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依頼前の挨拶スレッド
最終発言2017/10/17 17:44:50 -
対決!死神の主
最終発言2017/10/19 12:41:06 -
質問卓
最終発言2017/10/18 17:56:07
オープニング
深い沼へと沈んでいく。手を、足を無我夢中に動かす。しかし、全ては無駄な抵抗。暴れれば暴れる程に、その身は底なしの沼に絡め取られていく。
「やだ……やだ、死にたく……な……」
「……っ!」
澪河青藍は目を覚ました。上体を起こした彼女は、自分の身が五体満足無事である事を確かめ、ほっと溜め息をつく。
嫌な夢だった。
『随分とうなされていたようだね。大丈夫かい?』
彼女の英雄、ウォルター・ドルイットは青藍の横顔を見つめて微笑む。青藍はジト目でそんな彼の方を見遣ると、俯き頭を押さえる。
「あんまり大丈夫じゃないかも……」
『最近事件の事ばかり調べていたからね。気が滅入ってるんだろう』
「そうなのかな……?」
ウォルターは手にしていた本を閉じて溜め息を吐く。
『紅茶以外を淹れるのは趣味じゃないが、仕方ない。カモミールでも淹れてあげるよ。よく眠れる』
「……ありがと」
「はぁ? 富士の樹海に肝試しぃ? 何考えてんだそいつら!」
しかし、青藍の心は休まる暇がなかった。大学で昼食を取っていると、青藍は友人にいきなりとんでもない事を言われてしまったのだ。友人は手を合わせ、青藍に向かって頭を下げる。
「お願い。青藍をエージェントと見込んで頼みがあるの。そいつら連れて帰ってきて!」
「警察に言えよ!」
水筒に入れた紅茶をぐいと飲み干し、青藍は目を三角にして叫ぶ。友人は両の人差し指を突き合わせながら、上目遣いでぼそぼそと呟く。
「警察にも言ってるよ。でもあの人達腰が重いでしょ? その点青藍は……自由だし、頼りになるし」
「そうやっておだててもねえ……エージェントだって便利屋じゃないんだよ」
「マラソンとか壁ぶっ壊したりとか雪合戦したりとか、バラエティみたいなことしてるのに?」
「反論できないからやめて。大体、何でこんな時期にそんなところ行くんだよ」
青藍は髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。全て妹の差し金だと思うと、胃まで痛くなってきた。
「大体の心霊スポットは網羅したから、ついに大ボスに手を出すんだってさ。探検部らしいというか」
「バカ大学生め……わかったよ。そんなとこ行きたくないけど、そいつらが従魔とかに襲われても嫌だし」
結局青藍が折れると、友人はぱっと顔を輝かせた。
「ありがとーう! 青藍ならそう言ってくれると思った」
「調子いいよ、全く……」
文句を言いかけた時、青藍の脳裏に夢の光景が過ぎる。底なし沼にもがきながら沈んでいく自分が蘇る。俯き、誰にも気づかれないように舌打ちした。
「……くそ」
レンタカーを降り、二人は林道の前に立つ。ウォルターは肩を竦め、隣の青藍を見つめる。
『安請け合いはいつもの事だけど、こんな広い森でどうやってその探検部とやらを見つけるんだい?』
「自殺の名所なんて言われてるけど、樹海としては整備が進んでいる方なんだよね。遊歩道も看板もあるから。そもそも携帯だって最近は通じるし。……という事で、ここは一発説教かまして……」
青藍はスマートフォンを取り出すと、電話番号を打ち込み耳に当てる。
『切られたら? 君の友人は無視されたんだろう?』
「私がここに来てるなんて思ってないよ。授業の連絡かなんかだと思って取るよ」
彼女の言葉通り、携帯は直ぐに繋がる。開口一番に馬鹿野郎とでも言ってやるつもりだったが、掠れ声がその言葉を遮る。
「……た、す、け……」
何かで殴られたような鈍い音と共に、携帯は雑音だけを青藍に届ける。ハッと息を呑んだ彼女は携帯を切り、そのまま顔を顰めて森の中へと飛び込んだ。ウォルターも慌ててその後を追う。
「プリセンサーの人って、いつもこんな気分なの?」
『……』
ウォルターは何も言わず、彼女の背中を見守る。
「夕べにあの夢を見てから、ずっとこんな事になる気がしてた……! ヤバい事に巻き込まれるって!」
『それでも、前には進むんだね』
「そう決めたでしょ。大丈夫。……ちゃんとH.O.P.E.にも、あといろんな人にも伝えてあるから。きっと誰か、来てくれるはず」
脇目も振らずに走る彼女。その頼もしい背中は、ウォルターに"彼女"を偲ばせる。
『……そうだったね。じゃあ行こうか』
澪河です。いきなりメールしてすみません。
友人に頼まれて、これから富士の青木ヶ原樹海へと行きます。馬鹿な大学生が肝試しなどに行くつもりらしいので、そいつらに説教かまして連れ帰ってきます。
ただ、何だか嫌な予感がします。何だかとんでもないものが待ち構えているような気がしてならないんです。
可能なら、増援に来てください。
「お前、お前は……!」
青藍はアマツカゼを構えたまま、目の前で広がる光景に息を呑む。惨殺された遺体にローブ姿の人物が覆い被さり、その肉を喰らっている。刹那、脳裏に喰われた心臓の残骸が蘇る。目を見開き、青藍は切っ先を突きつける。
「死神の主。お前が死神の主なのか」
震える声色。肉を喰うのを止めると、ローブの男はゆらりと立ち上がった。
「そうだとも。こんなところまで来て、私に何か用かね。澪河青藍」
「どうして」
「君達の事はモンタギューからよく聞いたよ。彼も私の契約者だった」
『契約?』
「ああ。彼の力があれば、私の部下が自由に行動できるからな。だから私は彼に力を貸し与えた。結局彼の大願は果たされなかったようだがね」
森の陰から、するすると死霊が溢れてくる。朽ちた旗を掲げる蒼い騎士と共に。その姿は、樹海に呑み込まれた人々の怨嗟にも見えた。
「まず……い……」
不利を悟った青藍は後へ退こうとしたが、その足が急にふらつく。
『(青藍どうしたんだ。気をしっかり持つんだ!)』
「わかってる、って……!」
一体の死霊が迫る。刃を振るって死霊を怯ませると、そのうちに青藍は囲いを抜け出した。
『私と君の力の均衡が崩れてる。それが負担になってるんだ。……もしかすると、これがあの愚神の能力かもしれない』
「なるほど、ね」
「逃げる事はないだろう。私は君達に興味があるのだ。ここはひとつ話でもしないか。この世界の有り様についてのな」
森の中にローブの男の声が響く。青藍は肩で息をしながら、刀で木に印をつける。
「……舐めるなよ、このローブ野郎」
青藍は水筒を取り出すと、蓋を開いてがぶりと中身を呷る。ウォルターが用意した紅茶の渋みが口に広がり、青藍に喝を入れる。
「私はしぶといぞ」
――同時刻、H.O.P.E.本部――
「富士の青木ヶ原樹海でケントゥリオ級一体、デクリオ級多数の反応が検知されました。エージェントの澪河青藍が現在一般人の救出という名目でその場に居合わせており、その無事が懸念されます。速やかに彼女と合流してこれらの脅威を排除、可能であれば一般人も救出してください」
オペレーターからエージェント達に向かって任務の内容が告げられる。
真の脅威が闇の中に包まれたまま。
解説
メイン 青藍と共に樹海から離脱
サブ 青藍の重体を阻止する
BOSS(全てPL情報)
"死神の主"
遺体を喰らっていた愚神。騎士や死霊を駆って澪河青藍を追いこんでいく。
・脅威度 測定不能(トリブヌス級?)
