本部

【爻】英雄のいない日

形態
シリーズEX(新規)
難易度
普通
オプション
参加費
1,800
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/06/13 19:56

掲示板

オープニング

●消えた英雄
 流れる軽やかな着信音。
 朝食の準備をしていたミュシャ・ラインハルトは振り返り、パートナーのエルナー・ノヴァに声をかけた。
「今、手が離せないから出て貰ってもいいでしょうか」
 急な依頼かもしれない、そう思ったミュシャの頼みにエルナーは頷いてスマートフォンを取り上げた。
「あ、エルナー、コーヒーは──」
 振り返ったミュシャを追う様に長いポニーテールが弾む。
 瞳に映ったスマートフォンを取り上げるエルナーの姿、耳に飛び込む甲高く軋むような音。
 眉間に感じる鋭い痛み。
 ──……ガタン。
 スマートフォンが落ちてリビングの床を滑った。
「──……エルナー……?」
 誰も居ないリビング。
 ミュシャの英雄は、消えてしまった。



●英雄世界の研究
 H.O.P.E.技術開発研究紫峰翁(しほうおう)センター。
 英雄世界についての研究からAWG研究開発まで広く研究を行う施設だ。
「英雄が消えた?」
 紫峰翁センターの代表、峯山から説明を受けた水田 夕笥(みずた ゆうし)は首を傾げた。
 彼はまだ三十代過ぎたばかりの青年だったが、優秀さを買われて何かと頼られていた。
「ああ。今朝六時から八時の間にスマートフォンに着信を受けたエージェントたちの英雄が忽然と『消えた』んだ。証言によると発信者はイルカらしい」
「それは可笑しいでしょう。通話できる周波数は3400Hzまでです。イルカの声は聞こえない」
「そもそもイルカは電話をかけないし英雄を攫わない……つまり、わかるな?」
「──愚神、ですか?」
「ああ。今回は英雄のみをターゲットにした現象だし解析をうちが預かることになった。水田、頼めるか?」
「僕で良ければ」
「頼むよ。ヴィランの線も考えたが技術的に不可能だ。君には今回事件に巻き込まれた英雄と能力者のデータを渡す」
 峯山の言葉に、水田は微笑んだ。
「ありがとうございます、助かります」



●あなたの居ない日常
 ある朝、突然、能力者の目の前で英雄が消えるという事件が起こった。
 そのコールは無作為にかけられたもので、中には一般人も含まれていた。
 影響があったのは一部のリンカーのみ。
 消えた英雄は皆、非共鳴状態で電話を取っており、その時、能力者もその場にいた。
 事件を知ったH.O.P.E.は即座に被害にあったエージェントを確認し、原因究明に力を尽くした。
 そして、二日後。
 ある建物に英雄が消えた能力者の一部が呼び出された。

 壁に取りつけられたランプの光が揺らめく。あちこちに観葉植物が置かれたその部屋には数人掛けのソファとテーブルが置かれて、小さく音楽が流れていた。
 まるで、カフェのようだ、とリーナは思った。
 恋人である英雄を失って混乱している心が少し落ち着いた気がした。
「わざわざお集まり頂いて済みません。もうH.O.P.E.でお会いした方もいるかもしれませんが、僕は紫峰翁センターの水田と申します」
 ガタン、と椅子を倒し、リーナが水田へと駆け寄る。
「……クリフは──、クリフは! ここへ来れば彼の行方がわかるって!」
 水田は混乱するリーナの両肩を優しく叩いて彼女を宥め、そして室内に集まったライヴスリンカーたちの顔をゆっくりと見回した。
「あなたたちの英雄の行方はわかりました。安心してください。
 今回の騒動を引き起こした敵の名前は愚神ヌル。
 昨年、ゲームのルールブックを元に異世界を作ったガネスとレイリィたちを覚えていますか?
 ヌルは彼らと同じ特殊な能力を持つ愚神です」
 そう言って水田はVRゴーグルを配った。
「これを使えば愚神の世界へアクセスできます。ただし、あまり大勢で行くと愚神側に気付かれてしまうので、今回は少人数で行きます。
 リライヴァーを、助けましょう!」



●わたしが見えないあなた
「リーナ! リーナ!!」
 繰り返し呼ぶも取り乱した恋人が答えることはなかった。
「……クソったれ……」
 何もできない現状に荒れたクリフだったが、すぐにリーナから離れるとライヴスの供給が極端に減ることに気付いた。
「どういうことだ……」
 もう一度、スマートフォンが鳴る。表示された着信元はH.O.P.E.だった。

 その支部にはたくさんのエージェントたちが集まっていた。
 職員に「英雄が消えた」と必死に訴えるライヴスリンカーたちと──それを見守るしかないリライヴァーたちだ。
「俺はここだ!」
 リーナの肩を強く掴んで叫ぶクリフ。勢い余って転倒するリーナ。
「悪い、リー……」
 しかし、倒れたリーナは何事もなかったかのように立ち上がり、そしてまた職員に泣きながら「クリフがいない」と訴えた。
「大丈夫だよ、君たちはそこに居る」
 クリフに声をかけたのは白衣を纏った青年だった。
「俺が……見えているんですか」
 室内に居た何人かの職員が気の毒そうにクリフたちリライヴァーを見た。
「君たちのパートナー以外の人間は全員見えている。ここに居るリンカーたちも、この部屋に入った瞬間は自分以外の英雄の姿は見えていたはずなんだ。だが、今はもう見えていたことも忘れている」
 青年は紫峰翁センターの研究者、水田と名乗った。
「君らの状態を僕たちは『リライヴァー・アムネシア』と名付けた。この症状に囚われた能力者は英雄を認識できなくなる。僕やここの誰かが君たちがここに居ると指摘しても、能力者はその言葉も文字も認識できない」
「……じゃあ、俺は……」
 しかし、水田は微笑んだ。
「大丈夫。僕に任せて」

 とある研究施設に数人のエージェントたちが呼ばれたのはその二日後のことだった。
 ゴーグルを着けてソファに沈むリーナの隣で、クリフも同じようにゴーグルを着けた。
「安心してください。これはライヴスリンカーとリライヴァーの波長を合わせ、元の状態に戻すための装置です。あなたちは仮想世界の中で白いイルカの従魔と戦ってもらいます。
 このイメージの世界で共鳴し、無事、従魔を倒せたら、理論上、『リライヴァー・アムネシア』を解除することができるはずです」
 水田の声を聞きながら、クリフの意識は闇へと沈んでいく。
 ──リーナ……待っててくれ……。



