本部
災いを呼ぶ獣、血鉤
掲示板
-
相談卓
最終発言2018/01/12 18:02:58 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2018/01/09 23:36:42
オープニング
●天地のあいだ
空を天蓋とし、大地を褥とする。
それがいまの男の生活のすべてだった。
聶(ニェ)はかつて人民公社に務める優秀な職員だった。
しかし民主化の波に乗り、一攫千金を夢見て事業を興した。
事業は、はじめのうちはうまく行っていた。工場を建設し、人員を集め、機械を入れて生産を始めた。
だが、ある日重要な商談に向かう途中で、交通事故が起きた。
一命は取り留めたが聶は両脚を失い、商談を失った。
工場も会社も妻も子も。
聶の手の中から消えていった。
そして路上で生活するようになり、めまぐるしい社会の動きを低い位置からただ、眺めている。
「この世の中に、確かなものなど何もない……」
聶はすべてを失って、かえって安らかな心を手に入れた。
中国――長い歴史を持ち、世界最多の人口を擁するこの国は、男の生きている間常に激動の中にあった。
聶は一度は激流に身を投じた。
そして飲まれた。
煌びやかな成功譚の影で、自分たちのような失敗者も居る。
成功を追い続ければ、心を失う。
そもそも男が妻も子も失ったのは、成功を追い求める中で心を失っていたからではなかったか。
窮地に陥ったときに手を差し伸べてくれるはずの友人まで陥れ、求めたものは何だっただろう?
「よう爺さん。飯は食ったかい」
吃飯了嗎(飯は食ったか)――そう尋ねるのは、この国伝統的な挨拶。
英語の挨拶を真似た你好よりも、くだけた場面で用いられる。
ゴザの上に膝上までしかない脚を投げ出し、物乞いをする聶老人に話しかけてきたのは、白いシャツに黒いスーツを着込んだ若い男。およそ彩りとは無縁な服と同様、表情もつくりものの面のように動かない。
若いのに、どこか人間らしさの欠けた男だった。
「ああ」
実際に食べていなくとも、食べたと答えるのが社交辞令だ。
聶はもう何日も食い詰めていたが、挨拶としてそう返した。
「煙草はどうだ」
若い男は少しいい煙草を差し出す。庶民に手が出ないほどではないが、やや高級な銘柄。
以前聶が会社を経営していた頃には、商談の場において煙草は最も重要な意思表示の道具だった。相手より高い銘柄の煙草を持っていればより優位に立てるし、勧められた煙草を受け取れば商談に前向き、断れば保留を意味する。
「いいね」
どこか懐かしさを感じて、聶は手を伸ばした。
煙草を受け取ると、若い男はどこにでもある使い捨てライターで火を貸してくれた。
肺いっぱいに紫煙を吸い込み、そして溜息をつくように吐き出す。
ひととき、時間が巻き戻ったようだった。
書類のいっぱいに入った鞄を持ち、自社の製品の利点を弁舌たくみに売り込む……。
あの頃、世界は無限の可能性に満ちていた。
「爺さんは、新しい工場には行かなかったんだな」
最近、工場で働く人員が足りないといって、ここらの浮浪者にも声を掛けて回る求人があった。若い男はそのことを言っているのだろう。
「わしはもう年だ。脚もない年寄りに何ができる」
「脚がなくとも、手は無事じゃないか。車椅子でもできる仕事はあるだろう」
「いいや、おそらくそれでも役立たずだろうさ。昔は人を使っていた立場だからわかるんだ」
きっぱりと言うと、男はそれ以上言い募りはしなかった。
「じゃあ爺さん、この辺でできる仕事ならどうだい? 飼ってる動物が太って来たから、散歩させて欲しいんだが」
「それこそ脚もなしに何ができる」
「いつもは台車に乗って移動してるだろう。散歩といっても、運動させりゃあいいんだ、牽かせても構わないよ」
聶のそばには古びた荷物用の台車が立てかけてあった。ずっと前にゴミ捨て場で拾ったものだ。
「台車を牽けるほど賢い犬なのかい?」
「犬じゃあないが、言うことは聞く。それでも気になるなら」
男は黒い上着のポケットから無機質なアルミのピルケースを取り出す。
その中に入っていたカプセルを一錠、老人に差し出した。
「これを飲んでみるといい。きっと爺さんの望みが叶うだろう」
●血鉤
「化け物だ!」
「逃げろ! こいつ、咬みつくぞ!」
千祥公園前の大通りは、逃げ惑う人々で騒然としていた。
突如として大通りに凶暴な獣が数十匹も現われ、人間を襲い始めたのだ。
