本部

愛する者の胸に眠れ

白田熊手

形態
ショートEX
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
6人 / 4~6人
英雄
6人 / 0~6人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/03/07 17:39

掲示板

オープニング

●スコットランド某湖畔、ロンスキ邸
 暗い部屋の中、小さなランプの光に一人の男の姿が浮かぶ。男は何か書き物をしているようだが、時折苦しげな息遣いと共にその手が止まる。
 理由は明かだ。過ぎ去った長い時を示す深い皺と、隠しきれない衰弱の色。男が病に蝕ばまれていることは、医者でなくとも分かる。だが、男は医者を必要としなかった。彼が欲するのは、長く不自由な余命ではなく、短くとも自由な時間だ。
 カツン、と、小さな音が鳴り、男の手が止まった。どうやら書き物を終えたらしい。男は、大きな息を吐くと、書き終えた手紙を二枚、二つの封筒に入れ薔薇の封蝋で閉じる。
 ――ニャア
 それを待っていた様に、男の膝に一匹のシャム猫が飛び乗る。男と8年の歳月を共にしたその猫は、男が書き物をしている時はどれ程甘えても無駄だと言うことを知っていた。猫は男の胸に顔を擦り付け、撫でろという風に顎の下を見せる。胸元の、『WZOR』と刻まれたプレートが鈍く光った。
 催促に応じ、男がその首元を撫でてやると、猫は気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「ウズル、お前を残して行くのは心残りだが……」
 男はそう呟くと、机の上の写真立てを手に取った。美しい女性と、その女性に抱かれた小さな男の子。男の失った全てが、古い写真の中に閉じ込められている。
 男は泣くのが嫌いだったので、その写真を見る時いつも奥歯を噛み締める。だが、今日はその努力を放棄した。そんな気分だった。
「エミール……」
 呟きと共に零れた水滴が、写真に書き付けられた『Vnro.Nb wziormt hlm.』という文字の上に落ちる。
「お前を通した狭き門は私を拒むだろう……生きて失ったものを、死んで取り戻せるはずもない」
 独り言ち、男はしばし沈黙した。
「愛しき者と別れ、相応しい場所へ行くのだ――」
 吹っ切れた様にそう言うと、先程封をした二枚の封筒を手に取る。一つの封筒には『Hvozvml』もう一つには『SLKV』の文字。二つの文字を暫く眺めた後、男は『SLKV』の方を指でなぞった。
「『希望』か……老人には無縁の言葉だ」
 だが、あと少しだけ我が儘に付き合ってもらう――男は思い、静かに両目を閉じる。
「それでいい――」
 数日後、男――マルチン・ロンスキは静かに息を引き取る。高名なオーパーツ研究家であった彼の死は世界中に伝えられたが、最後を看取ったのは愛猫ウズルだけであった。

●数日後
「ここには何もないのね」
 夫の書斎を覗き込んだロザリー・ロンスキは呟く。本棚と椅子、小さな引き出し付きの机。それだけの家具しかない。
 この部屋だけではない。マルチンの葬儀を終え人心地付いたロザリーは、夫が終の棲家とした家を見て回ったが、どの部屋も最低限の家具しかない。飾りと言えば、各部屋に絵が飾られている位のものだ。
 十数年前、ロザリーがまだマルチンとやり直せると思っていた頃、この家にはまだ多くの物が置かれていた。その時から今日までの間、マルチンは家にあった物を一つ一つ捨てていったのだろうか? 思い出を消し去るかの様に――ロザリーは苦い笑みを浮かべる。
「あの人は、私のことも捨てたかったのね……」
 マルチンにとって最も苦い過去。愛する息子を失った思い出は、その母親であるロザリーと分かち難く結びついている。マルチンが過去を消したかったのだとすれば、何より捨てたかったのは自分だろう。
 マルチンと共に生きようと思った事を、今更後悔するつもりはない。けれど、虚しさを感じないわけにはいかなかった。この家の様に自分も空っぽに……。
「あら?」
 ロザリーの足下に、一匹のシャム猫がすり寄る。
「ウズル……だったかしら?」
 マルチンが生前可愛がっていた猫だ。誰かが引き取ったものと思っていたが、どうやら置き去りにされたらしい。
「お前を置いて天国へ行くなんて、最後まで無責任な人だわ……」
 ロザリーはそう言ってウズルに手を伸ばす。ウズルはその手をするりとかわし、トコトコと書斎の中へ入って行った。
「どこへ行くの?」
 ロザリーもそれを追って書斎へ入った。ウズルは机の上に寝そべっている。ロザリーは手を伸ばし、ウズルを抱き上げる。そして、寝そべったウズルの下にある物に気付く。
「これは……?」
 薔薇の封印がされた封筒。それは、マルチンが残した最後のプレゼントであり……そして、それは――。

●HOPE支部、ブリーフィングルーム
「知っている者も居るかもしれないが、先日、高名なオーパーツ研究家のマルチン・ロンスキ博士が亡くなった」
 担当官は集まったエージェントを前にそう切り出す。
「博士は隠遁生活を送っていたが、研究は高い評価を受けている……その博士から、先日HOPE宛てに手紙が届いた。手紙は博士の妻君が届けてくれたんだが、それによると、博士は未解明だったあるオーパーツの使用法を発見したらしい。手紙には、その使用法とオーパーツをスコットランドにある自宅に隠したとある……そう、隠したんだ」
 そう言うと、担当官は薔薇の封蝋がされた封筒を見せる。
「Under the Rose……古い諺で、秘密という意味だ。洒落てるね、屁が出そうだ……悪質なことに、博士はセラエノにも同じ手紙を送ったらしい……なんでわかるかって? 手紙に書いてあったからだよ。博士は我々と連中が争うのを天国から見物したい様だ。全く、いい趣味だ」
 担当官は苦い顔で笑う。
「残念なことに、HOPEは現在スコットランドへ向かえる暗号解読班を持っていない。そこで君らの任務だ。暗号解読班が到着するまで、博士の自宅をセラエノから守ってくれ」
「暗号? 解いてくれるならそれに越したことはないね。オーパーツの在処が分かれば襲撃からも守りやすくなるし、手間も省ける……博士から送られてきたヒントを見せよう」

