本部

救いは高らかに。人の命は地に墜ちる

山川山名

形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 6~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/06/11 13:00

掲示板

オープニング


 この身はすべて、皆様の救いのために。
 ですので、どうか、皆様方も――


「聖母様が来られたぞ!」
 若い男が一人、狭い民家の一室に向けて叫ぶ。すると、そこに大量に詰めかけていた人々がわあっと歓喜の声をあげた。
 異質だった。そこにいたのは若い女もいれば、年老いた老人もいる。子供を連れていたものもいたし、職場の同僚を引っ張ってきたものもいた。年齢も性別も、社会的地位も様々だったのに、身にまとうものは共通して白地に金の刺繍が入った頭から羽織る一枚布だった。東南アジアの民族衣装のよう、といえばわかりやすいだろうか。
 全員が眼をぎらぎらと輝かせていた。何かに飢えているようでもあった。
「皆、姿勢を正せ! 聖母様が入られる!」
 先ほどの若い男の声で、その場の全員が即座に正座の姿勢をとった。
 彼らの奥から姿を見せたのは、背の低い女だった。
 見た目では二十代後半。肩まで届く程度の黒い髪に、集った彼らと同じ一枚布を羽織ってしずしずと彼らの前に進み出る。顔は端正というよりどこか愛嬌を感じさせ、右目の下の泣き黒子が印象的だった。
「皆様、ようこそおいでくださいました」
 彼女の登場で沸き立っていた人々が、その言葉だけで水を打ったかのように静まり返る。
「まずは、共にこの瞬間に立ち会えることを神に感謝いたしましょう。今日は特別な日でございます。私たちが神の御前に上り、永遠の幸福と平穏を約束される素晴らしい一日となるのです」
 女の小さく、しかしよく通る声は続く。
「そもそも私たちは、この辛く、醜く、怠惰で抑圧的なこの世界からの解放とこの世界に縛られ続ける輪廻からの解脱、そして死後神のもとでの永遠の幸福と魂の平穏を信じ、今日まで布教と禁欲的な生活に努めてまいりました。この生活もまた、辛いものであったと私は感じております。そして、神の威光が現れなくなったこの時代で私たちの活動を広め、共に救いを求める兄弟姉妹を増やすことは、なおさらだと。しかし……皆様方の周りをご覧ください。今日、ここに集う、敬虔な兄弟たちを。ともに天の階段を昇らんとする、血よりも固い絆で結ばれた姉妹たちを」
 わずかな照明しかないこの部屋をよく見れば、髪の色も、瞳の色も違う者たちがいることが分かると思う。お互いがお互いの顔を見て、そして穏やかな笑みを見せていた。
「私たちは、弱い」
 女は胸の前で手を握り、苦しそうな表情をした。
「弱く、虐げられる私たちは、もはや死後に望みを託すほかありません。しかし、どうかそのせいで世界を恨まないように。なぜならこの暴力に満ちた世界もまた、神が作りたもうた世界だからです。いずれ彼らにも救いが訪れる――ただ、私たちのほうが先に向こうでお待ちするだけなのですから」
「聖母様! 俺たちは、今日何をすればいいんですか!?」
 中年の小太りの男が脂汗を滲ませながら叫ぶ。
「焦らないでください。……私たちは、この選ばれた日に、殉教を遂げます。名誉ある死を、私たちで選択するのです」
 死、という単語に彼らが特段の恐慌状態に陥ることはなかった。みんなそれは想定済みだったのだ。
「しかし、私たちだけで救いを独占するのは神のご意思に反します。信仰を分け与えよ、と神は仰せでした。であれば救いもまた、分け与えられるものでしょう?」
 聖母は、いっそ無邪気とも言えるほど可愛らしく小首をかしげ、悪夢のような一言を放った。
「さあ――外へまいりましょう。救いを分け隔てなく、外の方々にもたらすのです」

 虐殺が始まった。
 雪崩を打って民家を飛び出した彼らは、手あたり次第目につく人々を、包丁で、猟銃で、バットで、ナイフではさみで縄で釘でハンマーで、聖母の救済を叫んで襲いまわった。
 男がいた。
 女がいた。
 老人がいた。
 子供がいた。
 動物がいた。
 赤子がいた。
 けれど、みんな、いなくなった。
 そうして彼らは目につく人々がいなくなると、まるで示し合わせたように同じ服を着た仲間と二人一組になってお互いを殺した。死ねなかったものは自分で死んだ。最期に怖気ずいたものは背後から別の仲間が殺した。
 誰もが、いなくなった。
 そして、最後に物言わぬ集落で一人残された聖母は、濃密な血の匂いと膨大なライヴスの海を前に舌なめずりして、こうつぶやいた。
 このライヴスは、皆様方にはもう必要ないでしょう。
 皆様方の死後に、平穏あれ。


