本部

澄んだ鏡の向こう側

影絵 企我

形態
ショートEX
難易度
やや難しい
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/05/08 16:46

掲示板

オープニング

●とある先生の物語
「おのれ……貴様!」
 山羊頭の愚神は、槍を支えにやっと立つような有様で吼える。全身にはライヴスで作られた刃がいくつも突き刺さり、脈々と血が溢れている。その正面に立つのは、白い法衣の上から聖銀の鎧を纏う一人の青年。鎧はあちこちに穴が空き、法衣もぼろぼろだ。こちらも杖を支えにようやく立つような有様である。
「貴方を……この先へと通すわけにはいかないのです。この先には大切な子等がいるのですから」
「こちらにも使命がある。はいそうですかと、引き下がれるか!」
 槍を地面から引き抜くと、倒れ込むように槍を突き出す。青年は避ける事もままならず、その槍に貫かれる。口から血を溢れさせ、青年はその身をくの字に折り曲げる。しかしその目に宿る必死の炎は消えない。既にリンクバーストも行い、身も魂も限界まで酷使している。だが、この青年は死んでもくたばらない生命力でこの世にしがみつき、教会で暮らす小さなみなしごを守るために愚神の前に立ち続けた。いくら手練れでも、ケントゥリオ級の愚神と一人で相対するなど無謀だというのに。
「いい加減に、死ねぇッ!」
 焦れた愚神は、ついに槍を高々と振り上げ青年を真っ二つにしようとする。血を溢れさせて俯く青年がそれを防ぐ術は、最早ないかと思われた。――しかし。
「その言葉、そっくりそのままお返しします……!」
 青年は振り下ろされた槍に向かって手を掲げる。その手に集まった光は鏡となる。ライヴスミラーだ。
「そんな、ものォッ!」
 しかし、愚神は強引に槍を振り下ろす。鏡に剛力が叩きつけられ、見る見るうちに鏡はひび割れていく。青年は歯を食いしばり、唸る。
「させない……させない!」
 刹那、鏡は紫色の輝きを帯びる。同時に鏡からは黒々とした影が飛び出し、巨大な槍を振り上げ愚神の心臓へと突き立てた。
「……! ば、馬鹿な。貴様、一体、何を……!」
「神の敵は、滅びる運命……」
 愚神は断末魔の叫びを上げ、弾け飛んだ。どす黒い血が、聖職者の青年に降り掛かる。そしてまた、彼も限界を迎えた。ゆらりと傾ぎ、倒れる。
「……良かった。これで、彼らは守られた……」
 青年は静かに目を閉じる。このまま共鳴は解け、能力者たる青年は、英雄たる青年は、満足の内に死出の旅へと赴く。その筈だった――

●鏡を見よ
 夜、ようやく教会の扉は開いた。愚神が出ると聞き、隠れながら震えていた子供達はそろそろと姿を現す。様々な子達がいたが、脚を引きずる子もいれば、顔に大きな火傷の跡が刻まれた子もいた。皆、ひどい虐待を受けて逃げた子達であった。そんな彼らが唯一頼りにしていたのが、この教会で孤児院を営む美佐和彦だったのである。
「……ミサ先生?」
 ぼろぼろのローブを纏い歩くその姿は、一瞬先生のように見えた。しかし直ぐにそうであり――そうではなかったと気付く。
「あ、ああああっ!」
 少年少女は悲鳴を上げる。そこに立っているのは紛れも無く愚神だった。闇で出来た身体を持ち、紫色の光で出来た目が彼らを真っ直ぐに捉えている。彼らは悲鳴を上げ、不自由な身体でどうにかその場を逃れようとする。そんな彼らを、愚神は不思議そうに見渡した。
「……どうしたのですか? もう愚神はおりませんよ。怯えることはありません」
「ば、ばば、ばけ――」
「酷い顔ですよ。落ち着きなさい。……ほら、この鏡を見てみなさい――」



「馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な!」
 膝をつき、ムラサキカガミは絶叫した。鏡を通して見た己の所業に絶望して吼えた。鏡から現れた影は、あろうことか子供達を捉え、喰らったのである。彼らの中にある根源的な恐怖を取り除くために。そして彼は己が為そうとしている”救い”の意味に気が付いた。所詮は愚神の食欲に任せ、目についたもののライヴスを喰らおうとしていただけなのである。己の意志に関わらずに。
「違う! 私は、私はあの子達を守りたいだけだったのに! 目の前にて苦しむ人々を救いたいだけだったのに! どうして。何故! 私は誰をも救う事が出来ない!」

「それは、貴方が愚神となってしまったからなのですよ」

 ムラサキカガミは息を呑む。顔を上げると、そこには影が立っていた。黒い衣を身に纏い、黒い杖を携えた。かつての己の影。ムラサキカガミが、まだ美佐和彦だった頃の残滓。懺悔を聞き遂げる司祭のように、牧師のように、彼は祭壇の前に立って彼を見下ろしていた。

「貴方はもう愚神だ。この世界に仇為すものだ。いくら貴方が人を救おうと願っても、もたらすのは混沌と破滅。貴方が最も憂い、忌み、嫌ってきたものです」
「……やめてください」
「いい加減に認めなさい。己を。己自身のある意味を。人を助ける真似事に何の意味があるのです。愚神なら大人しく世界を破滅へと導きなさい。それが貴方が今この世にあるべき意味です」
「やめてください!」

 ムラサキカガミは悲痛な声で叫ぶ。その瞬間、背後から足音が響き渡る。やってきたのだ。彼に引導を渡すべく、エージェント達が。

「さもなくば、倒されなさい。彼らに」
「……神よ。貴方は私をお見捨てになられたのですね」

 ムラサキカガミは己を理解した。この世の、敵であると。

●堕天せし者も救い手とならん事を望む
「何故なのですか」
 目の前に立つ己の影と向き合いながら、ムラサキカガミは静かに声を絞り出す。
「私はこの苦難溢れる世の中で、心の闇に囚われ光を見失った方々を救いたかった」
 その言葉に嘘偽りは感じられなかった。エージェント達には、誠心誠意の訴えと聞こえた。
「それなのに、何故私の手は誰も救う事が出来ないのでしょうか。何故誰もが、私の手にかかれば、闇に囚われそれっきりになってしまうのでしょうか。それは皆の心が弱いからなのでしょうか」
 こちらには振り向かぬまま、肩を怒らせムラサキカガミは声を絞り出す。その姿は、まるで懺悔する罪人のようだ。
「……違うでしょうね。私は愚神であるからなのでしょう。私がもうこの世ならざる者であるから、私は誰も救えない……」
 不意にムラサキカガミは振り返る。兜の隙から、紫色の涙が溢れている。

