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戦い続けてきた男のある日の一日
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依頼前の挨拶スレッド
最終発言2015/11/14 22:46:19 -
曲がった事が大嫌い?
最終発言2015/11/15 19:48:46
オープニング
●
紅葉する木々の間に鳥の声が聞こえる。しかし、その穏やかさもすぐに様相を変える。
何かを感じ取ったように鳥達はざわつき、その場から飛び立った。
それからすこしすると、一匹の獣が木々の間をすさまじい勢いで走り抜ける。
その背中は光沢のある濃い灰色だった。
鋼鉄の胴を持ったそれは、弾丸のように真っ直ぐに走り続け、運悪くぶつかった木々をなぎ倒す。
●
「ここで、お昼にしようか?」
二時間ほどかけて登ってきた山頂で、松永は娘の真由美にそう声をかけた。
先月、松永はH.O.P.E.を退職した。
H.O.P.E.が創設された頃から職員として勤め、能力者や英雄を支えるために、世界を救う一助となるように、懸命に職務をこなしてきた。
それを、妻はよく理解してくれていたが、娘はそうではなかったことを、妻が亡くなった一年前に知った。
『お父さんのせいよ』
妻の葬式で、娘はそう言った。
『どうして、もっと一緒にいてあげなかったの?』
それは泣き声ではなく、松永を恨むような声だった。
『お母さんはお父さんのこと愛してたのに……惨めよ』
そう言われて、それまでの全てのことが惨めなことに思えた。
松永は能力者ではなかったが、H.O.P.E.の職員として、戦っていた。
愛する妻と娘を、この世界の残酷さから守るため……全力で戦っていた。
その全てが、惨めに思えた。
「ほら、おにぎり」
家族の時間をやり直そうと思った松永は、山になど行きたくないと渋る娘をなだめすかして、妻が好きだった奥多摩へと来ていた。
アルミホイルに包んだ手作りのおにぎりを差し出したが、真由美は「いらない」と言って、リュックサックのなかからコンビニのおにぎりを取り出した。
「……そうか」
松永は差し出したおにぎりをそっと引っ込め、アルミホイルをほどいてなかのおにぎりにかぶりついた。
「大和くんは元気かい?」
「お父さんには関係ないでしょ」
大和というのは、真由美が同居している彼氏だ。
「大和くんの仕事はなんだったかな?」
「パン屋だけど」
「そうか。不景気だから、大変だろう」
「知らないわよ」
「そうだ。今度、大和くんと一緒にうちに来なさい。おいしい日本酒があるんだ」
「行かないわよ!」と、真由美は声を荒立てる。
「さっきから何なの? 大和、大和って! そんなに大和のことが気になるなら、大和と一緒に山登ればいいでしょ! お父さんの暇つぶしに付き合うのはうんざりよ!」
食べかけのおにぎりをビニール袋に戻すとそれをリュックにしまい、真由美はいま登ってきた道をくだりはじめた。
真由美の苛立った足取りに合わせて、リュックについている熊除けの鈴が激しく音を鳴らす。
「真由美! 待ちなさい!」
慌てて立ち上がった時、松永のスマートフォンが鳴った。
仕事の癖で速やかに電話をとると、受話器の先で慌てた声が聞こえた。
『松永さん! いま、奥多摩ですよね!?』
その声はH.O.P.E.に勤める後輩のものだった。
『すぐそこから避難してください! その周辺で従魔が発生したんです!』
「な……」
松永は真由美が向かった方向へ視線を向ける。
先ほどまで聞こえていた鳥の声はいまはなく、木々の紅葉した葉を揺らす風の音だけが聞こえた。
あなた達は既に山中に入り、従魔を捜索しています。
解説
●目標
・登山者の救助
・従魔の退治
●登場
・鋼鉄の体を持った猪型従魔
・まっすぐに走るのが得意(曲がるのが大の不得意)
・体は鋼鉄に覆われているため、鉄壁の守りです。
・体当たりされた場合、減退(1)が付与されます。
・命中度は低いですが、鋭い牙で噛まれた場合、減退(2)が付与されます。
