本部
【爻】存在証明
掲示板
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依頼前の挨拶スレッド
最終発言2018/01/29 23:57:17 -
【相談卓】
最終発言2018/01/30 20:53:42 -
質問卓
最終発言2018/01/30 09:31:31
オープニング
●null~アムネシアとガランサス
「こんなことをしている場合じゃないんだ!」
額を押さえ顔を歪めたエルナーが体当たりをして来たイルカを一体、斬り伏せた。
その直後、彼の目は見開かれた。
怪音の中でイルカは彼の相棒の姿に戻って海中に赤い血を撒き散らす。
「……ミュシャ」
屍に伸ばした手をもう一人のエルナーが掴んだ。
──リプレイスメントは英雄自身が恐れる「邪英化した自分」の幻影。それが彼を飲み込んだ。
『エルナー』
自分に斬りつけた英雄の名をミュシャは呼んだ。
死んではいないと伝えるために。
けれども、ミュシャの意識が見ている前でリプレイスメント化したエルナーは言い放った。
「あの子が居なければ、僕は僕の世界を救いに戻ることができるからね」
それは契約したあの日からずっとミュシャが恐れていた言葉で、彼女の心はひび割れた。
エージェントによって救出されたがふたりはすれ違ったままだった。
リプレイスメント化した記憶はエルナーにはない。エルナーはミュシャに問うたが彼女は謝るばかりで答えることはなかった。
そして、ふたりはすれ違ったまま、とあるヴィランを負う旅路でヌルと接触した。
ヴィランと違い、彼らは愚神ヌルの糧に成り得たから招かれたのだと知らず……互いを、なにより自分の在り方を信じられなくなった二人は結果的に愚神の誘惑に乗った。
ミュシャの言葉・思考全てを拒絶して、エルナーは共鳴した信義へ剣を抜いた。
「僕はもう少しだけ愚神を生かして欲しいだけなんだ」
「却下だ、お前たちの都合に合わせていたら被害が拡大するだけだ」
「僕はこの力で殺さなければならないヴィランがいるんだ」
「ミュシャだけ法から守る気か、ふざけるな。退け」
エルナーはまるで守るかのように巨大な珊瑚の前に立ち塞がる。巨大な珊瑚に似た愚神ゾーザンテラがぬるりと動いた。
「ぐにゃぐにゃと。スナイソギンチャクか」
毒づく信義の足を細い女の手が掴んだ。
「!」
それは、跪くライラ──だったが、彼はそれを蹴倒した。
「十指に輝くガランサスの輪よ、現世のまなざし、逆境を越える希望、慰め、そして死を運べ──幻影蝶!」
信義の両手に白い指輪が輝く。幻は消えて地面から生えたゾーザンテラの触手へと変わったが、ガランサスの力を乗せて放った《幻影蝶》による攻撃で吹き飛んだ。
「お前たちがデフェンスでその化物がオフェンスってわけか」
苦笑を浮かべたエルナーは巨大な化け物を見上げた。
「この化物、ゾーザンテラはヌルが育てた手足。これが十全である限りヌルはこのドロップゾーンでは無敵だ。
そして、ヌルの存在の継続は、平穏を約束された彼ら『アムネシア』と、善悪に括らない自由を得た僕の望むことでもある。君らは帰るべきだ。もしくは、少し僕たちに時間を与えるべきだ」
「リプレイスメント化じゃないのか」
「もっと、自発的な契約だよ」
「……こんな馬鹿でかいドロップゾーンを作っておいて、待つわけないだろうが。H.O.P.E.のエージェントはどうした? 何組が『そう』なっている? 他は」
エルナーは首を横に振った。
「アムネシアだけじゃない。彼らのライヴスのお陰でこれは動き出した。僕たちには助けるチャンスは無かった」
「だが、俺らにはチャンスはある」
信義が後ろで待機しているであろう、エージェントたちに語り掛けた。
「──遠慮するな。遠慮なく仲間をぶっ飛ばす、いい機会だと思えよ」
●Q.E.D~アムネシアとエヴァイユ
まやかしの世界で彼女を取り戻すため振るった一撃は、白イルカとなったリーナを殺した。
まどろみから目覚めたリーナは自分を殺すクリフを見た。
ふたりは戦うことなどほとんどないアイドルリンカーだ。死や邪英化などは自分たちとは縁のない事だと思っていた。
……それでも、自分の命を賭けるくらい互いを大切にしていた。
ヌルの実験は成功した。
絶望が、ふたりの、特に英雄クリフの心を殺した。
リーナにはヌルに抗う力は無かった。
──いつまでも、彼と一緒に歌っていたい──素敵な願いですね、リーナ。
──クリフ、いつまでもリーナを守り一緒に居たいという願いは、こうすることで未だ叶いますよ。
互いを失ったと思った二人は愚神の契約に了承し幻影世界へと囚われて、空っぽになった心にヌルの悪意が滑り込んだ。
それから、彼らはずっと夢の世界の無辜の住人だった。
どこまでも花咲く穏やかな草原でクリフに寄り添ったリーナは優しく歌っていた。
ふっとクリフが目を開けた。
……どこかで、歌が聞こえる、そう思った。
リーナの歌じゃない、もっと胸が苦しくなる酷い歌だ。
「クリフ?」
「リーナ……俺たち、何故ここにいるんだ?」
罪悪感が胸の奥から湧き出る。でも、理由はわからない。
「俺たち、こんなことしていちゃ駄目だ!」
はっとしたクリフが叫んだ瞬間、虹色の雲の向こうに空に廃工場が映る。
そこには苦悶の表情を浮かべたエージェントたちと……。
「リー……」
──だが、彼らは手遅れだった。
浮上しかけた意識は虚ろになって膝をつく。そして、空はまた虹色の雲に覆われた。
廃工場の室内を探索し始めたエージェントたちの後ろで、俯くリーナ。
──私は力無いグライヴァー。だが、現世界の能力者は私より力無い人間。なら、彼らはライヴスリンカーたらしめるリライヴァーを排除すればいい。
リーナの姿を奪ったヌルは長い睫毛を震わせて笑いを押し殺した。
『まだ不完全ですが、アムネシアと化したリンカーが三組。アムネシア化しないもののゾーザンテラの胎の中にリンカーがこれだけ。重畳です。このリンカーの身体もだいぶ動くようになりました。このまま次の私の身体に──ん?』
怪訝な顔をしたリーナが後ろを振り返る。
「邪魔な虫が」
ぽつりと零した彼女の言葉にエージェントたちが怪訝な顔をした。
ヌルは微笑む。
「ありがとうございます。私は結論を得ました──他の世界の誰もが屈した私の語りかけから、こうもたくさんのモノたちがすり抜けたのは貴方たちが二人一組だからなんですよね。
ライヴスリンカーが弱くとも、リライヴァーが弱くとも、また双方ともに弱くとも、支え合うことですり抜けることもある。
貴方たちは力のない私に、この世界での在り方を教えてくれました」
彼女の背後の空間がガラガラと崩れた。
夕陽を映す埃だらけの硝子窓が、壁が、巨大な珊瑚の化け物へと変わった。
「ゾーザンテラは貴方たちのお陰で充分なライヴスを蓄えることができました。ここで私は肥えて羽化する。
あとは、消化不良の残り滓を掃除しないといけません。どうか、皆様、無抵抗のまま私の糧に。
夢と現の混じり合う最後の幻影世界、『深層世界・爻』へようこそ。そして、選ばれなかった覚醒者よ、さようなら」
解説
●目的:ヌルを倒す
●特殊ルール:シリーズ称号によるチーム分け
※各人数が足りない場合は無記名リンカー描写有(味方はほぼ戦力外)
A:アムネシア含む称号持ちPC(催眠による疑似邪英化状態「アムネシア」)2名