・ステータス 測定不能(低め?)
・スキル 不明
(彼の近くにいると能力者のライヴスが不活性化し、リンクが不安定になる。そのため、英雄も出力を落として安定を保つか、危険を承知で出力を保つか選ぶ必要がある。)
ENEMY
ケントゥリオ級従魔ペスティレンティア
ステータス
魔攻A、生命B、その他C-D
スキル
・死の舞踏
前方直線5sq、命中時、シナリオ中の最大生命力2割減少。
・ファントム×2召喚
デクリオ級従魔ファントム×?
ステータス
魔攻C、その他D以下、飛行
スキル
・魂魄吸収
単体魔法、1-10sq。命中時、(20‐特殊抵抗)のダメージ。
・呪いの歌
前方範囲魔法。
NPC
澪河青藍
仲間から様々な事を学び、多少は逞しくなったエージェント。友人に頼まれ、軽率な行動を起こした大学生達を止めに行くため富士樹海へと向かった。万一に備え、H.O.P.E.とそこで得た仲間に救援要請を送って。
ステータス
ブレ62/36。回避及び防御偏重。
スキル
超感覚、エマージェンシー
リンクコントロール、心眼、ライヴスプロテクト
性向
慎重
フリーで戦ってきた経験は今も生きている。[一人でいる場合、不要な戦闘は避ける]
Tips
遭遇戦ルールが適用される。敵は常に突入を選択。
ボスへの索敵はプレイングでのみ可能。単純なアイテム使用等は全て無効となる。
ボスの能力は回避出来ないが、プレイングによってメカニズムを分析できる可能性がある。
青藍の無事を確保できれば、死神の主についての追加情報が得られる。
レーダーは反応しないが、幾つもの木に真新しいバツ印が刻まれている。
青藍とPCが数名合流した次のラウンド、死神の主と確実にエンカウントする。
わからない点は質問を。
リプレイ
●幽谷へ入る
小鳥の囀る朝。桜小路 國光(aa4046)は携帯を見つめ、石のように押し黙っていた。メテオバイザー(aa4046hero001)は彼のそばに駆け寄ると、必死に背伸びをして画面を覗き込む。
『澪河さん、どうしてこんなメールを』
メテオの言葉には応えず、國光は携帯をポケットに押し込み歩き出す。
「あの人は……!」
「……ん。ねえ、アルヴィナ……!」
氷鏡 六花(aa4969)は血相を変えてアルヴィナ・ヴェラスネーシュカ(aa4969hero001)に振り返る。アルヴィナは六花から携帯を受け取り、その眼を見開いた。
『青藍がこんなメールを送るなんて――』
「行こう。……嫌な予感が……する!」
アルヴィナが言い終わらないうちに六花は既に駆け出していた。愚神に父も母も奪われた。これ以上大事な人を奪われるわけにはいかない。
「樹海? あーもう、また厄いネタ引いたな!」
志賀谷 京子(aa0150)は乱暴に声を張り上げる。しかし、既に彼女は上着を羽織り、動き出す気満々だった。アリッサ ラウティオラ(aa0150hero001)はそんな彼女を横目に、ふっと頬を緩める。
『けれど行くのでしょう?』
「そりゃ、頼られて応えないんじゃ女がすたるからね」
「わかった。ミイラ取りがミイラになったりするなよ、志賀谷」
H.O.P.E.東京海上支部。一ノ瀬 春翔(aa3715)は京子と電話しながら早足で廊下を歩いていた。
「大丈夫。何があっても一ノ瀬さんが来るまでちゃんと持たせるから」
「頼んだぞ」
会話の途絶えた携帯をポケットに突っ込み、春翔はさらに足を早める。アリス・レッドクイーン(aa3715hero001)は神妙な表情でそんな春翔の横顔を窺う。
『焦ってるっしょ?』
「否定はしねえ。澪河が、ただの捜索でこんなメール寄越したりするような奴だと思うか?」
『まーね。少し気合入れた方がいいかも』
自動扉が開く。中にはもう、零月 蕾菜(aa0058)、イリス・レイバルド(aa0124)、御童 紗希(aa0339)、世良 杏奈(aa3447)、桜小路國光が集まっていた。オペレーターは春翔に向かってぺこりと頭を下げる。
「お待ちしていました。これで全員ですね」
「……えっと、あなたは……」
羽衣を纏った六花が樹海の入り口に辿り着くと、レンタカーの中を覗き込む京子がいた。振り向いた京子は、にっこりと笑ってみせる。
「志賀谷京子よ。氷鏡さん。アマゾンの時は組が違ったし……まともに顔合わせるのは、あの事件以来になるのかな?」
「あ……あの時の! あなたも、澪河さんにメール貰ったの?」
京子の言葉でピンときた六花は目を見張る。京子は頷くと、再びレンタカーの中に目を戻す。コンソールボックスに契約書が雑に放り込まれていた。
「そうそう。……澪河さん、この車でここに来たみたいね」
『まだボンネットは温かいようです。……中に入ってから、そう時間は経っていないのかもしれません』
アリッサの言葉に頷くと、手に取った携帯を耳に押し当てる。呼び出し音が、一度、二度、鳴る。そして、“彼女”は電話に出てきた。
「京子さん?」
「そうよ。元気?」
京子は一言で尋ねる。電話越しの掠れ声を聞いては、元気だとは思えなかったが。
「今のとこは。でも……ちょっと、ヤバいのと遭っちゃって……」
ヤバいの。それを聞いた六花は咄嗟に駆け出した。京子が止める間もなかった。京子は顔を顰めつつ、声を潜めて青藍に尋ねる。
「GPSは使える? こっちに位置情報を教えて」
「……何とか。今送ります」
樹海の中へと足を踏み入れた六花は、幾度も触れてきた青藍のライヴスを探る。細い雲が棚引くように、うっすらと蒼い光が見えた。
「(お願い。今行くから……!)」
「青藍さん、無事でいて下さいね……!」
『早く行かなきゃ!』
H.O.P.E.の支給したジープが樹海の前に停まる。杏奈とルナ(aa3447hero001)は素早く飛び出すと、共鳴しながら真っ先に樹海へ突き進んだ。その眼には、蒼いライヴスと白銀のライヴスがはっきりと見えている。
