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掲示板
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質問卓
最終発言2018/05/20 09:59:41 -
愚神に愛を込めて(相談卓)
最終発言2018/05/22 19:34:47 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2018/05/18 22:46:26
オープニング
●《燻る灰》
「皆様、んー、お待ちかねのっ! アッシェグルートですわよ!」
とある動画サイトで、突然愚神の動画の生配信が始まる。
発信元は新規アカウント。
すでにこの動画サイトでアッシェグルート関連の動画は停止されているが、ゲリラ投稿までは管理しきれない。
「待ちかねてたんじゃない、オマエが危険だから探してたんだよ!」
いち早く動画に辿りつき、端末の前で毒づく柏木。
ネット上では少し前からアッシェグルートの二つ名である《燻る灰》を意味する不審な予告が流れ、何事かと注目を集めていた。そして必死にネットの海を探し回り、この動画に辿りついた。
柏木の罵声は、動画の向こうの御機嫌な愚神には届かない。
「うふふー、あたくしがいまどこにいるか、お分かりになるかしら?」
どうやら自撮り棒を使って、スマホ撮影しているらしい。
ふわふわの羽飾りのついた扇を持ち、上目遣いでカメラを覗き込む。
夜を照らす照明に、どこかの建物が映りこむ。屋外からの撮影だとわかる。
「この場所は一般公開されておりませんし、これだけでは難しいかしらぁ? ではサービスですわ! 百万ドルの夜景を御覧遊ばせ!」
カメラがぐるりと廻り、圧倒的な存在感で立ち並ぶ摩天楼のビル群と、はるか下にある地上を流れる光点を映し出す。
「(まだ、ニューヨークにいたのか!)」
ひと目でわかるほど特徴的な街並み。いくつかのシンボル的ビルも映り込む。
大きく映るストリート、アベニュー……。すぐに類似の写真がヒットする。
「エンパイア・ステート・ビル展望台……」
ニューヨークと言わず世界でも屈指の高さを誇るこの建造物には86階と、最上階の102階に展望台があり、102階からの眺望が近い。
「さあ! このくらいお見せすればもう、わかってしまいますわよね? 人間の持つ情報ネットワークってあなどれませんものね!」
まるでクイズ番組のリポーターのように楽しげに、再び画面に入ってくる。
「H.O.P.E.のエージェントの皆様は、あたくしがスキルを使って好感度を上げていたこと、もうお分かりですわよねぇ?」
赤いヴェール越しの顔が……歪む。それはそれは愉しそうに、狂気を孕んで。
「あははははははは! そうこなくては! そうであるからこそ、あたくしは人類がだぁい好きなのですわ!」
だぁい好き、だぁい好き……。その声色はじっとりと粘りつくように、耳に残る。
「あたくしが皆様の謎解きをどのくらい嬉しく思っているか、どうすれば伝わりますかしらねぇ……」
本当に思案しているのか、台本通りなのか、しばしの間考えるそぶりを見せる。
「そうですわ! あたくしのヒミツをひとつ、お教えしましょう! あたくしのスキル『フォイルリヒト』は、波動にあたくしのライブスを乗せるのですわ。光も電波も波だということ、皆様ご存知ですわよね? 波に逆らわず、同調させるようにライヴスの波動を忍ばせて……皆様の思考回路にお届けするのですわ!」
端末で動画を視聴していた柏木は、突然立ち上がった。
「やばい! エンパイアステートビルは……!」
「あら? あんなところにキラキラした塔がありますわ? 何をする塔かしらぁ?」
カメラの方向が上にずれ、ライトアップされた塔が映る。
「白々しい! ニューヨーク唯一の電波塔だよ!」
ワールドトレードセンターのノースビルが倒壊して以降、かのビルと分担していた電波塔機能はすべて、エンパイアステートビルに集められる事となった。
いまニューヨークで放映されている地上波の電波は、すべてこのビルから放映されることとなっている。
「映像にあたくしの姿が乗るのが必須だと思ってらっしゃいます? そんなこともないと思いますわよ? おあつらえ向きの場所ですし、ちょっとやってみましょうか?」
愚神はカメラ目線のまま電波塔に近づく。
「ちょっとやってみましょうか……じゃないだろ! させるか!!」
柏木は H.O.P.E.側には愚神出現と位置情報の報告をしてある。
取り急ぎ、あの愚神を止める人員の召集を。
「あは、あはははははははっ!! きっと止めに来てくださると、信じておりますわよ! やっと……やっとあたくしの愛しい人類達と殺しあえるのですから! 期待を裏切らないで下さいましね!!」
カメラは再び周囲を映す。
と、そこには白い塩人形と、建造物上に不自然に立ち昇る入道雲。
「さあ、皆様の気にされていたあたくしの眷属も連れてまいりましたわ。可愛いでしょう? 存分に可愛がって下さってよろしいんですのよ!」
一体、二体と、塩人形が立ち上がる。膨れ上がる毒雲。
「平和が続くと、自然と戦いの血が騒ぐでしょう? 人類はそうして発展してきたんですものね。歴史上いちども戦の火を絶やしたことがないなんて、なんて素敵な存在かしら!」
