本部

この愚神達を今は黙認するか選択せよ

岩岡志摩

形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/01/10 22:34

掲示板

オープニング


 その老人は、自分の体から何かが吸い出されていく感覚に包まれていた。
 しかしそれ以上に、あれだけ自分の全身の中で暴れ、自分を責め苛んでいた痛みの感覚が急速に消えていくことが、老人には嬉しかった。
 やがて自分の体に触れていた女性の手が離れ、吸い出される感覚も終わりを告げる。
「これで痛みとの戦いはしばらく収まる」
 白衣を着た女性が、つい先ほどまで老人に触れていた手にペンを持ち、紙に何かを書きながら目の前の診察用ベッドに横たわる老人に告げた。
「毎回思うんじゃが、痛みがないというのはとても嬉しいもんじゃ。体が動かしにくいのは仕方ないが、そこまで望んだら罰があたる」
 老人の顔は先程まで苦痛に悶え苦しんでいたのが嘘のように晴れ晴れとしていた。
「毎回言ってるけれど、これは治療じゃない。痛みになるものを『喰う』だけ。健康になるとか、寿命が延びるとか、人間で言うところの『健全』ではない」
 淡々と白衣の女性は老人に自分が施した行為を説明するが、老人の顔から笑みが消える事はなかった。
「それでもワシには健全な痛みだらけの生活よりも、今の痛みのない生活の方がいい」
 やがて白衣を着た女性の指示で、人の姿をした、しかしどこか人間離れした部分のある存在達が、老人の体を病室まで運んで行く。しかし運ばれていく老人には恐怖の表情はなく、むしろ運ぶ存在達へ感謝の言葉を向けていた。
 老人が去った後も、次の『患者』が女性のもとへ運ばれてくる。
 そして女性はその『患者』に問診のようなものを行った後、手をかざして同じような事をした。
 それ以外でも行っている医療活動の合間を縫って、休息をとる女性はため息をついた。
「この世界の人間達は、この類の人間達の面倒を見るのがそんなに嫌なのか? 『私』は困らないから、別に構わないけれど」
 目の前にある書類の上には、自分の運営する介護施設への入所を希望する人達の名前の列がずらりと並んでいる。
 意思疎通もままならないほど衰弱した人達の介護についてや資金面は『同志達』の支援があるので何とかなるが、『彼女』の事情を知った上で、ともに働く医師がいるのか『彼女』には想像できない。この施設でも典型的な人手不足に悩まされていたが、『彼女』の事情がその解決を阻んでいた。
 女性の名前は橘(たちばな)美弥(みや)。主に快復の見込みがない末期患者の介護や看病が得意分野だが、それ以外でも大概の医療活動はこなせる医者であり。


