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最終発言2016/05/20 15:50:38 -
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最終発言2016/05/16 07:48:01
オープニング
●幸福な青年
半分開いた大きな窓からは初夏の心地よい風が入って来る。
部屋には巨大な寝台が置かれ、ひとりの青年が眠っていた。枕元のサイドテーブルには溢れんばかりのラベンダーを差した壺があり、上品ながらシンプルな部屋に彩りを添えていた。
「起こしてしまいましたか。申し訳ありません、へクター様」
部屋の片隅で書棚の本を整えていたスーツ姿の男が寝台の方へと振り返る。
「いいや、いいんだよ。今日もいい天気だね」
手を翳しながら、へクターと呼ばれた青年は寝台に横になったまま答える。
「そうですね。ずっと爽やかな天気が続いています」
男がそう答えると、へクターは少し笑った。
「そう言えば、サリーナは今日は────」
ちょうどその時、ドアが開いて栗色の髪の美しい女性が輝くような笑顔でラベンダーの花束を抱えて入って来た。
「おはよう、へクター! 今日は調子が良さそうね」
「おはよう、サリーナ。子供たちは?」
「ふふ、今、あなたのお父さんとお母さんと庭でポニーと遊んでいるわ。いくら欲しがったからって誕生日にポニーをあげるなんて。あの子たち、もう毎日あのポニーに夢中よ」
女性は笑いながら持って来た花束を壺の中のものと活け替えた。
「はは……。いいんだよ。ぼくはずっと、あの子たちに欲しがっていたポニーをあげたかったんだから」
嬉しそうなへクターの言葉を聞きながら、男は夫妻に会釈して部屋を出た。
●魔術師たちの企み
「そっちはどうだ、ライラ」
使用人に与えられた部屋に戻ると、スーツ姿の男────灰墨信義は自分の相棒に声をかける。
「おお、ずいぶんぐっすり眠ってるな」
まだ若い青年がテーブルに突っ伏していびきをかいている。ライラは青年の首筋に手を伸ばすと小さな機械を摘まみとった。蚊よりも細い針を持つそれは彼らの愛用する自白剤だ。
「やっぱり、この間以上の情報は得られなかったわ。そうね、一週間後の夜中二時ごろに来るってくらいかしら」
「上等だ。しかし、セラエノの奴、散々、丁寧に穏便に相手してやっていたのに今になって殴り込みとはね」
「仕方ないわよ。へクターが死んだらマジックアイテムもどこへ行くかわからないしね」
ライラの答えに信義は深いため息を吐いた。
「良くないの?」
「もってあとひと月、ってところか。このまま付き合うのもやぶさかではないが────ウチのような中小企業にセラエノのような大企業の相手はキツイ。気付かれたのが運の尽き、とは言え……」
「『本社』からはもうH.O.P.E.のエージェントたちに頼めって指示が来てたわよ」
「……個人的には、魔術師じゃない奴にオーパーツを触らせるのは好きじゃないんだが。
特に今回は例の短剣だ。壺が暴走してなきゃ、こんな仕事、さっさと仕舞いにしてた」
「──妹がヒーローにお熱だからって、嫉妬はよくないわよ」
灰墨信義とライラ・ライラ・セイデリアはパラダイム・クロウ社の『社員』だ。
パラダイム・クロウ社は世界蝕発現後に現れた新技術『魔術』を研究する企業である──と一般的には認知されている。だが、元を辿れば魔術を研究する小規模魔術結社であり、秘密結社セラエノに異を唱え、対抗すべく独自に活動する組織でもある。
へクターという大富豪の老人が裏ルートで幸福を見せるオーパーツ『マナシスの壺』を手に入れたのは半年以上前のことだ。本来なら近づいた者の深層心理を探り、その者が望む幸福な幻を見せるアイテムであるそれを、へクターは金にあかせて、どこかの魔術師に『自分専用』の幻を見せるように改造させた。へクターの望みは幸福な幻の中で死期を迎えること。今、『マナシスの壺』はへクターの失った家族の幻を彼に見せ続けている。
────それだけだったら、パラダイム・クロウとしては壺を監察するだけで済んだ。だが、問題は壺というオーパーツのその中に更にもうひとつのオーパーツが眠っていることだった。マナシスの壺の中には、今、セラエノが探している『生命の樹の短剣』の一本が眠っており、それは、壺の改造によって取り出すことは困難になっていた。
信義はスマートフォンを手に苦笑した。
「ソイツは街に返しておくよ。何事もなく、何事も気付かないように。ついでに俺は……H.O.P.E.に用心棒でも頼んでくるさ。短剣をどうするかはその後考える。穏便に済ませてやりたかったんだけどな」
