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今宵は宴、舞う花となれ
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最終発言2018/10/20 18:56:53
オープニング
●秋よ、世界よ、夕映えの中にありて
陽が刻々と落ちる速度を速めていく。そんな季節の『王』の出現と侵攻は、少なからぬ人々の心に暗く大きな影を投げかけた。そのことに心を痛め「一夜の休息所をしつらえましょう」と誰かが言ったのが、つい先日。
――そして今、エージェントたちのもとに手紙が届けられた。信頼できる有志からのものである、とH.O.P.E.の添え書きが付された封筒から封蝋をはがし、しっとりと重い紙製のカードを手に取る。
一夜の仮面舞踏会。その誘いが、美しいカリグラフィーで綴られていた。
●秘すれば花、われらは月下美人の如くなり
ああ、と招待を受けたひとりである青年は息をつく。いくつもの尋常ならざる景色を見てきたはずだが、それでもここは異界と呼ぶにふさわしい。何もかもが美しく、何もかもが過剰で、華美で、非効率的だ。自分があまりこういう場に慣れないというのを差し引いても、この館は日常から隔たっていた。もっとも、ここは近世の洋館を模した建造物に過ぎないから、そう感じるのは最寄り駅で迎えられてから、ずっと風景の見えない車で移動していたせいかもしれない。電話などは制限されていないが、この艶やかな空気の中で端末を手に取るのもはばかられた。
常ならぬ衣をまとい、仮面をつけて館へと歩みを進める。大ホールには既に楽隊がしなやかな舞踏曲を奏で、人々の歓談や衣擦れの音がそれに甘やかなアクセントを加えていた。
煌びやかなシャンデリアの下で、戦いを思う。行く末のことを思う。ここまで続き、明日に散るかも知れぬ命と絆を思う。
――それらすべてを仮初めの姿へと秘めて花とすべく、宴が始まる。
解説
●このシナリオの目的
夜の仮面舞踏会を楽しむ。
決戦を前にハロウィン気分としゃれ込むか、思いを仮の姿に託して表明するか。それぞれの思いが交差する場となるでしょう。
●仮面舞踏会について
仮面と仮装で己の正体を隠し、会話とダンスを楽しむ一夜の祭りです。詳細はプレイングでご指定ください。お任せいただいた場合は、MSがチョイスいたします。
今回はエージェントを広く招いているため、マナーやダンスに不案内な方でも気後れしないよう、食事は部屋のひとつにビュッフェ形式での用意、ダンスなどは希望すれば事前に簡単なレッスンが受けられます。
※食事を楽しみたい方は、口まわりを覆うマスクはやめておきましょう。外しても罰則自体はありませんが、せっかくの仮面ですので。
●場所の詳説
詳細な場所こそ伏せられていますが、素性のしっかりした、ネットで調べればすぐ話題に行き当たるであろう豪奢な洋館です。
いくつものホールと部屋、そして回廊がありますが、主立った見所は以下の3ヶ所です。
1.中央大ホール
舞踏会のメイン会場で、内装・調度品ともに一級品を揃えた美しい大ホールです。ビュッフェの用意されている部屋もここから行くことができます。
2.永劫回廊
鏡と窓、そして壁紙を用いた視覚トリックで、回廊が延々と続くように見える廊下です。
実際の距離もかなり長いので、他の部屋に行きたいだけであれば他のルートが用意されています。移動を口実に、積もる話をしたい時に利用するのがお勧めです。
3.静謐の庭
色とりどりの花とよく整えられた生け垣、そして湧き水を利用した池と小川が美しい庭園です。今は秋薔薇がメインで、月明かりに似せたライトアップが行われています。
リプレイ
●舞い踊る者たち、艶やかに咲き誇るところ
社交界デビュー、といったそぶりのしなやかな若者が、広い空間のあちらこちらに視線をさまよわせる。生地と同色の糸で緻密に縫い込まれた刺繍がシンプルながらも大人びた華やかさを演出するタキシードと、こちらもオーソドックスなフォルムに精緻な透かし彫りをあしらった白い仮面。サイドをきっちりと固めた髪型は、初々しさと大人びた雰囲気を併せ持っている。顔の上半分に慣れぬ重さを感じながら、魂置 薙(aa1688)は、衣装室の手前で男女に分かれたきりの同行者を探した。
「あ、いたいた」
ホールの人波の中でも見分けられる美しい黒髪をゆったりとした夜会巻きに結い上げ、大ぶりなイヤリングとネックレスで豪奢に着飾ったヴェネチアンマスクの貴婦人へ、おーいと薙が呼びかける。
「仮面をつけてても、すぐ、わかるね」
そう頭をさすりながら不思議そうに言う薙を見て、貴婦人――エル・ル・アヴィシニア(aa1688hero001)――は、ふふっとよくよく見知った身内に対する笑みをこぼした。
「なに、もとよりこれは建前よ」
そう前置きして、エルは仮面舞踏会のあらましをさほど関心のなさそうな口ぶりで手短に語り上げた。ほうほう、と感心した顔で、薙がそれを口の中で繰り返す。
「だれだかわからないふりをして、格式ばったことを抜きにする舞踏会かあ」
「俗な言い方をすれば、いわゆる無礼講だの……ん?」
エルが視線を上げる。どこからともなく、香りとともに、カードの添えられた一輪の白百合が楽隊のピアノ近くに舞い降りた。通りがかった給仕がそれを拾って読み上げる。
《今宵、この宴に紛れたる呪われし乙女を、我が花嫁とすべく参上いたします》