「そして『ある特殊能力』により、恩恵を受けている人々から、その手勢ごと重宝されている愚神でもあります」
 スクリーンに映し出された女性の姿を見ていた人達は、担当官の言葉に驚きを隠せなかった。
「この愚神の特殊能力というのは、人のライヴスを喰う時、特定の部位の活動を抑えたり、または『喰う』ことで消すというものです。具体的に申しますと、人の体内にあるがん細胞を『喰ったり』、痛みを司る神経の働きを弱くして、その人の体から痛みを取り除く、などですね」
 ただしライヴスを喰う事には変わりないので、その人の寿命が延びたり、健康な体になるというわけではない。
「また人間の世界に溶け込んで医学系の大学試験に合格し、大学の医学部で知識や技術を学び、研修医となり、正式な手続きを踏んで医師免許を取得していますので、この愚神が行う『医療活動』はほぼ合法の範囲内です」
 つまり表向きは正式な医者なので、無資格での医療行為を理由に討つのが難しい状況だ。
「ライヴスを喰うだけの存在でしたら討伐対象にしやすいのですが、この愚神の場合、他の医者から『手の施しようがない』と言われる末期患者の面倒を引き受けたり、患者達の介護や看病が得意なので、自然とこの愚神のもとへ、そうした末期患者の方々が、全ての事情を知りながら、自分から望んで集まってくるという『需要』があるので、この愚神の討伐を難しくさせています」
 さらに調査の結果、この愚神は人が立ち入らない野生動物が暮らす山奥と、人間達が暮らす地域の間にドロップゾーンを形成していることが判明し、しかもそのドロップゾーンを現地の人達が黙認している事が判明し問題がややこしくなった。
「現地の方々が黙認している理由は、山から降りて来ては作物を食い荒らす『害獣』達を、この愚神のドロップゾーンがせき止めている為です。実際にこのドロップゾーンが形成されて以降、現地での農作物への獣害が激減している事から、獣害対策にはなるでしょうが、ゾーンが固定化し、『害獣』とされた動物達のライヴスを収奪している事に変わりはありません」
 別の見方をすれば、住民達の平穏な生活を人質にしているため、始末が悪い。
「愚神としての名はヒーリショナー。そして利害の一致で手を組んだ『シュドゥント・エジクタンス』(あるはずのない存在達)という名称の愚神集団に所属しています」
 そして担当官は改めて目の前で話を聞くエージェントたちに向き直る。
「皆様にお願いしたいのは、『この愚神を現段階では黙認するか、否か』を、実際にこの愚神と会話した上で判断する事です。黙認する場合につきましては、人間に危害を加えない事も含めた協定を取り交わしてください。もちろん相手は愚神ですから協定を破るでしょうが、次の時『協定を破った』ことは、この愚神と繋がっている人達を黙らせて、この愚者を退治できる正当な理由になります。今回倒す場合はこの限りではありませんが、間違いなく周囲の末期患者たちや、恐らく『彼女』の所属する愚神集団の存在達が救援に駆けつけ、迎撃の末、逃げられる可能性が高いです。それを踏まえての選択や行動をお願いします」
 そしてこれは非常手段の案でもありますが、と担当官はとんでもない事を周囲の人達に提案し頭を下げた。
 担当官が出した非常手段とは、『今後別の愚神から救出できた保護対象者を一時保護する場所として、この施設を一時利用する事を認めさせること』だった。
 本来愚神は人間に対して良いことはせず、この愚神の場合は『偶然ライヴスの収奪手段を含めた自分の活動が、人間達の利害と一致している』だけに過ぎない。
 しかし自身を攻撃された場合は、愚神は自分を守るため、たとえ相手が同じ愚神だろうが迎撃する。
 この愚神の施設を利用するという選択は、今後別の愚神がその施設内に保護した対象者を襲撃する事態が発生した場合、この愚神達をその愚神との戦いに引きずり込む事に繋がるので、周囲に思わぬ影響が出る危険性がある。
 しかしやり方次第では襲撃に来た愚神を、この愚神及び愚神集団との戦いに釘づけにし、その間に自分達は人々の避難誘導、護送に専念できる猶予を作ったり、愚神同士が戦う状況から各愚神達が持つ能力の把握ができる面も否定できない。
「ご判断はお任せします」
 こうしてこの愚神を今は黙認するか否かの選択が皆様に委ねられた。

解説

●目標
 この愚神と接触し話を聞いたうえで、今は黙認するか、退治するか選択せよ
 黙認する場合は今後討伐を正当化する為に必要な協定を取り交わし、退治する場合は愚神の抱える問題への具体的対策を提示する事

 登場
 愚神
 人間の時の名は橘美弥。愚神としての名はヒーリショナー。治る見込みのない末期患者の介護や看病が得意だが、正式な医師免許もあるので大概の医療行為が可能。外見上は細身の女性医師の姿。
 利害の一致で手を組んだ愚神集団「シュドゥント・エジクタンス」(略称SE)に所属する1体。総数不明。
 調査の結果ドロップゾーン保有が判明しているので、ケントゥリオ級と目される。
 
 特殊能力
 『痛み喰い』
 人からライヴスを喰う時、がん細胞や痛みを司る部位など、特定の部分から喰い、その人のがん等を『喰ったり』痛みを抑えるなどの効果があり、受けた人は痛みのない生活をしばらく送る事ができるが、ライヴスを喰われている事に変わりなく、健康になったり寿命が伸びたりしない。
(PL情報:識別不可の範囲回復術、状態異常回復術も使用可能。戦闘を選択した場合、愚神側の増援が3ターン後に来て実質難易度が1ランク上がる)
 
 従魔達
 推測でミーレス級。末期患者達を運ぶなど肉体労働系の作業に使用されている。戦闘能力は低い。

 患者達
 『彼女』のもとへ自分の意志で集った末期患者達。全員が『彼女』の正体を知っている上で『治療』を望んでいる。

●状況
 とある街にある病院兼介護施設。医者は『彼女』1体のみで、肉体労働系の作業は『彼女』の指示で従魔達がこなし、それ以外の業務や作業、患者への食事や入浴介助などの世話は『彼女』と全ての事情を知る施設職員達がこなしている。なお職員達への報酬はどこから調達したのか、相場と比べ倍以上の額が支払われており高待遇との事。現在入院・入所希望者の数が収容可能限界数を超えている。今回申請すれば無線機の借用可能。