「何故なのですか!」

「何故私は手を差し伸べて人を破滅させる」
 紅色の盾を構え、ムラサキカガミは苦しげに唸る。
「何故あなた方は手を差し伸べて人を救える」
 蒼色の杖を掲げ、ムラサキカガミはエージェントを睨みつける。
「私も、あなた方も、苦しむ者を救いたいというこころは同じはずなのに!」
 紫色のストラを振り乱し、ムラサキカガミは声を荒げた。それはムラサキカガミとしての叫びなのか、“ではなかった”者としての叫びなのか。
「教えていただけませんか……」
 ムラサキカガミは呻くように声を絞り出し、よろよろと前へと進み出る。その隣には彼が彼であった頃の残滓が黙して立つ。愚神は杖を掲げると、絶叫した。

「あなた方が希望の名を冠するに相応しき者たれる理由を!」

解説

メイン ムラサキカガミの討伐
失敗条件 戦闘区域から全員が撤退する

エネミー
ムラサキカガミ【飢我】
己自身を鏡に映したことで絶望した愚神。自暴自棄となってエージェントに立ち向かう。
ステータス
攻守F、生命S、命中A、回避D、その他B-C
スキル
紅の破魔鏡
最終ダメージを90%軽減する。【紅or紫の因縁】を持つPCの攻撃は60%軽減する。
蒼の天来光
交戦中のPC4体まで対象。目標の物攻or魔攻を加算してダメージを与える。【蒼or紫の因縁】を持つPCには加算が無効。
紫の聖職衣
【『無情』の因縁】を持つPC以外のBS付与を無効にする。
Tips
蒼の天来光によるターゲットは完全にランダム。
今回は逃走する気は無い。死ぬまで戦い続ける。
己の自我を認めたため、固有の攻守ステータスが発生している。

Speculum
ムラサキカガミの心の闇。『彼ら』がリンカーだった頃の残骸。ムラサキカガミと共に戦う。
ステータス 邪英化生命メディック(65/30)相当
スキル
聖槍×4
ブラッドオペレートの強化版。減退(1)→(2)
復活×4
リジェネーションの変異版。リンクレート分→10
殉教
絶たせぬ術の強化版。100%上昇→150%上昇
審判
プリベントデクラインの強化版。【減退】【封印】→全BS
Tips
スペクルムが倒れた場合、ムラサキカガミの生命力が半減する。
ムラサキカガミが倒れた場合、スぺクルムは消滅する。

フィールド
廃墟の教会。
椅子や祭壇の残骸が転がっており、脚を取られてしまう場合がある。
広さは15sq×20sq。
壁は攻撃すると崩れる。崩落の危険があるため注意。

Hint
・エピローグ
 戦闘終了後に挿入。関連依頼に登場したNPCに会って話を聞く事も可能。

リプレイ

 廃墟に散らばる遺留品。混じるいくつもの写真。傷だらけの子ども達が浮かべる満面の笑み。その笑みが向けられていた先が誰なのか知った時に気付いた。私は大いに勘違いをしていたと。全ての片が付いた今、私は私として為さねばならぬ事を考えている。
(ヴァイオレット メタボリック(aa0584)の手記より)



