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皿の上の鉄火場
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相談卓
最終発言2015/11/17 17:51:01 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2015/11/17 17:25:16
オープニング
●義理が廃ればこの世も終わり
アンゼルムとの戦いのために、別働隊が次々と動き出したH.O.P.E.本部。
「協力したいだって? あんたが?」
訝しむような中年事務員の言葉に、小太りの紳士が肩を竦めた。
小太りの紳士――カーネル・マルク40歳。職業は料理人にしてフリーランスの能力者。
かつて従魔を食べたいという奇特な欲求を叶えるために、H.O.P.E.への協力を持ちかけた変わり者だ。
「大きな戦だ。少しでも力が必要なのだろう?」
どういった情報網を持つのかは不明だが、カーネルはH.O.P.E.の補給部隊――医療品や食糧を前線拠点へと届ける――への同行を申し出てきたのだ。
この物資輸送任務に当たるのは非能力者の人員が主だが、従魔や愚神との遭遇に備え少数のエージェントを護衛としてつける予定だった。
それでなくとも、今はとにかく人手が必要だ。断る手は無い。……無いのだが、中年事務員は訝しむ。
「助かるのは助かるけどよ……一体どういう風の吹き回しなんだ?」
「私とて、受けた恩義と友人は大切にするというだけの事さ」
山高帽子を被り直しながら、カーネルはそう言って口許に僅かな笑みを浮かべた。
●腹が減っては戦は出来ぬ
数時間後、H.O.P.E.の補給拠点。
物資輸送任務は万事滞り無く進み、補給部隊は医療品・食糧、その他物資の数々を届ける事に無事成功した。
「これがグロリア社の戦闘糧食か。主菜・副菜・おやつ完備……さすがに完成度が高いね。――あぁ、私に気を遣う必要は無いから存分に食べてくれ。ミスター・フジヨシ?」
「は、はぁ……いただきます」
拠点防衛任務に当たる新人エージェントの食事をじっと見詰めていたカーネルだが、そこで懐中時計を取り出して時間を確かめた。
懸念されていた従魔や愚神との遭遇戦も無く、現在時刻は15時を過ぎたところ。定められた帰還予定時刻は明日の12時だ。
「少し聞きたい事があるのだが、良いかね?」
「? えぇ、大丈夫ですけど……」
何事か思いついたように新人エージェントへいくつかの質問を投げた後、カーネルはいそいそとその場を立ち去った。
●この先ヒグマ注意
「一週間ほど前からこの拠点近辺を赤い毛皮を持つ熊の従魔が徘徊しているそうだ。拠点防衛に当たる者達は『緋熊』と呼んでいる」
補給部隊に同行したエージェント達を野営テントに集め、カーネルは口を開いた。
「出現の度に撃退されてきたこの緋熊だが、並々ならぬ防御力と生命力から討伐には至らなかった。つい先日も撃退には成功したものの、この拠点から程近い所にある洞窟内に逃げ込まれてしまったという」
拠点防衛部隊から得た緋熊の情報が書かれたメモ用紙と拠点周辺の簡易地図を広げながら説明は続く。
「恐らくこの洞窟を棲み処としているのだろうが、これがなかなか厄介でね。内部が酷く暗い上に入り組んでいるために、防衛部隊の戦力を割くにはリスクが大きいらしい」
エージェント達の反応を窺いながら、カーネルはそこで大仰な仕草で握り拳を作った。
「そこで我々補給部隊の出番だ。……確かに本来の任務からは逸脱しているかもしれない。しかし、折角運んできた物資や食糧を荒らされるのも面白くないだろう?」
与えられた任務は既に果たしているとはいえ、独断行動を提案してしまうのはフリーランスの性なのか。あるいは――
「それに獣肉は臭味こそ強いが旨味も強い。このような状況での晩ごはんにはうってつけなのだよ」
やはりと言うべきか、この小太りの紳士は従魔を食べる事を企てていたらしい。一体何がどう『うってつけ』なのかは彼のみぞ知る事だ。
……しかし、実際食べるかどうかはともかくとして、緋熊を倒せばこの拠点の安全を確保する事が出来るのは間違い無い。