Gからの累計ダメージ生命力1/4で正気に返る
敵対行動を取れるがヌルに従う必要は無い
催眠・正気共にエルナーへ有利
E:エヴァイユを含む- 4名
スキル「エヴァイユ」封印後はヌルに有利
G:ガランサスを含む-・新規
アイテム「ガランサス」5回使用可:幻を壊す・ゾーザンテラ・Aに攻撃有利
※新規の方は前回より参加していた描写となります
●ステージ:深層世界・爻
ゾーザンテラ正面にエルナー・A・G、背面にヌル・Eが配置
正面・背面の移動条件はゾーザンテラと対峙している敵の攻撃回避
●敵
・エルナー(ブレイブナイト):疑似アムネシア
デクリオ級相当 物攻A 物防S 魔攻F 魔防A 命中C 回避C 移動B 特殊B 抵抗B INT.E 生命E
・愚神ヌル(クリフ&リーナ):ヌルの現実体になろうとしている
リーナ姿、ドレッドノート
ケントゥリオ級 物攻B 物防B 魔攻C 魔防C 命中A 回避C 移動C 特殊C 抵抗C INT.C 生命A
スキル
エヴェイユ:DZに満ちる歌。幻影を使用しPCからの攻撃無効化、範囲DZ全体(耳栓等無効)※ゾーザンテラ半壊で封印
・ゾーザンテラ:巨大な珊瑚型愚神、ヌルのDZ内の手足
攻撃可能範囲360度68sq,1フェーズニ回攻撃、背面からの攻撃に強い
ケントゥリオ級愚神級 物攻C 物防C 魔攻C 魔防C 命中A 特殊C 抵抗C INT.C 生命C
スキル
吸収:1フェーズ1回使用、DZ内PCの生命力を範囲攻撃3~5吸収(魔攻/命中に+200/吸収による敵陣の回復は無)
片面180度(例:正面・背面どちらか)、射程DZ内無制限
幻影:攻撃時に相手の心の隙を突く幻を見せる
※ゾーザンテラのみ幻影蝶の付加効果は無効
リプレイ
●アムネシア(忘却)
現れたのは黒づくめの青年──邦衛 八宏(aa0046)と巨大な剣を持った銀髪の美しい少女だった。
少女は麻生 遊夜(aa0452)を見つけると剣先を下げた。
「お願いだよ。恭也が戦わない様にするにはヌルの存在が必要なんだ……恭也の事を友達だと思ってるなら邪魔はしないでよ」
予想外の哀願に遊夜は彼女の中に御神 恭也(aa0127)の英雄、伊邪那美(aa0127hero001)の面影を見つける。
「傷つけたく──ないんだよ」
「やれやれ、見事に操られてまぁ……いや、それほど付け入るのが上手いってことかね」
『……ん、暗躍に最適……知らない場合は、防げない……かも』
共鳴中のユフォアリーヤ(aa0452hero001)がこくりと頷く。
──エルナーさんは自発的だと言った、つまり今戻しても意味が薄い……狙いは残りの2人だな。真っ先に狙うは御神さんだろうか?
構えを取る遊夜に説得は無理だと察した伊邪那美は剣を仕舞い構えを取る。
素手とは言え、相手はドレッドノートだ。
下がろうとした遊夜の背中をユフォアリーヤが抱きしめた。
『……ん、ボク達に……幻影なんて、効かないよ?』
無造作に幻を振り払った遊夜の前にゾーザンテラの触腕が現れた。彼の右半身を鞭のような一撃が割く。
それを合図に硬直していたリンカーたちは一斉に散った。
短い剣戟の中、ゾーザンテラが身を震わせた。甲高い悲鳴のような音が響く。
その瞬間、空気だと思っていたものが動き出し、彼らは粘着質な何かに囚われた錯覚に襲われる。
その後には脱力感。
彼らは己のライヴスが乱暴に窃取されたことを知った。
「キツイな──」
遊夜はまずゾーザンテラの攻撃範囲から逃れようと後退を試みた。彼の射程ならば、それでも攻撃は可能だと判断したのだ。
──ふーむ、ゾーザンテラがある限りボスが無敵、そして、そいつが攻撃担当で目の前の三人が防御担当と。なら。
後退しながらガランサスを使った三人に向かっての《トリオ》を狙う。
だが、そんな遊夜の眼前に剣呑な光が閃いた。
跳び退りながらも素早く「静狼」の引鉄を引く。三発、手ごたえはあった。
激しい音と共に空転するZOMBIE-XX-チェーンソー。
動いたのは同時。
後ろに控えていたはずの八宏が遊夜へ襲い掛かったのだ。
髑髏を模した装飾に散った赤。突進する鎖鋸は初弾を弾いて強引に獲物の肉体へ切り込む。
静狼の名の通り音もなく吐き出された弾丸もまた真っ直ぐに襲撃者の身体を穿つ。
ふたつの舌打ちと呻きが混ざり合い、互いに牽制して距離を取る。
傷口から滴る血液が土を濡らした。
顔を引きつらせた八宏から彼とは違う声が滑り出た。
『……わーりぃ、思ってた以上に面倒な事んなった。ぶん殴って止めてやってくれ、頼むわ』
八宏の口を借りた英雄、稍乃 チカ(aa0046hero001)の精一杯の訴え。
そして、最後の。
八宏の目は遊夜の身体を染める赤に釘付けになっていた。
「………………し、そう…………っ、ます……」
揺れる瞳が緑と黒に交互に激しく揺らめく。
『ああくそ、もう』
再び激しく哭き始めた鎖鋸の合間を縫って、彼らの声はやけにはっきりと遊夜の耳に届いた。
いらついたようにチカが吐き捨てた。
『我慢出来ねぇよな。喰っちまおう、誰でも良いからさァ』
ごろりとチカの声が濁った。
──落ちた。
「……では、さっさと殻を剥がすとしよう」
『……ん、催眠解除……敵は減り、味方が増える』
再度襲い掛かった鎖鋸を避ける遊夜。しかし、今度は鎖鋸に仕込まれたショットガンに遊夜は吹き飛ばされた。
「お願いです、お願いですから、食べたいのに、全部無くなってしまいます、動かないで、食べさせて」
──逃げるなら、手足をもがなくては。でも、それでは、それじゃあ、減ってしまう。
懇願を口にしながらも、容赦なく襲い掛かるその姿は鬼。
『気持ち悪いって思うだろ、でもさぁ、俺らにとっちゃセツジツな問題なわけ。一人食い殺しちまえばそれでいい、全部終わる、楽になれんのよ、こいつも俺もな』
我を失ったチカがおぞましいことを口走る。
「すぐ終わらせてやる。俺達の弾丸からは逃してやらねぇぞ」
『……ん、絶対に……外してあげない、よ?』
度肝を抜く発言をさらりと流し、うそぶく二人。
ガランサスの光が輝く。
獲物を捕食し喰らわんと牙を剥く鎖鋸の向こうへ、迷い惑いを射貫くための銃が火を吐いた。
「さっさと元に戻って欲しいもんだ、人手が足りんのでな」
エスト レミプリク(aa5116)は真っ直ぐにゾーザンテラを目指した。
直感があの向こうに彼の求めるものがあると告げている。
エストの声も顔つきも今までの依頼とは全く違った。
「突破するぞ、シーエ!」
『はぁい♪』
シーエ テルミドール(aa5116hero001)がいつも通りに応えた。
走る。
触腕を潜り抜け、珊瑚というより蛸の様にうねる触手の群れを飛び越えて。
『エスト!』
白魚のような手が後ろからぬっとエストの目の前に現れ、彼を後ろへと引き倒した。
「!」
「邪魔をしないで」
憂いをたたえた少女が彼を見下ろしている。伊邪那美だ。
「恭也を争いから遠ざけたいだけなのに邪魔だよ」
彼女は今度は無骨なドラゴンスレイヤーを容赦なく振り下ろす。
地面を抉る一撃を転がり避けたエストは、身を起こしながらライヴスツインセイバーの柄を振って光刃を呼び出した。
一刻も早く──その思いでエストが選んだ装備は彼の身体を軽やかに動かす。
「……キミ達は、また恭也に血に濡れろって言うんだね」
冷たい瞳で睨む伊邪那美の向こうにゾーザンテラが見える。
──行くんだ……!