『エレミヤはバビロンを秘した。我が秘密は愛する者の胸に眠る』

「けど、解けないなら無理しなくていいよ。大事なのはオーパーツを手に入れる事よりも、それをセラエノに渡さない事だ」

解説

●目標
 オーパーツをセラエノから守る。

●登場
『セラエノ特殊部隊』
 HOPEの情報によれば、『探し手のロイ』と呼ばれる腕利きのソフィスビショップが率いる6~8人程の小部隊ではないかとのこと。

●状況
 マルチン(Marcin)博士宅には部屋が6つ。書斎を除く部屋にはそれぞれセザンヌ(Cezanne)、クリムト(Klimt)、ダリ(Dali)、ルノワール(Renoir)、ユリトロ(Utrillo)の絵が飾られている。
 書斎には絵がない代わりに写真が一つ。女性に抱かれた小さな男の子。写真の下には教授の筆跡で「Vnro.Nb wziormt hlm.」の書き付け。
 女性は妻のロザリー(Rosalie)、男の子は息子のエミール(Emil)。エミールは既に事故で死亡。この頃から博士は妻を含め全ての人間を寄せ付けなくなった。
 博士は晩年ウズル(Wzor)という猫を可愛がっていた。偏屈な博士が心を許したのはこの猫だけだったとの事。
 手紙には謎の一文『エレミヤはバビロンを秘した。我が秘密は愛する者の胸に眠る』。

 各部屋には窓があり、敵はどこからでも襲撃が可能。彼らの目的は戦闘ではなく、オーパーツの奪取です。目的を達したら早々に退却します。部屋から部屋への移動は2ターン掛かります。
 暗号解読班には別途護衛が付きます。博士の妻ロザリーと猫のウズルは安全確保のためHOPEで保護中。

 現在の情報から確実に判明するのは、オーパーツの隠された場所だけです。オーパーツは金庫(ダミーもあります)に入っており、開けるにはパスワードが必要です。金庫にはパスワードのヒントとして『Nb hlm'h mznv.』と書き付けられています。

リプレイ

●スコットランド某湖畔・ロンスキ邸
「話しに聞いた通り、殺風景な家だな」
 故マルチン博士の自宅に着いた早々、マックス ボネット(aa1161)はそう言った。
「掃除は楽そうだけど……寒そうね」
 がらんとした部屋に、稲穂(aa0213hero001)は所帯じみた感想を漏らす。
「博士の心の様だと言えば、少し気障かな」
 寒々しい家の様子に、賢木 守凪(aa2548)はいささか感傷的な台詞を吐く。襲撃に供え、相棒のカミユ(aa2548hero001)とは共鳴済みだ。
「じゃが、この家にオーパーツが隠されておるのじゃろう?」
 そんな中、一人カグヤ・アトラクア(aa0535)はやる気満々だった。
「オーパーツにセラエノ! 謎の超技術と世界の謎に挑む秘密結社が相手とは、興味が尽きぬしどちらも欲しいのぅ」
「博士の遺産です。所有権は夫人にありますよ」
 カグヤの言葉を聞き咎め、クレア・マクミラン(aa1631)は軽く釘を刺す。
「興味があるという事じゃ……本音を言えば欲しいがの」
 終わりの部分は少し小さな声で言う。
「しかし、オーパーツは暗号を解かねば手に入らぬのでござろう?」
「担当官さんは解かなくてもいいと言ってましたが、守る物がどこにあるかは知っておいた方がいいと思って、封書のコピーを貰っておきました」
 小鉄(aa0213)の言葉に姚 哭凰(aa3136)はそう答えると、封書のコピーを取り出す。賢木もカミユが取ったメモを皆に見せる。
「こちらも使ってくれ」
「助かる。で、こいつがその暗号ってやつか。何て書いてあるんだ?」
 メモを受け取り、マックスはそれを眺めながら言う。
「オーパーツを自宅に隠た事と、隠し場所を暗号で記した事、同じ手紙をセラエノにも送った事。それから隠し場所のヒントとして『エレミヤはバビロンを秘した。我が秘密は愛する者の胸に眠る』これだけです」
「はて、博士殿は何故セラエノにも手紙を送ったのでござろうか……」
「うーん、本当に謎だらけね……」
 姚が語った手紙の内容に小鉄と稲穂は首を傾げる。稲穂はクレアの方を向いて聞く。
「クレアちゃんスコットランド生まれよね、何か分かる?」
 稲穂に問われ、クレアは手紙を睨み付けた。
「クレアちゃん、謎は解けた?」
 難しい顔をするクレアに、リリアン・レッドフォード(aa1631hero001)はそう問いかける。
「いや、さっぱり。だが、スコッツの言語ではないな」
「スコッツのあんたが言うなら間違いないな」
 クレアの言葉に英国人のマックスが頷く。
「どれ、わらわにも見せてみよ……」
 カグヤは手紙を手に取り黙考する。皆静かにそれを見守ったが……。
「うむ……」
 カグヤは手紙をスッと姚に返した。
「わらわ哨戒してくるのじゃ……ライヴス通信機を入れておくから、何かあったら知らせるがよい」
 そう言うとカグヤは皆の輪から外れる。デブ猫の着ぐるみを着たクー・ナンナ(aa0535hero001)もその後を追う。
「暗号には興味ないの?」
「専門外じゃ。解こうと悩む時間が無駄じゃから、皆に任せた!」
 眠そうな声で聞くクーの疑問にカグヤはそう答える。
「博士の思惑なんぞは知らん。今のうちに潜入出来そうな裏口や窓の位置。周囲地形・歩道や車道、確認出来るものはすべて確認して頭に入れておくかの」
「私も外させてもらおう。まぁ、適材適所さ、私はこっちの方が得意だ」
 クレアとリリアンも謎解きの輪から外れる。残された面子はもう一度手紙に目を落とした。
「暗号か……これを解くことが博士の想いを汲むことになるのなら、精々励むとしよう」
「頑張るねぇ。まぁ、ボクも程々にぃ協力するよぉ?」
 賢木の言葉にカミユもそう応える。
「手紙が置いてあったという書斎に行ってみよう。手がかりがあるかも知れない」

