本部

これは、起こりえた未来の物語

山川山名

形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 6~8人
英雄
7人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2018/05/19 18:39

掲示板

オープニング


 目が覚めた時には、わたしのまわりには誰もいなかった。
 暗くて、冷たくて、さびしくて、泣き出しそうになった。
 ……誰かに、抱きしめてもらいたいと、思った。
 誰でもいいから、あたためてほしかった。
 それさえかなえられるのなら、わたしはもう一度あの暗闇に戻ったっていい。


 不思議なうわさがあった。
 夜に一人で歩いていると、唐突に一人の少女からハグを求められるというものだ。
 その少女は夜闇の中だと輝いて見えるほど白く、小学生くらいの体躯にもかかわらずその瞳はあどけなさを一切宿していない、冷たい水色の瞳を持っているのだという。
 少女は何を聞いても自分を抱きしめるように求め、言われたとおりにすると命を吸い取られたかのように死に至るのだとか。
 最初『彼』は、その噂を単なる都市伝説のたぐいだと考えた。だってそうだろう。今のご時世、見知らぬ他人に近づくような小学生はほとんどいない。ましてや自分を抱きしめるように求め、その通りにさせると命を奪う、などと。真面目に信じるほうがばからしい。ネットの都市伝説だってもう少し筋が通るように創作されるだろう。
 と、そんな風に考えていたのだが、最近になって彼の同僚もそんなことを話題にし始めた。冗談半分なのかと思いきや、案外真剣に。聞いてみるとその少女の姿を見た、という人間が近くにいるらしい。
「先輩も気を付けたほうがいいっすよ。見かけたら下手に近づかないで逃げたほうがいいっす」
「お前そんな都市伝説が事実だと思ってんのか? どう考えたっておかしいだろ」
「いやマジで近くにいるんですってその少女を見たってやつが!」
「わかったわかった。じゃあな、お疲れ」
 彼が職場から出ると、外はすっかり日が落ちていた。風が強いせいか、天気予報で言っていた温度の割には肌寒く思えた。上着のポケットに両手を突っ込むと、足早に家路をたどる。
(今日はやけに寒いな……)
 そんなことを考えている間にも、体感温度はどんどんと下がっていく。まるで雪国へ知らず知らずのうちに足を踏み入れているかのようだ。いよいよ歩調を早めようかという、その時。
「……霜?」
 電柱の側面に、ほんのわずかに刺々しい氷がこびりついていた。ありえない。今の季節を考えれば、霜なんて絶対に現れない。だけど視線を奥に向けていくにつれ、電柱だけでなく家の塀や窓ガラス、屋根や電線にいたるまで霜が多く、そして大きくなっていっている。
 なんだ、これは。
 そう彼が戦慄して、

『…………抱きしめて、くれる?』

 背後から、声がした。
「は……?」
 驚いて彼が振り返る。視線を少し下げると、彼のへそのあたりに真っ白な頭が見えた。
 『それ』が顔を上げる。薄氷の上から湖を見ているような水色の瞳に、暗闇の中であっても自ら光を発していると錯覚するほどに白い肌。そしてその背格好から想像できる年齢とはかけ離れた、寂しげで、およそ幸福と呼べるものを今まで享受してこなかったかのようなよどんだ雰囲気――。
 すべてが、あの話に出てきた少女のようだった。
「……実在したのか……? 都市伝説だろ……?」
 うわごとのようにつぶやく彼など意にも介さず、少女がもう一度つぶやく。
『抱きしめて、くれる?』
「まて。やめろ、近寄るな。何もするな、すぐにどこかへ行ってくれ」
『抱きしめて、くれないの?』
 口にした瞬間、少女のまとう雰囲気が一瞬で変質した。暗い洞窟のような重々しいものから、吹雪のように凍てつくものへ。
『……じゃあ、いなくなって』
「やめろ、待て、近寄るな、いやだ、やめろ、あ、ああ――!」
 かくして。
 少女は雪のようにそこから溶け消えた。


