本部

忘れたい? 忘れていい?

茶茸

形態
ショート
難易度
やや易しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
少なめ
相談期間
5日
完成日
2017/10/27 15:28

掲示板

オープニング


 ある日女性のもとに差出人の名前がない封筒が届いた。
 中には手紙と複雑な紋様が刻まれた金色の鍵が入っている。
『辛い記憶はありませんか?
 忘れたい記憶はありませんか?
 これは秘密の図書館に入る魔法の鍵。
 どの扉でもいいので鍵を使って開けてみてください。秘密の図書館に入れます。
 図書館に入ったら最初に目を惹かれた本を手に取って下さい。
 あなたの名前が浮かんだらページをめくります。
 するとあなたの忘れたい記憶が綴られて行きますので、全て綴られたら本を閉じて図書館から出ます。
 図書館から出た瞬間、あなたは辛い記憶から解放されるでしょう』
 女性は胡散臭い内容の手紙をすぐ捨てたが、凝った作りの鍵を捨てるのは少し躊躇われ、インテリアの代わりとして置いておいた。
 それを使って部屋の扉を開けたのは数日後。
 恋人を失ってから三度目の命日を迎えた夜だった。

「姉さん、今日カウンセリングに来なかったんだって? 先生が心配してたわよ」
 姉の家に訪れた妹は思ったよりは元気そうな姿を見て安心したが、ここに来るまで最悪の事態を想像していたため口調が少し咎めるものになってしまった。
 姉が恋人を失ったのは数年前。ショックのあまり不安定になった彼女にカウンセリングを勧めたのは妹だった。
 しかし、姉は妹の言葉にきょとんとして首を傾げる。
「カウンセリングって?」
「え?」
 今度は妹の方が目を見張った。
「何を……言ってるの? 姉さんはその……恋人が亡くなってからさ……」
「あなたこそ何言ってるの。私まだ恋人募集中よ」
 おかしなことを言うのねと笑う姉の顔を、妹は呆然と見詰める。
 恋人の命日が近付くにつれ食事も通らなくなる姉の頬は少しこけていたが、その笑顔は何の屈託もない、恋人を失う前の明るい姉の笑顔だった。


「記憶が一部失われると言う事件が起きています」
 職員が用意した地図には発生個所を示す赤いマークが八カ所に散っている。
 被害者は亡くなった恋人や家族、仕事を失敗した事や大切な物を失くした事など『辛い記憶』だけを忘れている。その部分だけが虫食いのように記憶から失われているのだ。
 記録や関係のある人物の証言を聞いても「本当にこんな事があったのか」と否定的な反応をすると言う。
「病院の診察やカウンセリングを受けた人もいますが、『異常なし』『心因性の健忘ではないか』と言う結果ですから、余計に事件として扱われなかったのでしょう」
 誰しも辛い記憶からは目を逸らしたくなるものだ。
 身近にいる人間も被害者が苦しんでいるのを知っているため、騒ぎ立てる事も第三者に話す事もしにくかっただろう。
 依頼が出されるきっかけとなったのはあるリンカーからの報告だ。
 同じリンカー仲間が記憶の一部を失い、その数日前にGPSの反応が消失していた時間があったと言うのだ。
 記憶の一部を失ったリンカーを調べた所、精神か記憶に何らかの干渉を受けた形跡が見付かった。
 承諾を得て検査できた一般の被害者からも同様の形跡が発見されている。
「その後各地で調査を続けていましたが、それに関わると思われるプリセンサーの予知がありました」
 予知は女性がポストで奇妙な封筒を見付けた所から始まる。
 この女性は数年前に恋人を亡くしている。
 ショックで精神的に不安定になってからそれまでいた友人知人とも疎遠になり、家族以外に手紙をやりとりするような相手はいない。
 不思議に思いつつも中身を確認すると、どう考えても胡散臭い手紙と金色の鍵が入っていた。
 女性は手紙の方はすぐに捨ててしまったが、鍵は捨てなかった。
 そして恋人の命日になり不安定な気持ちになった彼女は鍵を使って部屋の扉を開けてしまう。
「予知ではその先で何が起きたかまでは知る事ができなかったそうです。しかし、部屋の中に戻ってきた彼女はその後訪問した妹との会話で恋人の記憶を失っている事が判明しています」
 手紙の内容通りの事が起きたとしたら『秘密の図書館』には人々の記憶を『綴った』本があるだろう。
 その本を回収する事ができればH.O.P.Eで解析し、記憶を元に戻す方法も探れる。
「女性が新聞を取りに来る前にポストから封筒を取ってください。扉は近くに空き家がありますのでそこで使いましょう」
 職員は女性の自宅とその近くにある空き地の位置をズームアップする。
「ごく普通の女性が入って無事に……とは言い難いですが、五体満足で帰って来れたのです。危険は低いと思いますが、充分注意して下さい」
 手紙の内容を信じるならこれまでの被害者八名の名前が書かれた本がある。それを回収して無事に帰還すれば任務成功である。
 『最初に目を惹かれた本』を開くと記憶の一部を本に奪われる危険があるが、最初から分かっていれば避ける事もできるだろう。
「もし皆さんの記憶が奪われたとしても本の回収に成功すれば元に戻せる可能性はあります。多大な負担をかける事になりますが、どうかよろしくお願いします」

