本部

眠り姫を殺すなら夢の中

山川山名

形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 6~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/07/28 16:17

掲示板

オープニング


 夢の中でなら、すべてが叶う。
 どんな存在も、夢の中でまでわたしをいじめることはしないから。
 いじめられるのは、嫌い。植物も、動物も、水も、空気も、風も、すべて。わたしをいじめるものは何であれ、めちゃくちゃに壊したくなってしまう。目覚めていたら、なんであれ、壊したくなってしまう。
 だったら、そう。わたしは眠り続けよう。たとえ目覚めても眠り続けよう。永遠に、永久に。夢の中でなら、わたしはただの女の子として在れるから。無害で無辜な、一人の少女として入れるから。
 それを邪魔するのなら――。


「~~~~~♪~~~~~~♪」
 一面に花畑が広がる世界で、一人の少女が鼻歌交じりで花冠づくりにいそしんでいた。
 澄み渡る空にはどこにも雲がなく、吹き抜ける風は優しく、少女の頬を撫でて去って行った。少女の足元にどこまでも広がる草花はそれに合わせて思い思いに揺れて、少女の鼻歌に彩りを添えているようだ。
「できた!」
 ばっ、と少女が喜色満面に完成した花冠を掲げた。赤に緑、紫に桃色。様々な色が寄り集まって、少女の頭にぴったりな大きさに仕上がっていた。
「おや、かわいらしいティアラだ」
「あっ、男爵! ごきげんよう!」
 何処からともなく現れた背の高い燕尾服をまとった男に少女が元気よく挨拶をした。男爵と呼ばれた男はかぶっていたシルクハットを脱ぐと、王女の前であるかのように一礼した。
「ごきげんよう、眠り姫。今日も元気なようで何よりだよ」
「男爵も格好いいわ! でも珍しいわね、男爵からわたしのところにいらっしゃるなんて。何かあったの?」
「今日はお茶会をする約束だっただろう? シンデレラも、白雪姫もみんな待っているよ」
「あっ、そうだったわ! どうしましょう、せっかくわたしからお招きしていたのに、待たせてしまったわ。どうしましょう?」
「彼女らは別に気にしていないようだったから心配いらないと思うがね」
「でもわたしが気にするのよ」
 むーっ、となぜか少女のほうが怒ったような顔になると、男は困ったふうに頬をかいた。
「そうだなあ。それなら何かお土産を持っていくといいんじゃないか」
「お土産?」
「なんでもいいさ。彼女らは君がプレゼントしたものなら何でも喜ぶからね。前に君がラプンツェルに贈った櫛があっただろう? あれを彼女は今でも大切に持ち続けているらしいよ」
「まあ、もうずっと前のことよ? もう壊れていてもおかしくないでしょうに。新しい櫛をあげましょうか」
「いいと思うよ。まあとにかく、そういう簡単なものでいいさ。君が真心をもって作ったものを贈られれば、我々の中で喜ばないものはいない」
「でも、困ったわ。この時間だとお店はまだ開いていないでしょうし……何かを買うにしても時間がないわ」
 いよいよ困り顔になってしまった少女の前で思案していた男は、ふと少女の手元にあった花冠に目を落とした。それに眼尻を下げると、男は優しい声で言った。
「それがいいんじゃないか?」
「それ? 花冠のこと?」
「そう。私もそれを見ていると心が落ち着く。あの姫二人も喜ぶに違いない。特に白雪姫はよく親しんでいるだろうしね」
「花冠……そんなもので、いいのかしら」
「大丈夫だとも。私が保証しよう」
 しばしじっと花冠に目を落としていた少女は、すぐに顔を輝かせて目をあげた。
「わかったわ! じゃあ男爵、花冠を作るのを手伝ってくださる? これ以上待たせてはシンデレラと白雪姫に申し訳ないわ!」
「はは、参ったな。あまり期待はしないでくれよ」
 男は少女のそばに腰を下ろすと、意外に慣れた手つきで冠を編んでいった。少女もにこにこと無邪気な笑みをみせながら二個目の冠を作り始めた。
 そよ風は彼らの体を穏やかにすすぐように吹いていく。平穏な時間はいつまでも、いつまでも続いていくように思われた。
 いつまでも、いつまでも。
 彼女が想う限り、ずっと――。


「駄目だ! この眠り姫、まったく起きやしねえ! きょうびニートでもここまでぐーたら寝てねえぞクソッタレ!」
「そもそも俺たちの攻撃はちゃんと通ってんのか!?」
「攻撃が全部反射されてるみたいだ、このままじゃジリ貧になる!」
「ああクソ、とにかく支部に連絡しろ、指示を仰ぐんだ!」


