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【東嵐】連動シナリオ

【東嵐】屠宰鶏

電気石八生

形態
ショートEX
難易度
やや難しい
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
能力者
8人 / 4~8人
英雄
8人 / 0~8人
報酬
多め
相談期間
5日
完成日
2016/04/18 18:01

掲示板

オープニング

●彼女
 気がつけば、路地裏にいた。
 肩を怒らせて歩き回り、ことある事にその命を奪い合う男たちの隙間で、身を縮めて過ごす日々。
 男たちの暴行跡を隠すため、安い化粧を塗り重ねた女たちが手を伸べてくれなければ、おそらくは男たちの内の誰かに蹴り殺されていただろう。
 しかし、その女たちも撃たれて死に、刺されて死に、病で死に、いつしか彼女に伸べられる手もなくなった。
 女たちは彼女にいつも言っていたのに。
『神様はいつでも天から私たちを見守ってくださるの』
 神様は見ているだけで、女たちにも彼女にも、なにひとつくれはしなかった。
『死を悲しんではいけないよ。死んだら皆、天国へ行って幸せに暮らせるんだから』
 なら、どうして生まれてこなければならない? 生まれさえしなければ、最初から天国で幸せに暮らせるんじゃないのか?
 彼女は身を縮こめたまま考えた。考えて、考えて、考えて。思った。
「天国なんかない。死んだらなくなるだけ」
 女たちの手に包まれていたころは幸せだった。しかしそれはどんどん消え失せて、最後にはなにもなくなった。
 死は彼女からすべてを奪った。きっと彼女が死んでも、なにひとつ与えられることなくただ消えてなくなるだけだろう。
 いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ、いやだ!
 男たちのひとりから盗み取ったナイフで、その男が寝ている隙を狙って殺した。彼は自分を殺すかもしれないから。
 そうして男たちを殺し続けた彼女だが、返り討ちにあう。
 彼女を待ち受けていた男たちが、未だ幼い彼女を棍棒やバールで打ち据える。
『加減しろよ! 内臓が傷ついたら売れなくなる』
 そんな言葉を聞きながら、彼女は思った。
 もっと強い武器があれば。もっと自分が強ければ。そうしたら、死ななかったのに。
『死にたくない?』
 唐突に聞こえてきた、声。
 彼女は考えるよりも先に、心の中で答えていた。
 死にたくない。
『生きる?』
 生きる。

 彼女は部屋に置いてあった――木を切るためのものではないのだろう――チェーンソーを取り、生き延びた。
 その痩せこけた体の内に、『生きる』ことを誓い合った誰かを宿して。

●屠宰鶏
 ひと月前にHOPE香港支部によって摘発された地下闘技場跡。すり鉢の上には豪奢なソファやテーブルが散乱し、薄ら寂しい情景を見せる。
 その地下施設に今、灯がともっていた。
 闘技場であったすり鉢の底に、ヴィランの人壁はない。
 いるのは少女、ただひとり。
「――来てくれたんですね! うれしいです!」
 左右の手に1台ずつチェーンソーを持った少女が、高く声音を弾ませた。
「考えたんです。わたしも斗鶏(ドゥジィ)も弱くて、このままだったら死んじゃうなって。だから、ふたりで勉強しました。もっとうまく殺せるように」
 白いアオザイに包まれた痩身が跳ねる。黒の三つ編みが躍り、おもちゃの蛇さながら宙でうねった。
「わたしが死なないように、みなさんのこと殺します!」

解説

●依頼
 屠宰鶏を全力で撃破・捕縛してください。

●地形と状況
・闘技場の広さは11×11スクエア(天井までの高さも同様)。その真ん中に屠宰鶏が立っています。
・障害物は一切ありません。

●屠宰鶏(トザイジィ)+斗鶏(ドゥジィ(ドレッドノート))
・見かけは地味なベトナム少女。
・2台のチェーンソーを振り回し、3連撃を繰り出します(攻撃対象1~3)。
・回避力が高く、さらに敵の技や攻撃のクセを学びます。工夫のない攻撃は、高確率でかわします。
・回避に成功する度、攻撃者(距離不問)へ「カウンター攻撃(減退のBS付与)」。
・「死なないために殺す」という彼女の理念を揺さぶる言葉(感情や理屈)をぶつけることで、攻撃を鈍らせられます(言葉を重ねていくことで効果は蓄積します)。
・生命力が半減するとアクティブスキル「タイラント」と「オーガドライブ」を同時使用し、毎ラウンド狂乱の4~8連撃を繰り出します(攻撃対象1~8/発動中は2ラウンド以降物理・魔法防御力が半減)。
・狂乱状態になると共鳴した英雄(斗鶏)が表面化しますが(今回はこの状態でも屠宰鶏と会話可能)、3歳児相当です。難しい言葉は理解できませんが、「生きたいから殺す」という彼女の理念を揺さぶる言葉(感情や理屈)をぶつけることで、攻撃を鈍らせられます(屠宰鶏同様、言葉の効果は蓄積)。また、食べ物には強い拒否反応を示します。
・狂乱状態中、アクティブスキル「ガオウ」を発動することがあります。

●備考
・屠宰鶏の過去は謎の情報源からHOPEに提出された文書に書かれていたもので、プレイヤーキャラクターも知っています。
・この戦いで使用できるのは装備品とプレイング締め切り時の装備・携帯品、あとは各スキルのみとします。
・HOPE本部より、各自で緊急回復手段を準備しておくよう通達が出ています。

