本部

その右手に宿るは善か。それとも

山川山名

形態
ショートEX
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 6~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
4日
完成日
2017/07/10 11:55

掲示板

オープニング


 人間の右手には、善の力が宿っているらしい。
 僕としても書物の中でしか見たことがない知識なのだが、曰く、左手に悪の力が備わっていて、それを右手が抑制するから善なのだとか。
 善とか悪とか、僕にはちょっとよくわからない。
 でも、善の力っていう言葉は、僕をひどく引き付けた。
 善。いい響きだ。まるでどんなことでも行うことを許してくれそうな、そんな感覚がする。
 だから、僕はそれを探すことにした。どんな犠牲を払ってでも。


 都心から少ししか離れていない、郊外との境目のような場所に、場違いなぐらい高くそびえたつビルがあった。もともとオフィスビルとして建てられたものだったが、テナントがそろわず結局住居用として改装。それでも部屋にはかなりの空きがある状態だった。
 その一室の中で、一人の少年が目を閉じてソファに腰掛けている。見た目だけで計ればせいぜいが二十に届かないぐらい。カーテンを閉ざし、電気もつけない中でなお輝く銀白色の短い髪が特徴的な、けれどそれだけの少年だった。
 少年が瞼を持ち上げる。兎のような赤い目が部屋の内部をゆっくりと観察する。彼にとっては見慣れた内装。ほとんどは入居したそのままの状態で生活感なく放置されているものの、彼以外からは異様に映る家具がそこかしこに置かれていた。
 彼はそれを見て、満足そうに目を細めた。
「……うん。やっぱり綺麗だ」
 彼は立ち上がると、家具の一つに歩み寄って持ち上げる。それはどこか女神が手にするトーチのようにも見えるし、いびつな槍の穂先のようにすら見える。彼はそれの表面を優しく撫で上げる。太い部分から五つに枝分かれしたトーチの先までじっくりと感触を確かめていく。
 人間の、右腕だった。
「――いいね。うん、すごくいい。何か、こう、何とも言えない……そう、胸の内側をやすりでひっかかれているような……これが善だとしたら、随分と荒々しいんだね」
 まるで恋人の頬に触れるように恍惚とした表情でその日課を終えると、彼はいびつなトーチを元の場所に戻した。
 トーチはここだけではない。テーブルにも、キッチンにも、ソファにも、タンスにも、トイレにも、浴室にも、寝室にも。その数は優に十を超え、ありとあらゆる場所にオベリスクのごとく配置されている。どこに行こうと常に彼がその姿を見失うことのないように。
 善の在り処を、確かめるように。
 だが、彼はふとその赤い瞳を鈍く光らせる。そして先ほどまで愛おしくなでていたそれを乱暴に左手で取り上げると、何の躊躇もなくそのまま握りつぶした。
 ぼたぼた、とかつて若い女性のものだった肉塊が彼の指の間から零れ落ちる。それを睥睨する彼の瞳は、親の仇を見るかのようにひどく憎しみのこもったものだった。
 どうして僕はこれを壊そうとした?
 どうして僕は左手でこれを取り上げた?
 どうして僕はこれを集めた?
 どうして、どうして、どうして。
 ライヴスを、集めるため――
「…………いいや」
 もはや息をする生物は彼一人の、静かで広い部屋の中で彼は大きく息を吸い込んだ。大凡彼にとっては認めたくない、けれども確実に横たわっているはずのものを丸ごと飲み込んで宣言する。
「僕は、善の力を手に入れる。善と呼ばれる力を手に入れるために、この世界に生きるすべての人間の右手を刈り取る。それが、僕が愚神という在り方から抜け出して新たなステージへ至るために必要なことだから」
 もう何十回と繰り返してきた言葉。もう何千回と頭の中で反芻した対話。けれど飽きることなく彼は繰り返す。そのすべてを彼は忘却しているし、どのように感情を動かされたすらももはや記憶に留め置いていなかった。
 彼は背筋を伸ばし、玄関に立てかけてあった無骨な日本刀を肩にかけると、大事なピアノのコンクールに向かうように部屋を後にした。


「首都圏各地で起こっている、愚神による連続傷害事件。君たちも聞いたことがあるかもしれないな。若い男の形をした愚神が一般市民を襲って右腕を切断するという一連の事件のことだが、今回それに進展があった。
 今まで事件があった場所をマーキングし、そこから移動が容易なエリアを割り出した後、事件時間の前に出入りが何度も目撃された人間を特定した。愚神の特徴とも一致することから、我々はこの男を事件の主犯である愚神と断定、事件の解決を担うこととなった。君たちにはこいつと交戦、撃破することを依頼したい。
 ただ、一つ問題があってな。実は過去に我々はこの愚神を事件の首謀者ではないかとにらんでたびたび威力偵察に望んでいたんだが、そこで奴はことごとく生き延びた。力が強いわけじゃない、体力があるわけでもない。エージェントが複数で挑めばまず勝てる。だが、消滅しなかった。
 ――復活したんだよ、ゾンビみたいに。どれだけ攻撃を与えても絶対に倒れない。どころかますます力を増して襲いかかってくる。結局三回交戦して三回とも撤退を余儀なくされた。もう次はない。
 奴の目的が右手の収集にあるとしたら、そこをつけば何とかなるかもしれない。もしも通常の戦闘行動で当該愚神が倒れなかった場合、その線でアプローチすることを検討してくれ。
右手……善、正義、理性の象徴、か。いや、まさかな。愚神がそんなことを考えるわけがない。なまじ考えたとして追い求める理由がない。
 とにかく、十分注意して事件に当たってくれ。敵性呼称名は『コレクター』。健闘を祈る」

解説

目的:デクリオ級愚神『コレクター』の完全撃破

登場人物
 『コレクター』
・デクリオ級愚神。見た目は二十歳に届かないぐらいの青年。銀白色の短髪と泣きはらしたような赤い瞳が特徴。日本刀を主武装としている。
・以下、戦闘データを記す。

 ライトイービル
・右手で日本刀を振り抜く。対象一人に中ダメージ、低確率で衝撃を付与。
 レフトパニッシュ
・左手で日本刀をアスファルトに突き立て、衝撃波をまき散らす。範囲内の対象に低ダメージ。
 その右手、僕が奪う
・対象一人に接近し、両腕でもって日本刀を右手に振り下ろす。対象に極大ダメージと減退(1)を付与。