●H.O.P.E.への依頼
「いや、オーパーツって言っても、ちょっと古くて設計図のわからない家電みたいなものですよ。
本来ならば、近づく者の幸せな幻を見せるモノなんですがね。今は所有する金持ち一人のために幻を見せていて、触っても何も起きません」
訝し気なオペレーターに信義は軽く笑って見せた。
「その金持ちというのが、我が社の取引相手で私の担当する老人なんですが……もうすぐ、死期が近づいているんです。今、彼は亡くした家族の幻を見て幸せな状態なんですよ。私はそのままで逝かせてあげたいんですが、なにしろモノは裏社会でも有名な逸品。今まで何度も壺を狙う悪党が現れては私を含めた我が社のリンカーが対応してきました。でも、今回はちょっと相手が悪くてですね」
パラダイム・クロウ社が、実は小規模な昔ながらの魔術結社の名残であることはH.O.P.E.でも知っている者はいるし、この場でも説明された。また、それを知らなくても、企業としてのパラダイム・クロウ社が研究のためにリンカーを雇い、時にエージェント紛いのことをしていることは有名だった。
「オーパーツを狙う、悪名高きセラエノって集団をご存知ですか? 今回、彼らが大挙して邸に突入してくるという情報を手にいれまして。さすがにセラエノ相手に我が社では手に余る。そこで、皆さまにお願いしたいんですよ」
信義はその場に集められたエージェントたちを見回す。
「老人と────壺の警護を」
そして、壺の中に隠された生命の樹の短剣『ビナー(理解)』の警護を。
パラダイム・クロウ社はかつて一度、エージェントたちに助けられたことがある。それゆえの今回の依頼だったが、灰墨信義は未だ短剣の存在をエージェントたちに明かすべきか迷っていた。
壺自体の改造は魔術師である自分たちでしか解くことはできない。セラエノに気付かれた今、短剣はH.O.P.E.に預けるのが妥当だと彼も思うが────。
H.O.P.E.のエージェントたちが老人と壺を守る力があるのか、そして守ろうとするのか。信義はエージェントたちの姿勢を見定めようと思っていた。
解説
●目的:壺と短剣をセラエノから守れ
●舞台
時間は26時頃
広大な庭の一角にある離れ。
へクターの眠る広い部屋とそれをぐるりと囲む廊下、北向きに大きな玄関。
廊下を挟んで台所、トイレ、風呂、小物置、使用人が控える部屋がある(それぞれ窓と廊下向きの入り口一つ)。
建物の周囲は東西南北ぐるりと5m程は芝生のみ。その先に林が広がる。
他の建物は相当離れているので気にしなくて良い。
へクターの眠る部屋:確りした造りの広い部屋だが、幻でほとんど出来ている。本物は寝台、書棚、坪の乗ったサイドテーブルのみ。広い窓は幻影で扉が一つあるだけである。幻は彼の生家。
へクター:大富豪であるが、壮年期に家族を全て愚神に殺された。それ以来、がむしゃらに働き、死期が迫った今、非合法なルートでオーパーツを手に入れ、幻の中で生涯を終えようとしており、それが本人の望み。
●セラエノ(ヴィランに近いリンカー)
第一部隊が空から屋根→各部屋の窓からの侵入を狙う(トイレは辛うじて人が入れる小窓、へクターの部屋は窓が無い)。
第二部隊は第一部隊から遅れて玄関からの手荒い侵入を狙う。
・第一部隊:マジックブルーム×2回分を封じたアイテムを使用し、空から近づく。
・第二部隊:セーフティガス×1回分を封じたアイテムを持ち、庭の四方から近づく。
・コマンド:指揮官。第二部隊に混じっており、彼を倒した時点で部隊は撤退する。首に隊員への通信を可能にする水晶の輪を嵌めている。ただし、彼が負けた時点で輪は砕け散る。クラス不明。
人数は第一>第二部隊だが、レベルの高さは第二部隊の方が上。
※ご注意
・NPC 灰墨信義&ライラ・セイデリアは交渉しても戦闘には参加しない。
・依頼人の希望により壺を壊すまたは幻影を壊す、へクター負傷等は絶対に避けてください。
リプレイ
●セラエノが欲するもの
林を抜けると丁寧に整えられた芝生が広がる。陽光を弾く白い壁で作られた建物はとある富豪の終の棲家だ。
「幻の中の暮らしか……まるでヤクだね」
「老人の孤独というものでしょう。そこが現実でなくとも、彼にとって今はそこが至福の現実なのです」
繰耶 一(aa2162)の呟きに彼女の影────サイサール(aa2162hero001)は答えた。
愚神によって家族を喪い、今その幻影に縋って逝こうとしているへクター。かつて何者かに故郷を滅ぼされ、いまだ身内すら見つからない繰耶は、この老人にどこか共鳴する思いを抱いていた。
「何ともキナ臭い。幻影を作るだけの壺をわざわざ大部隊で奪いに来るものかの?」