それは遠目に見ると鼠に似ていた。
ごわごわとした暗灰色の体毛に覆われ、鼻先は尖り、ずんぐりとした体の下で短い手足がせわしなく動く。足指には、尖った鉤爪。
しかしその大きさは中型犬ほどもあり、うねうねと動く尻尾の先には蛇の頭がついて周囲を威嚇する。
闖入者に吠えかかる野良犬は、あっという間に囲まれ襲われる。
がり、ばき、と骨を噛み砕く音の後に残るのは、血溜まりと骨の残骸。
「血鉤だ……!」
誰ともなく、そう呼ぶ声がした。
血鉤とは、この地方の民間伝承にある、蛇の尾を持つ獣。
複数の獣の混じった姿をし、災いを運ぶという。
犬の肉を喰らった獣たちは、頭部が犬に似た形に変化していた。
「おい爺さん、あんたもふらふらしてちゃ危ないぞ!」
人の良さそうな男が、茫洋と歩く老人に声を掛ける。
銜え煙草で歩いているのかと見えたが、近くに寄るとそれは銀色の笛であった。
そして老人の顔には、血管が浮いたように細い肉の根が伸び、唇も目も、皮膚の上を細く伸びる肉に覆い尽くされようとしている。
わずかに開いた瞼の奥では、怯えた目がきょろきょろとあたりを窺っていた。
「うわあっ?!」
驚いて飛び退く男は、老人の膝から下も尋常でないのに気づいて蒼白になる。
老人には、膝から下が無かった。
ただ、腿から服を突き破って伸びる無数の肉の根が、木の棒を軸として脚のような形のものを形成していた。
一歩、また一歩と進むたび、肉の根があやしげな植物のように伸びて偽物の脚を補強する。
「そこの御老人は変わったなりじゃの。その脚はなんじゃ?」
共鳴した風 寿神(az0036)が死神の鎌を構え、裾の長い司祭服を揺らして進み出る。
老人は、もう振り返りもしなかった。
偽の脚に導かれるようにただ前に進む。
「逃げろ。なるべく早く、獣の群れから離れるのじゃ」
寿神は周囲の人々に声を掛ける。それからH.O.P.E.香港支部に連絡を入れる。
「風寿神じゃ。先だって蜥蜴市場の確認された街で、従魔が出た。場所は千祥公園前、公園南路じゃ。従魔は列を成し、西へ向かっておる。すぐに公園南路一帯を封鎖できるよう、手配してくれ」
【現場模式図】
■■■■■■■■■■■■■■
■ ■
■ 千祥公園 ■
■ ■
■■■■■■■■■■■■■■
ロロロロロロロロロロロロロロロロロロ
公園南路
ロロロロロロロロロロロロロロロロロロ
公園南路;横幅およそ20sq
解説
【目標】
主目標;従魔『血鉤』の撃破
副目標;事件の背景について情報収集する
【登場】
・風寿神&ソロ デラクルス
共鳴済み。公園南路にて一般人の避難誘導中。
蜥蜴市場の痕跡がないか調査を続けていたが、いままでにめぼしい情報なし。
【敵情報】
・血鉤(シィエコウ)×50
中型犬ほどの大きさのキメラ従魔。巨大化した鼠をベースにし、鳥の鉤爪、蛇の尾を持つ。
動きは速いが、基本的に群れとして動く。先導者の老人が歩いている限り、公園南路からは外れず西へ向かう。
うち10体は犬を取り込み、犬の頭を持つ。牙の鋭さと咬みつき力上昇。
《咬み裂き》;歯または牙で咬みつき、肉を裂く。
《毒咬み》;蛇の尾で咬む。減退(2)。
《毒爪》;毒のある爪で引っ掻く。減退(1)。
・聶老人(PL情報)
千祥公園で浮浪者をしていた老人。『●天と地のあいだ』の記述はすべてPL情報。
口には銀の笛を煙草のように銜えている。笛から可聴域の音は出ていない。
脚のかわりになっている肉の根は老人のライヴスを侵蝕して成長中の従魔。細く長く伸び、枝分かれをして宿主を縛る。肉の根は他の生物に接触すると新たな肉芽を埋め込もうとする。
老人を確保しようとすると血鉤たちが優先的に襲ってくる。
聶老人は頭内部も侵蝕が進んでおり、助かることは無いが、確保時期が早ければ会話可能。
【現場情報】
千祥公園は前回の東小寒路にほど近い公園。警察により通行止め。通行人及び車両は入ってこない。
血鉤を包囲する障壁としては不十分だが、先導者が居るあいだは獣の隊列は道路幅以上には乱れない。
リプレイ
●
大きめの湯飲みに注いだ中国茶が、ふわりと薫り高い湯気を立てる。
前の依頼で福建省に出向いたとき、土産に買った鉄観音だ。
のんびりとした時間は、しかしH.O.P.E.からの緊急招集の知らせで打ち砕かれた。
胡蝶を回収したヴィランの潜んでいた東小寒路。
その近くにある千祥公園で、今度は鼠の従魔が出た?