・首都圏を中心にした連続殺傷事件の主犯。愚神としての圧倒的な力とスピード、何よりその神出鬼没性によって長く撃破されることがなかった危険対象。
・犯行に及ぶ際眉ひとつ動かさなかったのに対し右腕を切り落とした際は蕩けた表情を浮かべていたことが確認されており、何をおいても精神の異常性が指摘されている。
・右腕に執着する目的は不明。ただ、「右腕を切り落とすために持ちうるすべての力を使う」という傾向が指摘されており、「右腕を切り落とせなくなる可能性を阻止する」復活能力もこれに由来する可能性が高い。撃破のためには、右腕に向けられている注意をそらし、『コレクター』の復活に当てられている力を分散させた状態で攻撃する必要があるだろう。

戦場
 ストリート
・プリセンサーによって予測された『コレクター』の次の犯行地点。週末ということもあり多くの若者でにぎわいを見せている。車の通行を制限しているため車道となる部分にも人が流れ込み、人の流れに逆らって移動するには配慮が必要である。
・ストリートの両側は服飾店が中心。またほとんどの店は五階以上の高さとなっている。

(PL情報:『コレクター』は善とは何かという問いへの答えに飢えている。これ以外の話題で注意をそらそうと目論んでも不可能である)

リプレイ


「腕を狙う愚神のう。腕じゃ手柄んならん。ないごて首ば狙わんがじゃ」
『愚神が手柄を気にするとは思えませんが』
 心底疑問そうな顔をして呟く島津 景久(aa5112)に、斜め後ろを歩く新納 芳乃(aa5112hero001)が丁寧に答えを返した。景久はそれを聞いてもまだ疑わしげだったが、耳の数で倒した敵兵を数えた武将のことを思いだし、とりあえず納得した。
 彼らが進んでいるのは、プリセンサーによって『コレクター』が次に事件を引き起こすと予測されたとあるストリートだった。若者ファッションの最先端を司るこの一本道は、週末ということもあって多くの人々でにぎわいを見せていた。ある種完成された流行の土地は、下世話な繁華街にありがちな客引きもまばらであった。
 景久たちは人の流れにできるだけ逆らわないようにしながら『コレクター』の捜索を地上から行っていた。
 そして、ここで捜索に当たっているのは景久たち二人だけではない。
「これ、何か恥ずかしい……」
「我慢我慢。ほら、見逃しちゃうわよぉ?」
 にこにこと微笑んで歩いている戀(aa1428hero002)の頭の上に手を置くニウェウス・アーラ(aa1428)はどことなく不安そうでいた。戀から提示された捜索方法――要するに肩車――にまだ慣れていないのだ。
 高い場所からの視点を持てた方が絶対にいい、という戀の強硬な主張で認められたこの方法は、実際のところ戀個人の利益が勝っていそうだ。とにかく戀は幸せそうだった。
 そんな二人を流し目に見ていた景久に気がつくと、芳乃が静かに進言した。
『……肩車しますか?』
「何でそうなる?」
 ゆっくりとした四人の歩みは、着実に『コレクター』の発見というときへと近づいていた。

「ふむ……」
 一方、地面と比べるとやや強く風が吹き付けるストリートの建物屋上で、カグヤ・アトラクア(aa0535)は双眼鏡を覗き込んであちこちへと視線をさまよわせていた。三回ほど同じ場所に視線を巡らせてしまうと、双眼鏡から目を離した。
「おらんのぅ」
『……ん、まだ見つかんないの?』
 隣で眼鏡の奥の赤い瞳を眠たげにこするクー・ナンナ(aa0535hero001)に、カグヤは白目の部分が黒くなった片目をそちらに向けた。
「そなたが手伝えばすぐに見つかるかもしれぬがな」
『ボクはここであの四人を見てるから手が離せないよ。見てる範囲が被らないようにしろって言ったのはカグヤだからね』
「それはそうじゃがな」
 じとっとした半眼から目をそらし、カグヤは「しかし」と言って、誰もいない屋上で伸びをした。着崩した色々と危なげな和服が、この時だけ元の姿に戻った。
「物を集める気持ちは分からぬではないが、右手だけを偏執的に集めるとは趣味が悪いのぅ」
『趣味の悪いとかどうでもいいから、さっさと倒してねー』
 やる気なさげ、というより本当にやる気がないのだろう相棒の言葉にカグヤは付き合うこともせず、奥の建物に目を向けた。彼我の距離はそれほど広くはなく、オリンピック選手並みの身体能力を持つ二人であれば造作もなく届く。実際に二人はもうその建物の屋上へと跳躍を成功させていた。
 そのとき、通信機からよく知る声が聞こえてきた。
「こちらリュカ。そっちはどう? もう見つかった?」
「まだじゃ。場所を変えてまだ探しておる。そちらは」
「お兄さんのところもまだ見つけられてないよ。いや、お兄さんがっていうより凛道が、だけど」
 微笑交じりの木霊・C・リュカ(aa0068)の声に、カグヤは主の代わりに血眼になったストリートに目を光らせる凛道(aa0068hero002)を容易に想像できた。
 通信を終わろうとして、ふとあることが頭をよぎった。今はあまり関係のない事だったのだが、それ以上に技術者的な好奇心のほうがそれに勝った。
「リュカよ。一つ訊くが、そなたが考える善とは一体なんじゃ?」
「いきなりどうしたの?」
「手持ちぶさたで退屈だったのでな、戯れじゃ。せっかくの機会じゃからそなたに問うてみた」
「……そうだなあ」
 リュカはそこで、ちょっと迷ったように言葉を区切った。その間にもカグヤはストリートに双眼鏡を向けていたが、聴覚はすべて通信機に傾けられていた。やがて耳にした彼の声はどこかおどけていた。
「人、立場、時代、場所。善悪の基準は常に変わるものだからね。答えはないっていうのがずるい大人の回答! ……でも」
「……」
「善悪は個人の思考や行動だけで成立しない、他者が関わる中で生まれるものだ。その点、『コレクター』の行いは”君以外の誰も特をしない、損をする、幸せにしない”。論ずるに値しない、ただの”悪”だ。たとえその根底にどんな理由があったとしても、ね」
 しばらく言葉がない時間が続いたことでカグヤは主張が終わったのだと思うと、わずかな時間だけ目を閉じた。
「ふむ。なかなか興味深かった。それを『コレクター』にぶつけてみればまた面白いと思うのじゃがな」
「あはは、それはできないよ。戦うとかお兄さんはできないしね。それより」
「?」
「カグヤちゃんはどうなの? せっかく言ったんだから、そっちも教えてくれないとフェアじゃないでしょ?」
 その言葉にカグヤはやや言葉を止めて思考を回していたが――やがて、口角を妖艶に釣り上げた。
「まだ秘密じゃ。戦場でのお楽しみ、としておくのが今はよいじゃろう」
「……そっか。じゃあまた」
「うむ」
 通信が途切れると、やっと下の雑踏が耳に届くようになった。カグヤが双眼鏡片手に捜索に集中しようとすると、傍らのクーが眠たげな眼を向けてきた。
『悪そうな顔』
「もう少し繊細な言い方は出来ぬものかの、そなたは」