「(これは青藍さんと氷鏡ちゃんのものかしら? 他に何か……見えないかしら)」
ライヴスを追いかけながら、杏奈はしきりに目を凝らす。京子からは、“ヤバい奴”が出たらしいという連絡が入っている。その痕跡を少しでも探ろうとしていた。
『(……何だか、寒い感じがする)』
ルナは鬱蒼とした緑海を見渡し、ぽつりと呟いた。
「オレはとりあえずここに残って皆さんに情報を送ります。あの人が無茶しようとしたら絶対に止めてください」
ジープのシートにノートパソコンやGPSレーダーを広げつつ、國光はアリスやカイ アルブレヒツベルガー(aa0339hero001)を見渡す。
『任せときなって。ちゃーんとアリスがげんこつ入れて止めとくから』
『あいつだってそこそこの手練れだ。なら引き際くらいわかるだろ』
國光は難しい顔のまま首を振る。一年近くも関わっていれば、嫌でも彼女のやりそうな事は読めてくる。戦屍の腕輪を嵌める手にも力が籠った。
「彼女は誰かの為ってなったら後先考えないんですよ。敵の本拠地で独走するし、御神刀は粉々にするし。今だってそうです。……むしろ合流してからが本番かもしれません」
彼にしては珍しい、荒っぽい語気。カイはアリスと顔を見合わせると、小さく頷いた。
『わかった。……気を付けとく』
「見つけましたよ。元々傷だらけですが……確かに新しいバツ印が一つあります」
蕾菜はペンキで落書きされ、乱雑に傷つけられた木の肌を指でなぞる。青藍が残したものに違いないと見えた。十三月 風架(aa0058hero001)は呟く。
『(随分と錯綜した経路を辿っているようです。逃げるに逃げられないという様子ですね)』
「でしょうね……先程から、周辺に従魔が彷徨っているのを感じますから」
蕾菜は立ち上がると、大盾を構えて背後に振り返る。樹木の影から、一体の幽霊が飛び出してくる。蕾菜は幽霊が放つ呪いの声には耳を貸さず、その懐に盾の先端を突きつけ魔力を炸裂させる。勢い十分、幽霊を吹き飛ばす。しかし、蕾菜はほんの少し煮え切らない。
「(……やはり、その力は抑えているのですね)」
「ボクのライヴス、お前らになんて一片でもくれてやるか!」
イリスの周囲を取り囲む死霊。それは必死にイリスのライヴスを吸収しようとしているが、彼女は意にも介さない。煌く刃を茨に変えて、次々に死霊を切り伏せていく。心なしか、普段よりその鎧の輝きも強い。アイリス(aa0124hero001)はくすりと笑った。
『(気合が入っているね)』
「森での戦いで、ボクが負けるわけにいかないもん」
『(そうだね。その調子で戦いたまえ。……しかし、これはどういう事だろう)』
イリスの言葉に応えつつ、アイリスは考え込むように言葉を濁らせる。
「どうしたの?」
『この樹海は自殺の名所と聞いていたが……その割には朽ちた骨一つ見つからないのだね』
イリスはアイリスに言われて周囲を見渡す。確かに彼女の言う通り、遺品と思しき靴や服はちらほらあっても、亡骸は一つもない。
「……とりあえず行こう。このまま進めば、きっと何かわかるよ」
「邪魔しないで!」
二体同時に飛び込んできた死霊に向かって、六花は白く輝く吹雪をぶつけた。身を切る無数の刃となった冷気は、間もなく死霊の朧げな姿を引き裂き、掻き消していく。青藍への想いが、ただでさえ強い魔力をさらに高めていた。
『(六花、まだ来てるわ!)』
「もうっ! 早く行かなきゃ……間に合わないかもしれないのに!」
六花は素早く氷の槍を作り出すと、脇から迫る新たな死霊に向かって鋭く擲った。鈴の様に甲高い音を立て、死霊の胸を槍は貫く。渾身の一撃に、死霊は思わずその身を仰け反らせる。さらに、黒い影が死霊の背後に向かって素早く迫る。
「このっ!」
気合と共に、影は死霊を背後から輝く刃で切り裂いた。絹を裂く悲鳴を残して、樹海の闇へと死霊は呑み込まれていく。そして現れたのは、濃紺の軍服に身を包み、軍帽を目深に被った女。肩で荒く息をして、刃を木の根に突き立て、彼女は口元に僅かな笑みを浮かべる。
「……来ちゃったんだね」
「青藍!」
思わず六花は青藍に飛びついた。細い腕でしがみつき、顔を青藍の胸元に埋める。
「よかった……!」
「うん……六花ちゃんも、無事で、よかった」
不意に青藍はふらつき、六花を胸に抱いたままその場に崩れ落ちる。はっとなり、六花は青藍のそばに跪いて彼女の顔色を窺う。濡羽色の髪が冷汗でべったりと濡れ、耳に張り付いていた。
「……澪河さん、すごく具合が悪そうだけど……」
「大丈夫。まだ、動ける」
「全然大丈夫じゃないじゃん!」
近くの坂を踵で滑り降り、京子は青藍の傍に駆け寄る。青藍が真っ白な顔で京子を見上げると、ウォルターが彼女の影を借りて京子へ話しかける。
『ローブを纏った愚神に遭ってからこの調子だ。青藍の霊力が感じにくくなっている。そのせいでリンクが保ちにくい……』
京子は小さく頷くと、懐から秘薬を取り出し青藍の手に押し付ける。
「とりあえず飲んで。それを飲めば、その症状も少しはましになるでしょ」
「……すみません」
青藍は秘薬を口に含む。
『澪河さん。それで、学生の人達は』
アリッサが尋ねると、青藍は小さく首を振った。
『オッケー。ちゃんと青藍は回収完了、と』
携帯を耳に当てつつ、アリスは忍び足で樹海を進む。右手に留まらせた鷹を、木々の狭間を縫うように飛ばす。彼女は今樹海の影に徹していた。それでも春翔は不安を拭いきれない。
「(何だろうな。これまでにねえってくらい警戒してるのに、それでも抜かれそうだ)」
『(ま、H.O.P.E.のレーダーもほいほい抜けていくんだしね。どれだけ気を付けても足りないかもね……)』
