本部

失っちゃった記憶を求めて

山川山名

形態
ショート
難易度
易しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 6~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
少なめ
相談期間
5日
完成日
2017/08/02 12:14

掲示板

オープニング


「ふーんふっふっふふーん……ふふふーん……」
 夏の暑さがいよいよ激しくなってきて、H.O.P.E.の空調もそれに対抗するように設定温度が下げられてきたころ、エアコンもつけずに鼻歌交じりで薄暗い部屋にこもる一人の女性がいた。
 黒縁の丸い眼鏡をかけ、水着の上に裾の長い白衣に袖を通すという奇怪な出で立ちをしたその女性は、無菌状態に保たれた装置の中の試験官を見つめていた。
「仕上げはおかーあさーん、っと……」
 無色の液体を一滴涙のように試験管の中に垂らすと、途端に中の液体がどぎつい桃色へと変色した。それを満足そうに眺めてから、女性はおもむろに立ち上がってこぶしを握り締める。
「っしゃああああああああッ!! とうとう完成したぞこの野郎ッ!! 苦節十年、やっとこの日が来たぞハッハー見たか学会の頭の固い学者連中が!! とうとう私は成し遂げたぞ泣いて許しを乞えやあッ!!」
 そのとき、固く閉じられていたドアが開け放たれ、外から同じく白衣を着た青年が顔をのぞかせた。
「あっ、こんなところにいた! 探しましたよ先生って暑っ!? 何で窓閉め切ってエアコンもつけてないんですか熱中症でぶっ倒れますよ!?」
「おお来たか助手くん! ちょうどいい、とうとう例のアレが完成したぞ!」
「アレ?」
 エアコンのリモコンを手に取った青年は、首をかしげながらも電源を入れた。
「なんですアレって」
「なっ、今まで散々言ってきたじゃないか! アレだよアレ!」
「そういわれましても、先生がアレっていう危険物は枚挙に暇がありませんから。先月の、なんていいましたっけ、『眠り薬』。飲んだ人間は一週間どんなことされても死なずに眠り続けるってやつ。あれのせいで僕がどれだけの始末書書かされたか分かってるんですか」
「知らんね。まあそれはそれとして、今回のはとびきりだぞ。もう最高だ。ついに私が望んでいた薬品を作り出す事が出来たのだからな」
 子供のように自信満々に胸を張る女性に、青年はいよいよ不信感を募らせた。彼女がそんな物言いをするときはたいていとんでもないものが本当にできている――主に悪い方向に。蒸し暑いはずの室内で、青年の体温がわずかに下がった気さえした。
 女性は装置の中から毒々しい桃色の液体が入った試験管を取り出し、天高く掲げて言った。
「見たまえ! これこそ私の研究の成果! 私の一つの夢の完成形! 『記憶封印薬』のプロトタイプだ!」
「記憶、封印薬?」
「うむ。これを呑むと、ある時点からの記憶が完全に消え失せる。たいていはその人間のターニングポイントだな。『ここで私の人生は明確に変じた』と無意識に感じている部分から現在までの記憶がすっぽり抜け落ちるのだよ」
「……それ、大丈夫なんですか? 主に安全性の面で」
 女性は椅子に腰かけると、脚を組んで試験管を振ってみせる。
「そこだ。この研究は非常に有用だ――記憶を消せるというのはな。精神障害を負った人々の根本的な原因を取り除ける。簡単に、今までの治療より早く安価に。だが副作用の面はわからん。動物実験を行ってから、臨床実験をしなければならんだろう」
 だが、と女性は目を輝かせる。本当に子供のようだ、と青年はどこか人ごとのように感じていた。
「この薬は間違いなく世界を変えられる。ギアナの連中にも負けない、リンカーを守る為の力に変わるはずだ。だから私はここまで研究し、とうとう完成させたのだから」
「……まあいいですけど。でも少しでも危険な結果が出たら僕のほうから止めますからね。それが僕の仕事なんで」
「うん。まあ期待しておいてくれよ。この若狭宮恵の手腕にね」