「昨日未明、住宅街で男性の遺体が発見された。身元の確認ができないほどに遺体の損傷が激しかったものの、周囲の状況と遺体の状態からそれが愚神の仕業だと判明した。
 敵の名前は『アイスバーン』。ただ存在するだけで周囲一帯を亜寒帯から寒帯クラスの気候に変質させる、まさに歩く異常気象だ。その冷気は『アイスバーン』に近づけば近づくほど強まり、奴に触れれば最低でもマイナス二百度近い冷気をもろに受けることになるだろう。当然ながら凍傷だけで済むとは思うな、まともに近づけば気管をはじめとした各種臓器に深刻な影響が出る。
 すでにこの愚神によって五人は葬られているという予測が出ている。さらに奴が出現した地点をもとに戻すのにも手間取っている……放置しておけば人々の命はおろかこの地域一帯のインフラが機能不全に陥りかねない。何としても次に出現したときに倒してくれ。
 こちらから極低温の空気を吸い込んでも問題のないように特殊なマスクを配布はしておくが、それ以上の対策は用意できない。先ほども言ったとおり下手に近付けば危険だ、接近戦を行いたい場合は各自で準備をしてくれ。ブリーフィングは以上だ、幸運を祈る」


 ああ、神様。もしこの世界におわすのなら、どうか、お願いします。
 わたしを抱きしめてくれる人をください。そして――

解説

目的:デクリオ級愚神『アイスバーン』の撃破

登場人物
 『アイスバーン』
・デクリオ級愚神。幼い少女の姿をしており、全身から極めて強い冷気を発している。
・各地で亜寒帯化現象を発生させながら一般人の殺害を行っており、すでに五名が犠牲になっていると思われる。
・遺体から『アイスバーン』のものと思われる指紋が検出していることから、愚神は被害者に必ず物理的接触(指紋の検出状況から抱擁である可能性大)を試みていることが判明している。理由は不明。
・以下、ステータス。

・物攻:E 物防:D 魔攻:B 魔防:C 命中:D 回避:D 移動力:E 特殊抵抗:C 生命力:E

・憎まれるべきもの
 ・攻撃を受けるたびに物理防御が低下し、魔法攻撃が増加する。パッシブスキル。
・捨て置かれるはずのもの
 ・両手から冷気を噴出する。対象一~三体に対し魔法攻撃(中)と確率で減退(1)付与。
・見殺しにされるもの
 ・目の前の四スクエアの温度を急激に低下させる。その範囲にいた対象全員に封印を付与。
・愛されざるもの
 ・目の前の対象一体に抱擁を行う。対象に魔法攻撃(特大)と高確率で気絶(2)付与。

住宅街
・プリセンサーによって予測された『アイスバーン』の次の出現場所。すでに寒冷化が進んでおり、住宅街にいる限りその影響からは逃れられない。縦に長い構造。
・住宅街にいるとき、一ラウンドごとに一ダメージが加算される。何らかの耐寒策を施すことで一ダメージを受けるラウンド数を伸ばしたり(例:二ラウンドごとに一ダメージ)、ダメージを無効化できる。