その場がわあっと驚きと期待に色めき立つ中、浮き足立ったのは薙だ。
「こ、これは、犯行予告!?」
「落ち着かんか、仕込みじゃ仕込み。あれを見よ」
エルが扇で薙の頭を軽くはたき、そのまま楽隊のいる付近を指す。その先には、上質なタキシードでの男装と怪盗マスクできりりと装ったリーヴスラシル(aa0873hero001)がいた。見知った顔の視線に気づいたのだろう、気取った仕草でこちらに軽く手を振ってから、踊る乙女たちの中へと分け入っていった。
「仕込み?」
「見知った顔の片方がおらん。おそらくはそれを見つけ出すという座興だな」
「芝居がかってるなあ」
「ま、そのような趣向も許される場ということよ……では、そろそろ一曲いこうか」
え、と薙が絶句するより早く、エルが手に手を取って重心を移動してくる。反射で最初の対応こそできたものの、後が続かない。記憶から次の足の踏み場を探すだけで精一杯だ。しかし当の相手はそんなことは知らぬ、という素振りで、どんどん体を動かしていく。
「なに、慣れぬことでもリズムを捉えれば何とかなるものよ」
「と言われ、て、も」
「なら戦いだと思え。弦は敵が得物を振るう音、鍵盤はその足音だ」
お前はどう動く? と囁かれ、薙の動きが変わった。なるほどそれならわかる、と言わんばかりの俊敏な動きは、見る者をその若々しさと力強さに惹き付けさせる。多少覚束なさはあるものの、魅力的だ。
「いいぞ、しかしそうしょっちゅう足元を見るでない。そら、もっと近くに」
「なんでこんなにくっつくんだろう……」
「その方が美しいのもあるが、何より呼吸を合わせやすい」
ステップはだんだんとその早さと複雑さを増していく。エルが新しいステップを踏めば、薙がそれに食らいつくように対応する。そして音楽の最後の盛り上がりに合わせ、エルが手を上げくるりとターンを決める。薙はその回転をコントロールし、しなやかな白い手を引き寄せた。ぐっと近くに寄ったエルは、不敵に微笑んでいる。合わせられただろう? と言外に言っているその表情に、薙は微笑み返して身を離し、一礼した。
エルは満足げに頷くと、ぱっと携えていた扇子を開き、歓談している人々の一角を見つめて言い放った。
「そら、娘御たちと踊ってくるといい」
「え、それは、ちょっと、恥ずかし……」
「誘うことも覚えよ。そのための仮面なのだからな」
とん、と背を押され、薙は戸惑いを仮面で隠しながら視線をさまよわせる。ふと目に留まったのは、異色のドレスを纏う乙女。
「一曲、お相手いただけますか?」
優しく微笑み、一礼して手を差し出す。
「ん、うち? いいよー」
薙の誘いにからりと笑う春月(aa4200)の装いは、この会場にあってひときわ目を引くものだ。半身はドレスを断ち割ったがごとき長いドレープが腰から足元までを飾り、もう半身はベースのマニッシュなパンツスタイルがそのまま表れている。半分は乙女、半分は紳士というコンセプトであろうその姿は仮面にも表され、豪華なレース模様をあしらった半面と、飾り気のない陶器調の半面が合わさっている。事前ダンスレッスンの際、春月がダンスを学んでいること、男性のステップを練習したいことを知った主催からのはからいだった。
「そーれっ!」
「わっととと……!」
体躯に似合わぬ、豪快と呼ぶに相応しいダイナミックなストライド。先ほどよりずっと戦いにも似たそのダンスに振り回されそうになりながらも、薙は春月につられて笑う。先ほどのエルとはまるで違う、けれどとても楽しい踊り。ほどなくして曲がひとつの休止を挟むと、そこで互いに一礼をして踊りを終えた。
「また踊ろうねぇ」
そう言って薙に手を振った春月が次の相手を目で探していると、そばに仮面越しでも見慣れていた顔がいる。
「こんなところにいた!」
まだ幼さを残しているかのようにたおやかな姿を、シンプルなドミノマスクとモッズ系のラインをしたスーツで飾ったレイオン(aa4200hero001)が、気づかわしげに春月を見つめる。
「いつもより大人しくしてほしかったんだけどね」
「だってこんなところでダンスする機会そうはないもんねっ。踊らにゃ損損!」
はあ、とため息をつくレイオンを尻目に、勢いづいた春月は、壁の花を作ってはならぬとばかりに手持無沙汰そうな乙女や紳士をダンスに誘う。
「このために男性パートも踊れるようにしたんだよ、さあ、次のお相手は誰だい?」
そう言いながらくるりくるりと音楽の一小節ごとに相手を変えるかのような目まぐるしさで踊り続けるその姿は、花を巻き上げて吹き散らす快活な嵐のごとくであった。
「君、どうだい?」
「おっと申し訳ない、最初の曲は先約がありまして」
そんな嵐からするりと逃れた、ネイビーにスカイブルーとホワイトのラインがさわやかな印象を与える、将校風の礼服と片目を覆う羽根モチーフの仮面を身につけた荒木 拓海(aa1049)が息をつく。かたわらには、野すみれのモチーフをそこかしこにあしらった典雅なバイオレット色のドレスを身にまとう、まさしく深窓の令嬢と呼ぶにふさわしい居住まいのレミア・フォン・W(aa1049hero002)がいた。面差しこそ野すみれに飾られた丸いフォルムの仮面に半分隠されてはいるが、その瞳を見まごうはずもない。
「さて、可愛いお嬢さん。まずは一曲、いかがでしょう?」