「……俺が見てきた中で屈指の胸糞悪い事件だ。悪いが、付き合ってもらうぞ。
 事件は昨夜、とある集落で起こった。人口は少なかったが、全員が穏やかに暮らしていた。農業が盛んだったが、畜産もやっていたらしい。君たちの中にもここの食材を口にしたものもいるかもな。……だが、彼らは突然、仲間内で殺し合いを始めた。いや、殺し合いというよりは一方的な虐殺か。とにかくそれが起こった。
 犯行はここを拠点にしていたカルト教団によるもの。だが信者は全員自殺した。残るは教祖で『聖母』と呼ばれていた女だけだ。
 愚神の、聖母だよ。
 分かるか? この女は、ライヴスが欲しいがために自分では手を汚さず、無辜の人々を使って殺戮を行った。集落は壊滅し、かろうじて逃げ延びたわずかな人々も重大な心的外傷を負った。もう、あの集落は再興できない。あまりに風評被害が大きくなったからな。
 事は最悪の段階に移行している。この愚神が次に潜伏する場所が新たな虐殺地帯になる。それだけは何としても回避しなければならない。
 標的の敵性呼称名は『イル・マドンナ』。この偽りの聖母を、君たちが止めてくれ」

解説

目標:デクリオ級愚神『イル・マドンナ』の撃破、並びに市民の保護

登場人物
『イル・マドンナ』
・デクリオ級愚神。二十代後半の小柄な女性の容姿で、白地に金の刺繍が入った一枚布を羽織っている。
・教団の教祖。信者からは『聖母』と呼ばれ、精神的支柱になっている。
・以下、戦闘データを記す。

 私の兄弟
・吸い込まれた自らのライヴスを活性化させ、対象にBS洗脳を付与。

 私の姉妹
・BS洗脳状態にある人間を利用して攻撃、あるいは防御する。信者はあくまで一般市民であるが『イル・マドンナ』によりリンカー並みの力を発揮できる。
・この能力の対象には、すでにBS洗脳状態になったエージェントも含まれる。

 神の救い
・吸い込んだ自らのライヴスを活性化させ、生命力を少量回復する。

信者
・『イル・マドンナ』のもとに集った信徒で、彼女と同じ服を着ている。二十人ほどおり、全員が解除不可のBS洗脳状態である。なお、一般人ではあるが上記『イル・マドンナ』の能力によりリンカー並みの攻撃力を持つ。半面防御力はないので一回攻撃を加えれば気絶させられる。

廃ビル
・都市郊外にある五階建ての廃ビル。電気、水道、ガスの供給は立たれていて、基本不気味なため周辺の人々はまず寄り付かない。このエリアのあちこちに信者がいるが、どこに何人いるかまでは把握できなかった。
・ただし、最上階に『イル・マドンナ』が存在していることは確か。当然推測できる事項として、最上階に多くの信者がいることだろう。ちなみにエレベーターは動いていない。
・窓は割れ、柱にはひびが入り、夜な夜な信者たちの祈りの声が聞こえる。一種の心霊スポットか、さもなければホラーである。