エージェント達は顔を見合わせた後、行動を開始した。
解説
●フジヨシ……前線拠点の防衛任務に就いている新人エージェント。
彼の他にも何名かのNPCエージェントが交代で拠点防衛に当たっているため、補給部隊が拠点を守る必要は無い。
●緋熊……拠点防衛部隊と何度か交戦している赤い毛皮の熊型従魔。かなりのタフネスとゆるやかな再生能力を持つ。
二日~三日周期で拠点周辺に現れてはプレハブ小屋を壊したり食料を奪ったりといった被害を出しており、防衛エージェント達も手を焼いているようだ。
半日ほど前に撃退されたばかりで、ねぐらと思しき洞窟に引っ込んでいる筈との事。
鋭い爪攻撃は出血によりBS『減退1』をもたらす(特殊抵抗による対抗判定有り)
●洞窟
視界が非常に悪く、高さは5~6m前後で横幅は人間三~四人が手を繋げる程度しかない。
内部は入り組んでいるため迷子にならないようにしないと晩ご飯に間に合わない可能性がある。
また、地面が柔らかく湿っているため足元にも注意。
緋熊が潜む最深部は戦闘に支障の無い広さだが、やはりとても暗い。
●カーネル……ジャックポットの相棒を持つフリーの能力者兼料理人。特に指示が無ければ銃による援護射撃に徹する。
雑多な食材や調味料・香草・調理器具の類を持ち込んでおり、頼めば快く貸してくれる。
●補給拠点
前線で戦うエージェント達の支援を目的とした拠点の一つ。帰還予定時刻の関係から、補給部隊はここで一夜を明かす事になる。
プレハブ小屋や野営テントが設営されており、H.O.P.E.の非能力者・非戦闘員も多数詰めている。
緋熊の被害を受けた事もあり、補給部隊が到着するまでの間ちょっと寂しい食生活が続いていたようだ。
緋熊討伐に当たるエージェント達が求めれば、快く物資を貸し出してくれる。
リプレイ
●食べるために
小太りの紳士の提案を受けて真っ先に喰いついたのは、まだ幼さの残る少女であった。
「くま! くまであるか!?」
「ああ、熊だとも。いわゆる一つの熊鍋になるだろう」
膝を折って頷くカーネルに、少女――泉興京 桜子(aa0936)が大きな瞳をキラキラと輝かせた。
彼女が思い起こすのは厳しい山籠もりの修行中、数少ない娯楽だった毎日の食事である。
「くまなべーーー!」
「ちょっと桜子、あんまりはしゃがないでよね。あーもう、よだれが」
じゅるりと舌なめずりする桜子に対して、ベルベット・ボア・ジィ(aa0936hero001)がハンカチでその口許を拭う。
「熊か……わらわの一族もよく苦労したものだ、これ以上被害が出る前に討伐せねばな」
桜子と同じく遠くない過去を想起し、どこか感慨深げにそう言ったのはポプケ エトゥピリカ(aa1126)だ。
彼女の住まう村にも熊は現れた。苦汁を舐めさせられた経験もある。
しかしそれ故に、その脅威を打ち倒して己の糧とする喜びと達成感をエトゥピリカは知っている。
「ほう、エトゥピリカ殿もくまなべが好きか。なんと奇遇な!」
「け、決して熊の肉が美味かったからではないぞ……いや、ちとは気になるが……」
エトゥピリカの様子に何やらシンパシィを感じたらしい桜子がにんまりと笑う。
あくまでも討伐が目的であり熊肉が目当てではないと取り繕おうとしたエトゥピリカの背後で、寄り添うように立っていたポプケ チロノフ(aa1126hero001)がゆっくりと口を開く。
「飯が豪華になりそうだな……」
「ポチっ、余計な事を――」
嬉々として赤黒の尻尾を揺らすチロノフへとエトゥピリカが振り返るも、手遅れだった。
「あ? 従魔って食えんの?」
「無論である! くまだからな!」
レヴィン(aa0049)が突っ込んだ当然の疑問に桜子は自信満々に答えを返す。後ろでエトゥピリカも頷いた。
「うーん、熊鍋とか聞いたことはあるけど食ったことはないなー。美味いのかな……?」
ちびっ子二人に対して会津 灯影(aa0273)が首を傾げながらスマートフォンを弄る。
検索した限りでは、熊肉の評判は悪くない。しかし、今回食べようとしているのはただの熊ではなく従魔の熊だ。
従魔の肉……美味いのだろうか? というかそれ以前に、食べても大丈夫なのだろうか?