 それから一か月後のこと、青年のもとに突如として着信が入った。
「もしもし」
『私だ! この前の薬だがな、動物実験をパスしたぞ!』
「ええっ、こんなに早くですか!? 普通もっとかかるでしょ!?」
『私に不可能はない! 一刻も早くこれを量産する必要があるからな!』
 スピーカー越しの恵の声は荒々しく、一か月前よりもぎらぎらとした熱に満ちていた。この人寝てねえな、と直感的に青年が察して苦い顔になる。倒れられるとこちらが困るのに。
「それで? わざわざ連絡をよこしたってことは何かあるんでしょう」
『うむ。試験の結果だが、飲用による副作用はほとんどないことが判明した。これはかなり大きいな。それと、残念なことにあの薬はある一定の条件を満たすと記憶が戻るらしいんだ』
「条件とは?」
『記憶が消えるのはターニングポイントとなった時点以降だ、といっただろう? どうもそのターニングポイントが関係する状況に至ると記憶が復活するらしい。崖の近くでターニングポイントが起こったのなら、そこに行くと記憶が戻るという具合にね』
「あの薬は不完全ということですか」
『いやいや、解除方法があるのはいいんだ。望まない部分まで記憶が消えたら困る者もいるだろうし……そこで、実務担当の君にお願いしたい』
 その言葉に青年が背筋を正す。この女性が明確に何かを頼むということは、それは自分では及ばない領域のこと。この青年にしかできないことだ。
 そして、青年はそのような状況が大好きだ。
『リンカーを数名雇って、これの臨床試験を行いたい。人間に投与するとどのようなことが起こるのか、私の仮説は正しいのか、それを確かめたい。できるかい?』
「もちろん。ですが、どうしてリンカーを?」
『それのほうがわかりやすいからさ。時間も短く済む。まあとにかくちゃちゃっとやってくれ。報酬はそれなりに出す、とも付け加えて』
「了解です」

解説

目的:『記憶封印薬』の臨床試験を完遂する

状況
・皆さんはH.O.P.E.からの要請、または求人を見てこの臨床試験に応募したリンカーです。
・皆さんがするべきことは三つです。
 一つ、薬を飲む。
 二つ、どの時点からの記憶がないかを確認する。いつのことならわかる? と質問すること。
 三つ、記憶がなくなった時点を特定できたらその記憶を回復させる。およびそれをレポートにまとめること。

『記憶がなくなった時点』
・服用者の記憶がなくなるのは、服用者がターニングポイントだと感じている部分です。そこで自分の人生は変わった、あれがなければ今の自分は存在しえない、というものです。
・リンカーであれば、多くの場合それは『英雄(能力者)と誓約を交わした時』であると思われます。全く違う誰かと運命的に引き寄せられ、人生を共に歩むと決断した時。そこがターニングポイントだと言っても差し支えないでしょう。
・もちろんそうでない場合もあります。大きな事故に巻き込まれ命以外のすべてを失った時、などでしょうか。とにかく服用者の最も強く記憶に残っている場所を起点にして、そこから現在までの記憶が抜け落ちると考えてください。

非服用者の心構え(能力者、英雄両名参加時のみ)
・服用者はあなたのことを全く初対面として扱う可能性が極めて高いと思われます。
・誓約を交わした時がターニングポイントであるならば、服用者にとってあなたのことはそこだけしか記憶がありません。それはもう当たり前のこととして早々に諦めることをお勧めします。
・あなたは服用者の記憶を戻すために質問を行い、ターニングポイントを象徴する場所へ連れていってください。そこで記憶が戻ります。
・能力者のみの参加の場合、研究者が補佐につくのでこの項目の心配はいりません。