●白イルカたち
「ここは」
 そこは、真っ暗な円柱の水槽の中で、唐突にミュシャは理解した。
「エルナーは、消えた……あたしを置いて元の世界へ」
 絶望が白い殻となって足元からミュシャを包む。
 そして、彼女は一頭の白イルカへと変わり、素早く水槽の上から外──いや、中へと泳いで行った。

 目を覚ましたエルナーはデーメーテールの剣を抜くと、目の前の硝子を叩き割った。
 外からどっと流れ込んでくる水の感触。だが、幻覚だ。影響は無い。
「あれか」
 闇の中に映日のような光が見える。その周辺にたくさんのイルカが回遊しているのが見えた。
「さっさとイルカを倒さなくては」
 走り出すエルナー。
 その後ろで他の英雄たちも目を覚ました。

解説

※ほぼPL情報

離れ離れになった英雄と能力者の心情RPを入れてください。

英雄単体(今回のみ共鳴状態と同じステータス・スキル)でイルカ型従魔と戦いながら
イルカになった能力者を見つけ共鳴します
※英雄不参加の場合、能力者を見つける描写は省かれます
※このOP及びリプレイには正しくない情報が含まれます
※MSによるアドリブが入るため、NG行為の明記をお願い致します



●『リライヴァー・アムネシア』
ある音を聞いた能力者が自分の英雄を認識できなくなる状態
音が流れた現場に居た英雄が見えなくなる(参加英雄のみ)
周囲の人間が指摘してもそれ自体を理解できない、一種の洗脳状態
他者の英雄は認識できるが、その英雄の能力者が同じ『リライヴァー・アムネシア』を訴えていた場合、
すぐに認識できなくなり、直前に自分が認識していたことも忘れてしまう
英雄側は最低限のライヴスの供給を受けるために能力者から離れることが出来ない(1~2m程)と主張する


●敵(ケントゥリオ級従魔)
傷だらけの白イルカ従魔。体長3m
1R(ラウンド)目は半透明で実体化しておらず全ての攻撃は無効
ほぼ空中に居るが、3Rに1回、怪音波の攻撃(魔法攻撃)で空間全体に大ダメージを与える
怪音波攻撃前に一度地上すれすれまで潜る
体長1m程度の複数の白イルカを使役する(攻撃は体当たりのみ、正体は能力者)



関連シナリオで『【限定】記憶の箱』を配布されたPCはプレイングに明記して頂ければ過去参加シナリオ時の記憶を取り戻すことができます。その際は「誰が(能・英両方も可)」「どのような反応をするか」をご記入お願いします。
箱を携帯していた場合『記憶の箱』は破壊され、描写が入ります。
今回は記憶は消えません。


●備考
・関連シナリオ
きみがすき。(修羅場編)/きみの嘘がきみを殺す/深海の、瓦礫這いずる鯨の王、
We are ウォー!等
※必要事項はOP解説にて説明、参照しなくても問題はありません

リプレイ


●消えた英雄
 ──それまでは、いつもの朝だった。
 受話口か溢れ出した不快な音。こちらがそれを切る前にそれは止み、ディスプレイには『不明』の表示だけが残った。
「なんだ? 大丈夫だったか、白虎……」
 まだ痛む額を軽く押さえながら、虎噛 千颯(aa0123)が顔を上げる。
 しかし、さっきまで同じ室内に居たはずの白虎丸(aa0123hero001)の姿は無かった。
「凄い音だったしなー」
 突然の怪音に驚いて部屋から飛び出したのだろうと、その時、彼は思った。
 ──それは朝の路上での出来事だった。
 甲高い音に驚いて取り落としてしまったスマートフォン。
 それを拾い上げた水竹 水簾(aa5022)は自分の肩の軽さに気付いた。
 はっとして自分の肩を探る、探る、探す。しかし、その手は空を掴むばかり。
 素早く自分の周囲の地面を見渡すが何もない。
 青ざめる水簾。
「ウーがいない! いつもは肩にへばりついているのに……!」
 相棒のウー パルーパ(aa5022hero002)は、見た目は現世界のメキシコサラマンダー(別名:ウーパールーパー)の特徴を持った英雄だが、普段は水簾の肩の上で過ごしている。その体重十キロが忽然と消えていた。
「まさか、どこかで落ちた? 落としたか!?」
 慌てて歩いて来た道を引き返す水簾。
 ──英雄が消えた能力者たちのスマートフォンが鳴ったのはその時だった。
 ディスプレイに表示される『H.O.P.E.』の文字。
 彼らが何かを考える間もなく、その指は躊躇わずに通話ボタンを押した。
 受話口から流れたのは雑音にまみれた男の声だった。
「もしもし、H.O.P.E.……東京海上支部……です。確認です。あなたの英雄はご無事ですか?」



