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かぞえてごらん
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相談卓
最終発言2015/09/22 14:27:07 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2015/09/17 17:57:17
オープニング
●たくさん見ている
家というものは、人が住まなくなると途端に傷み出す。半年も目を離そうものなら、次に訪れた時には傾いでいる。まして、古い日本家屋なら、尚更だ。
この家もご多分に漏れず、見目にも既に荒れ始めていた。歯抜けた瓦屋根が軒から雪崩れていたり、また軒そのものが自重で沈み込んで玄関を半ば覆い隠していたりと、敷地内に生い茂る雑草と相まって、誰がどう見ても廃屋の様相を呈していた。
内部はもっとひどい。
外観から全ての戸と窓が施錠されているのを確かめた、という事は空き家となって以来、まだ誰も足を踏み入れていない可能性が高い。にも関わらず、下駄箱や首のもげた日本人形が玄関から廊下にかけて散乱していた。
居間、客間、書斎、寝間、便所、風呂――どの部屋を見ても似たようなものだ。各種家財道具調度類と日本人形とが、争った跡のようにごちゃまぜ。ところどころに切り傷のようなものが認められるのが不気味だ。
成人男性にとっては天井が近すぎるのも少し気になった。それほど歪んでいるのなら、いつ倒壊してもおかしくない。長居は無用か。
「ここだけは片付いてるな」
懐中電灯を天井に向けると、部屋の全貌が薄ぼんやりと浮かび上がる。
そこは広間になっていて、奥に黒光りする観音開きの棚が閉じられているのがすぐに分かった。
「仏間か」
窓はなく、壁際は幾つもの桐箪笥や飾り棚、衣装箱などが占有している。
用心深く踏み込む。靴越しに綻びた畳の感触が伝わる。周囲を電灯で照らしながら二歩、三歩と進み、思わず「げっ」と声が出た。
箪笥や衣装箱の上、飾り棚の中、果ては壁に背をもたれたものまで、大小様々な日本人形が、おびただしい数の肩を並べているではないか。
「ちょっ、なんなんだよこれ」
良く見ると、奥の観音開きを挟んで、男女つがいの市松人形が立ち尽くしている。
「仏壇と見せかけて、開けたらお内裏様とお雛様が出て来たりして。ハハハ、そんなわけないよな! ハハハ……」
冗談を言ってみたものの、所詮独りでは恐怖が助長されるだけ。そもそも不自然ではないのか。なぜこの部屋だけが、荒れていない。
「……ん?」
ふと、空気の流れが頬をかすめた。家が傾いた影響で、どこかに隙間でもできているのか。
それとも。
仏壇の横、男の子の市松人形の傍に、襖戸がある――開いている。いつから?
行きたくない気持ちと、確かめたい思いがない交ぜになって、その場で明かりを向けた。
「いっ」
そこには、半纏を羽織った女の子がひとり座って、何やら大きな本をめくっていた。だが、目を通している様子はなく、適当にぱらぱらめくって遊んでいるように思えた。写真が並んでいるのが見えたから、アルバムかも知れない。
その子の首が、ぐるんと。
こっちを見た。
見開いているようで眠たげで。笑っているようにも無表情にも思える、ふっくらとした面立ち。
「ヒィ! …………にっにっににににんぎょォ?」
邸内で幾度となく見たのと同じ、日本人形の顔が、底知れぬ眼差しで、こちらを見る。
――ずだん。
「!?」
彼女の右手が振り下ろされる。右手に握られた、菜切包丁が畳に刺さる。
――きちきちきち。
「っ!」
きちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきち。
きり。