椋(aa0034hero001)はパートナーの秋津 隼人(aa0034)をちらりと見た。
「何か俺達の知らない事情があるのかもしれないね。でもそんな事はどうでもいい。命を懸けて得た物を狙われている人が居る……ならそれを護る、ただそれだけの事だよ」
「ふむ、まあ考えてもわからんしの。目的はシンプルでわかりやすい。存分にな、隼人」
ただただ護る。それは、隼人がそうしたいがため。
「彼は──最期までなにも知らないままでいいと俺は思う」
「んむんむ、そうじゃの。わしらが、がんばらねばな!」
そんな彼の後ろから威圧感のある長身の青年が声をかけた。
「秋津」
「真壁さん」
真壁 久朗(aa0032)は秋津の所属する小隊の隊長で彼が全幅の信頼を寄せる相手だ。
「こうしてゆっくり話す機会はあまり無かったな」
「一緒に頑張りましょう!」
真壁の隣で英雄のセラフィナ(aa0032hero001)が人懐こい笑みを浮かべる。
「君らの到着を待っていたよ。ようこそ、へクターの屋敷へ」
灰墨信義がライラを従えて現れた。
「さて、事前に色々準備があるんだって? 好きなようにやってくれて構わないが、あまり派手にならないよう気を付けて欲しいね。とりあえず、中を案内しよう」
前の歩く信義の後ろ姿を見ながら、沖 一真(aa3591)がぽつりと漏らした。
「へクターに残っているのは思い出だけ、か。その思い出の隅に俺達の存在も新しく加えてくれるといいんだけどな」
「贅沢言わないの。最期に最愛の人と一緒にいたいって気持ち、私には分かるな」
月夜(aa3591hero001)は己の過去を思い出して僅かに胸を痛めた。
一般の住宅に比べればずいぶん広い廊下を歩き、エージェントたちは使用人の為の部屋に案内された。信義とライラは彼らに屋敷の説明をするとへクターの部屋へと戻って行った。
「ふーん……特定の人物だけに幸せな夢を見せる壺、ねぇ。本当にそんな物の為だけなのかしらね?」
紫の瞳を細めて藤丘 沙耶(aa2532)が信義たちの出て行ったドアを眺める。
「それは解らないけど……仕事だから、ちゃんとこなしなさいね?」
「わかってるわよ、元に戻す手段があるのか、それともまた別の目的か……ま、とりあえず行きましょうか」
シェリル(aa2532hero001)に頷きながらも、沙耶はまだ納得がいかないようだった。
「ふぅ~ん、こーふくの幻ね~」
沙耶と同じような言葉を漏らしたのは青色鬼 蓮日(aa2439hero001)だった。
「……ソレは、現実から目を背けてイル……のでしょうか……ソレとも……」
幸福の幻、その言葉が鬼子母神 焔織(aa2439)の心に引っかかる。家族や親しい人を失った痛みは────焔織には、良く分かるのだ。しかし、縁あって彼が『蓮日さマ』と呼ぶ英雄は、彼の悩みを一蹴するかの勢いでこう言った。
「メーワクかけなきゃ自由だろーがっ。そ・れ・よ・り……芙蓉ちゃん! 芙蓉ちゃあああああんッッ!」
「蓮ちゃん、焔織くん」
溢れ出る母性を抑える素振りもなく、蓮日はあどけない笑顔を浮かべる蓮華 芙蓉(aa1655)に突進して行った。
セラエノの襲撃に備えてエージェントたちは庭や屋敷内に罠を設置することにした。へクターの最期のために用意されたというこの屋敷ではある程度の改造は許されていた。
「よし、やろう」
「ガンバロー」
白市 凍土(aa1725)がてきぱきと準備を手伝い始めると、シエロ シュネー(aa1725hero001)が元気にそれに続いた。そんなエージェントたちが居ると思えば。
「いっそ忍者屋敷にしちゃう~?」
「何言ってるでござるか! 駄目でござる!」
引板にウレタン噴霧器、簡易照明を抱えて、うきうきと楽しげな虎噛 千颯(aa0123)を相棒の白虎丸(aa0123hero001)が慌てて止める。ホワイトタイガーの被り物をしたこの真面目な英雄を千颯がからかって楽しんでいることを仲間たちは理解していたので、それぞれの作業に集中し特に止める者はいなかった。
「……花?」
漁網や鈴と一緒に並べられた花束に、繰耶は一瞬不思議そうに目を止めたが、それを拾いあげた海神 藍(aa2518)と禮(aa2518hero001)の仲睦まじい様子を見て、再び興味を無くして作業へ戻っていった。
「兄さん、へクターさんへのお見舞い、渡せそうですか?」
「そうだね、この作業が終わったらかな」
禮と話しながら海神は萎れないように花束だけを幻想蝶に仕舞う。海神もすっきしりない想いを抱えていた。
────余命幾許もない老人、待てば壷を手に入れる機会は有りそうだ、壷自体に急ぐ理由も見当たらない。情報通りの物ではないだろうか……?