●書斎
「なぁんにも無いねぇ」
 机と幾つかの書架だけが置かれた書斎を目にし、カミユはそう感想を述べた。
「ロザリー様が仰っていましたね、博士は思い出を捨てる様に何もかも捨てたと」
 寒々とした部屋に、十七夜(aa3136hero001)が呟く。
「だとしたら、残されたのは捨てきれなかった想いだ」
 賢木は机の上に置かれた写真立てを手に取る。
「奥様と……この男の子は?」
 十七夜は男の子を指して聞く。
「事故で亡くなったという博士の息子だろう……何か書き付けてあるな」
「『Vnro.Nb wziormt hlm.』これも暗号?」
 姚がそれを読み上げる。小鉄と稲穂も脇から写真を覗き込んだ。
「ふむふむ、なるほど……」
「分かるの、こーちゃん?」
「せ、拙者異国の言葉には弱い故……」
「……うん、私達は身体を動かしましょうか」
「オヂ様、ヒントになりそうなのは、封筒に書かれた宛て名じゃないです?」
 皆の注意が写真に集中する中、ユリア シルバースタイン(aa1161hero001)は封筒を眺めそう発言する。
 賢木と姚は得心する所があるようで、顔を見合わせて頷いた。
「封筒に書かれた『SLKV』の文字。多分これ暗号ですよね」
「『SLKV』は『HOPE』を表していると考えると……これはローマ字に対応しているのではないか?」
「なるほど、『SLKV』が『HOPE』と読めるとしたら……アルファベットを、AからZまで書いてと……」
 マックスはA~Zまでの文字列を書き、Hの下にS、Oの下にL……と、それぞれ当てはめる。
「逆さまになってるんじゃないですか?」
 文字列を睨み付けるマックスに、ユリアが横から言った。
「英字の並びです。つまりAがZでBがYと言う風に……」
「そうだな、A~MがN~Zに対応していると考えると……」
 賢木も同じように考え、マックスの書いた英字列の下にZから始まる逆向きの文字列を書き足す。
「謎が解けたのでござるか?」
「もう私達にはさっぱりよ……」
 置いてけぼりにされた小鉄と稲穂は半ばパニック状態だが、5人(と共鳴中のカミユ)は構わず解読を進めてゆく。
「試してみましょう」
 姚は『Vnro.Nb wziormt hlm.』の文字を書き写し、対応表と見比べながらその下に文字を書き連ねた。
「アルファベット順を逆に置き換えると……Emil.My darling son.」
「エミール、我が愛しい息子……だろうか」
 その文字を賢木は呟く様に読む。そしてつと思考を巡らせる。
「『我が秘密は愛する者の胸に眠る』博士の手紙にそう書かれていたな」
「愛する者……エミール殿の墓でござろうか?」
「いえ、手紙では『自宅』に隠したと……家の中にあるはずですよ」
「他に博士が愛したであろう存在の名前を書き換えると別れた奥さんは……Ilhzorvか、駄目だな」
「オヂ様、ロザリーさんとマルチンさんとは離婚していません」
 マックスの間違いをユリアは軽く訂正する。
「後は……博士は猫を飼っていたな?」
「名前は確か……ウズルですね」
「綴りは『WZOR』だ。胸元のプレートに書かれていた」
 姚の言葉を継ぎ、賢木がそう答える。
「なるほど、じゃあ同じように『WZOR』を書き換えると……『Dali』だ」
 マックスの言葉に、姚は思い当たるものがあった。
「各部屋には絵が飾られてるって、夫人が言ってました。誰の絵かまでは憶えてせんでしたけど」

●ダリの間
 さほど広い家ではない。すぐに目的の絵は見つかった。
「どうしたんだ?」
 部屋ではクレアが鳴子の罠を仕掛けている所だった。連れ立って現れた一行に、クレアとリリアンは訝しげな顔を向ける。
「実は、秘宝がこの部屋にある様なのでござる」
「わあ、すごいです。小鉄様が暗号を解いたのですか?」
「小鉄さんは忍者だから、暗号解読とか得意なんだな」
 小鉄の言葉に、リリアンは屈託のない笑みを浮かべて、クレアは感心した様に言う。
「あ、いや……」
「こーちゃんはそういう系の忍者じゃないから……」
 稲穂のフォロー(?)を受け、小鉄は事のあらましを二人に伝えた。
「なるほど、それでこの部屋を」
「最期まで傍にいたのは猫だというし、今言った法則で『WZOR』を変換すると『Dali』になる」
 言うと、賢木は部屋の中を見回す。他と同じようにこの部屋も空っぽだ。目を引くのはやはり壁に掛けられた絵。
「ダリの絵の裏辺りに何かあるとビンゴだけど……この部屋は北側だったりするかな?」
 姚はダリの絵を額ごと壁から外した。だが、後ろは白い壁。
「外れか? いや……」
 マックスは壁を指でなぞった。壁紙の手触りが周りと少し違う。マックスは曲刀の切っ先で壁紙を軽く引っ掻く。刃に硬い感触。破れた壁紙の下から金属の肌が見えた。
「……ビンゴだ」
 マックスは破れた壁紙に指を掛け一気に引き裂く。すると、その裏から70cm四方の金庫が現れる。
「金庫か、鍵は……いや、こいつか?」
 金庫の戸にはアルファベットのパネル付いている。恐らくパスロック式だろう。
「書き付けがあるな……『Nb hlm'h mznv.』これも同じ暗号かな?」
 賢木は金庫に書かれた文字を書き写し、先程と同じ要領で復号する。すると、やはり意味のある文字列が現れた。
「『My son's name.』私の息子の名前か……Emil、だな」
「『我が秘密は愛する者の胸に眠る』とも符合しますね」
 賢木の言葉に姚も賛同したが、十七夜は少し納得がいかないようだった。
「前半部分が完全にスルーされてますけど、そこはどうするんです?」
「『エレミヤはバビロンを秘した』と言う部分か……」
「それはぁ……分からないねぇ」
 暗号を解きはしたが、賢木もカミユもこの部分について思い当たる事がない。
「博士はオーパーツを隠した。つまりエレミヤ=博士、バビロン=オーパーツと仮定できる。で、エレミヤって古代の預言者で、バビロンはエレミヤの祖国のユダ王国を滅ぼした敵国」
 姚はエレミアとバビロンと言う言葉からそう連想する。
「あらあら、つまり隠されたオーパーツは滅びを招くものということですか?」
「な、何だって~! でござる!」
 小鉄が大げさに驚いた所で、不意に部屋の戸が開いた。一瞬敵かと身構えたが、そこに立っていたのはカグヤとクーだ。
「話は聞かせて貰ったのじゃ、人類が滅亡する様な危険な物をセラエノには渡せぬ。わらわに寄越すが良い」
「カグヤさん……哨戒に行ったのでは?」
 突然現れたカグヤに姚は首を捻った。
「拙者が通信機で呼んだのでござる……これの設定、やはり慣れぬでござるなあ」
「オーパーツが見つかったと聞いて戻ってきたのじゃ」
「いえ、まだ……この金庫の中にあるようなのですけど、危険な物の可能性もあるので、暗号解読班が来るまではこのままにしておこうと思うのですが」
「俺もそれに賛成だ。下手に開けるとセラエノに奪われる可能性も高くなる」
 姚の意見に賢木も賛成する。そう言われると、カグヤは意外と素直に納得した。賢木は額を元に戻し金庫を隠す。
「ここまで来て引っかけでは無いだろう。俺はこの部屋で待ち伏せることにする」
「ならば、拙者も賢木殿と待機するでござる」
「罠を仕掛け終えたら、私もそうしよう」
 賢木の提案に小鉄とクレアも追随した。マックスと姚はカグヤと共に外を見回る事と決まった。配置が決まると、十七夜はまた先程の疑問が頭によぎり姚にもう一度尋ねた。
「本当の所どうなんでしょう? 滅びを招くものなんて……」
「完全なこじつけによる予想だけどね。セラエノに持って行かせたらセラエノ壊滅か消滅してくれないかな?」
「うふふ、さすがにそういったものであるならば、敵対組織の場所で使用すると思いますよ?」

