本部

夏色オムニバスムービー

高庭ぺん銀

形態
ショートEX
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
5人 / 4~8人
英雄
5人 / 0~8人
報酬
多め
相談期間
5日
完成日
2017/07/23 20:02

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掲示板

オープニング

●プロローグ
 私立ホープ学園。海風香るこの学び舎にも、夏が訪れようとしている。夏服に着替え、軽やかに跳ね回る生徒たち。夏の予定を話し合う、はしゃいだ声。かたく閉じた蕾のように押し黙り、解放の時を待つものもいるだろう。

全てはここにあったんだ
一生忘れ得ない楽しさも、
初めて感じる悲しみも、
大好きだという気持ちも、
全てを包み込んで、この場所はあったんだ
ねぇ……教えてくれてありがとう

「姉さん」
 尖った声に、名もなき歌うたいは振り返る。波の音が絶え間なく流れ、BGMとなっている。
「迎えに来てくれたの?」
「母さんが怒ってる。今日は早く帰れって言ったのに、って」
 姉は寂しげに微笑むと、再び水平線を眺めた。
「ここにいられるのはあと半年ね。名残惜しいわ。卒業したら私は、権力争いの道具として生きるだけ」
「姉さんには歌がある!今すぐあんな家飛び出して……」
 弟は姉の正面に回ると肩を掴んで目を合わせる。首の動きに合わせ、姉の翡翠色の髪がはらはらと揺れた。目には諦めが宿っている。
「帰りましょう、やすくん。姉さんと手を繋いで? 迷子になったら困るから」
 自嘲の笑みが、弟の心を深く抉る。
「どっちが迷子だ……! 馬鹿だよ、姉さんは」
 弟は姉の手を乱暴に引いた。白い砂浜に足跡が伸びていく。
『夏色のフォトグラフ』
 それがこの映画の仮タイトルだ。この映画は未完成である。どんな結末を迎えるかはあなたたち次第だ。

●ご出演の皆様へ
こちらは参加者用の資料となります。よく読んで、ルールを守っての参加をお願い申しあげます。外部への流出は厳禁となります。ご協力お願いいたします。

【ホープ学園】
共学。敷地内に小中高大がある広大な学園。寮もある。生徒は個性豊か。部活動はどこも盛んで、強豪部活が多い。マイナー部活もあるらしい。生徒会は異様に強い権力を持っている。中庭はひまわりが咲き誇る庭園。裏には砂浜と海が広がっている。
※廃校になった学校の敷地をまるごと借りて撮影を行います

【制服】
男子:白カッターシャツ、学ランのズボン(黒)
女子:上下白のセーラー服(襟のラインとタイは紺色)

【人物設定】
自由。ただし、ホープ学園の関係者とする。生徒、先生、職員(食堂の調理員、用務員、寮母など)まで可。当然だが、理事長や生徒会長などを演じる者は一人まで。

【持ち時間】
 1組につき15分以下

【テーマ】1~4の中から選んでシーンを作成してください。
1境界線に立って
 君は迷っている。勉強と部活。友だちと恋人。願望と義務。周りと自分。大人と子供。
 そして今、ぶつかり合う時は来てしまう。君に求められたのは、決断。戦う相手は誰だろう? 親? 先生? 味方だと信じてた親友だったりして。それとも自分かな?

2恋をした
 春に出会ったあの子との始めての夏? 恋が実る熱い夏? あるいは、思い続けたあの子との最後の夏? この季節はあなたの恋にどんな変化をもたらすだろう。
 夏服、プール、花火大会のお誘いなんてのもある。あるものは密かに、あるものは友達を巻き込んで――さぁ、どうしよう?

3劇中歌
 あなたは合唱部?演劇部?それとも――? 君のココロはどんな旋律を奏でるのだろうか。
※印象的な挿入歌の入った場面を担当していただきます。「学校、若者、青春、恋」などの要素が入った歌が好ましいです。劇中で歌唱するのもありです。

4その他
 テーマは自由です。一から脚本を作って頂きます。コメディからシリアス、ちょっぴり不思議な話まで何でもOK。
 夏らしい明るいシーンも歓迎。校内のプールや裏の海でも撮影いただけます。

【スタッフ】
 H.O.P.E.と親交が深いクリエイターをお招きする予定です。何かあればご相談ください。

監督:墓間田 黒生(はかまだ くろお)氏
 本業は、ホラー系アイドル『Sweet Ghost(スウィート・ゴースト)』のプロデューサー。PVの脚本・監督や、作詞・作曲などを手掛けている。近年はアイドルや若い役者との仕事をこなすことが多く、ホラー以外のジャンルでも活躍中。
(写真:顔の上半分が髪で隠れており、服は黒づくめという不気味な男。おそらく20代後半)

原案:川端 肇(かわばた はじめ)氏
 本業はシナリオライター、テーブルトークRPG作家。代表作は『超能力学園ブレイブリンク!』『君と僕と恋のウタ』『お江戸タライ回し』。コメディやラブコメディを得意とするが、重いストーリーや悲恋モノにも根強いファンがいる。
(写真:人懐っこい笑顔の男。30歳くらい。歌舞伎役者のような顔立ち)

【緊急連絡先】
H.O.P.E.芸能課
××-××××-××××

解説

【持ち時間】
・1組につき15分以下ですが、プレイングを書く際はあまり厳密に考えなくても構いません。
・他の参加者と合作してもOK。持ち時間は、2組の合作なら20分、3組なら30分……と加算されます。