リプレイ


『すみません、あの廃ビルにいつごろから人が出入りしたかお聞きしていいですか?』
 たまたま道を歩いていた若い女性にセラフィナ(aa0032hero001)が邪気なく声をかける。
「二週間前からじゃないかな。ちょうどわたしのお隣さんがそれでいなくなっちゃったのよね」
 うんうんとうなずいてメモを取るセラフィナの隣で悠然と立っていた真壁 久朗(aa0032)が口を開く。
「……そういう行方不明者は、何人ぐらいいるかわかりますか」
「ええと、二十人、とかかな」
「……どうも」
 女性と別れて街道を歩く。その前にも複数の通行人から聞き込みをしていたが、返ってくる答えはおおむね似た内容だった。二週間前から廃ビルに人の出入りがあった。行方不明者はおよそ二十人。情報にある信者の数と一致している。
「百目木。そっちはどうだった」
 反対側から歩いてきた、黎焔の傍らの百目木 亮(aa1195)に声をかける。ガムをすりつぶすように噛んでいた彼は頭を乱暴にかいた。
「どうもよくわからん。信者の布教が熱心だが教義についてはいろいろな宗教がごちゃ混ぜになってる印象だ。真壁は」
「行方不明者の数と信者の数が一致した」
 ブラックウィンド 黎焔(aa1195hero001)が流れを方向付けるようにゆっくり口を開く。
『これ以上の被害は見逃せぬでな。決着をつけねばなるまいて』
「だな。信仰するのは構わねえんだ。押しつけや他人を巻き込むってんなら話は別だがよ」
『では、夜皆さんにこのことをお伝えしましょう』
 亮と黎焔の背中を見送っていると、久朗の胸あたりから吐息交じりの声がした。
『……苦しみながら生きるよりは、いっそ死んだ方がいいと思ったことはありませんか?』
「……どうした?」
『いえ、……昔似たようなことを考えていた時期がありましたから。でも、いろんな人に出会えて、今はそんなのいやだな、と思えるようになりました。だから……僕は愚神の行いを止めたい』
 久朗はセラフィナの決然とした横顔に敬意を表するように、静かにうなずいた。


 朧月が、彼らを淡く照らしていた。
 エージェントたちは、昼間の聞き込みの結果を亮と久朗から伝えられた。
「ノクトヴィジョンで確認した信者の配置は、一階から四階までに三人。そして五階に八人だ。役立ててくれ」
「俺と真奈美、茨稀、ヴィーヴィルが潜入して道を作る。準備はいいか?」
 亮がそう言うと、カルディア(aa4895hero001)が彼に一枚の布を手渡した。被るとくるぶし近くまで体がすっぽりと覆われ、洋風の幽霊をほうふつとさせた。
『マスターが信者の方から奪ったものです。お使いください』
「それである程度は自由に行動できンだろ」
「悪いな。使わせてもらう」
 煙草の火を消しながら不遜に告げるヴィーヴィル(aa4895)に、亮は素直に感謝した。
「私たちは邪教徒に成りすまします。改宗を求めに来たって言えばやりやすいでしょうし」
「俺は潜伏して先に上を目指します」
『手に入れた情報は逐次伝えるぜ。中でしかわからないこともあるだろ』
 内田 真奈美(aa4699)、茨稀(aa4720)、ファルク(aa4720hero001)が次々に応じる。真奈美は得体の知れないグッズで全身を固め、茨稀はイメージプロジェクターで百目木と同じ格好を再現していた。
「私は、ここで待ってます、ので」
『道が開けたら合図をくれよ。頼んだぜ、茨稀さん』
 エルノ ゴールドビートル(aa5079hero001)に突然名指しされ、茨稀は微妙に笑みを深めた。アンドリアナ クリスティー(aa5079)の動きには零月 蕾菜(aa0058)と十三月 風架(aa0058hero001)、柳生 楓(aa3403)、ゼーラ(aa3403hero002)が同調した。

 亮たち四人が廃ビルに侵入する。一階はほとんど吹きざらしで、ガラス窓や水道のパイプ、銅線などは根こそぎ奪われている。三人の信者以外には何もない。
 茨稀がすいすいと階段のほうへ歩を進めているとき、信者の一人が侵入者に気が付いた。「あなたがたは?」
「最近聖母様の噂を聞いたんですよ。俺なんかを受け入れてくれるか心配だったんですけどね」
 亮がすらすらと嘘八百を並べ立てる。信者はうなずいて、
「そうでしたか。今聖母様は礼拝堂にいらっしゃるはずです……が……」
 信者は最後まで言葉を続ける事が出来なかった。亮が後ろに回した手でセーフティガスを発動させ、その催眠ガスが信者たちを覆いつくした。
「急ぐか。あまり時間は待ってくれねえようだからよ」
 ヴィーヴィルの声に二人はうなずき、茨稀が通って行った階段に走り出した。