●襲撃
 その後はセラエノの襲撃もなく平穏に時間が過ぎ、日は西の地平に沈んだ。
「向こうさん、なかなか来ないね……」
 マックスは寒気に身を縮めぼやく。隣では姚がやはり寒そうにしている。リンカーだから凍死などはしないが、寒さを感じないわけではない。カグヤは二人から死角の位置で周囲を監視している。
「早ければ明日にも解読班が到着します。そうなったらセラエノも手が出せないと思うんですけど……」
「襲撃するなら今夜しかないって訳だ」
 マックスがそう呟いた時、遠くからエンジン音が聞こえた。
「なんだ?」
 音の方に目をやると彼方に小さな光点が見えた。こちらに向かっている。二人に緊張が走った。
「セラエノでしょうか?」
「分からんが……いったん隠れよう」
 物陰に身を隠し、賢木達とカグヤに異変を伝える。どうやら光の正体はバイクの様だった。バイクは警戒した様子もなく家の前で停止し、乗っていた男が降りる。
 遠目には分からなかったがピザ屋らしい。派手な彩色の車体には宣伝文句が書き並べられている。バイクから降りた男は後部のボックスを開け平べったい箱を取り出した。焼きたてのピザが入っているだろう、暖かそうな湯気が立っている。
「誰だピザを頼んだ奴は?」
「まさか、きっとセラエノの……」
 言いかけた姚の言葉が止まる。バイクから降りた男にカグヤが両手を挙げて歩み寄ったのだ。
「まさかあいつ、本当にピザを?」
「ええ、そんな……」
 思わず動揺する二人だが、もちろんそんな事はない。カグヤは交渉に向かったのだ。
「エージェントのカグヤじゃ。そちらはセラエノと見受けるが、交渉がしたい。殺し合いで無駄な被害を出すよりも、妥協点を見つけぬか?」
「セラ……えっ、何ですかそれ? 僕はピザを……」
 カグヤの言葉に、男は演技ではない困惑を見せる――短い銃声が響いた。
「おわぁ!?」
 銃声に驚いたピザ屋は手に持った箱を取り落とす。同時に、遠距離からの銃弾で六つの部屋の窓ガラスが全て破壊される。
「カグヤさん、その人はただのピザ屋さんです!」
 姚がカグヤに叫ぶ。セラエノは、こちらの様子を探る為にピザ屋を利用したのだ。対応に出るならそれでよし、無視されたとしても不利益はない。
「セラエノめ……ヴィランズのくせにせこいマネを!」
 カグヤはそう毒突く。不意を突かれた為、どこから狙撃されたのか分からない。マックス、姚、カグヤは各々遮蔽を取り、予想される射線から身を隠した。ザ屋の男は突然の射撃に呆然としていたが、事の次第に気付くと慌てて立ち上がり、バイクに跨がると一目散にその場から逃げ出す。
 様子を伺っているのか、セラエノから追撃の銃弾はなかった。カグヤはこの隙に通信機を使って賢木達に連絡を取る。
「銃弾を撃ち込まれたから分かると思うが、セラエノじゃ」
「ああ、窓を割られたよ」
 カグヤの通信に賢木はそう答えた。下手に動けば敵に位置を教える事になる。賢木達は外から見えない位置に身を潜め、相手の動きをったう。
「家の窓は全て割られておる。こちらからもまだ敵の姿は見えん」
「敵はまだオーパーツの場所を特定していないんだろう……俺達の反応を見て場所を特定するつもりかもしれん」
「うむ……それなら」
 カグヤは賢木との通信をいったん打ち切ると、セラエノが居るであろう暗闇に向けて大声叫んだ。
「オーパーツはもう仲間が回収しておる。オーパーツの種類や使用法の情報のみ渡すので、それで今回は引いてはくれぬか?」
「駄目ですよカグヤさん」
 通信機の向こうからクレアの声が聞こえる。
「ブラフじゃブラフ……反応を見たい」
 クレアにはそう言ったが、半分以上本気だ。本当に引くのであれば後でこっそり情報渡すつもりだった。無論セラエノと繋がりを持った事が知れたら大事だ。幸い提案は沈黙に報われた。暫く無言の対峙が続く。動いた方が不利なのは明白だが、セラエノは先に膠着を破る。
 木立の陰から六人の黒服が飛び出し、割られた窓に向かって走った。夜が明ければリンカー達に援軍が来る。その前に決着を付けなければならない。
「交渉決裂じゃな!」
 カグヤはそう叫び、ラジエルの書を展開する。白光するカードが撃ち出され、黒服の全身に突き刺さった。マックスも銀の弾丸で応戦。姚は双銃で黒服を射撃しながら、通信機に向かって叫んだ。
「シャドウルーカーっぽいのが六人……三人はブロックしましたが、残りは止められません!」
 その通信を受け取った小鉄は半ば反射的に腰を上げる。だが、クレアはそれを制した。
「下手に部屋を離れるのはまずい」
 賢木もクレアに同意する。守るべきはオーパーツだ。
「この部屋に誘い込んで殲滅しよう……忍者は隠れるの得意だろ?」
「そういうのはシャドウルーカーの技でござる故……」
「うちのこーちゃんはそういう系の忍者でもないの……」

