本部

【神月】連動シナリオ

【神月】アンダーカレント

藤たくみ

形態
ショート
難易度
やや難しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
普通
相談期間
5日
完成日
2016/05/31 17:22

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掲示板

オープニング

●九十九年前の悲劇
 その年、厳冬で真っ白だったロシアが、赤く燃え上がった。
 革命軍に追われた帝政の残党やその信奉者、およそ百二十五万人――彼らはシベリアで再起を図ろうと、東へ逃れた。
 しかし、多くは道半ばで力尽き、イルクーツクに辿り着く頃には二十五万人にまで減っていた。
 そして、その二十五万人もまた、雪と氷に閉ざされた極寒のバイカル湖上を徒歩で渡る最中に全員が倒れ、二度と立ち上がる事はなかった。
 捨て置かれた彼らの遺体は、春に氷が解けるに任せて湖底へと沈み、歴史から忘れ去られた――。


●九十九年目の惨劇
「その時、五百トンの金塊も一緒に沈んじゃったっていうけれど」
 本当かなあ――売り物の金貨をもてあそびながら、その少年は小首を傾げる。
「馬鹿馬鹿しい。いいかね、坊や? 金塊――実際は大半が金貨だったというそれは一応実在したらしいが、経過を辿ると敗走した白軍の手を早々に離れて、各地を転々としながら失われた事が判っている。だから、湖の底に眠っているなんていうのは、どこかのロマンチストが脚色した作り話なんだよ」
「なーんだ、つまんないの」
 彼が親指で弾き飛ばした金貨を、私はすかさず掴み取った。
「……?」
 氷のように冷たい。彼がずっと触っていたというのに。
 そういえば、先ほどから店の中が妙に冷え込む。
 暖房はどうした。
 この子は寒くないのか。
「でもさあ、こうは思わない? 本当はもっと“いいモノ”が沈んでいて、金塊の噂はそれを隠す為の嘘だった――って」
 その途端、少年の身を、無数の真っ白い蝶が、包み込む。
 次いで店内のそこらじゅうでびきり、ばしっと凍結する音が鳴り響く。
 だが、私は彼――否、彼女に釘付けとなり、それどころではなかった。
「ひっ――」
 そう、彼女だ。
 散りゆく凍て蝶の中からやがて顕れたのは、戯曲に描かれるスネグーラチカさながらの、寒々しくも愛らしい娘。
 恐ろしい。
 逃げたいが、足が全く動かない。
 当然だ、いつの間にやら下半身が氷で床に固定されているのだから。
「アッ、あ……うが、ハア、ハア!」
「ねえ、おじさん。……本当は知ってるんでしょ?」
 歯の音が忙しなく呂律の回らない私に、少女は蟲惑的な声で囁きかける。
「な、うなな、な、なんの事、を」
「“マルクトの短剣”、ずっとその事をお勉強してたのよね? ――ね、知ってるんでしょ?」
「あっひっ、知ら」
「じゃあ死ねば?」
「知らないぅえぎゃああああああああ!」
 両腕の肘から先が粉々に砕けた。
 だがそれらはほぼ氷と化していて、血飛沫が跳ねる事はなかった。
 激痛と寒さと恐怖が蝕む。
 頬を伝う涙さえ凍てつくというのに震えだけが止まない。
「うっ……うっ……、たたた棚に、地図、うっ、が……」
 少女はすぐにそれを見つけて広げるなり、のん気に質問を寄越す。
「このバッテン印がそうなの? バイカル湖の」
「そそそそう、だ」
「どんな場所?」
「このっ場所に、はっ……隣国との戦争が始まった日に、列、車……が、し、ずんだ」
「ふうん」
 少女は地図を片手に踵を返す。
「あっ、待っ――――」
 同時に、心臓の凍てつく音が耳膜に突き刺さった。
 無論、自分のだ。


●九十九分後の予知
 無造作に転がったり、縦に刺さっていたり。
 そんな列車の林でできたお城と、千切れたレールでできた柵と。
 沢山の人が骨になっても跪く水底の王国を、少女と狼は往く。
 真っ暗なのも気に留めず、気ままに上機嫌に、花でも摘みに行くように。
 周りの車両を凍らせて、過ぎる頃には粉々で。
 林が少しずつ減っていく、骨が冷たい塵になる。
 そのうち玉虫色の目は、ふわりと浮いたこがね色をみとめて。
 大喜びで手に取って。
「おつかい完了。帰ろ、ルドルフ」
 それを狼に食べさせて。
 まるで過去(こっち)が見えるみたいに、急にこっちを振り向いて。
「だあれ?」