拓海の他人行儀な――むろんそういう、他人という建前の――誘いに、レミアはヤナミと自らが呼び習わすぬいぐるみと共に、滑らかなカーテシーで応えた。そっと手を取り合い、横へ前へとステップを踏み始める。ヤナミを片腕に抱いたまま舞うレミアは、素人目にも身軽で華麗だ。それでも体格差による動きの制限は多少受けるのだが、そこは拓海がさりげなく歩幅と添える手を調整している。ふわふわという擬音が似合うその動きは、まさしく今宵の宴に似合いの幻想的なものだった。やがて曲の終わりと共に二人の優雅な旋回が終わり、一礼を交わす。わあっと眺めていた人々から歓声が上がり、今度は私と、と双方に誘いがやってきた。拓海はその間を縫って、レミアに耳打ちする。
「はぐれたらどうしたらいいか、覚えてるか?」
「うん、ごはんのところでまっててあげるね」
迷うのはオレかぁ、と拓海はちょっとずっこけるが、気を取り直して顔を上げた。待ちかねていたとばかりに春月が手を伸べてくるのを、お待たせいたしました、と紳士の口ぶりで受ける。踊りの連鎖に、歓声と笑いは絶えることがなかった。
その賑々しい踊りの輪を眺めているのは、ゆったりとしたローブと猫耳を模したマスクで黒猫に扮するオリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)。そして、豪奢な布を幾重にも重ねた無国籍風の衣とレース調の金の仮面を纏う、妖しげな貴人に扮したユエリャン・李(aa0076hero002)だ。
「一緒に踊ってみるか?」
「勿論」
ひょい、と手に手を取って、ゆるくステップを踏む。互いにややぎこちないところはあるが、それでも取り合わせの妙か、不思議とホールの中にしっくりと馴染んでいた。
「ゆっくりでいい。踏まれたら痛いしな」
「社交のダンスくらいなら大丈夫であるぞ、優しい我が子」
そう言ってユエリャンは少し胸を張るしぐさをしてみせる。とはいえ、運動神経がいいとはお世辞にも言えないそのひとを気遣い、オリヴィエはそっとエスコートを続けた。視線の先のユエリャンに、ふと違和感が走る。目線が近い。
「小さくなった、か?」
「お前が大きくなったのだ、おとぼけの我が子」
「……そうか」
オリヴィエの胸中に、しんみりとした感情が去来する。自身がいまここにあること。目の前に、記憶すらもあやふやな夢でしかなかった”親”という存在がいること、そんな遠かったはずの存在を、遠からず自分の背が追い越すであろうこと。想像もつかなかったことが、ここにある。そう詠嘆しながら、オリヴィエはいま目に映る全てを記憶に留めようとやわらかに感覚を広げて踊り続ける。
そして、想像もつかなかったこの瞬間に立ち会っているのは、ユエリャンも同じだった。成長した我が子。かつて送り出した頃より、再会したあの日より、ずっとずっと大きくなった愛し子。その事実が、ユエリャンに至上の喜びをもたらす。愛する我が子の成長を目の当たりにできるなど、かつての日々からは想像もできなかった。――ああ、ああ。そうだとも、この先いかようなことになろうとも、それだけは感謝せねばならぬ。そう心の中で念じながら、ユエリャンは愛し子の姿を目に焼き付けながら踊り続ける。
ゆらゆらと、ゆらゆらと、その動きは、どこかゆりかごにも似ていた。
他方の片隅では、みずみずしいダンスが繰り広げられている。
「上手くなってるか?」
ごく普通の、しかし上質な布地と仕立ての燕尾服に身を包み、こちらもまたシンプルな黒の仮面を着けたの迫間 央(aa1445)が問うた。それに対して、普段の純白のドレスに無色の水晶を彩りとした白の仮面を着けているマイヤ サーア(aa1445hero001)は、少し面白くなさそうに央の瞳を見つめて返事をする。
「……あまり上手くなられても困るわ」
「どうして?」
問いに対して、マイヤはステップに合わせてふいとそっぽを向いて答えた。
「あなたと踊って様になるのは、私だけがいいもの」
「そこは少しこらえてくれ」
央は少し大袈裟に苦笑いの表情を作ってみせた。事実、マイヤだけは央がレッスンを受けていようがいまいがあまり関係がない。誓約を交わしたリンカーと英雄、そのつながりを応用してその動きを予測し、そこに合わせればいいからだ。だが、今回は央がそれを断った。
「俺は、お前にふさわしい相手が他ならぬ俺である事を証明しなければならない」
だからこその事前レッスンであったし、ひいてはこの催事への参加である。そこを汲んでくれたからこそ、マイヤは幻想蝶の中で待っていてくれたし、そしてなによりここに来てくれている。
「で、どうなんだ」
「何が」
「上手くなってるか?」
むう、とでも言いたげに渋面をわざとらしく作って、マイヤが答える。
「……上手よ。あなたを見る視線が憎らしいぐらい」
「お前を見てるのさ」
央がそう冗談めかして返すと、マイヤがもう! とまたわざとらしく怒ってみせる。仮面に隠れてわかりにくくはあるが、いやだからこそ、今宵の彼女は表情豊かだった。
●宴たけなわ、喜びの行き交うところ
そうして人々のさざめきと衣擦れが響くホールの隣に、かぐわしい部屋がある。
「まいごにならなかったね」
「……うんまあおかげさまで……あ、向こうのステーキはどう? 焼きたてだって」
レミアの目と舌を楽しませるのは色とりどりのスープ、拓海の心をとろかすのは湯気を立てて魅惑的に音楽を奏でる肉汁。
ここは美食がきらめくビュッフェ、マナーに不慣れな参加者でも気後れしないように設えられた、舌の楽しみの場だ。
「秘すれば花なり、ね。悪くないな」
タキシードの狼がローストビーフを味わい、
