本部

【屍国】連動シナリオ

【屍国】屍の王

ららら

形態
ショートEX
難易度
難しい
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/04/12 00:15

掲示板

オープニング

 ゾンビ型従魔の正体はウィルスのような微細な従魔だ。
 生物に取り憑いてライヴスを吸収し、やがて衰弱死したならその死体に憑依して操り、次の宿主を求めて辺りを彷徨い歩く……。
 つまり、死体が蘇ったわけではなく、従魔が死体を操っているため“結果的にゾンビのように見えている”というのが、ゾンビ化現象の真相の一つだ。
 この事を突き止めたグロリア社は、投与した者の体内に巣食うウィルス型従魔を殺す作用を持つ特殊AGW、治療薬「Re-Birth」を開発。
 未だに充分な生産数は確保出来ていないが、それでも治療薬は地道に、確実に四国に届けられ、ウィルス型従魔に冒されてしまった人々の命を救い続けていた。
 少しずつ、少しずつ……。

「ありがとうございます」
 感染者臨時収容所所員、柿谷はあなた達に深く頭を下げた。
「お陰様でこの収容所にいる皆さんも無事、ウィルス型従魔から解放されるでしょう」
 あなた達の手で届けられた、治療薬の入ったジェラルミンケースを胸に抱えながら、柿谷は嬉しそうに微笑む。
 そこは嘗てグロリア社提携の医療施設だったが、ここ暫くの四国の状況からウィルス型従魔感染者専用の収容施設に改められていた。
 表向きには病院とされているが、実情としては“隔離施設”と言う他無いだろう。
 一度感染してしまったら治療薬を投与する以外の方法では治らない。
 収容された人々は、自分のライヴスがウィルスに食い尽くされるより先に、数少ない治療薬がこの収容所に巡って来る事をただ祈りながら、日々己の肉体が蝕まれてゆく恐怖と苦痛に晒されている。
「よろしければ、患者の皆さんにも顔を見せて行って下さい。きっと喜ぶでしょう。いえ、間違いない!」
 そう告げる柿谷は、まるで自分の事のように嬉しそうだ。



 同、警備室。
「ねえ、聞いた?」
 不意に声をかけられてモニタから視線を上げると、噂好きの同僚の女がにこにこと此方に笑顔を向けていた。
「大妖怪が封印から解き放たれた、とか何とかさ。妖怪だって、やばくない?」
「ああ……神門、だっけ?」
 一般向けに公開されている情報ではないが、グロリア社の社員であり、四国勤務という事で、彼らにはその名が知らされていた。
 大昔に四国の地で封じられていた妖怪、神門。
 それが一連の事件の黒幕と推測されている。
「妖怪って、要するに愚神でしょ。トリブヌス級? まさか……レガトゥスとか?」
 ううん、と考えだした女に、「どうかなあ」と男は笑った。
「つい先日ロシアに出現したっていう、レガトゥス級愚神の資料を読んだけど、あれは規格外だ。あんな奴が野放しになってるなら、四国なんて今頃跡形もないよ」
「それじゃあ、やっぱりトリブヌス? だとしたらちょっとマシね。トリブヌス級なら討伐例も随分増えたし……案外明日にでもエージェントがやっつけてくれてたりして!」
「はは、だと良いね……と、そろそろ時間か」
「あ、交代?」
 ずるーい、と女が笑う。
 時計の針は15時丁度を指していた。



 入院患者は2グループに分けられ、それぞれ大きな部屋に集められていた。
 患者をなるべく一括で監視する為に、元々は別の用途で用意された二つの大部屋が病室に改造されたのだ。
 柿谷とエージェント達は談笑しながら、まずは“病室A”に足を踏み入れた。
 扉の先では、広い病室にずらりと居並ぶ患者達が――
 一人残らず、死んでいた。
「……え?」
 全員が壮絶な苦悶の表情を浮かべ、異様に痩せ細った状態で、けれど血は一滴も流さずに、事切れて床に横たわっていた。
 思考の空白と、静寂が生まれる。

 何が。

 これ以上なく明白な異常。
 だが一同の――少なくとも柿谷の意識は、周囲の状況には向いていない。
「あ……あ」
 屍で溢れた部屋の中、ただ一人、僧服に身を包む男が背を向けて立っていた。
 その男が此方を振り返った瞬間、柿谷は走馬灯のように夢想する。
 ――傷だらけの手足を這い回る百足。
 ――口や鼻や眼窩から這い出る無数の毛虫。
 ――ごりごりとヒトの頭を咀嚼する巨大な蝿。
 ――哄笑を叫び上げながらヒトの腹から腸を掻き出す鬼。
 それは恐怖のイメージだ。
 男が放つ禍々しいほどのライヴスが――嘗て感じた事がない程の恐怖を柿谷に感じさせていた。
「だっだ、だ、誰っ……」
 そう、絞り出すのが精一杯だった。
 対する男はまるであっさりと、何でもない事のように名乗る。

「神門という」

 男性的でありながら、寒気がするほど美しい顔をしたその男は、確かにそう名乗った。
 瞬間、あなた達の誰かが――或いは全員が共鳴し、武装する。
 その様子を見た神門は、けれどつまらなそうに溜息を吐く。
「何か、思い違いをしているようだな」
 そして柿谷が抱えているジェラルミンケースを指差し、こう告げた。
「戦いに来たわけではない。その治療薬とやらを、黙って此方に渡せばよい」



 同――警備室。
「あ、なた……ッ」
「…………」
 女は、床に崩れ落ちていた。
 腹の下には真っ赤な池が出来上がっており、みるみるうちに広がってゆく。
 驚愕と苦痛の入り混じった顔で、男を――先程まで談笑していた同僚の男を睨みつける。
 男の右手には拳銃が握られており、銃口の先から微かに白煙が立ち上っていた。
 時間か。そう呟いた男は拳銃を抜くと、一切の躊躇なく女を撃ったのだ。
「何で、……こん、な……」
「…………」
「……ッんな事、す、するの……!?」
「…………しなきゃ」
 絞り出すように問いかける女に、男は一切の感情が消え失せたような表情で、返答とも独り言ともつかぬ事を呟いた。
「“メイちゃんの言う通り”にしなきゃ……いけないんだ」
 銃声が、ふたつ。
 その直後扉が開き、“可愛らしい声の鼻歌”が男の背に近付いてゆく。



 戦闘力はごく低いが、柿谷は能力者であり、また正義漢だった。
「これは……渡せない」
 目の前の男が本当に神門なのかは分からないが、高位の愚神である事は肌で感じ取っていた。
 だが、渡せない。
 しかと睨んでそう言い放った柿谷の身体は直後、後方に吹き飛び、壁に叩きつけられた。
 神門が錫杖から黒いライヴスの弾丸を放ったのだ。
「戦いに来たわけではない、……のではないのか……ッ!?」
「そう言ったが?」
 苦々しく言い放ちながら何とか立ち上がった柿谷だが、手元にケースがない事に気付き思わず舌を打つ。
 神門は柿谷が落としたケースを拾い上げながら、まるで出来の悪い子供を諭すような顔をした。
「私が貴様達を一方的に殺すだけだ。戦いになるとでも?」