「やれやれ、敵さんも出る時はランチタイムとディナータイムとティータイムは避けてほしいものだ、出来ればバスタイムも」
鋼野 明斗(aa0553)はやれやれと肩をすくめ、敵対者に注文をつける。
『正義24時間!』
テレビ特番のタイトルじみたフレーズの書かれたスケッチブックで、ドロシー ジャスティス(aa0553hero001)がぐいぐいと明斗を急かす。ドロシーにとってはティータイムよりも正義の執行のほうが優先事項である。
「生き急いでるよな、俺たち」
文句はつけるが、結局のところ明斗は動かないわけではない。
いつでもどこでも平常運転。
しかし裏を返せばそれは、常在戦場ということでもある。
「……このじーさん、ひょっとして……」
依頼のための資料映像を見たヤナギ・エヴァンス(aa5226)は眉を顰めた。
『先日、お話をして頂いた方でしょう』
静瑠(aa5226hero001)も不快感を隠そうとはしなかった。
東小寒路での事件のあと、ヤナギと静瑠は周囲で聞き込み調査を行った。そのときに出会った老人だ。
知り合いと呼べるほど親しく話したわけではないが、ひととき酒を酌み交わし、昔話を聞いた。
自分の前で普通の人間として生きていたのに、いまは明らかに従魔に侵蝕された姿で歩いている。
――誰が、何の目的で。
真っ先に頭に浮かんだのはそんな疑問だった。
しかし、答えがあるわけでなく。
「……行くか」
『それしかありませんね』
答えが欲しければ、自分達で見つけるしかない。
中国福建省、その片隅にある街で。
●
「事件はこれだけでは終わらない予感がするねぇ」
交通規制の掛かった大通りをゆく鼠従魔の群れを見ながら、飛龍 アリサ(aa4226)は呟いた。
長い白銀の髪が、さらりと風に靡く。
現場周辺ではヴィランの活動が確認されたと聞く。そこへ従魔を連れ歩くおかしな老人。
きな臭いったらありゃしない。
「悪いワンちゃんは保健所にぶち込んでやるのですよぉ? それとも食肉になりたいですかぁ……?」
くふ、くふふと黄泉(aa4226hero001)は嗤う。目を輝かせて。
変わった実験動物の出現に、興奮を抑えきれないようだ。
「爺さん確保までは、黙ってな」
アリサは共鳴し、黄泉のおかしな言動を押さえ込む。
まずはこの場の制圧。
ヴィランが関わっているなら、その目的を突き止めなければ。
『……同業が関わってるなら、うちの流儀からして、放っておけないねェ』
隻眼かつ隻腕のガタイのいい男、聖陽(aa3949hero002)はかたわらの九龍 蓮(aa3949)に話しかける。
「是(シ)」
そうだね、と蓮は中国語で答える。
蓮の見た目は可愛らしい十代の子供だが、実年齢は成人で、中華マフィアの首領を務めている。聖陽が同業と言ったのはそういう意味だ。
『中国の裏社会……。あの事件から結構経つけれど、やっぱり火種は完全には消えないものね』
小鳥遊・沙羅(aa1188hero001)は紫色の瞳を油断なく動かし、状況把握に努める。
あの事件とは、古龍幇とマガツヒが絡んだ一連の事件。
あれから古龍幇はH.O.P.E.と協定を結び違法組織からの脱却を図ったが、中国はなお広く、闇は深い。
「古龍幇の協力も仰ぎたいところだけどぉ、まずは目の前の事態の収拾よねぇ?」
榊原・沙耶(aa1188)はにこりと笑む。劉士文とは協定を結んだ際の縁もあり、愚神の関わる可能性の強いこの事件についても報告すべきとは考えている。
古龍幇とH.O.P.E.は既に協力関係にあるが、アマゾンの交渉で愚神商人から新たな真相が明らかとなり、より緊密な共闘関係に移行しようとしているのだから。
『――蜥蜴の尻尾とは限らないぞ』