 H.O.P.E.東京海上支部に用意された部屋の一つ。
 案内された九人のエージェントたちは、顔見知りが多かったこともあってぽつぽつと自分の状況や不安を漏らしていた。
「涼風邸でのティータイムの最中、ラシルだけ突然いなくなってしまって……」
 気丈に振る舞う月鏡 由利菜(aa0873)だったが、彼女の横顔はいつもと違っていた。
 魂を分けた存在である英雄は能力者によっては単なるパートナー以上の支えになっていることも多い。
 由利菜にとってのリーヴスラシル(aa0873hero001)はそういう存在であった。過去の体験によって傷ついた由利菜の心を支え導き、共に歩いて来た存在だ。
「由利菜さん……」
 由利菜とリーヴスラシルの関係を知るミュシャが彼女を案じて言葉を探した。
「……すみません、大丈夫です。ラシルの主として、今、ここで動揺するわけにはいきません」
 ミュシャの様子に気付いた由利菜は軽く自分の両手を握りしめた。
『ユリナ、私に任せろ』
 何かあればそう言ってくれたパートナーは今ここにいない。
 それでも──、ともすれば飲み込まれそうになる不安の影を払って、由利菜はいつも通り微笑もうとした。
「早く、早くウーを見つけないと……」
 血の気の引いた白い顔で呟くのは水簾だ。
 さっきから英雄が以前いなくなった時に起きた騒動が浮かび、そわそわと落ち着かない。
 ──あれは、ウーが屋台の匂いに釣られて……。
 その後、チワワにちょっかいをかけられていた。
 幸いチワワはライヴスを介した攻撃を行わないので傷つくことは無かったが、今回はあの時とは違う。こんなにたくさんの英雄が行方不明になっているのだ。
「今度はどんな怪我を負ってくるか分かったものじゃない……」
 水簾は怪我をしたウーの姿など見たくない。
 防人 正護(aa2336)も英雄の古賀 菖蒲(旧姓:サキモリ(aa2336hero001)を思い、独り言つ。
「……全く手間かけさせやがって……さっさと済ませて仕事に戻らないといけないんだ」
 口ではそう言うものの、その様子はまるで親が子を心配するようであった。
「──飲むか?」
 そんな正護へぶっきらぼうに差し出された紙コップ。知人の意外な行動に少々面喰いながらも、正護は御神 恭也(aa0127)からの不器用な心遣いを受け取る。
「すまない──焦るのは皆同じだと言うのに」
「いや、伊邪那美の事だ。大事には至っていないとは思うが……」
 伊邪那美(aa0127hero001)は恭也の英雄の少女だ。
 正護の孫を自称する菖蒲が見た目に反して幼い妖狐であるのに対して、恭也の英雄、伊邪那美は少女のような外見と性格だが神世七代の一柱を自称する。
 ならばこその信頼か──。
 冷静な恭也の姿にそう納得しかけた正護だったが、よく見れば恭也も組んだ腕を絶えず指で叩いている。その様子は到底落ち着いていると言い難い。
 正護の視線に気づいた恭也が苦笑する。
「いつもあるものが無いだけで、ここまで落ち着かんとはな」
 頷きながら正護は、まだ十代の彼からの気遣いに感謝した。
 千桜 姫癒(aa4767)は窓辺で外を見ながら小さく息を吐く。
「和、何処に行ったんだ? 何も言わずにこんなに離れる事なんてなかったのに……」
 英雄である日向 和輝(aa4767hero001)は黙って消えるようなタイプではない。
「何かあったのか? それとも……俺の……」
 言いかけて、口をつぐむ。
 姫癒より深いため息を吐いたのはシエロ レミプリク(aa0575)だ。
 彼女にとって英雄のナト アマタ(aa0575hero001)は天使であり、今は生きる意味の大半、日々の活力なのだ。
 ──ナトくんにもう会えないのかな。
 何故かそう思い込んでしまったシエロは、普段の彼女から想像もつかないほど落ち込んで無気力な状態になっていた。
 自分はこのままひたすら悲しみ、落ち込み、絶望し──、それすら終わった後は思考も行動も停止してしまうに違いない……ぼんやりとそう思った。
「……もうどーでもいいよ……いや、どーでもだめだよ……もう」
 油断すると、ぼろぼろと涙ばかりが落ちる。
「……」
 木陰 黎夜(aa0061)は部屋の隅で、そんな仲間たちの様子を静かに見ていた。
「お待たせしてすみません」
 ラボコートを翻して中に入って来たのは爽やかな青年と、綺麗な顔を強張らせた女性だった。
「僕は水田 夕笥。紫峰翁センターの研究員でこの件を調査──」
 背の高い青年が水田のラボコートの襟を掴んだ
「なぁ! 白虎丸は何処だ! 何処にいる! 知ってるんだろ!」
 その声に、その姿に、室内の多くのエージェントがびくりと身を震わせた。
 水田に詰め寄ったのは千颯だった。
 いつも楽天的で明るく場を盛り上げる彼が、何かあれば周りを気遣う彼が、見る影もないほど取り乱していた。
「なぁ! 教えてくれよ! 何処だ!」
 千颯の声に触発されて、水田と共に部屋に入って来たリーナも顔を覆って泣き出した。
「クリフ……」
 そんなリーナをちらりと見て、そして、水田は自分を掴む千颯の両手に自分の掌を重ねた。その手はとても冷えていたが千颯の冷静さを呼び覚ますことはなかった。
「大丈夫です。まだ調査中ですが僕が必ずあなたたちの大切な英雄を見つけます。だから、どうか落ち着いて待っていてください」
 そう言った水田の視線は千颯の背後に向けられていた。



●『日常』
 ──独りで帰った我が家はとても静かで、まるで知らない場所のようだった。
「……ただいま」
 誰も居ない部屋に向かって黎夜は小さく呟いた。
 もちろん、彼女の英雄、アーテル・V・ノクス(aa0061hero001)からの返事は無い。
「…………」
 ぽす、と座る。
 灯りを点けた部屋は明るいのに、やけに寒くてよそよそしく思えた。
 ──ハルがいない時間は珍しくないのに、寂しいと思うのはどうして?
 小さな頭をもたげて天井を見上げる。そこには見慣れた笑顔は無かった。
 ──消えたから?
 首を傾げる。
 ──信頼はしているけど、恐れているはずなのに。
 天涯孤独の彼女と誓約してくれた英雄。過去の出来事で男性恐怖症である彼女を気遣ってくれる彼。
 ──ハルにふれたい。
 唐突に湧き上がる想い。信頼したアーテルとの共鳴すら苦手だと言うのに、それでも、黎夜は思った。
 ──わたしが強いたあの口調を聴きたい。ハルの作ったご飯を食べたい。
 そこに、黎夜の気持ちを受け止めてくれる『英雄』は居なかった。


 逢魔が時は緩やかに藍色の闇を連れて忍び寄る。
 自宅へ帰る気にならず、千颯は白虎丸と訪れたことのある神社の境内へと足を踏み入れた。
「白虎丸、何処だ!」
 千颯は叫んだ。
 無人の神社で彼に応える声は聞こえず、ただ風の音だけが耳に届く。
「お前まで俺を残していなくなるのか!」
 それは彼の胸の奥から溢れ出た叫びであった。
 ──かつて、千颯には親友が居た。だが、千颯が高校生の頃に彼は千颯を置いて夭折した。
 ……それがずっと千颯の中にはあった。
 家族を持ってからでさえ、ずっと腹の胸の奥にあった。
 だから、千颯は近しい人間が突然いなくなることを必要以上に嫌い、内心、恐怖していた。その瑕を魂で繋がった相棒の喪失は突き、かき乱した。
「なぁ! 返事してくれよ! 白虎丸!」
 揺れた大きな黒い影は、境内を囲む木立のもの。


 灯りをともす気にならないまま、由利菜は自室のドアを閉めた。
 リーヴスラシルが由利菜のために整えてくれた、まるでお姫様のためのような部屋が廊下からの灯りに浮かび上がる。
 夜はすっかり更けて、月を隠した黒雲からぽつりぽつりと落ちた雨粒が小さく窓を叩き始めた。
「私の大好きな両親は、お仕事の関係でよく家を空けていた……。一人きりの夜は寂しかった」
 仰いだ夜空は黒く翳っていた。高さのわからない暗い空が、思い出の中の幼い由利菜が見上げた景色と重なる。
「昔は一人になるのが嫌で……誰かとの関わりが欲しくて、よく女王様みたいに振る舞ってた」
 雨音に消されないよう、少し声を出す。
「今はラシルがいて、ウィリディスがいて……H.O.P.E.や学園や涼風邸の皆もいる」
 それは自分への言葉。
「ラシルも……あの子も側にいる」
 言い聞かせるための言葉。
「私は独りじゃない! 独りになりたくない……!!」
 そう言って、それでも、由利菜は床に崩れ落ちた。