●探し手のロイ
「お初にお目に掛かる、リンカー諸君!」
「なんじゃ、あやつは?」
 突如現れた紫の派手なマントを羽織った男に、扇で敵の攻撃をいなしたカグヤが呆れた声をあげる。
「私は探し手のロイ……セラエノ最高の紳士だ!」
「ロイ? アレがセラエノの精鋭部隊の長か?」
「短い付き合いになると思うが……お見知り置き願おう!」
 そう言うとロイはカグヤにゴーストウィンドを放つ。不吉な風がカグヤとクーのライヴスをかき乱した。
「んぁ……ぼーっとするぅ……」
「クー、寝てはいかん!」
 クーは不条理な感覚に襲われカグヤとの共鳴を乱す。カグヤは頭の中のクーに呼びかけながらクリアレイでライヴスの乱れを正した。ぼんやりしてと見えるクーだが英雄としての実力は高い。そのクーのライヴスを乱せるのだから、ロイの腕は噂通り確かな様だ。
 そして、続けざまにブルームフレアの炎が姚とマックスを包んだ。放ったのはロイの隣に現れたソフィスビショップだ。
「まずいよナギ、押されてる」
 ロイ達が戦闘に参加した事により五対三。だが、ロイは積極攻勢に出ず守りを固めた。
「露骨な時間稼ぎだな」
 マックスは苦々しげにそう吐き捨てる。

 一方家内では、黒服がダリの間の戸を蹴り開け中に飛び込んで来た。
「今でござる!」
 小鉄はここぞとばかりに疾風怒濤を叩き込む。一太刀、二太刀、三太刀、不意を突いて放たれた斬撃に黒服は切り刻まれる。
「閉所での戦闘は忍びの十八番でござるよ」
「この間、大剣が振り難いって愚痴ってたわよね?」
 同じく潜んでいたクレアもブラッドオペレートを放ち黒服を切り裂く。
「Wha daur meddle wi' me. 言葉がわからないか。我々スコッツは外敵にとりわけ厳しい性質でね。無事には帰さん」
 二人の強力な攻撃に、黒服は反撃の間もなく沈黙する。続いて飛び込んできた黒服には賢木のストレートブロウが叩き込まれた。
「どけ!」
「渡さないよぉ?」
 裂帛した賢木の声と気の抜けたカミユの声、頭の中で二人の感情が混ざり、剣から迷いが去る。躊躇無く繰り出された剣は、黒服を再び部屋の外へと弾き出した。今のが二人目。だが、三人目は警戒して部屋に飛び込んでこない。
「カミナぁ外のみんな、苦戦してるみたいだよぉ」
 カミユの声にカミナは頷き、小鉄とクレアに告げる。
「外が押され気味だ、悪くすると挟み撃ちあう」
「討って出よう」
 クレアは即座に答えた。敵も二手に分かれているが味方も分断されている。一刻も早くこの場を片付け、外を救援すべきだ。

●争奪戦
「オーパーツはあそこだ! あの部屋を確保しろ!」
 家内で発生した戦闘を見てロイが叫ぶ。
「バレたか」
 マックスは舌打ちした。守りを厚くすれば必然の敵の注目を引く。護衛戦では避けがたいジレンマだ。攻勢に出たロイは、『銀の魔弾』を飛ばしカグヤの肩を撃ち抜いた。
「っ……結構やるの!」
 ロイの激を受けた黒服達も『ジェミニアタック』で攻勢に出る。二方向から振り下ろされる水晶の刃が、姚とマックス切り裂く。
「押されてるな、あのロイって奴に『幻影蝶』をぶちかますか」
 マックスは集中に入ろうとするが、それをユリアが制した。
「オヂ様、『幻影蝶』はヴィランには効果がありません」
「え、嘘だろ?」
「『幻影蝶』が効果を発揮するのは愚神か従魔、それに邪英だけです」
「何てこった……ええい仕方ない、魔弾でも撃ち込むか」
 テンションを落として放った魔弾だったが、きっちりとロイに命中しその命数を削る。だがその直後、ロイの横に立つもう一人のソフィスビショップから再び『ブルームフレア』が飛び、姚とマックスを焼く。押され気味の戦線に、姚はロイに向けて『フラッシュバン』を放った。
「アウチ! マブシッ!」
 閃光がロイを含めた敵の視界を奪う。それにタイミングを合わせ、カグヤの鉄扇が黒服の一人を切り裂いた。