●九十九分前の現在
「黄金の短剣の情報を握っている」
 本部に打診があったのは、まさにH.O.P.E.が例の短剣を探し始めた矢先の事。
 イルクーツク市内で骨董品屋を営むその男は、自身の研究成果をH.O.P.E.に売り込もうとしていたらしい。
 だが、呼び出しに応じてエージェント達が訪ねると、彼は既に息絶えていた。
 両腕を失い、立ったまま氷漬けにされて。
 店の中はそこかしこに氷と霜と雪とが積もって、真っ白だ。
 先を越された――と思う間もなく端末の呼び出し音が鳴る。
 本部に詰めるオペレーター鬼丸 鞘花(az0047)からの緊急連絡だった。
≪先ほどプリセンサーから「急がなければ愚神に短剣を奪われる」と予言がありまして……。そちらの状況は、いかがでしょうか≫
 エージェントがありのままを伝えると鞘花は「残念です」とだけ応え、それから犯人とみられる愚神についての説明を始めた。
≪今回実動しているのは識別名“雪娘”。以前同地域で“ノーリ”――失礼、“ミロン”という名の少年に宿り、逃亡したものと同じ個体とみられます。詳しい能力は不明ですが……その一端は、既に目の当たりにされたようですね≫
 氷獄と化した店内が、惨たらしい店主の遺体が、その力と性を雄弁に物語っているから。
 どうあれ、急いで後を追わねばならないだろう。
 だが、一体どこへ?
≪何か、遺留品はありませんか?≫
 鞘花の声を受け店内を見渡せば、すぐに卓上の“マルクト”と銘打たれたレポートが目につく。
 それには、かつてロシアの覇権争いはマルクト(王国)を象徴する黄金の短剣を奪い合う歴史だったとする記述の他、現在それはバイカル湖の湖底に眠っている事、ほぼ同じ場所に列車が沈んでいる事などがしたためられていた。
 だが、正確な位置については言及されていない。
 闇雲に探し回るにはバイカル湖は広すぎるというのに。
 とにかく現地へ急行するべきか、考える為に今少し手を割くか――どうする。
≪……判断は皆さんにお任せします。移動手段はこちらで手配しておきますので、どうかご心配なく≫

解説

【目的】
 マルクトの短剣回収

【主な舞台】
 ロシア南東部、バイカル湖。
 五月にしてなお湖面は分厚い氷に閉ざされている。
 深く暗い湖底には二十五万の無念と、なぜか多くの列車が沈む。

【現在地】
 イルクーツク市内の骨董品屋。
 短剣の正確な所在はレポート(=OP本文相当の情報)が叩き台。
 判断材料を増やす方法の目安は以下の通り。
A:店内を調べる
B:聞き込みや調査
C:鞘花に情報照会を要請
 いずれも情報と媒体or人の目星が時間経過に影響。
 なお、今回はCに限り質問スレッドで行う事も可能(この場合のみ所要時間は最小限として判定)

【移動手段】
・骨董品屋~バイカル湖:H.O.P.E.車両(約四十分)
・湖岸~湖底:砕氷船→潜水艇(最短三十分、目標地点により変動)
・湖底到着後:艇外活動

【探索】
 地道な探索行となる。
 人数分+予備の照明と金属探知機、酸素ボンベは潜水艇に搭載済。他泳具等貸与可。
 無呼吸での活動限界は約一時間(共鳴時のみ)、酸素ボンベ併用でプラス三十分程度。

【愚神】
 デクリオ級上位、少女型。
 現時点での識別名は『雪娘』。初出はシナリオ『無色の庭にて』。
 ノーリ改めミロン少年の肉体を触媒にして活動中。
 高水圧、低温が予想される湖底での撃破はミロン少年の死に直結。
 ルドルフという名の狼型従魔(デクリオ級)と共に行動。
※以下PL情報※
 冷気を用いた能力、及びソフィスビショップと似たスキルを駆使。
 早期遭遇時、短剣発見までの一時的な協力を持ちかけてくる可能性あり。

【その他】
・スレッドでの質問・要請はプレイング締切四十八時間前までの受付
・PL情報に関する質問不可
・重体の可能性あり

リプレイ

●意思
「短剣の行く末がどうあれ、マロースの掌の上、なのかな」
『……ユカリ?』
「アルは“マロースが仕組んだ”って言ってた。この店主も……アルビナもミロンも雪娘も……――僕らも。彼の物語、の駒に過ぎないのかな」
『……今は目的に専念しましょう。私達は誰の物でもない。私達自身の意思で今、ここにいるのですから――』


