本部

【屍国】 院内感染

桜淵 トオル

形態
ショートEX
難易度
やや難しい
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
10人 / 4~10人
英雄
10人 / 0~10人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2017/01/11 23:55

掲示板

オープニング

●治療薬【Re-Birth】
 キキーィ、と金属同士が擦れる不快な音が小さな隔離病棟のロビーに響き渡る。
 金属製の何かで、入り口のシャッターのロック部分を擦っているようだ。
「やめて! あなたたちは病人なのよ?! 悪化したらどうするの!」
 看護師の香坂が叫ぶ。いまこの隔離病棟を囲んで侵入しようとする感染者の中には、彼女が担当していた患者もいるのかもしれない。
「新型感染症の治療薬は、もうここにあるんでしょう?! 彼らに投与したらどうです? 初期症状だから、すぐに治るのでは?!」
 看護長の鹿角も不快な金属音に耳を塞ぎながら縋るように言う。
 ここは香川にあるH.O.P.E.提携病院で、別棟を隔離病棟にして新型感染症の患者達を収容する拠点となっている施設である。グロリア社で開発を急いでいた治療薬の完成品が、ようやく届くのだと関係者一同、待ち侘びていたのだが――
「ナンセンス」
 グレーのスーツに身を包んだアニー医師は、冷徹に切り捨てた。
「コノ薬、【Re-Birth】は、ファーストロットが完成シタに過ぎマセン。圧倒的不足の中、末期患者を最優先するノハ、最大多数を救済するためノ決定事項デス。政府マデガ関わる決定を、覆すだけの理由は見当たりマセン」
 避難者がひしめき合うロビーで、アニー医師は薬品運搬用のケースと自分の手首を手錠で繋いで座っていた。
 知性を湛えた黒い瞳が周囲を睥睨する。
「では貴女は、ここにいる全員が感染患者に襲われて感染しても仕方ないと?」
 院長の岩倉は、苛立ちを隠さずに詰め寄った。
「我々は地域医療を担っているんだ。この病院が機能不全に陥ったら、それだけで命を落とす患者だっているんだぞ!」
「待ってください、でも末期患者たちも延命治療を受けながら、治療薬の到着をずっと待っていたんです!」
 反論するのはまだ若い医師で、草壁という。
 H.O.P.E.にも一応の登録はしてあるエージェントだが、戦闘経験はなく、スキルは主に回復系のバトルメディックである。いまは感染患者が死亡した際の『処理』をこの病棟で担当している。
「延命治療で細い命をなんとか繋いで、やっとここまで持ちこたえたのに、彼らの最後の希望を潰すなんて酷すぎる! 彼らの家族もずっと待っていたんですよ?!」
「しかし、治療薬の初回製造分がすべてここにあるなら、それを使えば、あるいは――」
「申し遅れマシタが」
 彼女は建物を囲む感染者の群れにも、院長の怒号にも動じていないようだった。
「ワタシが持っている薬は、コノ病棟の患者の数だけ。200には、トテモ足りマセン」
 感染症が蔓延し始めた初期の患者は香川には少なく、末期といえるほどの患者はここの隔離病棟に収容しきれるほどの数しかいなかった。看護長の鹿角が驚いた声を上げる。
「でも、貴女のチームが四国を順に回ると……」
「ワンチームに集中させてしまえば、襲撃サレタときにスベテ失いマス。いまのヨウニ。リスク分散のためには分けるのが普通デス。そして、ソレヲなるべく秘密にしておくことも」
 ロビーには不気味な静寂が広がった。外からシャッターをこじ開けようとする金属音だけが響く。
「では、ここにいる人たちはどうすればいいんだ! 感染者に噛まれた人もいる! 感染しているかも知れないんだぞ!」
「落ち着いてクダサイ」
 アニー医師は冷え冷えとした声で言う。
「グロリア社の製造ラインはコノ瞬間も動いてイマス。セカンド、サードロットの到着までさほどカカリマセン。妨害を、受けなければの話デスガ」
 彼女は運搬用のケースとは別に、持っていたアタッシュケースを開いた。
「まずは事態を収拾シマショウ。異常行動をストップさせるのは薬でなくとも可能デス。物理的に拘束してシマエバよいのデス」
 ケースには手のひらに収まるくらいのカプセルが多数入っている。
「幸い、ココには護衛のために同行してくれたエージェントがイマス。彼らと作戦を立ててみまショウ」


 あなたがたはグロリア社が開発した新型感染症の治療薬、通称【Re-Birth】の運搬を護衛するためにH.O.P.E.東京支部に集められた。
 前回医療チームが四国入りしたときには空路を使ったが、帰途の空港で、敵のゾンビ集団に妨害を受けた。
 よって今回は、事前の申請が必要な空路ではなく、H.O.P.E.所有のワープゲートと陸路を使用することにしたのだそうだ。
 高速道を使った移動は順調で、なんの問題もないかに見えた。
 しかし瀬戸大橋を渡り、香川の提携病院に到着したとき、あなたがたを出迎えたのは大量の、異常行動を起こす感染者達だった。
 新型感染症に感染したのは、本病棟に入院していた患者、およそ200名。
 見舞い客、看護師、外来患者を次々に襲いながら……あなたがたとアニー医師のいる隔離病棟へとやって来た。
 アニー医師は即座に病棟の閉鎖を指示し、逃げてきた医療関係者や被害者達を非常口から受け入れていたが、そこもすぐに発見され、完全閉鎖したところだ。
 本病棟でもいくつかの部屋に分かれて避難しているが、そのすべてと連絡が取れている訳ではない。

●感染経路を突き止めろ
 アニー医師は作戦と称し、普段は診察室として使われている部屋に移動した。
 どうやら、他の人々には聞かれたくない話があるようだ。
「新たな感染者はここヲ囲んでイマス。でもこの病棟にも感染患者はイマスネ。彼らはドウシテ起きナイのデショウ?」
 末期患者だからでは、という意見に、アニーはかぶりを振った。
「コントロールされた個体は、痛みをキャンセルし、限界まで肉体を酷使シマス。死亡のアトもコントロールされると聞いてイマス。病変が大きいほど、コントロールしやすいハズ」
 アニー医師は四国での事例をつぶさに研究していた。感染体が感染体を操った例もあるし、前回アニーが来日したときには、既に死体となったゾンビが他のゾンビを操ったそうだ。
「ワタシの推論では、系統が違う」
 アニーの研究チームは原因となるウイルスの単離に成功し、その性質についても研究を進めている。
「ウイルスは変異しやすく、感染経路で系統が違いマス。コントロールするには、ウイルスの系統が関連するのデハ? そして、感染者をコントロールする人物は、この病棟にいるのデハ、と推論シマス」
 アニーが病院関係者を疑う理由は二つ。
 まず、彼女が治療薬を運んでくる期日を狙ったように感染者が発生したこと。これは彼女の予定を把握する者の仕業である。
 次に、感染者達がまるでアニーと治療薬の所在知っているかのごとく動いていること。この中にいる人物が、指示を出しているのではないだろうか?
「ワタシはココまでの護衛を引き受けてくれたアナタタチに、改めて依頼シマス。感染者の異常行動をストップさせ、コントロールしている人物を見つけ出してクダサイ」