口角を上げ、にやり……と愚神が嗤う。
「あたくしがどれだけこのときを待ち侘びていたか、教えて差し上げますわ! 是非ここまでいらしてくださいな!!」
【登場】
・トリブヌス級愚神『アッシェグルート』
気まぐれで享楽的性質の女性型愚神。今回は危険度が増している。ほぼ戦闘狂。
電波にフォイルリヒトを乗せるには電波塔の上端まで登る必要がある。戦闘で引きつける限り電波塔を上りきることはないが、戦闘時の電波塔及びビルの破損には注意すること。
《フォイルリヒト》自身のライヴスを波状にして光や電波に乗せ、受信先の映像を介して人間の思考回路に干渉する。全方位発動型の弱い波動は一般人には『魅了』効果があるがエージェントは影響を受けない。
アッシェグルート自身のハート型の光彩で相手の目を直接見ることでブースト効果があり、洗脳効果に似た特殊な状態異常【魅了】を引き起こす。
【魅了】に掛かった場合は昏倒、行動支配(1ターン)、意志決定の妨害による判定の達成値減少などが起こる。
《ヴルカンフォイア》
範囲3に火柱を発生させる。射程1~15。
羽根扇で発動させるような動きをするが、扇はただの飾りである。
《ピュロマーネ》
スキルを含む攻撃の命中時に、爆発によって1d6の追加ダメージを与える。
・デクリオ級従魔『クラーゲンツァイシェン』×10
塩人形。アッシェグルートの命令を受けて行動する。
急所はなく、完全に破壊するまで動きを止めない。
・デクリオ級従魔『プラッテフンケ』×1
入道雲のような巨大な従魔。小さな火の玉を核とする。
黒雲の内部は猛毒、核の周囲2スクエアではBS【減退(2d6)】を受ける。
《ギフトリゲン》
核の範囲5内に負のライヴスを散布し、味方が受ける攻撃の判定値を1d6低下させる。パッシブ。
解説
【目標】愚神アッシェグルートの電波塔への干渉を防ぐ
【現場状況】
・エンパイア・ステート・ビルディングの屋上。地上高およそ381m。
・屋上には高さ67.7mの電波塔が建っている。電波塔の脚は四箇所に固定。
・屋上の広さはおよそ30sq×18sq。
・屋上は平坦であり電波塔の下には空洞がある。電波塔の脚部は鉄骨製。
・102階の展望台は週末で閉鎖中。上階から住民の避難は始まっている。
・万が一屋上から落下した場合、エージェントはダメージを受けないが、下階は避難誘導中のため戦線復帰に時間が掛かる。
・H.O.P.E.ニューヨーク本部からビルの屋上まではヘリにて移動。ヘリから降下時にリプレイスタート。
【現場模式図・ノンスケール】
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柵 ■ ■ 柵
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柵 ■ ■ 柵
柵 柵
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■:電波塔脚部固定位置
リプレイ
●
宵闇の中に、ヘリコプターの飛翔する爆音が響く。
眼下には、宝石を撒き散らしたような無数の光点。
ニューヨーク・シティの摩天楼といえば、世界でも有数のビル群。
天を突くようなビルの群れの中で人々は生き、世界経済を動かす。
「さて……、舐めくさってくれとるおばさんに、人類の力を教えて差し上げるとしますかの」
ヘリの窓から夜景を見下ろす天城 初春(aa5268)は、いつになく険しい表情を浮かべていた。
「お初、お主結構内心怒り狂っとるんじゃな……」
辰宮 稲荷姫(aa5268hero002)は窓ガラスに映った初春の顔を窺う。
愚神のスキルによって好感度を上げる、それ自体は真の目的が有効であるなら有罪であるか、判断に迷うところがある。
しかし、スキルによる洗脳を根拠に殺しあいを求めるなら、それはまごうことなき悪。
「前の猫かぶってる感じは好きじゃなかったから、ついに本性出してくれて助かるー」
あっけらかんと言うのは、雨宮 葵(aa4783)。
善を騙り、有効の手を差し伸べる愚神と仲良くできる気はしなかったから、近づかずにいた。
『ん。ぶっ飛ばせばいい。単純明快』
燐(aa4783hero001)は葵の横のシートで、淡々と頷く。
殺して欲しいなら、全力で殺してあげよう。
それが燐のありかたなのだから。
――善性愚神。
その存在は、H.O.P.E.という組織に絶妙なやり方で楔を打ち込んだ。
友好を申し出る愚神と共存を選ぶのか、それとも愚神という存在そのものを許さないのか。
人殺しだから許せないというのであれば、犯罪者はどうなのか。ヴィランはどうなのか。
迷いながら共存の道を模索する者、疑いを持ってあえて近づく者、絶対拒否の姿勢を貫く者。
それぞれの葛藤を、愚神たちの嘘が踏み躙る。
善性愚神が世に出た直後から違和感を感じていた、メディアの異常なまでの友好姿勢。
それらは気づかぬうちに愚神たちが人間社会を支配しつつある証だったのだ。
アッシェグルートの『魅了』電波。静かに響くガデンツァの歌。蔓延するアルノルデイィの花の香り。
それらが複合的に人心を惑わし、愚神に好意的な世論を作り上げていた。
――人の心に友好を植えつけるのは悪か?
それは人の世で許されていない。
だが、その真意が混じりけなしの友好であるなら、愚神という存在に他の方法があるのだろうか?
