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【屍国】もしも人が終わるなら
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最終発言2016/11/09 05:35:03 -
相談卓
最終発言2016/11/14 08:40:03
オープニング
懐かしい山の日々の中で、私は彼を愛しました。
大切な家族との日々を愛しました。
けれどもう、その気持ちを伝えることもできなくなるでしょう。
あの暮らしに戻ることも出来なくなるのでしょう。
だからせめて、人であることが終わるその前に、この手紙をしたためました。
―――Link・Brave――――
屍国編
『もしも人が終わるなら』
――――――――――――――
「うぁ……ああ……う゛ぅ」
病室、清潔さを保たれた室内……医療機器の小さな音に紛れて、虚ろな声が聞こえていた。
唸るような、呻くようなその声は、ベッドに寝かされた女性が発しているものだ。
手足についた拘束用のバンド、青白い顔。
その女性の顔を見ながら、涙をポロポロと溢す少女が一人……。
「お姉ちゃん、私だよ、弥千代だよ……」
それは切なさと必死さ、諦観の入り混じった少女の呼び掛けだった。
「ぁあ、ぅ」
「お姉ちゃん、なんで……生きてたのに……」
「ぁ……うー」
会話にならない会話……言葉を発しても、焦点の合わない瞳……。
それはここしばらく四国を騒がせているゾンビ型従魔が引き起こしている、未知の感染症の特徴だった。
霊力の大幅な減少と、体色や顔色の変化、それに、ゾンビを思わせる奇行や、知力の低下。
症状に個人差もあり、中には正常に意識を保つ者もいるが……どのみちその結末は悲惨なものだ。
症状が進み発生するのは、霊力の減少に伴う衰弱死。
そして死後、急速に皮膚の腐敗が進み、腐り果てた無惨な姿となって従魔化する。
人としての尊厳を失い、近しい人々の命を奪う存在となる、残酷な感染症だ。
「お姉ちゃん……」
その症状を発症した姉に呼び掛けているのは、赤嶺弥千代、十二才。
ゾンビ型従魔に襲われたある村から、エージェントらの救助活動により生還した、十名の村人の内の一人だ。
この十名の村人で、このゾンビ化の症状に苦しめられているのは七名……その中には、弥千代の姉も含まれていた。
救助された際の状態が良かったのか、まだこの症状での犠牲者は村人から出ていないが……病院も、日々失われていく患者達の霊力を霊力供給装置で補い、症状の進行を抑える事しか出来ていない現状だ。
治療法がない以上……死亡者が出るのも時間の問題と言える。
人間らしさ…… 人として笑うことや怒ることや、泣くことが……その命と共に失われていく村人達。
その症状を発症しなかった3人の村人も、陰鬱とした気持ちで、ゾンビ化に苦しむ七人の村人達の見舞いをしていた。
そんな中で……医者から弥千代に一枚の手紙が渡されたのは、それからしばらくしての事だった。
「これ……なんですか?」
「しばらく前に、弥千代ちゃんのお姉さんから預かっていてね」
「お姉ちゃんから……?」
弥千代はその手紙を受けとると、医者にお礼を言ってから、待ち合い室の椅子で文面に眼を通した。
それは、遺書のようなものだ。
私が話せなくなったら、弥千代に渡してくださいと……医者にはそう伝えられていたらしい。
手紙の中には、村の青年が好きだったこと、弥千代を大切に思っていたこと、その生活を愛していたことや、もうあの村に戻れないであろう事が、長々と綴られていた。
身寄りのなくなってしまう弥千代を、症状の出ていない他の村人に預けることもそこには書かれていて……思慮があり、愛情の深い人物であったことは、弥千代でなくとも、その手紙からは感じ取れる。
「こんなの、書かないでよ……」
だが、それは……弥千代にとっては悲しい手紙だ。
その手紙を書いた姉は、今は人の言葉を喋ることも出来ず、弥千代が来た事すら察することができないでいる。