「……んー……ボクはあんまり、好きじゃないかな」
ドレスの狼がよく裏ごしされた豆のスープを口にして、その温かさにはふ、と息をつく。
揃いのモチーフを身に纏い、ホールで舞い踊る人々を見ているのは、麻生 遊夜(aa0452)とユフォアリーヤ(aa0452hero001)だ。こういうところとはあまり縁のない二人だが、その揃いの狼を模した仮面と毛皮を思わせるボアとベロアの黒い盛装、そして堂々としたその居住まいは、並み居る参加者の中でも特段に華やかに映る。
「常にどこでも騒がしいからな。そういう催しではあるが」
遊夜は言いながらカトラリーを所定の場所に返却して、ユフォアリーヤに向き直ってにやりと笑みを浮かべる。
「ま、異世界に迷い込んだということで」
「いうことで?」
かくり、と首をかしげるユフォアリーヤ。
「踊りましょうか、お嬢様?」
常日頃からは想像もできないほど気取った態度で、遊夜が手を差し出した。鍛えられた身のこなしに裏付けられたその所作は、それに妙な説得力を与えている。
「……ん、ふふ……喜んで」
そんな堂に入った遊夜のキザなスタイルに、ユフォアリーヤはくすくすと悪戯っぽく微笑み、手に手をってホールに歩を進める。甘い音に誘われるまま習ったステップを二人で踏んでみれば、この世界に溶け込んでなんだか優雅できらきらした心持ちになる。そこに奏でられるは主従の愛かフィアンセの恋か、そんな気分でひとときの音にたゆたい、踊る。
そう今は、今だけは日常を忘れ、ただ二人で恋するだけのIFの世界に、その身をあずけて。
「ただ貴女だけを」
「ただ貴方だけを」
互いだけを見つめて、くるくると旋回して遊ぶのだ。
そんな遊夜たちと入れ違いでビュッフェに入ってきたのは、クラシカルなスタイルの燕尾服に、スチームパンク風のメカニカルなマスクをつけたGーYA(aa2289)。そして、ドレスもマスクもなにもかも、花の妖精を思わせるほどに青薔薇にその身を包んだまほらま(aa2289hero001)だ。その青髪のツインテールは垂れた部分もそこかしこが編み込まれ、青薔薇を飾られている。
そして、ホールに続いてかつての王侯貴族もかくや、と思わせるビュッフェの壮観な並びに、GーYAは素直に感嘆していた。
「豪華すぎる……」
「どこも綺麗ねぇ。王城で開かれた舞踏会を思い出すわぁ」
「思い出したの?」
問いに、まほらまはうーん、と首をひねった。
「断片的にね。”王”の影響かしら」
「まさか、お姫様だったり?」
冗談半分で放たれたGーYAの問いに、まほらまはさらに少し記憶をたぐり、そして不敵に笑ってみせる。
「残念でした、勇者よ。魔王を討伐できたかは思い出せないけどねぇ」
「ぅエエッ!?」
「あー!」
GーYAの驚きの声と重なるようにすっとんきょうな声が上がる。何事か、と視線が一斉に向く中、たったったとかろやかにやってきたのは、豪奢なさまざまな吉祥の図柄を染め抜いた振袖に、猫の半面ををした不知火あけび(aa4519hero001)だ。顔こそ隠してはいるが、その動きは知人なら誰でも彼女とわかるだろう。もっとも、それはGーYAとまほらまにも言えることだった。
「いつもの雰囲気だな。遠くからでもわかる」
しゃらり、といった擬音の似合う縮緬の着物に羽織、そして狐の半面という出で立ちの日暮仙寿(aa4519)が、くすくすと笑いながら言う。
「そういえば、誕生日がもうすぐなんだよね?」
あけびがまほらまの瞳を覗き込んで問う。そうよぉとにんまり笑ったまほらまに、あけびはぐっとサムズアップをした。
「いいね! 自分で決めた誕生日、素敵だと思うよ」
「なら、乾杯するか。ケーキも用意されてたはずだ」
仙寿の提案に皆が乗った。めいめいが取り皿に欲しいだけのケーキを並べ、好みのドリンクを持ち寄りテーブルにつく。
「それじゃあ、ま……」
「こら」
まほらまの名を呼びそうになったあけびを、仙寿が制する。二人きりでの逢瀬ならともかく、この場では互いの正体を言明しないのが、誰が言い出したのでもないがマナーになっていた。おっとっと、とあけびが照れ隠しのウィンクをしてみせる。
「それじゃ、勇者さまの誕生日にかんぱーい!」
改めての音頭で、それぞれがグラスを掲げた。上質な甘味に舌鼓を打ち、歓談に花が咲く。そして、気心の知れた友の集まり特有の、やがて誰が言い出すでもなく次に向かう意識ができあがり、足がそれぞれホールに向く。あけびはまだまだ踊るつもりらしく、先にホールへ出て仙寿を差し招いている。
それにやれやれといったふうの苦笑いを浮かべて向かう道すがら、別れる直前に仙寿はGーYAに小さく呟いた。
「善通寺の戦いの時。新米だった俺に声を掛けてくれてありがとな」
かつてあった戦い、そしてこの奇縁が結ばれたきっかけの共闘。この機を捉えなければ言わずに終わってしまいそうな、けれどどうしても言っておきたかった、ささやかなれど誠のこもった礼の言葉だった。
その頃ホールの一角では、人々の間に何かを予感させるざわめきが広がっていた。
怪盗に扮した男装の麗人がダンスを所望した相手は、整ってはいるが華やかさにいささか欠けるように見える、木調の仮面を着けたショートヘアの乙女。壁の花になっていた彼女に、リーヴスラシルはまっすぐに歩み寄り、手を差し伸べたのだ。どうなるのだろうと見守っている人々は、ダンスの見事さに息を飲み、その言葉の応酬に感嘆の声をささやき交わしていた。
怪盗は囁く。
