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最終発言2015/10/07 10:58:04 -
相談卓
最終発言2015/10/07 11:21:33
オープニング
●運命
実に都合の良い言葉だ。
我が身に降りかかる、ままならぬありとあらゆる事象を、人はそう名づけた。
それだけでは飽き足らず、やがて神格まで与え、時に讃え、賛美した。
なんと素晴らしき発明か。
奪われ、貶められ、傷つけられ、蔑まれ、生の苦しみは尚、続く。
だが、この世のあまねく不満は、彼女が一身に引き受けてくれる。
たとえ怨敵に欠いたとて、彼女を目の仇として憎む事が許される。
あるいは状況が好転したのなら、掌を返して崇め奉る事さえ、認められる。
とはいえ、さる叙事詩によれば、幸と不幸では後者が二倍あるのだそうだ。
やはり、彼女に向けられるべき感情は多く、負のそれなのだろう。
「そうだな? カルミナ」
「ええ、フォルトナー」
満席のヴィンヤードホールの中央で初老の紳士が問えば、傍らで縁起の悪い色をしたドレスの女が素っ気なくいらえた。
その豊かな黒髪は総て額に纏められ、ヴェールの如く、目許はおろか顔全体をすっぽりと覆い隠している。
髪間から時折覗かせる細い顎の生っ白さと、無表情な真紅の唇が不気味だ。
紳士――フォルトナーはカルミナと呼んだ女から目を逸らし、タクトを振るう。
次いで首から上が鴉や黒猫といった胡乱な姿をした楽団員達が一斉に、あるいは後を追って、指揮に沿って繰り広げる。
人の悲運を、運命を、痛ましい調べに乗せる。
楽曲が盛り上がるたび、カルミナの周囲から円環がしなり飛ぶ。
聴衆の幾人かの首も飛ぶ、返り血も飛ぶ、悲鳴も飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。
「お前のせいだ」
「ええ」
タクトがなびく、独唱が響く、カルミナを中心に甲高い音が鳴り響く。
音は波となって放射され、客席の最前列から順に、矢継ぎ早に、数多の聴衆の体内の爆ぜる音色がなめらかに、ある種の心地よさすら伴って響く。
「お前のせいだ」
「そうね」
この不毛なやり取りを交わしたのは何度目だ。
否、たちこめる血煙に麻痺しかけた頭脳が浮かべた疑問こそ、不毛。
そうとも、不毛だ。この世の何もかも。如何に練磨し、売り込み、出し抜こうとも、結局は運命に従うしかないのだから。
破滅とは、ある日突然、何の前触れもなく訪れるものなのだから。
だから、コンサートに突如舞い降りたカルミナを、フォルトナーは運命として受け入れた。
結果、長年付き添った楽団とは死別する事となり、代わりに、いつしかカルミナの元へと集った怪しき者どもが、彼の楽団となった。
その後の事は、よく覚えていない。
何年も経ったような気もするし、まだ一夜明けてすらいないのかも知れない。
確かな事は、彼女は何もしないという事。
楽団員とて、フォルトナーが指揮を執らなければ同様だ。
だが、フォルトナーは『誓約』という名の運命に従い、タクトを振るい続けた。
ゆえに。
「でも」
この殺戮は。
「貴方のせいよ」
助けて! 誰か!