「そう容易く当たる訳にも参るまい!」
 部屋から廊下に飛び出した所を、『ジェミニアタック』で狙われた小鉄だったが、辛くも『零距離回避』でその攻撃を躱す。肉を切ったと確信した水晶の刃は空を切る。体勢を崩した黒服に、小鉄は『疾風怒濤』を叩き込む。初太刀は躱されたが、続く二の太刀、三の太刀は黒服の両肩を切り裂いた。
「セラエノとやら、悪いが秘宝を渡す訳には参らぬ故」
「このお家から退場願うわ!」
 だが、小鉄に続いて飛び出した賢木は、先程吹き飛ばした黒服の『ジェミニアタック』を避け損ね思わぬ『狼狽』を呈す。
「カミナぁしっかりしてよぉ」
 カミユの呼びかけにも関わらず狼狽する賢木に、再び黒服の刃が振り下ろされるが、割り込んだクレアの剣がそれを受け止める。
「大丈夫か、賢木さん」
 クレアはそのまま目の前の黒服に『ブラッドオペレート』を放った。至近距離からの鋭刃を躱せるはずもなく、黒服の体から鮮血が飛び散る。
「すまない!」
 賢木は頭を振って冷静さを取り戻す。一刻も早く眼前の敵を倒し、外の三人を支援しなければ、決定的に不倫な状況に陥る。
「賢木殿、行くでござる!」
 小鉄の呼びかけに、賢木はその意図を察する。
「悪いが、長く付き合っても居られん!」
 賢木は小鉄と息を合わせ黒服達に『怒濤乱舞』を叩き込んだ。孤月の煌めきが肉を絶ち、両刃の豪剣が骨を断つ。二人の乱刃をその身に受け、黒服達は叩き付けられる様に地に伏した。
「手数の多さは忍びの特徴でござる、憶えておくと良いでござるよ!」
「ここテストに出るわよ、なんてね」
「ボクたちはぁ忍者じゃないけどねぇ」
 おどけた口調で言うカミユに賢木は小さく笑った。だがまだ終わりではない。ロイ率いる部隊が残っている。

●マジカルロイ
「『トリオ』です!」
 姚は神速の連射で三人の黒服に銃弾を撃ち込むが、黒服を倒すには至らない。これは知りようも無い事だが、ロイは博士宅にあると思われるオーパーツを気遣い強力な火器の使用を自重している。そのせいもあり、今のところ戦況は五分で推移していた。
 ロイはじれていた。突入した部下が内部を制圧すればその時点で勝負有りなのだが、いまだにその気配はない。余り時間を掛けたくなかった……しかし、漸く動いた戦局は、ロイの希望と逆に進む。
「すまない、遅くなったが連中は全滅させたぞ!」
 割られた窓から身を乗り出し、クレアは外に向かってそう叫ぶ。
「やったな!」
 クレアの報告に歓声を上げ、マックスは目の前の黒服に最後の魔弾を撃ち込む。その一撃に、黒服は膝を地に付ける。同時にカグヤはケアレインで味方を回復。ロイのチームにメディックは居ない。形勢は一挙にセラエノの不利だ。
「ロイさんと言ったっけ? あんたの部下はこの通りのザマだ。それでもまだ、詳細の知れないオーパーツに高いリスクを冒すかい?」
 マックスはニヤリと笑って言う。ロイは一瞬虚を突かれたように押し黙ったが、すぐ不敵笑いリンカー達を見返した。
「今回は諸君らの健闘を讃え……君らに花を持たそうじゃないか!」
 そう言うとロイは紫のマントを翻し、リンカー達に背を向け『マジックブルーム』で作り出した箒で空中に飛び上がる。
「あいつ逃げる気じゃ!」
 言いながらカグヤは目の前の黒服を鉄扇でなぎ払う。時に利あらず。黒服達も逃走態勢に入る。
「追うでござるか?」
「他の部隊が居る可能性も捨てきれん、深追いは禁物だ」
 賢木の言う通り。このまま見逃すのは業腹だが、下手に追撃してオーパーツを奪われたら目も当てられない。
「また会おう諸君!」
 ロイはそう宣言すると、空を滑りその場から逃げ出す。隣のソフィスビショップも慌ててその後を追った。追撃は無理だが……ただで逃がす事もない。カグヤは鉄扇を速射砲に持ち替え、逃げ去るロイの背に照準を合わせた。
「いずれセラエノの持つ技術はわらわがいただく。その時はよろしくの!」
 速射砲が轟音あげ、無防備なロイの背中に砲弾がぶち当たる。
「おほう!?」
 背中からの強烈な衝撃にロイは奇妙な声を上げた。箒がフラフラと揺らめき、地上に墜落しそうになる。
「やったでござるか!?」
 小鉄の歓声。だが残念な事に、ロイはふらつきながらも体勢を立て直した。
「ははは……効いてない! 効いてないぞぉ!」
 そう強がり、ロイはフラフラと揺らめく箒を操作しその場から飛び去った。
「逃がしたか」
 既に速射砲の射程を超えた。クレアは少し悔しそうに呟く。
「オーパーツをセラエノから守り切ったんだ、成功だよ」
 賢木はさばさばした口調で言う。
「まだ残党がおるやもしれぬ……各々、警戒を怠るべからずでござる」
「ああ……だが、問題はもう一つある」
 小鉄の忠告に頷きつつ、マックスは一言加えた。
「何ですか、オヂ様?」
「明日の朝までどこで過ごす? 家の窓は全損だ。寒さに震えながら解読班を待つのか?」
「大丈夫、スコットランドはイングランドほど寒くない」
「ほう?」
「三月の気温はそうだな……七度位だ」
「……スコッツのあんたが言うなら、間違いないな」
 クレアの頼もしい言葉にマックスは肩を落とした。
「わらわは、クーでも抱いておくかの」
 そう言うと、カグヤは眠そうなクーを抱き上げる。着ぐるみのクーを抱いていれば、少しは暖かいだろう。
「……眠い」
 疲れたのか、クーは眠そうだ。その様子を見て十七夜は姚を抱き寄せた。
「子供って、体温が高いですよね」
「ナギ、私は成人女性だよ」
 この二組は微笑ましいで済むかもしれないが、他の四組は抱き合って暖を取る訳にもいかない……マックスは溜息を吐く。
「仕方ない……ピザ屋が忘れてったピザでも食いながら、暖を取る方法を考えるか」
 ――翌朝到着した解読班は、博士の使っていた小さなベッドで一塊になって寒さを凌ぐリンカー達の姿に、同情を禁じ得なかった。