「今宵だけではなく、ずっと共にいてくれませんか? 離れたくないのです」
乙女は首を横に振る。
「いいえ。わたくしには、既に心に決めた方がおりますので」
怪盗は不敵に微笑む。
「ふふ、そう言われると余計に離せなくなってしまうな」
ステップはさらに複雑さと激しさを増し、もはや剣戟かとも錯覚するほどの手足の応酬が続く。折しも楽隊の奏でる曲はクライマックスに近づき、場の空気は熱せられていく。
それが終わるきっかけも、ささいなものだった。どちらが躓いたのかは定かではなく、とにもかくにもバランスを崩した二人が、それこそがこの一幕の見所であるというかのような見事なリカバリーを見せ、人々の喝采を受けながらダンスを終えた、その一呼吸の間。見つめ合う間に会話の途切れた静寂が生まれ、そこに声が響いた。
「やはり、私の求めていた宝はここにあった」
決然とした面持ちで周囲を見渡し、怪盗は宣言する。
「諸君、彼女の心は私が頂く。さらばだ!」
言って、リーヴスラシルは少女を抱き上げて一足飛びにホールを飛び出した。紳士淑女の黄色い声をあとにして駆けた先は、その視覚的ギミックから《永劫回廊》と名が付けられた廊下だ。人影のない、永遠に続くかのような廊下のなかばで、リーヴスラシルは少女をそっと床に降ろした。錯視を最大限に引き出す幾何学模様に、やわらかな曲線の影が落ちる。
「かくれんぼはおしまいだぞ、ユリナ」
名を呼ばれたのを合図に、かすかな動作音を立ててイメージプロジェクターの動作が停止する。ドレスのしっとりとした淡い緑が瞬く間に輝く純白に変じ、その肌を清らかに引き立たせる。次いで、少女が自らのこめかみを押さえて上に手を滑らせると、黒髪のウィッグとヘッドドレスがまるごと外れて、きっちりと編み込まれた金のロングヘアが現れた。そのまま少女は今ではウィローマスクだとわかる仮面を外し、自分の瞳に指を当ててカラーコンタクトを外してから顔を上げる。
そこには、リーヴスラシルのよく知っている騎士であり姫――月鏡 由利菜(aa0873)がいた。由利菜はふふ、と照れたように、視線をラシルに向けて微笑む。
「見つかっちゃいましたね。私の演技もまだまだです」
「そうでもないさ。あれぐらい踊り続けなければ気づかなかっただろう」
イメージプロジェクターはあくまで服装の幻影を纏うものであり、使用者の体型や顔立ちまで物理的に変化させるものではない。胸元こそインナーでボリュームを押さえ込んでいるが、強く美しく鍛えられたその体や身のこなしは、共鳴や日々の生活を共にしたリーヴスラシルに対してそう長時間ごまかせるものではない。
「それに、捕まることを期待していただろう」
「えっ?」
「なんでもない絨毯のもつれに足をとられたのは、迷いの証拠だ」
リーヴスラシルの言に、ああ、と由利菜が詠嘆した。この役を演じることで、互いへの認識の位相をずらしたダンスと言葉を交わすことで、ラシルへ抱くこの親愛が心の中で、またひとつ固く結実していくのを感じる。
「……ふふ、そうね、見つけてくれるかな? って考えてた」
リーヴスラシルがそっと由利菜に仮面をつけてやり、手を取って回廊を引き返す。ホールに戻るの? と首をかしげて問う由利菜に、ああ、とリーヴスラシルは頷いた。
「改めてきちんと、ユリナと踊りたいからな」
「……うん。怪盗さんもいいけれど、私もラシルと踊りたいな」
●月影清か、愛の咲くところ
由利菜とラシルがホールへ引き返した回廊をそのまま進むと、庭園に行き着く。春や初夏のような百花繚乱ではないが、静寂の中で咲く花々の香は、とろける砂糖菓子のように甘くまろく、昼とは違う蝶を呼ぶ。
「ほら、バラですよ。夏より小さいけれど、形がとってもきれいです」
蝶が花に手を伸べる。
「こっちのほうには池がありますよ。お魚さんはうーん、暗くて見えないです」
蝶が水を眺める。
「お月様が大きいです! 名月ですよ!」
蝶が月に照らされる。
「次はどうしましょう、リュカ?」
蝶が――オオルリアゲハを思わせる輝きのドレスとバタフライマスクを身につけた紫 征四郎(aa0076)が、くるりとターンして微笑んだ。
「行き先は君の望むままに! お手をどうぞ、お姫様」
そう言って、賢者や語り部を思わせる、古代ギリシア風のゆったりとした服に顔の上半分を覆うヴェールをまとった木霊・C・リュカ(aa0068)は征四郎に再び手を差し出す。リュカが手を引かれる側ではあるが、その振る舞いは顔を彩る唐草模様のメイクと相まって、優雅な貴族の佇まいにも似ていた。手をつないでそっと庭を巡りながら、征四郎の語りを楽しみ、微笑みを深める。視力の問題を抱え、ホールで踊ることが難しいリュカに「お庭を回ってみませんか?」と誘い出してくれた征四郎の心遣いには、感謝してもしきれない。
と、ふと征四郎の動きが止まった。
「……あのっ!」
征四郎が振り向いて仮面を外し、リュカに正対する。
「リュカは、どんなレディが好きと、か……ありま、す、か?」
征四郎はようやく声を絞り出して、うつむいた。考えたことがないと言えば嘘になるけれど、それでもこうして問うことはあえてしなかった。けれど、最近なんとなく、第一英雄が変な感じで。ふとした時に、嬉しそうな、幸せそうな、くすぐったそうな顔をするようになったから、それに少し中(あ)てられたから、こんな夜だから、そう理由を重ねて重ねてやっとしぼりだした問い。