手紙があっても姉は話せるようになるわけでもなく、手紙を読んで泣いても、姉が気付くわけではない。
手紙の中に昔の姉の面影を見れば見るほど……弥千代は今の姉が失いかけてるものの大きさを痛感してしまい、涙が溢れた。
泣いても、姉は戻らない……なのに、その涙は頬を伝い、手紙に落ちて、その文字を滲ませた。
そんな悲しみにくれる弥千代が、手紙の中のある一文に気付き……それをじっくりと見つめた。
『もしもまた叶うなら……』
――数日後・病院内ロビー――
その日、病院のロビーにエージェントの姿があった。
弥千代はその理由を知らないが……エージェントは、村人達を村から救ったヒーローであり、命の恩人だ。
なら、今回だって……。
そう思い弥千代は、彼らに駆け寄り、願いを込めて話しかけた。
「あの、すみません! お願いが……お願いしたいことがあるんです!」
解説
【状況】
能力者達は、病院から、村人のゾンビ化に備えて隔離病棟を警備する依頼の他、病院や村人達の現状をHOPEに伝える役目を与えられています。期間は約二日。
二日勤めた後、他の能力者達と交換する形です。
【村人達の情報】
四国の山奥にある村から生還したワイルドブラッドの村人達。
ゾンビ化の症状で苦しんでいるのは七名(弥千代の姉とその恋人である青年、その他五名の村人)。
全員隔離病棟で、別々の病室に寝かされています。
ゾンビ化の症状を発症していない村人は三名(弥千代、中年男性、老人)です。毎日隔離病棟にお見舞いに来ています。
【霊力供給装置】
村人達の失われていく霊力を補給している機械で、これのお陰でゾンビ化を抑えています。
持ち運びは出来ません。
もしこれを外して、入院中の村人を外に連れ出してしまった場合、その村人の症状は一気に悪化し、命の危機となるでしょう。
【弥千代のお願い】
「私のお姉ちゃんを、山に連れていってください」
弥千代は姉が、生まれ育った山を直接見たがっていることを手紙で知ったため、病院から姉を連れ出してくれないかとエージェント達にお願いします。
病院に頼んでも聞き入れてはもらえず、エージェントにすがることしか出来なかったようです。
【病院側の判断】
病院側は、村人達の症状の治療方法を必死に模索しています。
また、弥千代が姉を連れていこうとしている山の周辺は、従魔が出現しており危険な状態であるため、外出の許可はおりません。
病院側は『治せる可能性が消えたわけでもないのに、危険な場所にいかせるわけにはいかない』という判断をしている状態です。
【村人達への周囲の認識】
以前、病院一つがゾンビ型従魔に滅ぼされた為、一部の病院関係者や入院患者は、ゾンビ化の危険がある村人達やその村の関係者を快く思っていないようです。
※これらの情報は全て知っていることにして構いません
リプレイ
――病院・ロビー――
「ん、お願い?」
弥千代の言葉に、ユフォアリーヤ(aa0452hero001)が首を傾げ、麻生 遊夜(aa0452)が目線を向けた。
受付で警備の件を話していた虎噛 千颯(aa0123)も、そちらに意識を向ける。
子供想いな彼にすれば、切実さを感じさせる弥千代の声は気になるだろう。
ロビーで待機していた他の能力者達の視線も弥千代に向かう中、遊夜は目線を弥千代に合わせ、優しく聞き返す。
「ふむ、どんなお願いかな?」
「その、私のお姉ちゃんの事なんですけど」
弥千代は緊張で震えながら、慌ただしく手紙を差し出し……その事情を語り始めた。
GーYA(aa2289)は理由があってその場にいなかったが、 他の能力者達は、隔離病棟に続く渡り廊下で弥千代のお願い……病の姉が直接山を見たがっているという、切実な願いを聞いていた。
ロビーを離れたのは、弥千代を見てひそひそ話しをする人達がいたからだ。
弥千代はこの渡り廊下に来るまでも、病院から告げられた内容を必死に思い出し、言葉で伝えていた。
そうして事情が分かると……遊夜が弥千代に尋ねる。
「ふむ、弥千代さんは……それで本当に後悔はないか?」
その問いに、弥千代の眼に涙が浮かんだ。