 ノクトヴィジョンでライヴスの流れを読んでいた久朗は、重たいものを吐き出すように長い息を吐いた。
「正気が残っているとは思えない様相だな……」
 人の動きがおかしい。立ち止まったかと思えば急に姿勢を低くしたり、走り回ったりしている。それならばまだいい方で、時折ライヴスが漏れ出る――つまり出血――しているのだ。
『いつの時代、どこの時代でも、信仰やら宗教というのは面倒なものですね』
 それが見えているわけはないだろうが、風架がビルの三階あたりを見上げてげんなりした声で言う。蕾菜はそんな彼を怪訝な顔で見上げた。
「半分その対象みたいなものだった人が何を言ってるんですか」
『だったから、ですよ』
 風花は肩をすくめると、焦点がずれた瞳で言った。
『祈るだけならまだしも、行き過ぎれば依存し考えを放棄する……面倒なことこの上ない』
 ゼーラが眉根にしわを刻む。聖職者然とした恰好でありながらその振る舞いは悪を裁く天使のようにも見えた。
『聖母を名乗って神を信じる人を誑かす、か。まったく、反吐が出るね』
 一方、そこから少し離れたところにいたアンドリアナは足元の小石を蹴飛ばしていた。
「今回の敵、聖母って呼ばれてるんだって」
『らしいな』
「いいよね、聖母なんて呼ばれて。人をいいように扱えて。人の上に立てて」
『無関係の人を自分の手を汚さずに殺すクズらしいけどな』
 エルノがそれとなくアンドリアナを戒める。彼女は小さな体をますます縮める。
「そうだね。羨ましいなんて言える相手じゃない、よね」
『ああ。だから、さっさと倒して洗脳されてるやつらを助けるぞ』
「そう、だね」
 卑屈、嫉妬、精神不安定。アンドリアナを指定するような言葉の暗さを改めて自覚し、エルノは石を踏みつぶしたくなる衝動にかられた。愚神にさえ嫉妬するアンドリアナを、彼が苦々しく思うことは間違いない。
 エルノが天を仰いだのと、四階の唯一残っていた窓ガラスが内側から叩き割られたのはほぼ同時の事だった。


 気づかれず潜入していたはずだったが、信者たちは明確にエージェントたちに気が付いて攻撃を仕掛けてきた。
「足萎えの者よ、すでに治っているぞ!」
 詠唱した真奈美の両掌から催眠ガスが吹き荒れる。鉄パイプやナイフを振りかざしていた信者たちが即座に昏倒したのを見て、彼女はもう何度目かのため息をついた。
「これで、道は開けましたよね」
「だが時間は使ったな。一階のやつらはそろそろ目を覚ますかもしれねェぞ」
 ヴィーヴィルが三階へと続く階段を見やっていった。
『先へ進もうかの。この先に彼の者がいるはずじゃ』
 黎焔の言葉に全員が頷いたところで、五階への階段からガラスが割れる音がした。じきに下で待機していた仲間たちが上ってくることだろう。三人は倒れた信者たちを空き部屋に安置してから先へと進んだ。

 五階は今までの殺風景な階と明らかに趣が異なっていた。
 全ての壁が破壊されて一つの巨大な部屋となったそこは、いくつものろうそくで暗い明かりに満たされていた。地面にはつぎはぎだらけのじゅうたんが敷き詰められ、礼拝堂よろしく横に配置された長椅子で八人の信者たちが手を合わせ跪いていた。
 壁を見てカルディアが不思議そうな声をあげる。
『色付きのガラス、ですか? 何かの絵も描いてありますが』
「ステンドグラスだろ。その下は仏像か?」
 視線の奥には、畳の上で正座し目を閉じる小柄な女。中央アジアの大神殿にあるような黒い箱の前に敵がいた。『イル・マドンナ』だ。
「おや。今日はずいぶんと奇妙な方々が集まっているようですね」
 つい、と目を開けて女が言った。すべての輝く色を混ぜ合わせ黒に染め上げたかのような濁った瞳があった。
「どのようなご用件でしょう。入信をご希望されるならばどうぞそちらにおかけください」
「悪いな。おっさん、半分以上無駄にした人生取り返してる最中なんだ。こんなとこで時間食うわけにはいかねえんだよ」
 亮が軽口交じりに口角を吊り上げるが、目は油断なく『聖母』を見据える。槍を握る手に力が込められた。
 『イル・マドンナ』は目を細めた後、肩をすくめて失望したように言い放った。
「わかりました。それでは私は皆様方の敵ということですね。でしたら致し方ありません。あなた方『四人』を私の中に引きずり込みましょう」
 茨稀が長椅子の陰から姿を現すのと同時に、跪いていた信者たちが機械的に身を起こした。ドロドロの十六の瞳がエージェントたちに向く。
「往きましょう、皆さま方。苦しみから解き放たれ天上へと向かうために、無知なる彼らに救いを差し上げるときです」
『無知なるものに、救いを!!』
「そんな簡単な救いなど……存在するワケがないのに……」
 『イル・マドンナ』の背後へ疾駆する茨稀の無感情な呟きに、ファルクが彼の肩に手を置くように答えた。
『……だな。けどな、それでも救いを求めてしまう……その心は本物だ』
「俺は。救いなど求めない。救いなど信じない」
 背後に滑り込まれたにもかかわらず、『イル・マドンナ』は茨稀のほうを見もせずにくすりと笑う。嘲笑とも、哀れみともつかなかった。
「頑迷な方。いっそ沈んでしまえば楽になれますのに」
 女は緩やかに詠い始めた。
「この身はすべて、皆様方の救いのために。ですから、どうか、皆様方も――」
 何かとても暖かいものに包まれたときのような眠気が茨稀を襲う。ファルクが茨稀の内側で警告をした時にはもう遅かった。女の死刑宣告が、頭の奥で不気味に響く。
「――私の救いのために、死になさい」