「つい一週間前、ニューヨーク支部で観測した北極圏の愚神を撃破するために向かったエージェントから連絡が入った。攻撃が効かないまま退却させられた、何とかしてくれ、とな。
 調査の結果、この愚神は外部からの攻撃をすべて反射する特殊な障壁を展開しているようだ。とにかく外からの攻撃はどんなAGWを用いても通用しないうえ、攻撃した我々にも被害が及ぶ。ならばどうするか。
 無力化する。愚神の精神的支柱を撃破する形で。
 諸君には新しく開発された装置を使って、この愚神の夢に侵入してもらう。詳しい説明は別途資料を配布するが、それによって夢の中の愚神を撃破することで無力化は果たされる。その後は私たちで封印措置を施して無害化を図る予定だ。諸君はいつも通り、撃破に専念してくれるだけでいい。
 忘れるな。他人の夢とはその者の独壇場だ。今まで以上に油断なくかかってくれ。
 敵性呼称名は『モアブ』。諸君の健闘を祈る」

解説

目的:デクリオ級愚神『モアブ』の無力化

登場人物
 『モアブ』
・デクリオ級愚神。小柄な少女の姿をしている。白いワンピース着用。常に眠っている。
・北極圏で観測されたものの、撃破に向かったエージェントの一団を退却させた。
・外部の攻撃をすべて反射する障壁を展開している。下手に刺激すればかえって危険に陥る可能性が高い。
・予想される戦闘データは以下の通り。

 ジャバウォック
・自らを巨大な怪物に変化させて攻撃する。対象二体に中ダメージ。

 バーバ・ヤーガ
・『一本足の人喰いばあさん』に変化し攻撃する。対象一体に中ダメージとBS気絶(1)付与。

 ティー・パーティー
・お茶会の複合概念である『反乱』と『団欒』を発動する。リンカー一人のスキルを使用し攻撃し、攻撃が成功した場合『モアブ』の体力を小回復する。


 ドリームアナライザー
・インカ支部で開発された装置。他者との脳波をライヴスによって同期させ、同じ夢を体験できるようにする。
・能力者同士など強いライヴスを持つ者同士であれば夢の内容に干渉できる力を持ち、夢の中の人間が傷つけば現実の人体にも精神的フィードバックが現れる。具体的に言うと、軽度の記憶混濁、重度であれば発狂など。今回はそれらのフィードバックを生命力の減少に置き換える機械も併用する。
・此度の作戦は夢の中の『モアブ』を撃破し、精神的に死亡させることを目的とする。精神的に死亡した対象はいわば『心が折れた』状態となり、一切の意識的行動が出来なくなる。

 楽園
・今回の戦場。『モアブ』の夢そのものであるが、感覚は現実世界と変わらない。多くの宗教で語られる原初の楽園、平和と幸福に満ちた花園。
・天候は晴れ。
・『モアブ』の夢ということもあり、現場は彼女に都合のいい改変がなされる可能性が高い。注意せよ(PL情報:命中と回避にマイナス補正)。