●十分
 アンガラ川――源泉たるバイカル湖から北西へと流れ、イルクーツク市内を東西に隔てるこの川の畔は今、不自然な人だかりがいくつもできて不安げにどよめいていた。
 見れば数名の警官が手分けして事情聴取を行っている。
「何か、あったんですか」
 榛名 縁(aa1575)が中国系の露天商に尋ねると、彼は「近頃物騒で困る」とハンチング帽のつばを引っ下げた。
「化け物が出たのさ」
 聞けば狼に似た巨大な獣が男の子を乗せて、川沿いにバイカル湖方面へ駆け抜けていったと言う。
「もしかして……この子が?」
 携帯端末のモニターにミロン少年の虚ろな顔を映し出すと、露天商はそれと縁とをじろじろと見比べて、鼻を鳴らす。
「どんな様子でした?」
「……えらくはしゃいでたな。何か紙切れを持って、まるで――そうだ、これから宝探しにでも行くみたいに」
「宝探し……――あ、バイカル湖と言えば、金塊の噂と、蜃気楼でも有名、ですよね」
「化け物の次は白軍の亡霊か」
「ご存知ですか」
「ここらで知らない奴は居ないさ。湖のどこにでも出るって話だが……その手の話なら湖畔に行ったらどうだ? 船乗りなり研究者なりの方が詳しいだろうよ」
 男は「まだ生きてりゃな」と巨獣が消えた方角を見遣る。
 縁としてもアンガラ川とバイカル湖を往還する遊覧船のスタッフを当てにしていたのだが、この騒ぎの影響なのか船員はおろか船さえ見当たらなかった。
 他の通行人に尋ねようにも、へたに動けば自分も聴取される側となりかねない。
 今足止めを食うのはまずい。
 残るは――
「研究者」
「生態やら地質やらを調べる為に何年も張り付いてるチームってのが居た筈だ。どこに拠点を構えてるかは知らんがね」
「ありがとう、今度時間を見つけて、訪ねて、みます」
 縁は礼もそこそこに踵を返して、化け物と少年――恐らくはルドルフとミロン、そして雪娘の進路を、既にバイカル湖へ向かっている仲間達へ連絡した。


●二十分
「スミスロフさんの事で幾つか窺いたい事がありまして」
 一方、雪道 イザード(aa1641hero001)は、骨董品屋からほど近い民家を訪ねていた。
 折りしも、家人であろう年かさの婦人が庭先に出たところに鉢合わせ、彼女はあからさまに訝しい目でイザードを見た。
「これは失礼。お美しい婦人に挨拶を省いてしまいました」
「心にもない事を言わなくたっていいのよ。……そんな事よりスミスロフさん? とうとう何かあったの?」
 婦人は声を潜めて、逆に向こうから問うて来る。
 先の視線も含め、どうやらイザードを警戒しているわけではないらしい。
「それを調べているんです。最近、何か変な事はありませんでしたか?」
「いつも変だわ」
「はあ、いつもですか」
「変と言うか偏屈と言うか。よく日も高いうちから店仕舞いしてどこかに出かけたかと思えば何日も戻ってこなかったり」
「行き先や、親しくしていた人に心当たりは?」
「さあ? あまり話した事ないから。私に限らず、この界隈で付き合いのある人なんて居ないわよ。そもそも、客の出入りもたまにしか見かけないし。あんな態度じゃ当然だけど」
「偉そうだったとか?」
「ええ、誰も彼もを見下してるのよ。とてもじゃないけど接客なんて」
「ああ、その――お客さんを最後に見たのはいつ頃で、どんな人だったか覚えてません?」
「去年の……そう、十二月ね。青いコートを着た、背の高い人。近くで見たわけじゃないし、帽子を目深にかぶっていたから人相までは判らないけど、多分男の人ね。まるで“ジェド・マロース”よ」
「……なるほど。ありがとうございます」
 イザードは話を切り上げ、早々に場を離れた。
 既に数件回り、近所の食料品店なども訪ねたが、誰に訊いても返されるのは概ね似たような内容だった。
 骨董品屋スミスロフが近所付き合いもろくにしていないのなら、この界隈で彼について詳しい者など居ないのだろう。
 収穫らしきものと言えば、つい今しがた聞かされた青いコートの男の目撃談ぐらいか。
 それも今度の事と関係があるのかどうかは不明だ。
「すっかり当てが外れちゃいましたね」
 叶うならスミスロフが大切にしていたであろう人物、ないし存在を確かめたかったが、その為には彼の過去と縁の深い場所を当たらなくてはならないだろうか。
 ともあれ、今はその時間さえ惜しい。
 イザードは一旦骨董品屋へ戻る事にした。


