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【相談卓】暴力の意味
最終発言2016/03/08 05:14:15 -
依頼前の挨拶スレッド
最終発言2016/03/05 20:42:41
オープニング
●香港の日常
香港九龍支部で開催されるHOPE国際会議。その開催予定日は刻一刻と近づきつつあった。
道行く人たちはどこかせわしなく落ち着かない様子で、誰もが忙しそうに感じられた。
商店や飲食店、宿泊施設などは会議中のかきいれを当て込んで準備に余念がなく、メディア関係者は早々に現地入りして取材の下準備に大忙しで、現地の住人らも開催期間中の喧騒を予想してどこか落ち着きが無いようだった。
そんな非日常の気配迫る中でも、変わらないものがある。
「ああっ、ご覧下さい! 大きな従魔に今武器が振り下ろされました!」
リポーターがひっくり返った車の裏でまくし立て、カメラマンは腹ばいになりながらカメラを向けている。画面の中では、エージェントが大剣を振り回し、白黒模様の熊のような従魔と戦っている。
「街のど真ん中で……暴れないの!」
エージェントが振り回した大剣が従魔をなぎ払い、塵に還す。
そう、彼らエージェントにとっては、そんな非日常こそが日常なのである。
●暴力の意味
愛を守るには力が必要だ。
ずっと、どうして自分ばかりこんな目に遭うのかと不思議だった。けれど、それは必要なことだったのだとヴィランである彼は理解した。
欲望のまま男と生きるために自分と妹を捨てた母親。
持っている力のままに自分たちを殴り、蹴り、そしてとうとう生きる意味そのものだった妹を死に至らしめた施設の大人。
そうした人間たちは身をもって知らせてくれていたのだと、理解した。
……力こそが全てだと。
力を持っている者だけが、この世で自由に生きることができるのだと。
まだ力を持たぬ頃に奪われた妹のことは悔やみきれないけれど、まだあの子に愛情を示す術は残されている……それは、復讐だと彼は考えいた。
自分から生きる意味を奪い、地獄へと叩き落としたあの男へ力の全てを使って復讐する。
そのためにヴィランとなった彼は、自分の手が血に濡れていくことを誇らしくさえ思っていた。
死んだほうがマシだと思えるほどの地獄を見せてやる…… そう、天に誓った。
●通報あり
『助けてくれ!!』
H.O.P.E.に一本の電話が入ったのは、夜中の二時だった。
『殺される!!!』
「落ち着いてください。従魔ですか? 愚神ですか?」
『ヴィランだ!』
次の瞬間、ゴッと強く鈍い音が響くと、男の声は聞こえなくなった。
「もしもし? 大丈夫ですか?」
オペレーターが何度声をかけても応答はなかった。
つながったままだったスマートフォンのGPSの情報を追って、H.O.P.E.の職員とエージェントたちが人気のない路地裏にたどり着いた時には、通報してきた男は意識を失って倒れていた。
犯人の姿は既にそこにはなかった。
襲われた男は江浩然(ジャン・ハオラン)、五十二歳。右腕と肋骨を折る全治二ヶ月の怪我を負っていた。
病院のベッドの上で目覚めた男はパニックを起こした。
『助けてくれ!!』と叫ぶ男を落ち着かせて話を聞くと、男を襲ったヴィランと男はこれまでも何度も出会い、そして何度も襲われていることがわかった。
「どうしてもっと早く通報してこなかったんだ?」
香港九龍支部の職員の言葉に江は答えた。
「怖かったんだ」
「だから、もっと早く通報を……」
「そうじゃない。俺自身が捕まることが怖かったんだ」
どういうことだ? と尋ねると、男は自分がしてきた罪を自白し始めた。
解説
●目標
・江浩然を襲ったヴィランが何者なのか、そして、襲った理由を調べてください。