『監視カメラの映像を見る限りそれらしき人影は見えませんね。このまま監視を継続します』
「はい。お願いします」
 通信機越しに若い警察官の声を聴きながら、九字原 昂(aa0919)はビルの屋上からストリートを見下ろしていた。彼にはストリート一帯の監視カメラをチェックしてもらっている。
 捜索を開始してからというものの、『コレクター』らしき影は未だ見つからない。同じく建物の屋上に立つリュカ、カグヤ達からの連絡もない。ストリートの入り口――ニウェウスたちとは反対側――に陣取る昴は最も見つけやすいはずだったが、監視の網にはいまだ引っかからないでいた。
『首尾はどうだ、昴』
「全然反応なしだよ。そっちは……って、まあ同じだよね」
 紫煙をくゆらせながら双眼鏡を覗き込んでいるベルフ(aa0919hero001)は、一見すればやる気なさげに見えなくもない。しかし彼は元暗殺者にして密偵。観察眼の鋭さは昴の比ではない。
『ところでよ、昴』
「ん?」
『今回の敵のこと、どう思うね』
「どうって言われても。右腕……善の象徴の収集? 正直あまりピンと来ないよ」
『右腕は所詮右腕だ。そんな御大層なものは入っちゃいない』
「まあ、左利きは悪人なのかって話になるからね」
 『コレクター』が追い求めるであろう善というのは、昴のそれと大きく異なる。だがそれを差し引いても、なお愚神の行動は不明瞭に過ぎるのだ。右腕に善など宿っているはずがない。それは彼ら二人の間では最低限の共通理解だった。
『ま、今回はゾンビみてえな敵って話だ。こういうことを言っていけば倒すのが楽になるんだろうな』
「そうだね。でもまず『コレクター』が事件を起こす前に見つけないと……あれ?」
 そこで昴は、一つの異物に気が付いた。今まさにストリートに進入してきた若い男。無機質な人形のように固定された顔立ちの前に目についたのは、ともすれば作り物とさえ思ってしまいそうな長い日本刀だった。
 それに何より、あの顔立ちは事前に配布された敵の顔写真とほぼ同じであるように見える。
『当たりだな』
 ベルフのお墨付きも出た。昴はすぐさま通信機に手を当て、全員に号令をかけた。
「こちら昴です。『コレクター』をストリート入り口近くで発見しました。作戦を開始してください!」


 誰も知ることはないが、『コレクター』が人を襲うときにはある条件が存在していた。
 一つ、真面目そうであること。
 一つ、右腕が露出していること。
 一つ、直前に自分に気が付いていたこと。
 そして、今もまた彼は目標となる青年を視界に捉えていた。条件はすでに満たしている。
 ゆえに、彼の右腕を切り落とす。その右腕にはきっと、血肉や骨や神経だけではない何かが詰まっていると確信して、愚神は歩みを速めた。
 残り十五歩。日本刀の鞘に左手を重ねる。
 そして、あと五歩というところで柄に右手をかけたその瞬間。

「はぁい、何かお探し? 『コレクター』さん」
 余計な雑音が、嫌になるくらい明瞭に滑り込んできた。

 『コレクター』がぐるり、と首を音源に向ける。にこにこと邪気のない笑顔を浮かべる、桃色の挑発を持ったチャイナドレスの女性がそこに立っていた。もちろん顔見知りではない。だが、彼女の発した『コレクター』という単語は、半笑いで煙草の火を脳に押し当てられたような感覚を覚えた。
「お前は何者だ」
返答次第では真っ先に斬るつもりだった。右腕ではなく、その腹を。
「名乗るほどじゃないわ。それより、単刀直入に聞くわ。右手にこだわる理由は、何?」
「……成程。お前はそういう人間か」
 『コレクター』は小さく息を吐くと、改めてニウェウスに向き直った。
「簡単なことだ。右腕に宿る善の力、それを手に入れる。僕が望むことはそれだけだ」
「そう、善……ね」
「お前は僕を止める人間か。それとも、おとなしく僕に善の力を譲り渡すのか」
 刀の柄に手をかけると、ニウェウスはうっすら笑ってきびすを返した。その先は片側二車線の道路に向かうはずだった。そうして、ニウェウスが声だけを『コレクター』に届けた。
「答えが欲しいのなら、ついてきなさい」
「何?」
「嫌とは言わせないわよ。だって、無関係な人を巻き込むのは『悪』だもの」
 がしゃ、がしゃ、と黒光りする脚鎧の擦れる音を響かせて先に行ってしまうニウェウスを、『コレクター』はぼんやりした目で見つめていた。
 善も、ましてや悪も、僕には何のことだかわからない。だからこそ、それを見出す為にここまで右腕を追い求めた。彼女がそれを知っているのなら重畳というものだろう。
 そう何となく思って、『コレクター』は鶏の後に続くひよこのようにその背中を追いかけた。すでに周囲からは青年を含めた多くの人々が叫び声をあげて右往左往していることにも気づかずに。