 直後、あなた達の肉体に異変が起きる。

「やれ、蘇った直後ならばいざ知らず、今の私と渡り合おうなど」
 武器を構えた腕が、脚が、“鉛のように重くなった”のだ。
 それでも構えを解く事のないあなた達をつまらなそうに一瞥し、ぞんざいに錫杖を構え、そして。
「――あの“あんぜるむ”だのいう若造でも難しかろうに」

解説

○目標
生還しろ

○状況
感染者収容施設への治療薬護送を果たしたあなた達だったが、施設内病室Aで神門と遭遇。
神門の階級を最低でもトリブヌスと仮定した場合、戦力として充分とは言えない為、撤退が賢明な判断と思われる。
なお、屋上には護送に使用したヘリとパイロット(能力者)が待機中。
※神門の能力と思われるが、この場にいる全員の装備力・生命力・リンクレートを除く全ステータスが30%低下中。

○場所
徳島県某所、感染者収容施設。二階建て。
“何者か”の操作により窓や扉にはAGW基準の強度を持つシャッターが降りており、脱出が困難。
だが屋上へ至る道程にはシャッターが存在しないので、基本的には屋上を目指す事が推奨される。
屋上までには大まかに「通路」「広場」の二パターンの地形があり
「通路」は幅が3sq、「広場」は10×10sqの正方形。広場から先に進むには柿谷が扉のロックを解除せねばならず、3Rを要する。
「広場」の数は合計3つ。
(現実的なサイズではありませんが、あくまでゲーム的な処理です)

○敵情報
神門×1
ステータス、スキル不明。とてもつよい。
黒い靄のようなものを周囲に纏っている。
(変則的な性能の単体攻撃スキル・防御スキル・範囲スキル所有。PL情報)

ゾンビ×???
彼方此方に点在。基本的に雑魚(ミーレス)だが生命力を中心に能力が増強された強力な個体(デクリオ)が混在。
一度に出現するのは15体が上限。

芽衣沙×1
今回のシナリオ内で遭遇する事はない。

○味方戦力
柿谷×1
能力者で共鳴済みだが戦闘力は極低。
生命力も減少しているが運動能力に問題はない。

自走する場合は全力移動でついてゆく。
大雑把に、一般的なPC全力移動>所員全力移動>一般的なPC通常移動、のイメージでOK。

○他
病室Bは30メートル以上離れており屋上へ向かう階段からも遠い為、此処へ向かう場合全滅の危険がある。
ヘリとの連絡・光源・館内土地勘の問題は無視してよい。

リプレイ

●吼える
 神門の言葉に室内はしんと静まり返った。
 その静寂を、獰猛な獣性が切り裂いた。
 眼鏡の奥、迫間 央(aa1445)の瞳が吼える。
「元凶に治療薬を渡すわけには――!」
 考えるより早く、シナプスがシグナルを発していた。その先を“考える”ことはしない。だが確信めいた判断力が、彼の肉体にそう決断させていた。静寂を切り裂いた獣性の姿は、彼の手に携えられていた天叢雲剣であった。
 静が支配していた筈の空間を一撃の元に動へと転ずる一閃。
 一足に大きく踏み込む迫間の瞳が、神門を正面から捉えている。
 愚かな。
 その口元が小さく動いた。
 かような蛮勇に頼って、この私を捉えられるものか――急ぐでもなく、ただゆらりと後ろに下がる神門の瞳は、彼の眼前で虚しく空を裂くその切っ先を見据えていた。
 だが、その動きこそ迫間が望んでいたものだった。
 迫間は突如として身を屈め、そのまま斜めに走り抜ける。
 何の冗談か。その向こうでは、奇妙なケモノがこちらを見つめている。
「――今ですッ!」
 迫間の声と共に、怪しげなる謎のケモノ――3.7mmAGC「アルパカ」の口元が、挑発的な表情を見せて歪んだ。その口元より、凝縮されたライヴスが放たれる。閃光と爆音が神門の眼前で炸裂し、迫間もろとも神門を吹き飛ばす。
 最初から、剣撃を直撃させるつもりなど無かったのだ。
 彼の先手の一撃は、文字通りの猫騙し。
 続く攻撃こそが彼が狙っていたもの。自分が一撃を仕掛ければ、誰かが続くという、確信めいた判断。
「無茶しやがって……!」
 麻生 遊夜(aa0452)がアルパカの首を掴みながら思わずひとりごちる。迫間の狙いはほぼ上手く行った。神門はアハトアハトの衝撃に大きく後ずさり、当の迫間は、アハトアハト着弾の寸前に影渡を用いて直撃を避けるとそのまま地を這うように駆け抜けていく。
 衝撃波が巻き起こした粉塵の只中に、神門だけがその姿を表した。
「まだです!」
 腕を掲げる零月 蕾菜(aa0058)。
 その手の中には一瞬にして雷の槍が出現し、翠緑の瞳が見据えた神門めがけ、一直線に放たれた。
 粉塵を引き裂く雷轟が塵を焼き、辺り一面にライヴスの閃光を放った。
 しかし――。
「チッ」
 思わず舌を打つ遊夜。
「柿谷さんらは先に行け!」
 遊夜の声にはっとする柿谷。更にその眼前に、『人食い』となった邦衛 八宏(aa0046)が割って入る。同時に放たれた弾丸は、神門の前で弾かれ、からんと銃弾が転がる。
「あなたにはあなたの為すべきことがあります」
 その落ち着いた言葉に、柿谷は踵を返した。
「我らも先行する」
 エミル・ハイドレンジア(aa0425)と共鳴したギール・ガングリフ(aa0425hero001)が、力強く告げる。
 その姿は幼きエミルのままであるが、まとう雰囲気とその意識はまさにギールのものであった。
「あぁ、退路は頼む。どうせ逃げ道も潰しにかかられてるはずだ。神門の意思かどうかは知らんが、性格悪い奴が相手方にいるからな!」
 遊夜の言葉を背に受けて、ギールは小さく頷いた。その後に続いて、八宏をはじめ数人のエージェントが続く。
「なるほど」
 ゆっくりと晴れはじめる、爆炎と紫電が混合した空気。
「是非の判断も、戦いの機微も弁えているようだ……ただの猛獣かと思ったが、同じケモノだとしても、狩人のそれであったか?」
 その中に垣間見える神門は、無傷だった。
 その身はおろか、アタッシュケースにさえ傷ひとつついていない。
 おかしい。神門に攻撃が通らなかったことは理解できるが、ケースまで傷ひとつないとは。おそらく、力場であれ制御であれ、何らかの能力をもって攻撃を防いだと考えるより他ない。
『むぅ、強いね』
 遊夜の意識の中で、ユフォアリーヤ(aa0452hero001)が呟いた。
「まったくな」
 腰のカメラにそっと手を伸ばす遊夜。
「渡り合う気はねぇんだがな……薬はそっちに行ったし逃してはくれんのか?」
「さてな?」
 神門が嘲るように首をかしげる。
「今しがた何人逃したか知らぬが、無駄なことを。それとも命乞いでもするか?」
『誰が……』
 蕾菜――いや、黒や緋色の風を纏うその意識は、十三月 風架(aa0058hero001)のものだった。
『アンゼルムの名を出した割に、敵を弱らせてからでなければ反撃が怖くて戦えない、か。高が知れる』
 口にしながら、神門の反応を伺う。
 この現象は身に覚えがある。昨年の秋口、某病院にて閉じ込められた際に覚えた身体の変調に似ている。
(あのときは確か、ドロップゾーンの影響だと推測されたのでしたか)
 あるいは、ならばこの現象も。
 他者のライヴス、その力の源を奪う能力であるとするならば。
(それとも別の何かの……)
 じっと見据えられた神門が目を向ける。
「弱らせた?」
 神門の返事には、僅かな嘲笑が含まれていた。
「たわけたことを。おまえたちが“勝手に衰弱しているだけ”だ」
 神門の意識は確かに風架へと向けられていた。だが、身体の変調が解けることもなければ、先にもましてその身に変調をきたすようなこともない。ならば少なくとも、神門が意識的に対象を絞ってコントロールする類の能力ではないはずだ。
 わずかでも良い。情報が必要だ。
 この状況を打開する突破口――あるいは続く戦いに繋がる一手としての情報が。
 じりと後ずさりながら、彼は神門の様子をじっと観察した。
「どうした……来ないならこちらから行くぞ」
 神門が錫杖を掲げた。