リプレイ


 その施設は、近くの市街地を過ぎて車でおよそ15分という丘の上にあった。
 建物の外観は、人間達の使用する同系列の施設のものと全く同じで、ありふれたものだった。
 しかしその中に、とある愚神とその手勢である従魔達が、施設で暮らす人々と共にいるという、信じがたい話がH.O.P.E.にもたらされたのが、事の始まりだった。
 愚神は総じてこの世界の人間達にとってはライヴスを収奪する脅威であり、討伐すべき存在である。
 しかし少なくともこの愚神と配下である従魔達に関しては、この施設に暮らしたり、周囲にいる人間達にとっては、必要とされる存在との事だ。
 H.O.P.E.が調査を進めれば進めるほど、危険性と共に、この愚神を今すぐ討伐する事が難しい状況が次々と判明し、H.O.P.E.は判断に悩み、実際この愚神がどういう存在なのかを確認する為、今回の依頼は出された。
 不測の事態に備えて手配されたH.O.P.E.別働隊の案内を受け、施設前に到着したエージェント達は次々と建物の中へと入っていく。
「特に問題はなさそうだ」
 黒のトレンチコート姿の八朔 カゲリ(aa0098)が、歩きながら周囲を見渡した後、冷静な声でそう呟き、傍らで歩く着物姿の少女、ナラカ(aa0098hero001)も頷いて同意を示した。
 少なくとも、ここにいる人間達は、何かに怯えている様子は見られない。
 周囲にいる人達の何気ない動作を、その鋭い観察眼で、カゲリやナラカが探った結果だ。
 その後ろでは、和風装束を纏うカグヤ・アトラクア(aa0535)がこみ上げる嬉しさを必死に抑えこみながら歩いていた。
(あぁ、嬉しいのぅ。やっと交渉に至れる愚神との邂逅じゃ)
 そんなカグヤを眠そうな目でクー・ナンナ(aa0535hero001)が見つめながらも、カグヤの後をついていく。
 カグヤは喜びながらも愚神という存在に対し、自分とは異なる様々な視点や感情の持ち主たちがいる事は承知しているので、余人に聞かせてはならない部分は心の中に留め周囲への配慮は怠っていない。
「珍しい愚神もいたものだな。貴様、どう思う?」
 大きな角を頭に生やし、紳士の雰囲気を醸し出すエアリーズ(aa0595hero001)が、歩きながらも隣にいる、ある意味『教え子』ともいえる伊東 真也(aa0595)に向けて、真也の感想などを尋ねていた。
 真也は悩みながらも、思いついたままに、自分の気持ちをエアリーズに告げる。
「んー、相手が愚神でも人間でも、良いことしてるなら、良いんじゃない?」
 真也から発せられた言葉に、エアリーズは尊大な口調と共に頷いた。
「まあ、それも確かに正しい」
 行動自体はライヴスの収奪という、愚神にとっては当然の事だが、今回に限っては人間達にとっても『良いこと』に繋がっていると、真也もエアリーズも判断していた。
「その愚神のねーちゃん、美人だと嬉しいんだけどな」
 アイザック ベルシュタイン(aa1578hero001)の発した呑気な言葉を、横から聞いた赤谷 鴇(aa1578)がたしなめるような口調でアイザックに釘をさす。
「仕事だからね?」
「わーってるって」
 手をひらひらさせながら、軽い調子で鴇にアイザックは答えるが、内心では鴇の事を案じていた。
 ごく普通に振る舞う鴇の中に、愚神のせいで大切なものを奪われ、鴇は見えない慟哭を堪えながら、今に至るしかなかった事を、アイザックは知っているから。
 2人の目的は、協定締結よりも、今回の愚神及び、その愚神が所属する愚神集団『シュドゥント・エジクタンス」(ある筈のない存在達。以下SE)に関する情報を集める事だ。
 歩みを進める鴇からやや離れた場所で歩く、宿輪 永(aa2214)の唇から億劫そうな言葉がこぼれ出た。
「……許せる……はずが……ない」