大樹の陰に屈み込み、耳を澄ませながら鷹の視界に意識を集中する。木々の間を縫って、蒼い騎士が馬をつかつかと走らせている。それを取り巻くように、死霊が飛び回っている。奥へ奥へと、鷹は樹海を進む。
しかし、不意に鷹は羽ばたきをやめた。ふらりとよろめいたかと思うと、地面に向かって真っ逆さまに落ち、その視界は闇へと潰えた。
『(おっとぉ……こいつはどういう事かな?)』
「(……チッ。俺の嫌な予感も的中かよ)」
水縹を振り回し、カイは傍の木ごと死霊を真っ二つに切り裂く。今のところは何の問題も無い。青藍をとりあえず保護したという連絡も入ってきた。後は適当にやってくる従魔を追い払いながら帰るだけだ。しかし、カイは浮かない顔のままだった。
『(……ウィスプは最期に言ったよな。“タナトス”って)』
「(タナトスは、死の神格化だって聞いた事があるよ)」
『(死にはライヴスは宿らない。……死体にライヴスが残る訳がない)』
カイは歩きながら首を振る。二人は既に、ビルの屋上に立っていた小さな人影に思いを巡らせていた。暴食の愚神を手懐け、愉悦の表情を浮かべていたその人影に。
「(……じゃあ、あの愚神は“死”そのものって事?)」
『(いや。死が具現するなんて、おかしいだろ。ライヴスは生命の力だ。死は真っ向から対立する概念じゃねえか)』
紗希の言葉をカイは強い口調で否定するが、心の片隅の“もしかしたら”は消えなかった。
そんな彼の鼻を、僅かな鉄の臭いが突き刺す。素早く足元に目を落とすと、いかにも軽そうな、血まみれのリュックが転がっていた。
『(血の臭いだ。まだ新しい)』
「(でも、遺体は……ない?)」
カイは顔を顰める。考えただけで身の毛がよだつ。
『(全部喰われてたって澪河が言ってたみたいだが、まさか骨まで……)』
「鷹が落ちた?」
ノートパソコンに情報を纏めながら、國光は怪訝な顔で問い返す。電話の向こうから、春翔が苦々しげな口調で応える。
「ああ。……攻撃を受けたわけでもねえ。こんなのは初めてだ。すっと力が抜けて、まるで空飛んだまま死んだみたいに落ちやがった」
「多分、それがそこにいる愚神……の能力なんだと思う、けど」
『けど?』
國光は地図を見つめる。青藍の逃走経路、仲間達が持ったGPSの反応、従魔の撃破情報、そしてH.O.P.E.から送られてくるデータをパソコンに打ち込んでいたが、そのデータに違和感が拭えない。
『(どうしてなのです? そこにいたのは間違いないはずなのに……)』
「いない。……ファントムもいた。蒼騎士もいた。でもいないんだ」
指で地図を撫でる。それでも、やはり“それ”はいない。
「触れもせずに春翔の鷹を落とした奴が、H.O.P.E.のレーダーにはやっぱり映ってない」
「青藍さん」
六花に見守られながら、木の根に躓き躓き歩く青藍。その姿を捉えた杏奈は素早く駆け寄っていく。青藍は僅かに顔をあげると、うっすら微笑んだ。
「世良さんまで……」
「とりあえず生きていてくれてよかったです。とにかくここから離脱しましょう!」
そういうと、杏奈は幻想蝶から秘薬を取り出す。青藍はそれを見ると、小さく首を振る。
「あ……もう、飲みました……」
「そうなの? ……じゃあ、そろそろ出力を落として。もう志賀谷さんも氷鏡さんも、私もいるんだから無茶をする必要は無いでしょ?」
杏奈はそう言って青藍に笑みを向ける。深紅に染まった瞳は、喩えようもない凄みを持っていた。青藍は肩をびくりと震わせ、笑みを引きつらせる。
「は、はい。ウォルターさん、聞こえたよね?」
『ああ。……峠はとりあえず越えられたかな』
青藍の姿が僅かに揺らぎ、大人びた顔立ちに幼さが入り混じる。ぜえぜえ言っていた息も、少しだけ和らいだ。それを確かめた杏奈は、六花と頷き合って動き出そうとする。
「おや。今日は客人が沢山だ」
しかし、不意にその背後から声がした。杏奈と六花は魔導書を構え、素早く振り向く。
『なるほど。……あなたが黒幕というわけですか』
「随分と手広くちょっかい出してたみたいだけど、手が尽きでもした?」
京子は不敵な笑みを浮かべながら、弓を手に取る。その視線の先には、黒いローブを着込んだ一人の老人が立っていた。老人は深く刻まれた皺をさらに深くし、三人に笑いかける。
「心配せずとも、私は君達をあらゆる手を以て迎えに行くよ。それが死というものだ」
●“死にたい”衝動
『出たよ。今、氷鏡達と接敵中』
「……わかった。今行く」
携帯で連絡を受け取った國光は、ジープを飛び降り走り出した。スマートフォンに回したデータ、戦屍の腕輪に映る戦況を見つめながら、彼はうっすらと霧が漂い始めた樹海を駆ける。
「(脈拍正常、外傷無し。ライヴスは吸われていないのに殆ど感じる事が出来ず、明確に衰弱していて、今も、目覚めていない)」
戦いを前に、國光は漁村で助けた少年の事を思い出していた。ロンドンから帰るついでに数度様子を見た事もあったが、ライヴスの活性度は元に戻らず、少年は病室で眠り続けている。
『(不安なのです。……大変な事が起きてしまいそうな気がするのです)』
「(……そんな事、絶対に起こさせない)」
『奴の……を、引く。隙が……逃げろ』
ノイズだらけの通信機から、カイの声が微かに聞こえる。六花は魔導書を構え、いつでも魔法を叩き込めるようにしながら主を睨んだ。ただ対面しただけだというのに、悍ましさに胸がざわつく。何度も葬った騎士や死霊とは訳が違った。
「貴方が、タナトス?」
「私の名前に意味など無い……が、生の下にある君達が私を認識するために敢えて名乗るのなら、“タナトス”という事になるだろうな。私の友から聞いたのかね? 先に煉獄へと旅立ってしまった彼から」
「ええ、そうよ。……今度はこちらから聞かせてもらうわ」
杏奈は頷くと、六花と青藍を庇うように僅かに一歩前に出る。紅色のドレスが似合うよう、はっきりと胸を張って立つその姿に、老人は眉を開いた。