●神意ですらない
「皆さん、クラシックはお好きでしょうか」
オペレーターは、まずそんな事を言った。
「ドイツはライプツィヒの、とあるコンサートホールに愚神が出現しました。名はカルミナ。彼女は自身の影とでも呼ぶべき者達を従えて、聴衆を次々手にかけた……と言うのとは、いささか趣きが異なるのかも知れませんけれど」
かと思えば、今度は煮え切らない。何か特段の状況でもあるのか。
「現時点での生存者は一名。指揮者のフォルクハルト・フォルトナー氏です。彼はどうやら能力者の素質を持ち合わせていたらしく、コンサートの最中、なんらかの弾みで、無意識的にカルミナを召喚してしまったものとみられます」
殺戮の起点となるのは、そのフォルトナーがタクトを振るう時なのだそうだ。これに応じて楽団が演奏すると、人が死ぬ。カルミナの周囲から放たれる、『暴力』によって。
また、影の楽団員は、害意のある者がカルミナ本体やフォルトナーに近づけば、演奏の手を止め、行く手を阻もうとするだろう。更に、間を置けば従魔を呼び寄せ、新たな犠牲者を招き、ドロップゾーンの拡大へと繋がる。
「少なくとも今すぐに向かえば、氏以外のの生存者の事を気にせず戦えます。前述の理由から、彼が襲われる可能性も低いでしょう。幸い……なんてお世辞にも言えませんけれど」
――目的は愚神カルミナの撃破。
「フォルトナー氏の処遇に関しては……そうですね、皆さんにお任せしますよ」
HOPEとしては逮捕が望ましいのだろうが、状況が状況ゆえの判断か。
「改めてお尋ねします。クラシックは、お好きですか」
好むと好まざるとに関わらず、誰かがやらなければならない。それでも、あえてオペレーターは再度問うた。
「もし、多少なりと感じるところがおありでしたら――どうかよろしくお願いします」
これ以上の被害が出る前に。
解説
【目的】
愚神カルミナの撃破
【ドロップゾーン】
中央に舞台を配し、その周囲を階上の客席が囲む、いわゆるヴィンヤード型のコンサートホール。
ホールへの侵入口は、一階の舞台を前後から挟んだ二ヶ所と、二階客席壁際の四方に配された四ヶ所。
最初の犠牲者達の亡き骸が散乱し、血の海と化しています。
【カルミナ】
黒尽くめのケントゥリオ級愚神。
フォルトナーの傍から動かず、自らは喋る以外何もしません。
以下、特殊能力。
(※発動は彼女の意思ではなく、指揮に伴う楽団の演奏によって起こります)
・『舵』(遠距離攻撃)
射程内の一定範囲をまとめて薙ぎ払います。
発動しない間はカルミナの周囲を漂い、接敵時の攻防を自動的に担います。
・『歌』(攻撃力:中)
フォルトナー以外のリンカーや人間全てを高周波音で攻撃。
直撃を受けると一時的に耳が遠くなり、音を頼りに行動し難くなります。
・『友』(特殊)
カルミナの抜け毛から自動的に発生。後述の影の楽団がそれにあたります。
【影の楽団:戦闘開幕時36体】
『友』によって発生した、鴉や黒猫などの顔をした紳士淑女達。
通常は演奏に徹し、カルミナやフォルトナーに害意を持つ者に、各種楽器を鈍器にしたり投げつけるなどして攻撃します。
一撃でも浴びせれば消滅しますが、数が多く、更に増える可能性もあるのでご注意を。
【フォルトナー】
初老の紳士。指揮者にして能力者。
カルミナの『舵』『歌』は彼の指揮が起点となります。
リプレイ
●面差し
薄曇り越しのか弱い日差しが、素っ気ない秋風に申し訳程度の温もりを奪われ、古い街の彩度を低からしめ。駒ヶ峰 真一郎(aa1389)の目に映るのは、そんな味気ない景色。
「うそ寒いな」
リーゼロッテ アルトマイヤー(aa1389hero001)の感想に「冷えますか?」と問えば「違う」と直ちに応答があった。ライヴスを介さない一切の事象に影響されぬ身なのだから当然だが――それはそれ。見目にも寒暖というのはある。
だというのに、コンサートホールからは麗らかな春の如き胸躍る旋律が、戒厳令下のように静まり返った巷を、空気も読まず賑やかす。
如何に素晴らしい演奏であれ、奏でれば奏でるほどこのライプツィヒは寂れ、凍てつくに違いないのに。もっとも、その原因を作った張本人からすれば、全ては運命の二文字で片付いてしまうのかも知れないが。
都合の良い事だ。
他の連中が足早に会場入りする中、不機嫌な眼差しで音楽堂の外観を見上げながら、雁間 恭一(aa1168)は埒もない事を言った。
「運命って便利な言葉だよな?」