●立ち上るもの
 柿谷を守る形で廊下を駆ける、四人の人影。
「まずは退路を確保しなきゃ話にならねーですよ!」
 神門を遠目に見据えつつ、フィー(aa4205)は、その白銀の髪を揺らした。
 幸い、神門は先手を打ったエージェントたちの攻撃に大きく後ずさり、余裕を見せているように思えた。十秒、二十秒でも、時間はそれだけ彼らに距離をもたらしてくれる。先行班の最後尾で殿を務めつつ、彼女は病室の様子にもまた目を向けた。
「死体も傷ひとつねえっつーことは、直接吸ったっつーことですかな」
「以前、寝て起きたら辺り一面ゾンビだらけだった事件があったんだが、あの時に妙な話が挙がったな」
 フィーの言葉に、バルタサール・デル・レイ(aa4199)が答える。
「妙な話?」
「ドロップゾーンが移動している形跡がある……だったか」
 H.O.P.E.が現在確認している感染条件は、ゾンビ型従魔から攻撃を受けること、ただこの一点だった。だが、ごく一部の報告についてはどうしても矛盾が生じるのだ。
「今回とてそうだ」
 ギールがうめく。
 今回のように大勢の人間が一斉にゾンビ化するような事件では、それでは説明がつかないのである。
「これだけのゾンビがどこから入り込んだというのだ?」
「ならば空気感染でしょーかね?」
「いや、だとしても一斉に拡大し過ぎる」
 二人のやりとりに、眉を持ち上げる八宏。
「……もし、ウィルス型従魔を発生させ続けるようなドロップゾーンなら……」
 そして、その影響力が、通常のものの非ではないなら。
 それに思い至って、彼らは背筋に冷たいものが過ぎ去るのを感じた。
 仮にそれが事実であるならば、神門はただ存在し、ただ人々の生活空間に現れるだけで、一瞬にしてそこを地獄に変えることができるのだということになる。
「そこを右へ!」
 柿谷が突き当りで右へ向かうよう促す。
「院内の地図情報などはありませんか」
 その隣で敵を警戒しつつ、八宏が問いかける。
「すいません、今は手元には……!」
「いえ……」
 ほぞを噛む思いがする。初手の一撃で、神門のアタッシュケースを破壊する余裕は無かった。そして今もまた、詳細な地図を頭に叩き込まずして、自らの務めを果たせるものとも思えない。だがそれでも、まずは仲間たちを脱出させることに専念するより他ない。
「この先の広間を抜ければ、屋上へ向かうルートに合流できるはずです!」
 息を弾ませながら、柿谷が告げた。
「ならば、まずはここを抜けるぞ!」
 ギールが掲げた炎剣「スヴァローグ」が灼熱のライヴスをまとう。
 彼が声を荒げたその先には、既にゾンビが徘徊していた。
 廊下の右手にあった資料室らしき部屋から現れたゾンビたちは、彼らエージェントたちに鋭敏に反応した。
 ゆらゆらと近寄ってくるゾンビ。ギールは、その肩口めがけて一刀の元に切り下げた。自らの頬をも照りつけるライヴスの焔が燃え広がって、ゾンビは炭となって崩れ落ちていく。
 その火炎を踏み越えて、次なるゾンビがなおも唸り声をあげる。
 生者は果たして、死さねばならぬと。
 既にゾンビは道中に溢れている。
 だが建物はあちこちで防災シャッターが降ろされ、事実上、彼らエージェントは袋の鼠にされようとしている。道はもはや、その先の死中にしかないのであろう。
「やれやれ。幼子の教育に悪い……」
『ギール……? むぎゅ』
 エミルの意識を奥底にしまいこんで、ギールは再び剣を振るう。
 いちいち撃破を確認する必要もない。行く手を塞ぐゾンビをその剣で次々と切り捨てながら、うめきをあげて燃え盛る彼らを捨て置いて、先へ先へと進んでいった。
「ふん。悪いが今は相手をしている暇は無い。邪魔だ」
 時間が惜しい。ひとりひとりそれらを確実に粉砕してまわる時間は無いのだ。
 バルタサールはLSR-M110でゾンビの頭部や足首を打ち抜きつつ、その後ろに続く。
 先程の資料室を通り過ぎて会議室に差し掛かったバルタサールたちだったが、部屋の中をちらりと見やると、そこには湯気を立てるコーヒーカップがそのままになっていた。
「珈琲か」
『……なに?』
 意識の中で、紫苑(aa4199hero001)が問い返す。
「珈琲から湯気が上がっていた。争った形跡もない」
『やっぱり、一斉に……一瞬でゾンビ化したと?』
 サングラスの奥で、その金輪の瞳が険しさを増した。
「窓から離れろッ!」
 鋭い警告が、空気を震わせる。
 エージェントたちは会議室側の窓から咄嗟に身を離し、柿谷の身を庇うようにしてその身を屈めさせる。
 突如、破砕音が耳をつんざく。
 ブラインドで遮られた窓が砕け散った。そこから突き出された複数の腕。白衣を纏うその腕は、医師たちのものか。腐臭を漂わせる土気色の腕は、今までそこにあったと思しき人影を求め、凶暴な色を帯びて空をさまよう。
「よく――」
 すらりと伸びた影が、廊下に走った。
「――気づきやがりましたねえ!」
 振り下ろされた無銘の魔剣が、伸びる腕を断ち割った。
 彼らの側面から突き出された敵の動きに対し、最も素早く対応できたのは、一番後方についていたフィーであった。皆から少し距離を置いていたからこそ、ゾンビたちの奇襲を避ける必要もまた無かったのである。
「単純な話だ。奴らは、随分と“鼻の効く犬”を飼っている」
 足を止めずに走り抜けるバルタサール。
 言い回しが皮肉めいているのは、共鳴によって少なからず感情的となったが故か。だが、その冴えは――黄昏の境界線に生きてきたが故に身に付いてしまった嗅覚は、共鳴を経てなお鋭く研ぎ澄まされているようであった。
 病院ならば患者以外にも数多くのスタッフがいた筈だ。
 狗は、手段を選ばぬものだ。奇襲に使える手駒が揃っているポイントは、彼ら、かつて“人であったもの”が大勢集まっていた空間に他ならない。
 そして会議室に飲みかけの珈琲が残されていた。
 ならば、それを口にしていた者たちはどこへ行ったのか?
 そこまで問えば、状況は自ずと明らかだった。
「後は任せるぞ」
「しゃあねえですな」
 三度魔剣を振るい、フィーは足を止めた。
 腕を失ってなお這い出してくるゾンビを、草刈りのごとく寸断していく。
『キリがない。効率的にいっとけよ』
「わかってんでしょーがよ!」
 ヒルフェ(aa4205hero001)の警告に言い返し、彼女はひときわ大きく剣を構え直した。
 彼女の身長を優に超えた細身の大剣はいまだ鮮度を見せる血にべっとりとまみれていて、その切っ先から払われた血しぶきは、凄惨な現場とは不釣り合いなほど軽やかに壁へと飛び散った。