解説

●依頼内容
異常行動を起こした感染者の捕獲と、感染を引き起こし、感染者に指示を出す容疑者の確保(PL一名につき容疑者一人までを選んでください)。

●登場人物
岩倉院長、鹿角看護長、草壁医師、香坂看護師、その他の看護師、患者の家族、外来患者(噛まれた人達)

●病院の状況
香川にあるH.O.P.E.提携病院。本病棟に収容していた患者およそ200名が新型感染症に罹患、一斉に異常行動を起こす。ただし、意識不明患者はひきつづき意識不明。
隔離病棟には病院関係者と、感染者から噛みつかれて感染のおそれのある被害者が避難してきている。
隔離されていた末期患者に、異常行動は起きていない。
南側の正面入り口(二重自動ドア)と東側の夜間出入り口(小さめ二重自動ドア)にはシャッターが下ろされ、夜間出入り口の脇に鉄扉の非常口がある。
アニーは通話可能なスマホ、通信機を所持しているので外からも通話可能。

●捕獲道具
感染者捕獲用にアニーが開発を依頼した捕獲網。グロリア社製。カプセルに折りたたまれた網が入っており、ライヴスを込めて投擲するとカプセルが開いて対象に絡みつき、拘束する。必要なだけ配布して貰える(プレイングに書いてください)。

●PL情報
必要な条件(会話する、推理する、捕獲した感染者をアニーに診せる)を満たすと次のPL情報がシナリオ中でPC情報として開示される。
・感染者に指示を出せるのは系統の同じ感染者(あるいは死者)。容疑者の症状は進行しているはず。
・感染者であれば皮膚の変色がある。変色範囲は症状の進行と共に増大する。
・皮膚色は顔でも手足でも化粧品でカバーできる。アルコールで拭き取り可能。
・今回の新たな感染者には一様に新しい注射痕がある。

●PL情報
アニーが容疑者の確保に成功した場合、感染者の異常行動は沈静化する。

リプレイ

●散開するのであります
「とにかく、まずは感染者の数を減らすのであります」
 美空(aa4136)は空色の目をくりくりと動かしながら元気に宣言した。
「こうもどんがどんがやらかされてたら、落ち着いた判断も難しいのであります」
 玄関のシャッターからはまだ不快な金属音が響いている。しかし澄んだ可愛らしい声が、重苦しい雰囲気を払ってゆく。
「そうだな、手がかりがねーと推理もできねーからな」
 傍らで腕組みして俯くR.A.Y(aa4136hero002)も、凶悪な笑みを浮かべた。
 彼女もなかなかにやる気のようだ。
「俺もとりあえずは暴れる感染者を制圧して回ろうか」
 赤城 龍哉(aa0090)は力強く拳を固めて見せる。
「病人には大人しくしておいていただきたいですわ」
 白銀の髪を揺らしてヴァルトラウテ(aa0090hero001)も同意する。
 ようやく治療薬が届いたというのに、病院関係者に敵が紛れ込んでいるという予想に、心穏やかではいられない。
「私はまず情報収集をやらせて欲しい、体力が低いので下手に動くと感染するだけだ」
 ヴァイオレット メタボリック(aa0584)は見た目は肥満体型だが体の一部を失ったアイアンパンクだ。
「肉体労働はワシが代わりに受け持とう」
 英雄のノエル メイフィールド(aa0584hero001)はヴァイオレットとは別々に動く心づもりのようである。
 エージェント達は異常行動を起こす感染者達を止めるため、あるいは内部の守りを固めるため、それぞれに散って行った。

●調査開始
「やれやれ、煩くて読書に集中出来ないな」
 鋼野 明斗(aa0553)はテレビ情報誌を脇に抱え、いまにも抉じ開けられようとしている玄関へ向かった。
(犯人を探すんです)
 ドロシー ジャスティス(aa0553hero001)はそう書いたスケッチブックを掲げて、明斗のあとからついてくる。
 何故かだて眼鏡を掛け、紅茶のペットボトルをふりふりしながらやる気満々である。
「ああ、このままじゃ正月の特番を見逃すし」
 明斗が頷くと、ドロシーは腕組みをし、さも難しいことを考えている表情を作って行ったり来たりする。
(もしかして、某刑事番組の影響か?)
 そういえば近頃、ドロシーが刑事モノにハマっていたことを思い出して、明斗は溜息をついた。

 玄関の自動ドアは電源が切られ、外側、内側共に施錠されている。
 手近なサイドテーブルや椅子をドアの前に移動してみたが、どうもロビーに余っているものだけでは封鎖できそうにない。
「手伝おうか」
 隔離病棟内に残っていたレイ(aa0632) が声を掛けてくる。カール シェーンハイド(aa0632hero001)も一緒だ。
「えっと、シャッターが破損した場合に備えて、出入り口を塞いでおきたいんですよね」
 そのために重量と大きさのあるものを集めたいと明斗は提案し、一緒に病棟の奥まで探しに行くことになった。
「アレは? 使えるんじゃねーの?」
 カールが見つけたのはロビーとは別にある職員用休憩室のテーブル。頑丈に出来ており重量もありそうだ。
 明斗はテーブルより先に、休憩室の外に通じる窓鍵をチェックした。
「一応二重ロックが掛かってますけど、内側からなら簡単に開けられますね」
 病棟の窓ガラスは、ワイヤー入りの強化曇りガラスで、割るのは容易ではなさそうだ。
「ふうん? 明斗はいま内側にいる奴がどっか開けて感染者を引き入れるとか、逃亡を企てるとか、そういうのを心配してるのか」
 レイは少し探るような目つきで明斗を眺めた。
「アニー医師が内部に犯人がいるって言いましたからね。レイさんこそ、外に行かずに内部に残ってるんですね」
「ああ、ここにいる奴らが何かヒントをくれるんじゃないかと思って観察してる」
「例えば、出入り口をバリケードで塞いで出られなくしたら、どんな顔するかなってことですか?」
「まあ、そんなところだな」
 新型感染症の治療薬が届いたそのときに、一斉に新たな感染患者が出て、しかも異常行動を起こしている。
 しかもその犯人として、医療関係者が疑われている。
 あまり気分がいいものではないが、こちらもすべてを疑って掛からねばならない。
「ちょっと思いついたんだけどさ」
 レイと明斗の会話を興味深げに聞いていたカールが口を挟む。
「逃亡防止を考えるなら、開けるのに時間がかかればいいじゃん? なんか粘着性のもので鍵を固定してみたら?」
 それを聞いたドロシーが、タタッとどこかへ消えたかと思うと、すぐに布製ガムテープを持って現われた。
「……どっから見つけてきたんだよ」
 驚いて受け取る明斗を前に、ドロシーはだて眼鏡をくいっと上げて見せた。