残っていた迷いも、アッシェグルート自身の言葉が打ち砕く。
殺しあいをしよう、と。
『殲滅する、か。お前らしくない』
灰燼鬼(aa3591hero002)は、迷いを抱えたままの沖 一真(aa3591)を静かに諭す。
違和感のある世論がアッシェグルートの『魅了』スキルによるものだと知って以降、その邪悪性に怒りを抑えきれずにいた。
いちどは理解しようと歩み寄ったが故に、怒りは膨れ上がる。
『新たに敵が出てくる度、誰かに裏切られる度に、その思考に至るか? その方が楽だろうがな』
「楽な方へ流れているだけ、なんだろうか」
不正に対する義憤。その裏にある陰謀への警戒。裏切りで傷つく友人の痛みに対する共感。
それらはごく自然な感情であり、間違っている……とまでは思わないが。
『その感情の行きつく先に未来は無い。お前は何のために戦う?』
一真は、H.O.P.E.のエージェントだ。
恨みを晴らす為に居るのでも、正義の執行者として居るのでもない。
誰かの、希望となる為に居るはず。ならば。
「俺は敵を滅ぼす為に戦っているわけじゃない……皆が平和に生きられる世界の為に」
●
電波塔を屋上に乗せた特徴のある形のビルが近づいてくる。
エンパイア・ステート・ビル。ワールドトレードセンタービルが倒壊して以降、再びニューヨーク一の高さを誇るようになった、アールデコ様式の歴史ある建造物。そして、ニューヨークの中心部から電波を発信し続ける、地上波の中枢機関。
「映像の通りなら、屋上ではアッシェグルートの奴が待ち構えているはずだ。俺達が一番手で行こう。二年前の遺跡での借り、返すにはちょうどいい機会だ」
赤城 龍哉(aa0090)はアッシェグルートがアル=イスカンダリーヤ遺跡に現われたとき、短剣を巡って戦っている。
「やるぞ、ヴァル!」
『搦め手が無くても普通に強敵ですわ。心して参りましょう』
ヴァルトラウテ(aa0090hero001)も表情を引き締め、龍哉と共鳴する。
「私達が弓で降下を援護します」
そう声をあげるのは月鏡 由利菜(aa0873)。ウィリディス(aa0873hero002)もやる気満々で続く。
『あたしは躊躇しないよ。敵は全力でゲエンナ(地獄)に叩き落とす! そんでもって取り残された人々も救う! 両方やるのがH.O.P.E.でしょ!』
ウィリディスは愚神が最初から騙す気でいた――何らかの陰謀に加担して善性を名乗ったのなら、容赦する気はない。
「それより、避難の方は進んでるのかねェ?」
ヤナギ・エヴァンス(aa5226)は静瑠(aa5226hero001)と共鳴し、偵察も兼ねてライヴスのフクロウを飛ばす。
ビルの周辺には人が溢れていた。
ビルから避難する人々と、愚神出現の動画から位置を割り出し、あるいはその結果を知って野次馬でやってきた市民たちでごった返している。
「かろうじて、最上階付近は避難したそうです」
H.O.P.E.ニューヨーク本部経由の情報が、パイロットの口から告げられる。
建物の内部は、外からでは把握しきれない。
ただ、上階では窓際に人影がないことだけは、見て取れる。
そして――屋上。
ライトアップの照明で、視界は問題ない。
愚神アッシェグルートは、電波塔に登り始めてなどいなかった。
渦巻く漆黒の毒霧と、白く顔のない塩人形を従え、赤いドレスを纏った愚神は悠然と下界を見下ろしていた。
「逃げる準備でもされてたら面倒だケドな」
「それは、なんとしてでも、阻止したいの」
ヤナギの言葉に泉 杏樹(aa0045)が応える。
「これ以上、洗脳映像を、流させるわけには、いかないの。アイドルとして、皆に真実をお届けすると約束、した、から……!」
洗脳解除のためのライブのフリートークで。人々に訴えかけるためのCGW作戦で。
杏樹は繰り返し、真実を届けると訴えてきた。
ならばこそ、判断を誤らせるための『魅了』スキルの拡散を、これ以上許すわけにはいかない。
『わたくしもお手伝いします。癒し手として、最後まで戦い抜かれるのであれば』
皆の癒しとなる。それが榊 守(aa0045hero001)と杏樹の約束。
「ここで逃せば、誰かがまた傷つくかもしれない」
笹山平介(aa0342)もかつては、砂漠の戦闘でアッシェグルートと対峙した。
愚神の火柱で焼かれそうになったが、別の若いエージェントに庇われた。
あのときあの子が犠牲になったように、甘さを見せればその分、どこかで犠牲が出る。
「そうなれば後悔するでしょう、ここにいる誰もが」
大切なモノを奪われてからでは遅い。
だからいま、死力を尽くす。
『気に食わねえ、あの目。信用もしてなかったけどな』
ゼム ロバート(aa0342hero002)は愚神の一方的なやり方に元々納得してはいない。
友好に嘘を持ち込むことも、フェアでない取り引きも、気に入らない。
『(ふむ、子等に対する試練としては、上々であるな)』
一歩引いたところでナラカ(aa0098hero001)は、満足げにその様子を眺めていた。
ここには一真と由利菜を始め、杏樹や龍哉や初春と、期待をかける者も数多い。無論他の者達もなかなかの顔ぶれである。