●暗中のプレアデス
 神門の攻撃を辛うじてかわした後続班は、一息に散開して距離を取っていた。
 迫間は先程の一撃から、後退するのがまだやっとだった。
『ライヴスの流れが阻害されている……!』
「それでもやるしかあるまい!」
 マイヤ サーア(aa1445hero001)の危機感は、迫間にも伝わっていた。だが、やるしかない。紐を解かれた英雄経巻が周囲を遊弋し、白光を放って神門を攻撃する。
「効かんな」
 想像以上にコントロールが乱れている。ライヴスの出力が足りないのを身体が感じていた。元より牽制とはいえ、神門に十分なダメージを与えることができない。
 だが仲間の攻撃が続く道を作るくらいならば、それでも十分だ。
「……!」
 蕾菜の操る五色の水晶が飛び交い、幻影が襲いかかる。
 英雄経巻の光に隠れるようにして迫ったそれは次々と神門の身へ迫るも、それらは神門に触れる前に、何者かの壁に阻まれるようにして弾かれ、行き場を失っていく。
 その神門の口端が、にいと歪んだ。
 遊夜が続けてアルパカから銃弾を放ち、叫んだ。
「零月さん下がれ!」
「手ぬるい!」
 神門が錫杖を鳴らすと、周囲の幻影がことごとくはじけ飛ぶ。遊夜が放った銃弾もゆらりと避けた神門は、次は自らの番とばかり、その錫杖を鳴らしてエージェントたちを睨み据えた。
 じゃらじゃらと遊環が音を立て、錫杖の先にはどす黒いライヴスが滞留していく。
「そこな女。まずはふざけた貴様からだ」
 アルパカを抱えた遊夜に、神門の殺意が向く。
 半身を向ける彼はその残る片手にアタッシュケースを下げ、首をもたげる神門の動作は気だるく、まるで童でも叱るようだった。
 彼らエージェントが、そのような隙を見逃すだろうか。見逃そう訳がない。神門とて、そんなことは百も承知だった。だからこそ、あえて、そのようにしているのだ。今しがたの連続攻撃から彼ら三名が未だ態勢を立て直せていないことを、神門は当然に把握していた。自らの実力とこの環境が自らにそれを許すことを、彼は冷徹に承知してやっているのだ。
 彼らを嘲笑わんがためにだ。
 路傍の石だと解らせるために。それをどう蹴るかを決めるのは私だと知らしめるために。
 だから彼は――気づかなかった。
 冷徹であるが故に。それが、自らに許される“余興”を冷静に数えることを可能にしたが故に――九字原 昂(aa0919)の存在に。
 黒い影が、死体の中から気を吐いた。
 刃が走った。
 音もなく襲いかかるそれは、地を這って空を切る、鷹の刃。
「貴様……ッ!」
 ケースを逃れさせようと身をひねる神門。昴の刃はその神門のケースへ追い縋り、空気はその刃に、震える暇も無く切り開かれていく。
 だが数ミリ、足りない。
 飛鷹は虚しくケースの角を弾いて空高く舞い上がり、ふわりと刃を返す。
「逃がすか!」
「遅い!」
 続く刃が薙ぐように打ち下ろされる。だがその刃は初手の鋭さほどもなければ、姿勢も悪い。刹那。紙単を裂くような僅かな差が、神門に逃れる隙を与える。だから、この一撃でケースを切ることはできない。誰もがそう直感していた。
 ……昴、その本人以外は。
 ぱきんと、何かが砕ける音がした。
「言ったでしょう」
 逃さないと――声にならないほど小さな呟き。
 振り下ろされた刀と共にひねられた昴の手首と、失われた小さな刃。そのノーシ「ウヴィーツァ」の刃は彼のライヴスを受け、ケースに突き立てられていた。
 狙いは元よりケースのみ。ならば、その破壊力は限定的で良かった。
 ウヴィーツァの射出機能によって放たれた刃は、ケースに深々と突き刺さっていた。その刃を伝って雫がぽたりと垂れる。
「……おのれ」
 神門の錫杖が遊環を鳴らして振り上げられ、どす黒いライヴスが溢れ出した。昴は咄嗟に飛び退こうとしたが間に合わず、それは昴の肩を穿ち、彼の身体を吹き飛ばした。病室の壁に叩きつけられ、苦痛に顔を歪めながら起き上がる昴が、追撃の一撃を交わして大きく後ずさる。
『いい感じだぜ、昴』
 ベルフ(aa0919hero001)が、心の中でにっと笑った。
 ずっとこの時を待っていたのだ。
 昴は初手の攻撃に紛れて潜伏していた。迫間が猫騙を仕掛け、遊夜のアハトアハト、蕾菜のサンダーランスと目を引く派手な攻撃が続く中、激しい衝撃と閃光に紛れ、彼は咄嗟に“潜り込める場所”を見つけて隠れ潜んでいた。それでも、彼の姿が消えたならばどこかに隠れていることくらいは気づかれただろう。
 だが同時に、彼らは柿谷と仲間らを病室から脱出させていた。
 それが敵の判断を狂わせることになったのだ。
「遊夜さん! 昴さんを!」
「任せろ!」
 遊夜が駆け出す。蕾菜が杖を振るうと、水晶が震えた。更なる追撃の様子を見せた神門に向けて、色とりどりの蝶が一斉に襲いかかる。幻影蝶は、ライヴスの鱗光とともにその力を奪っていく。
 ダメージを与えるだけが戦いではない。
 彼女の操る幻影蝶は神門の身体をめぐるライヴスを狂わせ、その身を蝕んでいく。
「今です!」
 病室に残っていたエージェントたちが一斉に駆け出す。
「……なるほど、力ではどうにもならぬと悟ったか。ケースを奪いに来るとは思ったが、よもや破壊して顧みずとはな」
 ナイフの突き立てられたアタッシュケースをその場に放ると、神門は駆け出すその彼らをじいっと見つめていた。