「いやはや、折角例の治療薬の効果を拝めると思えばこの騒ぎ。世の中思うようにはいきませんねえ」
 君建 布津(aa4611)は共鳴し、飄々と立っていた。
 隔離病棟を囲んでいた患者達は彼を発見し、次々に寄って来る。
(この騒ぎを解決すれば見れるのでしょう? 手間が一つ増えただけですわ)
 英雄の切裂 棄棄(aa4611hero001)は内側から布津に語りかける。
「そういえば今回の感染者はまだ生者の方々なんでしたっけ? いやあ、やりにくいなあ」
(本病棟に入院していた患者さん達ですね)
 棄棄が布津の言葉を補う。
「ですが攻撃されては大変ですのでね。ええ。ウェポンズレインでかるぅくシバくくらいは大丈夫でしょうかね? 召喚する武器を全て木刀にして、打撲で黙らせる感じで」
 患者相手に、どこがやりにくさを感じているのか分からない戦法である。
(あら布津さん、今回は木刀を装備していないので、召喚は無理ですよ)
 棄棄はやんわりと指摘する。
「おや、そうでしたか。うっかりしていましたねえ」
 反省しているのかいないのか、布津はあくまで飄々としたままだ。
(代わり【浦島のつりざお】を召喚し、柄の部分で攻撃してみましょうか。破壊力はありませんが衝撃はありますし、病人相手ですのでちょうどいいかと)
「棄棄さんにお任せします」
 言葉が終わるか否かのうちに、布津の周囲に無数のつりざおが出現し、集まって来た患者達を次々にシバき倒す。相手は元入院患者である。短い間だけ怯ませればいいのだ。
「この隙にサクっと捕獲してしまいましょうか」
 配られた捕獲網を幻想蝶から取り出し、動きを止めた患者に次々と投げる。
 瞬く間に彼の周囲は、捕獲網に絡みつかれ芋虫のように蠢く感染者だらけになった。


「これだけ居たら選び放題だね」
 地不知を使い、病棟の壁に垂直に立っちながら、九字原 昂(aa0919)は呟く。
 眼下では、患者達が入院着のまま隔離病棟を囲んでいる。上から見ると、配置も一目瞭然だ。
「さて、どこからいくか……」
 ひとまずの情報収集としてヒット&アウェイを狙う昂に、共鳴中の英雄ベルフ(aa0919hero001)が発破をかける。
(悩む時間もないんだ。さっさと確保するぞ) 
 ベルフに背中を押されるようにして、昂は垂直の壁を疾走する。
 狙うのは三つの入り口から離れた、まばらな集団だ。
 彼らは上方から接近する昴に、気づいてもいない。
 いや、気づいた者もいたが、遅すぎた。
 頭上を仰ぎ見たそのときには、目の前に広がる網に絡め取られる。
 固まって立っていた一団は瞬く間に捕縛され、離脱しようとした一体も、ハングドマンの鋼線に自由を奪われた。


「ここがスーパーマーケットでなくて良かったぜ」
 正面玄関に切り込んだ龍哉は、大勢の感染者を前にして軽口を叩いてみる。
「相手はいわゆる火事場の馬鹿力を出せるんだろ? 普通の人間だと思って対処してたら、足元を掬われる可能性もあるよな」
(状況的には、既に内懐に入り込まれています。全く安心出来ませんわね)
 共鳴したヴァルトラウテも応える。
 ひとまず最初に向かってきた患者と素手で組み、退きながら相手の勢いを利用して投げる。
「シャッターをガシャガシャいじるのは、もうやめとけよ。ウルセーじゃんか」
 投げられた患者が転倒しているところへ、共鳴してパワードスーツのサイボーグ姿になった美空が、捕獲網を投げつける。網が広がって、動きを封じる。
「ワシもおるぞ」
 風のように現われたノエルが、襲い掛かってきた患者に当て身を食らわせ、素早く腕と肩関節を極めて転倒させる。東南アジアに伝わる伝統格闘技、シラットだ。
 普段は鎌を使っての格闘を軸にしているが、このように組み手もある。
「全員を捕獲する必要はないってアニーは言ってたが、こう囲まれちまうとな」
 龍哉は【怒涛乱舞】により周囲の患者達を一気に倒し、ノーブルレイで縛った。
 患者達自身が隔離病棟への入り口といえばここだと知っているからか、それとも誰かがそういう指示を出しているのか、正面玄関前に集まった感染者が最も多い。
「撤退するにも、多少は数を削っておかんと」
 ノエルは体術で次々に患者達を組み伏せ、美空が捕獲する。
 何人目かの捕獲者のとき、美空が吐き捨てるように言った。
「……ちっ。騒音の正体は金属棒とノコギリか。こんなんでシャッター破ろうとしたら、煩いに決まってるだろうが?!」
 どうやら金属音には大分イライラが溜まっていた模様だ。
「どこから持ってきたんじゃろうの。用具入れか? 鍵はかかっておらんのかの?」
 ノエルが身を低くして、手近な感染者に足払いを掛ける。
「用具入れとかの位置を把握していて、鍵も持ち出せる奴が与えた……とかじゃないだろうな」
 龍哉も目の前の相手の鳩尾に突きを食らわせ、動きの止まったところをネビロスの操糸で拘束する。
 美空は元病人が相手ということで銃器類の使用は控え、網を使っての拘束に専念していたが、予想よりも正面玄関前の制圧は早かった。