 真夜中。
 誰も居ない家へシエロは独り帰った。
 ナトが居ないこの家にシエロは独りだったけれど、あまりに強いショックを受けた彼女はそれについて何かを思うことができなかった。少し間を空けては思い出したかのように涙をボロボロと落とす。
 そんなシエロの足元に小さな音を立てて何かが落ちた。
 RB記憶のメモリー。
 ゲーム『リング・ブレイク』の中でナトの子供として生まれたNPCの画像データが収められたメモリーカードだ。
 落ちた瞬間、ソレがナトに似た姿を宙に映し、シエロはそれに手を伸ばした。
 だが、すぐに掻き消え、ただ、どこからか『Error』という無機質な音声が流れた。
「なん、で……」
 何度もそれを手の中で弄ったがそれはずっと『Error』と答えるばかりで、やがてシエロはそれを抱えて蹲った。


 ──和がいない事がこんなに不安になるなんて……。
 ひっきりなしに去来する暗い予感。姫癒は息苦しさから逃れるように息を吐いた。
 ──いつの間にか、いる事が当たり前になっていたんだ。
「……それはそうか、母さんが死んだあの時からずっと一緒にいるんだから」
 自分の言葉にずきりと胸が痛んだ。
 ──あの時は俺もまだ幼くて和の事を責めてたっけ。
 『俺だけ生きてるくらいなら一緒に逝きたかった』、そう言って自分を助けてくれた英雄に当たった未熟な自分。
 ──今では感謝してるんだ。ちゃんと伝えた事はなかったけど、和のおかげで生きてて良かったって思えるようになったから。
 だから、だから……と指先がカードの上を彷徨って──、ふと唐突に和輝の快活な笑顔が脳裏に浮かんだ。
 掌を膝の上に引き戻すと、彼は瞼を閉じて胸の中から迷いを吐き出した。、
「大体、あれだけ構って来てたのに急にいなくなるとかおかしいんだよ」
 再び目を開いた姫癒は優しい手つきでカードを一枚一枚集める。
 千々に乱れた心で尋ねても、カードも応えようがなかったはずだ。
 ──急にいなくなった事にいろいろと考えて不安も感じたけど、俺たちの誓約は『和輝を頼ること』。
「……俺は、和輝を信じている。早く戻ってこい。頼りにしているんだ……和輝」
 最後に掴んだのは太陽のカードだった。


 白々と明け始めた空に気付いて恭也はため息をつく。
 なぜかほとんど眠れなかった。
「……伊邪那美に何かあってみろ、どんな手を使っても駆逐してやる」
 不審な電話、消えた英雄。
 伊邪那美が居ないこの事態が悪意を持つ何者かの仕業だと、彼にはなぜか確信に近いものがあった。
「俺の家族に手を出して、只で済むと思うな」
 目の前に居ない悪意が、笑った気がした。



●消された存在
「……ジーチャン?」
 菖蒲は、突然目の前にいる自分を探し始める正護に狼狽えた。
 最初は珍しくふざけているのかと思った。しかし、必死な正護の姿に段々事態が飲み込めて、彼女は必死に正護に自分の存在を訴えた。
 ──ナトは、シエロが大好きだ。
 自分を好きと言ってくれる、自分と一緒にいることに無上の幸せを感じてくれるシエロが大好きだ。
「シエロ……?」
 そんなシエロが目の前の自分を見ることが出来なくなった。
 英雄である、自分を認識してくれない。
 それは、シエロが想像する以上にナトにとっても非常事態であった。
「シエロ! ナトはここだよ!!」
 普段、感情をほとんど表さないナトが声を荒げてシエロにしがみ付いたが──それでも、彼女はナトの存在に気付くことはなかった。


「大丈夫だよ、君たちはそこに居る」
 水田と名乗る男は、H.O.P.E.東京支部の一室で英雄たちに優しく語りかけた。
 彼の後ろを険しい顔で付いて来たクリフも頷く。
「それでは、ミュシャたちには僕たちが見えなくなっただけだということかな?」
 水田の説明を聞いたエルナーが確認する。
「ああ。でも、気付いているだろうけど、今、君たちと能力者の絆は極めて不安定だ。僕が連絡するまで能力者の側で待って欲しい」
 そう言って水田は再び能力者たちへの説明に戻った。同じ室内での会話だというのに、能力者たちは今までの水田の話を理解していなかった。
「こんなに近くにいるのに、気が付いてくれないなんて歯痒いよ」
 伊邪那美は恭也の紙コップを持つ手を引いたが、彼は伊邪那美の方を見ることもなく、大きく波立って零れそうになったコップを一時的にテーブルに避難させた。
 今度は壁を叩く伊邪那美。
 トントン、軽やかな音は教えて貰ったモールス信号だ。
 みんな、ここに、いるよ……。
 恭也でなくても構わない。誰か、この場の誰か一人にでも届けば……。
 しかし、水田がちらりと彼女を見ただけであった。
「駄目かぁ……まるで、見えない壁がボク達の間にあって邪魔している感じだよ」
 軽く落胆しながら伊邪那美は、なんとなく壁側に集まる英雄たちの元へと戻る。
「はぁ~……近くにいるのに独りぼっちって感じだよ。皆が居なかったら本当に泣いてたかも知れないな……」
 潤んだ瞳で伊邪那美を見上げる菖蒲に伊邪那美は言った。
「だいじょうぶだよ、ボクたちはちゃんとここにいる」
 厳しい眼差しで自分のパートナーを見ていたエルナーが、伊邪那美の言葉にはっとしたように笑顔を浮かべてみせた。
「そうだね、きっと戻ることができるはずだよ」



●日常の裏返し
「ウー? どこ? やっぱり落とした?」
 今朝通った道を、自宅の洗濯物の中を、不安にかられて探す水簾の肩から、ウーが訴える。
「うぱー!」
 ──いるから! 肩に乗ってるから! ウーはハンカチとかじゃないから!
 そんな顔で訴えるが、もちろん水簾には届かない。
「もしかして」
 思わず洗濯槽に目をやった水簾をウーはウーなりの全力で止めた。無駄だった。