リプレイ

●思い
「ここに帰ってくるとは思わなかったな」
 リィェン・ユー(aa0208)が、内にある契約英雄イン・シェン(aa0208hero001)へしみじみと言った。
『じゃな。しかもこの場所で、屠宰鶏とまた向き合うなどとはの』
 インの言葉もまた感慨を含んで重い。
『それも倒すのではなく、捕まえろと言われるとは』
「……救える目があるなら、その目に賭けたいな」
 拳を握るリィエンに、無二の戦友である赤城 龍哉(aa0090)が声をかけた。
「ヒーローを気取る気はさらさらないが、まぁ情けは人のためならずってとこか」
『彼女には生きたいと願う心があります。私たちの言葉は届きますわ。かならず』
 言葉を添えたのは、龍哉の契約英雄ヴァルトラウテ(aa0090hero001)。
「ああ。その可能性を見出してくれた奴がいる。いい知らせ、持って帰ろうぜ」
 リィェンの肩を叩く龍哉を見ていた御門 鈴音(aa0175)、その内に在る契約英雄・輝夜(aa0175hero001)が、ぽつりとつぶやいた。
『生きるために殺す……か』
 異界の魔族によって造られた「人喰い鬼」である輝夜。人と共に生きることを決め、その命を賭けて自らの主と戦うことになるまで、彼女は数多の人間を喰らってきた。その記憶は失われて久しいが、それでも彼女は本能的に知っていた。人が生きるためにどれだけのことをするのか。自分が生きるためになにをしてきたのか。
『……私には屠宰鶏さんみたいな執念はないけど。そんな私が言えることなんかきっとないけど。だけど……だからこそ……!』
 後ろ向きな言葉を紡ぎ、しかし震える足を前へ踏み出していく鈴音の姿に、輝夜は思わず笑みをこぼした。
 ――なんとかわいらしい矛盾よ。これだから人間という奴は愛おしい。ま、言うてはやらんがの。
「それにしても、謎の情報源ね。ずいぶんと過保護じゃない? 長い戦いの歌さん」
 すり鉢の上方に置き去られた客席に影のごとく座すアフリカン――ソングと呼ばれる「長い戦いの歌」を見やり、蝶埜 月世(aa1384)が薄く笑んだ。
『思うところがあるのだろう。あの男にはな』
 固い言葉を発したアイザック メイフィールド(aa1384hero001)に、月世は「ん?」と眉をしかめ。
「ずいぶん買ってるのね?」
「いや、公平に判断できていないだけだ。私は彼に、いささか恩があるのでな』
 先の戦いを思い出しているらしいアイザック。月世はそれ以上言葉をかけず、前を向いた。
「ちっ、やりきれねぇ話だ」
 常のテンションの高さを影に潜め、鹿島 和馬(aa3414)は低く吐き捨てる。
『鶏氏の過去の話?』
 契約英雄の俺氏(aa3414hero001)の問いに、和馬はイライラとうなずいて。
「ああ……あいつだって被害者だろうがよ」
『被害者が加害者になるなんてめずらしい話じゃないよ。いじめとか虐待とか』
「そういう問題じゃねぇ」
『安易な同情はなにも生まないよ?』
「そういう問題じゃねぇ!」
『鶏氏、止めてあげないとね』
「そういう問題……だな」
 一行の後ろについて影のように歩みを進める八朔 カゲリ(aa0098)に、内から契約英雄のナラカ(aa0098hero001)が語りかけた。
『覚者(マスター)、あの者、さらに研ぎ澄まされておる』
「死なないために殺す。それを突き詰めてきたんだろう」
 感情の色を映さぬカゲリの返答に、ナラカはふむとうなずいた。
『技と意志とを尽くさねば、あの痩せっぽちの体にも虚ろな心にも届くまい』
「俺なりに伝えるべきことを伝えるよ」
 そしてカゲリは最後尾を行く言峰 estrela(aa0526)に目線を投げた。万象をあるがままに肯定する彼にしてはめずらしい、憂いを含ませて。
『裏切り者が仲間面をして任務に向かう。いったいこれはなんの演出だ?』
 estrelaの内で、契約英雄のキュベレー(aa0526hero001)が嗤う。
 estrelaは悲しみの煙る瞳を伏せ、細い声音を紡いだ。
「なにもない。これが最後よ。だからバレないようにいつも通りに、ね」
 ここを最後の戦場とする。彼女はそう決めていた。だから惜しまない。ただ全力で刃と言葉を叩きつけ、そして――。
「おまねきしてくれてありがとー。死なないように殺すねー♪」
 一行の中からととっと駆け出したギシャ(aa3141)が、笑顔で大きく手を振った。
「わたし、みなさんのこと殺しますから!」
 屠宰鶏もまた、笑顔。
 ギシャの内の契約英雄どらごん(aa3141hero001)は渋くため息をついた。
『この戦い、俺はせいぜい知恵を絞るとしようか。龍と鶏、じゃれあった果てにどちらが死ぬかなぞ知りたくもないからな』
 暗殺者として育てられたギシャと、殺戮者として育てられた屠宰鶏。ふたりの心は共に育った姉妹のように似通っている。ちがうのはただひとつ。ギシャが死と向き合い、その重さを心に刻んでいることだけだ。