軋むような少女の気持ちを感じながらも……真摯な願いだからこそ、遊夜は弥千代の眼を見て、しっかりと現実を伝えた。
「お姉さんの命を縮める、または殺してしまうことになっても大丈夫か?」
それは、弥千代には辛い問いだろう。
彼女は首を横に振ると、泣くまいと唇を噛み締めながら、自分の言葉を口にした。
「やだ……」
「なら……」
「でも、だって、お姉ちゃんが……」
数滴の涙をこぼした弥千代が、溢れていく想いを言葉に乗せる。
「お姉ちゃんがっ、なんも、わからなくなっちゃったらね、みせてあげられないもんっ……、みせて、あげたいの、わ、わたしが、してあげなきゃいけないの、だから、おねがいします!」
しゃくりをあげ、叶えたい自分の想いを口にした少女に、今度は千颯が声をかけた。
「弥千代ちゃんは、お姉ちゃんが大好きなんだね。でもあの山は、今危ないんだって知ってる? 従魔がたくさんいるんだって」
弥千代は泣きながら千颯の顔を見ると、ぐっと唇を噛んで一つ頷いた。
「なら、連れてったら、お姉ちゃんも弥千代ちゃんも、大変なことになっちゃうよね? 俺はそうなって欲しくないんだ」
「でも、だって……」
なおも何かを言おうとする弥千代に、千颯は微笑みを向ける。
「弥千代ちゃん、お姉ちゃんと同じ病気にかかって、治った人もいるんだよ?」
「う、うそだよ……いないって言ってたもん」
医者から聞いたのだろう、少し前ならそれは間違いではないが……。
「ううん、俺や遊夜ちゃんが、ちゃんとその人を助けたんだ。な、遊夜ちゃん」
千颯と弥千代の視線が遊夜に向かう。
他の者も、余計な口を出す時ではないと判断しているのだろう……口を挟まずに、三人の会話を聞いていた。
遊夜は千颯の言葉を受け、改めて弥千代に言葉を投げ掛ける。
「助かった子も俺達も、弥千代ちゃんやお姉ちゃんみたいな人が大切な家族を失ったりしないように頑張ってるとこだ。必ずとまでいかないが、助かる見込みはある。だから、お姉ちゃんの願いを叶えるのはそれからでどうだ?」
「たすかる……の? ど、どれくらい、少しじゃやだ、ちゃんと助からないなら、やだ……」
「ちゃんとだ、あの子も、その為に頑張ってるからな」
その人物を知るからこそ、遊夜の言葉には、自信と強い願いが込められていた。
それは弥千代に対してだけではなく……友を失い、病気の治療に身を捧げる覚悟を決めた少女にも向けられた願いだったかもしれない。
「お姉ちゃん、助かるの?」
その顔を見て、二人の言葉を聞いて……確認するように呟いた弥千代に、リーヤの手が置かれた。
「ん、大丈夫……また家族で、皆で戻れるから」
髪を撫でる手の感触に、姉が助かるかもしれないという言葉に、弥千代は何回も頷いて、ぽろぽろと涙をこぼし……ついには大声で泣き始めた。
「ずっと一人で考えて苦しんだんだね……偉かったよ」
千颯の優しい労いの言葉が、泣きじゃくる弥千代にかけられ……。
「山には連れて行ってあげれないけど、お姉ちゃんの為に何が出来るか一緒に考えよう?」
暖かなその提案に、弥千代は何度も頷いた。
――隔離病棟・廊下――
「出る幕はありませんでしたね」
言葉とは裏腹、君建 布津(aa4611)が穏やかに言うと、八朔 カゲリ(aa0098)がその黒い瞳を向けた。
「ああ」
だからどうしたと言わんばかりの素っ気なさでカゲリが返すと、布津が苦笑する。
今この場にいるのは、カゲリと布津、その英雄である、切裂 棄棄(aa4611hero001)だけだ。
無音 冬(aa3984)はジーヤに状況を教えに行き、千颯と遊夜は姉との面会を先に済ませてから、それぞれやることがある為か、それをこなしに向かった。
外見だけ弥千代と同年代のナラカ(aa0098hero001)は、弥千代の話し相手として病室の中にいる。
そんな中でカゲリ達が行っているのは警備だ。
いざとなった際は交戦もあり得るが、村人達の病室を見て回る彼らに、緊張の色は見られない。
穏やかな表情を浮かべる布津や、静かに微笑む棄棄、逆に真顔を貫き、病人に同情も軽蔑も抱かないカゲリ。