「返事してくれよ! 白虎丸!」
 相棒の取り乱す姿に驚いた白虎丸は、千颯の肩を掴む。
「千颯! ここでござる! お前のすぐ傍にいるでござるよ!」
 しかし、依然として彼の声は千颯に届かない。
「千颯どうしたでござるか! ここにいるでござるよ!」
 ──千颯が此処まで取り乱す姿を見たのは初めてでござる。
 白虎丸の大きな声に応えるように木々が騒めいたが、肝心の相棒は姿の見えない自分を呼び続ける。
「俺は何処にもいかないでござるよ」
 そんな千颯に白虎丸は声をかけ続けた。
 聞こえないと分かってる──けれども、声は届くと信じて。
 風と共に木々がまた大きく騒めいた。


 部屋に独りでいる黎夜の姿は年より更に小さく脆く見え、アーテルの胸は痛んだ。
 離れようにも離れられない
 触れられる距離にいても触れられない
 アーテルは自嘲した。
 ──……これはいつもの事か。
 五年前の水難事故。アーテルはその後のことを思い出していた。
 ──あの時……つぅに怯えられた事も、手を払いのけられた事も覚えている。
 アーテルは自分の掌に目を落とした。
 ──あれ以来、自分から触れた事は何度あっただろうか。
 アーテルがほぼ一方的に結んだ最初の誓約。『お前を生かす』と言うそれを果たすために彼は少女を守って生かした。
 『黎夜』を生かしたい。だが戦いへと導く、その矛盾が生まれたのは自分が自分で在りたかったから、弓を引きたい己の欲のためではなかったのか。いつしかそれに気付いて、そして──。
「その内に壊れ物を扱うように接して……俺はどうして触れる事を諦めた?」
 掌の向こうに見えるのは、かつて彼を拒絶したあの怯えた少女ではなく、彼の『相方』であるはずだ。


 家に帰り、いつも通り仕事を始める正護の姿を菖蒲は寂しく見つめる。
 最近は正護の仕事が忙しくて一緒に居ないのが当たり前になっていた。けれども、だからこそ、まだ幼い妖狐である菖蒲にとっては親にも等しい正護との時間は大切で、こんな形でそれを奪われるのはとても辛かった。
「……?」
 様々な資料を開く正護の手がさっきから動いていない。じっと紙面を見つめているのに心ここにあらずといった感じだ。
 菖蒲はそっと正護の背中に自分の背を預けて座る。もちろん、菖蒲が見えない正護は何も言わなかった。
 ただ、無音だった部屋に紙をめくる音が響いた。


 由利菜と共に帰宅したリーヴスラシルは、由利菜の部屋の前の壁に身を預けた。
「人とヴァン神族のハーフである、ラグナロクの遥か未来のミッドガルドの白銀騎士……それが私の人格であり定義」
 白銀騎士はぽつりと呟く。
「だが……それが真実だと証明する手段は、現状ではどこにもない。私もユリナの騎士として仕えることで、不確定な自己を定義しようとしているのか……?」
 英雄である自分の記憶の不確かさに由来する、今まで抱いていた自己定義への葛藤が彼女を蝕む。
「私も、主なくしては成り立たぬ存在か……」
 静かな雨音が彼女の胸の空虚な部分に虚しく響いた。


「俺はずっとここに居る。何も言わずに離れるわけがないだろう?」
 なぜか自分を責めている姫癒に和輝は訴えた。けれども、和輝が彼の腕を掴んでも姫癒は彼に気付くことは無かった。
「くそっ……どうして俺の事が見えないんだ!」
 焦りばかりが募り、夜が更けていく。
 だが、ただカードを繰る姫癒の姿を見ていた和輝の心は不思議と落ち着いて来た。
「──俺がいなくなって慌てる姫癒を見て嬉しかった、って言ったら怒りそうだな」
 少々人間不信でひねくれたところのあるパートナーの素直な動揺を目にして、思わず抱いた感想だった。
 その瞬間、姫癒が口を開く。
「それはそうか、母さんが死んだあの時からずっと一緒にいるんだから」
 驚く和輝。だが、和輝の声が姫癒に届いたわけではなく、姫癒もまた和輝と同じく昔のことを思い出していたようだった。
 『俺だけ生きてるくらいなら一緒に逝きたかった』、そう訴えたまだ幼い姫癒。
 小さく笑うと、姿が見えないにも関わらず、和輝は姫癒へ語り掛けた。
「本当はまだ俺の事を許せないでいるんじゃないかって、ちょっとは思っててさー」
 彼と彼の母親を共に助けることができなかった自分。もっと早くそこへ辿り着くことができれば、何度そう思ったことか。
「でも、そんな事なさそうだよなっ」
 和輝はカードの上を彷徨う姫癒の手の甲を軽く叩いた。
「正直初めの頃は罪悪感とか、姫癒の成長を見守るってお前の母親に約束した義務感もあったんだ。
 だけど、今ではお前とわいわいやってるのが楽しくってさ。俺は姫癒と一緒にいるのが楽しいんだなーって思うわけよ」
 叩かれた掌を一旦引いた姫癒が、いつもの口調で呟いた。
「大体、あれだけ構って来てたのに急にいなくなるとかおかしいんだよ」
 思わず苦笑した和輝へ、彼が見えないはずの姫癒が言った。
「俺は、和輝を信じている。早く戻ってこい。頼りにしているんだ……和輝」
 英雄は頷いた。
「姫癒……絶対に俺が助けるからなっ」