・最初はH.O.P.E.東京海上支部からのスタートです。天候は晴れ、時刻は正午です。

リプレイ


「さてさて、これが例のレポートね。さーて、どうなってるのかなーん、と」


「アーテル……心の準備、出来た……」
『先に謝っておくわ。酷いことを言ったらごめんなさい』
 真っ白なソファに腰掛け、右手に薬が入った試験管を握ったアーテル・V・ノクス(aa0061hero001)はそう言って、向かいに立っていた木陰 黎夜(aa0061)に頭を下げた。
 黎夜が神妙な面持ちでそれにうなずくと、アーテルは薬を口に放り込んで嚥下した。そのすぐ後、アーテルは薬の作用で眠ってしまったように瞼を閉じた。
 しばらくして顔をあげたアーテルの瞳には、相棒の前で見せていたような穏やかな色はずいぶんと薄れていた。
『……誰だ?』
「……木陰黎夜……。貴方のリンカー……」
 するとアーテルは怪訝そうに目を細めて、
『俺のリンカー? そんな名前じゃなかったはずだが』
「……シラノ ツキネって名前に、聞き覚え、ある……?」
『ああ。それが俺のリンカーの名前だ。まだ目が覚めていねえらしいがな』
 まるで別人を想定しているかのような話しぶりだった。だが黎夜はそれにさほどうろたえることもなく、努めて平静に語った。すなわち、アーテルはとある薬剤の臨床試験でそれを服用した状態だと。
『なるほど、記憶封印薬か。で、あんたが俺のリンカーか』
 まだ信じていないようにふるまう彼に、黎夜はうなずきつつポケットを探った。
「うん……えと……学生証の名前、見る……?」
『見せてくれ。……駄目だ、読めないな』
「……そう」
 黎夜は彼の前に座って、事前に用意していた質問を頭の中で反芻した。
「貴方がわかるのは、いつくらい……?」
『……小さい女の子と契約を交わして数日経ったくらいだろう』
「女の子とあった状況は……?」
『水の中。引き上げた時に誓約を交わした。女の子の家族は全員水死体で見つかったらしい』
「……女の子と話、した……?」
『まだだ。そろそろ様子を見ようとしていたところだ』
 黎夜には、アーテルのターニングポイントがどこかはおおむね察しがついていた。それは黎夜にとっても重要な時間で、だからこそ疑問を抱いた。どうして誓約を交わした後なのだろう、と。
 だが彼女はアーテルの手を取り、すっと立ち上がった。
「……ついてきて。貴方の記憶を、戻しに行く」
『? ……ああ』
 そうして向かったのは、支部からさほど遠くない総合病院の一室だった。清潔な白で塗り潰されたその部屋は黎夜にとっても見たことはなかったけれど、記憶には残っていた。
 アーテルは黎夜より頭一つ以上上から、ぽつりとつぶやいた。
『……助けた女の子がいた』
「うん……」
『様子がおかしかったから手を伸ばしたら、払われた』
「……うん……ごめんなさい……」
 顔をうつむけてしまった黎夜の頭の上に、ぽす、と大きな手が乗せられた。
『あんたが謝ることじゃないだろう、黎夜』
 ――アーテルの転換点とは、五年前の水難事故で意識を失った黎夜――当時は違う名だった――が目を覚ました時だった。
 男性恐怖症の彼女が目の前のアーテルにひどく怯え、差し出された手を払った。その瞬間、誓約を交わした時よりも何よりも、この世界の彼の振る舞いと性格に決定的な影響を与えていたのだった。
 それらをレポートにまとめていた黎夜は、ふと後ろで爪の手入れをしていたアーテルを振り返っていった。
「てっきり……誓約を交わした時だと、思ってた……」
『私も。けど、あんたに手を払われたときだったとはね』
「……うちと誓約して、後悔してる……?」
 アーテルは当たり前のことを、とばかりに薄く笑って首をかしげた。
『全然? 黎夜は?』
「ちっとも……」


『我輩を殺せ。そもそも一度死んだ身である』
「これは困ったことになったのです……」
 自分を含めた世界すべてを呪っているかのような顔のユエリャン・李(aa0076hero002)を前にして、紫 征四郎(aa0076)は頭を抱えかけた。
 もともと二人の出会いは穏やかなものだったので、特に問題はないだろうとお互いに思っていた。それが蓋を開けてみればこのありさまである。
「……ええと、確認なのですが、どこまで憶えていますか?」
『少なくともきみのことは知らぬ。誓約とやらもさっぱりだ』
「……殺せ、とは?」
『子らを殺したのだ。我輩も逝くが道理であろう』
「と、とりあえず質問するのです。それまでは抑えてください」
 結局、いくつかの質問の後、どうも征四郎との誓約の少し前までは覚えているらしかった。だがそれ以上は分からなかったので、征四郎は己の記憶も頼りに、彼との思い出をしらみつぶしに当たることにした。