【ルール】
・出演者はホープ学園の生徒、教師、職員とします。
・設定は好きなように作ってOKです。ただし役名は、そのままor苗字か名前の省略or表記の変更 のいずれかでお願いします。
(例:椿康広の場合→ヤスヒロ・ツバキ、康広、ツバキなどは可)
・映像の8割以上は、学園の中でのシーンとしてください。
・必要に応じて家や町などのシーンを入れても構いません。エキストラとして学園外の人物を出してもOKです。(家族、友人、店員など)

【補足事項】
・制作はH.O.P.E.芸能課。
・芸能関係の仕事経験がなくても参加可能。
・参加者は簡単なテストを受け、なんらかの資質を認められていることとします。演技力に限らず、ビジュアルや雰囲気と言ったものでもOK
・ストーリーをまるまる考えるも良し、入れたい要素をキーワードで表記するも良し、です。
・何か質問がありましたら、相談卓を立ててください。
・撮影の前後や撮影中の様子をプレイングに入れても構いませんが、描写はおまけ程度となります。

【NPC】
康広、ティアラ
助っ人可能。プロローグは撮影済み。今後の出演シーンはみなさんの作ったストーリー次第。人気ネットアイドルであるティアラは監督と顔見知りで、彼との縁から出演が決まった。
→劇中設定
お金持ちの姉弟。大学4年と、高校3年。少々時代がかった文化を残す名家。姉のティアラは政略結婚の予定がある。所属はミュージカル同好会。弟のヤスヒロは、親への反発から跡継ぎとしての勉強を拒んでいる。帰宅部で、目標はまだない。

墓間田、川端
基本的には出て来ません。墓間田は音楽や演出、川端はストーリーについての相談に乗ってくれます。

リプレイ

 弟は姉の手を乱暴に引く。白い砂浜に足跡が伸びていく。
『夏色のフォトグラフ』
 その風景をバックにタイトルが映し出される。波の音をBGMに教室、音楽室、プール、屋上が順に映され、キャスト名がクレジットされる。

泉 杏樹(aa0045)
禮(aa2518hero001)
烏兎姫(aa0123hero002)

椿 康広
アル(aa1730)

虎噛 千颯(aa0123)
榊 守(aa0045hero001)
海神 藍(aa2518)

雅・マルシア・丹菊(aa1730hero001)
ティアラ・プリンシパル
墓場鳥(aa4840hero001)

ナイチンゲール(aa4840)


●chapter1『杏樹』
 朝の教室。生徒たちは思い思いにおしゃべりに興じる。「また教頭にスカート丈注意された」「中等部のあの子、部活に復帰したんだよ」「そういえば今日、転校生が来るんだって」。
 担任の千颯が入室してくる。元気な「おはようございます」のユニゾンに、彼は満足げに笑う。そして教壇から陽気な声を響かせた。
「はい、おはよーございます! 今日はみんなに新しい仲間を紹介するぜ! 泉、入って」
 杏樹は大きな瞳を好奇心で輝かせながら入室する。
「泉 杏樹、と言います。よろしく、お願いします」
 黒板に名前が書かれる。初めての制服はとても可愛くて気に入ったけれど、ちょっとだけ落ち着かない。
「席は窓際の一番後ろだよ」
 副担任の藍が席を手で示す。杏樹が席に着くと、まん丸の黒い瞳を持つ少女が微笑みかけてくれた。
「禮です。よろしくお願いします」
「わかんないことあったら、禮に聞くといいぜ。見かけよりしっかりしてるからな」
「見かけよりってどういう意味ですか、先生!」
 禮が頬を膨らませると、千颯は「悪ぃ悪ぃ」と笑った。最前列に座った桃色の髪の少女が、彼の顔をじっと見つめていた。



 場面は放課後へ。禮が杏樹に学校を案内している。
「学校って初めてなの、面白い所、ですね」
 杏樹の言葉に禮が目を丸くした。旧家の跡取り娘として、外の世界に出ることを禁じられていたのだという。
「たくさん、お願いして、やっと、通えることになったの」
 箱入り娘にもほどがある。「大変でしたね」と禮が言うが、杏樹にはもっと大変な壁が立ちはだかっている。
「この突き当たりが視聴覚室です。これで一通り回りましたね」
 そのとき、遠くから歌声が聞こえた。杏樹は思わず足を止める。とてもかすかな声だったから、禮には聞こえなかったようだ。
「私はこれから部活に行きますが、杏樹さんはどうします?」
 杏樹は自然と答えていた。
「屋上に」
「いいですね。今日はお天気が良いですし気持ち良いですよ、きっと」

――全てはここにあったんだ

 屋上へと続く階段。藍は目を閉じて踊り場にたたずんでいる。
「相変わらず、いい声だね」
 懐かしそうに呟くと、彼は階下に降りていく。入れ替わりに現れた杏樹が少しきしむドアを開けた。
「誰か、いたはず、なのに……?」
 フェンスに両手をつくと、気持ちの良い風が吹いてきた。
「練習、しても、いいかな?」
 砂浜に残る足跡を目でたどりながら、杏樹はそっと歌を口ずさむ。