●水族館の夢
 事件から二日後。
 水田に導かれるまま、治療のためのVR世界にログインした英雄たちはそれぞれの水槽の硝子を破って次々と飛び出した。

 ……その時、からんと、三つの『記憶の箱』が割れた硝子にまみれて転がり落ちたが、誰もそれに気付かなかった。


 先を走るアーテルの後を追うように、和輝がイルカへ向かって走る。
「ここで共鳴すればいいんだろ? って事は姫癒がここにいるって事だよな」
 先にゴーグルを着けてこの世界へログインしているはずのパートナーを探すが、映日のような光と回遊するたくさんのイルカしか見つけることはできなかった。
「まず、姫癒を探さないとな」
 同じくその世界へ足を踏み入れた白虎丸だったが、泳ぎ回るイルカの姿に唖然として足を止めた。
 ピシリ、白虎丸の背後で転がり落ちた彼の記憶の箱にひびが入る。
「あのイルカ……まさか『あの時』のと同種!? となればまた我らを愚弄する不届き者か!」
 激しい怒りが白虎丸の視界を赤く濁らせる。『あの時』がなんなのか自分でもまだわからないが不快さと怒りが訪れる。
「我らが絆……貴様らの様な不埒な存在に断ち切れる程脆弱なもので無いと知れ! 彼奴が見つけれぬとも我が見つけ出す! 必ずだ!」
 振るった爆炎を纏う赫焉の魔槍が見えない水を断ち切った。
 仲間たちの後を追った菖蒲だったが、普段の戦闘を正護に任せている彼女は慣れない戦闘に怯えを隠せない。
「……わ、私だって……戦わなくっちゃ……」
 幻想蝶に手を翳すと全長百三十メートルほどの細長い玻璃が多数展開する。玻璃「ニーエ・シュトゥルナ」だ。それは耳鳴りのような音を出しながら敵を貫く光線を放つのだが、腰の引けた菖蒲はうまく当てることができない。
「まずは敵の手の内を見極める。この状況下では尚更だ」
 声をかけられて菖蒲は白銀騎士に気付く。菖蒲に近付いたイルカを矢で追い払うとリーヴスラシルは頭上を示した。
「……なにあれ……」
「あれは……鯨型の愚神か? だが、不自然に傷が多いな……」
 半透明の巨大な影だった。その大きさはイルカと言うより、むしろ鯨に分類できた。傷の多い身体で曇った眼でじっと英雄たちを見下ろしていた。
「……っ」
 巨大イルカを狙って弓に矢を番えたアーテルだったが、背中の傷の痛みに矢を放つことができず諦めて弓を下ろす。
「あれが、ボスなのかな」
 伊邪那美が身体に似合わない巨大なドラゴンスレイヤーを構える。
 ウーが躍り出た。
「うぱー」
 ウーの《ライヴスフィールド》がイルカたちのライヴスをかく乱する。
 頭上の巨大なイルカは無言で英雄たちを見ていた。
 それを守るように何頭ものイルカたちが交互に英雄たちへと体当たりを仕掛ける。
「我が狙うは対象首のみ! 周りの雑魚に用はない!」
 白虎丸は掲げたグングニルで巨大イルカを真っ直ぐに指す。
 記憶の混乱している白虎丸は普段と違って乱暴で高圧的な口調へと変わっていたが、その本心はただ相棒を案じ、相棒を苦しめさせた『敵』への怒りに満ちていた。
 虎の咆哮にも似た雷鳴が鳴り、投擲したグングニルが上空の鯨へと突き立つ。
 反動で巨大な従魔がうねり、そして、動いた。
 ぐんと下降、いや潜水する従魔。近付くほどにその輪郭を露わにし、水流と共に地表に英雄たちの元へと迫る。
 《守るべき誓い》で敵の注意をひくリーヴスラシル、その隙に伊邪那美の《疾風怒濤》が横っ面を張り飛ばし、ウーは身体とは明らかに不釣り合いの全長二メートル超えのハイジーンスピアを構えた。スピアの横っ腹をぺちぺちと叩き、ぷすりと刺さる。
 傷の増えた白イルカは再び浮上しながら大きく口を開く。
 ──耳に飛び込む甲高く軋むような音。それは、あの日スマートフォンから流れた怪音。
「っ! こんなことをしている場合じゃないんだ!」
 額を押さえ顔を歪めたエルナーが体当たりをして来たイルカを一体、斬り伏せた。
 同時に一段と激しくなった怪音に全員が目を閉じた。


 ナトは必死に探していた。
「シエロ……どこ……!」
 普段、感情をあまり表に出さないナトがはっきりと焦りを浮かべている。
 これはシエロを取り戻す戦いなのだ。
 おっとりとしたナトから想像できないくらい機敏に、そして、必死に水の中を走るが、居るのはイルカ型の従魔のみだ。体当たりをしてくるイルカを撃退しながら、ナトは叫んだ。
「返して……シエロを返して!」
 ──ナト……くん。
「!?」
 シエロの声が聞こえた気がして、ナトはイルカたちに目を凝らした。
 忙しそうに泳ぐイルカの中で、一体だけぼんやり漂っているイルカがいる。
 少し大きなそれは、左目と、あちこちに傷がついていて、悲しそうな瞳からぼろぼろと涙を零していた。
「シエロ……シエロ!」
 その手がイルカを抱くと、それは泣きはらした目をしたシエロの姿に変わった。
「ナトくん……ナトくん!」
 急に生気を取り戻したシエロはナトを力いっぱい抱きしめた。


●共鳴
 イルカの怪音波に連動するように、砕けた硝子の間に転がった三つの箱が次々に崩れた。
 不和を望む愚神が残した記憶の箱、中から転がり出た小さな珊瑚の欠片。そこに封じられたライヴスの残滓が水中へ漏れ広がり出す。

 イルカに変じた黎夜は水中を泳ぎながら、ぼんやりと手元にあった箱のことを思い出していた。
 ──固く閉ざされた箱。封をした箱。これを開けて中を覗く度胸は、わたしにはない。
 それなのに、今、ここであの箱が壊れたことが黎夜にははっきりとわかった。
 溢れ出す、忘れていた記憶──。
『あんたのせいで、俺は弓が引けなくなった事を忘れちゃいねぇだろうな?』
 粗暴な口調でアーテルが黎夜を詰る。いや、違う。彼は本来はこういう喋り方なのだ。
『俺はあんたが大嫌いだ』
 記憶の言葉が黎夜の心を切り裂いた。
 ──同時に、その先が蘇る。
 意に沿わない言葉を吐いたアーテルが苦しげな瞳で黎夜に手を伸ばし、そして、黎夜も指を伸ばした。

 ──『信じる』。

 悪意にまみれててもいい、わたしはそれだけのことをしている。
 それでも、ただただ、貴方の本心を知るのが怖い。
 あの眼差しがあっても何かが揺らいでしまいそうで。
 キラわれてもいい。
 怖いけど、もっと怖いのは、今まで語らなかった本心を知ること。
 ──固く閉ざされたものを開けるのは怖いでしょう?