「きゃああああ?! 加藤さんっ?! 貴方まだ歩行許可は下りてませんよ?! あああギプスの底を地面につけちゃ駄目ですってば!」
 木霊・C・リュカ(aa0068)は凛道(aa0068hero002)と共鳴し、夜間出入り口の前にいた。
 看護師の香坂とスマホの映像を繋ぎ、自分の担当の患者がいたら知らせて欲しいと言っておいたのだが、彼女はかなり口数の多い人物のようだ。
「何か気づいたことはありますか?」
「何かというか……人相から動き方から、なにもかも別人のようです! そもそも、足ギプスの患者さんはまだ吊っておかなきゃいけない状態なんですよ?! 痛くて歩いたり出来ないはずなのに!」
 アニー医師の話では、操られた感染者は痛みを感じないで行動できる。
 足ギプスの患者も、痛々しい見た目ながら松葉杖をついて迫って来る。近くで見ると、石膏で固めたギプスには見舞い客からのものと思しき落書きが散見される。『早く直せよ』とか、『また遊ぼうぜ』、『俺参上!』とかいった、罪のないものだ。
「やりにくいなあ……」
 グリムリーパーの刃裏で押しやると、松葉杖とギプスの男はあっさりと転倒した。すかさず捕獲網で拘束する。
「あっ、あれは下のフロアの上原さん! 手術したばかりなんです! 動いたらお腹の傷が開いちゃう!」
 なおもスマホからは声が響く。スマホの向こう側には、人が集まって見ている気配もする。
「みんな、それぞれの生活のある人達なんですよね。それをこんな風に使うのは……許せませんね」
 紫 征四郎(aa0076)もガルー・A・A(aa0076hero001)と共鳴して傍らに立っていた。
 凛々しい青年の眉を寄せて、辛そうに言う。
 異常行動を起こし、夜間入り口から入ろうとする患者達を魔剣の鞘で打ち据え、捕獲網を放つ。
 リュカも鎌の柄と刃裏を上手く使いながら感染者の動きを制し、拘束してゆく。
 ふいに、ガチャリと背後の非常扉が開いて、香坂と看護師もうひとりが外に出て来た。
「危ないですよ?! 下がって!」
 驚くリュカに、香坂は毅然として言う。
「私達、お手伝いできると思うんです」
 彼女たちは、持ち出してきた担架をリュカ達に見せる。
「ナーサリーライムも、お手伝いできると思う……」
 その後ろから、ナーサリーライム(aa4502)も姿を現した。
 『十六個の血入りソーセージ』を意味する名の英雄、D・Morcilla(aa4502hero002)と共鳴したまま思案顔で廊下に佇んでいたのだが、看護師たちの勢いを見てついて来たのだ。
 ナーサリーライムと看護師たちの周囲を、七体の小人たちが小さな足でトコトコと走ってきて金梃で守る。
「小人たち、強くはないけど……。威嚇なら、充分……」
 看護師達が動き始めてみると、まさにプロというべき手際のよさで、捕獲網の絡んだ患者達を隔離病棟内部に収容した。
 外からは見えなかったが、非常扉の内側にはストレッチャーが用意してあり、別の看護師達が協力して奥の部屋に運んでくれたのだった。


●推理はエレガントに
 ちょうどよくレイと明斗によって家具が運び出されていた休憩室に、捕獲された感染者たちは運び込まれた。
 外は危険なため限られた人数しか収容できなかったが、それでも20名ほどが隙間もない状態で毛布の上に横たわっている。
「ナルホド、感染の初期症状なのは間違いナイヨウデスネ。皮膚の病変は少ナイ」
 左手に薬品運搬ケースをくっつけたまま、器用に片手で診察を終えたアニー医師が言った。
「ソシテ、誰でもが腕に新しい注射痕がアリマス。ウイルスを直接体内に注射サレタ、と考えるのが妥当デショウ」
 注射痕については、捕獲した感染者を運ぶ過程で気づいていたエージェントも多かった。
 発見しやすい腕に注射したということは、犯人もそれほど隠す気はなかったということか。
「コチラカラも報告がアリマス。診察室に来てクダサイ」

 診察室に入ると、デスクにはヴァイオレットが座っていた。
 巨体ながらその手は慣れた様子で、流れるように高速のタイピングを続けている。
「コチラはヴァイオレットが頑張っテくれマシタ。ワタシはシステムは専門外デスガ、ヴァイオレットの前にセキュリティは無いも同然でしたネ。この病院には、セキュリティ強化を進言してオキマス」
 端末を操作していたヴァイオレットは、回転椅子ごと一同の側に向き直った。
「外には行けなくてすまない。代わりに、面白い映像を見つけた」
「犯人が映っていたのか?!」
 龍哉が早速反応する。
「そう急がないで欲しい。端的に結論を言うと、『映っていないのが見つかった』だ」
 ヴァイオレットは隔離病棟の端末を使い、まず本病棟のネットワークにアクセスした。
 これはさほど難しくはなかった。消したつもりでも、端末のどこかに普段使っているパスワードの痕跡は残ってしまうものなのだから。
 本病棟のデータバンクにアクセスしたあとは、患者のカルテ、死亡者リスト、看護日誌、日報などの情報を引き出した。
 それから警備システムにも侵入して、監視カメラの撮影ログも取得した。
「医療データについては、今回異常行動を起こしているのが初期患者であるという前提の下に、アニー医師と手分けして最近一週間のみを重点的にチェックした。これには、目立った成果は無かった」
 カルテや日誌には、200人もの人数に一斉に投薬するような指示は残っていなかった。
 しかし、監視カメラのログは少し様相が違った。
「部分的に、映像が消去されているのが見つかった。ワンフロアにつきおよそ30分ほどだ。しかも、すべて消灯後の夜間」
「とすると、夜間に見回りをしていても違和感のない、看護師あるいは看護長……?」
 共鳴を解いたヴァルトラウテが、難しい顔をして言った。
「夜間なら、医師の指示があって一斉に何かの薬に偽装して打った、という可能性は一気に薄くなりますかねえ。僕は指示できる立場の人間が怪しいと睨んでいたんですが」
 布津は逆に、緊迫感のないのんびりとした雰囲気だ。

