩くことは、少年の両親、H.O.P.E.と警察の一握りの関係者しか知らない。
「誰か、航少年のカバーリングをお願いできますか?」
事前ミーティングでキースは、用心深く少年の護衛を提案した。
蜥蜴市場は証拠隠滅のためなら、容赦なく尻尾を切り捨てる。同じ組織の能力者でさえ。
ならば、この場で危険なのは誰だ?
初春は少年が突然どこかへと連れ去られ、そのまま扉が閉じてしまうことを警戒していた。どこかの国の御伽噺のように。
共鳴し、子供の姿と黒い巫女服で、潜伏を使い付かず離れず追跡する。
蓮とヴィーヴィルはいざという時は防護できるよう、なるべくスキル射程内に位置取りする。
「動いたぜ」
航少年の部屋にいたヤナギから連絡が入る。その合図で、待機中のエージェントは次々に共鳴した。
まだ五歳の少年は、物陰から見守る両親の前で上着を着、靴を履き、静かに扉を開けて出て行ったのだという。
「(いよいよね……!)」
子供たちの歩いた方向が知れて以降、佐千子はリタと手分けして予想される移動経路上にある観察と狙撃に適するポイントの割り出しを行った。
深夜時間帯にも歩き、照明の具合や人通りも調べてある。
そして住宅街の建物はお国柄、ほとんどが集合住宅。
オートロックの普及率は低く、入り込める共用部は無数にある。
しかし、自身の姿を隠すことを考えれば、屋上。
佐千子が選んだのは、それらを見下ろすことができる高層建築。
高射程のアポローンFLを装備し、照準器をつけて敵の動きを待つ。
「子供がうろついてたら目撃情報くらいないのかと思ったが……こんな夜更けじゃ、誰もいないな」
少年の服にはふたつのGPS発信機が縫い付けられているが、ヴィーヴィルはそれを手放しで信用しているわけではない。見失わないよう、しかし見つからないよう、物陰と暗闇を伝って歩く。
「ここまではボク達の予想通り、だけどね」
蓮と聖陽が目星をつけたルートに沿って、少年は歩いている。
あとはどこに行きつくか、と思ったそのとき――
ビシッ! とコンクリート壁の割れる音がした。消音器による、くぐもった射撃音。
「ここで来るでござるか!」
狐の素早さで、初春が動いた。
幸いなことに、初撃は外れたようだ。
十字路に差し掛かっていた少年を抱きかかえ、ジャングルランナーのマーカーを後方に射出し、現在位置から離脱する。
十字路の路面にもうひとつ、銃撃の音。
「オイオイ、目的は拉致じゃねェのかよ?!」
狙撃者を見つけるべく、夜目の効く種類のライヴスの鷹を飛ばす。
夜更けの空に舞った鷹はしかし、すぐに攻撃を受けて消失した。
「(紙姫、銃撃の方向は割り出せましたか?)」
『(三回も射撃音があれば、ばっちりだよぅ!)』
キースは紙姫の分析に従って、少年と初春を死角へと誘導する。
ふたりを庇うように広げた右腕を、銃弾が抉る。
「こちらも、敵位置を確認したわ。初春さん、ヤナギさんには感謝ね」
佐千子も三回の射撃のあいだに、狙撃位置を特定していた。
闇の中、四撃目の輝きをスコープ越しに見た。付近にある四階建ての屋上。
ファストショットですかさず追撃する。
こちらは十階建て屋上。高さの分有利だ。
ただ敵のいる屋上には照明がない上に逆光で暗く、敵の姿が直接視認できない。
おそらく黒い服で、暗がりに溶け込んでいる。
敵の反撃も早かった。屋上に突き出した階段室を盾としながら、銃器を構える佐千子を正確に狙ってくる。
肩を撃ち抜かれ、狙撃銃ごと死角に避けた。
「誰か、敵の狙撃ポイントに向かえる人はいるかしら? 銃撃のあった十字路から南にある、四階建ての茶色の建物の屋上よ」
スマートフォンで通信しつつ、より取り回しのしやすいセミオート狙撃銃へと換装する。
「では拙者が。小さきものの守護は任せたでござる!」
初春の装備するジャングルランナーの移動は水平方向、垂直方向ともに抜群の性能を持つ。
足場が確保できるよう上手くマーカーを射出すれば、何階建てであろうと一気に登れる。
「守護はボクが任された!」
蓮が少年を庇うように立つ。
狙撃手はひとりか? 他からの攻撃は?
不測の事態に備え、油断なく周囲を見回す。
佐千子が建物の影に隠れるあいだにも、壁面を抉る威嚇射撃が行われていた。
「子供を放っておいてこっちに射撃が来るということは、私がよっぽど邪魔ということね……。いいわ、援軍が来るまでお相手してあげる!!」
屋上を走って横移動し、攻撃を溜めて命中を上げ、身を乗り出した瞬間に二発バーストで連射。
佐千子の射撃を待っていたように、即反撃の銃弾が飛来する。
被弾しても構わず、身を隠しつつ走る。
そして今度は待つ。
威嚇射撃のすぐあとに乗り出し、残る硝煙を狙って、もう一度二連射!!