(※倒す、捕まえる、説得するなどの対処についてはヴィランと直接対峙するエージェント(『あなた』たち)の判断に委ねます。)
●登場
・江浩然:元児童養護施設職員。
・ヴィラン:二十代男性、長身・細身、他不明。(江の証言より)
●状況(以下、江の証言より)
・江が施設で働いていた時、児童への虐待や運営費の横領などを行っていたため、自分が罰せられることを恐れてヴィランのことを警察にもH.O.P.E.にも通報できずにいた。
・施設では一年前に当時七歳の少女が死に、その半年後、少女の五歳年上の兄が失踪した。江は監督不行届で施設をクビになった。
・ヴィランに襲われるようになったのは施設を退職してからひと月ほど経った頃だった。
・何度も同じヴィランに襲われ、受ける暴力は徐々に質を変え、度合いを増していった。
・ヴィランは常に英雄と共鳴した状態で江の前に現れるようだった。
リプレイ
●
香港九龍支部で依頼の詳細を確認したエージェントたちは皆一様に冴えない表情を見せていた。
江浩然はまだすべてを語ってはいない。児童への虐待の詳細はわからず、江が施設をクビになった少女の死の原因についても、失踪した兄の手がかりについても話は聞けていない。
「ぐあいは、どうだね?」
ベッドの上で緊張した面持ちの江にシキ(aa0890hero001)がそう尋ねたが、江は落ち着かなさそうに「まぁ……」と言っただけだった。
「死にたくないなら、隠し事はしない方が身のためと思うのです」
紫 征四郎(aa0076)の厳しい言葉に続いて、十影夕(aa0890)がズバリと聞く。
「江さんは、殺される心当たり、ある?」
「……」
江はうつむき、口を引き結んだ。
「……お前、何か勘違いしてないか?」
黙する江に八朔 カゲリ(aa0098)が冷たい視線を向ける。
「俺たちは……少なくとも、俺は、おまえを守ろうとも思っていないし、ただの弱い者いじめをしていたやつに黙秘権が必要だとも思っていない。お前が黙っていても、語る者は確実にいる……」
影俐は冷たいその視線をますます鋭くする。
「失踪した少年がいるようだな……その少年なら、確実におまえの悪事を知っているだろう」
「あ、あいつは……」
江は思わず顔を上げて何か言おうとした。しかし、すぐに口を閉じてうつむいた。
「……『あいつは』、何ですか?」
落ち着いた声で九字原 昂(aa0919)が聞く。因果応報だ……そうは思っているが、昴はできるだけ冷静に対処しようとしていた。
「ヴィラン、知ってる人じゃない? ……まだ、隠していることがあるんじゃない?」
さらに夕は言葉を続ける。
「今回のヴィランを倒したら、その後はもう心配なくなる? 正体のわからない敵に怯えて暮らすんじゃなくて、普通に暮らしていきたかったら、ぜんぶ反省して償うしかないよ」
江は迷った末に小さな声で言った。
「ヴィランのことは本当に知らない……でも、あの目は……あいつに似ている」
「あいつって、誰ですか?」
征四郎が問う。
「あいつは……杜賢輪(ウォン・シエン・ルン)」
「杜賢輪……その子が失踪した子か?」
影俐がそう聞くと、「ああ……」と江は答えた。
「死んだ杜芽衣(ウォン・ヤー・イー)の兄だ」
「芽衣はどうして死んだのですか?」
「それは警察にも話しただろ……事故だ」
「本当か? さっきも言っただろう? どうせ、本当のことはわかるんだ」
「そんなはずはない……」
思わずそう漏らして、江は口を右手で抑えた。
「どういうことですか?」
厳しくなった征四郎の声に、江は布団を頭からかぶってヒステリックに叫んだ。
「俺はもう全部警察に話したんだ! もう話すことなんて何もない!」
「この男には意思も覚悟もない」と、ナラカ(aa0098hero001)は呆れたように江から視線を逸らした。