「いや、でもなんか従魔化したやつって食べると美味いって噂で聞いたりもしたような……」
「俺も味の想像がつかねーが……面白そうじゃねぇか!」
何やら悶々としている灯影の言葉に相槌を打ちながら、レヴィンは獰猛な笑みを浮かべてみせる。
熊の従魔を狩る事も、それを食すことも、彼にとっては等しく『面白そう』な事だ。乗っからない手は無い、疑問など後回しだ。
「面白そう、か。我は癖が強すぎるのは好かんが……」
狐尻尾がふらりと揺れ、耳がピクリと動く。ふう、と溜め息を漏らしながら楓(aa0273hero001)が口を開く。
「料亭もかくやという雅な料理を期待するぞ」
「楓ちゃん、ちょっと無茶言うのねぇ」
「みやび、か……」
尊大な口調で何の屈託も無く言い放った黄金の耳尻尾に、白銀の耳尻尾と赤黒の耳尻尾が困ったように揺れる。
「みやびな料理……よくわかりませんが、クマさんの解体なら任せてください!」
そこで、三人の耳尻尾達に向かってマリナ・ユースティス(aa0049hero001)が力強く頷いた。
マリナの片手には幻想蝶から実体化させた大剣、コンユンクシオが危険な輝きを湛えている。
「解体っつか、ぶった切る気満々じゃねぇか……」
「……お、おねしゃす」
イイ表情を見せるマリナに流石のレヴィンも嫌な汗を垂らし、灯影が引きつった笑顔を返した。
熊肉料理談義で騒がしい面々を、微笑ましげに眺めるのは木霊・C・リュカ(aa0068)だ。
「久しいね、ミスター・リュカ。活躍は方々で耳にしているよ」
「ふふ、カーネルさんもお久しぶりです」
護衛任務中に出来なかった挨拶を改めて交わしながら、リュカとカーネルが握手をした。
フリーランスであるカーネルとエージェントであるリュカが轡を並べた時間はごく僅かだが、従魔鶏を共に打倒した戦友だ。この再会を、小太りの紳士は純粋に喜んでいた。
「……また、世話になる」
リュカの隣に佇む英雄、オリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)は常と変わらぬ表情で短くそう告げる。
「こちらこそ。とても頼りにしているよ、ミスター・オリヴィエ?」
カーネルはそう言って笑みを返すと、リュカにそうしたのと同じように握手を求めて右手を差し出した。
ちょっと困ったような表情を浮かべた後、オリヴィエはその握手に応じる。オリヴィエもまた、共に従魔を捌いた戦友なのだ。
「カーネルよ。そなたに借りたいものが……ん、知り合いか?」
「あぁ――ミスター・リュカ、晩ごはんの時にでも聞かせてあげてくれ。とても美味しい鶏の王の物語をね」
カーネルの持ち込んだ物品を借りようと声を掛けたエトゥピリカへと、カーネルはそう言って微笑んだ。
●洞窟へ
「洞窟探検ってなんかゲームぽくてわくわくすんな!」
ぽっかりと口を開けた洞窟を前にして、灯影が楽しそうな声をあげた。
「ふふふ、これも被るがよかろう」
そんな灯影に桜子が補給拠点から借り受けてきた頭部装着ライトを差し出す。
なんとお誂え向きの装備だろうか! 気分はちょっとした探検隊だ。次の瞬間には大きな岩とかが転がってきそうな気がする。
「そうさな。宝の一つもあれば良いが……」
楽しそうな桜子と灯影を横目に、楓が洞窟の奥に続く暗闇を見遣る。
遊戯ならば洞窟の先に待つ物は財宝の類だが、この先に待つのはただ一匹の従魔だ。
「おっと灯影。頭上に蜘蛛が……」
「ぴっ!? 俺そういうの結構です!」
短い悲鳴と共に、灯影が楓と共鳴を行う。瞬く間に狐耳が伸び、もふもふの尻尾が生えた。
「あっはっは、貴様は実に情けない奴よ。からかっただけだというのに」