「兄さん?」
鈴を持ったまま困惑した禮の声に我に返り、海神はまた作業に戻る。
────壺が本当に単なるまやかしを生むだけの物だったとしても。それは、老人が今際の時に縋りたいほど大切な、大切だった物なのだ。その遠き日の日常を、壊させはしない。
裏になにがあったとしても、それが海神が戦う上で大切なことなのだ。
沖と月夜は仲間たちとウレタン噴射機と応急修理セットを使って、トイレ、風呂、物置の窓を塞いでいた。
「台風対策してるみたいな気分だ」
「来るのは台風より厄介な連中だけどね」
窓の反対側、屋敷の中では秋津が汗を流しながら念のために通路を塞いでいる。
「いやあ、精が出るね」
ふらりと庭先に出て来た信義に向かって、窓の近くの屋根にオイルを塗っていた千颯は口を開く。
「信義ちゃん~、無事終わったら壺の中の本命教えてな~?」
信義が足を止め、続くライラが千颯を見たのがわかった。
「本命……? でござるか?」
一緒に刷毛を動かしていた、ちょっとオイルでしっとりした白虎丸が不思議そうに千颯に問う。
「正直この壺だけの為に大規模な襲撃は考えられないんだぜ、自分用に改造されたオーパーツならその価値も下がってそうだしな……それなら小競り合いで十分。でも、そうじゃないって事はこの壺の中に本命があるって考える方が自然なんだぜ。セラエノが喉から手が出るほど欲しいモノがな~」
手を止めた千颯は屈伸するように足を伸ばして屋根の上で立ち上がる。そうして、信義を見下ろすとにまりと笑った。
「んー、さしずめ、いま話題の生命の樹の短剣……とか? ま、俺ちゃんの予測だけどな~」
玄関をくぐった途端、ライラが笑い声を上げた。渋面を作った信義は己の英雄を軽く睨む。
信義が抗議しようとしたその時、再び玄関のドアが開いた。薄っぺらな笑顔を作って信義はそちらを振り返る。
片目を隠したバトルメディックは淡々と口を開いた。
「セラエノがわざわざ大挙して攻めてくる程あの壺が価値のある物なら、すぐにでも魔術で改造でもして回収することは出来たはず。それをしないのは……持ち主の為なのか?」
またこの問いか、と信義は内心ため息をつく。当たり前と言えば当たり前の疑問なのだが。
だから、信義はにこやかに答えた。
「もちろん」
「……俺達が任務を終えた後にその見解を聞かせて欲しい」
信義を見送った後、真壁は秋津を手伝うべく物置へと向かう。
────俺からしてみれば、謎の技術を持つ組織という点ではセラエノもパラダイム・クロウ社もあまり変わらない。だが彼等を明確に分ける点があるはずだ。こちらはセラエノや遺物に対して知識も対応力も劣る。今回の任務とは逆にパラダイム・クロウ社の経験を頼ることもあるかもしれない。
ドアの前に立つ秋津の姿を見つけ、真壁は足を止めた。どうやら信義との会話を聞いていたらしい彼は何か言いたげな視線を向けた。
「彼らが信念と道理を持ち得た組織なのかそれが知りたい」
────そしてそれを知りたいのは向こうも同じなのではないか?
真壁は先の香港での戦いで、異なる組織と協力する為には互いの持つ核を知る事が重要だと学んでいた。
「信念と道理ねえ」
真壁たちの会話を盗み聞いていた信義は使用人室のドアを静かに閉めた。もの問いたげなライラの眼差しに、彼は笑みを消した。
「へクターには悪いが、このままなら俺がどうにかして壺ごとの破壊を試みるしかないだろうな。
短剣がセラエノの欲する代物ならば、なんとしても渡すわけにはいかないんだ」
信義は窓から外のエージェントたちを眺めた。屋根の上や芝生で作業するエージェントたちは天命間近の老人宅の庭師にしては多すぎるし、きっとエージェントたちの視界を助ける照明は空からも林の中からもよく見えるだろう。
●襲撃
雲の隙間から見える星の輝きは夜の闇に僅かな光をもたらしていた。
繰耶は一週間の間に何度も行った下見とシミュレーションを脳内で繰り返す。
『セラエノ……殺しの術は心得てるでしょうし、女子供だろうが殺す冷酷さも持ってるでしょうね』
共鳴したサイサール(aa2162hero001)の物騒な呟きに、繰耶は淡々と答えた。
「目的のためには手段を選ばずか……殺しは、やらないよ?」
『フ……虚無に還してやりたいところですが、仕方ありませんね』
闇の中、薄い雲の流れる星空を見張る。空の高い所は風が速いのか、次から次へと流れる千切れた黒雲によって月を見ることは叶わなかった。
共鳴した白市、海神がぴくりとも動かず、屋根の上から夜空の彼方に目を凝らす。イメージプロジェクターで闇に偽装した千颯もどこかに居るのだろう。
千颯のフットガードによって足場を、秋津のライトアイによって視界をより確かなものにしたエージェントたちは敵の襲撃に備え神経を尖らせた。
少し冷たい風が頬を撫ぜる。
────花束を渡すのを忘れていたね……。