解説

●目的
・『秘密の図書館』に潜入し『記憶を綴った本』8冊を回収する
・『秘密の図書館』の調査
・『司書』と交渉し無事に『記憶を綴った本』を持って帰る(PL情報)

●状況
・午前中/晴れ
 リプレイは鍵を入手した所からスタートします。空き家周辺に人気はありません
 なお鍵は一度使うと消えてしまうようなので扉が開いたら一度で全員入らないと締め出されてしまいます。別行動は取らないように
 
●PL情報
 オープニングに記載されているもの以外、PCは知らないものとして扱って下さい

・図書館ルール!
 『最初に目を惹かれた本』を手に取るかどうかを選べます
 手に取るかどうか、手に取った場合どんな「忘れたい記憶」があるのかプレイングに記載して下さい
 この本を置いたまま外に出ると図書館に出た瞬間記憶を一部無くしますが、これは当シナリオ限定の設定です。システム上のペナルティありませんし、PCの設定に反映する必要もありません

・『秘密の図書館』
 多種多様な『本』を収蔵した図書館。『鍵』さえあればどんな扉からでも入る事ができるようです

・図書館の『司書』
 図書館の本の管理を任されている屈強な体躯を持つ男性。被害者の『本』を持ち帰ろうとすると出てきます
 図書館で戦闘するのは避けたいらしく「8人の被害者の本を戻す(シナリオ失敗)」か「最低でも4人のPCの記憶を綴った本を代わりに寄贈する(シナリオは成功するが記憶を一部無くす)」か選択を迫ります
 どちらかを選択した場合、司書は図書館の客としてPCをもてなしてくれます。図書館や司書の事など気になる事を聞いてみるのもいいでしょう。話せる事は話してくれます
 どちらも拒否するか戦闘を仕掛けた場合、問答無用で被害者の本を奪取され叩き出されてしまうのでこれもシナリオ失敗です