『(愚神と言えど意志を示すなら言祝いでやろう。そして求めるなら戯れてやろう。此度は、裁定などと無粋は言わぬ)』
正味な話、善性愚神に関わる事態総てを含めて最も楽しんでいるのは彼女である。
善性などという胡散臭い名前も振舞いも、駆け引きであることは最初から分かっていた。
「(愚神とは、そうしたものであるのだろう……。こちらはこちらで、意思を貫くのみ)」
八朔 カゲリ(aa0098)もナラカと同様、期待がなかったかわりに失望もない。
敵は踏破する。世間がどう流されていようと、意思も立場も揺らぐところはない。
「降下する!」
係留ロープを伝って、龍哉を一番手として屋上に降りる。
上空で旋回するヘリは当然、愚神の注意を惹く。
照明で照らされた薄闇の中、輝く青い目がふたつ、こちらを見ている。
「従魔などに、傷つけさせません!」
由利菜の洋弓が、落下地点付近を射抜き、黒霧が散る。
「上からの狙い撃ちで、数を減らしておければいいのでござるが」
初春も、和弓でクラーゲンツァイシェン――塩人形を狙う。だが塩人形は矢で射抜いた程度ではすぐに回復してしまう。 ちょっとした時間稼ぎにしかならない。
「わ、私も助太刀いたします!」
何かに思い耽ってぼんやりと黙り込んでいた三木 弥生(aa4687)が、風の精霊の加護を受けた矢を放つ。
龍哉の狙いはアッシェグルート。塔に登っているならロケットアンカーを利用してより高い位置に取り付くことも考えてはいたが、下で待ち構えているなら逆に狙い撃ちされる可能性がある。
ならば、直接愚神の傍へ、降り立つ。
だんッ!! という落下の衝撃を膝のバネで殺し、愚神に話しかける。
「……よぉ、久しぶりだな。いつぞやの遺跡以来か。……といってもそっちは憶えてるかわかんねえけどな……」
「さあ? 見詰め合った殿方なら大抵憶えているのですけど……試してみます?」
龍哉は覗き込みで仲間が『フォイルリヒト』を喰らったのを間近で見ている。同じ轍は踏まない。
愚神の視線がこちらを向き、覗き込もうと瞬間を狙って隠し持っていた黒のカラースプレーを顔面に吹き付ける。
「目薬代わりだ、遠慮は要らないぜ!」
「きゃあああ! 酷いですわ!」
手応えはあったか……と錯覚したが、所詮は目視で狙いをつけられない状態での不意打ち。
色のほとんどは、愚神の手にした魔法扇で防がれていた。
「あたくしの可愛い魔法扇を、こんな汚い色で汚すなんて……ねッ!!」
愚神の靴の爪先が、スプレー缶を蹴り飛ばす。
カララ……と軽い音がして、缶はどこかの暗がりへと転がっていく。
アッシェグルートは黒で汚れたヴェールつきヘッドドレスを、毟り取るようにして投げ捨てた。
その下には、何物にも遮られることのない、青く光る両眼。
その隙を突き、続々とエージェント達が降下してくる。
「げほっごほっ……! 何これクサい、喉にくる!」
入道雲のような毒霧従魔、プラッテフンケは屋上の広い範囲に展開していた。
都会の排ガスを濃縮したようなキツい毒臭と喉に刺さる刺激、しかも核の近くでは減退効果を受ける。
いちはやく反応したのは葵。インコのワイルドブラッドであるがゆえに空気に敏感なのかもしれない。
「毒霧は、なるべく吸わないで下さい! 入道雲は減退効果が厄介です。核を見つけ出して早期撃破を、目指す、です」
杏樹が声を掛けるが、ライヴスの毒霧はハンカチでは防げない。
しかも、核である火の玉は、漆黒の毒霧に隠れて見えないと来ている。
「この毒クサいっ! どこに逃げてもクサいよ?! 核があったらぶん殴りたい!!」
葵は抜群の移動力を生かしてジグザクに走り回り、濃度の濃いところを見つけようとする。
だが入道雲内部はどこも排ガス臭がする。ぶんぶんと両手を振り回して核を手探りしようとするが、むなしく空を掻くばかり。
トトッと、体の軽さと獣の身軽さを生かして初春がアッシェグルートに肉薄する。
たかく飛び、振り下ろした大太刀はしかし、金属音を立てる硬い魔法扇で防がれた。
「……お初に御目文字つかまつる。天城初春と申す」
弾かれてトンッ、と地面に降り、愚神の首から上に目線を送らないようにして挨拶する。
「ンー、随分乱暴な挨拶ですのねぇ。まあ個人的には嫌いじゃないんですけどぉ?」
「聞きたいことがあるのでござる。毒電波を垂れ流しとったのは理解したがの、どうやって録画でもそれを永続的に作用させたのでござろうか? 協力者でござるか? 此度の謀、お主ら四騎以外誰が参加しておる?」
「あらァ? あたくしでも相手から何か得たい時には礼を尽くしましたわよ? それが質問に答えて欲しい態度かしらぁ?」
初春の視線は常に、愚神の首より下。
愚神のドレスは赤く、脚を大胆に露出させるデザインのものだった。
色気というよりは、むしろ下品。
テレビに出演したときのようなセレブ然としたいでたちではないが、その分機動性に優れている。
「お主等のやりかたと、根は一緒でござる。お主等は愚神であるが故、スキルでも使わねば人間と友好ができぬ。拙者達は弱い故、武器を持たねば愚神に近づけぬ」
「ふっ……。あーッハッハッハッ!! 面白い答えですのねぇ。気に入りましたわぁ」
愚神は狂気的な哄笑を放つ。本当に理性的な会話が可能なのだろうか?