海神の独白に、共鳴した禮の気持ちが流れ込んで来たような気がした。そうだ、これが済んだら渡せばいいのだ。
星が消えた。
違う、何かが星の小さな光を遮った。
「……六、だな」
小さな声だったが白市の言葉は一瞬の静寂を縫って三人の耳に届いた。
────もうすぐ、あと少し。
闇に溶け込む藍色の人型が身体を捻って着陸態勢を取る────。
「皆、健闘を祈るよ!」
繰耶の鋭い声が夜の静けさを破った。
合図を受けたエージェント達が己の目を庇うのと同時に、繰耶の作り出した閃光弾が炸裂した。激しい光が闇に慣れたセラエノの第一部隊の目を焼く。
同時に千颯が手元のスイッチを軽く押すと、屋根と建物の周辺に設置した簡易照明が作動し明々と周りを照らした。侵入者たちの姿が光の中にはっきりと暴かれる。そして、千颯が発動させたライブスフィールドが範囲内の敵の抵抗力を奪う。
『どっかんするよー! おっきな花火をあげよー』
「だから派手に出来ないって……ま、打つけどさ」
白市が空へブルームフレアを打ち上げた。事前に能力を高めたライヴスの火炎が夜空を赤く染める。続いて地上から放たれた沖の鋭い雷撃。
炎に巻かれ崩れるように屋根に降りたセラエノの襲撃者たちに海神のエネルギー弾が撃ち込まれる。
『情報通りです。丁重におもてなししましょう』
盗聴を警戒して無線機ではなく海神が用意したライヴス通信機で、海神から第一部隊の数や状況が伝えられる。
襲撃者たちは一瞬膝をついたが、二名を残し、素早く屋根を滑って侵入口目指して外壁に取りつく。
残った二名は連携し────、一番近くにいた繰耶をターゲットに定めた。先程の閃光の効果か僅かにずれた一人目の攻撃を避けた繰耶の脇腹を、二人目の刃が深く刺す。
「……くっ」
滲んだ汗が滴り落ちた。
白市が繰耶を襲った敵の一人にリーサルダークを発動した。呪いを込めた闇が敵を襲う。だが、ダメージは与えられたものの、失神させることは叶わなかった。
敵の目を反らそうと海神が銀の魔弾を放つが、セラエノの襲撃者たちは狙いを繰耶から外すことは無かった。また一撃、鋭いタガーが繰耶を狙う。体術ですかさず攻撃を躱し、相手を組み伏せようとするが、相手も同じ回避を使う。一歩、下がったもう一人の襲撃者の指先にライヴスの炎が揺らめく……ブルームフレアだ。お返しとばかりに炎が三人を焼く。
●侵入
浴場と物置の窓から侵入しようとしたセラエノの襲撃者たちは窓が塞がれていることに気付く。暗闇の中、それがウレタンや気泡緩衝材、漁網等であることは判別できなかったが、それを壊し侵入するのに時間がかかることは明白だった。彼らは水晶の輪を装着した指揮官へと判断を仰ぐ。指揮官から台所、使用人部屋の窓が封鎖されていない旨の通信を得て、即座に一人は庭へもう一人は屋根へと移動した。
一方、台所の窓から室内へ侵入しようとした襲撃者だが、壁へと移動しようとした瞬間、オイルに足を取られた。バランスを崩したそこへ白いカード状の刃が襲い掛かる。
「人の眠りを妨げる不届き者はお前たちかー! ってな!」
『幸せな最期を迎えさせる為にも、お前たちには退場願うでござるよ!』
叫んだのはイメージプロジェクターで姿を隠していた千颯だ。どこぞから聞こえる声に彼は千颯の姿を探して狼狽えつつ、第二撃を避けるために上空へと飛び上がった。背中に張り付いた蜘蛛のような機械が小さな紫色の光を点滅させた。これがマジックブルームを封じたアイテムなのだろうか。空に浮かんだ敵は闇色に光るタガーを引き抜く。フットガードで足場を確保した千颯がラジエルの書を翳す。
使用人部屋に飛び込んだ襲撃者はしたたかに腰を打った。飛び込む寸前、屋根の一部が妙に滑っていたのだ。静かに侵入するはずがガラスを破る形になっていた。窓に張り巡らされていた漁網をタガーで破ったが、網に付けられた鈴の音まで断ち切ることはできなかった。痛む身体を無理やり引き起こし、周囲を警戒する。
────敵さんが暇じゃないなら普通は塞がれてない窓から入ってくるんだよ。
屋敷の地図を頭に叩き込んだ芙蓉は使用人部屋のドアを見守る。もう一か所の、敢えて閉じなかった侵入口である台所の方は屋外で戦いの音がする。
『足音で人数を把握しなんし』
共鳴した牡丹(aa1655hero001)の言葉に頷く。
屋敷内は秋津たちが設置した障害物があり、身を隠しながら戦うには充分だ。共鳴して成人した姿に変わった芙蓉は、背後のへクターの部屋の扉を改めて意識して、ハングドマンを構えた。反対側の廊下から秋津も来るはずだ。
静かにゆっくりと、芙蓉の目の前でドアノブが動く。
────へクターさん見てる幻って要は彼の心なわけよ。つまりだね?
「人の心に無断で入り込むのは無粋でありんすよっと!」
芙蓉の投げた短剣が身体を屈めて廊下へと身を滑らせた敵の身体を襲う。
────えへへー牡丹の真似!