「ウソだろ、おい!」
 亮が味方の様子に気が付いて呻くのと、黎焔の静謐な声が響くのはほぼ同時だった。
『一人でも多く味方を治すんじゃ。このままでは押し切られるぞ』
「分かってる!」
 一番近くで自分に刃を向けていたヴィーヴィルにクリアレイを放つ。だがこちらを澱んだ目で見る真奈美には対応しきれず、バックステップで距離をとった。
「ヴィーヴィル、いけるか!?」
「まだ体は重てェがな、問題ねェよ」
 ヴィーヴィルが右手を掲げると、天井から無数の斧が刃を下にして降り注いだ。八人の信者たちは全員まとめて気絶させられた。
「ちょっとばかり眠って貰うゼ」
「ナイス、助かったってうおっ!?」
 亮めがけて大剣が振り下ろされ、辛くも身をよじって回避する。真奈美が切っ先を地面に突き刺して頭を振った。
「ええと……私、何してて……?」
「嬢ちゃん俺殺されかけたよ」
 とはいえ二人の洗脳は解けたが、微笑を浮かべる『イル・マドンナ』の傍らには茨稀が立っている。
「一人持っていかれたか。何とかなるか……?」
「ひとまずオレはこいつらを下に置いてくる」
「よろしくお願いします」
 一息で四人の信者を肩に担ぎ上げたヴィーヴィルは、片手をちょっと上げてから下へと降りていった。この分ではもう一往復しなくてはならないだろう。
「それじゃ、改めて!」
 あらわになったコンクリートを踵で踏みつけて真奈美が言葉を紡ぐ。
「あなた方は安らぎを得られる。私の軛は追いやすく、私の荷は軽いからである!」
 だが、そこで起きるはずの清らかなライヴスの流れは一切起こらない。真奈美は口に手を当てて叫んだ。
「え、あれっ!? どうして!?」
「無駄です。すでにこの地はわたしのもの。どれだけ足掻こうと、あなた方の地になる事はありません」
 『イル・マドンナ』が穏やかに諭すと同時に、茨稀が亮めがけて疾走した。何とか袈裟懸けの一撃をかわし切る。
「くそ、いいかげんにしろっての!」
 低くなった態勢のまま亮が仕掛ける。槍を『イル・マドンナ』の腹めがけて突き刺したが、ひらりとかわされてしまう。
「無駄だと言っていますのに」
 女を中心に風が吹き荒れる。生暖かいそれをしのいだ亮は、背中にぞわりと悪寒めいたものを感じた。
 四つの濁った瞳が、こちらを向いていた。
「……反則だろこれ」
「何のことやら。人を引き付けるのは聖人の特権ですよ?」