リタ(aa2526hero001)は鋭く従魔の群れを睨む鬼灯 佐千子(aa2526)を嗜めるように言う。
「そうね。でも違うとも限らないわ」
胡蝶の事件で追い詰めた二名のヴィランは、埋め込み式のライヴス爆弾で頭と手首から先を吹き飛ばされ――結果、容疑者、被害者共に不明の無頭案(迷宮事件)扱いとなっている。
蜥蜴市場は、容赦なく尻尾を切り落とす。
今回は、そうはさせない。
●
ライヴスの鷹が、悠然と空を舞う。眼下に鼠の隊列を捉えながら。
共鳴したヤナギが放った鷹の目だ。
ベルトに固定したスマホで、映像と音声も記録している。
「どこに行く気なのかねェ……?」
老人は真っ直ぐ西に伸びる大通りの中央をふらふらと歩く。
鼠たちは周囲に散るでもなく、老人の後に従うように列を成す。
「奇怪なパレード、ってトコか」
ヴィーヴィル(aa4895)は他のエージェントとは別行動を取り、従魔パレードの横を抜け先回りしつつあった。
従魔たちはどこへ向かうのか?
その先に何があるのか?
「オレが観客なら、パレードが遠ざかるところをわざわざ眺めたりしねェな」
眺めるなら、近づいてくるところだろう。
通信機で仲間たちと取り合いつつ、西へと向かう。
『(マスター、敵数が多いです。お気を付け下さい)』
カルディア(aa4895hero001)は鼠従魔の数の多さを警戒する。
だが大通りの端を駆けるヴィーヴィルを、鼠たちは襲っては来なかった。
群れからはぐれて走る鼠と遭遇したが、咄嗟に弾き飛ばすとそれ以上攻撃しては来ず、慌てて群れに戻ろうとする。
「(こいつら、何が目的だ?)」
交差する道路には通行止めの標識が置かれてはいるが、中型犬の大きさの鼠従魔には、隙間だらけだ。
四方八方に散るなら、手こずることになりそうなのだが。
「あの服装、体型、髪なんかの様子を総合すると、浮浪者か?」
バルタサール・デル・レイ(aa4199)の問いに、ヤナギが答える。
「あァ、このへんの路上で暮らしてた、聶って姓の爺さんだ。俺と昔話だってしたンだぜ」
『ふうん? 何が起こってるんだろうね、このあたりで』
中性的な容姿の紫苑(aa4199hero001)は、柔らかな声で問う。
闇の中で、何かが蠢く気配がする。
その気配に惹かれて、集ってきたエージェントたちがいる。紫苑もそのひとりだ。
『爺さんの詳しい身元とかは……後で調べることにして、どうしてあんな姿になったのかは聞いてみないといけないね』
切れ長の目を興味深そうに細める。
『援護するよ。まずは爺さんを確保しよう』
そして能力者と共鳴し、『吸血鬼』の名を冠するロケット擲弾発射機を装備した。
●
「よォ、爺さん。随分シュールな姿だな。俺的にはこの前のほうがロックだったと思うケド」
鼠の群れの先頭をゆく老人に、ヤナギは軽い口調で声を掛けた。
その隣には静瑠が並ぶ。多少のリスクはあるが、記憶に訴えるため共鳴はしない。
「………………」
老人の顔の上には、肉の根が網目状に伸び、唇も瞼も塞がれようとしていた。
ただ、その瞼の下に覗く目はヤナギと静瑠を確かに捉え、唇はなにかをいいたげに動く。
銜えた銀色の笛が、唇と舌の動きにあわせて上下し、足元では、犬の頭を持ったキメラ従魔が、唸り声を上げて威嚇する。
「まだ、人間らしい反応がある! 蓮、笛を頼む!」
叫ぶと同時に、ヤナギは細い煙草のような笛を素早く引き抜き、後方に投げた。
「好(ハオ)!」
よしきたと、聖陽と共鳴した蓮が、空中でキャッチする。
この笛が犬笛の原理で従魔たちを統率するなら、代理人が吹いても操ることができるのでは? という作戦だ。
しかし笛が空中を舞う一瞬の隙に、臨戦態勢に入っていた従魔たちが犬の牙を剥き出し、一斉にヤナギに飛びかかる。