リプレイ


「北極圏、寒いなあ」
 沢木美里(aa5126)がぽつりとつぶやいたそんな言葉は、痛いほどの寒気に消し潰された。
『モアブ』撃破の任を負った彼らが赴いたのは、人間が居住することすら許さない極北の地だった。隣で無表情に雪を踏みしめていた浅野大希(aa5126hero001)が振り向いて、
『そんなこと言ってないで敵を殺す方法でも考えれば? 眠って堕落してるだけの存在なんて、とてもつまらない』
「それいつも言ってない? でも人殺しってわけじゃないし、どうにも攻撃するの抵抗があるんだよね」
 ふん、と大希はまた顔を前に向ける。この態度だけなら、この寒さにも負けてはいない。
「やあ、やあ、今度の相手は眠り姫? ここはやっぱり優しいベーゼで起こすべきではないかな!」
『眠り姫どころか魔女かもしれないんだから、な。二度と起きられなくなっても俺は知らん』
 今にも踊りそうなほど楽しげな様子の木霊・C・リュカ(aa0068)の手を握るオリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)は、呆れ顔になって釘を刺しておいた。そもそも今回戦う敵は、どうにも不可解なところがあるのだ。
 どうしてこんな生物が根を張らないような不毛の地に、愚神がたった一人でいるのか。それも、それこそ毒リンゴをかじった姫のように眠ったままで。
「何でこんな人のいないところで、眠っているのかな……?」
『きっと、パワー、ためてる、ところ。そう……繭?』
 そんなふうに睦月(aa5195)とテク(aa5195hero001)が話し込んでいると、ほどなくして、雪の中にちょっとだけ盛り上がった、雪とは違うものを見つける事が出来た。
 白いレースが入った、この場では恐ろしく不釣り合いなほど薄手のワンピース。胎児のように体を丸め、黄金色の長い髪は御簾のように顔の前に垂れ下がっていた。
『モアブ』。ニューヨーク支部を退却せしめた、歪な眠り姫。
「本当に、ここで寝ているだけ、なのでしょうか……」
『確かめてみるしかあるまい。眠り姫か、仕掛けられた爆弾なのか』
 紫 征四郎(aa0076)の隣でその寝顔を覗き込んだユエリャン・李(aa0076hero002)は、あごに手を当てて淡々と答えた。
「そういえば、せーちゃん。この子のこと、何か調べてみてわかった?」
「リュカ。いいえ、『モアブ』による被害は先のニューヨーク支部による攻撃など、H.O.P.E.から干渉した時だけ。愚神になるまでの経緯は全くつかめませんでした」
 征四郎の調査は、『モアブ』が今まで民間に被害を及ぼさなかったという特異な事実を浮き彫りにしていた。
 何人かは共鳴を終え、ヘッドフォン型のドリームアナライザーを装着した。
 ライヴスが『モアブ』のそれと同期され、彼らは眠りにつくような感覚に落ちていく。どこまでも深い谷の底に続くトンネルを彼らの意識が下っていって、そして――


 ――トンネルを抜ければ、そこは楽園だった。
「……これが、『モアブ』の、夢……?」
 その全景を目にした征四郎が、呆然としたようにつぶやいた。
 先ほどの暴力的な白で塗りつぶされた景色とは全く違う。足元には色とりどりの花が咲き広がり、小鳥が楽しげにさえずる。空はコントラスト代わりの雲を抱え、どこまでも青く澄み渡っていた。
「誰もが夢見るような平和な夢……害も敵意も未だ見せてないのにそれを壊すのは、少し気が滅入るね」
『ですが、被害が出てからでは遅いです。目覚めて攻撃的になったら手は付けられなくなるですよ。……ま、ノアはボンクラがやることに何も口出しはしないですが』
 背中を預けているように語るノア ノット ハウンド(aa5198hero001)の声を受け、紀伊 龍華(aa5198)は、ふ、と短く息を吐いた。
「……ありがと。そのときの責任は、ちゃんと取るから」
 見渡す中では『モアブ』の姿は見えない。ユエリャンは右腕を持ち上げ、そこに大きな鷹をライヴスで作り上げた。
『さて。ここが夢の中なら瞬きのうちに姿を変えるやもしれんが、知らぬ地で戦うならまずは戦場把握からだ』
 鷹は大きな羽を思い切り羽ばたかせて飛翔すると、そのままはるか上まで飛び上がった。ユエリャンと感覚を共有したこの鷹は、くまなく夢の世界に視線を行き届かせる。
『……ふむ』
 小柄な体で腕を組んでいたナラカ(aa0098hero001)は、ふと鼻を鳴らした。傍らの八朔 カゲリ(aa0098)が目を向けると、彼女は鼻のあたりをこすって、
『眠いのう。暖かくて、ついうとうとしてしもうた』
「……?」
『暖かすぎる、と言っておる』
『見つけたぞ。ここから南に行った先に一人でいる。姫と対面と行こうではないか』
 ユエリャンが目を向けた先は、変わることない楽園の大地。しかしその先にここの主がいる。危害を自発的に加えようともしないプリンセスが。
 リンカーがいよいよそこへ向かおうとした時、美里が「あの、」と声をあげた。
「もしすぐ『モアブ』に攻撃しようとしている方がいるなら、すみません。少しだけそれを待っていただけませんか? 少しあの子と話がしてみたいんです」
『まあ私と覚者は構わんがの。汝はどうじゃ』
『問題ない。存分にやってくれ』
 テクが頷くと、全員はいよいよ『モアブ』がいる地へと向かった。
道中で誰かに出会うことは、彼女の姿を認めるまでとうとうなかった。
 彼女が座っているその一点だけ、花の数がさらに多い。ゆりかごみたいなそれの中で、リンカーたちを怯えと憎しみが入り混じった瞳でにらみつけている一人の少女がいた。現実世界で見た時とほとんど同じ、ただ少しだけ血色がいい彼女がぺたりと座っていた。
 美里はそんな少女の前まで臆することなく進んでいき、膝を追って視線の位置を合わせた。楽しげな笑顔を浮かべて、
「ねえ、ここで何してるの?」
「……っ!?」
「私は、沢木って言うんだ。よろしくね」
 差し伸べた手に『モアブ』は応えない。自分の両手を胸の前に引き寄せ、ますます怯え切った光を目に浮かべた。笑顔が軽くひきつった美里の後ろから龍華が歩み寄る。
「……素敵な場所だね。良ければ少し、お話いいかな」
「……話、って?」
 容貌に違わぬ、鈴を転がすような声色が小さな唇の間からこぼれる。共鳴を完了させたオリヴィエとユエリャンが歩調を合わせ、威圧的な雰囲気をできる限り抑えていった。
『楽しい夢の最中に、土足で踏み込んですまないな。率直ですまないが、こんなところで一人寝ている理由、もしくは目的を教えてもらいたい』
『愚神が一つの兵装であれば、君の行動は少し合点がいかぬ。ここにただ眠り続けている理由が知りたい』
 少女はすっかり心を潰されたようになって二人の顔を見比べるた。
「すごく楽しそうな夢だね?」龍華が尋ねると、『モアブ』はそこで首をかしげた。
「夢、ってなに?」
「え?」
「ここは私の世界だわ。ずっと、ずっと、私の世界。誰にも壊されない、侵されない、穢されない、私の世界。それが夢のはずがないでしょう?」