 永もまた愚神達に大切な人達を奪われた人間達の一人で、奪われた者として当たり前の感情が永の中にあった。
 俺から大切な全てを奪いつくした愚神達は、全て討伐すべきだ。
「ハル……」
 その傍で、宿輪 遥(aa2214hero001)が、そんな永に案ずる声を向けるが、ぼそぼそと永は『当面の』方針を口にした。
「……今は、黙認、する……」
 それすら俺は腹立たしく忌々しいが、と永は内心で呟く。
 同様の経験と感情を、執事然としたファンブル・ダイスロール(aa1932hero001)を従えて歩く咲魔 慧(aa1932)も抱いていた。
 当初は慧や永も、この地域の自治体など、周辺の関係機関に直接出向き、それぞれが柔と軟を織り交ぜて『ドロップゾーンや愚神がなくなった後』の対策をするよう迫るつもりだった。
 しかしエージェント達より『黙認する側にもそれぞれの事情があり、自治体や周囲の人々だけの努力で解決する話ではない』と諭され、関連する法律の書物などを調べる内に、状況を把握し、それぞれの事情に思い至ることができた。
 畑などに育つ作物を荒らす動物達が引き起こす『獣害』に対し、自治体や周囲の人達のできる事は国の定めた法律の範囲内に制限されている。
 狩る事ができる動物の数や種類。行える場所。実行可能な人達。その方法。その回数全てが、国のあらゆる法律で厳しく決められ、自治体や関連機関のそれ以外やそれ以上の行動を縛るが、動物達にはそんな法律には縛られずに動く。
 放置しているのではなく、自治体や周囲の人達は、法律に拘束され『十分な対策を行う事ができない』状況なのだと、慧や永は思い直し、協定締結後は自治体ではなくH.O.P.E.へ『どうすればいいか』相談を重ねるつもりだ。
 愚神は憎いが、一方で事後に起こるである事態を予測し、その時どう周囲の人間達を守ればいいのか、現実を受けいれ思慮する分別は慧や永にはあった。
「キサマの仕事は、『アレ』との休戦協定を締結させることにゃんだよっ!」
 明るさの中にどこか冷静な一面を醸し出すふぁらんくすVII(aa2563hero001)が、誓約相手を『キサマ』呼ばわりして檄を飛ばす。
「ビィ、俺ホントこういうの苦手なんだよ?」
 水仙 ゐづる(aa2563)はそんな誓約相手にも穏やかに対応し、明るさで不安を押し隠しながら、歩みを進める。
 実のところ、ゐづるは人間と愚神とは相いれない存在同士だと思っていたが、今回集った仲間達と事前に相談し合い、方針は決まっている。
 橘(たちばな)美弥(みや)こと愚神ヒーリショナーと話をして、その行動を実際に確認し、できるだけ情報を集めて、全てを精査したうえで、愚神ヒーリショナーを『今は』黙認するか否かを判断する。
 そして黙認する場合は、H.O.P.E.とその愚神との間で、黙認の条件を取り決めて、協定を結ぶ。
 ふぁらんくすVIIの言う休戦協定とは、この愚神が現段階では討伐できない状況だと、エージェント達が判断した時に、愚神との間で取り交わす様々な取り決めの事だ。
 それらはH.O.P.E.が今後この愚神を討伐する為の大義名分を得る部分もあったが、その本質は。
「この施設や周囲で暮らす人々の笑顔と安寧を守るためです」
 落ち着いた雰囲気を湛えた葛井 千桂(aa1076)の言葉が、協定の本質を示していた。
 全ては人々の笑顔と安寧のためとする千桂の言葉に、転変の魔女(aa1076hero001)は頷き、そんな千桂の願いを叶えようと覚悟を固めていた。
 様々な思惑と共に、エージェント達は目的地である橘美弥の執務室に到着する前に、その前で佇む『それ』に遭遇する。
 白衣を着て、『橘』と書かれたプレートを首から下げている女性の姿をした『それ』が、エージェント達の目の前に立っていた。


