本部

ジキルとハイドにご用心

和倉眞吹

形態
ショート
難易度
やや難しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
6人 / 6~8人
英雄
0人 / 0~0人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/01/15 21:41

掲示板

オープニング

 目を上げると、薄暗い中に、天蓋付きベッドの天井が見えた。今、何時頃だろうと、思うともなしに思いながら視線を彷徨わせる。左手に置いたやや大きめの椅子で、妻のニコルがうたた寝をしていた。
 ヤン=バレスは、そっと溜息を吐いて目を閉じる。
 こうして病みついて、もうどのくらい経っただろう。原因も病名もはっきりしない為、治療方針を立て兼ねた医師達には、既に匙を投げられている。「二十一世紀にもなって、対症療法も取らずに患者を見放す医者がいるのね!」と妻は憤っていた。
 だが実は、原因には何となく心当たりがない訳ではない。現在、バレス夫妻が住んでいるこの邸は、有名な幽霊邸だった。
 ヨーロッパの好事家の中には、こういった幽霊邸に住むことを趣味としている者も多く、夫妻もそうした人種だった。
 二人が出会ったのも、所謂オカルト同好会の場でのことで、結婚したらいつか幽霊邸に住みたいね、などと話し合っていた。
 その夢が叶ったのは、つい先日のことだったのだが、この邸に住み始めて半月で、ヤンは病に倒れたのだった。幽霊に出会うことは終ぞなかったもので、この邸に棲み着いているのは実は悪魔で、病はその仕業かも知れない、などと密かに思い始めていた。
 妻の方ではそう思っていないのか、それとも、病の夫を無闇に移動させるのを躊躇ったのか、家を売って引っ越そうと言い出したことはない。
 病は快方に向かう気配を見せず、日に日に体が衰えていくのが自分でも分かる。
『きっと治るから』
 ヤンの傍にいる時は、そう言って笑顔を絶やさない妻が、陰で泣いているのも知っている。
 もう治らないのなら、妻をこれ以上悲しませるなら、いっそ早く死んでしまいたい。そう思いながら、ふと瞼を上げると、目の前に見知らぬ少年の顔があった。
「ッ……!」
 ヤンは思わず息を詰めた。元気な時分なら、思い切り悲鳴を上げていただろう。もうその余力さえないヤンに、少年は「シィッ!」と言って唇に人差し指を当てた。
「奥さんが起きちゃうよ」
 少年は、ニコルの方へチラリと目を向ける。釣られて彼女の方を見るが、ニコルは気付いた様子もない。終わりの見えない看病の日々に、疲れが溜まっているのだろう。
「君は……一体」
「ねえ。治りたい?」
 ベストとズボン、蝶結びにした紐ネクタイという、戦中時代のような衣服に身を包んだ少年は、前置きなど一切抜きに、本題へ入った。
「えっ?」
 目を瞬くと、少年は慈しむように柔らかく微笑して言葉を継ぐ。
「元気になりたい……正確に言えば、まだ死にたくない。でしょう?」
「それは……」
「僕が治してあげるよ、って言ったらどうする?」
「どうって……」
 治せる訳がない。こんな幼い――見た目、十二、三歳の少年に、何ができようか。突拍子もない提案を受けて、ヤンは今更ながら少年の存在自体を訝しんだ。
「君は……一体」
「黙って」
 穏やかに、だが有無を言わせぬ口調で言うと、少年はヤンの額にそっと手を乗せた。視界に近付いた腕が、月明かりに透けていることに初めて気付く。
「君は……幽霊なのか」
 すると、やはり自分は間もなく死ぬのかも知れない。そう思うと、正直なところ落胆が先に立つが、この邸を購入した目的である幽霊に会えたのは嬉しかった。
 妻にも会わせたい、と体を起こそうとすると、少年はそれを遮るようにヤンの額を押し戻した。実体がない筈の少年に押さえ付けられて、ヤンは戸惑う。
「落ち着いて。僕が必ず治してあげるから、奥さんには僕のコトは言わないで。これが『誓約』だよ」
「誓約?」
 眉根を寄せるヤンに、少年は頷いた。
「そう。それさえ守ってくれれば、きっと君を元気にしてあげるから」
「じゃあ、君は」
 誓約、という単語から導かれた答えに、ヤンは尚のこと首を捻る思いがした。
「……君は、何か勘違いをしていないか」
「勘違い?」
 今度は、少年の方が首を傾げる。
「そうだ。僕は見ての通り、ただの死に損ないだよ。能力者でも、H.O.P.E.のエージェントでもない」
 リンカーとも呼ばれる能力者達と『誓約』を結ぶ者の存在は、これまでごく平凡に生きていたヤンでも知っている。だが、所謂『英雄』が、こんな病人と誓約を結んだという話は聞いたことがなかった。
「解ってるよ」
 少年は、あっさり頷いた。
「でも、僕も切羽詰まってるんだよね。早く依代を見つけないと、僕達はこの世界では長く生きられない。この場じゃ、選択の余地はないって訳」
 肩を竦めた少年は、悪戯っぽい表情でヤンを見つめる。
「君はどう? もう明日をも知れない命でしょ。それを、ごく簡単な誓約で治してあげるって言ってるんだ。悪くない取引だと思うけど?」
 その口調に、僅かな含みを感じたものの、冷静にそれを咀嚼できる程にはヤンにも余裕がないのは確かだ。
 死にたくない。まだ、生きていたい。
 思いがそちらに傾くのを見透かしたように、少年が空いた掌を差し出す。もう力の入らない腕を持ち上げ、ヤンは少年の手を取った。

