本部

序章・静かな嵐

ららら

形態
ショート
難易度
やや難しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/06/24 09:02

掲示板

オープニング

「アリノスシジミを知ってる?」
 透き通った声だった。少年にしては高く、少女にしては低いユニセクシャル。
「お世辞にも綺麗とは言えない翅を持つ、一応蝶々という事になっている、蛾のような虫なのだけれど。この幼虫がなかなか面白くてね」
 その声は透明であり、無味無臭であり、砂漠だった。
 感情の一切が抜け落ちた無機質な響きを孕む、それ故のクリアヴォイス。
「形は、よくゴムボートに喩えられるけれど、僕は焼き立てのパンのように見えたかな。ずんぐりむっくりした体格でね、うねうねと身を捩じらせながら木を登るんだ……そうして……葉っぱでも食べるのかと思う?」
 蛍光灯が明滅する。純白の冷えた壁を彩る深紅の飛沫がぬらぬらと光る。
 少年か少女か、その人物は独り言のように話し続け、事実独り言なのかも知れない。
 目の前の椅子に縛られた男は猿轡を噛まされており、「んん」だの「んーんー」だのと呻く他ないのだから。
「蟻だよ」
 鼻と口から血液を垂れ流す男を正面から覗き込み、その人物は白く細い指で男の首筋にそっと触れた。
 呻き声に恐怖と懇願が滲む。瞼が大きく見開かれ、眼球が揺れる。
「アリノスシジミの幼虫は蟻の巣を襲い、その中の卵をむしゃむしゃと食べてしまうんだ。蟻達は勿論防衛するのだけれど、アリノスシジミの外皮は非常に硬くてまるで歯が立たない。蟻達の奮戦も空しく、アリノスシジミは彼らの卵でたっぷりと腹を満たし、あろうことかその巣の中で蛹になるのさ」
 淀みなく語りながら――けれど一切の感情を露わさず――その人物は男の首筋を撫で上げて――猿轡に触れると――徐に首筋に手を回してそれを外した。
 男の膝の上に唾液で濡れた猿轡が転がる。飢えた犬のような浅い呼吸を繰り返す男の顔を、無表情の彼、或いは彼女は覗き込みながら、小さく首を傾げて告げた。

「僕達は蟻だ」

◆  ◆

 ――地下、下水道。
「時間がありません。配置について下さい」
 盗聴器から聞こえるやり取りに焦燥の色を滲ませた女は、あなた達にそう告げるとタクティカルアーマーに身を包む男達に広東語で指示を飛ばした。
「私もあなた達にこのような事を頼むのは気が引ける。これはいわば古龍幇の『内紛』だ……」
 拳銃の安全レバーを外し、スライドしてホルスターに収めながら悔やむように語る女の言葉に、あなた達は事前に受けた説明を思い出す。

 古龍幇――香港に本拠地を持つ『能力者を主軸に構成された』巨大な非合法組織。
 その性質上H.O.P.E.とは敵対関係にあったが、能力者達の努力により合法組織への移行を表明。
 H.O.P.E.との限定的な協力体制も築きつつあった――然し。

 『古龍幇の幹部が、古龍幇の人間に拉致されました』

 依頼内容の冒頭はそのような文言だった。
 クライアントの名前は『劉士文』――古龍幇からの正式な依頼という事になる。

 大まかな経緯としては、幹部の一人が行き付けのクラブから出たところを、武装した集団に襲撃され、護衛は一名を除き死亡、幹部は連れ去られてしまったとの事だ。
 生き残った一名も重傷を負ったが、襲撃して来た集団が確かに同じ古龍幇の人間だと確認した事を証言。
 また不幸中の幸い、幹部は有事に備えて発信機と盗聴器を(ダミーを含めて)複数身に着けており、行方を掴む事は容易かった。
 だが追跡調査の結果、中国北部の廃病院に向かった事が判明。
 そして拉致の目的が『拷問による情報の取得』である事を、盗聴器が教えてくれた――。

「……分かっていた事です。これだけ巨大な組織が急激に変わろうとすれば、何処かで歪みが生じる事くらい」
 呟き、奥歯を噛み絞める女。
 先の決定以降、古龍幇の内部には軋轢が生じていた。目に見えない亀裂がこれまで目立たなかった様々なものを浮き彫りにさせた。
 先程盗聴器から聞こえて来た言葉は、恐らく実行犯のものだろう。自らを『蟻』と呼ぶそれは、まさしく古龍幇暗部の一端を象徴している。
 アリノスシジミに為す術もなく搾取される、蟻という矮小な弱者……。貧困層などの社会的弱者の不満、怒り、憎悪は古龍幇という組織を形作る一翼となっているのだ。