しかし、短剣は当たったものの、敵はそれを軽々と引き抜いて廊下へと投げた。
計画通りならば、相手は千颯のライヴスフィールドで弱っているはずだ……芙蓉はすぐさまPride of foolsを抜いた。
「本当にどうしようもない場合は壺抱えて逃げ回るつもりだけど、絶対それはしたくないんだよ。部屋に入れず、こちらも入らずで倒すのが私達のお仕事なんだよ」
牽制するように、こちらを向いた敵の足元の床板を芙蓉は撃ち抜いた。
「1人の人間の生涯をかけた幸福……踏み躙るつもりなら、覚悟は良いんですよね?」
忍び寄った秋津はポルックスグローブをはめた拳を襲撃者の身体に叩き込む。今度こそダメージを受けた敵はよろめきつつも、振りかぶったタガーで秋津の腕を浅く裂いた。
────ちりん、ぱきり。
芙蓉の耳に小さな音を捕らえた。敵の背中越しに目線で合図を送ると秋津の表情が険しくなる。
もう一人来る。
●第二部隊
林に潜み、様子を伺っていた第二部隊の目の前で閃光が爆発し建物のあちこちに光が灯る。
────指揮官は暗視ゴーグルを首元にずらすと首元の輪に触れて仲間に警戒を促し、作戦の変更告げた。
「コチラ、情報係……ソウでスね……『鴉』と名乗りマス」
焔織はイメージプロジェクターで偽装しながら索敵し、状況を手元のスマートフォンに入力していく。画面に表示される地図は彼が用意したものだ。連絡も、彼としては通常チャンネルの無線を提案していたが、今回は扱いやすいライヴス通信機を使っている。
────……コンな術、知らなケレば、良かッタのデスが……。
『まーた自己嫌悪かっ! 要は使い方だ莫迦ものーっ!』
蓮日に叱咤されながら、今日までの間、何度も敵側になってシミュレーションを繰り返した彼は順調に敵の姿を見つけていく。
空から来襲した第一部隊、六名。うち、三名は屋根上の戦場を放棄して窓へ向かった。第二部隊は三名。彼らは警戒し、庭に設置した鳴子を撤去または避けて進んでいるようだった。そして、事前情報にあった首輪付きの司令官を発見することはできなかった。
────警戒されテ、いるヨウでスね……。
ひとり、目の前に居る襲撃者を観察する。焔織の足が柔らかい芝生を踏み込み、共鳴した焔織の髪が炎のような気を放つ。
「かの老人の幸福を……これ以上焼かせはしない……我此道場如帝珠……参る……ッ!」
一気呵成。重心をかけた強烈な一撃が敵の身体を捕らえ、相手の身体は地を滑り、間髪入れずに追撃。
激しい攻撃に相手は胃液を吐きながらも、よろよろと身体を起こし、懐から魔道書を取り出す。
沙耶は玄関前の林の中を静かに移動する。彼女がライヴスで作った鷹は上空を飛び敵を探していたが、木々が邪魔で中々見つけることはできなかった。だが、鷹の瞳は地上ではなく空でそれを見つけた。
「────鷹?」
明るくなった地上の光に照らされて、それは彼女の鷹とよく似た影となって横切った。嫌な予想が頭をよぎる。
その時だった。沙耶が先の茂みの人影に気付いたのは。
それは設置した引板──鳴子のロープを慎重に切っていた。
沙耶の持つ無形の影刃のレプリカが影の斬撃を放つ。距離を取り、木々の陰から打ち出したその一撃が直前に振り向いた敵の身体を捕らえる。不意の攻撃に敵は沙耶の姿を探した。だが、彼が彼女を見つけるより早く、雷撃が投げ込まれた。
「今のうちに言っておこうか。こっから主導権を握るのは”俺達”だ」
その言葉に敵は沖の存在を感知し、黙って目標を沖に定めた。沖と反対の位置を取った沙耶は次の一撃を狙う。
だが、沙耶の背後から殺気が襲う。放たれた銃弾は身を翻した沙耶の髪数本を浚っただけでそのまま玄関付近に着弾した。同時に、激しく花火が爆発する音がする。
花火の鮮やかな光の中、沙耶は自分を狙った襲撃者、そして、さらにその後ろから現れた三人目に気付く。
「やれやれ、流石に二人で相手出来る数じゃねぇからな……」
次の瞬間、沙耶がロケット花火を放り投げた。再び空気を揺るがす喧しい破裂音に襲撃者たちが怯んだ隙に、沙耶と沖は一旦、離脱を図った。
ライトアイをかけた秋津が去った後、真壁は玄関の上、エントランスキャノピーに登る。フラッシュバンの閃光と簡易照明の点灯で戦いの始まりを確認する。スナイパーゴーグルを装着した彼は、身をかがめて静かに周囲を監察した。第二部隊の姿はない。
焔織から送られたデータに掲載された敵の数はエージェントたちより僅かに多い。それは、今まで信義が『穏便に』セラエノのオーパーツ奪取を邪魔をしてきたせいもあるだろうし、今回、それだけセラエノ側が本気だということでもある。