「何だね? ……私を前にして恐れぬ者は久方振りだ。一つくらいは答えてあげよう」
「狐の頭を持った愚神と、会ったことはある?」
老人は白い顎髭を撫でる。
「ふむ……すまないな。そんなものと逢った覚えはない。私は随分と同胞から嫌われているが……それでも覚えがないという事は、間違いなく会った事が無いという事だ」
「そうなの? てっきり会ったことがあると思っていたわ」
『(杏奈。……ちょっと、マズいかも)』
ルナは杏奈に囁く。既に彼女は感じ始めていた。繋がりが少しずつ歪んでいるのを。互いの力の均衡が崩れつつある事を。
「(……うん。ちょっと、バランスを取りましょう)」
「やはりそちらで確認できていない敵がいます」
奇妙な会見の現場まで駆けつけた國光は、大樹の陰から慎重に様子を窺いながら本部に通信を送る。しかし、オペレーターからの答えは相変わらず渋い。
「そんな……もうぎりぎりのレベルまで感度を上げているんです。これ以上はノイズまでも敵性存在として拾ってしまうレベルですよ。本当に敵がいるんですね?」
『います。今もメンバーと対峙しているのです』
メテオが少し語気を強めて答える。ようやくオペレーターも事態の深刻さに気付いたのか、返事の声色がようやく変わる。
「……出来る限りのデータを集めてください。決して無理はなさらないように」
「ええ。了解です。そちらはライヴス以外のエネルギー計測を試してみてください」
國光は腕輪を慎重に死神へと向ける。目の前にいるのだ。位置も座標も間違えるわけはない。しかし、その腕輪に示されているのは『ND』の二文字。
――No Detected.
イクサカバネは白旗を掲げた。確かに目の前にいる存在を、“認識できない”と言い放った。國光は顔を顰めると、死神と対峙している仲間にも腕輪を向ける。長く影響下に晒されていた青藍はもちろん、その前に立つ六花と杏奈も、木陰に身を潜め直して様子を窺っている京子さえも、存在を上手く捉えきれなくなっている。
「(……これはリンクが不安定になってるだけじゃない)」
『サク……そろそろ行……よ? ヤバ……だし』
アリスからの通信が途切れ途切れに聞こえてくる。國光は腕輪を付け替え、鞘に納めたままの双剣を強く握る。
「そうですね。行きましょう」
「タナトス……! あの時アバドンを唆したこと、六花は許さないから……!」
死神と言葉を交わしているうちに、心が恐れで澱んでいく。それを振り払うように六花は叫び、魔導書にライヴスを流し込む。右手を突き出し、凍気を集めて一振りの槍を作り出していく。
刹那、六花の脳裏に一面氷の世界が閃く。目の前には自分が立っている。憎悪と怨嗟に満ちた目で睨みつけたかと思うと、氷の龍が荒れ狂い、その牙で六花を――
「(なに……これ!)」
六花は顔を顰め、氷の槍を死神に向かって擲つ。槍は普段にもまして激しい冷気を纏いながら死神の肩に突き刺さる。よろめきながらも、死神は口端の笑みを崩さぬまま六花を見据える。
「幼気な少女よ。……今、君に何が見えたかね」
六花は一気に顔を真っ青にする。息が乱れ、足がふらつく。
「貴方、一体何したのよ!」
入れ替わるように杏奈が飛び出し、雷の槍をその手に呼び寄せる。
しかし次の瞬間には、杏奈は椅子に後ろ手で括られていた。こめかみに愛用していた魔導銃が押し付けられる。ちらりと一瞥すると、愉悦の笑みを浮かべた自分がそこにいる。
「……こんなので!」
紗希が紗希の喉笛に短剣を突きつける。咄嗟に突き飛ばすが、新しい紗希が脇から襲い掛かってくる。お前なんか、お前なんか。そう叫びながら服を引き裂き、柔肌に直接刃を突き立てようとする。
「(……やめ、て)」
『マリ!? ……クソッ!』
黒鉄の翼にライヴスを充填し、ミサイルを一気に撃ち放つ。死神を取り囲むように次々破裂し、周囲の土を激しく巻き上げる。
「見えるだろう。死が。君を最も愛している隣人の姿が」
爆発に紛れて駆け出す六花達を、死神はよろよろと杖をつきながら追いかけようとする。一気に木陰から飛び出したアリスは、刀を抜いて真正面から死神に飛び掛かった。
『これでも、喰らえ!』
死神が杖をアリスに向かって突き上げた瞬間、その姿は血の様に赤い霧となって掻き消え、背後から鋭い刀身が老人の胸を貫く。老人は仰け反り、そのまま固くなった。
『ふふ、どんなもんよ』
強気な笑みを浮かべてみせるアリス。しかし消えたはずの幻影が不意に蘇り、春翔の形を取って彼女をも背後から突き刺した。
『……何のつもりよ、それは』
アリスは一瞬“女王”へと返り、翻って幻影を掻き消す。そんな彼女に、老人は仰け反ったままの姿勢でへらへらと笑いだす。
「(くっそ、やべぇ……頭が急に回んなくなってきやがった)」
アリスは刀を構え直そうとするが、身体がついてこずに足が縺れる。春翔の意識が、急に遠のいていくのを感じる。普段の余裕も保ち切れず、アリスは叫んだ。
『何してんだよ春翔!』
『この野郎!』
樹上で見ていたカイも飛び降り、落下速を乗せて水縹で斬りかかろうとする。しかし、いよいよ紗希の悲鳴が無視できなくなっていく。
「(やだ、いやだ……!)」
『(畜生、マリがヤバい……!)』
結局カイは剣を振るえぬまま、アリスの隣へと舞い降りる。老人は全身の関節をぱきぱきと鳴らしながら、元の姿勢へ戻ってそのぎらつく眼を二人へと向けた。
「死に抗う事は、命の形に抗う事と同じなのだよ」
『なるほど。君はそのように考えているわけだ』
黄金に輝く光の粒が、はらはらと落ちて周囲を満たしていく。春翔達が素早く振り向くと、そこには死をも恐れず、威風堂々と立つイリスの姿があった。
『なら教えてくれたまえ、屍肉喰らい。……私の様に不老不死の存在を、君は一体どう思う?』