リプレイ


 その日は、真冬だとしても寒すぎるほどに気温が低かった。
 とある住宅街の一角に能力者たちが集結する。すでに周囲には結露が発生しており、それがこの地に足を踏み入れている『アイスバーン』の影響によるものであることは、火を見るより明らかだった。
「気候変質に機能不全、歩く災害か……ま、オーダーは了解だ」
『……ん、いつも通り……今回で、狩り切る』
 麻生 遊夜(aa0452)の言葉に応じてユフォアリーヤ(aa0452hero001)が尻尾をゆらゆらと振るう。経験を積んだハンターである彼らは、すでに臨戦態勢を整えていた。
 そしてその傍らでは、すでに共鳴を終えたアイギス(aa3982hero001)と東宮エリ(aa3982)がのんびりと言葉を交わしていた。
「エリ。哀れな少女『のような』愚神の対応という今回の仕事で、注意すべきことは?」
『え? えっと、同情してはいけない、とか』
「そこは好きにしていいし、させていい」
『させる?』
「こういう時は味方を見るんだ。ちゃんと動いてくれるか、敵に回ったらどうなるか……まあそれはまたやるとして。情も含めてどう動くか、自分にとっての最適解は出てるだろ?」
『社会に貢献して……いつか、その恩恵を……はくしゅっ!』
 と、言葉の途中でエリが大きくくしゃみをした。アイギスがいま思い出した、という風に言う。
「……あ。東京育ちにはキツいか」
『うう、すみません……っくしゅ!』
 この寒さについては、強い弱いという感覚ではどうにもならない。ライヴスが混じった極低温である以上、生命を直接脅かすのである。共鳴状態で防寒具をまとっているとはいえ、やはり体には堪える。
 アイギスは内部にいるエリを気絶させてから、ゆっくりと背伸びをした。
「……よし。やるか」
 それとは少し離れた場所で、紀伊 龍華(aa5198)が静かに準備を整えていた。その間に、彼の内側でノア ノット ハウンド(aa5198hero001)がやや悲しげな声で言う。
『触れてもらいたいのに体は人間が凍死するレベルの冷ややかさ、何に作ってもらったんですかね。それともノアたち人間の脆弱さが悪いのです?』
「……どちらも悪くないよ。間が悪かったんだ、きっと。被害が出ている以上、彼女を討伐しなくちゃいけないことに変わりない」
 盾の状態を確認し、龍華が表情をこわばらせる。それは『少女』を殺す緊張ではなく、『愚神』を倒す上での覚悟によるものだった。

『抱きしめて……か。かわいいオンナノコ相手なら喜んで請けて立つケドな』
 ファルク(aa4720hero001)がややキザったらしく言うも、茨稀(aa4720)はそれをさらりと受け流して、ぽつりとこぼした。
「……望みはどこから……どうして……」
『ああ、気になるな。……って! 俺の渾身の一撃を一蹴どころかシカトかよ!』
「馬鹿と痴漢には付き合っていられませんから」
 茨稀の思考として、愚神に容赦をするという選択を持つことはない。しかし、それとは別に『アイスバーン』に興味を持ってもいた。
「望みに……何か理由が? それとも……いえ。まあ結果は変わりませんが」
 拳を強く握りしめる茨稀から少し離れたところで、ヴィーヴィル(aa4895)が上着のポケットに両手を突っ込みながら口を開く。
「抱きしめて欲しい、か。人恋しいってヤツか……?」
『抱きしめられれば温かいでしょうが、その分離れるとより一層寒いと思います』
 内側にいるカルディア(aa4895hero001)の言葉に、ヴィーヴィルが少し面食らう。
「珍しく雄弁だな。ま、知らねェ奴に急に抱きしめてと言われてもな」
『少女……敵は、抱きしめてもらえればそれで満足なのでしょうか』
「さあ、ね。情報では死んだ奴らは抱きしめられた痕跡があるらしいがな」
 風が住宅街の中から吹き付けてくる。下がったものは体感温度だけではないだろう。極低温の猛威に窓ガラスが悲鳴を上げる。
『マスター、少し温度が下がった気がします』
「じゃ、行くか」
『YES. マスター』
 そして、彼らから離れた場所でアリス(aa1651)とAlice(aa1651hero001)は全く同じように立っていた。
「……寒いのは嫌いなんだけどね」
『ああ、全く。……冬は過ぎたというのに、最近は寒い日が多くて参るよ』
 少女たちが片手を合わせる。触れ合ったまさにその地点から陽炎が噴き出し、二人を包み込む。
いつの間にか現れた赤銅色の少女は、この異常気象にも匹敵するかのように冷たい声で言った。
「さあ。行こうか」
 かくして。
 踏み入れたものを死にいざなうほどの極寒の世界は、いよいよその厳しさを増していった。




