本部

【白刃】閉じよ、異界の門

昇竜

形態
ショートEX
難易度
難しい
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
15人 / 8~15人
英雄
14人 / 0~15人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2015/11/13 00:02

掲示板

オープニング

●白き刃へ抗う為に

 映像で、音声で、出撃し往くエージェント達にオペレーター綾羽璃歌が声をかける。

「総員、準備はよろしいですか? H.O.P.E.東京海上支部としては初の大規模作戦。それに伴い、今回皆様には別働隊として動いて頂きます」

 展開されたドロップゾーン。そこから溢れ出す従魔、呼び寄せられる愚神。別働隊はそれらを叩き、これ以上のゾーン拡大を防がねばならない。

「大規模作戦の成功……アンゼルム撃破の為にも、皆様の任務遂行が必須となります。――どうか皆様、御武運を!」

●門を閉ざす者

「まるで地獄と地続きのようだわ……空気が重苦しく、淀んでいる」

 ジェーン・フローエは後退した前線基地に降り立つと、痛々しい怪我人ばかりの様子に眉を顰めた。彼女はH.O.P.E.所属の結界破り――ゾーンブレイカーである。愚神商人と呼ばれる高位愚神によって作り出された、巨大ドロップゾーン破壊の任を受けてこの地へ赴いた。

「愚神商人はすでに領地を去った。ということは、あのドロップゾーンは今、糸一本で繋がっている凧のようなものよ。特異点を破壊さえしてしまえば、現世との繋がりを保つことはできない。けれど……」

 ジェーンが空を見やると、そこにはこの世にあらざるべき異界の光景が広がっている。冥府の海が堕ちてきたように暗雲が立ち込め、陽光は完全に遮られている。代わって光を放つ"凧"の中心には生血色に輝く魔法の陣が浮かび、そこから我先にと異界の生物……従魔たちが飛び出してくる。

「ドロップゾーン同士の重複部分は、より異世界との隔たりを希薄にするわ。そういった場所には、最上位の愚神が現れることもある……愚神アンゼルムの狙いは、自分より強い敵を呼び出すことだったのね。退屈に飽いて強者との闘いを求めるなんて、さしもの面食いもお手上げの戦闘狂だわ。こんな大きなドロップゾーンを野放しにしておけば、ちょっとしたはずみで奴の狙い通りになりかねない……どれだけ危険な作戦になろうと、この門は確実に閉ざさなければならない」

 別働隊のエージェントたちの活躍によって、ここまで新たなゾーン形成や領域の拡大は最小限に留められてきた。だが、前線は後退している……新たな脅威が、この地に根を下ろしたためだ。

「『ギガンテス』……神話に登場する巨人の名よ。この識別名を冠した従魔が界隈に出没するようになったの。ギガンテスは複数形を意味し、その名の通り徒党を組んで行動する。一体一体が、ケントゥリオ級の強さを持っているわ。一歩でも領域に立ち入ろうものなら、彼らの熱い歓迎を受けることになるでしょう。それだけじゃない……異界化した領域は凄まじい重力で、私たちの行動を妨げるわ。皆さんはそれでも、私を特異点までエスコートしてくれる?」

 地獄へ編入された領域は、強い重力と跋扈する怪物のために瓦礫の野と化した。それでもあなたたちは彼女を守り、彼女の力でドロップゾーンを破壊するためにここにいる。襲い来る無数の従魔を退け、彼女の術を成功させることは非常に難しい。
 これは誰の著作でもない。主人公はいない。だが、あなたには力がある。あなただけの英雄がいる。あなたこそが、救世の英雄たり得るのだ。

「……ありがとう、私も結界破りの腕が鳴るわ。人間を家畜と見做す非道なる愚神どもに、目にもの見せてあげましょう」

解説

概要
『ギガンテス』を全て倒すか、戦いながらNPCジェーン・フローエの術式『ゾーンブレイク』を成功させてください。
戦いながら『ゾーンブレイク』を行う場合、所要時間は15ラウンド(後述の重力補正込)です。工程には移動を含みます。この間NPCは無防備な状態です。なお、NPCが戦闘不能になると即時失敗となります。

敵構成
・ミーレス級従魔『異界からの黒龍』(type:wyvern)
初期数(再ポップ頻度):5(1体/3ラウンド)
特徴:飛行(有効射程5以上)
特殊攻撃:火炎放射(遠隔、範囲、BS減退)
解説:残忍な飛龍です。弱いものいじめが大好き。チキンなので遠隔攻撃ばかりしてきます。
・デクリオ級従魔『異界からの黒龍』(type:Lindwurm)
初期数(再ポップ頻度):1(1体/10ラウンド)
特徴:大型(2x5スクエア)
特殊攻撃:なし
解説:怪物蛇です。目の前の敵から狙います。尾や牙で攻撃してきます。踏み潰されたら戦闘不能は確実です。
・ケントゥリオ級従魔『ギガンテス』
初期数(再ポップ頻度):3(なし)
特徴:大型(2x2スクエア)
特殊攻撃:キック(前方、単体、ノックバック)、ご馳走(近接、単体)
解説:体長12メートルほどの巨人です。人間の雌が大好物で、好きなものから食べる派です。棍棒で攻撃してきます。踏み潰されたら戦闘不能は確実です。

状況
・太陽に代わり、魔法陣の毒々しい光が戦場を照らします。
・戦闘エリアは瓦礫の散乱した荒れ野です。超重力のため、全てのPCは移動力とINIが半減します。
・NPCには簡単な指示を出すことができます。NPCに戦闘能力はありません。
・敵構成はこれまでの記録からPCが知り得る情報です。
・事前に罠を仕掛けることはできません。

リプレイ

●15の騎士

「わぁ、悪趣味な空の色」
「ピクニックはできソウにナイネ」

 基地に立ち、佐倉 樹(aa0340)が頭上に浮かぶ魔法陣を見上げてどこか愉快そうな声で言った。シルミルテ(aa0340hero001)はこの場には"絶望"が相応しいと感じたのか、それに類する表情をして合成音声じみた声で場違いな感想を紡ぐ。真壁 久朗(aa0032)とセラフィナ(aa0032hero001)も二人に倣い、混沌とした空模様を見た。

「気が滅入りそうな色だな……」
「……洗濯物は干せそうにありませんね」
「大丈夫くろー? 膝が笑ってるんじゃないの?」
「ふん、馬鹿言え」

 真壁は佐倉に軽口で応酬したが、彼らの肺も重苦しい空気で侵されている。この中の誰かは、否応なくせり上がる恐怖に打ち勝つために気楽な言葉を発したのかもしれない。我を過ぐれば憂ひの都あり、我を過ぐれば永遠の苦患あり……ここは、地獄の門。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ……古の叙事詩にそのような言葉がありました」

 真壁はそう言って翡翠に睫毛の影を落とすセラフィナを前にしばし逡巡したのち、その背に軽く触れた。

「だが、俺たちが護るのは人類の希望だ。世界を希望の無い地獄にさせる訳にはいかない」
「これがその為の大事な一歩……ですよね」

 珍しい召喚者の様子に視線を上げ、セラフィナは微笑んだ。そう、この戦いに勝利すれば、生駒山の状況は大いに改善する。努々 キミカ(aa0002)もそれを理解してはいたが、自分が重要な転機に関わっているという、そういう実感は薄かった。少し前までライヴスリンカーとは縁遠い存在だった彼女には、この作戦はあまりにもスケールが大きすぎたかもしれない。

(低級だけど、遠距離から放火してくるなら飛龍の方が脅威……でも、狙撃銃なんて使った事ないよ。大丈夫かな……)

 無理もない、努々はまだ14歳だ。冷静に状況を見定めながらも、どこか感覚が麻痺したような不安感に苛まれる彼女に対し、ネイク・ベイオウーフ(aa0002hero001)は普段通りの尊大な口調でジェーン・フローエの肩を叩いていた。

「よくぞ言ったフローエ殿! 人々は家畜などではない、英雄的資質を秘めし朋友であるぞ!」
「ふふ、お眼鏡に適ったなら光栄ですわ。きっと愚神の鼻を明かしてやりましょうね」
「もちろんだ! 英雄ネイク・ベイオウーフがそなたを守り抜くと約束しよう」

 興奮気味にそう豪語して憚らないネイクだったが、ジェーンが準備のため席を立つと、浮かない表情の努々を見つけて声をかけるのだった。

「キミカよ、考えている事は分かるぞ。卑怯な飛竜どもに英雄的鉄槌を下そうというのだろう? 鴨撃ちのような真似であろうと躊躇うな、存分にやるがよいぞ!」

 その明るい言い口から察するに、簡単だから頑張れと励ましたかったのだろう。実のところ、それは努々にとって的外れの激励であったが、それでも彼を慕う彼女に大きな安心感をもたらす言葉だった。