『状況はどうなってる?』
「ゼーラか!? どうもこうもあるか、二人洗脳された!」
 到着したゼーラの問いに亮が悲痛な叫びをあげると同時に茨稀が彼に斬りかかった。
「あら、まだ数がお増えになるのですね。とてもお強そうです」
 頬に手を当てる『イル・マドンナ』に対し蕾菜が一歩前に出た。
「下の方たちは、あなたが洗脳したんですか」
「洗脳だなんて。私を信じて集まってきてくださった善良な方々ですよ」
 セラフィナが決然と目の前の悪女に向けて言い放つ。
『貴方はあの人たちを道具にしか思っていないでしょう。もしあの中に貴方のやり方で救われる人がいたとしても……僕は僕自身の意思で自分の我儘を貫きます。僕はやっぱり、人が好きだから。自分にできることなら、助けたい』
 女はじっと真壁を、セラフィナを見つめると、笑顔も浮かべずに淡々と呟いた。
「綺麗なひと。清廉な魂の持ち主なのですね、あなた方は」
 じくり、と。女の声に淀みが溜まっていく。あるいはそれはもともと女の中にあったものかもしれない。
「私、そういうの見せつけられるのは大嫌いなんです。吐き気がしてしまう。引きずり込んでしまっても、よろしいですね?」
「させん」
 久朗が短く言い放つと彼を起点に清浄なライヴスがエージェントを包み込んだ。眉をひそめた『イル・マドンナ』が何事かを呟くが、何が起こることもなかった。
「私の技が効かない? 何か術を使いましたか」
『言ってろ』
 ゼーラが滑るように『イル・マドンナ』に接近する。槍を握る手に力を込める。柄を壊さんばかりに。
「天使ですか。聖母に刃を向けるとは面白い」
『君みたいな愚かな神が聖母を名乗るなんて虫唾が走るよ』
 槍を自分のほうに引き寄せると、一撃で刺し貫かんとゼーラが女の懐に飛び込んだ。
『死ねよ、神の名を貶めた偽の聖母。君に生きてる価値なんてない』
 平等に死をもたらす純白の天使の一撃が女を貫こうとしたが、その切っ先はなぜか彼女が立つ畳に向けられた。
「あら。しばらくは動けそうにありませんね?」
『ッ!!』
「落ち着け、あんたが乗せられてどうする!」
 真奈美にクリアレイをぶつけて亮が叫ぶ。『イル・マドンナ』は視線だけで殺すと言わんばかりの天使から興味なさげに目をそらした。
「わかりません。人は無数にいて、この世に不安と絶望を抱く。私はそんな方々に平穏をもたらし、幸福のまま死にゆく手伝いをしているだけ。どうしてあなた方はそんな私を否定するのでしょう? それは、彼らが求める救いをも否定しているとは思いませんか?」
 明らかな欺瞞に、かつて確かに救われた少女がきっぱりと告げる。
「能力者になった時点で、超常に救いを求める気持ちは分からないと言われればそれまでかもしれません。私たちはもう、超常になってしまったから。偽りでも神と戦える力を手に入れてしまったから」
 でも、と蕾菜はしっかりと『イル・マドンナ』の濁りきった瞳を見つめる。
「それでも、少なくとも”死”は救いではないと、それだけはわかります」
 だから、止める。
 死による救いなどありえない、と宣言する。
 『イル・マドンナ』はしばし身じろぎすることもなくそれを聞いていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……そうですか」
 嵐が吹き荒れた。
 茨稀とアンドリアナがなすすべもなく肉体の支配権をもぎ取られ、味方に刃を向ける。
「ならば私はあなた方を救う。あなたが否定した死によって」
 茨稀の剣が久朗を切り裂こうとするが、その前に亮が間に入り込んでクリアレイを浴びせた。
 ようやく自由を取り戻したゼーラに体を切り裂かれ血を吹き出してもなお『イル・マドンナ』は言葉を止めない。
「私には何もない。喰らわなければ、屠らなければ。私はもう後ろにも行けないのですから」
 
 四階の階段で真奈美が信者に向けてクリアレイを放つも、信者たちは口々に救済を叫びながら階段へと押し寄せてくる。
 ヴィーヴィルは彼女の肩をぐいと後ろに押しやると、信者たちに言い放つ。
「この先通行禁止。ってな」
 斧が雨あられと信者たちの真上から降り注ぎ、彼らはなすすべもなく再び意識を刈り取られた。
 だが、そのうちの一人が膝をつきながらも身を起こす。その目に濁った様子はない。
「……聖母様が……待っている」
 それを手刀で気絶させ、ヴィーヴィルが重い息を吐く。
「懲りねェな……」
「あの、この人たち、どうしましょうか?」
「寝かせとけ。それと、ここは任せた。いざという時は頼むぞ」
 もうあの技は使用できない。それを真奈美に悟らせることはないよう、あくまで尊大にヴィーヴィルは階段を昇って行った。
「あっ、ちょっと!? うう、この人たちが一斉に起き上がったらどうしよう……」