『愚者は自らに使い、賢者は他者に使う。確かに使い出がある言葉だ』
この歴史ある街並みに似つかわしく格調高い、ともすればどこか尊大で鼻につく者も居るであろう調子で、傍らのマリオン(aa1168hero001)が首肯する。
「賢者マリオンは女に使い、そして撃沈したのであった」
『愚者恭一が毎日使うのをうんざりしながら聞いている余にもう少し気を使ったらどうだ?』
「笑えない話」
軽口を叩き合う二人の横を、美貌の主が厳かな面で通り過ぎる。
「……。そしてまた撃沈する、と」
『雁間の三文芝居じみた冗談が、だろう』
「貴方達の事じゃないわ」
今度は肩をすくめる恭一とマリオンに振り返る事なく、けれど愛想を振りまく事もせず、橘 伊万里(aa0274)は簡潔に補足して、その場を後にした。
虫の居所が悪いのは確かだ。
――今なら、もう犠牲者は増えない。
オペレーターが告げた、その一言。受け入れ難くもそうせざるを得ない事実を、この先に待ち受ける光景を、その元凶を――医者の端くれとして、英雄を伴う者の一人として、伊万里は許せそうになかったから。
ロビーに入ると、旋律は響きを増す。よりホールに近い上、オリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)が僅かに傾げたドアの隙間から中の様子を窺っており、そこから音が漏れ出している為、なおさらである。
内部の構造、敵の位置を把握する上で不可避の、血の海。立ち上る臭気もまた溢れ出す。
「うっ」
隣に控えていた木霊・C・リュカ(aa0068)はたまらず口を押さえた。無理もない。人の死を数多見続けてきたオリヴィエとて眉をひそめるほどだ。。
『リュカ』
「……大丈夫、大丈夫だよ。止めなきゃね。曲もコンサートも、いつかは終わりが来るんだから」
落ち着けようと肩に小麦色の手を乗せたパートナーに生っ白い手をあげていらえ、リュカはどうにか持ち堪える。気絶するのも吐くのも後に回したとて遅くあるまい。そう自分に言い聞かせて。
「なるほどね」
見かねたマックス ボネット(aa1161)が索敵を引き継いで、すぐに片眉を上げる。
こちらは腐っても元警官、凄惨な光景も多少は慣れている。だからとて気持ちの良いものではないが――さておき、足元が真っ赤なのに対して生きている者達は真っ黒なのが印象的だ。
胡乱な姿の楽団。指揮棒を振るう男。何もせず立っているだけの女。
各々の顔までははっきり判らないが、聞いていた通りの力関係なのはおおよそ窺える。
「うちと相通ずる物を感じないでもないが……この場合どちらが主で、どちらが従なのかねぇ?」
ちらり、隣におわす(恐らくは)“主”を横目で覗き見ようとすると――
『オヂ様? なにひとりでブツブツ言ってるんです?』
「うおっ!」
――まさしくその“主”たるユリア シルバースタイン(aa1161hero001)にちょうどの間で詰め寄られ、“従”の者は視線をそらす。
「いや、まあなに……そう、あれだ。オペレーターが言ってただろう、クラシックはお好きですかって」
『クラシックですか? ええ、私は好きですよ』
今ひとつ気の利かない出まかせだが追求は回避できたらしい。
「わらわは好きではないぞ。そも、音楽自体相容れられそうにない」
これにカグヤ・アトラクア(aa0535)が全く逆の意見を述べる。
不快感を示すでもなく、ただ率直だった為だろう、他の者から「なぜ」と淡い興味の視線が注がれる。
「……音楽は、どれだけ技術を高めて演奏しても、心がこもっていないなどと訳の分からん言いがかりが通る悪魔のような学問じゃからな」
『もう、またそうやって反応に困る事ばかり言うんだから』
独特の見解にすかさずクー・ナンナ(aa0535hero001)が小言を挟む。何より技術こそ至上とし、自らも練磨を重ねるカグヤらしい台詞でもあるのだけれど。
だが、技術であれ情感であれ、求めるのは結局のところ心。
「無意識な願望の具現化を愚神が手助けをしているのか……はたまたその逆か」
柄でもないと思いながら、しかしマックスはつい考えてしまう。
心がやがて運命に繋がると唱える識者もいる。そして心を求める心、即ち人の意識の根底にこそ悪魔は宿るのかも知れない。然るに悪魔を愚神と捉えるなら、愚神とは――
「どっちにしろ気に入らねぇな」
レヴィン(aa0049)が、まさに心の底から顔いっぱいに不満を露わにした。
●神様!