「そうですね……やれるだけ、やってみます」

 努々はいくらか安らかな気持ちで黒い瞳を伏せる。ネイクとの協調を意識すると、髪がふわりと浮き上がるのを感じた。再び括目したとき、ヴェネチアンマスクから覗く瞳は英雄と同じ金色に変化し、紅い髪は炎のようにオーラに舞っている。
 黒塚 柴(aa0903)は鼻歌すら歌い出しそうな足取りで、歩くジェーンの横に並んだ。浅黒い期待感が蠢く彼の心の中で、フェルトシア リトゥス(aa0903hero001)は黒塚がニヒルな笑みを浮かべるのを感じる。

「よ、アンタが噂に聞いたジェーンのネーサンかい? ユメユメちゃんとどんな話してたのか、俺にも教えてくれない?」
「……ふふ、あなたの話もしたわよ。嬉しそうね、黒塚さん。そんなにこの依頼が待ち遠しかったかしら?」
「ハハ、依頼そのものに興味があるわけじゃねーんだけどさ。……なんかスゲェ技持ってんだって? 結界破りの術っての期待してるから、面白いもん見せてくれよ?」

 楽しみにしてるぜ、と笑顔で立ち去る黒塚を、ジェーンは微笑みで見送る。一見爽やかな好青年だが、彼の内面は危険な命のやり取りでしか沸き立たぬのだろう。エージェントにはそういった性質の者が稀に見られるので、この手合いはジェーンも慣れたものだ。
 一方会議卓では、努々と郷矢 鈴(aa0162)の主導で最終的なすり合わせが行われていた。作戦参謀は郷矢の得手とするところ。最も、有用なのは計画通りことが運んだ場合に限ってだが。

「今回は幸い資料と事前情報が豊富ね。飛龍型を最優先目標と定めて、手早く倒しましょう」

 議事をまとめる郷矢の横で、ウーラ・ブンブン・ダンダカン(aa0162hero001)は心配そうにする。起こり得ることが想定できていれば郷矢は実に冷静だ。しかし……

「リン。ドロップゾーンへの突入となると、不確定要素だらけだと思うが……大丈夫か?」
「危険だけれど、きちんと対策をすれば平気よ」

 まあ、なるようにしかなるまい。重要な作戦だ、彼女がパニックにならないよう適宜助言するとしよう……ダンダカンはそう心に決め、席を立つ郷矢に付き従った。
 円卓を囲む五郎丸 孤五郎(aa1397)は、傍らの黒鉄・霊(aa1397hero001)が熱く語るのを話半分に聞いていた。小さな簡易テントの中、アイゼンは2メートルに及ぶボディを縮こまらせている。

「護衛任務や防衛戦なら何度もこなしています! 今回だってやって見せます!」
「頼もしいね、全く……要人を警護しつつ巨人狩り、あるいはドラゴンハント……か。せいぜい、私も気張るとしよう」

 五郎丸も席を離れ、エージェントたちは防衛の最前線に立った。稲葉 らいと(aa0846)はスンと鼻を鳴らし、その重苦しい空気に渋い顔をする。

「ここが巨大ドロップゾーン……やたらと重いし、凄い地獄臭。こりゃホントやばいね」
「地獄臭、でござるか?」

 綱(aa0846hero001)がその暗喩を本気にして鼻をひくひくさせた。緊張のためか、網の青い体毛は逆立って髭がピンと張り詰めている。稲葉はにやりと笑い、網をからかって言う。

「心の鼻で嗅いでみてごらん。もんもこにゅももーんって匂い」
「……わからないでござる」
「あはは、冗談だよ」

 心の鼻と言われ戸惑いながらも胸に手を当てて懸命な様子の網を、稲葉が笑い飛ばした。
 ………………。
 彼女なりの気遣いであったかもしれない。その沈黙は網の肩から余分な力を取り去り、英雄の表情は安らぎを取り戻す。

「ここから先は、全部正念場だよ?」
「承知でござる」

 稲葉の言葉に、網はにっこりと笑った。麻生 遊夜(aa0452)もまた、無数のドラゴンが飛び交う瓦礫の野の前で決意を新たにする。それに対しユフォアリーヤ(aa0452hero001)が多少ズレた論点からキリリと言い放ったので、麻生のメガネがズルとずり落ちた。

「やってやるさ、ガキ共の為だからな」
「……ん、家族を守るのは、おかーさんの務め」
「確かにお前が最年長だが……まぁいいか、やる気になってるなら」

 やれやれ、とメガネを掛け直す麻生には、リーヤがぼそりと「……言質とった」と言うのは聞こえなかったかもしれない。リーヤがいろんな意味で前向きな意見を出したその傍で、メイナード(aa0655)がスキットルの酒を一口煽っていた。度数の高いジンが喉を焼き、杜松香が鼻腔を満たす。出陣前の景気付けにはおあつらえ向きの一杯だ。

「……おじさん。お願いですから、無茶だけはしないで下さいね」
「イデア……」

 Alice:IDEA(aa0655hero001)は余った白衣の袖を弄び、斜めを見て言う。まるで死地に赴くような様子のメイナードに、いつもより少し素直になっているようだ……と思ったが、憎まれ口も忘れていなかった。

「……また何年も寝たきりになられたら困りますから? 無事に帰って来れなかったら、金輪際お酒は禁止ですよ」
「ハハハ、手厳しいな……だが、これで死ぬわけには行かなくなった。残りの酒は帰ってからにしよう。どの道、悔いの無い死は迎えられそうにないからね」

 メイナードはイデアにそう応え、スキットルを懐に戻した。殆どの中身を残しておくのは、生きて帰ってきた時の為。そこへ黒いローブを着たジェーンが、シールス ブリザード(aa0199)に連れられてやってくる。メイナードとシールスの申請は無事受理されていた。フードを被れば、従魔が視覚からジェーンを好物と判断することは難しくなるだろう。99(aa0199hero001)が再度ジェーンに問う。

「僧衣は術式に影響しないのだね、ジェーン」
「ええ、何も問題ないわ。いえ……問題は山積みだけれど」
「なに、いつも通りにやればいい。近付けやしない従魔なんぞ、居ないも同じだろう?」

 苦笑する彼女に、メイナードが言う。仰る通りと頷き返すジェーンに、シールスが通信機を付けさせた。ジェーンは彼の手袋の中身が左右で硬さの違うのを感じ、ふと鴇色の髪の向こうを見る。愛らしくとも、その緋の目は戦士然としていた。

「始まっても、ジェーンさんはすぐ動かないでね。場が落ち着くまで護衛組と後方待機だよ」
「ええ……わかってるわ、ミスターブリザード」

 可憐な紳士に背を向けヘッドセットを付けるジェーンに、レイア アルノベリー(aa0012hero001)が意気込む。天野 正人(aa0012)は重力の高負荷に慣れようと学ランの肩を回したりしているようだ。

「私たちが護衛するから、術式に集中して下さいね」
「ありがとう……天野さんはどうかしら、地獄の居心地は?」
「うはぁ、すごく身体が重いな。アンジェリカは? んなもん着てて動きづらくないのか?」
「ボク? ボクは慣れてるからね」

 アンジェリカ・カノーヴァ(aa0121)は得意げに灼眼をにやりとさせた。幼さに見合った透くような白肌を包むのはフリルやレースをたっぷりあしらったゴシック・アンド・ロリータの黒いドレスである。傍に控えるマルコ・マカーリオ(aa0121hero001)の鍛えられた肢体と華美なスーツも相まって、さながら中世貴族といった出で立ちだ。アンジェリカは行く先を眺め、戦場に神話を彷彿とさせた。

「巨人達との闘いか。さながらギガントマキアーって所だね」
「……確かこちらの神話だったか。俺たちは、神なんていい物じゃないと思うが」
「違うよ。ボク達は人間。神に味方する英雄ヘラクレスだよ」
「なら……人類最強っぷりを見せつけないとな。行くか」

 マルコはアンジェリカが自身の緊張を解すために声をあげたことに気付いていたかもしれない。彼が彼女の頭に優しく手を置くと、二人の精神は強く同調した。アンジェリカの腰より長く艶めく黒髪はふわりと舞い上がり、光の風が吹き乱れる。再び姿を現したアンジェリカは、成長し大人になった彼女を思わせる美貌を湛えていた。