赤色に変化した左目を細め、灯影の口で楓が意地悪く笑う。情けないとは言いつつも咎めはしない、これも適材適所という奴だ。
「ちと動きにくいが、転ぶよりはマシか」
洞窟内部の湿った地面に備えてエトゥピリカは作業用スパイク付き長靴の具合を確かめる。
普段の靴に比べて履き心地に違和感があるが、リンカーの備えた運動能力を考えれば微々たるものと言える。
「ありったけ拝借してきたけどよ、結構深そうだよなあ」
他のエージェント達と共に補給拠点から借り受けた懐中電灯で洞窟を照らしながら、レヴィンが一人ごちる。
脱出時は勿論のことだが、討伐対象である熊が潜む最深部まで迷わず辿り着くには何か目印が必要だろう。
「……あったぞ、目印」
そこで、目当てのものを見つけ出したオリヴィエがエージェント達に声を掛ける。
防衛部隊による緋熊撃退からまだそう時間は経っていない――彼の予想通り、柔らかい地面には従魔の足跡が残されていた。
「こいつを追えば良いワケだな」
「でかした、オリヴィエ。では……一狩りいこうぞ!」
レヴィンが不敵に笑って頷き、楓が高らかに宣言した。
「くまがりにいくのである~♪ こんやはくまなべである~♪」
一行の先頭にて、桜子が機嫌良さ気に歌を口ずさむ。
「桜子、その歌は?」
「くまなべのまーちである~♪」
不思議そうに小首を傾げたエトゥピリカに桜子が笑顔で応えた。
頭の中は熊肉で一杯だが、時折足を止めては洞窟内部のマッピングに勤しむ辺りはしっかりしている。……しているのだが、
「変な事教えないの。それに歌なんて歌ってたら、くまに気付かれて逃げられるわよ」
見かねたベルベットの指摘を受け、桜子がハッとした表情を浮かべて口を噤む。
しっかりしているようで、やはりどこか抜けている。ベルベットは桜子を眺め、やれやれと首を振る。
「……あんまりはしゃぐと、転ぶぞ」
エトゥピリカに付き従っていたチロノフが端的に注意を促す。
一見寡黙な彼だが、仲間が怪我をしないよう誰よりも神経を尖らせていた。
「聞いた通り、入り組んでいるな」
そうして桜子の歌が途切れてから暫し後。等間隔で光源を設置してきた道を振り返り、楓が呟く。
地面に残されていた従魔の足跡を追っていなければ、もっと面倒な事になっていただろう。
「こんなもんで十分か? 足跡は途切れてねぇよな?」
苔むした洞窟の壁面に目印を刻みながら、レヴィンがリュカ――もとい、オリヴィエへと確認した。
「あぁ、大丈夫だ」
懐中電灯を脇に挟んで頷くオリヴィエは、先刻から既にリュカとリンクして行動している。
遭遇戦への警戒からか、補整されていない道を歩くのはリュカにとって酷だからか、あるいはその両方かもしれない。
「レヴィン、私達も」
不意に、ひやりとした風に三つ編みを揺らされたマリナが足を止めた。
吹き抜ける風の音は、そう遠くない先に開けた空間が――即ち、最深部である緋熊のねぐらが存在する事を示す。
先程までの和やかな空気から一転、一同は速やかに戦闘態勢へと移る。
「さーて、楽しませてもらおうじゃねぇか」
英雄と同じ赤へと変わった瞳が爛々と瞬く。四肢に満ちる力をトップギアによって更に高めながら、レヴィンは好戦的に笑った。
●クマ吉最後の日
ライトの灯りに照らされ、赤い毛皮を持つ大熊が後ろ足二本で立ち上がる。
己のねぐらに踏み込んだ侵入者達へ、緋熊は丸太のような前足を広げて身構えた。
「くまーーー!!」
その威容に怯まず喊声をあげながら、幻想的な狐火の軌跡と共に桜子が吶喊する。
渾身の力を込めて火之迦具鎚を脳天目掛けて振り下ろすが、緋熊の前足がその一撃を受け止める。
鎚頭を通して伝わる獣の膂力。彼女の全力を以ってしても、真正面からでは分が悪い。