「あーあ、お前らはいいよな。そんな力があって。どうせ私なんか」
 どろりとした赤い瞳のまま、アンドリアナが久朗に襲いかかる。それを受け止め、久朗が低く重い声で言う。
「そろそろ正気に戻れ」
「……どうせ私なんか、簡単に洗脳されるような奴だよ」
 戦況はエージェント同士の戦いで混迷状態に陥っていた。『イル・マドンナ』はその好機を逃さず、ステンドグラスを叩き割って退路を作り上げた。
「ごきげんよう、エージェント。また会うその日まで」
 逃げられる。
 まさに窓に片足をかけようかとした時、女の体にいくつもの蝶がまとわりついた。
「なっ……」
「間一髪、ですね」
 蕾菜が勝ち誇って笑う。錫杖の先はまっすぐ『イル・マドンナ』に向けられていた。
 蝶が女のライヴスを貪り食う。まるで女が人々にしてきたのと同じように。
「どこ、まで……どこまで私の邪魔をすれば気が済むんだ、エージェントオオおおおおおおおおおお!!」
 完全に動きを封じられ、そのうえで耐久力を失った体をゼーラに切り裂かれる。
『君は、地獄で延々と燃やされるのがお似合いだよ』
 ついでアンドリアナに、久朗に攻撃されても、女は目を見開いて吼える。
 奴らを殺せ。
 お前たちの力で、奴らを押し潰せ。

『真奈美、気をつけろ。目を覚ますぞ』
「えっ? でも、今さっき気絶したばっかり」
 真奈美が監視していた信者が、突如として起き上がった。その動きはもはや人間の動きではなく、見えない糸で上から吊り上げられているようであった。
 信者たちは一体となって叫ぶ。
 聖母様を守り、敵対者に救済を。
「ああもう! あなたは、私に従いなさい!」
 催眠ガスを吹き出して真奈美が叫ぶと、とうとう信者たちは沈黙した。真奈美はその場にへたり込んで呆然と呟く。
「……怖すぎ」

 攻撃が不発に終わったことで、『イル・マドンナ』は完全に戦意を失っていた。
「……死にたくない」
 『イル・マドンナ』が呟くのと、茨稀と蕾菜が左右から攻撃を叩きこむのはほぼ同時だった。かは、と息が漏れ出るが、それだけだった。
「死にたくない」
 亮と久朗の槍が真正面から女を刺し貫く。なすすべもなく吹き飛ばされた女は、黒い箱にしたたかに背中を打ち付けた。ばさばさと箱の中で音がした。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない……」
 ぱきり、と女の頬が剥がれ落ちる。
 そこにあったのは筋肉でも骨でもなく、ただの空洞だった。
 ぱきり、ぱきり。女の体がどんどん空洞になっていく。何も詰まっていない体があらわになっていく。
「……せっかく、ここまで来たのに。自分の中のすべてを擦り切らして辿り着いたのに。こんなところで、死にたく、ない……」
 エージェントたちの様々な感情が込められた目の中で、『イル・マドンナ』はついに虚空へと溶け消えた。


「……こちら真壁、依頼は解決した。救急車両の手配と、この後の被害者の精神的なケアには十分留意してもらいたい。洗脳の影響が出てくるとも限らないからな。……ああ。よろしく頼む」
 廃ビルの五階で、久朗は通話を切った。セラフィナが彼を見上げる。
『どうでしたか?』
「善処してくれるそうだ。一連の事件を解決したには安すぎる報酬だ、と」
『よかった』
 セラフィナはちょっと微笑んでからあたりをぐるりと見渡した。五階は彼らと真奈美たちによって原状復帰が進められていた。すでに長椅子や絨毯、ステンドグラスなどはあらかた外に運び出されていた。
 そのとき、箱を調べていた真奈美が唐突に叫び声をあげた。
「ああっ!!」
「どうかしたか?」
「これ、見てください!」
 箱を覆っていた黒いベールの下には、所狭しと書籍が押し込められていた。それもただの本ではない。
『有名どころのほかにも、およそ研究が進められているすべての宗教の関連書籍があるが……原典はない。すべて研究者の解釈書だ』
 隠修士(aa4699hero002)が語る。奇妙な話だが、相手は人間ではなく異世界の住人である。自分の中のすべてを擦り切らした、と『イル・マドンナ』が漏らした理由は、
「宗教を暗記は出来ても、解釈はできなかったのか」
『ただ覚えるために自分の容量を増やした、ということですね』
 空っぽの体に知識を詰め込んだ偽りの聖母。
 ライヴスを喰うために自分のすべてを喰らった愚神の末路がそこにあった。