 罅割れたステンドグラスに蒼い輝きが宿る。ムラサキカガミが杖を振り下ろした途端、輝きの中から二つの影が飛び出した。一つは妖狐の形を、もう一つは吸血鬼の姿を為し、それぞれ伴 日々輝(aa4591)と狒村 緋十郎(aa3678)に向かって襲い掛かっていく。二人はその手に携える大剣を以て、共にその影を薙ぎ払った。妖狐の尾を備えた騎士は、大剣に纏わりつく影を振り払い、真正面に立つムラサキカガミへ向かって駆け出した。毀れた屋根から注ぐ月光が、彼の姿を白く照らす。
『戦いは俺に任せろ。考えるのはお前に任せる』
(ああ……)
 グワルウェン(aa4591hero001)に応じ、日々輝は思索の海に一度身を浸す。彼には、この愚神が嘘を言っているようには思われなかった。この世にどれほど嘘の涙があるかは知れないが、この愚神が流す涙が嘘のものとは思えなかった。
「……ごめんよ」
 相棒の剣と愚神の杖が交錯する。日々輝は口だけ借りて、静かにムラサキカガミへ語り掛けた。
「君の気持ちは痛いほど伝わったよ。君は……本気で人を助けたかったのか。けれど、鏡に映るのは虚像だ。どれだけ綺麗でも、どれだけ真に迫っていても、それは偽物、光の作用でしかないんだ……!」
「ああ。今、私は確かに理解しているさ。私自身が影である事を。私は一切の希望無く、人々を闇の内に塗り込めて終わりにしてしまうことも……!」
 礼儀正しい物腰を投げ捨てた、やり場の無い怒りを込めた呟き。紫色の光沢が杖や盾をなぞっては、消える。レミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001)は緋十郎の中からその姿を眺め、ふと思い至った。
(緋十郎。アレは邪英の成れの果てよ。こちら側に戻れずに、堕ちてしまった英雄と能力者。終わらぬ悪夢を、彼らは見続けているのよ)
「ならば……愚神としての生を絶つのみだ。魂を苦界に縛り付ける鎖を断つのみだ!」
 しかし、彼の目の前には杖を携えた黒い影が立ちはだかった。
 その杖は影を纏い、預言の刻まれた槍へと形を変える。半身に構え、両足を並べて踏みしめ、影は切っ先を緋十郎へと向ける。月光に当てられたその影は、薄らとかつての“彼”の姿を晒す。
 神の敵を冷徹に見据える、使徒としての闘気が紫色の瞳に宿っている。
 緋十郎は顔を顰めるが、それでも足取りは揺るがない。
「邪魔だ!」
 突き出される槍の穂先を深紅の切っ先で受け流し、交差するようにその肩口へ振り下ろす。影は槍を返し、その柄で刃を受け止める。
「一筋縄ではいかないか……!」
 二人は互いの刃を払い、間合いを取って互いに睨む。
 志賀谷 京子(aa0150)は壊れた窓の縁に乗り、そんな影の姿を遠くから眺めていた。黙して立つそれは、全て感情が失せ果てている。
「何よりもまずは、あの影を倒さないと……」
 京子は両手を差し出してファインダーを作り、影の姿を中に捉える。眼にライヴスを集中させ、彼女は影の急所を探る。撃ち貫くべきは何処か。射手としての運命が、彼女の前に道を開く。
『……闇の中に、ステンドグラスの破片が見えます』
 アリッサ ラウティオラ(aa0150hero001)は京子に囁く。彼女は頷くと、アルパカの縫いぐるみに潜む銃口を影に向ける。
「それを砕けばいいのね!」
 真鍮の銃弾を撃ち込む。しかし影は左腕を差し出し弾丸を受け止めてしまった。紫色の瞳が、彼女を真っ直ぐに捉える。唇を噛み、京子は狙撃銃を構えながら窓辺を降りて駆け出す。
「影法師の影法師なんて、邪魔なだけなんだけど!」
「そうよ! さっさと……いなくなって!」
 月光降り注ぐ屋根の穴から、鋭い雹の弾丸が銀色の煌きを放ちながら突き刺さる。闇が飛び散り、差し出されていた左腕は虚空へと消える。傷口からぼたぼたと暗黒を滴らせる影が天を仰ぐと、まさに氷鏡 六花(aa4969)が屋上から降ってくるところだった。氷晶の薄虹色に煌く翼を纏い、蒼の羽衣を翻して少女は神の下僕の亡骸と対峙する。
(ここで引導を渡すわよ、……渡さなくてはならないのよ、六花)
(……うん)
 アルヴィナ・ヴェラスネーシュカ(aa4969hero001)は六花に囁く。少女は小さく頷くが、心の奥、雪洞のように分厚く壁を塗りこめて守る殺意は僅かに揺らいでいた。
 左腕を暗黒で蘇らせた影が、杖を振り上げ六花に襲い掛かる。その一撃を半身になって躱しながら、少女はちらりと祭壇前で戦うムラサキカガミに玉虫色の瞳を向ける。それは今、斧槍を携えるフィー(aa4205)と真正面に対峙していた。
「どーも、先日ぶりですなぁ」
 穂先のスパイクをムラサキカガミの喉元へ突き出す。深紅の盾で素早く受け流すと、それは恭しく頭を垂れる。
「……君には申し訳ないことをしたな。この何をも映せぬ虚ろな眼で眺めて、さもありなんと余計な事ばかり言ってしまったようだ」
「ご挨拶なんていらねーですよ。謝られなくとも、私は元々あんたに本気を出すつもりなんてないですからなぁ」
 あんた如きに、とは言わない。言ってやるつもりもない。所詮この愚神も有象無象の一つでしかなくなったのだ。わざわざこの愚神のライヴスで、真打を汚す必要もないと思われた。
 しかし、その手加減がムラサキカガミには癪に障ったらしかった。毀れたベンチを蹴って一気に懐へ迫ると、蒼の杖を振るって直接フィーの腕を打ち据えようとする。
「なるほど。私に、君が身を以て示してくれるものは何一つとて無いと言うわけか。口惜しいものだな」
 杖を高く上げた足で蹴っ飛ばしながら距離を取り、フィーは不敵に笑う。
「示すもの? そーですなぁ。まあ一つくらいは言えっ事もありますかね?」
 薄明に晒される彼女の銀髪。その陰から、ふわりと霊が浮かび上がる。フィーと共鳴しているヒルフェ(aa4205hero001)の影だ。フィーとヒルフェは共に並び、真っ直ぐにムラサキカガミを指差す。カワイソウな愚神を嗤いながら。
「お前は運が悪かった」
 二人の言葉が重なり合う。愚神は杖を握りしめ、兜の奥の瞳を刃のように輝かせる。
「運が悪かった、か。ならば君は運が良かったと?」
「さぁ? ですがあんたに関しちゃそれ以上でもそれ以下でもねえと思いますがな? 所詮その程度でしょーよ」
 まともに取り合おうとしないフィー達に、愚神は言葉を切って蒼い杖の先を向ける。しかし二人は構わいやしない。ヒルフェは両手を広げ、唄うように声を張る。
『あぁ、同情しましょー』
 作り出される蒼い光の鏡。しかしその中に、最早フィーの姿は映らない。
「哀れですなぁ。救おうと手を差し伸べてもその手は届かずむしろ悲劇を加速させるばかりなんてのは」
『あぁ、なんて悲しいんでしょー』
 放たれる黒い魔弾。しかしフィーは片手でその弾をあっさり跳ね除け、へらへらと嗤う。どうでもいい。全てはその一言に尽きた。斧槍を再びその手に握り直し、一気に斬りかかる。
「ま、そんな事は私にゃ関係ねぇですからな」

 そんな戦いの様子を天井裏に張り付き見下ろす一人。蜘蛛の装飾を施した機甲を身に纏い、ワイヤーを張り巡らせて、アシュラ(aa0535hero002)はじっと戦場を監視していた。全てはカグヤ・アトラクア(aa0535)の下知である。
(……ふむふむ。どちらも好戦的になっておるな。以前までの奴なら、決して杖で殴りかかろうとなどせんかったろうにのう)
『まだなの? アシュラは早く戦いたいのよ?』
 両手に仕込んだワイヤーの調子を確かめながら、逸る調子でアシュラはカグヤに囁く。もう少し押し留めておきたいところだったが、これ以上は焦れてしまいそうだ。
(わかった。ゆけ)
 刹那、アシュラは真っ直ぐに飛び出した。狙うは影だ。
『裂いて解して並べて喰らってあげる!』
 放たれたワイヤーは鋭く影を引き裂く。影は飛びのき、素早くその姿を取り戻してアシュラと向かい合う。既に分析は済んでいる。カグヤはアシュラにそっと囁いた。
(バトルメディックの弱点は決定力が無い事じゃ。押して押して、押し切るがよい!)
『ふふ……くりむぞんでぃすぺあに恐怖するがいいっ!』
 両腕を十字のように組み合わせ、その指を蜘蛛の如く奇怪に動かす。蜘蛛の眼を象るバイザーが、妖しく輝きを放った。

『散らばった調度品に躓かぬよう注意するのじゃぞ』
毀れたベンチの影に潜み、ノエル メイフィールド(aa0584hero001)は泉 杏樹(aa0045)の肩を叩く。杏樹は小さく頷き、フィーにグワルウェンと切り結ぶムラサキカガミを見据える。
「はい……! 行きます!」
 グワルウェンから距離を取ったムラサキカガミが目の前に迫った瞬間、杏樹は影から素早く飛び出し藤神ノ扇で兜を叩く。爪で擦られたくらいの傷しか付かなかったが、それでもムラサキカガミの気を引くには十分だった。
「君は……ああ。君か」
 愚神は杏樹をはっきりと覚えていた。杏樹もまた同じ紫を瞳に抱くものとして、常にソレを意識していた。扇を盾のように構え、彼女は真っ直ぐに愚神を見据える。
「お前が、深淵を、覗く時。また、深淵も、お前を、覗いている。でしたよね」
「その通り。……君とはよくお会いしたものだ。時ここに至って、嬉しさすら覚えるよ」
 捨て鉢な色を秘めた呟き。それを静かに悟った榊 守(aa0045hero001)だったが、そしらぬふりして今は主人の支えに徹する。
(こちらで支援致します。恐れずにお進みください)
「杏樹は貴方で、貴方は杏樹……参りますよ。覚悟しなさい、です」
 愚神は杖を振り上げそれに応える。杏樹もまた錦の御旗を掲げ、朗々と叫んだ。
「神は我らと共にあり、正義は我にあり、です。絶対、負けないの!」