爆風に紛れて逃げ出した杏奈達。密集する木々の枝を飛び移りながら、先行する京子は逃げ道の先へと目を凝らす。蹄を高らかに鳴らしながら、朽ちた旗を携えた騎士が突っ込んで来ようとしていた。
「蒼騎士が来てる!」
「ここからはオレもフォローに回ります。皆さん無理はしないで」
双剣を構え、國光が京子と共に三人の前に立つ。その背中を見た青藍は、微かに声を震わせた。目にはうっすらと涙も浮かんでいる。
「サクラコ、さん……」
「……」
國光はその声に応えず、近づく敵の気配を感じながら淡々と構える。葉を掻き分ける蹄の音が、次第に大きくなっていく。
「来るよ!」
京子は叫んで弓を構えた。騎士が突っ込んでくる。以前刃を交えた時にも増して禍々しい霊気を纏い、幽霊を後に従えながら押し寄せてくる。京子は引き絞った弦を解き放ち、橙に輝く矢を撃ち込んだ。その一発は狂いなく騎士の肩を捉えたが、騎士は構わずに國光へと向かって馬を走らせる。
『(サクラコ、足を!)』
「わかってる!」
國光は一気に双剣を抜き放つ。馬の脚に向けて鎌鼬が一閃飛んでいき、その肉を切り裂いた。しかし馬は怯む事無く國光を轢き倒そうとその足をさらに速めた。
「させませんよ!」
木の影を縫うように駆け抜け、蕾菜が大盾を構えて騎士の前に身を乗り出す。玄武と蛇の気が絡み合う脚で踏ん張り、騎士の突進を真正面から受け止めた。同時に魔力を炸裂させ、蒼い馬の足を無理矢理止めさせる。
「――!」
木々を震わす悲鳴と共に、死霊が蕾菜に向かって押し寄せてくる。國光は双剣を振るい、その口にライヴスの弾丸を叩き込んで黙らせた。その間に後ろへ振り向き、國光は六花達に向かって叫ぶ。
「走って!」
●身を尽くしてや
「……永久の命に定められたものが死なないのは当然の事だろう。私も神が与えた命の形についてあれこれと文句をつけるつもりはない。それはあまりに烏滸がましい」
アイリスの問いに、死神は笑みを浮かべたまま応える。氷のように冷たい笑みを。
「むしろ私は君に問いたい。生命の樹からも取って食べ、我々のようになるかもしれない人間をどう思うのだね? 死と共にありながら、それを忘れようとしている人間を」
『さあ。……人間の行く末に云々言うつもりは私にはないからね』
イリスは剣を構え、死神へ一息に間合いを詰める。
「(正体不明……それが今までの悲劇を生んだ)」
『(ならば暴かない選択肢はないね)』
掲げた剣の光は背中の翼と融け合う。アイリスの存在を強く感じながら、イリスは死神に懐に潜り込んでその喉笛を掴む。
脳裏に一つの景色が閃く。目の前に邪英化した自分が立っている。禍々しい闇の刃を携え、虚ろな目でイリスを見つめている。しかしイリスは構わない。
「煌翼刃・天翔華!」
翼を羽ばたかせ、死神を無数の光で刺し貫く。更にもう一度羽ばたき、死神の全身を引き裂きながら大樹へと突き飛ばした。死神は無抵抗のまま幹に叩きつけられ、ずるずると土の上へとずり落ちていく。
「やれやれ……困ったものだ。君ならば、死すべき定めを捻じ曲げようとする人間の愚かさを理解できると思っていたのに」
『(戦闘力そのものは大したことはない……だがふむ、手応えが弱いな)』
派手に全身を切り裂かれたというのに、死神はまるで意に介さず立ち上がろうとする。
「それに、あの時の嫌な感じがするよ」
イリスは自分を包み込むアイリスの存在を改めて意識する。またしても“あの”闇に呑み込まれるわけにはいかなかった。
『……そうだな。ここは一旦退いておこう。杏奈や春翔の事も気になる』
死神は立ち上がる。それには眼もくれず、イリスは樹海の中へと飛び込みその姿を消すのだった。
『春翔! 紗希! しっかりしろ!』
「わかってる! でもきついんだ。寝ちまわないようにするだけで……」
アリスが能力者二人を励ますように叫ぶ。春翔はどうにかこうにかそれに応えるが、カイの中に潜り込んだ紗希はうんともすんとも言わない。カイは苦い顔で首を振る。
『だめだ。ほとんど気を失っちまってる。……カチューシャぶっ放した時に、何かやられたみてえだ』
「俺も同じだ。あいつに刃を向けた瞬間に……俺が俺を殺しに来る幻影を見せられた。そっからだ。なんか身体がガタついてんのは」
『どうするよ! こんなん囮とか言ってる場合じゃないっての!』
アリスは刀を右手に握りしめ、冷汗を垂らしながら霧の立ち込める周囲を見渡す。既に秘薬は飲んでしまった。それでも繋がりが捩れていくのをひしひしと感じる。
「合流だ。タナトス本人はとろっちい。それなら纏まった方がリスクは減る」
『……やむを得ねえか』
春翔の言葉にアリスとカイは頷き合うと、重くなっていく身体を引きずるようにしながら喧騒のする方角へと再び走った。
「くぅっ……!」
蕾菜は蒼騎士に突き出された槍を受けてよろめく。京子は再び騎士に向かって矢を向けるが、橙色の光に澱みが混ざり始める。
『京子、これ以上は危険かもしれません』
「ここが意地の張りどころでしょ! ここで自分を曲げるなんて最悪!」
「そうね!」
杏奈も京子の言葉に応じるように炎を放つが、騎士の鎧を軽く舐めるだけだった。
「ルナ、ちょっと出力下げ過ぎじゃない?」
『(だって、どんどん杏奈が遠くなっていくんだもの……)』
「逃げる事はないだろう。私はこんなにも、君達を愛しているのに……」
樹海の奥からタナトスの声が響く。得体の知れない力に絡め取られ、歴戦のエージェントも徐々に押されつつあった。木にもたれかかってその光景を見つめていた青藍は、刀の柄に手を掛け動こうとする。
「やっぱり、私も……」
「ダメだ。これ以上無茶したら本当に死ぬぞ」
國光は語気を強め、青藍の胸倉を掴んで背後へと押し戻す。青藍はそんな國光を信じられないという顔で見上げた。
「そんな、でも……!」
「今は仲間を助けようなんて考えるな。自分が生きる事だけを考えろ。オレ達がどうしてここに来たのかを考えろ!」