・嗅覚が鋭く、嫌な臭いがするものを避けます。
●場所と時間
・山中
・昼間
●状況
・従魔は登山者も多い山中を真っ直ぐに走っています。
・車一台、男性二名に衝突し、男性二名は重傷を負っています。ライブスは奪われていません。
・あなた達は既に山中に入り、従魔の通った跡を追っています。
リプレイ
●
「はやく従魔を見つけなくてはどれくらいの犠牲が出るかわからない。事は一刻を争うな」
ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外しながらレオン・ウォレス(aa0304)は言った。
「焦っても好転しないわよ」
赤髪を揺らしてルティス・クレール(aa0304hero001)が冷静に言う。
「今は落ち着いてあたし達が為すべきことを為しましょう」
美しいルティスの言葉にレオンは深く頷く。
レオン達を含めた登山者の避難誘導を目的にしたエージェント達はそれぞれの相棒とともに行動していた。
土鍋にたくさんの野菜とジビエが入り、ぐつぐつと美味しく煮たっているところを想像しながら登山道を進むのは九字原 昂(aa0919)だ。
「さて、今晩は猪鍋かな」
「従魔が喰えるのなら、それでも良かったがな」
ベルフ(aa0919hero001)の言葉はもっともだ。しかも、相手は鋼鉄の猪だ。食べれたものではないだろう。
「こんな山奥でも従魔は関係なく出るんだね。クエスちゃん」
時々頭に引っかかりそうになる枝を避けながら、先を急ぐ豊聡 美海(aa0037)。
「相手は山中を走っているみたいだ。これ以上の被害が出る前に食い止めよう!」
背は低いものの、旅で鍛えた脚力を活かし、クエス=メリエス(aa0037hero001)は美海の前を迷いなく進んでいく。
「そうだね! でも、負傷者の救助も優先しないとね!」
美海の言葉に、クエスは「わかってるよ!」と返事をしながら、どんどん進んでいく。
「猪だそうだ。腕がなるな」
もともと猟師であるヴィルヘルム(aa1020hero001)にとっては、馴染みのある獲物だ。肩をまわしてストレッチすると、弓を構えてみせる。
「そいつは後回し! あたしたちは先に救助だよ!」
地図を見ながら登山道を確認するモニカ オベール(aa1020)に注意され、ヴィルヘルムは渋々と弓をしまった。
戦闘に備えて、それぞれお互いの位置を確認しながら動いているのは、従魔を捜索しているエージェント達だ。
「うはー! 猪の従魔だって! ウケるー!!」
そう笑ったのは、猪を探してぐんぐん山を登る虎噛 千颯(aa0123)だ。
「お前の笑いの沸点はいつも低いな……」
「えーそんなことないしー!」
いやいや、そんなことあるだろう。と思いつつ、相棒の白虎丸(aa0123hero001)は「まぁいい」と本題に話を戻す。
「まずは従魔退治だ!」
「おー!」と、千颯は白虎丸の心と心をひとつにして共鳴し、さらに移動速度を上げる。
「紅葉綺麗だね。こんなしっかり見たの初めてだ」
早々に共鳴していた木霊・C・リュカ(aa0068)は木々を見上げて、微笑んだ。しかし、その微笑みは、自身の中に響くオリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)の言葉にすぐに消える。
「……焼けてるみたいだな」
「そうだね」と、リュカは木々の間を進む足を速める。
「紅葉の美しさに思わず目を奪われちゃったけど……ここはいわば戦場になりつつあるわけだから……闘志の色ってやつかもしれない」
リュカも、目の前を行く千颯に並ぶように速度を上げ、見渡す範囲を広げるために幅をあけて走る。
H.O.P.E.から与えられたスマートフォンをズボンのポケットに入れながら、七城 志門(aa1084)は不安を口にした。
「追いかけて倒す仕事ははじめてかもしれない……追いつけるかな」
そんな志門を勇気づけるように、アルヴァード(aa1084hero001)は決意を告げる。
「追いつかないと。これ以上、怪我人を出すわけにはいきません!」