「看護師たちはあんまり疑いたくないな。ロビーで見てたが、彼女たちは本気で患者達を心配していたように見えた」
 疑う相手について、異論を唱えたのはレイだった。
「それに、捕獲患者を運び込むために汗を掻いて、化粧は崩れてる。頬の紅潮も普通に見えるしな。もし俺に病変があって隠しているなら、あえて動き回るようなことはしない」
「先ホド診察した初期患者達も、病変は顔からとは限りませんデシタネ。服の中だけが変化しているカラ、疑われないよう行動シタ可能性は?」
 アニー医師の疑問には、リュカが反論した。
「僕も、看護師達を疑いたくはありません。彼女らは僕も圧倒されるほどに一生懸命でした。あれが演技だとしたら……少し辛い」
 感情論の混じる意見に、カールが口を挟む。
「つーかさ、疑うならまずじっとしてる奴じゃん? 岩倉院長は頭を抱えて顔も見せない状態でうずくまってたし、鹿角看護長は、部下が動いてるのにぼーっとして放心状態だったぜ?」
「Humm……ワタシがもし200名の感染体をコントロールしなければならない立場とシタラ、誰かと共同作業スルより、じっとしていたいデスネ。プログラミングのような事前入力が不可能ならばの話デスガ」
 アニー医師は腕組みをして考え込んだ。代わりにヴァイオレットが問う。
「待ってほしい、草壁医師は? 隔離病棟で感染者の担当をしていた」
「ああ、あの能力者だって医師? 気づいたときには見当たらなかったな」
「……それは怪しい」
 ヴァイオレットは不信感を顕わにする。彼女は草壁医師を疑っているようだ。
「草壁医師は感染者との接触も多く、感染リスクも高い。そして感染者が増えれば、自然と彼の権力も高まるだろう。動機はある」
「俺だったらまず鹿角看護長を疑うな。夜間に見回りをしても違和感がないし、感染していた場合でも誤魔化せる立場にあるんじゃないか」
 龍哉の声には覇気が籠る。なんとしても犯人を捕まえようとする意思が滲む。

「アニー医師はどのくらいの感染進度を想定しているんですか? 犯人は腐敗した体を隠し、消臭剤などで臭気をカバーして暮らしているのでしょうか」
 昂は冷静に事態を見極めようとしていた。焦って誰かを疑うより、いま持っている情報を共有して、着実に正解を手繰り寄せようというスタンスだ。
「感染症患者は、死亡するマデの主な症状は倦怠感と皮膚の変色デス。イママデの事例カラ、コントロールする個体、される個体共に倦怠感はキャンセルできると考えられてイマス。痛みと同じデス。死亡するとスグ、急激な腐敗が観察されてイマス。現在の認識デハ、死亡した個体が気づかれずに社会生活を送ることは考えられていマセン」
 それからアニー医師は、徳島の自衛隊駐屯地で起こった事件に触れた。
「アーミー……ニッポンデハ、自衛隊デスネ。その中デモ、コントロールに関わる個体が気づかれず生活していマシタ。彼らも生活中は死亡に至っていませんデシタ。皮膚色のカバーには同基地にある舞台用化粧品がベースに使われたヨウデス」
 自衛隊駐屯地では演習中に感染者による銃乱射事件が起こり、さらにその事件を支援するため近くの駐屯地から飛び立った輸送ヘリも行方不明になった。こちらも隊員の遺留品から、感染症が疑われている。
「その事件なら俺も参加してます。あのときも、誰が敵だか味方だか分からなくて面倒でした」
 明斗は『面倒』に妙な実感を込めて言う。その後ろではドロシーが『正義執行!』と書いたページを開けてスケッチブックを掲げていた。

「ではいまのところ、ここにいる病院関係者ならばだれでも可能性は残っているわけですね。問題は、誰から疑い、どう炙り出すか」
 昂が考え込むと、美空がはいっと手を挙げる。
「皆さんの着替えを提案するですよ。多数の感染者と接触したことにより汚染されたとかなんとか理由をつけるです。拭き取りなどの理由付けにもなります。もちろん、事故防止の名目でエージェントが立ち会うであります」
 空色の目を見開いて、緊張しつつも懸命に意見を発表する。
「ナルホド。医療のプロにどう納得させるかがポイントですが、カバー化粧品を使ってイテモ、消毒のためのアルコールで多少は拭き取れるデショウ。面白いデスネ。ワクワクシマス」
 アニー医師は意外と乗り気で、この病棟に入ってから初めて顔をほころばす。
 医療従事者の制服が皮膚の露出を少なくしていることも考え合わせ、拒否すれば嫌疑が濃厚になるという寸法だ。

「あの、私は以前、感染を疑われる不良少年グループの調査に入ったことがあるのです」
 征四郎は控えめに話し始めた。
「そのとき感染の有無を調べるため、【セーフティガス】のスキルを使ったのですが、感染者には生者も死者も含めて、まったく効きませんでした。これが感染の有無を調べるのに使えるのでは、と思っています」
 その依頼には征四郎をはじめ、ここにいるリュカ、龍哉、昴も同行していた。
 不良グループのすべてが感染していたこと、そして指令系統が垣間見られることなど、今回の事件と共通点も多い。
「例えばロビーでそのまま周囲の人すべてにスキルを使った場合、一般人は気絶に陥るでしょう。犯人にちょっとした知恵があれば、周囲に合わせて寝たふりをすることも可能です。ですから私は、共鳴姿を維持してきました」
 確かに征四郎はこの病院に入ってから共鳴は解いておらず、青年姿のままだ。
「姿が変わらなければ警戒もされにくくなります。呼び出すかそっと近づいて容疑者にスキルを使い、意識を失えば感染はなし、逆に気づかなければ……感染しているということになりませんか」
「エレガント!」
 案を聞いたアニー医師は、手を叩いて征四郎を褒めた。
「アナタの解法は、非常にエレガントデスネ」
「エレガント……? 優雅な、とかそういう意味でしょうか……?」
 征四郎は軽く照れて、頬を赤らめながら聞き返す。
「エエト……研究者にはインターナショナルで通じる用語なのデスガ、ニホンゴ難しいデスネ」
 ポケットからスマホを取り出し、アニーはタップして操作しだした。
 実は、日本語習得用の辞書アプリがこっそりダウンロードしてあるのだ。
 顔をあげて、にこりと笑う。
「ワカリマシタ。意味は、『冴えてル』」