「なななななんだよこここん今度は……!」
周囲から鳴る音の正体を確かめるべく懐中電灯を神経質に振り回す。
飾り棚の五月人形が、箪笥の上の能人形が、箱に乗せられた花嫁人形、木目込人形、歌舞伎人形、御所人形、童人形、そして、仏壇を挟む市松人形までもが。
「は……? は、は、は、ははははは」
一斉に、こっちを見ている。
刹那、観音開きが勢い良く開いた。文字通り飛び上がる直前、須弥壇の雛人形に挟まれた笑顔の少女の写真は。
「はひぁっ、あが、い……――いやああああああああああああああああああ!」
いつしか立ち上がり、包丁片手ににじりよるモノと、同じ半纏に身を包んでいた。
●真相究明
「それで、その廃墟ファンが逃げ帰るなり体験談をネットの海に放流してしまいまして。匿名掲示板からまとめサイトを経由して、現在SNSを中心に広まりつつある、……というわけです」
困りましたね、とオペレーターは溜め息混じりにぼやく。
「この類いの話は蓋を開けてみるとHOPEの管轄というケースが少なくありません。仮に従魔か愚神が関与しているのなら、早急に対処しなくてはならない。しかしながら、可能性の域を出ない現時点では、例えば現場区域を封鎖するなどの大掛かりな手立てを講じるわけにもいかず……そこで」
オペレーターはぐるんと首を回し、集まったリンカー達を見た。
「ここに居る皆さんで現場に急行していただきたいのです。調査の上、必要に応じて『しかるべき対処』をお願いします。例の体験談を聞いた廃墟ファンや心霊スポットファンが、不用意に踏み込んでしまう前にね」
被害が出てからでは遅すぎる、という事だ。
「ちなみに、今から向かえば到着する頃には夕方から夜間となる見込みです。暗くてやり辛いでしょうけど……一刻の猶予もありません。そのまま調査を開始してください」
解説
名目は調査ですが事実上戦闘主体となります。
【ネット情報から推測できる現地の様子】
山中にぽつんと建つ平屋の一軒家。
電気、水道、ガス、電話は止められています。
かつては人形収集が趣味のお爺さんが十匹ほどの猫と共に暮らしていたのですがある時急逝し、以来、無人となったようです。
建物が傾き始めている上、ひとつひとつの造りが小さく、奥の仏間以外で激しく動き回るのは難しいでしょう。
※以下PL情報※
【童女】
デクリオ級従魔。七歳ほどの子供の背丈で、着物の上に半纏を羽織っています。
なぜ日本人形のような顔で、このような姿をしているのかは不明です。
攻撃手段は菜切包丁(近接)、無数の出刃包丁召喚(範囲攻撃)、髪を伸ばして締め付け(拘束)。
更に移動手段として飛べる他、しばしば短距離間の瞬間移動もします。
【市松】
ミーレス級従魔。幼児ほどの背丈の、紋付袴の男の子と晴れ着の女の子のつがいです。
なぜ市松人形と酷似しているのかは不明です。
攻撃手段は大振りな和ばさみ(女のみ:近接)、扇子(男のみ:遠距離)、纏わりついて噛み付き攻撃(男女:近接)。
瞬間移動はできませんが少女人形同様飛べます。
【その他大小様々な無数の日本人形】
日本人形にイマーゴ級従魔が憑依しています。
飛び回って視界を遮る、ぶつかるなど妨害行為に及ぶので注意が必要です。
蹴散らせば簡単に消滅しますが、人形がある限り湧いてきます。
リプレイ
●残滓だけの
靴底に嫌な感触を覚えた。
橘 雪之丞(aa0809)は、一瞬身を固くしてから、そろりと足を退けた。
「ここにも落ちているよ。何体あるんだろうねえ」
明かりに照らし出されたのは、両手ほどの童女人形。
志賀谷 京子(aa0150)がそれをひょいと抱き上げて、ぽんぽんと払う。
ぼさぼさの髪、薄汚れたまるい頬には大きな裂傷。
この建物とて同じだ。家財、調度、人形、畳に、壁や柱、天井までのいたるところが傷つき、壊れ、ときには破裂したかの如き有り様で。
(誰が荒らしたの?)