「犬ころ共の好きにはさせないよ」
従魔の列の死角で待ち伏せしていたアリサが、アサルトライフルで先頭の従魔の脳天を撃ち抜く。
別の方向からは明斗のアンチマテリアルライフル「ヴュールトーレンTR」が正確に敵を狙撃する。
ロケット擲弾の高火力で列の後方を崩すのは、バルタサール・デル・レイ。『トリオ』も使用し、一気に広範囲を灼く。殲滅狙いではなく、まず機動力を削ぐ。
援護射撃を抜けてあくまでヤナギを狙う従魔の咬み裂きは、左腕を犠牲にして受けた。そして静瑠と共鳴する。
ヤナギの暗黒色の戦鎖がうねり、牙を剥く従魔を叩き落とした。
「参考人、確保ね」
援護に紛れて佐千子は『浦島のつりざお』を改造したワイヤー投擲器で老人の襟元を釣り上げ、従魔の群れから引き離していた。ロングショットも使用し、出来うる限りの安全域まで。
「効くといいけど」
側に控えていた沙羅の放つパニッシュメントの光が、老人を包む。
やはり老人は深い部分まで、従魔に侵蝕されている。
スキルにより従魔の動きを抑え、ひとときでも老人を人間に戻せたら。
「この偽物の脚、痛覚はあると思う?」
そう言ったときには、もう佐千子はライヴスガンセイバーを振り上げていた。
従魔に容赦する気など微塵もない。途中で途切れた膝下を補うように伸びた肉の根を、芯となった木の棒ごと切り落とす。
切り離した途端、ギチギチッ! と全身の肉の根が騒ぎ、切り離された分身と触手を繋ごうとする。
「させないわ」
素早く沙羅が従魔の義足を蹴り飛ばし、再接続を阻止する。
佐千子は軽くなった老人の体を、射線の通りにくい物陰まで運んだ。ヒールアンプルを使用して回復と延命を図り、矢継ぎ早に質問する。
「私達はH.O.P.E.のエージェントよ。貴方が聶という姓で、千祥公園で暮らしていたことまでは知ってるわ。答えて、何故奇妙な脚を生やしていたの?」
半分塞がりかけた口で、老人はきれぎれに答えた。
「わから……ない……」
肉の根により瞼もほとんど開かず、視線は茫洋としている。
そこへ、従魔を振り切ったヤナギが現われた。
左腕を負傷しているが、不意の狙撃から老人を庇うように立ち、いつもと変わらぬ調子で話しかける。
「だいぶ変わったペット連れてンだな、爺さん。いつから飼ってンだ?」
「飼い主は……知らん。散歩を……頼まれただけだ……」
老人にとって、その問いかけは答えやすかったらしい。答えが返ってくる。
その間に沙羅のリジェネーションが、ヤナギの傷を癒す。
「揃っていったい、何処へお出掛けなンだい」
「どこにも行きやせん……。ぐるりと回って……戻るだけ……」
老人が目指していたのは周回コースだった。
「で? あの変なペットはどこから、誰が連れて来た?」
「下水の蓋の下から……大きな鼠が何匹も出てきた……。叢で蛇を食べると蛇の尾が生え……、地虫を啄む鳥を食べると鳥の鉤爪が生えた……」
●
まっすぐ西へのコースを想定し、探索していたヴィーヴィルに、沙羅から通信機で連絡が入る。
「従魔のコース判明よ! 周回コースで公園に戻る予定だったわ!」
「まじかよ?!」
交通規制の敷かれた大通りで一般人の避難を指示しつつ、「この様子を観察しているはずの誰か」を探し続けたが、怪しいと思えば視線を向ける誰もが怪しく、そうでもないと思えば誰もがシロに見えた。
スマホで地図を確認すると、公園南路に交差する大通りがあり、その道を北上すると公園北路、北側から公園に戻れる周回コースになる。
少し戻るが、それほど行き過ぎてもいない。
予定のコースがそれなら、探索しつつ戻ることになる。
「(何が目的なんだ、この事件を起こした奴らは!)」