リプレイ

●手紙は招待状
「人の忘れたい記憶につけ込んだ事件なんて……」
 月鏡 由利菜(aa0873)は物憂げに呟いた。
 記憶の一部を喪う怪現象の手掛かりを求めて訪れた、とある女性が住む一軒家の光景を思い出していた。
 恋人を失い精神の安定を無くした彼女の心を表すかのような、荒れた庭やペンキの剥げた壁を。
「拓海にも忘れたい記憶はあるの?」
 メリッサ インガルズ(aa1049hero001)の問いに荒木 拓海(aa1049)は首を横に振った。
「辛くてても、忘れたい記憶は無いよ。経験しからこそ実感し判る事があるだろう」
 失われた記憶の一部とは、辛い記憶、忘れたい記憶のみに限定されていると言う。
 他の記憶は何も変わっていないが、一体何故記憶の全てではなく一部だけ失われているのだろうか。
「提示された情報だけでは相手の意図が読み切れん。図書館に入り、直接確かめるしかあるまい」
 リーヴスラシル(aa0873hero001)が手にした封筒を見詰める。
「記憶を忘れるか……」
 虎噛 千颯(aa0123)がぽつりと呟く。
 その声はごく小さく周囲の足音に消されそうだったが、白虎丸(aa0123hero001)には聞こえたらしい。
「千颯どうしたでござるか?」
「ん? いやべつに?」
 そう言って誤魔化す千颯の態度を訝しんだ白虎丸だったが、もう一つの目的地である空き家の前に到着したため黙っておくことにした。
 空き地の前庭では先に到着した弥刀 一二三(aa1048)とキリル ブラックモア(aa1048hero001)がレーダーユニットとライヴスゴーグルでライヴスの探知を始めていた。
「プリセンサーが反応した、という事は、愚神か従魔関係なのか?」
 キリル ブラックモア(aa1048hero001)がレーダーを起動しながら一二三に聞くと、ライヴスゴーグルを装着した一二三は考え考え口を開いた。
「……かもしれんどすが……人間は、ホンマに嫌な事あると己で消す事もあるさかい、ホンマに記憶が戻った方がええか、考えどころどすな…… 」
 本来ならこの手紙を受け取り、恋人の命日に『秘密の図書館』で辛い記憶を置き去りにしてしまうはずだった女性も同じかもしれない。
「……封筒と手紙にけったいな所はあらしまへん」
 余計な事は今考えまいと封筒を開けた一二三は手紙を開き、次に金色の鍵を手に取る。
 複雑な紋様が刻まれた金色の鍵。
「この紋様、魔法陣に似ています」
 後ろから鍵を見ていたノーニ・ノエル・ノース・ノース(aa2526hero002)が言うと、鬼灯 佐千子(aa2526)も鍵の紋様を覗き込む。
「ここに来てオカルト要素ですか。ますますきな臭いですね」
「……従魔か愚神の罠、だろうな」
 麻端 和頼(aa3646)の目がレーダーの探知画面を見て鋭さを増す。
 金色の鍵からはあからさまなライヴス反応が出ていた。視線を一二三に移すと、同じ結果が出た事を意味する頷きを返してきた。
「獲物の方カラ来るのを待ってパクリ! カナ?」
 華留 希(aa3646hero001)がおどけたように言うと、和頼は卑怯なやり方だと舌打ちする。
「相手が愚神であれば記憶を人質にするようなものだ。そのようなこと絶対に承知しないぞ、コタロー」
 アークトゥルス(aa4682hero001)が力強く言えば、君島 耿太郎(aa4682)は同意をしながらも一言付け加える。
「分かってるっすよ。でも、目的達成も大事っすからね」
 エージェント達の目的である被害者八人の『記憶』が綴られた『本』を持ち帰る事が、果たして何事もなく達成できるのか。『秘密の図書館』とは一体何なのか、今は何一つ分かっていないのだ。
「まずは図書館に入らないといけませんね」
「そうね。私もちょっと興味があるわ」
 ウェンディ・フローレンス(aa4019)に同意するように頷いたブラックローズ(aa4019hero002)。
 彼女の薄っすらと浮かんだ笑みはどこか落ち着かない気分にさせられたが、ウェンディはまず目的を果たすために空き家の扉に近付く。
 金色の鍵は扉の鍵穴と比べて明らかに大きかったが、先端が触れると鍵はすんなりと入り、ドアノブからカチリと音がする。