(さぁ、わたくし達も行かねば)
『ああ。哀れな愚神に引導を渡してやるとするかのう。そのためにも、先ずは……』
 一頻りアシュラと組み合った影の脇を刺すように、槍を構えたノエルは鋭く踏み込む。虚を突かれた影に、穂先は音も無く突き刺さる。傷口から闇は溢れ、月光に照らされた青年の虚ろな視線がノエルを捉える。
『そんな目で見ても、ワシがおぬしにしてやれることはお前を眠らせてやる事だけじゃ』
 影は傷口から溢れる闇で新たな槍を作り出し、ノエルに向かって弧を描くように叩きつける。退きながらノエルは影の突き出した穂先をその槍捌きで巧みに巻き込み、影の態勢を崩す。
『ほれ、今じゃぞ』
「ああ……喰らえ!」
 すかさず緋十郎は駆け出し、全体重を乗せて大剣を上から下へと振り下ろす。杖で受け流す暇もなく、影は真っ二つに切り裂かれる。
「やったか……?」
(まだよ。この程度でくたばるようなら、わたし達はここまで苦労していないわ)
 バラバラとなって崩れかけたその身体の中から、一片のステンドグラスが露わになる。――かと思えば、すぐさまその影は一つに集まり元の形を取り戻した。全身を炎のように波打たせる影は、杖の先をエージェントへ向ける。けして倒れぬ。言葉も無くそう主張しているかのようだった。緋十郎は顔を顰め、剣を握る力を強める。
「ああ、そうだなレミア。その通りだ……!」

「どうした。君は先程から随分と手を抜いているようだが? 喩え歪んだ鏡だとしても……君達の力量は把握しているつもりだ」
 魔弾を足で蹴り飛ばすフィーに、ムラサキカガミは目をギラギラさせながら杖を向ける。しかしフィーも、ヒルフェもそれに取り合うつもりは無い。口角を僅かに持ち上げ、わざとらしい大振りで足元を薙ぎ払いながら適当に応える。
「そう言われましてもなぁ。本気を出す必要が無けりゃー出さないのは当然ですからな」
『所詮お前はその程度ということだ』
「成程。からかっているのか。私を君達はからかっているのか。……それでいい。それで君の心が少しでも安んずるというのなら、いくらでも哀れむふりをすればいい。蔑むふりをすればいい。それが、愚神である私には相応しい」
 開き直るムラサキカガミ。はなから彼への関心を失ったフィーには、そんな彼の態度は馬鹿らしいものとしか映らない。滑稽な道化だ。
「めんどくさい奴ですなぁ。全く」
 溜め息をついた彼女の目の前を、大剣を担いだグワルウェンが横切る。その目は戦意に溢れていた。
『おらよ』
 身を低く構え、一気に足下めがけて剣を振り抜く。もとより動きの鈍い愚神は、思い切り足を掬われその場に膝をつく。そこにめがけ、グワルウェンはさらに大剣を振り下ろした。身動きの取れない愚神は、盾を突き出しその一撃を受けるより他になかった。
「……ムラサキカガミ」
 刃と盾の圧し合いの最中、日々輝はそっと愚神に語り掛ける。
「どうかしたのか」
「君は……元は人間だったんじゃないか。……邪英になって、そのまま、愚神になってしまった、能力者と英雄なんじゃないか」
 ムラサキカガミは大剣を弾き返すと、その勢いのままに立ち上がって間合いを取り直す。心も丸ごと遠ざかろうとするかのように。
「それを知って、君にとって一体何になるというんだ」
「知っておきたいんだ。君は一体どうして、そんなに人を救う事を求めるのか。俺は見た事が無いんだ。君ほど、人を救いたいと願った愚神を、ただの一度も」
「……」
 愚神は黙り込み、杖を弄ぶ。日々輝の方には目もくれず、俯いたまま言葉を紡ぐ。
「私が、己の鏡を通して何を見たか……それを話して君は同情するのか? 憐憫の念でも向けてくれるのか? それならば話すべきではない。憐みも同情も、刃を少なからずなまくらに変える。同情しないのなら、蔑み怒りもするのなら……話すつもりは無い」
 ムラサキカガミはかっと目を開くと、杖を再び高く空へと掲げた。ステンドグラスが蒼く輝き、光の影から四つの影が飛び出し、彼の横に並び立つ。
「私とて……これ以上惨めな思いを進んでしたいとは思わない!」
 影はめいめい武器を取り、エージェントに向かって殺到する。大剣を構えた鋭い突き。同じ大剣の腹でそれを受け止め、日々輝は真っ直ぐにムラサキカガミの眼を見据える。
「ムラサキカガミ……!」
「えーいっ!」
 日々輝達と愚神の間に生じた均衡を少女の叫びが引き裂く。己に降り掛かった影の銃弾を扇で振り払い、そのまま振袖を翻して杏樹は扇をムラサキカガミの顔面へ叩きつけようとした。その手を杖で受け止め、それは杏樹の瞳を覗き込んだ。その紫色の瞳を。
「よく澄んだ目だ。その瞳の通りの美しい魂が、私の手に掛けようとした人々の心を闇の中から救い出してくれたのだね。……礼を言う」
「……もし、この戦いが、終わって。貴方が立っていると、したら。貴方は、やはり、人を救おうと、するのですか?」
 弾き返されても、杏樹はさらにムラサキカガミに肉薄し続ける。ムラサキカガミはそんな彼女の攻撃を杖や盾で受け流しながら、静かな声で応えた。
「その通りだ。それが私のこの世界に存在する意義だからだ。今は人であった頃の記憶を取り戻し、少しく自らを省みることが出来た。そのおかげで、私はこの有様を憎み、後悔もした。だが、それもやがて風化するだろう。それが、愚神であるということだ。悩める人を見れば、得も知れぬ焦燥感に突き動かされ、この鏡を差し出し……そして堕落させる」
「……今の貴方は、気付いている、のね。貴方がしてきた、事は。救い、じゃないです。人を救うには、人の心に、寄り添わなきゃいけないから……」
「知っているとも。私は、何ということをしてきたのだろうな。……だが、直ぐにまた、わからなくなるだろう」
「ムラサキカガミ、さん……」
 言葉を交わすたびに、杏樹の胸が痛む。今の彼は、悲しみを背負って戦っている。愚神がよくひけらかす、人の真似事のような空虚な悲しみとは違う。人としての、生きた悲しみだ。
 だが、だからこそ葬らねばならないのだ。守は杏樹にそっと囁く。
(ここからが踏ん張りどころです。せめて、全力で相手を致しましょう)
 杏樹は頷くと、扇を広げて一頻り舞う。そんな彼女の身体を薄い光がベールのように包み込む。リジェネーション。彼女の、そして、“ムラサキカガミでは無かった者”の得意技だ。
「一つ、私から問おう。……君は、何故人に手を差し伸べる」
「諦めない事、人を愛する事、癒すために生きる事。それが杏樹の決意で、救いだから、です」