●子守歌の少女
「ナーサリーライムは……考えてた。自分の病院で、200人もの人を感染させる人がいたら……どんな物語を持っているんだろうって」
 金髪にブルーアイズのエキゾチックな少女は、物語書きだった。動き出すエージェント達を眺めながら部屋の隅にそっと座って、独自の視点で語り出す。
「ゾンビになったら、みんな死んじゃう。自分も死んじゃう。なのに、どうしてゾンビに肩入れするんだろう?」
 夢見るような瞳は、彼女だけの世界を見つめていた。
 その世界に目を凝らすようにして、少女は語る。
「世界に絶望した? 自分の仕事を評価されなくて、病院をつぶしたかった? それとも、単純にウイルス現象が興味深くて、人間を実験材料と思っているのかな? それとも病院に恨みを持つ外部の人間のしわざ?」
「アナタは、ストーリーテラーなのですね」
 アニー医師は、専門外からのアプローチに興味深げに耳を傾ける。
「これがアナタのストーリーだったとしたら、このあと事件の犯人をどう描き出すのデスカ?」
「自分も他人も死んじゃえって思う人は……いると思う。やったのが人間と入れ替わった愚神そのものなのか、協力者の人間なのかは、わからないけど……。ナーサリーライムなら、協力者の人間がいる物語を書く」
「ナゼ?」
 黒い瞳が、少女に問いかける。
「そのほうが、怖いから」
 物語書きの少女は、こともなげに応えた。
「なにを考えてるか分からない愚神が人間を殺す話より、同じ人間が何かの理由があって殺す話のほうがずっと怖いもん。すぐそこで始まる気がするから」
 少女は続ける。
「自分と同じ重さの命を持つ人間が、200人も死んでいいと、犯人は思ってるのかな……? 理由はお金とか家族の事情とか? ううん、これじゃ説得力のある物語にはならないね。もっとひどいこと。頭がおかしくなって、自分の命も他人の命も重みが分からなくなるようなひどいことが起こらないと」
 少女の物語はどんどん広がってゆく。
「そうしたら、ひどい目にあった人間をそそのかす黒幕の悪魔が必要だね。愚神だけど悪魔みたいなの。ウイルスが広がって、人が死ぬほど得をするの。もう死後の世界にいて、人間をどんどん仕入れたいのかも」
「怖いデスネ」
「そう怖いの。ねえ、ナーサリーライム、そんな話を書いてみてもいいかな? あんまり怖いのは苦手なんだけど」
「面白そうデスネ。完成したら、是非読ませてクダサイ」
 褐色の肌の研究員は、少女に向かって微笑んだ。 


●犯人は、お前だ!
「では、【セーフティガス】のスキルを持っているノハ、征四郎サンと明斗サン、デスネ? 理論上は4回の試行が可能デス。疑われテイル鹿角看護長、岩倉院長を別々に呼び出し、試して見まショウ」
 アニー医師はてきぱきと指示を行った。
 呼び出し場所は互いに離れた診察室。エージェントは共鳴して立ち会い、妙な動きがあればすぐに対応する。
 アニー医師は誤って巻き込まれれば気絶してしまうので、射程外から通信機を使って連絡を取り合うことになった。

「あの、失礼かもしれませんが」
 征四郎は躊躇いがちにアニーを呼び止める。
「敵の狙いが新薬【Re-Birth】なら、運搬ケースが直接、狙われるかもしれません。ダミーのケースとすり替えて、本物は私の幻想蝶に仕舞っておきましょうか? そうすれば、破損は防げます」
 アニーは少し驚いた顔をして銀色の運搬ケースに視線を落とし、そのまま思案する。
「アナタのプランならば、ワタシとケースが危険になることもないデショウ。これはワタシの責任で保持シマス。本当は、より安全な方法ヲ検討中だったのデスガ、草壁医師がいないノデ」
「草壁医師は、リュカが探しに行きました。能力者の感染は聞いたことが無いので、草壁医師の感染確率も低いだろうと言っていましたが、そうなのですか?」
「ワタシの知る限り、リンカーの感染例はアリマセン」
 アニー医師はきっぱりと言い切った。
「しかし、それはリンカーが感染しないことの証明にはなりマセン。例外は常に発生しマス。いまはスベテを疑ってかかる必要がアル」
 その言葉の力強さに、征四郎はふと不安な気持ちに襲われた。


「お嬢さん、先ほどはありがとうございました」
 リュカはロビーで集まって座っていた看護師たちに声を掛けた。
「あ……こちらこそ。エージェントさんの前で我を忘れて騒いでしまって、すみませんでした……」
 香坂看護師はリュカを見ると恥ずかしげに頭を下げる。
 レイの言ったとおり、そう濃くもない化粧は汗でかなり落ちていて、頬の紅潮した色も見て取れる。
(疑うとは、気分のいいものではありません……)
 凛道が内側から呟く。
 いまは、リュカが意識の表側に出ていた。
「草壁医師を探しているのですが、御存知ありませんか?」
「そういえば、いらっしゃいませんねえ」
 香坂看護師は、きょろきょろとあたりを見回す。
「いつから、いらっしゃらないのでしょう?」
「そうだ、私、思い出しました!」
 香坂看護師の左隣に座っていた若い看護師が、声を上げる。
「草壁先生は、外で患者さんたちが暴れているのが新型感染症のせいだと聞いて、御自分の患者さん達が心配になって回診に行かれたんです。受付からポケットベルが鳴らせますよ。お呼びしましょうか?」
「いえ、結構です。お伺いしたいこともありますので、僕のほうから行ってみます。順路とかは分かりますか?」
「いつもでしたら上の階から順に、病室を時計回りに回ります。じきに下りていらっしゃるかと思いますが……」
「そうですか、ありがとうございます」
 リュカは看護師たちに礼を言い、その場をあとにした。

 二階に上がると、あちこちから微かに人間の呻き声が聞こえる。
 生きることもできず、死ぬこともできず、ただ管に繋がれ、苦痛とも悲鳴とも、あるいは何かの抗議ともつかない弱々しい声を上げている。
「これが、隔離病棟か……」
 リュカは、早くもこの場から立ち去りたい気分になっていた。
 陰鬱で、澱んだ空気があたり一帯に充満している。
 ここで毎日働くのは、決して楽しいものではないだろう。
 その中を、しっかりとした足取りで歩く人物がいた。
 いましがた、奥の病室から出てきたところだ。
「草壁医師、探しましたよ」
 リュカが声を掛けると、彼は不思議そうに振り返った。
「でも、ポケットベルを持ってますから、鳴らしていただければ」
「……非常時ですので、把握している人がなかなか見つからなかったんですよ」
 他にもなにか言おうとしたが、草壁医師があまりにも悪びれることがないので、口を噤む。
「何か変わったことはありましたか」
 代わりに、彼の仕事について、それとなく話題を振った。
「そうですね、本病棟の患者さんは感染して変わったことがあったのに、こちらでは変わりがない。そこが変わったことでしょうか。最先端の研究に携わっている研究者さんがいらしているので、意見を聞いてみたいですね」
「いつもは、どういった仕事を?」
「待つのが仕事です」
 リュカが意味を取りかねていると、若い医師は少しだけ微笑んだ。
「ここで続けている治療は、対処療法でしかないんです。治すための治療じゃない。体内から失われてゆくライヴスを外から補充することで、命を繋ぐことが出来る。そうして、みんな待っていたんです。治療薬が届くのを」
 疑うのは気分が良くないと、凛道は言った。
 リュカもまたこの医師を前にして、そう思っている。
「『処理』を担当していると聞いたのですが、何をしてらっしゃるのですか?」
 質問を投げかけると、草壁医師の表情が変わった。
 驚いたように、訝るように、リュカを見ている。
「いえ、気になったもので。不躾ですみません」
「別に咎め立てたわけじゃありませんよ。そちらは医師としての仕事ではなく、H.O.P.E.を通しての依頼なので、御存じないのかと思って」
「すみません」
 リュカがまた謝ると、医師は何事も無かったかのように口調に戻って、話を続けた。
「他のところでは何人も常駐していたりするらしいですが……。ここにはちょうど僕がいたので、そのまま任されただけなんです」
 それから少しの間、彼は話あぐねるように沈黙していた。彼にとっても、決して話しやすい事項ではないらしい。
「新型感染症の患者さんは、命が尽きると、別のものに変化します。ちょうど憑依されたかのように。彼らが別の人々を襲う前に撃破するのが、僕がH.O.P.E.から依頼されている『処理』です」
 治療薬の到着によって、新たな任務がなくなることを期待しています、と彼はそっと語った。