 真也はその姿とプレートを見て、ごく普通に挨拶した。
「こんにちはー、愚神さん。えと、なんて呼べばいい?」
 一瞬周囲の空気が凍りついた気がしたエアリーズは周囲を見渡すが、周囲で動いている施設の人達や、暮らしている患者達と思われる人間達は、一瞬自分達の方向を見た後、驚いた様子もなく、再び視線を戻して目の前を往来している。
(本当に『これ』が愚神だとみんな知っている)
 エアリーズが内心で驚く中、『愚神さん』と真也に呼ばれた『それ』も、普通に真也に告げた。
「ヒーリショナー。橘美弥。愚神。君達の好きに呼べばいい」
「では橘さん、と呼ばせて頂きます。私は葛井千桂と申します。今回はよろしくお願いします」
「わらわはカグヤ・アトラクアじゃ~! よろしゅうたのむぞ~!」
 真也の横から千桂が前に進み出て、橘と呼んだ相手に頭を下げる中、嬉々とした表情のカグヤが橘の傍に近づく。
「はじめまして、ヒーリショナー! 僕は水仙ゐづる。仕事は……。えーと、接待を行う飲食店というのは分かる? 行ったことは?」
 それまでエージェント達の名前を聞きながら、片手に持った書類に、すらすらとペンを走らせていた橘ことヒーリショナーは、書類から視線をゐづるに向け答えた。
「私は行った事はないけれど、知識としてなら知っている」
 その答えにゐづるは、やや大仰に驚いた声を上げた。
「スゴイよ、会話成立してる。君、ほんとに愚神?」
「そうだ。そして君は……『明るい』人間?」
 橘の言葉に、ゐづるは胸を張ってこう言った。
「僕のとりえは明るいところと、美形なところと、誰にでも何にでもわけ隔てなく優しいところと、どこかの由緒ある家柄の御曹司なところ『だけ』だからね!」
 世の殿方が聞かれたら、怒りで暴動が起きかねないゐづるの発言に、それまで険しい表情を浮かべていた慧と永の顔が、呆れたような表情に変わる。
 無言でふぁらんくすVIIがゐづるの前に回ると、手を伸ばして髪の毛を掴み、強引に引きおろして、ゐづるの頭を下げさせた。
「無理はしなくていい。私は何と思われようと構わない」
 橘からの言葉に、それまで『痛い』『黙るにゃ』の応酬を続けていたゐづるとふぁらんくすVIIがぴたりと止まる。
 実は先のゐづるとふぁらんくすVIIのやりとりは、目の前の愚神が理性的に会話ができる事、自分達に愚神への敵意がないこと、そして愚神が攻撃的でないことを周囲に知らせる為の演技だったのだが、同時に道化を演じる事で、陰悪な雰囲気を和らげようとする為の配慮でもあった。
「話が通じる相手のようだ。俺は八朔カゲリだ」
「私はナラカだ」
 冷静にカゲリが一連の反応を見て、わかっているとばかりに一瞬ゐづるに視線と言葉を送った後、カゲリはクールに、ナラカは快活に自己紹介をした。
 以後もある者は普通に。ある者は尊大に。ある者は軽い口調で。ある者は礼儀正しく。ある者は言いにくそうに、ある者は口惜しそうに、ある者は厳然と、ある者は眠そうにと、様々な形で名乗りを上げていく。
「話は聞いている。どうぞ」
 それまで書類に走らせていたペンをしまい、橘が執務室の扉を開けると、率先して中に入り、エージェント達も次々と中へ入っていく。
 橘に通されて、話し合いの場となった『橘美弥』の執務室には、大きなスペースが取ってあった。
 簡素な机の前に応接セットが置かれ、そこで打ち合わせどころが小会議くらいまで、催せるようになっている。
 統一された色調のもと、床や壁も整えられ、1方向の壁面だけ、造り付けの本棚で、そこには橘美弥という人間にして医師になる為に必要な知識の源が並べられている。
 知識欲の塊でもあるカグヤはその本棚に詰め込まれた知識の群れにとても興味があったが、今は眼前の愚神との会話を最優先に考えていた。
 1体が応接用の椅子に座るのに対し、急遽増設されて構成された応接セットの椅子に16人が並んで座るという構図で、話し合いは始まった。
 