 廃ビルの前では『イル・マドンナ』に洗脳されていた元信者たちが地面に座り込んだり横になったりして体を休めていた。事件の解決に当たったエージェントたちは、彼らのライヴスと精神を安定させるために奔走していた。
 元信者たちの半数以上は洗脳されていただけだったが、半分は正しく救いを求めていた。彼らのショックはひどく大きかった。
「……そうか、そんなことが」
「はい。これから先どうしたらいいのか……」
「悪かったな。拠り所を奪っちまって。おっさんでよかったら話聴くぜ?」
 うなだれる男性に亮はかがみこみ、目線を同じにして表情を緩めた。
「あんたは何かできることあるの?」
「プログラムを、少し」
「そんなことできるんだ。いいよなぁ、どうせ私なんか何もできないよ」
 アンドリアナが卑屈な笑みにつられて男性も頬を少し緩ませた。アンドリアナにとって自分の価値を下げることなど問題ではない。それで相手を肯定できるのなら御の字だ。
「で、結局お前らの求める”救い”ってェのは何だ?」
 一方ヴィーヴィルとカルディア、ゼーラは座り込む人々を前にしていった。
「誰かを殺して得られるもンじゃねェだろ? そんなもン”救い”なんかじゃねェ。ただの、悪夢だ。自分の正義は自分で決める。それは普通だ。だが、それを押し付けンのはお門違いだ」
『君たちが信仰してた神は、あの女を通して信仰する必要があるのかい? 君たちが本当に神を信じるのなら、あの女がいなくてもきっと神は君たちのことを見てくれるさ』
 ゼーラたちの言葉に元信者たちは何度もうなずいている。虚しさで涙を流す者さえいた。
『彼方がたが殺しても、殺されても、世界は変わりません。己が”救われる”ため、”救われない”者がいる』
「何かを信じたければ、オレらを信じろ。愚神にすがって、自ら”救い”を放棄する必要なんてねェンだ」
 救いも赦しもすべて自分の中にある、とヴィーヴィルは白い髪をなびかせて告げる。
「それでも駄目なら、オレらにすがれ。悪夢はもう、終わりだ」
『君たちに神のご加護があらんことを』
 救済は紛い物だった。
 けれど、彼らの言葉は、行いは、確かに彼らの新たな依り代となりえた。
 その光景を遠くから眺めていた茨稀は、そっと息を吐いた。
「誰かが救いをもたらしてくれるなんて、ご都合主義ですよ。もしそんなことがあるなら……とっくに俺も救われてる」
『救われる、か』
 ファルクは風をジャケットに受けさせながら彼の言葉を反芻する。その目はただ青い空を眺めていた。
『けどな、なにを以て救いとするか……それはそいつ次第、ってヤツだぜ?』
 茨稀、とファルクは気の置けない友人のように問う。
『お前の救いって何だ?』
「……」
 茨稀は左手を見つめた後、空を見上げる。青空はどこまでも彼の視界を覆いつくしていた。

 この世に救いなどないかもしれない。
 それでも破滅から抗うために、人は確かに生きるのである。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 此処から"物語"を紡ぐ
    真壁 久朗aa0032
    機械|24才|男性|防御
  • 告解の聴罪者
    セラフィナaa0032hero001
    英雄|14才|?|バト
  • ひとひらの想い
    零月 蕾菜aa0058
    人間|18才|女性|防御
  • 堕落せし者
    十三月 風架aa0058hero001
    英雄|19才|?|ソフィ
  • HOPE情報部所属
    百目木 亮aa1195
    機械|50才|男性|防御
  • 生命の護り手
    ブラックウィンド 黎焔aa1195hero001
    英雄|81才|男性|バト
  • これからも、ずっと
    柳生 楓aa3403
    機械|20才|女性|生命
  • 捻れた救いを拒む者
    ゼーラaa3403hero002
    英雄|13才|?|バト
  • エージェント
    内田 真奈美aa4699
    人間|17才|女性|生命
  • エージェント
    隠修士aa4699hero002
    英雄|21才|女性|バト
  • ひとひらの想い
    茨稀aa4720
    機械|17才|男性|回避
  • 一つの漂着点を見た者
    ファルクaa4720hero001
    英雄|27才|男性|シャド
  • 捻れた救いを拒む者
    ヴィーヴィルaa4895
    機械|22才|男性|命中
  • ただ想いのみがそこにある
    カルディアaa4895hero001
    英雄|14才|女性|カオ
  • 捻れた救いを拒む者
    アンドリアナ クリスティーaa5079
    機械|14才|女性|攻撃
  • 捻れた救いを拒む者
    エルノ ゴールドビートルaa5079hero001
    英雄|18才|男性|ドレ
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