「次の日、目が覚めたら本当に体調が良くなっててすっきりしていて、英雄と誓約したのは夢じゃなかったんだと思いました」
 公園のベンチにうなだれて座った男性は、視線を落としたまま、後を続ける。
「妻はしきりに不思議がっていましたが、誓約でしたから、その少年……後でヴィンスと名乗った彼のコトは、妻には一切話していません。私が健康を取り戻したコトもあり、数日は以前の日常が戻ったと思っていたのですが……」
「その数日が過ぎたら、その……」
 男性にとって辛いであろう事実を、ありのまま確認するのは気が引けたのだろう。男性と並んでベンチに腰掛けている女性は、言い淀む。けれども、結局うまい言い回しが思い付かず、
「奥様が……姿を消した、と?」
 とストレートに口に乗せた。
 力なく頷く男性が、道端に倒れていたのを少し前に見つけた女性は、近くにあるH.O.P.E.支部で来客の受付事務業務を勤めていた。この日は午後からの出勤で、いつも通りの通勤の途中だったのだ。
 救急車を呼ぼうとした刹那、正気付いた男性は女性にしがみつき、「妻が行方不明なんですっ」と喚いた。そんな彼を宥め賺し、どうにか話を聞き終えたのが、ほんの五分前のことだ。
「ええっと、それでヤン=バレスさん……でしたっけ。そのヴィンス君は今どこに?」
「判りません」
「判らないって」
 幻想蝶は? と訊きたげな女性を無視して、ヤンは頭を抱える。
「妻のことを訊いても笑ってるだけで答えないし……私も、今では時々記憶が飛ぶようになって……」
 恐ろしくなり、意識が戻った時を逃さず、自宅を飛び出したと言う。途中で行き倒れたのは、最近また体調が優れなくなった為らしい。
「……解りました。とにかく、支部まで行きましょう」
「え?」
 涙で濡れた顔を上げた彼に、女性は柔らかく微笑して頷いた。

解説

英雄を騙ったデクリオ級の愚神が、一般人のヤンに『誓約』を結ぶという口実の下憑依し、彼の体を乗っ取りつつあります。
恐怖に駆られて逃げ出した彼の保護と、彼の妻の行方の調査をお願いします。

●目標
ヤンに憑依した愚神を倒し、ニコルの消息を突き止める事。

●登場
・ヤン=バレス:幽霊邸と噂されていた邸宅を買い取り、たまたまそこに棲み付いていた愚神に憑依されてしまっている。

・ニコル=バレス:ヤンの妻。現在行方不明。
〔※PL情報:彼女は既に、愚神ヴィンスに捕食されてしまっています〕

・デクリオ級愚神:名前はヴィンス。本体の見た目は、十代前半の普通の少年。従える従魔は、今のところいない模様。
知能は、今のところはちょっと悪賢い十代の子供程度。戦闘能力的には、一般的なリンカーと同じくらい。