 古龍幇に何かが起きている。
 新たな時代の到来を阻む何かが起きようとしている。

「それでも私は……あの香港の戦いにも参加した。あなた達と共に戦い、あなた達に助けられた一人だ」
 女の細い瞳があなた達に向けられる。その瞳は拭い切れない迷いの中にも強い意志が灯っていた。
「香港協定は正しかったのだと、今も信じています」

◆  ◆

「因みに、蟻の巣で羽化したアリノスシジミがどうなるかと言うとね」
 少年のような少女のような、その人物は淡々と語る。
「“蟻に食われるんだ”。羽化した為に硬い外皮を失った彼らは、蟻の群れに全身を食い荒らされて絶命する」
 その手に恐ろしい形をした『器具』を握り、掠れた悲鳴を漏らす男に微笑みかけながら。
「さあ、僕達の時間だよ」

解説

○目的
 廃病院で拷問を受ける古龍幇幹部の救出

○味方戦力
 古龍幇構成員×複数

○敵戦力
 古龍幇構成員×複数
 ?????×1

○作戦の流れ
 PC達は抜け穴を通じて廃病院、地下一階より潜入。
 地上一階の手術室にて拷問を受ける幹部を確保。
 別経路より侵入した味方戦力(古龍幇構成員)が退路を確保次第、現場から撤退する。

○状況
 廃病院内部の荒れ具合は軽微。
 病院に残されていた予備電力が起動しており光源の心配はない。

 内部を古龍幇構成員が見回っているが、地下フロアは人員が薄い。
 極力交戦を避け、やむを得ない場合は騒ぎにならないよう処理する事が望ましい。
 しかし、この段階に時間をかけ過ぎると、幹部が拷問に屈する・死亡するなどの可能性がある。

 手術室の扉は一つ。内部はそれなりの広さがあるが手術用の機材が点在している。
 手術室には椅子に縛られた幹部(能力者だが非武装)と?????が存在。

 PC達には見取り図が配布されている。

○特殊ルール
 PC達はインカムを通じて味方戦力に合図を出す事が可能。
 合図を出すと味方戦力が【爆破工作】を発動。敵全ユニットに隙が生じると同時に、退路確保が開始されるが
 早期に使用すると幹部の身が危険に晒される可能性がある為、最低でも地上一階に到達してから使用する事が望ましい。
 【爆破工作】は一度のみ使用可能。

 参加PC全員には『インカム型無線機』『古龍幇製消音ブーツ』を貸与。
 無線機はPC・味方NPC全員と通信可能。
 ブーツはある程度の足音を消す(注意して移動すれば足音は鳴らないが、スキル【フットガード】程の精度ではない)。またこのアイテムの為に足部位の装備を外す必要はない。

○?????
 情報無し。
 襲撃の生存者曰く「動きが非常に速かった」との証言があり、シャドウルーカーに類した能力を持つと目される。
 対峙した際は、PC達の強さを測るような動きを見せる(PL情報)。