「協力者についてはご想像におまかせしますわ! ですがあたくしのスキルはすべて波を操るもの。あたくしのライヴスが波と相性がいい――それが録画でも効果が保存される所以かしら?」
「波、とは何じゃ?」
「いまは気分がいいから、わかるように特別に答えて差し上げますわ! フォイルリヒトは光の波、ヴルカンフォイアは大地の波動、ピュロマーネはライヴスの波を操りますの。電波も音も光も、みーんな波ですのよ。ご存知でしたぁ?」
アハハハハ! という愚神の声が、地上から381mの屋上に響く。
「……もうひとつだけいいかの? ヘイシズ殿の言う愚神主導の秩序とはいったいどんな秩序なんじゃろうな?」
「うふふふ……。その質問の複雑さを真に理解されているのかしら? 神算の脳内では常に複数のプランが比較検討されているのですわ。詳しくは御本人に聞いて下さいませ!」
俯く初春の脳天を、突然がっと硬い手が鷲掴みにした。
近接時に相手の顔を――目を見ることが出来ないということは、圧倒的な視界の不利を意味する。頭上は完全な死角。
そのまま愚神の目の高さまで持ち上げられ、目を閉じなければ……と思った時には、ハート型の光彩が見えていた。
「が……っ……!!」
「何事も、その身をもって知るのが一番の近道ですの! あたくしの親切に、せいぜい感謝なさるがいいわ!」
自分の意思で目を閉じることすら出来ず、眼球から脳髄に向かって激痛が走る。
脳を直接握り潰されるような痛み。
だらりと、両手が垂れ下がる。体の自由が効かない。
太刀を持っているのに、愚神が目の前にいるのに、1ミリも動かすことが出来ない。
「他に質問のある方はいらっしゃるぅ? いまなら答えて差し上げますわよ!」
愚神はぶんっと腕を振り、初春を放り投げる。
その途中で、爆発による追加衝撃が加わる。スキル『ピュロマーネ』の効果。
ズザザ、とコンクリートの上に投げ出された軽い体に、杏樹が駆け寄る。
「初春さん! しっかりしてください!」
愚神は饒舌。しかし質問にはリスクがつきまとう。
初春の目は開いていたがうつろで、呼びかけへの応えはなかった。
素早くヒールアンプルを使ってダメージを回復、そしてリジェネーションとクリアプラスでBS回復を行う。初春が戦闘前に飲んでおいた秘薬が、リジェネーションの回復効果を高める。
「俺は怒りに任せて戦うつもりはない……! だが戦う前にこれだけは。お前達に裏切られ、結果死に瀕している奴が居る……!」
灰燼鬼と共鳴した一真はオーロラのようにライヴスを揺らめかせる。そのライヴスには、隠し切れない怒りが混じる。
臆する様子もなく、閉じていた魔法扇を愚神はぱらりと開く。
精緻な彫刻の施された金属製の扇には、黒々としたカラースプレーの跡が。
「奇遇ですわねぇ。あたくしも怒りに任せて戦ったことはないんですの。だってこんなに楽しいこと、怒りで汚すなんて勿体ないでしょう?」
ふわふわと、魔法扇の飾り羽根が揺れる。
「あたくしの為に命を賭してくださるなんて、愛ですわぁ。そのお友達も、愛してらしたのねぇ。命を捧げても構わないほどに。そんな相手に出会えるなんて幸運なこと。心から祝福いたしますわ!」
愛、愛、愛。
愚神の語る愛は歪んでいて、人間のそれと重なりあうことはない。
だがところどころ、似ている気もする。
もしかすると……重ねあわすことができるのではと錯覚するほどに。
「愛、か……。じゃあ戦うことがお前の言う愛なのか!」
ライヴスの衝撃波を乗せ、漆黒の大剣を振るう。
渾身の一撃を、愚神はひらりと跳躍して躱した。
「うふ、ふふふふあはははははは!! 足りませんわぁ、もっと激しく来てくださいなぁ!」
狂った哄笑を放ちながら、後方に着地する。
「……やはり、愚神は愚神。相容れる事の出来ない存在だったのですね……」
決意を秘めた表情で、弥生が愚神を引き離すように進み出る。
浮遊する『陰陽玉』が周囲を護り、強靭な騎乗弓を引き絞る。
突出した特殊抵抗力は、先の実験で愚神の『魅了』スキルにも効果があると言われた。
ならば積極的に、盾となる。
「御屋形様を、多くの民を惑わす貴方を、私は許しては置けません!! 人は誰かを護るために戦うからこそ、前に進めるのです!!」
御屋形様を護る。それが弥生の矜持。
たゆまぬ努力が、やがて本当の力となる。
「そういえば貴方がたはあたくしの前で、主従愛をみせてくださったのでしたわね……? 絆の力で強くなるなんて素敵! あたくしそんなの! だぁい好きですわ!!」
弥生を支えるライヴスの絡繰がカタカタと鳴る。それは双生児の英雄、両面宿儺 スクナ/クシナ(aa4687hero002)の立てる音。
『(ははは、前に言ったじゃないか。親近感が湧くって……。僕らが厄災なら君もまた厄災になりうるって事だよ)』
ライヴスの中で、高らかに嗤うのは久科。
『(ケッキョク、ホンシツハカワレナイ……トイウコトダ)』
こうなることを見越していたかのように、静かに語るのが須久那。
かつての世界で、双生児は二面四臂の異物として忌み嫌われ、討伐された。
向けられる悪意に呼応するように、須久那と久科もまた人々に残虐の限りを尽くした。
『(……え? 私達? やだなぁ、厄災であることには変わりはないよ)』
『(ダガ、コイツガソレヲ ユルシテハクレナイカラナ……)』
本質が変わったわけではない。ただ、向けられる感情が変わっただけのこと。
弥生は双生児が災厄であったことを知っても、拒絶しなかった。
それが須久那と久科のありかたを決めている。
『(つまりは、分かるよね。この子がここに居るという意味が、ね)』
「面白い方達! あたくしは愛! そう、この世界を包む愛なのですわ!!」