鉄の匂いが頭の痺れを促す。
聴衆は皆赤く染まり沈んで久しい気もしたが、またどこからか連れてくるのだろう。
どうでもいい。何を考える必要も、感じる必要も。
「おい爺さん、どうなんだ?」
私はこの素晴らしい演奏を率いてさえいればそれで良いのだろうから最早おや新たな聴き手が誘われたようだ随分と乱暴にドアを開けたな品のない輩めまあ構うまいなんだまだ居るのかひとりふたりさんじゅうろくにん人数など何の意味が待て今何を言った、若造。
「この胸糞悪ィ展開はてめぇが望んだことなのか? それとも押し付けられたもんなのか?」
それは先ほどのマックスと同じ、答えの意味なき問い。
愚神と思しき者を睨み、レヴィンは更に言葉を紡ぐ。楽曲が緩やかな間奏に入っていた事もあり、彼の声はホール全域によく通った。
「てめぇが好き好んでこの惨劇を招いたっつーんなら、ブッ飛ばして目ェ覚まさせるだけだ。だが、そこのけったいな女の言いなりになってるっつーんなら」
どうあれ、
「……同じだ、ブッ飛ばす」
若者の宣告を聞きつけ、演者達が一斉にエージェント達の側を向いた。
空気が、変わる。
他方、喪装の淑女は聞こえてすらいないのではと思わせるほど何らの興味も示さず、ただ客席の方を見上げているばかり。
フォルトナーはと言えば、無様に口をぱくぱくさせた挙句ぶるぶる震えながら涙と鼻水を垂れ流して情けなく顔を歪めて――どうやら喜色を浮かべているらしかった。
「……そういうことかい。あんたはその女の為の、いつ終わるとも知れない演奏会のマスターってわけだ」
加えてなおもタクトの動きが留まる気配がない事、そしてむせるほど凄惨な、かつて人であったものがぞんざいに散らかる様を見て取り、マックスは小さく息をつく。
「とんだとばっちりだな、居合わせた連中は」
同情しない事もないが、混ざるつもりは毛頭ない――ならば共鳴あるのみ。
『そうとも、こんな風に死んで良い人間なんて一人もいねぇ。……おい、大丈夫か征四郎』
ガルー・A・A(aa0076hero001)が兄の如く、父の如く、紫 征四郎(aa0076)を気遣った。
「大丈夫ですよ。ここで怯んでいては何も救えない、でしょう?」
こわくなど――あるものですか。
このような場所に似つかわしくない未だ十にも満たぬ子は、眉間の傷に分かたれた双眸を刮目さえして、自ら在ろうとしている。救う為に。誓約を守る為に。
(それがお前の運命か)
去来したのは諦念にも似た想い。だからこそ認めてやらねばなるまい。
『よく言った。なら使え、俺様を!』
「はい!」
次の瞬間、血の海に立つのは、信念と力に満ちた、一人の青年だった。
次いで二階客席より銃声がつんざく。
『聴く人が誰もいなくなったのに、まだ演奏を続けるのか?』
リュカ――否、髪も肌も黒く染まるその男は、先ほど血煙に酩酊しかけたか弱き存在ではない。最早オリヴィエとするべき者の金木犀の眼差しと無慈悲な声、そして銃口は正確に愚神カルミナを射抜き、弾丸のみが即座に動き出した鉄の舵によって弾かれた。
「では、貴方達は?」
黒髪のヴェール越しに、答えは素っ気なく、身じろがず。
「いかにも客じゃ。いかしたBGMで歓待せよ、老いぼれ指揮者とセイレーン」
(ちょっと、あまり挑発しない方が……)
既に共鳴を果たしていたカグヤは、クーの思念に望むところとばかり口角を吊り上げる。
“セイレーン”と聞いて愚神がカグヤを向く。直後、楽団員の一部が音もなく起立し、楽器は構えたまま、じわじわと前へ歩き始めた。
(ほら! どうするつもりなの!?)