リプレイ

 薄暗闇の中、アーミーブーツのゴム底がリノリウムを擦る音が響く。
 男は明滅する蛍光灯の下で立ち止まり、露骨に顔を顰めた。不快な下水の臭気がこの通路に入った途端に臭い出したのだ。何処かの配管が破損しているのか?
 それ以上進む気になれず踵を返した男の胴に、蛇のように伸びた鞭が音もなく絡み着く。
 驚愕は一瞬。次の瞬間白目を剥いて崩れ落ちた男の背後には、拳を突き出した虎噛 千颯(aa0123)の姿があった。
 細く息を吐き出して拳を引き、白ぶちの尾を緩やかに揺らす……。
「クリア、でやがりますねー」
 物陰から姿を現したフィー(aa4205)が鞭を手繰り寄せながら間の抜けた声で告げると、後に続いて同じA班の符綱 寒凪(aa2702)とコルト スティルツ(aa1741)もひょっこりと顔を出した。
 ――ひょっこり、などと可愛らしい表現をしてみても、寒凪は両腕と首筋から右頬が半ばトカゲ人間のように変化しているし、コルトなどは全身虫人間のような姿に変貌しているので、絵面としてはだいぶ強烈である。
「無事無力化、か。二人共流石だね」
「ええ。ですが、時間がありませんわ。早く救助に向かいませんと。……内紛だなんて、物騒ですわね」
「古龍幇も一枚岩ではないと思ってたけどねー」
 昏倒させた男――古龍幇の構成員と思しき人物を手早く縄で縛りながら、三人は声を潜め合う。この隙に入れ替わりで先を急いだB班の面々とアイコンタクトを交わしつつ、協力して空き部屋の中に捕縛した構成員を押し込んだ。
(内紛、かー……)
 この時、千颯の顔には珍しく笑みがなかった。潜入任務という事で意図的に感情を抑えているのか?
 違う――そんな理由ではない事を白虎丸(aa0123hero001)は理解している。
『……今は救助に集中するでござるよ』
 脳内で語り掛ける、心なしか優しげな英雄の声に、千颯は歯を見せて笑む。だが小さなささくれのように、その思いは心の片隅に居座り続けた。
 果たしてあの憎めない“元大隊長”は、この状況をどう思うのだろうか……と。
「内部抗争、でやがりますかぁ……」
 そんな千颯とは対照的に、三人から少し離れた暗がりで嗤う影。
「小さい組織でも歪むもんでやがりますのに、こんだけデカけりゃ当然でやがりましょうなあ?」
 他の誰にも聞こえぬような小声で呟かれた、“まるで一度体験した事だとでも言いたげな”彼女の言葉に共鳴中の英雄、ヒルフェ(aa4205hero001)が脳内で囁く。
『楽シソウダナ? マア随分ト懐カシイ気モスルガナ』
「ははっ、何のことやら。さて……テディ・ベアがゲロっちまわねー内に、さっさと行きやがりましょーか」
 前進を再開した三人の背を、くつくつと喉を鳴らしながら追う――。

 約30メートル先――B班。
 バルタサール・デル・レイ(aa4199)は曲がり角に身を隠していた。隣で同じように壁に身を寄せる卸 蘿蔔(aa0405)に向けてハンドサインでカウントする。3――2――1――Go.
合図と同時に蘿蔔が駆けると、ほぼ同時に角の向こうから構成員が現れた。猫のように素早く背後に回った蘿蔔が睡眠薬を染み込ませたハンカチでその口を覆う。構成員は何事かくぐもった呻き声を漏らすが、すぐに抵抗を手離した。
 ぐったりと崩れ落ちた構成員を抱き抱え、小さく安堵の息を吐き出す蘿蔔。今更ながら、レオンハルト(aa0405hero001)と共鳴していなければこのような真似は逆立ちしても出来ないだろうと思った。及び腰になりながら「すみませんすみませんすみません……!」なんて延々と謝罪する己の姿が浮かび、苦笑を漏らす。
「他に見張りはいないようだ。手早く縛って進むぞ」
 バルタサールの言葉に、後方で待機していた榊原・沙耶(aa1188)と秋原 仁希(aa2835)も頷いた。
 ――否。沙耶はグラマラスで大人びた女性だが、今、その姿には少女の面影がある。
『劉さんのお願いだもの。失敗なんてさせられないわ』
「ええ。オーパーツを巡る新たな事件に気を取られていましたが……此方でもやるべき事はまだまだあるようです」
 沙耶と共鳴し、肉体の主導を握る小鳥遊・沙羅(aa1188hero001)の言葉に蘿蔔も頷く。
 そして、そんな彼女達のやり取りを眺めていた仁希もまた、その姿を大きく変じている。それは沙羅と同じく肉体の主導が英雄にある事を示していた。
『僕はー、潜入とかって得意じゃないからー、大人しーくみんなに着いてくよー』
 構成員を(わりと雑に)捕縛しながら飄々と手を振るグラディス(aa2835hero001)。だが縛り付けている男の顔を見つめる表情には仄かに理知の色が浮かんでいた。
(何か……違和感あるなぁ。んー……)
 古龍幇の内乱であると仮定し、裏切りが発生した『時期』に違和感を覚えていた。いや、或いはグラディスが感じている違和感は、その先にある、もっと漠然とした謎を捉えているのかも知れない。
 奇しくもこの時、バルタサールも同様の感想を抱いていた。
『正直な話、最近エージェント登録したばっかだから、古龍幇についてはよく知らないんだよね』
(まあ、そうなんだがな)
 脳内に響く紫苑(aa4199hero001)の言葉に同意を示しつつも、思考は冷徹に真実を射抜かんとする。
(だが主犯格の人物は情報がない……“外来種”の可能性がある。あのやけにお喋りな盗聴器についても、知っててわざと話しかけている愉快犯に聞こえなくもない。内乱を起こし、俺達を誘い出そうっていうんなら――)
『碌な奴じゃない、って? きみみたいなロクデナシに言われたんじゃ、おしまいだね』
 煙に撒くような英雄の物言いにバルタサールは肩を竦めた。だが、この場で何を考えても仕方がない事だ。
 これが血塗られた運命へ誘う“招待状”だと言うのなら――まずは主賓に挨拶を。
 サングラスの奥で瞳が、凍った。