病室に入り、村人の様子を確認しながらも、それぞれの表情が崩れることはなかった。
「ほうほう、この状態でもまだ完全なゾンビではないのですねえ。いや実に興味深い」
「確かに確かに。ライヴスに関わる感染症、というのも中々に好奇心をそそられますわ」
それどころか、布津と棄棄は症状の進行が早かった村人の一人を見て、そんな感想を溢した。
村人の皮膚から発せられる微かな腐敗臭と、涎をたらしたままだらしなく開いた口……拘束された手足を暴れさせ呻く姿は、ゾンビそのものとさえ言えるものだが……そこに注がれるのは、この病に対する好奇の視線だ。
この場に千颯や遊夜がいればあまり良い顔はしなかっただろうが……。
「次に行くぞ」
カゲリはそんな彼らを気にする風でもなく、先を促した。
確認する必要がある病室を全て……と言っても五つしかないが、それを全て見て回ってから、棄棄は院内の巡回に向かい、カゲリと布津がその場に残った。
布津が見た限り、カゲリと言う人物は年齢よりもずっと達観しているようにも思える。
先ほどの遊夜や千颯は長い経験や、特別な想いからその主義主張をしているのに対して、カゲリはまた別だ。
弥千代の件でも、病人を見ても表情を変えず、かといって自分の意思を隠すでもなく、あの三人のやりとりを、一つの立場から見つめていたような印象を受ける。
カゲリのその姿を見ていた布津は、暇潰しの話題として、その事について尋ねる事にした。
「八朔さんは随分と落ち着いていましたが、弥千代さんのお願いには、どう答えるつもりだったのですか?」
「落ち着いてたのはお前もだろう」
「いやぁ、そうですかね、よく言われますが、僕はそんなつもり全然ないんですよ」
それには取り合わず、カゲリは問われた質問に、答えを返した。
「俺なら、望む通りにしただろうな」
ほぅ、と、布津が興味深そうに相槌を打つ。
「それはまた。今回のケースですと、お姉さんの先行きも暗くはないでしょう、それでも、その答えですか?」
「関係ない、弥千代が本心から願うならな」
「それが、弥千代さんの大切な家族に死をもたらしたとしても?」
それを問う布津の声にも、詰問の響きはなく……ただ、このカゲリという人物との会話を楽しんでいるようにも思えた。
それが知的好奇心からのものか、時間を潰す為かはわからないが、カゲリの主張が、とても珍しいものであるのは確かだろう。
万象全て、生あるものにはいつか死が訪れる。
ならば家族を殺す決断となろうと、もしも悔いを残す結果が弥千代に訪れようと……それが自らの意思の結果であるならば、カゲリはそれを肯定する。
それが、是生滅法を受け入れたカゲリの、問いに対する答えであり、弥千代の意思という一つの生を肯定した結論でもある。
「死んだとしてもだ。弥千代の導き出した答えならな」
とはいえ、それはあくまで、あの場でカゲリだけが話を聞いたなら、という前提の話だ。
弥千代が説得を受け入れ、願いを変えたなら、それはそれで構わない。
それを聞いて、布津は……。
「面白い答えでした、ありがとうございます」
いつもの柔和な笑顔で、そう返事を返すのだった。
――同時刻・隔離病棟への渡り廊下――
冬、イヴィア(aa3984hero001)ジーヤ、 まほらま(aa2289hero001)の四人は、隔離病棟に向かっていた。
ジーヤは入院着を着ており、この病院の中では『患者』という立場になっている。
だから他の能力者達と行動することはできなかったが……ジーヤと同年代で身長も近い冬なら、見舞いに来た友人か何かに見えるのだろう。
こうして歩き、冬から弥千代の事を聞きながらも……ジーヤが『患者』であることを疑う視線は、特には感じられなかった。
「じゃあ弥千代ちゃんは、山に連れていくのを諦めたんですね、よかった」
「ああ、状態が悪くなったらどうなるかわからないけど、あれならしばらく無理は言わないだろうな」
ほっとした様子を見せたジーヤに、イヴィアが答える。
ジーヤは、弥千代の話を聞いた時、姉を山に連れて行くことには反対だと、そう意思表示をした。