志門とアルヴァードが共鳴しようとしたその時、隣を走っていた弥刀 一二三(aa1048)とキリル ブラックモア(aa1048hero001)の会話が聞こえてきた。
「共鳴するぞ」と、英雄のキリルに言われて一二三は戸惑う。
「ここでどすか!?」
一二三はすぐ近くにいる志門達や先を行く千颯やリュカを確認して表情を曇らせる。
「他のところがいいとおも……」
「何を躊躇っているんだ?」
一二三の提案を無視して、キリルは早々に共鳴してしまう。自分の意識のない間に、一二三がどれほど精神をすり減らしているのかなど思いもせずに。
二人が共鳴した瞬間、ツインテールのよく似合う可愛い少女が現れた。
「登山を楽しむ人の邪魔するなんて、フミリル、許せない☆」
きゅらーんっ☆ とでも音がしそうな雰囲気の少女の登場に、他のエージェント達は驚いたが、すぐにそっと目をそらした。一二三のために。
●
それぞれ違う登山口から登った避難誘導班のエージェント達は、途中に発見した登山者へと避難を呼びかける。
登山道を歩く昴は、時々木々が開けた場所から見える山々の連なる景色を見つめながらため息をついた。
「この広範囲で敵の捜索と避難誘導を両立させるのか」
「やるしかないさ」と、ベルフは昴の肩を叩く。
「配られた手札で、その場その場を乗り切るしかな」
木酢液の入った容器を握り、昴は「そうだね」と、ベルフと共鳴すると、道を駆け上る。
平日とはいえ紅葉の季節のためか、それなりに登山者がいて、クエスと共鳴している美海の焦りは高まる。
「はやく、避難させてあげないと」
しかし、確実に安全に避難してもらうためには恐怖をあおることは厳禁だ。
「従魔のことは伏せ、かつ、従魔に人がいることを知らせないために静かに避難してもらう必要がある」
美海はレオンの言葉を復唱し、登山者一人一人に声をかける。
「すぐに避難してください」
美海の声に、中年男性が振り返った。男性の脇には彼の奥さんと見られる女性がいる。
「避難? なにかあったのかい?」
「猪が出たらしいんです……」
当然の疑問に、美海は考えていた答えを口にした。
「猪……熊ならまだしも、猪で避難かい?」
「ずいぶん、大きくて凶暴な猪みたいです」
「それは困ったわね」と、奥さんは不安げな表情を見せる。
「でも、君、能力者だろう?」
さらなる男性の質問に、「あ、えっと……」と、美海はすこし困ってしまう。
「……人手が足りなくて! それに、わたし達のほうがはやく移動できますので!!」
「なるほど。あんた達も大変だね」
男性は納得すると、奥さんと一緒に今来た道を下っていった。
「あ、あの! 人に慣れている猪は、人の音がすると向かってくるみたいなんで、できるだけ静かに……」
「わかってるよ。静かに、速やかに避難するよ。それに、避難途中で会う人たちにも声をかけておく」
「ありがとうございます!」
美海は男性に深く頭を下げた。
その頃、モニカはヴィルヘルムと共鳴し、地図で確認した登山道をショートカットするために獣道を駆け上がっていた。
「従魔となっても同じ習性なら、奴らは普段とは違う臭いを嫌う。線香でも炊けば、登山道には寄り付かんだろう」
風が上から下へ向かって吹いているのを確認すると、中腹辺りに線香をおいて猪避けとする。風は木々の壁により、登山道を多く流れる筈だ。
「大きくて凶暴な猪が暴れているから、避難してください。ここから下、線香の匂いがあるところは安全だよ」
美海から矛盾のないようにメールで伝えられた避難理由を登山者に告げたモニカは、再びショートカットするために獣道へと入った。
そして、途中、木々が不自然に折れている箇所を見つける。
「これって……」
「おそらく、鋼鉄の猪が通った跡だな」
自分の中で、ヴィルヘルムが嬉しそうに笑ったのがわかった。
「追いつかなきゃ……飛ばしていくよ」
モニカは全速力で従魔が通ったと思われる獣道を行く。
目立つ赤い髪を揺らして登山道を行くのはルティスと共鳴したレオンだ。
H.O.P.E.から連絡のあった重傷者を探し、ケアレイでその傷を癒した彼は、一度通ったその道を従魔が引き返して来ることはないと判断し、男性二名をその場に待たせて他の登山者を捜していた。