「繰り返します。この近くのビルで異臭がするという報告があったため、調査を行います。警察の指示に従って落ち着いて避難してください」
 そんな藤咲 仁菜(aa3237)のアナウンスが防災無線から流れ出したのは、ニウェウスたちが『コレクター』発見の報を受けて急行しているまさにそのときだった。救急車両に積まれたスピーカーからそんな放送が聞こえると、ストリートは一時騒然とした。そのビルはストリートからそれほど離れていないからである。
「大丈夫です! 皆さん、落ち着いて、押し合わずに避難してください!」
『頭がゆだった状態で走るな、怪我するぞ! ……ああ、いささか乱暴じゃねえのかこれ?』
 ストリートを挟んで、紫 征四郎(aa0076)とガルー・A・A(aa0076hero001)が避難指示を出していた。人の流れが一方向に向かっている理由は、『コレクター』の出現場所から警察官が水を押すように人を強制的に方向転換させているからだ。
『大丈夫! 落ち着いて警察の指示に従ってー!』
 横並びになった警察官の中では背が最も低いリオン クロフォード(aa3237hero001)がそう呼びかけ、逃げ惑う人々の鎮静化にあたった。
 そして、ストリートの一番奥。我先にと逃げ惑う人々を待ち構えるヴィーヴィル(aa4895)とカルディア(aa4895hero001)が、警察に交じって緊急避難先への誘導を行っていた。
「避難の状況はどォなってる?」
『現在地域各所と連絡し、例の交差点に近付けないように誘導を継続。交差点も通行規制をかけた、とのことです』
「救急車は」
『つつがなく。警察と連携して緊急時にはすぐに行動ができるようにしているそうです』
 カルディアの報告にヴィーヴィルは改めて前を向いた。視線の先にいる人々はこんな状況――嘘ではあるが――でもスマートフォンを取り出してこの混乱を残る形で残そうと躍起になっていた。
 すでに足止め役である四人が『コレクター』を抑えるために動いていた。この避難誘導がすべて完了した暁には、このストリートに残っている全員も移動する手はずだ。
 まだしばらくかかりそうだ、とヴィーヴィルが考えていると、通信機からカグヤの鋭い声が届いた。
「避難誘導路から離れた者がおる。行き先はおそらくダミーに設定したビルじゃ、誰か対処に当たってくれぬか?」
『警察のほうで対処します! 情報提供に感謝します!』
「……こりゃ、もうしばらくかかりそォだな」
『想定内のことです、マスター』
 人の流れは、まだ枯渇しそうにはなかった。