●追跡
 迫間と遊夜は、駆けながらお互いの拳を打ち付けた。
 昴をはじめ負傷した者は賢者の石を噛み砕きながらひたすら駆ける。
 ケースは破壊した。ならばあとは、少しでも時間と距離を稼いでこの死中より脱するのみ。
『全員生きて帰りますよ』
「はい、絶対に」
 風架の言葉を継いで、蕾菜は口を結んだ。
 背後の神門は幻想蝶によって受けた悪影響から暫く足止めを食らった。だがそれも長くはない。迫間らは背を向けて駆けに駆けていたが、神門の追撃が始まる前に向き直り、その動きを警戒した。
 蕾菜も一度は全力で距離を取ったが、その殿を務めんと最後尾に陣取る。自然、二人がその殿を務める形となった。
 先頭を走る昴は、廊下を曲がった先に、先行班と後続班のちょうど中間辺りにフィーの姿を見つけた。彼女はちょうど、先程窓を割って湧いて出たゾンビたちを次々に切り払い、その通路を確保しているところだった。
「無事でやがりましたか!」
「ええ、なんとか!」
 後続班が追いついたと見て、フィーは掴みかかろうとするゾンビの顔面を唐竹割りにして切り抜ける。
「神門が動きます!」
 迫間の警告に、緊張が走る。
 神門は離れていくエージェントたちめがけ、黒いライヴスを放つ。飛来したライヴスは壁に直撃して拡散する。迫間と風架は転がり込むようにして突き当りを右折して攻撃をかわし、身構えた。黒い気配が、廊下の角より溢れ出す。神門の周囲に広がる黒い靄は、まるで意志を持った怪物のようにうねり、空気を満たしていく。
「くっ!?」
 一気に稼いだ距離を、あっという間に失ってしまった。
 離脱するにせよ、変調のためか、思うように距離が稼げなかった影響も大きい。
 神門が振り上げた錫杖に黒いもやが集積していく。避けきれない。蕾菜は咄嗟に身構えた。振り下ろされる錫杖。打ち据えられたそれを、彼女もまた小さな錫杖で受け止めようとするが、圧倒的な力の差がそれを許さなかった。叩き付けられるように弾き飛ばされる蕾菜。衝撃の瞬間、神門の錫杖から溢れ弾けた瘴気のようなライヴスが、彼女の身を、意識を蝕む。
 意識が砕かれるかのごとき苦痛。
 みしみしと精神が音を立てて軋んでいた。
「かはっ」
『蕾菜!』
「大丈夫、です……!」
 それは強がりだ。
 実際には、あまり大丈夫とは言い難い状況だった。
 ライヴスのコントロールはさらに乱れ、身体は悲鳴をあげている。
 その身を蝕むこの感覚、まさか――風架はとある可能性に気づいて、蕾菜へ呼びかける。
『あいつがまとっている黒い靄、あれは高濃度に集積されたウィルス型従魔の影響かも……!』
 まさか、それが帯びているライヴスが可視化されるほど集積でもしているという事か。
「なら、これは……」
 一時的な、感染に似た状態。
 これまでのところ、リンカーは感染したという例は聞いていない。身体に起こった変調にせよ、意識が薄れるようなことはなく、あくまでライヴスへの影響による大幅なパワーダウンだけだ。だがそう考えれば納得がいく。神門の移動と接近にともなう異変。その身への影響の変化。影響が移動するのであれば固定的なドロップゾーンによるものだけではないはずだ。
 ならば、そのウィルス型従魔と神門を結びつけているものは何だ?
「考えているな? 私が何者かを……」
 神門の背後より、うめき声が多重奏を織りなして迫る。
 病室に横たわっていた大量の死体は、遂にゾンビと化して起き上がり、彼らエージェントたちへ迫ってきた。死してから動き始めるまでの時間、病状の進行といった経緯を省いたこの展開。そして何より、あの部屋にはゾンビは存在しなかった。やはり神門は“ウィルスそのものを操っている”のだ――確信と共に、彼らは奥歯を噛み締めた。