登山道を登っていくと、前方から周囲を見回しながら慌てて降りてくる初老の男性を見つける。
彼はレオンを見つけるなり、「エージェントですね?」と声をかけてきた。
「真由美を、娘を見ませんでしたか!?」
「娘さんとはぐれたんですか?」
冷静さを失っている男は、レオンの質問を聞き逃し、不安を口にする。
「下のほうへ向かったと思ったんだが……道を間違えたんだろうか……娘が従魔と遭遇していたら……」
従魔が出たことを知っている男に、レオンは聞いた。
「失礼ですが、あなたは?」
「あ、松永です」
「なぜ、従魔のことを?」
その言葉でやっとレオンが持った疑問に、松永は気づいた。
「ひと月前までH.O.P.E.に勤めていました。後輩から連絡をもらい、従魔が出たことを知ったんです……」
「そうですか」とレオンは納得し、先ほどと同じ質問をした。
「娘さんとははぐれてしまったんですか?」
「はい……ちょっと、喧嘩してしまって……」
松永の表情がさらに暗くなる。
「この上のほうに、迷いそうな道があったので、私はそっちへ戻ってみます。呼び止めてしまってすみませんでした」
「待ってください。あなたが行っても従魔への対処は難しいと思われます。ここは我々に任せていただけないでしょうか?」
「その代わりと言っては何ですが」と、レオンはいま来た道を振り返る。
「この道を下ったところで、待っていてもらっている登山者の人たちがいます。その人たちの避難誘導をお願いできますか? あなたの職員としての経験は今とても貴重です」
松永はすこし迷ったが、実際、娘を従魔から守れるのが誰なのかということを一番にわかっているのもまた、松永自身だった。
「わかりました。娘を、よろしくお願いします」
●
猪が通ったと思われる獣道を発見すると、リュカは一旦登山道に出た。そして、登山道に猪が行かないよう、香水を染み込ませた布を一定間隔で設置した。
「リュカちゃん、なにしてんの?」
香水と自分の匂いをとるために、千颯と合流しながら草を服にすりつけていると、千颯がリュカの行動に興味を持って聞いた。
「猪に興味を持たれないように草の匂いをつけてるんだよ。意識をそらしてもらったほうが攻撃しやすいから」
「じゃ、オレは囮になるようになんか美味そうな匂いでもつけようかな」
「それなら、これなんていいんじゃない?」
リュカは戻ってくる途中で発見したまつたけを千颯に渡す。
「おー! まつたけ!!!」
「美味そうな匂いだよ」
「確かに!!」
はしゃぐ二人に、それぞれの中で英雄が「猪はまつたけが好きなのか?」と疑問を呈したが、盛り上がっている二人には聞こえていない。
千颯とリュカは従魔を後ろから追うように走っていたが、志門とフミリル中の一二三は猪の動きを予測して、前へ回り込むように走っていた。
志門は登山道を横切る時には、猪よけのために木酢液をまいていた。
「結構、臭いすごいね」
「すごいというか、ひどいな」
木酢液をまくたびに志門は苦笑いし、志門の中のアルヴァードは苦痛を訴えた。
隣を走るフミリルは、「くっさーい!!」とは言いつつも、その顔を苦痛にゆがめることなく、可愛さをキープしている。
しばらく走ると、何かが木にぶつかるような音が聞こえてきた。
志門とフミリルは視線を合わせ、急いで音のするほうへと向かった。
そして、鋼鉄の体を持った従魔を見つける。
猪の姿をした従魔が走っていく方向を確認し、二人は二キロほど先回りして足を止める。
「この辺で待ち構えようか?」
志門の言葉に頷きを返し、フミリルはクッキーを取り出して砕く。風の流れに甘い匂いが乗るようにすると、おもむろにそこに寝転んだ。
「……なにしてるの?」
「怪我をして動けない登山客の演技!」
フミリルは元気に、そして可愛く答える。
「油断させたほうが攻撃しやすいでしょ?」
「なるほど……それじゃ、俺は隠れていたほうがいいかな?」
中身は一二三とわかってはいても、見た目につられて、年下の少女に話してるみたいになる。
●
モニカは志門達のすこし手前くらいに罠を張っていた。
「どうかな、このあたり」