 本来ひっきりなしに車が行き交うはずの大きな交差点は、たった六人の人影によって贅沢に占有されていた。車は少し前から通行を止められており、あたりにはまだ排気ガスの嫌な臭いが染みついていた。
「あなたが『コレクター』ですね?」
「お前たちが僕をどう呼んでいるかは知らないが、まあそうなんだろう」
 柔和な微笑みを封印した昴が問いかけると、『コレクター』は面倒くさそうに返した。すでに昴をはじめとした五人は『コレクター』を取り囲んで武器を構えている。
「僕に一体何の用だ。ここまでお膳立てした舞台を作ったんだ、どれほどの目的がお前たちにある?」
「あなたがどうして右腕を集めているのか、ということですかね」
「それはそこの女からも聞かれたことだ」
 研がれた刃物のような視線をニウェウスに投げつける。今の昴とは違い、ニウェウスはよく笑っていた。
 『コレクター』は、これが単なるインタビューだとはもちろん考えていなかった。おそらくこの五人は自分のことを知っているし、敵だと思っているに違いない。
だが、はめられたとしてもどうでもいい。彼らは自分よりも、善の力について知っているはずだ。自然と昴の右手に視線が寄った。
「もう一度言おうか。僕はお前たちの右手に宿ると言われる善の力を手に入れたい。そんな力は僕たちにはないからな。僕がほかの愚神を出し抜き、新たな力を手に入れるためには、その善の力が必要だ」
「つまり、あなたは善というものを手に入れたいと」
「そうだ。その為にお前も、この場にいる人間すべての右腕も斬る。簡単なことだ」
 昴は静かにうなずくと、背中からしゃらりと細身の刀を引き抜いて構えた。血を見たことがないほどきれいな銀色の刃をしていた。
「僕の所見ですが。善というのは、極論、自分以外の益になっているかどうかです」
『誰かの利益になったかどうかによって、その誰かから張られるラベルみたいなもんだ』
「さて、あなたの収集は誰かの益になったのでしょうか?」
「何? ……ぐっ!」
 訝しげに『コレクター』が目を細めた直後、横合いから砲弾のように何者かが突進してきた。大鎌を携えた凛道が彼を押しつぶさんとばかりに斜め上から刃を振り下ろす。脚に猛烈な衝撃が走ったが、何とか踏みとどまり鞘に収まったままの日本刀で振り払った。
 『コレクター』二撃目がのしかかる。桃色の短い髪が桜吹雪のように舞った。
『あなたですね、不愉快な事件を起こしている愚神というのは。鬼武蔵、新納芳乃の名に於いて、この先へは行かせません!』
 芳乃が進行方向に回り込むようにして押さえ込みをかける。それを悠々といなすと、『コレクター』は芳乃の真横を通って疾駆した。
 向かう先は凛道、ではない。さきほど『コレクター』に善を説いた、昴だった。
「面白いことを言ったな、男。なら見せてみろ、お前の善、それを宿す右腕を!」
『油断するな、来るぞ昴!』
 二振りの日本刀が火花を散らした。清廉な雪のような刀が攻撃を受け止めるたびに、数多の血を吸った『コレクター』の妖刀が絶え間なく襲い来る。その集中は一点にのみ、彼の右腕に向けられていた。
「ハッ!!」
「うっ、ぐ!」
 距離をとろうと昴が背後に下がろうとした瞬間に一閃する。受け止めた刀ごと昴が吹き飛ばされ、包囲網を歪に押し広げた。
「善とは」
「ッ!」
「他者を思い、他者と共によりよい未来を築く為のモノ。決して、他者から奪い取ることで築き上げるモノではないわ」
 ニウェウスの旋律が愚神の鼓膜を否応なく揺さぶる。
「己の欲求のために他者から奪う、利己的な行為。人は、それを悪と呼ぶの。――そう、貴方は、最初から間違えている。私は、そんな貴方を否定する」
「……黙れ」
 視線を向けた先。なぜか薄い赤に覆われた世界で、彼女は炎を具現化したような双剣を握ったった左手を『コレクター』に突き付けた。
「覚悟を決めなさい。私は今から、貴方の命を奪うという悪を成す。善を成すことに尽力する人たちのために……私の悪をもって、貴方の誤った悪を断つ!」
「黙れ! お前に……お前ごときに僕の何を止められる! 僕の願いを、一体どうして否定できる!」
 昴の攻撃をかわし、『コレクター』は咆哮してアスファルトを思い切り蹴った。
「その剣を僕に向けるのをやめろ、女ッ!!」
 赤い瞳をますます血走らせこちらに向かってくる『コレクター』を、ニウェウスは冷静に観察していた。ぐっ、と柄を握る手に力を籠めると、彼女は一瞬だけ芳乃のほうに目を向けた。芳乃も視線に気が付くとしっかりとうなずいた。
 これは予行演習。いずれ来る本番のリハーサルだ。
 リハーサルが豪華ではいけないという理由は、どこにもない。
「さあ、全力で行くわよ!」
 ニウェウスは――戀は、もともと一介の武器に過ぎない。使役されることで機能する道具に過ぎない。だが道具だからこそ、人の限界を超えられる可能性を秘める。無限に等しい剣を操ることだって夢ではない!
「なッ!?」
 増殖した双剣に『コレクター』が驚愕し目を見開く間にも、攻撃が嵐となって彼を覆いつくした。雨あられと降り続くそれを叩き落とし切り伏せることは容易ではなく、その皮膚が刃に切り裂かれていく。そして、攻撃はそれだけではない。
『よそ見をしている暇など、与えません!』
 芳乃が一か所だけ開いた雨の隙間から『コレクター』に斬りかかる。彼は無理やり芳乃という乱入者への応戦を余儀なくされた。
「おう、気張りやんせー」
『景久様……! この新納芳乃、景久様の御前で下手を打つわけには参りません。ご照覧あれ!』
 言葉とともに、芳乃の纏う覇気が明確に変わった。すなわち剣戟を繰り返し押し切るのではなく、日本刀の刃をへし折ってでも押し潰すという剛の気に。『コレクター』はそれを察知すると、攻撃が来るより速く日本刀を右手で振り抜いた。
「がッ!?」
「そこを退け、僕が通る道だ!」
 双剣の雨を、芳乃を前にして突破する。芳乃は吹き飛ばされると二回その体をアスファルトに打ち付け、自らの主君の前でようやく停止した。
「無事か、芳乃」
『げほっ……申し訳ありません、景久様。お見苦しい、ところを……』
「よか。そんだけあん愚神が強いっちゅうことじゃろう」
 鬼のような形相で凄絶に笑う景久に、『コレクター』は荒い息のまま切っ先を突き付けた。
「次はお前だ。その右手、僕がもらうぞ」
『その前に僕が止めますよ』
「チッ!」
 右肩を狙って背後から振り下ろされた大鎌を『コレクター』が慌てて防御する。だが一歩遅い。すでに勢いづいた刃先は彼の右肩の肉を抉り取ってから押しとどめられた。
「僕にとっての今の正義は、善を成す基準は法であり、マスターであり、あやふやなものです。だからこそ、今も誓約のもと探しています」
 己の過ごした日々の意味を、正義を謳った先の物語を見にいこう。
 かつてリュカと交わした誓約を噛み締めると、凛道はますます大鎌に力を込めた。
「ただ今回の件で解るのは、右腕を失った人たちはひどく人生を狂わされたこと。あなたが奪った右手には善などなく、ただ貴方の悪しか詰まっていないことです」
「黙れ。そんなこと、あるはずがない……!」
焼けた鉄の棒を押し当てられたような痛みに歯を食いしばり、『コレクター』が鎌を振り払い攻撃に転じようとしたその瞬間。
 ドグシャッ!! と、肉がひしゃげるような音ともに彼の右足が絶叫した。
「が、ああああああああああああっ!?」
 太ももに突き刺さっていた大きな矢に手を伸ばそうとしたが、間髪入れずにもう二本が飛び掛かってきた。それらは正確に太ももを貫くと、液体とぶよぶよの固体を同時に彼の足から無理やり吐き出させた。
『アトラクアさん』
「いや牽制のつもりだったのだが、これほど正確に打ち抜けるとはのう。運がひどくよかったというものよ」
 声だけの女がまるで目の前で自分の射撃の成果を品定めするかのように言った。この中の誰とも違う。どこかまったく別のところから狙撃されたのだ。
 それを自覚して――もう薄々勘付いてはいたけれど――『コレクター』は血を吹き出す肩に手を当てた。
「……お前ら、あくどいにもほどがあるだろう」
『どちらかといえばこれはアトラクアさんに言ってほしいですが。しかしそれでも僕たちには遠慮する理由がない。我がマスターの言葉を借りるならば、貴方は論するに値しない、ただの”悪”なのですから』
「――そうか」
 その言葉に『コレクター』は憎悪を募らせ、同時に黒い靄のようなものを頭の片隅に覚えた。

「クー、どうじゃ? もう避難させるべき者はおらぬか?」
『ん、おーるおっけー』
「そうか。皆のもの、聞いての通りじゃ。すでにこちらで見る限り避難対象者はおらぬが、そちらはどうなっておる?」
 カグヤが通信機に呼びかける。すでにストリートからは人が消え去っており、風すらも寂しげな趣を醸し出していた。
「ヴィーヴィルだ。少し前からこっちに来る人間はいねェ。カグヤが問題ねえって言うんなら、俺たちは移動するぜ」
『俺のところもまだ人がいるって報告はない。移動しようか』
「了解! リオン行こう、もう戦っている人がいる!」
 続々と参加表明をする仲間たちの言葉を聞いて、紫もストリートの入り口に目を向けた。閑散とした道のその先で、今も激戦が繰り広げられているはずだ。
「行きましょう、ガルー」
『……ああ』
「ガルー?」
 煮え切らなそうな表情を浮かべる相棒に、征四郎が再度問いかける。ガルーは自分を見上げる紫の瞳に気が付くと薄く笑ってみせた。そして顔をあげ、征四郎が見ていた方角に向けた。
『……善とか悪とか、今更俺様が口出せることじゃないけど』
「ガルー……」
『力は貸す。ここで死んでいい奴は一人もいねぇ』
 彼は知っている。どう生かそうとも人はいつか死ぬと。それ故に彼は薬を用いる英雄として多くを殺し、多くを看取った。
 だが、死んでいい命はここにはないと言った。ならば征四郎が口に出すのは、いつだって一つだけだ。
「ええ、いきましょう。みんなの、明日を守るために」