 そしてエージェントたちはそれぞれの思いを抱き、闘技場へ立つ。

●成果
「武器を捨てて投降しなさい。悪いようにはしないから」
 月世が屠宰鶏に語りかけた。
「楽に殺してあげるってことですか?」
 屠宰鶏はきょとんと月世の顔を見上げるばかり。彼女の頭にあるものは、生か死か。ただそれだけなのだ。
『わかってはいたが、さすがにいきなりは届かないか』
 アイザックの言葉にうなずき、月世は盾で守りの体勢を固めた。
「屠宰鶏さん。あなたの武器を今度こそ、両方破壊させてもらうわ。多分、そこからじゃないと始められないもの」
 屠宰鶏へ向かう仲間に、月世が声をかける。
「斗鶏さんじゃなくて屠宰鶏さんと話したいの。だからみんな、しばらくはほどほどにお願い」
「わかりました――いえ、わかっています」
 常ならばおどおどと逃げ惑う気弱な目を凜と鋭く輝かせ、鈴音が屠宰鶏の攻撃を誘うために突きだしていた大剣の切っ先を戻した。
『ええい、じれったい。あやつが動かぬならこちらからひと息にやってしまえばよいのじゃ!』
 地団駄を踏む勢いで声を上げる輝夜に、鈴音は屠宰鶏から目を離さぬまま。
「だめです。月世さんにお願いされたでしょう?」
『ならばわらわを鎮めるためにカステラを持て!』
「それもだめです。この戦い、食べる機会は見誤れませんから……」
 屠宰鶏の圧力。エージェントとして経験を積んできた鈴音だからこそ、そのすさまじさに気圧されずにいられなかった。
 彼女は短く息を吹いて怖じ気を追い出し、戻した大剣を、あらためて突き込んだ。
 屠宰鶏の得物は物騒だが射程が短い。鈴音の突きは、その刃の射程外からの攻撃だったが。
 屠宰鶏が小さくステップバック。そこから一転、鈴音へと飛びかかった。両手のソーを、竹とんぼのように回転させて。
「っ!」
 大剣の柄を立てて直撃を避けた鈴音だったが、軌道を反らした回転刃に腕を削られる。傷自体は浅かったが、傷口は無残な有様を晒していた。
「かうんたー?」
 屠宰鶏の追撃を止めるべく、その足元へ虹蛇を放ったギシャが小首を傾げた。
『ソングに比べればずいぶん拙いがな』
 どらごんが言い切らぬうち、虹蛇のフォールを踏みつけて止めた屠宰鶏が、ギシャへソーを振り込んできた。
「わ!」
 1。地に身を投げ出してかわし。
「わわ」
 2。体を丸め、転がって逃げ。
『よし、かわしきった――なに!?』
 3。予想外の一撃にどらごんが疑問符を飛ばし。ギシャの小さな体が吹き飛んだ。
『3連撃、ですわ』
 力の抜けた声でヴァルトラウテがつぶやいた。
「カウンターといい、連撃といい、あと一撃を加えられる体幹を、よくこの短期間で鍛えてきたものだ。まさに天才(ティエンツァイ)だな。……が」
 リィェンは小さく笑い。
「向こうが天才なら、こちらは功夫とヤワラを重ねて対抗するさ」
「屠宰鶏と話すってのはどこ行ったんだよ。あと、赤城波濤流は柔術じゃねぇからな」
 言い返しながら、龍哉はリィェンと共に踏み出した。呼吸を読むことも合わせることも必要ない。互いの「気配」は熟知している。
「はっ!」
 ライヴスを全身の筋肉に吹き込んだ後に残った残滓を呼気として吐きながら、リィェンがフルンディングを叩きつけた。
「ふっ!」
 こちらはライヴスを余すことなく筋肉に巡らせるべく、呼気を体内に押しとどめた龍哉が、セイクリッドフィストを突き込んで銀の奇跡を宙に描く。
 目線や体の動きに殺気を組み込んだフェイントを、さらに時間差をつけて左右から繰り出すふたり。
 武の才があるほど殺気への反応は過敏になる。だから屠宰鶏は。
 殺気に反応することをやめた。
「おふたりの連携、この前見ましたから」
『龍哉君!』
『リィェン!』
 英雄たちが同時に警鐘を鳴らしたが、遅い。
 ふたりの攻撃をそのフェイントごとスウェーイングでかわした屠宰鶏が、つま先を軸に独楽のごとく回転、カウンターを放った。
「――っぶねぇ!」
 回転刃に腕をこすられた龍哉が大きく跳び退き、冷や汗をぬぐう。
「ソングの魔法のようなカウンターとちがうのはせめてもの救いだな」
 同じく浅手を負ったリィェンは大剣の影に急所を隠し、息をついた。
『屠宰鶏ほどの武人であれば、向けられた殺気に対して自動的に体が動く。それを意志の力で押さえ込んでみせた。攻撃を加減するのは困難だぞ』
 アイザックの言葉に、月世は強くかぶりを振った。
「それでもやらなくちゃいけないの。ここで。あたしたちが」
『しかし、どう説得が届く状態まで持っていく? 彼女は死なぬために殺すことを選んだ……我々の職務を全否定する存在だぞ』
「全力でがんばる。それでも足りないなら、全力を超えてがんばる。仕事だからじゃないわ」
 この世界を守りたい。その思いひとつで、月世は法と秩序を守る警察官ではなく、エージェントの道を選んだ。だから守る。この世界と、この世界を形作る人々を。そして救う。奪われることを恐れるあまり、奪う者にその身を堕とした少女を。
「この世界のやさしさを屠宰鶏さんにも見せてあげたい。ただのわがままよ」
 対するアイザックは、とまどいも嘆きもしなかった。
『承知した。彼女を連れて行こう。貴公が愛する、やさしい世界へ』
『ふむ、よき覚悟を魅せてくれるものだ』
 月世の横顔を見やりながら、ナラカはカゲリの内で微笑んだ。
「こんなでたらめな任務を引き受けて来る奴らだからな」
『ああ。誰もが覚悟を握り込み、鶏どもへと向かっておる。覚者もまた、そうなのであろう?』
 ナラカの問いは、疑問ではなく確認だ。
 だからカゲリはすぐには答えず、両手のPride of foolsに目線を落とす。銃の調子はいつもどおり。彼の意志を飲んだ鉛玉を吐き出す準備を完了している。
「迷いはあるよ。だからこそ迷わない。ただ、それを見せる前に確かめておこうか」
 カゲリが月世の剣撃に合わせ、屠宰鶏に2丁拳銃を撃ち込んだ。
「屠宰鶏。おまえにとって、自分と他人の命ってのはなんだ?」
 刃と弾とを回転刃で払い落とし、屠宰鶏は笑顔で答えた。
「すぐ消えてなくなっちゃうものです! だからわたし、わたしの命を絶対守るんです!」
『あいつの狂気の根源は喪失感というわけだ。喪った者同士、お友だちになれそうじゃないか』
 秘薬の効果で高まったリンクレートが、キュベレーの言葉に含められた感情のすべてをestrelaの心に叩きつけてくる。
 それでもestrelaは表情を変えず、進み出る。
「……殺し合いましょう。どちらかの命が消えてなくなるまで、ね」
 そして至近距離からシャープエッジを抜き撃った。
「はい!!」
 おそらくは屠宰鶏にとって唯一の、理解可能な申し出。
 5本の刃を横回転で回避した屠宰鶏が、その回転にチェーンソーの重さを乗せ、カウンターを放つ。
「最期になるなら、それもいいわね」
 聞こえたわけではない。しかし、なにかを感じたカゲリは、凶悪な回転刃に斬り払われるだろう彼女に目を奪われた。
「言峰――」