ならば。
────エージェントの迎撃に気づいたセラエノ第二部隊が突入場所を変更する可能性。
それを危惧した彼の読みは、はたして的中した。
玄関付近で花火の爆発音がし、その後、使用人部屋の窓へと芝生を走る人影が見えた。その数、四。ひとりは焔織が相手をしているはずだ。走る襲撃者のうち一名の首元にきらりと光る首輪が見えた。それを追って真壁は素早く屋根の上を移動する。
通信機で敵の位置を仲間に伝えながら、沖と沙耶は彼らの後を追う。敵が玄関ではなく、使用人部屋の窓際に向かっていることに気付くと、沖たちは頷き合った。他の仲間はまだそれぞれの場所で戦っている。
だが、セラエノの襲撃者たちは、使用人部屋の下に着くとぴたりと足を止め振り返った。
戦闘服を身に纏った四名のうち一人の首元が間接照明の明るい光できらりと光った。
「……沙耶、奴がコマンダーだ!」
沙耶の影刃が襲撃者たちを襲う。両腕を翳し、顔を守った襲撃者たちは、それぞれ自分の得物を構えた。
沖の力で不浄の風が発動し、相手の能力を劣化させたことがわかった。
だが。
指揮官の前に並んだ襲撃者たちは沖と沙耶へ向かって両手を翳した。身構える暇があらばこそ、ライヴスの火球が炸裂し、衝撃と熱が二人を襲う。
ぱたり、倒れる沙耶。よろめきながらも沖は仲間を守ろうと踏みとどまった。そんな沖を見て水晶の首輪を着けた襲撃者が一歩、前に進む。袖から艶を消した黒い刃が現れ、それが沖の胸めがけて突き出される。
「ここは通さない」
屋根より飛び降りた真壁の盾が沖を護る。
ついで、ケアレイが沙耶を癒した。
「煉獄浸蝕!」
沖がにやりと笑い、お返しとばかりにブルームフレアを、回復した沙耶が影刃を放った。
傷を負った侵入者の一人が舌打ちをし、掌サイズのライターのようなものを地面に叩きつけた。途端、封じ込められたガスが噴出した。しかし、それだけだった。
沖と沙耶の脳裏に信義の言葉が蘇る。彼はセラエノ第二部隊は『セーフティガスを封じたアイテムを所持している』と述べなかったか。セーフティガスは能力者に限り、生命力が五パーセント以下でその力を発揮する。二人の前でじっと敵を見据える真壁はそれを警戒しているのだ。
手を読まれていることを悟った指揮官は即座に目的を屋敷の侵入へと切り替えた。残り三人は真壁たちに相対し、再びブルームフレアを発動させる。指揮官自身は窓へと手をかけた。
『ヘクターさんの幸福を侵させはしません!』
真壁と共鳴したセラフィナが叫ぶ。すると、その声に答えるかのように影が建物の壁面を一度蹴り、指揮官の肩口に激しい蹴りを浴びせた。
「焔織!」
沙耶、沖は目線を交わした。沖の声に焔織は振り返らずに頷き、沖は小隊【暁】の仲間、焔織を信じた。
真壁のケアレインが焼かれた肌を癒す。セーフティガスを封じられた襲撃者たちはいらついたように魔導書を取り出した。
連続で撃ち出される魔力のカード。攻撃をかいくぐった沙耶の影刃、沖の雷、そして、焔織の重い一撃が敵を一体ずつ屠っていく。
真壁は槍を大振りに薙いで襲撃者たちの中に飛び込んだ。沙耶と【暁】の二人の動きを邪魔しないよう、しかし立ち止まらず敵を攪乱し、時に盾になり味方の傷を癒しながらも指揮官へと迫る。敵の攻撃は経験を積んだバトルメディックである真壁に深い傷を負わせることは難しく、それは指揮官も例外ではないようだった。
真壁は秋津と連携を取った捕縛も考えたが、秋津の居る室内での戦闘はまだ続いているようだった。やがて、他の三人を倒した【暁】が真壁の元へ駆けつける。
「だから、最初に言ったろ。こちとら最初から先手を取ってんだ」
『”私達”が、ね』
沖の言葉に月夜が応える。
そして、戦いの末、真壁の槍が指揮官を削り取った。
その瞬間、白い光が弾けた。
水晶の首輪が砕けたのだ……。
重い音を立てて、指揮官は芝生に倒れ伏した。
室内での戦いは続いていた。
硬直化した戦いの中、芙蓉は第二部隊へと残していたスキルを使うことにした。ジェミニによって現れたもう一人の芙蓉が障害物を乗り越えながら敵を挟んで逆に走り同時に敵を撃つ。幻影が消えたと同時に二人目の襲撃者が芙蓉へ長剣を振り下ろす。
ガツンッ、秋津のライオットシールドがそれを受け止めた。跳び退る襲撃者を横から抜くようにもう一人の敵がタガーを振りかざす。それを避けた芙蓉の縫止が敵を絡めとる。そこへ秋津の一撃が加わり、一人目の襲撃者は崩れ落ちた。
その時だった。
突然、室内に居た襲撃者は大きく後ろへと飛んだかと思うと、侵入した窓目がけて走り出した。