 そして一方では。
「やっぱり俺よりも凛道のほうがポイントを割り出しやすいと思うんだ。あとこの薬不味そう」
『ちょっと、押し付けないでください』
 ぐいぐいと木霊・C・リュカ(aa0068)から押し付けられた薬を受け取ると、凛道(aa0068hero002)はちょっとだけリュカのほうを見てから薬を一気に飲み干した。やがてまどろむように目を閉じ、しばらくして目を覚ましてあたりを見渡した。
『……ここは?』
「や、こんにちは。早速だけど、俺のことわかる?」
 凛道は困惑した面持ちで首を横に振る。まあそうか、と思いつつリュカが次の質問をしようと口を開いた時だった。
 ちょうど征四郎とユエリャンが、リュカたちがいる大部屋を横切るのが見えたのだ。好機とばかりにリュカはユエリャンに指をさして凛道を誘導していった。
「この人は君の友だちですか?」
『いいえ、この人は僕の親友です』
 ユエリャンに向かってすごい勢いで手を振る凛道に気が付いてしまったユエリャンは、眼を見開きながらも控えめに手を振り返した。それに気が付き、ユエリャンに何事かを話しかける征四郎を見て凛道が口走ったことには、
『この方は天使ですか?』
「いいえ、その天使はせーちゃんです」
 ……その後の質問から、凛道の記憶があるのははおおよそ誓約前後だろうとリュカは仮定した。それを確固たるものとするために、リュカは彼の手を再び握って場所を移すことにした。
 彼と誓約をした、まさにその部屋へ向かうために。

「リンドウを知っているのですか!」
『アル=イスカンダリーヤ遺跡群で会った、青く美しい刃。あれには借りがある……暫く死ねなくなったな』
 征四郎が驚きをもって問うと、ユエリャンはそうぶっきらぼうに言い放った。そして、舌打ち交じりに『親友だ』とこぼした。
 征四郎との誓約前に凛道と交流があったことには彼女も驚いたのだが、残念なことにそれ以外の場所――最初にあった会議室や宿泊部屋、治療室――をめぐってもユエリャンの記憶は回復しなかった。
 表情がいつまでも硬いままでいるユエリャンに、征四郎は差し出すように言った。
「誓約は『互いに嘘をつかないこと』。ユエリャンが提案したのです」
『全く記憶がないが、嘘は嫌いである。欺くは破滅への道、とな』
「あとは、『我輩に戦場を見せてくれ』と」
 ユエリャンはそこでわずかに征四郎を見下ろしてから、また前に視線を戻した。
『それを君のような子供に頼んだか。……しかしその望みもあった。我輩は子を送り出した場所を、見てみたかったのだ』
「今は、違うのです?」
『遺跡で見た戦闘は、正直に言うとあまり快いものではなかった。あれがそうなら、世界など滅んでしまえばいい気もする程に』
 ユエリャンが忌々しく吐き捨てる。きっと凛道と出会ったかそうでない場所で見た戦いは、ユエリャンを失望させるに十分なものだったのだろう。征四郎には今ひとつ理解できなかったが。
 征四郎は、初めてユエリャンと出会ったときのことを思いだす。あの時と今の、ユエリャンの影が重なった。あの時もこんな思いを抱えていたのだとしたら。
「征四郎は、貴方がそのまま消えてしまうのは嫌だと思ったのです」
『……』
「だから、助けたいと思った。ここに来るまで、征四郎は助けられてばかりだったから。……貴方のこと、何も知らないのに。征四郎は、自惚れていたのかもしれません」
 すでにめぼしい場所はすべて巡ってしまっていた。仕方なくどこでもいいから回ろう、と思ってとある廊下に差し掛かったそのときだった。
『……ああ』
「ユエリャン?」
 歩調を合わせていたユエリャンの足が、ふいに停まったのだ。
『ここで君を見た』
 それは、征四郎にはなじみ深いと言える場所ではなかった。戦闘でけがをするたびに送り込まれた病棟の廊下に、しかしユエリャンは現在ではない別の征四郎の影を見ていた。
『……君と出会う前、たまたまここを通りかかって君を見た。包帯を巻いてなお、笑って友と語らう姿を。それは我輩の子らに不思議と被ったのだ。かすかに残る希望。子らの戦いが無為なものでも笑顔のないものでもなかった、その可能性を』
「……ユエリャン」
 ユエリャンは淡く笑うと、どこか未練が落ちたような声で言った。
『だからここで、もう少し生きていこうと決めたのだ。征四郎』