唐突と言えば唐突なそれに、リュカは少しだけ驚く。半分は思いがけぬテーマに、もう半分は、もうそういうことを意識するようになったのか、という、月日と征四郎の成長に。
リュカはううん、と少し唸って考える。そして、顔を覆うヴェールを上げて口を開いた。
「そうだなぁ……手かな」
「手?」
「そう。手をね、こう」
再び、征四郎とリュカの手が重なり、組み合わさる。手を引くのでも引かれるのでもなく、足並みを揃えて歩く時の繋ぎかた。
「お兄さんがおっさんになっても、爺になってもこうして手を繋いで、お日様の下で一緒に歩いてくれる人がいいな」
夢見るような、けれど確かにそんな未来を見ているような、月光もあいまって幻想的な眼差しをみせるリュカに、征四郎は少し息を呑み、そしてほう、と感嘆の息をついた。
「いつもいつまでも手を繋ぐ……とても、素敵な人ですね」
少しだけ声量を落として、「征四郎もそうなりたい、です」と締めくくった少女に、リュカは常日頃と変わらぬふうに笑いかける。
「ふふーふ、どんな素敵なレディも、せーちゃんにはかなわないさ!」
きっとね! と明るく笑うリュカは、彼の言うお日様にも似ている。そう征四郎は思う。だから、やさしく照らしてくれるその人の手を、いろんな思いを込めて微笑みといっしょに強く握り返した。
そんなふうに、庭には想いの花がそこここに咲いている。互いの視線を遮るように計算された生け垣は小川のせせらぎの音を隅々まで運び、人々を享楽から遠ざけ、思慕の語らいへと誘っていた。
「【秋は花一輪の豊かな美しさを楽しむ季節】か、なるほどな」
「ん。咲き誇る季節も良いけど……ボクは、こっちが好み」
月替わりらしい案内板を読み上げた遊夜の声に、ユフォアリーヤは尻尾を楽しげに振りながらそう答える。二人ともどちらかといえば静寂や自然に惹かれるため、この庭はとても好もしいものだ。月影の届かぬ道にも、やわらかな間接照明風の街灯があるのがとてもいい、と遊夜は考える。安全を考えなければいけない都会では、まずお目にかかれないものだ。
そのどちらも守るべきこの世界なのだと、不意に実感が湧いてくる。
「これから先も、負けるわけにはいかん」
「……ん。絶対に守ろう、ね」
明日への新たな決意を込めて、ひそやかにふたりは見つめ合う。
そう、この庭では人々は喧騒を離れ、ただひたぶるに思い合う。
GーYAもまたこの庭で、思いをくすぶらせながら、頃合いを見計らっていた。心臓が不思議なリズムを打っている。最近から出てきたこの症状に、人工心臓の不具合を疑って何度か相談もし、そのたびに異常なしと診断されたこの鼓動は、なぜだか目の前の英雄を見るときに現れる。それをごまかすかのように、「あのさ」とGーYAは話しを切り出した。
「ん?」
「君は弱くない。それはわかってる、勇者だったんだもんね」
そう言いながらまほらまを指差した手を、そのまま自分に向ける。
「で、守りたい対象だって思われるほどには、俺が強くないのも知ってる」
GーYAはかちり、と仮面を探った。
「それでも」
ごてごてとした歯車飾りの中から、ふたつの指輪を取り出す。一対であるそれらは、能力者が英雄の力を補助するために用いる、そしてそれ以上の意味――心を合わせて力と成す――を持つ、《一心同体の指輪》だ。片方を自らの人差し指に着け、GーYAは一音一音をはっきりと、よく通るように丁寧に宣言する。
「これから先は、君を守らせてくれないか。……ちょっと早いけど、誕生日おめでとう」
指輪をまほらまの手に握らせ、そのままそのしなやかな手ごと自分の手で包み込む。重なる手の感触からでも練度の差を痛感するが、それでもGーYAは揺るがない。視線の先にいる青薔薇の君を、ひしと見つめる。
まほらまの顔は最初驚きが広がり、そして、まなじりをわずかに染めて、微笑んだ。
「ありがとう。お手並み拝見、ね」
まほらまがそっと指輪をいくつかの指に着けては外し、やがて人差し指に位置を決めて、その手でGーYAの手をしっかりと握り直す。繋がれた手のひらにどちらのものともつかぬ熱が集まり、指輪の冷えた感触がある。ああ、この手を、この実感を離さないために強くなりたいのだと、GーYAはぎゅ、と手に力を込めた。
互いの心臓が、ダンスを踊るように足並みをそろえて鼓動している。
そうして想い合う二人が語らうところの生け垣を隔てて、ゆらゆらと月に照らされた庭を横切っていく二人がいた。
「ふわー、きもちいー」
「ずいぶん踊ったからな、夜風で涼むといい」
仙寿が手を引いて、人の熱気と自らの熱に酔い気味のあけびとともに庭を巡る。そこかしこに咲く秋薔薇がそのつややかなフォルムで目を惹く中にあって、夜明けを予感させる姿のあけびは、とても存在感があった。銀糸の髪持つ仙寿を月とするならば、それはまさに太陽。
「いい夜だねえ」
仮面を外して顔の熱を取りながらあけびが感嘆すると、仙寿はと傍らを見やり、「ふむ」と微笑んだ。
「夜も嫌いではないが、俺は明ける日の方が尊いと思う」
それはかつての任務で伝えた言の葉。当時は何を言っているのかと己に慌て、思わず共鳴を解除してしまった。だが今は、今なら、てらいなく伝えられる。
「……うん」
あけびも笑う。その微笑みは、やはり記憶のように輝き、しかし記憶以上に魅力的だ。
かつて、俺にも誰かを救えるのかと仙寿は問うた。
仙寿さまならできる! とあけびは笑って断言した。
――そのときの笑顔を、仙寿は今でも鮮明に覚えている。屈託なく笑う曙光の乙女。ああ、きっとあの時に、この思いは萌芽していたのだ。