「これなら、どうです?」
「チッ、こざかしいッ!」
 ライヴスによって編まれた網を昴から投げつけられ、『コレクター』は忌々しげに叫んでその拘束から逃れようともがいた。右足の機能不全によってただでさえ移動に支障が出ているうえにこんなものを投げつけられ、『コレクター』はますます動きに制限がかけられた。
 当然、リンカーの攻撃はこんなものでは終わらない。
『――罪には罰を、正義の刃を。迷いし愚者に死の安寧を』
「クソッ!!」
 凛道が詠唱とともに取り出した殺意の塊――二十ミリガトリング砲の六発の砲口――に『コレクター』は悪態をついて剣を構えた。すでに砲身は回転を始めていて、逃げ切れる状態ではなかったからだ。だから彼にできることはできる限り砲弾を切り伏せて損害を減らすことだけ。
――のはずだったが。いつまでたってもその火力投射が行われない。
『――弾詰まり!』
「しめた!」
 苦々しい表情でガトリング砲の回収を行う凛道をよそに『コレクター』が女郎蜘蛛の網を斬り払った。行動の自由は確保されたものの、いまだ完全ではない。右足がとりあえずでも回復するにはまだ時間がかかる。
 『コレクター』が刀を持ち上げる。次は誰だ。誰を斬ればいい。誰の右腕を落とせば、この靄から解放される――!
「ふむ。色々とお留守じゃな、そなた」
「――ッ!」
 ゴッ!! と、振り抜かれた手甲と日本刀が衝突した。その容姿に似合わぬインファイトを仕掛けたカグヤが薄く笑う。そして、『コレクター』はその声を忘れてしまうほど衰えてはいない。
「お前か。僕の足を壊したのは」
「ほう? 意外と右腕以外にも執着があるのじゃな。これは驚いた」
「お前、は。先に殺す。その右手を手に入れてから、真っ先に殺すぞ」
 カグヤは呆れたように肩をすくめると、後ろに跳躍した。それを追いかけようと『コレクター』が体を傾けようとした時、彼の眉根にしわが寄った。その先に、見知らぬ影が三人増えたからだ。
 リンカーたちにとってみれば安心を与える影。征四郎と仁菜、ヴィーヴィル達だった。
「景久君」
「おう。どれ、こっからが本番じゃ」
 重い腰を上げ、共鳴を完了させた景久は一歩前に出た。その手に握られた改造チェーンソーの先はまっすぐに『コレクター』に向けられていた。
「おまん、ないごて右腕ばかり狙う」
「……すでに伝えたはずだが?」
 憎悪だけを宿した瞳が景久に向く。景久はうなずきながらもそれを否定した。
「なぜ左腕を狙わんのかは聞いとらん」
「それこそ愚問だ。右腕が善を宿すのであれば、左腕には悪が宿る。それは不要だ。少なくとも、今の僕にとってはいらないものだ」
『かわいそうに。あなたの善とは、他人から奪うことでしか得られないのですね。では、あなた自身の善は、どこにあるのです!』
「善とは己の胸に湧き上がる意志! 決意! おまんの善は所詮借り物じゃ!」
 そいでも、と景久は、島津の末裔を名乗るにふさわしく決然とした表情で叫んだ。
「そん腕が善と悪を分けるなあば、答えをくれちゃる!」
 その瞬間、『コレクター』を取り囲んで隙間なく双剣が現れた。無数の切っ先はそのすべてが、彼を刺し砕き血肉にせんと無言の殺意をむき出しにしていた。
「援護するわ。全力でやってきなさい!」
「応ッ!!」
 景久がアスファルトを蹴ると同時に、ニウェウスが複製した双剣が一斉に射出された。もはや逃げ切ることは叶わない。そのすべてを何とか耐えしのぐことしか『コレクター』にはできない。
 だが、視線は下げない。殺意をいや増しにして景久を待ち構える。
「この腕が欲しかが。なぁば、獲ってみやッ!!」
「知れた、事を!!」
 一撃目に攻撃はしない。滑るように彼我の距離を詰めた景久は彼の足を払い、体勢を崩させる。よろめいた彼の左腕めがけて下から上にチェーンソーを振り上げる!
「ふ、ああああああッ!」
 『コレクター』は残った右腕で握っていた日本刀をアスファルトに突き立てると、ストックを雪に刺して方向転換するかのように強引に攻撃を回避してみせた。無理な回避で彼の体が悲鳴を上げるも、左腕を切り落とされるよりははるかにましだ。
 距離をとる。引き離す。――その刹那、左肩が爆発した。
「ッ、ぐばあっ!?」
 ドンドンドンドンドン!! と、スナイパーライフルの弾が何度も彼の体を穿り弾けさせた。その攻撃はもはや銃器そのものに重篤な負荷を与えており、マガジンすべての弾を射出した後に内側から砕けてしまった。
 残骸を幻想蝶に回収すると、凛道は再び大鎌を取り出した。
『昴さん、頼みました』
「了解です!」
 軽快に飛び出した昴はすぐさま衝撃で動けない『コレクター』に接近し、刀の切っ先を突き刺そうと態勢を整える。『コレクター』もあわてて刀を構えカウンターを狙うために精神を研ぎ澄ます。
 だが、突き出された刃はギリギリのところで『コレクター』に届かない。それが偶然でないことは、その後に呟かれた一言ですべて理解できた。
「なんちゃって」
 牽制。
 気づいた時にはもう遅い。怒涛の如き攻撃が一斉にリンカーによって叩きつけられる。
「その右腕と、右足!」
「その左腕ッ!」
『もらった!!』
「――調子に、乗るなあッ!!」
 迫り来るニウェウスと景久を前に、『コレクター』は背後に跳躍して距離を稼ぐと、飛び込み前転の要領で攻撃をしのぎ切る。すでに右足や両肩、それに体のあちこちが機能不全を起こしている彼の意地だ。
 だが、それで終わるわけもない。
 目の前に、紫紺の外套を翻らせる一人の高潔な騎士が立っていた。
「なぜ右腕を求めるのか……という問いは、もはや無意味ですね」
 愚神の表情を一瞥して、征四郎は顔色を変えずに呟いた。すでに得物である大剣は引き抜かれており、いつでも剣戟に耐えられるようになっていた。
「私は、焼かれて死にかけたところでガルーに会いました」
「……?」
「斬られて、燃えて、熱くて痛くて悔しくて。ここで終わり。そう思った時に、ガルーが手を伸ばしてくれた」
「お前は、何を……」
「英雄だったから? だから傷を治してくれた? 違うのです。私はあの時手を取ってくれたことが、まだ生きていてもいいと、認めてもらえたようで嬉しかった! 世界はわからないことだらけだけど、それだけは揺らがない。だから征四郎は、ここにいる全員を生かすために来たのです!」
 それが、私の善であると。
 大人のような姿をした少女は、膝をつく愚神の前で高らかに宣言した。
『俺様にとっての悪は、治らない病気と不衛生。そして何も成せないまま人を死なせること。善が悪に抗う力なら、その原因を速やかに排除しよう』
 ガルーの追撃は、『コレクター』の心を再び燃え盛らせる火種となった。わずかに震える足をもって立ち上がると、彼は戦いでボロボロになった刀を構えた。
「それが、お前の善か」
「ええ」
「……理解、出来ない。それはもはや善ではない。それはもう違うものだ。男。その言葉がお前の善を体現するものだとしても、その右腕は、剣を握る右腕は、違う。そこはもはや違う力に呑まれているぞ。お前が言う”ここにいる全員”に、僕を意識的に除いている限り」