 およそ人が住むことができない世界の中で、一人の少女が孤独に歩を進めていた。
 『アイスバーン』。五人を凍死させ、なおも世界を氷点下の世界に染め上げる白い女王。そんな彼女の頬には、氷となった涙がいくつも張り付いていた。
『……誰か……』
 抱きしめて欲しい。
 彼女の願いは、今のところそれだけ。にもかかわらず、今まで触れてきた人は皆怯えながら動かなくなってしまった。
 やっぱり、わたしは――。
『……?』
 その時だった。前方に人の気配を感じ、うつむいていた『アイスバーン』が顔を上げる。
 こちらに向かって歩いてくる影が見えた。数は……多い。見えるだけでも六人はいる。しかも全員が厚着をしていて、口元には防毒マスクのような何かをつけていた。
「きみが『アイスバーン』?」
 小宮 雅春(aa4756)が声をかける。距離はあったけれど、その穏やかな声は彼女にもよく届いた。
『抱きしめて、くれる?』
 いつもと同じ言葉、同じ単語の連なり。雅春は静かに首を振った。
『……抱きしめて、くれないの?』
 言葉はない。いいや、言葉はもっているけれど、まだ伝えない。
 愚神は黙りこくったリンカーたちを見て、失望したように目を細めると、小さく口を開いた。
『……そう。あなたたちも、違うのね』
 彼女の全身から冷たい風が吹き荒れる。凍り付いていた世界が、冷酷さを増していく。
『言葉なんて、いらないの。抱きしめてくれないのなら、離れて口さえも動かさないのなら、みんなみんな凍ってしまえ!!』


 その少し前、遊夜は住宅街を俯瞰できる位置に建っていた家の屋根に上っていた。こたつむりにもぐりこんで温度状況をできる限り改善させて言った。
「ふむ、こんなもんか?」
『……ん、ぬくぬく……あとは、敵との距離?』
 屋根伝いに『アイスバーン』の姿を探す。地上から捜索に出たメンバーとはまた違うルートをたどっていたが、だんだんと寒さが厳しくなっていった。
「近いな」
 そうしてしばらく屋根を飛び移っていたが、ついに発見した。薄暗い影をまとった、新雪を具現化したような少女。
 その頬についた涙状の氷を見つけ、遊夜が短く舌打ちする。
「……チッ、後味悪ィ仕事になりそうだ」
『……五人殺害……でも、あれは……』
 ユフォアリーヤが寂しげにつぶやく。しかし、相手はただの子供ではなく人類の敵たる愚神である。情けは、かけられない。
「倒すだけなら楽なんだろうがな……場所を変えよう、そろそろ皆もこっちに来るはずだ」
『……ん』
 かくして、ライフルの有効射程距離ぎりぎりの場所を狙って後退する。『アイスバーン』に気づかれることもなくすぐに屋根上の陣地を確保すると、屋根の左右の端にランタンストーブを設置し、温度を上昇させてからライフルを構える。
「接敵したな。……よし、後は集中攻撃を叩き込むだけだ」
『……もし、誰かが……『アイスバーン』を、抱きしめたら?』
「その時は邪魔しない。アイツが満足できたなら、その時点で狩り切るさ」
 吹雪が強さを増していく。スコープの向こう側では、九字原 昂(aa0919)が『アイスバーン』に斬りかかろうとしていた。