「僕の、邪魔をしないでください!」
光刃を構え走り出すエスト。
阻もうとする伊邪那美。
「ならば、わたしはきみを応援しよう」
《シャープポジショニング》で場を定めた狐杜(aa4909)がトリオを放つ。
和弓「賀正」から放たれた矢が美しい光を纏って伊邪那美とゾーザンテラへと降り注いだ。
悲鳴を上げる伊邪那美。
「正気に戻るにはまだたいないか」
狐杜を見つけて睨む伊邪那美の視線を受けて、少年は英雄に尋ねた。
「わたしはいつもどおいに、と言ったね、アオイ」
『ああ』
「わたしに出来るかな………?」
一拍置いて、蒼(aa4909hero001)は答えた。
『やれ。──銃は俺の手にある』
その答えに、狐杜は次の矢を番えた。
狐杜とエストを交互に見た伊邪那美は──はっと剣を握り直す。
剣と剣がぶつかり合う。
新たな銀の光が空に散った。乱れた伊邪那美の銀髪がそれに交差する。
「ボクはただ平穏を、恭也の幸せを望んだだけなんだ! なのに」
八朔 カゲリ(aa0098)の剣を弾いた伊邪那美が叫ぶ。
『否定はせぬよ』
カゲリの内でナラカ(aa0098hero001)は伊邪那美を、神を名乗る少女の望みを注視する。
試練を下す裁定者として、ナラカは愚神の起こしたこの困難へ期待を抱いていた。神意をはかる試練として不足ないと──彼女はカゲリだけでなくこの場にいるすべての仲間達へ期待し、見守る心づもりなのだ。
――さあ、愛しき子等よ、魅せてくれ。
着地から転身、無言で攻撃を仕掛けるカゲリ。
青年は万象をあるがままに肯定する。「我も人、彼も人。故に対等」が彼の道理。相手の思いも行動も認めたうえで、目的の為に総てを踏破せんと進むのだ。
伊邪那美の巨大な刀身とカゲリの「天剱」の錆付いた剣がぶつかり合い、軋みを上げる。
「邪魔を、しないで!」
ぎりぎりと、ふたりの両腕が震えた。
圧し切ったのは、カゲリだった。
「あっ」
一閃する剣にガランサスの光が一際輝く。
……光の消えた後に、伊邪那美は愕然とした表情で座り込む。その身体中から細い蔦のようなものがばらばらと落ち、長い髪の先がふわりと溶けたように見えた。
「事が終わったら、お詫び行脚をせんとな」
大きく息を吐いて剣を地面に突きたてたのは伊邪那美ではなく、短髪の若武者だった。
「……迷惑を掛けた、正式な謝罪は奴を倒してからさせて貰う」
恭也は正気を戻したことをカゲリと、そして依然彼に狙いを定めていた狐杜へ告げる。
「無理はするな」
恭也の負った傷は正気に戻る必要最低限のものとはいかなかった。だが、恭也は剣を握った。
「まだ仲間がいる。俺も参加させてもらうぞ……うちの馬鹿英雄の後始末も兼ねてな」
遊夜の放った《ダンシングバレット》が八宏の膝裏を撃ち抜き、喧しく鳴り響いていた鎖鋸の音がぷつりと途切れた。
「ふむ、反応を見るにガランサスの効果は上々……かね?」
肩で息をした遊夜が使用済みのヒールアンプルをバラバラと落とした。
「だが、愚神相手の方がよっぽどましだな──」
傷口を押さえて座り込んだ八宏は呆然としていた。
彼を絡めとった黒い蔦が剥がれ落ちて、まどろんでいた意識が急速に覚醒する。
見せてしまった、曝け出してしまった。ずっとずっと自分にも隠していたものを。
顔色を失った八宏の指はまだ血を流す己の傷口へ食い込む。
「正気に戻ったなら、行くぞ」
苦笑を浮かべた遊夜の手が差し出された。反射的にそれを掴んだ八宏を彼は引き起こす。
「少し休んだ方がいいんだろうが、生憎余裕が無くてな」
応急処置を施した自分の身体を軽く叩くと、遊夜は静狼を手に去って行った。
『……まだ人喰いの化け物は、正義の味方様方にも見逃して貰えてるようだぜ? 答えは見つけたか?』
チカへの答えを八宏は探した。
──結論は、出なかった。
たが、八宏はきっぱりと言った。
「…………まだ、何も、ですが……やらねばならない事は、分かります」
「邦衛 八宏」として自分がすべきことはひとつだ。
止まった鎖鋸が再び音を鳴らした。
ゾーザンテラの前で女がエストを迎えた。
「悪いが、行かせられないんだ」
エルナーに対して、エストは今度はそのまま駆ける。
「……っ、邪魔をするなぁ!」
『今日のエストは強いわよぉ?』
あはは♪ と笑うシーエの声。
剣風を感じながらもそれを掻い潜って先へと走るエスト。
その背後で、剣を受け止める重い音がした。
「──」
「行ってください!」
女性の声にエストは走る脚に更に力を込めた。
「由利菜君か」
剣はシチート「モコシ」で完全に受け止められていた。リーヴスラシル(aa0873hero001)の手によってカスタマイズされた盾を持つのは月鏡 由利菜(aa0873)だ。
「伊邪那美君じゃないけど、見逃しては──くれないんだろうね。君も、リーヴスラシル君も」
凛とした眼差しで姫騎士は見返す。
「……私はここへ戻ってきました。愚神ヌル、かの存在を断ち切る為に」
『私としても、ケリはきっちりつけたかったからな』
エルナーは剣を引いた。
「だろうね。……僕では君には敵わないのをよく知っている。戦うのが割に合わないこともね」
直後に、足下が盛り上がり、ゾーザンテラの触手が由利菜を襲う。
反射的に盾で防いだ由利菜だったが、土埃が収まるとそこにはもうエルナーは居なかった。
『逃がしたか』
「……とにかく、あの珊瑚を倒しましょう」
●エヴァイユ(覚醒)
──ヌルが変化したように、リーナが愚神に馴染んでいったように、歌も形を変えた。
覚醒と名付けられた歌は、今はこの空間に常に響き渡っている。それはもはやこの世界の空気であって、歌手(リーナ)に違和感でも持たない限り馴染みすぎて知覚などできなかった。
ずぶりとゾーザンテラの体内へ手を差し込むと大斧を取り出すヌル。
「ふむ、なかなか面白いことになっていますね?」
ヌルと化したリーナ、そして、背後のゾーザンテラを見比べて、構築の魔女(aa0281hero001)は感心する。
「ずいぶん変わってしまいましたね? 他人と混ざってしまうなんて死ぬのと同義じゃないですか?」
「面白い、リンカーがそれを言うのですか」
構築の魔女の言葉をヌルは揶揄う。
辺是 落児(aa0281)は共鳴できる位置へと移っていた。。