弥千代達が過去、能力者達から助けてもらった事は、この依頼を受ける際に聞いたことだ。
弥千代にとってはきっと、能力者は憧れの存在で……だからこそ、姉を死なせてしまう事になる弥千代の願いを叶えることに、彼は反対した。
冬やイヴィアの話が続き、弥千代が千颯達に説得された時の事を聞いたジーヤの安堵の表情は、どこか印象に残っている。
「……」
けれどそのジーヤの足が、隔離病棟に入る前にピタリと止まった。
「……どうしたの?」
「あ、いや、なんでもないよ」
冬が聞くと、ジーヤが再び歩き始める。
「調子が悪いとか言わないわよねぇ?」
まほらまのそんな言葉に苦笑するジーヤは、隔離病棟に足を踏み入れた。
隔離病棟の空気は、普通の病棟のものとはどこか違う。
それはジーヤにとって馴染んだものとも言えたが……決して、好ましいものではなかった。
これまでの事が全て消えてしまうような……『あの頃』に引き戻されてしまうような、そんな錯覚。
自らの心臓の鼓動が、嫌なほど脆弱に感じてしまう。
「無理してないか?」
「いえ、大丈夫ですから」
イヴィアが心配する声をかけるが、それに返す言葉もどこか弱々しい。
ジーヤは隔離病棟の、村人達のいる病室の隣に入院することになっている。
そこに行くまでの道のりさえ遠く感じる。
目的の病室まで、一歩、一歩……やがてそこが見えると同時に、その隣……弥千代の姉の病室の扉が開いた。
廊下の先にはカゲリ達の姿があったが、どちらの意識も病室に向けられている。
「じゃあ、またねお姉ちゃん、きっと治るからね」
病室からは、弥千代の声と共に呻き声が聞こえてきた。
きっと姉の声なのだろう……病室から出てきた弥千代は、先ほど千颯達が話した時より、落ち込んでるようにも見えた。
弥千代が冬やイヴィア、その隣にいるジーヤやまほらまに気付くと、ぺこりと慌ててお辞儀をする。
「あ、えっと……」
「あ、どうも……ええっとね、新しく入院することになったジーヤです、今、無音さん達に案内してもらってて」
入院着だからだろう、弥千代はそれで納得をするが……すぐに顔を曇らせた。
「じゃあその……お姉ちゃんと、同じ、なんでしょうか?」
そうジーヤに聞く弥千代の視線には、見覚えがあった。
誰かの未来に強い不安を感じている人間の瞳。
いつか自身に向けられていた……同情の眼差し。
それが何故また、自分に向けられているのか……錯乱した思考が、ほんの僅かの間だけ止まり……自分が今、患者だと偽っていることに思い至る。
これは仕事だ、病気は、もう治ってる。
「ええっとね……俺は、病気じゃないから、能力者だから、検査だけなんだ」
ぎこちなく、それだけ口にする。
吐き気が込み上げそうになり、その目が、弥千代の開けた病室の中の光景に気付いた時……。
何かの記憶が、頭の中に甦った。
その眼に映るのは、管につながれ、ベッドに拘束された人間の姿。
拘束され暴れるその姿は……いつか真実を知り、錯乱したあの時の自分の……。
「どうしたの?」
弥千代の言葉が遠くに聞こえる、ベッドにいるのが弥千代の姉であることを理解することさえ、今のジーヤには困難だった。
呼吸が苦しい、震えが止まらない……気付いた時には病院の廊下に膝をつき、視界がぐにゃりと歪んでしまう。
心臓を必死になっておさえるジーヤの耳に、悲鳴のような声や、慌ただしい足音が聞こえ……それが、いつかの記憶を鮮明に甦らせた。
苦しい、怖い、死にたくない。
もがくようなその願いを閉ざす、暗い未来の檻が、彼の視界を闇色に染め上げて……。
ジーヤは、その意識を失った。
――隔離病棟・病室――
冬は、弥千代の姉の病室にいた。
あの後、ジーヤが倒れてから、一度大きな騒ぎになった。
入院予定だった病室に運ばれ、まほらまが付き添っているが、まだ眼を覚ましてはいない。
イヴィアも冬もそちらの看病に向かおうかと思ったが、その騒ぎの最中、弥千代の見せた表情が、その気持ちを止めた。
弥千代は、目前で人が倒れる瞬間に恐怖していたのだ。
小さな眼を丸々と開いた弥千代の姿に……微かな危機感を……思い詰めるかもしれないという予感を感じて、冬は最初の予定通り、姉の回復を願い、動く事にした。