 エージェント達は二班構成で行動していた。見張りと遭遇する度にこれをやり過ごし、時に昏倒させては縛り上げ、付近の部屋に放り込んで進む。
 これを交互に行う事で発見される危険を軽減しつつ、可能な限り脚を止めず手術室を目指す作戦だ。
 端的に言って、機能した。事前にルートに当たりを付けていた事も影響したが、A班の千颯とB班のバルタサールがそれぞれ先頭に立ち、手鏡を利用して索敵を行う事で隠密性に一役買っていた。
 誤算があったとすれば戦闘を回避する為の“待ち”の時間により、後続の班が先行した班に追い付いてしまう状況が屡々発生した事だが、これは全くの些事だろう。
「やあ、また会ったね」
『会いたかったよー。元気だったー? お土産あるー?』
『おう、ギョーザがたんまりとなっ』
 寒凪とグラディスが小声で軽口を叩き合えば、寒凪の英雄である厳冬(aa2702hero001)が顔を出して冗談を重ねる。思わず主導を握り返した仁希が「いや、静かにしようよ……」と諫めると、傍にいたコルトが笑みを――虫のような外骨格の内側で――漏らした。
(なあ、今回の主犯、お前と同じ虫らしいぜ。あいつらみたく仲良くなれるんじゃないか?)
 共鳴中のアルゴス(aa1741hero001)に話し掛ける脳内の声は他者に対する態度とは明らかに違う、少年のようなそれだ。
『ギチギチ……ギチ……』
(あんだよ、不満か? ま、それならそれで何時も通り、一切の情け容赦なく殺される前に殺すだけだがな。ヘマこいたら蹴るからな?)
『ギチギチギチィ……』
「あー、皆さーん、敵さんあっち側の通路に消え失せましたので、進みやがりますよー」
 フィーの言葉で一斉に口を噤む一同。このように雑談が出来るのは地下フロアの人員が想定よりも薄かったからだ。
 だが、と蘿蔔は薄暗い通路の先を見る。前方に見える階段を昇った先、即ち地上1階には手術室がある。見張りの数は地下よりも増えるだろう。
 まるで地下より地上へ這い上がる自分達が、寧ろ闇の底へ誘われているような錯覚を覚え……蘿蔔は唇をきつく引き結んだ。



(この人も、か……)
 寒凪は無力化した構成員を調べながら進んでいたが、予想した結果が中々得られずにいた。
(マガツヒの介入によるものじゃないのか?)
 口元に手を添えて思考を巡らせる寒凪。そう、寒凪は事件の裏にマガツヒ――数あるヴィランズの中でも特に危険とされる無法集団――の存在を疑っていた。
 いや、寒凪だけではない。グラディスも薄々とその組織の名前を連想していたし、バルタサールも主犯が外部の人間である事を疑っている。
(どちらにせよ、今はするべき事をするだけだ)
 構成員を隠した空き部屋から出て、寒凪が味方に合流すると、A班は再び前進を始めた。だが――。
(流石にスムーズとはいかないな……!)
 フットガードを発動させて先導する千颯が、弾かれたように壁に張り付きながら曲がり角の先を凝視した。後続の味方も慌てて習う。
 角の先には二人の見張りが立っていた。遠のくならやり過ごすし、近づくなら無力化する。どちらになるか観察していた千颯の笑みが引き攣った。悪い事に彼らは談笑を始めたのだ。
「動けないでやがりますね……」
「ちょっと遠いけど、やるしかないなー」
「わたくしは、いつでも」
「右に同じかな」
 四人が頷き合った瞬間、それは通路の奥から響いて来た。

「ギャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」

 遠くから聞こえるその声は、恐らくは救助対象である幹部の悲鳴。
 その壮絶な音色は彼が受ける拷問の苛烈さを物語る。エージェント達以上に狼狽したのは、目の前の構成員達だった。
 全員が同時に疾駆した。悲鳴に気取られた一瞬の虚を突き、フィーが鞭で構成員を絡め取り、顎を千颯の拳が撃ち抜いた。
 その隣で寒凪がスコップで頭部を殴って昏倒させる。地に伏したもののまだ意識があった構成員が声を上げようと口を開くが……無音で飛来した矢がその背に突き刺さり、男は苦悶の表情を浮かべて意識を手離した。
 構えていたクロスボウを降ろし、コルトは引き締めた顔で告げる。
「先を、急ぎましょう」