手元の童女に問うても、いらえはない。
ふと、着物の端の赤茶けた染みと、そこに付着する繊毛が目に入る。
「あら?」
「……猫だな」
襖で仕切られたに過ぎない隣の居間で、御神 恭也(aa0127)が呟いた。
真っ二つに割れた卓袱台の断面に、隣室と同じものを認めたらしい。
あるべきものが見当たらず異様さばかりの際立つ屋敷。
「季節外れの肝試し、まさにホラーって感じだよな。噂通りなわけだ」
肩を竦める月影 飛翔(aa0224)の何気ない言葉に、橘 伊万里(aa0274)が小さく溜め息をつく。
(噂、か。厄介よね)
縁側へ続く穴だらけの障子戸に背をもたれながら、滞った空間を眼鏡越しに見やり、思うのは、興味本位で他者の領域を容易く侵す者達の事。
「……住む人は居なくなっても、かつての想いはずっとそこにあるのに」
「そうですね」
京子が元あったと思しき茶箪笥の上に人形を置いて、なぜだかばつが悪そうに苦笑した。
「もしも従魔や愚神が居るのなら、タダの怪談噺らしく落としてあげないと」
従魔、愚神と耳にして、恭也がすっと立ち上がる。
(初仕事から化け物退治か……)
いずれHOPEの管轄ならば、結局はそういう事。想定内だ。
「ここには出て来そうにないけどな。もういいだろ、次に……」
「おい、シールス見なかったか!?」
飛翔が急かそうとした矢先、骸 麟(aa1166)が居間へ飛び込んできた。
六道 鵺子(aa0668)がその後ろで廊下に佇み、明かりを提灯のように携えて、ぼうと奥ばかり眺めている。
「一緒じゃなかったのか?」
「出口確かめてるあいだに居なくなった!」
「まさか……」
皆、居間の出口へ集う。
まだ改めていない部屋は一箇所しかない。即ち、鵺子の視線の先の――。
「――骸さん、窓や雨戸を開けたりは?」
不意に訊かれ、麟が首を傾げる。
「いや? ……それが何か」
「ならとりあえず安心ね」
「うん、物見高い連中が巻き込まれない内、片しちまいましょ」
「ええ」
合いの手を入れる雪之丞と視線を交わし、夜会巻きに手を添えて。
伊万里は豊かな黒髪を解き放った。
「いきましょうか」
●玄室を思わせた
ずらりと並ぶ数多の眼。その半数にあたる、人を模した姿。
それを躯と共に葬る風習は、古来より世界中でみられる。
多くは死者を寂しがらせない為の配慮であり、ゆえに、そこは生者の領域ではない。
もしも侵したなら――。
シールス ブリザード(aa0199)はヘッドライトで周囲を確かめながら、何ひとつ障害物のない、妙に広々とした仏間を進む。
他の部屋の狭さと荒廃ぶりとに対するコントラストがいっそ居心地悪く、不気味だ。
そして、仏壇と奥の襖は閉じられていた。
――ざり。
耳障りな音。乾いた藺草を刃で擦ったような。
再度周りを見ようとする前に、前方の襖が、すうーと開いた。
そこには、アルバムらしき大判の本が無造作に置いてあるだけ。
「……『お気遣い』に感謝します」
住人の写真を探していた。他の部屋には一枚もなく、半ば諦めていたのだが。
しかし、体験談を踏まえてこれでは近づく気になれない。
「アンダー」
代わりに後ろの気配に助力を、共鳴を請う。
すぐに聞き慣れた応答が返ってきた。隣りから。
……背後は?