『人間は優しい、そして甘いな。不意打ちの機会を捨ててまで、愚神を説得するなんてな』
 遠くから彼らの交渉を眺めていたテクがそうこぼすと、声だけで睦月が答えた。
「でも、何もしていない相手を襲いたくない気持ち、僕も同じ気持ちだよ」
『そういうものか』
 だが、その隣に立っていたナラカは少しだけ口角を吊り上げると、
『……いや。どうやらあれは、何かをするようだぞ』
『何?』
『覚者、共鳴だ。あれにとっての試練の時よ』
「……ああ」
 一瞬で姿を変化させたカゲリは、決戦の火ぶたが落とされる瞬間をその目に焼き付けることになった。

「あなたたちは、だれ? 私をいじめる人たちなんでしょう?」
「違うよ。俺は、俺たちは、そんなことしない。もし君がそういう人たちを恐れているのなら、俺が何とかするから。だから」
「ウソばっかり。私はそんなことを信じないわ。だってあなたたち、私が知っている人たちじゃないもの」
『モアブ』は龍華たちから飛びずさると、歌うように言葉を紡いだ。
「男爵が言っていたわ。ここにいれば、私をいじめる人はいない。でも私はライヴスがないと生きていけない。でもリンカーは私をいじめようと何度だって向かってくる。私はそこからライヴスを拝借すればいいんだって。それが一番安全なんだって」
「違うの、私たちは、ただ……」
 美里が言葉をかけようとしても、もう遅い。『モアブ』の周囲で殺意が膨張する。
「何が違うのかしら。私をいじめる人が、私の楽園に入ってきた。私の安らぎを踏みにじった。――邪魔をするのなら、ここで死ね」
『――ッ!』
 先んじて狙撃銃を持ち上げ、安全装置を外し『モアブ』に向けて引き金を引いたのはオリヴィエだった。頭を狙い性格に放ったはずの三発の銃弾は、二発があらぬ方向へと弾丸が捻じ曲げられた。一発は『モアブ』の額を貫いたものの、彼女をのけぞらせるだけだった。血しぶきすら吹き上がらない。
「――痛いわ」
 地の底から響くような声とともに、『モアブ』の体の周囲にもやがかかりはじめる。体感温度が下がる錯覚すら感じる光景だった。
 その『モアブ』めがけ、カゲリが双剣を手に疾走する。軍服が風になびき、ナラカとのリンクがますます密になっていく。勢い、刃を少女の体に押し込もうとした瞬間だった。
 カゲリの背丈ほどもある爬虫類じみた手が、一撃を押しつぶした。
「……これは」
『気をつけろ覚者。もう変わっておる』
 その言葉通り、『モアブ』の姿は少女のものから一変していた。背丈は十数倍ほどになり、ヤモリのような体で楽園の土を踏みしめている。背中からは蝙蝠を思わせる有機的な翼が広げられ、ドラゴンを無理にゆがめたような頭が巨大な体に不釣り合いに乗っかっていた。
『グルアアアアアアアアアッ!!』
『離れろ、カゲリ!』
 オリヴィエは銃口を怪物に向けて引き金を引いた。だがそれを意に介さず怪物は左前脚を振り上げ、カゲリめがけて思い切り振り下ろす。
 地割れのような音ともに楽園の岩盤がめくれ上がった。その壁がオリヴィエの放った銃弾をはじき、耳障りな蚊を殺すようにカゲリを押しつぶす。
「ぐ……」
『グルアアア……?』
 カゲリを潰さんとする怪物は、しかしそこで視線をゆっくりと外に向けた。切れ長の瞳が正面に捕らえたのは、盾を構え、毅然とした表情で立つ龍華だった。
「……来い」
 彼女たちの説得は通じなかった。彼女の人間に対する猜疑心がそうさせた。しかも到底無理なことだって言ってしまった。
 その落とし前は付ける。なんとしても。
「この夢を、楽園を、壊されたくないのなら! ここだ、『ワルモノ』はここにいるぞ!」
『ガアアアアアアアッ!!』
 一つ咆哮をあげ、怪物はまっすぐ龍華に向けて大地を蹴った。ずいぶんと距離は離れていたはずだが、ほんの一瞬で目の前に到着し、そのまま彼の体と衝突した。
「ぐううっ……!」
「龍華さん!」
「俺のことはいいですから、この子を!」
 トラックと接触するほどの衝撃を受けながらなお怪物の体を押しとどめる龍華の声で戦況が動いた。テクが弓を引き絞って胴体に狙いを定める横で、美里が龍華に向かって右腕を突き出す。
『繭は羽化する前に対処するのが上策!』
 テクが矢を放つも、それは怪物の異様なまでの跳躍力で回避された。圧に耐えていた龍華が前によろめいたが、その直後に彼の体を治癒の光が包んだ。
「……ありがとうございます」
「あまり無理しないで。何回もあんな攻撃を受けてたら……」
「分かってます。けどこれは、俺が受け止めなきゃならないことです」
 唸り声をあげる怪物の瞳は、敵対する彼ら全員を憎悪の対象としてみていた。龍華は盾の持ち手をより強く握りしめる。
「あなたがもし倒れても、私が何とかします。あなたの後ろは任せてください」
「頼むよ」
 征四郎が龍華を守るように前に立ち、刀を握る。それらすべてを不快とみなすかのように、怪物はもう一度地獄の釜のような口を開けて咆哮した。ユエリャンは小さく息を吐いて、
『穏やかに眠らせるだけ、とはいかぬか』
「生きるために戦いを避けられないなら、みんなの明日を守る、ために」
 苦しげに言い切る征四郎。すでに怪物は彼女の前で行動を開始していた。
『いくら速かろうと生物だ。脚を撃たれれば行動は鈍るはず』
 オリヴィエが怪物の足を、回避先も予測して撃ち抜いた。怪物の足からは血肉こそこぼれなかったものの、苦痛に満ちた唸り声が上がった。しかしそれで止まることはなく、再び龍華のもとに疾走した。
 その間に、怪物の姿が再び変化する。藁で編まれたかごを片手にこちらへ疾走する、口角が異様に避けた老婆の姿に。
「やらせません!」
 紫が剣先を老婆に突き付け、その先からライヴスで編んだ印を放出する。それを斜め上への跳躍で軽々と回避すると、老婆は龍華に思いきり殴りかかった。
『あたしに嘘をついたことを後悔するんだねぇ』
「いいや。それでも俺は君を説得する。まだ何も諦めてない」
『――!』
 老婆の動きがわずかな瞬間だけ静止したものの、次の瞬間には龍華の意識は老婆の一撃によって刈り取られていた。今にも泣きだしそうな少女のような顔を網膜に焼き付けて。