 リュカと凛道は、誓約を交わした時の部屋で椅子に腰を下ろしていた。征四郎たちと別れた後、二人はここでいくつかのことについて質問と回答を繰り返していた。それを総括してリュカが背もたれに体を預けていった。
「ふんふん。じゃあ誓約することの承諾と、それについて相談したことは覚えてるんだ」
『はい。僕が貴方に求めたのは、正義の在り方の証明を……いえ、もうお一人いる英雄との誓約の兼ね合いもあって、正義の在り方を「見に行こう」というもので落ち着いたはずです。ですが……』
「どうして自分が『凛道』って呼ばれてるかはわからない、と」
 凛道が頷く。リュカはおそらくここが凛道の転換点だろうと目星をつけていた。自分の名前、その由来。なので、リュカはそれを再現することにした。
「分かった。じゃあ今から言うことをよく聞いてて」
 一つ咳払いすると、あの時と同じようにして口を開く。
「少し紫がかった青、正義にこだわる哀しいまでの執着。
 君に花を与えよう。
 竜胆、正義と誠実の花。
 そして、悲しみに寄り添う花。
 共に見に行こう、
 正義という、凛とした道を」

 レポート作成は、事務仕事を嫌がったリュカが丸投げしたせいで記憶が戻って少ししたばかりの凛道がすることになった。キーボードをたたく彼の横顔を眺めてリュカが言った。
「ねえ、凛道。俺の最初の贈り物、実は結構気に入ってるでしょ」
『ええ、マスター。貴方が最初に見せてくれた正義の在り方は、きっと凛道ではなかった僕が、こうありたかったと望んだ正義に似ていたんだと思います』


 記憶封印を受けているはずなのに、彼――ヴィーヴィル(aa4895)は、カルディア(aa4895hero001)を連れてしっかりとした足取りでとある地点に向かった。そこはカルディアにとっては見間違いようもない、彼女にとっても転換点と成り得る場所だった。ここでカルディアは目覚め、出会い、生まれたのだから。
『此処、は……』
 瓦礫だらけの廃墟。高い建物が軒並み破壊され、青空が嫌によく見渡せるそこは。
「『生誕の地』。……俺はここで死に、生まれた」
 ヴィーヴィルは紫煙を吹かし、その景色に溶かすようにつぶやいた。
 良くある話だ。大きな力になすすべもなく、すべてが血の海に沈みかけた。一瞬前まで笑っていたはずの顔が醜い血肉の塊と化した。
 彼もまたそうだった。綺麗さっぱり無くなってしまったのに、醜くも生を捨てきれなかったけれど。
 辛うじて、その血肉を見ることだけが出来た。最期が近いのだろう、それ以外は彼には認識できなかった。
 ――影が見えた。何者かわからないそれが音を発する。
 最早全て消えた。お前は、どうだ?
(俺は、まだ消えていない)
 選べ。ここに在り続けるか否か。
(俺は……)
「またここに来ることになるとはな……。これで二度目だ」
『……マスター、記憶が……』
 ヴィーヴィルはそれには答えず、瓦礫に背を向けて歩き出す。
「戻るぞカルディア。長居するような場所じゃねェ」
 後ろ髪を引かれるようなそぶりも見せず、彼らは自宅へと戻った。その道すがら、ヴィーヴィルは傍らを歩むカルディアに振り返っていった。
「そういやお前は記憶がないんだったな」
『はい。私の記憶はマスターと出会った時点から始まっています』
「……知りたくはないのか? お前は、本当は何なのかを」
『……私はもう、知っています』
「どういう事だ?」
 カルディアは精巧なガラス細工のような翡翠色の瞳をヴィーヴィルに向け、少しだけ息を吸った。
『マスターが、私に私をくださったから。ここに在れ、と。それがすべてです』
「成程ね」
 空は変わらずに深い青をたたえたまま。瓦礫から背を向けた彼らは、彼らも知らないどこかへと迷わず歩を進める。