かちり、と庭にかすかな音が落ちる。片割れ同士が合わさり桜を咲かせたペアリングを見て、くすくすと二人は笑い合うのだった。
その庭のはるか向こう側に流れる小川にて。黒猫と貴人が、これまでとこれからを語り合いながらそぞろ歩いていた。
「なぁ」
オリヴィエが、ふいにユエリャンを正視して問う。
「ユエは、”俺達”を”作って”幸せだったか?」
兵器として生まれたというぬぐえぬ過去と、それを生み出した者との相対。出会ってからいつかは問わねばならないとは思っていたが、いざ言葉にしてみると、思っていたほどには感情は揺れず、凪いでいた。その表情を見て、ユエリャンが口を開く。
「幸せだったよ」
ユエリャンは空を仰ぎ見て、続ける。
「”君”は、我輩の最高の子供。生きた証であり我輩の全て。ゆえに、君が幸せであることは、我輩の幸せでもある」
常より腹の底が読めぬ者といわれるユエリャンだが、その言葉には、あまりにも飾り気のない、生(き)のままの真実があった。それを読み取り、そうか、とオリヴィエは微笑む。
「俺は、ここで生きられて、ちゃんと幸せになれた、ぞ。……”産んで”くれてありがとう、母さん」
「ふふ、どういたしまして」
やわらかな親子の情と呼ぶべき心を互いに交わしていると、不意にオリヴィエがちょいちょい、と指でユエリャンを差し招く。耳を貸せ、ということらしい。どれどれ、と身をかがめたユエリャンに、もごもごと歯切れの悪いオリヴィエの声が届く。
「……その、恋人にな、なった」
一瞬理解が遅れた。言いづらいけど嬉しいことだから伝えたかったのだ、と言わんばかりのオリヴィエの表情を見て、ようやくくぼやややん、とオリヴィエの”恋人”であろう者の姿がユエリャンの脳裏に浮かぶ。
「そうか、……そうかー」
以前からうっすらわかっていたこととはいえ、我が子が大人へステップアップするのを目の当たりにするとこんなにも驚くものなのだな、と他人事のように、しかし大いなる動揺をもって、ユエリャンは曖昧な笑みと相槌を返すのだった。
生け垣を隔てて、ひとしきりホールでの感興を楽しんだふたりの姫が外した仮面を手に、手に手をとって迷路の如き庭の一角を進む。目印だろうか、少し開けた空間を目にしたクロエ・ミュライユ(aa5394)はひらり、と円形に敷かれた石畳の中央に身を躍らせ、くるくると旋回しながらその清楚なドレープをはらむ衣と、手の春の草花が描かれた陶器調の仮面に視線を向ける。
「んー、ちょっと可愛らしすぎたから」
「あら、甘めのドレスも素敵よ? シンデレラさん」
言って、サキ・ミュライユ(aa5394hero002)は、さざなみを思わせる造形の仮面をつけてクロエの腕を取る。くるり、クロエの回転に合わせてステップを踏むその姿は、ゆったりとそのヒレを揺蕩わせる、水底の人魚に相似していた。
「どうしたの?」
「だって、こんな夜はもう二度とないわ」
くるり、手を取りあってまたステップを踏む。クロエも仮面をつけ直し、舞踏会の続きのつもりでくるり、と足並みを合わせる。
「こんなに素敵なお姫さまと巡り合えるなんて」
「へぇ、こういうの好きだったんだ。ちょっと意外かも」
語らいながら、旋回が徐々に早まる。小川のせせらぎ以外に音のない世界に、幻影のオーケストラが現れ、二人だけのロンドを奏でていく。
「……うん。好きよ、大好き。本物を見たら、もっと好きになった。」
「あら、人魚姫さんに気に入られちゃうなんてね」
「そうよ。ねぇ、シンデレラさん」
瞬間、すべての音が消えた。サキにかき抱かれ、クロエは瞠目してその絞り出すような懇願を聞いた。
「十二時を過ぎても、私のそばにいてね」
「……今日はどうしたの? 魔法なんて解けないわ、ずっと一緒よ」
クロエは戸惑う。
「そう、ずっと、ずっと一緒にいたいの。明日も、明後日も、そのあともずっと」
けれど、この明日をも知れぬ世界の行く先で、ずっと共に居られるという確信が抱けない。この思いは英雄でも友でもまだ軽く、そこに愛があることをあなたは知らぬままでいる。そんな寂しさと恐れが綯い交ぜになった感情が、サキの身の内で渦巻いていた。
クロエはその感情のうねりに触れ、ああ、と感じるものがあった。その内実に気づくことこそないが、サキの恐れはきっと、”王”が現れた今となっては多かれ少なかれ皆が抱いているものだ。もちろん、自分にも。
「うん、ずっと一緒。誓ったじゃない……ね?」
クロエはそっと、その腕でサキを抱き返した。さするようにその背を何度も撫でると、ふうっとサキが息をつく。
「……ん」
互いが、確かに今ここに在る。それだけが確かなことだと、ひとつの影になった二人は、互いの心に手を添えて恐れを共有し、その痛みを癒やすのだった。
そのように不安を抱く者の影が、今度は池の縁にふたつ。
「”王”の出現から、ずっと考えていたの」
マイヤが水面に映る月、そして己と央を眺めながら、ふうっとため息をつく。
英雄も愚神も、この世界にとっては異物だ。王を倒したとて、自分たちがいるかぎりこの世が揺らぎ続けるのだとしたら、人々が苦しむのだとしたら。
「いつか、英雄がこの世界から消えなければならないのだとしたら「その時は」」
遮るように放たれた声に虚を突かれ、マイヤは弾かれるように央を見た。月影に照らされたその姿は、いつになく精悍で、確固たる決意を感じさせる。
「その時は、俺がお前と一緒にこの世界を離れるだけだ」