大通りを練り歩いて、出会った人間をことごとく襲い尽くすというわけでもない。
無秩序に散って、被害を広げるというわけでもない。
「(残ったコースに、何かあるのか?)」
従魔との戦闘も気になるが、こちらも放置は出来ない。
『(情報収集も任務です、マスター)』
カルディアも内側から、静かに同意した。
「(笛だけで先導してるんじゃ、ないのかな?)」
銀色の笛を唇にあて、静かに息を吹き込むと細かく振動し、何かの音が出ているのを感じる。蓮の耳に聞こえるものではなかったが。
笛を吹けば数匹は反応するが、ほとんどの従魔は狂ったような唸り声を上げ、牙で、鉤爪で、尾の蛇で攻撃を繰り返す。
『(自分の命より、優先する命令じゃないってだけじゃないかねえ?)』
聖陽はそう答える。老人の確保を最優先とし、確保までは特段の攻撃を加えなかった。だがいまは違う。
周囲には明斗のライヴスフィールドが展開している。従魔を弱体化させる大規模な結界の中、鼠従魔たちは効果から逃れるかのように道路幅いっぱいまで広がり、隊列は跡形もなくなっていた。
数は半分以下にまで減ったが、その分逃げ回る。
「バラけられると面倒だねぇ。さっさとカタをつけたいところ」
その中でアリサは、スキルで気絶BSを与え、ライヴスを纏わせた刃で舞うように切り裂く。
近接戦闘は敵に与えるダメージも大きいが、その分毒咬み、毒爪の攻撃も受けやすい。
傷を負いながらも、太刀筋は乱れることがない。
「同感です。特に、どこかへ逃げ込まれると面倒だ」
アンチマテリアルライフルで大通りから出そうになる鼠を狙い撃ちしながら、明斗はわずかに眉を寄せる。
「(全く効果なしって訳じゃ、なさそうなんだけど)」
笛は思い切り吹いては駄目。そう知る蓮は、そうっと優しく吹いてやる。
微弱な振動に反応するように、鼠従魔が蓮のほうを振り返る。
そこへスキルで召喚したレーヴァテインを降り注がせる。直剣で串刺しにされる従魔たち。尻尾の蛇に咬み付かせる隙など与えてやらない。
バルタサール・デル・レイはバラけた敵を前に、取り回しの容易なセミオート狙撃銃に持ち替えていた。特殊機能の2発バーストも使用し、ともかく動く敵の数を減らす。
「なかなか従魔制圧に協力できなくてごめんなさい。私も範囲攻撃で応戦するわ」
最低限、必要な事項は聞き出した――そう判断した佐千子が、老人の元を離れ愛用のロケット・ランチャーを展開させる。
カチューシャMRL(+3)。翼のように大きく展開し、命中よりも面的制圧を主眼に置いた武器である。
「総員退避の上、撃ち漏らした敵の撃破に協力してくれると助かるんだけど」
それは範囲攻撃というより範囲爆撃では――と誰かひとりくらいは言ったかもしれない。
次々と射出される16連装ロケットは圧倒的だった。
逃げ惑う鼠従魔、手負いの従魔、撃破済みの死体、大通りのアスファルト舗装も無差別に吹き飛ばしてゆく。
ロケット砲の着弾範囲を見極め、轟音と共に騒乱状態になった鼠従魔を落ち着いて仕留めた周囲のエージェントたちも、さすが手達というべきか。
連続砲撃が終了し、土煙の中バラバラとその場にパージされるロケットランチャーの部品を大事そうに脇に避けながら、佐千子は問う。
「生憎、カチューシャは幻想蝶にあと二つしか持ち合わせがないんだけど、足りるかしら?」
●
老人は語った。
見ず知らずの若い男がやって来て、動物の散歩を依頼されたこと。
男自身が飼い主というわけではなさそうなこと。
男の差し出した煙草の銘柄は、『香蘭』。
表情の動かないその男は堅気ではないだろう、と事業の経験から感じていたこと。
薬を飲んだあとのことは、朦朧としてあまり覚えていないこと。
そこまで聞いて、ヤナギは不思議でならなかった。