「山を見る為には良くならなきゃ」
虚空を見つめて呻く弥千代の姉を見て、冬は呟く。
「装置を外せば貴方は山を見られるかもしれない……でも、その時の貴方は手紙を書いた頃の貴方じゃないかもしれない」
静かに、けれどしっかりと聞かせるように、冬は語り、拘束された姉の手を握る。
血色の悪い冷えた手を、しっかりと両手で握りしめた。
「連れ出す事には反対だけど、僕には妹さんを止められないと思う……。だけど、貴方の言葉なら聞くと思うから、聞かせて……今の貴方の意思を」
――深夜――
警備として病室を見てまわる布津は、二つの病室から薄い灯りが溢れていることに気付いた。
一つは、ジーヤが眠る病室だ。
まほらまがいるのだろう、寝る必要がないからか、その場にいるようだ。
もう一つは、弥千代の姉の病室。
誰がいるかは知っているが、警備の対象になる病室だ。
一応確認はしないと、棄棄に文句でもつけられるかもしれない。
「こんばんは、まだ起きていらっしゃったんですね」
布津が病室の扉を開けると、姉の隣には冬がいた。
手に持った音楽プレイヤーからは、自然音に紛れた鳥の声が聞こえてくる。
「はい」
「反応はありましたか?」
「いえ」
短く返す冬に布津が微笑むと、冬がふと気付いたように、マテリアルメモリーから温かな肉まんを取り出した。
「どうぞ……」
「これはどうも」
受け取った布津と冬が、はふ、と、肉まんを口に運ぶ。
自然の音が流れる、どこか暖かな病室……肉まんを食べながら寛ぐ二人の耳に、隣の病室……ジーヤの眠る病室から話し声が聞こえたのは、その時の事だった。
胡蝶の夢。
暗い病室で目を覚ましたジーヤは、いつか聞いた、そんな言葉を思い出していた。
ああ……そっか。
重たい身体に、入院着……ここは、きっといつもの病室だ。
未来のない、あの檻の中なんだろう。
そう思ったら、悲しむ気すら失せて、ただ虚しさが胸に溢れた。
死から逃れられない、だからきっと、幸せな夢を見ていただけなんだ。
誓約を交わして、能力者となって……自由に、外に行けた。
思い出すほど楽しくて、幸せで……だから、胸に溢れる虚しさに、涙が、零れるんだろう。
そんなはずがないのに……。
そう思った時、ベッドに横たわる彼の視界に……青い髪が映った。
「……起きたぁ?」
不機嫌そうだけれど、その顔は……夢にいた、彼女のもの。
「……まほらま?」
「何幽霊見たような顔してるのよ……あたしはねぇ」
文句を羅列する英雄に、笑みがこぼれてしまう。
今は、もう檻の中じゃない……。
「なに泣きながらへらへら笑ってんのよ……大丈夫?」
胸に手をあて霊力を注いでくれるまほらまに、涙を拭ってから、あらためて声をかけた。
彼女がいれば、遠い病床の記憶だって薄れてしまう。
だから今は……。
「もう平気、あのさ」
あの村人達の力になろう。
病床の檻から解放される喜びを、誰よりも知っているのだから。
――次の日――
「おーい、俺ちゃんさんよ、植物持ってきたぜ!」
「おっしゃー! ありがとうございまーす!」
山に詳しい、弥千代と同じ村にいた二名の村人が植物を採取してくると、千颯の威勢の良い返事が病棟のロビーに響いた。
『ゆるキャラ白虎ちゃんと一緒に山の絵を描こう!』
そう題されたイベントは、病院のロビーを利用して昼頃から開催される。
一度に周囲の認識を改める事は難しい……けれど、今村人達と共有しているこの時間も、その為に尽力する能力者達の輝きも、決して無駄にはならないだろう。
「まずは種火といったところか、白虎ちゃんで燃え盛るとよいな」
「ナラカ殿、その呼び名はせめてイベントの間だけに」
「万人の目は常にあり。今日ばかりは常に白虎ちゃんであることを心がけよ。恥じるよりいべんとを楽しむことこそが、ますこっとには大切であろう」
「マスコットではないのでござるが……」
落胆する白虎丸(aa0123hero001)
とナラカが、ロビーでイベントの参加者を募る。
入院している村人達は参加はできないが、このイベントが、今後の村人達の立場の改善に繋がることを願いたい。