(さて……いざという時はアンジェだけでも逃がさんとな)

 そんなマルコの本心が、彼女に伝えられることはない。作戦開始が刻一刻と迫っている。北里芽衣(aa1416)は荒事が好きではない。だが、戦わなければ失うものがある。彼女は自分にも言い聞かせるようにアリス・ドリームイーター(aa1416hero001)に告げた。

「……アリス。これから、いっぱい闘うと思うから、力を貸してね?」
「そんなのあたりまえじゃない、今日は思いっきり遊ぶのよ、芽衣といっしょに! 今日は好きにしていいんでしょ? 従魔ちゃんを」
「うん。……そして、みんなを守ろうね」
「そうね、芽衣もみんなも、アリスのお気に入りだものっ」

 アリスはムラサキウサギを抱きしめ、年相応の屈託のない笑顔を見せた。守矢 智生(aa0249)も朱の瞳に決意を滲ませる。頭上は混沌に淀んでいる。

「ジェーンさんには指一本触れさせない。人間の意地を見せるためにも、頑張らないとな」
「……うん」

 フウ(aa0249hero001)はこの空に美しい天色を取り戻さなければと思う。前を行く守矢の髪の色を。
 そろそろ突入の時間だ……ジェーンは魔法の杖棍を取り出した。カグヤ・アトラクア(aa0535)の外膜の黒い義眼が、それを目ざとく観察する。始める前に術式の概要を聞いておかねばなるまい。移動経路や発動動作を把握しておけば、対応がスムーズになるというもの。

「どこへ行き、どこで成すかを示せ。わらわ達が届ける」

 カグヤは鈍く光る機械の手をジェーンへ差し出した。彼女の翠眼の中で、カグヤは黒く艶やかな髪を冥府の風に揺らし薄ら笑いを浮かべている。期待に愉悦するカグヤの脳裏に、クー・ナンナ(aa0535hero001)の呆れたような口ぶりが聞こえた。

『ゾーンブレイクなる技術を見るのが楽しみじゃなぁ』
『カグヤ。それはいいけど、一番重要なことははき違えないでよね』
『無論。最優先はジェーンの死守じゃ』

 カグヤがからりと下駄を鳴らすと、目を瞑って精神を整えていたジェーンがエージェントたちを振り返った。

「まず、座標を固定するわ。五地点に陣の端を描き、中心で術式を発動することで、特異点を破壊する。私は戦うことができないの……だから、この命を皆さんに預けます」

 ジェーンはカグヤの義手に己の指先をそっと乗せた。カグヤは口端を吊り上げ、それから恭しくかしづく。

「奇跡の聖女を守るは15の騎士。異界の扉を鎮めるエスコートはお任せを」

●WELCOME TO OTHER WORLD!

「作戦行動開始!」
「敵の数、飛龍5、蛇1、巨人3じゃ!」
「「「了解!」」」

 シールスとカグヤが無線で叫ぶ。素早く散開したエージェントたちがそれに応えた。数も多く範囲攻撃を持つ飛龍の殲滅を第一目標に据えたことは、エージェントたちに有利な状況をもたらしただろう。シールスが幻想蝶にライヴスを込めると、その手には彼の身長ほどもある長大なライフルが具現化された。アンダーと共鳴した彼はシルバーの瞳でスコープを覗く。弾丸が放たれると、それは飛龍の翼を掠めて皮膜を切り裂いた。引き金を引く指すら重い……! できる限り機動力を保つため、攻撃後はライフルを格納する。迫りくる飛龍をジェーンから引き離すべく、彼は地を蹴った。

「遠間に在れば安全であると、思い違えているようだな――その翼、奪わせて貰おう!」

 共鳴状態の努々から、普段の内気さは消え去っている。彼女が狙撃銃にライヴスを込めると、二つ結びの髪は鮮やかな蝶のように広がった。『存分にやるがよい』……ネイクの激励が、彼女の力を増幅する。放たれた弾丸はシールスを追う飛龍の翼を貫き裂き、従魔は飛行能力を失って地に落ちた。
 儀式終了まで敵を抑え込むためには、開始までに飛龍型を可能な限り排除しなければならない。郷矢は作戦を反芻し、ライヴスを込めて焦茶色の弓を引き絞る。握りに刻まれた必中の印が手のひらの下で光を放った。共鳴したダンダカンが、その心に語りかける。

『そうだリン、でかいのは久郎たちが止めてくれる。お前はこいつらを殲滅するつもりでかかれ』
「ええ……彼らが少しでも楽になるよう、全力を尽くします!」

 放たれた矢は期待通りの軌道を描き、努々の撃ち落した飛龍の胴を抉った。ギャアという爬虫類の喚きに、郷矢はライヴスの矢が異界化空間でも十分な威力を持つことを知り安堵する。続けて弓を素引きする手に光の矢が具現化すると、郷矢の髪はふわと浮いた。漆黒に混じって幾房の紅緋がオーラに舞い、ダンダカンと同じ藍い目が射程内の従魔を捉える。凡人には一瞬とも思えるうちに放たれた3本の矢は、見事飛び交う飛龍たちの片翼に深い傷を負わせた。努々にはそのうちの一体が迫る。

「近づいてきたか、だが此方にも備えはある!」

 事前に従魔の火炎攻撃を知っていた努々は素早く結界を展開した。彼女を中心に半径5メートルほどがライヴスの光に包まれ、その内部では火炎の威力が和らげられた。この中で、リーヤをその身に宿した麻生が身体に纏わりつく従魔の炎を振り払いながら駆け出す。

「とにかくこいつが邪魔だ、手早く落とさせて貰おう」

 麻生はジェーンと敵との対角線上に立ち、彼女の壁となって飛龍に立ちはだかった。強い重力で動きづらく、息が切れ狼耳がぼうと熱を持っているのが感じられる。狙うべきは早期殲滅だ……麻生は幻想蝶からライフル銃を引き出し、射程内の従魔を狙った。片っ端から弾丸ぶち込もうというのだ。幸い、今いる飛龍は郷矢の活躍でほとんどが動きが鈍っている。

「俺の目から逃れられると思うなよ?」

 次々に放たれた弾丸はものの見事に従魔を捉えていった。ここまで計画通り運んでいる。総攻撃の甲斐もあり程なくして飛龍の殲滅は完了するだろう。だが、この作戦は時間との勝負。これ以上手間取ってジリ貧で負けるのだけは勘弁願いたい。

「……もう10秒20秒で、場を整えんとな」

 それがゾーンブレイク開始までのタイムリミットだ。焦る麻生に対し、彼らより一歩引き、戦場を見渡せる場所に立つ黒塚は煙草などをふかしていた。それどころかヒュウと口笛を吹く余裕すら見せる。彼にとって戦場とは、"面白い"場所だ。依頼が成功しようがしまいが、ぶっ殺そうがぶっ殺されようが、現実離れしたものを見て楽しめればそれでいい。瓦礫の野は無数の飛龍の影が跋扈し、右を見ても左を見てもまさに怪物と形容するのが相応しい巨人やら大蛇やらがのさばっている。それらも息をし、切り刻めば血を流すのだ。この光景は黒塚を大いに興奮させたらしい。

「特撮やら怪獣映画に喜ぶ歳じゃねーけど、こりゃまたスゲェ迫力、っつーか壮観だねェ。ぶっ飛んでてテンション上がって来るわ。フェル、一緒に盛り上がってくれるだろ?」
『はい……』

 フェルは猛る黒塚の魂に静かに波長を合わせた。バイパスが開き、無限とも思える魔力が黒塚に漲る。彼女の望みは依頼の成功、ひいては仲間たちの無事、ただそれだけだ。黒塚が幻想蝶から引き出したのはアンチグライヴァー・ライフルだった。魔術師とはおよそ縁遠いそれを、彼は触媒として用いる。黒塚が引き金を引けば、実体を持たぬ魔法の弾丸が従魔の翼めがけて空気を切り裂いた。

『まとめて吹き飛ばすのよ!』
「皆さん下がって! 範囲魔法を使います!」

 アリスと共鳴した北里が、詠唱を終えて叫んだ。人魂のような光を侍らせる北里の純白のワンピースは、死にゆく従魔を悼む喪装へ変化を遂げ、アルビノの特徴たる白い肌を際立たせる。吹きすさぶ不浄な風は瞬く間に従魔たちを蝕んだ。さらにこれを機と見た黒塚が駄目押しで再度同じ魔術を行使し、範囲内にいたすべての飛龍は大きなダメージを受けた。しかし、敵は次々やってくる。