――焼けた砂 足跡だけが
どこまでも遠く

 歌は、風に吹かれてかき消される。杏樹の姿が、歌声が、だんだんと遠ざかっていった。


●chapter2『禮』
 プールでは水泳部の活動が行われている。一列に並んで泳いでいた生徒たちが、次々ゴールする。顧問は順にタイムを読み上げていく。禮の成績はその中でも上位だ。
(昨日よりはいいタイムです。でも一昨日よりは遅い……)
 泳ぐことは好きだ。けれど、このところタイムが伸び悩んでいる。実のところ、彼女が一番よくわかっている。この小さな体ではこれ以上競泳を続けていくのは難しいのだと。
「ん……?」
 物憂げな様子の禮を、赤茶色の髪の少女が見詰めていた――ように見えた。それにしても、プールサイドに制服姿というのは変だ。声をかけようとするが、顧問の声に呼ばれて邪魔される。もう一度見てみるが、すでに少女の姿は消えてしまっていた。



「今日、部活がお休みなんです! よかったら、駅前のスイーツバイキングに行きませんか?」
「放課後、買い食い……憧れてたの。嬉しいな」
 杏樹が二つ返事でOKすると、禮は言う。
「もうひとり、お友達を呼んでいいですか?」
 定番のショートケーキ、濃厚なチョコレートケーキ、ひんやりとした桃のムースケーキ。テーブルには色とりどりのケーキが並ぶ。
「うーん、とっても美味しそうなんだよ! 禮くん、誘ってくれてありがと!」
 満面の笑みで皿を見下ろすのは、活発そうな桃色の髪の少女。禮の友人で同じクラスの烏兎姫だ。
「烏兎姫さん、前に行きたいって言ってたから……って、あれ? 今日は食欲なかったですか?」
 禮が首を傾げると、烏兎姫はごまかすように笑う。
「え? あ、ちょっとね……」
 食欲がない――杏樹の頭に、お気に入りの小説のワンシーンが浮かんだ。診断、恋わずらい。
「もしかして、恋のお悩み、では?」
 杏樹がぐいっと身を乗り出し、烏兎姫の顔をのぞき込む。烏兎姫は途端に真っ赤になる。
「あ、ご、ごめんなさいなの」
 恋には縁の薄い杏樹にも、お気に入りの恋物語がいくつかあった。今まで経験したことがないだけに、憧れは大きい。
「恋なのかどうか、ボクにもわかんないんだよ……」
 彼女にしては歯切れ悪く、烏兎姫が言う。彼女の脳裏にあるシーンが再生される。
『……って曲がすごくいいんだよ!』
『何か聞いたことあるような……。どんな曲だっけ?』
『えっとねー』
 友達との会話の途中、何気なく口ずさんだメロディ。それを通りかかった千颯がたまたま耳にした。
『へー烏兎姫は歌が上手いんだな。綺麗な声してたぜ』
 笑顔で教室に入ってくる千颯。「ちーちゃん先生!」と友達が嬉しそうに彼を呼ぶ。気さくな人柄を持つ彼は生徒たちの人気者だ。
『上手だったって、ホント?』
『ああ、ホントだ。俺ちゃんファンになっちゃったぜ』
 頭をなでる大きな手。そのぬくもりに、烏兎姫の心が大きく跳ねた。胸の真ん中にじんとあたたかな温度。灯したのは彼だろうか、自分自身だろうか。
「ボクね、パパを知らないんだ。だから先生に――優しい大人の男の人に、父親ってものを重ねているだけなのかも」
 だから、これが恋心なのかはわからないと俯く烏兎姫。杏樹も、禮も、まだ恋という感情をよく理解していない。3人でうーんと唸ってしまう。
「ごめんね、なんか変な空気にしちゃったんだよ!」
「そんなことないです。実は、わたしも息抜きがしたくて誘ったんですよ」
 禮が言うと、烏兎姫が即答した。
「部活のこと?」
「なんでわかったんですか?」
「だって禮くん、水泳に恋しちゃってるから」
 いたずらっぽく笑う烏兎姫。禮は困ったように笑うと、ぽつりぽつりと不安を吐露する。
「泳ぐのは、昔からずっと大好きなんです。でも最近、なんだか息苦しく感じることがあって。このままじゃ泳ぐことさえ嫌いになってしまいそうで……怖いんです」
 杏樹は少し驚いた。楽しくてしょうがない学生生活の裏で、渦巻くモノ。どうやら杏樹は外の世界のきらきらの部分ばかりが目に入っていたらしい。悩みを抱えているのは自分だけではなかったのだ。
「杏樹も、不安なこと、あるの」
 彼女の夢はアイドル。彼女の家族が聞いたらひっくりかえってしまうほど、とんでもない願望。二人の友人も驚いている。
「アイドルさんの、お歌で、癒される人を見て、憧れたの」
 気づけば、自分も歌の力で誰かを勇気づけたいと願うようになっていた。
「アイドルさんになって、皆を、応援したい。それが、杏樹の願い、です」
 願うだけではない。ひそかに練習も重ねている。
「どれだけ、可能性が低くても、夢は諦めないの」
学校に通えるようになったことで、できる練習や得られる知識は大幅に増えたはずだ。
「すっごいね、杏樹くん!」
 烏兎姫が言う。目標のためならどんな努力も惜しくない。それが杏樹の持つ強さなのだろう。
「わたしは……」
 ともしびを分け与えられたように、禮の眼に強い光が宿る。
「実のところ、明日プールに行くのが憂鬱でした」
 禮は杏樹を見て、微笑んだ。
「ありがとう、杏樹さん。明日も頑張れそうな気がします」