 さて、支部の部屋の一つでは、双子かと思えるほどによく似た二人が向かい合っていた。そのうちの赤い側が、片手にペンを持ちながら口を開いた。
『そうだなまずは……アリス、体調はどう?』
「別に普通だけど……”アリス”?」
 怪訝そうに首をかしげるアリス(aa1651)。薬は効いているようだ、とメモを取ってからAlice(aa1651hero001)が答える。
『分かった、気にしないで。それじゃあ、今何をすべきか覚えてる?』
「……逃げなきゃ。そう、逃げなきゃいけないん……だけど、こんなところにいるということは逃げ切ったのかな……。お父様達は?」
『連れて行ってあげるよ。……直に分かる』
 Aliceは立ち上がると、メモをバッグにしまって立ち上がり、アリスに手を差し出した。アリスはそれにわずかに戸惑うようなそぶりを見せながらも、白磁のような手を取った。
「こっちも一つ訊いていい? その髪の色はどうしたの?」
『……そう。後でね』
 支部から交通機関をいくつか乗り継いで、アリスのターニングポイントであろう場所へと二人は向かった。記憶を保持しているAliceにはもう一つ、アリスがなぜか自分を覚えているような反応を返すことが気にかかったが、答えが語られることはなかった。
 向かった先は、未だに焼け跡だけが残る場所。そこはかつてアリスが住んでいた家のあったところだった。
 Aliceは、きっと見れば思い出すと確信できていた。”お父様達”が既にいない事も、何もかも。果たして、その通りになった。
「…………ああ……そうだったね……」
 くすくすと口元を抑えて笑うアリス。Aliceはそんな彼女に機械的に問うた。
『アリス。今何をすべきかわかってる?』
「分かってるよ、Alice。ゲームは未だ終わってないもの。まずは依頼を完了させよう」
 だが、その言葉に反して二人はしばらくの間焼け跡から離れることはなかった。やがて支部に戻り、元の部屋に入ってアリスが口を開いた。
「王様は、ここには戻って来てないか」
『一体どこにいるんだろうね』
 総括してみると、アリスはターニングポイント以降を忘れたことで逆に思い出したこともあったようだが、それは相当稀有なパターンだという結論になった。転換点以降のすべてを忘れるとなると困る人もいるだろう、ということも付け加えておいた。
 そして。
「能力者に効くってことは」
『ヴィランにも効きそうだね』
 ヴィランの更生プログラム――あればの話だが――にも組み込めるかもしれない、ということも余欄に書き加えておいた。
 だが、どうしてアリスはAliceを知っているようにふるまっていたのかは最後まで分からなかった。


 ロシアの愚神が引き起こした惨禍によって人生が大きく曲がった少女がここにいる。少女は女神と出会いリンカーとなり、仇を探しているものの、肝心の『故郷が襲われ両親が殺された日』の記憶は抜け落ちていた。心が無意識に封印をかけてしまっているのだろう、というのが医者の見解だった。
 もしもそれを思い出せたなら、との期待を胸に、氷鏡 六花(aa4969)は薬を飲むことを選んだのだった。
「……ん。おねえさん……だれ……?」
『私はアルヴィナ。よろしくね』
 一方のアルヴィナ・ヴェラスネーシュカ(aa4969hero001)は、出来ることならそれを遅らせてあげたかった。それはなにより六花のためだ。
 出会ってから毎晩のように、六花は悪夢にうなされていた。特に最近はほとんど眠れていないようで、先日は悲鳴とともに目を覚ました。全身汗と涙にぬれ、嘔吐もひどかった。こうしている今もひどい隈があった。
 どう考えても療養するのが一番である。アルヴィナにとってこの薬は、悪夢の大本を断つ薬だ。一時的にでも悲劇を忘れ、休んでくれればいい。せめて一週間でも……。
 と、思っていたのだが。
「六花……パパとママのところへ、帰らなくちゃ……。きっと、六花がいなくて、心配、してる……の」
『六花、今はきちんと休んで。もう何日も満足に眠れていないのに……自分の体のこと、よくわかっているでしょう?』
 だが六花は、最後までアルヴィナの言葉に耳を貸さなかった。帰らなくちゃ、と繰り返す六花にアルヴィナのほうが折れる形で、今日に発つ北海道行きの飛行機の席を二人分とることになってしまった。
 飛行機とバス、徒歩で向かう先は北海道最北端のロシア国境とほど近い小さな漁村だ。道中ずっと、アルヴィナは鼻歌交じりでパパとママに合えると無邪気に喜んでいた六花の姿を見ていられなかった。村の様子を見てしまったら、この子は一体どうなってしまうのだろう?
 何時間も費やし辿り着いた村は、一見すると雪で覆いつくされて何の変哲もないかのようだった。
 しかしその前に立ち、考えを改めさせられた。村はなにもかもが砕かれていた。家も、柵も、田畑も。獣に襲われたのか激しい吹雪に砕かれたのかもわからないほどに、ただその瞬間だけを静かな暴力を伴って見せつけていた。
 六花は、それにしばし呆然としていた。だがやがて、うつむき沈黙していた彼女はゆっくりと顔をあげる。
「……ん。ありがと……アルヴィナ。忘れてたの……六花の、パパと、ママも……もう、いない……んだった」
 六花は、とうとう我慢が出来なくなったというように嗚咽を漏らした。アルヴィナは、彼女を世界から守るように優しく抱きしめるのだった。