「おじさんっ! 敵の増援ですっ!」

 メイナードは喋る義手……イデアの声で、ジェーンに迫る新たな飛龍を察知した。彼らの後方にいるジェーンの前には、クーと共鳴したカグヤが立っている。飛龍の何体かは、ジェーンの非力さを見抜きつけ狙うだろう……そう予想していたカグヤにとって襲撃は想定内の出来事だった。カグヤが魔法の本を召喚すると、彼女を取り巻くライヴスは光の剣となって頭上へ舞い上がる。従魔はその射程に入った瞬間に串刺しになっていたことだろう。しかし、それより早くメイナードの放った弾丸が飛龍の胴体を吹き飛ばした。

「はぁ……おじさんより先に、わたしが心労で倒れそうですよ」
「いつもすまないな、イデア」
「……」

 メイナードは薬室の空薬莢を放ってから、少し苦笑して義手を見下ろした。イデアはメイナードに優しげに言われて黙ってしまったが、メイナードは拗ねているのだろうと気にしなかった。彼とイデアを結ぶ絆は、着実に深まっている。

「ふむ、ちっこいのの殲滅はなんとかなりそうじゃの。じゃが……」

 カグヤは目の端で大型の従魔たちを見た。足止め組の活躍もあり、ジェーンに迫る気配は現在のところ見られないが、術式が進めばこちらから近づいていかねばならぬ場面もあるだろう。それを誘導するほどの余力が、彼らにあるようには見えなかった。しかしジェーンは彼らの力を信じて、ゾーンブレイクを開始する。

「……行きましょうか」
「さぁ、行動開始だ」
『なに恰好付けてるの』

 天野はレイアにツッコまれつつも、ジェーンと共に戦火の中へ飛び出した。術師の傍を固めるのは彼とカグヤ、そしてシールスだ。彼らが迅速かつ堅実に任務を遂行できたのは、あらかじめ術式の工程を把握できていたところが大きいだろう。
 さて、エージェントたちが飛龍の殲滅を行う最中、真壁と佐倉は見上げるほどの大蛇を相手にしていた。セラフィナをその身に宿した真壁は、不思議と落ち着いた気持ちで大蛇の血生臭い息を浴びている。さらと落ちてくるプラチナ・ブロンドをかきあげると、鈍く光る機械の眼窩に嵌め込まれた深海が怪物を鏡映した。

「でかいな」
『僕、映画で蛇に丸呑みにされた人観ちゃいました……!』
「……そうはなりたくないものだ」

 心で響くセラフィナの声に応える余裕すらあることも、共鳴状態の真壁が多少快活になるためだろうか。大蛇が顎を引くと、たったそれだけの動きで周囲の空気がぶお、と動いた。次の瞬間、凄まじい質量が真壁の肩を食い千切ろうと振り下ろされる! 真壁はこれを盾で受け流したが、強烈な衝撃に眉間を寄せた。カウンターでちまちま削れればと思ったが、なかなか難しそうだ。

「くろー! 尾の攻撃がくる!」

 真壁の背後で、佐倉が叫ぶ。真壁が噛みつきをかわす隙に、大蛇は尾を大きく振り上げていた。佐倉は自身の魔力を活性化させ、範囲魔法で大蛇を狙った。従魔を中心とした半径5メートルほどに不浄な風が吹き荒れ、佐倉の攻撃は尾の閃きを一瞬遅らせただけでなく、その鉄の鱗に綻びを作った。

「分かってる、さ!」

 弾き返すように、真壁のライヴスが振り下ろされる尾を切り刻む! 深い傷からはどす黒い血が噴き出し、大蛇は金切り声をあげてのたうち回った。潰されてはたまらない! 真壁は全速力でその場を離れ、護衛対象からできるだけ遠くへ移動する。佐倉はこの間に大蛇に火炎魔法を叩き込みつつ、従魔が狙い通り真壁に標的を絞ったことに安堵した。彼女の心に、精神を同調したシルミルテの悪態が聞こえる。

『聞いタ? 分かってルだっテ。かわイクないヤツ!』
「今のくろーは正義のヒーローモードだからね」

 怒り狂った蛇の正面に立たぬようじりじりと後退する真壁を見ながら、佐倉は幻想蝶より重厚な魔法書を引き出した。ライヴスの光にてらと光る彼女の橙の光彩は上半分が桃色を呈する。常人離れした水色の瞳孔はダイヤ型に開き、異界の影響の強いこの場では髪色までが英雄に影響されていた。魔法の本がひとりでにページを開くと、沸き立つオーラに金髪が浮き上がる。光の剣を具現化する間、シルミルテは誰にも聞こえないのにこそこそ声で佐倉に問いかけた。

『ねェねェ、樹ぃ。こノ場合ノ"正義"っテなーニ?』
「あぁ、そんなものは最後まで生き残った勝者が決めるんだよ」
『そレジャあ、まズは生き延びヨー。ソんで、勝とウね』
「シリィのお願いなら喜んで」

 佐倉はその笑顔のまま、金切り声をあげる大蛇を魔法の剣で串刺しにした。

「さっすが神話の巨人、大迫力だねー。それも3体。強烈だねー」

 状況開始と同時に、稲葉は巨人と相対していた。さすがはケントゥリオ級従魔、その大きさたるやちょっとしたビル並だ。この世の生物とは似ても似つかぬ浅黒く分厚い皮膚は、それでいて生物のようにドクドクと脈打っている。稲葉は手汗で滑る赤黒い長槍の柄を握り直した。背中が泡立ち、バニーガール風のコスチュームから覗く白い尾がぶるりと震える。網は強敵を前に仁王立ちしたままの稲葉の心に語りかける。

『びびったでござるか?』
「あはは、よくわかんない。でも飛んでる化け物相手じゃ私じゃ相性が悪すぎるしさー、適材適所から見ても私は対巨人にいくしかないもんね。ジェーンさんには護衛ついてるし、とりあえずは集中しきって大丈夫じゃない?」

 彼女の着衣は露出が多い。柔肌に目がない巨人は足元のご馳走に一つ目をにたりと歪めた。巨人が腕を振りかぶると、周囲の空気までもがごう、と鳴る。網は彼女に重要な助言を与えた。

『らいと殿、デカブツ相手の時は攻撃を末端に、手足に集中させるのが基本でござる』
「オーケー、オーケー。って3体の巨人じゃ区別付きづらいからアダ名で呼ぼうかな」

 稲葉は自分の身長よりはるかに長い獲物を華麗に振り回してスチャと構えた。右端の巨人から順に切っ先で指し示し、それらを蔑称する。巨人たちは光栄と言わんばかりに稲葉に向き直った。

「出っ歯、ハゲ、デカちんk」『却下でござる!!!』

 網に脳内で台詞を遮られ、稲葉は愉快そうに笑う。

「おっとっと、じゃあデカ鼻で。――今から巨人より兎の方が強いって証明しちゃうよ?」

 豚か男性の嗚咽じみた雄叫びと共に、ハゲの大木のような腕が稲葉を狙って振り下ろされた! 稲葉はこれを容易く回避し、巨人の股ぐらに滑り込む。背後に回り込んだ稲葉が手にした槍を巨人のふくらはぎに突き刺すと、耳障りな悲鳴と共に真っ赤な鮮血が飛び散った。

「ほらほら、でくの坊さん。ボクを食べられる物なら食べてみなよ!」

 巨人のうちの一体は、稲葉と自身の足元で大声で挑発するアンジェリカの間で2、3回視線を行き来させたが、どうやらアンジェリカの方が好みだったらしい。狙い通り巨人の標的となったアンジェリカは護衛対象から従魔を引き離すためその場を離れる。しかし敵は巨大だ、彼女が懸命に走っても巨人の一歩にも及ばない。石臼のような歯をぎらりと覗かせた巨人の棍棒が、アンジェリカを捉えようと動く!