「斯様な虫螻が如何に鳴こうと興味も湧かぬよ」
「子供だからと高を括って暴力を振るったのだろう……」
影俐もすでに興味を無くしたようにその視線を江から外した。
「 その癖、危機に陥れば恥もなく救いを乞う……そのまま無様に死ねよ。浅ましい」
●
『……そう簡単にはすべてを話しちゃくれねーってことか』
ライヴス通信機から聞こえてくるガルー・A・A(aa0076hero001)の声に、視力を得るためにオリヴィエ・オドラン(aa0068hero001)と共鳴している木霊・C・リュカ(aa0068)は答える。
「そうみたいだね」
征四郎が持つライヴス通信機を通して、江とエージェントたちの話の内容は聞こえていた。
リュカは病室の前で護衛をしながらノートパソコンで江が勤めていた施設の評判などを調べていた。
「あんまりいい評判はなかったみたいだね……建物は整備もされず、暗く薄気味悪い……本当に子供たちがいるのかと思うほど静かだ……」
内容を読み上げながら記事を探していくと、ここ最近書かれたものを発見した。
「最近、施設から子供たちの明るい声が聞こえるようになった……」
書かれた日付はほんの数日前だった。
『……子供たちは、江の呪縛から解き放たれたのかもしれないな』
ガルーの言葉に、リュカは頷いた。
「そうだといいね」
ライヴス通信機でリュカとやりとりしながら、ガルーは図書館で過去の新聞を調べていた。
芽衣が亡くなった翌日に発行された新聞には、少女の死について書かれていた。
「杜芽衣、七歳……梯子から転落し、後頭部を強打したことにより死亡……蛍光灯を変えるために出していた梯子に、職員が目を離した隙に登って、落ちたことになってるな」
声の音量に気をつけながらガルーは記事を読んだ。
「半年後の新聞には、杜賢輪の失踪についても書いてあるぞ」
それによると、施設には賢輪の血の跡があり、事件性が疑われていた。しかし、賢輪を傷つけた刃物などは見つからず、どこかに移動させられたような痕跡なども発見されなかった。そして、施設の職員の「反抗的な子供だった」という証言から、家出である可能性も考えられ、最終的には家出として処理されたようだ。
『芽衣ちゃんの時の記事もそうだけど……賢輪くんについても証言しているその施設職員って……』
リュカの言葉にガルーは「おそらくそうだろうな」と答える。
「江だ」
●
「こりゃ、厄介な話だな……どうやったってしこりが残る」
愛宕 敏成(aa3167hero001)は細い目をさらに細めて、指で顎を撫でた。
「う〜ん、トシナリが身代わりになるとか?」
唸った割にはかなり軽い口調で須河 真里亞(aa3167)は提案する。
「いや、どういうことだ? 俺が実は黒幕でしたとか名乗り出るのか?」
「それだ! ちょっと黒幕にしてはしょぼいけど、この際贅沢は言ってられないし!』
「いろいろツッコミたいがとりあえず却下だな」
「トシナリのくせにまた却下した!」と、真里亞は頬を膨らました。
「俺もその案は反対だな」
狒村 緋十郎(aa3678)が言葉を挟む。
「どうしてですか? 私はいい案だと思いましたが」
棚橋 一二三(aa1886)が聞く。
「江は児童虐待をしていた。狙われている理由がそこにあるのは容易に想像できる」
「そうね」とレミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001)が相槌を打つ。
「 もし、杜賢輪がヴィランだとしたら……」
江に話を聞きに行ったエージェントたちからは、一二三のスマートフォンにメールで報告が届いていた。一二三はその情報を緋十郎と真里亞に共有している。
「 そこにはそれだけの思いと、覚悟があるはずだ。そんなやつを、囮なんかでごまかしていいわけがない」