●二十五分
 縁とイザードが聞き込みをしている間。
 それぞれのパートナーであるウィンクルム(aa1575hero001)と不知火 轍(aa1641)は凍てついた骨董品店に残り、アナログ、デジタルの両面から短剣の所在などについてより確かな情報がないか、入念に調べを進めていた。
 卓上で起動されたまま零下の店内を耐え忍んでいた端末に持参したノートパソコンを繋いでハッキングしていた轍は、“マルクト”“王国”“短剣”といった条件に該当がなく業を煮やしていたが――
「……こいつは」
 やがてメールクライアントの中から、“セラエノ”に関連する記事を探り当てた。
『見つかりましたか』
「まあ、ちょっと見てくれ」
 棚を片っ端から調べていたウィンクルムが、轍の様子に気づき歩み寄る。

 * * *

 親愛なるアレクサンドル・スミスロフへ

 H.O.P.E.がバイカル湖の湖底に眠るロシア帝国の秘宝を探している。
 彼らの資本は巨大だ。
 上手に売り込めばバイカル湖探査の為の良きパートナーとなってくれるだろう。
 今こそきみの事を学会から追放した愚か者どもを見返すチャンスだ。
 だが、急がないとセラエノに先を越されるかも知れない。
 必ずや早期のコンタクトを。

 王の使いより

 * * *

「“王の使い”……だ?」
『何者なのでしょう……他に同じ名義の手紙は?』
「……ねぇな」
 日付は本部宛にスミスロフが打診を寄越した前の日。
 あまりにも唐突な、しかしH.O.P.E.やセラエノの動向を把握している何者かのタレコミ。
 スミスロフの研究――人柄さえも計算に入れているかのような。
 もしこれが骨董品屋の行動の起点となっているのだとしたら、エージェントはまんまと誘き出された事になる。
『しかし、何の為にそのような事を?』
 どこかの組織か愚神の手勢かは不明だが、前者ならばややこしい事この上ないし、直近の状況から仮に後者だとするならわざわざ足取りを掴ませようとしているかのようだ。
 意図が皆目判らない。
「……ま、今は、いいだろ。そっちの首尾は」
『これを』
 促され、ウィンクルムは煌く円盤を差し出す。
 骨董品ばかりの陳列棚に不似合いなそれは、年代物の金貨を飾る敷物の下になっていた。
「ふん。光学メディア、ね」
『私はこうした機器に疎いのですが、使えそうですか』
「ただ、ぶちこむだけだ」
 轍は無記名のディスクを受け取るなり両面を確かめてから、それをスミスロフのパソコンに挿入する。
 程なく回転音を伴って“マルクト”なるアプリケーションが起動したかと思えば直ちに失せ、入れ替わりにブラウザを介してどこかのオンラインストレージへ接続された。


●五十五分
「――スミスロフの研究データ“しか”ない? まるで専用サービスだな」
 日中でさえ未だ肌寒い甲板にて、ヴィント・ロストハート(aa0473)が端末越しの轍に冗談めかして応えた。
≪見た事もない、サーバーだ。協力者が居ねぇなら、自分で用意した、のかも≫
「わざわざ店の外にか、手の込んだ話だ。まぁどうだって構わないが……それで? 在り処は判ったのか」
 これにはウィンクルムが応じる。
≪先に鬼丸様が照会された事故の場所と、やはり一致するようです。白軍の隊列、その構成まで驚くほど微細に調べ上げ、あるいは予測し、のみならず様々な観点から考証を重ねて、最も可能性の高い座標として当該地点を挙げています≫
「二十五万もの行列の何人目が持っていて、どのあたりでくたばったか割り出したと。……恐るべき妄執だな」
≪全くです≫
 ともすれば荒唐無稽な、信憑性を疑われて当然の内容なのだろうが、他に当てもない身としては今更それを疑ったところで始まらない。
 真実なのだとしたら、単に歴史や考古学の造詣を深めれば到達できるという境地ではない。
 そのプロセスに興味がないでもないが――今あくまで重要なのは、成果の方だ。
≪その水底――深さおよそ千四百メートルの場所に眠るとされています≫
「短剣そのものに目印は?」
≪短剣は王家の紋章が刻まれた箱に、入ってる可能性が、あるとか≫
「まだ弱いが……抜き身の短剣一本探すよりは見つけやすいか。箱自体が無事ならいいが」
≪……どっちにしろ、地道にいかねぇと、な≫
「アヤネ達にそう伝えとく」
≪お願いします。これより我々もそちらに向かいますので≫
「畔で待機してる。急げよ」
≪了解≫
 ヴィントは一旦通信を切ると、先行する砕氷船の仲間達へ直ちにメールを介して情報を送った。
「さてと……またしばらくは待ちぼうけか」
 湖岸に停泊する船上から、荒々しくも独特のうねり模様を見せる、真っ青に凍てついた湖上を見遣る。
『マルクトの短剣』
「……ん?」
『遅くなると愚神に回収されちゃうんだよね……みんな大丈夫かな』
 傍らに控えるナハト・ロストハート(aa0473hero001)が、儚げに呟く。
「だが、位置を明確にしない事には見つけ出すのすら困難だ。そしてそれは伝えた――限られた時間でやれる手は全部尽くした。あとはあいつら次第だろう」
『うん……』
 二人は、かつて線路が敷かれたであろう、砕氷船が切り開いた道――その彼方を、ただ見詰めた。