『いかん……ッ! アンジェ、しゃがめ!』
「あうっ」

 マルコの心の叫びに、彼女は転ぶように地面に伏せた。ぶうん! と凄まじい音をさせ巨人の薙ぎ払った棍棒はアンジェリカの耳の上を通り過ぎる。

『大丈夫か?!』
「マルコさん……ボクは平気だよ。ジェーンさんの儀式、邪魔させるわけにいかないでしょ」
『……足場も悪い。慎重にな』

 アンジェリカの依頼成功にかける熱意は強い。彼女は素早く体勢を立て直し、幻想蝶から黒く光る自動小銃を引き出した。セレクターをフルオートにして巨人のむこうずねに全弾を撃ち込む。ぱららららら、と皮膚と弾丸がミキサーに入れた果物のように弾けるが、その効き目は焼け石に水といったところだ。敵が体勢を崩す様子はなく、弁慶の泣き所でもダメか、とアンジェリカの絹の額を汗が伝う。だが、巨人は脛のむず痒さを不快に感じているようだ。だとしたら十二分。

「さあ、ガードを下げなよ……すかさず目玉を撃ち抜いてあげる!」

 3体の巨人のうち、1体をアンジェリカが、残りの2体は稲葉が引き付けている。稲葉は身軽さを活かした戦法で巨人たちの攻撃をかわしていたが、この超重力下では長くは持つまい……これを救ったのは守矢と五郎丸だった。稲葉を狙う巨人の片割れに、臙脂のマフラーを靡かせる守矢の短剣が炸裂した。波状の刃に込められていたのはライヴスの猛毒だ。この傷から流れる血は止まることなく巨人の体力を奪い続けるだろう。

「さーて、こいつだけでも倒せれば万々歳なんだけどな」

 攻撃を終えた守矢は曲芸師のようにひらりと着地した。素早い動きで黒いタンクトップの襟元が風を孕む。彼がフウと共鳴したことで紅く色を変えた前髪をかきあげると、動作の拍子で短剣に付着した鮮血が亜麻色のチノに散った。その心中で英雄は冷静だ。

『……倒し切れないと覚悟しておいた方がいい。倒せると思って倒せないと士気が削がれる』

 彼女にはかなわないな、と薄く苦笑を漏らす守矢の傍で、五郎丸はこの巨人へのさらなる集中攻撃のため幻想蝶を頭上に掲げて共鳴のトリガーを引いた。

「CALL GESPENST!」

 その途端、五郎丸は湧き上がるライヴスの光に包まれ、ふわと浮いてアイゼンの内部へ取り込まれた。召喚者を内包することで英雄のボディから古傷は消え失せ、全盛期の姿になって顕現する。その両手には光が集積し、左手には白銀の刃を持つ剣が、右手には幅広の刀身を持つ大剣が現れ出る。

『F-204カスタム、ゲシュペンスト・アイゼン、参ります!』

 アイゼンの機体内で身体を動かす五郎丸の感覚はまさにロボットの操縦に近い。彼は英雄を操って二対の剣戟を握り直すと、巨人の懐に飛び込んで行った。距離を取ってちまちま削るやり方では有効打は狙えまい……こう見えてゴリ押し気質な五郎丸が選択したのは接近戦だ。この決断は敵を屠る上では優れた判断だった。

「さて、私は彼らに集中するよ。術師さんの護衛や他の敵は信頼する仲間に任せてある」
『狙うなら攻撃するタイミングがお勧めです。振り上げた足や腕にかかる負担が最大になります』
「ふむ……あれだけでかいんだ、足回りに掛かる負担も相当なもんだろう」
『巧く背後を取れたなら格闘戦で動きの要になる腰を狙うのも有効でしょう』

 まるでサポートAIのように喋るアイゼンに応え、五郎丸は巨人の巨大な脚を目前に捉えた。リーチの内側は死角となり、巨人は彼の接近を察知できない。幸い敵は稲葉を標的にしているため背後を取ることは容易いが、相手は12メートルの巨人……仮にそんな物があるのなら金的も有効かと思ったが、このままでは腰より上は狙えない。

「膝、腱もいいが……まずは指の一本も貰おうか。足回りから崩すとしよう」

 巨人の右足親指を五郎丸の斬撃がズタズタにする! 魔法剣よりいくらか大剣の傷の方が深いか……そう思案する五郎丸の頭上で、巨人は痛みに怒号をあげた。ふと彼の狐のそれのような耳がひく、と反応する。ぶおおという風の音を捉えたのだ。巨人は五郎丸を蹴り飛ばそうと左足を振り切る! 一秒でも長く敵を引き付けることに重きを置いていた五郎丸は耐久に踏み切り、特急電車のような速度と質量で迫る巨人の脚を受け止めようとした。直後、凄まじい衝撃が彼を襲う。五郎丸が小石のように宙を舞い地面に叩き付けられるところを見ていたシールスは、慌ててインカムを取った。

『ガガ……ピー……五郎丸さんッ、大丈夫?!』
「ん……まだやれるよ。そちらには絶対に行かせない」
『……うん。目標、接近してくるよ。3時の方向に誘導して』
「了解した。次は巧く動きを止めて……早いところ腕も頭も切り刻んでやるさ」

 彼らのような味方同士の密な連携は戦況を大いに改善していた。逆に五郎丸の心配していた敵側の連携はさほど見られない。シールスは通信を終了し、全体を見渡す。彼は術式の工程に添って邪魔な従魔をどこへ逃がすか指示していたのだ。さらに、後方から火傷や負傷の治療も行っている。

『第二地点到達、間もなく第三地点に向かうよ。蛇は6時の方向に誘導して』
「「「了解!」」」
「……メイナードさん、オーケーだ」
「ああ、すまない」

 シールスは治療を終えたメイナードが戦線に復帰するのを見送り、再びインカムを取る。彼の見る限り、大蛇や巨人を倒すにはまだまだ時間がかかりそうだ。そんな中でも、飛龍は待ったなしに増え続ける。

『飛龍がジェーンさんに接近中! 撃墜は……間に合わない! 来るよ、天野さん!』
「了解!」

 天野は地面に魔法陣を描いていくジェーンにぴったりとつけて射程内の従魔を攻撃していたが、新たな飛龍の出現を知って洋弓を地へ放った。弓は瞬く間にライヴスに還元されて消え、頭上には口内に火炎を吐き溜めた飛龍を見る。天野が透明な盾を展開して身を挺しジェーンを守るのと、飛龍が火炎を吐き出すのは同時だった。

「ぐっ……」
『正人、正念場だよ!』

 意識を重ねたレイアが、灼熱に呻く天野を励ます。僅かに英雄の色を反映した黒い髪の末端が、炎に焼かれてチリと鳴る。彼の背後でジェーンは大きなダメージを免れていたが、広がる火の手に巻かれて火傷を負う。それでもジェーンは天野を信じ、無心に呪文を唱え続けた。天野が地獄の火炎を凌ぎ切ると、飛龍は麻生によって撃ち落され、ドサリと地に落ちていた。胸に風穴を開けたその弾丸はまさに"大当たり"だ。

「ジャックポット、ってな……俺の立ち位置はこのままで良いか?」
『うん、そのまま飛龍をお願いするよ』

 麻生がマイクにそう尋ねると、ほっとしたようなシールスの声が聞こえた。神経を研ぎ澄まし、集中した麻生の命中は実に安心感のあるものだっただろう。エージェントたちは敵の誘導だけでなく攻撃も連携してこなし、特に増援の飛龍を速やかに狩った。

「傷を見せよ」
「平気よ、このくらい」
「何を言う。そなたが鍵なのじゃ……そら、ゆくぞ」

 カグヤはすぐにジェーンの火傷を癒し、彼女の体調を万全に保った。ライヴスで具現化した透明な盾を携え、最短距離での移動を阻む瓦礫を蹴散らしながら戦場を進む。
 一方で黒塚も、増援の飛龍処理に大きく貢献していた。だが彼が最も優先したのは全体的な戦況の把握だった。ふと彼がピストルのフロントサイトから視線を外すと、そこではちょうど一人巨人を引き付けていたアンジェリカが蹴りを食らって手毬のように吹き飛んだところだった。

「あちゃー……」
『シバ様! 早くアンジェリカ様を助けないと!』
「……仕方ねぇな」

 黒塚は咥えていた煙草を吐き捨て、アンジェリカににじり寄る巨人に素早く標準を合わせた。パン、パンと数発の魔法の弾丸が巨人の腕に食い込み、蚊に刺された程度の興味が黒塚の方へ向けられる。一つきりの巨大な黒目が黒塚を見たが、巨人はすぐにアンジェリカに視線を戻した。ドガア! という大きな音で黒塚がさらに横を見ると、棍棒の一撃を食らって吹き飛んだ五郎丸が瓦礫の山に激突したところだった。さらに巨人は守矢を無視し、ジェーンらの一行に目を付けたようだ。

「……こりゃやべーな」

 黒塚はこの状況が自身だけで看破できないと判断し、シャツの襟に付けたマイクを引き寄せた。

『シールスちゃん、アンジェリカのネーサンが巨人に言い寄られて困ってるぜ。』
『分かってるよ! カグヤさんごめん、一匹そっち行ってる!』
『あいわかった、見えておるわ』

 飛び交う無線の情報から、大蛇と相対する者にも状況が芳しくないことは伝わっていただろう。だが、彼らが大蛇の気配に怯えずに済むのはここを押える真壁と佐倉のおかげだ。こいつまで向こうへ行かせるわけにはいかない。僅かでも気を抜けばすぐにも突破されかねない相手に、二人の緊張は高まっていた。本来はメイナードが合流する予定だったが、ジェーンの危機に彼は巨人対応に向かっている。

「ゆっくり歓談できるのは、これが終わってから……と言いたい所だが」

 満身創痍の真壁は地に突き刺した槍を頼りによろりと立ち上がった。果たして終わらせられるか? 打たれ強い友人の加勢を失い、彼は攻勢に転ずる機を逃していた。真壁と佐倉はエージェントとなって初めての依頼でメイナードと行動を共にしてから、彼に大きな信頼を寄せていたのだ。大蛇もたくさんの血を流していたが、真壁よりは元気そうだった。弱った真壁を狙い、大口を開けた大蛇が身体をしならせる!