●留意事項
ヤンは、いつまた愚神の人格に取って代わるか分かりません。また、愚神は、ヤンの身体を乗っ取った後で、彼の自宅を拠点にドロップ・ゾーンの形成を目論んでいます。
その前に、どうにかしてヤンが完全に乗っ取られるのを阻止する必要があります。愚神だけを倒すというのは非常に困難ですが、被害の拡大を防ぐことを念頭に行動して下さい。
ヤンごと殺してしまうか、どうにかして彼を救うのかは、現場の判断に任せます。

●住居の間取り
短い階段を上がって玄関を入ると、中廊下があり、すぐ右手に書斎。少し進むと、左手に二階への階段、向かいに応接室、奥が食堂。書斎と応接室、食堂のどこからでも、庭に面したベランダへ出られる。
二階は、中廊下で各部屋が繋がっており、寝室が二間と居間、ベランダと、小さな展望台へ通じる階段がある。
全体的な敷地面積は、約二百平方メートル。

リプレイ

「なるほど……幽霊屋敷ですか? 幻想蝶が無い訳ですからヴィンスは愚神である訳です」
 一通り説明を受けると、都呂々 俊介(aa1364)は、口元に手を宛てて呟いた。
「うん。まだ断言はし兼ねるけど、その予測はしておいていいんじゃないかな」
 俊介の言葉に、木霊・C・リュカ(aa0068)も同意を示す。
「後はやっぱり情報収集かな」
「ああ」
 頷いたのは、レイ(aa0632)だ。
「それは征四郎も思っていたのですよ!」
 はいはい、と紫 征四郎(aa0076)が手を挙げる。
「ヤンの奥さんの他にも、周辺に失踪事件がなかったか、併せて調べるのも必要かもです」
「聞き込みだね」
 リュカに頭を撫でられて、征四郎は元気よく首肯した。
「わしも同意見だ! にこる殿のお知り合いにれんらくをとり、消息をしらぬかきくのである」
「ニコルの知人への連絡は支部に任せて、我々は周辺探索に専念してはどうだ?」
 泉興京 桜子(aa0936)の言に、灰川 斗輝(aa0016)が淡々と述べる。
「そうだね。遠方の知人より、近所の人の方が何か知ってるかも」
「奥様はさて置き、取り憑いた愚神を払うには、愚神が表に出てきた時に攻撃して弱らせるしかないのですが……」
 周囲がニコルの探索を優先する中、俊介は相変わらず一人考え込んでいる。
「うん、閃いた……囮です。オカルト仲間を騙って屋敷に入り込むのです。H.O.P.E.でヤン氏と奥様の記録を調べて知り合いの知り合いという事に……」
 俊介がオペレーターに目配せすると、オペレーターは手元の端末を操作する。それを横から覗いた俊介は、ある名前を示した。
「このマグナ氏は丁度良いですね。オペレーターさん、この方に連絡と協力依頼を……」
「囮って、具体的にはどうするつもり?」
 そこへ、リュカがやんわりと割って入る。
「マグナ氏からヤン氏に紹介して頂くんですよ。で、少年探……じゃなかった、プラチナムミッドナイト妖術団の者とでも言って、屋敷に泊まり込みます」
 少年探……って何、という空気がその場に満ちるが、俊介は構わず先を続ける。
「で、夜中に屋敷内を歩き回ってヴィンスとやらを誘き出すんです。愚神が現れたら連絡しますから、皆さんは近くで待機という寸法で」
「それまで屋敷に行かない気か?」
「う、それは……」
 無表情に問う斗輝に、俊介は言い淀んだ。
「それに、絶対に夜中まで愚神が待ってくれる保証もないぞ?」
 レイも口を挟む。ただ、その外見に似合わず、諭す声は穏やかだ。
 うーん、と唸った俊介だったが、最終的には年長者達の言う事も尤もと頷いた。
「じゃあ、行こうか。勿論ヤンも一緒にね」
 リュカの笑顔に纏められる形で、一同は立ち上がった。