「龍華さん!」
「美里、回復をお願いします! 防衛は私が!」
 追撃を加えようとする老婆の攻撃から龍華を征四郎が護りつつ、美里が治癒を開始する。それを援護するように、老婆の横合いから黒い矢が突っ込んできた。
『お、まえ……!』
『ふむ。弱き女よ』
 カゲリとますます同化したナラカは、実態があれば肩をすくめていたであろう声色で語る。
『こんなところで己に閉じ籠っていても意味などない。偶には思っていることを大にして叫ぶがよかろう』
『すでに言ったとも。それだからあたしはここにいる。ここにいたのにィ!!』
 双剣の刃がのめり込み、しわがれた肌から血が噴き出す。しかしそれをものともせずにカゲリを右腕だけで吹き飛ばし、『モアブ』は叫んだ。
「あなたたちは私をいじめに来たのでしょう! 私は何もしなかった、なのに、なのに! ……私が、愚神だから? あなたたちの敵だから? そうなのね!?」
 再び少女の形をとり、声を震わせる『モアブ』。不意打ち気味に放たれたテクの矢を紙一重でよけると、少女は胸の前に手を引き寄せた。
「私は愚神。あなたたちはリンカー。……ええ、そうね。私たちは殺し殺される間柄ね。だってそうでしょう? 私は『人類の敵だから』! どれだけ無害に眠っていても殺さなければならない敵なのだから!!」
 いつの間にか『モアブ』の手には紅茶がなみなみと注がれたカップが握られていた。それを一口だけ飲むと、残りを自分の足元にすべて流す。儀式のようなそれがすべて終わった直後、カップがテクの使う弓矢に変貌していた。
「これはあなたたちへの報復よ。――このお茶会は反乱の具現。私をいじめる人のすべてに抗う刃! 私のすべて、その身で受けてみなさいな!」
 まったく弦を引いていないにも関わらず、弓矢が恐ろしい速度をもって射出された。向かう先は当然のように今しがた立ち上がった龍華のもとに。
「龍華さん!」
「――わかってる!」
 ゴッ!! と、盾と矢が衝突し火花を散らす。ただの運動エネルギーとは違う何かによって彼の体が後方に押され、回復したばかりの体を壊されそうになる。
 だが、耐えきった。龍華は心臓を潰されたような錯覚を覚えながらも、腹の底から声を絞り出す。
「――頼む!!」
 もはや一片も交渉する余地などない。もはや敵である自分たちが何を言っても彼女には理解されないだろう。ならばせめて、『ワルモノ』として彼女を倒す。
 それを感じ取ったのか、オリヴィエの中で沈黙していたリュカが詩人のように言葉を紡ぐ。憎悪の炎を瞳に滾らせ、自分たちを殺しにかかる少女に向けて。
『「ああ、ああ、姫よ。優しく哀しき眠り姫。この銃を、弾丸を、糸巻きのつむと致しましょう。いずれ貴方の王子が訪れんことを願います」』
 オリヴィエが銃口を『モアブ』の足首に向ける。血も流れない弾痕だけが冗談のように残されていた。
『「お休みなさい」』
 再び銃弾が彼女の足首を砕いた。よろめき、その場に立っていることすらできなくなるも、即座に体を巨大な翼の生えた爬虫類に変化させた。巨大な四肢で地面を踏みしめ、リンカーを睥睨する。
 カゲリの攻撃をねじ伏せ、紫の攻撃を翼でいなす。脚を破壊されているはずなのに、それを感じさせないかのようなフットワークと膂力でリンカーの攻撃を封じ込める。
「攻撃が通らない……」
『――いや。まだ勝機はあるぞ』
「どういうこと、テク?」
『私だけでは力不足かもしれないが。私たちならば、あれを数瞬で陥落させることができる』
 テクは矢をつがえ、弓の弦を引き絞る。狙う先は今もカゲリと征四郎を相手に大立ち回りをしている怪物の、翼だ。