●開口
「そういう問題じゃねぇーっ!!」
 和馬の飛ばした縫止が、屠宰鶏の足を文字通りに床へ縫い止めた。
「わ!」
 屠宰鶏がつんのめり、ソーの先を床へ叩きつけて転倒を回避した。
 それをにらみつけていた和馬は右の人差し指で屠宰鶏を差し、続けて左の人差し指でestrelaを差し、
「屠宰鶏と言峰! おまえら暗ぇこと考えてんじゃねぇぞ!?」
 和馬が高く声を張り上げる。
「殺すとか死ぬとか、世界の全部がそんなんでできてるわけねぇだろ!?」
 普段はけして使わない音域で喉を酷使したせいで、何度もむせた。でも、和馬は声を止めなかった。
『世界の半分はやさしさでできてるんだよ? たとえばそう、お母さんのやさしさとか』
 深くうなずく俺氏。和馬は顔を真っ赤にして「今そういうこと言うな!」と叫び。
「……思い出せよ! 誰かからもらったあったかいもんが、おまえらにだってあんだろ!?」
 屠宰鶏の顔から、笑みが消えた。
「全部なくなっちゃいました。最初から知らなかったら、なくならなかったのに」
 回転刃を杖代わり、動きを封じられた足を無理矢理に動かして、屠宰鶏が和馬に迫る。
 その間に立ちはだかるestrelaもまた、色のない目を和馬へ向けて。
「私はもう、なにもいらない。お願いだから、私たちの興を冷まさないで」
 あと4秒で、屠宰鶏とestrelaの殺し合いが再開する――
 そっと。estrelaを押し退けたのは、鈴音。
『おぬしら……いや、屠宰鶏としておくか。おぬしがなにに裏切られ、なにを失ったのかは知らぬよ。じゃが、それでもなお誰かを信じることができたなら大きく拓けるじゃろう。殺す相手しか見えぬ、その閉ざされた世界がの』
 鈴音の内から輝夜が語る。忘れてしまった記憶の欠片、そこに残るあたたかな痛みを感じながら。
「世界はいつも理不尽で残酷です。弱い者は強い者に虐げられて、取り上げられて、打ち捨てられて埋もれていくだけ」
 輝夜の言葉を継いだ鈴音は、その言葉に過去の自分を見る。
 両親を亡くしたさびしさから、後を追いたいと願った自分。
 かわいそうな子として、興味本位な人々の善意という虐待に晒された自分。
 傷つくことを恐れ、他人の目や手から逃げだした自分。
 そして独り、世界のどん底に埋もれてモニターの向こうにある世界の切れ端をながめていた自分。
「でも」
 屠宰鶏はきっと、自分よりもっと深い場所に沈んでいるのだろう。だけど……だからこそ……! 鈴音が手を伸べる。何度斬り裂かれ、何度叩き落とされても、何度でも。
 私を大きく拓けた世界へ引き上げてくれた、あの小さな鬼みたいに。
「私が引き上げます……。屠宰鶏さんを、大きく拓けた世界に!」
 大剣の刃ならぬ柄頭で疾風怒濤。それが示すものは、鈴音が込めた非殺の意志だった。
「なるほど。俺らにゃ語れねぇ言葉だな」
 下がる屠宰鶏を追う龍哉が、鈴音の声音の強さに感じ入った。
『戦いに生きることは戦いに死すことじゃ。互いにそう決めていればこそ、我らに言葉はいらぬのじゃ』
 インの言葉にヴァルトラウテがうなずいて。
『そうですわね。私たちは常在戦場。生死は結果に過ぎませんわ。ある意味では、屠宰鶏さんに近い存在であるとも言えますわね』
 その自分たちに、屠宰鶏を説得する言葉があるのか? 彼女の言外の問いに、リィェンが答えた。
「俺氏も言ってたが、ひとりの人間がすべてだと思い込んでいる世界にも、かならず別の場所があるものさ。それをまずは刃で語ろう」
 日常生活では閉ざしている左の金眼に強い光を宿し、屠宰鶏の目を見据えるリィェン。
 ゆるやかに回転し、遠心力をたくわえてエージェントの攻撃を待つ屠宰鶏を前蹴りで突くと見せかけ、蹴り足で踏み込んで烈風波を放つ。
「あとは声でな。……てことで、揺さぶってみるか。赤城波濤流、口兵法(くちひょうほう)で」
 気のフェイントをかけてリィェンの攻撃を助けた龍哉が、口の端を吊り上げた。
『なら、きっかけは俺たちが作ろうか』
「とーくはまかせた」
 どらごんとともに言い置いて、ギシャが戦士たちの間をすり抜けた。
『ギシャ、アレを使うぞ』
「りょーかい」
 ギシャの手から放たれたのは、古びた金属簡――英雄経巻。それが宙でばらりと解け、彼女のまわりをゆるゆる巡る。
「ギシャは殺すのしかわからなくて殺してきたから、屠宰鶏とか斗鶏の言うことわかるんだ。死にたくないから殺すのも、生きたいから殺すのも。だけど」
 ギシャの意を受けた金属簡から次々と白光が迸り、屠宰鶏へと襲いかかった。
「ギシャはべんきょーしたよ。死は悲しいモノだって」
 華火――ミズ・ヒューズが残していった「死」を胸に、ギシャは白光を追って屠宰鶏へ向かう。
 屠宰鶏は白光に打ち据えられながらも退かず、ギシャを迎え討つ――
「とう」
 ギシャが前転した。小さく丸めた体を屠宰鶏の股の間にくぐらせ、そのまま回転しながら後ろへ抜けた。
「あとよろしくー」
 目標を見失い、動きを惑わせる屠宰鶏。その数瞬の隙へ龍哉がすべりこんだ。