●記憶と感情の図書館
 扉の向こうには入ってきた空き家より明らかに大きな空間が広がっていた。
 部屋は多角形かそれに近い形をしている。天井まで届く本棚が並び、本棚の切れ目には明かりが掛けられた柱や調度品がある。
 また外周には渡り廊下と階段が設置され上に上がれるようになっている。
 何故か中央に調理設備とバーカウンターを備えたラウンジまであるが、エージェント達が注目したのは本棚に収められた本だ。
 一つの本棚に収められた本は表紙の素材や大きさが統一されているが、全体を見れば大きさもタイトルの有無も様々だ。そのタイトルも読める文字と読めない文字がある。
 佐千子の目に留まったのはタイトルのない本だ。
 他にもタイトルのない本はあったが、その一冊だけにどうしようもなく目を惹かれる。
「―――サチコ。その本からは強い魔力を感じます」
 思わず伸ばしかけた手がノーニの声を聞いて止まった。
 彼女が「魔力」と言うのはライヴスの事だと佐千子は知っている。
「術式を用いた罠の可能性が高いですね、おそらく接触時に発動する類の代物です」
「……そう。と言うコトは、件の記憶を綴ると言う本かしら」
「記憶が『綴られる』までには他のステップがあるようですが、触れない方がいいですよ」
 佐千子は手紙に書かれた『最初に目を惹かれた本を手に取って下さい』と言う一文を思い返す。
「それなら、被害者の本もこの辺りにありそうね」
 自分が目を惹かれた本にタイトルはなかった。タイトルのない物は除外していいだろう。
 先程佐千子が目を惹かれた『本』は決まった場所に置かれているわけではないらしい。
 佐千子とノーニが調査している場所から離れた本棚の前で、由利菜が一冊の本を手に取った。
「ユリナ?!」
 警告するリーヴスラシルを制してページを開く。
「異界の扉が開いた時……無限の可能性が生まれ、両親や私はその可能性に魅せられました。ですが、それは同時に大いなる災厄を呼び込むことにもなった……」
 綴られて行く幼い記憶。同時に思い出すのは両親に自分の夢を、目標を伝えた時に返された両親の答え。それは由利菜の望んだものではなかった。
 今思えばそれは自分を危険に巻き込むまいとした両親の親心であったのだろう。
 しかし、幼い由利菜にとってそれは自分の想いを全て否定されるに等しいものだった。
 記憶を綴っていく本を静かに見ている由利菜に、リーヴスラシルは拳を握る。
(ユリナ、記憶を失うのは私でいいのだ。なぜ私をかばった……!)
 リーヴスラシルは自分の記憶を守るためにあえて由利菜が本を開いた事に気付いていた。
 せめてと、リーヴスラシルは調査の間由利菜の『本』を慎重に持ち歩く事にする。
 拓海とメリッサが調べている棚には裏切りと裏切られた事に苦しむ物語が多かった。
 ふと、拓海は本棚の片隅あるタイトルのない本に気付く。
 これが『記憶を綴る本』である事は何となく分かったが、そのままページをめくる。
 綴られた記憶の中でこれまで何でも話せる親友だと思っていた友人は、気付けば遠くに離れていた。
 突然だった。理由も何も言わず、その内拓海も諦めるしかないと距離を置く事にする。
 拓海なりに友人を思っての事だったが、理解される事はなかった。
 それに気付いたのは学園祭の舞台と言う、大人数の目に晒される場でストーカーだと激しく非難され友人印に手酷く拒否された時だった。
(もっと早く離れていたら少なくとも猜疑心を抱かせなかっただろうか)
「拓海、それ……!」
「忘れたい記憶はない。それは本当だよ」
 拓海の名前が書かれた本に気付いたメリッサを宥めながら、拓海は自分が思っていたより過去の傷が強く残っていた事を実感する。
 過去の記憶は時間と共に薄らいで行く。
 しかし、深く刻まれたものは普段思い出さなくとも心の奥では残り続けているのだろう。
 耿太郎は開いた本に綴られて行く己の『忘れたい記憶』に微苦笑した。
 厳しい目をしたアークトゥルスと耿太郎が見下ろす中綴られるのは、耿太郎の幼い頃の日々だった。
 耿太郎は幼い頃に両親と死別して、親戚の家に引き取られ衣食住を保証された。
 だが、両親を失った幼い子供に与えられるべき最も重要なものは与えられなかった。
(もう顔も声も、あの家で何をしたかもろくに覚えてないっすよ)
 しかし本には家族の団欒に入る事ができず愛情も与えられず、まるで下男のように雑用を押し付けられた空虚な子供の記憶が綴られている。