●アトバシュ
「いよいよじゃな、ワクワクするの」
 解読班も到着しいよいよ金庫を開けるという段になり、カグヤは大分興奮した面持ちだ。
「さて金庫のパスだが……Emil、だったな」
 そう言ったマックスだが、何故か少し複雑な表情を見せる。
「どうしました、オヂ様?」
「いや、解読の詳細は元奥さんには伝わらない方が、良さげだと思ってな……息子はともかく、猫以下ってのも……ねえ」
「メアリー女王が処刑された時、飼い犬は彼女の遺体から離れなかったと聞きます。博士にとって、ウズルも同じような存在だったのでしょう」
「スコットランド女王の名前を出されると、反論しづらいね」
 クレアの言葉に、マックスは苦笑いで応えた。ともあれ、パスはEmilに間違いなかったようだ。半ば無駄足となった解読班を交え、リンカー達は金庫を開ける。中にあったのは、数百枚程の紙束と円柱状の磁器のような物。そして花瓶に挿された紫のクロッカスが一輪。
「これが秘宝……オーパーツとやらでござるか」
「この磁器かの? それともこっちの花か?」
 カグヤは金庫の中から磁器と花を取り出ししげしげと眺める。クーは花に顔を近づけクンクンと匂い嗅いだ。
「……本物のお花」
「すると、やはりこっちか。滅びをもたらすような大それた物には見えぬが……」
「何のことです?」
 解読係がカグヤの言葉を聞き止めた。
「『エレミヤはバビロンを秘した』の意味。エレミヤ書の記述から、オーパーツの性質を示してるのかなって考えたんですけど」
 解読係に姚はそう答える。
「ああ、なるほど。でも違いますよ。エレミヤ書と言うのは当たりですが……」
「と、言うと?」
「エレミヤ書には、バビロンがシェシャクと書き換えられている部分があるんです。これはアトバシュという暗号で、本来はヘブライ語ですが、A~Zの文字列とZ~Aを対応させたものです。つまりこの一文は、皆さんが解いた暗号そのものを指してるんですよ」
「……何だか不思議で一杯ね、謎はお腹一杯よ」
 説明を聞き、稲穂は疲れたように呟く。
「何を言うでござる、太古の浪漫という奴でござろう?」
「浪漫も謎も一緒よ、もう……」
「ソドムとゴモラを滅ぼした神の火を出したりは、出来ぬ?」
「それは何とも……私の専門は暗号ですから」
 カグヤの問いに、解読係は申し訳なさそうに答えた。
「ううむ、だが可能性はあるのじゃ……紙束に何か書かれておらぬか?」
 カグヤは金庫から紙束を取り出しざっと目を通す。
「どうです?」
 姚に聞かれたカグヤは、軽く肩を竦める。
「オーパーツについて書いてあるのは間違いないが……詳しく読まねば分からぬ」
「じゃあ……」
「仕方ない、後はロンドン支部に戻ってからじゃな」

●クロッカス
「まずはこれを見てくれ」
 オーパーツの子細を聞こうと、依頼の結果報告をした後支局に残っていたリンカー達に、担当官は例の磁器と紫のクロッカスを机の上に出してみせる。
「これってぇ金庫の中にあった花だぁよねぇ?」
 カミユがのんびりした声で言う。
「うん、不思議に思わなかった? この花は金庫に入れっぱなしだったのに枯れる気配もない」
「そういえば……その花もオーパーツでござるか?」
 小鉄の言葉に担当官は首を横に振る。
「花が枯れないのは、一緒に入っていたオーパーツのお陰さ……君らが見つけたあの磁器は、一種の冷蔵庫なんだよ」
「なん……じゃと……?」
 担当官の言葉にカグヤは衝撃を受ける。
「命がけで守ったオーパーツが……冷蔵庫!?」
「電気も使わないし組織が腐る事もない。普通の冷蔵庫よりずっと性能は上だよ」
「医療にも応用できそうですね」
 リリアンの言葉に担当官も頷いてみせる。決して無価値な物ではない。
「じゃが、冷蔵庫じゃろ……」
 カグヤはそう言って肩を落とす。担当官は慰めるよう言う。
「一緒に見つかった書類には、未解明のオーパーツ使用法の研究成果が記されていたよ。オーパーツそのものよりこっちの方が価値は高い。騙したお詫びのつもりかもね」
「うう……後で見せて貰うのじゃ」
「……さて、東京支部に帰る前に、実家と駐屯地にでも寄っていこうか、ドクター」
 重い場の空気を切り替えるように、クレアはそう言ってリリアンの方を向いた。
「懐かしい顔も見たいもの。別口で帰ることになっちゃうけれど、そうしましょう」
「交通費は……まぁ最悪報酬額から天引きでもしてもらうか」
「ああ、それなら丁度良い……」
 クレアの言葉を聞いた担当官が何か言おうとしたその時、部屋の戸が開くき、猫を抱いた初老の夫人が部屋に入って来た。故マルチン博士夫人のロザリーだ。挨拶を済ませ、担当官は夫人に磁器と紫のクロッカスを差し出す。
「これは博士の遺品です……もう一つ研究資料があるのですが、そちらの方は我々にお預け頂けないでしょうか? 無論相応の対価はお支払いしますし、博士の名誉も尊重します」
「お好きなように……その花と磁器も差し上げます。私には無用の物ですから」
「ありがたいですが……花はともかく、磁器は大変な価値がありますよ?」
「いいのよ……お話はそれだけ?」
「ご予定でも?」
「帰るのよ。そちらのお嬢さんなら分かるでしょう? フィッシュアンドチップスはこりごり」
 夫人はクレアの方を見てそう言うと、ふっと息を吐いた。
「さようなら、皆さん」
「ああ、待って下さい……クレア君、夫人を送って行ってくれないか? もう危険は無いと思うが念のため……無論経費は出すよ」
 そう言われて否やもない。クレアとリリアンは夫人と共に部屋を出る。担当官は溜息を吐き、夫人が置いていった花を指で弾いた。
「要らないか……その方がいいかもしれんな」
「どうしてです?」
 訝しく思った姚が担当官に訳を聞く。
「紫のクロッカスの花言葉は、愛の後悔だ」
「後悔?」
「神話だよ。クロッカスは羊飼の娘と愛し合ったが、親神に仲を裂かれ自殺した。愛した事が不幸な結末を招いたんだ……博士は失った息子を思う余り、夫人を愛した事さえ後悔していたのかもしれない」
「それは……でも担当官さん、花言葉なんてよく知っていましたね?」
「別れた女房から聞いたんだ。これと同じ紫のクロッカスと……離婚届を貰った時にね」
 担当官は自嘲気味に言う。その時、再び部屋のドアが開き、夫人ではなくHOPEの研究員が入室する。
「どうした?」
「いえ、研究資料を整理していたら、変な紙切れが出てきまして……こちらの方なら分かるかと」
 研究員は一枚の紙を担当官に渡す。担当官はさっと目を通し、リンカー達にその紙切れを差し出した。
「例の暗号だ、君らなら読めるだろう」
「貸して下さい」
 賢木は紙を受け取り皆の前に広げ、頭を合わせて暗号を解く。
「カミナぁこれってぇ……」
 暗号を解き終えたカミユの顔に複雑な驚きが浮かぶ。
「夫人を追いかけましょう」
 姚の言葉に賢木達も頷き、足早に戸の方へ向かった。
「どうしたんだ?」
 担当官が不審げに聞く。賢木は足を止めず部屋を出た。カミユと十七夜もそれに続く。最後に部屋を出た姚は、いったんそこで立ち止まり、担当官に向かって言った。
「担当官さん、クロッカスは愛した事を後悔したんでしょうか?」
「は?」
「後悔したのは愛した事じゃなく……伝えられなくなった事だと思います」
 それだけ言うと姚も賢木達を追った。残された担当官は訳が分からない。マックスはその肩に手を置き、先程の暗号を訳したメモを差し出す。
「クサいとは思いますが……今のを復号するとこうなるんですよ」
 担当官はそれに目を通し……投げ捨てた。
「ふぅ……なあマックス君、今夜呑みに付き合ってくれないか? 君も私と同類だろう、不器用な顔をしてる」
「勝手に仲間にせんで下さい……お断りします」
「じゃあカグヤ君……」
「わらわは傷心じゃ、帰るぞクー……」
 そう言うとカグヤも部屋を出る。着ぐるみのクーもその後に続いた。担当官は次に小鉄と稲穂の方を見たが……。
「悪い酒になりそうでござるからな……ごめんでござる」
「……一緒に呑む相手すら居ないのかい?」
 担当官はがっくりと肩を落とす。呆れたように眺めるマックスの袖をユリアが引く。
「なんだ?」
「オヂ様、大切な人の思い出は……」
 言いかけてユリアは止めた。マックスを困らせるだけだろう。