●狂信
「なにを企んでるのかしら? やり過ぎたらだめよ」
 眉をひそめた月世が、盾を屠宰鶏へ打ちつけた。
「屠宰鶏さんをお願いします」
 大剣の柄を月世の盾に合わせて撃ち込みながら、鈴音が小さく頭を下げる。
『心配いりませんわ。今に限っては』
 ヴァルトラウテの返答に龍哉は苦笑い、女子ふたりの攻撃をソーでブロックした屠宰鶏の前に立った。
「屠宰鶏。ちょっと話でもしようぜ」
 屠宰鶏は答えず、チェーンソーを床に突き立てて高速後退しようとしたが。
「!」
 突然、左のソーが大きく跳ねた。屠宰鶏はバランスを失い、その場へ尻餅をついた。
「ま、勉強したのはおまえだけじゃねぇさ」
『あなたの機動は何度も見せてもらいましたもの』
 龍哉とヴァルトラウテの言葉に、屠宰鶏は左のソーを見る。その回転刃には、龍哉が投じたハングドマンの鋼線がからみついていた。
『お立ちなさい。邪魔はしませんわ』
「その間にひとつ、おまえの認識ってやつを手なおししようか」
 体のバネを使って立ち上がった屠宰鶏が、ハングドマンを振り捨てた。
 話を聞くつもりはないらしい。そりゃそうか。でも聞いてもらうぜ、俺の言葉をな。
「人間は死ぬ。寿命か病気か、理由はいろいろだが、いつかかならず死ぬんだよ。俺も、おまえもな」
 龍哉は屠宰鶏のソーを、顔を振ってかわした。うなりを上げる回転刃に髪の先を刈り取られたが、彼はむしろ笑いを深め。
「その宿命ってのは、おまえが誰を何人殺したところで変えられねぇ」
 屠宰鶏の2撃めを拳で叩き落とし。
「つまり、誰かを殺せば生きられるなんてのは、そもそもおまえの思い込み」
 その鼻先に指を突きつけ、ヴァルトラウテと声を合わせて。
「まちがいだ」
『まちがいですわ』
 これは論点をすりかえた、ある種の詭弁だ。それでも、屠宰鶏が信じようと信じまいと、聞いてしまった以上はもう忘れることはできない。
 屠宰鶏の足がわずかに退いた。龍哉にすり込まれた言葉の毒が、彼女をとまどわせている。そこへ。
「手を止めている暇があるの?」
 先と同じようにシャープエッジを投じるestrela。
 それを屠宰鶏は同じようにかわし、同じようにカウンター。
 estrelaの小さな体が地に落ちて、白い髪が宙にたゆたった。黒装束に包まれたその肩口は、回転刃が刻んだ雷さながらの傷痕で穢されていた。
『言峰氏、見てるだけで痛くて、俺氏の健康寿命が縮んじゃうよ。どうだろう、俺氏の長寿祈願で回復してみるとか?』
 俺氏がひっそり提案してみるが。
「これは殺し合いよ? そんなみっともない真似、するわけないじゃない。――ねぇ。あなたもそう思うでしょ?」
 屠宰鶏の顔からはとまどいが消え、代わりに笑みが蘇った。
「はい! そう思います!」
 龍哉が揺さぶった屠宰鶏の心が、平静を取り戻していく。
「これはまずいな」
『あの娘、けして我らを邪魔しようというわけではなかろうが……』
 リィェンとインが歯がみした、そのときだ。
 estrelaと屠宰鶏のど真ん中で、和馬が背を床に投げ出し、大の字の構えをとったのは。
「何回だって言ってやんぞ! 世界もニンゲンも、そんな悲しいことばっかじゃねぇ!!」
 背がのけぞるほど強い力で、和馬が叫ぶ。
『無抵抗主義に目覚めたか。そんなもので、人の原罪は消されまいに』
「あなた、死にたいの?」
 キュベレーのささやきに応えることなく、estrelaが和馬へ問いを投げた。
「俺は死なねぇ……! まだやりてぇことあるし、俺氏とか家族とかダチとか、俺氏とか――俺のこと気にしてくれる連中もいる。でもよ、それだけじゃねぇ」
 その腹を、屠宰鶏の踵が踏みつける。そして和馬の鼻先で、チェーンソーを機動。
 和馬は残像を残して次々と行き過ぎる刃を透かし、屠宰鶏をにらみつけた。
「俺が殺されたら、なんも変わんねぇ。殺すばっかの、屠宰鶏の人生はさぁ」
 和馬の目から、涙がこぼれ落ちた。腹立たしさ、悔しさ、悲しさ……言葉にできない思いの雫が、次から次へとあふれ出す。それを――
 俺氏の白い袖が拭った。もちろん幻だ。でも、その思いだけは幻じゃない。
「来いよ。そんなとこじゃなくて、こっちによ」
 俺氏に支えられ、伸ばされた和馬の手。
 しかし、それを取る者はなかった。
『ダメだったね。あきらめる?』
「あと1億万回やってダメならな!」
『汝らの思いの輝き、見せてもらったぞ』
 ナラカが和馬と俺氏へ言葉をかけると同時に、カゲリが屠宰鶏へ銃弾を浴びせかけた。
「生きる意志と死なせない覚悟を鹿島は見せた。でも、おまえはどうだ? 鹿島と並び立てる意志と覚悟があるのか?」
 カゲリはestrelaをフォローできる位置を取り、さらに言葉を重ねた。
「俺は手加減しない。容赦もしない。区別も差別もだ。それがもたらす結果は全部自分で負う。……おまえは殺して、なにを負う?」
「負う? よくわかりませんけど、死んだら消えてなくなるんですよ! なんにもないのに、なにを負うんですか?」
『狂信だな。己がひねり出した思い込みを必死で己に言い聞かせ、信心にまで昇華しておる』
 ナラカの言葉に、カゲリは双銃のグリップを強く握りしめた。
「屠宰鶏がそうしたものならそれでいい。その狂った耳に言葉が届かないなら、他人と同じ鼓動を打つ心臓へ鉛を撃ち込む」