「――俺だッ!」
反撃すべく前足を振り上げた緋熊へと、レヴィンが勢いのままにヘヴィアタックを叩き込む。
巨体に刃がめり込むものの分厚い毛皮と皮下脂肪を裂くに留まり、強靭な筋組織を両断するには至らない。
レヴィンと桜子を袈裟懸けに引き裂くべく、怒り狂う緋熊の爪が迫る。足元のゆるさと暗がり故に、回避行動は難しい。
「けっこう硬ぇなクマ吉!」
「食べがいがありそうである! 肉おいてけーーー!!」
緋熊の爪に肉を抉られながらも、レヴィンと桜子が浮かべる表情は一様に笑顔であった。
レヴィンはこの戦闘そのものに楽しみを見出しているし、桜子は言わずもがな捕食の喜びに憑りつかれているのだ。
鬼気迫る二人の形相にも怯まず緋熊が次の攻撃を繰り出そうとしたその時、
「目を瞑れ」
オリヴィエが仲間達へ警句を告げると共に、フラッシュバンが緋熊の眼前で炸裂した。
ややもすれば仲間の視界すら潰しかねない閃光。それは洞窟の暗闇に慣れている緋熊にとっては凶器そのものだ。緋熊はたまらず二本の前足で顔を覆う。
「今の内に……!」
その機を逃さず、ランタンを手にしたエトゥピリカが緋熊の側面から回り込むように光源を設置してゆく。
大きな獲物を狩るには、まず戦闘に不利な状況を潰してゆく事が先決であると彼女は心得ていた。
(楓頑張って!)
「分かっている。さぁ――我が身を満たす糧となるが良い」
楓にだけ聞こえる声で応援する灯影に短く応えながら、不浄の突風を緋熊に向けて解き放つ。
エトゥピリカによって設置された光源で、楓の立つ後衛からでも視界は十分に確保されている。目測を誤る心配は無い。
物理的な攻撃には強い緋熊だが、魔力の風は容赦なくその身を刻む。
「ふふ、食材は鮮度が命だ。早期に殺るぞ」
結晶で象られた扇子を優雅に広げ、楓が尊大な笑みを浮かべた。
「……確かに、少しずつ回復しているな」
射手の矜持によって狙撃能力を更に高めながら、オリヴィエは緋熊の状態を観察する。
レヴィンの一太刀による傷口から滴っていた血がもう止まっている。
――だが、その再生能力も完全ではないらしい。防衛部隊との戦闘によるものであろう古傷がそこかしこに見て取れる。
オリヴィエの呟き声に呼応するように、最前衛を張る二人が再び緋熊と激突した。
「回復されてもそれ以上の攻撃をすればよかろう!」
「同感だぜ!」
二度目のトップギアを用いる傍ら、フラッシュバンがもたらした衝撃に追い打ちをかけるようにレヴィンが地面の土を一掴み、緋熊の顔面へと投げ付ける。
「合わせるぞ!」
その隙を逃さず懐へと飛び込んだ桜子と背後に回ったエトゥピリカのヘヴィアタックが、緋熊の足を強かに打ち据えた。
悲鳴とも怒声ともつかぬ吼え声をあげて緋熊がふらつく。先程のゴーストウィンドの劣化効果が緋熊の防御能力を確実に奪っている。
未だ衝撃から立ち直っていない緋熊の反撃はエトゥピリカを捉えるには至らず、白い狼尻尾の毛先を僅かに掠めるのみだ。
「なかなかの強靭さだが……なに、それ以上の火力で以って押し切れば問題あるまい」
桜子とレヴィンの言葉に同調するように笑みを深め、楓がブルームフレアを緋熊へと放つ。
超常の炎が緋熊の体で燃え盛り、その体を焼き苛んだ。
「これでも喰らうがいい!」
炎に巻かれる緋熊の鼻先目掛けて、エトゥピリカがボール状の何かを投擲。
軽い破裂音と共に広がるスパイシーな刺激臭――それはカーネルの持ち込んだ調味料・香草類を用いて作られたスパイス爆弾であった。
「従魔と言えど、熊は熊……香料は苦手であろう? ――っ!」
刺激臭に激昂した緋熊のなりふり構わぬ体当たりがエトゥピリカを吹き飛ばした。