「今後の相談、とは何です?」
 鹿角看護長は診察室の扉を開けた途端に、不信を隠そうともせずに詰問してきた。
 淡いピンク色の看護制服に黄土色のカーディガンを着用しているが、表情の険しさで柔らかい色の雰囲気を殺している。
「誰と誰で、何を相談するのか、必要時間等も明確にしていただけますか? そもそもアニー医師はどこです?」
 眉は吊りあがり、眉間の皺は深く刻まれている。
 立ち会うのは征四郎、龍哉、美空、布津の4名だ。
 そのなかで征四郎がすっと前に出る。
「看護長である貴女の協力が、必要なのです。私は紫征四郎。よろしくお願いします」
 差し出された手を取るか、一瞬躊躇したように見えた。
 しかし覚悟を決めたのか、目の笑わない顔で手を伸ばす。
――セーフティガス。
 握手をしたそのときが、発動の瞬間だった。
 一秒、二秒、三秒。
 沈黙が流れ、看護長は周囲の視線に気づく。
「おっと、動くな」
 龍哉のノーブルレイが腕ごと胴に巻きついて、鹿角看護長の動きを縛った。
「なにをするんです! 乱暴は許しませんよ!」
 囚われてもなお、彼女は高圧的だ。
「乱暴はしねえよ。ただ診察を受けて貰うだけだ」
 龍哉がそう言うと、アニー医師が窓側の通路から姿を現す。
「近くで注意してみれば、なるほど皮膚の色が微妙に違いますね。左首筋から顎に掛けて、カバーメイクを使っているでしょう? 襟に色がついていますよ」
 征四郎は握手をした数秒の間に、看護長を観察していた。
 鹿角看護長はその指摘に、さっと表情を変える。
「ちょっとした痣が出来てしまったのです。おかしいですか?」
「おかしいかどうかは、診察後に決めマス」
 アニー医師は左手に銀色の運搬ケースを持ち、右手には注射器を持っている。
「丁度いいノデ、テストしまショウ。これはグロリア社の強力睡眠薬。リンカーにも効果があることが実証されたのは、ちょうどこの四国での治験デシタネ。感染者にも効果はあるのデショウカ?」

――ダンッ!!
 鹿角が右足を強く踏み鳴らし、その衝撃で看護靴の爪先に隠されていた小さな刃が飛び出す。
 そのまま勢いよく蹴り上げた爪先は、間合いに近づいたアニーの喉元を狙っていた。
 ジャリッと、棘のついた鎖が軸足を絡め取り、そのまま転倒させる。
 うつ伏せになった背中を、美空が押さえ込んだ。

「見かけによらず、足癖の悪い女性ですね?」
 シエンピエスを持った布津が、ちょっとした天気の話でもするように穏やかに感想を述べる。
「往生際、悪いじゃん。根性はあるけどな」
 美空は看護長を押さえ込みつつ靴を脱がせ、他に武器を持っていないか調べる。

「何がアナタを、そうさせたのデス?」
 見下ろすアニーの目は、悲しそうでもあった。
「看護長の立場にあったアナタニ。酷く辛いことがアリマシタカ? 人の命の重さも分からなくなるくらいノ。それとも、悪魔がアナタに囁いた?」
「くくっ……」
 鹿角はさも可笑しそうに笑った。
「悪魔? あの方はもっともっと、尊いものだ!」
「尊い? あんだけの患者を、犠牲にするほどのもんがあんのかよ」
 あるはずがないと、龍哉の怒りに歪んだ顔が言っていた。
「お会いしたこともないお前たちに、分かるはずかない! だからせっかくあの方に命を捧げられるのに、治そうなどと罪深いことを考える」
 憑かれたように、鹿角は喋り続ける。
「生にしがみつくほど、愚かなことはない。人はいずれ死ぬ。分をわきまえず運命に抗おうなど、おこがましいこと」
 看護の立場にある人間とは、思えない言葉だった。
 なにもかも別人のようだと言った、看護師たちの表現がそのままあてはまる。
「美空サン、しっかり押さえておいてクダサイ。頭マデ。噛まれナイよう、注意シテ」
 アニー医師は、注射器を握り直し、鹿角の傍らに膝をついた。
「あの方から……外国から来た医師に、伝言がある……」
 かまわず注射器を首筋に刺し、睡眠薬を注入する。
「『親愛なる敵さん。貴女が一日に百人を治すなら、私は二百人を感染させてみせましょう』……」
 アニーは間を置かず立ち上がった。
「効くまで、少しカカリマス。油断シナイデ」


「……寝ましたね」
 別の診察室では、あっさりと岩倉院長が昏倒していた。
 床に転がった体を見下ろして、明斗が呟く。
「寝たのう」
 ヴァイオレットも頷いた。
 ちなみに共鳴すると肥満体ではなくなるが、変わったサンバダンサーのような個性的すぎる衣装に変化するので、警戒させないよう最初は隠れておいた。
「まあ、組織的な投薬指示がなかった時点で、大体予想はついたぜ。このおっさん、自力でそこまで働きそうじゃないからな」
 レイも途中までは院長を疑っていたが、ヴァイオレットからの情報が出た時点で容疑からは外していた。
 昴の通信機に、アニーからの連絡が着信する。
「看護長が『当たり』だったみたいです。院長は疲れて寝たことにして、外を見てきて欲しいそうです」
 それを聞いて、ナーサリーライムはぽつりと呟いた。
「……どんな物語だったか、あとで参考に教えてもらおう……」