●リンクバースト
「はっ!」
 龍哉とふたり、あえて連携をとらない時間差攻撃を左右から放ち、屠宰鶏を翻弄するリィェン。
 屠宰鶏はフィギュアスケートにいうシットスピン(座ったような姿勢のスピン)でこれをやりすごした。そしてそのまま立ち上がり、回転に乗せてソーを振り回す。
『守れ!』
 輝夜の警告に、割り込んだ鈴音が大剣を立ててその裏に身を隠した。
 ガ! ギ! ギ! 壮絶としか言い様のない回転刃の衝撃と振動が、大剣の鋼ごしに鈴音を襲い、体力と気力を削ぎ落としていく。
「く、うう!」
『この場で頼れるものは己が力のみぞ! 足を踏ん張れ!』
「はい!」
 輝夜の声を受け、鈴音は剣の裏へ肩を押しつけた。
『ようやった。じゃが、これからわらわはもうひとつ強いねばならん。足を踏ん張り、そして、手を伸べろ。おぬしが決めたとおりにな。考えただけで痛くてたまらんのじゃが……引っぱり上げてやろうぞ。我らでな』
「――はい!!」
 密着することで増幅する衝撃と振動。鈴音は奥歯を噛み締めてそれに耐え、鋼に食らいつく回転刃を押し退けた。
 果たして。大剣とチェーンソーの奥に隠されていた屠宰鶏の顔が、鈴音の前に現われる。
「屠宰鶏さん」
 鈴音の右手が剣の柄から離れ。屠宰鶏へと伸べられた。
 これを逆のソーで迎え討つ屠宰鶏だったが。
 深く斬り裂かれた鈴音の右手が、そっと、掌を上にして開かれた。
「屠宰鶏さん――あなたに、この手が、見えますか?」
 屠宰鶏はいぶかしげに眉をひそめ。
「わたし、目はいいですから」
「世界の底に沈んでしまったあなたを引き上げたい。だから……」
 この手をとって。
 返答は、3撃めの回転刃。
 防御できずに吹き飛ぶ鈴音をかばい、盾を構えた月世が進み出た。
『回復できるのは1度きりだ。無理はできんぞ』
 アイザックの言葉にうなずいた月世の視線が、屠宰鶏のチェーンソーへ向けられた。
「無理はしない予定よ。みんなの言葉で、屠宰鶏さんは確かに揺らいでる。もうひと揺さぶりしてチャンスを作るわよ」
『予定は未定というやつか。……しかしあのチェーンソー、この世界に実在するものではなかったな』
 ため息をつくアイザック。
 彼と月世は事前に、屠宰鶏のチェーンソーについて調べていた。しかし、彼女の得物は過去にも現在にも存在などしていなかった。
『鉄塊に回転刃をつけただけのものを、ライヴスで動かしている可能性すらある』
「それでもチェーンソーよ。いざとなったら刃を外して機能は止めるわ」
 この前のように。
『今度は月世がしかけるようだ。助太刀に行くぞ』
「よぅあぃ」
 促したどらごんへ、おにぎり状に握り込んだ高級お弁当を口に詰め込んだギシャが答えた。
 彼女は攪乱役として十二分に貢献しているが、防御力が低い。ソーを1度喰らうだけで大ダメージだし、かすられるだけでも痛手を負う。加えてあのカウンターだ。先ほどあれをまともにもらったせいで、攻めを中断して弁当を開くはめに陥った。
「んっく――屠宰鶏を止めるよ。もう誰も殺させない。誰も死なせない」
『手は尽くしてきたが……屠宰鶏の心の壁は想像以上に分厚い。ぶち破るには思いきりのいい手がいるな』
 固い龍顔をしかめるどらごんに、ギシャはひと言。
「じゃあ思いっきりやるよ」
 ギシャが、月世の体を盾に1度隠れ、分身。3方向から屠宰鶏に虹蛇を投げ放った。
「屠宰鶏の因果が応報として巡るか見極める」
「あんまり危なくねぇとこに当てっから!」
 カゲリと和馬の支援射撃を受けた分身たちの鞭が屠宰鶏を叩き、ギシャ本人の鞭は屠宰鶏の右腕をからめとった。
「離してください。殺せません」
 いらだった顔で、屠宰鶏が左のソーをからんだ鞭に押しつけようとしたが。
 ギシャは鞭を引っぱって回転刃から屠宰鶏の右腕を遠ざけ、自分は屠宰鶏の懐へと跳び込んで。
 額を、思いきり屠宰鶏の額に打ちつけた。
「っ!」
「こーしたらギシャの声、聞こえるよね」
 額に額を押しつけたまま、ギシャが紡ぐ。
「もうやめようよ。死は悲しいモノだよ。死んじゃった人のことはわからないけど、それを見送った人は――残された人は、すごく悲しいんだ」
「……知りませんよ、憶えてないですよ。だって。なくなっちゃったじゃないですか全部!」
 屠宰鶏の瞳が、まっすぐ向けられたギシャの瞳から逃れようと激しく蠢いた。
「知ってるのよね。それに、今も憶えてる。そうじゃなきゃ、憶えてないなんて言えないもの」
 ギシャの手、そしてその手が引き絞る鞭をレール代わりに、月世の釵が屠宰鶏の右ソー――ガイドボードと回転刃の隙間へ突き立った。
「外させませんよ!」
 鞭に捕らわれたまま、屠宰鶏がソーの角度を釵に対して平行にずらし、さらに刃の回転数を大きく下げた。
 ギッ、ギッ、ギッ。チェーン状の刃をひっかけるガイドボートの突起がゆっくりと釵を乗り越えていく。
『これも勉強の成果か』
 表情を消した屠宰鶏は答えず、鞭を断ち切るべく左のソーの回転数を上げた。
 ここで逃がしてしまえば、積み重ねてきた揺さぶりの効果が半減する。アイザックは声をわざとひずませて蔑みの音を作り。
『奪われた悲しみから逃れるために奪う。なるほど、貴公は立派に成り下がったよ。貴公からすべてを奪っていった神とやらに』
 屠宰鶏の高い声がアイザックの声を塗り潰した。
「殺さなきゃ死ぬじゃないですか! こうやって押さえつけられて殺されて、消えてなくなるんですよ!」
 しかしアイザックは――月世は、屠宰鶏の右のチェーンソーもその目も逃がさない。
「ならあなたはどうして、今もあなたを見下ろしてるソングを殺さないの? 彼はあなたのいちばんそばにいて、いつでもあなたを殺せる存在なのに」
 おそらくそれは、屠宰鶏が抱える最大の矛盾。
 屠宰鶏は目を見開き、何度も言葉を詰まらせ、そして、絞り出した。
「ソングさんは――約束したから。わたしに手、近づけないって――さわったりしないって――」
 ばつん! ばつん! 屠宰鶏の体内で、生ゴムが弾けるような音が響き。
 滅茶苦茶に振り回された左のソーが、月世とギシャを刃ではなく、その重さでなぎ倒した。
『約束したああああああああ!!』
 それはもう、叫びではなく悲鳴だった。
 2台のチェーンソーが甲高い駆動音を奏で、得体の知れない恐怖に蝕まれて動きを止めた月世とギシャへ襲いかかる。
「まずいな、やり過ぎたんじゃねぇか?」
 クッキーを飲み下して駆け出す龍哉。その内でヴァルトラウテがかぶりを振った。
『追い詰められて、切れたのですわ。彼女はまだ子どもなんですもの』
 龍哉はあらためて屠宰鶏を見る。未だ10代の半ばにすら至っていまい少女の顔を。
『確かにああやって暴れておる様は餓鬼の癇癪そのままじゃ』
 見た目は彼女の言う餓鬼そのものの輝夜が顔をしかめた。
 対して、鈴音は痛ましげに眉をひそめ。
「屠宰鶏さん、手が怖いんです。彼女はずっと誰かの手に奪われてきたから――自分をなでてくれる優しい手を」
 屠宰鶏をなでてくれた優しい女たちの手は、男と、そして神様の手で奪われた。だから彼女は自分へと伸びる「手」をあれほどに拒む。悪意の手は彼女からすべてを奪い、優しい手はすべて消えてなくなってしまうから。
 これはただの憶測だ。でも。もしそうだとするならば……。
「その程度のことが怖くて狂う? 笑わせてくれるわね」
 今まで事の成り行きをながめていたestrelaが、斗鶏の前へ立った。
「言峰」
 彼女の動向に意識を向けていたカゲリが、estrelaへ手を伸ばすが――届かなかった。彼女の体にも、心にも。
『死んでください! 死ね死ね死ね!!』
「殺す殺す殺す」
 狂乱の連撃がestrelaの体を喰いちぎる。しかし、estrelaは斬られるまま立ち尽くし、そして。
「狂気っていうのはね、死を恐れない者にこそ宿るのよ」
『滅びをもたらすため、滅ぶ。今日という日を迎えたこともまた、彼の方の御心なるか』
 祈るようなキュベレーのささやきを聞きながら、estrelaは右手でかざしたライヴス結晶を、握り潰した。
「リンクバースト」
 estrelaとキュベレーが、一体を超えた一体となる。体のみならず心が、心のみならず魂までもが重なり合い、溶け合い、喰らい合い……ライヴスリンカーという唯一の存在として完成される。
 黒炎のごとくに噴き上がるライヴスをたなびかせ、estrelaが双剣を力任せに斗鶏へ叩きつけて、叩きつけて、叩きつけた。
「死ぬ死にたくない死なない消えないなくならない!!」
『生きる生きる生きる、生きる!!』
 自らの流した血の海でもがく、再度表面化した屠宰鶏。
「殺してやる」
 estrelaがその手を踏みつけ、刃を振り下ろした――
「順序がちがうだろう、言峰」
 自らの胸に突き立つ細い刃を右手でつかんで固定し、カゲリがestrelaを見据えた。
「おまえを止めようだななんて思ってないさ。でも、おまえが狂ってまで屠宰鶏を殺すなら――いや、狂ってまで自分を滅ぼそうというなら、まずは俺を踏み越えていけ」
「なにを考えているの?」
「おまえを黙って見送ったりしない。それが俺の意志だ」
 カゲリの左手にあるのはライヴス結晶。
『そのときが来たわけだな、覚者。敵ではなく、友のために迷わぬか』
 ナラカに薄い笑んでみせ、カゲリが結晶を握り割った。
「屠宰鶏は頼む」
 ライヴスの奔流のただ中から仲間たちに言い置いて、カゲリがestrelaに1歩近づいた。
 その一歩分で、estrelaの切っ先が彼の背から突き出した。
「これで俺もおまえと対等だ。容赦するな。差別も区別もな」