「これがお前の記憶か」
「そうっすね。もう殆ど覚えてなかったっすけど」
 それ以上記憶が綴られない事を確認すると、耿太郎は本を持ち歩く事にした。
「このまま戻して置いといたら何されるかわからないっすし」
 本人が殆ど覚えていないにも関わらず『忘れたい記憶』を詳らかにする『本』。
 その正体を探るエージェント達を尻目にブラックローズはほくそ笑む。
 ウェンディがタイトルの無い本を見付けたのだ。
「貴女には、手に取るべき物があるはず。さあ……」
 そっと耳に唇を寄せて囁くと、ウェンディは魅入られたように本を手に取った。
「これは……」
 ウェンディが開いた白紙のページにはブラックローズと契約した時の記憶が綴られて行く。
 死や禁忌を犯すことによる苦痛と苦悩、死に対して無力な倫理・道徳への諦観。ウェンディの心の闇に呼ばれ現れたブラックローズ。
 ウェンディが彼女に本能的に抱いた不信や恐怖の記憶。 
 ブラックローズが内容を見ていないかどうか気になったウェンディだったが、不思議そうに「どうしたの?」と聞いて来る彼女に藪蛇はつくまいと何でもないと次の本棚に向かった。
「そう言えば、頼んでおいた調査結果は芳しくなかったようだな」
 キリルは犯罪を犯した後悔や犯罪に巻き込まれた被害者のトラウマを題材にした本棚を調べながら、前もってH.O.P.E.に頼んでいた調査の結果を思い返していた。
「ようちびっと調査を続けたら何や分かるかもしれまへん」
 記憶に関わる能力を持った愚神か従魔の前例はないか調べて欲しいと頼んだものの、世界各国で起きた事件全てを改めるにはそれなりの時間も掛かるものだ。一二三もそれは承知している。
「うちらはうちらできっちり仕事せなあきまへんな」
 そう言った一二三の手を止めたのは他のエージェント達も見付けたタイトルの無い本だった。
 本を開くと、一二三の記憶の奥に沈んでいた日々が綴られて行く。
(ああ、せやったなあ。こんな子やったわ……)
 かつて一二三がいた置屋に来た一人の娘。
 不器用で失敗も多かったが一生懸命頑張るいい子だった。
 彼女の綺麗な目は今も覚えていたが、彼女とどんな風に過ごしたか、綺麗な目をした彼女がどうなっていったかはあえて思い出す事はなかった。
 本を閉じるとキリルが自分の方を見ている事に気付いて笑って場を濁す。
 その時、通信機から被害者の本を発見したと言う連絡が来た。
「―――そんじゃ一階で合流ってことで」
 千噛は連絡を終えると通信を切った。
 通信で他のエージェント達も被害者の本を発見したと報告を受けている。
 八冊すべてが揃った事を確認し、階段に向かった。
「千颯……これはお前の大事な記憶ではないか?でござる」
 歩きだした千颯を白虎丸が止める。持っているのは千颯の名前が書かれた本だ。
 本に綴られた記憶の中の千颯は、まだ高校一年だった。
 彼には親友で、恋人でもあった大切な人がいた。
 『疲れた』
 たった一言だけ書いた紙を残し自殺した、千颯にとってはかけがえのない存在だった人。
(あの時どうすれば良かった。あいつにとってオレはなんだったんだ)
 何度考えても答えが見付からない。何年経っても痛みは無くならない。忘れられるなら忘れたかった。
「お前までもが彼を否定するでござるか? 辛い記憶だとしてもそれはお前の大事な記憶でござるよ」
「俺は……俺は……」 
 いつものふざけた一人称が消えた千颯の握り締められた拳を強引に引っ張り、白虎丸は記憶が綴られた本を押し付けた。
「これは持ち帰るでござる」
「それは困りますね」
 突然背後から聞こえてきた声に白虎丸と千颯が振り返る。
 男が一人、千颯と白虎丸の後ろに立っていた。
 屈強な印象の体躯をスラックスとベストで包み、知性を感じさせる目と穏やかそうな顔から敵意は感じない。ただ困ったように二人を見ていた。
「この図書館の本は持ち出し禁止ですよ」
「……それで、お前がこの図書館の番人と言ったところか」
 通信機越しに千颯とも白虎丸とも違う声を聞いたのだろう。和頼が油断なく男を見据えながら歩いて来る。隣には希が控えている。
「番人、と言うのは大袈裟ですかね。私の事は司書とお呼びください。まあ、こんな所で立ち話も何ですからラウンジに参りましょう―――そちらの方々もご一緒に」
 くるりと振り向いた男は、その先に集まっていたエージェント達ににこりと微笑んだ。