「そんな怪しいヤツの差し出したものを、何で飲んだンだ?」
「そいつは……『きっと望みが叶う』と言ったのさ……。この老いぼれに、まだ何かの望みがあっただろうかと思ってね……」
『お爺さんの望みは、何だったんだい?』
紫苑が訊く。
最後の高火力攻撃によって、残っていた鼠従魔は一掃された。
多少、道路舗装の損傷もあったが、中国当局がなんとかするだろう。
敵の掃討を終えたエージェント達は、老人の最後の言葉を聞くために集まってきていた。
老人の目尻に、みるみる涙が盛り上がる。
「そうだな……やり直したかった。成功より富より、この世には大事なものがあった。かつてわしは、それらを根こそぎ犠牲にした……。生まれ変わりがあるなら、今度こそ間違えない……」
男の言葉は、あながち嘘ではなかった。
ある意味、老人の望みは叶ったといえる。生まれ変わりを信じるのなら、死は終わりではなく、新たな始まりでもあるのだから。
『最期に思い残すことはある? できる範囲で叶えるよ』
紫苑はエネルギーバーを折り取って、肉の根で塞がりかけた老人の口に運んでやる。
体を侵蝕していた肉の根は一部を切り離され、二度のパニュッシュメントで弱っているが、老人の目は濁り、もう何も見てはいない。
語るべきことを語り終えるまでは、永らえて欲しかった。
「人は死ねば塵となる……。わしの死体を、誰にも迷惑を掛けないよう処分してくれないか……」
「……故郷には、帰らないの……?」
蓮が訊ねた。中国では、人は死ねば祖先と同じ墓に入るもの。老人もそれを望むと思っていたのに。
「故郷では……わしはとっくに死んだのだ……。都会の隅で塵のように永らえて、塵のように死んだとは、知られたく……ない」
「じゃあ……ウチに、来ない? 身内用の、墓地……広いの、あるから……。ひとりくらい、増えても、無問題……」
蓮もまた、堅気ではない。ゆえに、『身内』は大事にする。
老人は弱々しく、何故そこまで、と問う。
『何故って、そりゃあ、あれだ。慈善事業みたいなもんさ』
組織の首領である蓮の片腕として、聖陽はそう言ってやった。
「爺さん、酒でも飲むか? このあいだ旨いって喜んでたのと同じヤツだぜ?」
ヤナギは『九龍仲謀』を勧めてやる。
唇を潤す程度に飲ませてやると、老人はかろうじて嚥下した。
「人と飲む酒は……人生を豊かにする……」
死期を目前にして、老人は滂沱の涙を流す。
「さきほどの言葉は、訂正せねばならん……わしの最期は、塵のようではなかった……。末期の酒を与えられ、人に看取られて、墓まで用意される……。なんという、望外の喜びだろう……」
望むことすら忘れていたと、彼は言う。これも望みが叶ったうちに、入るのだろうか。
「あんたらの為に、もっと沢山のことを覚えていられればよかった……」
「充分だ、爺さん」
ヤナギは煙草に火をつけ、銜えさせてやる。
「アンタが次にこの世に生まれ、俺と出会った時は、旨い酒と煙草を……一緒に楽しめると、イイねェ」
そう呼びかけると、紫煙がわずかに揺れた。
老人が笑ったのかもしれなかった。
●
「従魔たちには目的地があって、そっちになにかいると思って偵察に賭けてみたンだけどな。空振ったか」
ヴィーヴィルは残念そうだったが、明斗は丁寧に返した。
「いや、自分としては敵情報が不足する中、ヴィーヴィルさんのやった偵察は必要不可欠だったと思います」
明斗はケアレインで癒しのライヴスを降らせ、仲間の傷を回復する。
「そういや、俺も鷹を飛ばしたが、怪しいヤツは見あたンなかったな。鷹は墜とされもしなかったし」
ヤナギも空からの偵察はしていた。鷹が攻撃されなかったということは、空から見られて不都合だと感じる敵がいなかったということか?