●決めゼリフ
「屠宰鶏は憶えていないと言ったな」
 取り出した肉まんを胃に収め、リィェンが歩き出した。
「憶えていなかったのは、俺だ」
 10歩分の彼方に、屠宰鶏がいる。
 リィェンはまっすぐ歩を進めながら両手を見下ろし、強く握り込んだ。かくして両手は両拳となった。
「お供はいるか? 犬でも猿でも雉でも、なんでもやるぜ?」
 龍哉の申し出にインがうなずく。
『ありがたい。なにせこの男が、意を決してやらかそうというのじゃ。……さてリィェン、決めゼリフとやらは聞けるのじゃろうな?』
「すまんが命を張る。きみを巻き込んでしまうことになるが――」
『野暮な男じゃ。かようなときはひと言でよい。「行くぞ」とな』
 狂乱した屠宰鶏がチェーンソーを振りかぶった。
「みなさん死んでください!! 死んで!! 消えてなくなって!!」
『殺す殺す殺す殺す!!』
「殺させないよ」
 這い寄ったギシャが、屠宰鶏の右脚にしがみついた。
「ええ。死なせもしない」
 同じく月世が、屠宰鶏の左脚を抱え込む。
「終わらせようぜ。じゃなきゃ、おまえらが救われねぇだろぉがよ!」
 屠宰鶏の痩せた胴へ和馬が飛びついた。
 鈴音もまた屠宰鶏を抱きしめるように組みついて。
「私もあきらめません、絶対に!」
「1発で決めてくれよ、相棒」
 さらに屠宰鶏の左腕を龍哉が立ち関節で固め。
 リィェンが、屠宰鶏へたどりついた。
「俺は思い上がっていた。きみを説得すれば終わるとな」
「終わらない! 死なない!」
『殺す!!』
 防御したリィェンの腕を、屠宰鶏――斗鶏の右のソーが斬り裂いた。不十分な体勢とはいえ、スキルの力で強化された斬撃は、最大値まで回復したはずの彼の命を一気にさらっていく。
「君を見ていると昔の自分を思い出すよ」
 血を流しながら、リィェンが静かに語る。
「殺さなければその日すら越せなかった。だから俺は殺した。次の日も、その次の日も」
 再び襲い来た回転刃を肘で払い、言葉を継いだ。
「だからきみの言うことは誰よりもわかるつもりだ。だが」
『うるさい!!』
 三度めのソーを、リィェンはかわさずに肩で受け止めた。回転刃が、少しずつ彼の肉を喰い破り、もぐりこんでいくが、ある一点で、止まった。
『内功を高めて食い止めたはしたが、それほど保たぬぞ』
 凄絶な苦痛を共有しているはずのインが、事もなげに言う。リィェンもまた顔色ひとつ変えることなく。
「誰かを殺せば、誰かに殺される。……きみと同じように考える誰かにな。それが嫌なら」
 そして掲げたのは、固く握り込まれた右拳。
 屠宰鶏と斗鶏は自分に振り下ろされるのだろうそれを凝視し、身を強ばらせる。
「誰かを守れ。そうするだけで、同じように考える誰かがきみを守る」
 屠宰鶏の目の前で、リィェンの拳が開いた。
 現われた掌は古傷だらけで固く、分厚くて――やさしかった。
 屠宰鶏は思い出す。この戦いの中で自分に差し出された手、手、手。恐ろしいものにしか見えなかったそれらが、今はまるで別のもののように思えてならないのはなぜだろう。
「武において、拳は敵を打ち、掌は拳から己と誰かを守るものだ。約束する。なにがあろうときみを守ってみせる。俺の……いや、俺たち仲間の掌で」
 リィェンの手に和馬の手が、龍哉の手が、月世の手が、そして鈴音の手が重なり、屠宰鶏を招いた。
「私たちは御門 鈴音と『輝夜じゃ』。行きましょう、大きく拓けた世界へ」
 鈴音のやさしい声と、添えられたチョコレート。
 斗鶏は反射的に払おうとしたが、手が、動かなくて。
「ちゃんとあったかいの伝わるよね? 生きてるから、あったかいんだよ」
 動けない屠宰鶏を、ギシャの手が抱きしめて。その屠宰鶏をギシャごと、龍哉とのリンクを解いたヴァルトラウテの手が包み込む。
「このぬくもりをあなたにくれた人たちのこと、本当に憶えていませんか?」
 憶えて――いる。
「たとえ憶えていなくても思い出せるはずです。幸せではありませんでしたか?」
 幸せ――だった。
「伸べられた手を払いのければ、その手に乗せられた幸せもこぼれてしまいます」
 ヴァルトラウテの手に乗せられたクッキーが、屠宰鶏の唇に触れた。
「あなたの未来を殺してしまってはいけませんわ。あなたに手を伸べる人たちとともに、幸せに生きて」
「そうだぜ。生きてりゃなんだってなんとかなんだよ。死んだらなんにもなんともなんねぇ」
『和馬氏、具体的に言わないと、なに言ってるのかわからないよ?』
「そういう問題じゃねぇ! こういうのはなんてーか、キモチなんだよ!」
 和馬と俺氏のにぎやかな応酬の中。
 屠宰鶏の指先に引っかかって揺れていた2台のチェーンソーが、こぼれて落ちた。