 ヒィウン! と空を切る音ともに放たれた矢は、回避する暇すら与えずに怪物の翼を貫通した。風穴があいたそれに気が付かず飛翔しようとした瞬間、怪物は悲鳴を上げて墜落した。
『……うまくいったか』
『テク、助かった。俺も奴の動きを抑える』
『頼んだぞ、オリヴィエ』
 言葉通り、オリヴィエは三度怪物の足に銃弾を叩きこんだ。もはや悲鳴すら上げずに唸り声をあげるだけにとどまった怪物の胴体を、限界近くまでリンクレートをあげたカゲリが連撃をもって切り裂く。
『……マダ、ダ』
 怪物がその身を起こす。よろめきながら、もたつきながら、それでもなお。全身に深手を負った状態で叫ぶ。
『私ハ、死ネナイ。オ前タチヲ殺シ、私ノ楽園ヲ守ル為ニモ!!』
 カゲリがバックステップで距離をとるも、怪物はそちらを見てはいない。もう一人、自分に対峙していた少女――征四郎に向けてその大きすぎる右足を振り下ろした。
「回避が、間に合わない……!」
 征四郎が苦しげに呻いた、その瞬間。
「伏せて!」
「っ!!」
 ゴッッガン!! という爆音とともに、怪物の右足と征四郎の前に割り込んだ美里の盾が拮抗する。猛烈な圧力が美里の細腕にかかり、膝が折れそうになる。
「――力、貸してっ!」
『わかってる。あと少しだけ耐えなさい』
 美里の体に力が循環する。美里は渾身の力でもって怪物の右足を押しのけ、そのまま攻撃範囲を離脱する。
 怪物は忌々しげに二人を見やったが、すぐに視線を変えて龍華の方角に顔を向けた。すでに彼は盾を構え、決然とした瞳で怪物を見返していた。
 怪物が疾走する。数瞬のうちに怪物と龍華が激突し、猛烈な風圧と火花をほとばしらせた。
 龍華は歯を食いしばり、それでもふと笑みをこぼした。
「……やっぱり、ノアの言うとおりだった。目覚めて攻撃になったら手が付けられない」
『……』
「それでも、被害は出させない。ここで俺たちが終わらせる。『モアブ』をこの世界の中で撃破する」
『ノアは何も言わないですよ。ボンクラがやりたいようにやればいいです』
 龍華は少しだけ顔を伏せ、何かを振り切るように息を吐いたのち再びそのぐちゃぐちゃのドラゴンじみた顔と正面から対峙する。
「俺は君を倒せない。俺は君の思いを受け止める。だけど」
 おそらくはそれが、目の前の眠り姫との違いだった。
「――俺とは違う仲間が君をここで押さえるために、君を倒すよ」
 固い肌を貫通して肉を裂く刃の音が三つ、怪物の背後から鐘の音のように響き渡った。
『汚れ仕事をきみにだけさせるわけにはいかんだろう。あのおチビちゃんには難しいだろうから我輩が出てきた』
「……そうか」
 カゲリと、ユエリャン。二人の刃が『モアブ』に残っていたすべての力をそぎ落とした。
 少女の姿に変化する。サイズのせいで刃は外れたが、その背中には生々しい裂傷が三つ、深い赤とともに刻まれていた。
 少女は楽園の地面に倒れ伏し、その頬を花の上に押し付ける。
この世界の空のような澄んだ青い瞳から、透明な涙が零れ落ちた。
「いやだあ……まだ、まだ生きていたいよぅ……もっと、したいことが、あったのに……もっと、行きたいところが、あったのに……こんなところで終わりなんて、いやだ……」
 しゃくりあげ、あふれるものを抑えることも出来ずうわごとのようにつぶやき続ける『モアブ』。その言葉を止められるものは、この場には一人もいなかった。
 すでに彼女の四肢は、だんだんと消えかかっていた。
「……もういちど、あそびたかった。おなじくらいのとしの子たちと、いっしょに。それだけで、ただそれだけで、よかったのに……」
 肘が消え、膝が霧散し、腰が掻き消える。腹も、胸も、背中も。彼女の存在が少しずつ消えていく。
 そして――。