 悲鳴は、当然の事ながらB班の耳にも届いていた。A班と入れ替わる形で進んだ彼らは、蘿蔔と沙羅が主力となって敵を沈黙させ、グラディスが(けっこう雑に)敵を捕縛。
 本来なら味方を待つ所だが手術室が近い事もあり進む事を優先した。手鏡による索敵に加え、敵から入手した無線機を利用して配置状況を把握しながら先導を行ったバルタサールの貢献は大きく、B班の手際は見事であった。
 そして――。
(やはりいるか……)
 手術室前。物陰から様子を伺うバルタサールの瞳は、入口前で不動直立の見張りを見つめていた。
「動きませんね……これでは……」
「どうする? 爆破工作、お願いする?」
 不安そうな蘿蔔と、焦れたような沙羅。割れた手術室のガラスから、幹部の苦悶の呻きが聞こえるのだ。手をこまねいている訳にはいかぬという気持ちが、否が応にも煽られる。
 しかしバルタサールは「いや」と二人を制し、小石を右手に握った。
 見張りの正面に伸びる通路の暗がりに、一投。音に気付いた見張りは目を凝らす。
 更に暗がりに向けて投擲。不審がった見張りは銃を抜いて通路を進み、B班の方へ接近して来る。
 バルタサールのハンドサイン。5、4、3、2、1――。
 まず蘿蔔が見張りの眼前に黒霧を発生させた。驚愕した男は咄嗟に銃を構えようとするが、バルタサールが鞭で体の自由を奪う。霧が僅かに晴れた先に見えた、冷たく無慈悲な沙羅の紅瞳が、男が意識を手離す前に見た最後の光景となった。
 一閃――。
 鞭が解けた男の体は緩やかに傾いで……倒れた。
 沙羅は振り抜いたグリムリーパーを構え直すと、沙耶に主導を引き渡した。グラディスも仁希に肉体を預け、他の二人は武器を構え直した。程無くして追い付いたA班の面々も同じようにそれぞれの手に武器を顕現。見張りを無力化した事で突入が可能になった、眼前に佇む手術室を睨む。
 入り口は、匂い立つ死の気配を纏っていた。微かに聞こえて来る幹部の呻き声は、まるで死者が唱える呪詛のようだ。救命の代名詞たる手術室にそんな感想を抱く事の皮肉に気付いたのはフィーひとりだった。
 この中で行われる非道な行いを、ある者は怒り、ある者は恐れ、蔑み、或いは冷徹に分析している。
 沙耶は全員の準備が整うのを確認するや、その手に握る無線機に開戦の狼煙を告げた。
「――開始よ」



 轟音が建物全体を震わせた。爆発の衝撃が臓腑に響く。味方戦力による奇襲、退路確保開始の合図。
 エージェント達はこれに乗じて手術室に突入。同時に蘿蔔の手から球状のライヴスが投擲され、閃光が爆ぜた。
 畳み掛けるようにバルタサールとコルトの銃口が二重奏を歌う。三名のジャックポットによる強襲の連続掃射――果たして。