そんな中、意気揚々と準備を進める千颯に、同じように準備をする遊夜が語りかけた。
「……土下座したんだってな?」
「……遊夜ちゃんも、あちこちに熱く語ったとか聞いたけど?」
そう互いに語ると……二人で苦笑してから、仲良く語らい、準備を進めていく。
その後ろ姿は、保護者と言うより……同じ目的の為に奮闘した、少年達の背中のようにも見えた。
「びゃ、白虎ちゃんでござるよ」
「ほぅぷ非公認、可愛いゆるきゃら白虎ちゃんと絵を描いてみようぞ!」
ぷるぷると震えながら自己紹介する白虎丸と、意気揚々と話すナラカの周囲には、それなりの人数が集まっていた。
「如何でしょう? 業務の合間にでも……」
人当たりの良い棄棄が話をつけた医者も数人参加し、能力者達の明るい雰囲気や、村人達の身の上話を聞いた人達も集まっているようだ。
そんな中、弥千代は一生懸命に、絵を描いていた。
治って欲しい、その必死の願いをこめた絵を、何度も何度も描きなおし……そこに、一人の人物が声をかけた。
「弥千代ちゃん、お姉さんの手紙が読みたいんだけど、いいかな?」
ジーヤ……話しかけた人物の顔を見た弥千代の手が一瞬止まり……こくんと頷いた。
「弥千代ちゃん、俺がこの手紙を見た感想、言ってもいいかな?」
「は、はい」
どぎまぎとした返事をする弥千代に、ジーヤはこう語った。
「お姉さんが、もしも叶うならって書いたのはね、また、病気を治してから行きたいって、そう思ってるからだと思う」
「え?」
「なんとなくだけど、俺も、病気だったからさ……治らないって思った時、こんな風に書けなかったから」
それは、経験から語られただけのものかもしれない。
けれど、ジーヤの表情と言葉は不思議なほど、弥千代の中に残った。
「お姉さんは戦ってる、辛くても見届けてあげてよ」
その言葉を伝える事が出来ただけでも……あの日の記憶に、意味はあっただろう。
――隔離病棟――
弥千代はその日、姉や村人達の病室に飾られた様々な山の絵を、懐かしい植物を眺め、自然の音を聞いていた。
姉は変わらず、呻くばかりだが……きっと、闘っているんだと思うことにした。
そうして、いつものように姉に語りかけていると……その姉の手が、何かを探すように小さく動いていることに気付いた。
弥千代は知らない、霊力を送り続け、姉の手を刺激し、回復を願った少年がいたことを。
視力と聴力を失っても、身体の感触が薄れても、僅かな触角が生きていたことを。
だからこそ、彼女はそれを奇跡と想い……姉の手を強く、強く握りしめた。
「私だよ、弥千代だよっ……闘って、がんばって、治って、お姉ちゃん」
その言葉が、願いが……いつか届くことを信じて。
人であることが、まだ続いているのだと、ただ信じて……。
弥千代は能力者達からもらった微かな……けれど確かな希望を抱いて、その病室で願い続けた。
――その後――
警備の任務が終わり帰っていく能力者達を、弥千代を含めた三人の村人は、ロビーで感謝と共に送り届けた。
また来ることを告げた冬に弥千代がお礼を言い、ジーヤはまほらまと共に明るく語らい、千颯と遊夜が、弥千代を撫でて立ち去っていく。
そんな中で、布津が弥千代に連絡先を伝えていた。
「もしもですが、今後気が変わりましたら、『此方』までどうぞ」
そうして差し出された連絡先だったが……その言葉を聞いた弥千代は、受け取りかけた手を引っ込めた。
「その、ありがとうございます。でも、気は、変わりません、変えたくないから、受け取れません」
悩みながらも、しっかりと話す弥千代に……布津は微笑み、連絡先を引っ込めた。
「意思の尊重、とでもしておきましょうかね。ではまた、病気が治ることを願っています」
変わらぬ笑みで布津が去ると……最後にナラカが朗らかな挨拶を交わし、カゲリは、何も言わずに去っていった。
我も人、彼も人。
今の弥千代に、言葉は要らない。
人の宿す意思を、彼は誰よりも大切にしているのだから。
そうしてその病院の中に……小さな輝きと希望を残して、能力者達は去っていった。