●約束
「ミロンから手を離したあの日以来、ずっと後悔してる。“あとで取り返せる”――そう考える事が甘さに繋がるから、今回は決して退かない」
『短剣とミロンの命。どうしても一つしか選べないなら、どちらを取るの?』
「それは……前に、何があっても任務を優先すると約束したから。ミロンは諦められない。だけど、短剣は守る」


●六十分
 連絡を受けて早速潜水艇に乗り込む間際。
「さぁ、ニック! 変身するわよ!」
『そうだな。時間が惜しい。さっさとやるぞ』
「ちょっ……ヒーローの見せ場なのにぃ――!」
 ぞんざいに幻想蝶に触れたニクノイーサ(aa0476hero001)への抗議も空しく大宮 朝霞(aa0476)はともども光蝶に巻かれ――やがて霧散すると、がっくり肩を落とした“聖霊紫帝闘士ウラワンダー”がそこに立っていた。
(しょぼくれてないで乗り込め)
「……はぁい」
 内側から更に急かされとぼとぼと中に入ると、既にアヤネ・カミナギ(aa0100)、ダグラス=R=ハワード(aa0757)、荒木 拓海(aa1049)、狒村 緋十郎(aa3678)もパートナーとの共鳴を果たし、定位置に着いている。
「では出発します」
 全員揃ったのを確認して、操縦士が一声掛ける。
「ノーリ? ミロン? とにかく再会のチャンス到来ね」
(雪娘とセットだがな。氷使い相手の水中戦闘は避けたいところだ)
「っ!」
 潜水艇が湖中へ放たれる最中、朝霞の発言に拓海がぴくりと反応した。
(……リサ、俺を手伝って欲しい)
(何を言うかと思えば。忘れたの?)
 相棒の思い詰めた声に、リサ――メリッサ インガルズ(aa1049hero001)は呆れたとばかり聞き返した。
(互いを守り、育み合う事。出会った時に約束した筈よ)
(…………うん)
(拓海は私の凍った心を解かしてくれた、だから私は手を尽くす。拓海がこの世界で生き抜けるようになる為に)
 常に頼もしく、そして今は優しい思念に、拓海は力強く頷いた。
『マルクトの短剣――』
 おもむろにアヤネ――否、今表層化しているのはクリッサ・フィルスフィア(aa0100hero001)か。
 彼とも彼女ともつかぬ姿の自らを“剣”と課す存在は、呟く。
 セフィロトツリーにおいて王国を象徴し、最後の剣と称される事もあるセフィラの名を冠した黄金の短剣。
(誰にも渡したくないわね……立場上そうも言っていられないけれど。せめて愚神に奪われる前には)
(どうしてもか? ……仕方がないな)
 かつて王国――世界を守護し、生命を守る剣であった身としての想いか。
 クリッサがそうまで入れ込むなら、アヤネは付き合うだけだ。
(…………)
『緋十郎?』
 一方で緋十郎――と言っても今はレミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001)が主体ゆえ彼の心身はその内部に在るのだが――もまた、どうやら趣の異なる思い詰め方をしていた。
 骨董品屋に居る時。
 オペレーターの通信でプリセンサーの予知した内容を訊いてから、ずっとこう。
(頭を使う事は苦手な筈なのに)
 人が変わったように、何かに取り憑かれたように熱心に考え、都度鞘花へ情報の照会を試みていた。
 早々に出発する段取りがついたのは彼の働きに依るところが大きい。
 一体なぜ――疑問符を投げかけても緋十郎は沈黙を保ったままだ。
(まさか……惚れた?)
 まだ会った事もないのに――パートナーへの想いがない交ぜになりかけた、刹那。
 しかしそれとなく見詰めていた丸窓に、凍気が立ち込めた。