――行く手を闇が閉ざしても。
茨が足元に絡んでも

 禮の歌う劇中歌が流れ出し、シーンが切り替わる。翌日のプール。部活の時間は終了し、禮は自主練のために戻ってきていた。
 まだ迷いはあったが、今日はいつもよりも少しだけ良い気分で泳ぐことができた。その代償であるかのようにタイムが落ちたのは、皮肉という他ない。
(もう少しだけ、泳いでみましょう。何か掴めるかもしれない……)
 ほぼ無人のプールに、ただ一人の先客。見知らぬ誰かが水しぶきを上げていた。順調に思われた泳ぎは、徐々に危ういものとなり、やがて止まった。水の魔物に足でも取られたように。

――俯かないで、あともう一歩、
踏み出せる強さを。

 水の中にたたずむ女性は、禮の視線に気づいて顔を上げる。
「遅くまで熱心ね。中等部の子?」
「……中等部じゃないです、高等部です。禮と言います」
「あたしは雅。大学部よ。今は教育実習中なの」
「雅さんの泳ぎ、綺麗でした。まるで人魚みたいで……」
 雅の姿が、禮の心の海底に光を当てる。見えたのは、幼い頃に憧れた物語の中の人魚。

――たとえ宵闇の中でも、
不意に見上げたその空に、
星がきらめくように。

「人魚になってみる?」
 雅は愛用のモノフィンを差し出す。苦楽を共にしてきた相棒、否、体の一部といって良いものだ。けれど、禮のまっすぐな瞳が雅の心を動かした。
「あなたの泳ぐとこ、見てみたいわ」

――たとえ茨の道でも、
いずれ振り返るその足跡に、
野薔薇が咲き誇るように。

 黒字に鮮やかな青いライン。生まれたばかりの人魚は、透明な水の中を不器用に進む。ほんの一瞬、フィンが体に馴染んで水と一体になる。それだけで、こんなにも幸せだ。
(そうです、わたしは……タイムを競うことが好きなんじゃなくて、ただ泳ぐことが好きなんですよ。……それだけのことだったんですね)

――迷いなんて振り切って、あの日見た夢の続きを。
今もう一歩、明日へ踏み出す勇気を。

 水から顔を出した禮は、すっきりとした顔をしていた。
(あたしは人魚にはもうなれない。でも、この子なら)
 雅は少しだけ泣きそうになる。
「ありがとうございました。大切なことを思い出せた気がします」
 雅は微笑むと唐突に言った。
「禮ちゃん、フィンスイミングを始めてみる気はない? 指導はあたしがするわ」
「嬉しいです。でも、どうして……?」
「あたし今年の春に故障してね、選手としてはもう……。それでも未練が断ち切れなくてね。この学校で唯一の選手だったから期待されてたっていうのもあるけど……何より、泳ぐのが好きだったから」
 禮は自分のことのように目を潤ませる。
「あたしの思いを託したいなんて、呪いみたいなこと言わないわ。それじゃあまるで海の魔女よ。自分の気持ちにけりをつけたいだけなの」
「呪いなんて言わないでください。……わたしは、雅さんに教えてもらえたいです……!」
 そう言って、借りたフィンを手渡そうとする禮。しかし、雅はゆっくりと首を振る。
「あたしの分まで、存分に泳いでくれる?」
 禮は雅の意図に気づき、フィンを胸に抱き締める。
「はい、かならず」
 さよなら、あたしの尾ひれ(フィン)。どうか幸せに。
 痛みを伴いながら、人魚姫は陸に上がる。物語はまだ終わらない。


●chapter3『ヤスヒロ』
「そういうときは、素直に気持ちを伝えるのがいいんじゃね? 俺ちゃんも似たようなことあったけど……」
 休み時間の教室。廊下側の後ろの席に腰かけ、女子生徒の恋愛相談に乗る千颯。人だかりには烏兎姫もいた。
「……そしたらさ、うちの奥さんってばすっげぇ可愛いんだわ!」
 女子生徒へのアドバイスのはずが、いつの間にか始まったのは惚気話。生徒たちは笑う。
「先生?」
 そこへ割り込んだのは、重低音の声。厳しい指導で有名な榊 守教頭である。
「今日締め切りの書類、提出がまだのようですが?」
「てへへ、うっかりしてたんだぜ。すぐに書くんだぜ!」
「今から書くのですか? 全く……」
 千颯の笑顔に、烏兎姫の鼓動が高鳴る。
「教師らしく生徒の模範となるべき行いをしてください」
 それだけ言い残して去って行く守の背に、生徒が舌を出す。千颯は胸に手を当てて、俯いている烏兎姫に気が付いた。
「ん、どした、烏兎姫? 悩みがあるなら相談にのるんだぜ?」
「別に先生には関係ないんだよ」
 つれなく答えて席へと戻る烏兎姫。結ばれることはなくても、せめて嫌われたくはないのに。素直になれない自分が嫌になる。
「うーん? 俺ちゃん烏兎姫に嫌われてる? 何かしたかな?」
 答えるものはいない。彼は最前列の席で杏樹や禮と話す烏兎姫の背中を見る。しかし静かに怒っていた上司のことを思い出すと、足早に去っていった。
「そういえば、『居る筈のない生徒』って知ってる?」
「何それ。怖いんだけどー」
 生徒たちは大声で別の話題に花を咲かせ始めた。
「くだらない……」
 小さく吐き捨てて教室を出て行くヤスヒロ。どいつもこいつも呑気なものだ。
「ナイチンゲール……?」
 授業の準備をしていた藍が呟く。聞きとがめたのは杏樹だ。
「先生? ナイチンゲールって……?」
「詳しいことは榊先生に訊くと良い」
 藍はどこか寂しそうな笑顔で答えた。
「えー、榊先生は苦手なんだよ」
「厳しいけれど、悪い人じゃないんだよ。……当時の私達の担任だったんだ」
「私……たち?」
 少女たちは不思議そうに顔を見合わせた。