 その問いへの答えは、もしかしたらあったのかもしれない。
 けれどそれを脳が理解する前に、彼の体は大剣による一撃で吹き飛ばされていた。
 意識が途切れる。だが数秒後には再び覚醒した。どうやら自分は死んだらしい、と『コレクター』はおもむろに理解した。ここで止まるわけにはいかない。
 血痰を吐き出し、ヴィーヴィルの一撃を回避して駆け出す。向かう先は今まさにこちらに向けて走り出していたカグヤだった。
 右拳の攻撃は日本刀の腹で受け止める。数合の打ち合いの後に、カグヤは正常な方の目の端を吊り上げた。
「ふむ、今までの流れから、そなたは善にこだわりがあるようじゃな」
「それがどうした」
「まあ聞くがよい。わらわの善を答えるならば、善とは行動に宿るものじゃ。何かを成す行いが手じゃったから右手を集めようとも、行動と結果は切り離せるものではないのじゃよ」
 じゃがまあ、と言ってカグヤは急に打ち合いをやめ、『コレクター』の前に右腕を突き出した。
「この右手が欲しいのであればくれてやる。受け取ったら、諦めて倒れてくれぬか」
 物々しく鈍い黒色に輝く右腕を見下ろす。それは今まで散々探し求めていた右腕。だが、今だけはそれはひどく歪で、禍々しく、とても善の力がこもっているとは思えない。
 『コレクター』は自嘲的に笑って、
「――その右腕、僕が奪う」
 躊躇なく切り落とした。
 その瞬間、カグヤは残った左腕を思い切り振り抜いた。狙う先は彼の両腕。完全に破壊するつもりで振り切った。
「ああ、世の中には偽善というものもあるのじゃ。勉強になったかの?」
「――知っているとも。その言葉が決して字面通りの意味は持たないということもな」
 『コレクター』はそんな言葉とともに刃を裏返すと、右腕のみで逆袈裟懸けにカグヤを打ち払った。あと少しでカウンターが決まるかに想われたカグヤの体は吹き飛ばされ、地面を転がる。
「そこで寝ていろ。右腕を粗雑に扱う人間と打ち合う義理はない」
 だが、もう『コレクター』は限界だった。昴の牽制に対応しきれず攻撃が空しく空を切り、直後の景久の一撃は回避しきったものの、凛道の一閃でアスファルトの味を思い知ることとなった。
 もはや、体を動かすこともままならない。
 だが、ここで『コレクター』は諦めるわけにはいかなかった。
 もう少しで、善の力を理解できそうだったから。
「善が何かなんて、下らねェ。善悪なぞ、所詮表裏一体。どちらがどちらとは言えないし、言うモンでもねェ。思い込みがすべてを支配する。俺には俺の、お前にはお前の”善”がある」
 ヴィーヴィルはゆっくりと近づきながら、斧を担いでいった。
「だが、お前は殺しすぎた。善であれ、悪であれ、だ」
「……」
「俺は俺の善を示してここにいる。揺らぎなど存在すらさせねェ。正義なんか関係ねェ、俺は俺の為に在る。――お前の善とは、正義とは何だ? 示して見ろよ。お前の善を、お前の正義を、お前の存在を」
 ただの、幻想を。
 ヴィーヴィルはあえてそう言い放った。『コレクター』が立ち上がるのもお構いなしに彼は言葉を次々に紡いでいく。
「正義なんて勝者が決めたただの属性だ。ならば俺は、俺の勝者になるだけだ。善とて所詮自己陶酔みたいなモンだろ? そこに在ってないモノを探したとて、無駄だ。答えなんてねェんだよ。真実とて一つではないようにな」
 気が付けば『コレクター』は駆け出していた。ヴィーヴィルを黙らせるわけではない。逆だ。彼にもっと話させるために。
 後、少しで見いだせそうだった。
 二つの刃が交錯する。ぎりぎりの間でせめぎあい、だがその距離が永遠に広がっていく。
「しかし、随分と右腕にご執心だが、どうしてだ? お前にもあるだろ、右腕が。なぜ、善を、正義を求める? 存在しねェんだよ。右腕なんか集めても見つかる訳ねェ。腕は腕、善は善、正義は正義だ」
「ああ、そうだ。確かにそうだ。僕はあの女の右腕を切り落としても何も感じられなかった。あの紫の男の右腕からは善とは違う力を感じた。お前の言うとおりだ、白い男。何かが違う、何かが。決定的な何かが!」
 ヴィーヴィルから距離をとると、その後に現れたニウェウスの右腕と右足を狙った攻撃もしのいだ。右腕を狙う刃は左腕に握られていた。おそらく彼女なりの狙いがあるのだろうが、もはや気にもならなくなっていた。
 ここで行き詰まるわけにはいかない。あと一人。あと一人ですべてが変わる――!
「リオン、交代してくれる?」
『いいけど、無茶したら怒るからな!』
 そんなやり取りが聞こえてきた。そちらに目を向けてみると、白いウサギのたれ耳を持つ少女が右手を天にかざしていた。
 空中から治癒の力を帯びたライヴスが降り注ぐ。今まで戦った誰とも彼女は違う気がした。
「考えてみたの、私にとっての善って何だったかなって。それは、リオンが伸ばしてくれた手だったよ。絶望の中に差し出された救いであり、希望だったの。だから私は手を伸ばす。……払いのけられることも、届かないこともあるけど、きっと救えるものもあるって信じてる」
 そこに自分はいない。
「この身は誰かが助けを求める声を聞き逃さないように。
 この手は助けを求める人に伸ばせる手であるように。失わぬよう護り抜く癒しの手であるように。
 この足は仲間の危機に駆け付けられるように。
 私は敵を倒す為じゃなく、大切な人を守る為にここにいる。それが私にとっての善であり、信念だから」
「善であり、信念……」
 何かがすとんと落ちた気がした。しっくり来た。善と信念が同列に語られたからか。
「貴方は右手を奪って満たされた? 善は右手を奪われてもなくならない。そんなことで信念は曲げないよ!」
 『コレクター』はまっすぐに仁菜を目指し、その右腕に向かって刀を振り下ろした。それが彼女の盾に弾かれるのは、彼にはごく自然のことだと思えた。
 彼女の目は、強い。だがその拒絶すらも、この快感に比べれば些細なことだ。
 いつの間にか接近していた征四郎によって、彼の右腕が吹き飛ばされた。もはや何が起こったのかも理解できなかった。何を言っていたのかすらも。もはや抵抗すらせず、刀を握ったまま玩具のように転がった自分の右腕をぼんやり眺めていた。
 もっと早く気付くべきだった。右腕に善の力が宿っているのならば、最低限僕の腕にも宿っていておかしくなかった。それを自覚も出来ず、こうして冷たい肉塊になっているあれは一体何なのか。
 少なくとも、自分が今まで崇め追いかけたものと同じには見えなかった。
「満足したが?」
 膝をつく彼の前には、景久とニウェウスが立っていた。景久は『コレクター』の頭にチェーンソーについているショットガンを、ニウェウスは心臓に狙撃銃の銃口を突き付けていた。
 景久のいやに穏やかな顔を見上げ、『コレクター』は晴れ晴れとした表情でつぶやいた。
「……うん。こういう時、何といえばいいのかな。お前たちには。そう、人間はいつもこう言うんだっけ――」
 ありがとう、と。
 一秒後、二つの銃弾が正確に彼の頭と心臓を貫き破砕した。