ナト アマタ(aa0575hero001)は反射的にシエロ レミプリク(aa0575)を庇うように動く。同時にナトのリプレイスメントも前に出た。
しかし、そんなナトとリプレイスメントの間にシエロは敢えて立つ。
「もう大丈夫、今度はウチに戦わせて!」
シエロを見上げて、やがて無言で頷くナト。リプレイスメントは愚神を睨みつけた。
そして、シエロはびしっとヌルを指した。
「散々やってくれたなヌルヌルめ! ナトくんの前でこっ恥ずかしい思させられた分、十倍返しなんだからぁ!」
木陰 黎夜(aa0061)は怒りを含んだ眼差しでリーナに扮した愚神を睨む。
「消化不良の残り滓、か……」
アーテル・V・ノクス(aa0061hero001)は冷ややかに呟いた。
「あの時仕留め損ねたツケを払う時か」
共鳴するエージェットたち。
『お前をここで討ち落とす。さようなら』
黎夜とアーテルの宣言を愚神は鼻で笑う。
……そこを赤く燃える穂先が襲い掛かった。白虎丸(aa0123hero001)のブレイジングランスだ。
共鳴した彼は常である虎噛 千颯(aa0123)の姿ではなく、白虎丸としてその槍を振るった。
しかし、その穂先は愚神を捉えない。
『白虎丸!』
「構わん!」
異常を感じ取った千颯が叫ぶが白虎丸は攻撃を止めない。
「お前は虎の尾を踏んだのでござる! それ相応の覚悟があるでござろう!」
ヌルの笑みは嫌らしく酷薄なものへと変わる。
「幾らでも踏んで差し上げますよ。覚悟など必要ない。このように」
リーナの指が軽やかにタクトを取るとゾーザンテラが苦痛を歌った。震える巨体に呼応するように空気が変質し、エージェントたちは自分たちのライヴスが削り落とされたことに気付いた。
「くっ!」
力が抜けた四肢に力を込めて踏み出した白虎丸の槍が、バランスを崩したままリーナの胸を突いた。
リーナの口元がにまりと弦月のような笑みを浮かべた。
「千颯!?」
白虎丸の槍は千颯の胸を突いていた。慌てて引き抜こうとした白虎丸の手は壮年の男によってがっしりと掴まれていた。
──恐れる事は無い──”お主はお主の大切な者を殺すのだ”。
『白虎丸!』
千颯の声に我に返った白虎丸は大地を刺した自分の槍に気付く。
「それが覚悟ですか」
愚神の嘲笑と共にゾーザンテラの触手が白虎丸を殴りつけた。
吹き飛んだ白虎丸の握る穂先が大地を抉り砂を巻き上げる。
「俺は、お前を許さん!」
怒りに燃えた咆哮を上げ、力強く槍を引き抜く白虎丸。
ヌルの見せた幻が、今までの出来事が、生々しく過る。
許せない、当たり前だ。特に許せないのは愚神がいたずらに自分に干渉したことではなく。
「千颯の……俺の大事な者を傷つけた罪、その身で償って貰うでござる!」
彼はリプレイスメント・ファイルを起動させた。
「千颯の為であれば、再度お前を呼ぶ事も厭わないでござる!」
『白虎ちゃん……』
召喚はすぐに済んだ。冷淡な瞳が白虎丸を映した。
「……して、再度喚んだ理由を問おうか、汝よ」
「ヌルの足止めをするでござる。奴には今までの借りを返さなければならないでござる!」
「吾を捨て駒扱いか。しかしまぁ吾とて彼奴の思惑に乗るのは面白くない。故に捨て駒になってやろう」
「御託はいいでござる」
一時の幻とは言え、白虎丸はリプレイスメントを未だ認めることができない。認めることはできないが、必要ならばいくらでも使うと腹に決めていた。
全ては相棒の為……白虎丸は千颯を侮辱したヌルを許す事は出来ない。
「どんな手を使っても、俺はお前をここで倒し切る」
怒りに燃える白虎丸の眼光に、リプレイスメントもまた愚神に向き直った。
ジャックポットとして、また不測の事態を警戒して、構築の魔女は全体を把握できる場所へ移っていた。
「相手の動きが見えないというのは意外に厄介ですからね」
初手、とばかりに彼女はヌルとゾーザンテラを射程に入れトリオを放った。
しかし、37mmAGC「メルカバ」の砲撃が届く前に、ぐにゃりとリーナの顔が歪んでまったく別の女の顔に変わる。
落児の心の揺れを感じながら、構築の魔女は自らの手元へ視線を落とした。
「おや……? なるほど、大物を排除しないと惑わされると──それと思ったほどダメージが通りませんね?」
ゾーザンテラに対しては狙い過たずち込まれていたが、さほどダメージを与えたようには見えない。
再びゾーザンテラへ照準を定めながら構築の魔女はライヴス通信機「遠雷」を使って仲間へ推測を伝える。
即座に返答があり、彼女はこちらを探す黎夜とゾーザンテラの距離を測る。
「残念ながらあの巨体で向こう側は見えませんが、バックアップします」
シャープポジショニングを使うと、彼女は仕掛けた。
「巨体を支える基礎に砲撃を受けて、あれは耐えれるかしら?」
『本気か、黎夜』
硬いアーテルの声に黎夜は頷く。
「構築の言う通り、だと思う。それに……音がするんだ」
『音?』
耳を澄ましたアーテルにも微かな鎖鋸の音が聞こえた気がした。
そういえば、邦衛八宏たちはグロリア社製のチェーンソー型AGWを持っていた気がする。
「……うん、うちは邦衛と御神は、向こう側にいるんだと思う」
それがどんな形でなのか、彼らがなぜこちらにいないのか。
ヌルのやりようを身をもって知っているアーテルは嫌な予感に顔を歪めた。
「うちは行くよ、アーテル。……白虎丸たちがあそこで戦っている。ヌルが動けない今のうちに行く」
黎夜は英雄の答えを待たずに魔法書「黒の猟兵」を抱えた。
『──わかった。行こう、黎夜』
立ち上る黒い霧。黎夜の呼び出した黒霧の猛獣たちはゾーザンテラの触腕へと襲いかかる。
白虎丸の槍はどうしてもヌルを傷つけることはできない。
それでもそれは繰り返し愚神へと打ち込まれた。
愚神は惘れたように彼を見る。
『白虎丸……』
千颯は、そんな相棒へ語り掛ける言葉が見つからなかった。彼の強い怒りによって表層に出ることも叶わない。
──俺の代わりに怒ってるのか………白虎ちゃん………。こんなに強い怒りを見せるのは初めてかな……。
悪辣な愚神の実験によって強張った千颯の心の一片に彼の怒りは刻まれた。
「諦めませんか?」
ヌルの嘲りに、白虎丸は無言で更に一手打ち込むことで答えた。