――全てはここにあったんだ
 浜辺を渡る歌声。
(姉さんの好きな歌? でも、姉さんの声じゃない)
 ヤスヒロは波打ち際へと歩いていく。案の定、見覚えのない生徒がそこにいた。
「こんにちは。浮かない顔してるね」
 赤茶の髪と抜けるように白い肌。見透かすような深い青の瞳。白昼夢のヒロインとしては適役に思えた。
「諦め……悔しいのかな? まるで失恋間際の顔……」
 しかし彼女は澄んだ声で、手痛い言葉を投げかけてくる。
「図星?」
 詳しい事情を訊かれていない以上、そんな図星は偶然の一致に過ぎない。なのに、ヤスヒロは言い返せない。
「君はどうするの?」
「僕?」
「出来ること……あるんじゃない? 例え思い通りにならなくても」
 夢を持ちながら、叶えることを諦めている姉。勿体ないと思う。そして、羨ましいと思う。与えられた立場を拒むことしかできないヤスヒロには、持ちえない輝き。だから姉がそれを捨ててしまうことが悔しい。
「これ以上どうしろっていうんだ! 姉さんの心は変わらなかった! 僕だけは姉さんの歌を信じたかったけど、疲れたよ……」
 康広は片手を額に当て、嘆く。
「昔から不出来な弟だったんだ。姉さんを優秀な人と結婚させて、僕のことは形だけの跡継ぎとして飼い殺す。父と母にとって、それが一番の解決法なんだ」
「そんなの自分で自分を縛ってるだけじゃない。……あなたは『今』を生きてる。いくらだって『未来』を変えていけるのに」
 ヤスヒロは黙り込む。自分にできることが、まだあるのだろうか。
「悔しがる資格があるのは動いた人だけだよ。じゃあね『ヤスくん』」
「なんで僕の名前……!」
 顔を上げると、少女の姿は消えていた。なんとせっかちな。
「……君がたきつけたんだからな。見てろよ」
 届くはずのない言葉を、どうしてか彼は口に出していた。


●chapter4『アル』
 別の日の砂浜。黄金色の髪をなびかせて少女が駆ける。彼女はふと足を止め、ヘッドフォンを取り出した。
 少し前の自分が、今こうして走っている自分の姿を見たらきっと驚くだろう。
『もう……陸上の話は聞きたくない……!』
 そう言って部員と陸上を自分の病室から追い出してしまったのは、去年の秋のことだった。
『また来るから……』
 そう言って去って行く顧問にアルは答えなかった。青い空を赤茶の小鳥が飛んでいく。乱暴にカーテンを閉めた。空も鳥も大好きだけれど、あの時は見るのが辛かった。
『感心できないな。興奮しては体に障る』
 主治医はカーテンを綺麗に閉め直すと、碧の瞳で見つめてくる。アルは優秀な棒高跳びの選手だった。彼女が競技を愛するのと同じくらいに、競技も彼女を愛してくれていた。部活では主将を務め、何かと頼られる存在だった。しかし大病を患い、彼女は翼を折られた。この医師に「もう陸上は無理だろう」と告げられた日には、何もかもを奪われた気がした。
『きちんと治療すれば日常生活への支障はなくなる。しばらくの辛抱だ』
『わかってます……』
 わかっている。彼女が誠実に治療に当たってくれていることを。それでも、ぽっかり穴が空いたような日常になんて戻りたくなかった。
『明日のリハビリ、自分も見に行くからそのつもりで』
 アルは視線をそらして頷く。あんなもの、苦しいばかりで何の役にも立たない。
『どうせ、もうとべないのに』
 ある日の夕方。病室の窓の外を突然眺めたくなった。見ることを拒んでいたのは、その窓が学園を一望できる位置にあったから。輝かしい青春をおくる仲間たちの姿など見たくはなかった。
『プール、か……』
 そこには大勢の部員がいた。海沿いという立地が関係あるかはわからないが、水泳部は人気の部活だ。その中に二人だけ、大きなフィンを持つ者たちがいる。アルは彼女たちに興味を惹かれた。
 大柄な女性がプールサイドに立ち、小さな黒髪の少女に指導をしている。少女はまだフィンでの泳ぎになれないらしい。時折バランスを崩して、こちらがひやりとさせられる。それでも何度でもチャレンジする。二人の表情は真剣で、研がれた宝石のように輝いていた。
(……ボクは、あれほど真剣に病気と向き合っていたかな)
 視線を移すと高等部の屋上が見えた。
 またしても、アルの眼は釘付けになる。少女が歌い、踊っている。見たことのない生徒だった。窓は閉まっていて声も聞こえない。距離もあって表情や振り付けも細かいところはわからない。
(なのに、)
 伝わってくる、鮮烈な『がんばって』のメッセージ。
『何やってたんだろ、ボク……』
 決意を新たにするアルの耳に、声が届く