自分の中のヴィルヘルムにそう尋ねると、「いいんじゃないか」と返事があった。
「勢いがつく上に猪は前脚が短い。急な下りは絶好のポイントだ」
アドバイスをもらったモニカは、トレッキングセットからザイルを取り出し、下り急勾配の低い位置にある木々二本を選んで、ザイルの両端を結んだ。
「罠にかかってくれるといいけど」
「かかれば、転ぶなり、転ばないにしても、勢いは殺せるはずだからな」
モニカが罠の紐の張りを確認していると、すこし離れたところで悲鳴が聞こえた。
「なに?」
「登山客か?」
モニカが走り出したその時、向かってくる鋼鉄の猪の姿に悲鳴をあげた女性を千颯が抱きかかえて横にそれたところだった。
それと同時に、避難誘導を終えて合流しようとしていた昴がジェミニストライクで分身を作り出し、猪に体当たりさせた。
しかし、猪は昴の分身を力業で無理矢理押しやり、そのまま走っていく。
「ちょっとは体張らないとねってな! でも、昴ちゃんが猪の気を逸らしてくれなかったら、マジでやばかったかもな!」
スマートフォンで連絡を取り合って合流してくれた昴に千颯は「ありがとな!」とお礼を言う。
「回復は出来るのだから多少は無茶をしてでも護れ!」
「白虎ちゃんスパルタだよね……」
猪が遠ざかっていくのを確認してから、腕の中で震える女性を地面におろした。
「もしかして、真由美さんですか?」
レオンからのメールを思い出し、リュカがそう尋ねると、女性は頷いた。
「お父さんが心配しています」
「私が避難させるから、三人はあれを追ってください!」
駆け寄ってきたモニカの言葉に三人は頷き、再び鋼鉄の猪を追う。
下り斜面に入り、猪の速度が上がる。その途中、モニカが張った罠があったが、そこに足を引っかけた猪の速度がすこし落ちることはあっても、転ぶことも、大幅に勢いを殺すこともなかった。逆に、しっかりとザイルを縛られていた木のほうが傾く。
「……すごい力だな」
傾き、そのままゆっくりと倒れた木の脇を通りながら、昴は呟いた。
下り斜面が終わり、わりと平坦な場所を走り出した猪の鼻がひくひくと動いたことにリュカは気がついた。
「なんだ……甘い匂い?」
追っていくと、その先に共鳴中の一二三……フミリルが「痛いよ〜」と涙目で倒れているのが見えた。
「女の子!?」
慌てて速度を上げようとした昴に、千颯が「エージェントだ」と教える。
「あんなにキュラキュラした子、いましたか?」
山に入る前に顔を合わせたメンバーを思い出すが、該当者は浮かばない。
「それにしても、なんで、あんなところに倒れてるんだろうね〜?」
リュカは話題をそらした。一二三のために。
「従魔にふっとばされたならまだしも、いまはじめて対面するわけだから、怪我ってのもおかしいだろ……志門ちゃんがすこし離れたところで様子見てるし」
「……もしかして」と、千颯はポケットにしまってあったまつたけを取り出す。
「オレと同じで美味そうな匂いを体につけて……さらに弱ってるフリをしてんじゃねーか?」
「つまり、囮になってくれたってことかな」
そうリュカは微笑んだが、その空気は彼の冷静さを伝えるようにひやりとしている。
「でも、」と、リュカは言葉を続ける。
「危ないね」
甘い匂いに反応してか、猪の速度は上がっている。
「リュカちゃん、オリちゃん、背中任せたよ! 白虎ちゃん! 行くぜ!」
千颯は速度を上げる。
「後顧の憂いがないのであれば遠慮なく行けるでござる!」
共鳴した体を使いそう言った白虎丸に、オリヴィエが応える。
「後ろは任せろ」
凛っとした意志を伝えるオリヴィエの言葉に、リュカは自分の中のオリヴィエに尋ねる。
「どこで覚えてきたの? そんなかっこいい台詞!」
千颯は自分にパワードーピングをかけると、フミリルを護るようにその前に立ち、日傘を開いた。
日傘が目眩しになり、動きを止めるなり、避けてくれればいいと思ったが、猪はそのまま突進し、日傘を弾き飛ばした。
フミリルが横に避けたのを確認し、千颯も身を翻すようにして猪との正面衝突は避けながらグリムリーパーを手にすると、猪の足を狙って薙いだ。