完成した歌、エヴァイユの支配下にある彼らの攻撃はヌルを傷つけることはできない。
だが、同時にヌルの攻撃もこの白虎丸の守りを崩すことはできなかった。それどころか、彼のリプレイスメントと連携した動きのせいで他を攻撃することが出来なかった。
──煩わしい。
ヌルの背後でゾーザンテラの身体がまた膨らむ。愚神たちの胃とも言えるこのドロップゾーンでエージェントたちからライヴスを剥ぐ、ゆるやかな消化がまた始まるのだ。
「ならば、ゆっくりとお付き合いしますよ」
その時、影がゾーザンテラとヌルを追い抜いた。
「無駄な──」
だが、目の前の白虎丸たちによって彼の攻撃は届かない。
「触腕に注意を!」
通信機を通して構築の魔女が叫んだ。
「わかった」
小さな影──魔法書を抱えた黎夜はヌルを抜け、ゾーザンテラの触腕も避けようとする。
「ヌルヌルの、ニョロニョロめ!」
爆発音と共に触腕が黎夜の頭上で飛散した。
シエロの肩に担いだ16式60mm携行型速射砲だ。
「──助かった」
勢いを無くし地面へ落ちたそれを踏み越えて黎夜は進む。
対して、別の触腕がシエロを殴り飛ばした。
『シエロ……』
心配するナト。
シエロはダメージとは別に顔を青ざめさせている。ゾーザンテラの攻撃はシエロになんらかの幻を見せたのだ。
「だいじょ──?」
『強がらなくて、いい』
ナトのリプレイスメントがぶっきらぼうに言い捨てた。
シエロの顔に生気が戻る。
「うん……行くよ! ナトくん、リプさん!」
●ガランサス(希望)
鎖鋸の音が途切れたことに黎夜は気付いた。
だが、今この時、ゾーザンテラの触腕をシエロたちが請け負ってくれている。動揺している暇は無い。
しかし、そんな決意も現れた女の一撃に阻止された。
「……ミュシャ」
「ごめん、僕は卑怯だ」
エルナーの一撃を黎夜はすんでの所で避けた。
お返しとばかりに《霊力浸透》を敵に定めると《ブルームフレア》の火炎を叩き込んだ。
炎に炙り抉られ苦痛に顔を歪めながらも、尚も剣を振るエルナー。
それが黎夜を吹き飛ばす。
手から転がり落ちた魔法書へすぐに手を伸ばす。その指が別のものを捉えた。
──リプレイスメント・ファイル。
黎夜はそれを掴み、拾い上げた魔法書を開いた。
少女はリプレイスメントを召喚しないと決めていた。けれど、ファイルを持って共に戦うと決めていた。
──アルブムの望みを断った。だから、幻だとしても共闘を持ちかけることはうちにはできない……。
その代わり、二度と呑まれるものかと足掻き戒める為のお守りとして、共に行くと決めたのだ。
黎夜の迷いも決意も知るはずのないエルナーが追撃を仕掛ける。
それをメルカバの一撃が阻止した。
大きく広がる傷。反射的に射線を辿ったエルナーの背後をエストが駆け抜けた。
「構築──」
心の中で礼を言って、黎夜もまた走り出す。
一方、茶髪のミュシャを砲撃をした構築の魔女は次の一手を考えていた。
「エルナーさんも向こうについてしまいましたか……ですが、あそこまでするということは、やはりあちらが弱点の可能性が高いですね」
巨体だがテレポートショットでの狙撃は可能であるはずだ。
「あと、打てる手は──シエロさんのケースを見ると縛りはありそうですが」
構築の魔女は仕舞いこんでいたリプレイスメント・ファイルを起動させた。
自分そっくりの女が実体を持って目の前に現れる。
「あら、まだ夢から覚めてなかったのね。まぁ、いいわ。手伝いましょう」
「話が早くて助かるわ。共鳴ってできるかしら」
「邪英化したいのね。解っているだろうけど、無理よ」
「やっぱり無理ね」
「ええ、私はこのバランスの崩れたここでたまたま再現できただけの存在だもの」
「手伝いは可能かしら」
「ええ、可能のようね。『目』と解析の手伝いくらいは」
「上等だわ」
構築の魔女はふたつめのライヴス通信機を彼女へ渡す。
「ステージを広げましょう」
シエロへ連続で襲いかかるゾーザンテラの触手を光の刃が断ち切った。
「ねっ……!!」
言いかけてエストはフードを掴み、深く被り直す。
「わー、派手な登場、もしかして増援さんかしらん?」
「……後続のメンバーです、あなた達の救出とドロップゾーンの破壊に来ました。──前衛は受け持ちます……よろしければ……バディを組んでいただけませんか?」
男女が交じり合ったその声は固く、緊張を感じた。一瞬だけ見えた横顔は、声と同じくふたりの面影がまじりあってうまく造形を把握できなかったが、そういう共鳴の形なのだろうとシエロは気にしなかった。
気にしなかったが──彼女には突然現れたこのリンカーを可愛い子だと思えた。
「せっかくのお誘いだもん、喜んで! よろしくね!」
笑顔のシエロ。
それを前にして、自ら共闘を申し出たはずのエストは言葉に詰まる。
『手が足りん、早く戦え』
ナトのリプレイスメントに急かされて、エストは光刃を構えた。
「ありがとう、ございます……では、行きます!」
そのまま触腕に斬りつけるエスト。
戦闘の只中にありながら、その胸中には様々な感情がせめぎ合っていた。
それは後悔であり後ろめたさであり寂しさでもあり、それら苦しい感情中でも、どうしようもなく込み上げるのは嬉しさであった。
──泣いてしまいそうだ!
『あんまり無理しちゃ駄目よぉ?』
「するさ! 不安なんて何もないんだから!」
波立つ感情のせいか、それとも他の理由か、エストの表情も面影もいつも以上に揺れる共鳴の境界が隠していた。その姿と同様に彼は決してシエロたちへ胸中を語らず、代わりに剣を振るった。
リプレイスメントとエストの援護を受けて、シエロは対愚神用支援火器からの攻撃を叩き込む。
ガランサスを持ったエストの参戦でさっきよりもゾーザンテラの動きを阻害できていた。
だが、攻撃による幻影は続く。
シエロの顔が苦痛に歪むのを目前で見るエスト。
「あの……っ!」
「次、いくよ!」
喜びを感じていたはずの彼の心に亀裂のような痛みが走り、堪らず彼はシエロを庇って飛び出した。
「危ない!」
シエロの見る幻が何なのか、エストには解ってしまった。
無論、シエロを庇うエストが見るのは逆に彼が恐れるあの姿だ。
だが、それがなんだと言うのだろう。
──あの人になんてことを!