――海風よ どうか私に
追い駆ける強さください

『誰?』
 病室から顔を出すと、主治医がいた。
『どうした?」
 何でもない、と言いかけてやめる。
『ボク、頑張ります。陸上、諦めませんから』
 その日から、彼女は変わった。
『それ以上はやりすぎだ。かえって戻るのが遅くなるぞ!』
 嫌々だったリハビリを必死にこなすようになった。彼女の背には意志の翼が生まれ、追い風を生み出していた。
『おめでとう。正直、驚いた』
 冷静な主治医をして驚異的、あるいは奇跡的と言わしめるほど、彼女の退院は早かった。
 そして、彼女には新しい習慣ができた。学園裏の砂浜を走りこむことだ。彼女は暗くなるまで走った。季節が巡りだんだんと日が長くなっていっても、月に肩を叩かれてようやく帰宅する日々を送った。
 ――そして、今。夏はすぐそこだ。
 ヘッドフォンから流れ出す音楽。陸上大会の公式テーマソング「Fly High!」だ。僕は追い風、輝く君を後押しするよ! そんなメッセージがアルに力をくれる。特に印象的なのが大サビ前の歌詞だ。

――もっともっと高く
もっともっと遠くへ
跳べば飛べる

さあ、踏み出して!

 アルが大きく地を蹴り飛び上がった画が、真っ白に塗り替えられていく。真夏の日差しの海へとダイブしたかのように場面は切り替わる。



 全国大会。アルは落ち着いた面持ちで、熱気溢れるフィールドの空気を吸う。アルの名前がコールされる。残響が何度も彼女を呼ぶ。大丈夫。跳べ。飛べ。
 きり、と前のバーを見据え、アルはスタートを切った。
 ――跳べば、飛べる!

●chapter5『烏兎姫』
「それじゃ、わたしは部活に! また明日!」
 禮が廊下を駆けていく。上達のために悩むことはあれど、雅と会ってからの禮は前向きに進むことができていた。
「杏樹、今日は少し、残っていくの」
「歌の練習?」
「はい。できたらまた、アドバイス、してほしいの」
 烏兎姫は少し迷ってから答える。
「ごめん。ボク、今日は用事があるんだ」
 烏兎姫は一階へ向けて静かに階段を下りていく。彼女の思いが歌で紡がれる。

――突然世界が大合唱を始める
君に出会えた奇跡を祝う様に
君と叶わぬ恋を嘆く様に
沢山の色(思い)を混ぜて
僕の心というキャンバスを染めていく

「よう……千颯、藍、今日仕事終わりに飲みに行こうぜ、教頭めんどくせー」
 職員室では、仕事モードを解除した守がだらしなく椅子にもたれている。
「お? 守さんの奢り~? ラッキー行く行くー。藍ちゃんもだろ?」
「ええ、付き合います。……でも仕事中に『めんどくせー』なんて言うのは『生徒の模範となるべき行い』ではないのでは?」
「言うようになったな、藍センセ」
 守は急に背筋を伸ばして意地悪く笑う。
「その調子で、生徒にもビシバシとご指導のほどをお願いいたします」
 生徒に甘い自覚のある藍は、うっと言葉を詰まらせた。
「失礼します。あの……」
「お、烏兎姫じゃん。もしかして俺ちゃんに用?」
 彼女は思いつめた顔で頷いた。

――幸福(しあわせ)不安 歓喜(よろこび)諦観(あきらめ)
君と話すだけで
君を思うだけで
キャンバスに色が足されていく
僕の心(思い)はどんな絵になるだろう

 夕暮れの廊下を並んで歩く。背の高い千颯からは、正面を見つめる烏兎姫の表情が良く見えない。
「やっぱ悩んでたんだな? ま、みんなの前で悩みを言うのは恥ずかしいよなー」
 言葉が出ないようすの烏兎姫を元気づけようと、千颯はおおげさに胸を張る。
「まー、心配すんなって。俺ちゃんに任せておけば、ちょちょいのちょいだぜ?」
 烏兎姫が彼を連れてきたのは教室。彼への淡い思いを抱いたはじまりの場所。

――張り裂けそうな声を殺して
泣き出しそうな恋を歌う
ねぇ気づいてる?僕の恋心

「先生、大事な話があるんだ」
 烏兎姫は振り返る。音声が消え、烏兎姫の口だけが動く。思いを代弁するように歌だけが流れている。
 千颯は驚いた顔でしばらく黙っていた。烏兎姫が恐る恐る顔を上げると、彼はいつもの笑顔だった。紡がれたのは、きっと感謝の言葉。

――この恋が叶わないとしても
ブーゲンビリアの花束を持って
僕の心を伝えよう
君はどんな顔をするだろう

 表情を引き締めた千颯が、ゆっくりと首を横に振る。烏兎姫は笑う。覚悟はできていた。叶わない恋だと最初から知っていたから。
 彼女は小さく手を振ると、風のように教室を去って行く。千颯はやるせない表情を浮かべ、誰かの席に腰を下ろす。
 恋が終わった。可憐で勇敢な少女の恋を自分が終わらせた。烏兎姫に――大切な生徒にいつか幸せな恋が訪れることを、彼は祈らずにはいられない。