●CallMe
 広場に駆け込んだギールめがけて襲いかかるゾンビたちを、彼は一刀の元に薙ぎ払った。
 大きく振るわれた剣が群がるゾンビを弾き飛ばす。
(なんだ……? 倦怠感が抜けたのか?)
 武器を振るう腕から、異様な重さが抜けていた。
 先行したことで神門から距離を取ったことが影響しているのだろうか。
 その派手な動きに、広場に徘徊していたゾンビたちは一斉にギールの方へと群がってくる。
「そうだ。我を狙え」
 そうすれば、それだけ他の仲間がやりやすくなる――そのまま、ゾンビに押し込まれるようにして部屋の隅へと後退していくギール。続けて広場へ突入したバルタサールは四方へ目配せして、素早く監視カメラを銃撃したかと思うと、新たな侵入者へと顔を向けたゾンビに銃弾を叩き込み、ギールに群がっていたゾンビたちの足や腕を次々と撃ち抜いて行く。
 その隙に広場へと突入した柿谷は、ドアに取り付くとすぐさま暗号キーを入力しはじめた。
「ここもロックされてる……!」
「やはり計画的な襲撃、ということだな。内通者がいるくらいに疑ってかかったほうが良いだろう」
 ゾンビを焼き、ギースは柿谷の方角を見やった。
 一旦はギースに引き寄せられたゾンビたちも、一体、また一体と柿谷の方へとおびき寄せられていく。バルタサールも次々とゾンビの行動の事由を奪っていくが、ゾンビの多くは行動の自由を多少奪われた程度では足を止めない。足を破壊すれば移動はできなくなるが、それとてダメージではなく、文字通り破壊して移動能力を奪わなければ意味が無い。
 無数に群がるゾンビの手が柿谷に届こうとしたその瞬間、その手首が銃弾と共にはじけ飛んだ。
「ロックが開きました!」
 手首が地に落ちると同時に、柿谷が叫んだ。
「急いでください……おはやく……!」
 すんでのところで柿谷を救ったのは八宏の銃弾であった。ギールが道を切り開くと、八宏とバルタサールがうごめくゾンビに追加の一撃を加え、迫る群れを突破する。
「……」
 新たな廊下に進みながら、八宏はひとり静かに“死体”の数を数えていた。
『テメェのやりてぇ事があんなら、とことん付き合うぜ。前もそう言ったろ、相棒』
「……頼りにしています」
 稍乃 チカ(aa0046hero001)が気さくに告げる。
 八宏は意識の中で礼を述べながら、辺りの様子を記憶に刻みつけていく。
 死体はいずれも既にゾンビと化しており、次々とエージェントたちに向かってくる。未だゾンビ化していない死体は無い。この急速なゾンビ化の進行、もはや生存者の存在は絶望的かもしれない。だがそれでも、病室Aから離れたエリアにはまだ生存者がいるかもしれない。昴から確認を取れなくとも、八宏は、その可能性もまた捨てきることはできなかった。
「病室Bに……連絡を、取れないでしょうか」
 柿谷に病室Bへの連絡手段を聞くと、内線番号があることがわかった。
 渡り廊下、ゾンビの姿が見えぬ合間を縫うように、彼はスマートフォンに手を伸ばす。
 数度のコールが、五分にも十分にも感ぜられた。
『もーしもぉーし?』
 出たのは可愛らしい少女の声
 少なくとも病人の声ではない事は瞬時に理解された。ならば何者か。八宏が口を開くより先にバルタが口を挟んだ。
「スピーカーフォンにしろ」
「……あなたは、誰ですか」
『芽衣沙だよー?』
「まさか、テレビ局を占拠した……あの愚神……」
『ぐしん?』
 きょとんとした声が電話口から返される。
『違う違う、メイ達はにんげーん!』
「人間……!?」
 思わず驚きの声が漏れる。
『ふふふ、ガッコウだって行ってたんだよぉ?』
「そこで何をしている」
 ギールが問いかけた。
 ややあって、電話口の芽衣沙は小さな笑いとともにとうとうと喋りだす。
『あなた達が治療薬をぶっ壊して! ミカちゃん――神門さまにボコボコにされて! ぜんっぜん敵わないからって此処の人達をみぃーんな見捨てて逃げようとしてるところを! ばーっちり撮影中でっす♪』
「なっ」
『アハ、アハハハハハハ!』
 芽衣沙のけたたましい笑いがスピーカーからこだまする。
 普段は沈鬱な面持ちの八宏の全身に、ざらつくような殺気がみなぎった。
「あなたは――ッ!」
 ぴたりと、彼の目の前でスマホの通話が閉ざされた。
 何を――八宏はそこまで言うことができなかった。バルタサールが彼のスマホを奪い、問答無用で通話を切断していたのである。
「構うな。先に行くぞ」
 スマホが放り投げられる。
「……彼女は」
「いいか」
 再び、彼の言葉の機先を制するように、バルタサールが続ける。
「あの手の狗は、構えば構っただけ喜ばせる。ろくな画が撮れずに癇癪を起こしてああ言っているだけだ。思い通りに行っているなら、宣言したりせず、全てが終わった後に映像を見せつけて喜ぶだろう」
「……」
 銃声が廊下に響いた。
 突き当りにあったであろう監視カメラが、小さな火花をちらして砕けた。
 バルタサールはここまで、こちらの動きを正確に知らせぬために道中の監視カメラの類はことごとく破壊して回っている。機械的な手段で彼らを撮影することは無理だったはずだ。
「撮れちゃいないんだよ」
 皮肉っぽい笑みが、彼の頬にシワを刻んだ。


 病室Bで、受話器が床に叩き付けられ、粉々に砕け散った。
「エージェント……」
 芽衣沙が肩を震わせ、暗い感情を瞳に宿してうつむく。
「何処までも何処までもメイ達の邪魔をする……許さない……絶ッ対に許さないんだから……」


 ドアを突き破りて溢れ出たゾンビが、後続班の行く手を阻んだ。
「僕が!」
 昂が一気に加速する。彼はゾンビの群れめがけ、恐れることなく突入してその飛鷹を振るい、次々とゾンビを切り捨てていく。
 中にはデクリオ級と思しきゾンビもいるが、慎重に仕掛ける暇などないのだ。
「しゃあねえですな」
 フィーが踵をかえし、殿へと向かっていく。
「たまには本気を出すとしましょーかねえ」
 黒い霧そのものは神無月などが用いていた防御用のフィールドなどではなく、おそらくウィルス従魔の密集が発するライヴスであろうことは、先程の推察から聞き及んでいる。しかし、だからこそ余計に、神門が防御に用いている能力の正体が不明のままだった。
(何より、それだけとも思えねーですんで)
 掲げた魔剣の切先が、一瞬にして分身した。
 いや、そう見えただけだ。
 超高速の斬撃が残像を中空に残したのだ。
 振り下ろされた刃が、黒い靄のまとわりついた神門の錫杖と火花を散らす。刃が窓から差し込んだ太陽に照らされて、綺羅星のごとく輝く。刹那、振り下ろされた刃は瞬く間も無く再び神門の身を切り上げた。刃は錫杖を構えていた神門の二の腕を切り裂き、勢いに削がれてそのまま血肉が飛び散る。
「んなろっ!」
 がんと床を踏みしめるもう一歩。無理やり押し込んだフィーは、身体ごとぶつかるようにして三撃目を繰り出した。
 悲鳴のような音を響かせて、錫杖をこすり下げながら神門の腕を轢き潰していく。
 致命傷たる手応えはない。
(踏み込みが甘かったか? けど……!)
 錫杖を握りしめていた神門の手からは小さな骨が突き出し、皮一枚で人差し指がぶら下がった。
「ほう」
 少し驚いた様子で、神門が微笑む。
『ダメージが通りやがった!』
 ヒルフェが口笛でも吹きそうな様子で笑う。
 初手の攻撃からここまで、十分なダメージを通せて来なかったが、防御姿勢を崩せれば神門の身にも確かな傷を残せる……その事実に、フィーも思わずにやりと笑った。ならば、ガードは硬いかもしれないが、崩せぬものではないと思えたからだ。
「いけるでやがりますよ!」
「ならっ!」
 武器を構え直すフィーと立ち代わり、迫間が神門に迫った。
 EMスカバードで加速された刀が、後ずさったままの神門に迫る。
 再び、辺りに火花が散る。錫杖と剣はお互いを弾き合い、迫間もまた、神門の反撃を警戒して大きく後ろに飛び退いた。その後退を援護するように放たれた蕾菜の幻影が、神門が掲げた先に生じた黒い靄に阻まれ、霧散する。迫間の剣にせよ、蕾菜の幻影にせよ、攻撃が弾かれるごと、彼の周囲では黒い靄がざわめき、うごめいて、周囲の空気はより一層の重苦しさを増していく。
「……」
 神門がゆらりと立ち上がる。
「あぁ……愉快だ……愉しみでならぬ……」
 魔法攻撃を避けるようにして後退していくエージェントたちを見つめて、彼は小さく笑みを浮かべた。
(奴、今何か……)
 その笑みに浮かぶ凄惨な気配に、遊夜は言いようのない危機感を覚えた。
 腕が、肉の削がれた腕が黒い靄と共にしゅうしゅうと再生していく。
「皆下がれ!」
 銃を構えたまま、仲間たちに激を飛ばした。
 仲間が踵を返すと同時に、彼はフラッシュバンを放って辺りを閃光に包む。
 その隙に次々とロッカーを蹴り飛ばし、廊下一面にぶちまけた。積み重ねられたロッカーは道を塞ぎ、その視界を遮っていく。
 収まっていく閃光の中、何かが輝いた。
 飛来する魔法弾が、遊夜の肩を穿つ。
「ちいっ!」
 続けて放たれたのであろう一撃は、彼がぶちまけたロッカーに直撃して、黒い靄と共にそれを吹き飛ばす。彼にまで達することは無く致命傷こそは避けられたものの、バリケードとして期待したそれらは一撃のもとに粉砕された。時間稼ぎ――というにはあまりに効率が悪い。視界を撹乱するくらいの意味しかないのでは、これ以上無駄だ。
 彼は賢者の欠片を口の中に放り込むと、黒い靄がまとわり付く傷口を抱えつつも、躊躇なく身を翻した。