 支部に、ニコルの知人への問い合わせを任せた六人は、周辺への聞き込みをまず行ったが、思うような成果は得られなかった。残る手掛かりは、結局この屋敷しかない。
 こちらです、とヤンが扉を開けて六人を誘う。まだ昼間なのに、エントランスは既に薄暗い。
「うう、不気味なのです。おばけなんかいない、いないのです……」
 リュカの後ろに隠れるようにして、ブツブツと自身に言い聞かせながら、征四郎は及び腰で屋敷内へ足を踏み入れる。
「せーちゃん、歩きにくいよ?」
 後ろにしがみつかれたリュカは、やや仰け反りながら苦笑した。
「あっ、ごめんなさいです!」
「では早速、やしきのないぶをしらべよう。やん殿、にこる殿がのこしたものはないか? 例えば、日記等は」
 さり気なくリュカの手を引きながら、桜子がヤンに目を向ける。話を振られたヤンは、力なく首を振った。
「妻も使っていた部屋はそのままにしてありますが……最近、足を踏み入れたか記憶が曖昧で」
「それなんだが、意識のない時間は一定しているのか?」
 レイの問いに、ヤンはやはり否の意を示した。
「でも、ふと気付くと、直前までの記憶がないことが多いんです。それこそ日記でも付けておけば別ですが……」
「記憶が飛んだり、乗っ取られたりということは、少なくとも征四郎には経験ないのですよ」
「やん殿よ……そなた『幻想蝶』を持っておるか? われら能力者が英雄と契約をまじわすといずるものであるのだ」
 桜子が自らの幻想蝶を見せると、ヤンは三度首を振る。
「見たこともありません」
「これでほぼ決まりだな」
「そなたが英雄とよぶものは英雄ではない、愚神であるぞ!」
「え、ぐ、愚神?」
 悪魔より質の悪い名称に、ヤンは元々悪かった顔色を更に蒼白にして後退る。
「そうだ。そなた、だまされているのである! これ以上とりつかれておると、命をとられるだけでなく、この地が地獄とかすのである! 愚神をきょぜつせよ! つながりが薄れるやも知れぬ!」
「そ、そんな……」
 急に言われてもどうすれば、とヤンは眉尻を下げた。
「誓約を交わしたと言っていたな」
 先頭を歩いて、二階への階段に足を掛けた斗輝が、ヤンに視線を向ける。
「あ、は、はい」
「なら、それを破ってみるのも手だぞ。誓約の内容を奥さんにバラせば、憑依は解けるかも知れない」
 その為にも、彼の妻を捜し出すのが先決だ。連絡手段を確保し、ヤンを絶対に一人にしないことを確認し合った上で、彼らは二手に分かれた。

 一階にある食堂は、陽が傾いてきた為か、やはり薄暗い。
 征四郎はまだ内心ビクビクしながら、リュカに視覚的な所を説明しつつも、彼の背後に身を縮めるようにして周囲を観察している。共鳴状態で視覚を確保したリュカには、説明は必要ないのだが、彼は敢えてそれを口にせず、彼女の好きにさせていた。
「あ、サクラコ。そちらはどうでしたか?」
 丁度、応接室と続き間になっている書斎の扉から出て来た桜子は、曇った表情で首を振る。
「手帳もメモも見つからぬ。血痕等もない」
「もし、愚神がヤンの中にいるのなら、彼の意識がない間に、手掛かりを消すくらいはできるだろうからね」
 リュカが言った時、彼の端末が着信を知らせる。出てみると、支部のオペレーターからだった。どうやら、ニコルの知人の調査も空振りらしい。
 通話を終えたリュカは、庭へ通じるベランダへ歩を進める。
「庭は充分な広さだね。うまく外へ誘い出せるかな」
 独り言のように呟いて、二階へ視線を向けた。

「愚神が来てから、家に不審な点はないのか?」
 夫婦の寝室という、他人が踏み込むのが些か躊躇われる場所を調べながら、レイは問いを投げる。
「いえ。幽霊屋敷と言われていた割には、あの少年以外に何も出ませんし」
「じゃあ、どういう時に愚神は話し掛けて来た?」
「ええっと、そうですね。うっかり妻に口を滑らせそうになった時なんかは、脳内で『誓約』と一言注意するくらいでした。妻がいなくなってから、一度だけ出て来てくれるように頼みましたが、対面状態で話をしたのは、それが最後だと……」
「なら、それがやはり肝だな」
 隣の居間から顔を出した斗輝が、口を挟む。
「奥さん、携帯は持ってるんだろ?」
「あ、はい」
「では、連絡してみろ。通話で出なければ伝言を残して、メールでも少年のことを伝えるんだ」
「は、はい」
 ヤンが端末を操作する間に、展望台を調べていた俊介が降りて来た。目線で成果を訊ねると、彼は無言で首を振る。
 完全に手詰まりかと思われた時、ヤンは作業を終えたのか、端末をポケットへ戻した。
「繋がったか」
「それが、既に充電が切れてしまったみたいで……まあ繋がったとしても、彼女は永遠に聞けないと思うけど」
 後半のヤンの台詞は、明らかに彼自身のものではなかった。
 愚神だ、と悟った瞬間、既に共鳴状態だった斗輝は、
「俊介、レイ、下がれ!」
 仲間達に警告するや、遠慮なくブルームフレアを撃ち込んだ。