緋十郎は賢輪が抱える深い悲しみを推察し、同情を抱いていた。
「……とにかく、施設の職員に話を聞いてみようじゃないか」
年長の敏成がその場の空気を和らげるようにそう言うと、「そうですね」と柳生 桜(aa1886hero001)が頷いた。
施設に到着すると、敏成は古びた呼び鈴を押した。
「はい」と出てきたのは若い女性の職員だった。
エージェントであることを名乗り、事情を説明すると、女性は少し驚いたようだったけれど、何か覚悟を決めたような眼差しで深く頷いた。
「こちらへどうぞ」と、女性はエージェントたちを職員室へと案内した。
「子供たちには聞かせたくない……思い出して欲しくない話なので、こんな狭い部屋ですみませんが……」
「いいえ。こちらこそ急に押しかけてしまってすみません」
桜が礼儀正しく謝罪した。
「私は、江浩然と入れ替わりにこの施設にきたので、それまでのことはよく知らないのですが……でも、引き継ぎのためにこの施設を訪れた際……あの男がひとりの少年に酷い仕打ちをするのを見ました」
女性はぎゅうっと自分の手を強く握った。
「その直後、あまりに不思議なことが起こったので、警察の人には信じてもらえないかと思って言えなかったのですが……」
「なんでも話してください」
真里亞が安心させるように言った。
「あの男が子供に……賢輪くんに……ナイフを振り下ろしたんです」
その時のことを思い出したのだろう、女性は何かに耐えるように眉を寄せた。
「でも、そのナイフが賢輪くんに突き刺さったように見えた瞬間……彼のいた場所が眩しく光って……賢輪くんの姿はどこにもなくなってしまったんです……私は気が動転してその場から逃げてしまったんですが……」
「ごめんなさい」と、女性は謝った。
「本当は、あの男が彼にナイフを振り下ろしたその時に、警察に通報するべきでした……」
「そうだな」と緋十郎は言う。
「でも、それを言ったところで、信じてはもらえなかったでしょうね」
レミアは肩をすくめる。
少年が突然消えてしまったなんて話……エージェントやH.O.P.E.の職員でもない限り、理解できなかっただろう。
彼はその時に英雄と出会ったのだろう…… そう、その場のエージェントたちは瞬時に理解した。
「あんたがここに正式に勤めるようになったのは、江が辞めた後ってことか?」
緋十郎の問いに女性は「はい」と答えた。
「その後、おかしなことはなかったか?」
「おかしなことですか……」
女性はしばらく考え、それから「そういえば」と言葉を続けた。
「一度だけ、二十代くらいの男性があの男を訪ねてきました」
「どんな人でしたか?」
一二三が聞くと、女性は記憶を探る。
「そうですね……暗い目をした人でした。真っ黒な服を着て、目にも光がなくて、その黒い服が、まるで彼の心そのものを表しているような雰囲気でした。でも、その目のずっと奥の方で、誰か……小さな子が泣いている気がしたんです」
「それで、その人になんて答えたんですか? 江の自宅の住所を教えたりは……」
一二三の言葉に、女性は「まさか!」と慌てて首を横に振る。
「 そんなことはしません! その時はもうあの男がここをやめた後でしたから、その通り答えました……ここにはいないってわかると、彼はどこか安心した表情をしました」
「安心した表情……」
そう呟いた緋十郎の耳に、壁越しに子供たちの明るい声が聞こえてきた。
「賢輪と芽衣が好きだった遊びとか、おやつはわからないか?」
「そうですね……二人はよく一緒におままごとをしていたって、子供たちから聞いたことがあります。きっと、芽衣ちゃんが好きなおままごとに、賢輪くんは付き合ってあげていたんでしょうね……優しいお兄ちゃんだったんだと思います」
「そうか」と、緋十郎は呟く。