双生児の声が聞こえたのかそうでないのか、愚神は独自の論理を語りだす。
●
「コイツら結構、メンド臭せェな!」
ヤナギの戦鎖が風を切って唸り、塩人形の頭部を砕く。
見かけは塩の塊だが従魔であり、中からはどろりとした透明の体液が流れ出す。
破片をすかさずウレタン噴霧器で固める。倒しきる前に修復されるのを防ぐためだ。
塩の従魔は脆く、砕くのは簡単。
だが同じくらいに、修復も早い。
ウレタン噴霧器で動きを止めてから砕こうとしたときには、ウレタンの中に残存していた部位から再生された。
一旦は動かなくなったせいで、仕留めたか? と放置したのがまずかったようだ。
「いつまでもやっていると、武器が錆びてしまいそうですね」
ザシュ、と平介の魔剣が残った胴を凪ぐ。
従魔の体液は粘ついて、武器にも体にも残る。
こちらもAGWだが、あちらもライヴスの塩。腐食性は気になる。
「来ましたわ! 毒霧が!」
由利菜が叫ぶ。
入道雲のような毒従魔、プラッテフンケは、湧き上がるように上に伸びたり、地上を這うように広がったりしながら毒を振り撒く。
雲の中に入ればどこに居ても、重油のような重い悪臭に噎せる。
核の近くに入れば攻撃力の低下と減退効果。
しかも濃い黒霧に守られて、核は見つからない。
「げほっごほっ!! 実体がないのがなんかムカつく!!」
入道雲の中心と思われるあたりで、必死に核を探していた葵は相当減退を喰らっている。
賢者の欠片も、もう二個消費した。
「立ち塞がっても無駄……物理障壁も攻撃も、霧ではすり抜けてしまい、ます」
杏樹もこほっ、と咳き込む。
外から見れば巨大な雲でも、内部に入ってしまえば霧の集合体。掴み所がない。
「おそらく、分散して対応していても埒は明きません。まず塩人形を片付け、そのあとで毒の入道雲に総攻撃を仕掛けましょう」
体のほとんどが気体の従魔は、単独で見ればさしたる攻撃力はない。
減退の効果も攻撃力低下も、短時間ならば耐えられる。
対して塩人形のほうは……体は脆いが牙の鋭さは要注意。
ふいに噛みつかれれば、厄介なことこのうえない。
「実体のあるヤツを先にぶった斬ればいいんだね! わっかりやすい!」
もう毒霧で空を掻くのはうんざりだと言わんばかりに、葵は妖刀の鯉口を切る。
手近な塩人形に突進し、スカバードの抜刀力で斜め袈裟斬りに両断。
続けて床に落下した上半身を、ヤナギのパレンティアレガースつきの脚が踏み潰す。
「ぶった斬るだけじゃねェ、念入りに砕き尽くすのが大事なんだゼ、綺麗な髪のお嬢サン」
塩人形の再生能力に手を焼いてきたヤナギの脚が、塊ひとつも残さないよう従魔の欠片を砕いてゆく。
「つまりこういうことですね、ヤナギさん」
杏樹の陰陽玉が、回転しながら残った下半身を細かく削る。
『(ユリナ、あたしたちの火力で従魔を減らすよ!)』
リディスはやる気満々である。
由利菜が神槍を振るえば、真紅の烈風が巻き起こる。暴風神ルドラの恩寵を受けた威力はすさまじく、風が塩の欠片を跡形も残さず吹き飛ばしてゆく。
「……まあ、私のライヴスが破壊指向なのは否定しませんが」
涼しい顔で、由利菜は呟く。バトルメディックのリディスと一緒でも、その攻撃力は群を抜いている。
●
「愛という言葉は聞き飽きているが、随分と楽しそうだな、アッシェグルート」
共鳴したカゲリは天剱『十二光』を抜きざまに振るう。
ギィンッ! と金属的な音を立てて錆びた刀身を魔法扇が防ぐ。
「あはハハハハハハ! これが楽しくなくて、どうします? あたくしは人類がだぁい好き。その中でも特に好きになったヒト達がこんなに! 命懸けで来てくれましたのよ? あたくしの為にね! アハハハハハ!」
英雄のナラカは子等への愛をたびたび口にする。アッシェグルートですら、その矜持を認め愛す。
そのままカゲリは、続けざまにアッシェグルートと切り結ぶ。
彼の中に居るナラカも、随分興が乗ってきたようだ。
愚神にダメージを与えることは目的ではない。一撃ごとに絆によって剣が輝きを増す、まさにそのために。
「どうしてだ……! 何故、お前は人間と殺しあうことを望むんだ?!」
一真は問う。
愚神の求める先は何だ。何を目指すのか。
「……王の御為に」
カゲリと距離を取り、すぅっと左手を胸にあて、声を顰めて愚神は厳かに言う。
一瞬だけ狂気はなりを潜め、まるで神に仕える者のよう。
『(崇高なる信念か、滅びの美学か)』
愚神の真意は、灰燼鬼にもまだ見極めきれない。
王とは何か、何らかの意図があるのか、それともただの無秩序か。
「避けろ! 下から来るぞ!」
龍哉が気づいて叫んだが、一手遅かった。
コンクリートの床が赤熱し、刹那、床から天へ向けてまっすぐに火柱がそそり立つ。
愚神のスキル、ヴルカンフォイア。
動きを止めていた一真、弥生、カゲリの三人が巻き込まれた。
「アハハハハ! 大地の波動を操るスキルと申した手前、地面以外での発動はないものと誤解されてやしないかと心配になりましてね? 塔は地面の波動を集めて天に送る構造をしておりますの!」
動きを止めた上半身に注意を集め、魔法扇は静かに発動モーションを描いていたのだった。
『(……それとも、すべては嘘、陽動か)』
全身を高熱に灼かれながらも、灰燼鬼は考察を続けていた。
●
薄暗いコンクリートの上にべっとりと水気を含んだ塩が点々と残る。
それらは倒した従魔達の残骸。次第に消えてゆく。
「はぁ、はぁ……うっクッッサっっ!!」
悪臭の毒霧の前で呼吸を乱している場合ではないと、葵は鼻と口を押さえる。
「漆黒の霧で覆われているから、毒の入道雲の倒すべき核が見えない。ならば、一時的にでもその霧を払ってやればいいんですよ」