初春は外側に張り出した外部階段と隣の建物をうまく使って、三回の射出で四階分を登り切った。
銃器相手にはパイルバンカーでどうか? と構えるが、直前まで聞こえていた消音器つきの射撃音はぱったりとやみ、静寂と闇が広がる。
「おらぬでござる! おのれ、またしても逃げよったか!!」
いくら探しても、屋上には誰もいなかった。
ただ、初春が登ったのと逆側に、地上まで延びるワイヤーが残っていた。
「退路は確保してあった、ということでしょうかね……」
初春の話を聞いたキースがそう呟く頃、ジャングルランナーの加速で目を回していた航少年はまたむくりと起き上がり、歩き出す。
「あっ……きみ、危ないよ?」
蓮は止めようとしたが、少年が何らかの暗示で動いているのは明らかである。
ここで引き戻しても、また暴れるだけだ。
「子供は高額商品なんじゃなかったのか……? 何で真っ先に狙いやがる」
ヴィーヴィルは怒りに震える。
「おそらくはひとり分の商品価値より、組織としてのリスクが上回ったせいかと。何かを隠したいのかもしれません。尻尾切りをして」
キースが冷徹に考察を加えた。
掴まれそうになった尻尾は容赦なく切り落とす性質からついた俗称が、蜥蜴市場。
その組織の本当の名すら、明らかになっていない。
●
危うげな足取りで、少年が歩く。
何処へ向かうのか、何のために行くのか。
問うても答えは得られない。
ただ、ふらふら、ふらふらと。
この世とあの世のあわいを彷徨うように、歩く。
「どこまで行くんだ? まさか一晩中歩かされるんじゃねェだろうな」
先の見えない追跡に、ヤナギが怪訝な声で問う。
「それはない……と思うな……。見つかりやすくなるし、遅くて非効率的だ……」
合流してきた秦乎が答える。
「とりあえず予測してあった『目的地』候補に異常がないかは見て回ったのですが、人が出入りしたり声がしたりといった変わったことはなかったのですぞ。それ以上の詳しいことは、もう少し絞り込めないと調べきれないのですがな!」
秦乎とベネトナシュ、それに明斗達は、候補に挙げられた施設を航少年の歩く道から絞込み、巡回しておいた。いまのところ大きな動きはない。
むしろ、中心部に偽の犯人追い込みのために配備された警察官が目に付いた。
「あの狙撃手は何処へ消えたのかしらね。まだつけ狙っているのかしら」
銃撃戦を終え、追いついてきた佐千子も合流した。
多少の手ごたえはあったのだが、確かめられないのがすわりが悪い。
「待ち伏せの狙撃は、一度目が失敗したら二度目は難易度が高いとは思いますけどね。それより佐千子、怪我がひどいですね」
キースの言う通り、佐千子は被弾した傷跡からかなりの出血をしていた。
ハンカチで止血しているが、真っ赤に染まっている。
「額はかすり傷よ? 頭部だし、手当てする前に結構動いたから出血しただけ。さほど支障はないわ」
「酷すぎて感覚が麻痺してるとかじゃないですよね? 癒します」
共鳴した明斗の癒しのライヴスが、佐千子に流れ込む。
乾いて固まった血は戻らないので見た目は変わらないが、ひとまず新たな出血は止まった。
佐千子はありがとうと礼を言い、それから地図情報に目を落とす。
「もうすぐ幹線道路ね。子供が渡れるのかしら?」
夜の幹線道路は、流通を担う運搬車両が轟音を立てつつ行き来している。
勿論信号はあるが、日本ほど車両も歩行者もマナーがいいとは限らない。
轢かれたらどうする? と心配する一同をよそに、少年は方向を変え、大きな幹線道路沿いに歩き始めた。
車両の多さを心配した初春が、航少年の横を歩く。
一度敵と遭遇した以上隠し立てしても仕方がないのと、急に何かが起こることを警戒しているのだ。
「この方向だと……、市街中心部の常設市場がある……」
「市場付近だと夜半に車が出入りしても不自然ではないですし、大きな道路も近いですな?」
秦乎の言葉を引き取るようにベネトナシュが続ける。
エージェント達ははっとして、各自の端末情報を見た。
常設市場の近辺はさすがにすぐに買い手がつくので、無人の建物は少ない。
その中でひときわ大きく表示された無人施設が表示されていた。
そうしているあいだにも少年は、ふらふらと薄暗い建物へと入ってゆく。
更に画面をタップして、詳しい情報を呼び出す。
当該施設は、五年前に運営会社の倒産により無人化。
当時の用途は、屠殺場――
●
元屠殺場内部には幹線道路からの明かりが入り、薄明るかった。
幾重にも染みの重なったコンクリートからは扉も窓も金属部分もすべて外され、穴だらけのがらんどうの箱のよう。
大型車のヘッドライトがひっきりなしに届き、窓越しに差し込んでは消える。
「まさかここまで連れ出してから、バラしたんじゃないだろうな……」
誰もの心によぎった不安を、ヴィーヴィルが口にした。
屠殺場とは、あまりに悪趣味だ。