『飽和攻撃だ! 回復するのなら、しきれぬほどに斬って捌いて、散らしてやる!』
「よしよし。いつも通りじゃのうアシュラは……」
 アシュラは次々と矢継ぎ早にワイヤーを振り回し、影の身体を引き裂いていく。しかしそれはあまりにしぶとく、次から次へと回復を続ける。倒れようという気配をつゆほども見せない。杖を握りしめ、相変わらずムラサキカガミを守るように立ち続けている。
『むむむむっ。このままでは……カグヤがまたアシュラを改造しようとする……!』
「そんな事しとらんじゃろ……? ……まぁアレが改造というのならそうじゃな……?」
 アシュラの中二病妄想を袖にしつつ、カグヤは目の前の影を見据える。敵は相当疲弊している筈だが、最後の一線まで押し切る事が出来ない。ドレッドノート級の攻撃力を緋十郎と共に次々叩き込んでいるし、実際瀕死のような様も晒したというのに、それでも影は立ち続けるのだ。
「さてさて。アシュラよ。少しは頭を使った戦い方を心得るのじゃ」
『ふんっ! 言われなくたってわかっているのよ!』
「頭を使った、戦い方か……」
 カグヤとアシュラのやり取りを聞きながら、京子は新たなマガジンをライフルに装填する。京子とアリッサ。二人の脳裏に張り付いているのは、弱点として見定めた、影の体内の欠片。
『やはり、あの時に見たステンドグラス……アレを完全に破壊する事が、この影を破壊するということなのでしょうね』
「それが中々上手く行かないから、困ってるんだけどね!」
 京子は再びスコープを覗いて引き金を引くが、影は素早い反応で直撃を避けてくる。銃弾は影を虚しく突き抜けていくだけだ。
『ここは連携を取りましょう。一息に仕掛ければ、ステンドグラスを割る機会を作れるはず』
「そうね。それなら……」
 京子はスぺクルムに当たる仲間達を見渡す。
「みんな! あの影の胸辺りに狙いを定めて! 一気に押し込むの!」
「! ……よし!」
 賢者の欠片を口の中で砕き、緋十郎は真っ先に飛び出した。左から右へ、大振りに薙ぎ払う。盾を構えて守ろうとした影だが、渾身の一撃の前には歯が立たず真っ二つとなる。
『ザクザクにしてやるのよ!』
「そうじゃ、ゆけ」
 アシュラはそこへ、蜘蛛の巣状に伸ばされたキリングワイヤーを伸ばす。真っ二つになった上下半身が、バラバラに引き裂かれる。
『そろそろ影にはご退場願うとするかのう』
 インドラの槍を振るい、一つへまとまろうとする影を振り払う。その中から、ついにステンドグラスが露わになった。そのチャンスを京子は逃さない。スコープを覗き込み、引き金を引く。
「これでどう?」
 飛び出した弾丸は、ステンドグラスを弾き飛ばす。しかし強力なライヴスに取りつかれたそれは、そう易々とは壊れない。
 ――その堅さも、絶対零度の氷結の前には無意味であるが。
(さぁ。行きましょう六花)
「うん……! 少なくとも、影になんて用事は無いの。だからこれで……」
 オーロラの翼を伸ばした氷の魔導少女は、まさしく舞姫のように身を翻す。青白い魔法陣がその周囲に現れ、彼女のライヴスを絶零の凍気へと練り上げていく。