 隻眼のイルカは英雄を映した。
 同じく記憶を取り戻したアーテルは苦しそうな表情を浮かべた。
 ──……前にもこんな場面に出くわしたな。ああ……鯨を倒した時の。あんな言葉を吐いていたのに忘れていたのか。
「……つぅ、おいで」
 しかし、イルカになった黎夜は可能な限り身を反らして離れようとした。でも、それが嫌悪からのものではないとアーテルにはわかっていた。ふたりは何も語らな過ぎた。蘇った記憶の中の偽りの言葉もその後の真実にもただひどく動揺して、互いに宛てた感情に触れたことに戸惑っている。
 だが、これだけは今伝えたいとアーテルは前へ踏み出した。
「”俺”はつぅの事を心の底から嫌った事はないわ。そっちがどうか分からないけれど」
 確かに黎夜を疎ましく思った事もある。
 重く感じる腕を動かす。届くかどうかはわからないが、今、諦める理由を見つけ出せないからアーテルは黎夜へと手を差し出した。
「嫌っていたら、とっくの昔につぅとの誓約は解除して、ここにはいない」
 ──黎夜はこの世界で生きる道を進ませた、初めてで唯一の存在だ。
 アーテルの手にイルカが触れて幻想蝶の光が弾けた。


 ──この胸にこびりつくような嫌な感じ何処かで……それにあのイルカ……。
 白虎丸は両眼を大きく見開く。
『お前はそうやって生きているんだ! この卑怯者め!』
 突然、蘇る記憶。記憶の中の自分の怒声に白虎丸は雷に打たれたようにその場に立ち尽くした。
「これは!? あの時の記憶……でござるか!?」
 同時に、今まで自分が口走っていた言葉の意味を理解した。
 ──千颯は『あの時』、俺の言葉では無く、『俺』を信じてくれた。なら、今度は俺が千颯を見つけ出す番でござる!
「あんな顔はもうさせないでござるよ! 待っているでござる千颯!」
 そう言った白虎丸は一頭のイルカを目指して捕まえる。
 それはずるりと姿が崩れて千颯へと変わった。
「──お、白虎ちゃん……久しぶり……」
 千颯は白虎丸の姿を見て力無く笑い、目を閉じた。
「ここは俺に任せて、休め」
 共鳴して壮年の姿の千颯になった白虎丸は改めて敵を睨んだ。


「やだぁ……もうやだよぅ……」
 イルカの怪音波を喰らって地面に転がった菖蒲は涙を浮かべ──。
 箱が壊れたことを知る。
 ただ、彼女の箱に込められた記憶は他の二人とは違っていた。
『………』
 殺女──菖蒲の過去の、妖狐の人格がゆっくりと目を覚まし、代わりに菖蒲はずるずると意識の外へと落ちてゆく。
「くっふふふはははははは……」
 九つの尾を引くような髪、黒い靄の様なものを身に纏って、かつて世界を喰らいし妖狐は笑う。
 ──ただいま、世界……。
 彼女の身に満ちるはかつての破壊衝動。
 仮想世界ゆえか、殺女の放った常識外の強力な《重圧空間》がイルカたちを次々に地へと叩きつける。
「駄目だ!」
 一頭のイルカが地面に叩きつけられる寸前、和輝は反射的にそれを抱えて守った。
「まさか……」
 胸に抱えたイルカから感じる懐かしいライヴスの波動に和輝は驚き、恐る恐る手を伸ばす。


 暴風と化した《拒絶の風》が吹き荒れ、爆炎と化した《ブルームフレア》が焼き尽くす。
 殺女の手によって従魔もイルカたちも全て壊れようとしていた。
「くっふふふふふ……どうした? その程度か?」
 ダメージを負った巨大なイルカが地面に倒れると、殺女の胸元に傷だらけのイルカがぶつかって来た。イルカは殺女に触れると、怪我した正護の姿に変わり地面を転がった。
「──っバカ! 何をしている!! 早く正気に戻れ!!」
 両手で身体を支えた正護が精一杯声を張る。
「いい加減頭を冷やせ! 俺は勝手にいなくなったりしない! アイリス!」
 殺女は手を止め、正護を見つめる。
「……じ……」
 黒い靄が晴れてゆく。
「じーちゃん……ごめんなざぁいぃ……」
 泣きながら菖蒲が正護へと駆け寄る。
「……まだ仕事を引き継いでいないうちはおちおち消えてられないからな。
 それにお前が無事でいないと……悲しむやつがいるからな」
 自分にしがみ付く菖蒲を支えた正護の耳に殺女の声が聞こえた気がした。
『全く……厄介な親バカのせいで……ふん、せいぜいアイリスを大切にすることだな』
「……泣くのも説教も後だ。いくぞ……変身!」


 共鳴を果たす仲間たちを見て、リーヴスラシルは理解した。
 イルカに剣を向ける気にならないはずだ。
 そして、自分たちにイルカを倒させようとしたアレは──。
「愚神め、くだらん策を……! ユリナ!」
 まだまだたくさんのイルカたちが泳いでいる。だが、イルカが能力者だと理解したリーヴスラシルには由利菜を見分けることなど造作もなかった。駆け寄ったイルカを彼女は丁重に降れる。
「勝手に皆の前から消えてしまってすまない……私はここにいる!」


「見つけたーっ!」
 伊邪那美が触れると恭也は元の姿に戻る。
「……なんでわかった」
「表情を抑えたイルカって逆に珍しいからね」
「表情?」
「冗談、なんとなくだよ」
 なんとなく、その答えは半分嘘ではない。伊邪那美が名前を呼んだ時の彼の面倒くさそうな反応なんて説明できないし、彼が気付く必要もない。


 一方、状況を理解したウーは持ち物から花火セット「動」のねずみ花火やへんてこダイスを取り出す。
「うぱー」
 ステップいち、へんてこダイスと火を点けたねずみ花火と辺りに転がした。
「ブクブク」
 ステップに、それを追いかけ回すイルカ……数頭居ますが、それの肩──イルカに肩があるかはウーには謎だが──に飛び乗った。
「うぱ!」
 ステップさん、とばかりにウーは顔を輝かせた。
 イルカとは言え、いつもの安定した乗り心地、これは間違いない。
「うぴー!」
 見つけた! という顔でウーが声を上げるのと同時にねずみ花火を追いかけて泳いでいた水簾が地面に転がり落ちた。
「ウー……?」
「るぱー!」
 『何でイルカなの!? スイレンちゃんはウーパールーパーのほうが好きでしょ!?』と抗議をしている、そんな顔で詰め寄るウーを水簾は抱きしめ、そして共鳴した。
「ああ、なんか、懐かしい感じだ……このダルさ……」
『うぱ!』
 共鳴したウーがやっぱこの方がしっくりくるね! という顔をする。うんうん、と流しながら水簾が提案する。
「はぁ、ウーが見つかったと分かったらどっと疲れが……休んでいい?」
『るぱ!』
 もちろん、答えは『だめ!』である。