「やあ」

 そこに立っていたのは、黒髪に白いメッシュの入った、陶器のように白い肌を持つ人物。
 エージェント達に向かって、まるで待っていたとでも言いたげに薄笑みを浮かべている。
 その表情を見た幾人かが疑惑を深めた。やはり自分達は誘われたのか――?
 彼、或いは彼女は負傷していた。スレンダーな体を覆うボディスーツには複数の穴が空き、鮮血が滴り落ちている。奇襲に重ねた二つの銃撃は確かに届いていたのだ。しかし???は痛覚を感じさせぬ顔でエージェントらに向き直り両腕を広げた。
「“ご丁寧”に、ありがとう」
「言ってろ」
 その悠然とした顔に刃の刺突が迫った。力強い踏み込みから、槍を持ち本領を得た千颯の一撃。
 紙一重で回避――したかに思われた。一拍遅れて右頬が裂ける。???の反射神経と、千颯の槍術が拮抗した。いや――銃創とフラッシュバンが効いているのか。
 笑う???。猛る千颯。
「蟻か何か知らないけど、やる事が陰湿なんだよ……ッ!」
 千颯はこの時、救助対象を守るように接近していた。自然、その背に幹部の姿が隠れる。千颯の怒気の原因は、まさしくこの背に守る幹部の“姿”にあった。
 救出役たる仁希と寒凪がこの隙に幹部の元へ駆ける。二人の顔は、硬い。
「た、……助け、」
 か細い声で助けを求める幹部。彼は椅子に“打ち付けられていた”。両手両足、数えて二十の指が全て手すりと床に釘で打ち付けられている。
 拷問。
 事前の説明で理解はしていた筈だが、目の当たりにすると言葉を失った。???が手に持っていたペンチと数本の釘を放り捨てる――これ以上何処に釘を打つつもりだったのかと、横目で確認しながら仁希は内心で毒づいた。
「助けるよ、今、助けるから……っ」
「じっとしていて」
 救助作業に入る二人を見つめ、???が前傾。攻撃動作に入りかけたその横顔にライヴスの光が着弾した。
「悪趣味な実験ね……? 脊髄反射実験かしら。それとも神経興奮?」
 微笑みをたたえた沙耶が軽口を告げながら千颯の隣に並んだ。放ちしは聖なる輝き、パニッシュメント。
「……実験じゃない。お仕事だよ」
 無傷――。眼鏡の奥の瞳を細める沙耶。その場の全員が???に関する最初の情報を理解する。
「どっちにしたって叩きのめす事にゃ変わりありやがりませんがね――!」
 昏い笑みを浮かべながらその横合いに合金バットを叩き込むフィー。だがその一撃は軽やかに回避されてしまう。宙返りから着地した???とフィーの眼差しが交わる。
「君、僕と似た臭いがするね」
「穴に巣作って生活した覚えはありやがりませんがねぇ」
「それって蟻の話? 嫌だな、聞いてたの?」
 白々しいと、バルタサールは油断なく銃口を向けながら思った。その口調はまるで盗聴されていた事など最初から分かっていたかのようだ。
「ところで、君、邪魔」
 出し抜けに???がそう告げて人差し指を突き付けたのは、千颯だった。最も大きな障害と評価したか。瞬後、???の顔は千颯の眼前にあった。
「――ッ!」
 事前の情報に違わぬ“高速の移動”を以て接近した???。対応せんと槍を引き防御の構えを取った千颯の顔が、驚愕に染まる。
 ???が、増えたのだ。数えて五人の???が一斉に腕を振るい、都合五本のワイヤーが襲い掛かる。
 だが、実際にその身を刻んだワイヤーは一本だった。それも軽い――千颯の防御能力を以てすれば防ぐ事は容易い程に。
「――ッ!! ッが!?」
 だが、千颯は表情を歪める。
 仲間達は即座に異変を察した。緑髪の守り手は身体の自由が効いていない。恐らくシャドウルーカ―の――。
 戦闘は止まらない。???が更に行動を起こそうとする素振りを察知し、コルトが射撃を周囲の障害物に加えて倒壊させる。次々と倒れる機材を跳躍を以て避ける???。
 そこを、蘿蔔が霧を召喚させて――放つ。
「……っ、やるね」
 脚部を捉えた。ごく浅い傷だが確かに命中。然し蘿蔔の表情に余裕はない。
 蘿蔔の攻撃精度は一級品だった。それでも今の命中はコルトの援護を受けてなおギリギリだ。回避能力が高い――少なくとも真正面から攻撃しただけでは、蘿蔔であっても運を要求されるだろう。
「ちょこまかちょこまかと……面倒、ねぇ……ッ!」
 波状攻撃的に沙耶が鋭いライヴスを複数召喚し、射出。更に接近したフィーの合金バットがほぼ同時に振り抜かれた。
 だがやはり――跳躍し曲芸のように身を捻り、それら悉くを回避して見せる???。沙耶はその様を見つめながら苛立ちと昂揚の狭間にあった。
(厄介ね……でも“実験”は嫌いじゃないわ。果たしてどうメスを入れれば、あなたの臓腑を掻っ捌けるのかしら……!)
 影のように疾駆しながら、そんなエージェントらの様子を観察していた???は、その進路を鋭角的に転じた。
 視線が向く先にあったのは――蘿蔔。
「っ、」
 滲んだ警戒は、瞬後、瞠目に変わる。離れた位置にいた筈の???が瞬時に自らの懐まで踏み込んだのだ。
 優れた移動速度は、後衛までの距離を無に帰する――。蘿蔔の胴に???の拳がめり込んだ。
「蘿蔔っ!?」
『おい、大丈夫か……!』
「か……は……ッ」
 沙耶と、彼女の中のレオンハルトの声が重なった。目を剥き、足を縺れさせる蘿蔔。カバーは――届かない。盾役を担うつもりであった沙耶だが、咄嗟の防御を行うには敢えて攻機を捨てる必要がある。
 幸い、俊敏性と引き換えに破壊力が犠牲になっているのか、ジャックポットの彼女でも致命傷ではなかった。相手を毅然と睨み、声を絞り出す蘿蔔。
「あなた、誰……ですか……ッ」
「しがない虫けらだよ」
 舐めてやがると、コルトが苛立ちに舌を打つ。
 何処までも余裕を崩さぬその物腰が、コルトの信とする戦場への思いを、何処か冒涜しているように思えた。