「おしまい!」

 六花は一歩深く踏み込み、激しい冷気を飛ばした。冷気をもろに浴びたステンドグラスは一息に凍り付き、罅割れ、果てに粉々に砕けて霧散した。刹那、おぼろげな形で滞留していた影も、闇に紛れて消えていく。
「ぐ……ぐううううっ!」
 瞬間、ムラサキカガミは胸を押さえて苦痛に呻いた。白銀の鎧が黒ずみ、くすんでいく。足下が覚束なくなった愚神は、杖を頼りにどうにか踏みとどまる。そんな彼の前に、影を討ち払った五人のエージェントが歩み寄っていく。
(アシュラ、変に近寄る事は避けよ。中距離から常に牽制していくのじゃ)
『わかってるわよ!』
(あ、あと口は借りるからの)
 アシュラに軽く指示を送ると、カグヤは愚神の方へと集中する。既に満身創痍となりつつある。“やる”ならば、優位を取った今このタイミングより他にない。
「のう、そなたは人を救いたいと願うのに、なぜ救ってくれと願わんのじゃ」
「生憎だが、考えたことも無いな」
「考えたことも無い……か。ならばわらわが視座を与えてやろう。愚神であっても、人に有益な存在であり続けられる可能性があるという、視座をな」
 杏樹の薙刀を杖で弾き、グワルウェンの刃を盾で往なしながら、愚神は首を傾げる。興味を示した。カグヤは好機と見てさらに切り出していく。
「わらわには愚神の友がおる。HOPEに認可され、診療所でライヴスを喰らいながら働いておる。いわばホスピスのような仕事をしているのじゃ。愚神じゃからといって、人を救ってはならない道理はない。愚神じゃからと言って、歩みを停めるのをやめよ」
 放ったワイヤーがムラサキカガミの杖を絡め取った。二人の距離が結びつく。カグヤはその距離を手繰り寄せるように、彼女はムラサキカガミを説き伏せる。
「手を伸ばせ。助けを求めよ。そなたの力は有用じゃ。わらわが面倒を見てやろう」
「……カグヤ」
 彼女の訴えを横で聞いた緋十郎は、大剣を横に突き出し、銃を構える京子、魔導書を構える六花を制した。この説得の行方は、緋十郎にとっても見届けねばならぬものだった。戦いが止み、静けさを取り戻した廃墟の中。カグヤとムラサキカガミ。二人は静かに歩み寄っていく。つかつかと。手を伸ばせば届く距離まで。ムラサキカガミは紅の盾を突き出しカグヤの姿を映した。紫色の光が、彼女の姿を射抜く。
「なるほど。その者は己の足るを知っているのだろう。だからそんな、器用な芸当が出来る」
 ムラサキカガミは小さく首を振り、一気に背後へと飛び退く。決裂の証だった。
「私には無理だ。……そもそも、己がどれほど愚神として生気を求めているのか、及びもつかない。理解していれば、私は人を破滅させはしないだろう」
「……諦めてしまうのか。そなたは」
「何度も繰り返させるな。それが愚神というものだ。全ては虚仮に過ぎない。私が人を救いたいと願う心も、私がライヴスを集めるがための虚仮に過ぎない。私ですら、私に裏切られる」
 自嘲して呟くムラサキカガミを、神妙な面持ちで緋十郎は見つめる。最早交渉の芽は無い。だが一つ、確かめねばならない事があった。彼の目標のために。
「紫鏡よ。お前は愚神を喰らっていたな。それを延長し、愚神が目に付く人間のライヴスを喰らわず、人に害為す愚神のみを捕食するようにしていれば……人と愚神が、共存できると、思わないか?」
「万に一人。いや、億に一人。……兆に、京に一人は、そんな奇特な有り方を己に強いられる愚神がいるかもしれない。そのケースを抜き出し、それを人と愚神の共存というのなら、可能と言えるだろう。……少なくとも、私ではない。私の本分は、この馬鹿げた隣人愛の精神だからだ」
 冷然と、ムラサキカガミは言い放つ。杖を握り直し、盾を深く構え、最早和解の隙を欠片も見せようとしない。眼を閃かせ、ステンドグラスに杖を向ける。
「最早話は終わりだ。君達が為すべきは、この戦いを終わりにする事だろう」
「……ああ。わかった。紫鏡よ。……俺は、お前を討つ……!」
 緋十郎は魔剣を握りしめる。大剣から伸びる茨が、腕に巻き付き食い込んだ。血を、ライヴスを吸い取り、魔剣はさらに深紅を強めていく。闘気を漲らせるその姿を見たムラサキカガミは、どこか満足げに頷く。
「そうだ。君達は、私に希望を冠する者としての在り方を、示しさえすればいい。いつだって、そうしているのだろう……さぁ、往くぞ」
 蒼光の影から這い出した四体の影が、エージェントに向かって殺到する。吼える氷獄の狼が、高笑いする吸血鬼が、得体も知れぬ闇が、機械に身をやつした少女が次々に迫る。六花は思わず身を固めたが、その目の前に薙刀を構えた杏樹が割って入る。突きの一閃で狼を討ち取り、杏樹は六花の方に振り返る。
「大丈夫……です?」
「うん。ありがとう」
(さぁ。行くわよ……あの愚神の言う通り、あの愚神は、倒さなければならない敵だから)
 六花は俯く。アルヴィナの言葉が、どこか遠くに聞こえる。心から人々を救いたいと願い、それが叶わぬ事を只管嘆く彼の姿は、彼女が捉える愚神の姿とはかけ離れていた。眼を合わせれば殺意が揺らぐ。そんな気がして、六花はムラサキカガミに目を合わせられない。
「……愚神の言うことに、耳なんて貸さない……。六花みたいな思いを、誰もしなくて済むように、愚神は全部、殺さなくちゃ……。だから、たくさん殺して、戦いも凍気の扱いも、もっと巧くなって、六花は、いつか、必ず……パパとママのカタキの愚神を見つけて、仇討ち、するの……!」
 とうとうと、彼女は心の奥底で凍らせ固めた思いを吐露する。右手の甲に、一匹の氷の蝶が止まる。月明かりの差す穴から、次々と蝶が降ってくる。想いを言い放った勢いのまま、彼女はついに顔を上げて愚神に対峙する。蝶が羽ばたき、紫色の法衣に次々染み込み凍りつかせていく。呻きながら、愚神もまた六花を見据える。
「強い意志だな。……私のように、混沌に身を捉えられないように気を付けることだ」
 六花は目を見開き、再び視線を逸らす。そんな彼女の前に立ち、フィーは斧槍を振るって愚神に切りかかっていく。
「ちょっと勘違いしているようなんで言っておきますが、私は別に他人を救おうとしてこんな組織に肩入れしてる訳じゃねえんですぜ?」
「ほう?」
「ぶっちゃけ他人なんてどーでもいいですしな。正式な依頼として要請がありゃ助けてやんねーこともねーですが、それ以外は知ったこっちゃねえですし。身内さえ生きてりゃそれでいいですしな」
 武器を交わしながら、フィーは言葉をぶつける。
「まぁ要するに利害の一致って訳ですわ。あっちはそれなりの報酬と面白え戦場の提供、こっちは戦力の提供って感じで。別にそれがなきゃここに肩入れする理由も大してねぇもんでね」
「そうか……まあ、それで結果的に人が救われるというのなら、それもまた希望の一つとなるのだろうな」
 フィーは肩を竦める。愚神だとしても人間だとしても、理解できない類の存在だった。
『ま、さっさと消えとくんだな』
「いつまでも現世に縋り付いてんじゃねーですよ」
 鋭く振り抜かれた一撃が、愚神を仰け反らせる。そこへ追い打ちを掛けるように、弾丸が次々に襲う。京子が窓の縁に陣取って構え、真っ直ぐに銃口を向けていた。
「人と愚神の本質的な違いって、なんだろうね。愚神が住む街なんてドロップゾーンも見たよ。……愚神だから人を救えないって断言は、わたしには出来ない」
 放たれた一射は、愚神の目の前で消え去りその背後を撃ち抜く。よろめいた彼を、憐れむでもなく蔑むでもなく、ただ真っ直ぐに見据えて京子は続ける。
「でも、あなたが何を間違ったのかはわかる気がする。あなたは人間を救いたかった。きっと本気の願いだったんだと思う。ただ、そこには『救いたい貴方』しかいなくて、『救われる相手』の事なんて、ちっとも見えてなかったんでしょう?」
「……返す言葉も無いな」
 悄然と、息をふと吐くように呟く愚神。一抹の哀れを憶えもしたが、それで手を緩めたりはしない。己が救い手である事を示すにあたって、手加減は許されない。
「人を救うのは人の役目。……神様だって、人が作った、人を救う装置なんだってわたしは思う。だから、あなたは要らない。人を救う役目は、譲らない」
『救われなければならぬのは、何よりもムラサキカガミ、あなたです。全ての悔恨をここに捨て、消えなさい。あなたの言葉は、わたしたちが受け止めました』
 アリッサの言葉が終わるとともに、緋十郎は命を込めた魔剣を高々空へと投げ上げる。それを追うように、己もまた空へと跳び上がってその剣を取る。
(この一撃で……)
「お前を、救済する!」
 落下速も載せた強烈な唐竹割り。愚神の持つ紅の盾とぶつかり合い、衝撃波が周囲に散らばる残骸を吹き飛ばす。
「悪いが、ただで討たれてやるつもりはない」
 ムラサキカガミは杖の先に闇を纏わせ、大剣を形作る。そのまま、愚神は緋十郎の脇腹に刃を叩きつけた。
「ぐ……!」
 意識が飛びかける。緋十郎はその場で傾ぎ、がくりと膝をついた。ムラサキカガミはそれをじっと見下ろすが、彼の左腕の盾もまた、幾つもの深い罅が入り、粉々に砕け散る。
「……これは」
「紅の鏡と、紅の巨剣の相克……悪いが、此度こそは取らせてもらった……!」
 絞り出すように呟き、緋十郎はその場に倒れ込んだ。それを乗り越え、今ぞ好機とアシュラが詰め寄る。
『カグヤの言う事に逆らったんだから、あんたはバラバラになるのよ!』
守るものを失ったムラサキカガミの衣が切り裂かれ、闇が噴き出す。
「冥土の土産に教えてやろう。わらわにとっての希望とは、諦めぬ事じゃ。喩えそれが、私利私欲でもの」
「諦めぬ事……か」
 さらに追い打ちを掛けるかのように、次々とグワルウェンの大剣とノエルの槍が襲い掛かる。残った杖でそれを往なしながら、ムラサキカガミは後へと退いていく。
『振舞うものじゃ。楽しむものじゃ。希望は、着飾るものなんじゃよ』
「……そろそろ、終わりにしよう。ムラサキカガミ」
 二人はさっと横に飛び退く。開けた視界の真ん中に立つのは、薙刀を構えた一人の少女。
「貴方に、喰われた人達の為に、貴方を倒す想いを託し、送り出してくれた人の為に、決して、引くわけには、いかないの」
「そうか。なら見せるんだ。その覚悟を……希望を名乗る者としての覚悟を、私に!」
 杖も闇へと消え去り、ムラサキカガミは右手を突き出す。紫色の鏡が、その手の先に現れる。杏樹もまた、その手のひらの先に金色の鏡を作り出した。鏡が杏樹を、愚神を、杏樹を、愚神を、次々に映し込んでいく。
 杏樹の意識の中に、絶望が這い寄ってくる。昏き闇へと、底無き地獄へと深く深く堕ちていく幻影が、彼女の心を縛ろうとする。
(負けない……負けない!)
 しかし杏樹は抗した。守ってくれている。大切な英雄、大切な友人、大切な仲間、彼らと結んだ絆が、彼女自身の希望となって心を光の中に繋ぎ留める。無限遠の彼方まで続くと見える闇の中にあっても、強く意識を保たせる。
(……あれは)
 果てに、彼女は見た。僅かな、蛍火のように微かで儚い一筋の光を。その光に向かって、杏樹はその手を伸ばす――
(ありがとう)
 刹那、紫金二つのライヴスミラーは同時に砕けた。金の鏡から飛び出した白光は、ローブを纏う人の姿へと変わる。ちらりと杏樹の方を見たかと思うと、それは盾と槍を構え、ムラサキカガミへ一直線に突っ込んだ。ムラサキカガミにそれを防ぐ術は無く、そのまま胸を槍で貫かれる。鎧は砕け、ローブは裂け、その身は祭壇に叩きつけられた。
 最早、立ち上がる気力は無い。ふっと息を吐き出し、ムラサキカガミは空を見上げる。月が見下ろしている。本物の天来光が、彼を慰め迎えるかのように、消えゆくその身体を照らしている。彼は悟った。今、己の罪は彼らの手によって贖われたのだと。