「よくも趣味の悪い事をしてくれたね? お仕置きの時間だよ」
 共鳴した姫癒はタロット『セフィロト』を叩き込み、イルカの巨体から繰り出される反撃を姫癒は避けた。
 周囲を泳ぐイルカはまだ居たが、それが能力者だと解ったエージェントたちは、もうただ、白イルカだけを狙って動く。
「防人流……雷堕脚!」
 もう一度浮上しようとする白イルカの巨体をライダー「サキモリ」が頭上が地面へと叩き込む。
 白虎丸の魔槍の動きに合わせて、灼熱の猛虎の幻影が従魔に食らいつく。
 初めて英雄主体で共鳴したナトが蛇弓・ユルルングルを構える。身に纏った鎧は普段シエロが身に着けているものだ。
「ゆるさない」
 何度目かの感情を露わにしたナトが語気鋭く言い放った。
『ゆるさない!』
 共鳴したシエロも叫ぶ。
 ふたりの声は重なった。
「だってお前はシエロ(ナトくん)を泣かせた!」
 雷光を纏った矢がイルカを貫く。
「──!!!」
 再び、最後の怪音波を放って従魔は息絶えた。



●目覚め
 エージェントたちが目を覚ますと、そこは病室のベッドだった。
 飛び起きるリーヴスラシル。
「守るべき我が主を、私が殺めるよう仕向けるとは……!」
 だが、彼女の剣は手元にない。
 身を起こした由利菜が慌てて彼女を抑える。
「ラシル、落ち着いて下さい……! まずは得た情報の分析を進めましょう」
「止めるな、ユリナ。この奸計の首謀者を私は許さぬ。ギンヌンガ・ガップの底へ叩き落とす……!!」
 リーヴスラシルの声に気付いたのか、部屋のドアが開いて何人かが見たことのある男が現れた。
「おお、目が覚めたか」
 それは、紫峰翁センターの真央研究室室長、真央であった。
 のんびりと顔を出した真央の姿に、以前彼と会ったことのあるリーヴスラシルは毒気を抜かれる。
「すまんな、水田が連絡がつかず、ワシが代わりに──ん? どうした?」
 エージェントたちの険しい表情に気付いた動きを止めた。
「──……ふむ。装置の暴走かの……? VR世界に本物の従魔が居るはずはないんじゃが」
 しかし、あの殺意の前に晒されたエージェントたちは真央の言葉をそのまま受け取ることはできなかった。
「ここは水田がより重症だと判断したリライヴァー・アムネシアの患者を観察するために用意した『特別室』じゃ。
 お主たちはリライヴァー・アムネシアの治療の最中に意識を失ってしまったようで、急遽運び込まれたんじゃよ。本来なら水田が付き添うはずなんだが……急に連絡が取れなくなってな、ワシが慌てて代理で来た次第じゃ」
 説明を聞いていた由利菜は気づいた。
「そう言えば、ミュシャさんとリーナさんは……?」
 特別室にはミュシャたちとリーナたちの姿は無かった。
「ん、別室にも患者は居たが数時間で目覚めて、他はすでに退院しておる。お主らは記録によると丸一日寝ていたんじゃ」
「丸一日?」
 仕事の予定を思い出した正護がすぐさまスマートフォンを取り出したが、ディスプレイに並んだ日付に眉を顰めた。
 一方、症状が治まったことを理解したシエロは隣のベッドの上に座るナトの姿に感動していた。
「ゴメンね、ナトくん、寂しかった?」
 涙目のシエロにナトは即答した。
「寂しかった」
「え?」
「……寂しかった……シエロ」
「うん……うん、ごめんね」
 ぎゅーっとしがみつくナトをシエロもぎゅっと抱きしめた。
 そんなシエロとナトの再会を目にして、アーテルも黎夜に微笑みを向けた。
「ひやひやしたけど、ちゃんと見えるみたいね」
「うん……。……ねぇ、ハル」
「どうしたの?」
 言い淀む黎夜にアーテルが軽く首を傾げる。
「おかえり……」
「──ただいま、つぅ」
 相方のいつもの答えに黎夜もぎこちなく笑みを浮かべた。


 特別室からの退院のために支度をするエージェントたち。
 いくつかの書類を記入した後は手持ちの荷物の確認をするだけであったが、水簾が不思議そうな声をだした。
「ん? ウー。花火セットって使わなかったっけ?」
「うぱー」
「そうだよね、あ、でも、VR世界だからいいのか……?」
 VR世界ならコストゼロで花火やり放題……などとのんきに考える水簾。
「……また面倒を増やしやがって……」
 心配かけた子供への小言よろしく、菖蒲へ一通りの説教をした正護もまた自分の持ち物を確認していた。
 VR世界で消費しなかった水簾の花火。それに対して、なぜか消えた正護の荷物、『記憶の箱』。
 いつから持っていたのか覚えておらず、ただずっと彼の職場に放置されていたのでなんであるか調べようとたまたま持ち帰っていたのだ。
 VR世界でイルカとなっていた正護も、あの世界であの箱が壊れたことははっきりと感じ取っていた。
「……調べてみるか……」
 もう一度、正護はスマートフォンの日付を確認する。
 そこに表示された日付はあの怪音の電話を受けた日から三日目、英雄とは二日ぶりの再会であった。
 ……彼の記憶では四日目であったのにもかかわらず。
「愚神ヌル……か」
 すでに帰宅する準備を終えた恭也が呟く。
 それは、便宜上使われた、いるはずのない愚神の名前のはずだった。


結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

重体一覧

参加者

  • 薄明を共に歩いて
    木陰 黎夜aa0061
    人間|16才|?|回避
  • 薄明を共に歩いて
    アーテル・V・ノクスaa0061hero001
    英雄|23才|男性|ソフィ
  • 雄っぱいハンター
    虎噛 千颯aa0123
    人間|24才|男性|生命
  • ゆるキャラ白虎ちゃん
    白虎丸aa0123hero001
    英雄|45才|男性|バト
  • 太公望
    御神 恭也aa0127
    人間|19才|男性|攻撃
  • 非リアの神様
    伊邪那美aa0127hero001
    英雄|8才|女性|ドレ
  • LinkBrave
    シエロ レミプリクaa0575
    機械|17才|女性|生命
  • きみをえらぶ
    ナト アマタaa0575hero001
    英雄|8才|?|ジャ
  • 永遠に共に
    月鏡 由利菜aa0873
    人間|18才|女性|攻撃
  • 永遠に共に
    リーヴスラシルaa0873hero001
    英雄|24才|女性|ブレ
  • グロリア社名誉社員
    防人 正護aa2336
    人間|20才|男性|回避
  • 家を護る狐
    古賀 菖蒲(旧姓:サキモリaa2336hero001
    英雄|18才|女性|ソフィ
  • ひとひらの想い
    千桜 姫癒aa4767
    人間|17才|男性|生命
  • 薫風ゆらめく花の色
    日向 和輝aa4767hero001
    英雄|22才|男性|バト
  • 落としたか?
    水竹 水簾aa5022
    獣人|20才|女性|回避
  • ウーパールーパー、好き?
    ウー パルーパaa5022hero002
    英雄|6才|?|バト
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