「あの、杜賢輪くんの写真ありますか?」
真里亞がそう聞くと、「ちょっと待ってくださいね」と女性は席を立った。
棚に整理されたファイルの中から一冊を選び、女性はそこから一枚の写真を取り出した。
「賢輪くんがここの施設に入る時に撮った写真なので、まだ幼い顔のものなんですが……」
「これ、借りてもいいですか?」
「彼を、探し出すことができるんでしょうか?」
心配そうな女性に、真里亞は答えた。
「まだわかりませんが……全力を尽くします」
●
「お前が死んだ後、俺がお前のために復讐する……と言ったら、お前はどう思う?」
江の病室の前で見張りをしながら、オリヴィエは征四郎にそう聞いた。
リュカと他のエージェントたちは警察の人間と別室で話し合いを行っていた。
「……そうですね」
しばらく考えた後、征四郎が口を開いた。
「それに捕らわれるより、オリヴィエには笑っていて欲しいですよ」
「……そうか」
向けられた征四郎の優しい笑顔に、オリヴィエはその目を閉じる。
「ほ、本当に大丈夫なんだろうな……」
「大丈夫。大丈夫」
怯える江に夕がテキトーな相槌を打つ。
「きみのあくじはかんしんしないが、なぶりころされるどうりはないだろう。あんしんしたまえよ」
夕の言葉を保証するようにシキも言う。
「ぐずぐずしてないで、さっさと車に乗ってください」
病院で他のエージェントと合流した一二三が江の背中を押して車に押し込む。
「まったく。私の仕事を増やさないでください」
「一二三、本音が……というか、本音しか漏れてませんよ。他に言うべきことがあったでしょうに」
桜が呆れながら一二三を諌める。
もともと江の身柄は警察へ移送される予定だったから、エージェントたちがその移送を手伝うということにしたのだ。
「それじゃ、行こうか?」
オリヴィエと共鳴したリュカが助手席に乗り込んだ。
病院の広い駐車場でもたついていると、その男は現れた。
「どこに行くの?」
黒一色の衣装を身にまとい、男は真っ直ぐに車の中……深くフードを被った怯える男を見つめる。
「君は……杜賢輪だね?」
昴の言葉に、賢輪は口角を上げた。
「その男は、俺の獲物だよ」
そう言うなり、二十代の姿の賢輪は獲物目掛けて突進する。
賢輪の動きを止めるために、征四郎と共鳴しているガルーがインサニアを振るった。
「あの男を殺して背負うのは妹の死じゃねぇぞ」
牽制のための剣は、賢輪を切り裂くことなく、寸でのところで止まる。
「手に沁みた血は落ちず、死ぬまで背から降ろすことはできねぇ……人を殺すってのは、本来そういうことだ。お前にとってそこまで価値のある男かよ? そうだっつんなら、俺様に止める権利はねぇがよ……」
黒漆太刀を構えて、緋十郎も賢輪の前に立ちはだかる。
「俺は、狒村緋十郎。杜賢輪……復讐殺人をやめて、芽衣のためにH.O.P.E.へ入らないか?」
二人の説得に、賢輪は声をたてて笑う。
「何を言っているの? お兄さんたち」
賢輪は憎しみにその目を細める。
「俺はね、その男を殺す気なんてないよ? 殺しておしまいなんて……そんな甘いことしないよ」
「苦しんでもらわなくちゃ」と、賢輪の表情は歪んだ笑みを見せる。
「その男には、芽衣が味わった苦しみを……全て、余すことなく味わってもらわなくちゃ……だから、ね……殺してなんてあげないよ」
賢輪は真っ黒なコートのポケットからナイフを取り出すと、征四郎と緋十郎の隙間を縫い、車から降りて逃げようとしている男に向かって行く。
その賢輪のナイフがギラリと光った瞬間、影俐がティルヴィングでナイフを弾き飛ばした。
「復讐にかけた意思があるなら、それに伴う覚悟もあるのだろう」
「……お兄さんは、俺のことが理解できるっていうの?」
言葉とは裏腹に賢輪は鼻で笑う。
「俺はお前を否定しない。それだけのことだ……」