青藍は潤んだ目で口元を震わせたが、言葉に出来ないままに俯く。國光はそんな彼女に再び背を向けると、騎士の振るう旗を左の剣で受け止め、そのまま右の剣で馬の脇腹を突く。しかし、力を抑えたままでは騎士を詰め切ることが出来ない。身を乗り出した騎士に突き飛ばされ、よろめいてしまう。
「くっ……」
蕾菜は盾を構えたまま、仲間達が苦戦する姿を見渡す。このままではいつかタナトスと挟み撃ちにされてみんなお終いだ。
そんなのは、彼女の“生”に背く。
「……風架さん。全力を出してください」
『(蕾菜、君は……先代の末路を知らないわけじゃないだろう)』
既に蕾菜は風架のライヴスを引き寄せ、全身の幻影をより強く輝かせ始めていた。
「大丈夫です。私は死ぬつもりも誰かを死なせるつもりもありません。……だからクロス、あなたも私を死なせないでくださいね」
その言葉に、風架ははっとなる。その力強い言葉に、風幻の巫女とまで謳われた先代の面影を、誰よりも強かった先代の面影を感じたのだ。
『(……本当に、なぜ自分と誓いを結ぶ人間はこうも無茶をしたがるのか』
風架は力を解き放った。光を灯した角の幻影が、鋭さを増していく。風のように漂うライヴスを纏い、彼は蕾菜と共に騎士へ向き合う。
『さてと目ぇ覚ましましょうか。……生きて、帰りますよ』
「はい!」
二人のやり取りを見ていた六花もまた、中で彼女を守ろうとするアルヴィナに呼びかけた。
「アルヴィナ! ……アルヴィナも、全力を出して。六花は大丈夫だから!」
『でも……これ以上は、六花が魔力に潰れてしまうかも――』
「大丈夫。六花は“寒さを厭わない”。一緒にいてくれる、みんなのために……!」
六花がそう叫んだ瞬間、うっすらと六花の幻想蝶が輝く。その光に呼応するように、國光の籠手に埋め込まれた幻想蝶と、青藍の胸元に止められた幻想蝶もうっすらと輝く。
「これって……」
蕾菜が風架のライヴスを引き出し切った瞬間、彼女の幻想蝶も輝き、京子の幻想蝶を僅かに共鳴させる。京子は死霊を鋭い太刀捌きで切り捨てながら、身体の澱みが引いていくのを感じた。
「(……ちょっと楽になった、かも)」
「(……何だかよくわかんねえけど、何とかなりそうだ。アリス)」
『ならばよし! パパっと邪魔くさい騎士は切り捨てて、帰ろ!』
同じく幻想蝶の光を見つめていたアリスは、強気な笑みを取り戻して駆け出す。カイはその後を追いつつ、茫然自失なままの紗希に向かって意を決して呼びかけた。
『マリ! 俺はコレを墓まで持ってくつもりだったが、激白する!』
息を吸い込み、彼は言い放つ。
『……俺は、お前の裸を見た』
瞬間、紗希は意識を取り戻す。
「は?」
『前に服を透明にする愚神と戦ったことがあるだろ。お前は覚えてないだろうが』
構わずカイは紗希に向かって語り続ける。
『そして俺は、俺が思っていた以上に貧乳だったことに衝撃を受けた』
紗希は動揺を隠せない。あわあわしている。それを感じながら、カイはそれもう一押しと叫んだ。
『お前がパット大盛りで乳詐称している事も知った!』
「へ?」
折り悪く、カイの叫びは彼の知り合いの耳にまで届いてしまった。杏奈、アリス、六花、青藍がちらりと彼らの方に振り返る。知ってか知らずか、カイはそのまま熱弁を振るった。
『だが女の価値は乳のデカさじゃねえ。俺にはわ――』
「ギャアアア! それ以上言うなぁー! コロス! 帰ったら、ぶっコロス……!」
すっかり紗希は己を取り戻していた。ひしひしと伝わる殺意を感じながら、カイは歯を剥き出しにして喩えようもない笑みを作ると、水縹を肩に担ぐ。
『ああ、帰ったらな!』
騎士は旗を振り上げ、樹海に眠る亡者の幻影を次々に呼び起こす。それに合わせて蕾菜もまた戦旗を振るって風を巻き起こす。その風はやがて麒麟を象り、幻影を打ち払いながら騎士へと襲い掛かる。
「息を合わせていくわ! こんなところでやられてたまるもんですか!」
「うん。生き抜くって、誓ったからね!」
「こんな奴らに負けない!」
杏奈、京子、六花が一斉に騎士へ向かって攻撃を放つ。稲妻の槍が馬の脇腹を撃ち抜き、巨竜を象る吹雪が馬を仰け反らせ、輝く一矢が騎士の胸を貫いた。騎士はバランスを崩し、土の上にどうと落ちる。
『カイ! サクラコ! このままぶった切っちゃうよ!』
「わかってます!」
『へこへこ逃げるのは癪だからな!』
アリスの号令に合わせ、真っ先に國光が斬りかかる。懐に潜り込み、騎士の振るう旗を双剣で叩き落した。更にアリスが國光を乗り越え飛び蹴りを叩き込み、そのまま分身と共に次々騎士の鎧を切り裂く。
『お前の首だけは貰う!』
カイは高々と跳び上がり、落下速を乗せて騎士の肩口へと水縹を振り下ろした。青白く燃える刃は、そのままバターを切るように易々と騎士の肉体を引き裂く。
「――!」
断末魔の言葉もない。上半身を真っ二つにされた騎士は、ばらばらに倒れながら蒼い光となって消え去った。難局は抜けた。七人は騎士の消えた跡を見つめて安堵の溜め息をつく。
『おやおや。……いいところだったが、混ざるタイミングを逃してしまったか』
死霊を片手間で叩き潰しながら、イリス達が木々の間から現れる。
「とりあえず脱出しよう! アイツが追いつけないうちに!」
イリスの言葉にエージェント達は頷き合うと、素早く散開して樹海を走り出した。
「……」
黒いローブが蒼く染まっていく。木の影の彼方へと消えていくエージェント達を見つめ、壮年へと若返った死神は神妙な顔をしていた。
「……やはり、お前達を赦してはおけない。お前達は、そう、あまりに過保護だ」
死神は踵を返すと、樹海の深まる闇へと消えていく。彼が歩くたびに木々は朽ち、草木は萎えていった。
●透明で透明な
「おおよそ活性度は元に戻っています。ですがもう数日は様子を見た方がいいでしょうね」