『……愚神無力化、ご苦労だった。あとはこちらに任せ、君たちはランデブーポイントに移動してくれ。十分後にそちらへ到着するようにヘリを向かわせる』
 現実世界にリンカーたちが戻ると、苛むような冷気がまず出迎えた。まるで時間が経過していないかのように、北極圏はとりもなおさず前後も見えぬ雪景色だった。
『モアブ』は変わらず眠っているようだった。だが、呼吸のための肩の動きはほとんどない。冷凍保存されているかのようだ。
『少し聞いておきたいことがある。よいか』
『なんだ?』
 共鳴を解いたナラカは、カゲリが持っていた通信機を近づけさせていった。
『汝らの依頼書には、この愚神を「封印措置を施して無害化」するとあったが、それはどのようなものなのか? この愚神の力を失わせ、市井に帰すということか?』
『いや。「モアブ」は我々が厳重に肉体的封印措置を施してサンプルとして利用する。愚神は倒すと形が残らないからこういう例は都合がいいんだ。愚神を野に放つなんてできるものか。たとえ我々が赦したとしても、世界がそれを赦さない。絶対に』
『……そうか』
 カゲリに通信を切らせると、ナラカは体の毒をすべて吐き出すかのような大きく長いため息をついた。そして頭を横に振ると、その場を後にした。
 美里はもう動くことがない『モアブ』の前に立ち、悲しげにその穏やかな寝顔を見下ろした。その隣で大希は同じように愚神を見て吐き捨てた。
『くだらない。ひと思いに殺してしまえばいいのに』
「……機嫌が悪いね。愚神でも、多少は何とか争いを避けたいって思ってるから」
『いつも通り、愚かで未熟』
「うるさいな。無理なときは、何とかするから」
『耐えられないくせに』
 大希の有無を言わさぬ口調に、美里は今度こそ完全に黙り込んだ。その胸中に渦巻くモノは、外から推し量ることはできなかった。