●図書館の司書
 図書館の中央にあるラウンジにエージェント達が集まった。
 流石に全員が座る分の椅子はなかったが、総勢十名を超える人数を受け入れるだけの空間はある。
「……どういうつもりだ? 罠じゃねえのか?」
 カウンターに陣取った和頼は司書の目の前に回収した被害者の『本』を掲げる。
 希もカウンターから自分よりずいぶん高い所にある司書を見上げて言った。
「忘れたいホドの記憶って、すっごい人質だヨネ~♪ 思い出しタラ、あまりのツラさに自殺しちゃうカモ?」
 希の問い掛けの意味を素早く悟った和頼がそれに乗る。
「……仕事上、記憶を戻させねえとだが……戻った後が、な……」
「忘れずに覚えてるヨリ、一回忘れたツラいコトを思い出すのって、前よりずっと、ずーっとツラいんだってネ?」
 喋りながら司書の様子を探るが、穏やかな表情は何一つ変わっていない。
「その辺のケア、どーしたらイイカナ? HOPEに知られてサ、アタシたち、動かなきゃなんなくなった責任、取ってほしーナ♪」
「記憶戻さねえと、オレ等もヤバいしな……下働きは辛えな」
 まるで愚痴のような言い方で締めくくると、司書は深く頷いた。
「ええ、わかります。私も苦労したものです」
 分かりやすくはぐらかしてきた司書に和頼の目つきが一層鋭くなる。
「……お前、愚神か従魔か? 人の記憶を奪って何を企んでやがる?」
「図書館では静かに、ネ」
 司書に詰め寄った和頼を希が宥める。
「わ、判ってる……」
 宥められ、倒れたスツールを起こして座った和頼と希に司書が目礼した。
 余裕の態度だと和頼の眉根に皺が寄る。
「……そう言えば、あんたはどっから此処に来たんだ?」
 司書が現れた時、丁度和頼は千颯と白虎丸の近くまで来ていたのだが、司書の足音も歩いて来る姿もその瞬間まで分からなかったのだ。
「最初からいましたよ。ただこの図書館に来られる方は人目を気にする事が多いので、必要がない限り姿を見せないようにしています」
 ステルス的な物か、それとも幻影か、エージェント達の耳目を誤魔化せる能力を持つらしい。
「ぶっちゃけオタク何者? 愚神とかなのかなー?」
 スツールに座った千颯は賭けに出るつもりで司書に聞く。
「愚神じゃないなら一つ試させてくんない? 和頼ちゃんも試す気はあったっしょ?」
「和頼ちゃ……まあな」
 試すとはパニッシュメントで司書の正体を確認する事だが、司書が従魔や愚神であった場合攻撃を加える事になり、それに対して司書がどうでるかは分からない。
「それは困ります。私はあなた方が言う愚神でありここの司書です。戦闘行為はお断りですよ」
「随分正直に言うのだな。ただの司書ではないと思ってはいたが」
 図書館に被害が出てしまうからと断った司書に、アークトゥルスが意外の念を口にする。
「一人なんっすか? 他に誰かいないんすか? 例えば館長さんとか」
 挙手した耿太郎の質問に、司書はふむと少し考える。
「私は司書ですが、館長とも言えるでしょう。ここの管理は全て私に任されています」
 司書が質問に律義に答えるのを見て、周囲のエージェント達もそれぞれ質問を投げかける。
「私達にも読める文字と読めない文字がありました。異界の文字だとしたら興味があります」 