「お前は、あの人達の思いを受ける義務がある! ついでに僕の怒りも受けろ!」
ガランサスの力を乗せた《ロストモーメント》。踏み込んだエストはゾーザンテラの本体へ光刃を突き立てた。
正面へ回り込んだ黎夜はそこで戦う複数のエージェントたちを目にする。
その中に恭也は居た。
恭也は剣を掴んで彼女へと駆け寄った。
『屈んで、黎夜!』
動揺した黎夜へアーテルが叫ぶ。
恭也の《疾風怒濤》が黎夜を追ったエルナーに向かう。
連撃を弾くエルナー。だが、彼の反撃もまた恭也は弾き返す。
「御神!」
「他は無事か」
「うん……だけど、ヌルが、いる」
恭也の手に力が入った。
先に進むにはこの敵を倒さなくてはいけない。アムネシア化した影響か、未だ愚神の力を借りているエルナーの動きが恭也には読める気がしたが。
──さっきの感じだと五分か。
実力を測ったのは向こうも同じようだった。エルナーは目標を恭也一人に定める。
靴底を鳴らして──ふたりが動き、剣を打ち合わせる。
打つ、そして離れる。その時、エルナーの肩口に弾丸が食い込んだ。
遊夜だ。
「どうやら向こうは無事で間違いないようだな」
ジャックポットは自分とは別のテレポーテーションを行う砲撃の主にも気づいていた。
「これでエルナーさんさえ抑え込めりゃ、あとは奴だけだ」
『……ん、十全でなければ……ボスも無敵じゃ、なくなる』
ライヴス通信機を通して集中攻撃を呼びかける彼に、薄氷之太刀「雪華」真打に持ち替えた狐杜が答えた。
「状況はわかった。丁度近くにいるところだよ。他への状況の連絡はきみに頼もう」
雪結晶の刃紋が浮かぶ刀を手に、狐杜は敵対者へ問う。
「きみにとって、善悪に括らない自由とは何を指す? 何を成す?」
「……」
「自由であればある程責任が付きまとう。そして重さが増していく。きみに背負い切れるのかね? 自由の対価はきみ達が過不足なく支払ったと言えるのか」
エルナーは恭也から目を離さずに答えた。
「背負い対価を払うのは踏み出した者だよ。こうなってしまったら僕が取れる道はこれだけだ。
──大丈夫、明日になれば新しい風が彼女に吹く!」
踏み出したエルナーの攻撃を恭也が避ける。狐杜の一太刀がエルナーの身体を裂いた。
「それは」
独善ではないのか、狐杜はそう続けることができなかった。
頭上から殺気を感じた気がした──直後、首筋に押し付けられた冷たいおぞましい感覚が彼を襲う。
彼が忌避するあれの姿がまざまざと蘇る。
しかし、彼はヌルの催眠に対する耐性があった。それゆえにそれが幻であると気付いている。
彼は苦痛を伴うそれを振り払った。
「銃はアオイの手にある!」
ガランサスの力で幻を砕くと、ゾーザンテラの触腕が彼に殴りかかる。
『ヌルを滅ぼすには、あれも滅さねばならない。行くぞ、ユリナ!』
「はい、ラシル!」
フロッティに持ち替えリンクコントロールで絆を高めながら先へ進む由利菜へ、ゾーザンテラからの幻を伴った攻撃が続く。
『まだ同じ問いかけを繰り返すか……何度幻影を見せても私の答えは変わらない。私はユリナと共にいるからこそ、自己の存在を確立できる』
リーヴスラシルの決意の下に由利菜は所持したリプレイスメント・ファイルを始動させた。
触腕の煩わしい幻覚と区別をつけるつもりだった。
しかし、実体を持ったリプレイスメントは率先して幻を払うべく剣を振るった。ダメージこそ与えないが、それはゾーザンテラを怯ませて先へ走る由利菜を助けた。
『意外だな』
訝しげなリーヴスラシルへ、リプレイスメントは冷たく答える。
『一芝居打とうかと思ったが、珊瑚相手では意味がないしな。ヌル……あやつでは私の主足り得ぬ。……私が自己を確立するには、ユリナと共に在らねばならぬ』
返答に警戒を強める彼女に苦笑して、実体を持った幻は言い換えた。
『ファイルを通して復元され──ユリナへの執着心も複製された。そういうことだ』
エルナーとの戦いに先が見えると、遊夜は目標をゾーザンテラへと移した。
「敵の射程も長かった……が、俺達の方が上だ」
大きく後退した遊夜はハウンドドッグによる狙撃でゾーザンテラへの攻撃に参加する。
『……ん、触手には……負けない』
距離を取り俯瞰で見る遊夜はブレイブナイトたちの奇妙な動きに気付いた。
「援護するか」
耐性のせいでもあったが、ゾーザンテラが見せる幻をカゲリは平然とはねのけた。
カゲリもナラカも、目指したものに至るまでは止まれないし、止まらない。鋼の意思が彼らを揺らがせない。
──覚者も我も踏みしめた足跡があればこそ、果てに至るまで進むのみ。……だが、我が子等も甘く見るなよ。彼等彼女等は汝などに負けはせぬ。無論、我が覚者もな。
カゲリの内でナラカは膨れ上がった愚神を見上げる。
「十一だ」
適時にリンクコントロールを使いながら戦うカゲリが上げた数に、ナラカは同じ戦場で戦う由利菜を見る。
『彼方も何かを狙っているようだ』
彼女の声が聞こえたわけではないが、同じ頃、リーヴスラシルもまた戦うカゲリの様子を伺っていた。
『ユリナ、彼も仕掛けるつもりのようだ。そして、こちらに気付いている』
「可能なら、合せます」
頷く由利菜はリンクコントロールを使い、また一歩、ゾーザンテラへの間合いを詰めた。
やがて、ゾーザンテラがまた大きく膨らみ、震える。
削り取られるライヴス、そして、触腕がカゲリを襲う。
「十二──!」
カゲリの天剱が黒焔を収斂した黒光を纏う。
それは、万象を燼滅せしめる劫火、終焉を告げる神火。
リンクバーストを起こしたカゲリの剣の連撃がゾーザンテラを裁く。
そして、それは由利菜もまた──。
『相手が抵抗しないことを期待し、前提にして思考を巡らす……だから貴様はいつまでも三流なのだ』
吸収によって削られ続けたライヴスの喪失が、由利菜の《反撃の狼煙》を発動させた。
『ユリナ、ディバイン・キャリバーを打ち込め!』
「ええ! 神の剣、鎧、瞳、翼……我が身に宿れ!」
赤く美しい鞘から剣を抜き放った由利菜もまたゾーザンテラ本体へ連撃を叩き込んだ。
黒光纏う剣が、輝く剣閃が、巨大なゾーザンテラの巨体へ激しく斬りこんだ。
●爻わる
やがて、ゾーザンテラは土煙を上げて大きく崩壊する。
ヌルへと向かう由利菜を見送ったカゲリはリンクバーストの果てに無言で倒れた。
『此度の裁定は見えたぞ』
結末を予測した神鳥は告げる。
恭也は状況を把握して撤退を試みたエルナーを追うが、まるで庇うようなゾーザンテラの攻撃で届かない。
エルナーがそれに気付いたのは刃に仕込まれた弾丸が彼を撃ち抜いた後だった。
『これくらいは働かないと、だよな』
《潜伏》で姿を隠していた八宏が背後から攻撃したのだ。
傷口を押さえ、足を止めたエルナーを恭也の疾風怒濤が捕らえた。
「向こうは頼みます」
崩れたゾーザンテラの向こうを見る八宏。
「……うん……無事でよかった」
黎夜が恭也と狐杜と去ると、八宏は傷口を押さえた。
黒い服のあちこちに浮かび上がる濃淡は彼から溢れた血の跡だった。だが、彼は崩れたゾーザンテラの触腕がまだ動いているのに気がついていた。
倒れ、共鳴が解けたエルナーたちの傷は深い。
そして、ゾーザンテラの近くでカゲリが倒れているのも見える。
──目の前の人命を救うべく動くことは、間違いではない。
確信を八宏が取り戻したことを、チカは気付いていた。
《ターゲットドロウ》を己にかけた八宏の鎖鋸が唸りを上げる。
『……行こうぜ。八宏』
「お付き合い、願います──」
思わぬ事態に驚きながらも、最後の敵の下へと走る恭也と狐杜。
黎夜と共に辿り着いた狐杜は叫んだ。
「吉報をお伝えしよう! かの愚神は巨大珊瑚が十全でなければ無敵では無いそうだ!」