次の瞬間、影俐が振るった剣が賢輪の胸元を貫く……そう、その場の誰しもが思った。
賢輪自身でさえ、その瞬間、半年前の……江からナイフを振り下ろされたあの瞬間がフラッシュバックしていた。
「……」
しかし、実際には、賢輪は無事だった。影俐の剣は賢輪のコートを少し切っただけだった。
「……おまえ」
影俐は、賢輪の腕を引いて彼をかばった緋十郎に視線を送った。
「どうして……」
賢輪は驚きの眼差しで、自分の背を支えてくれた緋十郎を見た。
「H.O.P.E.の連中は俺に任せろ……」
緋十郎は影俐や昴に真っ直ぐに視線を向けたまま言った。
「おまえは、妹のカタキを討て。そして、芽衣の魂の尊厳を取り戻せ」
足元に転がっていたナイフを拾い、緋十郎は賢輪に渡す。
「俺が、おまえを護ってやる!」
「……」
「行け!」
緋十郎の声に、賢輪は駆け出した。
そして、緋十郎は向かってきた昴の孤月を黒漆太刀で受け止めた。
「……ごめんなさい」
小さな声で謝罪の言葉を口にした昴は、緋十郎を力任せに突き飛ばすと、女郎蜘蛛のスキルを使い、ライヴスのネットで緋十郎の動きを封じた。
自分の動きが封じられたことよりも昴の謝罪の言葉に嫌な予感を抱いた緋十郎は、慌てて賢輪の姿を目で追う。
賢輪がフードを深くかぶった男の背に追いつき、ナイフを振り上げたその時、真里亞が男の手を握った……次の瞬間、真里亞と男の周りを美しい光の蝶が舞い、二人が共鳴したことが賢輪にもわかった。
「悪かったな! 江じゃなくて!」
真里亞の影響で狼の姿になった敏成は吠えるように言って、ゴールドシールドで振り下ろされたナイフを受け止めた。
「……なぜ?」
そう呟いたのは賢輪ではなく、緋十郎だった。
「ごめんなさい」と、昴は再び謝った。
「でも、あなたにエージェントであることを投げ出して欲しくはなかった……たとえ、それが信念のためであっても」
だから、賢輪の気持ちに寄り添いすぎていると感じた緋十郎には、囮のことは伏せておいたのだ。
賢輪がこれ以上罪を犯さないように……そして、緋十郎がエージェントでいられるように。
●
「あいつは……」
賢輪は江の姿を求めて病院に視線を向けた。
そこに一台の黒塗りの車が到着し、夕、一二三、リュカがそれぞれの英雄と共鳴した状態で降りてきた。
「江の身柄は無事に移送したよ」
リュカの言葉を聞きその場から逃げようとした賢輪に、夕がスナイパーライフルで威嚇射撃を行った。
「あの男がとことん下衆なのはわかってる。でも、H.O.P.E.の能力者は正義の味方じゃなきゃいけないから」
夕はライフルを構えたまま言う。
突破口を開くために賢輪は夕に向かってナイフを投げるが、そのナイフは一二三の巴の薙刀に弾き飛ばされ、刃が欠ける。
唯一の武器を失った状態でも賢輪は諦めず、一番近くにいたリュカへ拳を振り上げた。
冷静さを失っているその行動に、リュカは武器を出さずに……賢輪の思いを受け止めるように拳を頬に受けた。
細身の体は吹き飛ばされたが、リュカの背後に回り込んでいた征四郎がその体を受け止める。
「賢輪……もし、死んだのが芽衣でなく、貴方だったとしたら、貴方は同じことを芽衣に望みますか?」
共鳴を解除し、少女の姿に戻った征四郎は真っ直ぐな眼差しで賢輪にそう問うた。
「……」
賢輪は答えることができず……その目は動揺の色を見せる。
「芽衣も同じ気持ちではないでしょうか?」
征四郎の幼くも、凛とした姿に賢輪は強さを持たぬままに散った……江から受けた虐待により頭を強く打って死んでしまった妹を重ねる。
その姿は重なるわけがなかったけれど……強さを持つ征四郎に重ならない妹の姿が胸を熱くした。
リュカと共鳴を解いたオリヴィエも賢輪に言葉をかける。