「くろーッ!」

 佐倉が駆け出したが、強い重力が彼女の身体にのしかかる。ダメだ、間に合わない……! しかし、そこへ一筋の光が飛来する。郷矢の放ったライヴスの弾丸は大蛇の口内を直撃し、喉に風穴を開けて貫通した。この隙に佐倉は真壁のもとへ到達し、彼女は友人の身体を思い切り後方へ放り投げた。ズシャアと地面に叩き付けられた真壁は呻いたが、大蛇に踏み潰されるよりずっとましだっただろう。危険に晒されたのは佐倉である。彼女は全速力で走り苦痛にのたうつ蛇の踏み潰しから逃れたが、暴れまわる長い尾に背中を強打されてボールのように地面を転がった。

「ぅあッ!」
『樹ィ!』
「佐倉さん!」

 蛇の口内を打ち抜いた郷矢が遠くから、彼女の内側からシルミルテが悲鳴をあげた。この間にも大蛇は痛みと怒りで狂い踊り、佐倉のすぐそばの地面を太い身体で鞭打つ。後方でそれを察知していたシールスは全速力で前に走り出て、無我夢中で巨大な従魔を一身に引き受けた。

「ここは僕に任せて、一旦引いて! ホラ、お前の相手はこの僕だよ。こっちにおいでよ」

 シールスのおかげで、佐倉は郷矢の手を借りて大蛇から逃れることができた。しかし大蛇に立ち向かうにはシールスは装備が整っていなかった。とにかくみんなを助けようと必死で、誰かが回復してくれて味方がここに戻るまで耐えきろうと思ったのだろう。だが、回復魔法を使える者でそんな余裕がある仲間は誰もいなかった。

「どうしましょう……どうしましょうどうしましょう」
『リン、落ち着け! バトルメディックならそこにいる!』

 血を流す佐倉を抱えて、郷矢は目の前の景色が渦を巻いて見えた。ダンダカンがその精神をなんとか宥めようと声を荒げる。彼に言われるままに顔を上げると、そこには傷を庇いながらもこちらにやってくる真壁の姿があった。彼の口元にはご飯粒が付いている……きっと素早く食事を採ったのだろう。

「まだくたばるなよ貧乳」
「うるさいよ」
『樹さん、シルミルテさん、いま治しますからね』
『セラフィナ~……ありガと~』

 真壁の魔法で佐倉はみるみる回復し、減らず口に言い返せるまでになった。郷矢はほっと胸を撫でおろし、再び大蛇に向き直る。真壁と佐倉もそれに倣った。シールスは深い傷を負ったものの、味方が戻ったことに気付いて無事後方支援に戻ることができた。

「……こういうパワーファイターな役回りは俺向きではない気がするのだが」
『でもクロさんとりあえず殴ればいいだろうってよく言ってますよね』
「……まあな」

 真壁は槍を格納し、使い古された大剣を召喚した。防戦一方はここまで、この先は攻めにいくのだ。真壁は大剣を振りかぶり、雄叫びをあげて大蛇に突撃する。この鬱陶しい超重力も、振り下ろしの威力を高めることには活用できる。重量と速度を乗せた大剣の一撃が大蛇の胴に直撃し、骨を折られた蛇は変な角度に折れ曲がって金切り声をあげた。振り抜かれる尾の反撃も真壁の想定のうちだ。彼はその場で大剣の現界を解き、即座にバックステップを踏む。反撃は真壁のコートの腕部を浅く裂くにとどまり、ライヴスに帰した大剣は再び真壁の手の内に戻る。

「はあッ」
「食らいなさい!」

 彼に噛みつこうと頭をもたげ大口を開けた大蛇に、佐倉と郷矢の攻撃が炸裂する。さらに真壁は走駆のうちに大剣で地面を抉り、大蛇の目に大量の砂をぶちまけた。彼はその勢いのまま踏み込み、蛇の頭部を斜め袈裟斬りに両断する! 蛇のあげる奇声はか細く、傷口は血の泡を噴く。大蛇が間もなく倒れることは明白だった。しかし、できれば増援までに倒しておきたかったものだ。めりめりと瓦礫の山を退ける音と共に、2体目の大蛇が戦場に現れたのはそのときだった。

「くそ、もう次が……!」

 佐倉が憎々しげに言うより少し前、カグヤはしゅるりと帯を解き、巨人とジェーンの間に立ちはだかっていた。困惑するジェーンをよそに、カグヤは次々着物を脱ぎ捨ててゆく。

「カグヤさん……?」
「使えるモノはなんでも使うのじゃ。そなたは術式に集中せい」
「ジェーンさん、さあ早く」

 天野はこの隙にジェーンを伴って次のポイントへ移動した。彼もまた、最悪の場合ジェーンが無事ならそれでいいと考えているのだ。天野は常に冷静を保ち、目的を見失わなかった。カグヤは玉の肌を露わに、ジェーンと逆の方へ歩き出す。巨人はご馳走を目の前に遠目にも色めき、カグヤにつられてジェーンから離れた。

「ほれ、こっちの肉はうまいぞえ」

 挑発するカグヤに、巨人は鼻息も荒く突進してきた。殴るにも等しい勢いで掴み掛る手を、彼女は盾で弾き受け流す。できる限り威力を殺したつもりだが、地面にはズザザと長い下駄の痕が付いた。カグヤは素早くイバラの鞭を召喚し、巨人の腕をしばき倒して軽やかに後方へ飛びのいた。その斬撃にはライヴスの毒が仕込まれており、この傷から流れる血が止まることはない。カグヤが棘のある花だと気付いた巨人は、再びジェーンに狙いを切り替える。だがこの男がそれを許さない。

「ジェーンさんの方には近づけねぇよ」
『……行かせない』

 守矢は背後から巨人の腱に短剣を突き立てた。それは彼に宿るフウの助言によるものだった。膝の裏の方が有効だっただろうが、短剣では届かない。

「どんなに体がでかくても人型なら弱点は対して変わらねぇし、動かし方も読めんだよ!」

 たしかに巨人は苦痛に呻き、歩調を乱した。だが腱は切断には至らず、巨人はなお守矢を無視してジェーンに迫ろうとする。

「おっと、そうはさせねぇ」
『……それはダメ』
「無視は悲しいだろ。もっと付き合ってくれ……よ!」

 守矢は素早くライヴスの針を具現化し、歩く巨人の軸足を地面に縫い留めた。その効果は一瞬だったが、これはメイナードの追撃を大いに楽にした。

「イデア、力を貸してくれ」
『言われなくても』

 ジェーンの危機に駆けつけたメイナードが、巨人にライフルの標準を合わせる。英雄との協調を意識すると彼の纏うライヴスはますます溢れ、鋭い眼光は紫を帯びた。近未来じみた義手が引き金を引き、放たれた弾丸は巨人の足の裏に吸い込まれる。指まで落とせればますます良かったのだが、これでも十分だ。なぜならその一撃に編み込んだのは従魔を形作るライヴスを乱し、意識を失わせる技術だからだ。巨人は間もなくふらつくようになり、膝をついて頭を抱えるような素振りを見せた。

「これでこいつはしばらく動けない! みんな体勢を立て直すんだ!」

 アンジェリカに迫る巨人には、北里が相対していた。彼女は満身創痍で、危険を顧みず、巨人の前に出て戦っているのだ。幾度目かの挑戦の末、彼女は巨人の目玉を直接火炎魔法で消し炭にすることに成功した。仲間を襲い、命を食らう従魔。それでも、彼女の心は慈しみに満ちている。