「フィナーレまで付き合ってやろうかの」
もっとも、それを委ねるつもりなど微塵もない。
「だったら幕は俺が引いてやる。来い、マリナ!」
『正義の名のもとに、この惨劇に終止符を打ちましょう。失われた魂を弔う為にも……』
レヴィンに呼応するのは静謐な祈りのごとき、聖女のそれ。
『今は目の前の悪を討ち滅ぼすのみ!』
マリナ・ユースティス(aa0049hero001)は自らを“剣”とみなし、パートナーに宿る。
「正義。貴方達が? 私は……悪?」
狂宴が差し迫るヴィンヤードホールにて、“セイレーン”は小首を傾げた。
「そう、“世界蝕の寵児”というわけ」
思わせぶりな言葉は、次なる曲目へと移ろう大音響にかき消され――。
●世界
ホール内のざわついた気配。扉の向こうでは仲間達が啖呵を切っている頃だろう。
「こっちも行きましょう」
いつしか顔を覆った白い面に準じるが如く淡々と、真一郎が先陣を切り――中へ飛び込む。
「ええ……今は還らない命より、未来の助けられる命を」
そして、嘆くより、決着を。
構造は把握した。楽団の多くはこちら側にやや近い。露払いと陽動とを自らに割り当てた者達は動き出す。
同時に楽団の一角にて炎が爆ぜ、数体が消し炭となる。マックスの仕業だった。
「あら、やるじゃない」
だが、それに敵が注視するようではこちらの面目が立たない。多少でもひきつけられたなら。
「血に慣れてるとは言っても、覚悟はいつも必要ね……R?」
伊万里が解いた髪を白く染め上げる事を以って、Rと呼ばれし存在は肯定する。即座にドアの傍で剣を召喚し、熊のコントラバス奏者へと放つ。標的は武器として破壊力の大きい大型楽器の奏者。
数的不利は明らか、ならば切り崩すのみ。至ってシンプルだ。
「派手にいきますよ」
(判っている)
刃が喉笛に突き刺さる時、床から血飛沫を跳ね散らかして真一郎が最寄だった黒犬頭のチェロ使いを大鎌で薙ぎ倒しがてら敵陣に突っ込む。
共に困難へ立ち向かう。その誓約を全うする為にも。
案の定、楽団の三割ほどが真一郎に群がり、更にそこから二体が弓とフルートを携え伊万里へと近づき始めた。正面口側でも交戦は認められるが、事実上の挟撃に分散され、層が薄まっている。
まずは狙い通りといったところか。
「当てにしてるぜ」
『よろしく』
「え――」
不意に、伊万里の横を二つの影が過ぎり――一方の後姿は覚えのない青年のように見えたが――瞬く間にそれらは一人の男と成り、目障りとばかり手近に居たフルート奏者を一刀のもと斬って捨て、また走り出した。
恭一とマリオンである。
同じ頃、指揮者が高らかにタクトを掲げ、踊りを想起させる躍動感溢れるメロディがホールを満たした。程なくカルミナの元から鋼鉄の車輪が宙へと、上り。
「!」
身の危険を感じた恭一は咄嗟に傍の遺体を起こし、その背を剣で支える。
(また評判が悪くなるぞ?)