「もし同じ立場だったら、俺も復讐を望む……けど、確信を持って言えることは、あんたの大事だった人はあんたが笑えない道を選ぶのを望まない、ということだ……あんたは、守れなかった。ならせめて、守りたかった奴が、何よりも守りたかったはずのあんた自身を何より大事にしてやれよ」
「ねぇ、」と、征四郎が優しい声音で言う。
「暴力というその愛は、本当に、芽衣に届くのですか?」
届く……そう思っていた。けれど、目に浮かぶ純粋な妹の笑顔の前に、血に濡れた自分の手は何を持って差し出されているのか……賢輪にはわからなくなっていた。
「一応、聞きたいが彼等より権力や財力や地位を持って復讐するって気にはならんか?」
真里亞との共鳴を解いた敏成が言った。
「江の話を聞いても、あんたの妹やあんた自身をどうこうして後悔したなんて話全然出てこなかったぞ。同じ穴の狢が痛めつけあってる……そんな諦めしか最後は出てこなかった。今あんたがやっている事はある意味彼等の望み通りなんだぜ?」
「……望み通り?」
思いもしなかった言葉に賢輪は驚く。
「ああ。ダメな大人の望み通りだ……江がいなくなっても、おまえを利用したいと思う大人やおまえを使って他の子供たちを苦しめる大人が出てくるだろう」
「……でも、力がなければ芽衣を……芽衣に、どうやって愛情を示せばいい?」
賢輪の瞳から一雫の涙が落ちる。
「力がなくても、愛情を示すことはできます」
征四郎は賢輪が迷わないように……もう間違わないように……正しい道を示すためにきっぱりと言った。
「時に、力がなければ愛を守れないことがあるのも事実です……ですから、その力、暴力ではなく、愛を守る正義のために使ってはどうですか?」
「愛を守るため……?」
「H.O.P.E.に入って、子供たちの笑顔を守るヒーローになりませんか?」
征四郎が差し出した白く小さな手を、賢輪はそっと掴んだ。
●
江に原因があるのは確かだが、能力者の力を使って人を傷つけたことはまぎれもない罪であり、賢輪はH.O.P.E.で身柄を預かることとなった。
罪を償った後、彼がどんな道を選ぶのかはまだわからないけれど、その眼差しの奥にある悲しみは少しだけ薄まった……そんな風に、エージェントたちには見えた。
「あの職員さんが言っていた、賢輪の目の奥で泣いていた小さな子って……きっと、この子だったんだろうね」
真里亞の言葉に、「ん?」と敏成は真里亞の手の中の写真を覗き込んだ。
そこには、まだ幼い少女を守るように抱きしめる凛っとした少年の姿が写っていた。
「きっと、今度こそ明るい道を歩んでくれますよ……狒村さんが願ったように」
昴の言葉に、緋十郎は頷いた。
「そうだな……」
彼の未来が明るいことを緋十郎は心から願った。
「……」
オリヴィエはちらりと、横にいた征四郎に視線を送ると、その頭を少し乱暴に撫でた。
「っ!? なんですか? 突然……」
ふいっとそっぽを向いたオリヴィエに、征四郎は笑った。
「これからも、よろしくお願いしますなのです」
目の前に伸びる道が本当に正しいのか、正義と言えるのか、迷う時もある。
けれど、隣に心から信頼出来る人がいたならば、きっとどんな道が広がっていても、正しく歩くことができる。
「よくやったね」
シキが夕を褒める。随分上から目線だとも思うが、それがシキの愛情表現であることを夕は知っている。
二人には愛情を示す術があり、それを理解しあえる信頼がある。
「どうした?」
影俐はスマートフォンに着信履歴を残していた双子の妹に電話をかけた。
妹の声に、影俐の口元が少しだけ緩む。
真っ直ぐに生きるためには、守るものが必要だ。
もしかすると、賢輪の過ちは、影俐が辿る運命だったかもしれない……。
だから、否定など出来なかった。
「……」
影俐はその目を閉じて、せめて芽衣の眠りが静かなものであることを祈った。