「Amen」

 満足して呟き、今度こそムラサキカガミは莞爾としてこの世を去った。それを見届けた杏樹の目から、ふと涙が一筋流れる。
「サヨナラ、ムラサキカガミさん。貴方の事、忘れません」
 主のいなくなった廃墟。エージェント達は佇み、それぞれの想いを静寂の中に馳せるのだった。



 戦いが終わって後、私は数名の協力を貰いながら愚神ムラサキカガミ、その素性の調査に当たった。そしてその正体を知った。彼もまた、このHOPEのエージェントだった経歴を持つ人間だったのだ。名前は美佐和彦。かつては倒れることを知らぬバトルメディックとして勇名を馳せながら、己の育った教会の跡を継ぐため、HOPEを去った清心の徒だったのである。私は後悔した。もっと早く、この事を知ろうとするべきだった。そうすれば、対抗心のみでムラサキカガミと相対する事も無かったであろうに。たらればを考えていても仕方は無い。今できる事をするのみだ。ムラサキカガミの――もとい、美佐和彦の想いを継ぐべく、私はかの教会の復興を目指す事にする……(ヴァイオレットの手記より)



「愚神の素性の調査なんて、面倒な事をするもんですなぁ……」
 行きつけのカフェの、いつもの席に座ったフィーは、いつもの注文をしながらぽつりと独り呟く。彼女にとってムラサキカガミは有象無象の一つ。興味など持てようはずも無かった。端末を操作して、彼女は今日も依頼を漁る。面白い戦場は無いか、と。

『……というわけらしいですね』
 緋十郎から受け取った調査の結果を読み通し、アリッサはぽつりと呟く。京子は肩を竦めると、ビルの屋上を流れる一筋の風を受ける。彼のルーツを知ったとしても、思いは変わらない。彼は討たれるべきだった。討つより他に選択肢は無かった。それこそが、愚神ムラサキカガミが救われるために必要なプロセスなのだから。
「まぁ、こうして思いやってもらえて、ムラサキカガミが少しでも救われるのなら、いいなって思うよ」
 これは己のエゴだろう。そう思いつつも、京子は今日も己の人生を、進む。

 小高い丘の上に立ち、日々輝とグワルウェンは共に街を見下ろしていた。これまで守り、これからも守っていくであろう世界の、そのほんの一部を。
『あいつとの因縁も、終わったわけだな』
「ああ……」
 実像は、レンズを通した先に見えるもの。自分というレンズを通して、世の中を見て、相手を見て、そうする事でようやく真は描ける。自分の何かを捨てて誰かを救う事など、出来はしない。救われる側と救う側、それが入れ替わるに過ぎないのだ。
 日々輝は己の哲学を磨きながら、空を見上げる。
「ムラサキカガミ。俺はね、時には諦めだってする。撤退だってする。生きていれば、試せるから。試せば、きっといつか答えは得られるから……だろう。ガウェ」
『ああ、だな』