ゾーザンテラの残骸を踏みつけて先に進む由利菜は、そこに立つリーナの姿に息を飲む。
『そうか。……リーナと言ったか』
リーヴスラシルの中にふつふつと更なる怒りが沸き起こる。
『その依りしろの娘を踏みにじり、得た自己の代償は安くは済まさん!』
急激に変わった戦況にヌルは動揺を隠せない。
「非力な能力者に阿るリライヴァー。実験の鼠が何故ここまで」
その言葉に由利菜は愚神の起こした悪辣な実験の数々を思い起こした。
「ヌル……私の命は、あなたより尊い……! 自分が生きるためなら、危害を加える敵は許さない……元々、私はそういう女なんですよ」
由利菜の叫びをせせら笑うヌルの声を、白虎丸の《ブラッドオペレート》が悲鳴に変えた。
「無敵では無いとは本当のようでござるな」
大破したゾーザンテラの触腕がのろのろと動き出す。
「……丁度、この身体も馴染んで来た所です。ドレッドノートの能力を試してみましょう」
「そうか、なら試せ!」
飛び込む恭也は大剣を繰り出す。
「俺の家族に手を出したな……その上に伊邪那美を誑かして、友人達を傷つけさせた。貴様は此処で朽ち果てろ!」
連撃を避け、声を上げて笑うヌル。
ナトのリプレイスメントとエストが両側から斬りかかり、動きの鈍った愚神へシエロの砲撃が降り注ぐ。
湧き上がる土埃。だが、そこから現れた斧がエストの胸元を裂いた。
「下がって!」
シエロが叫ぶと、ナトのリプレイスメントが彼を抱えて跳ぶ。
「させない」
黎夜が放った不浄な風が止めを刺そうとするヌルを裂いた。
舌打ちした愚神の背後でゾーザンテラの触腕が唸り、黎夜を狙う。
「どうやら、貴方たちは長く居すぎたようですね」
ヌルと相対していたエージェントたちの中で一時的な変質が起こっていた。彼らが空気のように取り込んでいた忌まわしい歌が、今度は歌を失った愚神に対しての覚醒を促す。
「しかし──私はもう、弱くない」
無数の触手が地面を割ってあちこちを駆け巡る。
構築の魔女と正対する位置を取る彼女のリプレイスメントが前に伸ばした腕の先でヌルへの道を捉えた。そして、構築の魔女もまた砲身を元に推し量る。
「状況解析……分解・再構築による擬似物質転送の模擬魔術を構築……完了」
「ゾーザンテラの質量分布を概算。構造脆弱点を予測演算……完了」
「弾体構造を解析……周囲の構成物から複製実施……完了」
「まだまだ、届かないけど……ちょっとばかり心が躍るわね」
並列計算の果て──ふたりの魔女は砲撃のトリガーを引いた。
『それじゃ、構築の魔女の名が伊達ではないことを楽しんでもらいましょうか!』
数多の値を織り込めて放った砲弾が空間を跳躍した。
愚神の身体を削り取ることが出来たものの、その身のこなしに舌を巻く狐杜。
その時、彼の視界にそれは現れた。
構築の魔女が放った、小型HEAG弾がヌルの背後から的確に撃ち抜く。
同業の放った見事な一撃に、遊夜も思わず笑みを浮かべる。
そして、彼もまたハウンドドッグを構えた。
「すまんが羽化は中止だ、そのまま世界と一緒に眠ってろ」
ゾーザンテラの陰で逃れようとした愚神へ次は遊夜の弾丸がめり込む。
「ジャックポット共め!」
触手による反撃を試みようとしたが、すぐに触手を遙かに超える射程距離を持つ彼らを捉えることは叶わないと知る。
それでも、ヌルを捉えられるのは数人、
ヌルは目の前のエージェントたちを標的と定めた。
──ブレイブナイト、ソフィスビショップ、エヴァイユの恩恵を持つリンカーが数人。しかし、彼らの損傷は少なくない。
「順調に消化を完了させましょう」
いくら、触手・触腕が彼らになぎ倒されようと、自身さえ耐えきれば勝機はあると踏んでいた。
しかし、その目論見を打ち砕く音が響いた。
「心を弄ぶ、その当然の帰結を知らぬのが、お主の敗因でござる!」
ライヴスソウルを粉砕し、リンクバーストを起こした白虎丸が大きく槍を振るった。
異変を感じ取ったヌルが得物を手に白虎丸を狙う。
「無力なライヴスリンカーに傅くリライヴァーごときが!」
「お前は、その能力者に、英雄に負けるのだ!」
ヌルの振るう大斧が届く前に、白虎丸の槍がヌルの胸を貫いた。
●愚神の勝利
ヌルは静かにエージェントたちを見渡した。
「私の勝ちです。あなたちのお陰で私は変化した」
ヌルの背後のゾーザンテラには最早元の大きさは無く、あちこちからひび割れる小さな音がした。
「俺たちの勝ちだ」
恭也は告げる。
「実験は成功。英雄の存在もあなたちの脆さも充分に解ったのです。だから、私の勝ちです」
外殻が剥がれ落ちたゾーザンテラは白化した骨のような姿を晒した。
黎夜がヌルの前に出た。
「確かに、うちは、アーテルのことがわからなかった……。自分のことだけで、アーテルのことを見てなかった……こうであるべきだって、嫌われてる幻想も抱いてる……」
その告白にヌルは嬉しそうに笑った。
しかし、黎夜は続ける。
「でも、アーテルは、今はそんなことはないって、言ってくれた……。これからはどうなるか、わからないけど……うちは、アーテルたちと共に歩く道を選ぶ。不完全で、不確定な未来を、生きていく……。
きっと……うちの望みを叶えるなら、うちは誰の糧になってもいいのかもしれない……。でも、お前の糧になるのは、嫌だ……。うちの望みを叶えるのは、ヌルじゃない。それだけは解った──お前のお陰で」
愚神の瞳に怯まず、強く見返す黎夜。その内でアーテルもまた告げた。
『ヌル。俺達はすり抜けた訳でも選ばれなかった訳でもない。少なくとも俺と黎夜の場合、互いが不器用で尚且つ意地の張り合いをしていたのを自覚させられただけだ──それは、お前の求めた勝利なのか?』
黎夜を縊り殺そうと手を伸ばしたヌルへ、白虎丸は突き刺した槍を更に一段と深く埋め込んだ。ひびがその身体を大きく裂く。
「完璧で──お前たちはあんなに踊っていたというのに! ずるい、弱いままで、いたほうが──しぬ……」
苦痛に顔を歪め愚神は叫んだ。
「いやだ」
それが、人心を弄んだ愚神の最後だった。
残骸は一気に砕けて傷だらけのリーナたちを吐き出した。
貯め込まれたライヴスが異形の残骸を巻き上げて旋風となって空へと舞い上がる。
エージェントたちは無理をした仲間たちが落ち着くのを待ち、また互いの回復につとめた。
「覚者よ」
無事にリンクバーストから回復した能力者へ声をかけたナラカだったが、彼が柱に身を任せて目を閉じていることに気付く。
一見して眠っているようにも見えるが、そうではないとナラカは知っている。
だが、ナラカは軽く嘆息して視線を動き回るエージェントたちへ移した。
彼女は遍く照らす善悪不二の光として万象を俯瞰する。ゆえに、どんな思いも行動も否定するつもりはない。
カゲリと残骸と化した工場のあちこちで動く人々の姿に、今回の困難の結末に、ナラカは笑みを浮かべた。
──彼女は意志と覚悟を愛している。
構築の魔女は掌でそれを受け止めた。
「あら、粉雪……いえ、これは珊瑚の残骸ですね」
ゾーザンテラの依代のなれの果てだろうか、一旦上空へ巻き上げられた白い粉塵がゆっくりと廃墟に降り注いでいた。
「──」
落児の問いに彼女は笑った。
「すぐに消えました。私には別れは必要ありませんから──」
しゃがみこんで積もった白に指先で線を描く伊邪那美。
「傷を治したら迷惑をかけた人達へお詫び行脚だ」
彼女は恭也を一瞬見た後、顔をそらした。
「納得がいかないって表情だな」
「……今回、ボクは間違えたかもしれないけど──それでも。恭也が戦う義務は無いでしょ」
「そうだ、力があっても義務は無い。戦う事を選んだのは俺の意思だ」
「同年代の子が平和を享受して幸せな日々を過ごしてるのに……」