 鴇達が情報収集を開始する。
 SEのメンバー。その中でヒーリショナーがSEに与える利益や役割。そしてSEの利害や目的について、鴇は質問を重ねていく。一連の質問に対し、ヒーリショナーこと橘は淡々と答えた。
「全部で5体。私、マニブス、ループス、エンヌ。それらは私と同じくドロップゾーンを持つ。後は、人間のラカオス」
 最後の部分にエージェントが内心驚く中、橘は他人事のように回答を続けた。
 自分の役割は集団における回復役。SEの目的はライヴスの収奪及び『自分達を強くする事』。
「他のメンバーの能力や役割も教えてくれませんか?」
「貴女が愚神集団に名を連ねるのはなぜでしょう? それはより効率的にライヴスを集めるためであり、絆ではない。違いますか?」
 鴇の質問とゐづるからの問いに、橘は素気なくこう言った。
「君達が特殊と定義する能力は、私とマニブスの能力以外の存在達には『ない』。私達は全員弱いから、集まって集団になった。そして君達の言う通り、それはライヴスを収奪し、生き延びるためだ」
 意外な答えに、鴇やゐづるは内心驚いたが、同時に2人ともその内容に納得する。
 確かに強ければ余計な手間をかけず、愚神達は堂々と人間達からライヴスを収奪する。
 しかし目の前の愚神はそうでなく、わざわざ収奪対象である人間に溶け込む手間暇をかけている。それは、見方を変えれば、正体が露見したら即座に討たれる弱い存在でもあるという事だ。
「そなた達は、何らかの人間の組織と繋がりがあるのか? 見たところ、そなたに施設の運営や経営ができるとは思えぬが」
 その他にも苦労した点、他のメンバーは何をしているかなど、カグヤからの嬉々としたあらゆる質問に、橘はよりとんでもない回答を返した。
「一番繋がりが多いのはラカオス。手配や運営、経営とかいう、できない事は全てラカオスがやっている。私達はラカオスのやり方通りに動き、人間達と繋がり、君達がいらないと捨てる命達を喰いながら、『教わっている』」
『強くなりたければ、同じ弱い存在である人間達が、強い存在を克服してきた術を、貴方がたも身に着ける事です。ライヴスなど、人間達はあちこちで沢山捨てています。ほら、ここにも、あそこにも』
 そんなラカオスの提案に従い、この集団は他の生物たちのライヴスも奪いながら『学んでいる』という話だ。
「それは具体的にどういった内容なんだ?」
 『教わっている』という単語に反応を示したエアリーズが、真也に代わって橘に尋ね、橘よりSEの更なる情報を引き出す。
 エアリーズが引き出した、SE達の学んでいるものは。人間達の培った格闘術や武器を駆使する術。情報を集め、広める術。密かに人々の狭間で受け継がれてきた魔術。
 一部の例外を除き、普通の人間達が習得する事が可能な、困難に打ち克つための様々な普通の手段だった。
「そして私も人間から『医療』を教わっている。君達の言う他の愚神達は、私達を『家畜に媚びて、家畜の悪あがきを学ぶなど、愚かな連中だ』と嗤っているから、君達が私達を愚神と呼ぶのは正しい」
 どこが愚かだと、内心カゲリは呟くと共に、目の前の愚神の恐ろしさを冷静に見抜いていた。
 収奪対象であるはずの人間に教えを乞い、人間達の有する強くなる為の術を身につける愚神達。
 それがライヴスの収奪が目的であるとしても、今後の展開次第では、手強くもなる。
 一連の状況を『お膳立て』したラカオスという人間が気がかりだったが、話は愚神への提案へと移る。
 まずは千桂からの、橘を名乗る愚神への嘘偽りない気持ちを伝える事から始まる。
「貴女が身勝手な愚神でないのは理解してます。身勝手な愚神ならライヴスを奪う以上の医療行為なんてしない。私は終末期の患者を笑顔にできる貴女を尊敬します」
 千桂の言葉を引き継ぐ形で転変の魔女も現状を橘に説明する。
「そんな貴女を、なぜH.O.P.E.が警戒しているか。それは貴女という愚神に対する恐れがあるからです」
 愚神は人間達にとって脅威だということを、千桂も転変の魔女も承知している。その上で2人は提案する。
「けれど、利益で繋がる存在は容易には切れない。だからこそ、H.O.P.E.が貴女から利益を受ける関係を築けば、貴方はH.O.P.E.に討たれにくくなる。如何です?」
「具体的には?」
 橘の問う声に、それまで話を聞いていたカゲリが橘に提案した。
「おまえがいる施設で働く人員の増加だ。人手が不足しているんだろう? 医師もお前だけと聞いている。医師や必要な人材をH.O.P.E.が募集をかけて、必要な時に派遣する。一連の業務にかかる費用などはお前達が負担すれば、H.O.P.E.はお前から利益を受ける関係になる」
 実はカゲリは、人手不足を解消するという利をちらつかせ黙認をとりつけるつもりだったが、人員増加にかかる費用が問題になると考えていた。
 だが、千桂からの『利益で繋がる』という話を聞くうちに、その負担を愚神側にさせれば、H.O.P.E.の費用面での負担はなくなる上に、結果的に千桂や転変の魔女の提示する『利害関係』を構築できるとカガリは思った次第だ。
 永も億劫そうな口調で提案を口にする。
 患者にどのような治療を施しているのか患者家族に説明をする機会を作るのはどうか。最後は家族の家に返してはどうか。
 家にいる家族達に患者を引き渡せば、後の事は人間達がしてくれるから、愚神の手間は省ける。
 内心では怒りを覚えつつ、愚神側の利になる話を、ぼそぼそと、永は説明する。
 あの人間達の未来は、大切な人達と共に暮らし、最期は人間達のいる家で家族に看取られながら安らかに逝く事。それ以外の未来は許可しない。
 角度は違うが、永の考える患者という人間達が向かうべき未来は、千桂のそれと同じだった。
「それで君達の気が済むならそうしよう」
 橘は永の提案を受け入れる。
「俺から付け加えることがあるとすれば、そうですね……。この街の人と良好な関係を築いてくれる事を、期待しています。ええ、『末永く』。それ以外には、特に何も」
 末永くなどできるはずがないと、慧は内心で呟く。
「餌としてではなく、人として見る組織であるのなら、もっとうまくこの世界へ溶け込む術を教えよう。じゃから連絡先を教えてくれぬか?」
 カグヤからの提案と質問に応える形で、橘は立ち上がると自分の机に戻り、机の中から名刺の束を取り出すと、1枚ずつこの場に集った能力者達に手渡した。
「それはラカオスが作った名刺だけど、連絡先はそこに書いてある。ただの紙だけど、嫌なら捨てていい」
 その時、部屋に前触れもなく何かの呼び出し音が鳴り響く。
 橘が懐から取り出した機器を見て、エージェント達に告げた。
「私が必要になったようだ」