平介の知る限りでは、以前の遺跡戦では爆風によって毒雲の核の位置を探し当てていた。
大火力を使うなら、狭い範囲での乱戦は不利。よって先に塩人形を殲滅する作戦を取った。
雲が上に伸びるとき、核も中心部も上空に逃げている。
戦闘中に『ギフトリゲン』と猛毒による減退効果を受け続け、嫌でも勘が働くようになってきた。
エリアルレイヴを使い、狙撃銃による予備攻撃を大量に放つ。
弾丸が雨のように降り注ぎ、毒霧を散らしてゆく。
「見えました!」
由利菜が真っ先に、小さな火の玉を捉える。
洋弓は既に、ギリギリまで引き絞られていた。
ひゅ、と弓が弧を描いて飛翔し、火の玉へと向かう。
「墜ちろおおおおお!」
葵も恨みを込めて、リボルバーからの弾丸を放つ。
ぽっ、と最後に小さく光を放って、毒雲の核は消滅した。
周囲に立ち込めていた毒霧も、次第に晴れてゆく。
まだ屋上に立っているのは、巨大な電波塔と、エージェントと、アッシェグルートのみ。
「癒しのアイドル、あんじゅーです! 癒しの雨を、降らせます!」
皆を集めクリアプラスつきのケアレインで状態異常を回復し、続いてケアレインで生命力の回復を図る。
「黙示録の第四の騎士、聖域に踏み込むこと罷り成らず! カタフィギオ!」
由利菜はクリーンエリアを発動させ、味方を状態異常から守る。
特に注意すべきは、『魅了』スキルであるフォイルリヒト。
「はあぁ。空気がおいしー!」
毒霧の消えた屋上で、葵は深呼吸する。
ふかく息を吸って、気合いを入れ直し、最後の敵に向かう。
「よし!」
●
「……あら、お仲間が心配? お優しいのね。好きですわよ、そういう殿方!」
仲間が火柱に灼かれ、気を取られた龍哉の眼前に、愚神のふたつの青い目が迫る。邪悪なる、ハート型の光彩が龍哉を捉えている。目の奥に激痛が走る。
パキンッと音を立てて、龍哉の手の中でライヴス結晶が砕け散った。
――リンクバースト。
愚神の魅了効果も、毒霧の減退効果も、もう意味をなさない。
燃え上がる絆の力が、龍哉を包み込む。
「アッシェグルート、お前はここで倒す!」
青い目を見据え、覚悟を込めて言い放つ。
「うふ……ふ! 男らしい方! ゾクゾクしますわぁ!!」
愚神は振り抜かれた大剣を避けて後方へ飛び退り、ちろりと舌を出して唇を舐める。
その声には興奮の色が乗る。心底楽しんでいるようだ。
「こっちは、もう少し相手をして貰う必要がありそうだな」
カゲリは天剱『十二光』で斬りかかる。不意を突かれた愚神は左腕でその刃を受けるが――硬い。まるで石像を斬りつけたような手応え。
そしてようやく十二斬。『十二光』の名の通り、リンクレートを消費した十二斬で強制的にリンクバーストが始まる。
カゲリのものだった姿は反転し、英雄のナラカが成人した女性の姿として顕現する。
『楽しきことは善き哉だ、アッシェグルートの小娘よ』
ナラカの真の姿は異世界の神鳥であり、太源の存在。
ただいまは、成人女性の姿を取っているに過ぎない。
唇を歪めて愚神はにぃっ、と嗤う。
「この姿で小娘と呼ばれるのは初めてですわ! 新鮮でよろしいわね!」
言葉の上のみでなら、友好。
ただしお互いに、その存在を灼き尽くさんとする。
一真は弥生の火傷を賢者の欠片で癒し、無事を確認してからライヴスソウルを割った。
三人目のリンクバースト。ライヴスの焔がひらめく。
「俺のことも忘れてもらっちゃ困るぜ?」
他の七名も次々に劇薬である秘薬を服用し、クロスリンクでバーストした仲間を支える。
「三人も一度になんて、あたくし困っちゃうわぁ。どなたからお相手しようかしらぁ?」
華やぎを増す愚神の声。魔法扇を持った手がひらめき、コンクリートの床があかく泡立つ。
「予備動作が見えていれば、そうそう喰らうわけないだろう!」
全員が瞬時に発動場所から、飛び退く。
大地の怒りのような火柱が、あかあかと燃え上がる。
「アハハハあっ! そうでなくては。そうこなくては。ほんの御挨拶なんですものぉ?」
カゲリに斬りつけられた腕から血を流してなお、愚神は嗤っていた。
「拙者もおるでな。先ほどの借りを返そうぞ!」
初春が小さな体を起こしていた。自身の賢者の欠片も使って、ようやく戦線に復帰する。
「麗しいレディ、俺のコトも忘れないでくれよナ?」
ヤナギと初春が、同時に『縫止』を発動する。
駄目押しに、龍哉のロケットアンカー砲の鉤爪が足ごと床をホールドした。
「そぉんなに、あたくしを離したくないのかしらぁ?」
「そうだとも! 終わらせる! ここで!!」
一真が大剣を振るう。トップギアからの疾風怒濤。
しかし固定されたのは足のみ。愚神は上体をしならせ、腕で刃を受けて大剣の猛攻を受けきる。
「ふふふあはははは! 激しい、激しすぎます…………」
哄笑は突然途切れた。
愚神の動きが止まる。
左目から長い棒が生えている――いや、左の眼球を射抜かれていた。
「ア……ア……」
開いた口から漏れる空気は、言葉にならない。
『……絡繰人形弓曳童子ノ怪』
絡繰が軋んで、言葉のような音を生み出す。
「申し訳ありません御屋形様……その策、囮とさせていただきました!」
弥生だった。
一真がアッシェグルートの目を狙いに行くと知ったうえで、失敗したとき生じる一瞬の隙を狙いすまして渾身の一射を放ったのだ。
ただし、愚神の目を狙うということは、当然見ることになる。
『魅了』スキルを放つ、ハートの光彩を。
由利菜のクリーンエリアがあっても、防護は一度きり。その後は無防備となる。
「……くっ……」
抵抗でもついに押し負け、脳髄が潰れるような痛みに耐える弥生に、『ピュロマーネ』の爆発が追撃を加える。悶絶して地に伏す。
「弥生!」
ゴッ! と重い音と共に、助け起こそうと動く一真の前に何かが飛んでくる。