●七十分
『!?』
 程なくこつこつと窓が叩かれ。
 そのすぐ外側でゆらりと乳白色の髪が舞えば。
 窓の向こう、底知れぬ玉虫色の瞳の少女がこちらを覗き込み、にっこりと艇内へ手を振った。
「雪娘!」
「出たわね!」
「なに!?」
(ちょ、ちょっと緋十郎……!?)
 拓海と朝霞の声にレミア――ではなくいつの間にか緋十郎が心身とも顕在化し、どすどすと窓枠へ歩み寄った。
「――ふん。影で動くかと思えば」
 ダグラスは冷笑で応え、しかし獲物を見つけた獰猛な眼差しを、それへ向ける。
 どうやら考えなしに攻撃してくるつもりはないらしい。
 が、どう出ようと関係ない。
 喰らうのみ。
(……)
 主の情動に、紅焔寺 静希(aa0757hero001)は何を応える事なく、ただ委ねた。
 ――ねえねえ、短剣を探しに来たのよね? だったら協力しない?
 窓越しに幾分水に声をくぐもらせながら、しかし愚神ははっきりと言った。
 鷹揚というか無邪気というか、見目に違わず緊張感の欠片もない調子で。
「断る!」
「待って拓海さん!」
 明確な敵意を以って即答する拓海を、朝霞が制する。
「でも!」
『下手に刺激したら潜水艇が危険だわ、ここには操縦士も居るのよ』
 なお食い下がる拓海にクリッサが冷たくも厳然たる事実を以って、止めた。
 ともすれば帰還する手段を失う事にも繋がるだろう。
 ――朝霞、それに拓海じゃない。お久しぶり。
「くッ……!」
 嬉しそうに笑う雪娘に歯噛みするもミロンへの想いを露とする事はなく、拓海は渋々口を閉ざした。
 入れ代わりにダグラスが口を開く。
「いつ短剣の存在に気付いた」
 ――あらダグラス。今日はおすましさんなのね。
「無駄口を叩く暇があったら答えろ」
 ――知らないわ。……ああ、でも最近南の方の街で大きな戦いがどうしたとか……? H.O.P.E.(あなた達)の方が詳しいんじゃないの?
「ふん。ではマルクトの短剣はどこで嗅ぎ付けた」
 ――さあ?
「お前が短剣を探す理由は」
 ――欲しいからに決まってるじゃない。女王様になる為の近道なの!
「なるほどな」
 マルクトを剣と表せるならば“切り開く”“切り裂く”など語呂が合う。
 あるいは不完全な者から完全になる為の手立て。
 だが。
「それだけではあるまい」
 さもなくば、わざわざこちらに足取りを掴ませるような動きをした意味がない。
 ――あのねあのね、“ゲーム”なんだって。
「ゲーム?」
 これに緋十郎が鸚鵡返しで加わる。
 ――あなた達と愚神(私達)、どっちが先に“門”を開けられるか。
「競争ってわけか。もし愚神が勝ったらどうなるんだ?」
 ――愚神(お友達)がいっぱい増えて、もっと楽しくなるわ!
「そんな事、させるか!」
『落ち着いて』
 いきり立つ拓海を制しながら、しかしクリッサも眉根を寄せる。
「さっきから他の者に言われたような口ぶりだが……一体誰が?」

 ――“王様”。

「……?」
 雪娘の思わぬ解に、緋十郎が皆の方を向く。
 誰もが、怪訝な顔をしていた。
 暗喩と思しき言い回しの多い中で、マルクトと一貫しながらも一際得体の知れぬ、けれど絶対的な強さを秘めた言葉。
(確か、ヴィント達からの連絡でも……)
 クリッサが、轍が見たメールの差出人名義を思うのを他所に、緋十郎はひとつ咳払いをして、真っ直ぐにあどけない姿の愚神を見た。
「……なあ、雪娘。その、愚神と人間は共存できると思うか?」
 ――あなた達が協力してくれるならね。
 艇内は徐々に冷え込み、じわりじわりと霜が張り――かと思えば一度だけ大きな揺れが起きて。
 急激に沈降速度が上昇する。
 まるで何か巨大な生物に圧し掛かられたかのよう。
「もしかして……ルドルフ!?」
 朝霞の戦慄は、恐らく的を射ているのだろう。
 ――お喋りするの飽きちゃった。どうする? 嫌なら別にいいのよ。
 雪娘は玉虫色の瞳を倦怠感で曇らせる。
 最早猶予も、選択肢もないに等しい。
 断れば文字通り水泡に帰すだろう。
「嫌なものか、むしろ大歓迎だ!!!!」
 緋十郎が叫ぶように――心からの――意思を伝えた。