続けざまに、緋熊が前足の爪をエトゥピリカへと振り下ろそうとするものの、
「回復役がない故、痛手は減らさねばな」
「あぁ、愛らしいお嬢さん方を前に出しているのだからね」
楓が放った銀の魔弾とカーネルの狙撃が前足を弾き、爪による攻撃を阻む。
残されたのは単純な怒りに駆られた隙だらけの緋熊。その背に向けて、レヴィンと桜子が躍りかかる。
「クマ吉! てめぇの相手は俺だ!!」
「くまなべーーー!!」
剣へと得物を持ち替えた桜子の刺突攻撃が肉を深く抉り、トップギアとオーガドライブを組み合わせたレヴィンの猛攻が緋熊の骨を粉砕する。
体当たりのダメージも感じさせず跳ね起きたエトゥピリカがシルフィードを構えて疾駆し、オリヴィエがスナイパーライフルのトリガーに指を掛ける。
「一発で、終わらせる」
斬撃が頭を守る前足を斬り飛ばしたその直後、ブルズアイの精密射撃が緋熊の脳天を撃ち抜き――緋熊の巨体はついに倒れ、動かなくなった。
●作る人、食べる人
迷子の危険に備え、エージェント達は脱出路の確保には十分すぎるほど心を砕いていた。
仕留めた緋熊を引き摺って、一同は悠々と補給拠点に凱旋。拠点に詰めていたH.O.P.E.職員や防衛部隊の面々は一様に目を丸くするばかりである。
「調理は任せたぞ。我は酒でも飲んで待っている」
「えっ……もう酒盛り?」
早々に踵を返す楓へと、灯影は呆れ半分に突っ込みを入れる。
時刻はまだ宵の入口といったところ。呑みにはまだ早いと思われるが、楓はマイペースに酒の用意をし始めた。
「さあベルベットよ! このくまを鍋にするがよい!」
「なんであたしが料理しなくちゃいけないのよ!? しかもこのくまでかいじゃない!」
一方では、屈託の無い桜子の言葉にベルベットが銀の尻尾を逆立てて言い返すものの。
「じゃあ丁度良い大きさにすれば良いんですね、ベルベットさん!」
「おねしゃす!」
「もー、血抜きとさばくのめんどくさいのよ!」
「食べる準備なら出来てるぜ!」
「手伝いなさいよ!?」
頼み込む灯影と大剣を素振りするマリナ。そしておもむろに食べ専宣言をするレヴィンのサムズアップ。
ベルベットはぶつくさと言いながらも、いそいそと割烹着に着替え始める。
わざわざマイ割烹着を用意している辺り、なんだかんだで面倒見の良いベルベットであった。
それから少し時間が経ち。
「新鮮なうちが美味い……でかいが、良い肉だ」
豪快な解体と入念な血抜きを終えた緋熊を、手慣れた様子で捌くのはチロノフだ。
肉から皮を剥ぎ、骨から肉を削ぎ、部位毎に肉塊へと変えてゆく。
その肉塊を調理に適した大きさへと切り分けるのはカーネルと、彼の指導を受けたオリヴィエの仕事だ。
鶏肉と熊肉の違いこそあるものの、巨大な従魔の肉を捌くのはこれが二度目となる。
「なんでわざわざこっちに来る……血の匂い、ダメなくせに」
以前よりもいくらか堂に入った手付きで肉切り包丁を振るっていたオリヴィエだが、ちらりと作業場の隅へと視線を向ける。
「うん、熱心だなーって」
むせ返るような血の匂いでダウンしていたリュカが復活し、にこにこと笑っている。
また一つの肉塊をカットしながら、オリヴィエはぽつりぽつりと言葉を返した。
「……俺が食べなくても、覚えておけば、いつか役にたつ、だろ」
「さ、サバイバル技術が役立つ所に行く予定があるの……?」
ひょっとしたら、今後とてつもなく過酷な環境に駆り出される事になるかもしれない。リュカが心中で静かな戦慄を覚えたその時。
「此処に居たかリュカ! さあ呑むぞ!」
「楓ちゃんもう始めてるの!? よし呑もう!」
もう既にちょっと酒臭い黄金の狐尻尾に連れられてゆくリュカである。