「……そうか。気を付ける」
数日後、春翔はH.O.P.E.の医師から検査表を受け取っていた。戦いから帰還した後、青藍は検査入院、他の仲間達は絶対安静を言い渡されていたのだ。表と春翔の顔を、アリスは交互に見比べる。
『ま、これで今回は一段落、ってとこ?』
「これからが大変だろうけどな」
「ふざけるな! 警察に突き出すぞこの変態!」
御童宅。朝っぱらから紗希がカイをパロスペシャルで締め上げにかかっている。非共鳴状態、かつ素手とはいえ関節を極められると本気で痛い。カイは絶叫した。
『ギャアアアッ! ……まさか、仕置きの猶予はこのため……!』
「死ねええええっ!」
『アアアッ! 待て、杏奈が話したいことあるって言って……アアンッ!』
「……だから、騒速は元々英雄だったんです。死神の主と戦っている間に、私達のようにリンクを崩されて、その隙に付け入られて邪英化させられてしまったんです。愚神になった影響で記憶も飛んで、過去の事を思い出せない状態になってるんでしょう……」
ブリーフィングルームにて、杏奈はアイリス達とウォルターを前にして熱弁を振るっていた。その間に扉が開き、こてんぱんにされたカイと怒り心頭の紗希が乗り込んでくる。
「でも、きっと騒速は自分を邪英化させた死神の主と、能力者を守れなかった自分を憎んでるんです。勝てない状況になると逃げるのは、あの時に逃げられなかったから……ってことでどうでしょう?」
『ふむ……そうだねえ。個人的には、あれが元々英雄だったというセンは無さそうに思えるが。一度は邪英化してしまった者の勘、に過ぎないがね』
『……ですね。騒速は英雄ではないでしょう。世良さんの言ったような事件は間違いなく起きていますがね』
アイリスとウォルターに立て続けに言い含められ、杏奈は思わずずっこける。
「そ、そう……ですか? で、その事件とは?」
ウォルターは頷くと、傍に置いていた鞄から紐付き封筒を取り出す。
『漁村で事件が起きてから、私と青藍はずっと、愚神が関わったとされるも、未解決なまま終息してしまった事件の資料をH.O.P.E.の本部で漁っていました。探知が出来ないなら、“出来なかった”という結果を見るしかない、という青藍の見立てで。そこで見つけたんです。……“死神”に敗北し、邪英化の果てに英雄を失ったという能力者を』
ウォルターは封筒の中から一枚の資料を取り出す。六人は身を乗り出し、その資料を覗き込んだ。斜に構え、煙草を吹かす青年の写真が目に入る。
「……坂上、剣……」
支部の屋上に立ち、蕾菜は彼方まで広がる海原を風架と共に見つめていた。
「風架さん。……私は、少しは先代に近づく事が出来たでしょうか」
『まあ、まあ、というところ、ですかね』
風架は肩を竦め、曖昧に答えを濁す。蕾菜は肩を縮めていたが、風架はやがて頬を緩め、微かな喜びを含めて呟く。
『ですが少なくとも……蕾菜は自分の思っていた以上に成長していたことは認めておきましょう』
國光は京子、春翔と共に医療施設のモニターを見つめていた。そのモニターの中では、漁村で助けた子供が、今も眠り続けている。傍の画面は、一般人の基準を遥かに下回るライヴス活性値を示していた。
「……オレの見立てに過ぎないけど、多分あの愚神のライヴス活性値はこれと同じか、それより低い」
「なるほどな……それだと既存の道具じゃ拾えねえだろうな」
春翔は煙草を吸うような仕草をしながらモニターを見つめる。
『戦屍の腕輪を使った時、皆さんの事を感知出来たり出来なくなったりしていたのです。……つまりあの愚神は、メテオ達のライヴスもあの愚神と同じような活性値にしてしまえる力を持ってる……んじゃないか、と、いう事なのですよね?』
メテオが國光を見上げると、彼は小さく頷く。京子とアリッサも苦い顔を見合わせた。
「夜霧と戦ってたところも遠くからこっそり見られてたりして」
『予期せぬ増援などもありましたし、本当にそうだったかもしれません』
「とりあえず帰る前にデータを分析班に提出しておきます。……イギリス支部でも頼めば調べてくれるかも」
それだけ言うと、國光はそそくさと動き出す。今日も研究の合間を縫って東京支部に飛んできただけなのだ。アリスは首を傾げ、そんな彼を軽く追いかけながら尋ねる。
『何か声掛けていかなくていいの? 青藍、今日退院だよ?」
「……今は。あの人にどう顔合わせるべきか、ちょっと思いつかないんで」
國光はアリスに微笑んでみせると、再び廊下を歩きだす。
『メテオみたいにほっぺむにむにしてやればいいのですよ』
「そうかもね。でも、少し考えたいんだ」
青藍は支部の窓から外を見つめ、小さく嘆息する。六花は心配そうにそんな彼女を見上げていた。
「ん。澪河さん、どうしたんですか?」
「……サクラコさんの事、怒らせちゃったかな」
彼女はぽつりと呟く。アルヴィナも青藍の隣に立つと、共に蒼い空を見上げる。
『そうね。少なくとも、心配させちゃったのは事実でしょうね』
「ですよね」
青藍は曇った顔をしていた。
「ダメだなぁ。……また、あの人に甘えちゃった」
「……ん。上手く、言えないですけど。困った時に、皆に助けを求めるのは……ダメじゃないと思います……」
六花は諭すように訴える。青藍はもう一度溜め息をつくと、いつもの顔を取り戻す。
「……ありがとね。ちょっと休み過ぎた。もうじっとしてらんないね」
「はい。タナトスについての調査、始まってます……」
「行くよ。……調べてて、ちょっとわかったことがあるから」
かくして時は流れ行く。死の舞踏も、間もなく始まるだろう。
「また牛丼ですか。飽きないものですね」
「そりゃ安飯の王道ですからね。毎日だってどんとこいです」
「はあ。……そういえば。あの愚神って、そっくりだと思いませんか――」
つづく