 図らずも里帰りとなった二人は、六花の両親の墓参りを行うこととなった。墓石に積もった雪を払い、手を合わせて目を閉じても、『あの日』の情景が六花の脳裏に呼び起されることはなかった。


 純粋な医師としての興味から記憶封印薬の実験に付き合うことにした青年は、次に目を覚ますとその記憶をすっぽり失っていた。代わりに目の前にいたのは、少し口角を引き上げた銀白色の髪の青年だった。
「お前は誰だ?」
「……すげえ、本当に記憶無くなってるよ」
「質問に答えろ」
「分かった分かった、そんな目で見るなよ。俺はあんたの……マコトの英雄だよ」
 大して悪びれることもなくマコト・ハルツキ(aa5318)の英雄であるユウ(aa5318hero001)は端末を操作して質問のリストを呼び出した。記憶があった時のマコトが事前に用意していたものだ。
「まあとにかく、今はある薬の臨床実験中だ。マコトは今それを飲んで記憶がないから、それに必要な情報を得るためにいくつか質問するぜ」
「薬の臨床実験? 記憶がない? ……お前、やはり怪しいな。良くない組織の一員なのでは? 私を嵌めたのか?」
「俺は善良な英雄だってーの」
「信用できん」
「まあその内わかるさ。ほらほら、質問行くぜー」
 猜疑心が強いマコトをなだめすかして質問を終えたところ、どうもユウと誓約を交わしたことは覚えているがそれ以降の記憶はないようだった。ユウはそれにある種の干渉を覚えつつも、彼を連れてマコトの自宅へと向かうことにした。
 二人でマコトの書庫へと向かう。奥の誇りを被った本棚は彼がユウと最初に出会った場所であり、ユウがマコトと目を合わせた場所でもあった。
「……お前、どうして私の家の書庫を……?」
「そりゃ馴染み深い場所だからな。というか、これで戻らないか……じゃあこれならどうだ?」
 言って、ユウは詰襟のポケットから一冊の本を取り出した。やや色あせた装丁のそれは、ユウを生み出したと言ってもいい本だった。それをマコトに見せて、
「思い出したか?」
「っ…………ああ、思い出したぞ、ユウ。なるほど、記憶が戻った直後は軽い眩暈を覚えるようだ」
 淡々と、だがわずかに高揚した風な口ぶりのマコトは、最初に新薬への興味を持っていた彼と全く同じのようだった。
 レポートの作成は、その書庫でユウが行った。マコトは手近な本を取って傍らで読んでいたが、ふと目をあげてユウの横顔を見た。
 転換点は、ユウと誓約を交わした直後だった。つまり彼と共に過ごした日常は、マコトを決定的に変えていたということになる。想像以上に強い衝撃を持っていたのだと気づかされながらも、決してユウに気づかれないようにマコトはそれを心の奥底にしまい込んだ。