「──お前達や友人達が居て、騒々しい毎日を送ってる。幸せなんだよ俺は」
予想外の言葉に、伊邪那美は思わず上目遣いで相棒を盗み見た。
恭也はすでに伊邪那美ではなく、あちこちで傷の手当を受けている仲間たちを見ていた。
「ボクには解らないよ……」
伊邪那美はため息をつくと汚れた服の裾を払って、恭也の隣に立った。
「さて、どうする──八宏?」
敢えて明るく尋ねるチカ。
八宏は愚神たちが消えた跡から崩れた珊瑚の破片を摘まみ上げた。
それは彼には遺骨にも似ているようにも思えた。
「……僕は、人を食べる化け物で……いえ、いつかそうなるとしても、僕は……」
一つ一つ考えながらも八宏は伝える。
「人が好きです、殺したくない、死んで欲しくない……チカ君も、周りの誰をも、不幸にしたくない、ですから……」
──例え偽善染みた理由であっても、それがあれば歩けるのだと、八宏はチカへ手探りで得た答えを口にする。
リンクバーストの果てに無事共鳴を解くことが出来た千颯は、相棒の無事に安堵の息を吐いた。
「白虎ちゃん……ありがとな……」
「俺は別に……お前の為では無いでござる。ただあいつが気に食わなかっただけでござる」
「はいはい、そういう事にしておくんだぜ」
口を開こうとした白虎丸を彼が遮った。
『して、吾はもう用済みという事か』
突然のリプレイスメントの登場に白虎丸は矛先を変えて棘のある声を出す。
「まだいたでござるか……あの時ヌルと共に消えていれば良かったのにでござる」
以前敵として対峙した男ではあるが、顕現した条件が違うせいかさすがに千颯は同情の念が湧く。
「……白虎ちゃん手助けしてもらって、それはちょっと……」
『小童の方がまだ義を知っているか……吾ながら汝も少しはそこの小童を見習うべきだな』
「さっさと消えるでござる!」
一喝する白虎丸へ鼻で笑うふりをしてその影は霧散した。
「千颯……あの時聞いていたかわからないでござるが、俺は……」
そうか、と千颯は気付く。それで白虎丸はあれをすぐに追い払いたかったのだと。
「白虎ちゃん……それ以上の言葉は今はいらないんだぜ」
互いの拳を軽く付き合わせて、千颯は続けた。
「これからもよろしくな」
「あっちのリプさん、帰っちゃったね」
なんとも言えない表情のシエロの腕をナトが引く。
「……シエロ」
「……心配かけてごめんね、ナトくん。
あっ、そうそう、君にもお礼を……ってありゃ?」
シエロはさっきまでのバディを探したが、彼の姿を見つけることはできなかった。
「なんだよう、お礼にナデナデしてあげようと思ったのにさー……って、リプさん?」
むくれるシエロだったが、ナトのリプレイスメントの姿もまた紗をかけたように薄くなっていることに気付く。
『……悪夢は終わりだ、私は消える』
「あ……」
「……」
ナトからの視線を感じながら、リプレイスメントは驚くシエロを正面からしっかりと見た。
『……だが忘れるな、世界に飲まれるをよしとした時、必ずお前を奪いに来る。心して、忘れぬこと──』
「じゃあ!」
『……?』
リプレイスメントの言葉をシエロは元気よく遮った。
「また、会えるかもしれないッスね!」
ウチ、ドジだから……とデヘヘと笑うシエロの隣でナトも無言でコクリと頷く。
『!』
それは気付きだった。
終わりのわからない戦いでも、大切なものと、隣で──今度は最後まで戦えた。
『……ああ』
それがどれだけ幸福なことなのか。
「リプさん?」
「……」
『──どうしてあの時できなかったんだろうな……』
泣き顔にも笑みにも見える表情を残して、それは二人の前から消えた。
人々の輪から離れて、エストはフードを被り直す。
──ここから麓まではリンカーの足ならそうかからないだろう。
『いいの?』
共鳴を解かないままでその場を去ろうとする彼へシーエは尋ねた。
足を止め、振り返ったエストは遠くで英雄と抱き合うシエロの姿を見た。
「…………今は駄目、今の僕には……合わせる顔がないもの」
『……そう』
再び歩き出したエストをシーエはもう止めなかった。
最後にまたあの声が聞けて良かったとエストは思った。
長い間、彼の記憶に強く残っていた声は今日のそれとは違ったものだったから。
──……いつか、あなたに懺悔出来る程の人間になったら、必ず会いに行きます。
だから、と、振り返る代わりに彼は小さく祈った。
「だから……ご無事で、ねえさま」
蒼へ何かを話そうとして、狐杜はやめた。
……対価は重く。自分の言葉で「殺めた」ことをまだ言えない。
彼はそれが過去と向き合うことだと、対価を支払い切っていない証だと考える。
でも……と、彼は自分の掌を見た。
──あの銃は蒼の手の中に。
不思議なことに、それだけなのに、その事実によって安心はするのだ。
他のエージェントを手伝う狐杜を眺めていた蒼は、足下の違和感に気付いた。
積もった粉塵を何気なく除けるとそこには白化した珊瑚が転がっていた。
砕けた白いそれは骨のようで死を思わせた。
意味なく、彼は向こうで笑う狐杜を見る。
……やはり蒼は自分の能力者を好きにはなれない。
それでも言葉を掛けるのは、彼がうじうじと悩んでいるよりも普段通りである方が、比較的鬱陶しくないからだ。
絶望に塗りつぶされた顔よりも、虚無に笑う姿を見るよりも、まだずっと。
──……ウザイが。
蒼は拾い上げたそれを、握りしめ視界から隠した。
消えゆくリプレイスメントへ、由利菜とリーヴスラシルはもう一度、礼を伝えた。
『愚神などに──ユリナは委ねられぬ』
そう言い残して影は消えた。
「……」
「ラシル、軽蔑しましたか」
リプレイスメントが消えた白い世界をじっと見つめながら、由利菜が尋ねた。
それが彼女がヌルへと切った啖呵の事だと、彼女の英雄はすぐに気付いた。
「私もユリナのその考えを承知した上で、ここまで来ている」
振り返った由利菜は変わらぬ眼差しに安堵する。
躊躇いなく叫ぶほど、由利菜はあの愚神が許せなかったのだ。
「……ラシルも私の一部に等しい……かけがえのない存在ですから」
リーナやエルナーたち四人は傷が深く意識を失ったままではあったが、命に別状は無かった。彼らにはライラが付き添い、後の救援を待つことにした。
そして、十三人のエージェントたちは迎えのヘリに乗るために、自力でドロップゾーンの塔を登っていた。
「寒いな」
急に寒気を感じた遊夜は自分のジャケットをユフォアリーヤへかけた。
「……雪?」
ユフォアリーヤの揃えた手の中で白が溶けて消えた。
いつの間にか雪のような粉塵は収まり、灰色の雲から舞い落ちる本物の雪へ変わっていた。
「幻影の世界は消えた。現実の空だ」
リーヴスラシルが呟くと凍えた風が吹き込んだ。
「これは妊婦の身体に悪いな。リーヤ、灰墨さんを急かしてさっさと帰るぞ」
「え?」
唖然とする先行組のエージェントたち。
ちょっと笑って身を寄せ合って先を急ぐ遊夜とユフォアリーヤ。
それを見て、事情を知っているガランサスの面々が思わず噴き出した。
「……浦島太郎の気分、ですか」
状況を推察した構築の魔女が神妙な顔をすると、。狐杜の指が形作った狐が得意気にスマートフォンを示した。
「幸い、海底の異世界での時間はほんの数時間で済んだようだ」
数字が示すのは、変わらぬ『今日』。
「……今度こそ……悪夢は、終わったんだな」
黎夜の吐いた息が白く広がった。
「帰ったら温かいものでも作って、皆で食べよう」
アーテルの提案に黎夜はくしゃりと笑う。
不香の花は静かに幻の残骸を覆い始め、上空のヘリの音は徐々に大きくなっていた。
結果
シナリオ成功度 | 大成功 |
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