「ごめんみんな、今終わる……っ」
 幹部に応急処置を施しながら、仁希の心は焦れていた。戦況は危うい。手術室に至るまでの作戦はほぼ完璧だった筈だ。
 だが自分達は敵の事前情報から、回避や移動速度といった具体的な能力の予測を立て、対策を打つ事が出来なかった。結果として――自分の救助作業は今、危うい均衡の上に成り立っている状態だ。
 一方寒凪は隣でククリナイフを用いて幹部を縛るロープを切断しながら、横目で敵を観察していた。
(遊んでる、かな……?)
 果たして本当に幹部から情報を引き出したかったのか疑わしい。本気でこの幹部に用があるのなら――千颯という盾が行動不能の今、狙うべきは蘿蔔でなく自分達の筈だ。
 最後のロープが切り落とされる。倒れ込んだ幹部を寒凪が受け止めた。彼は既に仁希が持参した睡眠薬で眠らせてある。タオルケットで包み、そして。
「――行けるよ」

 六人は仁希と寒凪を守る動きに移行。蘿蔔への攻撃から反転した???が薄笑みを浮かべながら二人の元へ疾駆しワイヤーを振るう。
 だが。
 横から割り込んだ槍が――彼らが傷付く事を許さない。
「まだ俺ちゃんは倒れてないぜッ、蟻んこちゃん……ッ!」
 狼狽から復帰した千颯が吼える。激情の滲む笑みを浮かべながら心の冷静な部分で敵の能力を分析した。
(火力は低いが、小技は利く――んでビュンビュン走るし、ガッツリ避ける! そういう敵を攻略する、には……っ!)
 思考は一瞬。返す刀で槍を振るうと、???は横飛びに跳躍。連続行動でワイヤーを構え、再びライヴスによる分身を作り出す。
「二度同じ手は、食いませんわ……!」
 その鼻先にコルトのファストショットが割り込んだ。後方に跳び回避するが――これが隙となる。
「私の事も、忘れやがらないで欲しいですねぇッ!」
 加速からの、一撃。
 仁希、寒凪、千颯、コルトに気取られた???の横腹に、フィーの合金バットが猛然とめり込んだ。
「――――ッ」
 微笑みを苦痛に歪めながら、衝撃に煽られて8メートル後退させられた???。
 距離が、空いた。
 ???の移動速度からすれば些細な距離だろうが、エージェント達が出入り口により近い位置にいる状況は値千金。
 期せずして訪れた瞬きほどの睨み合い。緊張を断ち口火を切ったのは――バルタサール。
「……お嬢さんかな、お坊ちゃんかな。ご招待に預かり光栄の極み」
 バルタサールと???の視線が交差する。銃口を敢えて床に向けた。コルトが静かに理解する。
(時間を……稼いでるのか)
「出来れば、お名前だけでも教えて貰えたら嬉しいね。今度は此方からデートに誘いたいもんだ――甲斐性を見せたがる、男の馬鹿な意地ってやつだがね」
「ふふ……面白い事を言うね、あなた」
 乗るかそるか、道化を演ずる賢者は相手の出方を注意深く探った。

「僕達は“新たなる古龍幇”だ」

 それは徐に、告げられた。
 言葉を、各々がどう受け取ったか。 
「……所属でなく、名前を聞いたんだがな」
「ああ、そうだよね――ごめんごめん。僕の事は、そうだね、月(ユエ)と呼んで」
「良い名前だ」
「ありがとう。デートのお誘い楽しみにしてるよ。――もうすぐ“あの薬”も完成するようだし」
「……何だって?」
 目を細めるバルタサール。薄笑みを浮かべるユエ。
 千颯は黙して槍を構え、蘿蔔は痛みに耐えつつ警戒し、沙耶は剃刀のように鋭く観察し、コルトは外骨格の内側で忌々しく睨み、フィーは興味深そうに嗤い――仁希と寒凪は、“薬”の心当たりから少なからず驚いていた。
 同時、沙耶の無線機に連絡が入る。
『――退路、確保!』