「……ねぇ、アルヴィナ」
『なにかしら?』
 六花は思い切ってアルヴィナに話しかける。その手には、一組のチケット。
 戦いの後、六花は一枚の写真を見つけた。小さな子供達に囲まれる、一人の青年を写した写真。慈しみに溢れたその表情は、彼女の父母の姿と、僅かに重なったのだ。
――心の闇が、開けた世界を閉ざしている――
――貴方の事を救いたい――
 少しの罪悪感と後悔と、信念を果たしたという思い。ムラサキカガミに対する複雑な胸中の中、六花はふと彼の言葉を思い出す。――そして、彼女は“美佐和彦”の“遺言”に従おうと決めたのだ。
「……明日、一緒に、遊園地、行かない……? 夜の……花火がね、とっても、綺麗……らしいの」
『ふぅん……。いいわよ。行きましょうか』
 二人は小さく微笑み合う。復讐の想いは未だ手離す事が出来ない。しかし、彼女は少しずつ、開けた世界を見ようと決めた。

『今度は何やってるのよぉー?』
「分析じゃ、分析。この変性したAGWの欠片、実際のAGWにも転用できればもっと強力な愚神にも立ち向かえるようになるんじゃからな」
 アトラクア工房、秘密の一室にて彼女は愚神の遺品の分析を行っていた。対象は、ムラサキカガミの残した、鏡の盾の破片。割れ砕け散った時、すかさずワイヤーを飛ばして一枚くすねたのである。諦めぬ思いの体現。生身の彼を共の戦場へ連れて行けないのなら、形見を連れて行くだけだ。
「わらわの救済の道に付き合わせてやるのじゃ。喜ぶがよい」
 救済する事を求めた彼に敬意を表しながら、今日もまたカグヤ姫は暗躍する。

「暁の空 紫色 闇が晴れて 光が見えるよ だから諦めないで……」
 紅と蒼の少女が両脇を固め、真ん中に立つ紫色の杏樹が三人揃って共に歌う。背後では、メタとノエルがしみじみギターとベースを掻き鳴らす。ムラサキカガミを忘れぬために。自分と同じ願いを抱いた、奇妙な愚神の遺志を継ぐために。そのために、彼女が作り上げた歌だ。
『と、いうわけよ。ムラサキカガミはもうこの世にはいない』
「そうか。アイツは倒されたか」
「ああ。奴は、どこまでも本気だったらしい……」
 少女達の張り切って歌う姿を見ても、今日の緋十郎は真剣な顔を崩さない。それだけ、今切り出さんとしている話題が彼にとって重要なものという事だ。いつの日か、愚神との共存を成し遂げる日が来る事を望む者にとって、重要な話なのだ。
「真江、奴の事、如何に思う」
「奴の事、か。そうだなぁ。ヴィランにも命があるわけだし、俺が言うのはあんまり不謹慎かもしれないが。アレには感謝していたんだよ。ずっと」
 あっけらかんと言い放つ真江に、レミアは小首を傾げる。少しの自嘲も含めた微笑みを湛え、彼は座席にもたれてとうとうと言葉を紡ぐ。
『感謝……ねぇ?』
「ああ。だってそうだろう? 奴に遭っていなかったら、俺は今頃東尋坊の底で魚の餌だ。アレが俺を誑かしたから、今こうして君達と会い、話している。……因果なものだよ。奴は誰の事も救えなかったと嘆いていたらしいが、こうして俺は救われてるんだからね。……きっと、アレにしか出来なかった事さ」
「皮肉だな。アイツはアイツなりのやり方で、お前を救っていた、という事になるのか」
 守は顎髭を撫でながら呟く。最期、彼は彼自身で己の救いを否定した。そして、捨て鉢になりながらエージェント達と対峙した。おそらく、討たれる事を望んでいたのだろう。
 それなのに、ここにはその救いを認めた青年がいる。レミアは運命の女神の悪戯を知って溜め息をついた。
『人間の矩を越えても、彼は救いを成し遂げられた……ということなのかしら』
「ま、それが赦される事かといえば、別の話だけどね。……はいはい。杏樹、気持ちは籠ってるがまだ口が上手く回ってないな。この歌は、もっとシャキッと歌わなきゃシャキッと」
 真江は立ち上がると、張り切って少女達の下へと歩いていく。しかし待っているのは袋叩きであった。
「えー。真江さん、さっきからずっと話しっぱなしじゃん。ちゃんと聞いてたの?」
『聞いてたのー?』
「聞いてた……です?」
「おいおい、舐めてもらっちゃ困る。俺は一応君達のプロデューサーだぞ」
 そこには、ムラサキカガミが作り上げたたった一つの、安寧の日常が広がっていた。
『少しは気の慰めになったかしら? 緋十郎』
「……ああ。諦めずに続けていくとも。京に一つしか共存できぬというなら、それを兆に一つに、億に一つに、万に一つに変えてみせる。……罪を犯す人間がいるように、罪を犯す異世界からの来訪者がいる。それだけだと思えるようにする」
「途方もない話だな。いつも聞いてるが」
「それでも、俺は成し遂げてみせる」
 ムラサキカガミの、美佐和彦の想いを継ぎ、一人でも多くの“存在”を闇から救う。緋十郎は、そう胸に誓うのだった。

 かくて紫鏡の都市伝説は終わった。次に見える愚神は、どんな存在だろうか……

The Violet Mirror Fin

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 藤の華
    泉 杏樹aa0045
  • 絶対零度の氷雪華
    氷鏡 六花aa4969

重体一覧

参加者

  • 藤の華
    泉 杏樹aa0045
    人間|18才|女性|生命
  • Black coat
    榊 守aa0045hero001
    英雄|38才|男性|バト
  • 双頭の鶇
    志賀谷 京子aa0150
    人間|18才|女性|命中
  • アストレア
    アリッサ ラウティオラaa0150hero001
    英雄|21才|女性|ジャ
  • 果てなき欲望
    カグヤ・アトラクアaa0535
    機械|24才|女性|生命
  • エージェント
    アシュラaa0535hero002
    英雄|14才|女性|ドレ
  • LinkBrave
    ヴァイオレット メタボリックaa0584
    機械|65才|女性|命中
  • 鏡の司祭
    ノエル メタボリックaa0584hero001
    英雄|52才|女性|バト
  • 緋色の猿王
    狒村 緋十郎aa3678
    獣人|37才|男性|防御
  • 血華の吸血姫 
    レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001
    英雄|13才|女性|ドレ
  • Dirty
    フィーaa4205
    人間|20才|女性|攻撃
  • ボランティア亡霊
    ヒルフェaa4205hero001
    英雄|14才|?|ドレ
  • Iris
    伴 日々輝aa4591
    人間|19才|男性|生命
  • Sun flower
    グワルウェンaa4591hero001
    英雄|25才|男性|ドレ
  • 絶対零度の氷雪華
    氷鏡 六花aa4969
    獣人|11才|女性|攻撃
  • シベリアの女神
    アルヴィナ・ヴェラスネーシュカaa4969hero001
    英雄|18才|女性|ソフィ
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