 ぽたり、ぽたり。オレンジ色の涙。硬い廊下は、彼女の悲しみの雫を拭ってはくれない。
 
――渚分かつ
今日と明日 夢うつつ

「そうだ、杏樹くんがいるんだっけ」
 顔を洗って鏡に向かって微笑む。目が赤いのは夕日でごまかせるはず。だからほら、いつもの自分だ。
 屋上に上ると、杏樹がダンスの練習をしていた。ステップがうまく踏めないらしく、何度も同じところを繰り返している。扉の音に彼女が気づく。
「ご用事、終わったの?」
 彼女の顔を見たら、取り繕った笑顔がぽろぽろ崩れてしまった。
「烏兎姫さん……?」
「……僕ね、失恋しちゃった」
 杏樹は烏兎姫を抱きしめる。嗚咽で声を詰まらせながら烏兎姫は言った。千颯のものとは違う温かい手が、そっと頭を撫でてくれた。
「でもね、ちゃんと好きだって言えてよかったんだよ」

――焼けた砂 足跡だけが
どこまでも遠く

 赤い髪の少女は歌いながら、重さを感じさせない軽やかさで廊下を歩く。曲のタイトルは『渚のうたかた』。烏兎姫が聞いたのは、杏樹ではなく彼女の歌声だった。

――海風よ どうか私に
追い駆ける強さください

 画面が切り替わると同時に、歌は杏樹のパートへ。青空映える屋上では杏樹が扇を手に舞い、踊る。額には玉の汗が光り、禮と烏兎姫が手拍子を打っている。

――夢の波打つ小箱で
尽きても構わない

 禮の歌声をBGMに、泳ぐ彼女と雅が映し出される。禮がゴールし、顔を上げると、雅は彼女の前にしゃがみ込む。ストップウォッチをつきだしてウインクする雅と顔を輝かせる禮。ハイタッチする二人をこっそり杏樹と烏兎姫が見守っていた。

――ただ思い出に流されるより
光って悔いて泣こう

 音楽の授業風景。烏兎姫が前に出て歌っている。歌い終えた瞬間、教室の皆に拍手が広がる。グラウンドからそれを見上げたのは千颯。烏兎姫はピースサインを返す。

――もう終わり? そんな嘘!
始めてもないでしょ

 センチメンタルな旋律は、苦し気ながらも力強い曲調へとかわる。歌うのはティアラ。映像もヤスヒロが彼女へ何かを訴える場面へと切り替わる。ティアラは弟に突きつけられた紙に目を落とす。『ミュージカル「サマーフォトグラフ」オーディション』と書かれたそのチラシを、彼女は捨てることができない。

――手を振って 叫んでみせてよ
消えてしまう前に

 ティアラを勇気づけるように、パートを引き継いだのは杏樹。コーラスはナイチンゲールだ。厳格そうな両親とテーブルをはさんで向かい合うティアラ。その目からはかつてあった諦めの念は感じられない。

――渚分かつ
今日と明日 夢うつつ

 希望を謳うようなサビ。ここからは合唱だ。アルが楽しそうに浜をかける。額の汗を拭った瞬間、鳥が彼女を追い抜いて飛んでいく。アルは「負けないぞ」と勝気な笑みを浮かべ、さらに速度を上げる。

――引き潮が 無惨にさらおうと
君の立つ瀬は誰にも冒せない

 飲み屋の机にだらりと突っ伏す千颯。携帯には「千颯の馬鹿! 今日はご飯抜き!」と書かれている。榊はキメ顔で何か言うと、藍に伝票を渡す。「ここは藍のおごりだぜ」という冗談らしい。本気で困った顔をする藍の頭には、今月の家計簿が浮かんでいるのだろう。千颯が少し笑った。

――涙散る
吟(うた)の貝殻 かき集めて

 康広が机に向かって難しい顔をしている。参考書とビジネス書が山積みになった机。彼にも心境の変化があったようだ。

――満ち潮に 溶けて滲んでも
君は発つ 背伸びしてあの島へ 

 杏樹、禮、烏兎姫が海に向かって叫ぶ。そのまま肩を叩き合って笑い出し、砂浜に並んで倒れこんだ。アウトロがフェードアウトして行き、波の音が大きくなった。


●chapter7『ナイチンゲール』
 ヤスヒロが図書室から出てくる。手にはやはり参考書。ティアラのオーディションは一度だけという条件で認められた。姉はきっと受かると彼は信じていた。「もしダメなら家出でも何でもしてしまえばいい」と言ったら姉は「それもいいわね」と笑っていた。
 そして彼は家を継ぐための勉強を始めた。自分の手で家のやり方を変えるために。
「あっ……」
 彼の目の前を一人の女子生徒が通り過ぎる。ほんのひとときの邂逅であったが、忘れるはずもない。
「君、あの時の!」
 反射的に白い手首をつかむ。少し力が入りすぎてしまったことを、後悔した。
「あなた……誰ですか?」
 少女は不審そうに言った。別人だ。彼女にはあの、どこか現実離れした雰囲気がない。けれど――髪の色、顔立ち、美しい声。確かに似ている。
「失礼ついでに聞いていいかい? 君、この学園にお姉さんがいるんじゃない?」
「どうしてそれを?」
 少女は泣きそうな顔をした。まだ閉じていない傷に触れられたみたいに、痛々しさと怯えが表情に現れる。
「姉は……亡くなりました。生きていたとしても、もう卒業している年齢ですが」
 信じられないという顔をするヤスヒロを、少女は職員室へと誘った。