●屍の王
 二つ目の広間と通路も突破した先行班は、遂に最後の広間へと達していた。
 ゾンビの数は増える一方であったが、現れたゾンビの中には元より負傷したゾンビが増えはじめた。
 すなわち、彼らはゾンビに襲われたり、あるいはもがき苦しんでゾンビと化した。一瞬にしてゾンビと化したのではないということだ。『感染の策源地』とでも呼ぶべきポイントは、やはり神門だったということか。
「ロック状況三段階……」
 パネルに取り付いた八宏が、罠師を発動しつつ、柿谷が解除する前の下調べとしてロックの状態を確認する。
「構造は、先ほどと同じです……!」
「解りました! 直ちにロックを――」
 彼の言葉を受けて、柿谷が駆け込む。
 だが、走りぬようとした彼の腕を掴むものがあった。起き上がってきたゾンビの一体がエージェントたちの迎撃を抜け、柿谷に襲いかかったのだ。
「ぐあっ!」
 彼の悲鳴に一斉に振り向くエージェントたち。柿谷の首筋が、音を立てて食いちぎられていた。
 助けに入ろうとした彼らの眼前で、ゾンビの頭蓋が吹き飛んだ。
「大丈夫か!?」
 広場に駆け込んできたのは、後続班だ。
 消耗してはいたが未だ壮健なその姿に、首を抑えながらも一瞬明るい顔を作って見せる柿谷。しかし彼らが合流したというその事実が告げる結論に、ギールはすぐさま身構え直した。
 がくんと、身体全体にのしかかるような重圧が再来する。
「やつか」
 思わず呟く。
 後続班の合流は、即ち神門に対する足止めの限界と、神門に追いつかれたことを意味していた。
 彼ら後続班が稼いだ貴重な時間も、もはやここまでとなってしまったのだ。
「来るぞ!」
 うめき声が四方から迫ってきた。広場に繋がるドアを破壊し、障害物に足を取られながらゾンビの群れが殺到してくる。そしてその奥、後続班が駆け抜けてきた廊下の向こうより、青白く美しい青年が姿を表した。
 死。血肉。腐臭。
 どす黒き感情。
 それらの只中に、彫刻のように美しき姿がある。
 無数の屍にかしずかれ、彼らを従えて迫るその姿は、まさに屍の王と呼ぶにふさわしいものだった。
「見ているか。この様を……なぁ、空海……? フフフフ……ハハハハハハハ!」
「何を――」
 息を呑む八宏。
 その神門の瞳には、狂気が宿っていた。
 いったい、奴は何を見ているのか。
 神門の狂ったような笑いが響く中、神門の周囲に滞留していた黒い靄が、急激にどろりと崩れた。