「屍体の風評気にしてる場合じゃねえ!」
だが、滑落する如く高速で宙を駆け下りてきた舵はだらしなく不自然な姿勢で立つ肉を爆散させ、その後ろの男もろとも吹っ飛ばして――裏口扉をも破壊した。
「お帰り」
血やら肉やら残骸やらにまみれ大の字に倒れる恭一に、居合わせた伊万里がやや呆れ顔で癒しの光を当てる。
「……どうも」
「私も忘れていたわ。ライヴスを介した攻撃を防げるのは、同じくライヴスを介したものだけ」
「あー……」
遺体にせよ扉にせよ、そうした処置を施さぬ限り一方的に破壊される。なればこそのAGWであり、リンカーと英雄なのだという事を。
槍を払い、黒豹の淑女を断つと共に他の奏者を牽制す。
「楽曲を止めなさい! これ以上罪を重ねて何になります!?」
そして叶うなら今や禍々しき指揮をも――征四郎は悲痛なまでに訴える。
「私は音楽などわかりませんが!」
果たして健やかなる真言は届くのか。彼の意思はどこにある。
「それは人を楽しませるものではないのですか! 血で染まるのを、許す事ができるのですか!」
フォルトナーは止めない。べそをかきながら、身震いを越えて最早痙攣しながら、しかし正確に、大胆に、咲き乱れる花を喜ぶかのような音色を招き続ける。
「くっ……!」
未だ半数以上が演奏を続けているものの、真一郎達のお陰で楽団もある程度散り散りとなっている。あと少しで突破の隙が得られそうなのだが――。
「やれやれだ」
――フォルトナーの左鎖骨付近がごそっと削れた。
「あが――――っ!!」
「この程度で諦めてくれないもんかね?」
マックスが溜め息を乗せて放った銀の弾丸は、しかし指揮をまだ止めるには至らない。予想はしていたが、肩の腱が抜けて激痛に顔を歪めていても肘から先は生きが良いし、右手も健在である。
「駄目か」
「じゃが……多少手荒くしたとて簡単に死にはすまい。このドロップゾーンのせいか? まあ理屈は判らぬが。――のう愚神よ」
常人ならば半身ごと持っていかれた場面を目敏く認めたカグヤが、今度は歌いもせぬ“セイレーン”に視線を合わせる。両側から迫るシンバルの間に盾を咬ませながら、それを意にも介さぬ調子で。
「改めて、名はなんと言う。目的と、誓約は?」
ふわっと僅かそよぐヴェールの隙間で口が開いた。
「……私はカルミナ。目的も誓約も、主体が決めるものでしょう?」
「答えになってねぇんだよ!」
レヴィンがその怒りで猿のコントラファゴットを両断する。
「だって、居るだけだわ」
『じゃあ大人しく』
――消えろ。
一拍よりも速く、三度の銃声。
オリヴィエの込めた殺意は、常にひとつだけれど。たまたま今は的が多いだけの事。
銃弾はカグヤを圧していた蛇頭と一心不乱にトロンボーンを吹いていた像と、カルミナの胸とを穿ち、貫いた。
だが。
同時にフォルトナーが両手を広げる、梟のテノール、鼠のバリトン、蜥蜴のソプラノが、朗々と、うたう。
「いけない! 皆さん!」
真っ先に異変を感じ取った征四郎が警告した時、既にそれは起きていた。
●愉悦
耳膜より上る頭痛。
肌を通じ体内をかき回すほどの震動。
壁面に走る亀裂音さえ遠退き、全てが破れてしまいそうな――歌が。
もう、聞こえない。
(真一郎!)