 二階の居間からベランダが吹っ飛ぶ。
 庭に出ていたリュカは、爆発の余波を避けて飛びすさった。室内にいた征四郎と桜子も、外へ転び出る。
 同時に、庭先に四つの人影が降り立った。共鳴状態になったレイ、俊介、斗輝――そして、ヤンだ。否、姿形はヤンのそれだが、表情が明らかに彼とは違う。
「まさか、愚神?」
「意外に早いお出ましだね」
 征四郎とリュカが、それぞれに呟く。
「だって君達、僕に会いたかったんでしょ?」
 不敵に笑う様が、完全にヤンの面影を感じさせない。
「僕が見つかんなきゃ、絶対帰ってくれないと思ったから。でも、彼の奥さんも捜してるっぽいのに、最後の手掛かりをいきなり攻撃するとか、有り得なくない?」
「さっき、お前は『彼女は永遠にヤンの伝言を聞けない』と言ったな」
 愚神ヴィンスの問いには答えず、レイが反問した。
「どういう意味だ」
「さあ? 言わなくてももう解ってるんじゃない?」
 クス、と小さく笑いを零して、ヴィンスが肩を竦める。
「ならば、倒すだけだ」
 それを受けて、斗輝が歩を踏み出す。
「あれれれ、君達、一応H.O.P.E.の能力者でしょ? 僕をこのまま倒すと、彼まで諸共だよ? いいの?」
「憑依し続けるのなら、その問いに意味はない」
「待って下さい!」
 そこに、征四郎が割って入った。
「征四郎は、ここでヴィンスとして殺されるのと、ヤンとして死ぬのとは違うと思います。だから、この後ヤンが死を選ぶとしても、引き離してヴィンスだけを倒したい」
 だって、生きる為に差し出された手を掴んだのは征四郎も同じ、なのですよ。
 音にしないその呟きは、斗輝に届くことはない。だが、幼い目に縋るように見上げられた斗輝は、息を吐いて半歩下がった。思ったようにやってみろ、という意味だと解し、征四郎はヴィンスの人格になったヤンに向き直る。
「ヤンの体は、使い勝手が良いですか?」
 相変わらず不遜な笑いを浮かべたまま、答えようとしないヴィンスに、重ねて言う。
「彼は病気、だったのですよね」
「まあね。でも、他に選択肢なかったし」
「では、あなたに征四郎の体をあげるのです」
 意外な申し出だったのか、ヴィンスは片眉を跳ね上げた。
「へえ? どういう風の吹き回し?」
「その代わり、ヤンの体を解放して下さい」
 差し伸べられた彼女の手を取ることなく、ヴィンスは鼻先で笑った。
「丁重にお断りするよ。そんな面倒な事しなくたって、全員倒してライヴスを奪えば済むことだし」
「無駄だ。わしらのあとにはそなたを殲滅せしめるため、精鋭が息を潜め待機しておる」
 征四郎の説得に愚神が応じないと見るや、桜子が進み出た。
「そこな病弱な御仁といっしょでは逃げ切れまいて。もろとも殺されるのがおちよ」
 桜子の態度は、余りにも堂々としていた。とてもハッタリとは思えない。しっかり騙されたのか、それともヤンの体が再度衰弱して来ている自覚があったのか、ヴィンスが初めて微かに表情を歪める。
「強気で行けばどうにかなるかも」
 弱点看破でヴィンスを観察していたリュカが呟いた。これと言った身体的弱点部位は、ない。だが、本体の見た目が少年という情報からすると、精神の成熟度も同程度なのかも知れない。
「桜子ちゃん、下がって」
 言うや、ブルズアイを使用し、スナイパーライフルの引き金を絞る。桜子は、絶妙のタイミングで避けると同時に、相棒とリンクした。
 ヴィンスは、慌てて地を蹴る。が、弾丸はその腹部を抉った。
 体勢が崩れた瞬間を逃さず、レイが射手の矜持とファストショットの合わせ技で苦無を放つ。直後、肩を貫かれたヴィンスの手元が光り、彼の手からエネルギー弾が放たれる。
 レイは舌打ちと共にその場を飛び退いたが、光弾は腕を掠った。
「レイさん!」
 駆け寄った俊介が、ケアレイでレイの傷を治す。
 一方、ヴィンスは背中から倒れ込んだ。その鼻先へ、共鳴状態となった征四郎が、大剣を突き付ける。
「ヤンの体から出ないと、死にますよ」
「できるの? 君はまだ、彼を殺したくないように見えるけど」
 口元に笑みを浮かべて言うヴィンスに、征四郎は唇を噛んだ。
「言った筈だ。憑依し続けるなら意味はない、とな」
 斗輝の言葉に、ヴィンスは固まる。征四郎はともかく、斗輝は本気だ。
「選べ。愚神として終わるか、人として死ぬか」
 無造作に距離を詰めた斗輝が拳を振りかぶると、ヴィンスに気弱な表情が覗く。瞬時、ヤンの意識と交錯したかに思われた。ヒッと悲鳴を上げたのは、どちらだったのか。突き付けられた大剣を蹴り上げ様、地面を転ったヤンの体から、遂に愚神本来の、十代前半の少年の姿が分離するように現れた。
「ヤンさん!」
 気を失ったヤンに走り寄った俊介は、ヤンを戦場から引き離すべく、彼を抱えようとした。しかし、彼は意外に大柄でうまくいかない。傍にいたレイと二人掛かりでヤンを引き摺り、少し離れた場所へ避難すると、ケアレイを施す。
 ヤンの命の懸念がなくなったことで、残った四人は一斉にヴィンスに襲い掛かった。ヤンの手当を俊介に任せたレイも、やや遅れて地を蹴る。
 ヴィンスを倒してしまいさえすれば、ヤンとの繋がりは完全に絶てる。
 しかし、ヤンの体を捨てたことで、ヴィンスは却って身軽になってしまったのか、レイを加えた五人の攻撃は掠りもしない。次第に、ヴィンスも余裕の表情を取り戻しつつある。
 一瞬でいい。隙ができれば――
「皆、目を閉じて!」
 リュカの叫びに、ヴィンス以外の全員が反応する。
 どういう意味? と目を見開いたヴィンスだけが、リュカの放ったフラッシュバンをまともに受けた。
 ヴィンスは視界を白く塗り潰され、呻きながら目を押さえてよろめく。瞬間、腹部に衝撃があった。肉薄していたレイが、スナイパーライフルをゼロ距離から発射したのだ。
 流石の愚神も片膝を突く。
「終わりです!」
 俊介も猛然と駆け付け、ブラッドオペレートを振るう。袈裟懸けに裂かれ、体を傾がせた愚神に、斗輝が銀の弾丸で止めを刺した。