 橘の案内のもと、到着したエージェント達を待ち受けていたのは、医療用ベッドの上で苦悶の声を上げて、のたうち回る患者達の姿だった。
「この中で希望しない人間は?」
 橘が近くにいた施設職員に問うと、職員は『この場の全員が希望しています』と答えた。
 そこから橘は忙しなく周囲の施設職員に指示を飛ばしながら動き出した。
「わらわも手伝うぞよ」
 カグヤが真っ先に合流すると、千桂、転変の魔女も加わり、永と遥もその目的のため加わり、なし崩し的に全員が『治療』とその後の処置を手伝う形になった。
 暴れ回る患者達がベッドから転落しないように、真也、エアリーズ、鴇、アイザック、ゐづるやふぁらんくすVII達が手分けして患者をできるだけ抑えこむ間に、橘が患者の体に触れていく。
 もしライヴスの流れを可視化できるライブスゴーグルなどの装備があれば、この時患者からライヴスが橘の触れる手と介し、橘へと流れていくのが見えただろう。
 患者の顔が苦悶から安堵に変わると、橘は『後は頼む』とエージェント達に告げ、次の患者のもとへ駆けつける。
「教えて欲しい。治療を受けた時、どんな感じだったんだ? 痛みが消えるっていうのは、どんな感じなんだ?」
 永に代わり、遥が『治療』を受け、穏やかな表情になった患者に向けて次々と質問をしていく。
 苦痛から解放された患者達は口々に、遥に向けて異口同音にこう告げた。
 何かが吸い出される感覚と共に、痛みという化物が退治され、痛くなくなった。だるいのは仕方ないと。
 その言葉を聞いていた永は、見えないが『この愚神は患者という人間からライヴスを喰っている』と確信した。
 やがて痛みから解放された患者達が、施設職員ではなく、少し人間と異なる姿の『従魔』達の手によって運ばれていく。
「何をするつもりだ?」
 ファンブルと共に不本意ながら作業を手伝っていた慧が従魔達の姿を見て、疑わしげな視線を橘に向けるが、橘は慧に素気なく答えた。
「洗浄。君達で言うと入浴させて清潔にする」
 だがカゲリは、従魔達の動きが、人間のそれと比べてぎごちない事を見抜いていた。
「恐らく人体運搬を目的に作られたんだろうが、動きがぎごちないな。不便じゃないか?」
「従魔は、命令された事しかできない。考える能力がないから、1つ1つ指示する必要がある。確かに『不便』だ」
 あっさり橘は白状し、ナラカと共に患者の入浴作業を手伝いながら、カゲリは橘に告げた。
「こういう時、H.O.P.E.なら俺達のような能力者や英雄を派遣して、助けてくれるぞ」
「なるほど。今回の君達のようにか。確かに、いれば不便ではない」
 後ろではエージェント達が時々共鳴化する事により、これまで職員達のできなかったことを次々とこなし、患者達や職員達の信頼を勝ち得ていく。
「思い出というのは、何をしたか、どこにいたかが重要ではありません。誰と一緒にいたかが大事だと思います」
 医療活動を手伝った後、転変の魔女と共に厨房や道具を借りて、作成したオードブルを職員達やエージェント達に振る舞いながら、千桂はそう告げる。
 千桂と転変の魔女からのオードブルは、薄く切ったナスのソテーにバジルペースト。
 ナスは、ジューシーさと香ばしさの両方を残した絶妙な焼き加減。
 じわりと染み出す甘味に、バジルペーストの刺激が加わって、後を引く美味しさだ。
 その美味に職員達が沈黙して食べ続ける中、それぞれが橘と2人きりになり、話を重ねていく。
「患者達の笑顔と思い出を守るため、私達との協定に応じていただけませんか?」
 千桂は真摯に橘美弥という存在に向け、切に願う。
 カグヤが住み込みで雇われたいとまで申し出て、橘に告げる。
「心からそなたに敬愛を示そう。そなたは、奇跡のような存在なのじゃ。わらわはそなたを」
 カグヤは後の言葉を橘の耳元のみで囁いた。
 誰も周囲にいない事を確認し、クーも何かを橘に告げる。
「提案を受け入れて、協定を結んではくれないか?」
 最後にエアリーズからの言葉を受け、ヒーリショナーは頷いた。
「全て承知した」