●九十九分
「列車や線路の残骸が目印よね、その近くにきっと!」
 かくして一同は、雪娘、並びにルドルフと共に湖底の探索を開始した。
 ただし拓海とダグラスは本人の意思により加わらず、後方で見守っている。
「それにしても技術の進歩ってすごいね!」
(まだまだ試作段階らしいが。既製品はせいぜい水深数十メートル以内だそうだ)
 朝霞が懸念していた水中でのコミュニケーションは、高水圧にも耐えるという水中通話装置が貸与される事によって解消された。
(ビニール袋が無駄になったな)
「さすがに無理だよ……」
 空気を含んだ袋を口に当ててはどうかと考えていたニクノイーサは、少々残念そうだったが。
 ともかく。
 ゴールド用金属探知機とライト、そして先に挙げた目印を頼りに、ある種奇妙な一団は水深千四百メートルの暗闇を、ゆったりと進む。
 なお、軟泥化しがちな足場は都度雪娘が凍らせたので、水の抵抗にさえ慣れれば歩き回るのには存外不自由しなかった。
 道々、緋十郎は特に雪娘の近くに居るようにして、しきりに話しかけた。
「今までどんな風に過ごしてきたんだ?」
 ――ペド婆の“食事”の世話よ。そこの朝霞達のお陰で解放されたの!
「食事……お前の好きなものは?」
 ――“温かい”もの!
「じゃあ反対に嫌いなのは?」
 ――ばか。
「なるほど! 何か大事にしてる物事は?」
 ――さっきから話しかけてばかりね。ジョーホーシューシュー?
「そうじゃない。俺は――雪娘、お前の事をもっと知りたいんだ……!」
 まるで愛を告白するように、というか緋十郎にとってはまさにそのつもりで、雪娘に熱い視線を注ぐ。

 ――ヴァルヴァラ。

「ん?」
 ――私の名前。わかったらとっとと探せよウスノロ。さもないとあんたの×××フリーズドライにしてルドルフに食わすわよ。
「!!!!」
 サディスティックな言葉を浴びせられ、緋十郎にぞくぞくと悦が満ちゆく、その時。
『……ここね』
 クリッサの声に、皆立ち止まる。
 恐らく客車だろう、古い造りの車両がばらばらに無造作に転がる影は、あたかも御伽噺の城の如くそびえ、広がっていた。
 剣の女はちらりと雪娘――ヴァルヴァラを盗み見て、よりその動向に供える。
(できれば愚神は今壊してしまいたいのだけれど……)
 依代にされているミロンという少年の救出を望む者が居る。
 ならば――クリッサはその傍らに居る巨獣に意識を向け、近い未来の標的と定めた。
 ――邪魔だわ。
「任せろ!」
 緋十郎が大剣を喚び、片っ端から叩っ斬る。
 ライヴスとは無縁な残骸は一振りでたちまち大破し、鉄屑となって水中を浮き沈みした。
 そのことごとくをヴァルヴァラが放つ凍気が包み、次の瞬間には更に微細な無数の粒子となって散り、芥となって失せて。
「??? 壊れた?」
 朝霞の手元では水中の鉄分が俄かに上下して探知機が不審な反応を繰り返したが、やがて落ち着くと、開けたある一方向に顕著な反応を示し、安定した。
「協力は発見までの約束だったな」
 すかさず緋十郎が突き進む。
 ――ああ! ずるい!
「すまんなヴァルヴァラ。いっそ短剣もくれてやりたいぐらいだが――」
 ひんしゅくを他所に、緋十郎は無数の骸の中に先の凍気で崩れかけた木箱を見極めると直ちにそれを掴み上げ――ずっと着いて来ていた拓海の方へ放った。
「――俺はエージェントとしての筋を通す!」
(よく言ったわ緋十郎!)

「だから俺の事をもっと苛めてくれ!!!!」

(……え)
 ――え。
 緋十郎の啖呵も、内に響いたレミアの褒め言葉も、台無しになった。

 皆、絶句した。


●ロスタイム
 ――剣を渡しなさい!
 雪娘ヴァルヴァラの凍気が一気に場を包む。
 急速な低温に水は凍り、生きとし生ける全ての者をも凍えさせ、動きを鈍らせた。
 それは術者に近いほど顕著で、緋十郎はほぼ直撃を浴びて半ば氷付けとなった。
 一方で最も遠くに居た拓海は今の衝撃で砕けた木箱から黄金の短剣が姿を見せると、それを握り締めて強引に氷を打ち破る。
(拓海、幻想蝶に!)
「わかってる!」
 即座にメリッサの言葉に従い、比較的脆かった氷壁を抜け出して潜水艇へと踵を返す。
 ――ルドルフ、逃がさないで!
 命じられた巨獣は唸り声と共に一同をも閉ざしていた氷の壁を一気に突き破りながらたちまち拓海へと迫る。
 が――咆哮にも似た銃声と三発の弾丸が放たれ、その足を止めた。
「しばらくぶりだな、駄犬」
 ダグラスが拳銃を構えたまま、悠然と立ちはだかる。
 この隙に拓海は潜水艇へ戻り、自由となった朝霞の矢と、それを追うクリッサの剣がルドルフの身を削いだ。
 緋十郎は――あろう事かヴァルヴァラを腕ずくで押さえ込んでいた。
 ――離せよゴリラ!
「生憎俺は――ぐあぁ!」
 直ちに氷漬けにされただの棒と化した諸手の苦痛を心から味わっている間に、緋十郎の全身は氷塊で包まれ、ゆっくりと浮かび始めた。
「出発してください! 急いで!」
 同じ頃、潜水艇も浮上を開始した。