 程なく、ヤンは意識を回復した。体の傷はケアレイで癒したものの、今し方知らされた妻の死は、愚神に憑依された所為で憔悴した体に、間違いなく追い討ちとなっている。
 庭先に座り込み、俯いた彼の傍には、征四郎と桜子、俊介が付き添っているが、掛ける言葉は見つからないようだ。
「残念だけど、幸せな終わりを掴める分岐はもう、過ぎてしまっていたんだよね」
 少し離れた所で見守っていたリュカが、ポツリと言う。
 もし、バレス夫妻がこの家を購入していなければ――けれど、今それを言っても始まらない。
「俺がもし、彼と同じ境遇なら……どうするだろう、な」
 独白のようなレイの呟きに、リュカも斗輝も、返す言葉を持たない。しかし、レイも何らかの反応を期待していた訳ではなかった。
 徐に幻想蝶からギターを取り出すと、弦を爪弾く。どこかもの悲しいイントロを追って、レイの声が絡み付く。ニコルの為の葬送曲に、戦いを終えた戦士達は暫し耳を傾けた。
 彼女がせめて、静かに安心して眠ってくれるよう、願いながら。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • Loose cannon
    灰川 斗輝aa0016
    人間|23才|?|防御
  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
    人間|31才|男性|攻撃
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
    人間|10才|女性|攻撃
  • Sound Holic
    レイaa0632
    人間|20才|男性|回避
  • もふもふは正義
    泉興京 桜子aa0936
    人間|7才|女性|攻撃
  • 真仮のリンカー
    都呂々 俊介aa1364
    人間|16才|男性|攻撃
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