――みち、みちみちみち。
振り向き様、反射的に飛び退く。眠たげで虚ろな瞳と目が合い――直後、ライヴスの奔流と焦燥が同時に、追って焼けるような激痛と衝撃が右肩に押し寄せる。
次いで、ばぁんと入り口の襖が外から打ち破られた。
真っ先に麟が駆け込み、得物を振り下ろしたばかりの拳を突き出す。
「骸飛掌骨!」
半纏の背に打痕が穿たれ、おかっぱが弾けたように揺れ。童女人形らしき存在は跳ね飛ばされた。その間に他の者達も続く。
「治療の時間よ、R?」
伊万里の黒髪がみるみる白銀へと染まり、同時に手に宿した光をふわりと放る。
温かくも術者の髪色に似たそれに包まれ、シールスの痛みは和らいだ。
「ありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして」
初任務から張り切りすぎたのかも知れない。巻き返さなくては。
(大丈夫、皆と力を合わせれば上手くやれる)
それにしても。
「やっぱり従魔が潜んでいたというわけ。アリッサ、力を」
京子は共鳴を果たしながら、本部から借り受けたありったけの電池式ランタンをばら撒いていく。
人形達が転がる光に照らされ、揺れ始めた。
そこへ、雪之丞と恭也が進み出るなり、それぞれ大振りな剣と鎌の先で背中合わせに薙ぎ払う。硝子と木と塗料と髪と衣類とが一斉に破砕し、雪崩れる。
「老人の念でも残ってて、それに反応したんでしょうかね」
「どうあれ破壊するのは気が退けるが、後で面倒を起こされるよりはマシだ。――む」
恭也の頬を何かが浅く切り裂く。銀杏の形をしたそれは弧を描き、仏壇横の立派な紋付の袖の先に還った。
そう――京子は大弓を手に、意と姿勢を構える。
何が引き金となったのかは知れないが、所詮これは『脅威』という名の単なる事象。躊躇は無用だ。
「任せて」
「……頼む」
「なら、あたしはこっちかな」
雪之丞の声が、対を陣取る晴れ着姿を示す。人形じみた顔なのに、生々しく振袖を揺らめかせて。和ばさみを、携えて。
恭也もまた、それを次の標的と定める。
――かたん。
程なく、まだ無事な人形達が糸で繰られたように浮かんで飛び始め。
そうして開戦を示すように、観音開きが勢い良く開いた。
●乱戦
先に仲間が手近な人形を蹴散らしてくれている。
ならば、目下危険度の高そうな童女を抑えるべき。
「とりあえず殴る!」
飛翔は敵が動き出す前に間合いを詰め、大剣の切っ先を穿つ。半纏の裾が貫かれ、どばっと爆ぜた――が、本体は紙一重、宙へと逃がれた。
白い頬がくるんと回り、漆黒の瞳が無表情のまま妖しく光る。
「くそっ、せめて他の連中が戦ってる間は惹きつけときたいんだがな」
「奥の部屋にアルバムがあります!」
「判った!」
麟が直ちに向かう。
京子の助勢へ向かいながらシールスが叫ぶ。
有無すら怪しい従魔の内面など皆目判らないが、噂通りなら何らかの執着を示すかも知れない。その習性を利用できれば。
奥の間へと駆け出す。案の定、遺影と良く似た特徴の、けれど抑揚のない面立ちの童女が立ちはだかろうと舞い降りた。麟はすかさず進路を仏壇に取り、雛人形に挟まれた少女の遺影を掴み取る。
「見たか! 骸忍術枯れ尾ば……なっ!?」
振り向くと鼻先すれすれに童女の顔。次いで凶刃が振り下ろされた。上体を反らし手甲で受けるも、力負けしてそのまま仏壇へ叩き付けられてしまう。
黒檀が内折りに砕ける音にシールスは気を引き締め、紋付袴の童と対峙する。
あちらは面目約如、だがのんきに構えても居られない。
「キミの相手はこの僕だよ。ほらほら、かかっておいでよ」
横柄な挑発で距離を保つ。相手も少年の方を見ている。
やがて、辺りを日本人形達が漂い始めた時。
(今だ!)