「向こうは終わったみたいだな」
 血みどろのカゲリへ、血みどろのestrelaが答えた。
「……よかったわね。この世界が優しくて」
「おまえにとっては、どうだ?」
「どうかしら、ね――」
 estrelaの体の中でなにかが砕ける音がして、彼女は地に落ちた。バーストリンクの終焉――バーストクラッシュのときが訪れたのだ。
「そうか――」
 カゲリもまたバーストクラッシュ。倒れ伏してestrelaの体に折り重なった。

 estrelaとカゲリ、そして屠宰鶏を背負った一行が出口へと向かう。
 その途中、月世がふと足を止めて。
「これでよかったのかしら? 謎の情報源さん」
 一行から少し離れた場所に、影のごとく染み出したソングがため息をついた。
「最初から僕のことを見つけてたね。さすがは妖精ってところかな。 ――斗鶏ともちゃんと話してほしかったけど、それ以外は計画どおりさ」
 意識を失くしている屠宰鶏を龍哉に托し、リィェンが構えた。
「俺は屠宰鶏を守ると約束した。それを成すためなら、迷わずこの手を握る」
 右手を強く握り締め、固い拳をつくる。
 リィェンの拳に握り込まれたものは、ただひとつの約束だ。それを守るためならば、彼はいつでも自らの命を賭ける。
「屠宰鶏は君たちに預けるよ」
 しかし、当のソングはリィェンを制し。
「その子には、僕の手元じゃできない経験をしてもらいたいからね」
 その言葉尻をギシャがさらった。
「ギシャは屠宰鶏と友だちになるよ。ソングのとこになんか帰さない」
「ぜひお願いするよ」
 ソングは口元に笑みをつくり。
「敵になってくれれば本気で殺し合える」
『……貴公にとって屠宰鶏はアヒルか。敵である我らに経験というエサを与えさせ、最高の状態まで育て上げてから喰らおうというわけだ』
 アイザックが突きつけた低い言葉に、ソングは平然とうなずいてみせた。
「そうだよ」
「大人、汚ぇ!」
『和馬氏も立派な成人男性だけどね』
 俺氏の言葉は聞こえないふり、和馬がハウンドドッグの銃口をソングに向けた。
「あなたは――ゆるせません! 絶対に!!」
 鈴音がソングに斬りかかった。その攻撃にリィェンとギシャ、和馬が合わせたが。
 ソングはパリング(上から攻撃を叩いて払う防御法)でそれらを落とし、大きく下がった。
「僕は香港を出る。少し顔が知れちゃったからね」
「マガツヒを裏切るってのか?」
 龍哉の問いに、ソングは小首を傾げ。
「人聞きが悪いな。円満退社さ。じゃあ、そのうちにまたね」
 微笑みの影を残し、姿を消した。
『ともあれ今は、屠宰鶏とカゲリたちを医者に診せてやらねば』
 インが一行を促した。
「収まるべきところに収まりはしたが……やれやれだな」
 リンクを解除したどらごんが闘技場の灯を落とし。
 闘いの舞台に暗幕が下ろされた。

結果

シナリオ成功度 成功

MVP一覧

  • 義の拳客
    リィェン・ユーaa0208

重体一覧

  • 燼滅の王・
    八朔 カゲリaa0098
  • エージェント・
    言峰 estrelaaa0526

参加者

  • ライヴスリンカー
    赤城 龍哉aa0090
    人間|25才|男性|攻撃
  • リライヴァー
    ヴァルトラウテaa0090hero001
    英雄|20才|女性|ドレ
  • 燼滅の王
    八朔 カゲリaa0098
    人間|18才|男性|攻撃
  • 神々の王を滅ぼす者
    ナラカaa0098hero001
    英雄|12才|女性|ブレ
  • 遊興の一時
    御門 鈴音aa0175
    人間|15才|女性|生命
  • 守護の決意
    輝夜aa0175hero001
    英雄|9才|女性|ドレ
  • 義の拳客
    リィェン・ユーaa0208
    人間|22才|男性|攻撃
  • 義の拳姫
    イン・シェンaa0208hero001
    英雄|26才|女性|ドレ
  • エージェント
    言峰 estrelaaa0526
    人間|14才|女性|回避
  • 契約者
    キュベレーaa0526hero001
    英雄|26才|女性|シャド
  • 正体不明の仮面ダンサー
    蝶埜 月世aa1384
    人間|28才|女性|攻撃
  • 王の導を追いし者
    アイザック メイフィールドaa1384hero001
    英雄|34才|男性|ドレ
  • ぴゅあパール
    ギシャaa3141
    獣人|10才|女性|命中
  • えんだーグリーン
    どらごんaa3141hero001
    英雄|40才|?|シャド
  • 初心者彼氏
    鹿島 和馬aa3414
    獣人|22才|男性|回避
  • 巡らす純白の策士
    俺氏aa3414hero001
    英雄|22才|男性|シャド
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