その刃は猪の足にかすり、速度を落とすことには成功したが、動きを止めることは出来なかった。
千颯の後ろにいたリュカが猪の正面に回り込み、額と鼻をスナイパーライフルで撃つが、鋼鉄の体に弾き返される。
突進してくる猪を避けながら、リュカはライフルからオートマチックに武器を変えて今度は目を狙うが、それは外れてしまう。
「走るのを止めさせるだけでも、結構かかるね……」
苦労しながらも、リュカは余裕を持っている。徐々にではあるが、攻撃を重ねることで猪の姿をしたこの従魔の速度が確実に落ちてきているのがわかるからだ。
今度は昴が猪の前に回り込み、自分の中のベルフに「これって本当に通じるの?」と不安を漏らしながらも、両手を打って猫騙をした。
「こういうチープな手段ほど、こういう手合いには効果があったりするんだ」
非常に単純な手ではあるが、ベルフはその効果を信じているようだ。
突然の大きな音と、そして空気が波打つような感覚に猪は驚き、怯む。
「目を閉じて!」
従魔が怯んだその一瞬に、リュカは魔力によって閃光弾を発射させる。フラッシュバンにより、目が眩んだ猪はやっとその足を止めた。
リンクコントロールでライヴスを強め、きゅらり感を高めたフミリルこと共鳴を高めた一二三は、猪の足を狙って側面からハードアタックをした。
目が眩んでいる猪は突然の強い衝撃にふらつき、その場にしゃがみこむ。
スナイパーライフルを構えたフミリルはライヴスブローを使って、ライフルにライブスを纏わせると、強烈な一発を猪の目に向かって放った。
その一発は見事に命中したが、その衝撃によりパニックを起こした猪は再び立ち上がり、走り出そうとした。
「行かせない!」
猪の前に飛び出した志門はリンクコントロールとライブスブローを使い、足の関節を斬りつけたが、鋼鉄の皮膚に弾かれる。
「かたい……」
慌てて横に飛び退いた志門は、武器をアルマスブレイドに持ち替えて、再度猪を追う。
猪が速度を上げないように前に回り込み、アルマスブレイドを振りかざしたが、その瞬間、がら空きになった志門の足に猪が噛み付こうとした。
それを、リュカが威嚇射撃を行い、猪の気を逸らすことにより阻止する。
猪の気が逸れている隙をついて、志門はライヴスの氷をまとった剣を振り下ろした。
志門のアルマスブレイドが猪に一撃を与えるのに合わせて、リュカはマビノギオンにより魔法の剣を命中させる。
二人の攻撃により、猪の鋼鉄の体に細かくひびが入った。
そのひびの隙間を狙って、木の上に移動していたフミリルはライフルを撃つ。
暴れる猪にもう一発撃とうとしたその時、「いい腕だね」と、近くで声がした。
視線を巡らすと、別の木にモニカがいるのが見えた。モニカは保護した真由美を美海に預けて戻ってきたのだ。
「でもね、狙うなら、ちゃんと狙ってあげないと」
そう言って、モニカはストライクを使い、フェイルノートで矢を放つ。
モニカの放った矢は鋭く空気を裂き、猪の背中のひびからずっと奥……その心臓まで深く突き刺さった。
猪は最後の力を振り絞るように甲高い悲鳴をあげ、塵となって消えた。
その場には、猪型の小さな鈴が落ちていた。
●
『真由美さん、お父さんと合流できました』
美海からのメールで二人が無事に会えたことを知ったエージェント達は、避難場所へと向かった。
避難場所として提供してもらった旅館の入り口付近や大広間で登山者は避難解除が知らされるまで各々時間を潰しているようだった。
従魔であることを知らせていなかったためか、避難している人たちは友人や家族、この場で出会った人々とそれなりに楽しく過ごしているように見える。
松永は旅館の入り口で避難者の確認や、帰りの交通機関などの確認で忙しそうに動いていた。
「松永さん。こんにちは」
そう共鳴を解除したリュカが声をかけると、松永は杖をつくリュカを見て、「ああ」と頷いた。
「リュカさん……ですよね」
「覚えてくれてたんですか?」
「ご活躍されていると聞いています。私のほうこそ、リュカさんが私を覚えてくれているとは思いませんでした」
「お世話になりましたから」と、リュカは微笑む。
「お仕事、辞められたんですね」
「ええ。定年退職です」