それは鎖のついた鉤爪。愚神が力任せに引き抜いたのだ。
「アあハハ……愛っ! 愛ですわねぇ? 主従愛!! 連携にやられマしタわぁ……!」
敵を欺くにはまず味方から。弥生はそう考えて作戦を内緒にしておいたのだが、見事な呼吸の連携だった。それは愚神さえも認めるところである。
疾風怒濤の攻撃も、愚神に確実にダメージを残していた。硬い皮膚だが、傷つかないわけではない。
目と額、肩、両腕から血を流し、ドレスを血塗れにする。
「クふふふぅ……絆……強い絆……」
ぼたぼたと血を流しながらも、嗤うのをやめない。
「目はもうひとつあるんですのよぉ? あたくしの最後の目を潰すのはどなた?」
うつろにどこかを見る愚神の手と共に、ゆっくりと、魔法扇が旋回する。
誰もが、油断していた。
スキルで発動した大地の劫火が、倒れていた弥生を灼く。
仲間が悲鳴と共に必死で助け出すけれど、弥生は既に重い火傷を負っていた。
「何てことを! 弥生はもう闘えなかった!」
「そんなことありませんわぁ? 回復スキルかアイテムですぐに起きてしまいますわ。だぁい好きな方には、きちんと愛をお返ししないと」
激昂する一真に、くすくすくす……と愚神は嗤いかける。
「死んではおられないでしょう? そんなことしたら、勿体ないですものねぇ?」
「以前もそんなことを言っていたな。生命与奪が自分の手にあるという驕りに満ちた言葉だった」
龍哉の言葉を愚神は否定せず、唇だけでにぃ……と嗤う。
「あたくしにとって人類とは、ここからの夜景のようなもの。無数の輝きが、それぞれの生を謳歌してますのよ」
上から目線とは言われていたが、その目線がニューヨークで最も高いビルの屋上と同じくらいのところにあるのなら、それはもうそういう存在と言うほか無いのではないだろうか。
『そうか、それが汝の愛か。ならば愛してやろう。私はナラカ、あまねく命を愛する者』
ナラカが黒光を纏う天剱を掲げる。
黒い刃が愚神の顔面を走り、残った右目を裂く。
上がった悲鳴は歓喜の声にも似て、たかく響く。
愚神は傷口から血を噴き出させながら、ふらふらとどこかへ足を踏み出す。
「何故だ……! 戦わずに済んだ道もあっただろう?!」
なおも一真は問う。
「ええ、ありましたとも……? 人類が王のための完全支配を受け入れるならばねぇ?」
理解しようと、伸ばしたその手は愚神に届かない。
「でもそんな道は、人類にふさわしくありませんわぁ……? あたくしはどんな状況になっても、抗い闘い続ける人類をこそ愛しているんですもの……」
『わからぬでもないな。私も子等を愛しておる。良き試練であった』
「ウふふふふ……。ナラカ様? あたくしが一粒の麦となって地に落ちた後も、最後の目の代わりとして、どうか人類を見守ってくださいませねぇ……?」
『よかろう』
ナラカは即答した。子等を見守ること、それはナラカにとってあまりに当然の行為である。
『……わたくしもまた、神月を経てこの世界へ降り立ったもの。奇妙な巡り合わせではありますが……』
共鳴中のリディスが一時由利菜の表に出て話す。いつもと様子が違う。
『わたくしはパラスケヴィ。『彼女』の記憶の欠片…遠いどこかで衛生兵に志願した、愚神を憎む女の記憶ですのよ』
ここで『彼女』と呼ばれているのは、由利菜の英雄、ウィリディスのことらしい。
ウィリディスには衛生兵パラスケヴィの記憶の欠片が混在していて、ときどき現出する。
「パラスケヴィ……曜日の名前かしら? 終末……週末の前の」
『あなたへの同情はミデン(0)です。だからこそ、終末をあなたに』
由利菜の神槍が、血だらけになった愚神の胸を貫く。
「あハハハ。ハハ。なんて……幸せなんでしょう……。世界は愛で満ちていますわぁ……」
アッシェグルートは口からごぼり、と血を吐き、そのまま動かなくなった。
●
「ショウタイムはそろそろフィナーレ、か?」
ヤナギはぽつりと呟く。
息絶えたあとの愚神はさらさらと、細かい粒子となって風に流されていった。
いまは、この屋上に危険なものが残っていないか点検中である。
『趣味の悪い茶番…でしたね』
静瑠は眉根を寄せる。
趣味も悪ければ後味も悪い。とでも言いたげに。
「ま、ヒロインの灰が燻ってるって時点でイケねー」
『珍しく意見が合いますね。私も灰ならば被っていて頂きたかったです』
「……っは、灰かぶりか」
童話のシンデレラは、ふたりの義姉は妹のガラスの靴を穿くためにそれぞれ踵と爪先を切り落とし、妹の結婚式ではハトに両目を抉られた。
アッシェグルートが両目を潰されて死んだあとでは、あまりにブラックなジョークだ。
「なンで燻らずに、被っていられなかったのかねェ……?」
愚神のありかたはあまりにも理解も共感も拒み、疑問だけを膨らます。
「王とはなんだ?」
答えがないとわかっていても、一真は問わずに居られない。
善性を名乗った愚神たちは、たびたび王という名を口にした。
彼等は言った。王とは意思。
世界を分かつ垣根を破壊し、生命を新たな次元へ導こうとする意志なのだと。
『おそらくだが、私はそれが分からないから英雄なのだろう』
これまでのことを踏まえ、灰燼鬼はそう考察する。
『それでも、ひとつだけ確かなことがある。私は王という存在を嫌悪する』
「はは、何だそれ。そりゃあ、俺も多分嫌いだけどさ」
怒りという感情に任せて戦ってはいけないと、散々灰燼鬼に諭されたあとなのだが。
それでも、予感のようなものはある。
王が何であるか明らかになったとき、自分がどこに立つのか。
「まあ、もうちょっと様子見てみないことにはな」
『善性』とは何だったのか。
この宴はどこに行き着くのか。
狂った宴は、まだ続く。