「敵の目的はなんだろうね? 人体実験かね? それとも動物実験?」
監察医であるアリサは、実験的な匂いを感じ取っていた。
「あらぁ、人体実験なら密室のほうが効果的だしぃ、動物実験にしてもそうよねぇ。わざわざ人目のあるところでやって、実験動物を台無しにする利点って何かしらぁ?」
外科医である沙耶は、実験デザインが気になるようだ。
「そうですよねぇ。密室ならいくらでも切り刻み放題……くふふ、素敵……」
共鳴を解いた黄泉が怪しい言動をはじめたので、アリサが幻想蝶に押し込んで黙らせる。
「どのくらい通用するか、でも試したかったのかね? 実験にかかる元手が少なけりゃ、トライ&エラーは何度だって出来る。実験室を作るにも、金は要るだろう?」
バルタサール・デル・レイは金銭的な面からドライに捉えていた。
下水のドブネズミも、浮浪者も、人によっては何の価値もないもの。
実験者の倫理観によっては、タダ同然の素材で軽い実験をしてみたということもありうる。
「陽動か、あるいは示威行動かとも思いましたが、分かり易い観察者も、存在を誇示する敵もいなかった」
明斗も結論を出せずにいる。ガラケーカメラで可能な限りの映像を撮影したので、資料として提出するつもりだ。
『小さな隠しカメラ等で観察されていた可能性は否定できませんが……すぐにわかる監視カメラの類は、周囲にありませんでした』
カルディアもそう証言する。
「そういえば、前回爆発物で証拠隠滅されたから警戒していたのだけど、そういうのもなかったわ」
『組織構成員と只の実験体では、知りうる情報が根本的に違うからでしょうか? どちらにせよ、不愉快極まりないですが』
佐千子と静瑠は前回の依頼も請けており、逮捕しようとした組織構成員を自爆させられて証拠隠滅、という苦い経験をしている。
静瑠に言わせれば、どちらでも無惨に人が殺された、という点で違いはない。
「とにかく、聶老人の遺体は香港支部に運んで検査を依頼するわ。異論はないわね?」
佐千子の言葉に、蓮も頷く。
「ん……。それは、遺族のある場合でも、やる手続きだから……」
「あとで若いのを受け取りに寄越すから、解剖跡は縫い合わせといてくれるよう頼むぜ?」
聖陽は片目でウインクした。もう片方の目は潰れているので、それだと両方瞑っているのと同じなのだが。
「流石に、……ちょっと、疲れた」
蓮は煙管を取り出し、ぷかりとやり始める。
念のため繰り返すが、蓮の実年齢は煙草も酒もいける歳だ。
『まァ、この後はもっと疲れる会合が待ってるがねェ』
「……ヤン」
休憩中に更に疲れる用事を突きつけられ、蓮は御機嫌斜めになる。
恨めしそうに睨む上目遣いは、あくまで可愛らしい。
これから中華マフィアの会合に出席する首領様とは思えない。
『俺様だって、行きたくねェがな。しょうがねェことだろうよ』
蓮はぷはー、と思い切り煙を吐き出す。
溜息をついても特に目立たないのが、煙草のいいところである。
●
聶老人の遺体は香港支部に運ばれ、解剖と調査を受けた。
老人の死亡とほぼ同期して、従魔も死んでいた。
おそらくはダメージの蓄積と、ライヴス供給の途絶のためであろうと判断された。
老人の体は内部からあらゆる器官を侵蝕されており、それは脳にまで達していた。
彼が服用したというカプセルの解析と、それを渡したという男の捜査が待たれる。
また、証言に基づき千祥公園地下の下水管を調査した結果、ちょうど中型犬くらいのサイズの生物が、多数生息していた跡が見つかった。
時期的には、およそ小羊路市場の事件の前後からと見られる。同公園は東小寒路からも近い位置にある。
生息していた生物はすべてが血鉤として千祥公園で撃破されたのかもしれないし、他に移動したのかもしれない。
千祥公園の地下にはその生物はもういない。それだけが事実だった。
血鉤のパレードは、結局何のためだったのか?
それははっきりしていないし、関連性も掴めていないが、付近では世間を騒がす事件が再び起こっている。
公園南路で撃破した従魔の死体のうち、いくつかは大通りの外まで飛ばされた。
そのうちひとつは、千祥公園の側にあった幼児園の園庭に落ちた。
幼児園とは、中国の三歳児から七歳児までの子供が通う保育と教育の施設である。
当時厳戒態勢だった該当園では、園児は全員、室内に避難中。
従魔の死体も、零れた血も、周囲の土ごと速やかに取り除かれ、緊急連絡により保護者たちが次々と我が子を迎えに来た。
それで終わりのはずだった。
しかしその一週間後。
千祥幼児園の子供たちの一部が、揃って謎の失踪を遂げたのだ。
人々は口々に、やはりあれは災いの獣だったと噂しているが、事実確認は取れていない。
子供たちの行方は、現在捜索中――