平時と変わらぬ調子で、けれど決然とした言葉。そのさまに真実を見いだし、マイヤはまなじりを赤く染める。婚約してもまだ思い切れない自分に、当たり前のようにこれほどの決意を捧げてくれるひと。
「……莫迦なひと」
その言葉は、間違いなく喜びに震えていた。しかし央はその意を捉え損ねたのか、少し憮然とした表情を見せる。そうじゃないのよ、と戯れにその頬をつついてみると、気の抜けたような笑いが央からこぼれた。
池の月はいつしか中天から外れ、刻々と傾く。宴の夜も、眠りに移ろおうとしていた。
●眠りの誘い、ラストダンスの鳴るところ
最後の曲が響き始める。夜も更けて多くの者が併設された宿泊施設に引き上げ、人影はずいぶんと少なくなった。祭りの後、というべき寂寥が穏やかに漂いはじめたホールの中央に、レミアは拓海に手を引かれて向かう。
「さあ、最後の一曲だよ」
「おわり?」
「そう、パーティーはおしまい」
レミアは少し残念そうにそっか、とこぼした。あんなに鮮やかだったのに、あんなに賑やかだったのに、今はもう灯が落ちてしまったよう。まるで世界が疲れてしまったよう。
「けど、まだ少しだけ残ってる」
そう続いた拓海の言葉に、レミアが少し顔を上げてあたりを見回す。この今をいとおしむかのようにラストダンスへと向かう人々。
それは秋薔薇、この夜だけと輝く美のあとに来る、明日へと向かう優しい美。
「戻ってみればもう終い、か」
「でも、楽しかった!」
ゆったりと、静かな動きを楽しむように踊る仙寿とあけび。互いの手を見つめ、どちらともなく微笑みを交わす。いかに着飾れど、互いに剣士の無骨な手。けれど、それがいとおしい。互いを支え合い、目指すものへと歩み続けてきた、歩み続けている、何よりの証拠だから。
離したくない、離さない、離すものか。そんな想いが互いを巡っていた。
「おお、さすがは恋人同士ね」
「帰りに声かけるのはやめとこうか……」
見つめ合う二人を見やり、そんなのどかなやりとりをしながら踊るGーYAとまほらま。まほらまがリードを取るような形になるのを押しとどめるように、GーYAは全身を使ってリズムと型をつかみながら踊る。そんな懸命な姿にほのあたたかい思いを覚えた。
――守られることを知らぬこの身なれど、もしもがあるなら。そんなことをほんの少し思ってしまえるぐらいには、彼を意識している。
そして、じりじりと踊りを迫る者と逃げる者の、コミカルな二人。
「さあ、観念してうちとも踊ってよ、レイオン」
春月がレイオンの顔を覗き込み、眼差しの真剣さを保ったままに微笑む。休憩を勧めたり、偶然行き合ったエルと踊ったりしながら、のらりくらりとレイオンは春月と踊るのをはぐらかしてばかりいた。が、事ここに来て周囲には互い以外の相手は居そうもない。先ほどの盛況とは違い、春月をソロで踊らせることもはばかられる雰囲気だ。
そういう趣旨の誓約を結んでいる、というのは言い訳だろうな、とレイオンはため息をつく。ペアダンスの練習に付き合わされていたのだし、なにより、ここはたぶん、そういうところだ。自分という枷をも隠す、仮面の宴。
「……なるべく、おしとやかな動きで頼むよ」
「任せといてよ。スタンダードが好きだったよね?」
すっ、と春月がカーテシーの姿勢を取った。左半身にしかスカート状の布地はないため、右手はふわり、と宙で空をつかむ。その優雅な所作にレイオンはふっと微笑んで手を差し伸べ、春月がそれを受けて、二人の今宵で一番しとやかなダンスが始まった。ふふ、と春月が笑う。
「様になってるなぁ」
「そうかな?」
「謎の色気があるからね。うちは色気が足りないんだよ~」
この雰囲気でそういう雑談めいた話題を喋りながら踊る、というのがもう色気からだいぶ遠いなあ、という所感を、レイオンはぐっと飲み込んだ。目の前の少女が楽しく在るのを邪魔するほど、無粋ではない。――それに、そういう春月が踊るのを見ているのが、妹のような姉のような親しみを感じて、好きなのだ。
そんな暖かな花たちも、一組二組と部屋に下がり疎(まば)らになっていく。そんな中で、中央でレミアと拓海は最後の一音まで逃すまいと踊り続けていた。
拓海が、ふと思い付いた、というふうに問うた。
「楽しかった?」
「うん」
レミアの表情にいささかの曇りも見受けられないことに、拓海は内心でほっとする。何か心にかかることがあったら、と気を揉んでいたが、杞憂に終わったようだ。
誓約を結んで、三ヶ月になる。
最初はつねに傍らにいたが、少しずつ少しずつ、それこそ薄紙を剥ぐように離れていられる時間を増やし、レミアは庇護を受ける存在から、庇護を互いに贈りあうことのできる存在に成長した。そう遠くもない未来、二人は変わりつつあるこの関係を完全に変えるのだろう。既にその片鱗を見せている頼もしい表情が、何よりも拓海を安堵させた。
ああ、願わくば君よ、凜と咲き誇る花であれ。交じらず、倒れず、傍らの花と並び立ち、自らの魂を誰かに束縛されることなく、美しく自由に咲く花であれ。
「レミアはきれいだね」
――たとえ、この先に何があろうとも。
●宴の終わり、花咲き乱れてのち実を結ぶ
つまり、このようにして悲喜交々は花となり、願いが煌めく星となる。そうして艶やかに咲き乱れる昼と夜の中を、彼らは麗しく軽快に、けれど確かな足取りで終幕の舞台へと躍り出るのだ。
結果
シナリオ成功度 | 成功 |
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