秋津は今倒したばかりの敵が這いずろうとするのを見て、即座に服で縛り上げる。芙蓉はそれを手伝い、秋津の取り出したそれにぎょっとした。
屋根上では膝を折った繰耶を守るように立った海神と白市の戦いが続いてた。繰耶は荒い息遣いで幻想蝶から取り出したロシアンパインケーキを頬張る。
「……不味い」
口元を拭うと、銃口を敵に向けた。
「爺さんは余生を楽しんでんだ……邪魔するな」
だが、繰耶の銃弾は敵を仕留めることは無かった。ふわり、彼らは身を投げるように夜空の中へと消えて行った。
指揮官が倒されたのだ。
●まやかしの中の大切なもの
秋津のウレタン噴霧器で服ごとしっかり固定されたセラエノの襲撃者一名の確保に成功したものの、その処遇について信義とエージェント側で揉めた。信義は自害される前に自分たちに襲撃者を渡してほしいと主張したのだ。バトルメディックたちに傷を癒されるエージェントたちの前で信義は譲らなかった。
「恐らくH.O.P.E.でこいつは話すことは無いだろう。依頼側である俺たちに任せて欲しい」
話し合いは続いたが、最後は信義の希望が通った。
「俺達は烏合の衆では無い。魔術師の事は魔術師に任せる」
真壁の言葉に、信義は初めてにやりと笑った。
そして、襲撃の夜からしばらく後、エージェントたちはふたたびへクターの屋敷へと呼ばれた。
ドアを開けたのは焔織だった。彼は信義に頼んで蓮日と共にへクターが逝くまで黙ってへクターの傍に付き添ったのだ。
屋敷内は秋津が先導して片付けたお陰で以前の静かな状態に戻っていた。ただ、違うのは家主が居ないことだけ。
「さて、頼み事ばかりで心苦しいが、へクターが逝った後、君たちに頼みたいことがある」
へクターの部屋に入ると、信義はそう切り出し、寝台に一本の繊細な金細工の短剣を置いた。
「これが何だか、今さら私が説明しなくとも虎噛君はご存知の様だけどね」
笑みを消した信義はぐるりとエージェントたちの顔を見渡した。
「世界樹の短剣の一本『ビナー(理解)』。我々はセラエノを追っていてこれを見つけた。君らがしつこく気にしていた今回のセラエノの目的かつ、壺の中身はこれだよ。壺から取り出すのに時間がかかったが、これを君らに預けたい。
────H.O.P.E.もこれを集めているんだろう? 君らなら、セラエノと張り合うことができるだろうしな」
そして、彼は腕のバングルを操作した。空間に画像が浮かぶ。
「それから、『ビナー』に免じて」
それは拳大の複雑な文様がついた物であった。縄文土器のような模様が刻まれており、洋風の陶器のようにも見える。
「これはオーパーツ『メリオンテ』。ライヴスで駆動する機械を停止させる力を持っている。
先日、セラエノがこれを使ってロンドンで大停電を起したらしいな。セラエノと戦うなら知っていて無駄ではない情報だろう。君らがこの情報を理解して活用してくれることを願うよ」
一方的に話すと信義はエージェントたちに背を向けてドアへと向かった。
「後は勝手に帰ってくれて結構だ」
「Mr.へクターは本当の家族に会えたのでしょうか」
サイサールの問いに繰耶は答える。
「もう、寂しく思う事もないだろうね……」
「虚無に還り、そして孤独から解き放たれよ……」
エージェントたちは胸に手を当て、へクターの死を弔った。そこは以前見せて貰った部屋とは全く違っていた。清潔な白い床と壁、線を外された医療機器が並ぶ窓の無い部屋。唯一、枕元の花瓶は同じものだったが、活けてあるのはラベンダーではなく、多少萎れた花束だった。
────追憶の花、思い出……か。
禮の渡した花束を見ながら海神は幻が作ったラベンダーに思いを馳せた。
今はもう消えてしまった記憶の中の花はなによりも美しい。幸福な日々が失われたこともその日々の価値も、へクターは理解していたのだろうか。
ふと、誰かが息を飲んだ。自然とその場の全員の視線が空っぽの寝台に向けられる。
そこには豊かな髪に緑の葉を挿した女性が寝台の縁をそっと優しく撫で────消えた。
「あの人、幸せそうだったわね、沙耶。貴女も、何か思う所があったのじゃない?」
「たしかに、例え幻だったとしても、幸せだった家族との日々、それをもう一度感じられるなら……そう思わなかったなんて言わないわよ。でも」
シェリルの問いに沙耶は言葉を区切り、はっきりと答えた。
「でも──ただの、幻だ」
屋敷を振り返り、シエロは呟いた。
「人の命は直ぐに尽きるもんね」
「だから最後くらいは望む形で終わりたいって思うんだ」
「そだねー」
「上に行けるように──」
白市の言葉に彼の英雄は綺麗な笑顔を浮かべた。
「うん、祈ろっか」