 由利菜の質問には、この場所がドロップゾーンであり本が異界の産物であると言う意味も込められている。
 果たして、司書はあっさりと答えた。
「あなた方にはドロップゾーンと言えば分かりやすいでしょう。あらゆる感情や記憶を収蔵しておりますが、数がが多いので翻訳が済んでいない物も大分残っていますね」
「感情や記憶を集めているなら、英雄の召還前の記憶とか、この八人以外のものも有るのかな?」
 拓海が確保した被害者の『本』の一冊を示すと司書は見ての通りだと手でぐるりと図書館内部を示す。
 ただ『英雄の召還前』についてはこの図書館を訪れたならばあるだろうが、来ていたとしても誰が『英雄』に該当するかまでは分からないと言う。
「この世界にも、こういう妙な者はいるのね」
 ローズマリーは少し面白がっている節があるが、ウェンディは人の記憶を奪いながらも穏やかに笑える司書に憤りすら感じている。
「確かに、忘れたい記憶というのはあるでしょうけど、なんで、こんな……」
「そうね、なんでこんな物を集めているのかしら」
 ちらりと見るのは被害者やエージェント達の記憶を綴った『本』。 
「せやなあ。まさか、人の為にしとるとか、阿呆な事言わはらんどすやろな?」
「貴様は愚神だと言ったが、何故このような場所を作る?」
 一二三とキリルが司書を見据える。
「人は、この世界の何かで困っとるんやったら、己等で対処するんが一番どす。余計な事まで手え貸しとると、元々怠け癖強いさかい、己でどないかしようて思わんようなってまいますわ」
「便利は人を退化させる、とTVでも言っていたな」
 キリルが一二三に同意するが、帰って来たのは頭痛をこらえるような仕草だった。
「……あんさんももうちょい、己でどうにかしとくれやす……」
「あー……それじゃいつから人の記憶を蒐集するようになったんだぜ?」
 なかなか深刻な事だったのか、俯いた一二三から滲むオーラを誤魔化すように千颯が身を乗り出した。
 由利菜も一二三のオーラを痛ましく思いつつも質問を優先した。
「この図書館はいつ頃から建てられたのです?」
「さて……私が司書を任された時、図書館今とほぼ変わらず『本』もいくらか収蔵されていましたね」
 つまり、この図書館―――ドロップゾーンを生み出し『本』を集め出した愚神は他にいると言う事だ。
「私からも幾つか、確認したい事があります」
 次に手を挙げたのは佐千子だった。
「構いませんよ」
 司書の言葉に佐千子は頷き、他のエージェント達と視線を交わす。
 彼女が確認したい事のいくつかは他のエージェント達と共通している。
「では、遠慮なく―――まず記憶を蒐集する理由です」
「長い時間を生きていると趣味の一つもなければつまらないのでしょう」
「記憶を蒐集するためには必ず記憶を奪う必要が? 何故『本』の形にするんですか?」
「それが『本』の条件です。何よ偽りない生の感情が得られます」
 これまでの話を聞くと、司書は始めから司書ではなく、司書をやっているのも別の誰かの為だと分かる。
 その『誰か』こそ、図書館や本を作り出した存在なのだろう。
「それじゃ、そろそろ本題行っていいカナ?」
 ひょこりと希の手が挙がる。
「八人のヒトが貸した本、返して欲しいんだケド、図書館って貸す方じゃないのカナ?」