「安心してくれ、子供は生きていたほうが良い値がつく。これは儀式のようなもの。死を潜り抜け、新しい生を得る」
どこからか、平坦な声がする。驚くほど感情の籠らない声。
「誰?!」
蓮が鋭く問い返した。だがそれには返答がない。
「おめでとう、お人好し諸君。君たちの健闘で、そこにいる子供は殺す価値さえなくなった。その子供にこれ以上の情報はない。連れ帰ればいい」
その声は敗北を悔しがるでも、勝ち誇って嘲るでもなかった。
ただ淡々と、感情のない声で告げる。
「納得いきませんね」
キースが反論する。
「ここを知らせたくないなら、もっと戦力を投入することもできたでしょう。少年が家にいるうちに狙撃することも出来た。そうしなかった理由はなんです?」
コンクリートの壁に声は反響するが、声の主の姿は見えない。
「ここはさほど重要ではない。何も残ってはいない――ただ、親が我が子を守る努力は、美しいだろう」
声は続けた。
「美しい努力の末に失えば、悲嘆はより深くなるだろう。その条件で君たちが勝利した、それだけだ」
「(肉声じゃねェな。スピーカー音だ)」
耳のいいヤナギがいち早く気づき、仲間に耳打ちする。
「労苦の報酬として、もてなしを用意した。受け取ってくれ」
声が終わり、コンクリートの壁の向こうにうずくまっていた影が立ち上がる。
それは全身に縫い合わされた跡のある黒い牛。通常の目のほかに、額にも目が覗くる。
数は二匹。鋭い牙をもたげ、咆哮を上げる。
地の底から湧きあがるような声がコンクリートの壁で反響し、神経を逆撫でする。
「牛の声に気をつけろ!」
明斗のライヴスが周囲に広がり、不浄の気を押し流す。
スキル発動前のBSには効果がないが、全員の特殊抵抗を押し上げる。
「俺はな、頭の割れそうな音なら聞き慣れてンだよ!」
ヤナギが立ち上がり、地獄の番犬の名前を冠した銃を構える。
弾丸は三連。三つの目の並ぶ、頭を狙う。
三つを同時に、とはいかなかったが、左目と左角を吹き飛ばした。
「航殿、起きるでござるよ!」
五歳の男の子は、建物に入るなりうずくまり、疲れ果てたように眠ってしまった。
同じくらいの体格と言っても初春はリンカー、航少年を抱え上げることなどわけない。
牛従魔より早く走れるかと言えば、やってみないとわからないが。
「姿も見せない奴が! 胸糞悪いことばっかり言ってんじゃねーぞ!」
ヴィーヴィルのインタラプトシールドが、黒牛の突進を止める。
スキルの盾が消えるまでの間に、エージェント達は狼狽を振り切った。
「もてなされるいわれはないが、お相手する」
共鳴し、気高き騎士の姿になった秦乎は、黄金色の金槌を投擲する。
紫電が駆け抜け、黒牛の一体をばらばらに砕く。
「こいつら、寄せ集めだ!」
蓮が驚いて声を上げる。
縫い合わされた皮膚が破れ、中身が散乱する。
千切れた臓器、筋張った肉片、そして髄を割られた骨。
おそらくは別の場所での廃棄品で作った人形に従魔を憑依させ、操っている。
「可哀想だから、跡形もなく吹き飛ばしてあげる」
太陽の輝きを持つ剣が無数に現れ、光の奔流となって継ぎはぎの人形に襲い掛かる。
死の穢れを集めた人形は、欠片も残さず塵となって消えた。
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「これか」
キースは誰もいなくなった古い屠殺場の片隅に、小さな受信型のスピーカーを見つけた。
とりあえずこれは、証拠品として押収。今回撮影した各自の映像とあわせて解析する。
「ここに何も残っていないとは、本当ですかの?」
初春は、ひとりだけを奪い返したまま扉が閉まってしまったのかと、気が気でない。
「惑わされないほうがいいですよ。詳しい検分は夜が明けてからにしましょう」
明斗は自分用に用意した福建省の烏龍茶を水筒のカップに注ぎ、冷ましながらすする。
「とりあえず……この子が無事でよかったよ」
航少年はこんこんと眠り続ける。健やかな寝息を立てて。
蓮はその小さな手に、仙界の蟠桃をかたどった菓子を握らせてやる。
「怖い夢は終わり……。楽しい夢を」
翌朝、警察とH.O.P.Eの共同捜査によって、足跡を含めた調査が行われた。
血痕はすべて五年以上前のもので、新しい人の血は検出されなかった。
屠殺場の二階には小さな事務室があり、壊れた机と扉のひしゃげた棚が残されていた。
机の引き出しにも棚の中にも遺留品と見られるものはなかったが、棚と床の間にあるわずかな隙間に、赤い印のある折りたたまれた地図が滑り込んで埃まみれになっていた。
地図は三年以内に印刷されたもの。
これは遺留品か、それとも罠か。
いずれにしろ、手掛かりであることは間違いない。
赤い印は、子供たちの失踪した街から北西におよそ五十キロの山間部。
次の依頼は、そこへ向かうこと。