音のない世界でパートナーの悲鳴にも似た思念は不思議と安心感をもたらしたが、直後に彼を襲ったのは背面からのフルートによる打突。
「しまっ……」
倒れ込む間際、強引に身を翻し鎌にて報復を遂げるも、取り巻いていた異形の楽団は各々の楽器を真一郎の身に叩きつける事で奏で始めた。もっとも、その音色を耳にする機会は一時的に失われてしまっていたのだが。
「ちっ」
「むう、いかん!」
「回復は私が!」
マックスが再度の爆炎を起こして真一郎のに集る者どもを一掃し、煙が散る前にカグヤは治療の、伊万里が治癒の力を集約する。
誰もが全身に痛みを抱えていたが、他は耳を塞ぐなどしたか運が良かったのか、とりあえず強い影響は受けずに済んだようだった。
しかし、もう一度あれが発動したら、どうなるか――。
「させねぇ!」
振り下ろした大剣に、ぎゅるんと回転した舵の縁が干渉し火花が散った。
「――憐れな運命」
「なんだと……?」
肉薄するレヴィンの目に、カルミナの顔――髪間から覗かせた、赤黒く光彩に乏しい目が映る。
「貴方の瞳を真紅たらしめる“物騒な一角兎”は、いつかその雷鳴の如き魂をも貫いて、残らず食んでしまうのではなくって?」
(なっ……!?)
「愚神(私達)がこの世界を蝕むのと同じように」
「てめぇみてえな性悪とマリナを一緒にするんじゃねぇ!」
焦燥をかき立てる旋律が余計に苛立ちを募らせる。小難しい事は判らないが、やはりこの女は気に食わない。
「運命(そんなもの)を、さぞや嬉々と受け入れたのでしょう。そこで無心に手を振り回している男よりも」
カルミナは半ば一方的に見解を述べ続ける。
「この場の――この世の、誰よりも」
歌でもうたうように。
そう、歌だ。
また停滞していた空気が揺れ始める。
オリヴィエが額を押さえながら身を起こす。客席の陰に隠れてさえこのザマだ。
『冗談じゃない』
(オリヴィエ、もう一度だ)
『判ってるさ』
リュカの思念で意識がはっきりしてくる。視界も良好だ。眼下では、ちょうど征四郎と恭一が前後からあの指揮者に迫ろうとしているところのようだった。当然ながら妙なけだものが行く手を阻もうと回り込んでいる。
『――ふん』
研ぎ澄ませ、引き金を――三度引く。カルミナの身がぶるりと揺れ、片手間に撃たれた異形は消え失せ。二秒後、征四郎がフォルトナーの右手を取り、その隙を恭一が引き倒した。
そしてレヴィンが鬼神のごとく剣を振るう。
「こいつで幕だ!」
「――――っ、」
分厚い刃は音もなく肩口に深々と食い込み。半ば以上裂いて。
カルミナは、よたよたと交替してから、笑ってでもいるのか肩を揺らせた。
「ふ、ふ……。ごきげんよう、逃れ得ぬ御使い達」
私の、運命――また――。
仕舞いにそれは恭しげに一礼し、途端、喪装も楽団も全て糸が解けたように崩れて。
後にはぐちゃぐちゃに絡み合った真っ黒い髪が、赤い海に浮かぶのみだった。
「……アンコールは必要ねぇ」
律儀に、しかし憮然と、レヴィンはいらえておいた。
一方のフォルトナーは制圧されながら、なお老体をよじらせている――指揮のつもりだろうか。どこかリズミカルなのが実に滑稽だ。
「は、わわ、わわたし、は、あ、」
「……もう止めなさい。あなたの運命は、私達が殺したのです」
征四郎が伏目がちに諭す。本当に哀しい人だと、そう思う。
「わたっ私の、うんめい……?」
「いかにも。貴様の逃れられぬ運命は最早此処には無い」
自分と共に指揮者を制していた男の声があまりにも厳粛で威圧的だったので、征四郎は少し驚いた。今、彼の表情は、どこか君主然として見える。
「運命は変転し、誓約は違える為にある。タクトを抛ち本当の宿命を確かめて見よ」
老人は恭一――マリオンの言葉にしばし黙し、やがて嗚咽して。
けれど、ホールは静かだった。
●運命
「気にすんなよマリナ」
『でも』
戦いが終わり共鳴を解除した後も、マリナは浮かない顔をしていた。
英雄と愚神は表裏の存在。全ての英雄は幾つかの要因により邪英を経て愚神と化す資質を持つ。だから彼女だけが特別危ういわけではない。にもかかわらず、カルミナは呪いに等しい言葉を運命として突きつけた。