●愛する者の胸に眠れ
「どうしたのかしら?」
 自分たちを追いかけてきた賢木達に、夫人とクレアは不思議そうな顔をする。
「伝え忘れた事がありましてぇ」
 カミユはそう言うと、先程受け取った紙切れを夫人に渡す。
「……これは?」
 夫人はそれに目を落とす。書かれていたのは『Hliib, Ilhzorv. R xlfowm'g hzb "R olev blf" gl blf slmvhgob.』と言う不可解な文字列。益々訳が分からない。
「この文はアトバシュ暗号で書かれている」
 困惑する夫人に、賢木はこの紙片が持つ意味を説明する。
「アトバシュ?」
「AをZ、BをYという風に置き換えたものだ。この文を訳せば……こうなる」
 賢木は復号した文を暗号の下に書き付ける。夫人の目が少しずつ驚きに開いた。
「今更どうしろと言うの……?」
 夫人は動揺した様子で声を震わせる。抱かれたウズルが気遣う様にその頬を舐めた。十七夜はウズルの頭を撫で、夫人に言う。
「私達にはわかりません。ですけれど……」
「博士の遺言です。お知らせしないわけにはいきません」
 姚が言葉を継ぐ。夫人に言葉はなかった。不信の年月は長い。思いは余人に量れぬ程複雑だ。
「セラエノがこれを見付けてたらぁ、ロザリー様には伝わらなかったと思うんだよぉ」
「この言葉を伝えるべきかどうか、博士は最後まで悩んだのだろう。悩んだ末――『HOPE』に託した」
 賢木達の言葉に、夫人は顔を上げる。
「……託した?」
「『希望』を……死にゆく者にも希望はあっていい」
「私は全て失ったわ、エミールもマルチンも……みんな」
「だが思い出は残る――あなたの胸に」
 夫人は目を伏せた。過ぎ去った者は二度と帰らない。だが――。
「思い出す事は出来ても、忘れる事は出来ないのね」
 夫人はウズルの頭を撫で、溜息を吐く様に言った。新しい主人の手は前よりも柔らかく、ウズルは喉を鳴らして夫人に甘える。いつか博士にもそうした様に――夫人は小さく微笑んだ。
「ありがとう……今はそう言っておくわ。死ぬ時までそう思えるかは、分からないけど」
 そう言うと、夫人はクレアに声をかけ歩き出す。言えなかった言葉と言いたかった言葉。暗号と平文。同じ言葉が有様を変える。だが、今夫人の持っている紙切れには、誰の目にも明らかな言葉でこう書かれていた。

――Sorry, Rosalie. I couldn't say "I love you" to you honestly.

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 晦のジェドマロース
    マックス ボネットaa1161
  • コードブレイカー
    賢木 守凪aa2548

重体一覧

参加者

  • 忍ばないNINJA
    小鉄aa0213
    機械|24才|男性|回避
  • サポートお姉さん
    稲穂aa0213hero001
    英雄|14才|女性|ドレ
  • 果てなき欲望
    カグヤ・アトラクアaa0535
    機械|24才|女性|生命
  • おうちかえる
    クー・ナンナaa0535hero001
    英雄|12才|男性|バト
  • 晦のジェドマロース
    マックス ボネットaa1161
    人間|35才|男性|命中
  • 朔のヴェスナクラスナ
    ユリア シルバースタインaa1161hero001
    英雄|19才|女性|ソフィ
  • 死を殺す者
    クレア・マクミランaa1631
    人間|28才|女性|生命
  • ドクターノーブル
    リリアン・レッドフォードaa1631hero001
    英雄|29才|女性|バト
  • コードブレイカー
    賢木 守凪aa2548
    機械|19才|男性|生命
  • 真心の味わい
    カミユaa2548hero001
    英雄|17才|男性|ドレ
  • 『成人女性』
    姚 哭凰aa3136
    獣人|10才|女性|攻撃
  • コードブレイカー
    十七夜aa3136hero001
    英雄|21才|女性|ジャ
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