 右腕に善など存在しなかった。右腕はあくまで右腕だった。
 だが、善はあった。それは僕と打ち合った彼らの中に、彼らの心の中に確かに存在していた。
 だけれど、それは、力がなかった。あの兎の少女の言葉で言うなら、それは信念というべきものだった。生きる指針、悪に向かないための道しるべ。そんなものでしかなかった。
 でも、力はあった。善に基づいて振るわれる力は、しかし善の力などではなかった。
 それは、正義だった。
 正義は善とは違う。正義は善をもたらす人間とそうでないものを区別する。正義は、存在を選ぶのだ。そして選ばれなかったものが悪となり、敵となる。僕は敵だった。
 善の力はまやかしだった。でも、僕は最後の最後にそれに気がつけた。
 ――祝福(のろい)あれ。
 僕を殺した彼らに祝福(のろい)あれ。その残酷な正義をもって、これからも僕の同胞を殺すがいい。お前たちにはそれが許されている。
 彼らに殺される同胞に呪い(しゅくふく)あれ。彼らを恨みながら死んでいくがいい。お前たちは僕の気づいた真実には到達できない。
お別れだ。また違う形で君たちに会えたなら、今度はゆっくり正義について語り合いたいものだ――


 首都圏を揺るがした連続殺傷事件はこれで終結した。主犯の愚神はリンカーによって撃破され、街には平穏が取り戻された。
『結局、善とは、悪とは何なのでしょう』
 近くの公園のベンチに座り、芳乃がかるかんを口にしながら言った。その目は少し不安げに伏せられていた。
『私たちの目指すものは、善なのでしょうか』
「関係なか。ただ、島津の名に恥じぬ戦をする。善があるとすれば、俺らん善はそいだけじゃ」
 干し芋を一気に食べてしまうと、景久は立ち上がって芳乃に振り向いた。
「鬼島津、鬼武蔵。鬼の居場所は?」
『戦場、ですね』
 芳乃が薄く微笑むと、景久もにっと豪快に笑ってみせた。


 答えなどない。善も正義も、己の答えを信じているから衝突する。
 それでも――それをようやく知れた『彼』は、幸せであるに違いない。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧


  • 九字原 昂aa0919
  • その背に【暁】を刻みて
    藤咲 仁菜aa3237

重体一覧

参加者

  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
    人間|31才|男性|攻撃
  • 断罪者
    凛道aa0068hero002
    英雄|23才|男性|カオ
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
    人間|10才|女性|攻撃
  • 優しき『毒』
    ガルー・A・Aaa0076hero001
    英雄|33才|男性|バト
  • 果てなき欲望
    カグヤ・アトラクアaa0535
    機械|24才|女性|生命
  • おうちかえる
    クー・ナンナaa0535hero001
    英雄|12才|男性|バト

  • 九字原 昂aa0919
    人間|20才|男性|回避

  • ベルフaa0919hero001
    英雄|25才|男性|シャド
  • カフカスの『知』
    ニウェウス・アーラaa1428
    人間|16才|女性|攻撃
  • 花弁の様な『剣』
    aa1428hero002
    英雄|22才|女性|カオ
  • その背に【暁】を刻みて
    藤咲 仁菜aa3237
    獣人|14才|女性|生命
  • 守護する“盾”
    リオン クロフォードaa3237hero001
    英雄|14才|男性|バト
  • 捻れた救いを拒む者
    ヴィーヴィルaa4895
    機械|22才|男性|命中
  • ただ想いのみがそこにある
    カルディアaa4895hero001
    英雄|14才|女性|カオ
  • 薩摩隼人の心意気
    島津 景花aa5112
    機械|17才|女性|攻撃
  • 文武なる遊撃
    新納 芳乃aa5112hero001
    英雄|19才|女性|ドレ
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