シールスは荊の如き鞭を大きくしならせた。無数の棘は紋付の結び目ごと敵の腹を抉り、得体の知れぬ暗色の体内を露わとする。
だが、周囲の雑魚を巻き込むには至らない。
「そううまくはいかないか。けど」
直後、京子の放った豪速の矢が掠め去り、童の後ろの壁に深々と突き刺さった。袴の片足を、音もなく削ぎ落として。
よろめく童を労わるように、人形達がきちきちと音を立てて集る。
耐久力はそれほどでもなさそうだ。これならすぐに――。
「危ない!」
京子の警告。取り巻きに紛れて、童がぬっと顔をつき出す、シールスは咄嗟にパイルバンカーを構えるも射出する暇はなく――受けへ転じようとした時には、腕の肉を噛み千切られていた。
「行くわね」
晴れ着の童女の側へ隣の消耗戦を見かねた伊万里が踵を返す。
「そうしたげてちょうだいっ」
和ばさみをぎりぎりと受け止めながら、雪之丞が力んで後押しする。
「ホントはあたしが加勢したいぐらいですけどね……!」
「こいつを野放しにもできん」
恭也が突く。晴れ着の童女は即座に離れるも、獰猛な刃に左腕を抉られ。
それでも退かず、神経質に得物をきちきち開閉させた。威嚇行動だろうか。
甘い相手ではない。
「そういう事」
だが、お陰で競り合いから開放された。気を抜かず、今一度構え直す。
「判ってるわ。二人とも無事で」
伊万里はシールスの傍へ駆け寄り、二度目となる治療を施し始めた。
雪之丞は彼女の後ろ髪を横目に、その離脱の補佐と攻手を兼ねてとんと踏み込む。市松童女が逃れんとした側へ大鎌ごと翻り、踊るように――掬う。
淡雪にさっと風の吹くように髪が少し遅れて舞い、さっと降りた。
足元に転がる首は、どこか恨めしそうだった。
●不如意の果て
粉々になった黒檀と、へし折れた蜀台と、潰れた雛人形とが背中に不快だった。
なるほど、他の部屋もこいつのせいか。そんな事を思った。
痛みがあるのは包丁を防いだ腕のみ。当然だ、仏壇にライヴスは通っていないのだから。
つまり――まだやれる。
「くっ……骸忍術の力、見せてやるよ!」
麟は、己が身に半ば覆い被さる破片ごと跳ね起きた。
「当たれ!」
目の前で飛翔の突きが童女の顔面を削り飛ばす。
額の一部と黒髪が花弁のごとく散り、数多の日本人形が綿のほつれのように散り、視界を惑わし。童女は――飛翔の背後に。
「骸飛燕刃!」
抜刀と同時に駆ける。
「後ろか!?」
仲間の動きを察し、飛翔も前進と共に構え、振り向く。これで憂いはない。
麟の姿が分かたれた。鏡合わせのくのいちは、全く同じ所作で二方向より敵へ迫る。
「骸分身術――二分撃!」
HOPEではジェミニストライクと呼ばれる技が、帯のせいかずんぐりとした横っ腹を掻っ切った。
だが。
「みんな、気をつけて!」
凶兆を逸早く悟った伊万里が叫ぶ。
「ちっ」
「!」
次の瞬間、四方八方頭上から足元まで、仏間の壁と天井を半ば以上を埋め尽くす、無数の、肉厚の包丁――そのことごとくが囲う中心へ向かい。
中に居る『全て』に一斉に降り注いだ。
恭也と飛翔は大剣を盾にある程度凌いでいるが、雪之丞、麟は急所こそ免れてはいるものの、身体のそこかしこを斬られていた。
紋付童と他の人形達がばらばらとなる様子を尻目に、シールスは鞭で露払いを試みるが、勢いを殺ぐ事さえ適わず、逆に荊は翻弄され、宙で踊る。
「しまっ――」
だが、失策の代償は、すぐさま少年の前へ立った伊万里と彼女の盾が引き受けた。
「伊万里さん!」
防ぎきれず四肢を裂かれながらも、その人は微笑みを絶やさない。
そして、鈍色の雨が止んだ頃、童女の崩れかけた顔も、半纏も血にまみれ、その手を伝って、ほたり、ほたり、畳に染みを落としていた。