●交渉の結果
「返すも何もここにある本は全て本人の意志で寄贈された物ですが?」
「では、私達からも何か寄贈すれば交換と言う形で『本』を譲り受ける事はできますか?」
 佐千子の質問に対して、司書はしばらく考え込んだ。
「そうですね……では少なくとも四冊。あなた方の『本』を寄贈して下さい」
 四冊―――自身の記憶を綴った『本』を持つ六人の視線が交差した。
 それを見る司書の目はあくまで穏やかに「どうしますか?」と問いかけて来る。
「ラッキーだヨネ♪ 和頼、忘れたいコトだらけデショ?」
 緊張走る中、希が場違いに明るく和頼に水を向ける。
「……はっきり言って、忘れてえ人生ばっか歩んでるけどな……それもオレがオレである為に必要な記憶なんだよ……! くれてやるつもりなんざねえ!」
 和頼の啖呵に続き、メリッサが拓海の手から彼の『本』を奪い自分の胸に抱え込んだ。
「どんな事も糧としようとする人も居るのよ、拓海の記憶を返して貰えるかしら?」
「リサ……」
「忘れたい記憶はないって、拓海も言ったわよね?」
「ふむ。返す事はできなくもないですが……他の方はどうですか?」
 司書が黙っている面々に聞くと『本』を手に取らなかった佐千子はもう一つ交渉を持ち掛ける事にした。
「……私にも。消したい記憶が、無かったことにしたい過去が無いとは言えません。ですが、その過去があったからこそ今の私があります。この身体だったからこそ守る事が出来た人たちがいます」
 そう語る佐千子の目に、過去の暗い影はない。
「だから、私の記憶をあなたにあげることは出来ない。でも、記憶を残すことは出来るわ」
 佐千子は司書に手書きの本を作り自分や他の仲間の記憶を書き残す事を提案した。
 しかし、反応は芳しくない。
「欲しいのは偽りや誤魔化しのない生の感情です。人の記憶は移ろいやすく、辛い記憶なら尚の事。場合によっては都合よく改変する事さえあり、それは私には判断できません」
 それに。と、司書の穏やかな表情から不穏な気配が滲む。
「本来、図書館の本は持ち出し禁止です。しかし、あなた方は『本』を持ち出そうとする以外無体な真似はしなかった。その誠意に対し、こちらも最大の譲歩をしようと言うのです」
 どうしますか?
 視線だけの問いを前に差し出された本は四冊。
「置いてくも何も空白しか無いスカスカの記憶っすが、それでもいいならどうぞっす」
 耿太郎の本を前に、アークトゥルスは目を伏せる。
「……俺の記憶で済めばよかったのだが」
「ただでさえ少ないんっすから。王さんは自分の記憶、大事にした方がいいっす」
 アークトゥルスは耿太郎の『本』をもう一度だけ読み返し、自分の記憶の中に納める事にした。
「……これで私は両親の、私に都合の悪い記憶が抜け落ちる事になるのでしょうか」
 由利菜が手にした『本』に、リーヴスラシルが手を添える。
「ユリナにとって御両親は大切な存在なのだろう? ならば、全てを受け入れられるはずだ。じきに思い出す」
 二人はお互いに微笑み司書に『本』を差し出す。
 一二三は渡す前に司書に一言警告めいた事を言った。
「……悪用しよ、とかいう考えどしたら、うちらも黙っとれんどすしな。ちゃう世界からの干渉は、うちらの仕事どすし……?」
 その後ろで、キリルが当然だと頷いている。
「これで、被害者の方々と、千颯さんと拓海さんの本は返して下さるんですね?」
 ウェンディが『本』を差し出す。
 司書は不穏な気配を決してまた穏やかにほほ笑んだ。
「勿論です。あなた方が求める八冊、加えて二冊をお渡ししましょう」
 それでは。と司書が立ち上がった。
「久しぶりに外の方と話をしました。名残惜しい気持ちはありますが、そろそろ作業に戻らないといけませんからね」
「その作業と言うのは集めた本の翻訳か?」
 リーヴスラシルが悔し気に、今は司書の元にある由利菜の『本』を見ると、司書は悪びれもなく答える。
「ええ。残念な事に定より数は減ってしまいましたが」
 エージェント達が入って来た扉から外に出た後、もう一度図書館の方を振り向くと司書と目が合った。
「それでは皆様、次は正式なご利用をお待ちしております」
「!」
 エージェント達は司書の一言に色めき立ったが扉は音もなく閉じ、ただの空き家の扉に戻っていた。
 記憶喪失事件の手掛かりと、目的であった八人の被害者の『本』を得る事は出来た。
 代わりに四人の『本』を失ったエージェント達だったが、いずれそれを取り戻す日が来ると信じて帰路に着く。
 記憶と感情を収蔵した『秘密の図書館』その司書と、未だ姿も分からない『本』と『図書館』を作り出した何者かと対峙する予感を抱きながら……。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
    人間|24才|男性|生命
  • ゆるキャラ白虎ちゃん
    白虎丸aa0123hero001
    英雄|45才|男性|バト
  • 永遠に共に
    月鏡 由利菜aa0873
    人間|18才|女性|攻撃
  • 永遠に共に
    リーヴスラシルaa0873hero001
    英雄|24才|女性|ブレ
  • この称号は旅に出ました
    弥刀 一二三aa1048
    機械|23才|男性|攻撃
  • この称号は旅に出ました
    キリル ブラックモアaa1048hero001
    英雄|20才|女性|ブレ
  • 苦悩と覚悟に寄り添い前へ
    荒木 拓海aa1049
    人間|28才|男性|防御
  • 未来を導き得る者
    メリッサ インガルズaa1049hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 対ヴィラン兵器
    鬼灯 佐千子aa2526
    機械|21才|女性|防御
  • 魔女っ娘
    ノーニ・ノエル・ノース・ノースaa2526hero002
    英雄|14才|女性|ソフィ
  • 絆を胸に
    麻端 和頼aa3646
    獣人|25才|男性|攻撃
  • 絆を胸に
    華留 希aa3646hero001
    英雄|18才|女性|バト
  • ガールズデート
    ウェンディ・フローレンスaa4019
    獣人|20才|女性|生命
  • エージェント
    ブラックローズaa4019hero002
    英雄|24才|女性|カオ
  • 希望の格率
    君島 耿太郎aa4682
    人間|17才|男性|防御
  • 革命の意志
    アークトゥルスaa4682hero001
    英雄|22才|男性|ブレ
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