「教頭先生に、お話、聞きたいの」
 謎の導き手の正体。杏樹には仮説がひらめいていた。怪談めいた噂。藍の言葉。禮が見たという赤髪の少女。烏兎姫が聞いたという歌声ーー。彼女は、禮と烏兎姫と一緒に職員室へ向かう。
「私にお客様とは、珍しいですね」
 少女らは、何かのファイルを持った守と共に屋上へ向かう。
「教頭先生」
 途中で出会った少女、そしてヤスヒロの姿を見て守は驚く。彼はふたりを同行者に加えると、再び階段を上りだした。
「ミュージカル研究会はご存知でしょうか?」
「大学部にあるよね。ボク、ちょっと興味あるんだよ」
 烏兎姫が言うと、守は柔らかく微笑んだ。
「昔は高等部にもあったのです。良くここで練習していましたよ」
 禮はしまいこんでいた疑問を探り出し、尋ねる。
「ナイチンゲールというのは何なのでしょう? 鳥の名前というのは調べて分かったのですが」
「人の名前ですね。正確に言うとニックネームです。ナイチンゲールのように美しい歌声は、学内でも有名だった」
 烏兎姫は言いにくそうに尋ねた。
「……藍先生が『名前』を呼んだのは、『居る筈のない生徒』の噂を聞いた時だったんだよ」
「君たちと同じく、どこかで歌を聞いたんでしょうか。彼は『ナイチンゲール』の同級生でしたから、よく覚えていたはずです」
 守は一呼吸置くと、呟くように言った。
「彼女には歌手になるという夢がありました。私を含め、誰もが叶うことを信じて疑わなかったその夢は――彼女を突然襲った病によって、永遠に道を閉ざされました」
「その子も、歌を……」
 杏樹もまた、独り言のように言う。
「彼女の歌は今も耳に残っています。一生忘れないでしょう」
 守がファイルを開くと、古い校内新聞が現れた。
 在りし日のミュージカル同好会の集合写真には、あどけなさの残るティアラ、そして彼女のの隣で微笑む赤茶の髮の少女の姿があった。生徒たちが目撃したのとまるきり同じ姿だ。
「これが俺の姉さん」
「隣にいるのが私のお姉ちゃんです」
「そっか、この人が。……後輩をほっとけなかったのかな」
 ヤスヒロは写真の中のナイチンゲールに「ありがとう」と言葉をかけた。



――満ち潮に 溶けて滲んでも
君は発つ 背伸びしてあの島へ

 杏樹は屋上に立ち、海に向かって歌う。風は吹いていたが、前よりもよく響くようになった歌声はかき消されたりしない。
「やっと見つけた……!」
 扉が開く。杏樹が振り返ると、そこにはアルが立っていた。アルの瞳は杏樹を映して輝く。
「杏樹先輩の応援、ちゃんと届きました」
 ひそかなファンの存在を杏樹は今まで知る由もなかった。少し照れくさそうに彼女は言う。
「杏樹、アイドルに、なりたいの。お歌も、ダンスも、まだまだ、これからですが」
「なれますよ!」
 アルは力強く言う。
「あなたはずっと、ボクの本物のアイドルだったんだから」
 確かな思いがあるから、短い青春でも歌い続ける。例えばそう、この波音をメトロノームに。
――ねぇ……教えてくれてありがとう
 そんな歌声が聞こえた気がした。
 アルが入院していた病室は今は空室となっている。そのベッドに腰かけて微笑むのは、かつてナイチンゲールと呼ばれた少女。
「懐かしいな。私は落ちてしまったけれど、あの子はここから飛び立てたんだ」
 アルの主治医が部屋をのぞき込むが、そこには誰もいない。誰かが閉め忘れたらしい窓を、ため息交じりに閉じる。
「ねぇ……『勇気を』教えてくれてありがとう」
 ナイチンゲールが杏樹に託し、杏樹がアルに届けた勇気は、アルからナイチンゲールへと贈られる。
「もう、行かなくちゃ」
 彼女は飛び立つ。今度こそ風に乗って、高く高く。

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結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 藤の華
    泉 杏樹aa0045
    人間|18才|女性|生命
  • Black coat
    榊 守aa0045hero001
    英雄|38才|男性|バト
  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
    人間|24才|男性|生命
  • 雨に唄えば
    烏兎姫aa0123hero002
    英雄|15才|女性|カオ
  • 銀光水晶の歌姫
    アルaa1730
    機械|13才|女性|命中
  • プロカメラマン
    雅・マルシア・丹菊aa1730hero001
    英雄|28才|?|シャド
  • マーメイドナイト
    海神 藍aa2518
    人間|22才|男性|防御
  • 白い渚のローレライ
    aa2518hero001
    英雄|11才|女性|ソフィ
  • 明日に希望を
    ナイチンゲールaa4840
    機械|20才|女性|攻撃
  • 【能】となる者
    墓場鳥aa4840hero001
    英雄|20才|女性|ブレ
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