 外には捕獲網で拘束したまま回収しきれなかった患者も含めて、ばたばたと人が倒れていた。
 診察したアニー医師によると、限界を超えて体を酷使したことに加えて、感染症の症状である倦怠感が現われているのだろうということだ。
 隔離病棟の周りにも、駐車場にも、そして本病棟の内部にも、糸の切れた操り人形のようにぐったりと横たわる人々がいた。
 そしてそれを、避難場所から出てきた看護師たちがストレッチャーに乗せて次々と元のベッドに運んでゆく。彼女たちは強く逞しく、化粧崩れも問題にならないくらい、輝いていた。


「サテ、時間が無いノデ、手短に済ませマショウ。手伝ってクダサイ」
 本病棟で避難していた医師たちと連絡が取れるようになると、草薙医師が毎日、感染の有無を調べる診察を受けていたことが分かった。
 今朝の診察を担当した医師から話を聞くと、アニーはそれで納得したようだった。
 アニーが肌身離さず持っていた運搬ケースを開くと、無数の筒状の器具が並んでいた。
「コレハ私や普通の医師では使えナイのデス。一種のAGWであり、エージェントでないと使えマセン」
 隔離病棟に収容されていたのは40名あまりで、アニー医師の指示の元、投与は滞りなく済んだ。

「回復した患者さんたちが見られると思ってたんですけどねえ」
 布津はがっかりしたというほどでもなく淡々と言う。
「ソレホド効果は早くアリマセン。でも一週間後に再訪スレバ、期待した光景が見られるハズなのデス」
 エージェント達には効果を待つ余裕は与えられなかった。鹿角看護長に投与した睡眠薬の効果時間が予測できないので、アニーは彼女を連れてその前に四国を離れるのだという。
「先日、興味深いサンプルがH.O.P.E.から届きマシタ。休眠した犬のサンプルデス。変化して暴れる犬を持ち帰ったトコロ、休眠状態にナッタという報告デシタ。ウイルスが特殊な振る舞いをスルためニハ、四国という場所が必要なのかも知れマセン」
 最寄りの港に到着すると、アニーが手配した船が停泊して医師の到着を待っていた。
「この船マデデ護衛の任務は終了デス。ワタシは実験を続行シマス。一日に400人を治さなケレバ追いつかないようデスネ」
 船からはグロリア社のスタッフが降りてきて、アニー医師の乗船をサポートし始める。
「アリガトウゴザイマシタ。よい結果が出たラ、またお会いしまショウ」
 アニー医師は振り返って手を振る。
 そのときの笑顔が、今回の任務の中で彼女が見せた最高のものだった。


●名物はやっぱり食べておきたい
「今回の敵は、随分と嫌らしいやり方だったなあ……」
 遠ざかる船を見送りながら、昴はほっと溜息をついた。
 いろいろな意味で疲れた、というのが正直な感想だ。特に、人を疑うのは疲れる。
「内応者を作るのは、基本中の基本だ。だが、時にはそれが仇となる。今回はこっちに、有利にことが運んだようだが」
 ベルフは優しい言葉を掛けるわけではないが、それでも昴を労う響きを持っている。
「ひとまず、名物のうどんは食べて帰れそうだな。一番気になっていたところだ。働いたら腹も減った」
 ヴァイオレットは、早速食べ物のことが気になるらしい。
「ガイド本だけは仕入れてきたんじゃがの。有名店を案内してくれるタクシーもあるらしいのう。乗ってみたいのう」
 ノエルも本をめくりつつ、気になる店を物色している。
『うどん』
 ドロシーのスケッチブックにも、ひとことだけ書いてあった。湯気を立てるうどんの挿絵つきで。
「…安いやつ限定」
 ノエルのガイドブックを覗いてみると、東京の相場よりはるかに安い店ばかりが並んでいるので、明斗も直帰より得だと今回ばかりは妥協した。
「せっかくだから、みんなで行こうか? ヴァイオレットちゃんたちのおすすめの店があるなら、行ってみたいなあ」
 リュカが言うと、征四郎もついてくるという。もちろん、ガルー・A・Aも。
 シンプルな食事は、人を選ばない。そして温かい食事は、疲れた心を癒す働きがある。
 任務を終えたエージェント達は、最後には讃岐の土地の人の温かさに触れて帰ったのだった。

結果

シナリオ成功度 大成功

MVP一覧

  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
  • 沈着の判断者
    鋼野 明斗aa0553
  • LinkBrave
    ヴァイオレット メタボリックaa0584

重体一覧

参加者

  • 『赤斑紋』を宿す君の隣で
    木霊・C・リュカaa0068
    人間|31才|男性|攻撃
  • 断罪者
    凛道aa0068hero002
    英雄|23才|男性|カオ
  • 『硝子の羽』を持つ貴方と
    紫 征四郎aa0076
    人間|10才|女性|攻撃
  • 優しき『毒』
    ガルー・A・Aaa0076hero001
    英雄|33才|男性|バト
  • ライヴスリンカー
    赤城 龍哉aa0090
    人間|25才|男性|攻撃
  • リライヴァー
    ヴァルトラウテaa0090hero001
    英雄|20才|女性|ドレ
  • 沈着の判断者
    鋼野 明斗aa0553
    人間|19才|男性|防御
  • 見えた希望を守りし者
    ドロシー ジャスティスaa0553hero001
    英雄|7才|女性|バト
  • LinkBrave
    ヴァイオレット メタボリックaa0584
    機械|65才|女性|命中
  • 鏡の司祭
    ノエル メタボリックaa0584hero001
    英雄|52才|女性|バト
  • Sound Holic
    レイaa0632
    人間|20才|男性|回避
  • 本領発揮
    カール シェーンハイドaa0632hero001
    英雄|23才|男性|ジャ

  • 九字原 昂aa0919
    人間|20才|男性|回避

  • ベルフaa0919hero001
    英雄|25才|男性|シャド
  • 譲れぬ意志
    美空aa4136
    人間|10才|女性|防御
  • 悪の暗黒頭巾
    R.A.Yaa4136hero002
    英雄|18才|女性|カオ
  • エージェント
    アリスaa4502
    人間|14才|女性|回避
  • エージェント
    眠りネズミaa4502hero002
    英雄|17才|女性|カオ
  • エージェント
    君建 布津aa4611
    人間|36才|男性|回避
  • エージェント
    切裂 棄棄aa4611hero001
    英雄|22才|女性|カオ
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