 H.O.P.E.が用意した書類の内容を確認した後、人間と愚神の名でヒーリショナーは協定書に署名する。
 同意や希望しない人間からライヴスを奪わない事。今患者達に行っている行為をその家族達に説明すること。今この施設にいる人達、そしてこれから来る人達が最期を迎える時は、家族のもとへ返し、家族に看取られる形にする事。
 黙認する間、H.O.P.E.は必要な人材を橘美弥のいる施設に派遣し、共に患者達の治療や介護にあたる。
 必要な人材は、その都度H.O.P.E.が依頼を出し、人員を募り、施設へ派遣する。
 これはH.O.P.E.によるヒーリショナーや彼女の所属する集団SEの監視も兼ねた内容だったが、同時に今後もH.O.P.E.エージェント達がこの愚神達と関わる機会を残した形だ。
 それがエージェント達がヒーリショナーとH.O.P.E.の間を奔走して締結できた『黙認する条件』だった。
 こうしてヒーリショナーという愚神とその施設は、現段階では黙認された。
 いつまで続くかは不明。先行きも不明。それでも、愚神との『協定』は交わされた。
 全ては施設や周囲で暮らす人々の生活と命を守るために。
 帰り際、ふぁらんくすVIIはゐづるに助言する。
「今後どうにゃるにしても、問題が解決できる対策を進める事は絶対やったほうがいいと思うにゃあ」
「ハル、今日の誓約は……?」
 英雄から告げられた本日の『日課』に対し、永は『呉越同舟』と言いかけ、別の言葉を口にした。
「……『泡沫の夢』……だな」
 愚神と共にある未来など、夢物語に過ぎない。
 慧はH.O.P.E.と相談し、許可を受けた上で自治体を訪れ、職員達にはこう伝えた。
「この地域にいる愚神およびドロップゾーンの案件は、以後俺達H.O.P.E.が預かる」
 慧の言葉に職員達の顔が安堵に変わった。
 こうしてエージェント達はそれぞれが秘める意志と共に、帰路につく。 
 ヒーリショナーの今後や、残る愚神達の担う『収奪』が明らかになる様々な事件は、次回以降の話。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 燼滅の王
    八朔 カゲリaa0098
    人間|18才|男性|攻撃
  • 神々の王を滅ぼす者
    ナラカaa0098hero001
    英雄|12才|女性|ブレ
  • 果てなき欲望
    カグヤ・アトラクアaa0535
    機械|24才|女性|生命
  • おうちかえる
    クー・ナンナaa0535hero001
    英雄|12才|男性|バト
  • エージェント
    伊東 真也aa0595
    機械|20才|女性|生命
  • エージェント
    エアリーズaa0595hero001
    英雄|28才|男性|ソフィ
  • 非リアを滅す策謀料理人
    葛井 千桂aa1076
    人間|24才|女性|生命
  • 非リアを滅す策謀料理人
    転変の魔女aa1076hero001
    英雄|24才|女性|バト
  • 馬車泣かせ
    赤谷 鴇aa1578
    人間|13才|男性|攻撃
  • 馬車泣かせ
    アイザック ベルシュタインaa1578hero001
    英雄|18才|男性|ドレ
  • 全方位レディガーディアン
    咲魔 慧aa1932
    人間|26才|男性|攻撃
  • エージェント
    ファンブル・ダイスロールaa1932hero001
    英雄|70才|男性|ドレ
  • 死すべき命など認めない
    宿輪 永aa2214
    人間|25才|男性|防御
  • 死すべき命など認めない
    宿輪 遥aa2214hero001
    英雄|18才|男性|バト
  • エージェント
    水仙 ゐづるaa2563
    人間|25才|男性|生命
  • エージェント
    ふぁらんくすVIIaa2563hero001
    英雄|20才|女性|ブレ
前に戻る
ページトップへ戻る