 悲鳴――。

 絶叫にも似た悲鳴が辺り一面を震わせる。生理的な恐怖を呼び起こす響を奏でながら、黒い靄はどろりとした汚泥のようになり、腐った血を滴らせながら渦となって広間へ流れ込んできた。狂ったように暴れる汚泥が壁を打ち、床をなで上げながらエージェントたちに迫る。
 それらは狂気のままにあたり一面を舐め回した末に、遊夜めがけて四方八方より襲いかかった。
「な……!?」
 べたりと、黒い汚泥が彼の身を押し包み、蒸発した。
「そうか! 最初は貴様か! 貴様の闇は何だったのだ? ハハハハ――」
 神門の高笑いが響く。
 その場に崩れ落ちる遊夜。
 汚泥がまとわりついて、彼の身を焼いた。ありもしない黒炎が、視界に映る。想像を絶する苦痛が全身の神経一本一本に至るまで染み渡る。
(なんだこれは……!?)
 喉の奥が焼けるようだ。
 まるでそれは、千年に渡って蓄積された、意識までも貫く“毒”だ――。
 遊夜にまとわりついた汚泥はそのまま柿谷へめがけて飛ぶ。
「柿谷さん!」
 蕾菜は、思わず声をあげた。
 倒れている柿谷とそれの間に割って入る。遊夜と同様に、彼女もまた、その汚泥に全身を撫ぜられて、その場にどうと崩れ落ちた。
「命とは脆いものよな……?」
 神門が笑い、錫杖を鳴らす。
 何故、そうもひとの命を弄べるのだ。何故、生きる者を嘲笑うのだ。蕾菜を見つめながら、柿谷はコンソールパネルへ視線を転ずる。コンソールの方角には、周囲から乗り込んできたゾンビたちが群がりつつある。けれどももう腕を持ち上げる力も無い。
 ゾンビの腕が柿谷の視界を覆っていく。
「庇われても、自分は何の役にも……」
 だが、それでも。
 ゾンビの頭が砕けて、ぐらりと崩れ落ちる。
 その死体を踏み越えて大きく跳躍したのは、フィーの姿だった。そしてまた、彼の肩を支えて立ち上がる者がある。次々と迫るゾンビを冷静に撃ち抜きながら、八宏は彼に囁いた。
「あなたには、まだやるべきことがあります……」
「けど……」
「務めを、果たして下さい……」
 見据えた先で、フィーがゾンビを蹴り倒す。
「ちっと退け!」
 フィーの声が、この場にいた全員の意識を揺さぶった。
 魔剣を最上段に振り上げたフィーが、怒号と共にゾンビの只中へ突き進んでいった。
「はあぁぁぁッ!」
 全力で振り下ろされた魔剣が攻撃したもの。それはゾンビではなく、その先にあったドア。一撃粉砕と共に叩き付けられた魔剣は悲鳴を上げ、厳重に電子ロックされていた扉は轟音を上げて弾け飛ぶ。
 周囲から群がるゾンビが、彼女の腕や首筋に掴みかかり、牙を加える。
「はやく行きやがれです!」
『しつこいヤンホモが背後から迫ってるからなー』
「煽ってんじゃねーですよ!」
 脳内でぼやくヒルフェに怒鳴り返すフィー。分かっている。ヒルフェのぼやきにも、ともすれば静かな怒りが含まれていたことを。ヒルフェがそういう言い方をしなければ、キレたのは自分かもしれなかったのだ。神門を前に、今は打つ手立てが無い、今の、この状況に。
「突破するぞ!」
 強烈な火炎が、フィーもろとも周囲のゾンビを焼き払う。
 ギールが剣を掲げ、ゾンビの群れから開放されたフィーを担ぎ上げて駆け抜ける。
「この不愉快極まりない事態の黒幕をここで討てぬのは不本意だが……」
「今は、生きて帰らねばならん!」
 迫間が、追いすがるゾンビたちの攻撃手段を狙って次々と剣を振るう。それでももはや限界はとうに近づいている。腕の感覚は、神門の最接近に伴ってますます薄れ、敵を狙う攻撃はその鋭さを鈍らせていく。
『生きて帰りましょう……今は、ただそれだけに集中して……!』
 マイヤが痛みを引受け、迫間を叱咤する。
「急げ! この様子だと、敵は増えることはあっても減りはせんぞ」
 バルタサールのRPG-49VL「ヴァンピール」が、推進煙を引いて群れの只中で炸裂した。
 粉塵が巻き上がり、爆炎の中死体を踏み越え、自らもまた死体となってなおも前進するゾンビたち。その頭上でがらがらと崩れ落ちる天井が、何体かのゾンビを巻き込んでいく。彼らが駆け抜けた、階段へ至るルートを押し潰しながら。
「千年蓄積した怨念は……どんな味だった……?」
 神門が喉を鳴らす。
 彼は、「Re-Birth」に濡れた手首に舌を這わせ、いつまでも暗い笑みを浮かべていた。



●「人喰い」
 屋上では、既にヘリが今かと脱出の時を待っていた。
 迫間と昂がそれぞれ遊夜と蕾菜に肩を貸して担ぎ上げ、ギールはその小さな身体で満身創痍のフィーを引きずるようにヘリへ押し込んだ。
 最後に、柿谷を背負った八宏がヘリに駆け寄った。
「手を!」
 昴が手を伸ばす。
「……まずは、柿谷さんを先に……」
 八宏にその身を支えられ、出血に意識を朦朧とさせた柿谷が呻く。昴は促されるまま、反対側から柿谷の肩を支えてヘリに足を掛けた。激しいエンジン音と共に、ヘリのローターが回転数を上げていく。昴がぐいと柿谷の身体を持ち上げたその時、彼は、するりとその身を翻した。
 誰も、彼の動きに気づかない――その筈だった。
「……」
 彼の腕を、バルタサールがしかと掴んでいた。
「帰還だ」
「私は……」
「まだ仕事が残っている。変電装置を破壊しろ。俺は発電機をやる」
 ぐいと強引にヘリへ引き上げ、ヴァンピールを構え直すバルタサール。
『……柄じゃないね』
 紫苑がぽつりと呟く。
(さてな。人手が必要だっただけだ)
 離陸していくヘリ。放たれたロケット弾頭が、備え付けの発電装置を吹き飛ばす。八宏はそのドアから半身を乗り出すと、スコープを覗き込んだ。送電線や変電装置を見やるたび、静かに引き金を引いていく。
『なあ、相棒』
 チカの声が、静かに、意識の中に響く。
『前にも言ったとおり俺はとことん付き合うぜ。でもさ――』
 この異変を解決することこそが、葬儀屋の務めなんじゃねえかな。その言葉を、チカは果たして口にしたかどうか。だが、生と死をあるべき元の姿に戻すこと、あるいはそれは、人の死に関わって生きる者全てにとっての役目なのかもしれない。それが、八宏にとってもまたそうであるかは、解らないが。

 無数の“死”を眼下に見つめながら、彼らはその煉獄を後にする。
 傾き始めた太陽が、病院の白い外壁を黄金色に照らしていた。

担当:御神楽

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

  • ひとひらの想い・
    零月 蕾菜aa0058
  • 来世でも誓う“愛”・
    麻生 遊夜aa0452
  • Dirty・
    フィーaa4205

参加者

  • 常夜より徒人を希う
    邦衛 八宏aa0046
    人間|28才|男性|命中
  • 不夜の旅路の同伴者
    稍乃 チカaa0046hero001
    英雄|17才|男性|シャド
  • ひとひらの想い
    零月 蕾菜aa0058
    人間|18才|女性|防御
  • 堕落せし者
    十三月 風架aa0058hero001
    英雄|19才|?|ソフィ
  • 死を否定する者
    エミル・ハイドレンジアaa0425
    人間|10才|女性|攻撃
  • 殿軍の雄
    ギール・ガングリフaa0425hero001
    英雄|48才|男性|ドレ
  • 来世でも誓う“愛”
    麻生 遊夜aa0452
    機械|34才|男性|命中
  • 来世でも誓う“愛”
    ユフォアリーヤaa0452hero001
    英雄|18才|女性|ジャ

  • 九字原 昂aa0919
    人間|20才|男性|回避

  • ベルフaa0919hero001
    英雄|25才|男性|シャド
  • 素戔嗚尊
    迫間 央aa1445
    人間|25才|男性|回避
  • 奇稲田姫
    マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001
    英雄|26才|女性|シャド
  • Trifolium
    バルタサール・デル・レイaa4199
    人間|48才|男性|攻撃
  • Aster
    紫苑aa4199hero001
    英雄|24才|男性|ジャ
  • Dirty
    フィーaa4205
    人間|20才|女性|攻撃
  • ボランティア亡霊
    ヒルフェaa4205hero001
    英雄|14才|?|ドレ
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