『があッ!!』
 右腕に深い裂傷を負った『アイスバーン』が痛みに呻く。昂は冷静に距離をとり、日本刀を構え直した。彼の視線はまっすぐに、抱擁を求めてさまよう愚神に向けられていた。
「人肌求めてさまよっているのは、少し哀れではあるかな……」
『それで被害を出されるのは、たまったもんじゃないがな』
 ヴェルフの言葉に昂がうなずきを返す。
「だからこそ、ここで終わりにしないとね」
 一方で、攻撃を受け続けた『アイスバーン』は憎悪のこもった視線をリンカーたちに投げつけ、冷気を込めた右手を無造作に振った。放出された冷気は指向性を伴った砲弾となってリンカーたちに襲い掛かる。
「っつ!」
 龍華が盾を構え、彼の背後に攻撃が届かないように防衛した。他方で流れ弾が昂と潜伏して移動していた茨稀に向かい、危なげなくそれを回避する。
『あぶねえ! あっちから見えてねえからなのか、弾の軌道がいまいち予測できねえな』
 ファルクがうそぶく。なおも『アイスバーン』は攻撃を続けようと一歩を踏み出しかけたが、それを先回りしたヴィーヴィルの銃弾が彼女の足元に正確に撃ち込まれた。
『――――!!』
 ぎり、と『アイスバーン』の奥歯がきしむ。少し離れた地点で様子をうかがっていたアイギスは、微笑交じりで声をかけた。
「五人殺してまだ足りないのか、お嬢さん」
『殺した? ……ちがう。わたしは、ただ抱きしめて欲しかった。でも、あの人たちはそれをいやがったの!』
「だから殺してないと? そいつはずいぶん強欲だな。自分の罪業を否定してまで叶えたい願いなのか、それは」
 少女は答えない。アイギスは近くで同じように武器を構えていた雅春に言った。
「だとさ。あんたはどうするね」
「彼女の行いを見過ごすことはできません。……でも、優しさを知っていればこうはならなかったかもしれないと思うと、少し悔しいです」
「そうか」
 クク、と可笑しそうにアイギスが笑う。彼女は『アイスバーン』に対して憐憫の情は持ち合わせていない。だからできることならこの愚神を冷遇してやった方が効率がいいとも思っている。だが、マスメディアがいないこの状況ではその効果も望めないだろう。
「(だったら彼らを好きにさせても問題ない。私がわざわざ出張る必要もないか)」
 とはいえ。
 実際のところ『アイスバーン』の生命力は加速度的に減少している。彼女とリンカーたちの力量差は圧倒的で、黙っていても勝敗は決まる。
 だから、動いた。 『アイスバーン』が攻撃に出る前に、アリスが動く。アルスマギカから放たれた業炎が敵を包み込み、封じ込めて潰さんとばかりに連続した爆発が起こった。愚神が爆炎から吐き出され、凍り付いたコンクリートを転がる。
「効果が薄いな」
『攻撃方式を切り替えようか』
「ああ。……そろそろ一気に叩く時だ」
 アリスが昂をちらりと見やる。彼も小さくうなずき、右足を後ろに下げて腰を落とした。
 一瞬の静寂。そののちに、昴が『アイスバーン』目がけて疾走し、アリスが攻撃タイプを切り替えたアルスマギカを開帳した。
 そしてその瞬間に、戦況を観察していた遊夜も引き金に力を込めた。
「集中攻撃する気だ。俺たちも合わせるぞ」
『……ん。一撃で、仕留める!』
 かくして。銃声と爆音、肉が切れる音と悲鳴という奇妙な四重奏が音を失った住宅街に響き渡った。


 彼女にとって、憎まれることは当たり前のことだった。
 ただ存在するだけで生物を死滅させる空間を作り出す能力。誰からも拒絶されるにふさわしい肉体的資質を備えていながら、しかし精神だけは母親の温もりを求める幼子そのものだった。
 誰が彼女をこんな風にさせたのか、それは誰にも分らない。しかし唯一『アイスバーン』が理解しているのは、彼女は拒絶されながらにして愛されたいのだ、ということ。
 すなわち、ただの温もりもただの拒絶も、彼女にとっては不満材料でしかない。
 彼女は愚神。人類の敵。壊すために生まれ、いずれ壊される悪でしかない。
 しかしそこに『愛情』が芽生えたなら、それはきっと、ひどく歪んでいるだろう。