「……ここは人が住む世界なんです、ごめんなさい」

 巨人は眼球が沸騰する耐え難い痛みに苦しみ抜き、棍棒を取り落として滅茶苦茶に地団太を踏んだ。アンジェリカが十分な距離を稼いでくれたおかげで、巨人が暴れまわってもこちらは痛くもかゆくもない。北里はさらなる追撃として強力な範囲魔術の行使を思いつく。もっと多数を巻き込むことが理想ではあったが、それは個々を引き離す作戦と矛盾する。北里がキリと巨人を睨むと、その心中でアリスがけたけたと笑い出した。

『きゃっははははははっ! みんなそうなのね、ころされちゃったから従魔ちゃんに怒ってるのね』
「アリス? ど、どうしたの?」
『ふふふふっじゃーアリスが願いを叶えてあげる! 吹きなさい! 不浄なる風!』

 無邪気なアリスは寄ってたかっていじめ抜かれる巨人を弱者と判断したのだろうか。その悪役魂に火が付いたように、彼女は北里の胸の中でそいつを殺せと指差した。……言われなくても、北里は巨人を殺す。そのためにここにいるのだ。北里が詠唱を開始すると、彼女に寄り添う人魂がふわりと舞う。発現した魔法の風は巨人の皮膚を腐らせ、その身の守りを綻びさせる。北里はそれを見届けると、足元に転がっているアンジェリカに急ぎ駆け寄った。

「お願いですから、わたしより先に死なないでくださいっ」

 彼女がこうまでして絶対に守りたかったのは友人の命だった。北里が泣き縋っても、アンジェリカは目を覚まさない。彼女の持っていた小さな酒樽は割れて、中の洋酒の香りがあたりに蔓延している。目玉を焼かれた巨人はそれが何の匂いなのかも分かっていなかっただろうが、視界を奪われた彼は嗅覚を頼りにそちらへやってきた。一歩近づくたび、地面はズシと揺れる。ひどく爛れた瞼は、真っ黒な眼窩にぶら下がっていた。……どうやら、もうダメそうだな。危機を察知したマルコはアンジェリカとの共鳴を解き、彼女たちと巨人の間に立った。

「芽衣、アンジェを連れて逃げろ……」
「いやだよ!」
「!! カノーヴァちゃんっ」

 拒否したのは目を覚ましたアンジェリカだった。驚いて振り返るマルコを、彼女と北里が突っぱねる。

「とにかくボク達がやられようと、儀式が完成するまで時間を稼ぐんだよ! ボクだけ逃がそうなんて冗談じゃない!」
「わたしもっ! 異界の門が閉じるまで、全力を尽くします!」

 北里はマルコの横に立ち戦う意思を露わにした。しかし彼女の魔力は最早底をついている。このままなら剣を取り、巨人に挑む覚悟だっただろう。だがそこへ両手に剣を持つ巨大メカのような人影が現れ、勢いのある一撃を巨人に叩き込んだ! 足元のおぼつかない巨人は大きく体勢を崩し、あおむけにのけぞる。それは五郎丸と共鳴したアイゼンだった。彼らの治療を終えたシールスも一緒だ。

「機動力が落ちてることには、気を付けてたんだけどね。踏み潰されてたら一溜まりもなかったろうな」
『なんの! 脆くて曖昧な記憶に残るあの戦い、紅い月に攻め込んだあの決戦と比べればこの程度!』
「本当、頼もしい」
「アンジェリカさん! すぐ回復するよ!」

 シールスはすぐさまアンジェリカの治療に取り掛かった。五郎丸は別な巨人の棍棒に吹き飛ばされて大きく損傷していたのだが、シールスの魔法である程度回復していた。しかし戦いはまだ終わらない、ジェーンの術式はあと二つの工程を残している。

「要は術が完了するまで、もう少しの時間が稼げればいい……とは言え、こりゃ全部倒す気でかからなきゃそれすらも……って感じだね」

 五郎丸は巨人が体勢を立て直すより早く、再びそれに斬りかかった。シールスの治療でアンジェリカは間もなく立てるまでに回復し、巨人の誘導に復帰する。

「鬼さんこちら、手のなる方へ♪」

 目の見えない巨人はぱちぱちと手を打ち鳴らすアンジェリカの誘導に面白いように引っかかった。倒しきるまではいかずとも、この巨人の脅威はかなり薄れたと言っていいだろう。シールスはジェーンの護衛に戻り、再びライフルを手に取った。

『シールス、脚を狙え。彼女に当てるなよ』
「分かってる!」

 アンダーの警告にそう応え、シールスは稲葉と戦う巨人の腱を狙う。この巨人は初期から稲葉による引き付けが行き届いており、彼女は今もその足元を見事な足さばきで駆け回っていた。踏まれるのだけは絶対に避けたいからといって脚ばかり注意していても危険なので、稲葉はとにかく動き続けることに主眼を置いていた。当然、無線で流れてくる状況にしっかり耳を傾けることも抜かりない。しかし、さすがに息があがっているようだ。初期に受けた火傷の傷もじわじわと彼女の体力を奪う。

「はぁ、はぁ……もうとてもじゃないけどこのペース維持出来ないよ?」
『らいと殿、親指を潰すでござる。親指を潰されると誰でも踏ん張れなくなるので効果テキメンでござるゾ!』
「え、なにそれ良いこと聞いた! 早速狙ってみるね♪」

 稲葉は素早く駆け出し、巨人の足元に入った。それに対し巨人は棍棒を振り払って反撃する。強烈な一撃が稲葉に炸裂した! ……ように見えたが、それはライヴスが見せる彼女の分身だった。巨人が状況を理解するより遥かに早く、稲葉の一撃がその親指の付け根を抉る! 巨人は苦痛に呻きをあげたが、巨大な肉塊は槍の一撃で千切れるようなことはない。何度か斬らないと無理か……稲葉は小さく舌打ちし、敵から距離を取ろうと後ろへ飛び去った。……いや、飛び去ろうとした。彼女の思う以上に、肉体の疲労はピークに達していたようだ。一瞬だけ景色がグラつき、瞬きの後には巨人の蹴りが目前まで迫っていた。

「くっ……!」
「……稲葉さん!」

 シールスは素早くその脚を打ち抜いた。その弾丸で僅かに軌道のずれた蹴りは、それでも稲葉を軽く数メートルは吹き飛ばす。彼女は転がった先で折れた腕の鈍痛に呻きながらも、直撃するよりましだったと息を吐いた。こうしてはいられない。稲葉はすぐさま立ち上がり、無事な方の腕に長槍を持ち替えた。巨人はいまだニタリとした笑みを浮かべたままだ。稲葉の限界は近い……だが、彼女は十二分にこの巨人から時間を稼いだ。

『……姿の見えない暗殺者の怖さを教えてあげる』

 そう囁くのは、守矢に心を重ねたフウだ。メイナードの気絶攻撃から復帰した巨人を押えているのが守矢だった。巨人が意識を取り戻したとき、ジェーンたちはすでに離れた位置にいた。敵の目の前にいた守矢は巨人が自分を獲物と認識したことに気付き、瓦礫の多く身を隠しやすい……彼らにとって戦いやすい場所に誘導することに成功していたのだ。彼の戦法もまた、常に動き続けるヒットアンドアウェイである。異界の強い負荷に息は切れ、あっという間に体力が奪われる。

「意識が飛ばなけりゃ御の字なんだが、な」
『智生、もう少し……もう少しだから……』

 フウに励まされ、守矢の金の瞳に輝きが戻る。瞬きをすると、瞳孔が獣のように縦に伸びた。そう、成功はもうすぐそこだ。彼は再び瓦礫の野を駆け出す。巨人が足を踏み下ろす場所に迷うよう、障害物の合間を縫って敵に迫る。と、巨人は突然軸足に激痛を感じ、声をあげて膝を抱えた。その膝裏を撃ち抜いた麻生が、舌打ち混じりに人の悪い笑みを浮かべる。

「何時でも膝ついていいんだぜ? そんときゃ目玉撃ち抜いてやんよ」

 麻生は再び空を見上げ、次なる飛龍の襲来に備える。彼は自身の任務を遂行する合間にも、味方の援護をすることを忘れなかった。ジェーンは間もなく最終工程を終了する。もう少し、持ちこたえるだけでいいのだ。