「……なんだか、すっきりしないね。相手が愚神とはいえ……」
 睦月は『モアブ』のもとを去りながら、そんなことをぽつりとつぶやいた。隣にはテクと、同じく移動を始めた征四郎とユエリャンがいる。
 睦月は、彼女が理想としていた世界を思い返して呟いた。
「すべて自分の思い通りに行く世界、か。そこなら、ずっと平和にのんびり過ごせるのかな……」
『いやいや。それじゃ、シゲキ、足りない。思い通り、いかない、だから、面白い!』
 テクの言葉に、睦月は曖昧に頷いた。それもまた真実だと、なんとなくは思えたからだ。
 そして征四郎も同じような状態だった。俯きがちに白い大地を踏みしめて歩く彼女は、いつも以上に小さく見えた。
「……どうして彼女は、守られなかったのでしょうか」
『厳しい言い方をすれば、愚神だからであろう。我輩やおチビちゃんらと愚神は相容れぬ。まず分かり合うことなどできぬ』
 ユエリャンは彼女の明るい紫の髪を母親のように優しくなでた。
『あまり自分を責めるな。過去を思い返せるのは人間の特権だが、己が関与しない過去を思い悩んだところで時間の無駄だ。心にも悪い』
「……そう、ですね」
 征四郎はちょっと立ち止まり、来た道を振り返った。
 もう足跡は新しい雪に覆われ、少しだって見えなかった。

『そろそろ行くですよー』
「分かってる。少し待って」
 少しだけ離れたところに立っているノアの声に答え、最後まで残っていた龍華は『モアブ』の前に膝をついた。あと少ししたら彼女は永遠に覚めない眠りに追いやられる。見た目だけとはいえ、健やかそうな寝顔を見れるのは、これで最後だ。
 龍華は幻想蝶に手をかざし、花の冠を取り出した。ドライフラワーで作られたそれは枯れることも咲き誇ることもない。止まった時の中で栄華を誇るだけだ。
 彼は『モアブ』の頭にそれをそっと乗せ、そして立ち上がった。背中を向けた彼は、自分以外誰にも聞こえないような声で小さく告げた。
「……さよなら。『モアブ』」


 これは一つの物語。
 世界に拒まれた一人の少女が、それでも幸福と平穏を求めただけの物語だった。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
  • 閉じたゆりかごの破壊者
    紀伊 龍華aa5198

重体一覧

参加者

  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
    人間|31才|男性|攻撃
  • 仄かに咲く『桂花』
    オリヴィエ・オドランaa0068hero001
    英雄|13才|男性|ジャ
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
    人間|10才|女性|攻撃
  • 全てを最期まで見つめる銀
    ユエリャン・李aa0076hero002
    英雄|28才|?|シャド
  • 燼滅の王
    八朔 カゲリaa0098
    人間|18才|男性|攻撃
  • 神々の王を滅ぼす者
    ナラカaa0098hero001
    英雄|12才|女性|ブレ
  • ひとひらの想い
    茨稀aa4720
    機械|17才|男性|回避
  • 一つの漂着点を見た者
    ファルクaa4720hero001
    英雄|27才|男性|シャド
  • 捻れた救いを拒む者
    ヴィーヴィルaa4895
    機械|22才|男性|命中
  • ただ想いのみがそこにある
    カルディアaa4895hero001
    英雄|14才|女性|カオ
  • オーバーテンション
    沢木美里aa5126
    人間|17才|女性|生命
  • 一つの漂着点を見た者
    浅野大希aa5126hero001
    英雄|17才|女性|バト
  • 掃除屋
    睦月aa5195
    獣人|13才|男性|命中
  • 閉じたゆりかごの破壊者
    テクaa5195hero001
    英雄|25才|男性|ジャ
  • 閉じたゆりかごの破壊者
    紀伊 龍華aa5198
    人間|20才|男性|防御
  • 一つの漂着点を見た者
    ノア ノット ハウンドaa5198hero001
    英雄|15才|女性|ブレ
前に戻る
ページトップへ戻る