「誰かのために腕を振るうのはとても素晴らしい事だ。それが君の大切な人や君と共に戦う仲間のためならば、尚更ね」
その後ろ姿を見送ったオリヴィエに、エプロン姿の小太りの紳士はそう言って笑った。
「おー、良い肉であるな!」
(お肉、お肉♪)
切り分けられた熊肉を桜子とエトゥピリカが調理場へと運ぶ。
手伝いを申し出たエトゥピリカともども、刃物や火を扱わせる事を心配したチロノフ達から熊肉輸送の任を与えられた形だ。
まな板に載せられた新鮮な熊肉と格闘するのは、誰あろうマリナその人である。
「マリナ、大丈夫なんだよな……?」
「刃物の扱いなら慣れてますから」
調理風景をただ見ているだけのつもりだったレヴィンが珍しく不安げに口を挟む。……実際、マリナは刃物の扱いに長けている。
しかしながら、かつての世界で聖女と呼ばれる立場にあった彼女にとって、包丁とそれを用いた調理作業は全く未知の領域であった。
「ちょ、ちょっとだけ待てっ」
肉どころかまな板ごと両断しそうな気迫を見て取り、レヴィンが思わずマリナと交代する。
得心したマリナが再び包丁を握り、レヴィンがまた交代する。そういったやり取りが何度も繰り返された。
「ヒグマは臭みが無いらしいし、しゃぶしゃぶもいいかなー」
スライスされた熊肉を大皿に纏めながら、灯影は大鍋の前に立つベルベットとカーネルを見遣る。
「ミソ風味はどうだろう? クセのある肉には合うと思うのだが」
「……焼いて炒めて煮込んでザワークラフト煮とか?」
調理を請け負う三人の会話を、エトゥピリカと桜子がそわそわしながら見守る。料理の完成はもうすぐだ。
●決戦前のひと時
夜の帳が下り、賑やかな晩餐が始まった。
おすそ分けとばかり、拠点に詰めていたH.O.P.E.の人員も漏れなく鍋を囲んでご相伴に預かる形である。
「なべうまい! うまいのである!」
「桜子、慌てて食べなくても沢山あるから」
待ちに待った熊肉を勢いよくカッ込む桜子にベルベットが苦笑する。これだけ美味いと言われれば緋熊も浮かばれるかもしれない。
「うん。やっぱりご飯はわいわい食べたほうが美味しいね!」
「……飲みすぎるなよ」
お酒も入って上機嫌のリュカが朗らかに笑うが、オリヴィエが釘を刺す。
「楓、どう? 美味しいかな?」
「うーむ……」
灯影の作ったザワークラフト煮込みを噛みつつ楓がまた一献、杯を飲み干した。
野性味溢れる熊肉の食感。それは楓の好む味には少し遠いが、戦いの後の酒には不思議と合う味だった。
「レヴィン、どんな味です?」
「肉って感じがするぜ!」
従魔を食すという行為に複雑な感情を覚えるマリナに対して、レヴィンの答えは的確にして曖昧であった。
暫しの逡巡の後、マリナは意を決して熊肉のしゃぶしゃぶを口に運ぶ。その感想は、彼女のみぞ知る。
「戦った後の食事というのは、本当に美味だな……♪」
熊肉を口いっぱいに頬張り、あたたかい汁を啜りながらほっと息を吐くエトゥピリカ。チロノフが同意を返すように尻尾を揺らす。
命を頂き、それに感謝する。かつての村での生活と同じものが此処にも確かに息づいていた。
「そなたの腕も中々だな、とても美味だったぞ」
「はは、私は特に何もしていないよ。全ては君らの力だ」
楓達と同じ酒を舐めるように味わいながら、赤ら顔のカーネルが首を振る。どうやらさほど酒には強くないらしい。
「……白銀の騎士といったか、かの愚神にも教えてやると良い。君らがただ喰われるのを待つだけの存在ではあり得ないという事をね」
決戦を間近に控えたエージェント達とH.O.P.E.の人員に向けて、カーネルはそう言って悪童のように笑って見せた。