「あちらは私に任せろ!」

 2体目の大蛇には、努々が対応した。遠距離からの狙撃で大蛇の意識を自身に向けさせ、さらに危険を顧みずその正面に立った。彼女の挑発は見事大蛇の興味を惹き、誘導に成功する。1体目の討伐に手間取る真壁たちは大いに安心しただろう。

「待たせたな!」
「メイナードさん!」

 巨人の対応を終えたメイナードが、真壁の応援に駆け付けた。佐倉が嬉しそうにその名を呼ぶ。真壁とメイナードは視線を交わして頷き合い、二人で挟撃するように左右から襲い掛かり、死にぞこないの大蛇に止めを刺すべく剣を、拳を振り上げる。

「「はあああああッ!!」」

 ジェーンは最終地点で、術式の最終工程を今終えようとしていた。カグヤは肌着だけを羽織った姿で、再びジェーンの護衛に戻っている。巨人や蛇は味方が引き付けてくれるが、飛龍は絶えず襲ってくる。天野も盾を振りかざし、ジェーンを守る。誰もが疲れ切っていた。しかし、どんなに情けない姿でもいいのだ。最後に、生きてさえいれば。

「ここに、最後に立っている者が勝ちじゃ!!」
「閉じろ!」
『閉じろ!』

 天野とレイアが声を合わせる。誰もの叫びが、ジェーンの呪文と重なった。

「「「閉じろ!!!」」」
「――閉じよ、異界の門!!!」

 術式の完全な成功を証明するかのように、天に浮かぶ血色の魔法陣はカシャーン! と儚い音をたてて崩れ、その色は暗雲に溶け込むように消えて行った。

●喜びに浸る時間はないわ!

「術式は成功よ! さあ、撤退を!」

 叫ぶジェーンに、すぐ傍にいたカグヤと天野が頷いた。それを見てシールスが、無線で各員に通達する。

『術式は成功したよ! すぐに撤退する! みんな準備して!』
「終わったか……守矢さん! 撤退するぞ!」
「了解!」
「稲葉の嬢ちゃん! 聞こえたかー!」
「聞こえたよー!」

 麻生は作戦の成功を聞きようやく肩の力を抜いて、巨人から逃げる守矢に声をかけた。黒塚も陣取っていた瓦礫の山を下り、戦い続ける稲葉の離脱をフォローするため巨人に魔法の弾丸を撃ち込んでいく。

『キミカ、英雄的にも戦略的撤退は恥ずべきことではないぞ!』
「承知した! ここは一旦引くとしよう!」

 ネイクに促され、大蛇を引き受けていた努々も戦線を離れる。郷矢は耳ざとく無線を捉え、佐倉に笑いかけた。

「うまくいったようですね。皆さん、早く下がりましょう」
「ほんと? やったー! だってよくろー、早く来ないと置いてくよー!」
「待てよ!」
「ハハハ」

 無事1体目の大蛇を討ち取った真壁とメイナードも、速やかに戦場から離脱する。アンジェリカは無線を聞いてその場にへたり込んだので、五郎丸に抱え上げられて巨人から離れた。マルコは怪我をしている北里の肩を支えて立ち上がる。アンジェリカはそれを見て元気だなぁ……とぼんやり思った。

「しつこいねぇ」
「全くだ」

 殿は黒塚とメイナードが勤め、一行の息が上がる頃にようやく追いすがる従魔から完全に逃れることに成功した。空を見れば、光る魔法陣は失われ、雲は切れ間が見えつつある。もう新たな黒龍が異界からやってくることはない。この土地を覆う強い重力も、暗雲が流れ去れば消えていくだろう。

「イデア、無事に帰ってこれたのだから、お酒を飲んでもいいんだろう?」
『……いいですよ。でもおじさん、忘れないで。まだ愚神アンゼルムの脅威が去ったわけではないですから』
「ああ、戦いはまだ終わらない……だが、今日の所は生き延びた。それでいいじゃないか」

 メイナードは懐から出したスキットルの中身を一口煽り、共に歩く者のうち成年者にそれを勧めた。ささやかな勝利の祝杯だ。酒の苦手な者は舐める程度に、そうでないものは乾いた喉を一口のスピリッツで潤しただろう。スキットルは最後にジェーンの手へ渡る。残りの中身をすべて飲み干したジェーンに、カグヤが尋ねた。その後ろでは着物を抱えたクーが、器用に歩きながら彼女を着付け直している。

「ときにジェーン。そなたに頼みがあるのじゃ」
「あら……何かしら」
「ゾーンブレイク教えてくれぬか? 師匠と呼ぶぞ」

 クーは全く……といったように溜息を吐いたが、ジェーンは快く笑った。

「この成功は皆さんの力あってのもの。私にできるお礼なら、なんなりと」

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 此処から"物語"を紡ぐ
    真壁 久朗aa0032
  • 希望を胸に
    アンジェリカ・カノーヴァaa0121
  • 果てなき欲望
    カグヤ・アトラクアaa0535

重体一覧

  • 此処から"物語"を紡ぐ・
    真壁 久朗aa0032
  • 希望を胸に・
    アンジェリカ・カノーヴァaa0121
  • 希望の守り人・
    シールス ブリザードaa0199
  • 信じる者の剣・
    守矢 智生aa0249
  • 深淵を見る者・
    佐倉 樹aa0340
  • 危険人物・
    メイナードaa0655
  • 戦慄のセクシーバニー・
    稲葉 らいとaa0846
  • 汝、Arkの矛となり・
    五郎丸 孤五郎aa1397
  • 痛みをぬぐう少女・
    北里芽衣aa1416

参加者

  • 夢ある本の探索者
    努々 キミカaa0002
    人間|15才|女性|攻撃
  • ハンドレッドフェイク
    ネイク・ベイオウーフaa0002hero001
    英雄|26才|男性|ブレ
  • 映画出演者
    天野 正人aa0012
    人間|17才|男性|防御
  • エージェント
    レイア アルノベリーaa0012hero001
    英雄|18才|女性|ブレ
  • 此処から"物語"を紡ぐ
    真壁 久朗aa0032
    機械|24才|男性|防御
  • 告解の聴罪者
    セラフィナaa0032hero001
    英雄|14才|?|バト
  • 希望を胸に
    アンジェリカ・カノーヴァaa0121
    人間|11才|女性|命中
  • コンメディア・デラルテ
    マルコ・マカーリオaa0121hero001
    英雄|38才|男性|ドレ
  • エージェント
    郷矢 鈴aa0162
    人間|23才|女性|命中
  • エージェント
    ウーラ・ブンブン・ダンダカンaa0162hero001
    英雄|38才|男性|ジャ
  • 希望の守り人
    シールス ブリザードaa0199
    機械|15才|男性|命中
  • 暗所を照らす孤高の癒し
    99aa0199hero001
    英雄|20才|男性|バト
  • 信じる者の剣
    守矢 智生aa0249
    人間|20才|男性|攻撃
  • エージェント
    フウaa0249hero001
    英雄|18才|女性|シャド
  • 深淵を見る者
    佐倉 樹aa0340
    人間|19才|女性|命中
  • 深淵を識る者
    シルミルテaa0340hero001
    英雄|9才|?|ソフィ
  • 来世でも誓う“愛”
    麻生 遊夜aa0452
    機械|34才|男性|命中
  • 来世でも誓う“愛”
    ユフォアリーヤaa0452hero001
    英雄|18才|女性|ジャ
  • 果てなき欲望
    カグヤ・アトラクアaa0535
    機械|24才|女性|生命
  • おうちかえる
    クー・ナンナaa0535hero001
    英雄|12才|男性|バト
  • 危険人物
    メイナードaa0655
    機械|46才|男性|防御
  • 筋肉好きだヨ!
    Alice:IDEAaa0655hero001
    英雄|9才|女性|ブレ
  • 戦慄のセクシーバニー
    稲葉 らいとaa0846
    人間|17才|女性|回避
  • 甘いのがお好き
    aa0846hero001
    英雄|10才|?|シャド
  • エージェント
    黒塚 柴aa0903
    人間|18才|男性|命中
  • 守護の決意
    フェルトシア リトゥスaa0903hero001
    英雄|18才|女性|ソフィ
  • 汝、Arkの矛となり
    五郎丸 孤五郎aa1397
    機械|15才|?|攻撃
  • 残照を《謳う》 
    黒鉄・霊aa1397hero001
    英雄|15才|?|ドレ
  • 痛みをぬぐう少女
    北里芽衣aa1416
    人間|11才|女性|命中
  • 遊ぶの大好き
    アリス・ドリームイーターaa1416hero001
    英雄|11才|女性|ソフィ
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