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
オリヴィエは少し離れたところから松永を見ている女性に気がついた。
「娘か?」
オリヴィエの言葉に、松永は自嘲するような複雑な笑顔を浮かべて頷く。
困ったような、気まずいような空気に変わった松永に、リュカは「幸せですね」と言った。
「え?」
「松永さんのご家族なら、幸せですね」
リュカのほとんどものを捉えることのできない目が、真っ直ぐに真由美に向けられる。
「松永さんなら、確実に守ってくれます。命をかけて」
「……」
真由美は驚いたが、ふいっとリュカの目から逃げるように視線をそらした。
しかし、千颯は逃げることを許してはくれない。
「自分の寂しさを、それを素直に言えない幼さを、苛立ちに変えてぶつけるのは違うんじゃねーかな?」
親子が喧嘩していることをレオンから聞いた千颯は、厳しい言葉を告げる。
真っ直ぐにぶつかってきた千颯に、真由美は思わず言い返す。
「私は寂しいなんて……お父さんのせいで、寂しい思いをしたのはお母さんよ!」
「自分の感情をぶつけるのに、母親を使うのはよくないな。夫婦間のことは、夫婦間でしかわからないだろ」
唇を噛み締めて下を向いた真由美から視線をそらし、千颯は松永と目を合わせる。
「自分のしてきたことに胸を張れ。じゃないと、死んだ奥さんも浮かばれねぇよ。何の為に我慢してたんだってな」
千颯の言葉に、松永の心に希望の光が灯る。
自分の生き方は、誇れるものだった…… そう、思ってもいいのかと、期待した。
その期待を、レオンも後押しする。
レオンは、モニカから真由美発見の知らせを受けた後から、ずっと松永と一緒に避難者の旅館への誘導などを行っていた。
「あなたの父上は実に立派な御仁だ」
真由美のためにも、レオンははっきりと告げる。
「あのような御仁がいればこそ、俺達は存分に力を振るえる。今すぐには理解できないかもしれないが、きちんと話し合ってみるべきだと思う」
なかなか素直になれない真由美の肩に、ルティスがそっと支えるように手をおいた。
「家族を愛さない人なんていない。ただ、それが表に見えるか見えないかだけだとあたしは思うわ。それをわかってあげてほしいな」
「お父さんの仕事を、今日、目の当たりにしたでしょう?」
モニカはそう言って、無事に避難を終えた登山者を見回す。
「こんな風に危険は突然に、どこにでも現れます。後悔しないように、伝えられることを、伝えられる時に、伝えておいたほうがいいと思います」
志門の言葉に続いたアルヴァードの「後悔しないように」という言葉に、真由美はその顔を上げた。
母親が死んだあの日、自分は後悔したのではなかったか? 真由美は自分の心に問う。
父との馴れ初めを何度も話す母。父や娘である自分のことがどんなに大切かを何度も話す母。大切な家族をずっと見守っていたいと何度も話した母。
そんな言葉を、ああ、また同じ話かと、どこか上の空で聞き流していた自分。
母の言葉を、母の心を、真に理解する前に、母は言葉なき存在になってしまった。
「……」
真由美の目から、ひとすじの涙が流れた。
「……ごめんなさい」
あの母のように、きちんと語れる言葉はまだないけれど、全ての懺悔を込めて、真由美は謝った。
「……きっと、許してくれますよ」
そう言ったのは、美海だった。
「ずっと、見守っているのですから」
松永のことをさして昴はそう言ったのだが、真由美には母が今でも見守ってくれているという意味のような気がして、涙を止められなくなった。
……その頃、フミリルこと一二三は、避難所となっている旅館のなか、人気のない場所を見つけて共鳴を解除した。
「これ以上、心の傷、増やしとうないんやけど……なんで、こないな姿やないと戦われへんのんやろ……」
そうため息をつくと、いま意識を目覚めさせたばかりのキリルが昼寝でもしたかのようにすっきりとした顔で一二三の顔を覗き込んだ。
「ん? どうした? 傷でも負ったか?」
「……あんさんは、ほとんど意識あらへんさかい、ええどすな……変わっておくれやす……」