だが、可能性はともかく、レヴィンにとってはもっと重要な事がある。
「運命ってやつは他人から与えられるもんじゃねぇ、てめぇ自身の手で掴み取るもんなんだよ」
「同感よ、従うべき運命なんて必要ない」
いかにも彼らしい真っ直ぐな主張に、真一郎への治療を終えた伊万里が頷く。
「もしその時できる事が何もなくたって、指をくわえて見ているよりは自分に問い続けた方が遥かに有意義だわ」
『自分に問う……』
「もっとも、私がそうやって得た答えは“それでも抗え”でしかなかったけれど」
「それで良いのでは、ありませんか。……運命など、いつだって微笑んではくれませんから」
征四郎も口を挟む。
「私は思うのです、運命は悪鬼であると。だから、流されてはなりません!」
いかなる星の下に生まれたのかは知る由もないが、このような年端もゆかぬ少女でさえ強くあろうと気丈に振舞う世なればこそ。
「な、常識だろ?」
『レヴィン……皆さん……』
払拭とまではいかずとも、とりあえずマリナの心に日が差し込んだようだった。
そんな仲間達の様子をオリヴィエは少し冷めた目で眺めていた。
『…………?』
が、ふと寝かせていたリュカを見下ろすと、額の濡れタオルもそのままに満足げに腕組みして「うんうん」と首肯していたので、呆れてそっぽを向いてしまった。
「クーよ、チョコレートが残り少なくて泣きそうじゃ」
ソファーに腰掛けチョコをくわえたまま、カグヤは自身の癒し――気休め程度だが――に専念していた。本来であれば人体構造を学ぶ口実に遺体整理や搬送の手伝いをするつもりでいたのだが、なまじホールがドロップゾーン化していた為、まずは本部から派遣される処理班の到着を待たねばならず、手持ち無沙汰なのだ。
「しかしあの愚神……癒しの音楽で催眠状態にして、延々とライヴスを搾り取るやり方もあったはずじゃが、餌にもせず殺すだけとは」
思えばケントゥリオ級というわり、散り際はあっけないものだった。当人の主張通り、全てを受容しているだけだったのか。ならば最初に出会ったのがフォルトナーである時点で摘んでいる。
「人の業は愚神にとっても有害のようじゃの」
『……すべてに対して不謹慎だよ。めっ!』
あまりにも冒涜的な発言を、やはり隣でチョコを食んでいたクーが叱責した。
「業、ね」
伊万里は次に診るべき人物へ視線を移す。
「“芸術家”の貴方にとっては、罪も罰も甘美なのかしら? ……怠惰な話ね」
いらえは、ない。
嫌味を言っておいてなんだが、マックスに見張られながら、やはり寝かされていたその男は楽団を指揮していた頃のような背筋の張りがなく、酷く小さな存在に思えた。
「そこまでしてやる義理はないんじゃないのか?」
医療具を置きつつもまずは患部へライヴスを用いようとした元外科医に、元不良警官が異を唱える。
「他者へは勿論、自身への責任も含めこの人にはやるべき事があるでしょう? それに……医者である私の目の前で命が消えるなんて許さない」
「殊勝なこった。死にかけた時はあんたの世話になりたいもんだね」
「いつでもどうぞ。後悔させてあげるわ」
『ぜひお願いします』
「おいユリア!」
ぺこりと頭を下げる“主”に、“従”が思わずたじろいだ。
「後味の悪い任務だった……」
一足先に屋外へと出た恭一は、薄曇りの向こうに積乱する暗雲と、その切れ目から差し込む陽光をぼんやり眺めていた。
雨でも降れば、血やら何やらでどろどろの我が身を洗い流せるだろうか。
『おぬしが一方的に悪くしているだけのような気もするが――む?』
ほつり。ほつりと、こまやかな水滴がまばらに、やがてひっきりなしに、地面を黒く染めていく。
「これも運命だよな!」
『……正しい使い方である事は認めよう』
妙に清々しく言われたのがしゃくではあったが、マリオンは一応認める事にした。
結果
シナリオ成功度 | 大成功 |
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