『うああああああああっ!!』
 昂が放ったライヴスの針をするりとかわすと、『アイスバーン』は絶叫とともに自分の両手を地面にたたきつけた。それから一秒と経たずに、彼女の周囲の空気がへこんだかのように、気温が急激に低下した。それはただの温度低下にとどまらず、ライヴスの突発的変調という形でリンカーたちを襲う。
 まるで氷漬けにされたかのように、アリス、ヴィーヴィル、雅春の動きが封じられた。カルディアが冷静にヴィーヴィルへ報告する。
『マスター、異常事態発生。肉体に重大な行動制限がかかっています。どうしますか』
「チッ、面倒臭ェ……」
 そこから少し離れて、雅春は何とかして状態を回復させようと試みていた。
「んんんんん……!! もう、少し……! ………――っつあ!! 抜けた!」
 一方で、『アイスバーン』は恐ろしい速度で周囲に血走った目を向けていた。感覚で、もう一人自分の攻撃にとらえられた人間がいると理解していたのだ。
 そして、それはスキルでの潜伏状態が解除されてしまった茨稀であったりする。
「……動けませんね」
『ああクソ、あともう少しだってのに! 早く動けるようにしねえと!』
「時間がかかります。『アイスバーン』の方が早く動くでしょう」
 アリスも同じような状態だったが、彼女の場合、じっと構えていた時にクリアレイが彼女を包み込んだ。ぺきぺきと骨を鳴らしてアリスが体の状態を確認していると、アイギスが短く息を吐いた。
「潤沢に使えねェのがなァ……」
「感謝するよ。これでオーダーは少なくとも達成できる」
「そりゃどーも、アリスちゃん」
「ちゃん、は余計だ」
 戦況が少しづつ立て直されていく。それを『アイスバーン』は止めることができなかった。それぐらいには肉体の消耗が激しかったし、残された力はごくわずか……おそらくあと一回攻撃できるかできないか、という程度のものだった。
 だから、盾を斜め下に構えて突撃してくる龍華に、まともな対応をすることができなかった重量のこもった一撃を、両腕を体の前でクロスさせることでかろうじて耐える。
『ぐううううううう……っ』
「う、あああああああああっ!!」
 龍華が力任せに押し切る。『アイスバーン』は力なく吹き飛ばされ、何とか態勢を素早く立て直すものの、すぐにひざを折りそうになった。
 足に力が入らない。目の前で武器を構えるリンカーの姿もおぼろげで、誰が誰だか判別がつかない。
 ……ここまで、なのか。
 その、前に。
『――――!!』
 駆ける。言葉もなくコンクリートを蹴り、『アイスバーン』はリンカー目がけて突き進む。
 もはや、生きることはかなわない。ならば最後に、無理やりにでも抱きしめる。
 生きたままの彼らを。後々も生きていられるであろう、彼らを。
 全力をもって向かってくる彼女に対して、龍華は盾を構える。しかしそれは、ただ防御に徹するためではない。
 後ろで小さく息を吐いた雅春を、安全に前方へ出すためだ。
「雅春さん、気を付けて」
 龍華が道を開ける。『アイスバーン』の驚いた顔は、確かに雅春の目に焼き付いた。
「うん。わかってる」
 そして、その瞬間がやってきた。
 『アイスバーン』が全力疾走した勢いそのままに雅春の懐に飛び込んだ。彼の体が吹き飛ばされる間に、愚神の両手が彼の背中に回される。『アイスバーン』の体から放出される、おおよそ人間では耐えきれないほどの冷気が雅春を包み込み、その全身を噛み砕く。
「……痛いね。痛い、けど、こんなの怪我のうちにも入らないよ」
 けれど、雅春は彼女の背中に手を回し、小さな体を抱きしめ返した。同時にアリスの放った炎が、彼らの周囲を囲んでつかの間の暖かさを与える。
 『アイスバーン』が顔を上げた。驚愕し、目を丸くする彼女に、雅春は微笑んで彼女の真っ白な頭を優しくなでた。
「……僕はきみのすべてを理解することはできない。僕はきみじゃないから、どんな思いがきみの中にあるのかはわからない。でもね、『理解しようとする』ことはできる」
 だから、と雅春が凍り付いた表情筋を無理やり動かして笑みを見せる。
「聞かせてほしいな、きみのほんとの気持ちを。寂しかった? それとも、何か悲しいことがあった?」
 それは、まさしく『アイスバーン』が求めていたものだった。優しくて、暖かくて、どんな人間であっても包み込んでくれそうな、彼女が焦がれていた母親が与えてくれるもの、そのものだった。
『わたし、は……』
 だから。『アイスバーン』は口を動かそうとして。
『わたし、は……!』
 そのまま、雅春を突き飛ばした。
 そして、その衝撃で彼がぎりぎりのところでつなぎとめていた意識が途切れる音がした。
「(……ああ)」
 氷が支配する視界の中で、最後に彼が目にしたものは、左胸に血の跡を広げながら満足そうに微笑む『アイスバーン』の姿だった。
「(ねえ『ジェニー』、きみもこんな気持ちだったのかな)」