 エージェント達はルドルフとヴァルヴァラの追撃を凌ぎながら、潜水艇と共に上昇を続けた。
 活動限界がある以上、移動する拠点を離れるわけにはいかないからだ。
 だが、潜水艇を守らなくてはならないのに加え、事ある毎に水を凍らされていた為、ヴァルヴァラはおろかルドルフにさえ思うように有効打を与えられず、防戦を強いられていた。
「このままじゃ……」
 朝霞は息切れを感じ始めていた。
 守らなければ潜水艇が破壊される。
 だが潜水艇に戻らなければ水面に辿り着く前に酸素が尽きる。
 ――さっさと短剣返しなさいよ。こいつみたくなりたい?
 優位だからか持ち前のものか、ヴァルヴァラは目を見開いたまま氷塊と化して浮かび続ける緋十郎を指差し、邪に笑う。
「――そこまでだ」
 刹那、双方の間に割り込む影が、三つ。
『ヴィント……!』
「轍さんも!」
 クリッサと朝霞の瞳に喜色が浮かぶ。
 それに対し、ヴァルヴァラの目は、果てしなく冷たい。
 ――縁。それに……また知らない人達。
「拓海を手に掛けたらお前も、僕らも、誰にも短剣は取り戻せなくなる」
「……愚神だって幻想蝶ぐらい、知ってんだろ」
「だがここで戦り合えば不利なのは俺達の方だ。……どうする? 小娘」
 ――……。
 縁、轍、ヴィントの言葉に、ヴァルヴァラは何事か言おうと口を開き。
 ――つまんないの。帰ろ、ルドルフ。
 ふわりと踵を返すと、その姿が薄氷の蝶に包まれ――やがて少年の背中となった。

「……」
(ユカリ)
「……――僕らは、踊るか踊らされるか、選択する意思を持ってるけれど。今のミロンにはそれすらもない。……彼の物語は、止まったままなんだ」
 巨獣に跨り水中の彼方へ消えたヴァルヴァラ――否、ミロンを見送り。
 縁は哀しみを映した瞳を潜水艇へ、その窓辺に居る拓海へと向けた。

 こうして、マルクトの短剣は、H.O.P.E.本部へと無事届けられる事となった。
 幾つかの謎を残したまま。

 なお、緋十郎は朝霞の手によって蘇生し、一命を取りとめた。

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結果

シナリオ成功度 普通

MVP一覧

  • コスプレイヤー
    大宮 朝霞aa0476
  • 水鏡
    榛名 縁aa1575
  • 緋色の猿王
    狒村 緋十郎aa3678

重体一覧

  • 緋色の猿王・
    狒村 緋十郎aa3678

参加者

  • エージェント
    アヤネ・カミナギaa0100
    人間|21才|?|攻撃
  • エージェント
    クリッサ・フィルスフィアaa0100hero001
    英雄|20才|女性|ドレ
  • 恐怖を刻む者
    ヴィント・ロストハートaa0473
    人間|18才|男性|命中
  • 願い叶えし者
    ナハト・ロストハートaa0473hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • コスプレイヤー
    大宮 朝霞aa0476
    人間|22才|女性|防御
  • 聖霊紫帝闘士
    ニクノイーサaa0476hero001
    英雄|26才|男性|バト
  • 我王
    ダグラス=R=ハワードaa0757
    人間|28才|男性|攻撃
  • 雪の闇と戦った者
    紅焔寺 静希aa0757hero001
    英雄|19才|女性|バト
  • 苦悩と覚悟に寄り添い前へ
    荒木 拓海aa1049
    人間|28才|男性|防御
  • 未来を導き得る者
    メリッサ インガルズaa1049hero001
    英雄|18才|女性|ドレ
  • 水鏡
    榛名 縁aa1575
    人間|20才|男性|生命
  • エージェント
    ウィンクルムaa1575hero001
    英雄|28才|男性|バト
  • その血は酒で出来ている
    不知火 轍aa1641
    人間|21才|男性|生命
  • Survivor
    雪道 イザードaa1641hero001
    英雄|26才|男性|シャド
  • 緋色の猿王
    狒村 緋十郎aa3678
    獣人|37才|男性|防御
  • 血華の吸血姫 
    レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001
    英雄|13才|女性|ドレ
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