 幹部を背負った仁希を寒凪が守りつつ駆けた。追撃の気配を見せたユエの眼前に瓦礫が崩落する。コルトが榴弾を三連続で放ち天井を破壊したのだ。出鼻を挫かれたユエに向けてフィーの消火器が白煙を吐き出す。
 手術室を脱出すると彼方此方で飛び交う銃声が耳に届いた。隊長である古龍幇構成員の女が切迫した様子で駆けて来た。
「こっちです……!」
 恐らく、奇襲である上に退路の確保という目的のみを遂行しているから、彼らの戦況は保たれているのだ。フィーと沙耶は残念に思った。捕縛した敵構成員の回収までは余裕が回りそうにない。
 フィーが先頭に立ち消火器を噴射しつつ、殿に千颯、蘿蔔、コルト。蘿蔔が潜入時に仕掛けておいた携帯端末を囮にする等、工夫の光る撤退により比較的安全な流れとなる。
 やがて廃病院を脱出した一同は黒塗りのバンに飛び込み夜の道を疾走した。追っ手は――ない。
「あ、あの……っ」
 息を整えながら蘿蔔が、構成員の女に頭を下げる。
「い、色々、ありがとうございました。また……大変な時は……えと、よかったらまた、きょ……協力させて下さい、ですっ」
 傍らで聞いていた仁希と寒凪は、これを苦い思いで聞いていた。
 “その時”がそう遠からず訪れるという、確信があったからだ。



 仁希、寒凪の提案により幹部の身柄は一時H.O.P.E.で引き取る事となった。
 狂化薬という、以前マガツヒが使用した劇薬を投与されている事を警戒しての提案だが、実際のところは安全確保という色合いが強くなった。
 事件に対する働きにより、劉士文からH.O.P.E.への信頼はより厚いものとなった。
 一方、内部の人間が古龍幇幹部を拉致拷問したというニュースは衝撃と共に組織を走り抜け、軋轢を刺激した。
 表立っての抗争には至らないものの、この事件を境に目に見えぬ溝が深まり、静かに、けれど激しい嵐が吹き荒れ始めた。
 一度は未来を謳った運命が、今、新たなる流血の気配に脅かされようとしている……。
 だが、それでも。
「――香港協定の場にいた身として。その協定においてH.O.P.Eを信じ、共に歩む道を選んでくれた劉さん達の思いを……終わらせる訳にはいかないわ」
 爪を噛み、前を見据える沙耶の瞳には――なおも強く輝く光が灯っていた。

 ――Next stage,“NEO KURONPAN”.

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
  • Trifolium
    バルタサール・デル・レイaa4199

重体一覧

参加者

  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
    人間|24才|男性|生命
  • ゆるキャラ白虎ちゃん
    白虎丸aa0123hero001
    英雄|45才|男性|バト
  • 白い死神
    卸 蘿蔔aa0405
    人間|18才|女性|命中
  • 苦労人
    レオンハルトaa0405hero001
    英雄|22才|男性|ジャ
  • 未来へ手向ける守護の意志
    榊原・沙耶aa1188
    機械|27才|?|生命
  • 今、流行のアイドル
    小鳥遊・沙羅aa1188hero001
    英雄|15才|女性|バト
  • 木漏れ日落ちる潺のひととき
    コルト スティルツaa1741
    人間|9才|?|命中
  • ギチギチ!
    アルゴスaa1741hero001
    英雄|30才|?|ジャ
  • 鋼の冒険心
    符綱 寒凪aa2702
    人間|24才|?|回避
  • すべては餃子のために
    厳冬aa2702hero001
    英雄|30才|男性|バト
  • 日々を生き足掻く
    秋原 仁希aa2835
    人間|21才|男性|防御
  • 切り裂きレディ
    グラディスaa2835hero001
    英雄|20才|女性|バト
  • Trifolium
    バルタサール・デル・レイaa4199
    人間|48才|男性|攻撃
  • Aster
    紫苑aa4199hero001
    英雄|24才|男性|ジャ
  • Dirty
    フィーaa4205
    人間|20才|女性|攻撃
  • ボランティア亡霊
    ヒルフェaa4205hero001
    英雄|14才|?|ドレ
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