 『アイスバーン』が雅春を突き飛ばした直後、遊夜は引き金に力を込めていた。
 彼らの狙いは、抱擁――『愛されざるもの』によって愚神が満足したと判断した時、最後の一撃を叩き込むというもの。すでにそのための布石は打ってある。
 『アイスバーン』の左胸に狙いを定める。苦しげに下唇を噛んで、それでも笑顔を浮かべた彼女に届かずとも、遊夜が叫ぶ。
「俺たちなら、やれるはずだ!」
『……ん、ボクたちの……今持ってる、すべてに賭けて!』
 音もなく放たれた銃弾は、まっすぐに飛翔して、無防備な愚神の左胸を寸分の狂いもなく撃ち抜いた。それはまるで、ガラスでできた彫像を撃ったかのように現実感のない一撃だった。



 『アイスバーン』がその場にくずおれる。龍華がとっさに支えようと駆け寄るも、それを『アイスバーン』は弱々しく首を振ることで拒んだ。まるで、これ以上の温もりを得ることを拒否するかのように。
『……ああ。よかった』
 こぷ、と血を吐きながらつぶやく。その表情は充足感に満ちていて、もうこの世界に未練など何もないといわんばかりだった。
『……やっぱり……わたしは、憎まれてた……どれだけ、やさしく、抱きしめられても……殺されるぐらいに、うらまれてた……』
 それは、懺悔でも何でもない。ただの、確認。
 「愛されながらも最後には殺される」ことを願い、仮定して、そしてそれを証明して見せた化け物の断末魔だった。
 『アイスバーン』が前を向く。もはや誰の表情も見えない。けれど、少しずつ周囲の気温が上がりつつあるのは、彼女の肌でも読み取れた。終わりが近づいている。
『…………ありがとう。リンカー……えいえんの、てき……』
 その笑みは、目の前の誰にも向けられてはいなかった。
『わたしを、愛して…………傷つけて、殺して……拒んでくれて、ありがとう……』
 それが、最後の言葉だった。
 龍華や、ヴィーヴィルとの共鳴中だったカルディアが抱き寄せるよりも早く、『アイスバーン』という名の少女はこの世界から姿を消した。


 住宅街にレクイエムが響く。
 『アイスバーン』が消滅した地の前に立つファルクの口から流れ伝わるその旋律は、悲しげで寂しく、けれど死にゆくものを見送る力強さを内包していた。
 愚神を撃破して、住宅街は元の時間を取り戻しつつあった。水道管が破裂しているなどと復旧には一筋縄ではいかないようだったが、それでもいずれ修復は完了するだろう。彼女の行為が、ただの悪夢のように処理される日がやってくる。
 ファルクは、彼女の思いを把握しきれているわけではない。結局彼女を抱きとめることはかなわなかった。けれど、もし自分が『アイスバーン』であったらと思わずにはいられない。
 抱きしめて欲しい、と願った少女。彼女は果たして、救われたのか。
 茨稀はそんなファルクの歌声を傍らで聞いていたが、不意に背後から声がかけられた。
「隣、いいですか?」
 振り返った茨稀の前にいたのは昂とベルフ(aa0919hero001)だった。
「……ええ、どうぞ」
 微笑んで、茨城が体を少しファルクの方にずらす。昂は小さく会釈すると、花のような氷が残る、『アイスバーン』が膝を折り、そしてそのままかき消えた場所に視線を落とした。
 昂が大きく白い息を吐き出していった。
「最期の時くらいは、温もりを知ることができたかな……」
『さあな。俺たちにはせいぜい、そうであってほしいと祈るくらいしかできん』
 茨稀は彼らを横目で見つつも、心の内側にぐずついたものが残っていることを自覚していた。
 彼は、それが何であるのかは理解できていない。けれど、ただひとつわかっていることがある。
 愚神は敵だ、と。茨稀は自然と左手を強く握りしめ、そんなことを思っていた。