 そもそも彼はこの実験を知らなかったのだから、ファルク(aa4720hero001)が説得に時間がかかったのも仕方がない事だった。茨稀(aa4720)が薬を飲むことを曲がりなりにも了承したのは、支部の部屋に入ってから三十分後のことだった。
「さて……と。これがその薬……」
『責任もって元のお前ェに戻すから、さ。安心し、ぐっ』
 茨稀は安堵した風のファルクのみぞおちに拳をめり込ませ、崩れ落ちる彼を冷たい目で見下ろしてから、試験管の中の液体を一気に飲み干した。
 しばらくたってファルクが回復すると、目の前に立っている茨稀の様子がどこかおかしかった。幼いというか、未熟というか。
「……、」
『ダイジョブか?』
 とりあえず意識はあったので、ファルクは簡単な本人確認と自己紹介をした。目の前の記憶を失った茨稀はファルクのことを覚えておらず、それだけ精神も退行してしまっていたようだった。
 茨稀は小首をかしげ、普段の彼からは考えられないようなことを言い放った。
「おにーさん、ボク、なんでここにいるの?」
『おに……ッ!?』
 予想外の爆弾に心臓をやられそうになりながらも、ファルクはすんでのところで正気を保って質問を続けた。
『な、なあ、いつのことなら……分かる?』
「ええと……とーさんとかーさんと旅行……する……あれ?」
(家族旅行に行く前か……)
『旅行、か……天気は良かったのか?』
「ええと……わかんない。ボクの知らないところ……」
『そっか。車で出かけるのか? それとも電車?』
「飛行機! ボク、初めて乗るの!」
『初めて……か。やっぱ楽しみか?』
「楽しみだったけど……雨だから……つまんない」
 む、と唇を尖らせた茨稀がファルクにはなんだかおもしろくて、ファルクはまるで近所のお兄さんのような口ぶりになっていった。
『な、知ってるか? 飛行機は雨の上まで行けるんだぜ?』
「ホントに!? やっぱり楽しみ!」
 茨稀の子供のころの住所から、恐らくそこから発ったであろう飛行場に二人は向かった。一階で記憶を戻すために気候条件――雨の日の昼――も全て整えた。
 いつ記憶が戻るかはわからない。きちんとした荷物も整え、搭乗手続きも済ませた。その間ずっと茨稀は小さい子供のように目を輝かせ、大きな窓ガラスの外にいる飛行機を飽きることもなく眺めていた。
 そして、飛行機に搭乗する時間がやってきた。シートベルトを締め、高揚した様子の茨稀の隣で、ファルクはわずかな焦燥を覚えていた。もしも記憶が戻るとしたら、それは間違いなくこの中になるからだ。
 ――そして。いよいよその巨大な機体が地を離れる、その瞬間だった。
「――――っあああ!!」
『どした、茨稀!』
 おもむろに悲鳴を上げた茨稀の肩をファルクが掴む。じんわりとした冷たい汗の感触が濃く感じられた。
『落ち着け。大丈夫だ』
「っ! ファ……ル、ク……?」
『そうだ、これは依頼……思い出せるか?』
「……ああ」
 茨稀は駆け付けたキャビンアテンダントが視界に入っていないかのように片手で顔の半分を覆い、忌々しげにつぶやいた。
「悪趣味な依頼、だ」
 その後、飛び立った飛行機内で茨稀がぽつりぽつりと語ったところでは、彼が幼い時に家族旅行に行った際の飛行機が大事故に見舞われ、彼だけが生還した。転換点はまさにそこで、そのきっかけの部分からの記憶がなくなっていたようだった。
 効果は確かに認められる。しかし、転換点や記憶の戻り方によっては、精神崩壊もあり得る危険な薬ではないか……。


「ふむふむ、なるほどねえ。まだまだ改良の余地はありそうだ。それなら私も頑張ろうかにゃーん」

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 薄明を共に歩いて
    木陰 黎夜aa0061
    人間|16才|?|回避
  • 薄明を共に歩いて
    アーテル・V・ノクスaa0061hero001
    英雄|23才|男性|ソフィ
  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
    人間|31才|男性|攻撃
  • 断罪者
    凛道aa0068hero002
    英雄|23才|男性|カオ
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
    人間|10才|女性|攻撃
  • 全てを最期まで見つめる銀
    ユエリャン・李aa0076hero002
    英雄|28才|?|シャド
  • 紅の炎
    アリスaa1651
    人間|14才|女性|攻撃
  • 双極『黒紅』
    Aliceaa1651hero001
    英雄|14才|女性|ソフィ
  • ひとひらの想い
    茨稀aa4720
    機械|17才|男性|回避
  • 一つの漂着点を見た者
    ファルクaa4720hero001
    英雄|27才|男性|シャド
  • 捻れた救いを拒む者
    ヴィーヴィルaa4895
    機械|22才|男性|命中
  • ただ想いのみがそこにある
    カルディアaa4895hero001
    英雄|14才|女性|カオ
  • 絶対零度の氷雪華
    氷鏡 六花aa4969
    獣人|11才|女性|攻撃
  • シベリアの女神
    アルヴィナ・ヴェラスネーシュカaa4969hero001
    英雄|18才|女性|ソフィ
  • エージェント
    マコト・ハルツキaa5318
    人間|25才|男性|生命
  • エージェント
    ユウaa5318hero001
    英雄|18才|男性|ソフィ
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