続いて、今度は袖ごと真っ赤に汚れたぼたっと腕が落ちた。
雪之丞が刈り取ったのだ。傷だらけとなって、なお飄々と、無造作に。
「『よくも』だなんて無粋は言わないよ――ねえ、京子さん?」
ふわりと身を退くと、場に残る後ろ髪の毛先を押し退け童女の帯に白羽が立つ。
「ええ。……もしかして待たせちゃいました?」
部屋の隅で矢を放った、一糸乱れぬ姿勢のまま、京子は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて小首を傾げた。
「そうでもないさ」
「むしろ今が好機」
間を置かず、恭也とシールスが僅かな目配せと共に前と後ろに回り込み、両側面から得物を繰り出し従魔を挟んで攻める。剣と鞭は互いへは干渉せず、上へ逃れようとしたそれの膝下が粉塵と化した。
下半身と片腕を失ってもはや見る影もない童女は、不安定に漂う。その、鼻先に。
「悪いが」
一度は退けた剣の切っ先が待ち構えていた。
この人形が覚えているとは思えないが、そんな事はどうだっていい。
「今度は逃がさないぜ」
飛翔の両椀が螺旋状に内へと引き締まる。踏み足の着床と同時に絞られた柄は剛剣を自ずと突き上げ、無慈悲な鉄塊を小さな胸に食らわせて貫き。
彼女は、黒髪と半纏と着物と白塗りの木肌らしき何かと、漆黒の混沌とでも言うべき内容物を撒き散らして。
けれど結局、何ひとつ遺さなかった。
●人知れず、密やかに
「収穫は? いちちち……」
「いや」
シールスの治療を受けながら誰へとなく訊ねる麟に、まず恭也が短く答えた。
争いの痕跡が従魔と猫の仕業なのは間違いなさそうだが、どれだけ探しても猫の遺骸はおろか骨すら見つけられなかった。
ライヴスのみならず肉や骨まで従魔の餌食となったのだろうか。
「そっちはどう?」
「これを」
京子がアルバムの一頁を指差す。
そこには年かさの男性と共にあの遺影の少女が写る古い写真が何点も並び、隅には『アケミと一緒に』と記されている。しかし、数頁めくると少女の姿はなりを潜め、ついには空白のみとなった。
「…………」
皆、言葉を失う中、飛翔は複雑そうな面持ちでごちた。
「人形は想いが宿り易いって言うけど、実際どうなんだろうな」
この業界では、従魔に心はなく、仮にそれらしい行動をとる事があっても、あくまで偶然そのような習性を持つだけだとされている。
だが、それはそれだ。
「そういえばこの子達さ。まるで仏壇守ってるみたいじゃあなかった?」
奥の間に転がっていたつがいの市松人形を抱いて、雪之丞が言った。
残っている人形全てとなると流石に大変だろうが、せめて。
「一緒にお爺さんの菩提寺に納めてあげたいね」
「わたしもお供します。……この子も弔ってあげないと」
京子は遺影と位牌を抱いて、雪之丞の案に興味を示した。
「……残る問題は、例の噂よね」
従魔による被害が消えても、好奇の目を惹いたままでは家屋の老朽化による怪我人は避けられない。当初より伊万里が憂慮していた事だ。
「確かに素人向きの場所じゃないなー」
「じゃ、どうするんだ?」
「そうね……噂には噂で対抗しちゃいましょ?」
伊万里がにっこり微笑むので、麟と飛翔は思わず顔を見合わせた。
後日、匿名掲示板に件の体験談を検証したとする者が現れ、仏壇はただのタンス、童女はハンガーに掛けられていた半纏といった具合に怪異のひとつひとつを潰していき、そして、やはりそれはまとめサイト経由で拡散された。
以降、誰かがその家に狼藉を働いたという噂は、今のところ聞こえてこない。