 遊夜とユフォアリーヤが住宅街の一歩外に出ると、そこにはいつもと変わらぬ日常が広がっていた。人の賑わいがあり、ありふれた幸せがいくつも見えた。
 二人は住宅街の中に目を向けると、自然と同じ言葉を口に出した。
「『……おやすみなさい、良い旅を』」
「次はもっと、違う形で会えることを祈ってる」
『……来世は、望む幸せを……得られますように』
 ユフォアリーヤが自分のおなかに手を当て、祈るように静かな声で言った。
 彼女たちは、幸せを得た。そのうえで『アイスバーン』と敵対し、彼らが持つすべてをもって彼女を討ち果たした。その事実は、この地に、彼らの心の中に、残り続ける。
「なあ、リーヤ。俺たちの熱は、あの子に届いたかな」
『……届いてる。きっと』
「そう……そうだな。あの時に、少しでもあの子の苦しみが癒えていたらいいんだが」
 そうして、彼らは日常に舞い戻っていく。
 彼らの護るべき人たちを、変わらずに護り育むために。



「どういう風の吹き回しだ?」
 住宅街を歩く中で、ヴィーヴィルはそういった。カルディアはひどく冷静に――けれど、わずかに自分でも混乱しているように――口を開いた。
『敵が……彼女が抱擁を求めていたので、応えました』
「奇特な奴だな」
 ヴィーヴィルは煙草に火をつけ、煙を吐いてから言った。
「何もしないってのは、オレは感心しねェな」
『YES. マスター。しかし何もしない……できないときもある気がします』
「ま、敵は敵なりに自ら行動したンだろうがな」
 ヴィーヴィルの隣を歩きながら、カルディアはしかし別のことを考えていた。
 『アイスバーン』。最初から、カルディアは彼女の気持ちがわかったように思えていた。けれど、それはいったいどんな気持ちなのだろう――?



 龍華は、かじかんだ手をすり合わせ、白い息を吐いていった。
「……生命を奪う感覚は、さらに冷たく感じるね」
『そういえば、どうしてボンクラは防寒具を着ないで戦ってたんです? めちゃんこ寒かったでしょうに』
 自分も相当に露出が多い服を着ているノアからの指摘に、龍華はもう一度息を大きく吐いてから、少し後悔しているような声音で言葉を紡ぐ。
「いい防寒具がなかったのと……抱きしめるときに、人肌をより感じやすくするためだった。拒否されたけどね」
『……そうですか』
「ノアは? 珍しく同情してた感じだったけど」
『ノアには、彼女はしたいことがあったのにそれができないように見えて、だから苦しく思えたのですよ。ただまあ、最期は一人で勝手に満足して消えたみたいですが』
 心配して損した、とでも言いたげに鼻を鳴らすノア。龍華は小さく笑みをこぼして、また前を向いた。
 良く晴れた日だというのに、吹き付けてくる風はまだ少し冷たかった。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 来世でも誓う“愛”
    麻生 遊夜aa0452
    機械|34才|男性|命中
  • 来世でも誓う“愛”
    ユフォアリーヤaa0452hero001
    英雄|18才|女性|ジャ

  • 九字原 昂aa0919
    人間|20才|男性|回避

  • ベルフaa0919hero001
    英雄|25才|男性|シャド
  • 紅の炎
    アリスaa1651
    人間|14才|女性|攻撃
  • 双極『黒紅』
    Aliceaa1651hero001
    英雄|14才|女性|ソフィ
  • エージェント
    東宮エリaa3982
    人間|17才|女性|防御
  • エージェント
    アイギスaa3982hero001
    英雄|24才|女性|バト
  • ひとひらの想い
    茨稀aa4720
    機械|17才|男性|回避
  • 一つの漂着点を見た者
    ファルクaa4720hero001
    英雄|27才|男性|シャド
  • やさしさの光
    小宮 雅春aa4756
    人間|24才|男性|生命



  • 捻れた救いを拒む者
    ヴィーヴィルaa4895
    機械|22才|男性|命中
  • ただ想いのみがそこにある
    カルディアaa4895hero001
    英雄|14才|女性|カオ
  • 閉じたゆりかごの破壊者
    紀伊 龍華aa5198
    人間|20才|男性|防御
  • 一つの漂着点を見た者
    ノア ノット ハウンドaa5198hero001
    英雄|15才|女性|ブレ
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